ロシア音楽の楽しみ
私にとって〈クラシック音楽との衝撃の出会い〉は(ご多分に漏れず)ベートーヴェンの交響曲だった。高校受験シーズン真っ盛りの中学三年の冬のことになる。
そこからクラシック音楽の世界にディープにのめり込み、「自分もこういう音楽(交響曲)を書いてみたい」と思うことから作曲家を志すに至った・・・
・・・わけなのだが、その理想とする音楽の形がベートーヴェンだったのかと言うと・・・それに関しては「どうも、ちょっと違う」というのが正直な印象だった。
確かにインパクトとかアピール度は抜群だし、圧倒的な内容を持っている。ポップスや歌謡曲などの大衆音楽との決定的な格差としての「芸術性」も文句がない。
ただ、20世紀の日本に生まれた「自分」にとってしっくりくるか?、あるいは自分のDNAに近いものを感じるか?という点になると・・・、既にポップスや歌謡曲やロックなど雑多な音楽を聴いてしまった耳には、どこか違和感を拭いきれない気がしたわけなのだ。
◆チャイコフスキー(1840-1893)
その後、高校に上がってから、野に解き放たれた野獣のごとく、歯止めなしにクラシック音楽を聴き始め、高校の音楽室、図書館、楽譜店、父の書斎などなどで、手当たり次第にLPを聴き音楽書を読み楽譜を読みあさった。
そして、ベートーヴェン〜シューベルト〜ベルリオーズ〜ブラームス〜ドヴォルザーク・・・などなどと交響曲つながりで聴いてきて、なんとなく方向性が分かりかけてきた頃、自分の血に共鳴する何かを感じて「これだ!」と思った音楽があった。
それがチャイコフスキーだった。
最初に気に入ったのは第5番の交響曲だ。その頃、高校に上がって学内オーケストラでファゴットを吹き始めていたので、冒頭からファゴットが主旋律を吹く!ということに、まず惹かれたせいもあるのかも知れない。
次いで、チャイコフスキーにおける「運命」交響曲というべき第4番、さらに(ある意味で史上最強の交響曲である)名作第6番「悲愴」。
さらに、後期の3大交響曲の破壊力には及ばないものの、ロシア的な風土の香りがするという点では第1番「冬の日の幻想」、第2番「小ロシア」の魅力も捨てがたい。
そこには、ベートーヴェンのような「ドイツ系」にはない独特の哀愁、文学青年っぽい悩めるポーズ、激高したかと思うとズーンと落ち込む(分かりやすい)感情表現、ロックに通じるようなビート感とスピード感があった。
さらに、悲しければ泣く、嬉しければ笑う、憤れば怒る、楽しければ踊り出す、というストレートな感情表現にも惹かれた。メロディを朗々と歌う、リズムを激しく打ち出す、感情の起伏を表現する、そういったことに微塵も照れや躊躇がない。
しかも、それが安っぽい描写に陥らず、ぎりぎり「交響曲」という純音楽的な形式の中で「知的なドラマの力学」を形作っている。そのバランスが見事だった。「もし自分が交響曲を書くとしたら」、それはチャイコフスキーの延長線上にある音楽でありたい。そう思った。
そんなわけで、高校1年の時の私のアイドルはチャイコフスキー。定期入れに写真まで入れて、肌身離さず持っていた(笑)
◆ストラヴィンスキー(1882-1971)
こうして「クラシック音楽=交響曲」という入口から入ってすぐチャイコフスキーに出会い、さらにその延長線上に(同じ「北」つながりということもあって)シベリウスの後期の交響曲に魅せられ始めた頃、次の段階として「作曲」のテクニックとしての「オーケストレイション(管弦楽法)」に視線が向き始めた。
作曲を志す徒としては、当然オーケストラ作品のスコアは手当たり次第&片っ端から読みあさり買い漁っていた(高校の音楽室と図書館そして渋谷および銀座のヤマハの楽譜棚に並ぶすべてのスコアが参考書だった)のだが、そのうち、音楽本体とは別に「サウンド」そのものに魅せられる作品があることに気付き始める。
要するに「一体、どういう音符の書き方をすると、こういうサウンドが出せるのか?」という職人的な興味がふつふつと湧き上がったわけである。
この「オーケストレイション」そのものに圧倒的な衝撃を受けたのが、(これもご多分に漏れず)ストラヴィンスキーの「春の祭典」だった。
もちろんそれまでも「管弦楽法」の類いは何冊も(伊福部昭、G.ジェイコブス、W.ピストン、ベルリオーズなど)目を通していたが、一冊のスコアそのものがオーケストレイションの教科書と化しているような異様な作品との出会いは、この「春の祭典」のスコアが最初である。
もっとも、正直に告白すると、この曲、音を聴いた途端は「よく分からない」作品だった。耳の分解能を越えたそのサウンドは、カオス(混乱)でしかないようにも思えたからだ。
それでもLPで作品を聴いた翌日スコアを手に入れ、その精密な設計図のような音符の群に圧倒された。そこには、まるで楽器法のカタログでもあるかのように、ありとあらゆる奏法がちりばめられていた。これはなかなか衝撃的だった。
そこで、すぐさまストラヴィンスキーのほかの作品のスコアを漁ることになった。「火の鳥」「ペトルーシュカ」そして「兵士の物語」・・・。
