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2007/06/10

マーラーに聴く人類の行く末

Mahlera むかし、マーラーの墓に詣でたことがある。  自分の作品の演奏に立ち会いにウィーンに寄った時、「そう言えば、マーラーの墓があるのだっけ」と思いつき、とある本の「ウィーン郊外のグリンツィングという所に墓地がある」という一行だけを頼りに、(ろくに場所を調べもせず)ぶらっと出かけたのである。  その地グリンツィング(Grinzing)は、市内から市電(路面電車)を乗り継いで20分ほどの終点駅。とは言え、駅舎も何もないような小さな駅で、降りてもどこにもそれらしいガイドはない。しかし地図をよく見ると、駅をひとつほど戻った小高い丘の上に墓地のマークがあったので、そこを目指して歩くこと数十分。ようやく辿り着いたのは日本で言うと墓園のような感じの処で、門前には花屋があり、「マーラーのお墓は?」と聞くと、「ああ、あるよ」という感じで番号(墓の地番)を教えてくれた。 Grinzinga 墓石は「GUSTAV MAHLER」とだけ書かれたそっけないもので、特にほかの墓に比べて優遇されている様子もない。マーラーは「私を知っているものはそれだけで充分だし、そうでないものに知ってもらう必要はない」と言って、名前以外は刻ませなかったそうだが、なるほど。これなら彼の名前を知らない観光客が訪れる気遣いはまずない。マーラー先生のひねくれた苦虫を噛み潰したような顔が思い浮かぶ。  ちなみに、ヘルシンキ郊外のヤルヴェンパーにあるシベリウスの墓も「JEAN SIBELIUS」とだけ書かれたシンプルきわまりないもの。ただし、こちらは自分の家(アイノラ)の庭にあるので、(違う意味で)知らない人がやって来る気遣いはまずない。「名前だけ書いてあれば充分」という同じシンプル指向でも、その背景はかなり違うような気がする。  それにしても、ベートーヴェンやシューベルト、シュトラウス父子からブラームス、そしてあのシェーンベルクまで、ウィーンで活躍した大作曲家たちはみんな中央墓地に眠っていて、観光名所になっているのに……と思うと、「マーラー先生、なんだかずいぶん差別されてません?」というのが正直な印象だった。 Cond2 しかし、それもそのはず。マーラーが死んだ1911年の時点では、彼は(身も蓋もなく言ってしまえば)「下手な作曲をする気難しい指揮者」にすぎず、一般の(特にウィーンの)音楽愛好家たちにはそもそも作曲家としてほとんど知られていないなかった。当時、マーラーをベートーヴェンやブラームスと並べて「大作曲家」呼ばわりする人間など、まず存在しなかったと言っていいほどなのだ。    なにしろ同じ「作曲もする指揮者」としては、友人でもあったリヒャルト・シュトラウスの方が人気も社会的地位も認知度もはるかに上。R=シュトラウスがその後、オペラ「薔薇の騎士」で大人気を博し、長生きをしてナチス政権下でドイツにおける音楽総裁という最高位にまで登り詰めたことを思うと、マーラーの方はウィーンを追われてニューヨークに渡り、そこで病気になってわずか50歳の若さで死の床に着いてしまうのだから、ほとんど挫折した末の「負け犬」的な死だ。  さらに音楽的な見地から見ても、若い頃は「巨人」や「復活」など前衛的で過激な交響曲でそこそこ楽壇にショックを与えたものの、シェーンベルクやストラヴィンスキーら次世代の現代音楽が台頭して来ては失速ぎみ。第3番以降の作風は、ほとんど「過去のロマン派の生き残り」に過ぎなくなっているのも致命的だ。  そのうえ、もっとも聴衆から乖離した「交響曲」というジャンルに固執した上、すべての作がほとんど再演不可能な巨大で不経済な編成による異常な長さのものばかり。これでは、「(指揮者の地位を利用して)道楽で書いている日曜作曲家」と後ろ指さされてしまうのも無理はない。  なにしろ、マーラーが最初の交響曲を書き始めた頃には、既にドビュッシーが現代音楽の幕開けを告げる「牧神の午後への前奏曲」を発表しているし、その死の年にはポリリズムから複調までを駆使したストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」が生まれているのである。  