2006/04/10

ショスタコーヴィチ/交響曲第10番に仕掛けられた暗号

Dmitri02_3 ショスタコーヴィチ10番目の交響曲は、1953年、独裁者スターリンが死去した年に、ソヴィエト連邦の「雪どけ」の風潮の中で生み落とされた。彼の15曲ある交響曲の中でもその完成度の高さと内容の深さでは一二を争う出来であり、最高傑作のひとつと言っても過言ではない。
 とは言え、「形式主義的」と批判された前作第9番から8年ぶりの挑戦であるこの交響曲について、彼自身は「ただ人間の感情や情熱と言ったものを表現したかったのだ」と語るにとどめている。
 しかし、この曲、実を言うと、その裏に一筋縄では行かない不思議な仕掛けと暗号が隠されているのだ。ここではその解読を試みてみよう。

◆リストの「ファウスト交響曲」との類似性
 全4楽章50分という大作であるこの交響曲、初演時から「リストの〈ファウスト交響曲〉に似ている」と指摘されてきた。しかし、そこから先に突っ込んだ解析が及ばなかったのは惜しい。なぜなら、この「ファウスト」こそは、この曲に仕掛けられた暗号を解く最大のキイワードなのだから。

 「ファウスト」はご存知のように、文豪ゲーテ畢生の大作と言うべき戯曲。老学者ファウスト博士が、悪魔メフィストフェレスに魂を売り渡すことと引き換えに若さを得て、さまざまな冒険と遍歴を経る物語である。原形となった古いファウスト伝説では、最後は契約通り悪魔に魂をとられて地獄へ行くのだが、ゲーテの作では永遠なる女性グレーチェンの霊に救済されて魂は天国へ行くハッピーエンドになっている。

 この題材に惹かれて作曲家フランツ・リストが「ファウスト交響曲」なる作品を作曲したのが1854年。ショスタコーヴィチが第10交響曲を発表するちょうど100年前(!)のことである。この曲は、3人の登場人物「ファウスト」「グレーチェン」「メフィスト」をそれぞれ性格的に描いた3つの楽章から出来ている。そして、最後に「永遠にして女性的なるものが、我らをはるか高きところへ導く」という終幕の合唱で終わる。リスト考案による単一楽章の「交響詩」をさらに拡大し、それゆえに「交響曲」と題された全3楽章で演奏時間1時間以上を要する意欲作である。

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 まず、単純にこの2作の第1楽章を比較してみよう。第10交響曲の冒頭のテーマ(譜例A)は確かに、低音弦で上行する3つの音がモチーフになっている点でファウストの主題(譜例B)似ている。そして、続く第2主題を見ると、フルートで登場する歪んだワルツ風の主題(譜例C)もまた、ファウスト交響曲で弦のアレグロで登場するテーマ(譜例D)と同じフォームを取っていることが分かる。つまり、「少なくともショスタコーヴィチの第10交響曲は、リストのファウスト交響曲を下敷きにして構想された」という推理は成り立ちそうなのだ。


 さらに突っ込んで、続く第2楽章を見てみよう。リストの作では第3楽章がスケルツォで「メフィスト」を表現しているが、ショスタコーヴィチの場合は第2楽章がアレグロで疾走する残忍でグロテスクなイメージ全開の「悪魔的スケルツォ」である。これでは「悪魔メフィスト」を連想するなという方がおかしい。

 しかも、この曲が1953年3月のスターリンの死の直後に構想され作曲されたことを考えれば、これが「社会主義リアリズムに魂を売り渡すことを常に要求し突きつけてきた悪魔」である「スターリン」であることは明らかだ。

 そう、この曲、第1楽章は「ファウスト」であるショスタコーヴィチ自身、第2楽章は「悪魔メフィスト」であるスターリンを描いているのである!

◆自己署名〈DSCH〉と謎のサイン〈EAEDA〉
 さて、ここまでファウスト交響曲としての性格を備えているとなると、もう一人の登場人物「グレーチェン」もどこかに隠れているのではないかと考えるのは当然だろう。

 ここで、この曲の第3楽章になって初めて登場する「レ・ミ♭・ド・シ」というモチーフ(譜例E)に注目してみよう。このモチーフはドイツ音名だと「D・S・C・H」。つまりDmitri SCHostakovitchの署名であるということは、今や特に彼のファンでなくとも有名な公然たる事実である。これが、第3楽章の前半におずおずと登場し、それに続いて不思議なモチーフが聞こえてくる。ホルンで演奏され、12回も繰り返され、しかもその間転調も変奏もされない奇妙な音型(譜例F)である。

 この音型、実音では「ミ・ラ・ミ・レ・ラ」、すなわち〈EAEDA〉である。転調しないのは、もちろんそれをやってしまうと音名が変わってしまうからに決まっている。とすれば、〈DSCH〉がショスタコーヴィチ自身の署名であると言うなら、この〈EAEDA〉もまた誰かの署名でないわけがない。
 そして、今までの流れから見て、それが「女性の名前」であることは、当然すぎるほど当然な推理の結果として導き出されるではないか。では、これは誰の名前なのか?

◆薔薇の名前はエリミーラ
 ここで、ショスタコーヴィチが「ファウスト」を主題に選んだ動機を探るべく、作曲当時の状況を俯瞰してみよう。

 彼は当時47歳。1932年26歳の時に結婚したニーナという奥さんがいる。結婚21年めで、この当時は病気がち。実際、第10交響曲を発表して1年後の1954年11月に病死している。そろそろ50歳という中年の年齢にさしかかり、作曲家としては名声を得たものの満たされない心のしこりを抱えた彼が、老ファウスト博士と同じく「若返ってもう一度人生を究めたい」と夢見ても不思議ではない。

 そんな時、スターリンが死んだ。彼が19歳のデビューの時から独裁者として君臨し、彼のオペラを「あんな音楽はクズだ!」と批判し、ろくに芸術もわからないくせに「社会主義リアリズム」などという奇妙な思潮を押し付けてきた「悪魔」の死である。

 そこで回りを見回してみれば、レニングラード音楽院で作曲科の教授をしている関係で、彼の回りには女子学生も含めた若い女性たちが少なからずいる。やがてショスタコーヴィチは、その中に自分を救済してくれるかも知れない一人のグレーチェンを見出したのに違いない。

 実際、作曲科に在籍していた唯一の女性ガリーナ・ウストヴォルスカヤ(当時34歳)とは交流があり、彼が第10番の前年に書き上げた第5弦楽四重奏曲(1952)には、この若き女性作曲家のピアノ三重奏曲(1949)のフィナーレの主題が登場する。ただ、この曲自体は彼女に捧げられたものではなく、ベートーヴェン弦楽四重奏団の創立30周年記念に書かれたものなのだから、ショスタコーヴィチも人が悪い。

 しかし、この〈EAEDA〉、彼女ではない。音楽史をひも解いてみれば、シューマンは若いころ「謝肉祭」というピアノ曲で恋人エルスティーネの生まれた村の名前(アッシュ:ASCH)を音名として組み込んで遊んでいるし、アルバン・ベルクも「抒情組曲」で秘密の愛人ハンナと自分のイニシャル(H.FとA.B)をまるで相合い傘のように曲のあちこちに刷り込んでいる。


 そのあたりの前例も元に、彼の相手を推理してみよう。条件に当てはまるのは、名前の頭文字が〈E〉であり、移調楽器ホルンが奏する音型を聴き取れる程度の絶対音感があること。テーマ自体はシンプルなので、ソルフェージュとしては初歩でもOK。となると、音楽院の学生ないしは音楽に素養のある人物で、彼と交点のある若い女性…。Elimira いたいた。エリミーラ・ナジーロワだ。アゼルバイジャン出身の作曲家でありピアニスト。当時25歳。レニングラード音楽院でショスタコーヴィチにレッスンを受け、その後も何回か手紙を交わしている。


 これを元に暗号を解読してみよう。〈EAEDA〉の真ん中の3文字をイタリア音名にするのだ。すると〈E・La・Mi・Re・A〉。なんと〈エリミーラ〉という名前が浮かび上がってくるではないか!

◆奇妙な二重人格と悲しき二重構造
 ただし、このホルンによる〈EAEDA〉の暗号、単なるおちゃめな愛のメッセージではない。マーラーの交響曲「大地の歌」冒頭のホルンのテーマ〈EAEDEAE〉(譜例:G)とも呼応していることを考えると、「交響曲を9つ書くと死ぬ」というベートーヴェン以来のジンクスに対する「不吉さ」も二重構造として組み込まれていることに気付くからだ。この第10番が全体的に悲劇的なトーンを帯び、かつ終幕の「救済の合唱」が存在せず、どこか空虚な空騒ぎを感じさせる第4楽章(フィナーレ)がくっついているのもその不吉さゆえだろう。

 ショスタコーヴィチという名のファウストは、「永遠にして女性的なるもの」を求める気持ちからこの暗号に満ちた二重構造の交響曲を書いた。しかし、彼にはそれが「魂を救う」とはどうしても思えなかった。それもまた(悲しいことに)、この作品を聴くと痛いほど分かるのだ。

◇近々の上演予定:2006年5月23日(火)、フェドセーエフ指揮モスクワ放送交響楽団。サントリー・ホール。

        * * *

Ds10 ■参考CDとしては、カラヤン=ベルリン・フィルのもの(1981年録音)を挙げておこう。ソヴィエト臭のない、究極の美音オーケストラ=ベルリン・フィルの描く「ファウスト=ショスタコーヴィチ」は、壮大なドラマの奥のプライヴェートな仕掛けを聴くのにうってつけ。ショスタコーヴィチというと第5番ばかりがもてはやされていた時代に、「なぜ10番?」という興味もそそる一枚。

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2006/05/10

ドン・ジョバンニ殺人事件(前編)

Dvd1_ モーツァルトの3大オペラ…「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」「魔笛」…の中で最大の問題作と言ったら、それはもう歌劇「ドン・ジョバンニ」だ。

 ダ・ポンテ脚本によるこのオペラは、放蕩の限りを尽くす色事師ドン・ジョバンニ(いわゆるドン・ファン)が、悪行の報いで地獄に堕ちる…という、喜劇とも悲劇とも付かない不思議な物語である。
 そして、この作品、ひとことで言うならとても奇妙な〈殺人事件〉を描いている。なにしろ、主人公がなんと〈亡霊〉に殺されるのだから。

 この事件の中心人物は、ドン・ジョバンニ。おそらく30代前後の貴族階級のスペイン人男性で、美男で金持ちで口がうまい希代の色事師。世界中を旅する自由人だが、大きな邸宅を持ち、盛大な晩餐会を開けるほどの財力を持つ土地の名士でもある。

 女性を口説き、ものにするのを人生の目的としている享楽主義者にして、因果応報とか幽霊とかはまったく信じない合理主義者。自称2000人以上の女性と情交を持ち、女性であれば、若くても年取っていても痩せていても太っていても、とにかく口説いてコトに及ぶ。1日に数名の女性と関わることも珍しくないが、愛や情欲におぼれることはなく、あくまでも冷静なハンターとして自己のSEXを捉えている。

Dongio ある意味では男性なら誰でも夢見る理想の存在?であり、女性にとっても強烈な魅力的を持つ異性だが、当然モラルの埒外の存在であり、貴族の特権があるゆえに許されているが、トラブルが絶えない。

 …と、そんな彼をめぐって2つの殺人事件が起きている。ひとつは、彼ドン・ジョバンニが騎士長を(決闘の末に)刺殺した事件。そして、もうひとつは、その騎士長の亡霊が石像に姿を変えて当のドン・ジョバンニを(復讐のために)地獄に連れ去った事件。この2つである。

 まずは、登場人物を列挙してみよう。

 ♂ドン・ジョバンニ。30代?男性。貴族。

 ♀ドンナ・アンナ。18歳?女性。騎士長の娘。深窓の令嬢。
 ♀ツェルリーナ。10代?女性。コケティッシュな村娘。
 ♀ドンナ・エルヴィーラ。20歳?女性。ジョバンニに捨てられた女性。
 ♀エルヴィーラの侍女。話には出て来るが登場はしない謎の女性。

 ♂レポレロ。30代?男性。ドン・ジョバンニの従者。
 ♂騎士長。60代?男性。ドンナ・アンナの父親。
 ♂ドン・オッターヴィオ。20代?男性。ドンナ・アンナの許嫁。
 ♂マゼット。20代?男性。農夫。ツェルリーナの花婿。

 
Donj2◆事件のあらまし

 ■事件1〈騎士長殺人事件〉。
 >被害者:騎士長。加害者:ドン・ジョバンニ。
 某月某日夜、貴族ドン・ジョバンニは、知人でもある騎士長宅に忍び込み、その家の令嬢ドンナ・アンナの寝室にて同女と和姦に及ぼうとするも騒がれて失敗。逃げる途中、犯人を捕らえようと追いかけてきた父親である騎士長と格闘になり、剣で刺殺。ただし、仮面を付けていたため、犯人として特定されず。事件は迷宮入り。

 *従者レポレロ氏の証言。「ええ、あっしは、ジョバンニ旦那に言われて、外を見張っていたおりました。何をって、そりゃあ、万一の時は無事に逃げ道を作っておくためです。ジョバンに旦那はいつもそうやって、かれこれ1000人では利かない女の部屋に忍び込んでおります。
 でも、騒がれてコトに及ばず逃げ出してきたのは初めてでさ。旦那もヤキが回ったというか、ドンナ・アンナの嬢ちゃんは顔なじみなんで、仮面を付けずに言い寄れば、別に苦もなくコトに及べたと思うンですが、何を考えたんだか。揚げ句、知り合いでもある騎士長に犯人扱いされて、行き掛かり上、殺す羽目になってしまって。
 でも、あれは〈決闘〉ですんで、殺人ではございません。騎士長自身が〈曲者め、決闘しろ!〉と叫んで剣を振りかざし、逆に返り討ちになってしまったんでさ」

 *ドンナ・アンナ嬢の証言。「はい。そうです。仮面を付けた男が、私の寝室に忍び込んで参りました。顔は見ておりません。暴力に及ぶような仕草はございませんでしたが、私は許嫁がいる身でしたので、叫び声をあげて拒絶いたしました。
 父は、私の叫び声を聞いて、剣を持って駆けつけて参りました。それからのことは、ああ、気が動転してよくわかりません。気がつくと、父が血を流して倒れておりました。
 ドン・ジョバンニという男を知っているか?とお聞きですか。はい。知っております。父とも知己がありましたので、今回の事件については、あの方にもぜひ力をお借りしたいと思っております。許嫁のドン・オッターヴィオもそう言っております」

 *ドン・オッターヴィオ氏の証言。「私はドンナ・アンナの許嫁です。騒ぎを聞いて駆けつけましたが、その時はもうすべてが終わっておりました。操を奪われたのかどうかは分かりません。本人は否定しております。
 しかし、女の寝室に気がついたら男が忍び込んでいて、何もなかったと言われても、私は…。いや、私は彼女の言葉を信じております。このたびの件で彼女との婚約を破棄する気はありません。憎むべきは、乙女の部屋に忍び込んだ上、義父となるべき騎士長を刺殺した無頼の輩です」

Zelr_1 ■事件2〈花嫁拉致事件〉
 村で結婚式を挙げたばかりの花婿マゼットと花嫁ツェルリーナを、貴族ドン・ジョバンニが自分の邸宅へ招待する。ところが、ジョバンニの目的は花嫁ツェルリーナ。なんと彼女を拉致し、結婚するからと約束しコトに及ぼうとするも、その時はジョバンニの妻を名乗るドンナ・エルヴィーラの登場で未遂に終わる。
 その後、改めて舞踏会を開いて招待しふたたび和姦に持ち込もうとするが、これももう少しのところで騒がれてコトに及ばず、駆けつけた花婿マゼットおよびドン・オッターヴィオ、ドンナ・アンナ、ドンナ・エルヴィーラに対し、すべての罪を従者レポレロに着せて逃げている。

Donj14 ■事件3〈農夫暴行事件〉。
 >被害者:農夫マゼット。加害者:従者レポレロに扮したドン・ジョバンニ。
 花嫁ツェルリーナに手を出したことに怒った花婿マゼットが、ドン・ジョバンニを襲う計画を立てる。しかし、彼を探す途中で従者レポレロに計画を打ち明けたところ、それが実はレポレロに化けたジョバンニで、逆に袋だたきにされる。全治数日のケガ。

 *村娘ツェルリーナの証言。「結婚式の後でドン・ジョバンニさんに会って、あたし、その日に彼に結婚を申し込まれたんです。でも、あたし、マゼットっていう許嫁者がいるから、どうしようかなあって悩んだの。ジョバンニさんは貴族だし、お金持ちでスマートで紳士だし、口もお上手だし。それに比べると、マゼットって田舎者だしあんまり見栄えもよくないし。
 あ、でも、きっぱりジョバンニさんの申し出はお断りしました。やっぱりマゼットがいちばんだと思います。あたし彼と一生添い遂げたいと思ってます。本当です」

 *農夫マゼットの証言。「結婚式の日に、新婚の花嫁を寝取られて怒らねえ花婿はいるわけねえ。で、おらは棍棒と銃を用意しただ。あいつを成敗しようとして。ところが、仲間だと思った奴がレポレロに化けたジョバンニの野郎で、おらをボコボコに殴って逃げやがった。ああ、なんてひどい奴だ!。
 揚げ句、ドンナ・アンナの嬢さんやオッターヴィオの旦那たちと一緒に、ようやく奴を見つけて捕まえて、思い知らせてやろうと思ったら、今度はそれがジョバンニに化けたレポレロの野郎だっただ。もう、おら何が何だかわからねえ」

 *ドンナ・エルヴィーラの証言。「私はドン・ジョバンニの妻なんです。婚姻を交わした正式の妻なんですよ。でも、彼ったら、たった3日で私の元からいなくなって、あちこちで若い娘に手を出してばかりなんです。
 やっと会えたと思ったら、結婚したばかりの村娘を口説いているし、むこうから声をかけてくれたと思ったら実は従者のレポレロが彼の服を着てなりすましたんです。要するに召使いの男にあたしを押しつけたんです。ああ、ひどい人。でも、私はあの人を愛しています。どこまでも、あの人を追いかけて放さないつもりです」


Sekizo ■事件4〈ドン・ジョバンニ殺人事件〉。
 >被害者:ドン・ジョバンニ氏。加害者:騎士長の石像。
 某日夜。ドン・ジョバンニ邸での晩餐が開かれ、召使いたちやエルヴィーラ始め多くの人間が集まる中、突然亡き騎士長の石像(目撃者談)が現われる。そして、氏の悪行を非難したうえで悔い改めるように要求するが、氏は応ぜず、轟音と炎と共に地獄の入口が開き、両者はその中に姿を消す。

