
仏教の始祖ゴータマ・シッダールタとキリスト教の始祖イエス・キリストは、共に人類の宗教界におけるスーパースターだが、その生涯はいくぶん対照的だ。
ブッダの方は、インドのシャカ族の王子として生まれ30歳前後で出家し、三十代半ば(35歳頃)で悟りを開き、その後は布教を続け、80歳で入滅(死去)する。
一方のイエスは、ユダヤ人の大工の息子として生まれ、やはり30歳前後で出家し布教を続けるも、三十代半ば(33歳頃)で十字架に架けられ刑死する。
つまり、この経歴だけを見ると、宗教の開祖として長寿にも恵まれ完成されているブッダに対して、イエスの方は布教に失敗して若くして挫折したように見える。
両者とも三十代半ばで自己の宗教観を確立し、その後数千年にわたって世界中で信仰される新しい宗教の開祖として名乗りを上げたわけなのだが、ブッダの「悟り」にあたるものが、イエスでは「捕らえられて死刑」だと言うのは、昔からどうにも不可解に思えて仕方がないのである。
考えてみれば、宗教の開祖が死刑になった時の姿(十字架)を教会に掲げて信仰する、というのも随分と不思議な話ではないか。
そもそも「受難」とは何だったのか。この日、一体何が起こったのか?

■キリストの受難までのドラマ
まずは受難に至るまでのドラマを追って見よう。
30歳のころ霊の力を得たナザレのイエスは、12人の弟子を選び布教を始める。そして様々な奇跡を起こして多くの信徒を得、数年後、首都である聖地エルサレムに入城する。
イエスの最後の7日間を描いたロック・ミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」では、冒頭、弟子のユダが「コントロールが利かないほど大勢の信徒を抱えて、ローマが支配する首都エルサレムに乗り込むこと」に関して「危険だ」「彼は何を考えているのか?」と独白するシーンで始まる。
確かに、大勢の信徒たちを率いたイエスは、ユダヤ教の神官たちから見れば「怪しい教義を唱える危険人物」であり、ローマから統治に来ている総督ピラトなどから見れば「人心を惑わす要注意人物」ではある。しかし、それは「神を騙るちょっと頭のおかしな男」くらいの存在であって、特に大罪人というわけではない。
布教が目的で、首都にいる大勢の市民たちに自身の教義を伝えるのなら、ことを荒立てず、神官や為政者たちに付け込まれないような慎重な言動を取ればいい。そして、そのうえで自己の主張をアピールすればいい。それはイエスの知性をすれば充分可能だったはずなのである。
ところがイエスは、エルサレムに入場するや、神殿のまわりで商売している屋台(現代で言えば、参道に並ぶ土産物屋の類いか)を「ここは祈りの場である」と言って叩き壊し、商人たちを追い払うという、ちょっと過激な行動に出る。
温和な人(という印象が強い)イエスとしては、かなり異質な「挑発行為」である。この件でいくぶん庶民の反感を持たれたことが、後の逮捕と裁判そして処刑への複線となってゆく。
イエスは、弟子たちに最後の審判について語り、自分がこの地で処刑されることをほのめかす。そして有名な「最後の晩餐」の夜。師が何を考えているのか分からず困惑する弟子たちの前で、イエスは弟子の一人(ユダ)の裏切りや(ペテロの)否認を予言する。
その予言に後押しされたかのようなユダの密告によって、イエスはゲッセマネの園で兵士たちによって捕縛され、弟子たちは師を見捨てて散り散りになってしまう。
かくしてイエスは裁判にかけられ、メシア(救世主)として救うはずの民衆によって「死刑にしろ!」「十字架に架けろ!」と糾弾される。イエスは特に自己弁護もせず、総督ピラトは恩赦で救おうとイエスか囚人バラバかどちらかを助けようと提案するが、群衆は「(それなら)バラバ(の方だ!)」と叫んでそれを拒絶する。
このあたりのドラマは恐ろしく、かつ不可解だ。ユダは単にイエスの所在を官憲に教えただけの「裏切り」だが、群衆はなぜかイエスに徹底的な殺意を持っている。しかも、イエスはそれをなだめようとするどころか、怒号に身をまかせているかのように見える。そして、この暴走する民衆がイエスを死刑に追いやる。この「おぞましさ」をどう理解すべきなのだろう?

