2008/12/10

リズムについてのあれこれ(前編)

Rhythm_2 音楽の三大要素は「リズム」「メロディ」「ハーモニー」。

 今回と次回は年末新年特集?として(そして新年のウィンナ・ワルツに因んで)その中の「リズム」の話を思い付くままにしてみよう。

■リズムとは?

Heart そもそもリズムとは、ある時間の中に、アクセントを持つ音の強弱が連続すること。
 それが、人為的でも自然のものでも、我々人間はそれを「リズム」と感じる。

 基本の基本は、心臓の鼓動だ。「どっくん、どっくん」。
 だからリズムの単位を「ビート(拍)」という。

 英語で書くと「rhythm」。ちょっと変わったスペルなので、「rizm」などと間違えて覚えないこと。

Pulse ちなみに、アクセントの連続でも、まったく強弱のないものはリズムと言わない(敢えて言えば「パルス(pulse)」である)。

そして、強弱がある場合、その強弱の間隔が2つなら「2拍子」、3つなら「3拍子」という。これがリズムの基本である。

■2拍子

2beat_2 そんなリズムの原点はというと、何と言っても「2拍子」である。

 アクセントの強弱…という以上、「ひとつ」ではリズムでないわけで、となると、もっともシンプルにして根源的なリズムは「2」だ。

 なぜ「2」なのか?というのは、細かく言うと宇宙の出来方の根源に関わる(物理学的あるいは数学的な)問題をはらんでいるらしいのだが、そんなややこしい話はここではしない。

 ここは単純に、「2」というのが宇宙で最もシンプルな数だから、ということで納得すればいいだろう。

 とにかく、この世界の根源に関わる数である「2」というビートに、人間は「音楽」を感じたのである。

12 さらに、「2」というリズムを刻むことは、「人間の存在」を意味するという点も重要だ。
 なぜなら、ものを叩いて一定の間隔で「2」を刻むリズムは、(知能を持ち、2本の足と手を持つ)人間にしか作りえないからだ。

 つまり「リズムがあるところ」、それはすなわち「人間が存在するところ」ということになる。

 かくして、人間が猿から進化して「2本足」の直立した動物になった時点で、この「2拍子」は人間の存在証明として、そして歩く(行進する)リズムとして、(たぶん言葉より先に)人類の文化となったわけである。 

■4拍子

◇4/4

44 …のだが、実際は、西洋クラシック音楽を始め、現在のポップスでも、ほとんどの音楽が「4拍子」で出来ている。

 ソナタも交響曲もオペラも、ロックもポップスもタンゴもサンバも、ダンス・ミュージックから歌謡曲まで、すべて4/4だ。

 その理由はいろいろ考えられる。

 まず、人間には「2本の手」と「2本の足」がある。そこで、「2+2」すなわち「4拍子」が、人間のもっとも自然なリズムになった。
 これがひとつ。

Photo もうひとつは、「鼓動」だけでなく、「呼吸」も深く関わっているという考え方。つまり、歩くのは「2拍子」だが、そも早さの基準には「呼吸」が関わっているということ。
 
 つまり、「1・2(吸う)」、「3・4(吐く)」で4拍子というわけである。

 また、一説に、西洋音楽ではそもそもリズムの基本が「馬」であるせい、と言う人もいる。

 確かに、モデラート(並足)、アレグロ(早足)など、乗馬に関係するようにも思えなくもないが・・・。さて?

 人間も大昔は(たぶん)4本足の動物だったわけで、その原始の記憶から「4拍子」が基本リズムなのだ、と言う人もいるが、だとすると、6本足の昆虫では6拍子が基本なんだろうか?

 そして、8本足のタコにとっては8拍子が基本?

◇4拍子の謎

1234 この件について面白い説は、人間が「2+2」を数えられるようになったところから「音楽」が始まった、というもの。

 言葉を持たない未開の民族では、ものを「1、2、3、たくさん、たくさん」と数え、4以上はすべて「たくさん」であって、区別することが出来ない(のだそうだ)。

 しかし、これは別に未開の民族に限らず、現代人であるわれわれでも、ひと目見て直感的に認識できるのは「3まで」というのが基本のような気がする。

 例えば、目の前にタマゴを並べられた時。「ひとつ」と「ふたつ」そして「みっつ」までは、目でちらっと見ただけで識別できる。

 しかし、それ以上となると、4は「2+2」、5は「2+3」という認識でしか認識できない。

 それはリズムの拍も同じ。「2拍子」や「3拍子」は別に数えなくてもリズムをつかめるが、「4拍子」は頭の中で「1、2、3、4」と数えている自分がいる(ような気がする)

 つまり、この「4拍子」こそは、人間が「1、2、3,たくさん」の未開の世界から抜け出し、4つ以上を数えられるようになって生まれたリズムであり、さらに言えば、文明の域に達したことで手にした「知性のリズム」ということになる。

 要するに「4拍子」とは、人間が動物から進化して「知的生物」になった時に初めて手にした、最初の(そして、もっともシンプルにして高度な)知的リズムなのである。

 それは、まるで人類の文明における「火の発見」を思わせる。
 …と言ったら大げさか・・・

◇2+2拍子

2 もっとも、この「4拍子の謎」、なんのことはない、単にアンサンブルのためのテクニックに過ぎないと言う人もいる。

 基本のリズムは、すべて「2拍子」。しかし、「い〜ち〜、に〜い〜」とゆっくり数えるのでは、2拍目の縦が合いにくくアンサンブルの精度が保てない。

 そこで「1・と・2・と」というように、拍の間にガイド点を設ければ、アンサンブルの精度が高くなるというわけだ。

 要するに、2拍子は「2/2」、4拍子は「4/4」。リズムが細分化されただけで、本体は全く変わらず元の2拍子のまま、ということになる。
 
 しかし、これは結構重要なポイントだ。なぜなら「1、2、3、4」の拍子に合わせることで、複数の人間が合奏&合唱することが出来るのだから。

 それはつまり、どんな旋律もどんな楽器もアンサンブルに加わることが出来る「合奏(アンサンブル)」の誕生を意味する。

 そしてそれは、あらゆるタイプの音楽を合併し吸収する強力な「核力」を生み出す。まさに革命的な「大量生産(繁殖力)」可能な音楽が、この「4拍子」を核にして人間の文明に登場したわけなのである。

◇4拍子の呪縛

 ただし、(話がちょっと戻るが)この「4」拍子、東洋音楽や世界各地の伝統的な民族音楽では、決して主流ではないことは明記しておこう。

 民族伝統の音楽は、その民族の「ことば」から生まれるリズムに乗っ取っていて、それは必ずしも「4」ではないからだ。

Haiku 例えば、日本の俳句は「5、7、5」のリズムを持ち、それが少しも不自然な変拍子には聞こえない。

 むしろ、「4」に縛られない伸び縮みする拍数のリズムの方が、そもそもは「自然」なのだ。(その件については、後編でもちょっと触れよう)

 その点では、「4拍子」というのは、ある意味では暴力的な「支配」を生み、音楽に封建制度をもたらす危険なリズムと言えなくもない。

 しかし、知性が生み出した「4」拍子の画期的な点は、その汎用性にある。要するに、先に述べたように複数の人間(および楽器)のアンサンブルにきわめて有効なのだ。

 そこで、この汎用性はいつの間にか巨大な「支配力」を発揮し、20世紀なると、世界中のあらゆる民族の音楽が、この「4拍子」に侵略されてゆく。

 その最大の触媒が、「ビート音楽」である。

◇ビート・ミュージック

 西洋社会では、リズムを知的レベルに押し上げた「4拍子」を手に、まずヨーロッパ内で音楽の汎世界化の流れが始まった。いわゆるクラシック音楽の潮流である。

 あらゆるアンサンブルが可能な「4拍子」は、楽譜という記録メディアの発明を経て進化し、多人数によるコーラスやアンサンブルによる「多声部音楽」へ展開していった。

 この時期の「4拍子」汚染は、ヨーロッパを席巻するだけで食い止まる。しかし、やがて20世紀前後に4拍子(フォービート)による大衆音楽(ポップス)へ展開してゆき、汎世界的で爆発的な繁殖を遂げることになる。
 
 と同時に「4つ(2+2)」を数えられるようになった若い世代の人類は、さらに、「(2+2)、(2+2)」というリズムを手にすることになる。ロックに代表される「8(エイト)ビート」である。

4816 最近では、さらに細分化されスピード感を伴った「16(シクスティーン)ビート」も登場しているが、このような「1、2、3、4」と数えるビートに依存する音楽を(ひとつに括って)「ビート音楽(ミュージック)」などと言う。

 リズムだけならまだしも、ドラム族が叩き出すビートと、声やハーモニーが合体したビート音楽は、ある意味で最強の音楽兵器だ。

 なにしろ「ビート」を聞くと、人間なら自然に体が動き出す。
 しかも、ビートの速度を早めると、擬似的に鼓動が早くなる。外部からの音のアクセントが心臓マッサージのような役割を果たし、それにより「興奮する」効果が得られるのである。

 そして、逆にビートの速度をゆっくり落とすと、擬似的に鼓動がゆっくりになり、気持ちを沈静化させる。(母親の胎内にいる時の、安らぎなのらしい)。それが「癒し」の効果として現れる。

 こうして人間は、「知性的」かつ「生理的」レベルで「心」と「体」をコントロールする不思議な文明「音楽」を手にした(と同時に、音楽なしでは生きていけないという不治の病に感染した)わけなのである。

■3拍子

34 ところで、「2拍子」と「4拍子」の間には、もうひとつ拍子があることを忘れてはいけない。

 1、2…と来たら、「3拍子」である。
 

◇ワルツ

Vwaltz この「3拍子」の音楽といえば、その代表格は何と言っても「ワルツ」だ。
 日本語で「円舞曲」と書くように、くるくる回る踊りのためのリズムである。

 さて、「2本足」の人間が歩くために「2拍子」が生まれ、知性の発達で「2+2拍子」が生まれた。
 とすると、「3拍子」が生まれた要因は何だろう?

 答えは簡単。「回転」するためだ。

 それは「円」を描くことを想像してもらえばすぐ分かる。
 1:動き始める
 2:回転(ターン)する
 3:元に戻る
 ・・・ここに「3」のリズムが生まれる。円周率が「3.14」であることを思い出してもらってもいい。

Round しかも、何かを手で回転させて動かすことを想像してみれば分かるように、必ずしも、円を三等分したところにリズムの「アクセント」があるわけではないことに気付く。つまり・・・
 1:頂点から真下まで
 2:真下を通過して上へ
 3:元の位置(真上へ)戻る

 要するに、円運動をするための「3拍子」は、
 1拍めで、動かすための力を込めて、一気に下まで押し込み
 2拍めは、その反動でさらに少し上まで戻るものの、勢いが失われ
 3拍めは、一回転して、もう一度最初の力を入れる位置に戻る
 ・・・という「力の配分」で行われ、そのため、正確に「3」等分したリズムにはならない。

 つまり、「3拍子」は、2あるいは4拍子とは性格が異なり、等間隔のビート(拍)を持つリズムではないのである。

Dancesteps その良い例が、ウィンナ・ワルツだ。文字通り「円運動」をするために生まれたこのワルツは、均等に3つを刻むリズムでは決してなく、伝統的に「1・2・3」の2拍目を微妙にのばす。

 これは、ワルツを踊るとき、1拍目で足を踏み出し、2拍目でターンする時にドレスがふわっとなる分、少し拍が長くなる(?)とも、男性が女性を抱えてターンする時の「よっこらしょ」の分だけ長くなるとも言う。

 確かに、この2拍目の「ふわっ」の部分のせいで、ドレスが翻る優雅さが表現されているように感じる。
 これを正確な3等分リズムで刻むと、きわめて「ださい」ワルツになるのは確かだ。

 そもそも円周率が「3.14」であるように、円運動は正確な「3」拍子ではありえない。なにしろ等間隔の3拍子では、「円」運動ではなく「三角」運動になってしまうからだ。

 そこで、当然ながら「0.14」分だけどこかで「閏年」のような調整が必要になるわけで、それがこのウィンナ・ワルツ独特のリズム感になるのだろう。

Ballet(このウィンナ・ワルツのリズム比率については、たぶん「1:X:Y」というような数学的な解析が成されているはずだ。その証拠に、最近のコンピュータの演奏ソフトには「ウィンナワルツ風」にリズムを崩す機能がついている)

 ちょっと不思議なリズム感に聞こえるワルツだが、実は、非常に「物理学的に」理にかなったワルツなのである。

◇スウィング
 
Swinga さらに、もう一歩この「3拍子」に踏み込んでみると、この円運動のリズムは、単に回転する踊りだけでなく、「体を揺らす」時にも有効だということに気付く。

 2拍子の「1・2、1・2」という正確な直線的リズムだけでは、どこまでも軍隊の行進のようで、機械的というか非人間的な「お堅い」イメージがぬぐえない。

 かと言って、「1、2、3」とリズムを取ってしまうと、くるくる回り始めてしまう。

 基本的な「1、2」のリズムのまま、これをもう少し楽な感じで「崩す」とどうなるだろう?

 それには、「ゆっさ、ゆっさ」と体を揺らすことを想像してみるといい。

 例えば「1」で右に揺れ、「2」で左に揺れるのでは、まるでメトロノームで、堅苦しい。
 しかし、ちょっと自由度を加えて、「1・2」で右に揺れ、「3」で元に戻ればどうだろう。

 これも円運動の変形だが、体を硬直させた「(正確な)2拍子」と違って、てきめん「体のしなやかさ」を醸し出すリズムになる。

 それが「スウィングするリズム」である。

Swing ジャズの基本である「スウィング」はこれ。
 楽譜では「♪♪」と記譜してあっても「♩♪」と3連符で弾く。

 スウィング(Swing:揺らす)という言葉の通り、体をゆっさゆっさと揺らす独特のノリのリズムになる。

 ちなみに、スウィングと言ったらジャズだが、これは別にジャズの専売特許ではなく、一説にはバロック時代(あるいはそれ以前)からあったらしい。
 楽譜には普通に書いてあっても、演奏の場合はスウィングのように弾く流派はあちこちに存在していたのだそうだ。(ただし、当然ながら証拠の録音は残っていないのだが)

Swingb また、ジャズの場合は、スウィングと同時に、拍の頭ではなく裏拍にアクセントを置くことで、さらに「ジャズっぽい」グルーヴ感(groove:ノリ)を生み出す。

 つまり「1、2、1、2」の2にアクセントを置く(手拍子を打つ)わけで、(これは確か映画「スウィングガールズ」でもやっていた)、これだけであっという間に「お堅い」4拍子に「ノリ」っぽいものが加わる。

 このように、基本の「2拍子」をさまざまに「変化させ」あるいは「崩す」ことによって、人間は音楽(リズム)に色々な味付けを施し、高度な文化にまで高めてきたわけである。

 ・・・と色々リズムについて思うことをとりとめなく列挙してきたが、今回はここまで。
 次回(来月号)は、そんなリズム崩しから変拍子までを含めた、ちょっと複雑なリズムのお話をしてみよう。お楽しみに。

 ちなみに、ここで述べているリズム論は、私が勝手に提唱している持論であって、音楽学会(そんなものがあるのかどうか知らないが)の承認を受けたものではありませんので、すべてを無防備に信じませぬよう。くれぐれも。

         *

Jpウィーン・シュトラウス・フェスティバル・オーケストラ
ニュー・イヤー・コンサート2009
2009年1月7日(水)19:00開演 サントリーホール

ペーター・グート(指揮とヴァイオリン)
鮫島有美子(ソプラノ)
山本武志(プロダンサー)

スッペ:序曲「ウィーンの朝・昼・晩」


シュトルツ:プラーター公園は花ざかり


シュトルツ:“お気に入り”より「君はわが心の皇帝」
レハール:「メリー・ウィドウ」より“女房たちのワルツ”
レハール:「メリー・ウィドウ」より “メリー・ウィドウ・ワルツ”


J.シュトラウスII:ウィーン気質



ヨハン&ヨゼフ・シュトラウス:ピッツィカートポルカ


J.シュトラウスII:「美しく青きドナウ」

ジーチンスキー:ウィーン我が夢の街
ほか、お馴じみのワルツとポルカの数々

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2008/11/10

音楽の荒唐無稽とウソ〜ショスタコーヴィチ「明るい小川」をめぐって

Shostako 歴史に「もし」を持ち込むのは無意味である…とはよく言われることだ。でも、音楽を聴くたびに無数の「もし」が頭をよぎるのは止められない。

 「もしモーツァルトが50歳を過ぎるまで長生きしていたら」「もしベートーヴェンの耳がよく聞こえていたら?」「もしショパンがピアノに出会わなかったら?」「もしチャイコフスキーが音楽院に行かずそのまま役人になっていたら?」「もしシェーンベルクが12音などというものを発明しなかったら?」・・・そして「もしジョン・レノンがポール・マッカートニーと出会わなかったら?」

 その中でも、私が個人的に非常に興味をもつのは、「もしショスタコーヴィチがソヴィエト政府と関わることなく(自由に)創作を続けていたら?」という「もし」だ。

 ◇作曲家と国家政府

Mo 作曲家がその時代の政治と関わる例は、あまり多くない。モーツァルトやベートーヴェンがいかに人類の生んだ最高の芸術家でも、生きている時代の社会的地位は「ただの音楽家」。有名文化人として国王や貴族および大衆に顔が知られているのは確かだが、政治的発言権があったとは思えない。

 しかし、やがてヴェルディやワーグナーあるいはプッチーニなどのような大ヒット・オペラ作家が生まれるようになると、社交界に顔が利いて社会的地位も上がり始める。バイエルン国王に劇場設立の金を出させたワグナーなどは、「有名人(あるいはセレブ)として国家政府に関わった外交的作曲家の代表格だろう。

 さらに20世紀になると、ウィーンを始めとするヨーロッパの歌劇場でかなり政治的権力を持つようになったマーラーや、ナチスドイツ政権下で音楽総裁(日本で言うなら文化庁長官?)という文化芸術の最高権力の地位に登りつめたリヒャルト・シュトラウスなどが登場する。

 そこまで政治的な地位はなくても、例えばイギリスのエルガーや、フィンランドのシベリウスなどは、国を代表する音楽家として国家的待遇を受けている。国としては(世界的に著名な文化人として)少なくとも「優秀な外交官」一人くらいの価値を見出していたと言っていい。
 
 そのあたりは、今で言うなら、「映画俳優」とか「人気ロック・グループ」あるいは「オリンピックで金メダルを取った選手」という感じか。
 
 なにしろクラシック音楽を聴くようなセレブリティ相手の「人気」だから、高学歴・高年齢・高収入な人種が相手である。
 そんなセレブ人種に有効な、世界的に流布されている文化メディアの「著名人」で、新聞や各種メディアがこぞって取り上げ、首から国の名前をぶらさげている宣伝広告マン。しかも、政治的な発言はしない。これはもう、外交のための客寄せパンダ…として(ある意味)最高の存在である。

 こういう「パンダ」が数匹いてくれたら、国としては便利極まりない。なにしろ相手国にひとり送り込めば、下手な外交官数十人分の外交を果たしてくれるのだ。宣伝効果も抜群だし、きわめて経済的なのだから。

 …と、そんな外交戦略の中に、20世紀初期から中期までは「クラシック界の作曲家」も混じっていたわけであり、第2次世界大戦から東西冷戦期に「東側」のそんな音楽外交官としてスポットを浴びていたのが、かのショスタコーヴィチである。

 ◇ソヴィエト連邦の誕生とショスタコーヴィチ

Cccp 1917年のロシア革命を発端として、新しい社会主義国家「ソヴィエト社会主義共和国連邦(U.S.S.R)」が20世紀に産声を上げた。正式な発足は1922年。

 共産主義(いわゆるマルクス=レーニン主義)の始祖であるウラジーミル・レーニンを建国の父として生まれたこの国は、1991年に解体するまでほぼ70年間、アメリカ合衆国と並ぶ地球最大最強の国家として、そして東側を代表する超巨大国家として世界に君臨することになる。

 今でこそ「東西」冷戦とか分裂と言っても、若い人にはピンと来ないかも知れないが、かつては第二次世界大戦後の世界を真っ二つに分けた対立の構図だった。「東側」とは、ソヴィエトや東ドイツ、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ポーランドなど社会主義国家群、それに対して「西側」は、アメリカ、イギリス、フランス、西ドイツなど自由主義国家群である。念のため。

 現代ではさすがにソビエトを始めとする東側の社会主義を礼賛する人は少数派だが、誕生直後は、20世紀という新しい時代の未来を担った新興国家であり、理想的な社会がそこに生まれるかも知れないという「期待」を持っていた人は少なくなかった。

 Stしかし、その期待された国の始祖レーニンはソヴィエト連邦誕生の翌々年1924年にあっさり死去し、ソヴィエトはその弟子であり一党独裁を強化する野望に燃えるヨシフ・スターリンの政権下となり、激動の時代へ突入する。

 そして、そんな時代に「運悪く」作曲家としての第一歩を踏み出したのが、我らがドミトリ・ショスタコーヴィチである。なにしろ、このスターリン政権下のソヴィエト連邦が誕生した翌年(1925年)に、19歳で交響曲第1番を引っさげてデビューしたのだから!(なんという間の悪さだろう!)
 
