20世紀における「現代音楽でない音楽」の系譜
バッハ〜モーツァルト〜ベートーヴェン〜シューベルト〜ショパン〜ワグナー〜マーラー〜ドビュッシーなどなど数百年に渡って脈々と伝えられてきた「クラシック音楽」には、その時代時代に「新しいがゆえに難解で理解しにくい音楽」が確かに存在した。
しかし、新しく・難解な音楽も、数十年の時を経てみれば受け入れられる。新しい音楽は、理解し受け入れるのに「少しばかり」時間が必要なだけなのだ。そう思われてきた。
ところが、20世紀に登場した「現代(無調)音楽」は、ちょっと様子が違う。
無調で作品が書かれるようになったのは、まさしく20世紀初頭である。それは、調性にがんじがらめになり肥大した後期ロマン派音楽の反動として、産声を上げた。
最初は「太刀打ちできないほど巨大な」伝統的音楽への「ごまめの歯ぎしり」的な反抗に過ぎなかったはずだった。音楽とはメロディでありハーモニーでありリズムであり、それらすべてが存在しない無調の音楽が世界を席捲するなど、「ありえないこと」のはずだったのである。
しかし、第一次世界大戦後の1920年代あたりから「十二音主義」という理論をまとった現代音楽の萌芽は、徐々に伝統的な「音楽」を駆逐し始めた。
それは第二次世界大戦後に到るとさらに顕著になり、「無調でなければ、現代の音楽ではない」とまで言われるようになった。
もちろん、そんな「現代(前衛)音楽」にも、純粋な愛好家は存在した。聴いて訳が分からなくても「何か新しいもの」を感じさせることに意義を見出す聴き方もあるからだ。
しかし、通常の音楽の愛好家たち…音楽にメロディとリズムとハーモニーを期待する聴き手たち…は、「50年聴いても理解不可能な」音楽から離反し始め、やがて新作(および現代の作品)に「音楽」であることをまったく期待しなくなった。
どんな芸術的ジャンルでも、もっとも注目される作品・作家・現象は、「一番新しいもの」であるというのが鉄則である。
文学でも、いかにゲーテやシェークスピアなどの古典が素晴らしくとも、今月の新刊がもっとも注目され、売れる。スポーツも、過去の大選手よりは若い選手の活躍に人々は惹き付けられる。政治家ですらそうだ。
新作・新人が待ち望まれ期待されるのが、人間のすべての営みの根源なのである。
しかし、20世紀のある時期を境に、クラシック音楽界は「新しい音楽」への期待を失った。はかない期待を持って新作の発表は延々繰り返されるが、実際に聴かれるのは、過去の音楽ばかり。そして、演奏されるのも過去の音楽ばかり…という状況に堕してしまったわけである。
■20世紀初頭の「まだ音楽的な」音楽たち
それでも、20世紀も最初の十数年ほどは、まだ「無調」音楽の脅威もなく、19世紀ロマン派の香りを残した名品や、近代の鮮やかなサウンドをまとった眉目秀麗な音楽は数多く作曲されていた。
厳密に言えば、20世紀の最初の10年はまだ19世紀の「健全なる?」延長線上にあったと言っていいかも知れない。
例えば・・・
1901年:シベリウス交響曲第2番、
マーラー:交響曲第5番、
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番、
エルガー:行進曲「威風堂々」
1903年:シベリウス:ヴァイオリン協奏曲
1904年:プッチーニ「蝶々夫人」
1905年:ドビュッシー:交響詩「海」、
R=シュトラウス「サロメ」
1908年:マーラー:交響曲「大地の歌」
1909年:ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番
1910年:マーラー:交響曲第9番、
ストラヴィンスキー「火の鳥」、
R=シュトラウス「薔薇の騎士」
1912年:ラヴェル「ダフニスとクロエ」
このあたりは、普通の聴衆が普通に「クラシック音楽」と言って聴ける作品ばかりだ。逆に、「え?この曲が20世紀の作品?」と驚かれそうな作品さえある。
しかし、20世紀がこのままクラシックの伝統を正統に保持してゆく…という儚い夢は、10年足らずで打ち砕かれることになる。現実の世界で、19世紀的な伝統を破壊する「事件」が起こり始めるのである。
