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    ・NHK-FM 毎週日曜日19:20~20:20放送。毎月第1-2日曜日(+α)東京枠解説担当。
    ・10月01日/08日/15日/29日
    ・11月05日

2017年11月18日 (土)

音楽とねこ@音楽の友12月号

Ontomocat音楽の友12月号「音楽とねこ」に取材記事掲載。ねこ好きの音楽家に(親バカならぬ)「ねこバカ」話を聞くというシリーズ(笑。

同じくねこ好きの須川展也夫妻のところから回ってきた話のようで、美奈子サン山口多嘉子サンの「パドゥシャ」コンビに曲を書いたときなど、3時間の打合せのうち2時間45分がネコの話になったほど。

ただし私自身は「ねこ好き」というわけではなく、ここ50年近くなぜかずっとねこと同居し続けているだけ…(それを「ねこ好き」というのだと言われればそれまでだが)。

Sense_2 というわけで、最近はすっかり音楽界から足を洗い、縁側でねこと日向ぼっこする日々。

2017年11月13日 (月)

回想のピアノ三重奏曲

Triosample押し入れの奥に堆積している古い楽譜やテープを整理しているうち、高校3年(17歳)の時に書いた〈ピアノ三重奏曲〉の楽譜を掘り当てた。

1970年秋に高校の学園祭で学友たちによって初演された全4楽章20分ほどの曲。ピアノ独奏の短いPrelude、3つの楽器がゆっくり絡んで行くFuga、変拍子炸裂のScherzo、全曲の半分以上を占めるPassacagliaからなる。

50年近く昔のもので紙が変色しかけていたので、現在Finaleに入力中。当時、ショスタコーヴィチのピアノ五重奏曲や弦楽四重奏曲に心酔していたので、書式はショスタコーヴィチ風、ハーモニーはドビュッシー・ラヴェル風といったところか。現代音楽的な書法は使わず、音楽はロマンチックというよりセンチメンタルに寄っている。

…というのも、元々この曲はとある女性に聞いてもらいたくて書いた「初恋の曲」。そして結局その夢は叶わず(聞いて貰えずに)終わった「挫折の曲」でもあるからだ。(私の挫折多き人生はこの曲から始まったのだなぁ…と思うと感慨深いものがあるけれど)

要するに、高校の時に書いたラブレターが出て来たみたいなもので、嬉しさ半分恥ずかしさ半分で聴き直してみると、まぁ、切ない&可愛い事この上ない。私の作風のベタにロマンチックでセンチメンタルな部分はこの曲が発祥なのだと思い知った(笑。ただし、十代のガラスの心が書かせたもので、大人になったらこんな音楽は絶対書けないし書かない(…などと言いながら、結構書いてきたような気もするが)

当然、楽譜は燃してしまうつもり。…聞かせたかった相手に聞かせられなかった曲だから、もはや誰にも聞かせるつもりはない。…と言いながら、しっかりFinale入力しているあたりに未練がましい男心が見え隠れしている(笑。

2017年11月 6日 (月)

ブラームスと定年

BrahmsjFM「ブラボー!オーケストラ」の収録にNHK504スタジオへ。

今回は11月12日(日)放送分で、ブラームス交響曲第4番。渡邊一正指揮東京フィル(6月14日第110回オペラシティ定期より)およびグリンカ「幻想ワルツ」(指揮プレトニョフ@10月23日第898回サントリー定期より)

ブラームス晩年の憂愁感漂う第4番……と言っても、51-2歳頃の作品。人生80年90年の現代では50歳で「晩年」はないが、「人間五十年」の時代には充分晩年感があったのだろう。(ちなみにブラームスは享年63。第4番を書いたあと10年の余生がある)

そう言えば、人間は神様から定年50歳(肉体の使用期限が50年)と定められている…とどこかで聞いた憶えがある。生物学的に「恋愛して(生殖活動をして)」「子供を産む(子孫を残す)」という環に参加出来なくなった時点が、その生物にとっての「定年」だとすれば、そこそこ妥当な線のような気がしないでもない。ブラームス先生が第4番を書いている頃に感じたのも、そういう「50歳の壁」だったのかも知れない。

ただし、そういうコトが出来なくなったことでがっくり老け込む人もいれば、そういうコトから解放されて自由かつ元気になる人もいる。「晩年」に枯れる人もいれば、逆に燃える人もいるのはそのせいだろうか。個人的には、歳取ったら普通に枯れて最後は透明になって消える…というのが理想なのだが…サテ、そろそろ

2017年10月31日 (火)

Halloween?

