左手のためのピアノを巡って
敬愛するピアニスト舘野泉さんから「左手のピアニストになってしまいました」という知らせを受け、それに続いて「左手のためのピアノ曲を書いて下さいませんか」という委嘱が届いたのは2004年春だった。
舘野さんは、私がクラシックを聴き始めた高校生の頃(ということは30年以上昔の話になるのだが)、生まれて初めて行った〈演奏家のリサイタル〉のピアニストでもある。
その頃シベリウスに信奉して作曲家を志していた私としては、コンサートと言ったらほとんどオーケストラか現代音楽関係ばかり。唯一の例外として、北欧フィンランドで研鑽を積んだ若きピアニストで現代音楽(メシアンなど)も弾く氏の存在に惹かれ、高校の生協でチケットを入手し出かけたわけなのだ。
(実は、舘野さんは私と同じ慶應義塾高校の先輩後輩だったのだが、そのことを知って吃驚するのはずっと後の話になる…)
上野の文化会館で開かれたそのコンサートのことは、今でも覚えている。シベリウスや北欧の小品だけでなく、フィンランドの現代作曲家で今では大家となっているラウタバーラのソナタ(キリストと漁夫)を弾いたこと。最後にアンコールをずいぶん沢山弾かれたものの拍手が鳴りやまず、「もっと聴きたい方は私の家にいらしてください」と言って終えたこと。
それから10年ほどして私はフィンランドを訪れ、作曲家としてのデビューも果たし、ピアノの雑誌でインタビュー対談のような形でお話をする機会があった。その時、その話をしたら、「あれから本当にお客さんが何人か家に来て、朝までアンコールを弾いたんですよ」と笑っておっしゃる。しまった、それなら付いていけば良かった…と思ったのだが、後の祭りである(笑)。
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その後、舘野さんが会長を務める日本シベリウス協会で、会報の編集などでお手伝いをするようになり、2000年夏には私が舘野さんが主宰するオウルンサロ音楽祭に招待作曲家として招かれることになった。
その時、実は私の父母も招待客としてフィンランドを訪れ、数日間オウルンサロの町に滞在させていただいた。昼は北欧の町の風景や木々や花々を満喫し、夜はコンサートに出かけ、こちらが仕事をしている間はドイツにいた知人と周辺の町を訪れたりして、ずいぶん素敵な時間を過ごさせてもらったようだ。
父はその後数年して病で亡くなったが、病室でも「フィンランドのあの夏は本当に素敵だった」と、繰り返し語っていた。国際通信の技術者として世界中を飛び回っていた父だが、人生の最後に訪れたフィンランドの小さな町でのひと夏は、かけがいのない思い出として心に残ったようだ。だから、そんな素晴らしい機会を与えてくださった舘野さんには、深い感謝の念を抱かずにはいられない。
2002年の1月に脳溢血で演奏中に倒れられたと聞いた時は、父の闘病期とも重なっていて大きなショックを受けた。ピアニストとしては致命的な半身麻痺を伴うことを伝え聞き、音楽家という存在の光と闇とを(他人事ではなく)思い知ることになったほどだ。
しかし、舘野さんはその2年後に、「左手のピアニスト」という形で不死鳥のような再起を果たすことになる。
その素晴らしい報に接しながらも、左手だけのレパートリーがきわめて少ないことから生じる困難は、容易に想像出来た。だから、「左手のための新しいピアノ曲を書いて下さい」と言われた時には、それで幾分の恩義が返せるなら…という〈情〉の部分と共に、作曲家として挑戦すべき課題を与えられた…という〈知〉の部分の双方を感じて身が震える思いに駆られたものだ。
委嘱の条件として「出来うれば、北欧の森や風、光や水を感じさせるような音楽を…」と付記されていたことについても、(それは私にしか出来ない…という不遜きわまりない自負も込めて)まったく同感だったし、大いにイマジネーションを喚起させられた。
