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2008/05/10

ピアノとピアニストたち

Pianist_2 ピアノについては、以前「ピアノの300年史」で書き散らしたが、今回はピアニストについてのお話を少し。

 ピアノは(その構造上)、鍵盤を叩きさえすれば音が出る。素人ではなかなか音が出ない管楽器や弦楽器と違って、その点だけはきわめて易しく出来ている。
 そのため「猫が弾いても音が出る」などと冗談でよく言われるが、残念ながら猫はピアニストにはなれそうにない。椅子に座って鍵盤を弾きながらペダルを踏むことが出来ないからだ。

Piano_cut004 しかし、猫ならぬ人間なら、ほとんどの人が「椅子に座って・鍵盤を弾きながら・ペダルを踏める」。

 ただし、だからと言って誰もがピアニストになれるわけではない。なぜなら「誰よりもうまく」椅子に座り、「誰よりもうまく」ピアノの鍵盤を弾き、「誰よりもうまく」ペダルを踏まなければならないからだ。

 つまり、ピアニストとは(身も蓋もなく言ってしまえば)、「誰よりもうまく」椅子に座り、「誰よりもうまく」ピアノの鍵盤を弾き、「誰よりもうまく」ペダルを踏むプロということになる。

 面白いのは、それが百人百様だという点だ。

■ピアノの前に座る

Chair まず、椅子。

 ピアノの椅子は、背もたれのある「トムソン椅子」と無い「ベンチ型」がある。昔はもう一つ「丸椅子型」のものがあったが、最近ではあまり見かけない。

 背もたれがある方が「椅子」らしいが、ピアノを演奏する時にこの背もたれを使う(よりかかる)ことはまずないと言っていい。逆に、上半身を動かす時に邪魔になることさえある。

 それなら、いっそ背もたれなどない方がいい…と、最近のリサイタルなどではベンチ型が人気だ。しかし、興奮して弾いているうちに後ろにひっくり返る…ということもないとは言えないので、(特に高齢のピアニストや逆に子供の場合は)背もたれがあった方がいい場合もありそうだ。

 さて、その椅子への座り方、ポイントは「位置」と「高さ」である。

 普通に考えれば、背筋を伸ばして椅子に腰掛け、鍵盤に軽く指を乗せてどこにも無駄な力が入らない姿勢を取れれば、それでOK。レッスン1日目の最初の5分くらいで話は終わってしまう。

 しかし、この姿勢、基本中の基本だけに、その後の「上達」具合を左右する。変な姿勢を覚えてしまうと、その後の上達に支障を来すことさえある。(私などは、片膝で…しかも片手に鉛筆、片手に消しゴム…という作曲家スタイルで弾いていたので、上達は全く見込めないまま現在に至っているし)

 ちなみに、椅子の位置が楽器に近すぎると、楽譜を見るのは楽だが、両腕の可動範囲が制限されて弾きにくくなる。
 逆に、両腕を自由に動かせるように楽器から離れると、今度は体の重心が後ろに下がってしまい、鍵盤を叩く際のコントロールが効かなくなる。
 
Piano_cut006 椅子の高さも同様だ。高くすると腕が伸びすぎ、低くすると肘が曲がって、それぞれ弾きにくくなる。
 一般には、背筋を伸ばして座って鍵盤に触れた時、肘がちょうど直角(90度)になるくらいが、どこにも無駄な力が入ることのないベスト・ポジションと言われている。

 そして、座り方としては、椅子にお尻を半分くらい浅く乗っけるのがベストとされている。深々と腰掛けると体は安定するが、鍵盤を叩いたりペダルを踏んだりする自由がきかなくなる。上体および脚を動きやすくするには浅く腰掛ける必要があるわけだ。

Piano_cut008 そのため、神経質なピアニストは、舞台に上がってきてから弾き始めるまでに、ごそごそと椅子の位置を前後に動かしたり、ノブを回して上下に調節をしたりする。挙げ句は、座ってみてお尻の位置をあれこれ確かめる。