 *ドンナ・エルヴィーラの証言。「あの夜、私は彼の屋敷に行きました。私の苦しみを伝えに。そして、あの人が私にまだほんの少しでも愛を残してくれているか確かめに。さらには、放蕩三昧の生活を改めてくれるように。でも、あの人には人間の心のかけらもありませんでした。私は絶望して、屋敷を飛び出しました。
 その時です。あの恐ろしいものと出会ったのは!。真っ白で巨大で、人の形をしていましたが、人ではありませんでした。私はあまりの恐ろしさに悲鳴をあげ、後ろを振り返ることなく逃げました。」

 *従者レポレロの証言。「恐ろしいことです。あの事件の日の夕方、旦那が殺した騎士長の墓のに偶然出くわしたンでさ。その時、旦那が石像に毒づいて、〈今夜の晩餐に招待しよう〉と口走ったところ、なんと石像がうなずいたンです!。ああ、恐ろしいこってす。そして、あの夜、あっしがキジの肉を食べているところに、あの石像が招待に応じてやって来たんです。〈ドン・ジョバンニ。招待を受けてやって来たぞ!〉と地獄の底から聞えてくるような声を上げて!
 その後のことは、ああ、思い出してもゾッとする。あっしはすべてを見てました。石像は旦那に〈悔い改めよ〉と何度も叫び、そのたびに旦那は〈いやだ。悔い改めなどするものか!〉と応じて、ああ、素直に謝っちまえばよかったものを。石像は手を差し伸べ、旦那は豪胆にもその手を取って〈なんと冷たい手だ〉と言ったんですが、それが最後の言葉になりました。真っ赤な地獄の扉が開いて、ジョバンニの旦那は石像と一緒にその中に落ちていかれたンでさ。ああ、恐ろしい、恐ろしい」

 ◆事件の全容

 さて、この奇怪な事件について考えてみよう。

Dg01 事件1の騎士長殺人事件については、被害者:騎士長、加害者:ドン・ジョバンニ、と事実関係は明々白々である。ただし、従者および実娘の証言にもあるように、騎士長は自ら決闘に及んで返り討ちになったのであり、事件としては成立していない。

 そして事件2の花嫁拉致事件。これは事件とは言えない。なにしろ貴族が村娘の初夜権を持っていたような時代である。結婚式を挙げた花嫁と花婿を貴族が屋敷に招待して、そのスキに花嫁に手を出したとしても、花婿が気分を害する以外に事件性はないと思われる。

 事件3の農夫暴行事件に関しても同様で、騎士階級の者が農夫に手を上げても、事件としては処理されない。むしろ、平民であるマゼットが貴族ジョバンニに暴行を働こうと徒党を組んでいたわけで、逆に殺されたとしても文句は言えないことになる。

Tatuegiovanni しかし、事件4は不可解である。事件1で殺害された騎士長の石像が、ジョバンニ氏の催す夜会に招待客として現われ、彼を殺害(正確には、地獄へ連れ去った)に及んだという目撃者たちの証言は、18世紀の迷信にまみれた時代ならともかく、現実問題としてはありうベからざる非科学的な妄想と言わざるを得ない。

 そう。死者の石像が、生きた人間を地獄に連れてゆく…などということは、現実にはありえない。つまり、この事件を現実的に考えるなら、結論はひとつである。

 すなわち、ドン・ジョバンニ氏は亡霊ではない生身の人間によって殺害されたのであり、その真犯人が自分の犯行を隠蔽するため、〈ジョバンニ氏は石像によって地獄へ連れ去られたのだ〉という筋書きを仕立て、それを信じさせるに至ったのである。

 では、ドン・ジョバンニ氏殺害の真犯人は誰か? 

 ◆容疑者たち

Donnaanna まず《第1の容疑者》は、ドン・ジョバンニに父親を殺された令嬢ドンナ・アンナである。そもそも、すべての事件は、ジョバンニが彼女の父である騎士長を殺害したことに始まる。その結果が、騎士長の娘による復讐だとしても不思議ではない。

 しかし、そもそも寝室に知らぬうちに仮面の男が忍び込み、手籠めにされそうになったので拒否し悲鳴を上げた…という彼女の証言は不自然な点が多い。まがりなりにも貴族の、しかも守備警護を仕事とする騎士長(今で言うなら警察署長)の邸宅である。一人暮らしの女性のアパートとは話が違うのだ。そんな家の令嬢の寝室に気付かれずに忍び込んだというのはとても信じがたい。
 考えられる理由はひとつ。彼女が手引きをし、警護の者たちや召使いたちを下がらせて部屋で一人ドン・ジョバンニを待ち、コトに及んだのだ。そう考えれは辻褄が合う。では、なぜ彼女は悲鳴を上げ拒否したのか?

 おそらく、女なら痩せても太ってても若くても年増でもすべてOK …というのが彼ドン・ジョバンニのポリシーながら、1回コトに及べばその女への興味は失うのが色事師の性。貴族の娘ドンナ・アンナを篭絡して抱いたところで、彼女への愛は終了した。
 ところが、彼女の方はそうは行かない。婚約者がいるのに希代の美男ドン・ジョバンニに体を許してしまった。許してしまったからには彼を独占出来ると思っていたら、ジョバンニの方はあっさり「じゃ、そういうことで」と帰ろうとする。これでは何もかも失うことになる。そこで、彼女としては、「知らない男」に「むりやり寝室に押し掛けられた」しかし「悲鳴を上げて拒否した」ため「貞操は無事だった」という筋書きを作ったわけである。

Donj1 逃げようとする暴漢を追いかけて…というのも話は逆だろう。帰ろうとするジョバンニを「捨てないで」と追いすがっていた、それを物音に気付いた父親の騎士長にとがめられ、とっさに名も顔も知らぬ暴漢ということにした。ところが、そのために父親は「暴漢」を成敗すべく剣を抜き、逆に殺されてしまったわけである。

 この、不義密通、父親の死、下手すると婚約解消…という突然降って沸いた危機に、それまで箱入り娘で乳母日傘だった彼女は、「真実を知るドン・ジョバンニ」を消す必要に迫られることになる。
 ただ、人一倍世間知らずの彼女が、ひとりで百戦錬磨の仇敵ジョバンニを殺すのは不可能。当然、許嫁であるドン・オッターヴィオをどうけしかけて共犯に巻き込むかが問題になる。

Ottavio2 そして、《第2の容疑者》は、このドン・オッターヴィオである。
 彼は、令嬢ドンナ・アンナの許嫁だが、彼女と恋愛関係にあるというより、あきらかに父親である騎士長の連れてきた許嫁者である。老練の騎士長のお眼鏡に適って「娘の婿」になったのだから、家柄も育ちもよく女性にも固い世間知らずのいいとこ坊ちゃんであることは想像に難くない。
 彼ドン・オッターヴィオの方は上司の令嬢であるドンナ・アンナをひたすら大事にしたいと思っているものの、彼女の方は特に〈男〉を感じていない。そのあたりは、義理の父親が殺されたと聞いて駆けつけても、ちっともドンナ・アンナの方は反応しないことでも分かる。

 そんな彼に、令嬢ドンナ・アンナは、事の顛末として「犯人は、何も知らない自分の寝室に忍び込んできて、非道にも無理やり犯そうとし、騒がれて逃げる途中で、父である騎士長を刺し殺して逃げた、極悪非道の大悪人である」…という話を吹き込む。
 しかも、「どうして見知らぬ男を寝室に入れたのか?」という花婿の疑問を先取りして、「暗闇だったので、貴方だと思ったのよ」と説明しているあたりのウソのつき方も見逃せない。そして、その非道な男がドン・ジョバンニであることを徐々に臭わせてゆく。
 
 いかに坊ちゃん育ちとは言え、彼がどこまでそんな女性のウソを信じたか不明だが、それでも、この件をなんとかしない限り令嬢ドンナ・アンナの心はどこかに行ってしまっていて、婿入りは無理なのだ。しかも、彼女が「復讐して!」と言うのだから、とにかく犯人に制裁を加えなければ男として面目が立たない。
 そして、無事に復讐を果たせば、彼女と結婚し、騎士長の亡き後、令嬢と共に名家は自分の物になる。単なる婚約者のための復讐だけではなく、彼には現実的にドン・ジョバンニを亡き者にすることで利益を得ることになるのだ。殺害の動機としては充分だろう。

Donnaelvira そして、ドン・ジョバンニと婚姻を結びながら3日で逃げられた正妻?ドンナ・エルヴィーラも《第3の容疑者》に数えられる。
 彼女は、ドン・ジョバンニを追いかけまわし、彼が若い女にちょっかいを出そうとしていると「だまされるんじゃないわよ。その人は悪人よ!」と叫んで邪魔をする。ドン・ジョバンニの方はいささかうんざりして「あの女は気が触れているのだ」と説明するしかない。

 ドン・ジョバンニから見れば一種のストーカーのような存在だが、彼女の方から見れば、自分を捨てた憎い男なのにあきらめ切れない…という心を抱え、復讐とも愛の告白とも付かぬ行動に駆り立てられている。
 一度は、ドン・ジョバンニが自分の方からやって来て、復縁してくれるかと思ったのも束の間、それが実は身代わりに押し付けられた従者レポレロだと知り、かなり激情する。しかし、「裏切り者!悪党!」と罵りながらも、彼が暴行を受けそうになると「その人は私の夫です。許して下さい」と言っているあたり、心はかなり揺れている。
 しかし、そこに殺意が忍び込んでも、彼女の不幸な状況では不思議はないと思われる。

 ちなみに、事件の直前にドン・ジョバンニと会い、最後に会話を交わしたのは彼女である。自分の今までの苦しみと思いの丈を伝えるためにジョバンニ邸を訪れるが、彼はまったく心を動かさず、失望して屋敷を去る時に石像と出くわしている。そのタイミングの良さには何か作為を感じざるを得ない。

Dongiovani1 続く《第4の容疑者》は、農夫マゼットである。なにしろ彼は、結婚したばかりの新妻ツェルリーナを、ドン・ジョバンニに寝取られているのだ。

 しかし、ツェルリーナ自身は、これもドンナ・アンナ同様「確かに口説かれて、抱かれてしまいそうになったけど、悲鳴を上げて逃れたの」と説明し、「あたしをぶって」と甘い声でささやいて世間知らずのマゼットをめろめろにして誤魔化すことに成功している。

 ところが、その後この花婿マゼットは、村人たちを集めて「あいつに目にもの見せてやる」と棍棒や銃を集めている。これは尋常な反応ではない。農民が徒党を組んで貴族を謀殺などしたら、それこそ死刑に間違いないのだ。にもかかわらず田舎者のマゼットがそこまで激高したのは、花嫁ツェルリーナがジョバンニと密通したという明らかな確信を得てのことだろう。

 おそらく、平凡な農夫のマゼットと結婚することになった花嫁ツェルリーナだが、金持ちで美男で貴族のジョバンニから「結婚しよう」と口説かれて、こっちのほうが得かも…という計算が働いたのは想像に難くない。ジョバンニには「あんな田舎者と結婚するのは気が進まない」と体を許して応えつつ、花婿マゼットには「本当に愛してるのはあんたよ」と甘い声で丸め込む。可憐に見えてかなりしたたかな娘と言っていいだろう。

Donj7_1 とは言え、いかに田舎者の花婿マゼットでも、花嫁を寝取られたことくらいは分かる。それで「コケにされた」とキレたのが、ジョバンニ謀殺という暴挙への突進だったのだ。しかし、それも戦に長けたジョバンニの前では子供のケンカ。あっさり返り討ちになって暴行を受けている。殺意は充分と言っていいだろう。

Leporello そして《第5の容疑者》こそ、誰あろう、従者レポレロである。彼は長年ドン・ジョバンニに従者として仕えているが、旦那が2000人もの女を取っ換え引っ換え抱いているのに対して、そのおこぼれひとつない。そのうえ、不義密通罪・姦通罪・さらに殺人罪の共犯にまでされ、村娘ツェルリーナへの暴行未遂容疑では罪をなすりつけられる始末。彼には「もう付いて行けない」と感じている。

 そのあたりの不満を漏らしたところ、ドン・ジョバンニから服を交換して彼になりすまして女性を抱ける機会を与えられるも、結局これは失敗。袋叩きに遭う寸前まで行ってしまう。これはもう、いくらお人好しの従者でも殺意が芽生えても不思議ではない。

 実際、ドン・ジョバンニ氏が石像と会話を交わしたこと、石像が招待に応じて夜会にやってきたこと、その結果、石像がジョバンニ氏を殺害したこと、それらすべてを一連の物語として伝えたのは彼にほかならない。「ドン・ジョバンニが石像に連れられて地獄へ落ちた」というのは、彼の証言でのみ語られた「物語」なのである。また、常に彼の近くに仕えている彼には、石像の仕掛けを施すことを含めて殺害するチャンスがもっともある人物ということになる。

Zerlina 最後に《第6の容疑者》として挙げられるのは、村娘ツェルリーナだ。彼女は、この一連の物語の中ではもっとも無害で天真爛漫であり、ドン・ジョバンニから何らの実害も受けていないかのように見える。
 もちろん、彼との浮気を花婿マゼットにうすうす気付かれてはいるが、そこに深刻な事態は発生していない。この事件の関係者の中で、唯一犯行の動機があるとは思えない人物である。

 しかし、推理小説の基本を思い出してみよう。そう、〈もっとも怪しくない人物が犯人〉なのである(笑)。この法則を鑑みてみれば、該当するのはまさしく彼女ということになる。何かとんでもない〈聞いてビックリの隠された事実〉があるのかも知れない。

 例えば、そう。彼女も婚約者マゼットも共にドン・ジョバンニの不義の子で、二人は義理の兄妹だったと知らされてしまったとか…(これは、あり得ないことではない。なにしろ2000人以上の女性を抱いたと豪語するドン・ジョバンニなのだ。近くの村の子供が全員、彼のタネだということだってありそうではないか)。

 ちなみに、もう一人、番外としてエルヴィーラの侍女という女性もいるが、彼女が実在するのかどうかは不明である。
 物語の後半で、ドン・ジョバンニはこの彼女を口説くため、従者レポレロに自分の扮装をさせてエルヴィーラに押し付け、その隙に密会した(らしい)。しかし、舞台には登場しないので、容疑者と言うよりは、何かのアリバイ工作のために使われた人物なのかも知れない。

 ◆容疑者たちのアリバイ

 …以上、早い話が、死んでしまった騎士長を含めた登場人物ほぼ全員に、彼を殺害する動機があることになる。
 となると、事件当日のアリバイがきわめて重要な問題になる。

 まず、事件現場にいて一部始終を目撃したと証言しているのは従者レポレロ。ドンナ・エルヴィーラは直前までドン・ジョバンニともめており、屋敷を出る際に石像に出くわして悲鳴を上げ逃げ去っている。
 そして、ドン・ジョバンニが殺害された後、司法官を連れて屋敷にやってきたのが、ドンナ・アンナと許嫁ドン・オッターヴィオ、村娘ツェルリーナと花婿マゼット、という2組の男女である。

 このうち石像を目撃したのは、レポレロとドンナ・エルヴィーラの2人だが、地獄へ連れて行かれたと証言しているのはレポレロ一人。エルヴィーラは石像を見て逃げ出したため、その後の事件の顛末には立ち会っていない。
 そのほかの登場人物は事件当時に屋敷にいなかったが、事件直後に屋敷にそろって現れているところから、事件現場の近くにいたことは間違いない。

 ちなみに、令嬢ドンナ・アンナ、その許嫁ドン・オッターヴィオ、正妻ドンナ・エルヴィーラの3人は、ツェルリーナの一件の際に仮面を付けてドン・ジョバンニ宅の舞踏会に訪れていることから、ある種の連帯関係にあったことが伺える。

Dongiov そして、ドン・ジョバンニが地獄へ落ちた…と聞かされた後の彼らの言動(オペラの終幕)だが、最初に口を開いたドン・オッターヴィオは許嫁であるドンナ・アンナに「天が復讐してくれたのですから、私を悩ませないで(結婚して)ください」と迫っている。
 しかし、ドンナ・アンナはそれに対して「心が落ち着くまで1年待って下さい」と答え、彼氏をちょっとガッカリさせている。ただし、これが、父の喪に服すという意味なのか、それともジョバンニの件を引きずってのことなのかは不明。

 一方、ドンナ・エルヴィーラは「修道院に行く」と宣言。これも、ドン・ジョバンニに操を立ててのことなのか、あるいはもっと別の意味(例えば罪の意識)があってのことなのかは不明。何しろ、彼女にとってはジョバンニとの一件は生涯付きまとう影のようだ。

 それに対して、農夫マゼットと花嫁ツェルリーナのカップルは「さあ、家に帰って、食事をしましょ」と屈託がない。彼らにとっては、まさしくハッピーエンドだったわけだ。

 最後に従者のレポレロだが、彼は「もっとマシな主人(勤め先)を見つけよう」と呟いている。地獄に行った主人には、もうまったく未練はないようだ。

 さて、これで事件の全容はおわかり頂けたと思う。
 以上すべての事実から導き出される
 ドン・ジョバンニ殺人事件の真犯人は誰か?
 意外な共犯者とその秘められた動機は何か?

 220年もの間、誰にも気付かれなかった
 驚愕の真相が、今明かされる!
 解決編は次回。乞うご期待!



 ◇歌劇「ドン・ジョバンニ」、近々の上演予定
 2006年6月17日・20日・23日、メトロポリタン・オペラ。東京文化会館。
 2006年9月30日、10月8日、錦織健プロデュース・オペラ。東京文化会館。

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2006/06/10

ドン・ジョバンニ殺人事件(解決編)

T16352mnctb さて、いよいよドン・ジョバンニ殺人事件の真相を語ることにしよう。
 (前編を読んでいない方は、まず、そちらからお読み下さい)

 ダ・ポンテ脚本、モーツァルト作曲の歌劇「ドン・ジョバンニ」で、主人公ドン・ジョバンニは、騎士長の亡霊に「地獄へ連れて行かれる」という結末を迎える。
 しかし、現実的に考えた場合、(例えば、警察の捜査が入った場合)そんな証言は誰も信じやしない。非科学的とか科学的とか言う前に、「そんなことはありえない」のである。

 それでも、ドン・ジョバンニ氏が彼の屋敷から消えた…ということは事実であり、それが殺人だとすると、どこかに彼を殺害した「生身の人間」の真犯人がいることになる。それは誰か?

