リズムについてのあれこれ(前編)
今回と次回は年末新年特集?として(そして新年のウィンナ・ワルツに因んで)その中の「リズム」の話を思い付くままにしてみよう。
■リズムとは?
そもそもリズムとは、ある時間の中に、アクセントを持つ音の強弱が連続すること。
それが、人為的でも自然のものでも、我々人間はそれを「リズム」と感じる。
基本の基本は、心臓の鼓動だ。「どっくん、どっくん」。
だからリズムの単位を「ビート(拍)」という。
英語で書くと「rhythm」。ちょっと変わったスペルなので、「rizm」などと間違えて覚えないこと。
ちなみに、アクセントの連続でも、まったく強弱のないものはリズムと言わない(敢えて言えば「パルス(pulse)」である)。
そして、強弱がある場合、その強弱の間隔が2つなら「2拍子」、3つなら「3拍子」という。これがリズムの基本である。
■2拍子
そんなリズムの原点はというと、何と言っても「2拍子」である。
アクセントの強弱…という以上、「ひとつ」ではリズムでないわけで、となると、もっともシンプルにして根源的なリズムは「2」だ。
なぜ「2」なのか?というのは、細かく言うと宇宙の出来方の根源に関わる(物理学的あるいは数学的な)問題をはらんでいるらしいのだが、そんなややこしい話はここではしない。
ここは単純に、「2」というのが宇宙で最もシンプルな数だから、ということで納得すればいいだろう。
とにかく、この世界の根源に関わる数である「2」というビートに、人間は「音楽」を感じたのである。
さらに、「2」というリズムを刻むことは、「人間の存在」を意味するという点も重要だ。
なぜなら、ものを叩いて一定の間隔で「2」を刻むリズムは、(知能を持ち、2本の足と手を持つ)人間にしか作りえないからだ。
つまり「リズムがあるところ」、それはすなわち「人間が存在するところ」ということになる。
かくして、人間が猿から進化して「2本足」の直立した動物になった時点で、この「2拍子」は人間の存在証明として、そして歩く(行進する)リズムとして、(たぶん言葉より先に)人類の文化となったわけである。
■4拍子
◇4/4
…のだが、実際は、西洋クラシック音楽を始め、現在のポップスでも、ほとんどの音楽が「4拍子」で出来ている。
ソナタも交響曲もオペラも、ロックもポップスもタンゴもサンバも、ダンス・ミュージックから歌謡曲まで、すべて4/4だ。
その理由はいろいろ考えられる。
まず、人間には「2本の手」と「2本の足」がある。そこで、「2+2」すなわち「4拍子」が、人間のもっとも自然なリズムになった。
これがひとつ。
もうひとつは、「鼓動」だけでなく、「呼吸」も深く関わっているという考え方。つまり、歩くのは「2拍子」だが、そも早さの基準には「呼吸」が関わっているということ。
つまり、「1・2(吸う)」、「3・4(吐く)」で4拍子というわけである。
また、一説に、西洋音楽ではそもそもリズムの基本が「馬」であるせい、と言う人もいる。
確かに、モデラート(並足)、アレグロ(早足)など、乗馬に関係するようにも思えなくもないが・・・。さて?
人間も大昔は(たぶん)4本足の動物だったわけで、その原始の記憶から「4拍子」が基本リズムなのだ、と言う人もいるが、だとすると、6本足の昆虫では6拍子が基本なんだろうか?
そして、8本足のタコにとっては8拍子が基本?
