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2007/12/10

未完のオペラ補完計画

Opera4 作曲家にとって「交響曲を書く」…というのはかなりの根性と労力を要する力仕事なのだが、おそらく「オペラを書く」と言うのは、それ以上の大仕事に違いない。

 単純に考えても、一晩分の音楽を書かなければならないのだから、時間的には2時間から3時間(下手をすれば4時間以上)。それだけの長さのスコア(総譜)を書くだけでも大変な労力だと想像できるが、さらにそこにはオーケストラだけでなく、複数の「歌手」と「合唱」のパートが加わるのだから大変だ。

 しかも、素材は「音楽」だけではない。原作と台本が必要であり、舞台や衣裳や照明や大道具小道具が必要であり、大劇場と数多くの出演者と大勢のスタッフがからむ。その関係者の総数たるやオーケストラ・コンサートの比ではない。(おそらく数百人に及ぶであろう彼らにいくばくかの報酬が必要であることを考えただけで恐ろしい)。

 オペラと言うのは作曲家一人でどうこうできる代物(音楽作品)ではなく、大勢の人間と莫大な金とを巻き込む「興業」であり「イベント」なのである。

 と、ここまでの想像だけで気が遠くなってしまい、オペラを断念した作曲家も少なくないに違いない(私も今のところ、その一人だし)。そもそも作曲家と言うのはマイペースで協調性がなく、この種の共同作業が苦手なタイプが多いのである。それでも勇気を奮い立たせてオペラ制作に取り掛かったとしても、完成し上演するまでの長い道程の途中でちょっとでも挫折すれば、作品はあっさり「死産」となる。

 純粋に芸術的な理由で「気乗りがしなくなった」ため破棄される場合もあるだろうが、最終的な「興業」に辿り着くまで体力が持たなかったということの方が遥かに多そうだ。あるいは、上演の見込みがなく(経済的な理由で)作曲を断念する場合。そして、悲しいのは、作曲家の死によって未完に終わる場合。

 それゆえ、音楽史には誕生しえなかった「未完のオペラ」があちこちに転がっている。構想はされたが着手されなかったオペラ。スケッチ(ピアノ譜)だけで完成を断念したオペラ。スコアに着手したものの途中で作曲の筆が止まってしまったオペラ。途中まで書き上げたものの死によって永遠に未完となってしまったオペラ。

 そんな「未完のオペラ」に目を向ける前に、そもそも作曲家がオペラを完成させるにはどんな工程を経るのか、ちょっと考えてみよう。

 1.まず台本を確保する。

Bolshoi2 歌の場合は、メロディが先にあってそれに歌詞を付ける…と言うこともあり得るが、オペラではそれは無理。とにかく「台本」がなければどうしようもない。
 劇場が台本作家に台本を書かせ、それを座付きの作曲家に作曲させる…というのが、興業としては一番シンプルで基本的な形だが、作曲家が主導権を握る「正統派オペラ」(?)はそうはいかない。
 まず、原作を見つけ、それを(自分の作曲プランに従って)台本化しなければならない。作曲者に文学的な才能があれば、自分で(あるいは、誰かと相談しながら)台本化するのがもっとも理想的だが、当然ながら(慣れない原稿を書かなければならないため)物凄く時間がかかる。
 それでも、ワーグナーを始め、ロマン派以降の多くの作曲家がこのパターンを取っているのは、台本の構成がそのまま音楽としての構成と密接な繋がりを持ち、言葉を選ぶこと自体が作曲の重要な要素になるからだ。
 とは言え、この段階で数年の年月を必要とすることは、最初から覚悟しておかなければならないだろう。

