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2007/09/10

ケフェウス・ノートへのノート

Cepheusnotea_2 この夏、左手のためのピアノ協奏曲〈ケフェウス・ノート〉という曲を作曲した。ピアニスト舘野泉さんのために書かれた作品で、この冬に初演される。

 今回は、生まれ落ちてからまだ日の浅いこの〈ケフェウス・ノート〉という作品を肴に、ひとつの作品が生まれる段取りやいきさつについて、備忘録のようなものをしたためた。ケフェウス・ノートのための「ノート」と言うわけである。

 □構想と委嘱

 舘野泉さんによせる「左手のピアノ作品」を書き始めたのは2004年春。最初に生まれたのが全5章からなる「タピオラ幻景op.92(2004)」という作品。続いて全7曲からなる「アイノラ抒情曲集 op.95(2006)」と全4曲からなる「ゴーシュ舞曲集 op.95(2006)」という兄弟作。
 そしてコンサートでのアンコール・ピース用にクラシック作品をアレンジした「3つの聖歌(2006)」、さらに「3手の連弾のための作品があったら」というリクエストから、「4つの小さな夢の歌(2006)」と「子守唄(2004)」が生まれた。
 
 それらの曲はリサイタルで繰り返し演奏され、出版もされ、CD2枚に録音される幸運を得た。そしてその後も、舘野泉さんは(ご存知のように)「左手のピアニスト」として益々精力的に活動を続けられているので、その延長線上に「左手のためのピアノ協奏曲」を考えるようになったのも当然のいきさつかも知れない。

Flyer その構想が具体的になるのは、2006年初夏。舘野泉さんおよび私のマネージメントであるジャパンアーツより、「翌07年秋のドレスデン歌劇場室内管弦楽団来日公演で、舘野泉氏が同楽団と共演するための協奏曲を書きませんか」という委嘱の打診からである。

 確かに、ピアノ作品というレベルなら作曲者個人のプレゼントあるいは演奏家の個人的な委嘱で可能だが、コンチェルトとなると、その上演には(当然ながらオーケストラが必要となるので)、第三者の資金援助なしには成り立たない。
 そこでドレスデン歌劇場の来日公演の招聘元であり、かつ舘野泉さんと私の共通の音楽マネージメントでもあるジャパンアーツが委嘱の名乗りを上げたわけである。ちなみに、これは「舘野泉 左手の文庫(募金)」の対象曲(第一作目)に当たるそうだ。

 そういう意味では「渡りに船」とも言えるこの委嘱だが、実を言うと「コンチェルトを書ける具体的な機会」を得られる点ではありがたかったものの、通常のオーケストラでなく室内管弦楽団(しかもバッハ時代の編成の!)、つまり編成が限定される点だけは大きなネックであり、即「承諾」とはいかなかったことは告白しておかなければならない。

 ドレスデン歌劇場室内管弦楽団は、バッハからハイドン、初期のモーツァルトあたりをレパートリーとするので、フルートやクラリネットといった新しい楽器はなく、金管楽器類はホルン2本のみ、打楽器の類は(あったとしても)ティンパニに限定される。来日公演では具体的に、オーボエ2,ファゴット1,ホルン2,そして弦楽5部(5,4,3,2,1)という編成になる。現代の作品を書くための音響素材としては、かなり限定された「制約の大きい」編成と言っていいかも知れない。

Cepheusnotes 例えば、ラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」は、左手のみと言うハンディを補填する意味合いもあってか、オーケストラはかなり大編成だ(フル編成の3管に加えて打楽器群とハープまで加わる)。
 冒頭はピアノ低音域のアルペジオを引き出すため、低音弦やコントラファゴットなど「超低音」の世界を表出し、ピアノ・ソロを受けてテーマを強奏する部分では、フル・オーケストラが壮麗に鳴り渡り、後半では金管楽器と打楽器が総動員されてリズムを誇張する。大編成のオーケストラは、「左手だけのピアノ」という「物足りなさ」をカヴァーすべく、「オーケストレイションの魔術師ラヴェル」の名にふさわしい華麗かつ色彩豊かなサウンドのパレットを繰り広げる。

 しかし、小編成の室内管弦楽では、そういった「片手」のハンディキャップを補強し増幅し「あたかも両手で弾いているように飾りたてる」ような方向に持ってゆくことはほとんど不可能だ。管楽器が古典派アンサンブルの楽器(装飾音型が得意なフルートやクラリネットが存在しない!)に限定され、さらに「色彩」を担当するパーカッションがない(あってもティンパニのみ)ということは、近代オーケストレイションのパレットの彩色的な部分を駆使出来ないことを意味するからだ。