 おかげで彼は、新しい国家「ソヴィエト連邦」が生んだ最初の青年作曲家として注目を受け、「現代のモーツァルト」と絶賛され、まさに「期待の星」としてめきめきと頭角を現してゆくのはいいのだが、そこから「ちょっと奇妙な世界」に踏み込んでゆく。

 ◇社会主義リアリズム

St2 さて、この「ちょっと奇妙な世界」ソヴィエト連邦は、「人類史上初の社会主義国家」として(当然ながら)「新しい理想的社会」の建設を目指していた。

 それは、ある意味では壮大な「実験」だった。「王様や金持ち」vs「労働者・庶民」という・・・「支配(搾取)するもの」と「支配(搾取)されるもの」・・・という構図を打破し、民衆がすべて「平等」に生活できる、労働者のための理想国家を(少なくとも理想としては)作ろうとしたのである。

 そのためには、政治・経済の改革だけでなく、「科学・産業」や「文化・芸術」も「社会主義的な理念」が要求される。そう考えた。

 特に、文化芸術における方針は、スターリンが提唱した(とされる)「社会主義リアリズム」・・・形式においては民族的。内容においては社会主義的・・・という言葉に集約される。

 要するに「芸術」は…

・平明で分かりやすく
・労働者階級(大衆)に健全な娯楽を供給し
・ロシアの民族的伝統を正しく継承し
・夢物語ではなく現実(リアリズム)に即し
・かつ社会主義的な思想にのっとったもの

 …であるべきとされたのである。

 これは、政治家が「音楽」に求めるものとしては、至極妥当な見解と言えなくもない。まあ、役人的な頭で「音楽」を考えたら、こういうものが「理想」なのだろう。それは、何となく想像できる。

 ただし、これが条例となって、「正しく民族的」とか「平明で健全」あるいは「社会主義的」という方針が一人歩きし始める恐ろしさも同時に感じざるを得ない。(そして、それは現実になるのである)。

Sch 対して、このソヴィエト誕生の1920年代というのは、西欧ではモダニズムがもてはやされた時代。音楽でも、ストラヴィンスキーの原始主義やシェーンベルクの12音主義が生まれた頃で、時代を先取りしたい若い作曲家にとっては、「平明で健全」とか「正しく民族的」などと言う指針は、完全に時代に逆行した「政治家の妄想」と思えたに違いない。

 ただ、この時点では、若きショスタコーヴィチとしては、まだ「未知の理想」に疑いを抱いてはいなかっただろうし、「反発心」も抱いていない。
 19歳のデビュー作「交響曲第1番」では、モダニズムとグロテスクさを噴出させたものの、その後21歳で書かれた交響曲第2番「10月革命」や、23歳の時の第3番「メーデー」では、社会主義的なスローガンを組み込み、一応は政策と折り合う方向を模索している。

 続いて22歳で発表したオペラ「鼻」は、ちょっと力を入れすぎて凄まじいモダンさと不条理さに偏ったが、24歳の時のバレエ「黄金時代」、25歳の時の「ボルト」では社会主義賛美の筋書きの中に自身のモダニズムを封じ込めることを試みている。

 さらに28歳の時に書いた集大成的なオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」では、彼なりに「ロシア的」で「大衆的」かつ「リアリズム」な作品を目指し、それを達成した。(しかも、再演を重ねて、人気も上々だ)。大成功じゃないか。ショスタコーヴィチとしては、そう思ったはずだ。

 ◇青天の霹靂としての「批判」

Ds3_2 ところが、その「才気」にガツンと鉄槌が下ろされる。1936年1月28日(ショスタコーヴィチ29歳)の「プラウダ」に掲載された「音楽ではなく荒唐無稽」という記事である。

 これは、具体的には1934年に初演されたオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」への批判で、特に彼の音楽について「調子はずれで理解不能なメロディの断片とキチガイじみたリズムで出来ていて、歌は金切り声や叫び声ばかりの荒唐無稽さ!」と一喝し、「平明で分かりやすい音楽とは全く逆の危険な傾向」と断罪する内容だった。

 そして、続いて2月6日には、1935年に初演されたバレエ「明るい小川」に対して、「バレエの嘘」というが記事が掲載された。こちらは、「バレエというロシアの伝統的な芸術を、かくも軽々しくも浅はかな世界に描くのは嘘いつわりと言うしかない」というかなり批判的な内容である。

Dmitri1975 この続けざまの2つの「批判記事」連打に、ショスタコーヴィチは驚愕する。(言ってみれば、新聞テレビで「詐欺で逮捕!」と大々的に放送され非難された某小室X哉みたいな状況なのだ。「人民の敵」というレッテルを貼られて作品が次々と上演拒否され、下手すると作曲家としての未来を完全に絶たれかねない最悪の事態である!)

 もちろん現代では、別にニューヨークタイムズの社説や朝日新聞の文化欄で自分のオペラやバレエに批判的な記事が載ったところで、それは単なる「好意的でない批評が載った」という程度のことであり、作家生命に関わる深刻な打撃ではない。

 しかし、当時の「プラウダ(皮肉なことに「真実」という意味)」はただの新聞にあらず。国家を牛耳るソヴィエト共産党の機関誌であり、そこに載せられた内容は(真実とはほど遠いにせよ)政府の公式見解に等しいのだから大変だ。

 革命を描いた交響曲も書き、オペラ「鼻」や「マクベス夫人」などの人気作もモノにし、自分なりに政府と折り合いを付け、ソヴィエトで最も期待される青年作曲家としてトントン拍子に出世してきた(と思っていた)ショスタコーヴィチだが、ここでザンブと冷や水を浴びせられる形になったわけである。

 ◇批判は妥当だったのか?

Dss1 この時のプラウダによる批判記事を、役人による「見当違いの芸術批判」とする見方もあるが、そうとも言い切れない。(若くして人気の作曲家に対する妬みやっかみが見え隠れするのは確かだが)その批判内容は、必ずしも的外れではなく、一応は的確と思えるからだ。

 なにしろ「マクベス夫人」の音楽に対する描写は、まさに「その通り」だし、「明るい小川」への指摘もツボを得ている。
 ただし、オペラでは作曲家は敢えて「調子はずれの音」や「キチガイじみたリズム」を繰り出して主人公の異常な心理を描いているのだし、バレエでは平明さを心がけるゆえに虚構の音楽世界に徹している、のだが。

 そこで、この「批判」を「あくまでも善意に」取れば、調子に乗っていろいろな音楽に手を出すあまり悪いクセが着いてしまった若い音楽家を「矯正」するべく、「伝統に忠実にね」とか「才能にまかせて書き飛ばすのではなく、内容を吟味しなさい」とか「フォームが乱れているから、基本に戻った方が良いよ」というアドバイスであり、文字通りの「助言」と言えなくもない。

Dss2 ところが、この記事が載った1936年というのは、スターリンによる独裁体制が確立されて、大粛正(政府に反対する勢力を抹殺する)が行われた時代の始まりの年。となると、かなり事情は違う。

 平和時ならただの「助言」でも、独裁政権下では「警告」。反抗して「反体制的」だと睨まれようものなら、ただちに「反逆罪」として銃殺されかねないのだ。(実際、この時期に粛正され銃殺された軍人、文人、一般人は、一説によると200万人!とも言われる)。ことは単に「音楽上の見解の相違」ではなく「命に関わる問題」ということになる。

 おかげでショスタコーヴィチは、その時に作曲中で12月に初演予定だった(モダンで非ロシア的な巨作)交響曲第4番を、演奏せずに撤回。それによって事態の悪化をかろうじて食い止めることになる。

 ちなみに、この「第4番」、確かに今聴くと、ショスタコーヴィチの若き才気が、モダンかつグロテスクでエネルギッシュでミステリアスに暴走した見事な力作(実際、純音楽的な交響曲としてはこれを彼の最高傑作と挙げる人も少なくない)。

 しかし、これが当時演奏されていたら確かに、オペラの「荒唐無稽」、バレエの「嘘」、交響曲の「支離滅裂」と叩かれ、作曲家生命の危機を迎えた(かも知れない)ことは想像に難くない。

Ds5 ところが、ショスタコーヴィチはそんなことではめげなかった。なんと翌37年(革命20周年)の11月には(第4番とはがらりと路線を変えた、しかし悲劇的な重厚さを湛えた)「交響曲第5番」を発表。政府が提唱する「社旗主義リアリズム」路線にのっとった名作として名誉回復を果たしてしまうのである。

 この第5番の内容についてはここで詳しく検証する余裕はないが、少なくともこの「変わり身の早さ」こそが、スターリン政権下のソヴィエトでショスタコーヴィチが生き延びた最大の要因となる。
 もっとも、それゆえに当時の西側諸国からは「体制に迎合する日和見作曲家」という誤解を受けることになるのだが・・・。(それが単なる「迎合」ではないことは、第5を聴けば明らかなのに)

 以後、死ぬまで続くショスタコーヴィチの複雑なストレスはここから始まった。

 ちなみに、戦後にも「ジダーノフ批判」というのがあって、独ソ戦に勝利した年に発表した「第9番」がちっとも壮大でも合唱付でもなかったことに対する「バッシング」が吹き荒れたのだが、そこまで行くと(とにかく「国の気に入らないことを敢えてやってやる」という)意地というか確信犯的なものを感じざるを得ない。

 ◇「荒唐無稽」と「ウソ(虚偽)」を比べてみる。

Dss3 それにしても、ショスタコーヴィチというのは不思議な人である。世界的ヒット作となったこの第5交響曲以後も、彼は「問題作」を書いては「国から批判を受け」、それに答えて「平明な作品を書いて名誉回復し」、しかし、その舌の根も乾かぬうちにまたぞろ「(反体制的な)問題作」を発表して当局に睨まれる…というイタチごっこ的な創作を繰り返している。

 おかげで15曲ある交響曲も、その評価はバラバラだ。
 政府に誉められて輝かしい評価を得た「第7番(レニングラード)」や「第11番(1905年)」「第12番(1917年)」など、ソヴィエト礼賛系の作品は西側では体制迎合の作品として最低の評価を受け、まともに演奏されることすら少ない。

 一方、ソヴィエト政府から問題作扱いされた幻の「第4番」や、暗い戦争交響曲「第8番」、あるいは政府のユダヤ人政策を揶揄した「第13番(バビ・ヤール)」、無調音楽に接近した死についての歌曲集「第14番(死者の歌)」などが、現在は極めて高い評価を得ている。これは皮肉というべきか面白いと言うべきか。

 対して、初期のモダニズム炸裂のオペラ「鼻」や「カテリーナ・イズマイロワ(マクベス夫人を改訂改題)」、あるいは純音楽としてのコンチェルト(協奏曲)やカルテット(弦楽四重奏曲)は、幸いなことに社会主義的なスローガンが皆無なため、自由主義諸国でも「遅れてきた名作」として評価されている。

 その一方、プロパガンダが内容(特に歌詞!)に混じっているオラトリオ「森の歌」や「十の詩曲」、「10月」や「ステパンラージン」など革命や政治的人物を描いた交響詩、そしてソヴィエト時代の競技場や工場や農場を舞台にしたバレエ「黄金時代」「ボルト」「明るい小川」などは、まともに評価されているとはとても言い難い。
 (ただし最近では、黄金時代やボルトなどの世界は、「お伽噺」として容認されつつあるような気もするが)

 考えてみれば、ショスタコーヴィチの問題作はすべて「荒唐無稽」の衣をまとい、体制迎合作は道化が語る「ウソ(虚偽)」の物語と言えなくもない。そこに矛盾する二重の評価が錯綜し交叉するのは、彼の音楽の宿命なのだ。

 その点、最初の「プラウダによる批判」は、実に見事にショスタコーヴィチの音楽の二面性を予見し喝破していることになる!

 ◇幻のバレエ「明るい小川」

03 そんなショスタコーヴィチの道化的な「ウソ(虚偽)」の世界の代表作、幻のバレエというべき「明るい小川」を最近DVD(ジャパンアーツからもらったサンプル映像)で見ることが出来た。若い頃からのショスタコーヴィチ・マニアと自負する私でも、この作品をまともに聴き・見たのは、初めてなのだから、ショスタコーヴィチの世界はまだまだ奥が深い。
 
 今、バレエ「明るい小川」を見ると、音楽はどこまでも明るく平明かつダンサンブルで、「え?これがショスタコーヴィチ?」と驚いてしまうほど軽やかで屈託がない。感触としてはバレエというよりはほとんどミュージカルに近いと言うべきだろうか。「軽薄」と言ったらその通りだが、とにかくどこまでも「みんなで楽しく」の世界なのだ。
 
05 舞台はコルホーズ。これは、社会主義的な理想的農業を目指した集団農場のことで、タイトルの「明るい小川」はその農場の名前。要するに「小川牧場」といった感じだ。

 この舞台設定からして政治臭のある物語かと思いきや、話自体は、可愛い踊り子に浮気した夫を妻がやりこめて、最後はめでたしめでたし…という「フィガロの結婚」や「セヴィリアの理髪師」系の「愉快」で「軽やか」な人畜無害な物語。

 次から次へと繰り出されるコミカルなダンスの数々に酔い痴れているだけで、筋書きなど分からなくても充分面白い。まるでフレッド・アステアでも出てきて踊りそうな、どこまでも脳天気なコメディ仕立てで、楽しいと言ったらこれほど楽しい舞台はない。ソヴィエト製「ミュージカル・ショウ」の名作と言っていいだろう。

 事実、ソヴィエト国内での大衆的な人気という点では、ショスタコーヴィチ最大の成功作?だったのだそうだが、さもありなん。暗く深刻に歴史や戦争や社会主義を描く交響曲なんか、一般大衆からすれば「面白くも何ともない」わけで、「労働者の娯楽」としては、これこそ理想の逸品と言うべきだろう。
 (そのあたりの構図は、黒澤明の文芸大作よりも、「男はつらいよ」の方が大衆には受ける…みたいなものか)

07 しかし、あまりにミュージカル的(というよりショー仕立て)だから「ロシアの伝統的バレエ」とか「社会主義リアリズム」とかいう視点から見ると、問題が多いことは否めない。そこが、お堅い役人たちの不評を買った理由のようだ。

 なにしろ、これだけダンスが続くのに、いわゆるチャイコフスキー的な「ロシア的」「民族的」な香りはほとんどなく、だからと言ってストラヴィンスキー的な「先鋭的」「機械的」な香りもない。
 これを「バレエというロシアの伝統的な芸術を、かくも軽々しくも浅はかな世界に描いた」「嘘(いつわり)の世界」と見破った「プラウダ」は偉い!(のかも知れない)

 まさに「軽やかで軽妙な虚構(ファンタジー)の世界」がここにある。でも、芸術は「ウソ(虚構)だからこそ楽しい!」のでは?

 ◇ショスタコーヴィチの「もし」

Shosta で、そうそう、(ずいぶん回り道をしたが)最初のテーマである「もしショスタコーヴィチがソヴィエト政府と関わることなく(自由に)創作を続けていたら?」に戻ろう。

 彼が、批判も粛正も米ソの軋轢に巻き込まれもせず、すくすくと創作を続けていたら・・・
 
 ・・・まずは、交響曲第1番、オペラ「鼻」、「ムツェンスク郡のマクベス夫人」、交響曲第4番…という路線の延長線上に、「政治的プロパガンダなし」の「モダニズム音楽」を書いていた・・・ことは間違いない。

 とすれば、音楽としては、第5番以降に聴かれる苦虫を噛みつぶしたみたいな(時に退屈極まりない)哲学的アダージョはなくなり、暴走するアレグロや軋むリズム、そして独特の旋法にまみれた変拍子のメロディが、多彩な世界を描いたことだろう。

 そして、作品としては…まさしく現代におけるモーツァルトのように、オペラや交響曲やコンチェルトを縦横無尽に書き続け、少なくとも、(女性を主人公にした)連作オペラや、マーラーばりの巨大交響曲、そして思いもかけない主題のバレエや舞台作品を聴けたことだろう。

 あるいは、1950年代あたりには西側に亡命する選択肢だって、ゼロではなかったはずだ。とすれば、アメリカでバーンスタインと一緒に後期の交響曲を連作していた可能性だってあったかも知れない。

 彼のことだから、アメリカに亡命したとしても、ストラヴィンスキーのように主義手法を変えることはなく、こつこつと力作を生涯書き続ける姿勢は変わらなかったはず。でも、あのリズム感と才気なのだ。もしかしたら「ウエストサイド物語」ばりのミュージカルだって書いたかも知れない。

 それはそれで楽しい想像だ。

 でも、「人の不幸は蜜の味」(笑)。

 やっぱりソヴィエト連邦やスターリン独裁政権や独ソ戦や戦後の米ソ冷戦や雪どけに巻き込まれ、「苦渋」に満ちた人生を送ったショスタコーヴィチの音楽だからこそいい。
 つまらない結論かも知れないが、やはりソ(連)にあれショスタコーヴィチ。

 彼は「明るい小川」ではなく「暗い大河」なのだから。

 (あ、なんだかオチがついてしまった・・・)

          *


Bs_2■ボリショイ・オペラ「明るい小川」〈全2幕〉
作曲:ショスタコーヴィチ
振付:アレクセイ・ラトマンスキー

・12月9日(火)19:00
・12月10日(水)19:00
 上演時間:約2時間5分

・東京文化会館

Brightstream

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2008/10/10

現代音楽はお好き?

Scorexx 個人的に現代音楽についてはずっと「アンチ」を表明してきた。

「音楽は音楽でなければ音楽ではない」というテーゼ(?)の元に「現代音楽撲滅運動」というのを提唱したり、果ては「現代音楽は、ホロコースト・原爆と並ぶ20世紀の悪夢である」とぶちあげたり。

 もっとも、「あれは(ヨシマツ流の)プロパガンダにすぎない」…と(陰では)見抜かれているところもあるのも事実。何しろ、私は20代まではコテコテの「現代音楽マニア」だったのだから。

Scorex
 ただ、どんな現代音楽マニアでも「ゲンダイオンガク」の悪名の高さは認めざるを得ない。いわく「難解」、いわく「不気味」、いわく「メロディもハーモニーもリズムもない」、いわく「作曲家の独りよがり」。

 現代音楽界ではスーパースター級の作曲家であるメシアンやシュトックハウゼンやブレーズ、あるいはベリオやリゲティや武満徹などの作曲家の古典的名作ですら、一般の音楽愛好家の耳には(例えば同じ20世紀の作曲家…ラヴェルやプッチーニやショスタコーヴィチやピアソラなどのように)普通に愛好されているとはとても言い難い。

 その原因(つまり1920年代にアーノルド・シェーンベルク博士が主唱した「十二音主義」に端を発する〈無調音楽〉)と功罪についてはハッキリしているが、それについてはここでは触れない。あちこちで書いてきたし、もうアジるのにも飽きてきたし(笑)

 しかし、現代音楽のすべてが、ただひたすら「難解」で「楽しむ要素がなく」「聴衆の理解を超えて複雑」か?と言うと、それには「そんなことはない!」と声を大にして言いたいのも事実。
 なぜなら、現代音楽の諸作にも、音楽的に「面白く」「わかりやすい」書法が(確かに)あったのだから。(実際、私もそれに惹かれて現代音楽の書法を勉強したのだし)

 そして、その書法は、現代音楽という「調性がなくて」「メロディもリズムもなくて」「形式もない」という荒野を抜けたからこそ発見できた「音楽語法」なのだ。

 それに気付くと、現代音楽のちょっと違った聴き方が見えてくる。

          *
 
■グラフィック(お絵かき)スコア

Sonoris 私が十代で現代音楽的な作曲法に興味を持った時、一番「面白い」と思ったのは、ペンデレツキ、ルトスワフスキと言ったポーランドの現代作曲家が60年代に試みた「グラフィック・スコア」系の書式だ。

 単に「グラフィック・スコア(図形楽譜)」というと、デザイン画みたいになった楽譜を指す。音符よりも、マルや線やギザギザなどの模様がちりばめられたもので、イメージは何となく伝わるが、楽譜としての機能(どの音をどう演奏する)は放棄していて、完全に「絵」になってしまっているものが多い。

Uoza03 それでも、「丸い音」とか「四角い音」あるいは、「とげとげの音」とか「きらきらの音」などというのは、五線紙の音楽より「何となくのイメージ」は膨らむような気もしないでもないのだが。

 特に、電子音楽やテープ音楽では、そもそも音素材が「楽音」ではなく、「とげとげの音」や「きらきらの音」そのものなので、こういったデザインっぽい楽譜の方が作曲のイメージを伝えるのに有効だったに違いない。

 この「電子音楽」っぽい音を、オーケストラやアンサンブルで実現しようとした時に生まれたのが、次に紹介する〈トーン・クラスター〉という手法である。

■トーン・クラスター

Uoza01 「トーン・クラスター(Tone Cluster)」というのは、「音響の固まり」というような意味。楽譜に書くと、#♭だらけの音符がブドウの房(cluster)みたいに並ぶので、そう呼ばれている。

 音で言うと、例えばピアノの鍵盤をゲンコツか手のひらで白鍵も黒鍵も一緒くたにして鳴らすような音である。

 短音で鳴らすと「ぐちゃ!」とか「ごわん!」というようなノイズっぽい音になり、長音で鳴らすと「ごおー(低音)」とか「きいーん(高音)」のような摩訶不思議な音が得られる。

 この「トーン・クラスター」の最もシンプルかつ印象的な使い方の代表例が、リゲティの「アトモスフェール」(1961)というオーケストラ作品である。
 SF映画「2001年宇宙の旅」では、真空の宇宙空間の不気味さを表すのにこのサウンドが使われたので、ご記憶の方もおられるだろう。

Atomosphere スコアだと、こんな感じ→になる。

 要するに、最低音から最高音までのすべての音を(半音でずらしながら)オーケストラの楽器で一斉に鳴らす。「ぐちゃ〜〜」とも「ぐお〜〜〜」ともつかない神秘的で壮大な音がする。(確かに、真空の宇宙空間やブラックホールを思わせるような、無重力感たっぷりのサウンドである)

 しかし、これをスコアに書くのは大変だ。なにしろフル・オーケストラで80人近いオーケストラの楽器すべてが違う音を出すわけだから、その音の数だけ五線の段が必要になる。

 例えば、この作品(アトモスフェール)では、弦楽器はヴァイオリン:14+14、ヴィオラ:10、チェロ:10、コントラバス:8、計56の楽器がそれぞれ別の音を出すので、ストリングスだけで56段の五線譜が要る。

 さらに、フル・オーケストラの部分になると、フルート:4、オーボエ:4、クラリネット:4、ファゴット:4、ホルン:6、トランペット:4、トロンボーン:4、チューバ:1、それにピアノが加わる。さて、何段の五線紙が要るでしょうか?