この裁判の後、イエスはほかの囚人たちと一緒にゴルゴダの丘に引き立てられ、そこで十字架に架けられる。
それでも、普通ならここで「神の子なら神が助けに来るはず」と誰でも思うし、ここで奇跡が起きてこそ「神」を信じる信仰が生まれると思うのだが、結局神が救いに来ることはなく、イエスは十字架の上であっさり死んでしまう。
これは、誰がどう聞いても「なぜ???」という話である。
もちろん、この「なぜ?」という問いこそが、キリスト教の信仰の原点となったことを私たちは知っている。しかし、それでも、どうして十字架に架けられた「ただの男」(失礼!)の死が、2000年にも渡って世界に巨大な影響を与えた信仰になったのだろう?という「なぜ?」は止まらない。
かつて、キリスト教信者だった学友にそのあたりを聞いたところ、「キリストはその3日後に復活したんだよ。そのことを忘れちゃ行けないな」とあっさり言われてしまった。
もちろんそれは私も知っている。マタイ伝は、ユダを除く11人の弟子たちが復活したイエスに会い、彼が説く「私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にある」という言葉で終わる。
そうなのだ。確かに「復活」することで信仰の基盤を作ろうと言うのなら、「受難」の図式が理解出来る。つまり、「死んだ」ということをより多くの人々に確実に知らしめるのに、(TVやネットのないこの時代としては)首都エルサレムで死刑になること以上に効果的な宣伝方法はないからだ。
弟子たちがいくら「死んだイエスが生き返った」と主張しても、普通の人なら「それは本当に死んではいなかったのだろう」と疑うに決まっている。誰もが「生き返った」と信じるためには、敢えて衆人環視の下で確実に「死んで見せる」ことが必要になる。それが、あの自殺にも似た「受難」だった…という見方だ。
しかし、そんな縄脱けの奇術師みたいなからくりで、その後2000年にわたる世界的宗教の基盤が作られるはずもない。復活は決して信仰の絶対の条件ではない。復活の場面が無くても信仰はあり得る。復活したから信仰が始まったのではなく、復活を願って信仰が始まったのだ。私はそう思う。
そう言うと、くだんの彼はこう答えた。「でも、その復活を信じるのがキリスト教なんだよ」。
でも、例えばバッハの「マタイ受難曲」にも、復活のシーンは出てこない。イエスは死んで十字架から下ろされ、「主は亡くなられた」「安らかにお休み下さい」という合唱で終わる。
この世でいちばん偉い人「救世主」の物語なのに、「捕まって」「死刑になって」「死んでしまった」…という救いのない挫折のシーンの連続で終わってしまう。いくら「受難」の部分を中心に描いたとは言え、これでは救いがなさすぎる。
しかし、にもかかわらず不思議な感動に満たされるのも事実なのだ。徹底した挫折の物語であり救いのない終わり方であるにもかかわらず、ドラマは見事なほどかっちり完結している。むしろ、この感動のコラールの後でキリストが生き返って、栄光に包まれたフィナーレなどが始まったら、ここまでの深みが一気にぶち壊しになりそうな気さえするほどだ。
実際、前述の「ジーザス・クライスト・スーパースター」では、このキリストが死んでゆく感動のシーンで突然、天国?から自殺したはずのユダが(ド派手な衣装で)降りてきて、十字架に架けられているイエスに向かって、「あなたは何者?。何を犠牲にしたの?」と天使たちと踊り狂いながら問い掛ける強烈なシーンがある。
さらに、あろうことか「十字架に架けられたのは、計算通りだったの?それとも大失敗?」「あるいは何かのPR?」「現代だったらマスコミ使ってやれば簡単だったのに」という(キリスト教徒なら目を剥きそうな)妄言を吐きちらす。まさにぶち壊し寸前のすさまじい演出である。
当然ながら初演当時賛否両論で大騒動になったのだが、これは現代に生きる人間なら誰でも密かに持っている疑問に違いないし、キリストの死を「なぜ?」と問うことこそが信仰の原点だということを新たに思い起こさせる強烈な信仰告白だと思う。
事実、私はこのシーンのおかげでキリスト教に深く興味を持ち、共感を持つようになったほどだ。
しかし、イエスは答えない。
黙って十字架の上で死んでゆく。
*

