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2008/03/10

チェロから始まる弦楽器の事情

Cello_2 むかしむかし、作曲を勉強をするにあたってチェロを買ったことがある。  とは言っても、チェロで作曲をしようというわけではない。  作曲をする道具としての楽器は「ピアノ」に尽きるが、オーケストラの基本は何と言ってもヴァイオリンを頭にする「弦楽器群」である。  そこで、弦の響きを体感し、同時にボーイングや特殊奏法などの研究をするためのサンプル(実験素材)として、楽器店に飾ってあった格安のチェロを衝動買いしてしまったようなわけなのである。  だから、演奏できるわけではない。最初はバッハの無伴奏チェロ組曲くらい弾いてみようかとも思ったが、すぐあきらめた。ピアノとは全く逆に、左手指で音程をとり、右手は弓を握るだけ…という奏法に頭がついていけなかった(拒絶した)のかも知れない。  その後はずっと、「管弦楽法」の本を読みながら、駒の近くを弾く(sul ponticello)奏法とか、胴を叩いたり駒をきしませたりする特集奏法の研究に没頭していった。  嗚呼、可哀想なチェロ・・・  (でも、その成果は1980年の私のデビュー作「朱鷺によせる哀歌」に結実したし、2003年にはチェロ協奏曲〈ケンタウルス・ユニット〉も書いたのだから、きっと許してくれるだろう・・・)           *  ■名前のことなど VioloncelloCello01jpg ところで、このチェロ(cello)という楽器、正式名称を「violon-cello」というのだが、「-cello」というのは、イタリア語で「小さいもの」意味する接尾語なのはご存知だろうか?  「え?チェロって、ヴァイオリンの「大きなもの」という意味じゃないの?」という疑問は当然だが、これにはちょっとした(と言うか複雑な)事情がある。  実は、西洋音楽の「弦楽器」の基本形は、ヴァイオリンではなく「ヴィオラ(viola)」なのである。  今でこそ、ヴィオラという楽器は「ヴァイオリンより少し大きくて、5度低い音を出す楽器」などと説明されるが、実はヴァイオリンという楽器の方が「ヴィオラより小さくて高い音を出す楽器」として考案されたもの。  つまり、ヴィオール(viol-)の小さいもの(-ino)が、ヴァイオリン(violin)というわけなのである。  しかも、このヴィオラ全盛期には〈ヴァイオリン〉といったら「小型で持ち運びやすく甲高い大きな音が出る小さなヴィオラ」(要するに、携帯用小型ヴィオラ)に過ぎず、どちらかというと村の祭りや酒場で活躍する下賎の楽器だったらしい。  ところが、気がつくといつの間にか立場が逆転し、ヴィオラの方が〈少し大きなヴァイオリン〉とか〈低い音が出るヴァイオリン〉と呼ばれるようになってしまったのだから、時の流れというのは恐ろしい。
Violone01_2 一方、小さいヴィオラというのがあるなら当然〈大きいヴィオラ〉というのもある。ヴィオラの大きいもの(-one)、〈ヴィオローネ Violone〉である。  高い音を担当するのが〈小さいヴィオラ(violin)〉なら、低い音を担当するのが〈大きいヴィオラ(violone)〉と言うわけだが、この楽器、どちらかと言うと今のコントラバス(ダブルベース)に近いサイズ。  声楽で言うと、ヴァイオリンが〈ソプラノ(女声の高音)〉、ヴィオラが〈アルト(女声の低音)〉、ヴィオローネが〈バリトン(男性の低音)〉ということにでもなるだろうか。    と言うことは、ちょっと考えても、もう一人、テノール(男性の高音)が欲しくなるのは自然の理。  そこで、ヴィオローネより少し小型の低音弦楽器が生まれることになった。ヴィオローネ(violone)の小さいもの(-cello)だから、ヴィオロンチェロ(violon-cello)。略して「チェロ(cello)」というわけである。
Violon ちょっとややこしいので整理すると、要するに〈ヴィオラ〉こそが、ヴィオール属の標準(スタンダード)サイズ。  それに対して、〈ヴァイオリン〉は高い音を担当するために作られた〈ヴィオラの小さいもの〉。  一方で、低音を担当したのが〈ヴィオラの大きいもの(ヴィオローネ)〉である。  そして、その〈ヴィオラの大きいもの(ヴィオローネ)〉を小さくしたものが、〈チェロ〉。〈大きいヴィオラ(ヴィオローネ)の小さいもの〉なのである。  え?ますますややこしいって?  