 そのため、当初は(いっそのこと)オーケストラを「弦楽のみ」に限定することすら考えた。大編成で「厚化粧」出来ないのなら(別にそんなことをする必要もないのだが)、ごく自然に「薄化粧」&ナチュラルメイクで行けばいい、というわけである。

 しかし、一旦そう割り切ってしまえば、別に大編成である必要はどこにもなくなる。バックのアンサンブルはピアノを盛り立て音楽を増強するものではなく、ピアノに寄り添い支える控えめな伴侶のようなものと見立てればいいのである。

 かくして編成の問題はクリアし、委嘱を承諾することにした。そして、左手のためのピアノ協奏曲の構想が始まった。

 □コンセプトとタイトル

Cd_ainola さて、具体的に新しい作品を作曲するということになると、まず最初に考えなければならないのは、その作品の「キャラクター(性格)」である。

 私の場合、ひとつの作品を生むに当たっては、必ずキャラクターの「核」になるようなものが必要になる。それは、「自分」と「演奏者」と「作品」、そしてそれが描き出す「世界」を貫く〈方程式〉のようなものであり、作品の座標とキャラクターを決定づける〈定義〉のようなもの、とでも言ったらいいだろうか。

 とは言っても、そんなに小難しいものではない。それは、何かの言葉の組み合わせだったり、小説や詩や絵画の印象だったり、映像的イメージやキイワードのようなものだったり、あるいは作曲上の技法や方法論だったり、色々だ。

 例えば、クレーの絵画「忘れっぽい天使」のイメージ、星の名前プレイアデスとその数「7」によるリズム法のイメージ、星座オリオンとそれを構成する図形の玩具的なイメージ。何でもいいのである。そこから「音型」や「モチーフ」、さらに曲全体の「構造」や「語法」が導き出され、それを基にして音楽を紡いでゆく。

 一方、そうした純粋に個人的かつ自発的な「発想(インスピレイション)」に対して、委嘱者(クライアント)から要求されている「条件(リクエスト)」というのも、重要なポイントになる。

 例えば、時間的な制約(X月X日までに書き上げること、演奏時間はXX分以内)、編成や演奏家に関する制約(初演の演奏家はXX、オーケストラはXX交響楽団)、金額的な制約(委嘱料はXX円、楽譜制作は自己負担)、著作権上の制約(作品はXXで出版、版権は1/2)、時には内容的な制約(XXをテーマにすること、XXへの祝典的作品であること)などなど。
 時には、それらの条件が折り合わなくて破談ということだってある。

 今回の作品における主要な「条件」はふたつ。

 ひとつは「左手のピアノのための」協奏曲であること。
 そして、バックのオーケストラの編成は「(特殊な)室内管弦楽」であること。

 前者については、舘野泉氏のために既にかなりの数「左手のためのピアノ作品」を書いているし、頼まれなくてもコンチェルトは書くつもりだったので全く問題はない。むしろ文字通りの「渡りに船」である。
 ただ、後者については、作曲するに当たってのある種の「制約」としてかなり頭を悩ませることになったのは前述の通り。

 しかし、そのうちにちょっと面白いことに気付いた。
 管楽器は5,弦楽器も5部。ピアノも(片手のみなので)指が5本。つまり、すべてが「5」つながり…ということである。
 一見つまらないことだが、こういうことが発想の「核」になる。

 そこで「5」にちなんだイメージを探し始めた。私のコンチェルト・シリーズは「ペガサス」「ユニコーン」「オリオン」「アルビレオ」と星づくしなので、すぐに見つかった。5つの星からなる星座、カシオペアとケフェウスである。

Cc カシオペアは夜空に輝く全星座の中でも、もっとも目立つ「W」字の形をした5つ星。一方ケフェウスは、そのすぐ横に位置する地味な「歪な五角形」をした5つ星(正確には5つ星+α)。ギリシャ神話では、この二人、王妃カシオペアに王ケフェウスという夫婦である。

 そして、この二人の間に出来た娘が、かの王女アンドロメダ。妻と娘は、たぶんギリシャ神話に詳しくない人でも名前だけは知っている有名人だが、ケフェウスはそれに比べるとかなり地味な存在だ。そして、星座の中でも多分もっとも地味で目立たないもののひとつでもある。

 しかし、夜空を見上げると、銀河をバックにこの夫婦の星座は共に「5つ星」の形をして並んでいる。そのキャラクターは対照的と言えるほど違うものの、共にはっきり「5」を形作っているせいか、それは人の「手」を連想させる。