◇4拍子の謎
この件について面白い説は、人間が「2+2」を数えられるようになったところから「音楽」が始まった、というもの。
言葉を持たない未開の民族では、ものを「1、2、3、たくさん、たくさん」と数え、4以上はすべて「たくさん」であって、区別することが出来ない(のだそうだ)。
しかし、これは別に未開の民族に限らず、現代人であるわれわれでも、ひと目見て直感的に認識できるのは「3まで」というのが基本のような気がする。
例えば、目の前にタマゴを並べられた時。「ひとつ」と「ふたつ」そして「みっつ」までは、目でちらっと見ただけで識別できる。
しかし、それ以上となると、4は「2+2」、5は「2+3」という認識でしか認識できない。
それはリズムの拍も同じ。「2拍子」や「3拍子」は別に数えなくてもリズムをつかめるが、「4拍子」は頭の中で「1、2、3、4」と数えている自分がいる(ような気がする)
つまり、この「4拍子」こそは、人間が「1、2、3,たくさん」の未開の世界から抜け出し、4つ以上を数えられるようになって生まれたリズムであり、さらに言えば、文明の域に達したことで手にした「知性のリズム」ということになる。
要するに「4拍子」とは、人間が動物から進化して「知的生物」になった時に初めて手にした、最初の(そして、もっともシンプルにして高度な)知的リズムなのである。
それは、まるで人類の文明における「火の発見」を思わせる。
…と言ったら大げさか・・・
◇2+2拍子
もっとも、この「4拍子の謎」、なんのことはない、単にアンサンブルのためのテクニックに過ぎないと言う人もいる。
基本のリズムは、すべて「2拍子」。しかし、「い〜ち〜、に〜い〜」とゆっくり数えるのでは、2拍目の縦が合いにくくアンサンブルの精度が保てない。
そこで「1・と・2・と」というように、拍の間にガイド点を設ければ、アンサンブルの精度が高くなるというわけだ。
要するに、2拍子は「2/2」、4拍子は「4/4」。リズムが細分化されただけで、本体は全く変わらず元の2拍子のまま、ということになる。
しかし、これは結構重要なポイントだ。なぜなら「1、2、3、4」の拍子に合わせることで、複数の人間が合奏&合唱することが出来るのだから。
それはつまり、どんな旋律もどんな楽器もアンサンブルに加わることが出来る「合奏(アンサンブル)」の誕生を意味する。
そしてそれは、あらゆるタイプの音楽を合併し吸収する強力な「核力」を生み出す。まさに革命的な「大量生産(繁殖力)」可能な音楽が、この「4拍子」を核にして人間の文明に登場したわけなのである。
◇4拍子の呪縛
ただし、(話がちょっと戻るが)この「4」拍子、東洋音楽や世界各地の伝統的な民族音楽では、決して主流ではないことは明記しておこう。
民族伝統の音楽は、その民族の「ことば」から生まれるリズムに乗っ取っていて、それは必ずしも「4」ではないからだ。
例えば、日本の俳句は「5、7、5」のリズムを持ち、それが少しも不自然な変拍子には聞こえない。
むしろ、「4」に縛られない伸び縮みする拍数のリズムの方が、そもそもは「自然」なのだ。(その件については、後編でもちょっと触れよう)
その点では、「4拍子」というのは、ある意味では暴力的な「支配」を生み、音楽に封建制度をもたらす危険なリズムと言えなくもない。
しかし、知性が生み出した「4」拍子の画期的な点は、その汎用性にある。要するに、先に述べたように複数の人間(および楽器)のアンサンブルにきわめて有効なのだ。
そこで、この汎用性はいつの間にか巨大な「支配力」を発揮し、20世紀なると、世界中のあらゆる民族の音楽が、この「4拍子」に侵略されてゆく。
その最大の触媒が、「ビート音楽」である。
◇ビート・ミュージック
西洋社会では、リズムを知的レベルに押し上げた「4拍子」を手に、まずヨーロッパ内で音楽の汎世界化の流れが始まった。いわゆるクラシック音楽の潮流である。
あらゆるアンサンブルが可能な「4拍子」は、楽譜という記録メディアの発明を経て進化し、多人数によるコーラスやアンサンブルによる「多声部音楽」へ展開していった。
この時期の「4拍子」汚染は、ヨーロッパを席巻するだけで食い止まる。しかし、やがて20世紀前後に4拍子(フォービート)による大衆音楽(ポップス)へ展開してゆき、汎世界的で爆発的な繁殖を遂げることになる。
と同時に「4つ(2+2)」を数えられるようになった若い世代の人類は、さらに、「(2+2)、(2+2)」というリズムを手にすることになる。ロックに代表される「8(エイト)ビート」である。
最近では、さらに細分化されスピード感を伴った「16(シクスティーン)ビート」も登場しているが、このような「1、2、3、4」と数えるビートに依存する音楽を(ひとつに括って)「ビート音楽(ミュージック)」などと言う。
リズムだけならまだしも、ドラム族が叩き出すビートと、声やハーモニーが合体したビート音楽は、ある意味で最強の音楽兵器だ。
なにしろ「ビート」を聞くと、人間なら自然に体が動き出す。
しかも、ビートの速度を早めると、擬似的に鼓動が早くなる。外部からの音のアクセントが心臓マッサージのような役割を果たし、それにより「興奮する」効果が得られるのである。
そして、逆にビートの速度をゆっくり落とすと、擬似的に鼓動がゆっくりになり、気持ちを沈静化させる。(母親の胎内にいる時の、安らぎなのらしい)。それが「癒し」の効果として現れる。
こうして人間は、「知性的」かつ「生理的」レベルで「心」と「体」をコントロールする不思議な文明「音楽」を手にした(と同時に、音楽なしでは生きていけないという不治の病に感染した)わけなのである。
■3拍子
ところで、「2拍子」と「4拍子」の間には、もうひとつ拍子があることを忘れてはいけない。
1、2…と来たら、「3拍子」である。
◇ワルツ
この「3拍子」の音楽といえば、その代表格は何と言っても「ワルツ」だ。
日本語で「円舞曲」と書くように、くるくる回る踊りのためのリズムである。
さて、「2本足」の人間が歩くために「2拍子」が生まれ、知性の発達で「2+2拍子」が生まれた。
とすると、「3拍子」が生まれた要因は何だろう?
