ピアノの300年史
ピアノは音楽界最強の「楽器」の一つである。
と同時に、作曲家にとっては唯一無二の「仕事道具」でもある。
しかし、このピアノ、良く考えてみると「楽器」というより…どこからどうみても完全に「マシン(機械)」のような気がする。
20世紀末にピアノに代わってコンピュータが作曲の道具として使われ始めた時、「コンピュータのような〈機械〉に音楽なんか出来るわけがない」などという非難がましい意見をよく聞かされたけれど、それを言うならピアノの方がはるかに〈機械〉っぽい。
なにしろピアノときたら、基本的に「キイを押せば誰にでも音が出るように作られた機械仕掛けの音楽発生マシン」でしかなく、(だから、ネコが弾いても音が出る…などと言われたりするのだが)そのほかに使い道はない。
そもそもその重さが尋常ではない。なにしろ普及型のアップライトでも200kg以上、グランド・ピアノになると400kg前後。普通の大人の男性5〜6人分、相撲取りでも3人分という重さなのである。
これではヨーロッパのレンガ造りの家ならともかく、日本の木造家屋には向かない。畳の上などに置こうものなら底が抜けそうになるし、二階などに上げようものなら家が傾きかねないではないか。
(というわけで実は私も、グランドピアノというものを所有したことがない。作曲を始めた20代からずっと〈電気ピアノ〉派である。生身のピアノは狭いマンションの部屋に置くには巨大すぎ重すぎるということもあるが、もうひとつ、音が大きすぎて夜中に仕事出来ないという致命的な理由もあるからだ。)
なぜピアノがそんなに重いか?と言うと、それはその構造のせいだ。ピアノには全部で88鍵(白鍵52、黒鍵36)の鍵盤があり、そのそれぞれに、中高音で1鍵につき3本ずつ、低音では2本ないし1本の鋼鉄線が組み込まれている。つまり合計すると弦の数は約230本。その張力をすべて足すと20トン!になるというから驚く。
当然、それを支えるために頑丈な〈枠〉が必要となり、その20トンを支えるための巨大な金属のフレームがピアノの内部には組み込まれている。重いわけなのである。
しかもフレームは安全上その1.5倍(35トン)に耐えるよう設計されているわけで、20トンといったら、ゾウおよそ20匹、ダンプカーなら5台、ちょっとした船の1艘の重さである。そんな代物が一般家庭の部屋に置かれていること自体、考えてみれば驚きなのである。
なんでこのような巨大で異様な音楽演奏マシンが、人類の音楽の中枢に君臨するようになったのか。そして作曲家や音楽家のみならず、ヨーロッパから日本に至るごく普通の一般庶民の家庭にまで普及するようになったのか。
また、これほど機械然とした楽器にも関わらず、「繊細」で「人間らしい」音楽を奏でる秘密はどこにあるのか。
そのあたりを探るべく、ちょっとピアノの歴史を紐解いてみよう。
*
■ピアノの歴史
ピアノの先祖は、11世紀に中近東からヨーロッパに伝わったダルシマーという楽器とされている。
木の共鳴箱に金属の弦が何本か張られている…というのはハープなど竪琴類と同じだが、それを指ではじく代わりに両手に持った小さなハンマーで叩いて音を出すのが、ハンマー型ダルシマー。これがピアノの起源と言われている。
ちなみに、この同族楽器としては、映画「第三の男」で有名になった〈チター〉や、東欧ハンガリーの〈ツィンバロン〉、中国の〈揚琴〉などがある。
また、リュート型の形をしたダルシマー(アパラチア風ダルシマー)という楽器も民族楽器として知られている。
2本のバチで数十本(大型の楽器では百本以上)の弦を素早く叩き、鮮やかな音楽(いわゆるジプシー音楽)を奏でるこの楽器にヨーロッパの人々は魅了された。
しかし、残念ながらこれを演奏するにはかなりの熟練のテクニックが必要。なんとか素人でも弾けるような「鍵盤を押すと弦を叩くメカニズム」付きのダルシマーが出来ないか…試行錯誤が始まったわけである。