Violet 余談だが、VIOLAはイタリア語ではスミレのこと。英語のヴァイオレット(VIOLET)と同じだが、なかなか美しいイメージだ。    そして、この〈ヴィオール属〉の起源はギターと同じ。(日本の琵琶なども、この系統)  弦をぽろんと指先でつま弾くので、複数の音(つまり和音)を奏でられるのは大きな利点だが、ロングトーン(長く延ばした音)が出せないのが最大の欠点である。  そこで、弦を指で弾くのではなく、弓でこすって音を出し、歌のように長く引き延ばされた音を出そう…というアイデアで生まれたのが、このヴィオール属の楽器というわけである。 Gut ちなみに、弦楽器の弦は〈ガット弦〉と言って、羊の腸を細く延ばし(これに肉を詰めればソーセージになる!)それを捻って寄り合わせたもの。  そして、弓の方は、馬の尻尾の毛(150本ほどと言われる)を弾力性のある木の棒に張ったもの。その毛の表面に〈松やに〉を塗り、微妙なざらざら感(摩擦)を作り出して弦をこする。   (松やにを塗らず尻尾の毛でこするだけでは音は出ない。また、馬はモンゴル産の白い馬の毛に限る…とか、弓の木は南米産のペルナンブコに限る…などと言われ、上質の弓はハンパでない値段がする) Bow Violas 何はともあれ、「ギターを弓で弾く」という発想からヴィオラの仲間が生まれ、やがて、ルネサンス期にはギターと同じ6本(あるいは5本)の弦を持つ弦楽器、ヴィオラ・ダ・ガンバ、ヴィオラ・ダモーレ、ヴィオラ・ダ・ブラッチョなどなど〈ヴィオラ〉の名のつく楽器が多く考案され、全盛を極めることになる。
Viola ところで、このヴィオラ(viola)という楽器、フランス語ではアルト(Alto)、ドイツ語ではブラーチェ(Bratsche)という。  アルトの方はもちろん「アルト音域の楽器」という意味だが、ブラーチェの方はヴィオラのむかしの名前である〈ヴィオラ・ダ・ブラッチョviola da braccio(腕=Braccioで支えて弾くヴィオラ)〉から来ている。  イタリアではこれの前半をとって〈ヴィオラ〉と呼び、ドイツでは後半をとって〈ブラーチェ〉と呼ぶわけである。  またまたちなみに、ヴィオラ・ダ・ガンバの方は「足=Gambaではさんで弾くヴィオラ」という意味なのだそうだ。
 ■ 演奏する「向き」のお話 1704 このヴィオール族、ある時、誰かが「ギターを弓で弾く」というアイデアを思いついたにしても、弓で弾くとなると、そのままギターのように横に抱きかかえた形ではいかにも弾きにくそうだ。  なにしろギターと同じ持ち方をして弓で弾くには、弓を縦に(握って)持って、上下に動かさなければならないわけで、これでは微妙な演奏表現はむずかしい。  そこで、大きいヴィオラ(ヴィオローネやチェロ)は、楽器を縦にして地面に置き、それを横向きにした弓で弾くことになった。  この場合、ヴィオローネのような大きなサイズなら、縦にすれば楽器が地面につくので問題ないが、それより微妙に小さいサイズの楽器だと、足に挟んで落ちないようにして弾かなければならない。これがヴィオラ・ダ・ガンバ(足で挟んで弾くヴィオラ)。  一方、小さいヴィオラの方は、持ち上げて腕で支えて弾くことになる。これがヴィオラ・ダ・ブラッチョ(腕で支えて弾くヴィオラ)というわけである。   Soundholes 縦に弾くタイプの楽器は、自然に楽器表面の共鳴孔(f字孔=ギターで言うサウンド・ホール)が正面、つまりお客の方を向く。当然ながら、そのまま正面を向いて演奏するのが、一番演奏しやすいし音が通りやすいことになる。  一方、腕で支えて弾くタイプの楽器は、必然的に、表面の板に開けられた「f字孔」、つまりサウンドホールが上を向く。つまり、音は上に向かって立ち上る。  しかし、真上というわけではない。右利きの人間が右手に弓を持って弾くため、楽器は右肩下がりとなるからだ。