 要するに「もっとも弾きやすい姿勢」にすればいいだけの話…なのだが、人間というのは身長も体重も手足の長さも百人百様。こればっかりは、ピアノから何センチ離して高さ何センチがベスト、という公式はなく、各人で自分にベストのポイントを探さなければならない。

Gould 例えば、かの伝説のピアニスト、グールド。彼は、椅子の位置決めにはずいぶん神経質だったらしい。常識では考えられないくらい低い椅子に座って、猫背でへなへなもそもそと弾くのが彼の流儀。「もっとも自然で楽な姿勢」というのが、このへなへなポーズだったのだろう。

 普通は、背筋をしゃんと伸ばしてしっかり椅子に座るのが「もっとも自然で楽な姿勢」に思えるが、確かに猫背でへなっと弾いた方が力が抜けていい…というのも分からないではない。それは人それぞれということか。

Richter 一方、椅子のことなんか知ったことか!と、見向きもせず弾き始めるピアニストもいる。そのむかし来日公演を「見に行った」リヒテルが、そうだった。

 プロコフィエフのソナタ第7番の演奏で、舞台袖から疾風のように現れたと思ったら、椅子どころか聴衆の方に脇目もせず、そのままの勢いで第1楽章の冒頭を弾き出したのだ。その壮絶で鋼鉄のようなタッチと来たら!

 もっとも、「それは事前に綿密に椅子の位置と高さを調整しておいたからでは?」と指摘する人もいて、実際のところは定かではないが…。

■ 鍵盤を叩く
 
 椅子に座ってピアノを弾き出したら、次に気になるのは指の形だ。

Piano_cut007 私が最初にピアノを習った時は、指は「掌に卵が入るような形」に半分丸めて弾くように言われたが、ジャズ・ピアニストなどはそれこそ掌はパーの形のまま壮絶なソロを弾いているから、これも人それぞれなのだろう。

 ただし、タッチを弱音から強音までコントロールするためには、鍵盤に向かって垂直に指先が当たるのがもっとも有効なのは確か。(垂直にエネルギーを加えることで最大限のフォルテを出すことが出来るし、逆にピアニシモの場合は加えるエネルギーを最小に調節することが出来る)。

 だから、クラシック音楽のように、すべての音を均質かつ正確に弾くためには、指を立てて弾くのがベストと言うことになる。

 しかし、個性的なパッセージや微妙に色彩の違う和音を演奏するには、5本の指がすべて均等に鍵盤に当たるのでは、あまりに「機械的」になりすぎ、リズムやハーモニーのニュアンスが消えてしまう。ジャズのようにスウィングするリズムを保ったまま技巧的なパッセージを弾く場合は、指を寝かせた方が有効なことも少なくない。

Piano_cut010 そして、鍵盤の弾き方については、指の長さ&手の大きさも重要なポイントになる。

 親指と小指を広げた形で何度音程まで弾けるか、というのはピアニストにおける重要な資質のひとつ。特に左手でオクターヴを楽に弾けるかどうかは、大人のピアニストとしての最低条件でもある(子供は無理なこともあるけれど)。

 さらに開離和音の10度(下のドからオクターヴ上のミまで)を楽々弾き、連打できなければプロのピアニストは難しい。
 ちなみに、大作曲家にしてピアニストでもあったラフマニノフは、その上の12度(オクターヴ上のソまで)まで楽々弾けるほど手が大きく、当然ながら彼の書いたピアノ協奏曲には、そう言った「彼しか弾けない」音程があちこちに出てくる。

 しかし、最近では手の小さそうな学生でもすらすら弾いているから、手の大きさは(ある程度)テクニックでカバーできるものらしい。技術の進歩は恐ろしい。 

■ピアノを弾く顔

Piano_cut001  ところで、コンチェルトやリサイタルなどでは、ピアニストは「暗譜」(楽譜なし)で弾くことが多い。
 新しい作品では、楽譜と首っ引きということもなくはないが、メイン・プログラムのベートーヴェンとかショパンを楽譜を置いて弾くピアニストというのはあまりいない。