そして、14世紀頃になると、鍵盤を押すと金属片(タンジェント)が弦を叩くような仕掛けが考案され、小型の鍵盤楽器が誕生する。これがクラヴィコード(Clavichord)である。
早い話が、ダルシマーを箱に入れて、鍵盤で弾くようにした室内用楽器。当然ながら、繊細な響ではあるものの、せいぜい弾いている当人に聞えるくらいの大きさの音しか出ない。(そのあたりは、ギターの弦を例えば指で叩いて鳴らすことを想像してもらうと分かりやすいかも知れない)。
しかし、両手を駆使して一人でメロディと伴奏とを同時に弾けることから、ルネサンス期に貴族や上流階級の家庭におけるプライベートな室内楽器として普及した。これがピアノの原型と言うことになる。
*
続いて、16世紀頃になると、鍵盤を押すとギターのピックにあたるプレクトラムが弦を「ひっかく」ことで音を出す仕掛けが考案され、新しい楽器が誕生する。チェンバロ(ハープシコード)である。
これは(要するにギターをピックでかき鳴らす奏法に近いので)クラヴィコートと比べるとかなり華やかで大きな音が出る。また残響が豊かな点も特徴だ。
キイを押すとジャックと呼ばれる部品が跳ね上がりプレクトラムが弦をひっかくというアクションの構造上、キイを早く押しても強く押しても音に変化はなく、音の強弱を作ることは出来ない。
しかし、音色や音域の異なる2段の鍵盤を並列させることで、(例えば、上段だけならピアノ、下段だけならメゾフォルテ、上下段を同時に鳴らすとフォルテ…というように)ニュアンスの変化を出すことが可能となった。
そのため、楽器として高度に完成されたものとなり、バロック期には通奏低音の楽器として大活躍し、バッハの「平均律クラヴィア曲集」をひとつのピークとして、ラモー、クープラン、スカルラッティなどによって多くの名曲が生まれているのはご存知の通り。
これによって、キイボード楽器はひとつの頂点を極めたと言っていいだろう。
*
◇ピアノの登場
ところが1709年、音の強弱が表現出来ないという致命的な欠点を補うべく、チェンバロの胴体に木のハンマーで弦を叩くアクションを組み込んだ新しい楽器が考案される。
イタリアのチェンバロ製作者:バルトロメオ・クリストフォリ(Bartolomeo Cristofori)が発表した「クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ」(小さな音も大きな音も出せるクラヴィコード風チェンバロ)、略してフォルテ・ピアノ、さらに略してピアノである。
これが、今日のピアノに相当する最初の楽器とされている。
クラヴィコードと同じく弦をハンマーで叩く楽器ではあるのだが、最大の改良ポイントがひとつ。それは、ハンマーで弦を叩いた後、すぐ弦から離れる(エスケープメント)機構である。
ハンマーで弦を叩いても、そのままハンマーが弦に振れていたのでは音はミュートされてしまい響かない。叩いてすぐに跳ね返す(リバウンド)仕掛けを持たせることによって、自然な打鍵音が生み出されるわけである。
これは画期的な発明ではあったものの、まだまだこの時代のピアノは不安定な新しい「新参者」というべき楽器であり、音域もせいぜい4オクターヴ49鍵ほど。
晩年のバッハもこのピアノに接する機会はあったが、完成の域に達したハープシコードに比べると聴き劣りし、ほとんど興味を示さなかったと言う。
しかし、その後ピアノは確実に進化してゆく。
ハンマーで弦を叩くことによって「音の強弱が出せる」ようになったのがピアノという楽器の最大の進化だが、それに次ぐ画期的な進化は、弦の残響を止めるダンパー機能が付いたことだろう。