 ところが、ここに「アイデア賞」ものの書法が登場する。それが、ペンデレツキが考案したクラスターのスコア。クラスターの一番下の音と上の音だけ指定して、あとは黒く塗りつぶすのである。
 なんという明快さ!。

Threnody スコアを見れば、そのシンプルさは歴然だ。ヴァイオリン24本、ヴィオラ10本、チェロ10本、コントラバス8本、計52の弦楽器が、4分音単位でずれた音程を2オクターヴに渡って鳴らす。

 これを伝統的なスコアの書式で書くと、52のばらばらの音を指定するのに五線は52段必要になる。
 しかし、この「グラフィックっぽい」書式を使えば、たったの6〜7段で記譜できる。

 しかも、個々のクラスターの質や動き(音のイメージ)が一目で分かる。こんなわかりやすいオーケストラのスコアがあるだろうか? もしかしたら、バッハのフーガなんかより遙かに「分かりやすい」楽譜なんじゃないだろうか?

 こういう「クラスター」をデザイン的に組み合わせて作品を作る一派を「クラスター楽派」などと呼んでいた。私も、現代音楽の語法での作曲は、当初このスタイルを基礎にしていた。

 しかし、このわかりやすい「グラフィックっぽい」スコアの書式は、その後さらにもう少し進化・発展する・・・

 ■デザイン&アドリブ

Cello02 例えば、こんな感じだ→。
 発想は(クラスターのデザインと同じで)グラフィックな音響パッチワークだが、素材は(一応)音符で出来ている。

 なので、楽譜は読めなくても、チェロがねちゃねちゃとソロをしている周りで、クラリネットが鳴り、次いでストリングスがゴチャゴチャと動き出す…という音のイメージは「見える」のではなかろうか?

 普通のクラシックのスコアでは、演奏していないパートも全休符が書き込まれたまま五線譜は存在するが、ここでは音を出していないパートの五線譜はバッサリ削除している。
 おかげで、どの楽器がどこでどういうパッセージを演奏し始めるか…というのが一目瞭然となる。極めて「視覚的」な発想だ。

 こういうスコアを見ていると、これはもはや「作曲」などではなく、「音響のデザイン」なんじゃないか?と思われる方もいるだろうが、まさにその通り。

 つまり「メロディ」でなく色々な「音の素材」を、「ハーモニー」ではなく「クラスター」的な発想で、「対位法」ならぬ「デザイン」として組み合わせてゆく。そんな「作曲法」が現代音楽の時代に生まれたわけである。

 この「クラスター楽派」のポイントは、一にも二にも「音の素材の斬新さ」だが、半音や微分音のクラスターにこだわっているだけでは、「動き」に欠けるのが致命的。所詮ロングトーンでしかないから、音楽に「律動感」がなくなるのである。

Cello01 そこで、音に「動き」を加えるべく、アドリブの早いパッセージを演奏してみる。
 音の選び方は「クラスター」と同じ。十二音だったり微分音だったり、どうせハーモニーとは関係ないのだから、何を弾いても(無調であれば)効果は同じだ。

 このあたりはジャズの発想(アドリブ)に似ている。しかも、ジャズと違って縦に合わせるアンサンブルの必要すらない。(なにしろ「ビート」がないのだから)

 となれば、楽器が「ぴろぴろぴろ」とか「きききき」とか「しゅるしゅるしゅる」とか自由に(アドリブ)でパッセージを演奏し、それを自在に組み合わせることで作品を「デザインしてゆく」…という書法が可能になる。

 これは、ちょっと画期的な作曲法だ。

 唯一の問題は、楽器が「アドリブ(でたらめ)」で弾くのを、どうアンサンブルとして成立させるのか?という点だが、それもシンプルな解決法がある。

Samplea 指揮者は、クラシックの楽曲では「4拍子」なら「1・2・3・4」という拍子を振る。
 しかし、このアドリブ・デザインでは、楽器のグループが「ぴろぴろ」や「ききき」を演奏し始めるタイミングで「キュー」(指さす)を出す。(例えば、指で「1」や「2」を示す)
 演奏者はその「キュー」の合図で「ぴろぴろ」を弾き出せばいいのである。

 ルトスワフスキが多用したのは、この手法。個人的には「センツァ・テンポ(テンポなし)書法」などと呼んでいたが、「偶然性」の音楽手法のひとつ、あるいは「アドリブ動律」などと呼ぶ人もいる。

 これ、なかなか「面白い」音楽の形ではないだろうか?

■折衷&調性への回帰

Threnodyt 私が、1980年に「朱鷺によせる哀歌」で試みたのは、この手法を「半音(要するに無調)」のクラスターでなく、「全音(要するに協和音)」のクラスターでサウンドさせてみる…という発想の転換だった。

 そこからは、極めてシンプルな結果が生まれる。つまり、モード(旋法)やコード(和音)の構成音でクラスターを作れば、Dm7とかGm9というハーモニー感を持った新しいサウンドが出来るのである!

 入口は「(無調の)トーン・クラスター」なのだが、気が付けば「ハーモニー」の世界がそこには広がっている。まるで、暗いウサギの穴を抜けたら「不思議の国」に出たような感じだ。

 ただ、こういう「デザイン」的な音楽の作り方というのは、調性のある音楽の延長線上に発想するのは難しい。機能和声や拍子に固執して音楽をやっている限り、おそらく100年たっても生まれ得なかった語法に違いない。

 しかし、一旦「調性」も「ハーモニー」も「リズム」もないことにして、そこから音素材の組み合わせだけで音楽をデザインする…という発想になった時、(思いも寄らない)新しい「音楽の形」が生まれた。これは、ちょっと面白い発見だった。

 となれば、この種の現代音楽的手法を、「調性」や「ハーモニー」や「リズム」のある世界に逆輸入して取り込めば、まったく新しい(かつ音楽的な)音楽語法が手に入るのではなかろうか!…と、考えるのは当然のことのように思われる。

 そんなこともあって、80年代以降はこの「グラフィックっぽい」書式も、クラスターや偶然性などの枠を越えて、「モード(旋法)」を交えて使われたり、ロマン派的な音楽をコラージュする方法として使われたり、と、いろいろな手法が試みられている(ような気がする)。

 私は「鳥」の音型をこのアドリブ・パッセージに応用して「鳥のシリーズ」というのを書き続けてきたが、音楽デザイン的に「様々な様式を取り込む」という発想は、クラシック音楽界とリンクした新しい作品が生まれる可能性を秘めている。と私には思える。

Piano01 例えば、ルトスワフスキが1970年にロストロポーヴィチのために書いた「チェロ協奏曲」や、1988年に(当時若手の大人気ピアニストだった)クリスチャン・ツィメルマンのために書いた「ピアノ協奏曲」も、その手法の一成果だ。

 チェロ協奏曲は、まだ現代音楽的なテイストを残しながら、超絶技巧のチェロに色彩的なオーケストラが絡む「音の遊びっぷり」が見事だったが、その18年後のピアノ協奏曲はかなりクラシック音楽のテイストが現れる。

 とは言っても、まだまだ不思議なサウンドは健在。ただ、鋭角的かつ挑戦的な趣向は後退し、旋法も交えた(どこかショパンやプロコフィエフも匂わせるような)軽やかなピアノのパッセージに、いくぶん控えめなオーケストラが音の遊びを仕掛けるように絡んでゆく。
 どこか「可愛らしさ」も感じる佳品である。

 こういう作品を聴くと、現代音楽がクラシックの諸先輩たち(実際、ルトスワフスキやペンデレツキは、ショパンの後輩なのだし!)との音楽的リンクを目指す「新しい時代」を感じられるような気がする。

 聴く側としては、そんな新しい時代の「音の遊び」を素直に楽しむのが一番だろう。
 確かに、聞き慣れた昔の音楽とはちょっと違うが、メロディやハーモニーがないから「分からない」と思いこむのは早計。ないからこそ面白い世界だってあるのである。

          *

■クリスチャン・ツィメルマン(p)/チョン・ミョンフン(指揮)

Zi◎2008年11月20日(木) 19:00開演
・ルトスワフスキ:ピアノ協奏曲
・チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調「悲愴」ほか
◇サントリーホール 大ホール(東京)
チョン・ミョンフン(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団

◎2008年11月23日(日・祝) 18:00開演
・ルトスワフスキ:ピアノ協奏曲
・ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調「運命」ほか
チョン・ミョンフン(指揮)、東京フィルハーモニー交響楽団

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2008/09/10

北京オリンピック記念:オペラ「トゥーランドット」考(後編)

Turandotb さて、登場人物も出そろったので、物語を始めよう。(前編を読んでいない方は、まずこちらから)

 ■第1幕

 むかしむかし。舞台は中国の首都、北京の王宮(紫禁城か)の前。夕方。

 役人が口上を述べる。「北京の人民たちよ。掟はこうだ」。すなわち、トゥーランドット姫に結婚を申し込んだ者には謎が3つ出される。それを解いた者は姫と結婚できるが、解けなかった者は「死」が待っている。

 その挑戦者(であり敗北者)、月の出と共に処刑される王子を一目見ようと、王宮の前の広場は人でごった返している。

 その騒ぎの中で、群衆にもまれて倒れそうになる老人と、それを介護するお供の若い女性。実は、国破れて盲目で放浪の身のティムール王と、付き人の女奴隷リューの二人。

 彼女が「誰か手を貸して」と声を上げたところで、偶然にもその近くにいた、同じく放浪の末に首都北京にやってきた王子カラフと再会する。

 再会を喜ぶ三人。その目の前をペルシャの王子が刑場に引かれてゆく。怒りに駆られた王子カラフは、その酷い姫の姿を見ようと身を乗り出す。

 しかし、トゥーランドット姫を一目見た王子カラフは、その美しさに魂を奪われる。そして、父王やリュー、さらに三人の大臣たちが止めるのも聞かずに、銅鑼を鳴らして謎への挑戦を宣言する。

Pinponpand ■ 第2幕

 三大臣ピン、パン、ポンが登場し、これまでのいきさつを述べる。

 むかしは、賑やかな祭りの場だったものが、姫に結婚を申し込む者に3つの謎を出し、解けなかった者は死刑、などという掟を作ってから、もう20人以上が犠牲になり、ひどいことになっている…という嘆きの歌。
 
 そして、ラッパの音が聞こえ、姫が登場して謎かけの儀式が始まる。

 命を粗末にせず心変わりを諭す老皇帝アルトゥーム。しかし、王子カラフはあくまでも謎への挑戦を要求する。
 「謎は3つ。死がひとつ」と言う姫に、カラフは「違う。謎が3つ。命がひとつだ!」と高らかに宣言する。

 最初の謎は「人々の上に翼を広げるもの。人々は追い求めるが、いつも夜明けと共に消えるもの」。王子は答える。「それは〈希望〉だ!」

 次の謎は「炎のように燃えるもの。夢を見れば燃え上がり、敗北や死で冷たくなるもの」。王子は答える。「それは〈血〉だ!」

 そして、最後の謎は「おまえに火を付ける氷。おまえを奴隷にも王にも出来るもの」。王子は考えたあげく答える。「わたしの勝ちだ。それは〈トゥーランドット〉!」

 挑戦者が3つの謎を解いたので喜ぶ群衆。しかし、結婚を渋る姫。「誓いは神聖じゃ」と姫をいさめる老皇帝。
 しかし、姫は拒む。「私はいやです。おまえのものにはなりません。それとも力尽くで抱こうというのですか?」

 王子カラフは「いや、姫よ。私は〈愛〉に燃えるあなたこそが欲しいのです」。
 そして、言う。「無理やり結婚を迫る気はない。今度は私が謎をひとつ出そう。私の名前を夜明けまでにあてなさい。そうしたら私は死んであげましょう」

Turandot01 ■第3幕

 かくして北京に「王子の名が分かるまで、今夜は誰も寝てはならぬ」というおふれが出る。

 役人たちは「もし名前が分からなかったら死刑になる!」と恐怖し、三大臣は、宝石を並べたり、拷問されるぞと脅かしたり、いろいろな手管を使ってカラフに辞退を申し出る。しかし、彼は聞く耳を持たない。

 やがて、放浪の老人とお付きの娘(老王ティムールと従者リュー)が、名無しの王子と会話を交わしている…という密告があり、二人が姫の前に引きずり出される。

 拷問をして名前を吐かせようとする役人たち。
 しかし、拷問をおそれながらも、リューは王子の名を決して言わない。「名前は私だけが知っています。でも決して言いません」

 拷問に耐え口をつぐむリューに「なぜ、そこまでして王子の秘密を守ろうとするのか?」と問う姫。リューは答える。「〈愛〉です。姫さま」

 そして美しいアリアが始まる。「氷に包まれたあなたも、熱い炎に負かされて、きっとあの方が好きになるでしょう。夜明けまでに…」。
 そして、役人からナイフを奪うと、自らの胸に突き立てて死ぬ。

 ショックを受ける姫と王子、死体にすがって泣き崩れる老ティムール王。「かわいそうなリュー。許しておくれ」と悲しむ民衆たち・・・・・

           *

 ・・・・実は、プッチーニが書き上げたのはここまでである。以前から病のため仕事が遅れがちだったプッチーニだが、ここまでのスコアを書き上げて1924年11月24日、死去する。

 しかし、台本とスケッチは残されていたし、生きていれば完成まで(おそらく)ひと月ほどというペースである。(出版スコアで言うと、全460ページほどのうち400ページが完成。残り60ページが未完)

Alfano そこで、残されたスケッチを元に、プッチーニの遺族がフランコ・アルファーノ(プッチーニより17歳ほど若いイタリアのオペラ作家)に補作を依頼し、6ヶ月ほどで完成する。
 そして、初演は、作曲者の死後1年半ほどたった1926年の4月に行われることになった。

 ただし、初演の指揮者トスカニーニは、(その補完のいきさつや出来に不満があったこともあり)初日の公演では、プッチーニが書いた最後のシーン(リューの死)まででタクトを置き、「ここでマエストロは亡くなりました」と言って、演奏を終えている。

Poster01 ■未完のフィナーレ

 プッチーニが完成できずに終わった最後の未完の場面の筋書きはこうだ。

 リューの死にショックを受けている姫に、王子カラフは言う。
 「死の姫、氷の姫よ。もう空から地上に降りてきなさい。あなたのために流された血を見なさい」
 しかし、姫は「私は人ではない。清らかな天の娘なのです。おまえが冷たい抜け殻を抱こうとも、私の心は天上にあります!」と拒む。

 そこで、カラフは「あなたの心が天上にあろうと、肉体はここにあります」と言い、姫にキスをする。

 おそらく生まれて初めて他人に(しかも異性に)肌に触れられたことで急に気弱になり、泣き始める姫。「ああ、トゥーランドットが消えてゆく。わたしの栄光は終わった。何という恥だろう」。「これ以上の勝利を望まないで。どうかあなたの名前の秘密と共にこの国を去ってください」。

 しかしカラフは言う。「秘密?。そんなものはない。私はあなたのものだ。その証拠に、私の命をあなたにあげよう」。「私の名はカラフ。ティムールの息子だ!」
 その途端、姫は叫ぶ。「あなたの名前が分かりました!」

 ふたたび壮麗な宮殿の前。
 皇帝や役人たちや居並ぶ民衆の前で、トゥーランドット姫は言う。
 「この男の名が分かりました」

 息をのむ人々。
 姫は続ける。「この人の名は…」

 「…愛!」

 後は、めくるめくようなハッピー・エンディングだ。民衆が「愛!」と呼応し、二人の愛を祝福し、「おお、太陽よ。命よ。世界の光よ。愛よ。永遠に!」と歌う壮大な合唱(「誰も寝てはならぬ」の美しいメロディ)と金管の別働隊までも加わる圧倒的なサウンドによる大団円の音楽が鳴り渡る。

Turandot01_2 ■もう一つのエンディング

 この幕切れ、確かに急展開ゆえに感動的だ。

 トゥーランドット姫が、「この男の名前」を「愛(Amor)!」と叫ぶ所は、いつ聞いてもゾクッとする。
 それに続く圧倒的なサウンドの洪水も、「大団円」にふさわしい光り輝くファンタジーを体感させてくれる。

 しかし、にもかかわらず、よく考えてみるとちょっと気になるところがいくつもあるのである。

 その1。リューの献身的な自死は、確かに感動的で心を動かされる。しかし、姫の側から見れば、これはカラフ王子に思いを寄せる「別の女がいた」ということであり、女性としてはあんまり「愛が深まる」要素ではないんじゃないだろうか?

 その2。カラフの言動も気になる。目の前で、自分への無償の愛を告白して死んだ女性(リュー)がいるのだ。その死骸を目の前にして「それはそれ、これはこれ」と別の女を口説き続けるのは、人間的にちょっと問題があるのではなかろうか?

 そのうえ姫に対して「自分が殺してきた男たちの血のことを思いなさい」と諭すに至っては、「今そこで自分のために死んだリューの血のことはどうなんだ?」と突っ込みたくなる。

 その3。にもかかわらず、自分に結婚を申し込んだ男性を何十人も殺してきた姫が、カラフのキスひとつでへなへなと〈愛〉に目覚める。

 まあ、キス一発で敵の女スパイを自分の味方にしてしまう往年のジェームス・ボンド(007)の例を持ち出すまでもなく、(あるいは大審問官にキスしたドストエフスキーの神の子の話を思い出してもいい)西欧文明におけるキスの威力は最強なのかも知れない。

 でも、これは現実にはあり得ない単なる「男の夢」なのではなかろうか。(まあ、だからこそオペラなのだ…と言ってしまえばそうなのだが)

          *

Score 一説には、プッチーニが「トゥーランドット」を最後の部分だけ未完成のまま死んでしまったのは、単に「作曲が間に合わなかった」だけではなく、この「氷のように冷たいお姫さま」が「愛」に目覚める過程がうまく描けなかったのが一因という。

 モーツァルト死後、弟子のジュスマイヤーが補完して完成させた「レクイエム」のように、この「トゥーランドット」も、「作曲家の意図を生かしたもっと別の補筆がありえるのではないか?」という不満と共に、別の補完版が試みられる要素は十分にある訳なのだ。

 そのひとつが、「トゥーランドット」初演から75年ほどたって書かれた現代作曲家ベリオによる補完版。メロディラインや台本はほぼ同じながら、オーケストレイションや演出の表現が違うことで、リューの死からの展開はずいぶん違った印象になっている。

Dvd05 この現代作曲家ルチアーノ・ベリオ(1925〜2003)による新しい補完版は、2001年にカナリア音楽フェスティバルのために書かれ、リューの死から終幕まで20分ほどを補筆完成させたもの。(ゲルギエフ指揮ウィーン・フィルによるDVD版で聴くことが出来る)

 アルファーノの補完による現在の版では、リューの死からカラフの告白そして「愛」の宣言から終幕までほぼ一直線に「サウンドの洪水」が力ずくで物語を進めるが、ベリオ版は(現代音楽風の不協和音やサウンドも含めて)いくぶん屈折した「暗さ」と「静けさ」が印象的だ。

 もちろん、さすがのベリオも、筋書を変えるまでの補完はしていない。「愛」の宣言の後、二人は抱き合い、合唱はそれを優しく包むように歌い、(まさに氷が溶けた世界のように)暖かく静かに終わる。
 ハッピーエンドではあるが、色々な悲しみを踏みしめての浄化された終焉。大音量で「愛!」を絶叫し、祝賀的な大団円になる現行版とは全く違った世界だ。

 なにしろ姫は「愛」に目覚めたことで逆に、今まで殺してきた王子たちやリューの犠牲を感じることとなり、「結婚」するからと言って脳天気に喜ぶことはもう出来なくなっている。

 そして、王子の方も、召使いリューから「告白」されたうえ、愛の証に「自殺」されてしまうわけで、そのショックが「心の傷」にならないわけがない。

 というわけで、二人は「愛」を語るもののそこに明るさはなく、暗く消え入るようなトーンで終幕が描かれる。当然ながら歓喜の合唱はなく、音楽は静かに厳かに終わるわけだ。
 ある意味では、こちらの方がはるかにリアルであり、現代人にとっては納得の出来る描写と言えそうだ。

 しかし、これではグランド・オペラとしての「トゥーランドット」のカタルシスはないのも事実。
 そもそもが男と女のおとぎ話なのだ。おとぎ話にリアルはいらない。やっぱり元の「トゥーランドット」の方がいい、という見方も賛成だ。

         *

Cd06 ここからは余談だが、カラフが謎の答えを口走ってしまい、姫がそれを聞いて「この者の名前が分かりました!」と叫んだ瞬間、「ぎょっ」としない男っているのだろうか?