答えは簡単。「回転」するためだ。
それは「円」を描くことを想像してもらえばすぐ分かる。
1:動き始める
2:回転(ターン)する
3:元に戻る
・・・ここに「3」のリズムが生まれる。円周率が「3.14」であることを思い出してもらってもいい。
しかも、何かを手で回転させて動かすことを想像してみれば分かるように、必ずしも、円を三等分したところにリズムの「アクセント」があるわけではないことに気付く。つまり・・・
1:頂点から真下まで
2:真下を通過して上へ
3:元の位置(真上へ)戻る
要するに、円運動をするための「3拍子」は、
1拍めで、動かすための力を込めて、一気に下まで押し込み
2拍めは、その反動でさらに少し上まで戻るものの、勢いが失われ
3拍めは、一回転して、もう一度最初の力を入れる位置に戻る
・・・という「力の配分」で行われ、そのため、正確に「3」等分したリズムにはならない。
つまり、「3拍子」は、2あるいは4拍子とは性格が異なり、等間隔のビート(拍)を持つリズムではないのである。
その良い例が、ウィンナ・ワルツだ。文字通り「円運動」をするために生まれたこのワルツは、均等に3つを刻むリズムでは決してなく、伝統的に「1・2・3」の2拍目を微妙にのばす。
これは、ワルツを踊るとき、1拍目で足を踏み出し、2拍目でターンする時にドレスがふわっとなる分、少し拍が長くなる(?)とも、男性が女性を抱えてターンする時の「よっこらしょ」の分だけ長くなるとも言う。
確かに、この2拍目の「ふわっ」の部分のせいで、ドレスが翻る優雅さが表現されているように感じる。
これを正確な3等分リズムで刻むと、きわめて「ださい」ワルツになるのは確かだ。
そもそも円周率が「3.14」であるように、円運動は正確な「3」拍子ではありえない。なにしろ等間隔の3拍子では、「円」運動ではなく「三角」運動になってしまうからだ。
そこで、当然ながら「0.14」分だけどこかで「閏年」のような調整が必要になるわけで、それがこのウィンナ・ワルツ独特のリズム感になるのだろう。
(このウィンナ・ワルツのリズム比率については、たぶん「1:X:Y」というような数学的な解析が成されているはずだ。その証拠に、最近のコンピュータの演奏ソフトには「ウィンナワルツ風」にリズムを崩す機能がついている)
ちょっと不思議なリズム感に聞こえるワルツだが、実は、非常に「物理学的に」理にかなったワルツなのである。
◇スウィング
さらに、もう一歩この「3拍子」に踏み込んでみると、この円運動のリズムは、単に回転する踊りだけでなく、「体を揺らす」時にも有効だということに気付く。
2拍子の「1・2、1・2」という正確な直線的リズムだけでは、どこまでも軍隊の行進のようで、機械的というか非人間的な「お堅い」イメージがぬぐえない。
かと言って、「1、2、3」とリズムを取ってしまうと、くるくる回り始めてしまう。
基本的な「1、2」のリズムのまま、これをもう少し楽な感じで「崩す」とどうなるだろう?