今までのキイボード楽器はチェンバロにしろオルガンにしろ、音を弾いたら響きっぱなしだった。しかし、これによって響きを止めることが出来るようになったのである。
これがなぜ音楽的に画期的かというと、音を自在に伸ばしたり止めたりが出来るということは、メロディを表現出来ることを意味するからだ。
つまり、ピアノはここに来て初めて「歌える」ようになったのである。
かくして、バッハの息子エマニュエル・バッハやハイドン、モーツァルトの時代にピアノは音楽界の最前線で活躍し始める。最初は、「チェンバロ曲…(ピアノでも弾ける)」と題されていた新作の楽譜が、徐々に「ピアノ曲…(チェンバロでも弾ける)」というように変わってきたのもこの時代。
音楽界は、チェンバロの時代からピアノの時代へ大きく変化を始めたわけである。
そんな時代の寵児はモーツァルト。彼は「チェンバロではなくピアノ」を最大限に生かした作曲をしたという点で、まさに〈ピアノ音楽の祖〉と呼ぶにふさわしい。
とは言っても、当時のピアノ(フォルテピアノ)は音域もせいぜい5オクターヴ61鍵ほど。足で踏むペダルは付いておらず、ダンパーは鍵盤の下部にあるバーを膝で押して操作するという点も含め、現代の楽器とはかなり違った響きのする代物ではあるので、念のため。
*
◇ピアノの進化
そして、さらなる本格的なピアノの進化が、ベートーヴェンの時代に起こる。
チェンバロからピアノへの移行期に立っていたモーツァルトに対して、ベートーヴェンは完全にピアノの時代の寵児。狭い音域での軽やかな「歌」を表出したモーツァルトのピアノ音楽に対して、ベートーヴェンはより広い音域に進化して行くピアノから、そのダイナミックなコントラストを生かした「ドラマ」を生み出すことに成功した。
それは、ベートーヴェンの音楽的創造力以上に、ピアノという楽器の進化に負うところが大きい。
なにしろ、彼が活躍し始めた19世紀の前半は、ドイツ・オーストリーやフランスやイギリスの楽器職人(メーカー)たちがこぞって新型ピアノを続々と発表し、音域やペダルやアクションや音色などが改良に改良を重ねられた「進化の時代」でもあったからだ。
1794年(24歳)の第1番から1822年(52歳)の第32番まで、生涯にわたって書き続けられた彼のピアノ・ソナタは、まさにピアノの黎明期の進化の歴史をたどる旅と言える。
例えば、1803年(33歳)頃から使用されたというフランス製エラールのピアノ。
68鍵(1F〜c4)と音域が広くなり、低音のダイナミックな響きと豊かな高音域のコントラストを備えたこの楽器は、「悲愴」「月光」「ワルトシュタイン」「熱情」といったドラマティックな名作を生み落とす土壌となった。
さらに、1817年(47歳)頃からはイギリス製ブロードウッドのピアノ。これは低音域がさらに増えて73鍵(1C〜c4)となり、音楽に深みがますようになる。第29番「ハンマークラヴィーア・ソナタ」以降、30番、31番、32番という後期のソナタはこの楽器あってのものと言っていい。
*
そして、ベートーヴェン以後、ピアノはさらなる進化を遂げる。
1811年頃までには、今まで膝でダンパーを操作していたものが、足でペダルを操作する方式が主流になり…
1821年頃にはダブル・エスケープメント・アクションが開発され、弦を叩いたと同時にハンマーが跳ね返る機構が高度化し、キイの連打が可能になる。
この頃さらに、弦もそれまでの〈細い真鍮線〉から〈ピアノ線(ミュージックワイヤー)〉となり、低音は〈銅の巻き線〉が使われるようになり…
1826年頃にはフェルトのハンマーが開発される。
1830年頃には鋼鉄製の弦が登場。
それにより張力が増大したため、フレームは鋳物による頑丈な鉄骨になる。
と、このような進化の結果「鋼鉄製のフレームを持ち数十トンの張力で張った7オクターヴ以上の音域を持つ重量数百キロの楽器」となったピアノは、もはや職人が手作業でコツコツ作るのは不可能な代物となる。
