

イギリス・マンチェスターの市街にあるBBC放送局。入口を入って迷路のような通路を抜け、一番奥の大きなスタジオ7に行くと、いつもBBCフィルの面々が指揮の藤岡幸夫氏と共に私の新しい曲のスコアを待っている。
そこでの8年間は、とにかく不思議な体験だった。
作曲家、特にオーケストラとか交響曲とかの類いを書く作曲家は、いつだって「もしかしたら(自分の曲を)生きているうちには聴けないかも知れない」という恐怖と戦いながら作曲を続けている。
なにしろオーケストラという(時には100人近い)大所帯を結集させて鳴らすのだから、至高の音楽表現がそこにある反面、尋常でない手間と経済的負担が必要になる。モーツァルト、ベートーヴェンの時代から現代まで、オーケストラ(最終的にはオペラ)作品を鳴らせるようになる、というのが作曲家として最大の(そして、時には見果てぬ)夢だったと言っていい。
私も、二十代から三十代にかけては、そのジレンマに七転八倒していた。オーケストラのために純音楽を書く…ということ自体、強靭な精神力と膨大な時間がかかる行為なのだが、そのうえそれを演奏してもらうためには(どこかでパトロンでも見つけない限り)作曲家本人に尋常でない経済的負担がのしかかる。
もちろん作曲家として認められるようになると「委嘱」という形で作曲の依頼(仕事)が来ることもある。それは非常に光栄なことなのだが、それも「ベートーヴェンやチャイコフスキーばかりではなく、新しい作品《も》…」という発想が基本。誰もメイン・ディッシュを望んでいる訳ではない。だから、せいぜい15分くらいの、クラシックのコンサートで言うと序曲(前座)のサイズの注文がほとんどだ。
そもそも作曲を志したのは、全身全霊をかけて「〈交響曲〉を書きたい!」と思ったからだったのだが、そんなものを望んでいる場はどこにもない…とすぐに思い知ることになる。おかげで、かろうじて作曲家にはなったものの、「日本で〈交響曲〉を書く…などということは不可能なのではないか」と20年近く失望と絶望の間をさまようことになった。
それが、作曲家としてデビューしてからちょうど20年めを迎えようというある日、CHANDOSというイギリスのCD会社から不思議な申し入れが来た。
いわく「あなたのオーケストラ曲は全部イギリスでCD録音する」。しかも「新作を書いたら、それもすべて2年以内にCD録音する」。
ポップスの世界なら、アーティストがレコード会社と契約して年に1枚というようなペースでアルバムを作るのは当たり前の話だが、クラシックの作曲、それも現代音楽のオーケストラでそれをやろうと言う。そんな話は、聞いたことがない。
もしかしたら悪魔のささやきかも知れない。でも、交響曲を書かせてくれるというのなら、魂でも何でもくれてやる。そう思った。
*

もっとも、そこに至るまでには、ちょっと長い話がある。
その前年(1994年)、当時はまだ一面識もなかった若い指揮者、藤岡幸夫氏からいきなり「ヨシマツさんの作品集を録音します」という連絡が来た。
彼は、日本フィルの育ての親とも言える大指揮者・故渡邊暁雄氏に指揮を学び、マンチェスターにある王立音楽院で指揮を学んだ俊英。日本フィルの指揮研究員を勤め、実は私とは慶応義塾大学&高校の先輩後輩の間柄でもあったのだが、それを知るのは後の話。
その音楽院卒業後の94年に、音楽院と同じマンチェスターに本拠地のあるBBCフィルの副指揮者に就任し、音楽祭「プロムス」を振ってデビューを果たす。
その演奏が好評で、指揮ぶりを気に入ったCD会社から「好きな曲でアルバムを作っていい」と申し入れがあった。凄いチャンスだ。しかし、その時、どういうわけか「それじゃあヨシマツ作品で」と返事をしたらしい。
彼は、師の渡邊暁雄氏から「われわれ指揮者は過去の作曲家たちのすばらしい作品を演奏することで生きている。だから、その恩返しのために現代の作曲家の新しい作品が生まれる手助けをしなければならない」と常々言われていたとのこと。