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■タピオラ幻景
2004年5月。舘野さんは左手のためのピアノ曲ばかりで復帰コンサートを開き(そこには、バッハやスクリャービンと共に、オウルンサロでご一緒した間宮芳生氏の新作も加わっていた)、私は東京と札幌で行なわれたそのリサイタルを聴きに行った。それは、感動的なコンサートだった。
そして、私としては札幌でのコンサートの後、しばらく北海道を散策して北の大気に触れつつ、作品の構想を練ることになる。
もっとも、作品のイメージはもう決まっていた。それは舘野さんの手紙の中にあった「北欧の森や風、光や水…」という一文から一瞬にして頭の中をかけめぐったフィンランドの森〈タピオラ〉によせる〈光〉〈森〉〈水〉〈鳥〉〈風〉という5つの幻の景色である。
あとは、左手のピアノのための書式の模索だった。
なにしろ両手ではなく左手一本で弾くのだから、ピアノ奏法の基本中の基本である「右手でメロディを弾き左手で伴奏する」ということが出来ない。ピアノ譜は通常〈高音譜(ト音記号)〉と〈低音譜(ヘ音記号)〉の2段で書かれるが、そもそも高音と低音を別々に同時に鳴らす…ということすら不可能なのだ。
和音にしても、片方の手だけで押さえられるのはせいぜい1オクターヴ+3度の開離和音くらい。一度に出せる音は(全部の指を使ったとしても)最大5音に限定されるし、簡単な2声の対位法を作ることすらままならない。
これでは、「片手だけで弾ける単旋律のメロディ」という以上のことは出来ないのではないか?という危惧がむくむくと頭の中にもたげて来る。
しかし、実際に音を紡ぎ始めると、それは杞憂に終わった。
ピアノには〈(サステイン)ペダル〉というものがある。これを使って、低音から高音へ指を移行する間に生じるタイムラグ(時間差)を保持音(残響)で埋めれば、ハーモニーの上にメロディを組み上げることも出来るし、交錯する2つ以上の声部を同時に聴かせることも出来る。
例えば、持続音を含むメロディを弾き、その音をペダルで保持しつつ、別の声部で伴奏型を弾く。一本の手で同時に押さえられない音が縦に重なりさえしなければ、メロディと伴奏型を左手のみで表現することが可能になる。
自然倍音は低音から高音に向かって響きが重なってゆくので、低音を弾き、それをペダルで保持しながらその倍音上にメロディを積み上げてゆけば、ごく自然なハーモニーの響きが生まれる。
別に同時に鳴らさなくとも、低音が先に鳴り、続いて高音が徐々に鳴る…という時間差は、倍音の構造上きわめて自然だし、そこに違和感は生まれない。
そして、アルペジオの中にメロディを忍び込ませる(ドビュッシーやラヴェルのピアノ作品などでよく聴かれる)テクニックも、片手だけのピアノ奏法にとっては極めて有効な書法だ。
要するに、分散和音のアルペジオ風パッセージでハーモニーを保持し、その構成音の中にメロディを組み込んで濃淡のわずかな差によって浮き上がらせるわけである。演奏には微妙なタッチのコントロールが不可欠だが、聴覚的にはメロディとアルペジオの伴奏とが、ごく自然に同時に聴こえる。
あるいは、一定のテンポでリズムとハーモニーを刻み、そのリズムの「間」に断片化したメロディを挿入する手もある。 伴奏型と指が重ならないパッセージを工夫しさえすれば、リズムを刻みつつメロディを浮き上がらせることが可能になる。
一方、「離れた高音と低音を同時に鳴らせない」という片手のハンディキャップは、逆に両手とは違った表現力を生み出す点も見逃せない。例えば、高音から低音、低音から高音へと音を移動させ跳躍させる際に、両手だと「左から右へと音の流れを受け渡す」ことになるが、片手だと必然的に「連続的なひとつの音の流れ」となる。