Halloween2

2017年10月25日 (水)

英雄・受難・亡き子

HaydnbeethovenmahlerFM「ブラボー!オーケストラ」の収録にNHK401スタジオへ。

10月29日(日)放送分は、ベートーヴェン交響曲第3番〈英雄〉。ミョンフン指揮東京フィル(9月16日第61回響の森クラシックシリーズより)

11月5日(日)放送分は、ハイドン交響曲第49番〈受難〉およびマーラー〈亡き子をしのぶ歌〉(MS:小野美咲)プレトニョフ指揮東京フィル(10月18日第113回東京オペラシティ定期より)

No3今回、ちょっと妙なところに注目してしまったのが、ベートーヴェン〈英雄〉の「3づくし」な点。3番目の交響曲、調性は音階の3番目の音「Mi♭(Es)」の調、当然♭が3つ。(しかも1・3・4楽章が変ホ長調、2楽章がハ短調なので、楽譜は全楽章♭3つ)。主人公はEs管のホルン(しかも3本)、EroicaSymphonyと綴ると頭文字は「ES」。音楽の三和音、フランス革命の三色旗(自由・博愛・平等)に通ずるのだろうか。

Fm こんな「3づくし」みたいな算数的凝り方はベートーヴェンっぽくないような気もしないでもないが、今回、師のハイドンの第49番〈受難〉のスコアを見て「さすが師弟!」と納得した。この曲、4楽章全部がヘ短調という妙な作りなのだが、ヘ短調はフラットが4つ。つまり全楽章で曲の始まりに必ず「十字架」が並ぶのだ(受難だけに!)。作曲家というのは時々こういうヘンなことをする(そう言う自分も心当たりがあるのだが)。

ちなみに「英雄」をナポレオンとするには、第2楽章に葬送行進曲というのは妙だと昔から思っていた。それだと後半2つの楽章は「おまけ」にしか聞こえないからだ。しかし「人は死して〈不滅の存在=英雄〉として生まれ変わる」という人間賛歌と捉えれば、再生後の後半2つの楽章の明るさが納得できる。
もしかしたら「英雄」というのは革命や自由のために死んだ無名の市民たちであり、この曲は(現世の英雄などと言うちっぽけなモノではなく)「神の手に抱かれて兄弟となった」彼ら(英雄=人間)を描いた、ある意味では第九の先駆けとなる壮大な作品なのかも知れない…。

Kindertotenという視点で最後に「亡き子をしのぶ歌」を聴くと…何だか色々と儚さや切なさや透明な哀しみがひたひたと大気に広がってゆくのを感じる。

始まった音楽はいつか必ず終わる。でも、新しい音楽がまたどこかで始まる。同じように、人は生まれ、いつか死ぬ。でも、どこかでまた新たな人が新たな夢を抱いて生まれてくる。そうして世界は遙かな未来へ歪んだ夢のように繋がってゆく。

2017年10月16日 (月)

ネコ派取材

Sensexなぜかネコ派音楽家という枠で取材を受ける。

今は実家に一匹だけだが、50年前ノラネコ2匹が紛れ込んで来て以来、うちで生まれ死んでいったネコたちは延べ数十匹。

今いる黒猫も、暗くなると実家の前で闇に紛れて私の帰りを待っているから、まあ、「ネコ派」だろう。

還暦過ぎたらネコを膝に載せて縁側で日向ぼっこする老後が夢だったが、……肝心の「縁側」が無いのだった。

2017年10月15日 (日)

遺跡の発掘@音楽編

Cfds401
仕事場の押し入れを片付けていて、大量のカセットテープが詰め込まれた段ボール箱を発掘した。

中にあったのは、(とっくに捨てたと思っていた)古い自作のテープ数十本。カセットデッキはとうに処分してしまっていたので、急遽、新しくラジカセを買って半世紀近く前の音源を聴いてみた。

Oldcds 高校3年の時に学園祭で初演した〈ピアノ三重奏曲〉(1970)。シンセサイザー(MiniMoog)の多重録音で作った怪しげなテープ音楽作品群(1971〜74頃)。音楽コンクールで初めて入選して演奏された三重奏曲〈歪んだ真珠の牧歌〉(1975)。尺八と琵琶の入ったアコースティック邦楽プログレバンド《Beyond》のライヴ音源(1977)。