*1914年:第一次世界大戦勃発
*1917年:ロシア革命
*1918年:第一次世界大戦終結
■最後の作曲家たちの死
このヨーロッパを震撼させた大事件は、19世紀的な「ロマン派の夢」を完膚無きまでに打ち砕いた。戦車や飛行機や戦艦や大砲の存在する現実の世界に、「理想」や「夢」のような幻想を綴る音楽などは木っ端みじんに破壊されたわけである。
それでも、世界大戦前後にはまだまだ「真っ当な音楽」を書く大作曲家たちの方が圧倒的な支持を得ていた。現実が非人間的になればなったで、逆に「人間性」を歌い上げる幻想が必要になるからだ。
そんなわけで、大戦後も1910年代から20年代にかけては、まだ(音楽的な幻想の香りを残した)名作が生まれ続けている。
例えば・・・
1915年:シベリウス:交響曲第5番、
R=シュトラウス「アルプス交響曲」
1916年:ホルスト「惑星」
1919年:エルガー:チェロ協奏曲
1922年:ラヴェル編曲版「展覧会の絵」
1924年:ガーシュウィン「ラプソディ・イン・ブルー」、
シベリウス:交響曲第7番、
レスピーギ「ローマの松」
1925年:ショスタコーヴィチ:交響曲第1番
1926年:プッチーニ「トゥーランドット」
1928年:ラヴェル「ボレロ」
この時代、シベリウスやリヒャルト・シュトラウスあるいはプッチーニやイギリス近代の作曲家たちなど「最後のロマン派の作曲家」はまだ現存していたし、現役で活躍していた。
あるいはラヴェルやガーシュウィンあるいは初期のバルトークなど、無調でない方向で「新しい20世紀の音楽」を模索する試みも続いていた。
一方、人類史上初の実験的「社会主義国家」として誕生したソヴィエト連邦では、国家的な規模で「音楽とは、民族的であり、大衆的であり、かつ社会主義的でなければならない」という主義(いわゆる「社会主義リアリズム」)を貫くことで、西欧的な「形式主義的な」流れからは隔絶された音楽芸術の文化を造ろうとした。
まだ「音楽が音楽でありえることが可能な時代」ではあったのである。
しかし、クラシック音楽の最後の砦となるべき大作曲家たちが次々に死去していったのも、悲しいことにこの時期である。まさに、クラシック音楽の創作界にとって「死滅の時代」と言っていいかも知れない。
1911年:マーラー死去
1918年:ドビュッシー死去
1921年:サンサーンス死去
1924年:フォーレ死去、プッチーニ死去
1934年:エルガー死去
1937年:ラヴェル死去
■現代音楽の誕生
そして、この「クラシック音楽の絶滅」に対して、入れ替わりに登場した鬼っ子が「現代(無調)音楽」である。
とは言え、無調でない「現代音楽」の系譜と言うのも存在したわけで、その誕生は、1894年にドビュッシーが「牧神の午後への前奏曲」を発表した時と言うことにでもなるかも知れない。(その前年1893年にドヴォルザークの「新世界より」が発表されていることも考えてみれば象徴的だ)。
このドビュッシーの音楽は、音楽に新しいサウンドをもたらした革命であり、「新しい音楽」だと誰もが感じたものの、「従来の音楽を否定するもの」とは受け取られなかった。1894年から1912年までのこの時期は、現代音楽にとっての「胎動期」とでも言うべきだろうか。
そして運命の1913年。ストラヴィンスキーのバレエ「春の祭典」がパリで初演されて大スキャンダルとなり、「現代音楽の時代」が幕を開ける。誰もが「新しい音楽」だと感じ、同時に「従来の音楽を破壊するもの」と受け取った。それは画期的な出来事だった。
それは、カオス(混沌)としか思えないような、かつてのロマン派音楽とはまったく違ったサウンドとシステムとを持つ「とんでもない音楽」の誕生だったが、そこには確実に「心を熱くする」ある種の「音楽性」が存在した。
リズムは「ビート」となり、メロディは「モード(旋法)」に変貌していたが、まぎれもない「音楽」である。これこそ「正しい現代音楽」と言うべきだろう。
ところが、同じ頃、20世紀初頭にはまだ後期ロマン主義的な作風で「浄められた夜」(1899)や「グレの歌」(1900/11)などを書いていたシェーンベルクが、期弟子のベルクやウェーベルンと共に「無調音楽」を書き始める。