そんなキリストの受難を描いた舞台作品は古今数多い。個人的に最も衝撃を受けたのは何度も話に出ているミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」(1971年初演。詞:T.ライス、曲:ロイド・ウエッバー)。1973年に映画化されたもの(N.ジュイソン:監督)は、イスラエルの砂漠を舞台にロックのビートによる鮮烈なダンスと美しい音楽が交錯する名作。残念ながら2007年現在まだDVDになっていないが、オリーヴ山の上で予言の成就に苦悩しシャウトするイエスの壮絶なアリアが、いまだに耳から離れない。
映画では、最近の「パッション」(2004年。メル・ギブソン:監督)が記憶に新しいほか、「偉大な生涯の物語」(1965年。J.スティーヴンス:監督)、「最後の誘惑」(1988年。M.スコセッシ:監督)、「キング・オブ・キングス」(1961年。N.レイ:監督)、「ゴルゴダの丘」(1935年。J.デュヴィヴィエ:監督)、「ナザレのイエス」(1980年。F.ゼフィレッリ:監督)など、色々な視点による佳品がある。
しかし、クラシック音楽界で傑作中の傑作として知られるのは、何と言ってもJ.S.バッハの「マタイ受難曲」だ。
■マタイ受難曲

◇J.S.バッハ「マタイ受難曲」・・・1727年、バッハ42歳の年に初演された、二群の混声合唱(および少年合唱)と数多くの独唱者、そして語り手(福音史家)とオーケストラによって歌われる宗教作品の代表作。キリストが捕縛され裁判にかけられ十字架に架けられて死ぬまでの受難の数日間を、聖書の語句による語りと、そこに挿入される自由なアリアやコラールで歌い上げる、第1部、第2部と合わせて全68曲ほどからなる演奏時間3時間を優に超す大作である。
この曲は、時に「西洋クラシック音楽史における最高傑作」と称賛される。確かに、グレゴリオ聖歌で始まり、ルネサンス、バロック期を経て進化してきた西洋キリスト教下の音楽は、バッハのこの曲で一種の完成の極みを迎え、最高峰に達した。その点ではまさしく至高の作品と言えるだろう。
ただ、それは逆に言えば、これ以上この方向で進むことが出来ない「進化のデッド・エンド」に至ってしまったとも言える。マタイを超える宗教曲を、教会音楽という閉鎖世界の中で「対位法と合唱とで編み上げる」ことはもはや不可能だからだ。
かくして、この後の西洋音楽史は、バッハを「もう古い」「過去の音楽」として切り捨て、貴族社会や市民社会の中で新しく「メロディとリズムとハーモニーで出来た音楽」を編み上げることから再出発することになる。
私たちが知っているハイドン〜モーツァルト〜ベートーヴェンに始まる「クラシック音楽」の系譜は、まさにこのバッハが「終わった」ところから「始まる」のである。
この「マタイ受難曲」は西洋音楽にとって、まさしく
アルファ(始まり)でありオメガ(終わり)なのだ。
*
ちなみに「マタイ受難曲」というと、まるでマタイという人が受難にあったようなタイトルだが、これは正確には「マタイ伝による我らが主イエス・キリストの受難と死」とでも言うのを省略し短くしたもの。15世紀以降バッハを始め多くの作曲家が作品を残している。
原典となっている「マタイ伝」というのは、キリストの弟子のひとりマタイが、師であるキリストの言動を書き残した福音書と呼ばれるもののひとつで、新約聖書には「マタイ伝」「マルコ伝」「ルカ伝」「ヨハネ伝」の4つの福音書がある。(そのほかにも正典以外の異端の福音書として「トマス」や「ペトロ」のものが存在し、最近では「ユダによる福音書」の発見が話題になっている)。
そのため受難曲にも「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」「ルカ受難曲」「マルコ受難曲」の4つが存在し、バッハもこの4つすべてに作曲したとされている。しかし、現存するのは「マタイ受難曲」と「ヨハネ受難曲」の2作だけで、後の2作は作曲されたものの楽譜が紛失している。
福音書が残されているこの4人のうち、元祖12使徒でありキリストの死に実際に立ち会った弟子は、マタイとヨハネの二人のみ。残る2人マルコとルカは、キリストの死後パウロの伝道旅行で弟子になった人物である。
マルコは主にシモン・ペテロの口述に基づいて福音書を書いたとされ、医者出身のルカは様々な資料や証言を比較検討して福音書を書いたとされている。
つまり、バッハの残された2つの受難曲は、偶然にも、伝聞で書かれたマルコとルカではなく、キリストと生活を共にしていた直弟子マタイとヨハネによるものいうことになる。