そのため、高音から低音(最低音域)に流れ落ちてゆくパッセージ、あるいは低音から高音(最高音域)に飛翔してゆくパッセージは、両手の時以上のクレッシェンドを生み出し、そこに劇的なダイナミズムを発生させる。
考えてみれば、ギターでもヴァイオリンでも、音程を作りパッセージを組み立てるのは左手指であり、音楽を司るのは〈右脳〉=〈左手〉のコンビである。つまり、まったく常識とは異なる結論かも知れないが、
右手だけで音楽を作るのは難しいが、
左手だけなら音楽は作れる
・・・のである。
かくして、その年の暮も押し迫った頃、舘野泉さんによせる左手のピアノのための新作〈タピオラ幻景〉op.92は仕上がった。
1.光のヴィネット(Vignette in Twilight)。
2.森のジーグ(Gigue of Forest)。
3.水のパヴァーヌ(Pavane for Water)。
4.鳥たちのコンマ(Commas of Birds)。
5.風のトッカータ(Toccata in the Wind)。
その頃、あるテレビ局が舘野さんにスポットを当てたドキュメンタリー番組を録っていて、作曲している私の仕事場の光景や、フィンランドに送られた楽譜を受け取る舘野さんの様子が後にテレビで放送されたりしたのは、ちょっと面白い体験だった。(これは、2005年5月に「奇跡のピアニスト」(制作:北海道放送)という番組としてTBS系列で放送された)
曲の初披露が行われたのは、翌2005年2月に舘野さんが会長を務めておられる日本シベリウス協会創立20周年でのリサイタル(すみだトリフォニー小ホール)。
初演の前に楽屋を訪れると、舘野さんは「吉松さん、難しいですよ、この曲。弾いていると息が止まりそうになりますよ」と笑っておられた。
(作曲家としては、「左手のための」と言われて委嘱された時、「左手だけで弾けるような(やさしい)曲」を書くべきか、あるいは「左手で弾ける限界まで高度な曲」を書くべきか迷ったのは確かである。しかし、「やさしい曲を書いてしまっては、プロのピアニストとしての舘野さんに失礼なのでは?」という考えが頭をよぎり、結局後者の「難しい曲」の方を書いてしまった。このあたりは作曲家の性と言うべきか…(笑)
しかし、実際には笑いごとではなく、左手のピアニストとして復帰されて日も浅く、逆にメディアから注目を受けて多忙な舘野さんにとっては、相当きつい(指に必要以上の負担をかける)難曲だったようで、後で聞いたら「本気で弾いたら、左手も壊れてしまう」という恐怖に対峙しておられたらしい。私としては「そんな危ない曲を書いてしまって申し訳なかった」としばらく落ち込んでしまったほどである。
それでも、曲の内容としては満足していただけたようで、あまりにも弾くのが難しい部分(押さえ切れない和音や、低音から高音への不可能な飛躍など)を数ヶ所改訂した後、日本やフィンランド各地で何十回と演奏していただくうち、この曲はひそかに成長して行った。
そして、数ヶ月後のリサイタルでの演奏を聴いた時には心底驚いた。それは、紛う事無き舘野さんの音楽になっていたからだ。まさしく最初に舘野さん自身が言った「北欧の森や風、光や水を感じさせるような音楽」が、そこにあった。
コンサートでは「吉松さんはコンピュータで曲を書くから(人間離れした楽譜になって)弾くのが難しいんですよ」と笑って曲を紹介するという舘野さんだが、音符というのは手で書いてもコンピュータで書いても所詮は人間離れした「記号」であることに変わりはない。
しかし、その記号から演奏家が「心」を引き出してくれる。それが「音楽」であり、それが人を感動させる。そんな場に立ち合えた時ほど作曲家として幸福な瞬間はない。