しかし、鮮烈なサウンドで聴衆を魅了した「牧神の午後」、強烈なインパクトで勇名を轟かせた「春の祭典」という2大名作に比べると、「調性のない音楽」という試み自体は「ヘンな響きの音楽」という程度の反響しか起こしえなかった。
現実に、「牧神」や「春の祭典」に比する無調音楽の名作は? と訊かれたら、どんな現代音楽マニアでも答えに窮するに違いない。「5つの管弦楽曲」?、「月に憑かれたピエロ」?、「モーゼとアロン」?。残念ながら話にならない。
しかし、第一次世界大戦というブランクを経た後の1920年代になると、彼らは無調音楽をシステム化した「十二音主義」なる作曲法を主唱・標榜し、一躍「新しい時代の音楽」として注目を浴び始める。
このあたりの奇妙な「時代の趨勢」には戦慄を覚えざるをえない。なにしろ「新しい時代の音楽」と誤認して「死に神」を呼び込んでしまったようなものだからだ。
それは、全く同時期に相前後してヨーロッパが呼び込んだ「ソヴィエト共産主義」や「ナチズム」そして「原子爆弾」などとも呼応する、悔やんでも悔やみきれない「20世紀の絶望」と言えるかも知れない。
もちろん、そのメカニズムについては色々な理由と必然があるのだが、それを論じるのは別の機会にしよう。なにはともあれ(もはや後戻りの出来ない)「現代音楽の時代」が始まったのである。
■1930年代以降の「不毛の荒野」
かくして1930年代を迎えると、いわゆる「クラシックの名曲」に数えられる作品はパッタリと姿を消す。かろうじてクラシカルな大衆性を備えた作品を(落ち穂拾いのように探してみると)残るのはこんな感じだろうか・・・
1934年:ラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」
1936年:プロコフィエフ「ロメオとジュリエット」
1937年:ショスタコーヴィチ:交響曲第5番
1939年:ロドリーゴ「アランフェス協奏曲」
この時代、旧勢力の最後の末裔となったラフマニノフは、「時代遅れで退嬰的」と言われようとロマンを追い求める「古き良き時代を夢見る老人」のような存在に追い込まれてしまった。今でも現代音楽界では、メロディやハーモニーのある音楽に対する侮蔑の言葉として「ラフマニノフみたい」という言い方をするほどだ。
とは言え、人類の音楽がすべて「無調・前衛」に走ったわけではない。(ラフマニノフが、いまだに絶大な人気を誇っているのがいい証拠だ)。大衆音楽のジャンルではこの時代アメリカでは「ジャズ」が隆盛を極め、レコードやラジオの発達によって「ポピュラー音楽」が世界を席巻し始めているからだ。
つまり、メロディ・リズム・ハーモニー…という音楽の三大要素は、人類の音楽史から疎外されたわけではない。むしろ、逆に「大衆音楽」として強化され、新しいメディアによって世界的に伝播したと言っていいのである。
しかし、それが逆にクラシック系の創作界から見ると、「〈芸術〉音楽は〈大衆〉音楽とは違う」〜「大衆音楽はリズムとメロディばかりに満ちている」〜「(それなら)芸術音楽はリズムやメロディを排除すべきだ」という(意固地な)論理に凝り固まって行ったようにも思える。
なにはともあれ、クラシックの創作界から「メロディ・リズム・ハーモニー」、そして「大衆的な分かりやすさ」が決定的に排除され疎外されてゆく。それは「悪魔的な」事実である。
そして、その傾向に第二次世界大戦の勃発がとどめを刺す。
*1939年:第二次世界大戦勃発
*1945年:第二次世界大戦終結
爆弾や大砲や戦車の登場によって打ち砕かれた「(芸術家たちの)音楽の夢」は、さらに原子爆弾やホロコーストによって決定的に壊死を迎えた。かつて「一瞬して数万人を殺戮する殺人兵器や、数百万の民族を大量虐殺する現実の前では、いかなる音楽も詩も意味を失う」と言った人がいたが、まさに実感だったのだろう。
人間はもちろんそれでも強欲に生きてゆくのだが、この時点でまさしく、〈神〉も〈芸術〉も死に、「クラシック(芸術)音楽」の創作史は終わりを遂げたのかも知れない。
■現代音楽とは何だったのか?