 2.ピアノ・スコア

 さて、台本が確保できたら、いよいよ作曲にかかる。
 とは言っても、いきなりスコアに音符を書き始める作曲家はまずいない。最初は台本を元に歌のパートを書いてゆくのが自然だ。この場合、伴奏はピアノが順当。オペラ全体をまずはピアノ・スコアとして仕上げるわけだ。
 舞台の構成や演出プラン(場面の数や順番の入れ替えなど)を考えながら、登場人物たちのキャラクター(主人公、ヒロイン、悪役、脇役、群衆や通行人などなど)やアリア、序曲や挿入する舞曲、間奏曲そして終曲などをまとめてゆく。
 音楽が加わることで、台本における説明じみた長いセリフがカットされたり、逆に説明を要するシーンが加わったり、舞台の演出上、重要なシーンが前後を入れ替えられたり、書いている間にいろいろな変更が台本に加わる。(だからこそ、作曲家が台本に加わることが必要になる。他人が書いた台本を一字一句忠実に歌わせるために音楽の方をを妥協するのは、無意味だからだ)

 3.プレゼンテーション

 ところで、オペラの作曲は莫大な手間がかかることは、最初にお話した通り。しかも、作曲している間…おそらく数ヶ月から数年の間は、ほかの仕事ができない。(ほかの仕事をしつつ、片手間にオペラなど書いていたら、何十年かかるか分からないし…)。すると当然ながら、その間は収入が確保できない無収入の状態になる理屈だ。
 そんな代物を、上演のあてもなく(そして完成した暁の収入の予定もなく)無償で書くというのは、ちょっと(いや、かなり)難しい。
 そこで、作曲家の多くは、ピアノスコアを持って劇場やパトロンの所に出向き「こんなオペラを書きましたが、上演して(援助して)くれませんか?」と打診する。自分でピアノを弾きながらアリアを歌い、劇場関係者の前でプレゼンして見せるのは、特に若い作曲家にとって重要な仕事だ。この種の「売り込み」なしに、(膨大な金のかかる)新作オペラをほいほいと上演してくれる場所など、この世にはまず存在しないのだから。

 4.オーケストレイション

 さて、苦労の甲斐あって上演のメドがたったところで、ようやくオーケストレイションに取り掛かる。
 ピアノスコアがしっかり書いてあれば、ここから先はいくぶんルーティン・ワークで仕上げることも不可能ではない。「1日何ページ」とノルマを決め、上演の日程に合わせててきぱきとスコアにしてゆくわけである。(余談だが、ノルマというのはロシア語なのだとか。シベリア抑留帰りの兵隊から日本に伝わったのらしい)。
 とは言っても、オペラのスコアということになると最低でも数百ページ、多い時には千数百ページもになる。いかにルーティン・ワークと言えども数ヶ月、時には数年の歳月を要する。(ここでも、時間、時間である)

 5.リハーサルそして初演

Bolshoi そして、艱難辛苦の末、スコアが仕上がると(劇場での上演が確保されている場合は)、早速オーケストラ用のパート譜が作られ、歌手たちはピアノ・スコアを元にリハーサルを始める。
 ただし、オペラの場合は通常のコンサートなどと違って、すぐ上演…というわけにはいかない。オーケストラのコンサートなら、楽譜を見ながら演奏できるが、オペラでは歌手たちが全てのセリフと歌と演出を記憶しなければならないからだ。
 かくして、歌手たちが全て「暗譜」で歌を覚え、歌いながら演技が出来るようになるまで、綿密な稽古が続けられる。番号付きのアリアが並ぶだけのシンプルな構造のオペラならともかく、ロマン派以降は全編途切れなく音楽が連なるから、覚えるのも大変だ。
 当然ながら、ここでも最低数週間、長ければ数ヶ月の練習期間が必要になる。

 ……まったく、考えただけで大変な作業だ。劇場の座付きで次から次へとベルト・コンベア的に連作する…というのでない限り(全盛期のロッシーニなどは、毎月一作!というテンポで書きまくっていたそうだが)、原作を見つけ〜台本を書き〜ピアノ譜を仕上げ〜最終的なスコアに仕上げる…という工程は、どう少なく見積もっても…やはり数年の歳月を費やさざるを得ない。