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■アイノラ抒情曲集とゴーシュ舞曲集
その後、この〈タピオラ幻景〉は、2005年8月にフィンランドで(しかも、なんとEspooにあるタピオラ・ホールという名の音楽ホールで!)録音され、舘野さんの左手のアルバム第2弾として翌2006年1月に発売された。楽譜も音楽之友社から4月に刊行されている。
ただし、やたらと難しい曲を書いてしまった負い目は感じていたので、その罪滅ぼしとして(?)初演以来ずっと、もう少し「弾きやすい」曲を…と小品をいくつか書きためていた。イメージとしては同じく「北欧の森や風や光…」であるのだが、タピオラが5楽章のソナタっぽい構造を持っているのに対して、もう少し自由な組曲風の小品集である。
そうして書き上げた〈アイノラ抒情曲集op.95(全7曲)〉は、シベリウスが愛妻の名を付した山荘アイノラのイメージによる7つの小品。少しだけさわらせてもらったことのあるアイノラ荘のピアノと、庭に咲き乱れていた花壇の花たち、山荘を取り巻く森と遠くに望む湖、シベリウスの交響詩(トゥオネラの白鳥)の世界、たどたどしく弾かれる子供のピアノ、そして遠くから聴こえる教会の鐘の音などがモチーフになっている。
1.ロマンス(Romance)
2.アラベスク(Arabesque)
3.バラード(Ballad)
4.パヴァーヌ(Pavane)
5.モーツァルティーノ(Mozartino)
6.パストラール(Pastoral)
7.カリヨン(Callion)
(余談になるが、当初この組曲のタイトルは〈トゥオネラ抒情曲集〉と題されていて、4曲目のパヴァーヌには、シベリウスの〈トゥオネラの白鳥〉の和音構造が引用されている。しかし、考えてみれば〈トゥオネラ〉というのは〈死者の国〉のことであり、あんまり縁起のいいものではないので、シベリウスゆかりの〈アイノラ〉の方をタイトルにすることにした。また、抒情曲集…というのはグリーグの同名曲とともに、室生犀星の詩集〈抒情小曲集〉に因んでいる)
そして、 もう一曲の〈ゴーシュ舞曲集〉op.96(全4曲)の方は、あまりにポップすぎて〈アイノラ〉の方からは外されたNG作品集(笑)。舘野さんがお好きだというタンゴをはじめ、ロックあるいはジャズ風のブルースなど、左手が繰り出す低音のリズムが強力なダンス・ピースを集めたもので、アイノラが〈北方系&クラシカル〉なのに対して、こちらは完全に〈南方系&ポップ〉である。
ちなみに、ゴーシュ(Gauche)はもちろん宮澤賢治の〈セロ弾きのゴーシュ〉に因んでの命名だが、これはフランス語で左手を意味する言葉でもある。例えば、ラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲は、CONCERTO pour la main GAUCHE…と表記される。
1.ロック(Rock)
2.ブルース(Blues)
3.タンゴ(Tango)
4.ブギウギ(Boogie Woogie)
この2作の楽譜は、今年5月7日の東京(サントリーホール)での大きなコンサートを期に、楽屋に伺った時(ちょっと早い70歳の誕生祝いも兼ねて)プレゼントした。タピオラ幻景の姉妹作(あるいは続編)と言えなくもないが、先にも書いたように頼まれたものではなく、〈罪滅ぼし〉の作品である(笑)。
このコンサートには(舘野さんのピアノの長年のファンでおられる)美智子皇后がいらしていて、当日演奏されたほかの作曲家(林光、末吉保雄、谷川賢作)諸氏と終演後貴賓室に呼ばれてお話を交わすことになった。
実を言うと、その時に皇后陛下から「また連弾の続きを書いて下さいネ」とお言葉をかけられたのだが、これは〈タピオラ幻景〉を仕上げる前に、「美智子皇后陛下との3手連弾デュオで弾くためのやさしい曲を書いてください」と頼まれて、「子守唄」という2分ほどの小品を書いたことがあったからだ。