新しい音楽語法の面白さとしては、ポリリズムが全開の「ペトルーシュカ」に軍配が上がる。でも、スコアとしての情報量が凄いのは何と言っても「火の鳥」の初演版(後に2管編成に編曲し直した1919年の組曲版ではなく、4管フル編成の1910年全曲版)だ。
そこには、「春の祭典」のような人を驚かせるような力技(人間の思考の限界を超えた複雑な書式)はないが、精緻に織られたタペストリーのような美しさに満ちている。特に木管や弦楽器の細かいパッセージが、まるで縦糸と横糸の織りなす模様のように交差しあい、千変万化の色彩を生み出す見事さは、ちょっと圧巻だ。
◆リムスキー・コルサコフ(1844-1908)とムソルグスキー(1839-1881)
この「火の鳥」のオーケストレイションの原点が、ストラヴィンスキーの師匠であるリムスキー・コルサコフである。
音楽家というよりは学者タイプの彼は、本来プロの作曲家ではなく、海軍の士官。(この時代のロシアの作曲家は、ムソルグスキーにしろボロディンにしろ、みんな別の職業を持っていた。プロの作曲家として初めて登場したのがチャイコフスキーである。念のため)。
作曲は独学だが、千一夜物語が題材の「シェエラザード」や、「皇帝サルタンの物語」「雪娘」「サトコ」「見えざる町キーテジと聖女フェヴローニャの物語」 「金鶏」といったオペラなどなど、金銀宝石で飾られた魔法のおとぎ話の世界を描かせたら、この人の右に出る者はいない。
単にピアノで作曲された音楽をオーケストラに移し替えすのではなく、キラキラとした輝きや鮮やかな色彩を響きに与える名職人とでも言ったらいいだろうか。
なにしろ、「管弦楽法原理」といった本も残しているこの道の大家であり、ベルリオーズ、ラヴェルと並ぶ音楽史上屈指のオーケストレイションの魔術師なのだ。その手腕はムソルグスキーの作品(歌劇「ボリス・ゴドノフ」や「はげ山の一夜」など)の編曲にも及び、作曲家本人を遥かに凌駕する音世界を生み出している。
そして、このリムスキー・コルサコフのオーケストレイションによって有名な歌劇「ボリス・ゴドノフ」の作曲家、ムソルグスキーという人もちょっと面白い。
大地主の家に生まれ、独学で音楽を身に付けたものの、その後は下級官吏として細々と暮らしながら作曲も続けていたという(現代の目からみれば)アマチュア音楽家。しかし、「展覧会の絵」や「禿げ山の一夜」、歌劇「ボリス・ゴドノフ」あるいは歌曲集「死の歌と踊り」などの斬新さと表現力の広さはただごとではない。
アマチュアゆえに楽器法がいまいち下手で(それこそがオリジナリティなのだと言う人もいるけれど)、リムスキー・コルサコフがせっせと彼の楽譜を書き直して普及に努めていたほど。
しかし、ラヴェルのオーケストレイションによって一躍有名になった「展覧会の絵」を見ても分かるように、その音楽の圧倒的なイマジネイションは天才的と言っていい。ドビュッシーやラヴェルなどフランス近代音楽に計り知れない影響を与えたのも故無きことではないわけなのだ。
◆プロコフィエフ(1891-1953)とショスタコーヴィチ(1906-1975)
続いてロシア音楽は、20世紀になって「ソヴィエト音楽」の時代を迎える。
御存知のように、栄華を誇った帝政ロシア(ロシア帝国)は、20世紀初頭の1917年に共産主義革命によって打ち倒され、新しい国家「ソヴィエト連邦」に生まれ変わった。
労働者階級による人類史上初めての「共産主義国家」ということで、新しい世紀の新しい国の形を模索し始めたソヴィエト政府は、芸術(音楽)についても国の指針を打ち出すことになる。
形式において民族的であること、内容において社会主義的であること、そしてあくまでも労働者階級の娯楽として現実的な描写を持っていること、というテーゼをもった「社会主義リアリズム」である。
確かに、国の主役が「人民」である以上、ごく一般の労働者階級の民衆が娯楽として楽しめる音楽を国が推奨するのは、ある意味では理にかなった選択だ。
かくして、この「社会主義リアリズム」は、新興国家ソヴィエトの理想的な「音楽のあり方」における「方針」として初々しく発生し、やがて国家が芸術家に求める「国是」となっていった。(そして、それが最後には、それ以外の音楽は許されない「呪縛」となってゆくのだが)
ちなみに、当時(20世紀初頭)の「西側」ヨーロッパの音楽では、シェーンベルクらによる無調そして12音主義に端を発する「新しい音楽」が台頭し始めていた。それは、一般民衆に分かりやすいどころか、「大衆的」あるいは「民族的」であることを否定し、より高度かつ複雑な知的構築物としての音楽を前面に押し出した音楽だったのはご存知の通り。
(そして、こちらも、当初はささやかな「指針」に過ぎなかったものが、やがて「国是」となり、最終的には聴衆がクラシック音楽創作界から訣別する「呪縛」となって行ったわけだ。果たしてどちらが真の「悪夢」だったのだろうか?)