つまり音は右上に立ち上がる。 Violin1_2Karehira ということは、ヴァイオリンやヴィオラは奏者の右に聴き手がいるのがベスト。必然的にヴァイオリニストは舞台の下手(向かって左側)に右向きになって座って(あるいは立って)弾くことになる。  逆に、舞台の上手(向かって右側)に左向きになって座って(あるいは立って)演奏すると、楽器の背の方が客席に向くことになり、音も客席の方ではなく舞台奥の方に飛んでいってしまうことになる。  そんなわけで、ヴァイオリニストは必ず右向きになって演奏するわけである。  (もっとも、左利きの人が左手に弓を持って弾くなら、その逆も可なのだが…)
   ■では、弦楽器の並び方は?  さて、ヴァイオリンとヴィオラは「右向き」がベスト、チェロやコントラバスは「正面向き」がベスト、ということになると、弦楽器が集まった時の舞台上での並び方が(なんとなく)決まってくる。  それでも、見た目にもっとも分かりやすいのは、(実は作曲家がスコアに書くときもそうなのだが)高音から低音に並ぶ形だ。  つまり左から〈第一ヴァイオリン〉〈第2ヴァイオリン〉〈ヴィオラ〉〈チェロ〉〈コントラバス〉という並びである。 Strings_2 これは現代のオーケストラでは「標準型」とされている。  一説には、戦後ストコフスキーが始めた並び方で、向かって左が高音、右が低音と分かりやすいことと、ステレオ録音などでイコライジングしやすい(左チャンネルを高音強化、右チャンネルは低音強化すればいいわけなので)ことからの採用と言われる。  音域で明快に分けられた配置なので、音楽的にも「主メロディ」「伴奏の内声」「ベース」など、音楽を構成するパーツ(声部)が分かりやすい。  また、演奏上も、同じ音域の楽器がすぐ隣に配置されているので、アンサンブルがしやすい。その点では、理にかなった並び方だと言える。  ただし、これだとチェロが横を向いてしまう。  しかし、(先に検証したように)チェロは出来るだけ正面を向くのが、音の通りから言うとベスト。そこで、チェロが主旋律を持つことが少なくないロマン派などの作品では、チェロが中央寄りに移動する例が少なくない。  もちろん、この配置だと、チェロと交代して右翼に移動したヴィオラが横を向いてしまうのだが、まあ、ヴィオラは内声を担当しているので、チェロよりは音が通らなくてもかまわないということだろうか。 Ny1897  しかし、西洋音楽の伝統では〈第2ヴァイオリン〉というのは、要するに「主ヴァイオリンとは違った場所にいる別のヴァイオリン群」というような性格を帯びて生まれたもの。  そのため、ベートーヴェンからワーグナーやマーラーの時代までのオーケストラ配置図を見ると、ほとんど第一ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが左右に離れて配置されている。  これを「対向配置」というのだが、戦前までは、こちらの方が「標準」だったと言う。  (この「対向配置」という呼び方は、第1と第2ヴァイオリンが左右に向かい合って…対向して…並ぶことから生まれたもの。ただ、厳密には「標準配置」ともども正式な名称はないようだ)  実際、作曲家たちもこの配置を前提としてスコアを書いていることが多い。 Pathetique_2 例えば、チャイコフスキーの「悲愴」最終楽章冒頭の不思議な部分(第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンで交錯するように主題が出てくる)などは、対向配置にするとメロディが右に左にと揺れ動く効果が立ち現れる。  これは、心の揺れの激しさを表す絶妙のオーケストレイションだが、標準配置ではほとんど伝わらない。