 前回挙げた容疑者のリストを考えてみた場合、それぞれの人物に殺害の動機はあるものの、現実的に石像の亡霊を用意して被害者の地獄落ちを演出することを考えた場合、どうみても単独犯による犯行は難しいように思われる。

3nin となると、もっとも考えられるのは、令嬢ドンナ・アンナ、その許嫁ドン・オッターヴィオ、そしてジョバンニの正妻ドンナ・エルヴィーラ、という3人による共謀説である。
 確かに、この3人が共謀するなら、女ひとり、あるいは単なる許嫁者では実行不可能なことが、共同作業によって実現出来る可能性がある。

 それに、何より殺害に〈石像〉が使用されている理由が分かる。これは「騎士長の死への報復」であるということが明確に出来るからだ。
 そして、加害者が騎士長に扮している以上、騎士長の家の者が共犯である可能性が高いことも確かだ。なにしろ、騎士長の鎧から兜から剣から、すべて揃っている筈なのだから。

 ということは、石像のコスチュームなどの調達はドンナ・アンナの役、そして石像に扮するのはドン・オッターヴィオの役、最後にジョバンニ邸で仕掛けとタイミングを謀るのがドンナ・エルヴィーラの役・・・ということになるだろうか。確かに、こういう分担を考えれば、彼らがドン・ジョバンニ謀殺事件の真犯人の可能性もなくはない。

 しかし、騎士長すら剣で倒した腕前の、しかも亡霊や地獄などまったく信じていないドン・ジョバンニである。石像の亡霊が出て来たくらいでは、死にはしない。
 それに、従者レポレロを初め、屋敷の召使いたちも、主人が地獄に堕ちて死んだ…と信じるような「出来事」を、当のジョバンニ邸で、主人に気付かれず演出するようなことが可能なのか?

 その点を考えると、この3人が共謀だとしても、地獄落ち殺人を当のジョバンニ邸で実現させるのは不可能であると考えざるを得ない。

 騎士長の亡霊に招待されて、ドン・ジョバンニが騎士長邸に行って被害に遭ったのなら、この3人の共謀説は有効である。それなら、屋敷に仕掛けを施しておいて、毒でも紛れ込ませ、召使いたちに死体を処理させればいいのだから。

 しかし、現実には、騎士長の亡霊の方がドン・ジョバンニ邸にやって来て、ジョバンニは自分の屋敷で被害に遭っているのである。そこで殺害を実行させるためには、ドン・ジョバンニ邸のすべての召使いたちや従者たちが共犯である必要が出て来る。さすがに、それはあり得ない。

 ◆死体なき殺人事件

 というわけで、事件は振り出しに戻ってしまったかのように見える。しかし、もう一度事件の原点に立ち戻れば、今まで気付かなかったきわめて重要な事実に思い至る。それは、ドン・ジョバンニが〈地獄に連れ去られた〉…という証言である。
 これは、何を意味するか? 
 これは重要なポイントである。そうなのだ。どうしてこんな単純なことに220年以上も誰も気がつかなかったのだろう! この事件には〈死体〉がないのである。

 色々な悪行を行なってきた彼が、なにやら騒ぎがあって自分の屋敷から姿を消した。しかも、死体がなく、姿を消しただけなのだ。常識で考えれば、「奴はどこに逃げ失せたんだ?」と考えて、捜索を始めるのが普通だろう。
 ところが、ドンナ・エルヴィーラが目撃し、従者レポレロが証言した石像との一件があるために、死体がなくとも彼は〈地獄に行ったのだ〉という了解がすべての登場人物の間に起こった。そして、死体がないにもかかわらず、誰もが彼は殺害されたと信じたのである。

 そう考えてゆくと、真実が少しずつ見えてくる。ドン・ジョバンニは〈姿を消した〉。しかし、〈殺害された〉と信じるに足る証拠はないのである。

 このことに気付くと、事件の様相は一変する。殺人事件と捉えた場合は、彼に恨みを持つものは誰か? 彼を殺して得をする者は誰か? その時点でのアリバイがない者は誰か? という視点で犯人が特定される。
 しかし、そもそもこれが殺人事件などではなく、ドン・ジョバンニという人間を「死んだと思わせる」ために仕組まれた騒動、もしくは演じられた一芝居なのだ、と捉えれば、おのずからその首謀者が特定出来る。
 彼ドン・ジョバンニが死んだと思われて姿を消すことで得をする人物は誰か?。これはもう、改めて言うまでもない。ドン・ジョバンニその人しかいないではないか!

Dongio_2 では、なぜ死んだと思わせて姿を消す必要があったのか?
 自分を消滅させる大芝居を売った動機は何か?

 それこそが、最初の騎士長殺人事件である。彼はそれまで好き勝手に世界中の女を抱いてきたが、ふとしたいきがかりで知己のある騎士長を殺害してしまった。そのこと自体は、当時仮面をかぶっていたこともあり公には事件にされてないが、前回に容疑者の項で論証したようにドンナ・アンナは真相を知っている。

 しかも、その一件以来、彼のまわりには不信の目が向けられるようになった。村娘の一件を巡って村人たちが彼を「悪党」呼ばわりし襲撃しようとする不穏な動きもある。これ以上、屋敷のある領地にとどまっていても、自由な行動はとれそうもない。それならいっそのこと、この悪名とトラブルとを全てドン・ジョバンニの名と共に闇に葬ってしまい、新たにどこかで違う人生を楽しもう…と考えても不思議はない。

 かくして、ドン・ジョバンニは自分自身を「騎士長の亡霊に殺された」という(彼の敵対者たちの喜びそうな)因果応報の形で、この地から消滅させることにした。

 つまり、
 このドン・ジョバンニ殺人事件の真犯人は、
 ドン・ジョバンニその人なのである。

 ◆事件の真相

 この一連の事件の真相はこういうことになる。

Dg01_1 今まで2000人もの女を口説いてきた希代の色事師ドン・ジョバンニも、ドンナ・アンナの件で初めて手痛い失態を演じた。別れ際に声を挙げられて騒がれ、その結果、知人でもある騎士長を弾みとは言え刺し殺すという凶行を演じてしまったのである。
 女性とのトラブルで悪名を轟かせても、それは貴族という特権階級の彼にとっては単なるモラルの問題である。誰にもとやかく言われることはない。
 しかし、いかに決闘の結果とは言えさすがに「殺人」となると話が違う。これは彼にとって重大な失策だったのである。

 彼はモラルや束縛から自由なエピュキリアン(享楽主義者)であり、愛や情欲などという束縛からも無縁な〈自由人〉である。それゆえに、女性を愛する…という一点に行動のすべてが収斂されている。
 彼は道徳を破壊しようと思っているわけではない。彼の女性の愛し方が、世の中の道徳観念からも、そして相手の女性の感情からも遊離しているだけであって、彼は〈悪業〉を行っているつもりは毛頭ない。彼の行動は常に自己の欲望に正直であり合理的なのである。

Zelr しかし、騎士長の殺人をきっかけに、彼の評価に〈悪人〉という視点が加わった。いかに貴族としての特権があろうとも、殺人となると世間の目はマイナス評価になる。これは、自由人としての彼の行動を束縛するきわめて危険な要素である。
 それゆえ、事件の直後にも村娘ツェルリーナを口説き、相変わらず平気な顔をして色事は続けているようでいて、実は心の中では「このままではまずい」「なんとかしなければ」と考え始めたに違いないのだ。
 (実際、1幕の最後では「オレの頭の中は混乱している。嵐がオレを脅かす。何をどうするべきだろう? でも、オレは負けない」などと独白している)

 ここに至って彼ドン・ジョバンニは、殺人事件の犯人という汚名が着せられたかの地を離れ、不穏な動きがある農夫たちとしつこく追いかけてくるドンナ・エルヴィーラから逃れ、彼の蛮行を知らない地に逃れて新たに出直すことを、大きな目標と考えるようになったのである。

 そこで思い付いたのが、騎士長の亡霊に殺され、地獄に連れ去られる…という筋書きである。その筋書きを信じさせることが出来れば、自分がどこかに姿を消しても、ドン・ジョバンニはその悪業の因果応報で地獄に連れ去られたのだ、と言うことになり、その後の事件の追及も、死体が存在しないことも、誰も不審に思わない。まさに、一石二鳥の名案である。

 そして、犯行現場は、これはもう彼の屋敷しかない。なにしろ亡霊が出て来て、地獄のフタが開き、そこに引きずり込まれるのだ。それらしい仕掛けを作らなければならない。そして、その後は気付かれることなく逃走しなければならないのだ。そのための抜け道も必要だ。自分の屋敷以外のどこでそんな大仕掛けが出来よう?

Repor この計画には(彼に金魚のフンのように付いて回っている)従者レポレロが大きく関わることになるが、彼は、共犯には出来ない。なぜなら、彼は臆病で気の弱い男なので、主人が出奔した後いつ本当のことを吐いてしまうか分からないからだ。彼はこの計画の共犯者とするにはあまりに信頼性に欠ける。
 しかし、一方で、彼が石像についてしゃべってくれなければ、そして、彼の証言が真実味を帯びてくれなければ、この失踪劇は成功しないのも事実である。彼には、なるべく大仰に、かつ迫真力を持って、亡霊の存在と地獄行の件を説得力を持って話してもらう必要がある。

 その点では、逆に彼の臆病さと気の弱さが利用出来る。なにしろ幽霊や地獄を信じ、作り物の石像の亡霊や、舞台装置の地獄の炎に大げさに脅えてくれる男が必要なのだ。それにはこんな最適な人物はいない。
 つまり、彼には〈石像〉の存在と〈ジョバンニ旦那は地獄へ行った〉という2点を本気で信じてもらい、みんなにそれを迫真の口調で証言してくれれば、それでいい。計画を打ち明ける必要はないのである。

 とは言え、ドン・ジョバンニが単独でこの計画を行ったと考えるのはさすがに無理がある。少なくとも、石像を演じる共犯者が一人、必要になるからだ。
 そこで、ドン・ジョバンニはある人物と手を組んだ。そして、その共犯者に、騎士長の石像が夜会への招待を受けたかのように演じさせ、さらに騎士長の姿となって夜会に現われ、ドン・ジョバンニを連れ去る芝居を演じさせたわけである。

Ottavio_1 ◆共犯者の存在

 では、次に、その共犯者を推理してみよう。
 もちろん単純に、彼の召使いのひとり…と考えることも出来るし、屋敷に仕掛けを作ったことを考えれば何人かが報酬を貰って加担していただろうことは充分ありえる。ただし、上記の理由で従者レポレロは除外される。

 また、石像のコスチュームの調達はドン・ジョバンニ側で行い、声色もジョバンニの腹話術で行ったとすれば、共犯者が女性である可能性もゼロではない。ただし、ジョバンニの妻だと言い張るドンナ・エルヴィーラは、石像と直接遭遇し、その後逃走しているから除外される。

 しかし、騎士長という名家の墓に建立された石像に何らかの細工が出来、騎士長と見まがうような鎧や剣を身にまとうということが出来、登場するだけで威圧感を与える大柄な体格を持った人間…というような必要条件から推理してゆくと、おのずから条件は狭まってくる。

 すべての条件にかなう共犯の容疑者は、ドンナ・アンナの許嫁ドン・オッターヴィオしかいないのだ。

 彼は許嫁ドンナ・アンナをジョバンニに寝取られたことについては恨み骨髄だが、騎士長すら剣でかなわなかったジョバンニを坊ちゃん育ちの彼が成敗出来るわけもない。
 しかし、ジョバンニがさしあたり目の前から消えてくれれば、彼にまだ未練がありそうな婚約者もあきらめて結婚に応じてくれるだろうし、騎士長亡き後の屋敷と財産を手に入れることが出来る。この件で一番利益を得られるのは彼なのだ。

 もちろん彼は、婚約者から事件の次第を聞いた後、憤慨して「しかるべきところに訴える」と主張し、実際に最後の場面では司法官を連れてきている。しかし、司法官がドン・ジョバンニの罪状を認めて罰則を与えるにしても、そんな生ぬるい復讐で父親を殺されたドンナ・アンナの心が癒される筈もなく、逆に密通した夜の一件が明るみに出れば、婚約は破談になりかねない。
 訴えても、何の利益もないどころか、人の力(法)に頼る〈軟弱な男〉というマイナス評価しか得られないのだ。

 ゆえに、ドン・ジョバンニから計画を打ち明けられれば彼なら乗るはずだ。自分の手では成敗出来ない相手を、超自然的な存在が自分に代わって成敗してくれる。これなら婚約者に対しても面目が立つし、ジョバンニがこの世からいなくなった…という現実を突きつければ婚約者の心も自分に向く。両者の利害は一致するのである。

Commendatore01 いや、それよりなにより騎士長の石像になにか細工をするなら、この家に出入り出来る許嫁である彼こそがもっとも適任ではないか。農夫のマゼットや女のドンナ・アンナ、ツェルリーナには、石像に扮することも細工をすることも不可能だ。

 では、共犯者が彼だとして、ドン・ジョバンニとの共犯の謀議はどの時点で行なわれたのか?
 それは、まさに彼が「しかるべきところに訴える!」と言い放った時点だ。それまで、許嫁のドンナ・アンナや共同戦線を張っているエルヴィーラたちと団体行動をしていた彼が、ここで初めて「みなさん、ここで待っていて下さい。私がしかるべき所に訴えてきます!」と主張して単独行動をとっているのだ。

 そして、そのしばらく後の場面で、騎士長の石像がドン・ジョバンニに話しかける…という奇妙な出来事が起きるわけなのだが、注目すべきは、その次の場面でドン・オッターヴィオが婚約者ドンナ・アンナに向かって「ご安心下さい。明日にでも、復讐は果たされるでしょう」と発言していることだ。この時点で、彼には、これから後に起こる事件の概要を知っていたことになる。

 しかも、事件の直後、ドン・ジョバンニが亡霊に引かれて地獄に堕ちた…とレポレロが言った時、そこにいた登場人物たちと一緒になって即座に「それは亡霊の仕業だ」と納得し、さらに「天が復讐を果たしてくれたのだ」と言い切っている点にも注目したい。
 なにしろ彼は、登場人物の中でもっともカタブツで公務員的な、剣による復讐よりも法の裁きの方を優先するような現実主義者なのである。それが、幽霊とか地獄とかいう夢物語を疑いもなく信じるのは、あまりにも不自然だ。
 常識的に考えれば、もっとも強硬に「そんなバカな話が信じられるか!」「奴はどこに失せたのだ?」とレポレロを問い詰めるべき人物の筈である。

 それなのに、彼はあっさりと、かつ率先してレポレロが言う〈騎士長の亡霊〉を認めてしまう。その不自然な言動の理由はひとつしかない。
 要するに、彼としては他の登場人物たちに、この騒動が単に「ドン・ジョバンニの失踪」にすぎないことに気付かせたくなかった。だから、「死体がないじゃないか!」とか「本当に死んだのだろうか?」とかいう疑惑を覚える前に、とにかく「彼は死んだ」ということにしてしまいたかったのだ。
 この発言は、彼の共犯を裏付ける重要な証拠と言うべきだろう。

 そして、「天が復讐を果たしてくれたのだから、晴れて結婚しましょう」とドンナ・アンナに迫る。彼女が、父親の喪に服すため1年の猶予を乞うたのにも、「愛してますから、待ちますよ」と余裕で答え、誠実さをアピールしている。

 かくして彼は、ドン・ジョバンニの共犯者として彼の失踪に手を貸し、そのかわりに婚約者とその屋敷と財産を手にしたのである。

・・・・・・・ 蛇足 ・・・・・・・

◆ドン・ジョバンニのその後の足取り
 
 さて、これで、このドン・ジョバンニ殺人事件の全容が明らかになった。 
 彼ドン・ジョバンニは、地獄の劫火の仕掛けを作った数名の従者と共に、屋敷内の抜け道から外部へ逃亡したのである。事情を知らない大部分の召使いたちは、レポレロともども「主人は地獄へ堕ちた」と信じたことだろう。

 この件でドン・ジョバンニは住み慣れた屋敷を捨てることになったけれど、充分な財産は持って逃げたことだろうし、世界中に馴染みの女性が山といるのだ。生活に困ることはない。
 残された召使いたちも、屋敷を処分すれば路頭に迷うことはないし、レポレロのように、新たな主人を見つければいいだけのことだ。すべてが丸く収まって、ハッピーエンドと言ってもいいかも知れない(笑)。
 
 しかし、ここまで推理してくると、これほど奇怪な失踪劇を演じてまで姿を消した当のドン・ジョバンニ氏が、一体その後どこへ行ったのか?そしてどういう新たな人生を歩んだのか?ちょっと気になることも確かだ。

 その後の足取りが全く掴めない点から考えるに、スペイン近辺に潜伏しているとは思えないから、はるか遠い異国に逃れたと考えるのが妥当だろう。ドンナ・アンナの件での失敗と過失による殺人は、彼を希代の色事師から足を洗うきっかけにさせた。ただし、彼の独特な人生哲学や、女性をはべらせる天性の才能、希代の行動性を考えると、そのまま人生を引退したとは考えにくい。

 そう考えると、例えば、女性を口説くその弁舌の爽やかさ豊かさと、性に関する見事にして享楽的な思想、さまざまな国を巡りさまざまなトラブルを逃れてきた人生経験、そういったものを武器にして異国の地で宗教を起こし、その教祖として思想と哲学を語り、女性をはべらせ、勢力を広く広げるような事業を始めたのではないか?と想像しても無理はないのではないように思われる。

Zauberflote1_ 例えば、エジプトあたりに逃れて、そこで火を信仰するゾロアスター教の神殿でも打ち立て、名前も〈ザラストロ〉とでも改名したとしたら?。そう言えば、GIOVANNIという名とSARASTROという名は共に8文字。そこに何らかのアナグラム(文字を入れ替える暗号)が仕掛けられている可能性もありそうだ。そう。彼こそ、誰あろう「魔笛」の世界に君臨する神官である。

 そして、天網恢々疎にして漏らさず…と言う通り、当然ながらこのジョバンニ失踪の真実に気付いた人物もいたに違いない。例えば、ドンナ・エルヴィーラ。彼女などは、さしあたり、「亡霊に殺された、なんて言われても、あたしは信じないわ!」とばかりに、彼の失踪先を自分の足で突き詰めた可能性もある。
 そう言えば、賢人であるはずの神官ザラストロに、よく理由の分からない復讐心を燃やす女性がいたことに思い当たる。そう、夜の女王だ。彼女こそ、修道院にいったはずのドンナ・エルヴィーラその人ではなのではないだろうか?