とは言え、「無調」に始まった現代音楽は、別に「音楽の破壊」を目論んで生まれたわけではない。そのことは明記しておかなければならないだろう。
シェーンベルクら新ウィーン楽派が「十二音主義」を主唱した時点では、それは確かに「新しい時代の音楽の形」を呈示した重要な改革だったのである。
無調というのは、その名の通り「調性がない」。
ということは、調性の「呪縛」から自由になった音楽が書ける。
それまでの伝統的な音楽の構造の中では、例えばドイツ人にはイタリア風オペラは書けない、フランス人がポーランド風マズルカを書くのは不可能、日本人がドイツ的フーガを書くなんてありえない…というような、人種あるいは才能に根ざす「音楽の制約」があった。
しかし、無調の音楽の世界ではそんな制約は生まれない。
誰もが自由に、何の制約もなく「純粋に音楽的な」発想で音を組み合わせられる。
これが「現代音楽」の最大の革命だった。
そのあたりは、王家や貴族が君臨する「旧体制」を壊して、民衆が何の制約もなく自由に暮らせる平等社会を作ろうとした「共産主義革命」と発想が実に良く似ている。
しかし、(残念なことに)共産主義革命が、古き権威と悪しき束縛を壊したにもかかわらず、やがて「新たな権威」と「新たな束縛」を生んだのと同じ道を、現代音楽も辿ることになる。
伝統的な呪縛から離れ、自由に音を紡ぐことこそが「現代音楽」の理念だったはずなのに、やがて
・・・メロディを歌ってはいけない
・・・協和音やハーモニーなどもってのほか
・・・感覚(聴いて心地よい)より知性(論理的であること)を優先するべきである
・・・芸術なのだから、大衆に受けたりしてはいけない
・・・新しいこと人やっていないことをするべきである
などなど、禁止事項ばかりになってしまったのである。
これは、「現代音楽」の陥った最大の絶望と言うしかない。
御存知のように、人類はこの時期(つまり20世紀初頭)に、いくつか「未来への理想に燃えて一歩を踏み出し」ながら、結果的に世界を巻き込んだ巨大な「悪夢」になってしまった事象を知っている。
例えば、ロシア革命の末に生まれたソヴィエト共産主義。
そして、ヒトラー率いるナチスによる全体主義。
アジア中を巻き込んだ大東亜戦争。
あるいは、原子物理学の成果として生まれた原子爆弾。
これに、シェーンベルク博士の「無調音楽」も加えるべきだろうか?
それとも、「死人は出ていない」ことを理由に、外すべきだろうか?
あれから世界は、大虐殺や戦争や原子爆弾による破壊を越え、新しい世紀を生きている。
20世紀の悪夢は、ひとまず精算されたかに見える。
しかし、音楽は?
■20世紀における「現代音楽でない作曲家」たち
最後に、20世紀に主要な作品を発表しながら、全く「現代音楽」という印象のない大作曲家たちを思い付くまま挙げて、この稿の終わりとしよう。
★クロード・ドビュッシー
1862年フランス生まれ。1894年32歳の時の「牧神の午後への前奏曲」で、現代の音楽の新しい時代を告げたが、その音楽は新しいハーモニー感に裏打ちされた美しいサウンドに満ちている。20世紀最初の数年間に、オペラ「ペレアスとメリザンド」(1902)、交響詩「海」(1905)などの名作を生み落としているほか、ショパン以後最大のピアニズムの大家と称されるほどピアノ曲(前奏曲集、子供の領分、ベルガマスク組曲、映像など)に名曲が多い。
1918年、第一次世界大戦中に56歳で死去。
★モーリス・ラヴェル
1875年フランス生まれ。ドビュッシーと共にフランス近代を代表する作曲家だが、現代音楽の始祖シェーンベルクと同い年。本格的な作家活動は20世紀になってからで、その音楽に「現代的」な感触はありながら、メロディやハーモニーの美しさは比類が無く、どこまでも精緻で叙情的。
代表作は「水の戯れ」(1901)、「スペイン狂詩曲」(1907)、「ダフニスとクロエ」(1912)など。ピアノ曲とオーケストラ曲に名作が多く、特に「オーケストレイションの魔術師」と呼ばれるほど、そのサウンドは鮮烈。
第一次世界大戦中は従軍してトラックの運転手を務め、戦後も、「ボレロ」(1928)、左手のためのピアノ協奏曲(1931)、ピアノ協奏曲ト長調(1931)など傑作を多く発表したが、1932年の交通事故を境に作曲が出来なくなり、1937年62歳で死去。