そのあたりのことを思うと、20世紀を迎えてもなお「大地の歌」や「交響曲第9番」のような後ろ向きの濃厚なロマン派音楽を書いているアマチュア作曲家になど、もはや出る幕はなかったと言うべきだろう。 Beethovena しかも、(不遇の晩年を過ごしながら)死んだことによって一躍その「音楽」に再評価の光が当たったモーツァルトやべートーヴェンと比べ、時代も悪かった。  マーラーの死後1920年代には「無調音楽」が台頭してきていて、調性を持った交響曲などを書く作曲家は「退嬰的なロマン主義者」として音楽界からは無視され…(この時代に登場し〈モーツァルトの再来〉とまで称賛されたコルンゴルトが、後期ロマン派風の音楽を20世紀に書き続けたゆえに楽壇から抹殺されたことは、まさにその象徴的な事件だ)。  さらに1930年代からのナチスの時代には「ユダヤ人音楽家」として社会的にも排斥されるという二重の不遇を受けることになった。このダブル・パンチは決定的である。  つまり、マーラーは挫折と失意と共に死に、その死と共に彼の音楽は無視され葬り去られ、過去の(それこそ膨大な数の)無名の作曲家たちと一緒に、「歴史の彼方に消えてしまう音楽」の仲間入りをするはずだったのである。           *  ところが、彼の音楽は死後60年ほどを経て、息を吹き返す。  私も(クラシックを聴き始めた学生時代のことで)よく憶えているが、マーラーの交響曲は戦後から60年代までのいわゆる「前衛」音楽全盛期には「時代遅れの退嬰ロマン派作曲家」という扱いだったし、普通のクラシック愛好家からも、「指揮の片手間に支離滅裂な長い交響曲を書いていたアマチュアの日曜作曲家」というくらいの認識だった。 Walter コンサートでたまに演奏されるのは、もっとも短く編成がコンパクトな第4番くらい。レコード(当時はLP)で手に入るのも、せいぜいワルター指揮の1番2番と9番ほか、単発のもの数点に限られていた。全集はクーベリックによるもの(ドイツ・グラモフォン)が唯一あったが売れている気配はなかったし、ニューヨーク・フィル常任時代のバーンスタインのマーラー演奏も、贔屓の引き倒し(実はこのレコードのおかげで私は一時「マーラー嫌い」になっていたほど)にしか聴こえなかった。  もっとも、あんまり好意的に聴けなかったのは、時代のせいもある。なにしろマーラーの交響曲と来たら、ほとんどの曲が1時間半近い長さでLP2枚組。大学卒の初任給が1万数千円、学食のラーメンが35円の時代に、交響曲1曲しか入っていないLPが3600円とか4200円とかしたわけで、そんな交響曲など「非常識な代物」でしかなかったのだ。  おかげでその頃は、同じように「LP2枚組の非常識な長さ」を誇っていたブルックナーとマーラーが、「ゲテモノ好きマニア向け交響曲作家」として、常に抱き合わせで語られていた。  その頃、普通のクラシック愛好家に「ブルックナーとマーラーとどっちが好き?」などと聞いても、例えばガールフレンドに「ベンゼン核とカルボニル基とどっちが好き?」と聞いたのと同じ、「はぁ?何言ってんの?」という顔をされたに違いない(ちなみに、わたしは断然ベンゼン核…もとい…ブルックナー党だった!)。  その流れが変わったのは、1971年の映画「ベニスに死す」(ルキノ・ヴィスコンティ:監督)からだとよく言われる。原作はトーマス・マン。年老いた作曲家アッシェンバッハが静養に寄ったベニスで美少年タジオに会い、その「愛」に身もだえしながら死んでゆく奇妙な映画だが、全編に流れるマーラーのアダージェット(交響曲第5番より)が耽美的(かつ退廃的)な雰囲気を醸し出していて話題になった。 1361m この映画のヒットによって「アダージェット」がある種の音楽的人気を得た影響があった……のかどうか、1973年にはカラヤンが初のマーラー録音として交響曲第5番を取り上げ、これもちょっとした話題になった。