そこで、日本に戻るたびにCDなどで現代作品を聴き漁っていたらしいのだが、いわゆる無調の前衛音楽ばかりでピンとくるものが無い。そんな中で唯一引っかかったのが、私のデビュー作「朱鷺によせる哀歌」と(たぶん同じアルバムに入っていた)「交響曲第2番〈地球にて〉」だったと言う。
そこで、件の発言になったそうなのだが、一面識もない作曲家の作品を一曲聴いただけで自分のデビュー・アルバムの曲目にチョイスし、しかも「作品集」にすると思い立つというのは相当な根性と言うしかない。
当時の私は、まだカメラータ・トウキョウから数枚の国内盤CDが出ているだけのマイナー作曲家だったから、当然ながら、イギリスのCD会社は「ヨシマツ?誰だそれは?」と首を傾げたに違いない。それを「グレートな作曲家だ」と押し切ってしまったというのも、かなりのものだ。
もっとも、そう説明されただけでそれにOKを出したCD会社の方も相当なものだけれど…。

そして、先の「イギリスで交響曲録音します」という連絡になったわけなのだが、そうは言われても、なにしろ一面識もないどころか名前も聞いたことのない若い指揮者。私としては、(失礼ながら)大学のオケかなにかでカセットにでも録音する…くらいにしか思えず、「ああ、そう。録音したらテープ聞かせてね」という生返事しかしなかったような記憶がある。
ところが、CDは大手のCHANDOS(吹奏楽やクラシック全般を専門にする輸入盤レーベル)から出ると言うし、オーケストラは当時、藤岡氏が副指揮者を勤めていた天下のBBCフィルだと言う。
さらに、藤岡氏が指揮研究員として勤めていた日本フィルからも「彼は若手の有望な指揮者ですから」とお墨付きがあり、話はかなり現実味を帯びて来た。
やがて録音日程も決まり、「もちろん録音の立ち会いにイギリスへはいらっしゃいますよね?」という話になった。…のだが、実を言うと当時の私は大の飛行機嫌い。(今でもそうなのだが)よほどのことがない限り飛行機には(特に十時間以上も空飛ぶ密閉された筒に閉じ込められる国際便には)乗らないと決めていた。
しかし、今回はその「よほどのこと」。なにしろイギリスで自分のオーケストラ作品集を録音できると言うのだから。
かくして、意を決して(身辺整理をすませてから(笑)「15年ぶり」に飛行機に乗り込み、成田を飛び立ってマンチェスターに向かった。1995年7月のことである。
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マンチェスターは、18世紀の産業革命の中心地として知られるイギリス中西部の工業都市。ロンドンから北へ列車で2時間くらい(飛行機で1時間弱)なので、日本で言うと東京〜名古屋くらいの感じだろうか。
年配の人なら往年のヒット曲「マンチェスターとリバプール」を思い出すだろうし、若い人なら真っ先にサッカーのマンチェスター・ユナイテッドを思い浮かべるに違いない。
ビートルズの故郷リバプールがすぐ隣町だし、ロック・ミュージシャン(最近のビッグ・ネームとしてはオアシスあたり)も結構輩出している。シベリウスを得意とするバルビローリのハレ管弦楽団もこの町のオーケストラであり、実際20世紀初頭にはシベリウスもこの町を何度か訪れているのだそうだ。
長らくロンドンに次ぐイギリス第2の都市として君臨していて、現在では「大工業都市」という面影はないものの、バーミンガムと並んでイギリスの中心都市の座は揺るいでいない。
そして、そこに局を構えるBBCは、日本で言うNHKにあたるイギリスの国営放送局。ロンドン、マンチェスター、スコットランド、ウェールズなどに放送局があり、それぞれに放送交響楽団と言えるようなオーケストラを持っている。
ロンドン本局にあるのが名門BBC交響楽団。そして、マンチェスターに本拠を構えるのがBBCフィル。1931年に創設されたロンドン交響楽団に次いで、1934年(昭和9年)にノーザン・オーケストラ(直訳すると「北部管弦楽団」か)として発足したというから、歴史も古い。