 そして、この工程のどこかで躓けば、どんな壮大な構想のオペラでも即おしまいなのだ。(まあ、壮大な構想のオペラほど、挫折することが多いのも事実なのだろうけれど)これでは、あちこちに「未完のオペラ」が転がっているのも無理からぬ話である。

 一方、未完のオペラがあれば、それをどうしても「補完」させて聴いてみたい!と思うのも人情。そんなわけで、音楽史には(お節介な?)「オペラ補完計画」もまた後を絶たない。

           *

Khovanshchina2 ◇ムソルグスキー「ホヴァンシチナ」

 そんなオペラ補完計画をめぐるドタバタ劇で面白い…もとい、興味深いのは、ロシア音楽界最大の天才であり問題児であるムソルグスキーのふたつのオペラ「ボリス・ゴドノフ」と「ホヴァンシチナ」だろう。

 ムソルグスキーが生きた時代…十九世紀半ばのロシアでは、まだ「プロの作曲家」というのは存在せず(最初がたぶんチャイコフスキー)、ムソルグスキーは独学で作曲を学び、職業としては下級官吏としてペテルブルクの役所勤めをしていた「日曜作曲家」。同時代の仲間であるいわゆる「ロシア五人組」(バラキレフ、キュイ、ボロディン、リムスキー・コルサコフ)と、言うなれば同人会のようにして作曲活動をしていたわけだ。

 そのため、モーツァルトやベートーヴェンなどと違って、作品の数は極めて少なくその種類も限定されているのだが、それゆえにこそ(「展覧会の絵」や「禿げ山の一夜」に代表されるような)驚くべき独創的な音楽世界が生まれたのはご存知の通り。
 さらに、数多くの苦難を乗り越えて三十代にしてオペラをひとつ書き上げているのだから凄い。ロシア・オペラの最高傑作と言うべき歌劇「ボリス・ゴドノフ」である。

Boris1 とは言っても、音楽は独学という無名の青年役人が書いたオペラ。上演するのはさぞ大変だったろうと想像する。しかも、このオペラ、彼の美学を反映して徹底的に「群衆」と「男」に偏った世界。おかげで、劇場サイドからは「もっと分かりやすく!」とか「男ばかりでなくヒロインを!」とか「見栄えのする華やかなシーンを!」などと注文を出され、その意見に従って(交響曲におけるブルックナーのように)書き直しを重ねている。

 おかげで異稿が何種類かあるのだが、新しい版がベストと言い切れないのは、改訂の理由を考えれば当然だろう。そのため「オペラとして成功した版」と「ムソルグスキーが本来意図した版」との間には大きな溝が生まれ、(また独学ゆえにオーケストレイションが垢抜けない点も問題となり)死後リムスキー・コルサコフやショスタコーヴィチがオーケストレイションし直したり、構成し直したりと、色々な版で上演されている不思議な作品である。

Mussorgsky1 そして、もうひとつの歌劇「ホヴァンシチナ」は、「ボリス・ゴドノフ」で精妙な歴史劇を成功させた彼が、さらにロシアの群衆と歴史の関わりに切り込んだ全5幕の大作オペラ。しかし、これは構想を大きくしすぎたため実現に時間がかかり、ピアノ・スコアを仕上げている段階でムソルグスキーが1881年に42歳と言う若さで亡くなってしまう。無念としか言いようのない「未完」の顛末である。

 しかし、一応は全容の分かるピアノスコアが残されていたので、彼の死後、リムスキー・コルサコフが補筆して完成したものが、1886年に上演された。オペラ補完計画の成功である。

 ただし、当然ながら「書いていない部分」は想像でつなぎ合わせたもの。特に、オペラの終わり方に関しては、ムソルグスキー自身が楽譜を残していなかったので、終幕で群衆が焔の中で集団焼身自殺をするシーンの後、それをどう収拾付けてオペラの幕を閉じるのか(つまり悲劇的に暗く終わるのか、あるいは希望を匂わせて明るく終わるのか、考えオチのように屈折させて終わるのか)は、論争の種になっている。