 男は(特にイタリア男性なら)女性を口説くのに「私の命はあなたのもの」と言うくらいはお約束。そして、女性の方が「いや」と呟いて涙を流すのも「お約束」だ。

 つまるところ、この攻防戦は「恋の駆け引き」。ストレートな直球勝負あり、外角に外すつり玉あり、虚実を入り交えた心理作戦でもある。

 3つの謎を出す第1ラウンドまでは、姫が絶対優勢。しかし、謎を解いた時点でカラフ王子が逆転勝利。しかし王子が自分から謎を出すという「勇み足」でドロー。

 続く第2ラウンドでは、名前を知る奴隷を見つけたことで姫が先取ポイント。しかし、その奴隷が名前を吐かずに死んでしまい、カラフは勢いに乗ってキスまで獲得。姫にすれば、万事休すのマッチポイントである。

 そこで、最後の手段の泣き落とし作戦。勝負を最後まであきらめない捨て身の攻撃である。そして、それが功を奏して、相手にペナルティを与えることに成功。

 カラフからすれば、3つの謎を解いた後もひたすら自分の愛を拒む無垢の姫に、さまざまな言葉を駆使して(押せ押せで)口説き文句を並べ、キスにまで持ち込み、9回2死2−3まで追い詰めた。あと一球でゲームセットというところである。

 しかも、相手はもう敗北を認めて弱気になり、打つ気を見せず涙目になっている。そこで勝利への余裕もあってか、絶対投げてはいけない一球…もとい…口にしてはいけない一言(謎の答え)を口走ってしまう。それがあの瞬間だ。

 その時、姫は「しめた!」と思い、王子は「しまった!」と思ったはずだ。そして、それを見ている観客(特に男性!)は、「この馬鹿!」と舌打ちをする。「女の涙にだまされた!」

 そして、物語は最初の場面に戻る。王宮の前に人々が集まり、役人が口上を述べ、首切り役人が登場し、哀れな新しい犠牲者(カラフ)がひとり、月の出と共に処刑されるのである。

 トゥーランドット姫が「この者の名が分かりました!」と叫んだ時、見ているほとんどの観客が想像するのは、この結末なのではなかろうか?。

 9回2死まで相手を追い込んでいたのに、最後の最後で逆転サヨナラ・ヒットを打たれた哀れな男の物語。
 それはそれで劇的なドラマである。

 しかし、姫は思いもかけない言葉を発する。
 「この人の名前は〈愛〉!」
 その一言で、すべてが瓦解する。

 考えてみれば、これはものすごい言葉である。
 なにしろ9回2死まで来た勝負をすべて帳消しにし、勝者も敗者もない「めでたしめでたし」の世界に全員を引き込んでしまうのだ。

 だからこそ「トゥーランドット」の物語に人々は感動する。
 夢物語だと思いつつも・・・

         *

Dvd07 しかし、根が素直でない筆者としては、感動的な夢物語に涙しつつも、素直でない余計な妄想を思いつく。
 というわけで、最後にもうひとつ、さらなる余談としてこんなフィナーレはどうだろう?

 現行版の「トゥーランドット」のまま、華やかにハッピー・エンディング…となった後で、急に舞台がふっと暗くなり、王子の首切りの場面になる。
 
 夢から覚めて呆然とするカラフ王子。そして、プー・ティン・パオ(首切り役人)登場。月の出と共に斧が振り下ろされ、哀れカラフは刑場の露と消える。

 つまり、今までの話は、王子が首を切られる寸前に見た〈夢〉でした…というわけだ。

 一人取り残され、呆然とする盲目の老ティムール王。憮然とする老皇帝アルトゥーム。
 そして、トゥーランドット姫の「オーッホッホッ」という高らかな哄笑が響き、合唱が皇帝と姫をたたえ(カラフが加わった「亡霊の合唱」の恨み節をかき消して)幕が下りる。

 最後の数十秒での劇的な大どんでん返し(?)演出である。だれかやらないだろうか? 大ブーイング必至だろうけど・・・

 ・・・いや、そんなことを言いながらも、華美なハッピー・エンディングの現行版が(プッチーニの意志とは違うにしても)私は気に入っている。
 氷のように冷たい心のお姫さまが、愛に目覚める「大人のおとぎ話」。そして、誰でもちょっと身につまされる「愛」の物語。

 その方が「現実の世界は忘れて、オペラの世界へようこそ」というオペラの理念に合っているような気がする。

 そして、その方が「おとぎ話の中にしか〈愛〉はないのさ…」と言っている(淋しげな)プッチーニの顔が見えるような気がするからだ。

         *

Turandot

ソフィア国立歌劇場公演「トゥーランドット」

・ 10月4日(土)14:00 東京文化会館
・ 10月5日(日)14:00 東京文化会館

主なキャスト
トゥーランドット(S):
 マリアナ・ツヴェトコヴァ(4日)/エレーナ・バラモヴァ(5日)
リュー(S):
 ツヴェテリーナ・ヴァシレヴァ(4日)/ラドスティーナ・ニコラエヴァ(5日)
カラフ(T):
 カメン・チャネフ(4日)/コスタディン・アンドレーエフ(5日)

全国公演
10月12日(日)愛知県芸術劇場
10月13日(月・祝)三重県文化会館
10月15日(水)盛岡市民文化ホール
10月19日(日)北九州芸術劇場
10月20日(月)シンフォニア岩国
10月22日(水)長野県伊那文化会館
10月24日(金)サンポートホール高松
10月25日(土)兵庫県芸術文化センター
10月26日(日)パルテノン多摩

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2008/08/10

北京オリンピック記念:オペラ「トゥーランドット」考(前編)

Turandota_2 中国・北京でオリンピックが開かれるのを記念して、今回と次回は中国…それも北京を舞台にしたオペラの話をしよう。「トゥーランドット」である。

■ オペラとしての「トゥーランドット」

 オペラ「トゥーランドット」は、イタリア・オペラ最大の巨匠のひとりプッチーニ(1858〜1924)最後の大作オペラ。個人的にも大好きな作品のひとつである。

 最初に物語を簡単に説明すると・・・

 舞台はむかしむかしの中国(北京)。
 結婚を申し込む者に3つの謎をかけ、解けなければ首を切ってしまうという冷たいお姫さまがトゥーランドット。
 流浪の王子カラフは、それに挑戦して見事3つの謎を解き、最後に2人は結ばれる…というのが簡単なあらすじ。

 史実ではない「おとぎ話」を題材としながら、構成としては歴史劇に匹敵するような豪華絢爛なグランド・オペラで、オーケストラの編成の巨大さや登場人物(合唱など)の多さ、舞台の壮大さなども含め、プッチーニのオペラの中で最も大がかりな作品である。

Turandot 昔からもちろん人気オペラとして知られていたが、2006年の冬季オリンピックで、フィギュア・スケートの荒川静香がこのオペラのメインメロディ「誰も寝てはならぬ」をバックにした演技で金メダルを獲得し、一躍(特に日本で)有名になった。

 イタリア・オペラでありながら中国が舞台(登場人物も中国人)というのはちょっと奇妙と言えなくもないが、プッチーニはこのオペラの前に日本を舞台にした「蝶々夫人」(場所は明治時代の長崎。主人公は長崎の芸者)と「西部の娘」(場所はゴールドラッシュ時代のアメリカ、カリフォルニア。主人公は酒場の女主人)を書いているので、はっきり狙った「異国(ご当地)オペラ」三部作のひとつということになる。

 出世作「マノン・レスコー」(奔放な女性マノン)、「ラ・ボエーム」(パリの貧乏な恋人たち)、「トスカ」(ローマの歌手トスカ)と、どちらかというと現実的でリアルな悲恋物語を題材としてきたプッチーニだが、20世紀を迎えて異国を舞台にした連作を自分のオペラの最終到達点にしたというのは、新しい時代の「国際色」を意識したのだろうか?

 もっとも、ビゼーの「カルメン」にしても、フランス人作曲家ビゼーが一度も行ったことのないスペインを舞台にして書き上げたご当地オペラ。宝塚ミュージカル「ベルサイユのばら」も、全員日本人女性でありながらフランスの貴族たちを演じている。虚構も想像もすべて取り込んだ「何でもあり」のファンタジーの世界を作ることこそが「オペラ」の醍醐味ということか。

 ちなみに、プッチーニは、この「トゥーランドット」の終幕まで書き上げたところで病死。この曲は未完成のオペラとして、最後の部分は弟子の補筆になっているのだが、その話は後で。

 ところで、ちょっと気になるのが、この「トゥーランドット」という名前だ。

Dot01■ トゥーランドット・・・とは?

 「トゥーランドット」の原作は、18世紀にフランスの学者ペティ・ド・ラ・クロワという人物が出版した「千一日物語」の中の「カラフ王子と中国の皇女の物語」。それを元に、イタリアの作家カルロ・ゴッツィが1762年に戯曲「トゥーランドット」として書き上げたものなのだそうだ。

 ちなみに、この「千一日物語」というのは(シェエラザード姫などが登場する)有名な「千一夜物語(アラビアン・ナイト)」とは違うので念のため。これは、アジア(特にインド)やペルシャなどを旅行し研究した人物が、西洋人から見たエキゾチックな異国の物語をまとめた半創作本で、「トゥーランドット」(原作では「トゥーランドクト(Tourandocte)」)という名前も、この作者がペルシャ語のトゥーラン(トルキスタン)から創作したものらしい。

 タイトルにもなっているお姫様の名前「トゥーランドット」が、どこからどう見ても中国っぽくないのは、そのせい。(オペラ「蝶々夫人」でも、日本人から見れば奇妙な世界が繰り広げられ、ボンゾとかヤマドリ侯爵とか、日本人から見るとちょっと不思議な名前が出て来るのだから、このオペラも、当の中国人が見たら奇妙なことだらけに違いない)

 Dvd02そのこともあってか、当の中国では、最近まで中国蔑視の「トンでもオペラ」として上演されなかったそうだ。しかし、最近(1998年)舞台である北京の紫禁城で上演が行われ話題になり、DVDで見ることも出来る。

 ちなみにトゥーランドットの表記は「杜蘭朶」(トー・ラン・ダ…とでも読むのだろうか)。オペラが公認になって以後は、チャイニーズ・レストランでも時々見かける名前になった。

 さて、次に登場人物たちを紹介しよう。

■ 登場人物たち・その1(主人公)

・カラフ元王子とトゥーランドット姫

Lp13 ◇カラフ(♂)

 主人公。諸国をひとり放浪している名前のない男。実はタタールの元王子。

 タタールはモンゴルあるいはトルコ系の民族で、韃靼(ダッタン)とも呼ばれる。ボロディンの「ダッタン人の踊り」のダッタンである。13世紀ジンギスカンの時代にはアジアからヨーロッパまでを支配する大モンゴル帝国を築いたが、その後は衰退。
 カラフが王子だった国も、そんな大帝国の末裔のひとつの王国ということなのだろう。もっとも、中国では、国が滅びて北に逃げた難民を「韃靼」と総称していたようなので、具体的な国名は不明(そもそもお伽噺だし)

 数年前に戦に敗れ(おそらく裏切り者によって王位を奪われ)、王族はみな殺されるか散り散りになって国を逃れ、カラフ自身も(死んだと思われたまま)単身追っ手を逃れて諸国を放浪している。

 一人ではるばる北京までやってきたのは、誰も自分の素性を知るもののいない地を目指してのことだったようで、それゆえ北京に知り合いはいない。この「誰も自分の名前や素性は知らない」という自信が、皇女との謎かけの時に発揮されるのだが、詳しくは後で。

Karaf02 誰も解けなかった謎を最終的には3つとも解いてしまうので、少なくとも「頭は良い」と思えるのだが、皇女を一目見て舞い上がってしまい(首を切られる危険を冒してまで)謎解きに挑戦するのは、かなり「血の気」が多い性格と言わざるをえない。

 また、父王も召使いリューに加え三大臣や皇帝からも「やめなさい、やめなさい」と諭されるのに、まったく聞く耳を持たず「やる!」と決めたらテコでも動かないあたりは相当な「頑固」でもある。

 もっとも、挑戦に成功すれば一発大逆転、皇帝の座が転がり込んでくるわけだから、男としては「賭け」に出る心理もわからないではない。
 ただ、挑戦に当たってははっきり「自分の死」の可能性を口にしているので、楽観的に「俺なら絶対勝てる!」と脳天気に信じていたわけではなく、「勝算」があったわけでもないようだ。

 一方、国中から人が集まる北京で、しかも生き別れになっていた父や召使いに偶然の再会をしたばかり(ということは、ほかにも国を逃れて北京に来ている知り合いがいる可能性は大)なのに、3つの謎を解いた後、調子に乗って「(誰も知らないはずの)自分の名前」に命を賭けるあたりは、いくぶん「お人好し」と言えなくもない。

 (なにしろ冒頭で「命を狙う者がどこに潜んでいるかわかりません」と自ら言っているのである。それなのに結婚申込者として人前に顔をさらしたら、名前も素性も知っている刺客が名乗りを上げる危険度はかなり高いはずだ…)

 それよりなにより、遠い都で父親と感激の再会を果たしたのに、一度見ただけの姫(トゥーランドット)に一目惚れし、目と足の悪い父親と自分への愛を告白した献身的な女奴隷はほったらかし。
 さらに、自分の名前を隠すために文字通り命を捨ててくれたその女奴隷リューの死に立ち会いながら、「それはそれ」とトゥーランドット姫の獲得に邁進するあたりを見ると、ちょっと「人間的にどうなのか?」と思ってしまうが、それについてはまた後で触れることにしよう。

Dot10 ◇トゥーランドット(♀)

 中国皇帝アルトゥームの娘(おそらく一人娘)。絶世の美女。

 巨大オーケストラに対抗できる声量を必要とする役柄のため、オペラでは大柄なソプラノが演じることが多く、なんとなく年増のお姫さまのように思えるが、(「少年のように見える」ペルシャの王子が結婚を申し込んでいるほどなので)年齢は十代後半から二十歳くらいと思われる。

 独身で花婿募集中。なのだが、自分に結婚を申し込む相手に「3つの謎」をかけ、そのすべてを解かなければ死刑(首をちょん切っておしまい!)にするという恐ろしいお姫様。

 その理由はと言うと、かつて中国が戦争でダッタン(モンゴル)軍に敗れた時、先祖であるロウ・リン姫が敵兵によって陵辱されたことへの復讐なのだそうだ(と彼女自身が説明している)。

Dot02 このあたりの女性の心理は良く分からないが、根底にあるのが「結婚(男性)恐怖症」であるのは明らか。あるいは、身も蓋もなく言ってしまえば「潔癖症」および「処女喪失恐怖」の極端な例とでも言うべきだろうか。見方によっては「加虐性(サディズム)」の匂いもするが、プッチーニのこのオペラではそこまで「冷酷」で「非常識」な人物としては描いていない。

 想像するに、父親や大臣から「結婚しなさい」と言われ、少女のうちは「まだイヤ!」と断って済んでいたものが適齢期になってそうはいかなくなり、「じゃあ、いったいどんな相手なら結婚するのだ?」となじられたので思わず「私が出す謎を3つ解ける男じゃなきゃイヤ!」と答えてしまったのが始まりのような気がする。

 しかし、ただ「3つの謎」に挑戦するだけなら、有象無象の男たちが押し寄せてくる可能性が大。そこで、「出来なかったら死刑!」と付け加えた。そうすれば、恐れをなして自分に結婚を申し込む相手もいなくなるだろう、と思ったのだが、なぜか次から次へと挑戦者が現れる。(当たり前だ。クイズに勝てば「美女」と「次期皇帝の位」が手にはいるのだから!)

 結局、父親皇帝も大臣たちも、お姫さまの言うことなのでしぶしぶ従ってはいるものの、内心困っている。さらに民衆も、処刑を見るのは楽しみながら、うすうす「可哀想」と思っているのは明らか。

 そして、たぶん当の本人も、自分が言い出したことながら、心の底ではちょっぴり後悔し出している。「気が強い」女性を演じてはいるものの、どこかで女性らしい優しさや弱さを隠し持っている「本当は可愛い女」である(と、プッチーニは描いている)

Map01 蛇足ながら、この二人、「カラフ」がタタール系、「トゥーランドット」がトルキスタン系の名前を持っているというのはちょっと意味深だ。

 この二つの地域、地図で言うとこんな感じなのだが← カラフはいわゆる「ダッタン人」と呼ばれるモンゴル(蒙古)系タタールの出身。帝国が全盛の時はヨーロッパとアジアのほぼ全域を支配していたのだから、トルコやロシアの血筋も混ざっているのかも知れない。
 (蛇足ながら、ラフマニノフもこのタタール系の血を引くロシア人とか…)

 そして一方のトゥーランドットは、現在の中国でもめている「新疆ウイグル自治区」のトルキスタン系を匂わせる名前を持っている。もちろん中国の正統な皇帝の娘だから、トルキスタンの王女ではない。しかし、わざわざ中国っぽくない名前を名乗っていることを考えると、何代か前はトルキスタンの血筋なのではないかと思わせる。

 となると、こんな想像も成り立つ。つまり、トゥーランドットの母親あるいは祖母に当たる女性はトルキスタンの王族で、中国に戦争で負けて滅ぼされた後、側室として連れてこられたのではないか。だから、自らの女系の血筋を明確にすべく「トゥーランドット」を名乗っている(あるいは、まわりからそう呼ばれている)のでは?という想像である。

 それなら、この「トゥーランドット」という奇妙な名の説明が付く。彼女は中国皇帝の娘でありながら、異国トルキスタン系の王国の末裔なのである。

 そういえば、日本にも似た例がある。例えば、武田信玄が自分が滅ぼした国「諏訪氏」の娘(諏訪御料人)を側室にして世継ぎの勝頼を生ませた例。あるいは豊臣秀吉が滅ぼした浅井氏の娘(信長の妹お市の方の娘。のちの淀君)を側室にした例。
 いずれも、武田信玄や豊臣秀吉のような英傑が、滅ぼした敵国の娘でありながら「可愛さゆえに頭が上がらない」という不思議な関係だ。

Dot04 そう考えてゆくと、トゥーランドットが「ダッタン人に滅ぼされたロウ・リン姫の復讐」などと言っているのは、実は自分自身の母(あるいは祖母)のことという見方も出来そうだ。

 つまり、中国皇帝がむかしトルキスタンの小国を滅ぼし、その王族の美貌の娘を略奪して側室にした。自分の祖先の王女が敵兵に陵辱されたのは事実でも、相手はダッタン人ではなく、当の中国皇帝その人。そして、その陵辱された娘こそがトゥーランドット姫の母親(あるいは祖母)というわけだ。

 とすれば、皇帝としては、自分が滅ぼしたうしろめたさと、敵国の王女なのに側室にしてしまったほどの美貌の母親を思い出し、その娘トゥーランドット姫のわがままに対抗できない。さらに、その母を寵愛したゆえに、その血筋を引く(あるいはその面影を残す)姫には頭が上がらない、という力関係も理解できる。

 トーランドット姫が、ダッタン人にかこつけて「ロウ・リン姫」のことを持ち出すのは、それを言い出すと皇帝はぐうの音も出ないことを見越しての「当てこすり」なのだ。だからこそ人の良い老皇帝は「結婚を申し込んだ相手を殺してしまう」という娘の無茶苦茶な行動を止められない。

 …と勝手に想像した方が、おもしろそうだ。

 さて、残りの登場人物も紹介しておこう。

■ 登場人物たち・その2

・助演男優&女優の方々

Timur02_2 ◇ティムール(♂)