ちなみに、BBC傘下のオーケストラは、ほかにも、ウェールズにBBCウェールズ交響楽団、スコットランドにBBCスコティッシュ交響楽団、ポップス専門のBBCコンサート・オーケストラなどがある。

もともとBBCマンチェスター局の放送交響楽団として誕生したBBCフィルなので、マンチェスターのBBC放送局の中に(実に理想的とも言えるような)専用のスタジオを持っている。
それが「スタジオ7」という大きなスタジオで、フル・オーケストラが余裕で並ぶ広さを持つ上に、お客を(200人くらい)入れてライヴ・コンサートの生放送なども出来るようになっている。
(写真がそのスタジオ7。中央に立っているのが、このオケのSenior Producer、Brian Pidgeon氏)
私の作品集のCD録音も、毎回ここで行われた。
もちろんリハーサルからすべてこの場所。楽器も楽譜も機材も全部すぐ隣の部屋にあるわけだし、放送局のスタジオなのだから録音設備も完璧にそろっている。何ともうらやましい環境である。
対して、我が国でのCD録音事情はと言うと、大体どこかの音楽ホール(例えば地方の多機能ホールなど)を借り、楽屋なりロビーなりに録音機材を持ち込んで、マイク・セッティングだけでほぼ丸一日がかりということが少なくない。
どこにマイクを置くとどういう音になるか、という見極めをするのに大変な時間がかかるわけである。
しかし、このBBCのスタジオは、それこそ毎日オーケストラの録音が行われているわけで、ミキサーも手慣れたもの。朝、録音の直前にやって来て5分ほどつまみをいじくりマイクを立てると「はい、OK」という感じで録音セッションが始まる。
スタジオの中で生音で聴いていて「ちょっと音が固いかな」と思っても、「録音するとこうなるよ」と音を聴かせてもらうと見事な音になっている。なんだか魔法みたいなのだが、とにかくミキサー氏はスタジオの隅から隅まで知り尽くしている感じなのだ。

私はだいたい録音ブースの中にいる。(写真中央が私。左が指揮の藤岡幸夫氏、右がCHANDOSのproducer、Ralph Couzens氏)
そして、録音スタジオ内では指揮の藤岡氏がオーケストラを前にタクトを振る。
マンチェスターが本拠地のオーケストラということで、彼と同じ王立音楽院の出身者が多く、普通なら指揮者には「マエストロ」と最大限の敬意を払うオーケストラも、彼の場合は「サッチー(幸夫)」と気軽に質問を飛ばし、彼も(演奏家のファーストネームで)気さくに応える。なかなかいい雰囲気だ。
オーケストラの技術レベルはかなり高い。放送交響楽団として初見の演奏に慣れているし、現代曲もかなり放送録音していることもあるのだろう。実際、イギリス現代作曲界の重鎮ピーター・マックスウェル・デイヴィスが1991年に常任指揮者兼レジデント・コンポーザーに就任しているほどで、かなり難解な現代曲の譜面でも難なく弾きこなしてしまう。(ただし、メンバーの誰も「現代曲が好き」とは言わないけれど(笑)
私の作品の録音でも、最初のリハーサルの通し一回めでかなりのレベルまで弾いてしまうので毎回感心する。交響曲のような複雑で長い曲でも、楽団員全員がちゃんとついてくるし、ミスがない。これはちょっと驚きだ。
その一方で、さすがビートルズの出身地リバプールが隣町だけあって、みんなクラシック・オンリーではなく、ロックにも結構詳しい。私の曲はあちこちブリティッシュ・ロックの影響があるのだが、そういう箇所をめざとく見つけては、「これ、ビートルズのXXみたいなコード進行だよね」とか「おっ、これは、ピンク・フロイドだね」などとウィンクする。楽しいったらない。
印象的だったのは、最初の録音セッションで、私のデビュー作「朱鷺によせる哀歌」をやった時のことだ。
日本からパート譜として送られて来た楽譜が、かなり古いもの(昔の青焼きのコピーだったと思う)で、しかも書き込みが何度も消されたりして汚れていたこともあり、「いい曲だけど楽譜が読みにくい」と楽団員から不満が出始めた。
そこで、藤岡氏から「ヨシマツさん、何か言ってよ」と促されて、オーケストラに頭を下げた。「申し訳ない。そのパート譜は、初演の時、お金がなくて私が全部自分で書いたものなんだ」。