 そして、銀河を胴体と見立ててみると、カシオペアの5つ星は「右手」、ケフェウスの5つ星は「左手」に位置するではないか。

Cepheusnote 左手だけの「5本の指」、ケフェウスの「左手」、「5」つの管楽器と「5」種類の弦楽器。そこから導き出される「5章」からなる「覚え書き(ノート)」としての構造、それを構成するペンタトニックの「5つ」の音(ノート)からなるモチーフ。

 そして、ちょうど10年前に書いた私の最初のピアノ協奏曲〈メモ・フローラ op.67(1997)〉が「花によせる覚え書き」なら、この左手のためのピアノ協奏曲は「星によせる覚え書き」。つまり〈メモ〉から〈ノート〉への、覚え書きつながりになる。

 こうして〈ケフェウス・ノート〉というタイトル(核)が決まった。

 □楽章とキャラクター

 次いで、音楽の具体的なキャラクターと構成を考える。

 「5」にこだわった全5章の構成を「独立した5楽章制」とすると、全20分ほどの曲では各楽章が4分ほど。組曲や小品集ならそれでもいいが、コンチェルトのような作品では、持続性および全体の統一感に欠ける。そこで、連続して演奏される5パートからなる単一楽章の構成にすることにした。

 次は、個々のパートのキャラクターである。

 基本のイメージは、夜空に地味に(そして少し寂しく)光るケフェウス座なので、光り輝くような壮麗さとは無縁。目を凝らしているうちに徐々にその形が見えてくる。そんなイメージで始まることがポイントだ。これがプロローグとなる〈Part1〉。
 ストリングスの淡い背景の上で、ピアノがぽつりぽつりと「5つの音」からなる断片を紡ぎ始める。そして、それがだんだん集まって形になってゆく。全体の序章である。

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 次に、ピアノがロマンティックなアクションを伴って登場する。ここからが〈Part2〉。全体を貫くモチーフがいくつか現れては消えるが、これも華やかな技巧を聴かせると言うよりは、モノローグ的な色合いを保つ。
 バックのオーケストラで「厚化粧」を計ることはせず、ここでも抒情的な雰囲気をキープする。ただし、アドリブ的な要素を膨らませることはしたい。というわけで、後半は5音のペンタトニック…すなわちピアノの黒鍵のみによるカデンツァ風即興を加えることにした。

17p
 
 と、ここまでは抒情的な世界に徹してきたが、このあたりでどうしてもアップテンポでポップな(いわばスケルツォ的な)楽想が欲しい。というわけで、次の〈Part3〉では、黒鍵の乱打の中から突然ワルツが飛び出してくることを思い付いた。
 これも5音からなるモチーフによる「軽やかに駆け抜けるワルツ」だが、転調を繰り返しながらぐるぐると乱舞を続けてゆく。本当はちょっと顔を出すだけに留めておくつもりだったのだが、止まらなくなってしまった。

Waltz

 そして、そのままの勢いで全体のクライマックスとなる〈Part4〉へ突入する。ここは、ワルツで集積した運動エネルギーが、カデンツァ風のピアノの自在なパッセージの中で渦巻く世界。
 この部分、元々は「完全にピアノソロによるカデンツァ」を考えていたのだが、最終的にはオーケストラも含めて〈Senza Tempo〉的なカオスを生み出す現代音楽的なパートとなった。自由度の高いピアノのアドリブが激しく荒れ狂い、管楽器のカオスを引き出してクライマックスを築いた後、やがて重々しいペザンテの足取りで徐々に静まってゆく。

36p

 そして、ふたたび抒情の世界に戻ってエピローグ〈Part5〉。モチーフが静かに回想され、ストリングスがしばし楽想を盛り上げた後、ピアノが決然とかつ流れるように歌い始める。
 曲の前半が陰りを持ったマイナーキイっぽい響き(Dのドリア)で終始するのに対して、ここではかすかな笑みのようなメジャーキイ(Fのリディア)が現われる。冒頭の寂しい静寂への回帰ではあるのだけれど、いくぶん幸福感を込めたかったのである。
 そして、最後は星空の中に消えてゆく。

 夜空の「左手」であるケフェウスの備忘録(ノート)の構成は以上である。 

 □スケジュール

Samplea 最後に、今回の作曲のスケジュール・ノートを記して、備忘録の締めとしよう。
 日程は下記の通りである。

 2006年6月:委嘱の打診。
 初演予定の1年半前。この時点では、まだ正確な初演の日程は不明。楽団の来日は「11月頃」ということから、当初「スコアは10月頃(1ヶ月前)に出来上がれば」と言う話だったが、後に指揮者(ドイツ)側の要望もあって、「出来ればかなり早め(8月中)に」ということになった。