それはともかく、ソヴィエトでは、結果(国の方針)として民族主義的かつ大衆向けの分かりやすい音楽が「保護」されることになった。要するに、普通にメロディがあり、ハーモニーがあり、リズムがある音楽である。
そのこと自体は、(そこに国家権力による強制が見え隠れするのが問題だとしても)音楽にとって健全なことだったと言える。なにしろ「聴衆に分かりやすくなければ、音楽ではない」というのは、見事な「正論」なのだから。
ただし、革命以前に既に西側の「セレブな世界」に触れてしまったストラヴィンスキーやプロコフィエフのような作曲家は、こういった風潮を予感してか、さっさと新国家からは逃げ出している。
わけの分からない思想をこね上げる政治家たちに音楽をどうこう言われながら作曲を続けるなんて、「冗談じゃない」と思ったのだろう。(それはよく分かる。どんな正論でも、「おまえに言われたくない!」という奴だ)
ちなみにストラヴィンスキーは、革命前にパリでディアギレフのバレエ団によって初演された3大バレエ(火の鳥、ペトルーシュカ、春の祭典)で、30歳前後の若さながら時代の寵児。一方のプロコフィエフも、20代半ばにして衝撃的なピアニスト&作曲家としてヨーロッパやアメリカで知られた存在だった。
それに対して、革命の時点でまだ10代だったある若い天才作曲家は、音楽院を卒業して交響曲第1番でデビューした時点でもうスターリン体制下。国から「社会主義リアリズムを具現する作品を書け!」と言われた第一世代ということになる。
新しい国家の希望の星と言えば言えるが、要するに「逃げそこなった」わけだ。それがショスタコーヴィチである。
*
その後の音楽的成果は三人三様ながら、この3人(ストラヴィンスキー・プロコフィエフ・ショスタコーヴィチ)の音楽には、どこか「機械」の香りがする点が共通している。
それも当然だろう。19世紀の、それこそ馬車が一番早い乗り物であり、手紙が唯一のコミュニケイションの手段だった時代から、20世紀を迎え、機関車や自動車が世界中を走り回り、電信や電話そしてラジオがコミュニケイションの手段となり、音楽もまたレコード録音やラジオ放送などの形で世界中に伝播する。そういう時代の幕開けに立ち会った作家たちなのだから。
その最初の世代であるストラヴィンスキーの音楽にそれは顕著だ。一見昔のおとぎ話を描いたような「火の鳥」も、どこか機械人形的な(あるいは現代のアニメーション的な)色彩感覚と、ロールプレイング・ゲームのような物語感覚に満ちている。
それは次の「ペトルーシュカ」でさらに進化し、原始の時代の大地を描いたはずの「春の祭典」で極限に達する。なにしろ全編に満ちているのは、巨大な歯車が軋みを上げているような「数学」と「メカニズム」のサウンドなのだから。
それに敏感に気付いた若い世代のプロコフィエフは、自身のピアニズムをまず「強靱なメカニズム」として練り上げる。それは明らかに19世紀的な夢物語としての「ロマン主義」を否定する「反・ロマン主義」だ。
おかげで、デビュー当時は(恐竜の娘がピアノを弾いているようだ…などという評があったほど)その過激さばかりが前面出ていたが、亡命前後の二十代後半に書かれたピアノ協奏曲第3番以降は、そのバランスが高い音楽性を持って昇華するようになる。
豪華絢爛な宝石や衣装を愛でる王侯貴族が人間の夢の頂点だった時代から、自動車や電話やラジオや蓄音機など新しい時代の機械を駆使して現代生活を送る個人こそが中心の時代へ。世界は確実に変貌していた。
もっとも、そこにはある種の「人間性の否定」が匂うことも事実だ。それでも、20世紀の幕開けは「それこそが未来なのだ」という希望がまだあった。プロコフィエフは、20世紀のそんな「人間性」と「非人間性」の狭間に生まれる新しい音楽を目指していたと言っていいだろう。
一方、ソヴィエト連邦という巨大国家の中で、スターリン体制や独ソ戦あるいは戦後の冷戦などを身をもって体験したショスタコーヴィチは、「機械(マシン)」という非人間的な存在に人間性を蹂躙される20世紀の人間の姿を描き始める。