★セルゲイ・ラフマニノフ
1873年ロシア生まれ。モスクワ音楽院を卒業し作曲活動を開始するが、行き詰まって神経衰弱となる。その後、ピアノ協奏曲第2番をひっさげて再登場し、作曲家として世界的になるのが20世紀を迎えた1901年。
その後1904年にボリショイ歌劇場の指揮者を務め、1909年にはピアノ協奏曲第3番を仕上げ、アメリカへの演奏旅行も大成功。古き良き時代の「ロマンチックで華麗な」しかし「悩める魂」を持った独特の哀愁を持った音楽は、ある意味「クラシック音楽の王道」であり、古臭いと言われながらも人気は今も衰えることを知らない。
1917年44歳の年にロシア革命が勃発したのを機にアメリカに移住。その後の後半生はビバリーヒルズに邸宅を構え、スイスと行き来しつつ演奏活動などを行なう。1934年61歳の時に「パガニーニの主題による狂詩曲」を書き残し、第二次世界大戦中の1943年に死去。70歳。
★ジャン・シベリウス
1865年フィンランド生まれ。最初はヴァイオリニストを志したが、演奏家になるのは断念し、ヘルシンキ音楽院で作曲を学ぶ。ベルリンにしばらく留学し、20世紀を迎える1900年35歳の時の「フィンランディア」および翌01年の交響曲第2番で、国際的にも知られる作曲家となる。
その後、ヴァイオリン協奏曲(1903)や、交響曲・交響詩などの名作を発表して、国民楽派を代表する作曲家として名声をほしいままにする。イギリスやアメリカでの人気は絶大で、当時は「現存するクラシック作曲家の中でもっともコンサートでの演奏頻度の高い作曲家」だった。
しかし、1924年の交響曲第7番、翌25年の交響詩「タピオラ」を最後に、60歳以降は全くと言っていいほど作品を発表しなくなり、30年の「謎の沈黙」を続けた後、1957年に91歳で死去。
★グスタフ・マーラー
1860年チェコ生まれ。後期ロマン派最後の作曲家と言えなくもないが、交響曲第5番(1901)以降は20世紀に書かれた作品。交響曲「大地の歌」(1908)、交響曲第9番(1909)を書き上げた後、交響曲第10番を未完のまま、1911年51歳で死去。
★リヒャルト・シュトラウス
1864年ドイツ生まれ。マーラーとほぼ同じ時期に、ドイツの歌劇場&オーケストラの指揮者として活躍しながら交響詩「ティルオイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」「ツァラトゥストラはかく語りき」など作曲でも活躍する。
20世紀に入ってからも、オペラ「サロメ」(1905)や「薔薇の騎士」(1910)など主にオペラのジャンルで数多くの名作を作曲。1930年代以降は、ナチス政権下のドイツで音楽界の頂点を極めるが、戦後は完全に「過去の作曲家」となる。
それでも、「メタモルフォーゼン」(1945)、「4つの最後の歌」(1948)など、ロマン派最後の残照のような作品を残し、1949年85歳で死去。
★ジャコモ・プッチーニ
1858年イタリア生まれ。イタリア・オペラの大作曲家ヴェルディに魅せられてオペラ作家を目指し、「マノン・レスコー」(1893)、「ラ・ボエーム」(1896)で人気オペラ作家の仲間入りをする。
以後、20世紀を迎えてからも、「トスカ」(1900)、「蝶々夫人」(1904)、三部作(外套、修道女アンジェリカ、ジャンニ・スキッキ)(1918)と名作を続けざまに発表する。
1924年、最後の大作オペラ「トゥーランドット」を未完のまま66歳で死去。
★グスタフ・ホルスト
1874年イギリス生まれ。イギリスは20世紀も「音楽らしい音楽」を書いた作曲家がたくさんいる。ある意味で「アマチュア的な音楽愛好家」の気質があるのだろう。1916年に作曲された「惑星」一作があまりにも有名になってしまったが、合唱曲や吹奏楽曲にも佳品が多い。1934年に59歳で死去。
★ヴォーン・ウィリアムス
1872年イギリス生まれ。大器晩成型の大作曲家。交響曲第1番「海の交響曲」が1910年の作。以後、第2番「ロンドン交響曲」、第4番「田園交響曲」、第7番「南極交響曲」のほか、ヴァイオリン独奏が美しい「あげひばり」など名作多数。