 となると、彼女の娘であり神殿に拉致された王女パミーナは、実はドン・ジョバンニの娘…ということになる!。彼女は、ジョバンニの子を宿していたからこそ、あれだけ執拗に彼を追いかけていたのだ。

Diezauberflote1 そう考えると、ザラストロ(実はドン・ジョバンニ)が実の娘パミーナを、夜の女王(実はドンナ・エルヴィーラ)の手から拉致した理由も納得出来る。彼はパミーナが実の娘だと言うことを知り、ヒステリックで嫉妬深いエルヴィーラの元から取り戻したのだ。

 だとすると、夜の女王が「亡き夫の仇」という言い方でザラストロを憎む理由も分かる。なにしろザラストロこそ、彼女から逃げるためにドン・ジョバンニをこの世から抹殺した当人なのだから。
 さらに、拉致されたにもかかわらず、娘パミーノがザラストロをあくまでも「いい人だ」と主張する理由も解ける。そう。なにしろ実の父なのだから。

 この推理を持って全体を眺めて見ると、初めて、「魔笛」という矛盾だらけのストーリーと人間関係が、ひとつの輪を結ぶことが分かる。「魔笛」は「ドン・ジョバンニ」の後日談だったのである!。
 かくして、王女パミーナを救い出しに来る王子タミーノの吹く魔法の笛と、お供の鳥刺しパパゲーノの歌が聴こえ、舞台は新たな世界へと転換してゆく。

 ここに、ドン・ジョバンニ殺人事件は迷宮の彼方に消え去り、
 モーツァルト最後のオペラ「魔笛」の幕が開くわけである。



・・・・・この話は、もちろんすべてフィクションです。念のため・・・・・


 ◇歌劇「ドン・ジョバンニ」、近々の上演予定
 2006年6月17日・20日・23日、メトロポリタン・オペラ。東京文化会館。
 2006年9月30日、10月8日、錦織健プロデュース・オペラ。東京文化会館。

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2006/07/10

バッハと五線譜の中の暗号

Jsbach_1 J.S.バッハは「音楽の父」と称され、クラシック音楽の根幹を成す礎を作った。フーガや対位法、平均律、器楽法…など、音楽語法の基礎をきわめて厳格に確立し、にもかかわらず同時に「聞く音楽」としても完成させたわけだから、その功績は計り知れない。(もっとも、それらはバッハが発明・考案したものではなく、それ以前の音楽を集大成したものにすぎない…と言えば言えるのだが)。

 しかし、ミステリ・マニアとして何よりも重要なのは、「音楽暗号の父」としての功績の方かも知れない。
 なにしろ、彼が最晩年に書いた未完の大作「フーガの技法 BWV1080」の最後の最後に登場する「BACH」という自分の署名とも取れるテーマ。この存在こそが、後に様々な作曲家たちを巻き込んだ「音楽暗号」の基礎になったのだから。
      
 ただし、この「音」と「暗号」の関係について知るためには、そもそも「音名」についての知識が必要になるので、最初に基本的なことだけちょっと説明しておこう。

 音楽における音名・・・・ドレミファソラシド・・は

 楽語(イタリア語)では・Do,Re,Mi,Fa,Sol,La,Si,Do

 英語だと・・・・・・・・CDEFGABC

 ドイツ語だと・・・・・・CDEFGAHC

 和名だと・・・・・・・・ハニホヘトイロハ・と表記する

 (注:ポイントは、「シ」の音が英語とドイツ音名では異なるという点。英語のBは、ビーと読み、シ♮。一方、ドイツ語のBは、べーと読み、シ♭。ドイツ音名のHは、ハーと読み、シ♮のことになる)

 つまり「CEG」は「ドミソ」、「HDG」は「シ♮レソ」を意味する。ということは、この音名の8文字で表記可能な言葉なら、音符に置換可能ということになる。

 しかし、それはアルファベットの中でたった8文字に限定された世界であり、しかも母音はAとEしかない。これだけで表記出来る単語はわずかだが、それでも英語では、例えば「BEE(蜜蜂)」、「DEAD(死)」、「BAGGAGE(荷物)」などが記述出来る。
 にもかかわらず、BACHという名は、「すべて音名で出来ている」。しかも、なんとも良く出来たことに「シ♭・ラ・ド・シ♮」という半音を含む4音になるのである。それは「音楽の父」の名にふさわしい、まさしく音楽の神に祝福された名と言っていいかも知れない。

 Artoffuga_3
 ただし、バッハ自身が、どこまでそのことを認識していたか定かではない。確かに、彼が書いた最後の大作「フーガの技法」におけるまさに絶筆の〈3つの主題によるフーガ〉には、「BACH」の音程を持つ対旋律が登場し、それはきわめて象徴的な啓示にも思える。
 しかし、これは息子カール・フィリップ・エマニュエル・バッハが後世少々誇張して流布させた(出版譜には「このBACHの主題を書いたところで作曲者は世を去った」などという書き込みがある)ことであって、大バッハ自身が意図的にそうしたものかどうかは定かでないようだ。

 それでも、ここが音楽暗号の発祥の地となったことだけは確かだ。以後、作曲家たちは、五線紙の中の暗号に魅入られることになったのだから。
 Bach_cage_1
 蛇足ながら、この8文字だけで名前を記述出来る作曲家が、音楽史上にはもう一人いる。それは「無音」の音楽で有名な前衛作曲家ジョン・ケージCAGEである(マニアックに言うともう一人、アロイス・ハーバ Alois HABA という現代作曲家がいるのだが)。
 音楽史のアルファ(最初の者)とオメガ(最後の者)の名が4文字の音名であるという事実は、不思議な皮肉と言うべきか世にも恐ろしい「音楽ジョーク」と言うべきか・・・。

 ロマン派の暗号

Schumann さて、次いでロマン派の時代になり、8文字限定の音名暗号の世界に、もう一字加える裏技を編み出した作曲家が出現する。ロベルト・シューマンである。
 彼は、ドイツ音名のEs(ミ♭、E♭)がエスと読めることから「S」を当てる、という奥の手を(彼の発明であるかどうかは定かではないが)考案した。もっとも、これはドイツ語圏でしかあり得ない手なので、イタリアやフランス語圏では必ずしも一般的でない。

 注:ドイツ音名では、#は「-is」、♭は「-es」を音名のあとに付ける。C#なら「Cis」、G♭なら「Ges」となる。

 これによって、シューマン(SCHUMANN)という綴りも、冒頭の〈SCH〉を〈ミ♭、ド、シ♮〉という音に出来るようになった。さすがに名前のすべての文字を音名置換するのは不可能だが、イニシャルとしては充分だろう。ドイツ人の名前は冒頭にSHやSCHが多い(シューベルト、シューマン、シェーンベルク)ので、これはかなり有効な裏技だったと言える。

Abegg おかげで、シューマンの作品は、その種の音名暗号で満ちている。「アベッグ変奏曲」では架空の令嬢の名前アベッグ:ABEGG (ラ・シ♭・ミ・ソ・ソ)をテーマにし、「謝肉祭」では当時の婚約者の出身地である街の名アッシュが、ASCH(ラ・ミ♭・ド・シ♮)やAsCH(ラ♭・ド・シ♮)としてちりばめられている。
 ほかにも、奥さんのクララClaraに関する秘密の暗号(CHAA:ド・シ♮・ラ・ラ)や、「結婚(EHE:ミ・シ♮・ミ)」などのメッセージが幾つかの曲の中に組み込まれていたりするのだが、このあたりは親しい者の間だけの(きわめてプライベートな)符牒とでも言うべきだろうか。

 かくして、音名による「暗号」が五線譜の間に暗躍し始める。

 シューマンの影響下に、ブラームスがソナタや交響曲の中に忍ばせたのは、FAE(Frei aber einsam:自由にしかし孤独に)あるいはFAF(Frei aber froh:自由にしかし喜ばしく)などのモットー。

Dsch_2 そして、アルバン・ベルクが「抒情組曲」の中に潜ませた暗号は、自分のイニシャルA.B(ラ・シ♭)と不倫相手ハンナ・フックスのイニシャルH.F(シ♮・ファ)。
 ショスタコーヴィチが弦楽四重奏曲第8番や第10交響曲などに忍ばせた自身の署名DSCH(レ・ミ♭・ド・シ♮)も有名だ。


 ただし、ここまでは単なるアルファベット8+1文字だけの狭い世界。それを、もう少し高度にしたものとして、モーリス・ラヴェルが「ハイドンの名によるメヌエット」および「フォーレの名による子守唄」で試みたこんな方法がある。

 A〜G以降の音を下記のように並べ、Hだけは「シ」と読む…というシンプルな置換型暗号である。
 
 ABCDEFG=ラシドレミファソ
 HIJKLMN
 OPQRSTU
 VWXYZ

Haydnx この変換表を用いると、ハイドン(HAYDN)は「シラレレソ」となる。(上下を反転させれば、「レソソドシ」とも読める)

 そして、ガブリエル・フォーレ(GABRIEL FAURE)は「ソラシレシミミ・ファラソレミ」になる。#♭のないディアトニック(全音階)な音列なので、なかなか古風な響きがして美しい。
Faurex

 また、イギリスの大作曲家エルガーが「エニグマ変奏曲」で試みたのは、自分を含む知人友人たち14人を、イニシャルやキャラクターやエピソードを音名や引用や楽想を駆使した変奏曲として暗号化すること。
 これは、さすがにシャーロック・ホームズの国の作曲家だけあって、なかなかシャレた暗号音楽に仕上がっている。(ちなみに、ホームズの生みの親コナン・ドイルとエルガーはほぼ同世代。両人ともイギリスを代表する作家であり音楽家。また、この「エニグマ」という名は、後にドイツ軍の暗号機の呼称として歴史に重要な1ページを残すことになる。)

 12音技法の暗号

 一方、20世紀初頭に開発されたシェーンベルクの12音技法により、音をすべて数値化する道も開かれた。
 これは「ド」を1とし、音階の半音すべてに
 1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・11・12
 と数字を付して行くという単純きわまりないが明快な方法である。
 12_1
 これを使えば、12進法による数字の暗号が可能になる。
 「0」は休符にする、というようなルールを設ければ、例えば電話番号のような数字はすべて置換可能だ。
 ジャパンアーツの電話番号なら
 34998090
 ということになる。

 歴史の年号(1812年や1945年)などを4文字暗号による4音モチーフで記憶するのも面白いだろうし、円周率(3.1415・・・)のように無限に続く数列なら、まさしく「無限旋律」を作り得る。

 また、12進法という点に着目するなら、日付や時刻もこの12音暗号にふさわしい素材になる。
 例えば「11月28日」あるいは「11時28分」なら「シ♮・・ド#・ソ♮」。
 時・分・秒をそれぞれ二分音符、四分音符・八分音符で表わし、かつオクターヴ違いで表現するのがミソである。
 112830

 モールス信号の暗号
 
 さらに、もう少し複雑な暗号を作るなら、「モールス信号」を併用する手がある。

Morse_2

 有名な例では、第二次世界大戦でチャーチルが主唱した「勝利のVサイン」。これはモールス信号では「・・・ー 」となる。そう。ベートーヴェンの第5のモチーフだ。
 おかげで、連合国の放送ではこの第5が「勝利」の合言葉となった。(しかし、ベートーヴェンは敵国ドイツの作曲家なのに大丈夫だったのだろうか?)。そのせいか、ショスタコーヴィチの第7交響曲でもフィナーレで「・・・ー」を連呼している。

Who

 とは言え、・ー・ーとかーー・ーとかいうリズムは通常の4拍子3拍子に乗せるのはどこか不自然。かつては、なんでも楽音に聴こえてしまう「絶対音感」人間より、なんでもモールス信号に聴こえてしまう「モールス信号」男の方が多かったから(うちの父親もそうだった)、秘密作戦の連絡を暗号にして普通の音楽に紛れ込ませようとしても、すぐ見破られてしまったに違いない。

 しかし、それも現代音楽なら可能だ。なにしろ普通の音楽ではないのだから(笑)。
 かつて(かの60年代)、フルートとピアノで・ー・ー ーー・ーとリズムを延々と連打する曲があって、作曲者に「何ですかあれは?」と聞いたところ、「フルートとピアノとで会話してるんだよ」というご返事。ちなみに会話は、「ケフハオキャクガスクナイネ」とか「コンナオンガクヲキイテワカルノカナ」「イヤ、ワカランダロウ」・・・と延々続くのだそうだ(笑)。

 遺伝子の暗号

 そして、最後に番外として「遺伝子の音楽」として脚光を浴びている音名暗号も紹介しておこう。
 遺伝子のDNAを構成している塩基は、アドニン・グアシン・シトシン・チミンの4つ。イニシャルはA,G,C,T。これを、A(ラ),G(ソ),C(ド),T(シ)と変換することによって、様々な生物の遺伝子列をメロディにすることが出来るわけである。

Agct_1

 私も以前、コンピュータの出始めの頃にトライしたことがあるが、AはTと、GはCと組み合わさる性質(相補的塩基による水素結合)があって二重螺旋構造になるというのもきわめて興味深い。つまり、AGCTGACT…と続く塩基旋律には、必ずTCGACTGA…と続く対旋律がある、ということになる。
 それを並べて行くと、不思議な音楽が聴こえてくる。

 もっとも、構成音は4音だけだし繰り返しが多いので、当然ながらミニマル・ミュージックのような音楽になる。しかし、それはそれで、まさに生命の神秘による暗号というべきDNAの二重螺旋っぽい雰囲気が出て来るのが面白い。

 世界には、それこそさまざまな音楽が満ちている。しかし、耳には単に「奇妙な音楽」にしか聴こえないものが、実は重要な意味を持ったメッセージだったり、単なる4音のシグナル(信号)にしか聴こえないものが、実はある数字を示すサインだったり、…という可能性だってあるわけなのだ。

 そう思って、音楽やメロディや色々なシグナルに耳を傾けてみると、ちょっと不思議な世界が聴こえてくるはずだ。
   
 かくして、バッハが記述したBACHの4文字に隠された仕掛けは、音楽と世界とにさらなる暗号を増殖させて行く・・・。
 

◇バッハ作品の近々の上演予定

ゲヴァントハウス・バッハ・オーケストラ
2006年7月14日(金)15:00東京オペラシティ
 2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調
 オーボエとヴァイオリンのための協奏曲ハ長調
 管弦楽組曲第2番ロ短調
2006年7月14日(金)19:00東京オペラシティ
 ブランデンブルク協奏曲第5番
 ブランデンブルク協奏曲第2番
2006年7月17日(月祝)14:00みなとみらいホール
 ブランデンブルク協奏曲(全6曲)

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2006/08/10

作曲家の夏休み

Summer_1 夏…と言えば、夏休みである。しかし、作曲家に夏休みというものは(たぶん)存在しない。

「芸術の秋」というように、音楽の世界も秋からがコンサートのシーズン。夏はいわゆるシーズン・オフの「夏休み」に当たる。避暑を兼ねた「XXの夏」風な音楽祭はあるにしても、街のホールでのコンサートはめっきり少なくなるのはご存知の通り。コンサートがないのだから、その間、オーケストラや演奏家たちや音楽事務所などは(アルバイトに精出さねばならない事情のある人たちがいるにしても)、秋のシーズンに向けてたっぷりと休みを取るわけだ。

 しかし、作曲家は一緒になって休んではいられない。なぜなら、彼らは夏休みが終わるとおもむろに作曲家に向かってこう言うからだ。「さて、そろそろコンサートが近付いてきましたが、作曲は出来てますか?」。

 そうなのだ。秋のシーズンにコンサートを行なうという事は、そこで上演される作品(オペラだのシンフォニーだのコンチェルトだの)は、その一月以上前…遅くとも数週間前には書き上げていなければならない。9月10月11月頃の上演に向かって楽譜を清書したり練習を始めたりするためには、当然ながら作曲の〆切は8月末とか9月頭ということになる。そして、その時点で「出来てます」と言うには、真夏の間は休みなしにフル稼働で作曲していなければならない理屈なのである。ああ、なんと悲しい職業であろうか(笑)。

 そんなわけで、多くの作曲家が夏に仕事をしている(はずである。もっとも、仕事が全然なくて1年中休み…という悲しい夏休みもあるけれど)。ただ、狭い仕事場にこもりっきりでクーラーがんがんかけて・・・というような仕事っぷりは現代の話。昔の作曲家たちは、ちょっと暑くなったらあっさり都会を捨てて、避暑地で仕事・・・というのがお決まりだったようだ。

          *

Mahler そんな「夏休み作曲家」としてまず思い出すのは、何と言ってもマーラーだ。

 彼は、ご存知のように指揮者が本業。秋〜冬〜春のシーズン中は指揮者としてフルに活動し、オフである夏休みの間に別荘に出掛けて作曲三昧の日々を送るというペースで9つの交響曲を産み落としている。

 交響曲作家と言うとベートーヴェンを筆頭に貧乏が勲章のようなもの。実際のところ、マーラーにしても〈交響曲の作曲家〉として収支決算を試みれば完全なる大赤字であり、経済的にまったく成り立たっていない。

 しかし、彼の場合は特殊な事情がある。すなわち、指揮者としてプラハからライプチヒ、ブダペスト、ハンブルクそしてウィーンの歌劇場まで登り詰めたヨーロッパ最高級の巨匠のひとりだということ。つまり彼は、それはもう(作曲家などは及びも付かないような)高給取りの…いわゆる〈セレブ〉だったわけである。

 そうなると、たっぷり働いてたっぷり稼ぎ、夏のシーズン・オフは避暑地の別荘でゆっくり…という優雅な生活も現実となる。作曲家としては、なるべく静かで一人だけになれて、ピアノがあって余計な雑事が入り込まず、しかも衣食住には不自由しない場所…というのが理想だが、そんな都合の良い場所は滅多にない。しかし、彼の場合はそれを余裕で手に入れたということになるだろうか。

Koya 有名なのは、1899年(39歳)まだ独身時代に手に入れたというヴェルター湖畔マイアーニッヒの作曲小屋。ピアノ1台と椅子と小さな本棚しかない文字通りの「小屋」だが、湖畔に母屋の別荘があって、朝6時に起きると、女中の作った朝食を食べ、昼まで作曲小屋にこもって作曲をするのが日課だったそうだ(なんとうらやましい!)。

 ここで(晩年トブラッハへ移住するまで)第4番以降のほとんどの交響曲が作曲されている。1902年(42歳)の結婚後は、妻や子供たちなど家族とここで過ごしているが、女の子ばかりのにぎやかな家族は母屋に分離し、自分は一人静かに作曲小屋にこもるという理想的な環境はキープされている。
 しかも、彼の場合は〆切に追われての仕事ではなく、完全に〈趣味の作曲〉なのだ。まさに「夏休み作曲家」の面目躍如たる夢の生活と言えるだろう。

          *

Brahms 一方、マーラーのように別荘を購入して一ヶ所に定住するのでなく、渡り鳥のように気に入った避暑地を点々とするのが生涯独身貴族のブラームス先生のケース。

 年表を見ていると、作曲家としての名声を得てウィーンに定住の場を確保した30代後半以降、彼がウィーンの自宅アパート(カールスガッセ4番地のアパート4階の部屋)に夏の期間にいたためしはなく、毎年(晩年まで1年の例外もなく)ウィーン近郊だのスイスだのイタリアだのの避暑地に行っている。