■マタイ受難曲の聴きどころ
この「マタイ受難曲」、演奏時間3時間にも及ぶ長大な宗教曲…などと聞くと、キリスト教徒でない人にはかなり敷居の高い作品に思えるかも知れない。しかし、これは言って見れば「普通の人にも分かりやすくキリストの受難のドラマを知ってもらうために書かれた語り手付の音楽劇」。決して難解なものではない。
壮大な序奏に始まり、受難の予言〜ユダの裏切り〜最後の晩餐〜ゲッセマネの園〜カヤパの裁判〜ペテロの否認〜ピラトの裁判〜群衆の叫び〜十字架刑〜イエスの死〜終曲というドラマチックな物語に身をまかせれば、素晴らしい音楽体験が待っているはずである。
そして、純粋に音楽作品として聴いても、聴き所は満載だ。もっとも印象的なのは、全編を通じて何度か繰り返される美しいコラールだろうか。特に、裁判でイエスの死刑が決まったシーンの後で「血と涙にまみれたその頭は…」と歌われる受難のコラールは、すすり泣きのような深い悲しみに満ちている。(それなのに、ああ、この曲、元々はバッハの作ではなく、世俗歌曲として歌われていたラヴソングだったそうな!)

絶品なのは、ペテロの否認の場面の「憐れみたまえ、わが神よ」と歌われるアリア。キリストが捕らえられた後で弟子のペテロは、自分が助かりたい一心から「私はイエスなどという男は知らない」と言い張る。そして三度否認したところでニワトリが鳴く。その瞬間、前夜イエスに「キミは明日ニワトリが鳴く前に〈私のことなど知らない〉と三度言うだろう」と予言されたのを思い出し、ペテロは泣き崩れる。ヴァイオリンのオブリガート付きのこの旋律は、本当にむせび泣いているように聞こえる。
「マタイ受難曲」屈指の名演として有名なメンゲルベルクによる古いライヴ録音では、この部分で聴衆のすすり泣きの声が聴こえてきて、演奏が神懸かりになってゆく総毛立つような瞬間が記録されている。全曲の白眉というべき音楽である。

次いで美しい旋律として知られるのは、群衆の「イエスを十字架に架けろ!」という怒号の合間に、フルートのオブリガート付きで歌われるアリア「愛により我が救い主は…」。こちらは悲しみを突き抜けた深い慈しみに満ちた音楽である。
作曲家として興味を引かれるのは、裁判でピラトが群衆に向かって「イエスとバラバ(盗賊)のどちらに恩赦を与えるか?」と尋ねると、群衆が「バラバ!」と答えるシーン。
群衆のこの叫びこそがイエスを死刑に追いやったのだから、これは考えてみればユダの裏切り以上に呪われるべき行為。というわけで、当時としては不協和音中の不協和音である減7の和音が鳴り渡る。ちょっと「現代音楽」っぽい響きがする一瞬である。
そして、全曲の序奏と終曲の圧倒的な質感も聴き逃せない。低音弦のオスティナート(同じ音やリズムを反復する手法)を印象的に使って、この長大な大曲をビシッと引き締めるのに成功している。序奏では朗々と流れる大河のような巨大なドラマの始まりを感じさせ、終曲では重厚かつ悲劇的な運命のうねりをしっかり受け止めるどっしりとした安定感をもたらしている。
気軽に繰り返し聴ける作品ではないが、一生に何度かは、じっくり正面から聴き浸りたい大作である。
* * *