 しかし、楽譜がある時は音符を目で追いながら弾けばいいわけなのだが、暗譜の時は目のやり場に困るのも確かだ。

 一応、鍵盤を弾いている自分の指を見るのが無難だが、四六時中ピアノの鍵盤を見ているのも芸がない。というより、せっかく暗譜して指が覚えているのに、あまりその指を見ていると、かえってミスタッチしてしまいそうになるのである。

 かと言って、うっかり横を見たりすると、お客さんと目が合ったりしてしまう。(ちなみに、ピアニストは横を向いて弾くのが常なので、あまりお客と目を合わせることに慣れていない)。まさに、目のやり場に困ってしまうわけだ。

 そんな時、ピアニストがよくやるポーズが、「上を見る」ことだ。
 ピアニストに限らず、人間は考え事をする時よく上を見る。一説には「上」を見ているわけではなく、脳の前頭葉の部分(思考や学習を司る)に神経を集中しているのだとも言うが、定かではない。
 
Pianon ただ、ずっと上を見て引き続けるというのも、なんだかおかしい。そんな時は、もう仕方がない。「目をつぶる」しかない。
 最初から、目をあいていると雑念が入る、というより余計なものが目に入るので、それならいっそのこと目をつぶって弾いてやれ…というわけだ。

 (中には、何も置いてないと目のやり場に困るから、見ないけれど楽譜を置く…という結論に達する人もいるようだ。ピアノの前に楽譜は置くけれど、別にめくって見たりはしない…のだそうだ)。

 というわけで、ピアニストは「目を開いていても、何も見ていない」状態でピアノを弾くわけだが、そんな時しかめっ面になるのは(なぜか)女性ピアニストに多い。眉にしわを寄せて没我の境地で鍵盤をまさぐるように弾く。
 内田光子さんなどはその筆頭。仲道郁代さんもそうだ。音楽に120%の感情を込めるのだから、確かに表情にそれが表れるのも不思議ではないが、陶酔しているというより、ちょっと苦しそうな…泣いているような顔になるのはなぜだろう?

 ちなみに、男性ピアニストでこういう(顔に120%表情が出るような)弾き方をする人はあまり見かけないような気がする。男性ピアニストは、どちらかというと「手術をしているときの外科医」のような顔をしている。
 感情に流されては指先のコントロールが出来ないが、かと言って感情的にハイになっていなければ音楽の情感を伝えられない。その微妙なさじ加減が「顔に出る」のだろう。

 さらに、まったく感情を表に出さず、敢えて無表情に弾くピアニストもいる。冷静と言うよりは、作曲家の書いた楽譜に忠実に「とにかくちゃんと楽譜通り正確に弾いています」というアピールでもあるのかも知れない。

Piano_cut002_2  むかし私の作品をよく弾いてもらった松谷翠さんは、現代物も得意なテクニシャンながらジャズも結構弾く。面白かったのは、一度、ガーシュウィンの一夜に登場してピアノ・ナンバーを弾いた時のこと。

 眼鏡をかけた謹厳実直な銀行員みたいな服装で登場した彼がピアノを弾き始めると、演出なのか網タイツの女性が艶めかしい格好で出てきて、太もももあらわにピアノに座った。しかし、彼はそれにぴくりとも反応せず完璧にピアノを弾き続ける。

 いや、それだけなら別に驚くべきことではないのだが、凄かったのはその謹厳実直で冷静な姿勢にもかかわらず、音楽は完全にノリノリでスウィングし、右足だけが見事にリズムを取っていたことだ。そんなピアノは初めて聴いた!