 つまり、そろそろ暑くなる5月頃になると、ブラームス先生、ぷいとウィーンからいなくなり、どこかの避暑地の村(湖畔がお好みだったらしい)にピアノ付きの小部屋を確保して、そこで夏中作曲にいそしんで交響曲や協奏曲などの大作を書き上げ、そろそろ寒くなる秋10月頃にウィーンに戻ってきて、新作の初演の段取りを考える、というのが年中行事になっていたようなのである。

 その始まりは、ウィーンに居を構えた36歳前後の夏。それまではウィーン近郊の小都市でシューマン未亡人の一家が住むバーデンバーデンへ入り浸っていたのだが、シューマン家の三女ユーリエ嬢(当時24歳)に失恋する事件があって、傷心のブラームスは翌年からミュンヘン郊外のトゥッツィング、スイスのチューリヒ近郊のリュシリコン、ハイデルベルク近郊のツィーゲルハウゼン、バルト海のリューゲン島と知人に紹介されるまま避暑地を点々とし始める。

 ちなみに、この傷心の避暑地での作曲で「ドイツ・レクイエム」や「交響曲第1番」といった傑作が生まれているのだから避暑の効能恐るべし。
 その後、44歳の年からはユーゴスラヴィアとの国境に近い湖畔の村ペルチャハが気に入り、ここで3年ほど連続して夏を過ごす間に「交響曲第2番」「ヴァイオリン協奏曲」が生まれている。

Village 続いて、当時上流階級の夏の避暑地として有名だったバート・イシュル(どうも雰囲気からいって軽井沢を思いだす)にも3年ほど連続して夏を過ごし、晩年はほとんどこの地に入り浸りの状態になる。ここは、ウィーンの上流階級の人間が夏になると集まっていたらしく、ブラームスはここで何回かマーラーの訪問も受けている。

 さらに、50歳の年には可愛いアルト歌手にひかれてヴィースバーデンという町で夏を過ごして「交響曲第3番」を一気に書き上げたり、あるいは貴族の友人の別荘のあるミュルツツーシュラーク村で2年連続で夏を過ごして「交響曲第4番」を書き上げたり、その後スイスの湖畔の村ホーフシュテッテンで室内楽や最後の「二重協奏曲」を書き上げたりもしている。なんとも、悠々自適の作曲生活である。

 夏休み…という視点で見た場合、ブラームスのケースこそ最も作曲家の理想に近いと言えるのかも知れない。

          *

 ちなみに、ヨーロッパ中央諸国の作曲家たちは、夏の暑さと都会の喧騒を逃れて山や湖に「避暑」に行くわけだが、ロシアや北欧の作曲家たち(例えばチャイコフスキーやシベリウスなど)は、逆に冬の寒さと閑散とした街を逃れてイタリアなど温暖の地に保養に行く。
 そして、そういった「癒しの時間」の中から、確実に数多くの名曲が生まれている。街から離れ自然に囲まれた地で人間らしさを取り戻し、そこで新しい霊感を得たり、静かに「個」と向き合えたりすることが、「創作」の重要な糧になる…ということなのだろう。

 もっとも、そういった恵まれた環境を手にしないと創作は不可能か…と言うとそうでもないような気がする。

 喧騒の都会にいるからこそ、見果てぬ自然の美しさを夢み、
 不遇の生活だからこそ〈魂の自由〉としての芸術を夢みる
 …ということだってあるからだ。

 ・・・などと言っても、夏休みのない作曲家の負け惜しみにしか聞こえないか・・・(笑)。

◇マーラーとブラームス作品の近々の上演予定

ウィーン交響楽団
2006年11月2日(木)19:00 東京芸術劇場
 モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」序曲
 モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番変ホ長調(p:上原彩子)
・マーラー:交響曲第1番「巨人」
2006年11月6日(月)19:00 東京文化会館
 グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調(p:ユンディ・リ)
・ブラームス:交響曲第4番 他
◎ファビオ・ルイジ指揮ウィーン交響楽団

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2006/09/10

ショスタコーヴィチ「森の歌」を深読みする

Dsch02 ショスタコーヴィチにはオラトリオ「森の歌」という極めて不思議な作品がある。もっとも、この作品を聞いたことのある人にとっては、これを「不思議な作品」と呼ぶ方が不思議かも知れない。なにしろ、この曲はロシアの自然と戦後ソヴィエトの植林計画とを讃美した、極めて分かりやすい(分かりやすすぎる、とでも言った方がいいような)壮大華麗な音楽なのだから。

 その作品が何故「不思議」なのか。

 「森の歌」。ドルマトフスキーの詩による、児童合唱、混声合唱と大オーケストラのための全7楽章からなるオラトリオ。1949年にスターリン賞第一席を受賞し、彼にとってもその前年の「ブルジョア的作曲家」というジダーノフなどによる批判を跳ねのけ、社会主義リアリズムという党の芸術路線に応えた作品として重要な作品であり、戦後の日本でも、歌声運動などの一環として現代作品としては異例の熱狂的支持を受けていた。(合唱団白樺による平易で美しい日本語歌詞によるピアノ伴奏合唱曲として歌ったことがある人も多いのでは?)

ちなみに、全7曲の構成は以下の通り。
1.戦いの終わった時
2.祖国を森で覆おう
3.過去の思い出
4.ピオネールは木を植える
5.スターリングラード市民は前進する
6.未来への逍遥
7.賛歌

 ところが、この感動的で壮大華麗な傑作も、現在では滅多に演奏されることがなくなってしまった。と言うのも、この作品、こともあろうに独裁者として西欧では悪評高いスターリン政権を讃美し、今では死語になっているスターリングラードの名を連呼しているうえに、終楽章は舞台横の大ファンファーレまで繰り出し「共産主義の夜明けがやって来た」「レーニンの党万歳! 聰明なるスターリン万歳!」などというなかなかとんでもない大合唱で終わるのだ。

 いくら歌詞がロシア語であっても、そんな曲が欧米でまともに上演されるわけがない。最近ではさすがにソヴィエト国内でさえ歌詞を変えて歌うそうだが、それでも元の歌詞を知った段階で普通の西洋音楽愛好家たちが拒否反応を示すのは当然といえるだろう。例えば終楽章の大合唱で「聡明なる将軍さま、ばんざい!」などと歌われるような北朝鮮の作曲家によるカンタータを想像してみるといい。歌詞をどう変えても、欧米や日本のコンサートで上演されることはまずあり得ない。

 そのためにショスタコーヴィチ研究者の間でも、この曲は「体制迎合作品」だの「国策音楽」だの「日和見主義の象徴」だのと言われ放題で、評判が極めて悪い。「これほど白々しく無為に流れる音楽はない」とか「壮大だが、作られた偽物の感動である」とか、知識人や批評家といった人たちからの罵倒の言葉は枚挙に暇がないほどだ。

 しかし、私にはどうも納得が行かない。この曲の巨大に心を動かすなにものかを、政治的イデオロギーからの簡単なる説明(=社会主義リアリズムという美名に塗れた体制迎合作品であり、独裁者スターリンを讃美する思想的な歌詞を持っている)ひとつで処理してしまう事は、この曲を無防備に自然賛歌として感動してしまう無邪気な聴衆以上に軽率ではないか、と思えてならないのだ。
 
            *

Dsch01 余談だが、作曲家という視点から見ると、この作品のスコアは他のショスタコーヴィチ作品に比べどこか違和感がある。私はこの曲のスコアを初めて見た時、本当にこの曲はショスタコーヴィチが書いたのだろうか?という疑問を感じたほどだ。(この「偽のショスタコーヴィチ?」という疑問は、この作品を読み解く重要なキイワードとなる)。なにしろ和声感覚がまったく違う。彼特有の対位法的書式やリズム処理を前面に出した乾いた書式ではなく、協和音を充填強化した妙に「響きやすい」書式で書かれているのだ。
 
 しかし、それはこの曲のマイナス面ではない。音楽作品をその形式の明瞭さと美しさで問うなら、むしろこの作品のような書式の方が正しいとさえ言えるかも知れない。ハ長調で始まる叙事詩的な導入、ロシア民謡風の合唱、暗いロシアを語るモノローグ、児童合唱による童謡にも似たシンプルな賛歌、勇壮なる行進曲、明るい未来を語る詠唱、そして大フーガと舞台裏での大ファンファーレを伴う大合唱!・・・という絵に書いたような見事な形式を持つ壮麗かつ大衆的な作品に仕上がっているのだから。

 ショスタコーヴィチがそんな大衆路線の作品を書くに至った公的な理由は、「政府の森林植樹計画に感動して」という事のようだが、これもよく考えてみると面白い。彼は<森林植樹計画を考案したこと>を讃美しているのであって、決して国家の政策そのもの、国家の存在そのものを無防備に讃美しているわけではない。植林計画「は」素晴らしい…という物言いは、取りようによっては、「政府のやっている事でましなものは、せいぜい森林植樹計画くらいなものだ」と言っているに等しいからだ。

 この時代、多くの作曲家たちが、結局はスターリンやレーニンの賛歌、あるいは革命や労働者たちの賛歌を安っぽく乱作した事を考えると、とっておきの国家的英雄である筈のショスタコーヴィチがこの時期に大オーケストラと大合唱を駆使して讃美したものが、英雄でも革命でも勝利でもなく「森」であるというのは実に、そう、実に面白い。

             *

Borisdvd さて、ここからが眉に唾を付けての深読み解題になるのだが、この作品の真意を検証するに当たってきわめて重要な作品がある。ロシア人なら知らぬ者のない国民的オペラ、ムソルグスキイの歌劇「ボリス・ゴドノフ」(1869)である。

 このオペラは、作曲者本人のオーケストレイションの不備を補作し、シーンの削除や順番の入れ替えまでも含めたリムスキー・コルサコフによる編曲版で知られている。ムソルグスキイの斬新な和声感覚や音構造は、ドビュッシーら印象派に影響を与えたほどなのだが、楽器法に精通するほどの職人気質はなく、「展覧会の絵」を始め多くの作品が他人の編曲・補作によって演奏されていることは周知のとおり。

 そして、ショスタコーヴィチのこの作品に対する思い入れもちょっとマニアックだ。なにしろ新しいオーケストレイションを施した版(1940)を自ら創作し、その編曲稿に自作に付ける作品番号(op.58)すら付しているほどなのだから。

 まず、このオペラの筋書きについて語ろう。

 ボリス・ゴドノフは16世紀の帝政ロシアに実在した人物。有名なイワン雷帝の次男フョードルが皇帝の時代、ボリスは摂政をつとめ政治の実権を握っていた(日本で言うなら、家老みたいなものか)。やがて、皇帝フョードルが歿し、ボリスが民衆に懇願されて新皇帝に即位する戴冠式の場面(プロローグ)からこのオペラは始まる。

 しかし、表向きは民衆すべてが新皇帝の即位を祝福しているように見えて、実はボリスが前皇帝の幼い皇子を亡き者にしたのではないか?という疑惑を持っている。冒頭の冒頭から「ボリス様。私たちを見捨てないで下さい。」と哀願している民衆の横で「そら、もっと声を出して叫ぶんだ!」と、鞭を振り上げて(懇願を強制して)いる警吏がいるのも象徴的だ。

 要するに、この「新皇帝を祝福する民の声」は、すなわち「強制され仕組まれた心にもない声」、というわけである。圧政下での「民衆の歓喜の歌声」など所詮「偽りの声」に過ぎない…というこの皮肉な二重構造については、「証言」の中でショスタコーヴィチが自身の交響曲第5番のフィナーレについて(あれは勝利の讃歌などではなく、「ほら、喜べ!」と強制された凱歌だ…などと)言及していることを思い起こさせる。

Borisg オペラの筋書きに戻ろう。こうしてボリスは皇帝となるが、前の皇帝の皇子ディミトリーの死については良心の呵責を感じている。そして、前王と皇子の死によってもっとも利益を得た者として、民衆の間にも皇子の死をめぐりボリスに疑惑の種が育っている。

 第1幕。もう一人の主人公である青年僧グレゴリーは、老僧ピーメンの語るロシアの年代記によって、謀殺された皇子ディミトリーが自分と同じ年齢であることを聞き知る。そして、死んだ皇子ディミトリーの名を騙って反乱軍を組織する計略を練り、修道院を脱走して国境を越える。

 第2幕。クレムリン宮殿でボリスは、ディミトリー皇子の殺害について罪の意識にさいなまれている。そして、隣国にディミトリーを名乗る若者が現われて反乱軍を組織し始めていることを聞き、恐怖のあまり錯乱状態となり、神に許しを乞う。

 第3幕。ポーランド貴族の娘マリーナとディミトリとの恋(・・・あまりにも男ばかりのオペラなので、無理やり女性を出すために追加された場面らしい(笑)。

 第4幕。ポーランド貴族のバックアップを得て、偽ディミトリーがモスクワに進軍し始める(この辺りは日本での徳川政権下に起きた「天一坊事件」に似ている)。モスクワの赤の広場では、その話題で持ち切り。そして、白痴(苦行僧)がボリスの罪とロシアの闇を歌い、ボリスは罪の意識から悶死する。
 そして、モスクワ近郊クロームィの森に反乱軍が集結し、民衆を煽動しボリス打倒を叫びながら進軍してゆく。後に残された白痴ひとりがロシアの闇を嘆き、オペラは終わる。

             *

 昔からどうにも気になっていたのが、この終幕のクロームィの森のシーンである。実は、「森の歌」のフィナーレと奇妙な類似があるからだ。

 ひとつは、この場面で女性合唱が歌う「空を行くのは鷹ではなく、野を走るのは馬ではない」という民謡風のメロディ。これが「森の歌」の終曲のフーガ主題によく似ている。明快な引用ではなく、「なんだか、ちょっと似ている」という程度の類似なのだが、それでもこの時点で、森の歌のフィナーレにボリス・ゴドノフのイメージが擦り込んでくる。

 振り返ると、オペラで偽ディミトリーの軍団がやってきた時の、トランペットのシグナルも、「森の歌」で児童合唱が歌い始める「4.ピオネールたちは木を植える」の、明るいトランペットのシグナルに呼応していることに気付く。方や反乱軍の行進を描く(どこか能天気な明るさのある)軍楽のイメージ、方や未来をになう少年少女たちの明るい行進を描くマーチのイメージ。微妙に違うが、微妙な類似を感じることも確かだ。

Dimitori さらに、オペラの終幕では、クロームィの森に集まった民衆に向かい、ディミトリーの軍勢の到着を受けて浮浪僧ミサイル(テノール)とワルラム(バス)がすっくと立ち、「神によって救われた皇子に栄光あれ!」と偽の皇子を讃美し、民衆を扇動し始める。
 そして、「(実は偽皇子である)ディミトリー・イワノヴィチに栄光あれ!」という民衆の合唱へと連なる。民衆はオペラ冒頭でボリスをたたえたその口で、今度は偽皇帝をたたえ始め、偽のディミトリーを「正統なる王位継承者」だと叫んで、モスクワに進軍を始めるのである。

 一方、「森の歌」の終楽章では、先の民謡風の主題に乗ってロシアの森や緑を賛え、植林計画を称える大フーガが鮮やかに展開する。そして、それがひとしきり盛り上がった後で、テノールとバスがすっくと立ち、「見よ、共産主義の光がさし始めた」と歌い始め、「(レーニンの正統なる継承者?である)聰明なるスターリンに栄光あれ!」という最後の大合唱へと連なって行く。

 どうだろう? もちろんドラマ構成上の演出の類似と言ってしまえばそれまでなのだが、ショスタコーヴィチが「ボリス・ゴドノフ・マニア」?である点を考えると、ただ「似ている」だけでは済まないものがあるような気がする。なにしろボリスの方は、その偽りの賛歌の大合唱の後、「白痴(ないしは苦行僧)」がひとり舞台にポツンと残って「泣け、ロシアよ! 闇が始まるぞ、白も黒も区別がつかず、ものの見えぬ暗闇が!」と歌い出すのである。

 つまり、「森の歌」のフィナーレは(ショスタコーヴィチ自身が、この「白痴」に我が身を置き換え)、ボリスの二重構造・・・民衆は皇帝を称えながら同時に疑惑の念を抱き、救世主のディミトリもまた実はニセモノである・・・を告白しているのではないか? …と、聞けば聞くほどそう思えてくるのである。
 そして、そう思い至ると、ショスタコーヴィチがこの作品で単に「スターリン政権の自然政策を賛美し」、そして同時に「尊敬すべきムソルグスキーのオペラをモデルにし」作曲した、というだけではない奇妙な裏の意図(と言うより皮肉)を感じざるをえなくなる。

Lenin そもそも、このオペラの登場人物たち、死んだ前皇帝フョードル、摂政の身からそれを受け継いだボリス、という構図は、「森の歌」の中に出てくる二人の人物レーニンスターリンにあまりによく似ている。ロシア革命の指導者であるレーニンが前皇帝。その腹心であり、トロツキーなどを抹殺してレーニンなき後の権力を自分一人に集中させた独裁者スターリンがボリスその人、と言うわけである。

Stalin その事についてはスターリンも薄々気づいていたらしく、例の「証言」(最近ではすっかり偽書扱いだが)の中にも、スターリンが「ボリス」の演出について何やら目を光らせていたらしい記述がある。映画や演劇などでも、うっかり(か故意か)悪役や道化役がカイゼル髭など生やしていると、スターリンを愚弄する下心があるとして制作者がシベリアに送られたりする事もあったようだ。こうなるとパロディも命懸けである。

 (ちなみに、ショスタコーヴィチが18歳にして〈交響曲第1番〉を書き上げた1924年にレーニンが死去し、彼の作曲家としての歴史は以後スターリンが台頭してゆく歴史と不幸にも同時進行している。スターリンは、まさにショスタコーヴィチの生涯に覆いかぶさった一種の悪夢なのだ。
 その張本人を、いかに独ソ戦の戦勝を祝うとは言え「栄えあれ」と賛美するなんて、ショスタコーヴィチとしてはそれこそボリス冒頭の「鞭打たれて新皇帝を賛美する民衆」と同じ心境だったに違いないではないか)

 そう考えると、殺された幼い皇子というのがショスタコーヴィチと同じディミトリーであり、民衆を先導して進軍して行くのが名を騙った偽のディミトリーであるというのも、何やら意味深なところがある。
 
 なにしろ、「クロームィの森」にいるのは、「偽のディミトリ」なのである。

 つまり、そこで「神に選ばれし皇子に栄えあれ」と賛美する言葉も、 「永遠に栄えあれ!」と歌う言葉も、(歴史的な視点で見れば)すべて虚構なのだ。

 だからこそ、オペラの最後で白痴(苦行僧)が「泣け、ロシアよ!」と歌い、「白と黒の見分けもつかぬ闇」にまみれるであろうロシアの未来を嘆くわけなのである。

 そして、ショスタコーヴィチも偽のディミトリーとなって、偽の王位継承者を「偽りの言葉」で賛美する。白と黒の見分けもつかぬ闇にまみれたロシアを嘆きながら・・・

 そう、賢明なる読者諸氏にはもうオチがおわかりだろう。
 
 「森の歌」とは実は「クロームィの森の歌」なのである。

 どっとはらい。

(ショスタコーヴィチ協会ニュース.1993に発表した原稿を大幅改稿)

◇ショスタコーヴィチ作品の近々の上演予定

サンクトペテルブルグ・フィル
2006年11月22日(水)19:00 サントリーホール
 チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番(p:ヴィルサラーゼ)
・ショスタコーヴィチ:オラトリオ「森の歌」ほか

2006年11月24日(金)19:00 サントリーホール
 ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番(vn:レーピン)
・ショスタコーヴィチ:交響曲第13番 「バビ・ヤール」ほか

2006年11月25日(土)14:00 横浜みなとみらいホール
 チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲(vn:レーピン)
・ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ほか
◎ユーリ・テミルカーノフ指揮サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団

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2006/10/10

ショスタコーヴィチ考〈バビ・ヤールをめぐって〉

Philipsaa 私がショスタコーヴィチの音楽を聴き始めた高校生の頃(1960年代半ば)、最も新しい交響曲は第13番だった。
 LPは初演者コンドラシンのものが確か1枚だけあったが、「13」という不吉な番号と「ソヴィエト国内では演奏禁止」という解説、そして何より骸骨とユダヤの紋章を絡めたジャケット(←)の不気味さで印象に残っている。

 それにしても、その直前の第12番「1917年」が、ロシアの十月革命を描いた勇壮で明快な交響曲だったのに、これはなんと暗く重く(まるで別人の作と思えるほど)不可解な作品なのだろう。
 しかも、「13」番という数字。これはキリスト教徒でなくとも、その不吉な意味については誰でも知っている。交響曲作家にとってのジンクス・ナンバー「9」については、軽やかに笑い飛ばしたショスタコーヴィチも、この「13」についてはなぜかかなり意識したように思えてならない。なにしろ、作品番号まで「op.113」と13を揃えているのだから! 