 カラフの父親の老国王。戦に敗れて王位を奪われ、都を追われて諸国を放浪する身。

 イメージとしては、娘に裏切られて荒野を彷徨う「リア王」か。この役柄は何となくプッチーニを想起させるが、その理由については後で。

 命だけは助かったものの、年老いて目が見えず足も不自由。困り果てているところに女召使いリューが現れ、身辺の世話をしてくれることになった。リア王でいうとお供の「道化」だ。
 
 そして二人で北京へやってきたところで、偶然、死んだと思っていた息子カラフと再会する。
 ここは当然「感激の再会」となるはずなのだが、当のカラフ王子はトゥーランドット姫に一目惚れして、謎解きに挑戦して命を賭けて結婚を申込むと言い張り、年老いた父親など眼中にない。

 考えようによっては、息子が挑戦に見事成功して王女の婿になってくれれば、タタール国の復興どころか、中国皇帝の座が転がり込んでくるわけだが、そういう「楽観的希望」は彼の頭の中にはなく、ひたすら息子の暴挙と自分の不遇を嘆く、老いた悲劇の父親に徹している。

Timurq ちなみに、ティムールというのは、14世紀にティムール王朝を作った実在の王の名。モンゴル系の王族ではジンギスカン以降最大の勢力を誇った大王で、中央アジア一帯を支配し、中国(当時は「明」)遠征も果たしたものの、その途上で病死。そのあたりの生涯は、なんとなく武田信玄を思わせる。

 (余談だが、後世、彼の遺体を調査したところ、足に障害があったとのこと。現実のティムール王は戦に敗れて放浪などしなかったが、イメージとしてはこのティムール王がモデルなのは間違いない)

Timura ◇ リュー(♀)

 若い女の召使いで、老王ティムールの身の回りの世話をする女奴隷。…なのだが、主人公カラフ王子のために自分の命を捧げて「愛」を貫き通す影のヒロインでもある。

 第3幕では、このリューの死(王子の謎を隠すために、自らナイフで胸を刺して自死する)が最大の見せ場のひとつになっているほどで、このオペラの中ではもっとも「心打たれる」キャラクターである。

 年齢はたぶん(後述するモデルのことを考えると)16歳くらい。元はどこかの国の皇女だった(と思われる)のだが、国は滅び、奴隷としてタタールの王族付きの召使いとなる。その悲運の中、宮殿でたった一度王子が「ほほえみかけてくれた」ことから、(身分違いでありながら)ひそかに王子カラフに恋心をよせている。

 そのため、国が滅んだ後も、一人となった父王ティムールを見捨てず、献身的に世話をしている。可憐ながら芯の強い女性である。

Liu05 ちなみに、このリューというキャラクターは原作には登場せず、プッチーニが台本に敢えて加えさせた創作人物とのこと。

 原作(カラフ王子と中国の王女の物語)では、カラフから名前を聞き出し、トゥーランドット姫に密告する裏切り者の女奴隷アデルミュクというのが登場するそうなのだが、リューはあくまでも無償の純愛を捧げて死んでしまう悲劇の(可哀想な)ヒロイン。

 一説には、これにはモデルがいると言う。プッチーニは大人気の売れっ子オペラ作家で、それこそ恋人や愛人の類が沢山いたのだが、その中にドーリアという16歳の可愛いメイド(プッチーニ家の小間使い)がいた。

 彼女は、プッチーニが交通事故で足を怪我した時に献身的な介護をしてくれた娘で、プッチーニの妻エルヴィーラは二人の中を疑い激しく嫉妬。人前で罵倒したりなじったりしたうえ解雇する騒動となり、その結果、ドーリアは服毒自殺してしまったという。(蛇足ながら、検死の結果、彼女は処女だったそうである)。

 このあたり、足を怪我をしたプッチーニは老王ティムール、冷酷な妻はトゥーランドット姫、可哀想な娘ドーリアはリューにイメージが投影されたと見ても的外れではなさそうだ。

Emperer01 ◇アルトゥーム(♂)

 中国皇帝。いわゆる「天子さま」にしてトゥーランドットの父王。

 ドラマ中では一番偉い役柄で、舞台の豪華さはひとえにこの皇帝を称える「皇帝ばんざい」の大合唱に集約される。民衆からは、暴君のような恐怖心からではなく純粋に「尊敬」を受けている名君である(らしい)。

 この役柄、原作では壮年の男性らしいが、プッチーニのこのオペラでは、かなり老齢(七十代から八十代?)の年齢設定になっている。トゥーランドット姫(ソプラノ)が毅然と朗々とした言葉を発するのに対して、この皇帝(テノール)はか細く年老いた声しか発しない。
 (そのため、大オーケストラと群衆のコーラスが、この皇帝が声を発するときだけ静まりかえる)

 宮殿の前で、若い男を何十人も公開処刑している…という状況は、(見方によっては)恐怖政治だが、当の皇帝は血を見るのが好きではなく、姫を得るために謎に挑戦するというカラフに「これ以上、若い命を取りたくない。やめなさい」と諭し、謎かけに挑戦してからは「負けるでないぞ」とカラフの方を応援してしまうあたり、(威厳はありながら)極めて優しく人の良い印象だ。

Emperer02 どうして皇帝を高齢の弱々しいキャラクターにしたのか?というのは、ちょっと考えればすぐ納得できる。
 なぜなら、この皇帝を普通の壮年の男性に年齢設定してしまうと、娘が結婚を申し込む男を片っ端から殺してしまうのを黙認しているというのは、かなり暴君・サディストの印象になってしまうからだ。

 しかし、老年で(前述したように)娘に頭が上がらないという力関係があるなら話は別。自分はもう老境で、いまさら世継ぎは作れない。しかも、一人娘が婿をもらわなければ自分の血筋も途絶えてしまう(王朝の未来が危うい)。だから、婿が欲しい。それなのに、その娘が婿の候補者を片っ端から殺してしまう。それを止められない。そんな「ジレンマ」に困り果てている「弱気」な王様像が見えてくる。

 ただ、年齢をかなり上に設定したことによって、一人娘が結婚適齢期(話の流れから見て20歳前後)なのに、父親が70歳とか80歳というのは、ちょっと無理が生じてくるような気がしないでもないのだが・・・(まあ、50歳過ぎて出来た一人娘なので可愛くて仕方がない…と見れば、あり得ない話ではないか)

 ちなみに、この「アルトゥーム(Altoum)」という名前もトゥーランドット姫と並んで中国っぽくない。ただ、日本語の起源とも言われるアルタイ語(あるいはトルコ語)でアルトゥン(Altin)というと「黄金」のことなのだそうで、そのあたりの連想から付けた名前なのかも知れない。(実際、原作の「千一日物語」では「アルトゥン・カーン」という名前だったという)

Pinponpand ◇ ピン、ポン、パン(♂)

 宮廷に仕える3人の大臣。

 ふざけた名前だが、皇帝に使えるれっきとした役人で、ピンは総理(大蔵)大臣、パンは儀式担当(内)大臣、ポンは料理担当大臣(らしい)。

 3人とも田舎の出らしく、威厳のある偉ぶったところはない中間管理職っぽい役柄。リューやティムールが「悲劇」を演じるのに対して、この3人は「喜劇」の担当。コミカルな演技で見せるいわゆる狂言回し役である。

 常に三人組んで登場し、(昔は良かった…風の)他愛のない「おしゃべり」や「ぼやき」を交えつつお話の説明と進行を担当する。(これはイタリアのコメディア・デラルテの仮面を付けた道化役。オペラでも仮面付きで演じられることが多い)

 彼らの話によると、そもそも昔はちゃんとした「祭り」だったものが、姫さまの「謎かけ」から首切りの儀式になってしまい、戌の年には8人、子の年には6人、寅の年である今年は既に13人…というような凄いペースで処刑が行われている・・・のだそうだ。

Pinponpanb 彼ら大臣は、トゥーランドット姫の命令を執行したり儀式や宴会を仕切ったりする役柄だが、殺すのはいずれも(姫の婿候補になるくらいなのだから)そこそこ身分のある高貴な生まれの若い男性たち。3人ともうんざりし始め、姫が早いところ相手を見つけて結婚してくれないか(そして、祭りがふたたび平和な行事にならないか)と密かに願っている。

 第1幕でカラフが「謎かけ」の儀式に挑戦する、と言うと「やめろ、やめろ」と止めにかかり、果てに「あんなの(トゥーランドット姫)は、冠と服をはいでしまえばただの肉。食えたモンじゃないぞ」「姫さまと言えども手は2本で足は2本。それなら百人の女をもらえ。そうすれば200本の腕に200のおっぱいだ!」と結構メチャクチャなことを言う。

 蛇足ながら、子供向けテレビ番組「ママとあそぼう!ピンポンパン」のタイトルは、この三大臣の名から取ったのだそうだ。

■登場人物たち・その3

・ 端役の方々

Dora ◇役人(♂)

 おふれを言い渡す役。

 彼が、冒頭で銅鑼の音と共に登場し、「北京のものどもよ。掟はこうだ!」と口上を読み上げることから物語が始まる。いわく「トゥーランドット姫は、王族の血を引いたもので姫の出題する3つの謎を解いた者があれば、そのものの后となる。しかし、敗れた者は斧で首を切られる」

 第2幕でカラフが謎に挑戦する時も、この掟について説明をしている。

Pao ◇首切り役人:プー・ティン・パオ(♂)

 巨大な斧(あるいは青竜刀)がトレードマークのプロレスラー型マッチョの大男。

 謎かけに失敗した哀れな挑戦者の首を大きな斧で切る怖い役だが、「プー・ティンパオ!出てこい!首を切れ!」と群衆が連呼するほどの人気者(まるでプロレスの悪役ヒーローみたいなものか)。

 少なくとも二十人以上はお婿候補の首を切っている。歌はなく、声を出すことはない。

◇ペルシャの王子(♂)

 カラフの前にトゥーランドットの謎かけに挑戦し、失敗して首を切られてしまう可愛そうな王子。
 
 若い王子らしく、群衆から「少年のようだ!」「助けてやれ!」と同情される。舞台上には、殺される時に「トゥーランドット!」と一声叫ぶだけで登場(ただし、演出によっては姿が見えず声だけということもある)。

Play05 ◇北京の民衆

 合唱。宮殿の前に集まった群衆で、姫の謎かけの儀式や首切りの様子に立ち会い、歓声を上げたり批難したり同情したりする。

 処刑を前に「早く斧を研げ!」と煽ったりする残酷さがある半面、処刑される王子を見ると「恩赦を!」と叫び、後半ではリューの死に際して「可愛そうなリュー!私たちを許して」と同情するなど、「民の声(世論)」の危うさをそのまま声にした存在。

◇ 亡霊たち(合唱)

 トゥーランドット姫に殺された王子たちの亡霊。「殺されても(まだ)姫を愛しているのだ」という妄執を語る。

 ・・・と人物がそろったところで、物語が始まるわけなのだが、長くなったので続きは後半(来月号)で・・・

         *

Turandot_3

ソフィア国立歌劇場公演「トゥーランドット」

・ 10月4日(土)14:00 東京文化会館
・ 10月5日(日)14:00 東京文化会館

主なキャスト
トゥーランドット(S):
 マリアナ・ツヴェトコヴァ(4日)/エレーナ・バラモヴァ(5日)
リュー(S):
 ツヴェテリーナ・ヴァシレヴァ(4日)/ラドスティーナ・ニコラエヴァ(5日)
カラフ(T):
 カメン・チャネフ(4日)/コスタディン・アンドレーエフ(5日)

全国公演
10月12日(日)愛知県芸術劇場
10月13日(月・祝)三重県文化会館
10月15日(水)盛岡市民文化ホール
10月19日(日)北九州芸術劇場
10月20日(月)シンフォニア岩国
10月22日(水)長野県伊那文化会館
10月24日(金)サンポートホール高松
10月25日(土)兵庫県芸術文化センター
10月26日(日)パルテノン多摩

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2008/07/10

自律型の作曲家たち

Dionysos 私が作曲を志した十代の時、音楽における先輩あるいは師匠として心を惹かれたのは、いわゆる「(生まれながらの)天才」型の作曲家ではなく、「独学(あるいは自律型)」の作曲家たちだった。

 なにしろ私自身、幼少の頃から音楽の英才教育を受けたわけでも、早熟な天才として育ったでもない。本を読んだり絵を描いたり科学に興味を持ったりした挙げ句、十代の後半にようやく「音楽」に辿り着いた「回り道」組である。

 今さら物心つく前から音楽一筋の(モーツァルトのような)アポロ型天才タイプにはなれるはずもないし、もう一度幼少時代に戻って絶対音感やピアノの習得など出来るはずもない。だから、早熟の天才たちの音楽には心打たれるにしても、その路線の音楽語法は自分とは無縁であると割り切ってしまっていたわけなのだ。

 それに、早熟な「天才」というのは、要するに物心つく前から「親」に音楽を仕込まれた「他律型」の促成栽培の別名であって、自らの意志で音楽の道を選んだわけではないではないか。自分は、いろいろ試行錯誤し挫折しながら、自分の手で音楽の道を選んだ「自律型」なのだ。そんな軟弱な天才たち恐るるに足りず!
 …などという無茶苦茶で負け惜しみ的な自負もあったことも確かだったりする。

 そもそも、もし例えばモーツァルト先生の処に作曲の教えを請いに行っても、たぶん「思い付いたメロディをさらさらと書けばいいのだよ」という以上の教えはないに違いない。それは、私たちが改めて「どうやって2本足で歩いているのですか?」と尋ねられても即答できないのに似ている。(考えた挙げ句の返事はたぶんこうだ。「どうやって? そんなこと考えたこともないよ!」)

 その点、独学・自律型(ディオニソス型)の作曲家は、通常の早熟な天才たちから比べると極めて遅く、十代後半から音楽を専門的に勉強し始めたゆえに、そこに至るまでに既に(音楽以外の)豊富な知識と(何よりも)挫折を知っている。そして、その音楽には「どうやって自分の音楽世界を作って来たか」という英知を秘めている。なにしろ彼ら自身がそうやって試行錯誤を重ねながら音楽を探り当てて来たのだから。

 だから、十代後半に(専門家になるにしてはかなり遅れて)音楽を志した私としては、作曲を学ぶに当たってこの種の同じ(遅れてきた)作曲家たちに非常に興味があったわけなのだ。

 というわけで今回は、音楽を自分自身の意志と手腕でもぎとった「自律型の作曲家たち」のお話である。

          *

■ まずは「アポロ型」の作曲家たち

 音楽史を彩る「大作曲家」たちの伝記には、幼少の頃から驚くべき音楽の才能を発揮したという逸話がたくさんある。

Mozart 8歳で最初の交響曲を書き、12歳でオペラを書いたモーツァルト。12歳でモーツァルト並みの弦楽ソナタを作曲し、十代で早くもオペラの作曲家として活躍し始めたロッシーニ。8歳にしてピアニスト・デビュー、16歳にしてワルシャワ音楽院へ入学したショパン。十代から旺盛な作曲活動を始め、わずか31年の生涯で歌曲や交響曲など1,000作近くを残したシューベルトなどなど。

 その類型を挙げると、こんな感じだろうか。

 1.幼少(5−6歳)の頃からピアノに親しむと同時に、大人を驚かせるような音楽の才能を発揮し、最初の小品を作曲する。

 2.その才能に驚いた先生の口利きで、わずか十代にして音楽家デビューあるいは音楽院に入学。そこでも天才ぶりを発揮する。

 3.成年になる頃(20歳前後あるいは音楽院を卒業する頃)には、いっぱしの音楽家として活動し「天才」の名をほしいままにする。

(4.しかし、三十代半ばまでに失脚するか挫折するか早死にする。)

 この手の「アポロ型(生まれついての天才タイプ)」の大作曲家は、一見、才能を天から授かって生まれてきた、神に祝福された最強無敵の存在のように思える。

 しかし、考えてみればこれは(最初に書いたように)早期教育による「促成栽培」の結果であり、自分の意志で音楽を選択したわけではない。日本人から見れば「5歳でフランス語がぺらぺら」という子供は、それだけでもう「天才」に思えるが、フランスでは全ての子供がフランス語をぺらぺら話す。同じように、幼少から仕込まれれば「言葉」と同じ程度には「音楽」を操ることは可能だ。

 しかし、問題は「それで何を話すか?」という点であり、音楽以外の経験を得ずに「神童」から「天才音楽家」へ進級してしまうと、選択肢を封印されてきた危うさがやがて体を蝕み始める。

 そのせいかどうかは定かでないが、この種の早熟の天才の「才能」が機能するのは三十代半ばまで、というのも恐ろしい現実だ。よほどの幸運がない限り、そこから先も「巨匠」として生き延びる例は、極めて稀のように思われる(…と、ここでも負け惜しみの悪意を込めて余計な一言を言ってみる)。

■ そして自律型の作曲家たち

Beethoven モーツァルトに代表される、そんなアポロ型に対して、「ディオニソス型(苦労して育った自律型タイプ)」の典型は(異論もあるかも知れないが)、ベートーヴェンだ。

 彼は、落ちぶれた宮廷歌手だった父親から少年時代に無理やり音楽の教育を受けたあたりは「他律型」。しかし、家計を助けるために音楽で稼がざるを得ず、二十代まではもっぱら「(作曲も出来る)即興演奏ピアニスト」として活動しながら、苦学して音楽を学んでいる。

 そして、耳が悪くなったことから本格的に作曲家に転身したのは30歳になってからと意外と遅い。シューベルト(享年31)ならもう最晩年だ。ここまで挫折し悩んだ末に「作曲」に辿り着いたのだから、立派な「自律型」と言って良いだろう。

 今でこそ「クラシックを代表する大作曲家」として「天才」の名を欲しいままにしているが、音楽史上初の「フリーター作曲家」(自由芸術家…と言えば格好いいが、役職どころか定職もなく、一歩間違えれば野垂れ死に必至の不安定な立場だ)の道を邁進した彼の音楽人生を見ていると、「自律型」作曲家の最初の代表者は彼しかないと思えてくる。

Berlioz そして、このベートーヴェンに次ぐ「自律型」にして、音楽史上空前絶後の「独学」の大作曲家が、医学生あがりのベルリオーズ(1803〜1869)だ。

 ベートーヴェンが「英雄」交響曲を書いていた頃、フランスの医師の家庭に生まれた彼は、父親の仕事を継ぐべく医学の勉強をするため18歳でパリに出てくるまで、音楽を専門的に勉強したことはない。子供の頃に(一般教養程度に)楽譜の書き方を教わり、十代にギターを習った。それだけだ。ピアノを学んだことすらなかったらしい。この時点ではまさしく一介の「医学生」でしかなかったのだ。

 ところが、パリで本場のオペラを見たことと、解剖の実習で「これは自分に向いてない」と思ったことがきっかけ(?)だったのか、医師の道を断念していきなり音楽への転身を決意する。そして、(父親の猛反対を受けながらも)音楽を本格的に学ぶべく、パリ音楽院(コンセルヴァトワール)に出入りを始めたのが19歳の時。

 作曲の勉強を始めたのはこの時点からだった筈なのだが、いきなりオペラやオラトリオを構想し始め、21歳の時には「荘厳ミサ曲」を作曲して発表。さらに27歳の時には、かの「幻想交響曲」を発表し一躍「新進作曲家」として音楽界に躍り出たのは御存知の通り。
 
 その後、彼はロマン派文学と強く関わった問題作を発表し続け、「近代管弦楽法」を確立したオーケストラ作曲家の元祖となり、現在でも続くフィルハーモニー協会の創立に関わっている。要するに、近代オーケストラは、このベルリオーズが元祖であり、その後のワーグナーやマーラーに繋がる色彩的なオーケストラ・サウンドや、現代におけるオーケストラの隆盛は、彼なしには考えられないと言っていいのである。

 その点では、彼は紛う事なき「天才」なのだが、彼に「音楽の才能」があったのか?と言うと、(不遜なことに)首をかしげざるを得ない。何か違った「とてつもない才能」が、ベルリオーズをベルリオーズにした、ということなのだろう。

          *

Tchaikovsky と、そこまで極端な独学自律型の暴走する天才ではないものの、ロシア最大の作曲家であるチャイコフスキー(1940〜1893)も、幼少の頃の「天才エピソード」がない不思議な経歴の作曲家だ。

 彼はロシアの裕福な鉱山技師の家に生まれ、家庭教師からピアノを習ったことはあるものの、プロの音楽家になるなどとは思いもせず、普通の法律学校に進学して「法科の学生」になっている。
 さらに19歳で卒業して法務省の役人に就職までしているから、ここまでは完全に「ペテルブルクの一役人」として一生を終えたかも知れない生涯だ。

 しかし、その頃ペテルブルクに初めて音楽学校が創設されることになり、チャイコフスキーが出入りしていた音楽教室のピアニストだったルビンシュタインに勧められて、そこに遅い入学を果たすことになる。
 
 そこで本格的に音楽の勉強を始めたのが21歳の頃。法務省に勤めながらの二足のわらじだったが、やがて役人の仕事を辞め、音楽一本に道を定めることになる。(とは言え、27歳頃までは法務省に在籍していたらしいのだが)