85歳という長寿を真っ当して、亡くなったのは1958年。
★フレデリック・ディーリアス
1862年イギリス生まれ。両親はドイツ人で、1888年以降フランスに住んでいたにも関わらず「イギリスの作曲家」という不思議な人。「ブリッグの定期市」(1907)、「春初めてのカッコウを聞いて」(1912)、「夏の歌」(1931)など、田園の叙情にあふれた名品を20世紀になってから数多く生み落としている。
1934年に72歳で死去。
★ベラ・バルトーク
1881年ハンガリー生まれ。若い頃はロマン派+ハンガリー民族音楽の狭間で揺れる作風だったが、ストラヴィンスキーとシェーンベルクによる「現代音楽」の洗礼を受けた1910年代以降は、独特の作曲法に基づく名作を多数作曲。代表作は「中国の不思議な役人」(1924)、「弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽」(1936)、「管弦楽のための協奏曲」(1943)など。
現代音楽的な晦渋さ難解さは持つが、無調や無機的な音楽にはならず、かと言ってロマン派的な甘さを排した数学的知的オカルト的なアプローチを崩さないその音楽は、ある意味で「現代(無調)音楽」と「音楽」のボーダーライン上にある音楽と言えるかも知れない。1945年、第二次世界大戦終戦の年に64歳で死去。
★セルゲイ・プロコフィエフ
1891年ロシア生まれ。若くして「現代っぽい(未来派)音楽」の作曲家として一世を風靡。ロシア革命から逃れて20代でアメリカに亡命し、ニューヨークやパリを中心に華々しい活躍を遂げる。
しかし、1933年42歳の時にソヴィエト連邦となった祖国に帰国。その後は、社会主義リアリズムに呼応した(と見える)分かりやすい作風となって佳作を残している。代表作「ロメオとジュリエット」(1936)、「ピーターと狼」(1936)、「アレクサンドル・ネフスキー」(1938)、交響曲第5番(1944)など。
1953年(のスターリンと同じ日に)61歳で死去。
最後に、忘れてならないのが・・・
★ドミトリ・ショスタコーヴィチ
1906年ロシア生まれ。西欧の現代音楽臭を全くもたない20世紀の作曲家としては、唯一最大の巨匠。1925年のデビュー作「交響曲第1番」以降に書かれた15曲の交響曲、6曲の協奏曲、15曲の弦楽四重奏曲は、西欧の現代音楽界からは「時代錯誤」「退嬰的」「問題外」と罵声を浴びながら、大衆的に圧倒的な人気を誇り、今も「20世紀のクラシック作曲家」としては最大の存在として君臨する。
とは言え、それは純粋に彼自身の主義や思想から生まれたものではなく、共産主義国家ソヴィエトが彼に無理やり押し付けた「音楽政策」との軋轢から発生したもの、というのが何とも微妙。しかし、1920年代から70年代までの「現代音楽」全盛の時代にあって、まさに孤軍奮闘というべき創作力を発揮し、「最後の良心的な砦」として作品を残し続けた事実は、音楽史上に燦然と輝き続けるに違いない。 1975年69歳で死去。
そして、この「ショスタコーヴィチ以後」を境にして、1980年代から20世紀の音楽は新たな道を歩み始めるわけなのだが、その話はまた別の機会に・・・
・ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番(pf:上原彩子)
・ショスタコーヴィチ:交響曲第5番「革命」
6月2日(土) 2:00p.m. 横浜みなとみらいホール
・シベリウス:「フィンランディア」
・シベリウス:ヴァイオリン協奏曲(vn:樫本大進)
・チャイコフスキー:交響曲第5番
6月5日(火) 7:00p.m. 東京オペラシティコンサートホール
・チャイコフスキー:幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」
・ショパン:ピアノ協奏曲第1番(pf:ラファウ・ブレハッチ)
・ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」
6月6日(水) 7:00p.m. 東京オペラシティコンサートホール