そして、ニューヨークで上演したロック・ミュージカル〈SHIRO〉(1981)。NHKFMラジオ劇場で放送したドラマの音楽6本(1979〜1985)。NHK電子音楽スタジオで〈マーマレード回路〉を制作した際の素材テープ(1983)。千葉博覧会で上演した幻のダンス・ミュージカル〈地球MyMother〉(1990)。モンゴル民謡や馬頭琴の音楽にリズムセクションを付けたエスノ・リミックスのサンプル(1990頃)などなど。

稚拙なモノもあるが、なかなかの出来のモノもあり、ジャンルも色々と多彩(というより雑多)。クラシック系現代音楽に固執することなく手広くやっていたら、まともな音楽家としてちゃんと世に出て真っ当な生涯を送れただろうに…。惜しい人を無くしたものである。

2017年9月29日 (金)

チャイコフスキーとマーラーの生と死

Tcaikomahler1892_2FM「ブラボー!オーケストラ」10月分2本の収録にNHK401スタジオへ。今回は、マーラーの大作:交響曲第2番《復活》。

まず10月8日(日)は、始めにチャイコフスキー幻想序曲「ロメオとジュリエット」(バッティストーニ指揮東京フィル@6月4日第72回平日の午後のコンサートから)。そのあとマーラー:交響曲第2番「復活」の前半第1・2楽章を。

そして10月15日(日)は 後半の3・4・5楽章。演奏は、チョン・ミョンフン指揮東京フィル。ソプラノ:安井陽子、メゾソプラノ:山下牧子、合唱:新国立劇場合唱団。(7月21日第111回オペラシティ定期より)

1時間半という長さの「復活」を1時間番組で放送するため前半・後半と分け、別の日に収録した20分ほどの長さのチャイコフスキーの序曲を(偶然)組み合わせた…のだが、実はマーラーとチャイコフスキーのこの作は因縁浅からぬモノがある。

1892年、まだ31歳の新進指揮者マーラーは、ハンブルク市立劇場の指揮者としてチャイコフスキーの歌劇「エフゲニーオネーギン」(ドイツ語版)を指揮する。元々はチャイコフスキーが指揮するはずだったのだが、ドイツ語上演と言うことで自信がなく、マーラーが代わりを務めたものらしい。ハンブルクを訪れてこの上演を見たチャイコフスキーは「よかった…どころではなく天才的(な指揮)だった」と絶賛。この20歳年上の大先輩作曲家と、まだ作曲家としては無名の新進指揮者マーラーは、きわめて友好的な間柄になる。

ところが、翌1893年10月、新作交響曲(悲愴)を初演した直後チャイコフスキーは急死。翌月の追悼コンサートでマーラーは「エフゲニーオネーギン」の抜粋とともに幻想序曲「ロメオとジュリエット」を指揮し、この巨匠への哀悼の意を表することになる。

その頃、マーラーが作曲していたのは〈葬礼〉と題された交響詩。しかし、翌1894年、チャイコフスキーに続いて先輩指揮者ハンス・フォン・ビューローが死去。その葬儀で流れた「復活」の朗詠を聴いたことから、〈葬礼〉を第1楽章に、そして〈復活〉を終楽章にした新しい交響曲(第2番)は完成に向かって歩み始める。

Resurrection
ちなみに、題材となったクロプシュトックの詩「復活」(よみがえる。そう、おまえはよみがえるのだ)は出だしの弱音で歌われるコーラス部分のみ。アルトが「信じるのだ。おまえが憧れたもの、愛したもの、争ったものは全てお前のものだ」と歌い出してから後は全部マーラーの創作らしい。

キリスト教の「復活」の概念は信者以外には良く分からない点も多いが、マーラーの復活頌はちょっとニュアンスが違う。「生まれたモノは必ず死ぬ。そして死んだモノは再び必ずよみがえる」だから「生きるために死のう」そうすることで「おまえはよみがえるだろう」。そう歌われると、木や花が冬に枯れて春に再び命を咲かせるようなヴィジョンが頭に浮かび、意外と東洋的な死生観のようにも思えてくる。この曲が日本で人気が高いのはそのあたりが心の琴線に触れるからなのかも知れない。

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