それには、「ゆっさ、ゆっさ」と体を揺らすことを想像してみるといい。
例えば「1」で右に揺れ、「2」で左に揺れるのでは、まるでメトロノームで、堅苦しい。
しかし、ちょっと自由度を加えて、「1・2」で右に揺れ、「3」で元に戻ればどうだろう。
これも円運動の変形だが、体を硬直させた「(正確な)2拍子」と違って、てきめん「体のしなやかさ」を醸し出すリズムになる。
それが「スウィングするリズム」である。
ジャズの基本である「スウィング」はこれ。
楽譜では「♪♪」と記譜してあっても「♩♪」と3連符で弾く。
スウィング(Swing:揺らす)という言葉の通り、体をゆっさゆっさと揺らす独特のノリのリズムになる。
ちなみに、スウィングと言ったらジャズだが、これは別にジャズの専売特許ではなく、一説にはバロック時代(あるいはそれ以前)からあったらしい。
楽譜には普通に書いてあっても、演奏の場合はスウィングのように弾く流派はあちこちに存在していたのだそうだ。(ただし、当然ながら証拠の録音は残っていないのだが)
また、ジャズの場合は、スウィングと同時に、拍の頭ではなく裏拍にアクセントを置くことで、さらに「ジャズっぽい」グルーヴ感(groove:ノリ)を生み出す。
つまり「1、2、1、2」の2にアクセントを置く(手拍子を打つ)わけで、(これは確か映画「スウィングガールズ」でもやっていた)、これだけであっという間に「お堅い」4拍子に「ノリ」っぽいものが加わる。
このように、基本の「2拍子」をさまざまに「変化させ」あるいは「崩す」ことによって、人間は音楽(リズム)に色々な味付けを施し、高度な文化にまで高めてきたわけである。
・・・と色々リズムについて思うことをとりとめなく列挙してきたが、今回はここまで。
次回(来月号)は、そんなリズム崩しから変拍子までを含めた、ちょっと複雑なリズムのお話をしてみよう。お楽しみに。
ちなみに、ここで述べているリズム論は、私が勝手に提唱している持論であって、音楽学会(そんなものがあるのかどうか知らないが)の承認を受けたものではありませんので、すべてを無防備に信じませぬよう。くれぐれも。
*
ウィーン・シュトラウス・フェスティバル・オーケストラ
ニュー・イヤー・コンサート2009
2009年1月7日(水)19:00開演 サントリーホール
ペーター・グート(指揮とヴァイオリン)
鮫島有美子(ソプラノ)
山本武志(プロダンサー)
スッペ:序曲「ウィーンの朝・昼・晩」
シュトルツ:プラーター公園は花ざかり
シュトルツ:“お気に入り”より「君はわが心の皇帝」
レハール:「メリー・ウィドウ」より“女房たちのワルツ”
レハール:「メリー・ウィドウ」より “メリー・ウィドウ・ワルツ”
J.シュトラウスII:ウィーン気質
ヨハン&ヨゼフ・シュトラウス:ピッツィカートポルカ
J.シュトラウスII:「美しく青きドナウ」
ジーチンスキー:ウィーン我が夢の街
ほか、お馴じみのワルツとポルカの数々
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コメント
いつも,興味深い内容で,楽しんでおります。
リズムに関する非常に奥深い考察は,目から鱗です。
一つだけ,気になる点がありました。
俳句は,5・7・5ですが,実際には四拍子のような気がします。
つまり,
ふるいけや・・・|・かわずとびこむ|みずのおと・・・
という感じで,休止があるからです。
投稿: katafen | 2008/12/10 19:16
憂太郎と申します。
はじめてコメントいたします。
Katafen氏と同じ意見です。
「ふるいけや かわずとびこむ みずのおと」は,字で書けば変拍子のようにみえます。
しかし,声に出して言ってみればはっきりとわかりますが,私たちがこれを読んで鑑賞する場合,「ふるいけや」のあとに3拍分の休符をとります。そして「かわずとびこむ」の前に1拍分の休符をとります。また,「みずのおと」と言ったあとには,無意識に3拍の休符を数えていると思います(この続きのある短歌や和歌を連想すれば,わかりやすいでしょう)。
つまり,字面では5・7・5でも,拍子でいうと8拍子(=4分の4拍子)となります。つまり,私たちは,いわゆる「間」をとることによって,拍子感をだしているのです。
投稿: 憂太郎 | 2008/12/11 23:03
わたしがふるいのでしょうか。
俳句ですら四拍子で数えているなんて驚きです。
四拍子の侵略という意味が分かったような気がします。
次回そのあたりの解析に期待です。
投稿: pip | 2008/12/11 23:36