 2007年1月頃:作曲の開始。
 どういう感じの作品にするか、パッセージの断片やオーケストレイションのアイデアなどを、ノートあるいはスケッチとして書き留め始める。ただし、まだ構成も編成も決まっていない。この時点では、実を言うと「ピアノのソロパートは〈タピオラ幻景〉そのままで、バックにオーケストラを加えるアレンジを施してコンチェルトにする」ことも考えていた。いろいろと模索している段階である。
 ちなみに、この間は、1月にピアノトリオ(旧作アレンジ)、2〜3月にオーケストラ小品(アレンジ)とフルート・アンサンブル新作、4〜5月に雅楽新作の作曲をしている。

 5月11日:タイトル(ケフェウス・ノート)の決定。
 5月7日、マネージャーから突然「今、チラシを作成中で、タイトルが決まっていましたら、新作のタイトルとコメントを載せたいんですが!」と言ってくる。
 ただし、その頃は、間が悪いことに前作の雅楽「夢寿歌」作曲の真っ只中。タイトルは幾つか構想していたものの、まだ決まっていない。それでも、ただ「左手のためのピアノ協奏曲(委嘱作品・初演・題未定)とチラシに載るのも嫌だったので、「1週間待ってください」と返事する。
 結局、この雅楽作品を仕上げた後、気分転換に行った山の中のホテルで星空を見上げつつ〈ケフェウス・ノート〉と決定(そのいきさつは前述の通り)。ちなみに、その時に送った(チラシ掲載用の)コメントは下記の通り。
 
 ■左手のためのピアノ協奏曲〈ケフェウス・ノート〉

 

 ケフェウス(Cepheus)は星座の名前。
 秋の夜空に並ぶ同じ5つ星のカシオペアを銀河の右手とすると
 ケフェウスは左手。
 そこから聴こえてくる星の響きの覚え書き。

 7月13日:デッサン&構成稿に着手。
 6〜7月中に別の仕事(BS番組のための大編成作品)が入り、その〆切が7月8日。それが仕上がったところで、ひと休みしてから本格的にこの作品の作曲に着手する。
 まずは、今まで頭の中で鳴らしていたイメージや、スケッチや断片として書き溜めていた素材を、全体の構成やバランスなどを考えつつ、五線紙の上に並べてゆく。具体的には、B4の五線紙にシャープペンでデッサンを書き留めてゆく作業である。

 7月21日:デッサンと構成がほぼ固まる。ここで、集められた素材が1曲を構成するに足る分量に達したわけである。この時点で、ようやく最終的な編成(オーボエ2、ファゴット、ホルン2を採用すること)を決断する。

 8月1日:ピアノ・スコア稿に着手。デッサン素材を元に、ピアノパートと伴奏(管楽器2段、弦楽器2段)だけの、いわゆるピアノ・スコア(6段)を書いてゆく。それまでは前後バラバラだったり、楽想と楽想の繋がりが未定だったりしていたものを、テンポやキイを調整しながら、ひとつの流れに組み立ててゆくわけである。

Pianofu

 この段階から、楽譜ソフトを使ってのコンピュータ入力になる。プレイバックして音を確かめながら、全体および細部を詰めてゆく。そして、8月3日:最初のピアノ稿をまとめる。

 8月13日:ピアノ・スコア稿ほぼ完成。ようやくここで、始めから終わりまでの一貫した流れを持ったひとつの音楽が現れる。作品の全体像がほぼ固まった瞬間である。ただし、実を言うと第4章がどうも気に入らなくて、後にこの段階で書いていたものをバッサリ切り捨てる。

 8月16日:スコア着手。省略形で書いていたピアノスコア稿(6段)を、最終的な編成のスコア(全13段)に変換する。まずピアノパートをスコアに転写(コピー&ペースト)し、伴奏譜のうち楽器が決定しているもの(オーボエのソロやチェロのロングトーンなど)を譜面に配置してゆく。その作業を進めながら、徐々にオーケストレイションを加えてゆくわけである。

 8月23日:すべてのパートを転写終了し、全体が一冊になったスコア(いわば「第1稿」)が出来上がる。ここで、全356小節、B4横長スコアで45ページ、という全体像が形になるのだが、あちこちのパートはまだまだ白いまま。