なにしろ20世紀の「マシン」は、人間の生活を便利にしてくれる道具ばかりではない。ロシア革命〜第一次世界大戦〜第二次世界大戦と歩みを進めてゆくうち、マシンは「非人間的」どころか文字通り人間を大量に虐殺する「兵器」(機関銃・戦車・爆撃機)の顔を見せ始めるからだ。
しかも、その非人間性は、まさしく「人間」によって行われるものだと言うことが、絶望を深くする。
20世紀は、最初は善かれと思って生み落としたものが、その後悪魔的な威力を持って人間性を蹂躙してゆく歴史だったと言ってもいいかも知れない。ソヴィエト共産主義、ナチズム、原爆、そして現代音楽。
ショスタコーヴィチの残した15の交響曲は、そんな20世紀が生み出した様々な非人間性を記述した叙事詩に聴こえる。特に、最後の第15番は、全てが通りすぎた後の空虚な回想を思わせる逸品だ。
◆ラフマニノフ(1873-1943)
最後に、現代における「ロシアらしい音楽」で忘れることの出来ない作曲家、ラフマニノフのことについても書いておこう。
彼は、前述の3人よりかなり年上の世代で、ロシア革命当時既に40代。主要な作品(3つのピアノ協奏曲、2つの交響曲など)は書き終えた後で、作曲家としても充分大成している。
当然、ロシア革命を逃れてアメリカに亡命しても、異国で充分に生活できるだけの人気音楽家だったわけで、時代が変わったからと言って新しい音楽に組みすることはせずせず、19世紀の「古き良き時代の音楽」を終生捨てなかった。言わば、愛すべき「時代錯誤」の音楽家である。
そのことについては、ラフマニノフ自身も充分に自覚していたに違いない。それでも、彼は自分の音楽を変える気はなかったし、実際、哀愁に満ちたその音楽は、(甘いと言われようが)一般大衆に熱狂的に愛された。ハリウッド映画でたびたび使われ、今でも「映画音楽みたい」というのはラフマニノフっぽい音楽をさすほどだ。
古い世代にとっては映画「逢引き」(1945年。D.リーン:監督)でのピアノ協奏曲第2番の甘い旋律、少し若い世代にとっては映画「シャイン」(1995年。S.ヒックス:監督)でのピアノ協奏曲第3番の超絶演奏。あるいはTVのトレンディ・ドラマ「妹よ」(1994年。フジTV)で使われ人気を博した交響曲第2番の緩徐楽章の甘い世界。そのほかにも「パガニーニ変奏曲」の中で夢のように盛り上がるメロディ、あるいは「ヴォカリーズ」の世にも美しい旋律など、ポピュラー音楽並みに人々を魅了してきた彼の音楽は枚挙にいとまが無い。
20世紀という時代のメカニズムを音楽に投影したストラヴィンスキー、その軋轢を悲劇的な叙事詩として描いたショスタコーヴィチ。・・・それに対して、ラフマニノフはあくまでも20世紀の現実から目をそらして「ロマン」への憧れに徹したということなのだろう。
それは確かに「時代」とは遊離していたのかも知れないが、彼の音楽は消え去るどころか、いまだに「二十世紀を代表する音楽」として愛され続けている。
そのあたりが、音楽の一筋縄では行かない面白さと言うべきか。
それにしても、ロシアという地は、思えば随分とバラエティに富んだ豊潤な音楽を生み出したものである。
* * *
11月4日(日) 14:00 横浜みなとみらいホール
リムスキー=コルサコフのオペラ作品集:
・歌劇「プスコフの娘」序曲
・オペラ・バレエ「ムラーダ」より “貴族の行進”
・歌劇 「見えざる街キーテジと聖女フェブローニャの物語」組曲
・歌劇 「金鶏」より数曲
ストラヴィンスキー:バレエ音楽 「火の鳥」全曲(1910年版)
11月5日(月) 19:00 サントリーホール
チャイコフスキー:交響曲第1番 「冬の日の幻想」
ラフマニノフ:交響曲第2番
11月14日(水) 19:00 サントリーホール
チャイコフスキー:交響曲第2番 「小ロシア」
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番(p:イェフィム・ブロンフマン)
ショスタコーヴィチ:交響曲第15番
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