とは言っても、新作というわけではなく、私のピアノソロ用小品(アレンジ作品も含む)の中から、舘野さんに1曲を選んでもらってアレンジしたもの。その年(2004年)の11月にフィンランド大使館でのパーティで(美智子皇后と舘野泉さんのデュオにより)プライベートに披露されている。(なんでも、当日のサプライズとして、ひそかにお二人で練習されていたそうである)
そんなこともあって、その後、3手連弾の続編として、同じく私のピアノ曲の中から「4つの夢の歌」という4曲からなる小品集をアレンジした(ということは、皇室御用達ということにでもなるのだろうか?(笑)。これは、春・夏・秋・冬からなるミニ版四季とでもいうべき小さなメロディ・ピースで、既にピアノソロ用、ギターとハーモニカ用、管楽器とピアノ用などなど多くのアレンジ版がある。この3手ピアノ版は、今年夏のオウルンサロ音楽祭で、弟子の平原あゆみさんと連弾されて披露されたようだ。
それから、シューベルト弾きでもある舘野泉さんにどうしても弾いてもらいたくて、(純粋にファン心理によるプレゼントとして)シューベルトの「アヴェ・マリア」も左手用アレンジ版を書き下ろした。次いで、カッチーニの「アヴェ・マリア」。 さらに、オウルンサロ音楽祭ということで思い付いたシベリウスの「フィンランディア(聖歌)」も左手ピアノ用にアレンジすることになった。いずれも、アンコールにでも弾いていただければ…ということで(プライヴェートに)献呈したものである。
ちなみに、〈アイノラ抒情曲集〉5曲目の〈モーツァルティーノ〉という曲は、舘野さん復帰後初の両手演奏として、リサイタルのアンコールの時に右手を伴って弾かれたという。
タイトルの〈モーツァルティーノ〉は、文字通り〈小さなモーツァルト〉という意味で、子供が初めてピアノを弾いた時のような「可愛さとたどたどしさ」を込めた曲。トゥオネラ(死)によせるパヴァーヌの後で、新しい〈再生〉を暗示する曲でもある。
だから、この曲を、舘野さんが右手の復活(再生)の最初の曲として選ばれ、弾かれたと聞いた時は、背筋がぞくっとすると共に涙が出てきそうになったほどだ。
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それにしても、こうして並べてみると、ずいぶん左手のためのピアノ曲を書いたものである。もしかしたら「左手のピアノ曲ばかり書いた変な作曲家」としてギネスブックに載ったりするかも知れない(笑)。来年は(たぶん)左手のためのピアノ協奏曲も書くことになりそうだし、今後も舘野泉さんという希有なピアニストのまわりから、左手で夢を紡ぐレパートリーは生まれ続けることだろう。
この〈アイノラ抒情曲集〉と〈ゴーシュ舞曲集〉の全曲は、12月19日のリサイタルで正式に初演の予定。
また、この2作およびここに挙げた諸作品(3手連弾曲やアレンジ作品)は、12月のリサイタルの前後にCD録音され、来年春頃には舘野さんによる私の左手のためのピアノ作品集としてAvexより発売される予定ですので、お楽しみに。
★11月10日は舘野さんの誕生日です。
古稀(70歳)おめでとうございます。
◇アイノラ抒情曲集&ゴーシュ舞曲集の初演コンサートはこちら
■舘野泉ピアノ・リサイタル〜大地の歌アンコール公演
・バッハ(ブラームス編曲):シャコンヌ(BWV1004より)
・スクリャービン:左手のための二つの小品(前奏曲・夜想曲)Op. 9
・末吉保雄:土の歌・風の声
・谷川賢作:「スケッチ・オブ・ジャズ」より
・吉松隆:「アイノラ抒情曲集」(世界初演)
・吉松 隆:「ゴーシュ舞曲集」(世界初演)
◇2006年12月19日(火)19:00 東京オペラシティコンサートホール