ということは、ここで「一般庶民には手の届かないプロ仕様の特殊楽器」になってもおかしくなかったわけである。
ところが、18世紀後半にイギリスで起こった産業革命は、この巨大な楽器マシンを工場で大量生産する楽器メーカーの存在を可能にした。
それによりピアノは、安価とはいえないものの安定した供給に支えられ、世界中に…それこそヨーロッパの果てから遠くアメリカ西部にまで…普及することになったわけである。
*
そんな時代のピアノの新しい機構をフル稼働させたのが、ご存知ショパン(1810〜1849)とリスト(1811〜1886)。
ほぼ現代のピアノと同じ姿形に進化した製品が普及し始めた1830年代以降、この楽器から最大限の音楽を引き出すべく編み出されたこの名手二人によるピアノ奏法は、その後20世紀におけるジャズやロックの奏法にまで通じる近代ピアニズムの基礎を作った。
例えば・・・
・ペダルを活用したデリケートなハーモニー構造
・アクションをフル活用した流れるようなパッセージ
・素早い連打によるトレモロ奏法
・強弱自在な打弦によるリズムの表現
・均質な調弦による自由な転調 などなど
どれをとっても、ピアノという高度なマシンの機能を全開にさせるための奏法であり、ほかのどんな楽器でも(オーケストラでさえも)模倣は不可能。
かくして、現在のわれわれが知るピアノは、ほぼその全貌を現わしたわけである。
*
◇ピアノの傾向
というわけで、その後のピアノ曲の歴史を思い付くままザッと俯瞰してみよう。
まず起点はここ。
・ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ(全32曲)」(〜1822)
そして・・・
☆近代ピアニズムの完成を目指して…
・ショパン「ピアノ協奏曲第1番ホ短調」(1830)
ほかエチュード、ポロネーズ、ワルツ、ノクターンなど多数
・シューマン「ピアノ協奏曲イ短調」(1845)
ほか「交響的練習曲」「子供の情景」など多数
・リスト「ピアノ協奏曲第1番」(1849)
ほか「超絶技巧練習曲」「ラ・カンパネルラ」など多数
・ブラームス「ハンガリー舞曲集」(1852/69)
ほか「ピアノ協奏曲第1番・第2番」など多数
…ベートーヴェンの死後、1830年代から60年代は、新しいピアノの奏法を模索するエチュード(練習曲)と、それを作品に昇華させた名作を数多く輩出した時代。ピアノのメカニズムをフルに引き出す超絶技巧のパッセージの原形は、この時代にほぼ出揃うことになる。
☆より想像力豊かに…
・グリーグ「ピアノ協奏曲イ短調」(1868)
・ムソルグスキー「展覧会の絵」(1874)
・チャイコフスキー「ピアノ協奏曲第1番変ロ長調」(1874)
…1870年代には、ショパンやリストが確立した近代ピアニズムの成果が、ロシアや北欧・東欧などにまで及ぶ。田舎や辺境諸国の隅々にもピアノが普及し、各国の作曲家が民族性を生かして自由に想像のファンタジーを広げ作曲し始める。また、大オーケストラと丁々発止とやり合う技巧派のコンチェルトが登場するのもこの頃。
☆より繊細かつ色彩豊かに…
・フォーレ「夜想曲」(1875/1921)ほか
・サティ「ジムノペディ」(1888)ほか
・ドビュッシー「ベルガマスク組曲」(1890)ほか
・ラヴェル「水の戯れ」(1901)ほか
・ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番ハ短調」(1902)ほか
…一方、19世紀末から20世紀への切り替わりの時期には、近代フランスの作曲家たちを中心に、ピアノの「繊細さ」の部分にスポットが当たり始める。超絶技巧と巨大音量を見せびらかすのではなく、透明感のあるピアノの響きや豊かなハーモニー感に作曲家たちが魅せられてゆくのである。