 そして、25歳で音楽を卒業し、モスクワに創設された音楽院の教授を務めながら作曲家として活動を始め、交響曲第1番(冬の日の夢)などを発表。その後は三十半ばまでに「ピアノ協奏曲第1番」や「白鳥の湖」など話題作を続々発表し、人気作曲家への道を邁進している。

 彼の場合は、ベルリオーズとは違って(一応)子供の頃からピアノはたしなんでいたもの、音楽院の創立が数年ずれ込んでいたら、あるいはルビンシュタインが引き抜いていなかったら、そのまま法務省に勤務し続け、作曲家チャイコフスキーは誕生しなかった可能性が高い。

 これは「自律型」にちょっぴり「外因(運)」が混じっている不思議な例と言うべきか。

           *

 この時代のロシアの作曲家たち(特にチャイコフスキーを取り巻く「ロシア五人組」の面々)は、独学組がきわめて多い。

Mussorgsky その代表格であるムソルグスキー(1839〜1881)は、幼少期には裕福な地主の家で育ち、一般教養として家庭教師から手ほどきを受けたらしくピアノも多少はたしなんでいたが、体系的に音楽を学んだことはない。(もっとも13歳の頃にピアノ小品を作曲して、父親がお金を出して楽譜を出版したことがあったというから、少年時代までは絵に描いたような「良家の子女」である)

 その後、エリート武官になるべく勉学にいそしみ、一時は士官候補生になったものの、音楽への夢を絶ちきれず、19歳の頃に軍務は退役。しかし、その頃、実家は農奴解放政策(1861)のあおりを受けて没落。下級官吏として貧乏生活を送りながら、バラキレフに個人的に作曲を学びつつ、また「ロシア五人組」の仲間に支えられつつ、ほぼ独学で歌曲やオペラの作曲に邁進することになる。

 やがて三十代半ばに歌劇「ボリス・ゴドノフ」で開花、ドビュッシーも一目置いた斬新な和声感を始め、イマジネーションの奔流が見事な「はげ山の一夜」や「展覧会の絵」など今でも世界中で愛聴される名作を残すが、生きている間に恵まれた作曲家生活を送ったとはとても言い難いのはちょっと悲しいところだ。

 その同じロシア五人組で「ダッタン人の踊り」の名メロディで知られるボロディン(1833〜1887)も、「独学」では負けていない。

 なにしろ、彼は生涯「化学者」が本職(化学の世界では「ボロディン反応」の発見者として有名)で職業は「軍医」なのだ。こちらも良家の子女として幼少の頃ピアノにたしなんだことはあったものの、30歳を過ぎるまで音楽をちゃんと勉強したことはなく、同じ「ロシア五人組」仲間のバラキレフに出会って後、三十代後半になってようやく交響曲やオペラ(イーゴリ公)などを書き始めた遅咲きの人である。

Rkorsakof そして「ロシア五人組」の中ではもっとも若く博識で知られる「独学の人」リムスキー=コルサコフ(1844〜1908)も、本職は海軍の「軍人」だ。

 貴族の家に生まれた彼は、少年時代から音楽に親しんではいたものの、海軍兵学校に進学。卒業してロシア海軍に入隊し、二十代までは海軍で航海実習などに携わる傍ら、「ロシア語人組」の仲間と交流し、独学の日曜作曲家として趣味でオーケストラ曲やオペラを作曲する生活を送っている。

 そんな海軍の軍人だった21歳の時には、ロシア人として初とも言われる「交響曲」を発表しているから、文字通りの「玄人はだし」という奴である。

 このあたりは「芸術家」タイプと言うより、いかにも「学者」タイプの創作姿勢だ。それもあってか、(独学で正式な楽歴がないにもかかわらず)27歳の時にペテルブルク音楽院の「管弦楽法」の教授に抜擢されている。

 以後は、音楽史上屈指の管弦楽法の大家として交響組曲「シェエラザード」や歌劇「金鶏」などの名作を作曲するほか、ムソルグスキーやボロディンの作品のオーケストレイションや、今でも愛読者の多い「管弦楽法」の大著を残し、教師としてグラズノフとストラヴィンスキーという偉大な弟子を育てている。

 彼は(音楽史上にはちょっと珍しい)、自由奔放自滅型の芸術家とは対照的な、面倒見の良い社会常識をわきまえた「自立型」作曲家の代表格と言えるだろう。

          *

Stravinsky そのリムスキー=コルサコフの弟子であるストラヴィンスキー(1882〜1971)も、チャイコフスキーと同じく、大学までは法律を学んでいた典型的な独学の作曲家だ。

 彼の場合は、父親が音楽のプロ(オペラ歌手)だったので、少年時代は、家でコンサートが開かれたり、オペラ劇場に潜り込んだりと、音楽の素養は人並み以上にあったようだが、音楽はあくまでも「趣味」。オペラやコンサートに通いながら、学業としては(興味を持てないまま)法律を学ぶべく大学に進んでいる。

 ところが、法律の勉強のために入った大学で、偶然にもリムスキー=コルサコフの息子ウラジミールと親友となる。それをきっかけに、この大作曲家に弟子入りすることになり、本格的に「作曲」を勉強をし始めたのが20歳の頃。ただし、個人的な師事であり、音楽院に入学はしていない。

 その後、師リムスキー=コルサコフばりの色彩的なオーケストレイションを会得して、25歳にして短いオーケストラ曲「花火」を作曲。それが新しい作曲家を探していたロシア・バレエ団のディアギレフの目に止まり、パリで上演する新作バレエの作曲家に大抜擢。27歳にしてバレエ「火の鳥」を発表して、一夜にして人気作曲家の仲間入りをするわけである。

Sibelius 大学までは法律の勉強をしていた、という点は北欧フィンランドの大作曲家シベリウス(1865〜1957)も同じだ。
 彼の場合も、20歳でヘルシンキの大学に入学した時点では、法律を学ぶ(あまり出来のよくない)学生にすぎなかった。

 ちなみに、大学で「法律」を学んでいた作曲家は、チャイコフスキーにシベリウスにストラヴィンスキーなど奇妙に目に付くが、「法律」の勉強が音楽に関係するとはとても思えない。自分の進路を決めかねている状態(いわゆるモラトリアム)を保つのに(むしろまったく音楽とは無縁なゆえに)大学の「法科」が(親を納得させるのに)有効だったということなのだろう。

 実際、シベリウスの場合は、地方都市のいくぶん裕福な医者の家に育ったものの、特に医者を志すこともなく、音楽の素養は、ちょっとヴァイオリンを弾いていた…という程度。大学に進む時点でも進路は定まらず、夢想癖があるせいか、あまり成績はよくなく、2年も進級できずにいたほどという。

 だから、大学の「法科」を選択したというのも、医学には進めず、かと言って親の面子もあるので大学へは行かねばならない、というジレンマの末の決断だったようだ。(などと聞くと、なんとなく自分の学生時代を思い出して、人ごとではない思いに駆られてしまうが…)

 しかし、そんなモラトリアム時代に、図書館で見つけた「作曲法」の本でなんとなく独習を始め、音楽への思いが絶ちがたくなっていたのも事実。そこで、大学にはいると同時に(当時創立したばかりの)音楽院にも在籍することを親に許可してもらう。これがシベリウス20歳の頃。

 とは言っても、専門的な音楽の勉強などしたこともなく、ピアノが弾けるわけでもない。そこで、幼い時から馴染んでいた唯一の楽器がヴァイオリンだったことから「それでは、せめてヴァイオリン専攻で」と入学することになったらしい。この時点で彼が後の「大作曲家」になろうなどとは、誰一人予想しなかったに違いない。

 結局、シベリウスが「作曲」にはっきり進路を決めたのは23歳頃。それも、神経質で「あがり性」なため人前で演奏するようなヴァイオリニストはむいていない…と断念したのがきっかけと言うから面白い。

 それでも、その後は室内楽作品を中心に作曲を次々に発表、めきめきと頭角を現し、24歳で卒業する頃には「もっとも期待される新人作曲家」として認められるようになり、ベルリンとウィーンへ留学。
 そして留学から戻った26歳の時に発表した「クレルヴォ交響曲」の成功で作曲家として開花し、「フィンランディア」によって国民的な作曲家となるわけである。


      
 ■自律と多様性

 と、自律型「独学」の作曲家たちを幾つか並べてみると、何となく共通項が見えてくる。

Dokugaku_2 1.親がインテリ階級のある程度裕福な家庭に育ち、幼少の頃から、教養としての「音楽」には親しんでいること。

 2.十代後半(15歳〜17歳前後)で音楽に目覚めるが、音楽の専門学校には行かず、その後の数年間は別の学問(法科か理系)を勉強。しかし、途中(20歳前後)で何かをきっかけに転身、作曲を志していること。

 3.その後の数年(20歳〜25歳頃)はきわめて吸収力旺盛に勉学を進め、二十代後半(26歳〜29歳)には後に作曲家として一家を成す「自分自身の作風」を確立していること。

          *

 ふむふむ、なるほど・・・と私としては思うわけなのだ。(もっとも、独学の作曲家を目指すわけでもない普通の音楽愛好家諸氏には「それがどうした?」という話かも知れないが)。

 確かに、こと音楽に関しては、残念ながら「物心ついて」「自分でやりたいと言い出す」歳から訓練を始めたのでは、ほとんど手遅れに近い。特にピアノやヴァイオリンなど演奏の専門職になるのはほぼ絶望的と言っていい。

 だから、早期教育は「その道を究める」のにきわめて必要不可欠なのだが、大きな(そして致命的な)問題がひとつある。それは、音楽の道以外の選択肢をもたずに育った純粋培養ゆえに「多様性に欠ける」ことだ。

 純粋種は、たったひとつの要因(病気や環境変化)でたちまち絶滅することがある。早熟型天才もどこかそれに似ていて、「若い」で売れていた時代を過ぎた頃に訪れる袋小路や挫折が、人生においても致命傷になることが少なくない。これは、早熟型天才の悲しい宿命と言えるだろうか。

 その点「自律型」の音楽家は、物心ついてから・自分自身の意志で音楽を目指しているから、(最初に挫折や袋小路を抜けて来ているわけで)、環境変化が多少あろうともすぐさま絶滅に陥るという確率は低い。

 多様性を含んだ雑種が生き残るのは、生命の鉄則なのである。

 というわけで、私としては今でも「生まれついての天才」や「子供の時から才能を発揮していた神童」より、自分の力でのし上がってきた「うさんくさい」「食わせものの」「怪しげな」独学・自律型の才能に興味を引かれる。

 才能は、天から貰うものでも、親に付けて貰うものでもない。無理やり自分で見つけてきて、自分のその手で掴むものだからだ。

 とは言え、(私を含めて)食わせものの才能の99%は、やはり「食わせもの」でしかないのも確かなのだが・・・(+ +;)以上、妄言多謝。

          *

00_2アメリカン・バレエ・シアター「白鳥の湖」

・2008年7月23日(水)18:30
 ・24日(木)13:00/18:30
 ・25日(金)13:00/18:30

  オデット/オディール:ニーナ・アナニアシヴィリ
  ジークフリート王子:ホセ・カレーニョ
  ロットバルト:ジャレッド・マシューズほか
 (キャスト詳細はHPで御確認ください)

 17日(木)18日(金)オール・スター・ガラ
 19日(土)20日(日)21日(月祝)「海賊」

 東京文化会館大ホール

ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団

・2008年10月4日(土)14:00。横浜みなとみらい大ホール
 グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調(p:上原彩子)
 シベリウス:悲しきワルツ
 シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調(vn:川久保陽紀)

・2008年10月8日(水)19:00.東京オペラシティ
 ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界から」
 グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調(p:上原彩子)
 ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」
 