■補遺:キリスト受難当日の推理・・・
ところでマタイ受難曲の話のついでに、聖書における「受難日当日」について、昔ちょっと気付いたことを余談としてここに披露しておこう。(とは言っても、なにしろ世界でもっとも売れている本の中身のことなので、とっくに誰かによって気付かれているに違いない余談ではあるのだが……)
聖書には「十字架上のキリストの最後の言葉」というのがある。これは、キリストが十字架に架けられてから亡くなるまでに口にした言葉のことで、ルカ伝に3つ、ヨハネ伝に3つ、マタイ伝とマルコ伝に1つ、合計7つある。
1.
「父よ、彼らをお許しください。彼らは何をしているのか、分からずにいるのです」(ルカ伝)
2.
「よく言っておくが、あなたは今日、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」(ルカ伝)
3.
「婦人よ、ご覧なさい、これはあなたの子です。ご覧なさい。これはあなたの母です」(ヨハネ伝)
4.
「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか?」(マタイ伝、マルコ伝)
5.
「私は乾く」(ヨハネ伝)
6.
「すべてが終わった」(ヨハネ伝)
7.
「父よ、私の霊をみ手にゆだねます」(ルカ伝)

このうち、2つ以上の福音書に共通して登場する言葉は、マタイ伝とマルコ伝に出て来る「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ(わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか?)」という一語のみ。これはバッハの「マタイ受難曲」でも、極めて印象的に歌われる一節なので、ご存知の方も多いに違いない。
(ちなみに、この言葉はイエスが神に絶望した言葉ではなく、詩篇第22篇の冒頭の引用だと言う。この詩篇は「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか?」という訴えで始まるが、最後は「人々は子々孫々、主に仕え...来たるべき世まで語り伝え...その救いを後に生まれる民に述べ伝えるでしょう...」という肯定的な神の賛辞で終わる。つまり、キリストはこの詩編を呟いて神を称えたのだ・・・というのが、先の耶蘇教学友の受け売り)。
ところが、この有名な語句を記載したマタイ・マルコ両福音書では、逆にキリストが十字架に架けられてから発した言葉はこれひとつ。これ以外の「最後の言葉」は書かれていない。これはちょっと不思議な話だ。
一方のルカ伝とヨハネ伝はそれぞれ3つの言葉をあげているが、共通して登場する言葉はひとつもなく、逆に「わが神...」の一語は登場すらしない。
そこで、バッハの「ヨハネ受難曲」におけるキリストの最後の言葉は「すべてが終わった(成し遂げられた)」となるわけなのだが、これは悲劇的かつドラマティックに展開する「マタイ」に対して、穏やかで厳かさな印象を残す。
このキリストの「最後の言葉」に関する4者4様の記述から考えられる結論はひとつ。要するに、マタイとヨハネ、そしてマルコとルカの伝聞者は、一緒に行動していたのではなく、それぞれ違った位置からキリストの受難を見ていたということだ。つまり、違った時間に違った場所にいたからこそ、それぞれ耳にした言葉が違うのである。
ということは、処刑の日のタイムテーブルに沿って彼らが聞いた「キリストの言葉」を追ってゆくと、その日の使徒たちの位置関係が分かることになる。そのあたりを推理してみよう。

■処刑のタイムテーブルと弟子の立ち位置
まず午前9時ころ、裁判が終わったイエスはゴルゴダの丘で十字架にかけられる。その時、イエスは兵士たちの行為について第1語
「父よ、彼らをお許しください。彼らは何をしているのか、分からずにいるのです」をつぶやく。そして、一緒に十字架にかけられた隣の罪人に第2語
「よく言っておくが、あなたは今日、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」をつぶやく。
この最初の二つの言葉を記述しているのはルカ伝のみ。つまり、十字架にイエスがかけられた時点では兵士や群衆が多く、弟子たちは近くに寄れなかったのだろう。後に第三者からの証言を集めたルカ伝だけが、この貴重な言葉を伝えているわけだ。