(この演奏は後に「アダージョ・カラヤン」という大ヒット・アルバムでふたたび脚光を浴び、「アダージョ・ブーム」あるいは「ヒーリング(癒しの)ミュージック」と言う一ジャンルを確立ることになるのは、ご存知の通り)  ちなみに、当時のカラヤンというのは(現在では想像も出来ないかも知れないが)クラシック音楽の人気すべてを一身に受けていたかのような指揮者で、「巨人、カラヤン、卵焼き」(正しくは「巨人、大鵬、卵焼き」。素人や女子供が好きな三大アイテム。今で言うなら「ヨン様、キムタク、ハンカチ王子」か?)とジョークでささやかれたほど、クラシックに興味のない一般人にもその名前が浸透していた有名人だった。  そのカラヤンがマーラーを録音し始めた。戦時中はナチス党員だったことでも有名な彼が、ユダヤ人作曲家マーラーを取り上げことも驚きだったが、当時最大のライバルだったユダヤ系指揮者バーンスタインのお家芸であるマーラーに手を染めたと言うのも両方のファンからは驚きを持って迎えられた。これは(狭いクラシック界でのことではあるが)確かに「画期的な大事件」だったのだ。(その後、カラヤンは「第4番」「第6番」「第9番」「大地の歌」と録音したものの、全交響曲は結局録音せずに終わったのだが…)  マーラーのリバイバル(復活)はまさにこの瞬間に始まった。  きっかけが「映画音楽としての〈アダージェット〉のヒット」というのは、クラシック愛好家としてはちょっと複雑な思いがあるが、この前後、例えば1968年にはSF映画「2001年宇宙の旅」(スタンリー・キューブリック監督)で「ツァラトゥストラはかく語りき」の冒頭部分が使われたのをきっかけにリヒャルト・シュトラウスも復活を果たしている。これ以後、映画(あるいはテレビ)という媒体は、クラシック音楽界も無視出来ない重要なメディアとなるのである。  とは言え、最初に「映画音楽としてのヒット」があったにしろ、その後の本格的なマーラーのリバイバルは、その後ろにある大きな時代の潮流と背景なしには語れない。  時代遅れのロマン派と過小評価されていたマーラーが、クラシック界であたかも新しい時代の寵児のようなブームを迎えたのは、この「70年代後半」という時代における社会の動向が大きく関わっているからだ。           * Avangarde その最も重要なキイワードのひとつは「前衛の終焉」だ。  クラシック音楽の作曲界は、第二次世界大戦後(1950〜60年代)にいわゆる「現代音楽」あるいは「前衛音楽」として、新しいサウンド、新しい語法、新しい音楽概念、新しい記譜法…などなど、斬新でショッキングな話題を供給して世間の注目を得た。  ケージ、シュトックハウゼン、ブーレーズ、リゲティ、ペンデレツキ、クセナキス、武満徹などなど、ある種「スター」とでも言っていいような作曲家たちが次々と登場し、スキャンダラスな新しい作品を発表した。それは、ふつうの聴衆には全く理解出来ない音楽だったにしろ、「なんだか知らないけど凄い!」「科学が進んだ未来では、音楽もこういう摩訶不思議なものになるのに違いない!」という「幻想」を抱かせたことは確かだった。  その「幻想」の前では、もはや調性やメロディのある伝統的な(普通の)音楽は「時代の進化に逆行する(時代遅れの)音楽」であり、「より新しく」「より伝統破壊的で」「より自由な」「より進化した」音楽こそが20世紀の汎世界的な音楽だと、多くの人が(なんとなく)信じてしまったとしても無理からぬことだったのだ。  当時のアヴァンギャルドや電子音楽などは、それほどまでに鮮烈な「新しさ」を持っていた。しかし、最新のニュースを載せた新聞も翌日には古新聞になるように、「新しい」だけのものは賞味期限がある。わずか十数年ほどで「現代音楽」の最大にして唯一の取り柄だった「新しさ」と「自由さ」は失速し、逆に「調性がなく」「メロディもなく」「耳障りで」「大衆性がない」という負の部分ばかりが目立つようになってしまった。 Abomb そのあたりは同時期の「科学信仰の終焉」ともシンクロしている。  第二次世界大戦後はそれこそ世界中の人間が(恐怖や不安を伴いながらも)「原爆という〈地球を破壊しかねない最終兵器〉を持った人類は今こそ、地球最強最高の無敵の存在になった」と感じていた。  