 ここまで来ると、ショスタコーヴィチにとって、この「13」という番号を付した交響曲は、敢えて不吉な運命「死」を意識し、あるいは欠番になることすら覚悟した交響曲だったのではないか? …そんな想像すら頭をもたげてくる。(実際、世が世なら、彼の交響曲全集を作る時この13番が欠番となっていた可能性だって、なくはなかったのだ)

 これは、果たしてアンラッキーという迷信に挑戦した真実の記録なのか?、あるいは迷信に躍らされて陥った悲観主義の生み出した妄想なのか? 
 はたまた熱き人道主義に燃えて体制を告発した偉大なるプロテストの成果なのか?、それとも青年詩人の青臭い主張につられて時代を読み誤った単なる迷作なのか? 

         *

Dmitri_shostakovich この曲に至るまでのショスタコーヴィチは、その創作活動の最初期から(好むと好まざるとに関わらず)ソヴィエト連邦という実験的共産主義国家の政策と連動してきた。
 何しろ、彼が作曲家としてデビューした1920年代は、同時に実験的共産主義国家ソヴィエト連邦が世界史にデビューした時期でもあったのだから。

 そのソヴィエトは、1930年代に国家の政策として「芸術は、形式においては民族的、内容においては社会主義的でなければならない」という〈社会主義リアリズム〉を打ち上げる。
 若い頃はモダニズムにかぶれていたショスタコーヴィチも、なんとかそれに呼応する作品(第5番)を呈示し、国を挙げての戦争に差し掛かればそれを描いた作品(第7番)を発表してソヴィエトの作曲家として大成して行く。
 「表向き」は体制に順応しつつ、しかし心の底では芸術家らしい反発を秘めながら、彼は時代を生き残っていったわけである。

 しかし、この時代、特に独ソ戦そしてスターリンの大粛清の時代に「現役の作曲家」として生き残ったのは、奇跡に近いとしか言いようがない。1953年にスターリンが死んで「雪どけ」の時代を迎えた時、ショスタコーヴィチはまさに「これで生き延びた!」と安堵したに違いない。

 実際に、スターリンと自分とを述懐するかのような名作第10交響曲(1953)を境に、彼の音楽から晦渋さが(束の間ながら)消え、明快さと軽やかさが混じるようになる。「祝典序曲」(1954)、コンチェルティーノ(1954)、ピアノ協奏曲第2番(1957)、チェロ協奏曲第1番(1959)などには、珍しく彼の幸福感さえ刻印されているほどだ。

 ただ、この時期に書かれた第11番(1957)と第12番(1961)の2つの交響曲に関しては、ぎりぎり体制寄りの具体的な革命賛歌を描いたために、その完成度に反して現在でも「体制迎合」だの「政府の御用達作曲家」だの賛否両論が喧しい。
 当時の西側の現代音楽界が「時代遅れの体制迎合作曲家」と嘲笑したのも、まさにこのあたりの作品を念頭に置いているほどだ。

 それでも、この時期、ショスタコーヴィチがソヴィエト連邦という国家を代表する最大の国際的作曲家に登り詰めたことは事実だ。
 1954年ソ連邦人民芸術家、国際平和賞、スウェーデン王立音楽アカデミー名誉会員、1955年東独芸術アカデミー通信会員、1956年レーニン勲章、1957年第11交響曲でレーニン賞、1958年イギリス王立アカデミー会員、シベリウス賞、1959年アメリカ科学アカデミー会員、1962年ソ連邦最高会議代議員などなど、降り注ぐ(当人が呆れるほどの)栄誉がそれを証明している。

         *

Babi_yar09 ところが、そんな1961年9月、55歳になったばかりのショスタコーヴィチは、ドイツ軍のキエフ侵入20周年記念に発行された「文学新聞」に掲載された青年詩人エフトシェンコの「バビ・ヤール」という詩に衝撃を受ける。

Babiyar バビ・ヤール(Babi-Yar)は、ウクライナのキエフ北西にあるバビ・ヤール峡谷のこと。第二次世界大戦中の1941年から43年にかけて、キエフを占領したナチス・ドイツ軍親衛隊による大量虐殺があり、ユダヤ人を中心にジプシーやウクライナ人ロシア人などの一般市民も含めた2万人以上、一説には10万人が虐殺されたと言う。
 そして、ナチスドイツ軍は敗退する時、その虐殺の証拠隠滅のためにこの谷を掘り起こし、数万の死体を埋めたとされている。

 エフトシェンコの詩は、「これほどの悲劇の地でありながら、墓碑銘すらない」という告発から始まり、自分をユダヤ人になぞらえアンネ・フランクまで持ち出して、ユダヤ人迫害の歴史から、当時のソヴィエトにはびこる反ユダヤ主義までを(寓話めかしながら)かなり挑発的に歌っている。

 この詩の衝撃を受けて、ショスタコーヴィチは早速、詩に基づく声楽とオーケストラのための〈交響詩〉(カンタータのようなもの)を作曲し、翌62年4月に完成する。
 つまり、最初は交響曲として構想したわけではなかったのだが、その後、この青年詩人エフトシェンコと親交を結ぶようになり、さらにほかの詩を組み合わせて交響曲にすることにしたわけである。

 そして、新しく「恐怖」という章を書き下ろしてもらい、全5楽章の交響曲としてその年(1962年)の7月に全曲を完成させる。それが交響曲第13番である。
 この交響曲には「第13番」という以外に作曲者の付けた副題はないが、第1曲目の衝撃的な詩の印象から〈バビ・ヤール〉と呼ばれている。

         *

 ここで、簡単に全曲の構成を紹介しておこう。

 ◇第1楽章「バビ・ヤール」
 「バビ・ヤール」に墓碑銘はない」という暗くおどろおどろしい独白から始まる全体の核となる楽章。自分はユダヤ人ではないがと断りながら、ユダヤ人であることの迫害や恐怖の歴史を歌い、反ユダヤ主義をナチス・ドイツに絡めて非難する。全編に渡って弔いの鐘が鳴り続けるのが怖い。

 ◇第2楽章「ユーモア」
「王様や権力者たちはすべてを支配したいのだろうけど、ユーモア(風刺)だけは支配出来ない」と歌うスケルツォ風の楽章。「イギリスの詩人による6つの歌曲」の中の「処刑台の上で踊り出すマクファーソン」のダンスがエコーする。

 ◇第3楽章「商店で」
「女性たちは(食料を買うために)黙々と商店の前の行列に並ぶ。すべてに耐えながら…」と、ロシア名物の行列を歌うアダージョ楽章。

 ◇第4楽章「恐怖」
「ロシアで恐怖が死んでゆく…」と歌うラルゴ楽章。ショスタコーヴィチの助言もあったのか「密告の恐怖」や「外国人と話す恐怖」などというのも登場する。

 ◇第5楽章「出世」
「(天動説を唱えた)ガリレオは嘲りを受けたけれど、今ではその賢さが証明されている。勇気を持って信念を貫き、出世しないことこそが出世なのだ!」と歌うフィナーレ楽章。これだけ重い大曲のわりには、力なく微笑むような不思議な脱力感のあるコーダで消えてゆく。

        *

 G30 この曲、マーラーの声楽付き交響曲(「復活」や「大地の歌」など)と比べてもなお、「なぜこれが交響曲なのか?」と首をかしげざるを得ない異様な形態をしている。
 なにしろ(実際に舞台での演奏に接してみるとよく分かるが)、舞台中央にバス独唱が一人陣取り、その背後に男だけの大合唱がずらりと並び、合唱は(ほんの一部を除いて)すべてユニゾンで歌われるのだ。
 要するに、独唱者が「なんとか反対!」とアジ演説をぶつと、バックの群衆が「そうだ!反対!」と全員で唱和するという、これはもう完全にデモ隊のシュプレヒコールのフォームなのである。

 こういう形態で「ユダヤ人」とか「虐殺」を連呼し、ロシアにおける「恐怖」や「不条理」や「死後の出世」を歌うのだから、完全に音楽を逸脱している。
 例えば現在の日本に当てはめてみても、「朝鮮人」や「南京虐殺」を連呼し「靖国神社」や「A級戦犯」について歌う交響曲など、(それがいかに正論だろうと)「上演禁止」はないにしても「演奏自粛」になることは想像に難くない。

 事実、初演は当局からの圧力を受け(第1楽章を削除すること…と言うような勧告があったらしい)、第5番以降ショスタコーヴィチのほとんどの交響曲を初演してきたムラヴィンスキーですらこの曲の初演を引き受けておらず(結局コンドラシンが始めて初演の任に当たった)、特に独唱者は歌詞の過激さに恐れを成して次々と断ってきたと言う。

 それでも、ソヴィエト最高の作曲家に登り詰め国際的にも有名なショスタコーヴィチのこと、色々の問題はあっても最終的には書き上げた年(1962年)の12月にはきっちり初演されているのはさすがである。(もっとも、プログラムに歌詞は印刷されず、批評では完全無視だったらしいのだが)。

        *

180pxtimeyevtushenko この曲、歌詞だけを読んだ場合でも、確かに冒頭の「バビ・ヤールに墓碑銘はない」という言葉は衝撃的だ(もっとも、一説には、これは国家的規模の告発などではなく、単にフルシチョフがこのバビヤールの犠牲者追悼施設建立の計画を握りつぶしたことへのマイナーな抗議にすぎなかった、とも言うのだが)。

 ただし、当時28歳の詩人エフトシェンコ(1933〜)の書いた詩は、全体的にはかなり青臭い印象を拭えない。

 バビ・ヤールの虐殺を語り反ユダヤ主義を糾弾しながら、最後は「だから私は真のロシア人なのだ」という結論。商店に食料がないという政策の不備を非難するかに見えて、全体は「すべてに耐えている女性は素晴らしい」という妙なフェミニスト宣言。恐怖の章では「一生懸命に詩を書いていないのじゃないか?という恐怖がある」などと良い子ぶりっこを言うし、「生きている間に評価されなくても、死んでから本当に残るのが偉いのだ!」などという出世論は、50歳を過ぎたショスタコーヴィチにとっては「若いねキミは!」と苦笑必至のものではないのだろうか?

 実際、当のエフトシェンコは、その後(初演から数日も経たないうちに!)あっさりと「生きているうちの出世を願う知識人」の仲間入りをして、詩の過激な部分を「改訂」し、ショスタコーヴィチをひどく失望させることになる。

 結局、28歳のエフトシェンコが詩に込めた思いと、55歳のショスタコーヴィチがその詩から読み取ったものには、甚だしい温度差があったと言うしかない。それは、誤読といってもいいほどだ。
 しかし、もちろんショスタコーヴィチはそんなことは百も承知だったのだろう。敢えて誤読をし、作曲家が「詩人の書いた詩」にメロディを付けただけですよ…というフリをして、自分の音楽の中で「自分の言葉」に変質させて見せたのである。

 そう考えて改めて読み返してみると、青臭かろうが何だろうが、この詩には、戦争中は熱気に冒されて戦争賛美の愛国主義を叫び、その舌の乾かぬうちに戦後は一転して暴力反対の人道主義を叫ぶような、エセ知識人特有の幼稚な発言だけはない。
 この瞬間のエフトシェンコの詩は、レトリックを駆使し、例え話を繰り出しながら、確実に「一市民が考える不正義の糾弾」に徹しているのである。

 それゆえに、きわめて分かりにくい抽象的な歌詞になっていることは否めないが、逆にそのあたりをショスタコーヴィチは評価したのだろう。なにしろ二重構造の好きな人なのだ。真意はいつだって寓意の後ろにいて、姿を見せない。そして、姿を見せないことこそが真意だったりするわけなのだから。

        *

 それにしても、独ソ戦を描いた第7番や第8番、あるいは革命を描いたという第11番や第12番でさえ「純器楽交響曲」として具体的な言葉の挿入をしなかったショスタコーヴィチが、これほどきわどい題材に具体的な「言葉(声楽)」を付けた交響曲とした理由は、どのあたりにあるのだろう?

 下世話に穿った見方をしてみるなら、11番・12番と体制寄りの(西欧知識人たちからは反感を得るような)作品を書いてしまい、国内の反体制的な立場をとる芸術家たちから見限られるギリギリの瀬戸際に立ったショスタコーヴィチが、一種の「名誉挽回」かつ「起死回生」を試みた作品ということも出来そうだ。
 この曲がなかったら、ショスタコーヴィチは確実に「体制に下ってしまった作曲家」として男を下げたに違いないのだから。

G17 そして、ユダヤ人問題を取り上げた理由にも、同じような思惑があったように思える。
 なぜなら、当時のソヴィエト体制下でユダヤ人寄りの立場をとるのはかなり危険だったにしても、国内外にはユダヤ系の多くの支持者(例えばバーンスタイン!)が存在し、国際的に見ればショスタコーヴィチの音楽を支持するアメリカや西欧諸国の楽壇を牛耳っているのはユダヤ系であることも無視出来ない。
 その巨大な「体制」への支持を敢えて(多少の犠牲を払っても)表明することは、まさに「出世をしないことで出世する」と言うべき損して得を取る戦略になるからだ。

 ショスタコーヴィチの作品への(特にアメリカでの)熱狂は、単にソヴィエトの音楽…というだけの怖いもの見たさであるはずもない。また、音楽的に優れているから…という理由がほとんど何の説得力も持たないことは歴史が証明している。
 となると、どこかで世界の「影の体制」とリンクする部分があったからではないか?…という想像も充分にあり得るわけだ。そのキイワードこそが「反共産主義」と共に「ユダヤ」だったのではなかったか?(もっとも、何でもかんでもユダヤやフリーメーソンや共産主義や宇宙人の陰謀にするのは怪しい珍説の域を出ないけれど…)

        *

 ちなみに、このバビ・ヤールの話、どこまで本当のことなのか現在では疑問視する研究者もいるのだそうだ。
 確かに、射殺された大量の死体がバビ・ヤール渓谷に埋められていたことは事実なのだが、本当に100%ナチス・ドイツによるものだったのか、本当に10万人などという規模の虐殺があったのか、という点については確かめようもなく、ソヴィエト側の政治的デマゴーグなのではないか、という疑問を持つ人もいるらしい。
 そのあたりは、どこか日本軍による南京虐殺に話が似ている。

Stalin_1 なにしろ、ソヴィエト共産党も盛大に同胞の虐殺を行なっていたのだ。
 スターリン時代の粛清によって、最小に見積もっても2000万人以上!!!の国民と党員が、殺害されたり強制収容所で死んだと言う。これは独ソ戦での戦死者を遥かに上回る数であり、ナチスのユダヤ人虐殺(ホロコースト)の600万人と並べても、数から言っても規模から言っても遥かに凌駕する大虐殺が行なわれたことになる。

 そして、このスターリン体制下の粛清は、まさしくユダヤ人の虐殺(スターリンは、ユダヤ人が自分の命を狙っているという妄想の下に、医師や軍人などに及ぶ大規模な粛清を繰り返した)でもあり、「バビ・ヤールを忘れるな」という告発はそのままソヴィエト政府への非難に跳ね返ることになるわけだ。
 (エフトシェンコの詩だけでは、そこまで巨大な告発は聞こえない。しかし、そこにショスタコーヴィチの音楽の重さと凄みが加わると、事情は変わってくる。
 ただ、その重さも後半2楽章までは及んでいない。さすがのショスタコーヴィチも後半はいくぶん腰砕けになっている、という気がしてならないのだが、どうだろうか?)
 