■ピアニストの衣装

Dress そして、ピアニスト…特に女性の…については、衣装も気になるところだ。

 クラシックのピアノ・リサイタルの衣装というと、女性ピアニストは大体同じようなドレスを着ている。申し合わせたようにノースリーヴのドレスで、肩から腕にかけては丸出し。そしてロングスカート。足首まで長いスカートで隠している。

 中には短いスカートをはいて脚線美をアピールしたいピアニストだっていそうだが、それはそれで目のやり場に困る(「別に困ったっていいじゃないか!」という声もするが)。最近では時々(伴奏のピアニストなどで)パンツ(長ズボン)姿の女性も見かけるようになったが、ソロ・リサイタルでは未だにドレスが全盛のようだ。

 そして、足はと言うと、大体が低いハイヒールかパンプスのような靴。ヒールがあった方が、そこを軸にしてテコの原理でペダルを操作しやすいと言う人もいるが、ヒールが高いとペダルを踏み違える危険性が高くなる。確かチェンバロの曽根麻矢子さんはブーツで弾いたことがあるとおっしゃっていたが、それってかなり格好いい。もっと普及しないだろうか。

 一方、男性ピアニストはほとんどの場合、スーツ姿。当然、両手は袖まで覆われているうえ、ご丁寧にネクタイまで締めているから、あれは弾きにくいはずだ。どうして半袖や袖なしシャツで弾かないのだろう? 

Lifschitz ちなみに、昨年の日本公演でのリフシッツは羽織のようなものを来てピアノを弾いていたが、それも個性。男性ピアニストだってもっと自由に、開襟シャツや半袖で弾いてもいいのではなかろうか(まあ、半ズボンまで行ってしまうとさすがにおかしいだろうけれど)。

 もっとも、ヨーロッパでは「暑い」という心配より「寒い」という心配の方が大きいから、年中スーツで完全防備の男性ピアニストより、冬でもノースリーヴのドレスで演奏しなければならない女性ピアニストの方が過酷と言えなくもない。(実際、彼女たちは舞台袖に引っ込んだ途端、ショールを羽織って暖をとる)

 そもそもピアニストたちは(いや、ピアニストに限らずすべての演奏家たちは)、リハーサルやゲネプロの時に「私服」で演奏する姿の方がずっと魅力的だ(と私は常々思う)。

 彼女(彼)たちは(当然だが)いつもドレスやスーツでピアノを弾いているわけではなく、練習やリハーサルの時には、普通に短めのスカートだったりジーパンだったりTシャツだったり、思い思いのスタイルでピアノを弾いている。

 それが、本番になるとドレスを着たりスーツを着たりして、別人になる。それは、本音を言わせてもらえば、ちょっとつまらない。

 クラシック音楽という「非現実の世界」に誘うのに「西洋風の正装」は適切なのかも知れないが、別に現代の等身大の自分の格好をしてシューベルトやショパンを弾くのだっていいと思う。もっともっと普通の自由な格好でステージに乗って欲しいと願わずにはいられない。

Piano_cut009 そうそう。そんな「等身大の格好」で超絶技巧曲を弾いてしまうと言えば、作曲家としても有名な高橋悠治さんだ。彼は、ノンシャランというかラフなスタイル(かつ猫背)でふらりと舞台に登場し、世界で何人しか弾けない超絶技巧の難曲をさらりと弾いてしまう。

 私が最初に見たコンサートで舞台にピアニストとして登場した時も、全くそこらの学生?のような風体だったので、聴衆の誰もが、ピアノを動かす係か譜面を持ってきた助手だと思って誰も拍手しなかったほど。それが、いきなりピアノの前に座って超前衛の凄まじい曲をばらばらと弾き出したのだから仰天である。

 ただし、現実問題としては、きちんとしたホールでのリサイタル…となると、いろいろ考えたあげく結局「ドレスとスーツが一番無難」ということになるのだろう。(聴衆の中には、やはり「クラシックはきちんとした服装で」という人も少なからずいるだろうし、特に批評を書いてくれるような人には、そういう人が多そうだし…)

 だからだろうか、破天荒な言動のピアニストが主人公の「のだめカンタービレ」でも、リサイタルの時はやはりドレスだったような気が・・・


■ピアノ奏法の未来

Piano_cut003_2 それでも、若いピアニストたちが、いろいろな新しいスタイルで時代を変えてゆくのは楽しみだ。

 例えば、最近の若いピアニスト(特に女性に多いような気がする)の演奏は、まるでスポーツの試合を見ているような爽快感がある。
 曲の冒頭は「サーブ」で始まる。そして「ラインぎりぎりに入った!」「おっ、バックハンドで打ち返した!」「惜しい!ダブル・フォールト」などという声が聞こえそうな、フィジカル(肉体的)な演奏が繰り広げられる。