 クリスチャン・ヤルヴィ指揮ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団

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2008/06/10

バロック音楽についての雑感

Baroques 私が作曲した曲で最初に正式に(つまり公開の場所で)音になったのは、もうかれこれ30年以上も前、毎日音楽コンクール(当時)の作曲部門(室内楽)に応募するべく22歳(1975年)の時に書いた曲で、タイトルを「歪んだ真珠の牧歌」という。編成は、フルート、ヴァイオリンそしてピアノである。  緻密に#♭を交えてごちゃごちゃと書き込んだ書式のおかげで、譜面の審査は通り、なんとか本選まで残って演奏はされたのだが、実は曲の最後にぬけぬけとトナール(協和音。要するにドミソの響き)の響きを隠し込んでいて、演奏でそれが露呈。審査員諸先生方のお怒りを買って、最下位で落選してしまった。 (譜面だけだと、#♭だらけで一見無調の「ゲンダイ音楽風」に見えるのだが、演奏してみると一目瞭然、最後に堂々とドミソが鳴りわたる…という仕掛けだったのである)。「無調でなければ〈現代の〉音楽ではない」という時代の悲劇というか喜劇というか…。 Pastoral_2  この曲、現代の音楽にしては古風な(バロック風の)トリオ・ソナタの編成で、3つの楽器が、それぞれ無調っぽい旋法の無限旋律を延々と紡ぎながら、怪しいカノンのような対位法で絡んでゆくという趣向の音楽。  そこで、20世紀における「新しい(歪んだ)ポリフォニー宣言」ということで、「歪んだ真珠の…」という奇妙なタイトルを付けたのだが…。  さて、バロック音楽の「バロック(Baroque)」というのが「歪んだ(いびつな)真珠」という意味である…ということはどのくらいの方がご存じなのだろう? ■バロック音楽とは? Classic3 21世紀の現在、世間一般に「クラシック音楽」と呼ばれているのは、(大雑把に言えば)ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンあたりから始まって19世紀のロマン派あたりまでの西洋ヨーロッパ音楽のこと。(年代で言うと、おおよそ18世紀後半から20世紀初頭まで、日本で言うなら、江戸時代の中頃から明治の後半あたりまでということになる。)  作曲家では、ハイドン(1732年生まれ)、モーツァルト(1756年生まれ)あたりまでが18世紀世代。そして、ベートーヴェン(1770年生まれ)が作曲家デビューを飾ったのがちょうど1800年。つまり、彼の活躍は19世紀になると同時に始まっているわけで、そう考えてみると(一般的な意味での)「クラシック音楽」というのは「18世紀の助走を経て19世紀に全盛を極めた西洋音楽」と言ってしまってもよさそうだ。    とは言っても、もちろん18世紀以前にも西洋音楽は立派に存在していたのは言うまでもない。この「クラシック音楽」の前夜、17世紀あたりの西洋音楽を(俗に)「バロック音楽」と言う。 Haendel 作曲家だと、バッハとヘンデル(この二人は18世紀半ばまで活躍していた)がビッグネーム。同世代では、「ターフェル・ムジーク」で有名なテレマンや、チェンバロ曲で知られるスカルラッティ、ラモーなどがいる。  そして、もう少し遡ると登場するのが、「四季」で人気のヴィバルディや、クープランあるいはパーセルと言った作曲家たち。「カノン」で有名なパッヘルベルもこのあたりだ。  さらに17世紀前半のバロック初期まで遡ると、音楽史上最古の有名オペラ「オルフェオ」(1607)で知られるイタリアのモンテヴェルディや、ドイツのシュッツ、フランスのリュリやシャルパンティエなど、古楽マニアにはおなじみの(しかし一般音楽愛好家には未知の)大作曲家たちが並ぶ。  ちなみに、その前、16世紀から14世紀あたりまで遡った音楽は「ルネサンス音楽」、そのさらに前(14世紀頃から古くは6世紀頃まで遡る)は「中世音楽」と呼ばれるのだが、そのあたりの話はいずれまた。
■ バロック=「いびつな真珠」  この「バロック(Baroque)」という言葉はフランス語で、冒頭でも書いたように、「歪んだ真珠」を意味するポルトガル語の「Barroco(バロッコ)」が起源とされている。 Akoyapearl 真珠は、御存知のように、アコヤ貝の中で石などを核にして育つ(生体鉱物というのだそうである)丸い粒状の宝石。現代では指輪や首飾りにするのがもっともポピュラーだが、クレオパトラは美しくなる薬として(酢に溶かして)飲んでいたそうだし、ヨーロッパの王侯貴族は家具や部屋の装飾にも使っている。  ダイヤやルビーなどの鉱物系の宝石は人工的にカットして美しい形にするわけだが、真珠の方は、なにぶん貝が自然に作るものなので、常に完璧な球体になるとは限らない。核となるものの形次第で、ときどき歪な形の真珠も出来上がる。これが「Barroco(いびつな真珠)」である。 Pearl 宝石としての「歪んだ真珠」がどういう価値を持つのかは専門外でわからないが、少なくとも「丸い」のが正しく美しい形で、いびつな真珠とは要するに「出来そこない」という(否定的な)意味を持つことは想像に難くない。  そこで、当時(17世紀ヨーロッパ)、それを芸術様式に結びつけて、調和と均整の取れた美を追究する古き(16世紀的)芸術嗜好に対して、「人工的」で「表現過多」な文化的趣味を「出来そこない」かつ「悪趣味」という意味を込めてこう呼んだのが始まりのようだ。 (ちなみに、ほぼ同じ時代の好意的な言い方で「ロココ風」というのがある。これは同じ人工的な装飾趣味でも、けばけばしくなくて優美繊細なもの、というニュアンスらしい。クープランやスカルラッティのチェンバロ曲やモーツァルトの「フルートとハープの協奏曲」などがその典型。同じ「派手」でも、上品と下品とがある…ということか)  そんなわけで、今でこそ「バロック音楽」あるいは「バロック様式の美術」というのは、端正で精緻かつ穏やかな印象だが、生まれた当時は、かなり「異端児」の意味合いがあった、というのは面白い。 Chant 実際、私も一時バロック音楽から遡って中世ルネサンス音楽にはまっていた頃、15〜16世紀のミサ曲やマドリガルに聴き浸った後でふと17世紀のバッハやヴィヴァルディなどを聴くと、やけに不協和音や人工的な冷たい表現が耳について仕方がなかった記憶がある。 (その後、さらにモーツァルトなど聴こうものなら、その不協和音ときついリズムは「つぶれた真珠」。ベートーヴェンに至っては、もう耳をつんざく「爆発する真珠」にしか聞こえない!)  これは要するに、耳が中世音楽のなだらかなポリフォニーの世界に慣れてしまうと、バロック音楽には調和や均整を壊すような「作曲家のエゴ」が聴こえ、それが表現の過多(やり過ぎ)となって、まるで端正な真珠の粒の中に混じった「歪んだ」異物に見えるということなのだろう。  その時、初めて「なるほど。歪んだ真珠とは言い得て妙だな」と思い知った次第。  とは言え、もちろん、その「歪んだ」部分こそが、18世紀以降隆盛を極める「表現芸術」の核心部分。この「作曲家のエゴ」無しにその後の西洋音楽の発展はないのも事実なのだが。  ただ、神のもとでの「無私」の調和を目指した音楽と比べると、これはもう欲望や感情をぶつける「私利私欲(?)」がどんどん肥大してゆく「いびつな」世界。穿った見方をすれば、バロック以降の西洋音楽は、「表現」という名の「エゴ」が露骨に全開になってゆく「堕落」の歴史と言えるのかも知れない。  
   ■ バロック音楽の「形」  と、そんな極論はともかく、そんな「表現芸術」の原点である「バロック音楽(バッハ以前の音楽)」を聴くポイントとして、まずは「ポリフォニー」というあたりに注目してみよう。 Polyphony◇ ポリフォニーと対位法  そもそも「西洋クラシック音楽」の「原点」とは、(身も蓋もなく言ってしまえば)「ドミソ」である。  世界各地の民族音楽には、必ずと言っていいほど「音階」がある。それは人間の音楽にとって必需品と言っていい。西洋音楽の「ドレミファ」も、それだけを見れば、「民族音楽的な音階」のひとつにすぎない。  しかし、その音階の音の組み合わせを「ハーモニー」として体系付けたのは、西洋音楽最大の功績。中でも「ドミソ」こそは(力説するのはちょっと恥ずかしいけれど)その基礎中の基礎になる。  俗に「ハモる」と言うが、あれは科学的に言うと「自然倍音列」に沿った音が並んだ時に感じる「快感」。(どうして人間の聴覚…そして脳が、そんなものに快感を感じるのかは、また別の機会に)  しかし、その調和と均衡に満ちた快感の元である「ドミソ」を延々と唸っているだけでは音楽にならない。全く変化しない自然倍音の協和の世界に、人間は(なぜか)感性も知性も感じないのだ。これが実に最も興味深いポイントなのである。  では、この「調和」の世界に感覚と知覚を刺激する「音楽」を組み込むにはどうしたらいいのか? Devil ここで、人間による(動物には決して出来ない)「悪知恵」が発揮される。それは、まさに天使的(なのか悪魔的なのか定かでないが)な「裏技」だ。  わざと「ドミソ」の調和と均衡を「崩す」のである。  それによって、その後にくる「調和と均衡」を際だたせることが出来る。  音楽的に言うと「協和音に行く前にちょっとじらす」・・・つまり「不協和音」を入れるのである!  この究極の「裏技」(なにしろ自然界には存在しない、人間以外には応用不可能のテクニックなのだから!)に気付いたことこそが、以後数百年の人類の音楽史に貢献する「西洋音楽」最大の発見であり、「人類史上最大の発明のひとつ」なのである。(いや、大げさでなく)。           *  以後、西洋音楽の歴史とは、協和音にゆくための「じらし方」のテクニックの歴史となる。 Domisol 例えば、ドミソに行く前に、ドの半音下を鳴らしたり全音上を鳴らしたりする(ドミナント。要するにシレソ)。あるいは、近似の別の倍音列の和音を鳴らす(サブ・ドミナント。つまりファラド)。    そして、半音下とか全音上を上がったり下がったりする「じらし」を、2声部・3声部と増やして行き、それを絡みに絡ませて「まだか?」「もっと」「まだまだ」「もう少し」「あとちょっと」・・・とじらしまくる高等テクニック。  それこそが「ポリフォニー(多声部の音楽)」そして「対位法」の神髄である。 (ちなみに、2つ以上の声部が和合したり離反したりして協和音に至る過程を「じらす」のが「ポリフォニー」。それに加えて、さらにリズム的なズレまでを駆使して「すれ違い」の高等テクニックを駆使するのが「対位法」)  …と、これだけでは単なる「音の遊び」に過ぎないが、何とも不思議なことに、この「和音の協和・不協和」の変化に、人間は「感情」の変化を感じ取るのである。  そのため、なぜか「音」の変化は「心」の変化とシンクロする。単なる「音」の調和のバランスが織りなす(空間認識にも似た)知覚なのにもかかわらず、人間はそこから「感情」の変化を感じ取って「心」を体感してしまうのである。  それゆえ、「音楽」は「感情」を(擬似的に)表現できる。いや、出来てしまう。これが、「音楽」のもたらす最大の奇跡だ。  かくして「音楽」は、人間の「感情」と密接にリンクした人類最高の文化のひとつになったわけである。           *  この「じらし」のテクニックが、楽器と結びついてどんどん高度になって行く過程が、バロック音楽では聴ける。 Vivardi 対位法だけ(ある意味では、数学的な音の組み合わせ)で出来ているのに神の表現にまで迫るバッハの音楽や、一つのメロディをずらして重ねただけの「カノン」に絶妙の情感が組み込まれたパッヘルベルの音楽。あるいは、ヴァイオリン属あるいは管楽器の軽妙な響きに「自然観」が聞こえるヴィヴァルディの音楽。  ギザギザなすれ違いポリフォニー(対位法)で出来た「歪んだ真珠」は、調和や均衡を崩すことで「人間」や「自然」の表現に向かう。その鮮烈な一歩がそこには聞こえる。  (その後、「じらす」ためのテクニックが、バロック音楽〜クラシック(古典)音楽〜ロマン派〜近代音楽とどんどんエスカレートしてゆき、二十世紀に至って文字通りの「不協和音」を奏で始めたのは、皮肉な苦い結末としか言いようがないけれど・・・。)
◇ 通奏低音  話は変わって、そんなバロック音楽のちょっと目を引く特徴に、「通奏低音」というシステムがある。楽語(イタリア語)で「Basso Continuo(バス・コンティヌオ)」、ドイツ語だと「Genaral Bass(ゲネラル・バス)」と言う。  耳で聞くだけではあまりよく分からないが、楽譜を見れば一目瞭然。譜面には低音(バス)の音型だけが書かれていて、そこに7とか2とか56とか34とかの謎の数字が書いてあるからだ。   Basscontinuo_2  この「通奏低音」のパート、楽譜としては1段だが、通常この譜面で低音楽器(チェロやヴィオラ・ダ・ガンバあるいはファゴットなど)および鍵盤楽器(チェンバロあるいはリュートやギター)が演奏する。  これは、現代で言うなら、ドラムとベースそしてサイドギター(あるいはキイボード)の作り出す「リズムセクション」のようなもの。  ポップスやジャズでは、メロディ譜に、C、G7、Am、F#9…などの「コード・ネーム」が付いたもので演奏するが、あれと同じである。  これは、曲全体のコード進行とリズムの構造が書かれている設計図なので、当然ながら曲の始めから終わりまで途切れることなく記譜されている。そこで「常に鳴っている=通奏」「バスのパート=低音」、「通奏低音」というわけである。   ベースの音型は「対位法的に」書かれているので、ほぼその通り演奏するが、それを伴奏するチェンバロは「数字」に従って、音を紡いでゆく。 Number 例えば、ハ長調で何も書いていない場合は、そのまま「ドミソ」。「4」と書いてあれば(ハ長調の基音であるドから数えて)4番目の音「ファ」、「6」と書いてあれば6番目の音「ラ」を加えて演奏する。  そして、「7」ならドミソに7番目の音「シ」の音を加えたいわゆる「セブンス」、「56」なら「ソとラ」、「34」なら「ミとファ」を演奏するということになる。  後は、その和音の構成音で出来てさえいれば、どういう音の組み合わせで弾くか(例えば、単純に和音だけを弾くか、対位法的に凝ったパッセージを弾くか)は演奏者の自由に(ある程度)まかされている。「即興」とまではいかないが、演奏家の個性やセンスが発揮できるわけだ。  ただし、ジャズでは「ジャズ風にスウィング」し、ロックでは「ロック風に8ビート」で演奏しなければぶち壊しになるのと同じで、そこは楽曲の「様式」に合った(イタリアではイタリア風、フランスではフランス風の)弾き方をしなければならないのは言うまでもない。           *  ちなみに、現在出版されているバロック時代の作品の楽譜の多くは、チェンバロのパートもだいたい「リアリゼイション」と称して全ての音が書いてあるので、念のため。 (なにしろ、現代の「クラシック音楽」の音楽家は「楽譜に書いてるとおり弾く」という訓練しか受けていないので、今さら「自由に弾いていい」と言われても、どうしたらいいか分からないのである) Triosonata もうひとつ余談。この「通奏低音」という言葉、かなり専門的な用語ではあるものの、「音楽の低い部分で(途切れずに)常に鳴っている音」というイメージが印象的なせいか、文学作品などで「XXは、彼の人生で常に通奏低音のように響いていた」などという表現によく出会う。    ただ、バロック音楽などにおける「通奏低音」には、そういった「宿命」的なニュアンスは薄い。(そもそも、あまり「低音」という感じがしないからだろうか)。  むしろ、コントラバスなどの正統派低音楽器による繰り返し音型「バス・オスティナート」や、民族音楽やミニマル音楽などで耳なじみの低音の保持音「ドローン」の方が、このイメージには近いかも知れない。閑話休題。
Orch◇ 指揮とアンサンブル  それにしても、こう見てくると、「バロック音楽」というのは、その音楽の形が(その後のクラシック音楽より)ジャズやロックに近いということに改めて気付く。  そう言えば、バロック音楽では、クラシック音楽には不可欠の「指揮者」もいない。その代わりに、ヴァイオリンのトップ(オーケストラで言うコンサートマスター)か、チェンバロ(かつては作曲者本人であることが多かった)が、弾き初めの合図を出す。  後は演奏家が(そのテンポで)アンサンブルを進めてゆく。バンドで曲の始めにドラマーが「ワン・トゥー、ワントゥースリーフォー!」とやるのと同じだ。  そして、曲の終わりも、誰かがキューを出してリタルダンド(テンポをだんだん落とす)していって終わる。音の最後の切り方は(出だしと同じく)ヴァイオリンのトップの弓に合わせる。ロックバンドなら、ギタリストが飛び上がって着地するのが最後の「ジャン」の合図だが、あれに似ている。 Cembalo こういった「指揮なしのアンサンブル」が可能なのは、編成がさほど大きくなく、ひとつの楽曲がほぼインテンポ(一定のテンポ)で演奏される場合に限られる。  ロマン派以降の音楽のように、編成が巨大な上、曲の中でテンポやダイナミクスが激しく変化する音楽は、指揮者なしでアンサンブルを進めるのは極めて難しい。  その点、バロック以前の音楽は、現在のポップスと同じで、バラードはバラード、アップテンポの曲はアップテンポというように、ひとつの曲は(ほぼ)ひとつのテンポ設定で出来ているから、ある意味バンド感覚で演奏できる。  そして、その音楽構造は(ほぼ)「メロディ」と「コード進行」と「ベース・ライン」で出来ている。クラシックよりはジャズやロックに近い感じがするのはそのせいだ。    確かに「進化論」的に言えば、ロマン派以降のクラシック音楽の方が、はるかに「高度かつ複雑」な進化を遂げているのは明白かも知れない。しかし、何でもかんでも進化すればいいというものではなく、進化することで失うものも大きいことは、人類の進化を見れば明らかだ。  18世紀以後、クラシック音楽は色々な「手練手管」を覚え、大人になっていった。ハーモニーや対位法は複雑化し、表現は肥大化し、オーケストラは圧倒的に巨大化し、音楽は経済社会の中で金や権力にまみれていったわけだ。  不協和音とテンポとダイナミクスを駆使する高度な作曲テクニックは、多種多彩な表現を得ることを可能にした。しかし、それは逆に言えば、癒されることのない感情的ストレスへの転落をも意味する。 (まさに「現代人のストレス」を音にした感のある「現代音楽」を聴けば、進化で手にしたものと失ったものが身に染みようというものだ)  だからだろうか、現代人は時々、時代を逆行してシンプルな音楽に逃げ込み、そこに癒しの効能を求めるようになった。  古典派以降の音楽と比べると、圧倒的に「じらし」の「優しさ(若々しさ)」があるバロック音楽が珍重されるのは、そんな時だ。
 ■古いは新しい、新しいは古い  バロック音楽以前の音楽は、よく「古楽」などと呼ばれる。  確かに「新しい音楽」「古い音楽」と言い方をしたら、それはもうバッハなどのバロック音楽は「古い」音楽に違いない。 (個人的には、チェンバロの金属的な響きや、弦楽器のノンヴィブラートの音は、意外とかなりモダンで「鋭利」な世界のような気もしなくはないのだが…)。  しかし、よく考えてみれば、例えば50歳の人にとっての「古い(昔の)音楽」と言ったら、それは若かった頃の「青年」時代の音楽だ。  同じように、音楽史を人間の一生に見立てて、円熟した「ロマン派」の音楽を「大人(壮年)」の音楽とすると、モーツァルトやベートーヴェンは若々しい「青年」の音楽。そして、バロック音楽こそはみずみずしい「少年」の音楽ということになる。  西洋音楽が(かすかな「じらし」とポリフォニーと通奏低音に託して)初々しい「自己主張」を始めた時代の、若さに満ちた音楽。それこそがバロック音楽だと言えばいいのかも知れない。    バロック音楽は「古い」音楽ではない。  クラシック音楽がまだ少年の瞳を持っていた頃の  「若い」音楽なのである。
          *
ゲヴァントハウス・バッハ・オーケストラ Flyer■2008年7月9日(水) 14時開演 東京オペラシティ □ゲヴァントハウス・バッハ・オーケストラ □クリスチャン・フンケ(指揮&ヴァイオリン) 曲目 ・ヘンデル:「水上の音楽」組曲第1番 ヘ長調より ・ヴィヴァルディ:合奏協奏曲集「調和の霊感」より 第6番イ短調
 ・J.S.バッハ:G線上のアリア
 ・パッヘルベル:カノン ・ヘンデル:オンブラ・マイ・フ
 ・J.S.バッハ:管弦楽組曲第2番
 ・J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲第1番
 ・J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲第4番

Flyer■2008年7月10日(木) 19時開演 サントリーホール □ゲヴァントハウス・バッハ・オーケストラ □クリスチャン・フンケ(指揮&ヴァイオリン) ★村治佳織(ギター) 曲目 ・ブランデンブルク協奏曲 第1番 ・チェンバロ協奏曲第5番 ★ ・チェンバロ協奏曲第2番 ★ ・ブランデンブルク協奏曲第4番 ・2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 ・ブランデンブルク協奏曲第2番

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2008/05/10

ピアノとピアニストたち

Pianist_2 ピアノについては、以前「ピアノの300年史」で書き散らしたが、今回はピアニストについてのお話を少し。

 ピアノは(その構造上)、鍵盤を叩きさえすれば音が出る。素人ではなかなか音が出ない管楽器や弦楽器と違って、その点だけはきわめて易しく出来ている。
 そのため「猫が弾いても音が出る」などと冗談でよく言われるが、残念ながら猫はピアニストにはなれそうにない。椅子に座って鍵盤を弾きながらペダルを踏むことが出来ないからだ。

Piano_cut004 しかし、猫ならぬ人間なら、ほとんどの人が「椅子に座って・鍵盤を弾きながら・ペダルを踏める」。

 ただし、だからと言って誰もがピアニストになれるわけではない。なぜなら「誰よりもうまく」椅子に座り、「誰よりもうまく」ピアノの鍵盤を弾き、「誰よりもうまく」ペダルを踏まなければならないからだ。

 つまり、ピアニストとは(身も蓋もなく言ってしまえば)、「誰よりもうまく」椅子に座り、「誰よりもうまく」ピアノの鍵盤を弾き、「誰よりもうまく」ペダルを踏むプロということになる。

 面白いのは、それが百人百様だという点だ。

■ピアノの前に座る

Chair まず、椅子。

 ピアノの椅子は、背もたれのある「トムソン椅子」と無い「ベンチ型」がある。昔はもう一つ「丸椅子型」のものがあったが、最近ではあまり見かけない。

 背もたれがある方が「椅子」らしいが、ピアノを演奏する時にこの背もたれを使う(よりかかる)ことはまずないと言っていい。逆に、上半身を動かす時に邪魔になることさえある。

 それなら、いっそ背もたれなどない方がいい…と、最近のリサイタルなどではベンチ型が人気だ。しかし、興奮して弾いているうちに後ろにひっくり返る…ということもないとは言えないので、(特に高齢のピアニストや逆に子供の場合は)背もたれがあった方がいい場合もありそうだ。

 さて、その椅子への座り方、ポイントは「位置」と「高さ」である。

 普通に考えれば、背筋を伸ばして椅子に腰掛け、鍵盤に軽く指を乗せてどこにも無駄な力が入らない姿勢を取れれば、それでOK。レッスン1日目の最初の5分くらいで話は終わってしまう。

 しかし、この姿勢、基本中の基本だけに、その後の「上達」具合を左右する。変な姿勢を覚えてしまうと、その後の上達に支障を来すことさえある。(私などは、片膝で…しかも片手に鉛筆、片手に消しゴム…という作曲家スタイルで弾いていたので、上達は全く見込めないまま現在に至っているし)

 ちなみに、椅子の位置が楽器に近すぎると、楽譜を見るのは楽だが、両腕の可動範囲が制限されて弾きにくくなる。
 逆に、両腕を自由に動かせるように楽器から離れると、今度は体の重心が後ろに下がってしまい、鍵盤を叩く際のコントロールが効かなくなる。
 
Piano_cut006 椅子の高さも同様だ。高くすると腕が伸びすぎ、低くすると肘が曲がって、それぞれ弾きにくくなる。
 一般には、背筋を伸ばして座って鍵盤に触れた時、肘がちょうど直角(90度)になるくらいが、どこにも無駄な力が入ることのないベスト・ポジションと言われている。

 そして、座り方としては、椅子にお尻を半分くらい浅く乗っけるのがベストとされている。深々と腰掛けると体は安定するが、鍵盤を叩いたりペダルを踏んだりする自由がきかなくなる。上体および脚を動きやすくするには浅く腰掛ける必要があるわけだ。

Piano_cut008 そのため、神経質なピアニストは、舞台に上がってきてから弾き始めるまでに、ごそごそと椅子の位置を前後に動かしたり、ノブを回して上下に調節をしたりする。挙げ句は、座ってみてお尻の位置をあれこれ確かめる。

 要するに「もっとも弾きやすい姿勢」にすればいいだけの話…なのだが、人間というのは身長も体重も手足の長さも百人百様。こればっかりは、ピアノから何センチ離して高さ何センチがベスト、という公式はなく、各人で自分にベストのポイントを探さなければならない。

Gould 例えば、かの伝説のピアニスト、グールド。彼は、椅子の位置決めにはずいぶん神経質だったらしい。常識では考えられないくらい低い椅子に座って、猫背でへなへなもそもそと弾くのが彼の流儀。「もっとも自然で楽な姿勢」というのが、このへなへなポーズだったのだろう。

 普通は、背筋をしゃんと伸ばしてしっかり椅子に座るのが「もっとも自然で楽な姿勢」に思えるが、確かに猫背でへなっと弾いた方が力が抜けていい…というのも分からないではない。それは人それぞれということか。

Richter 一方、椅子のことなんか知ったことか!と、見向きもせず弾き始めるピアニストもいる。そのむかし来日公演を「見に行った」リヒテルが、そうだった。

 プロコフィエフのソナタ第7番の演奏で、舞台袖から疾風のように現れたと思ったら、椅子どころか聴衆の方に脇目もせず、そのままの勢いで第1楽章の冒頭を弾き出したのだ。その壮絶で鋼鉄のようなタッチと来たら!

 もっとも、「それは事前に綿密に椅子の位置と高さを調整しておいたからでは?」と指摘する人もいて、実際のところは定かではないが…。

■ 鍵盤を叩く
 
 椅子に座ってピアノを弾き出したら、次に気になるのは指の形だ。

Piano_cut007 私が最初にピアノを習った時は、指は「掌に卵が入るような形」に半分丸めて弾くように言われたが、ジャズ・ピアニストなどはそれこそ掌はパーの形のまま壮絶なソロを弾いているから、これも人それぞれなのだろう。

 ただし、タッチを弱音から強音までコントロールするためには、鍵盤に向かって垂直に指先が当たるのがもっとも有効なのは確か。(垂直にエネルギーを加えることで最大限のフォルテを出すことが出来るし、逆にピアニシモの場合は加えるエネルギーを最小に調節することが出来る)。

 だから、クラシック音楽のように、すべての音を均質かつ正確に弾くためには、指を立てて弾くのがベストと言うことになる。

 しかし、個性的なパッセージや微妙に色彩の違う和音を演奏するには、5本の指がすべて均等に鍵盤に当たるのでは、あまりに「機械的」になりすぎ、リズムやハーモニーのニュアンスが消えてしまう。ジャズのようにスウィングするリズムを保ったまま技巧的なパッセージを弾く場合は、指を寝かせた方が有効なことも少なくない。

Piano_cut010 そして、鍵盤の弾き方については、指の長さ&手の大きさも重要なポイントになる。

 親指と小指を広げた形で何度音程まで弾けるか、というのはピアニストにおける重要な資質のひとつ。特に左手でオクターヴを楽に弾けるかどうかは、大人のピアニストとしての最低条件でもある(子供は無理なこともあるけれど)。

 さらに開離和音の10度(下のドからオクターヴ上のミまで)を楽々弾き、連打できなければプロのピアニストは難しい。
 ちなみに、大作曲家にしてピアニストでもあったラフマニノフは、その上の12度(オクターヴ上のソまで)まで楽々弾けるほど手が大きく、当然ながら彼の書いたピアノ協奏曲には、そう言った「彼しか弾けない」音程があちこちに出てくる。

 しかし、最近では手の小さそうな学生でもすらすら弾いているから、手の大きさは(ある程度)テクニックでカバーできるものらしい。技術の進歩は恐ろしい。 

■ピアノを弾く顔

Piano_cut001  ところで、コンチェルトやリサイタルなどでは、ピアニストは「暗譜」(楽譜なし)で弾くことが多い。
 新しい作品では、楽譜と首っ引きということもなくはないが、メイン・プログラムのベートーヴェンとかショパンを楽譜を置いて弾くピアニストというのはあまりいない。

 しかし、楽譜がある時は音符を目で追いながら弾けばいいわけなのだが、暗譜の時は目のやり場に困るのも確かだ。

 一応、鍵盤を弾いている自分の指を見るのが無難だが、四六時中ピアノの鍵盤を見ているのも芸がない。というより、せっかく暗譜して指が覚えているのに、あまりその指を見ていると、かえってミスタッチしてしまいそうになるのである。

 かと言って、うっかり横を見たりすると、お客さんと目が合ったりしてしまう。(ちなみに、ピアニストは横を向いて弾くのが常なので、あまりお客と目を合わせることに慣れていない)。まさに、目のやり場に困ってしまうわけだ。

 そんな時、ピアニストがよくやるポーズが、「上を見る」ことだ。
 ピアニストに限らず、人間は考え事をする時よく上を見る。一説には「上」を見ているわけではなく、脳の前頭葉の部分(思考や学習を司る)に神経を集中しているのだとも言うが、定かではない。
 
Pianon ただ、ずっと上を見て引き続けるというのも、なんだかおかしい。そんな時は、もう仕方がない。「目をつぶる」しかない。
 最初から、目をあいていると雑念が入る、というより余計なものが目に入るので、それならいっそのこと目をつぶって弾いてやれ…というわけだ。

 (中には、何も置いてないと目のやり場に困るから、見ないけれど楽譜を置く…という結論に達する人もいるようだ。ピアノの前に楽譜は置くけれど、別にめくって見たりはしない…のだそうだ)。

 というわけで、ピアニストは「目を開いていても、何も見ていない」状態でピアノを弾くわけだが、そんな時しかめっ面になるのは(なぜか)女性ピアニストに多い。眉にしわを寄せて没我の境地で鍵盤をまさぐるように弾く。
 内田光子さんなどはその筆頭。仲道郁代さんもそうだ。音楽に120%の感情を込めるのだから、確かに表情にそれが表れるのも不思議ではないが、陶酔しているというより、ちょっと苦しそうな…泣いているような顔になるのはなぜだろう?