 そう言えば、ナチス親衛隊がポーランド将校4000人を虐殺した事件として戦後ソヴィエトが非難していた「カチンの森」事件は、最近の調査で逆にソヴィエト側のスターリンによるポーランド人粛清命令(25,000人にも及ぶポーランド人の殺害)によるものだったと判明している。
 つまり、同胞の虐殺を糊塗するために、ナチスによる数万の虐殺として誇大に喧伝し、敗者にすべての罪を押し付けたわけだ。このプロパガンダが虚偽だと証明されたのは事件後50年以上もたってからのことになる。

 となると、「バビ・ヤールはどうだったのか?」。この作品を「問題作」として封じ込める勢力と、それに対抗して「傑作」と持ち上げる勢力の思惑とは?。あるいはショスタコーヴィチが(エフトシェンコが)バビ・ヤールではなく「カチンの森に墓碑銘はない」と歌った作品を書いていたとしたら?。
 ・・・などと色々想像すると、現在の世界情勢における歴史認識の問題さえちらつき始め、音楽が音楽だけではすまないちょっと怖い現実が見えてくる。

        *

G13 幸か不幸かショスタコーヴィチが存命中にソヴィエトでの理想的な演奏が存在しえなかったこの曲は、ある意味でまだ「これからの評価」に任されている希有な名曲であるとも言える。

 かつては、(内容的な問題もあって)ショスタコーヴィチの全交響曲中もっとも演奏頻度の低い1曲だったが、9.11テロやイラク戦争あるいは北朝鮮問題を抱えた21世紀にこそ、あらたな視点の名演名盤が生まれる可能性もあるからだ。

 近年、実演でも聴く機会が増えてきたこの名曲の未来に期待しよう。
 
        *
 
 余談になるが、何年か前、この曲を日本で演奏したとあるロシア人バス歌手が、リハーサルの時ある箇所(第4楽章「恐怖」の中ほど)の歌詞について、笑いをこらえ切れないといった顔でこう言ったのが忘れられない。

 「妻と話す恐怖…だってさ」

 さて、ここで笑うべきなのか否か? 
 ショスタコーヴィチの真意はここでも寓意の後ろに隠れて姿を見せてはくれない。
 

◇ショスタコーヴィチ作品の近々の上演予定

サンクトペテルブルグ・フィル
2006年11月22日(水)19:00 サントリーホール
 チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番(p:ヴィルサラーゼ)
・ショスタコーヴィチ:オラトリオ「森の歌」ほか

2006年11月24日(金)19:00 サントリーホール
 ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番(vn:レーピン)
・ショスタコーヴィチ:交響曲第13番 「バビ・ヤール」ほか

2006年11月25日(土)14:00 横浜みなとみらいホール
 チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲(vn:レーピン)
・ショスタコーヴィチ:交響曲第5番ほか
◎ユーリ・テミルカーノフ指揮サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団

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2006/11/10

左手のためのピアノを巡って

Tatenob_1 敬愛するピアニスト舘野泉さんから「左手のピアニストになってしまいました」という知らせを受け、それに続いて「左手のためのピアノ曲を書いて下さいませんか」という委嘱が届いたのは2004年春だった。

 舘野さんは、私がクラシックを聴き始めた高校生の頃(ということは30年以上昔の話になるのだが)、生まれて初めて行った〈演奏家のリサイタル〉のピアニストでもある。
 その頃シベリウスに信奉して作曲家を志していた私としては、コンサートと言ったらほとんどオーケストラか現代音楽関係ばかり。唯一の例外として、北欧フィンランドで研鑽を積んだ若きピアニストで現代音楽(メシアンなど)も弾く氏の存在に惹かれ、高校の生協でチケットを入手し出かけたわけなのだ。
 (実は、舘野さんは私と同じ慶應義塾高校の先輩後輩だったのだが、そのことを知って吃驚するのはずっと後の話になる…)

 上野の文化会館で開かれたそのコンサートのことは、今でも覚えている。シベリウスや北欧の小品だけでなく、フィンランドの現代作曲家で今では大家となっているラウタバーラのソナタ(キリストと漁夫)を弾いたこと。最後にアンコールをずいぶん沢山弾かれたものの拍手が鳴りやまず、「もっと聴きたい方は私の家にいらしてください」と言って終えたこと。

 それから10年ほどして私はフィンランドを訪れ、作曲家としてのデビューも果たし、ピアノの雑誌でインタビュー対談のような形でお話をする機会があった。その時、その話をしたら、「あれから本当にお客さんが何人か家に来て、朝までアンコールを弾いたんですよ」と笑っておっしゃる。しまった、それなら付いていけば良かった…と思ったのだが、後の祭りである(笑)。

          *

Sibelius その後、舘野さんが会長を務める日本シベリウス協会で、会報の編集などでお手伝いをするようになり、2000年夏には私が舘野さんが主宰するオウルンサロ音楽祭に招待作曲家として招かれることになった。

 その時、実は私の父母も招待客としてフィンランドを訪れ、数日間オウルンサロの町に滞在させていただいた。昼は北欧の町の風景や木々や花々を満喫し、夜はコンサートに出かけ、こちらが仕事をしている間はドイツにいた知人と周辺の町を訪れたりして、ずいぶん素敵な時間を過ごさせてもらったようだ。

 父はその後数年して病で亡くなったが、病室でも「フィンランドのあの夏は本当に素敵だった」と、繰り返し語っていた。国際通信の技術者として世界中を飛び回っていた父だが、人生の最後に訪れたフィンランドの小さな町でのひと夏は、かけがいのない思い出として心に残ったようだ。だから、そんな素晴らしい機会を与えてくださった舘野さんには、深い感謝の念を抱かずにはいられない。

 2002年の1月に脳溢血で演奏中に倒れられたと聞いた時は、父の闘病期とも重なっていて大きなショックを受けた。ピアニストとしては致命的な半身麻痺を伴うことを伝え聞き、音楽家という存在の光と闇とを(他人事ではなく)思い知ることになったほどだ。
 しかし、舘野さんはその2年後に、「左手のピアニスト」という形で不死鳥のような再起を果たすことになる。

 その素晴らしい報に接しながらも、左手だけのレパートリーがきわめて少ないことから生じる困難は、容易に想像出来た。だから、「左手のための新しいピアノ曲を書いて下さい」と言われた時には、それで幾分の恩義が返せるなら…という〈情〉の部分と共に、作曲家として挑戦すべき課題を与えられた…という〈知〉の部分の双方を感じて身が震える思いに駆られたものだ。
 委嘱の条件として「出来うれば、北欧の森や風、光や水を感じさせるような音楽を…」と付記されていたことについても、(それは私にしか出来ない…という不遜きわまりない自負も込めて)まったく同感だったし、大いにイマジネーションを喚起させられた。

          *

■タピオラ幻景 
Tatenomini 2004年5月。舘野さんは左手のためのピアノ曲ばかりで復帰コンサートを開き(そこには、バッハやスクリャービンと共に、オウルンサロでご一緒した間宮芳生氏の新作も加わっていた)、私は東京と札幌で行なわれたそのリサイタルを聴きに行った。それは、感動的なコンサートだった。

 そして、私としては札幌でのコンサートの後、しばらく北海道を散策して北の大気に触れつつ、作品の構想を練ることになる。
 もっとも、作品のイメージはもう決まっていた。それは舘野さんの手紙の中にあった「北欧の森や風、光や水…」という一文から一瞬にして頭の中をかけめぐったフィンランドの森〈タピオラ〉によせる〈光〉〈森〉〈水〉〈鳥〉〈風〉という5つの幻の景色である。

 あとは、左手のピアノのための書式の模索だった。
 
 なにしろ両手ではなく左手一本で弾くのだから、ピアノ奏法の基本中の基本である「右手でメロディを弾き左手で伴奏する」ということが出来ない。ピアノ譜は通常〈高音譜(ト音記号)〉と〈低音譜(ヘ音記号)〉の2段で書かれるが、そもそも高音と低音を別々に同時に鳴らす…ということすら不可能なのだ。

001 和音にしても、片方の手だけで押さえられるのはせいぜい1オクターヴ+3度の開離和音くらい。一度に出せる音は(全部の指を使ったとしても)最大5音に限定されるし、簡単な2声の対位法を作ることすらままならない。
 これでは、「片手だけで弾ける単旋律のメロディ」という以上のことは出来ないのではないか?という危惧がむくむくと頭の中にもたげて来る。

 しかし、実際に音を紡ぎ始めると、それは杞憂に終わった。

 ピアノには〈(サステイン)ペダル〉というものがある。これを使って、低音から高音へ指を移行する間に生じるタイムラグ(時間差)を保持音(残響)で埋めれば、ハーモニーの上にメロディを組み上げることも出来るし、交錯する2つ以上の声部を同時に聴かせることも出来る。

 例えば、持続音を含むメロディを弾き、その音をペダルで保持しつつ、別の声部で伴奏型を弾く。一本の手で同時に押さえられない音が縦に重なりさえしなければ、メロディと伴奏型を左手のみで表現することが可能になる。
Tapiola01

 自然倍音は低音から高音に向かって響きが重なってゆくので、低音を弾き、それをペダルで保持しながらその倍音上にメロディを積み上げてゆけば、ごく自然なハーモニーの響きが生まれる。
 別に同時に鳴らさなくとも、低音が先に鳴り、続いて高音が徐々に鳴る…という時間差は、倍音の構造上きわめて自然だし、そこに違和感は生まれない。

 そして、アルペジオの中にメロディを忍び込ませる(ドビュッシーやラヴェルのピアノ作品などでよく聴かれる)テクニックも、片手だけのピアノ奏法にとっては極めて有効な書法だ。
 要するに、分散和音のアルペジオ風パッセージでハーモニーを保持し、その構成音の中にメロディを組み込んで濃淡のわずかな差によって浮き上がらせるわけである。演奏には微妙なタッチのコントロールが不可欠だが、聴覚的にはメロディとアルペジオの伴奏とが、ごく自然に同時に聴こえる。
Tapiola02

 あるいは、一定のテンポでリズムとハーモニーを刻み、そのリズムの「間」に断片化したメロディを挿入する手もある。 伴奏型と指が重ならないパッセージを工夫しさえすれば、リズムを刻みつつメロディを浮き上がらせることが可能になる。
Tapiola03

 一方、「離れた高音と低音を同時に鳴らせない」という片手のハンディキャップは、逆に両手とは違った表現力を生み出す点も見逃せない。例えば、高音から低音、低音から高音へと音を移動させ跳躍させる際に、両手だと「左から右へと音の流れを受け渡す」ことになるが、片手だと必然的に「連続的なひとつの音の流れ」となる。
Tapiola04

 そのため、高音から低音(最低音域)に流れ落ちてゆくパッセージ、あるいは低音から高音(最高音域)に飛翔してゆくパッセージは、両手の時以上のクレッシェンドを生み出し、そこに劇的なダイナミズムを発生させる。
Tapiola05

 考えてみれば、ギターでもヴァイオリンでも、音程を作りパッセージを組み立てるのは左手指であり、音楽を司るのは〈右脳〉=〈左手〉のコンビである。つまり、まったく常識とは異なる結論かも知れないが、
 右手だけで音楽を作るのは難しいが、
 左手だけなら音楽は作れる
 ・・・のである。

 かくして、その年の暮も押し迫った頃、舘野泉さんによせる左手のピアノのための新作〈タピオラ幻景〉op.92は仕上がった。

 1.光のヴィネット(Vignette in Twilight)。
 2.森のジーグ(Gigue of Forest)。
 3.水のパヴァーヌ(Pavane for Water)。
 4.鳥たちのコンマ(Commas of Birds)。
 5.風のトッカータ(Toccata in the Wind)。

 その頃、あるテレビ局が舘野さんにスポットを当てたドキュメンタリー番組を録っていて、作曲している私の仕事場の光景や、フィンランドに送られた楽譜を受け取る舘野さんの様子が後にテレビで放送されたりしたのは、ちょっと面白い体験だった。(これは、2005年5月に「奇跡のピアニスト」(制作:北海道放送)という番組としてTBS系列で放送された)

Tateno_ 曲の初披露が行われたのは、翌2005年2月に舘野さんが会長を務めておられる日本シベリウス協会創立20周年でのリサイタル(すみだトリフォニー小ホール)。

 初演の前に楽屋を訪れると、舘野さんは「吉松さん、難しいですよ、この曲。弾いていると息が止まりそうになりますよ」と笑っておられた。
 (作曲家としては、「左手のための」と言われて委嘱された時、「左手だけで弾けるような(やさしい)曲」を書くべきか、あるいは「左手で弾ける限界まで高度な曲」を書くべきか迷ったのは確かである。しかし、「やさしい曲を書いてしまっては、プロのピアニストとしての舘野さんに失礼なのでは?」という考えが頭をよぎり、結局後者の「難しい曲」の方を書いてしまった。このあたりは作曲家の性と言うべきか…(笑)

 しかし、実際には笑いごとではなく、左手のピアニストとして復帰されて日も浅く、逆にメディアから注目を受けて多忙な舘野さんにとっては、相当きつい(指に必要以上の負担をかける)難曲だったようで、後で聞いたら「本気で弾いたら、左手も壊れてしまう」という恐怖に対峙しておられたらしい。私としては「そんな危ない曲を書いてしまって申し訳なかった」としばらく落ち込んでしまったほどである。

 それでも、曲の内容としては満足していただけたようで、あまりにも弾くのが難しい部分(押さえ切れない和音や、低音から高音への不可能な飛躍など)を数ヶ所改訂した後、日本やフィンランド各地で何十回と演奏していただくうち、この曲はひそかに成長して行った。
 そして、数ヶ月後のリサイタルでの演奏を聴いた時には心底驚いた。それは、紛う事無き舘野さんの音楽になっていたからだ。まさしく最初に舘野さん自身が言った「北欧の森や風、光や水を感じさせるような音楽」が、そこにあった。

 コンサートでは「吉松さんはコンピュータで曲を書くから(人間離れした楽譜になって)弾くのが難しいんですよ」と笑って曲を紹介するという舘野さんだが、音符というのは手で書いてもコンピュータで書いても所詮は人間離れした「記号」であることに変わりはない。
 しかし、その記号から演奏家が「心」を引き出してくれる。それが「音楽」であり、それが人を感動させる。そんな場に立ち合えた時ほど作曲家として幸福な瞬間はない。

          *

■アイノラ抒情曲集とゴーシュ舞曲集 

Cd その後、この〈タピオラ幻景〉は、2005年8月にフィンランドで(しかも、なんとEspooにあるタピオラ・ホールという名の音楽ホールで!)録音され、舘野さんの左手のアルバム第2弾として翌2006年1月に発売された。楽譜も音楽之友社から4月に刊行されている。

 ただし、やたらと難しい曲を書いてしまった負い目は感じていたので、その罪滅ぼしとして(?)初演以来ずっと、もう少し「弾きやすい」曲を…と小品をいくつか書きためていた。イメージとしては同じく「北欧の森や風や光…」であるのだが、タピオラが5楽章のソナタっぽい構造を持っているのに対して、もう少し自由な組曲風の小品集である。

 そうして書き上げた〈アイノラ抒情曲集op.95(全7曲)〉は、シベリウスが愛妻の名を付した山荘アイノラのイメージによる7つの小品。少しだけさわらせてもらったことのあるアイノラ荘のピアノと、庭に咲き乱れていた花壇の花たち、山荘を取り巻く森と遠くに望む湖、シベリウスの交響詩(トゥオネラの白鳥)の世界、たどたどしく弾かれる子供のピアノ、そして遠くから聴こえる教会の鐘の音などがモチーフになっている。
Ainola01

 1.ロマンス(Romance)
 2.アラベスク(Arabesque)
 3.バラード(Ballad)
 4.パヴァーヌ(Pavane)
 5.モーツァルティーノ(Mozartino)
 6.パストラール(Pastoral)
 7.カリヨン(Callion)

(余談になるが、当初この組曲のタイトルは〈トゥオネラ抒情曲集〉と題されていて、4曲目のパヴァーヌには、シベリウスの〈トゥオネラの白鳥〉の和音構造が引用されている。しかし、考えてみれば〈トゥオネラ〉というのは〈死者の国〉のことであり、あんまり縁起のいいものではないので、シベリウスゆかりの〈アイノラ〉の方をタイトルにすることにした。また、抒情曲集…というのはグリーグの同名曲とともに、室生犀星の詩集〈抒情小曲集〉に因んでいる)

 そして、 もう一曲の〈ゴーシュ舞曲集〉op.96(全4曲)の方は、あまりにポップすぎて〈アイノラ〉の方からは外されたNG作品集(笑)。舘野さんがお好きだというタンゴをはじめ、ロックあるいはジャズ風のブルースなど、左手が繰り出す低音のリズムが強力なダンス・ピースを集めたもので、アイノラが〈北方系&クラシカル〉なのに対して、こちらは完全に〈南方系&ポップ〉である。
 ちなみに、ゴーシュ(Gauche)はもちろん宮澤賢治の〈セロ弾きのゴーシュ〉に因んでの命名だが、これはフランス語で左手を意味する言葉でもある。例えば、ラヴェルの左手のためのピアノ協奏曲は、CONCERTO pour la main GAUCHE…と表記される。
Goches

 1.ロック(Rock)
 2.ブルース(Blues)
 3.タンゴ(Tango)
 4.ブギウギ(Boogie Woogie)

 この2作の楽譜は、今年5月7日の東京(サントリーホール)での大きなコンサートを期に、楽屋に伺った時(ちょっと早い70歳の誕生祝いも兼ねて)プレゼントした。タピオラ幻景の姉妹作(あるいは続編)と言えなくもないが、先にも書いたように頼まれたものではなく、〈罪滅ぼし〉の作品である(笑)。
 
 このコンサートには(舘野さんのピアノの長年のファンでおられる)美智子皇后がいらしていて、当日演奏されたほかの作曲家(林光、末吉保雄、谷川賢作)諸氏と終演後貴賓室に呼ばれてお話を交わすことになった。
 実を言うと、その時に皇后陛下から「また連弾の続きを書いて下さいネ」とお言葉をかけられたのだが、これは〈タピオラ幻景〉を仕上げる前に、「美智子皇后陛下との3手連弾デュオで弾くためのやさしい曲を書いてください」と頼まれて、「子守唄」という2分ほどの小品を書いたことがあったからだ。
Lullaby_1
 とは言っても、新作というわけではなく、私のピアノソロ用小品(アレンジ作品も含む)の中から、舘野さんに1曲を選んでもらってアレンジしたもの。その年(2004年)の11月にフィンランド大使館でのパーティで(美智子皇后と舘野泉さんのデュオにより)プライベートに披露されている。(なんでも、当日のサプライズとして、ひそかにお二人で練習されていたそうである)

 そんなこともあって、その後、3手連弾の続編として、同じく私のピアノ曲の中から「4つの夢の歌」という4曲からなる小品集をアレンジした(ということは、皇室御用達ということにでもなるのだろうか?(笑)。これは、春・夏・秋・冬からなるミニ版四季とでもいうべき小さなメロディ・ピースで、既にピアノソロ用、ギターとハーモニカ用、管楽器とピアノ用などなど多くのアレンジ版がある。この3手ピアノ版は、今年夏のオウルンサロ音楽祭で、弟子の平原あゆみさんと連弾されて披露されたようだ。
 
 それから、シューベルト弾きでもある舘野泉さんにどうしても弾いてもらいたくて、(純粋にファン心理によるプレゼントとして)シューベルトの「アヴェ・マリア」も左手用アレンジ版を書き下ろした。次いで、カッチーニの「アヴェ・マリア」。 さらに、オウルンサロ音楽祭ということで思い付いたシベリウスの「フィンランディア(聖歌)」も左手ピアノ用にアレンジすることになった。いずれも、アンコールにでも弾いていただければ…ということで(プライヴェートに)献呈したものである。