☆よりダイナミックに…
・バルトーク「アレグロ・バルバロ」(1911)
・ストラヴィンスキー「ペトルーシュカ」(1911)
・プロコフィエフ「トッカータ」(1911)
…そして20世紀初頭には、印象派の奏法とは対照的な…ピアノを「パーカッション(打楽器)」として捉える一派が登場する。確かにピアノは「弦を叩く」のだから打楽器と言えばいえるわけで、機関車とか工場機械などと同じ「鋼鉄で出来たメカニズム」としてのピアノのダイナミズムを追求させた音楽が続々生まれている。
☆より自由に…
・シェーンベルク「5つのピアノ曲」(1920)
・ガーシュウィン「ラプソディ・イン・ブルー」(1924)
…さらに1920年代になると「現代音楽」が登場し、ピアノは無調の世界に新たなサウンドを見出してゆく。
その一方、録音技術(レコード)などの登場で、ピアノはクラシック音楽界のみならず、新しい音楽としての大衆音楽…ジャズやポップスの中にさらなる可能性を見出し、その自由な翼を広げてゆくわけである・・・
*
◇ピアノの現在
というわけで、その後20世紀以降のピアニズムを「クラシックの現代音楽界」をベースに論じても、もはやほとんど意味を成さないようになってしまう。
ピアニズムの潮流は、過去の作品しか弾かないクラシック・ピアニストたちの手から離れ、新しい音楽表現を模索するジャズ・ピアニストたちに移ったからだ。
その起点となったのは、大量生産されてアメリカ西部の酒場にまで流れ流れたピアノ(主にアップライト型だが)が生み出した、ホンキートンクやブギウギなどの奏法などだろうか。
決して良質とは言えない…しかも調律も不完全な楽器で…そのうえ音楽の素養の低い酒場の酔客を相手にしたピアニストたちは、「芸術」などと言い張って退屈な曲を弾こうものなら拳銃で撃たれる…という危険の中で(笑)単純かつ強靱な音楽性とエンターテイメント性だけを武器に生き残ってゆく。
それはやがて、ジャズの大きな潮流の中で、モダン・ジャズのピアノとして完成される。
そのアート・テイタムからセロニアス・モンク、そしてビル・エヴァンスからキース・ジャレットに至るジャズ・ピアニズムについては・・・
・・・あまりに広大かつ豊饒な世界すぎて語り出すときりがないのでやめておこう。
*
さらに20世紀後半(1970年代)には、シンセサイザーという新時代のキイボード楽器が生まれ、1980年代にはコンピュータでその演奏を制御することが出来るMIDI規格が普及する。
かくして、ピアノは新しい「次の時代」を迎え、
このピアノの末裔は次なる時代の音楽〈ロック・ミュージック〉の中で新たなサウンドを紡ぎ始める。
思えば、ピアノの誕生によってハープシコードが音楽史の表舞台から消えて行ったように、ピアノもまたシンセサイザーやコンピュータの登場によって「表舞台からは」消えてゆく運命のような気もしないでもない。
しかし、人間が両手を駆使して音楽を奏でるピアノという楽器は、
新しい時代に応じて姿を変え、
クラシックからジャズやロックへ…そしてさらなる未来の音楽へと連なり
人間がある限り夢を紡ぎ続けることだろう。
そして、来たる2009年に、
ピアノは誕生から300年めを迎える。
* * *
◇そんなピアノの歴史が俯瞰出来る(かも知れない)コンサートはこちら
■レイフ・アンスネス ピアノ・リサイタル
・グリーグ:ノルウェー民謡による変奏曲形式のバラード ト短調
・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調
・ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
◇2007年2月8日(木)19:00 東京オペラシティコンサートホール