(ちなみに、この部分の揺らし方では、第1ヴァイオリンとヴィオラ、第2ヴァイオリンとチェロが同期していることから、チャイコフスキーがはっきり対向配置を前提にして作曲したことが分かる)  最近、オーケストラでこの「対向配置」を取り入れるコンサートが増えたのも、「昔はこちらの方が標準だった」という事実のほか、作曲家が対向配置を前提として書いていることが明らかなスコアの場合は、この配置こそが「作曲家の意図するもの」であることにほかならない。  特に、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンとが対位法的な「掛け合い」をするパッセージなどは、明らかに「対向配置」を想定して組み込んだもの。標準配置にすることで、弦楽器の間の「音の受け渡し」や「フレーズの方向性」が変わってしまうことは間違いない。  しかし、多くの場合、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンは、オクターヴあるいは3度音程などで同じ主題を演奏する。そんな場合は、両者が左右に離れて配置されているより、隣り合って演奏する方が効果的であることも確かだ。  ただし、このように第1第2ヴァイオリンが並ぶ配置の場合は、主旋律を強化するため、例えば14型なら14〜12〜10〜8〜6というように第1ヴァイオリンに比べて第2ヴァイオリンを微妙に少なくする。  一方、対向配置では第2ヴァイオリンが(楽器の向きが裏側になることで)最初から音量的に微妙なハンデを付けられている。  と言うことは、作品によっては第1ヴァイオリンと同じ数にする(それでも微妙に音量は第2ヴァイオリンの方が低くなるのだが)というような配慮が必要になりそうだ。 Toki 実を言うと、私のデビュー作である「朱鷺によせる哀歌」は、徹底的にこの「対向配置」から生まれるステレオ効果にこだわった曲で、弦楽器群は完全に〈左右対称〉に配置されている。  つまり、ヴァイオリンもヴィオラもチェロも2群になって同じ数だけ左右対称に並び、ベースは中央最後部に位置する。すると、上から見ると左右対称の鳥の形になっている!(ヴァイオリンが両翼、ピアノが胴体、ベースが尻尾)という仕掛けである。  もちろん、視覚的に左右対称にすると同時に、音響的にも左右対称によるステレオ効果を狙ったのは言うまでもない。・・・のだが、実は、これでは「音量的に」左右対象にならないのは、これまで説明した通り。(つまり、右翼の弦楽器…特に第2ヴァイオリンと第2ヴィオラが、楽器の向きが裏側になることで微妙な音量的ハンデを抱えるのである)  と言うわけで、標準配置、対向配置、どちらも一長一短。対向配置を想定して書かれた作曲家の作品は、対向配置で演奏した方が効果的である…というのは確かなので、曲によって色々な配置法を試みるのも悪くない。  しかし、一方で、曲によって弦の配置を右に左にころころ変えていては、ストリングス・セクションの統一(あるいはアンサンブルの勘)がとれなくなるのも、また事実。  この問題については、これからも色々な試行錯誤が続くことになるのだろう。 String4 ・ ・・というわけで、チェロから始まった弦楽器雑談、そろそろお開き。
          *
Flyerクレメンス・ハーゲン(チェロ)&シュテファン・ヴラダー(ピアノ) デュオ・リサイタル ■2008年5月8日(木)19時開演 浜離宮朝日ホール ・ベートーヴェン:チェロ・ソナタ 第3番
 ・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第14番 「月光」 ・バッハ:無伴奏チェロ組曲 第1番 ・ ブラームス:チェロ・ソナタ 第2番 チェロ:クレメンス・ハーゲン ピアノ:シュテファン・ヴラダー

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