 R=コルサコフによる補完版は、ムソルグスキー自身が「終わりはこんな感じ」と話したのを聴いたリムスキー・コルサコフが構成し作曲したものというのだが、「ボリス・ゴドノフ」で主人公ボリスが一人悶死する暗い終幕を描いた「単彩色な悲観主義」のムソルグスキーのセンスと、(シェエラザードや「金鶏」に代表されるような)明るく分かりやすい「色彩的な楽観主義」のR=コルサコフのセンスは、どうも決定的にずれている感がある。

Khovanshchina3 そのため、明るい行進曲で終わるコルサコフ版の最後を挿げ替え、合唱で静かに終わる形にしたストラヴィンスキーによる補筆版(確か、アバドによる演奏がこれ)や、序章の美しい「モスクワ河の夜明け」に回帰して余韻を持って終わるショスタコーヴィチによる新たなオーケストレイション版(1959年ボリショイ劇場による映画版のために制作されたもの)などがある。

 ちなみに、最近DVDにもなったゲルギエフ&マリインスキー劇場盤は、ショスタコーヴィチ版を元にしているものの、冒頭の「モスクワ河の夜明け」への回帰はしない(これは確かに、いかにも映画的な発想かも知れない)…という折衷的な終わり方を採用しているようだ。

 オペラの補完にも色々あるのである。

          *

Igor2 ◇ボロディン「イーゴリ公」

 そして、ムソルグスキーと同じくロシア五人組の一人であり、彼より6歳ほど先輩の作曲家ボロディンの「イーゴリ公」(このオペラの名は知らなくても、第2幕に登場するあの「ダッタン人の踊り」のメロディは誰でも知っているに違いない)も、実は作曲者が完成を待たずして亡くなった「未完のオペラ」だ。

 彼ボロディンもまた、ムソルグスキーやロシア五人組の仲間と同様プロの作曲家ではなく、職業は「化学者」。その道ではちょっと知られた人物であり(化学反応のひとつに、ボロディン反応と名付けられたものがあるのだそうだ)、当時は軍医の職に就いていたらしい。
 子供のころから音楽をたしなんではいたものの、作曲を正式に学んだことはなく、ちゃんと勉強し始めたのは30代半ば、バラキレフに会ってからと言う。

Borodin1 やがて、五人組の仲間と一緒にオーケストラ曲などを書き始めるのだが、作曲はあくまでも軍医という仕事の休みを利用して…という「日曜作曲家」に徹していたので、作品の数は多くはない。それでも、交響詩「中央アジアの草原にて」や「ノクターン」で有名な弦楽四重奏曲(第2番)、2つの交響曲(3つ目は未完)など、今でも演奏される名曲をいくつも残しているのだから、たいしたものである。

 ただ、さすがにオペラのような大作となると、仕事の合間に書くのは無理だったようで、「イーゴリ公」は30代半ばで構想を始めたものの、仕事の合間にちょっと書いてはちょっと書き直し…ということを続けた揚げ句、そのまま20年近くスコアを抱えることになってしまう。

 もちろん、マイペースで生涯にひとつのオペラを書くことも悪くない選択ではある。しかし、ボロディンは1887年に53歳で急死してしまい、書きかけのスコアだけが残された。「未完のオペラ」の王道パターンである。

 しかし、ここでまた救いの神リムスキー・コルサコフが登場する。全4幕のこのオペラは、彼と弟子のグラズノフによって補作完成され、作曲者の死後3年めの1890年11月にマリインスキー劇場にて無事初演されるのである。

 ちなみにリムスキー・コルサコフも作曲は独学で、職業は海軍の軍人。(ただし、のちにペテルブルク音楽院が開校すると教授になり、「管弦楽法」の大著も残している)。

 この時に上演されたのは(後に出版された楽譜の注釈によると)「リムスキー=コルサコフが序幕と第1・2・4幕、第3幕の「だったん人の行進」の編曲されていなかった所を編曲し、グラズノフはボロディンが残した断片を使って第3幕を構成し作曲し、ボロディンが何度かピアノで弾いた序曲を思い出しながら再構成と作曲をした」もの(と言う)。