未来は(この最終兵器による絶滅さえ回避すれば)、飛行機や自動車やテレビなどの科学文明が世界中をひとつにし、人類はロケットで宇宙に進出し、科学が「より新しく」「より便利で」「より進化した」社会を作り、全人類が理想的なひとつの世界国家のもとに平和で高度な文明を永遠に築いてゆくのだ…という「大いなる物語」が信じられていたのである。  しかし、その「大いなる物語」も、科学物質による大気や河川あるいは土壌の汚染、開発による自然破壊、野生動物の絶滅、食品添加物や薬害などによる人間の身体への影響、などなど科学文明の「負の部分」の拡大によって揺らいで来た。  人間は今まで直線的に「進化」してきて、これからも一直線に「進化」し続けるだろう、と思っていたのに、「実は堂々巡りしているだけなのではないか?」あるいは「もしかしたら自滅に向かって退化しつつあるんじゃないか?」という「悩み(ストレス)」を人類全体が持つようになったのである。  こうなると、どちら向きが「新しく」、どちら向きが「古い」のかすら分からなくなってくる。そして、何が「主流」で何が「支流」か・・・何が「正しく」、何が「正しくない」のかすら・・・混沌としてくるのも当然だろう。  それは「価値観の多様化」とも言えるが、逆に言えば「価値観の解体」であり、「普遍性」や「伝統」の危機でもある。かくして、「聖」も「俗」も同等で、「ホンモノ」も「ニセモノ」も等価値の・・・ある意味では「楽園のような」、しかし、ある意味では「地獄のような」世界が到来したのである。  さらに60年代にプレスリーやビートルズによって「ロック・ミュージック」が台頭してきてからは、旧来のアダルト(大人)中心文化に対して「若者文化」が世界的に巨大な影響力を持ち始め、音楽やファッションだけではなく思想や文化そのものも変質し始めたことも大きい。  ここに至って、世界における「大人たちの常識」は見事に解体し、良く言えば「個人の自由」がすべてに優先する平等志向の世界、悪く言えば35億人(70年代当時)すべて価値も指向もばらばらな「無秩序」で自分勝手な世界に、70代後半以降の人間社会は変質していったわけである。           * Orch とは言え、クラシック音楽を好んで聴くようなレベルの生活水準にある多くの人間にとっては、戦争や飢餓にまみれることなく音楽を享受出来る「近代的な生活」が(もちろん世界にはその恩恵をこうむっていない人たちも数多いけれど)やって来たのも事実。  新しく機能的な大ホールが世界中あちこちに建つようになり、一般の人々もラジオやテレビやレコードでどんな種類の音楽でも気軽に聴けるようになり、録音はステレオとなり高性能オーディオが音楽愛好家に普及し、近代的な大編成のオーケストラも世界各都市に誕生するようになり、演奏家の技術レベルも高いものになってきた。  となると、演奏家も聴衆も、近代的なホールで名技を聞かせ、大編成のオーケストラを鳴らし、オーディオ的にも効果的な音響を駆使し、LPの時代にふさわしい新しさを持ち、しかも「聴いて愉しむ」ことが出来る音楽を必要とするようになるのは当然の帰結だろう。  しかし、「無調音楽」以降のクラシック界の現代作曲家たちは、「前衛の時代」のバブルの味を忘れられず、「夢よもう一度」という幻想にかまけたまま、軌道修正すら出来ずにいる。(まあ、確かに今まで信じ切っていたものを「すべて間違いだった」と捨て去り、まったく違った別の道を行くと言うのは並大抵のことではないのだが)。  これでは、大規模で高音質なサウンドで「メロディ」や「協和音」や「リズム」を鳴らす音楽など書いてくれそうにない。一体どうしたらいいのだろうか?  結論はシンプルだった。  あれ(現代音楽)はなかったことにして  無調音楽直前に戻ればいい。  かくして、マーラーが「引っ張り出されて」きた。  そうと割り切ってしまえば、マーラーの(大オーケストラと合唱を不経済に使う)非常識な巨大さも、ロックバンドが何万人を収容するホールで巨大コンサートを開き、何百万枚というアルバムを売り上げる時代には、当たり前の「誇大妄想」として受け入られる。  