すると、オーケストラ全員がしゅーんとなって、次のテイクは感動的な演奏を聴かせてくれた。あとで「演奏しながら泣いている団員もいたよ」と藤岡氏が耳打ちしてくれた。
なんか「人情オーケストラだなあ」と、その時思った。
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BBCフィルとのこの最初の録音は、翌96年にCD「吉松隆作品集」として発売された。デビュー作「朱鷺によせる哀歌」、ギター協奏曲「天馬効果」(g:クレイグ・オグデン)、そして交響曲第2番「地球(テラ)にて」という組み合わせである。
現物を手に取るまで、どうしても(イギリスで自分のオーケストラ作品集がCD化されるなんて)信じられなかったのだが、これで夢ではないことが確かめられた。(ただ、大地に足跡…というジャケットのデザインにはちょっと驚いた。まあ、確かにテラ(大地)なんだけれど…)
もっとも、この時点では、藤岡氏ともども「これが最初で最後のCD」だと思っていた。いくらイギリスのCD会社がお人好しでも、日本人の無名指揮者と作曲家で作品集のアルバムなんかもう作るわけがないではないか。
しかし、世の中には思いもかけないことがあるものだ。このアルバムの後で、藤岡氏が私の〈サイバーバード協奏曲〉の録音テープをCHANDOSの社長に聴かせたところ、いたく気に入ったようで、その日の夜に「あなたの曲をすべて録音する」という申し込みがFAXでいきなり私のところに届いたのである。
と、そんないきさつで、飛行機嫌いで海外には全く行かない(しかも、英語もろくにしゃべれない)にも関わらず、イギリスのCD会社のレジデント・コンポーザー(専属作曲家)となってしまい、藤岡幸夫氏指揮するBBCフィルとのオーケストラ曲の全曲録音プロジェクトが始まった。
2枚めの「メモ・フローラ」は1998年5月。これはマンチェスター室内管弦楽団とピアノの田部京子さんとのコラボレーション・アルバム。
最初は「交響曲第3番を書きなさい。録音するから」ということで始まったプロジェクトだったのだが、「今現在はピアノ・コンチェルトを書いている」と言うと、「じゃあ、それを録音する」。「ソリストに想定しているのは田部京子さんという日本のピアニストなんだけど」と言えば、「じゃあ、彼女をイギリスに呼ぶ」。こんなことがあっていいのか?という進行具合だった。
(ちなみに、このアルバムだけは小編成オケ作品ばかりのため、マンチェスター・カメラータの演奏)

そして、1998年12月が、サックスの須川展也氏をむかえての「サイバーバード協奏曲」と新作の「交響曲第3番」。BBCフィルのピアノとパーカッションの2人もソロで加わって、これは壮絶な演奏になった。
藤岡氏に献呈し、これが録音初演となった渾身の第3番ともども、この1枚はもう「今このとき」にしか出来ない熱気(と狂気?)に満ちあふれていて、この頃がもっともハイテンションだったかも。私としては「もっと壊れろ!」と絶叫していたような気がするし(笑)
2000年は、満を持して最初の交響曲(カムイチカプ)を録音。1番2番3番と並ぶことで交響曲全集っぽくしようと言う魂胆である。
この頃から、「ヨシマツ・シフト」?とかで、スタジオに金管や打楽器が倍くらいの人数集まるようになった。私の曲はブラスやパーカッションを結構酷使するので、録音のために何回も繰り返し演奏するのはかなりハード。そこで、補助パートを呼んで来て分担して演奏しようと言うことだったらしい。
もとから三管フルの大編成なのに加えて、時にはホルンが10本近くいたり、ティンパニがダブルで並んでいたりする様は、ちょっと壮観だった。
続く2001年は、書き下ろしの「交響曲第4番」とトロンボーン協奏曲「オリオン・マシーン」。ウィーン・フィル首席奏者の座を射止めた若き名手イアン・バウスフィールド氏がソロ。