 つまり全体のオーケストレイションおよび第3幕はほぼR=コルサコフの作、序曲およびかなりの部分がグラズノフの作…ということになる。そのため(当然ながら)、ムソルグスキーのケースと同じように、その後「ボロディンが本来意図した形」を復元する研究が進み、最近、終幕のエピローグを含め全体の構成にまで手を入れた新しい版が制作されている。

 このあたり、補完計画の難しさ(単に演奏できるようにつなぎ合わせればいい…というわけではないこと)が忍ばれるが、この新版はゲルギエフが上演し、1993年にCD化されている。

          *

Turandot1 ◇プッチーニ「トゥーランドット」

 ゲルギエフといえば、プッチーニの最後のオペラ「トゥーランドット」も、彼による新しい版の上演がしばらく前に話題になった。この作品、冬季オリンピックで金メダルを取った荒川静香のスケート演技で「誰も寝てはならぬ」のメロディが使われたため、すっかり有名になってしまったが、これも作曲者の死によって書き上げられなかった「未完のオペラ」である。

 ただし、この作品は1924年11月にプッチーニが死去した時点で、全3幕のうち終幕の後半までほとんど完成されていた。つまり、残るは最後のシーンの数十ページのみ、ということだったので、ザンドナーイやアルファーノという次世代のオペラ作曲家が起用されて補筆完成が作られ、作曲家の死後わずか1年めににぎにぎしく披露された。

 しかし、これは結構もめたようで、初演初日で指揮のトスカニーニはプッチーニが書き残した最後の音符のところで音楽を止め、「ここで巨匠は亡くなりました」と舞台で挨拶したというのは有名な話。

 結局、現在では、この時の「アルファーノが補作したものをトスカニーニが編集したもの」…が一般に決定版として上演されている。この版は、冷たく氷のようだったトゥーランドット姫が愛に目覚め、「この人の名は・・・愛!」と叫び、最後は愛の勝利を歌い上げる壮大華麗なフィナーレで幕になる。もっとも、これは第1幕終わりとほぼ同じ音楽を転用していて、ちょっと気になるのも確かだ。

Turandot4 それに対して、最近ルチアノ・ベリオ(現代作曲家)が試みたのは、静かにピアニシモで幕になるバージョン。これはプッチーニの残したピアノ譜から起こしたものだそうだが、当然ながら(少し)現代音楽的な響きがするので、好みは分かれそうだ。(ちなみに、ゲルギエフによる「トゥーランドット」新版はこれ。DVDでも出ているので興味のある方はどうぞ)

 余談だが、終幕でカラフの名を知ったトゥーランドット姫が、殊勝にも愛に目覚めて「この人の・・・名は、愛!」…と歌う能天気なハッピーエンドは、個人的にどうにもしっくり来ない。
 どう考えても、このお姫さまの性格なら、最後は「この人の・・・首を切っておしまい!」と叫んでケラケラ笑うシュールでダークな終幕の方が自然だ。そして、姫が「愛」に目覚めたと見えたのは、実はカラフが首を切られる瞬間に見た幻影・・・という衝撃?のラストはどうだろうか?(笑)

          *

Lulu1 ◇ベルク「ルル」

 最後にもうひとつ、未完のオペラの補完計画…で忘れられないのが、ベルクの「ルル」だ。

 新ウィーン楽派(シェーンベルク、ベルク、ウェーベルン)の一人であり、泣く子も黙る「現代音楽」の始祖であるベルクは、現代オペラ最大の傑作「ヴォツェック」を仕上げた後、もうひとつのオペラ「ルル」を構想する。
 共に人名がタイトルで、ヴォツェックが男、ルルは女。しかも、この二人とも、殺人者であるというのが面白い。見事な「ペア」オペラである。