個人の音楽愛好家としても、家にあるオーディオ装置で大オーケストラのサウンドをたっぷり満喫出来るなら、LP1面に楽章がひとつしか入らなくて全2枚組になっても(諸物価が軒並み上がる中でレコード1枚の値段は上がってないこともあり)たいした出費ではない。  そして音楽的に見ても、マーラーの音楽の弱点だった(昔はよかった…的な)後ろ向きなロマン主義、(結論がなかなか出ずにうじうじしているせいで)不必要に長く複雑な曲の構造、サウンドは大仰なくせに脆弱な(負け犬のつぶやきのような)内容・・・。それらも、前衛の時代には「退嬰的」と否定されていたが、逆に、前衛という「一直線の進化」という夢に挫折した現代人にとって、実に「身につまされる」共感を得られる音楽に聴こえる。  また、全体的には暗くて長ったらしく煮え切らない音楽ながら、最後のコーダは一応虚栄心を満足させるかのように大音響フォルティッシモ(か余韻たっぷりの泣かせるピアニシモ)で終わるのも、聴き手にとっては高ポイントだ。 Inbal さらに、指揮者界の世代交代の事情も大きい。バッハやベートーヴェンやブラームスやチャイコフスキーなどの泰西名曲は既に老大家指揮者たちの名演が記憶に残っていて、若い指揮者の出る幕はないけれど、ステレオ&デジタルによる新録音、しかも大豪華サウンドなのに既存の名盤がないマーラーともなれば、新しい時代の交響曲録音としてマーケットを開拓できる。(しかも、死後70年を経て、著作権も消失しているし!)  事実、レヴァイン、アバド、インバル、テンシュテット、ショルティ、メータ、ハイティンクなど多くの「新世代」指揮者が、マーラーの交響曲をきっかけに指揮活動を活発化している。  その裏には、マーラーの持つ「ユダヤ性」が、「反ワーグナー的」な意味合いを持つ、ということも含めて戦後の西欧社会における色々な思惑が横たわっているに違いないのだが、そのあたりのアブナイ話題について深入りするのはここではやめておこう。  蛇足ながら「現代音楽界」にも、その当時「新ロマン主義(ネオ・ロマンティシズム)」などという言い方で、もう一度ハーモニーやメロディを取り戻そうという流派が登場したこともあった。  近代音楽の時代に「ふたたび(バッハやハイドンなどの)クラシック(古典派)に戻る」のが「新古典主義」なら、20世紀に「ふたたび(ワーグナーやR・シュトラウスなどの)ロマン派に戻る」のは「新ロマン主義」というわけだ。  現代音楽界におけるこの大変革がもし成就して、調性もメロディも大衆性も兼ね備えた「20世紀の新ロマン主義の大作曲家」がこの時点に西欧社会で生まれていたら、マーラーの出る幕は(もしかしたら)なかったかも知れない。  しかし、それはベートーヴェンやモーツァルトやワーグナーやプッチーニやチャイコフスキーなどの綺羅星のごとき大作曲家たちの名曲を相手に、メロディやハーモニーで真っ正面から勝負するに等しいわけで、相当な音楽性と根性とを必要とするのはご想像の通り。  ところが、クラシック音楽の作曲界が無調音楽に汚染されている間に、メロディを書く才能のある若手はみんなクラシック音楽を見限り、ロックバンドを始めたりミュージカルや映画音楽の世界に行ってしまった・・・。  これでは、対抗馬の生まれようもない。結果、現代音楽界は有効な改革案を実行出来ないまま、演奏家と聴衆のニーズを見失い、妥協と折衷で墜落だけを逃れる迷走の状態に陥ってゆく。  かくしてマーラーの時代が来たのである。

インバル フィルハーモニア管弦楽団 マーラー・チクルス 2007年7月4日(水) ・マーラー:交響曲第10番より「アダージョ」 ・マーラー:交響曲第1番「巨人」 2007年7月5日(木) ・マーラー:交響曲第2番「復活」 2007年7月9日(月) ・マーラー:亡き子をしのぶ歌 ・マーラー:交響曲第5番 2007年7月10日(火) ・マーラー:交響曲第9番  エリアフ・インバル指揮フィルハーモニア管弦楽団  東京芸術劇場大ホール

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