 このあたりの作業はすべてコンピュータ画面上で行なっているのだが、やはり楽譜になって手元で見ないと確認出来ないこともある。そのため、2日に1度は全ページをプリントアウトしてみて、その楽譜を念入りにチェックして赤を入れる(赤いボールペンで修正する)。すぐ真っ赤になり、それをふたたびコンピュータの画面で入力する。それの繰り返しである。
Datas そのため、コンピュータで作曲すると言っても、プリントアウトされたスコア草稿が一曲につき十数冊ほど出来上がるので、用紙はいくらあっても足りない。一方、コンピュータ内にも「8月24日稿」「8月25日稿」というふうにかかった日数と同じだけフォルダがどんどん増えてゆく。

(ちなみに、このデータ類、コンピュータ本体のハード・ディスクだけの保存では万一ということがあるので、こまめに外付けのHDおよびネット上のiDiskに毎日バックアップを取り、外出するなどPCから離れる時は、必ず作業中のデータをUSBメモリで持ち歩くことにしている。この時点でのデータ消失はそれだけ「怖い」のである)

 8月31日:スコアほぼ完成。とは言っても「ほぼ」であり、ここから最終チェックが始まる。強弱記号・表情記号などの抜けや不備はないか、音のミスや#や♭のミスはないか、奏法(pizzやarcoなど)や矛盾はないか、チェック項目は限りなくあって、どんなにチェックしても必ず見落としがある。

 9月1日から2日にかけてBSの仕事で外出する中、楽屋で最終チェックを続ける。

 9月3日:ついに、決定稿、脱稿。要するに、完成!である。

Photo

 むかしなら「完成!」と言っても、その楽譜を相手に渡すには郵便にしろ手渡しにしろ、まだ時間がかかる。(そこで、「もう郵便で出しました」と言っておいてまだ書き続ける、という〆切を遅らせる裏ワザが使えたのだが…)。

 しかし、今では、コンピュータ入力したスコアはそのまま電子メールに添付して浄譜屋さんに送られる。丸三ヶ月かかって書き上げたスコアも、メールのクリックだけで、消えてゆくのである・・・

Datalist
 データは、「楽譜ソフト(Finale 2007)のデータ」、そして「表紙(タイトルや編成、構成)のテキスト」、および「それらを汎用データ(PDF)に変換したもの」、という3種類。→
 すべて足しても3MBにも満たないが、念のため2つのメールにわけて浄譜屋さん(今回はNHKオフィス企画)と委嘱元(つまりジャパンアーツ)とに送信する。

 これで、作曲の仕事はひとまず終了。あとは初演を待つばかり。
 最終的にどういう作品になったかは、この12月の初演をお楽しみに。

    *

 東京初演は、下記の通り。
 ■ドレスデン歌劇場室内管弦楽団

 2007年12月10日(月)14:00。東京オペラシティ・コンサートホール。 
 ピアノ:舘野泉、指揮:ヘルムート・ブラニー、ドレスデン歌劇場室内管弦楽団。

・モーツァルト:セレナード第13番 ト長調「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
・J.S.バッハ:オーボエ・ダ・モーレ協奏曲 イ長調 BWV.1055
・ヴィヴァルディ:「四季」より「冬」

・吉松隆:左手のためのピアノ協奏曲「ケフェウス・ノート」 Op.102
・モーツァルト:交響曲第29番 イ長調 K.201

 料金:S7,000 A\6,000 B\5,000 C\4,000 学生席\3,000

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コメント

Googleで偶然こちらのブログをみつけましたので、お邪魔させていただきます。プレイアデスはCDをもっているので何度も聴かせていただきましたが、ケフェウス・ノートは名前すら存じ上げませんでした。

本日、渋谷CCホールで行なわれたテレビ朝日副詞文化事業団のコンサートにいき、プログラムで思いがけずに吉松さんのお名前を見つけ、第一部最後の演奏を楽しみにしておりました。

ケフェウス・ノート、はじめて耳にする現代の音楽ですので、新雪を滑り降りるスキーヤーのような気分でききます。音楽の素養がないので、リラックスしつつ、曲の論理性や叙情性をしっかり聴くのはなかなかむずかしいのですが、ひと言でいいますと、感動しました。はじめのうちから、聴いていて涙が自然と流れ出てきました。

私には、人間と自然の対話のように聴きました。人間は、自然の一部であるのに、自然を支配し破壊し略奪しつくして、地球環境問題を生み出しましたが、ピアノが万物の霊長でありながらも愚かな人間、弦楽はそれを包み込む自然といったイメージで聴きました。

現代音楽を生演奏で聴く機会は、本当にめったにないので、今日はとってもいい気分です。

素敵な曲を作曲いただきありがとうございました。

投稿: 得丸公明 | 2011/10/29 22:12

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