 音楽は当然ながら全編がほぼ十二音(つまり無調)で書かれているのだが、不倫や売春からレズビアンまで登場する「殺人劇」という退廃的で不条理な世界は、まさに無調のトーンこそがうってつけ。現代音楽の「不安な」響きを逆手にとった的確な(これ以上はないと言いたくなるような)題材だ。

 しかし、このオペラもまた(残念なことに)、1936年の初演に向かって作曲の筆を進めていたベルクが、なんとその前年(1935年12月)に50歳の若さで急死し、未完で終わってしまう。

 それでも、全3幕のうち第2幕まではほぼ(オーケストレイションもすべて)完成されていて、「オペラよりの断章」という形で終幕の一部も書き残されていたのは不幸中の幸いと言うべきか。そのため、2幕版での上演やレコード化(LP時代にベームによる名盤があった)も行われていて、私も長いことこの版で聴き親しんでいた。

Lulu2 主人公はチャーミングな悪女ルル。彼女の愛人になった人間は次から次へと死(心臓麻痺や自殺や殺人)に見舞われ、最後には彼女自身も殺人を犯して刑務所にはいる…という凄まじい顛末の後、レズビアン相手の伯爵令嬢の手引きで脱獄する…というのが2幕までの物語。

 ここまででも充分に退廃的…というかTVの2時間サスペンスドラマみたいな展開なのだが、3幕でルルは逃亡先で落ちぶれて売春婦になり、最後は切り裂きジャックに殺されてしまう。おかげで、まだ2幕版しかなかった頃は、想像力をたくましくして「幻の第3幕」を夢見たものである(笑)。

 ところが、1970年代になってフリードリヒ・ツェルハ(現代作曲家)による第3幕の補作版が完成し、1979年に晴れて全3幕が初演された(ブーレーズ指揮、シェロー演出)のは記憶に新しい。(とは言っても、もう30年近く昔の話だが・・・)

 この作品の場合は、全3幕の草稿が一応ざっと残っていて、ベルクの死の直後には未亡人が「1年後の初演予定日までに誰か(シェーンベルクやツェムリンスキーが候補だったそうだ)が補作完成してくれないか」と画策したそうである。しかし、それは叶わず、作曲者の死後44年たってようやく「補完計画」が完了したことになる。

 このツェルハによる補完版も、本来なら多少異論が出ても不思議ではないのだが、現代作曲界のドン「ブーレーズ」とオペラ演出界の鬼才「シェロー」が世に送り出したせいか、今のところ不協和音は聴こえない。もっとも、音楽は不協和音だらけなのですけどね・・・

          *

 ◇蛇足

 ちなみに、ベルクの師シェーンベルクの「モーゼとアロン」も、最後まで書き上げられなかった未完のオペラ。全3幕のうち最後の3幕が未完のままで、台本の朗読だけで上演される形が定着している。だれか補完しないのだろうか?

 また、シベリウスにも「塔の乙女」、ドビュッシーにも「ロドリーグとシメーヌ」および「アッシャー家の崩壊」という未完のオペラがあり、補作完成したと言う噂を時々聞く。(実は、私も某未完のオペラの補完を打診されたことがある。もちろんお断りしたのだけれど)

 日本では、数年前に武満徹の「書かなかったオペラ」を「想像上演」した舞台が話題になった。想像上演でいいのなら伊福部昭のオペラ「ゴジラ」などと言うのも、ぜひ見てみたいものである。

          *

Khovanshchina

マリインスキー・オペラ日本公演

2008年1月26・27日 東京文化会館
・ムソルグスキー「ホヴァンシチナ」

2008年1月28・29日 東京文化会館
・プロコフィエフ「3つのオレンジの恋」

2008年1月31日/2月2日 東京文化会館
・ロッシーニ「ランスへの旅」

2008年2月1日/2日/3日 NHKホール
・ボロディン「イーゴリ公」

ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー・オペラ

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