やがて群衆の騒ぎが一段落したころ、ヨハネがイエスの母とその姉妹およびマグダラのマリアを連れてイエスの元に近づく。ヨハネは特別信頼を受けていた弟子で、イエスから母の世話を託されている。そこで、イエスが自分の母に言った第3語
「婦人よ、ご覧なさい、これはあなたの子です」と、弟子に言った
「ご覧なさい。これはあなたの母です」を、ヨハネのみが耳にすることになる。この言葉がヨハネ伝のみに記述されているのは、そう言う理由によるものと思われる。
続いて正午の12時ころからあたりが暗くなり、3時ころまで続く。この間、マタイやペテロらは十字架から離れた遠くに立っている。
それは、イエスが3時ころ「大声で叫んだ」という第4語の
「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか?」しか彼らが耳にしていないこと、そして、その後に発せられた臨終の言葉については、「何かを叫んだ」...としか記述できていないこと、から推測される。
一方、ヨハネはかいがいしくイエスの横に寄り添っている。だからこそ、第5語である
「私は乾く」を聞き、人々がブドウ酒をふくませた海綿を棒の先につけてイエスの口許に差し出すのを目撃する。これは、イエスのすぐ足元にいなければ聞き取れない種類の言葉だ。
そして、続いてヨハネは、イエスが第6語
「すべてが終わった」とつぶやいて首を垂れるのを見る。
この時点でヨハネは、イエスが亡くなったと思ったのか、兵士たちに追われたのか、遺体をそれ以上女たちに見せたくなかったのか、イエスの母たちを連れて十字架の近くを離れる。そうでなければ次の臨終の言葉も聞いたはずだからである。
かくして「ヨハネ伝」ではこの言葉がイエスの最後の言葉になる。

しかし、イエスは最期にさらにもう一言、第7語
「父よ、私の霊をみ手にゆだねます」(この言葉も、実は詩篇第31篇の中にある)を叫んで息を引き取る。これも「ルカ伝」のにみ記述されている。
この時マタイとペテロは離れたところにいて、「何かを叫んだ」...としか聞こえなかったのは前述の通り。そして、ヨハネはイエスの母やマクダラのマリアと共に十字架を離れて近くにいない。結局、その時イエスの近くにいた第三者の証言を元に、後にルカがこの言葉の内容を書き記すことになったわけである。
その後の出来事についてマタイ伝は、「神殿の幕が裂け、地震があり、聖徒たちの死体が生き返った」とドラマチックに書き記しているが、地震があった...と証言しているのはマタイ伝のみ。マルコ伝はマタイの証言に基づいて、神殿の幕が裂けた...とは書いているものの、地震があったとまでは書いていない。
ルカ伝では、イエスが亡くなったと分かった後はみんな静かに帰っていった...と平穏な記述だし、ヨハネは女たちをイエスの遺体から離した後、自らは十字架の下に戻ったらしく、師の遺体の脇腹を差す検死の様子や、十字架から下ろす様子を即物的に記述している。
キリストの処刑というひとつの事実をめぐって、様々な目が様々な記述を残しているこの日の出来事だが、キリスト教徒でなくとも心惹かれるところの多い、人類史上に残る名場面のひとつと言えるだろう。
ここは是非、それぞれの「なぜ?」を心に抱いて、この「受難」のドラマに向かい合ってみて欲しい。
*
最後に蛇足をひとこと。
英語で「受難」は「パッション(Passion)」。つまり「マタイ受難曲」は「Matthew Passion」、「ヨハネ受難曲」は「John Passion」である。くれぐれも、これを「マシューの情熱」とか「ジョンの熱愛」などと誤訳されませぬよう。
* * *
◇と言うわけで「マタイ受難曲」を生で聴きたくなった方はこちらへ
■
ドレスデン聖十字架合唱団&ドレスデン・フィル
・J.S.バッハ「マタイ受難曲」(日本語字幕付き)
2月24日(土) 午後3時開演 横浜みなとみらいホール
2月28日(水) 午後6時30分開演 サントリーホール
コメント
"復活"を確実にアピールするために
なるべく大勢の人の目の前で死んで見せる必要があった。
それが"十字架上での死"であり
"予言の成就"の真意だった・・・
というのはすごい指摘ですね。
"薔薇の名前"みたいなミステリになるかも。
投稿: ペテロ | 2007/02/11 00:40
イエスの最期の言葉を、それぞれの使徒の場所と
時間で分類したのが興味深いです。
なるほど・・・と思ってしまいました。
投稿: payu | 2007/02/28 11:36