 ちなみに、〈アイノラ抒情曲集〉5曲目の〈モーツァルティーノ〉という曲は、舘野さん復帰後初の両手演奏として、リサイタルのアンコールの時に右手を伴って弾かれたという。
Mozartino
 タイトルの〈モーツァルティーノ〉は、文字通り〈小さなモーツァルト〉という意味で、子供が初めてピアノを弾いた時のような「可愛さとたどたどしさ」を込めた曲。トゥオネラ(死)によせるパヴァーヌの後で、新しい〈再生〉を暗示する曲でもある。
 だから、この曲を、舘野さんが右手の復活(再生)の最初の曲として選ばれ、弾かれたと聞いた時は、背筋がぞくっとすると共に涙が出てきそうになったほどだ。

          *

 それにしても、こうして並べてみると、ずいぶん左手のためのピアノ曲を書いたものである。もしかしたら「左手のピアノ曲ばかり書いた変な作曲家」としてギネスブックに載ったりするかも知れない(笑)。来年は(たぶん)左手のためのピアノ協奏曲も書くことになりそうだし、今後も舘野泉さんという希有なピアニストのまわりから、左手で夢を紡ぐレパートリーは生まれ続けることだろう。

 この〈アイノラ抒情曲集〉と〈ゴーシュ舞曲集〉の全曲は、12月19日のリサイタルで正式に初演の予定。
 また、この2作およびここに挙げた諸作品(3手連弾曲やアレンジ作品)は、12月のリサイタルの前後にCD録音され、来年春頃には舘野さんによる私の左手のためのピアノ作品集としてAvexより発売される予定ですので、お楽しみに。

11月10日は舘野さんの誕生日です。
 古稀(70歳)おめでとうございます。

◇アイノラ抒情曲集&ゴーシュ舞曲集の初演コンサートはこちら

舘野泉ピアノ・リサイタル〜大地の歌アンコール公演
・バッハ(ブラームス編曲):シャコンヌ(BWV1004より)
・スクリャービン:左手のための二つの小品(前奏曲・夜想曲)Op. 9
・末吉保雄:土の歌・風の声
・谷川賢作:「スケッチ・オブ・ジャズ」より
・吉松隆:「アイノラ抒情曲集」(世界初演)
・吉松 隆:「ゴーシュ舞曲集」(世界初演)
◇2006年12月19日(火)19:00 東京オペラシティコンサートホール

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2006/12/10

木管楽器の楽しみ

Winds 十代の頃、ファゴットを吹いていたことがある。

 受験期真っ只中の中学3年の冬に突然クラシック音楽に目覚め、それを乗り越えてようやく高校(日吉にある慶応義塾高等学校)に入学したところ、部活でオーケストラがあると知り、後先も考えず一も二もなく入部してしまったのが始まりである。

Flute しかし、ピアノはちょっと弾けるものの、よく考えてみればオーケストラの楽器で弾けるものなどない。フルートは父親が吹いているから楽器に触ったことはあるが、かと言って吹けるわけではない。などと悩んでいると「それなら、ちょうどファゴットのパートが卒業していなくなったから、それを吹いたら?」とあっさり言われ、学校の備品である古いファゴットを借りて吹くことになった。楽器との出会いなんて、そんなものかも知れない。

Bassoons_1 ファゴットという楽器のことは、もちろんレコードやスコアによって〈頭の中では〉知っていた。とは言っても、プロコフィエフの「ピーターと狼」でお爺さんのキャラクターを吹く楽器であり、ストラヴィンスキーの「春の祭典」で冒頭の甲高い音を出す楽器…という程度。実際に楽器を見るのも触れるのも初めてなら、分解して折り畳めるなどということも初めて知ったほどである。

 結局、楽器はしばらく学校から借り、「自分のリードは自分で買わないといけない」と言われて、運指表だけが載ったペラペラの教則本と一緒に銀座のヤマハで手に入れた。それが、この楽器との付き合いの最初である。

Reed_bsn 驚いたのは、入部して最初に渡された楽譜が、いきなりショスタコーヴィチの交響曲第5番だったこと。その頃ショスタコーヴィチなどという作曲家を知っていたのは3年生の部長指揮者と私くらいのものだったのだが、それを10月の学園祭で演奏するというので(ショスタコ・マニアとしては)ちょっとワクワクした。もちろん1番ファゴットは大学に進んだ先輩が吹き、こちらは2番ファゴットだったのではあるが。

 メインのこの曲のほかにも、合宿などでは(先輩たちの思い付きで)色々な曲を練習することになった。ベートーヴェンの交響曲第8番、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」、スメタナの「モルダウ」、ボロディンの「ダッタン人の踊り」などなど。ちなみに、パート譜は、ショスタコーヴィチを始めほとんど部員たちが分担してスコアから手書きで書き起こしたもの。単に右から左へパートを書き写せばいいというものではなく、かなりノウハウが要る作業だということも徐々に知ることになる。

          *

Finger そのうち、ヴァイオリンやフルートやチェロやホルンなどから「室内楽をやらないか」と誘われるようになった。学園祭では講堂でのオーケストラ演奏のほかに、教室での室内楽発表会のようなものもやっていたので、いろいろ誘い合ってはアンサンブルも試みていたわけである。

 フルートがうまい一人は、早速弦楽器を集めてモーツァルトのフルート四重奏曲(フルートと弦楽三重奏)にチャレンジしていたし、ホルンがうまい一人は何やらオペラのアリアをホルンにアレンジしたものや、モーツァルトのホルン五重奏曲(ホルンと弦楽四重奏)とかブラームスのホルン三重奏曲などを吹いていた。ホルンが加わる室内楽曲があろうとは、その時までまったく知らなかったのだが。

 そんなくらいだから、ファゴットの入る室内楽などあるのかどうかなど知る由もない。モーツァルトに協奏曲はあるものの、ファゴットが主奏者となるような四重奏や五重奏は皆無。かろうじて木管五重奏(フルート、オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴット)があるくらいで、これは大学の先輩たちが吹いているのを耳にする機会があった。

 ただし、この編成、弦楽器における「弦楽四重奏」のように完成度の高い組み合わせのように思えたが、意外とポピュラーに知られた名曲はない。ダンツィとかライヒャなど知らない名前の古典派かイベールやフランセあたりくらいしか見当たらないのだ(余談だが、後に大学に上がった時、ホルンの彼に触発されて「木管五重奏曲」というのを書いたのだが、楽譜はどこかに紛失してしまって今はもうない)。

 それでも、近代現代以降になると幾分この楽器のために書かれた佳作も出現するようになる。例えばプーランクにはファゴットの入る楽しそうな室内楽が幾つかあって、これはちょっと興味をひかれた。例えば、ピアノとオーボエとファゴットによる三重奏曲(これは、なんと「のだめカンタービレ」の中に出て来る!)、木管五重奏とピアノによる六重奏曲。そして、クラリネットとファゴットによる二重奏ソナタなどというのもあったと記憶している。

Scoresept そこまでマニアックにならないファゴットを含む室内楽曲としては、少し大きな編成になるがベートーヴェンの「七重奏曲」とシューベルトの「八重奏曲」がある。

 七重奏は管楽器3本(クラリネット、ファゴット、ホルン)に弦楽器4本(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス)という編成。ベートーヴェンが第1交響曲でデビューする前後の若書きの作品だが、有名なメヌエットや美しい緩徐楽章などがあるせいか、生前もっとも楽譜が売れ演奏された人気作。
 確かに、モーツァルトを思わせる典雅さや流麗さに加え、ベートーヴェン流の溌剌としたリズム感を持った音楽で、クラリネットとファゴットとホルンが絡み合うのどかさも魅力。後のべートーヴェンの作風からはちょっと想像も出来ない幸福感に満ちた音楽である。

 そして、この曲に影響されて作曲されたというシューベルトの「八重奏曲」はこれに第2ヴァイオリンが加わる。共になかなか魅力的な曲であり、綺麗なメロディも出て来るのだが、いかんせん「七重奏曲」は全6楽章で40分、「八重奏曲」も同じく全6楽章で1時間近い大曲。メヌエット楽章の抜粋なども考えたが、微妙に編成が大きいのが災いして演奏は実現しなかった。

          *

 そうやって木管楽器の仲間の中で下手なファゴットを吹いていて、ちょっと面白いと思ったのは、吹いている当人がだんだん楽器に似てくることだ。とは言っても風貌が似てくるわけではない(いや、それも少しはあるかも知れないが)。

 元々の性格がどうあれ、楽器になじむに従って(飼い犬が飼い主に似てくるように、いや、飼い主が犬に似てくるように)演奏する人の性格が楽器と一体になって行く。それは、まさに楽器の性質によるものなのだが、見る人が見ると、楽器を持っていない状態のオーケストラのメンツを一見しただけで、ほぼ誰が何の楽器を担当しているか分かったりする。
 何だか怖い話でもある。

01dfagot 例えば、私の吹いていたファゴットという楽器。木管楽器の中で一番低い音を担当している「縁の下の力持ち」ではあるものの、前面に出て行って派手なソロを担当することは、まずない。

 バロック音楽では「通奏低音」としてチェンバロと共にアンサンブルのリズムとハーモニーの要を担うことも少なくなかったが、いわゆるクラシック音楽の時代になってからはとんと出番がない。しかも、低音を受け持つ身でありながら、オーケストラがフォルテで鳴り出したら最後、何を吹いても聞こえないのである。

 しかし、楽器としては意外なほど機動性にあふれ、軽やかなステップで高音から低音まで広い音域を飛び回り、シリアスからコミカルまで表情豊かなメロディを歌える自在な才能を持っている。ところが、残念ながら、その機能を十全に発揮出来る曲が極めて少ない。その結果「オレは本当はもっと出来るのに、才能を発揮出来る機会があまりにも少ない」的な、ちょっと世界を斜めに見る性格が育つ(ような気がする)。

 そして、ほかの楽器を下で支えることが多いということは、自分のパートを吹きながらもほかの楽器のパートも常に聴いている(聴かざるを得ない)ということであり、「今日のフルートは調子が悪い」とか「クラリネットはテンポが遅れぎみだ」というように他人のコンディションを感知するのに鋭敏になる。

 それがプラスに作用すると、他人の面倒見の良いアニキ的な性格や、音楽理論や楽器法などに詳しい理論派になるが、マイナスに作用すると他人のアラばかりが気になる皮肉屋になる。私は完全に後者だった(笑)

          *

01boboe そして、オーボエはひとことで言うと神経質である。それは、一にも二にもリードと言う繊細なパーツがあるせいだ。
 
 歌口のところに付ける細くて薄いリードは、湿気に敏感できわめてデリケートなため、常にメインテナンスが欠かせない。神経質でないと務まらないのである。(ファゴットも同じく二枚舌のリードを使うが、低音が主で肉厚でもあり、そこまでデリケートなメインテナンスは要さない)

Reed_obbsn そのためオーボエ吹きと言うと、年中リードを削っている印象があるほどで、能天気でずぼらなオーボエ吹きなど聞いたことがない。一説には、オーケストラの楽器の中で一番頭が薄くなりやすいのだそうだ。

 さらに、オーケストラ曲の中では静かでデリケートな部分で重要なソロを任せられることが多いうえ、チューニングでは最初のAの音を吹く大役を担っていることから、神経質で繊細なだけではなく、ある種「孤独」で「孤高」の存在になることも要求される。
 例えば、大声で「オレはこう思う!」と叫ぶことはしないのだが、意見を聞かれると、一切他人に迎合することのない揺るぎない主張をする。そんな感じである。「みんなが言うなら私も…」という妥協はあまりしないタイプと言えそうだ。

          *

01cclarinet 一方、同じリード楽器でも、クラリネットは一枚リードのせいか、オーボエの細いリードのようなデリケートさは要求されない。そのためか、性格も神経質というより、むしろその逆のおっとり型が多い。そもそも音色自体も、丸みを帯びて尖ったところがないように、性格は穏健と言っていいだろう。

 フルートほど前面に出ることはないものの、オーケストラでは重要なソロを取ることも少なくないので、ファゴットのように欲求不満の皮肉屋になることもなく、一家言はありながら他人に主張は押し付けず中庸を重んじる紳士的な人が多い(ような気がする)。

Clreeds ただし、ご存知のように油断するとすぐ音が裏返る危険性をはらんでいるのが、この楽器の怖いところ。一番デリケートな音の出だしとか弱音の時に、突拍子もない「ぴゃーー」という音が出てすべてがぶち壊しになる。
 そうなったら最後、ずっと紳士面などし続けていられない。「しまった」とシリアスに顔をしかめるか、「ごめん」とおどけて素直に謝り軽く逃げるか、「今のは・・のせいだ」と理屈をこねて煙に巻くか、そこに人間性が問われる「微妙な」楽器なのである。

          *

01aflute 対して、フルートは人が良く、育ちが良い。華やかだが決して大きな音のする楽器ではないし、華麗でスター的な要素は持っていながら、押しつけがましさやけばけばしさはない。そのせいか、人前に出ることが多いタイプながら、自己主張のきつさはなく、むしろ細かいところにこだわらず鷹揚なタイプが多い(ような気がする)。

 また、木管楽器の中ではもっとも「ソロ」で活躍することが多く、そのパッセージは音数が多いのが特徴。なので、自分の音を出すのに手いっぱいということもあるのか、まず人の音など聞いていない。内声を担当する楽器は、ほかの楽器とのハモり具合に常に気を配らなければならないが、フルートは常に外声(?)を担当しているのでそんな気配りはする必要もない。自分は軽やかにマイペースで吹き、「みんな付いてきてね」でいいのである。

 また、オーケストラの楽器の中で最もコンパクトで持ち運び便利なのも、奏者の性格形成におおいに関わっている。ほとんどの楽器の奏者たちが「どうやって楽器を運ぶか」ということに常に悩まされているのに対し、フルートはそれがない。
 しかも、木管楽器の中では唯一金属製への進化を遂げ、それに応じて楽器としての安定性が高くなり(歌口部分も金属なので、削る必要も湿気を考える必要もない)、メインテナンスを怠っても、それにより致命的なミスが起こることはまずない。ノンシャランでマイペースになろうというものである。

          *

02ahorn そして、ホルン。彼は金管楽器にもかかわらず木管楽器との親交が厚い。室内管弦楽の編成ではファゴットが低音、ホルンが中音で内声を担当することが多く、アンサンブルでは木管の仲間として書かせない存在である。

 元々は角笛だったこの楽器は、西洋で「ホルンを吹く」、日本で「ほらを吹く」と言われるように、なぜが大言壮語とか嘘というイメージを持たれている。プオーという大きな、しかし鋭さのない音を出すせいだろうか。

 しかし、このホルンも意外と神経質で、一説にはオーボエに次いで頭が薄くなる傾向にある楽器なんだそうである。とは言っても、オーボエの神経質さとはちょっとポイントが違う。ホルンの歌口であるマウスピースは金属なので、オーボエのようなデリケートさは要しない。しかし、キイを押さえれば一応ドレミファが出る木管楽器と違って、ホルンは息を吹き込んだ時の唇のわずかな圧力のかけ具合で音程を作る。そのため、唇や息に全神経を集中させるデリケートさが必要とされるのである。

Horn 同じマウスピースを使う金管楽器でも、トランペットやトロンボーンは大きな音を出して欲求不満を発散できるが、ホルンは弱音で繊細な音を要求されることが多い。ピアニシモで演奏されるオーケストラの和声を担当したり、延々とロングトーンでハーモニーを保持したり、神経質にならざるを得ないのである。

 ただし、オーケストラでは大体2人あるいは4人一組で配置されるので、ソロとして孤立することはまずなく、オーボエのような「孤立」はないのが救い。しかし、逆に言えば、仲間との協調性やバランスを常に要求されるわけで、ホラ吹きタイプでは、ホルン吹きは務まらないのである。

          *

 と、そんな木管楽器たちを知るようになると、普通のクラシック名曲のレパートリーとはちょっと違う、不思議な編成のものを聴くのが楽しくなる。逆に言えば、管楽器のキャラクターに全く興味がなければ、ほとんど出会うこともなく、出会ってもその魅力が良く分からない作品たちが沢山あるということになるだろうか。

 クラリネット五重奏曲、木管五重奏曲、フルート四重奏曲、オーボエ四重奏曲、ホルン五重奏曲、管楽六重奏曲、七重奏曲、八重奏曲・・・。そのほとんどは作曲家たちがその友人である木管楽器奏者のために書き、多くは貴族やアマチュアの演奏家が集まって演奏して楽しむために書かれたもの。耳を澄ますと、曲を献呈された奏者たちの愛すべき「キャラクター」が聴こえてくるはずである。

          *
 
 ここで、最後に豆知識をひとつ。

 室内楽アンサンブルの呼び方は、
 三重奏はトリオ(Trio)
 四重奏はカルテット(Quartet)
 五重奏はクインテット(Quintet)
 ・・・と、このあたりまではよく耳にするはず。

 さらに・・・
 六重奏はセクステット(Sextet)
 七重奏はセプテット(Septet)
 八重奏はオクテット(Octet)
 ・・・というあたりまでご存知なら、かなりの通。
 では、この上は?

 九重奏はノネット(Nonet)
 十重奏はデクテット(Dectet)
 十一重奏はウンデクテット(Un-dectet)
 十二重奏はデュオデクテット(Duo-dectet)
 十三重奏はトレデクテット(Tre-dectet)
 十四重奏はクァトルデクテット(Quattuor-dectet)
 十五重奏はクインデクテット(Quin-dectet)
 ・・・ここから上は、まず使わないが
 十六重奏はセクスデクテット(Sex-dectet)
 十七重奏はセプトデクテット(Sept-dectet)
 十八重奏はオクトデクテット(Oct-dectet)
 十九重奏はノヴェンデクテット(Novem-dectet)。
 ・・・まだあるのかって?

 二十重奏はヴィゲテット(Vigetet)
 二十一重奏以上は、Un- Duo- Tre-・・・と続き
 三十重奏はトリゲテット(Trigetet)
 四十重奏はクァドラゲテット(Quadragetet)
 五十重奏はクィンクァゲテット(Quinquagetet)
 ・・・この辺でやめておこう(笑)。

◇五重奏&七重奏のコンサートはこちら

ベルリン・フィル八重奏団&上原彩子
・モーツァルト:ホルン五重奏曲変ホ長調 K.407
・シューベルト:ピアノ五重奏曲イ長調「ます」D.667
・ベートーヴェン:七重奏曲変ホ長調 Op.20
 ベルリン・フィル八重奏団
 ピアノ:上原彩子
◇2007年1月12日(金)19:00 東京オペラシティコンサートホール

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