ちなみに、この時の第4番は私の交響曲の中ではもっともコンパクト・サイズの二管編成。最初から「小さい編成ですよ」と伝えておいたのだが、スタジオに入ると3管編成14型プラス・アルファという(例によってヨシマツ・シフトの)巨大編成オケが待っていた。(追記:藤岡氏によると「いや、あの時は16型だった!」とのこと)
そこで、「弦楽器、こんなにいりません。半分帰してください」と言うと、「いいじゃない。もったいないから全部使おうよ」。・・・日本ではあり得ない会話である。
2002年が、これも新作の交響曲第5番。これはヨシマツ・シフト全開の巨大編成による大ロックンロール・パーティ。冒頭「じゃじゃじゃ・じゃーん」で始まったあたりからオケのメンバーは大受け。
そもそも中学生のときに「運命」を聴いて、「こんな曲を書きたい!」と思ったのが、交響曲を目指した始まり。
ということは、(苦節35年にして)ついにその夢を果たしたわけで(まあ、クオリティはとにかくとして(笑)、私としては、もう思い残すことも無く、この曲で燃え尽きたかな・・・と実感(~ ~)
ちなみに、この第5番はこの録音の翌年に他界した私の父(そもそも私に「運命」のスコアを見せた張本人)に献呈されている。ただ、CDが出来上がるのを待たず(録音の報告をし献呈を伝えた時、病室で喜んでくれたのを最期に)天国に行ってしまった。それが、唯一の心残りと言えば心残りなのだが・・・

そして、BBCフィルのチェロのトップ、ピート(Peter Dixon)のために書き下ろしたチェロ協奏曲「ケンタウルス・ユニット」と、私のオケ・デビュー作「鳥たちの時代」を組み合わせたアルバムが2003年。
ピートは、最初のアルバムの交響曲第2番で、冒頭の壮絶のソロを聴かせてくれた名手。BBCフィルの顔とも言えるトップ(&人気)プレイヤーで、いつかコンチェルトを…と思っていたのがようやく実現できた。これは彼と共にBBCフィルと言うオーケストラへのプレゼントと言ってもいいかも知れない。
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結局、1996年に最初の作品集を出してから2004年までの8年間で計7枚を録音した。うち6枚がBBCフィル。交響曲は第1番から第5番まで(うち3番以降は新作書き下ろし)全曲録音を果たし、協奏曲5曲、オーケストラ作品11曲がCD7枚に収まった。
ほぼ毎年1枚ずつオーケストラの作品集を録音してくれる。しかも、交響曲だろうが協奏曲だろうが、どんな編成でもどんな長い曲でも(CDに収まりさえすれば)演奏してくれる。これは、作曲家としては夢のような話だ。
とは言え、思いもかけない苦労もあった。
なにしろコンサートの新作初演なら、15分から20分くらいの曲が一曲あればいい。ところが、CDの場合は74分収録できる。と言うことは、40分のシンフォニーを書いても、「あと30分近く足りない」と言われるのである。これが毎年続く。これには参った。
それでも、飛行機に(我慢して)乗ってイギリス・マンチェスターの市街にあるBBC放送局に行き、迷路のような通路を抜けて一番奥の大きなスタジオ7に行くと、いつもBBCフィルの面々がにこやかに指揮の藤岡幸夫氏と共に私の新しい曲のスコアを待っている。
そんな8年間は、本当に不思議な(そして素敵な)体験だった。
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BBCフィルハーモニック日本公演
■3月13日(木) サントリーホール 7:00p.m
・ストラヴィンスキー:歌劇「妖精の口づけ」より ディヴェルティメント
・シベリウス:ヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン:ヒラリー・ハーン)
・チャイコフスキー:交響曲第6番 「悲愴」
■3月18日(火) 東京オペラシティ・コンサートホール 7:00p.m
・リスト:交響詩「マゼッパ」
・シューマン:ピアノ協奏曲イ短調(ピアノ:上原彩子)
・ベートーヴェン:交響曲第7番
ジャナンドレア・ノセダ指揮BBCフィルハーモニック