 チャイコフスキー・コンクールで優勝した上原彩子さんの弾くコンチェルトを生で聴いた時、そういう面白さを感じた。あるいは、ジャズ・ピアノの上原ひろみさんや兄弟デュオ・ピアノの「レ・フレール」などは、この方向のトップランナーだろう。
 彼らは、パッセージやリズムに対する反応の「瞬発力」が、アーティスト(音楽家)というよりアスリート(スポーツ選手)っぽい。そして、鍵盤に触れるのが楽しくてたまらないという「孫悟空が如意棒を持ったときのような」状態でピアノに向かう。

 こういうタイプの演奏は、確かに「作品全体の把握」だとか「芸術性」だとか言い出すと、色々批判が出てくるかも知れないが、ロックやジャズもある現代という時代に、一瞬も飽かさずに聴き手を音楽に引きつける天性の勘のようなものは、特にこれからのクラシック音楽にとって最も重要な要素になるはずだ。

Semi ただ、クラシックの世界では、モーツァルトの昔からこの種の「天才少年少女」が大好きなくせに、「ミスタッチせずに早弾きするだけのものを音楽とは言わない!」という芸術信仰があってチト面倒くさい。

 確かに、ピアノはスポーツではないのだから、「早さ」と「テクニック」だけを促成栽培しても、それが大樹に育つ保証は全くない。
 日本の音楽教育もかつてはこの落とし穴にはまったし、最近では中国や韓国あたりで、この種のアクロバット演奏を「天才」と誤認してしまう悲喜劇が後を絶たない。

 しかし、リストやラフマニノフのような(当時は作曲者以外に誰も弾けなかった)超絶技巧の難曲を、普通の音楽大学学生がさらりと弾いてしまうのが「現代」である。
 なまじの「早さ」と「テクニック」では、プロになるどころか、コンクールの入口に辿り着くことすらは難しいのだから、現代でプロの演奏家として生き残るのは大変だ。

 なにしろ、現代ではいくらでも録音編集が可能なうえ、コンピュータで制御できるデジタル音源すらある。「早さ」と「テクニック」で生身の人間が太刀打ちするのは120%不可能である。

Keith おまけに、最近は、私が使っている楽譜演奏ソフトにも「Human Playback」などという機能が付いている。

 これは機械的に「人間っぽく」演奏させるシステムで、ジャズ風にスウィングをかけて演奏したり、ワルツをウィーン風に揺らせるのはもちろん、ロマン派っぽくメロディにフェルマータやリタルダンドをかけたりもしてくれる。(もちろん、人間っぽくするために「時々間違える」ことだってプログラムすれば可能だ)

 そんな時代に人間が生身でおこなう「音楽」とは何か? 
 そして、人間が「生身」でおこなう音楽の意味は何か?

 いや、そもそも生身の音楽こそが「人間らしい」と言うのなら、ピアノにおける「猫以上(猫よりはうまい)」で「コンピュータ未満(コンピュータよりは不完全)」な「人間らしさ」とは一体全体何なのか?

 その問いに対する挑戦こそが、21世紀のピアニストたちの大きな目標であり、聴き手がもっとも楽しみとするところに違いない。

 いろいろなピアニストが、様々なスタイルで「椅子に座り」「鍵盤を叩き」「ペダルを踏む」。

 それが、ピアノ。

 そして、それが音楽なのである。

          *

Flyerコンスタン・リフシッツ・ピアノ・リサイタル

■2008年7月1日(火)紀尾井ホール 19:00

・モーツァルト(リフシッツ編曲)二重奏曲K.424
・ショパン:12の練習曲 op.25
・シューベルト:ピアノソナタ第19番ハ短調D.958

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コメント

吉松センセのこんな面白い記事が,タダで読めるなんて.すごく,うれしい(正確には,得した)気分です.

投稿: pahud | 2008/05/11 14:36

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