 ちなみに、男性ピアニストでこういう(顔に120%表情が出るような)弾き方をする人はあまり見かけないような気がする。男性ピアニストは、どちらかというと「手術をしているときの外科医」のような顔をしている。
 感情に流されては指先のコントロールが出来ないが、かと言って感情的にハイになっていなければ音楽の情感を伝えられない。その微妙なさじ加減が「顔に出る」のだろう。

 さらに、まったく感情を表に出さず、敢えて無表情に弾くピアニストもいる。冷静と言うよりは、作曲家の書いた楽譜に忠実に「とにかくちゃんと楽譜通り正確に弾いています」というアピールでもあるのかも知れない。

Piano_cut002_2  むかし私の作品をよく弾いてもらった松谷翠さんは、現代物も得意なテクニシャンながらジャズも結構弾く。面白かったのは、一度、ガーシュウィンの一夜に登場してピアノ・ナンバーを弾いた時のこと。

 眼鏡をかけた謹厳実直な銀行員みたいな服装で登場した彼がピアノを弾き始めると、演出なのか網タイツの女性が艶めかしい格好で出てきて、太もももあらわにピアノに座った。しかし、彼はそれにぴくりとも反応せず完璧にピアノを弾き続ける。

 いや、それだけなら別に驚くべきことではないのだが、凄かったのはその謹厳実直で冷静な姿勢にもかかわらず、音楽は完全にノリノリでスウィングし、右足だけが見事にリズムを取っていたことだ。そんなピアノは初めて聴いた!

■ピアニストの衣装

Dress そして、ピアニスト…特に女性の…については、衣装も気になるところだ。

 クラシックのピアノ・リサイタルの衣装というと、女性ピアニストは大体同じようなドレスを着ている。申し合わせたようにノースリーヴのドレスで、肩から腕にかけては丸出し。そしてロングスカート。足首まで長いスカートで隠している。

 中には短いスカートをはいて脚線美をアピールしたいピアニストだっていそうだが、それはそれで目のやり場に困る(「別に困ったっていいじゃないか!」という声もするが)。最近では時々(伴奏のピアニストなどで)パンツ(長ズボン)姿の女性も見かけるようになったが、ソロ・リサイタルでは未だにドレスが全盛のようだ。

 そして、足はと言うと、大体が低いハイヒールかパンプスのような靴。ヒールがあった方が、そこを軸にしてテコの原理でペダルを操作しやすいと言う人もいるが、ヒールが高いとペダルを踏み違える危険性が高くなる。確かチェンバロの曽根麻矢子さんはブーツで弾いたことがあるとおっしゃっていたが、それってかなり格好いい。もっと普及しないだろうか。

 一方、男性ピアニストはほとんどの場合、スーツ姿。当然、両手は袖まで覆われているうえ、ご丁寧にネクタイまで締めているから、あれは弾きにくいはずだ。どうして半袖や袖なしシャツで弾かないのだろう? 

Lifschitz ちなみに、昨年の日本公演でのリフシッツは羽織のようなものを来てピアノを弾いていたが、それも個性。男性ピアニストだってもっと自由に、開襟シャツや半袖で弾いてもいいのではなかろうか(まあ、半ズボンまで行ってしまうとさすがにおかしいだろうけれど)。

 もっとも、ヨーロッパでは「暑い」という心配より「寒い」という心配の方が大きいから、年中スーツで完全防備の男性ピアニストより、冬でもノースリーヴのドレスで演奏しなければならない女性ピアニストの方が過酷と言えなくもない。(実際、彼女たちは舞台袖に引っ込んだ途端、ショールを羽織って暖をとる)

 そもそもピアニストたちは(いや、ピアニストに限らずすべての演奏家たちは)、リハーサルやゲネプロの時に「私服」で演奏する姿の方がずっと魅力的だ(と私は常々思う)。

 彼女(彼)たちは(当然だが)いつもドレスやスーツでピアノを弾いているわけではなく、練習やリハーサルの時には、普通に短めのスカートだったりジーパンだったりTシャツだったり、思い思いのスタイルでピアノを弾いている。

 それが、本番になるとドレスを着たりスーツを着たりして、別人になる。それは、本音を言わせてもらえば、ちょっとつまらない。

 クラシック音楽という「非現実の世界」に誘うのに「西洋風の正装」は適切なのかも知れないが、別に現代の等身大の自分の格好をしてシューベルトやショパンを弾くのだっていいと思う。もっともっと普通の自由な格好でステージに乗って欲しいと願わずにはいられない。

Piano_cut009 そうそう。そんな「等身大の格好」で超絶技巧曲を弾いてしまうと言えば、作曲家としても有名な高橋悠治さんだ。彼は、ノンシャランというかラフなスタイル(かつ猫背)でふらりと舞台に登場し、世界で何人しか弾けない超絶技巧の難曲をさらりと弾いてしまう。

 私が最初に見たコンサートで舞台にピアニストとして登場した時も、全くそこらの学生?のような風体だったので、聴衆の誰もが、ピアノを動かす係か譜面を持ってきた助手だと思って誰も拍手しなかったほど。それが、いきなりピアノの前に座って超前衛の凄まじい曲をばらばらと弾き出したのだから仰天である。

 ただし、現実問題としては、きちんとしたホールでのリサイタル…となると、いろいろ考えたあげく結局「ドレスとスーツが一番無難」ということになるのだろう。(聴衆の中には、やはり「クラシックはきちんとした服装で」という人も少なからずいるだろうし、特に批評を書いてくれるような人には、そういう人が多そうだし…)

 だからだろうか、破天荒な言動のピアニストが主人公の「のだめカンタービレ」でも、リサイタルの時はやはりドレスだったような気が・・・


■ピアノ奏法の未来

Piano_cut003_2 それでも、若いピアニストたちが、いろいろな新しいスタイルで時代を変えてゆくのは楽しみだ。

 例えば、最近の若いピアニスト(特に女性に多いような気がする)の演奏は、まるでスポーツの試合を見ているような爽快感がある。
 曲の冒頭は「サーブ」で始まる。そして「ラインぎりぎりに入った!」「おっ、バックハンドで打ち返した!」「惜しい!ダブル・フォールト」などという声が聞こえそうな、フィジカル(肉体的)な演奏が繰り広げられる。

 チャイコフスキー・コンクールで優勝した上原彩子さんの弾くコンチェルトを生で聴いた時、そういう面白さを感じた。あるいは、ジャズ・ピアノの上原ひろみさんや兄弟デュオ・ピアノの「レ・フレール」などは、この方向のトップランナーだろう。
 彼らは、パッセージやリズムに対する反応の「瞬発力」が、アーティスト(音楽家)というよりアスリート(スポーツ選手)っぽい。そして、鍵盤に触れるのが楽しくてたまらないという「孫悟空が如意棒を持ったときのような」状態でピアノに向かう。

 こういうタイプの演奏は、確かに「作品全体の把握」だとか「芸術性」だとか言い出すと、色々批判が出てくるかも知れないが、ロックやジャズもある現代という時代に、一瞬も飽かさずに聴き手を音楽に引きつける天性の勘のようなものは、特にこれからのクラシック音楽にとって最も重要な要素になるはずだ。

Semi ただ、クラシックの世界では、モーツァルトの昔からこの種の「天才少年少女」が大好きなくせに、「ミスタッチせずに早弾きするだけのものを音楽とは言わない!」という芸術信仰があってチト面倒くさい。

 確かに、ピアノはスポーツではないのだから、「早さ」と「テクニック」だけを促成栽培しても、それが大樹に育つ保証は全くない。
 日本の音楽教育もかつてはこの落とし穴にはまったし、最近では中国や韓国あたりで、この種のアクロバット演奏を「天才」と誤認してしまう悲喜劇が後を絶たない。

 しかし、リストやラフマニノフのような(当時は作曲者以外に誰も弾けなかった)超絶技巧の難曲を、普通の音楽大学学生がさらりと弾いてしまうのが「現代」である。
 なまじの「早さ」と「テクニック」では、プロになるどころか、コンクールの入口に辿り着くことすらは難しいのだから、現代でプロの演奏家として生き残るのは大変だ。

 なにしろ、現代ではいくらでも録音編集が可能なうえ、コンピュータで制御できるデジタル音源すらある。「早さ」と「テクニック」で生身の人間が太刀打ちするのは120%不可能である。

Keith おまけに、最近は、私が使っている楽譜演奏ソフトにも「Human Playback」などという機能が付いている。

 これは機械的に「人間っぽく」演奏させるシステムで、ジャズ風にスウィングをかけて演奏したり、ワルツをウィーン風に揺らせるのはもちろん、ロマン派っぽくメロディにフェルマータやリタルダンドをかけたりもしてくれる。(もちろん、人間っぽくするために「時々間違える」ことだってプログラムすれば可能だ)

 そんな時代に人間が生身でおこなう「音楽」とは何か? 
 そして、人間が「生身」でおこなう音楽の意味は何か?

 いや、そもそも生身の音楽こそが「人間らしい」と言うのなら、ピアノにおける「猫以上(猫よりはうまい)」で「コンピュータ未満(コンピュータよりは不完全)」な「人間らしさ」とは一体全体何なのか?

 その問いに対する挑戦こそが、21世紀のピアニストたちの大きな目標であり、聴き手がもっとも楽しみとするところに違いない。

 いろいろなピアニストが、様々なスタイルで「椅子に座り」「鍵盤を叩き」「ペダルを踏む」。

 それが、ピアノ。

 そして、それが音楽なのである。

          *

Flyerコンスタン・リフシッツ・ピアノ・リサイタル

■2008年7月1日(火)紀尾井ホール 19:00

・モーツァルト(リフシッツ編曲)二重奏曲K.424
・ショパン:12の練習曲 op.25
・シューベルト:ピアノソナタ第19番ハ短調D.958

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2008/04/10

ポスト・ベートーヴェンの交響曲小史〜長い交響曲はお嫌いですか?

Symphonists 交響曲の歴史は、ハイドン〜モーツァルト〜ベートーヴェンの3人が、まるでホップ〜ステップ〜ジャンプのような三段跳びで作り上げた大伽藍から始まった。  それは、いかに天才でも「一人では決して出来ないこと」を、全く性格の違う三人が、三人がかりで行ったからこそ成し得た偉業であり、信長〜秀吉〜家康の三人がかりの天下統一を思わせる(と言ったら大げさか)。  その最終工程を受け持ったベートーヴェンは、第3番「英雄」(1804)で交響曲の定義を飛躍的に拡大させる。  すなわち、単なる「多楽章の純オーケストラ作品」という次元から「全人類的表現を成し得る総合芸術的な多楽章形式のオーケストラ作品」(簡単に言えば、要するに「超最高の音楽ッ!」)に高めたのである。そして、続く第4番から第8番まででそれを強固かつ不滅のものにした。  その点では私たちの抱く「交響曲」というイメージは、ベートーヴェンが確立したと言って間違いない。 Beethoven_3 ところが彼は、最後の第9番「合唱付き」(1824)で、さらなる進化を試み、声楽を加えてオラトリオ化するという試みを打ち出す。  その結果、「交響曲」は「純オーケストラ作品」という枠を取り払われ、新たな地平に踏み出すことになる。ある意味で、ベートーヴェンは交響曲の定義を作り上げたと同時に、壊してしまったわけだ。  かくして「交響曲の歴史」は、ハイドンに始まりモーツァルトが切り開きベートーヴェンが極限まで拡大したことで、一旦「終わって」しまったのである。           *   おっと、「これでおしまい」では話は続かない。  しかし、実際のところ、「交響曲」の歴史は、(いかに「ベートーヴェンを超えられない」という意識があったにしても)その後しばらく、あまりぱっとしない状況が続くのは確かだ。  例えば、第9が世に出た1820年代以降を見てみると、ベートーヴェンを崇拝する病弱青年シューベルトが、第7番「未完成」(1822)第8番「グレート」(1828)をひそかに書き上げているが、演奏されるのは彼の死後数十年たってから。  天才メンデルスゾーンの第3番「スコットランド」(1842)、第4番「イタリア」(1833)、少し遅れてシューマンの第3番「ライン」(1850)、第4番(1841)などもあるが、もはやロマン派にどっぷりつかった作曲家たちが、古典的な形式である「交響曲」を創作の主軸と考える時代は終わってしまったとしか思えない惨状だ。    ちなみに「ベートーヴェンの第10番だ!」と絶賛されたブラームスの第1番が生まれるのは、第9から50年以上も後の世の話である。  では、ベートーヴェン以後、「交響曲の歴史」はどこへ行ったのだろう? Berlioz そのキイパーソンは、フランスの鬼才ベルリオーズ(1803〜1869)だ。  パリ在住の医学生あがりで作曲は独学、ピアノが弾けないのでもっぱらギターでスコアを書いていたという(かなりうさんくさい経歴の)彼こそ、実は真っ先に「ポスト・ベートーヴェン」&「ポスト交響曲」を狙った重要人物だ。  彼は、ベートーヴェンの死からわずか3年後の1830年、近代オーケストラ史に残る異様な傑作をひっさげてパリの楽壇に登場する。「幻想交響曲」である。  この作品、「交響曲」とは名ばかりで、まるで演劇のようなストーリー性を持った映像音楽のような作品であるのはご存じの通り。  主人公(自分自身)が、ある女性に恋いこがれたあげく幻想の世界をさまようという筋書きを持つこの作品、阿片を飲んだあげく恋人を殺して断頭台に送られ、死の世界で魔女と乱痴気騒ぎまでする破天荒な交響曲である。  まるで「運命」と「田園」を足して「第7」のビートでシェイクしたようなこの曲で近代管弦楽の扉を開いたベルリオーズは、その後も色彩感あふれる新しいオーケストレイションを駆使し、「交響曲」と題する作品を続けて発表する。いわく、交響曲「イタリアのハロルド」(1834)、劇的交響曲「ロメオとジュリエット」(1839)・・・。  しかし、そのいずれもが、今我々が考えるような「交響曲」ではない。前者はバイロンの詩を元にしたヴィオラ協奏曲仕立ての作品だし、後者はシェークスピアの有名な戯曲を元にした(独唱と合唱まで参加する)演劇風の作品なのだ。  それなのに、なぜベルリオーズは「これは交響曲だ」と言い張ったのか?  その理由は(彼に言わせると)明快だ。 「交響曲はベートヴェンの第9で〈詩と音楽〉の統合を果たした。  だとすれば、その次の進化は〈演劇と音楽〉の統合であるべきだ」 Berlioza つまり、純器楽作品の最高峰として誕生した「交響曲」は、ベートーヴェンの第9で、詩という「言葉」と合体し、さらなる進化を遂げた。  とすれば、その次の進化は、ストーリー性やドラマ性あるいはヴィジュアル性を持った「演劇(舞台)」と合体することだ。…というわけである。  その点では、ベルリオーズこそ正しくベートーヴェンの意志を継いだ(新しいロマン派の時代の)「交響曲作家」の後継者ということになる。  そもそもベートーヴェンの確立した「交響曲」というもの自体が、ハイドンによって定義された「交響曲」の姿から甚だしく逸脱し、「音楽だけで」表現する芸術として極限まで拡大され最高の高みに到達した異様な代物なのだ。    とすれば、交響曲だからと言って「音楽だけ」にこだわる必要はどこにもない。  人間や世界や宇宙までも表現するのなら、音楽に加えて、言葉や物語や美術や演出までも加え、すべての芸術のメチエ(表現技法)を「総合」することこそが、芸術の最終進化過程。  それこそベートーヴェンが指向した「交響曲」の真の姿ではないか。ベルリオーズは(たぶん)そう考えたわけだ。  そんな(いくぶん誇大妄想がかった)ベルリオーズの視点に対して、超絶技巧ピアニストとして一世を風靡したフランツ・リスト(1811〜1886)は、もう少し現実的に、詩や物語や思想を音楽に昇華するオーケストラ曲の形として、交響曲に変わる新しい音楽の入れ物「交響詩」を考案する。  もはや「交響曲」や「ソナタ形式」などという形にこだわることなはない。(ピアノ曲におけるバラードやラプソディのように)単一楽章の中に自由な構成で「詩」や「物語」や「人物像」などを描けばいい、という発想だ。  実際、この「交響詩」という形は、ロマン派における新しいオーケストラ曲のジャンルとして主流となり、(ドヴォルザークやシベリウスやR=シュトラウスに至る)一つの大きな流れとなってゆく。           * Wagner 同じ頃、ベートーヴェン、ベルリオーズという2人の天才の見果てぬ夢「総合芸術」の概念を、さらに推し進める鬼才が登場する。リヒャルト・ワーグナー(1813〜1883)である。  彼はベートーヴェンの第9の研究から音楽に身を投じ、歌劇「さまよえるオランダ人」(1841)、「タンホイザー」(1845)などを経て、やがて音楽と演劇を統合した「楽劇」を世に問い始める。  濃厚きわまりないロマン派宇宙の極致とも言える「トリスタンとイゾルデ」(1859)、「ニーベルングの指環」(1874)、「パルジファル」(1882)などはその到達点だ。  これは「オペラ」のようでいて「オペラ」ではない。「オペラ」は、もちろん詩や演劇に音楽をつけて舞台上演するもの。その起源はクラシック音楽の黎明期にまでさかのぼる。  しかし、ワーグナーが志向したのは、(ベートーヴェンが第9で目指したように)音楽の表現技術を究極にまで進化させ、言葉や物語からさらにゲルマン民族の歴史や自らの宗教や哲学、それに舞台という場での美術や演出までも加えた「総合芸術」だった。  それこそが実は、ベートーヴェンが提示した「交響曲という思想」の到達点ではないか。…と、ワーグナーは(たぶん)そう考えたわけである。  余談だが、例えばビートルズが1960年代に提示した「ロック」は、ダンス音楽としてのロックンロールではなく、ビートミュージックもクラシックもジャズもインド音楽も、そして様々なメディアやファッションや若者のイデオロギーまでも統合した「ロックという思想」だった。それに似ている。  その点では、ポスト・ベートーヴェンの交響曲の歴史における正しい継承者は、実はベルリオーズ、そしてワーグナーだったと言うべきだろう。  しかし、最大の問題が一つあった。  ベルリオーズの音楽もワーグナーの楽劇も、もはや「交響曲」ではなかったのだ。           * Brahms さて、そこで登場するのが、革新派ワーグナーの対抗馬として登場した保守派の雄ブラームス(1833〜1897)である。  彼は、ベルリオーズやワーグナーのような独学の怪しげな作曲家ではなく、ちゃんと幼少の頃から音楽の才能を開花させ、演奏家から叩き上げでウィーンの楽壇にまで登り詰めた努力の人でもある。  ハンブルクの田舎から出てきた貧乏育ちではあるものの、苦労した分、人情や良識をわきまえた慎重で温厚な性格。ワーグナーのような(白鳥の騎士が出てくるお伽話や、愛の告白とラブシーンばかり続く18禁のオペラを書くような)誇大妄想狂の伝統破壊者を苦々しく思っていた保守系音楽家&評論家たちにとっては、ドイツ音楽の保守王道を擁護してくれる救世主に見えたに違いない。  そんなわけで、いつしかドイツ〜オーストリアの音楽界は「革新(非常識)ワーグナー派」と「保守(大人の良識)ブラームス派」の二大政党に分かれて反目し合うようになってゆく。  となると、一方のワーグナーが伝統や形式をぶち壊し放題で書き上げる「楽劇」で一世を風靡している以上、保守派ブラームスとしては伝統や形式をこそ重んじた「交響曲」の作曲を待望されるのは当然の理。  ただ、先にも書いたように、ベートーヴェンの第9からはもう50年以上の年月が流れている。そんな時代に「ポスト第9」という視点で作曲するのは、いくらなんでも時代遅れと言わざるを得ない。  なにしろ時代はもう、ベルリオーズの近代管弦楽や、ワグナーの壮大な舞台音楽を手にしている。純オーケストラの作品でも、リストが始めた「交響詩」というジャンルが新しい潮流を作り出しつつあるのである。    ブラームスが、交響曲を書くに至るまで20年近くを要し、重い腰をようやく上げたのが40歳を過ぎてからというのは、別に彼が慎重居士だったからだけではない。いかに保守良識派のブラームスでも「交響曲」はもはやあり得ない「時代遅れの」選択だったからにほかならないと私には思える。  では、どうしてブラームスは「交響曲」を書き始めたのだろう?  それは、そこに思わぬ伏兵がいたからだ。  オルガン教師あがりの卑屈な田舎男ブルックナー(1824-1896)である。           * Bruckner ブラームスより10歳近く年上の当時のブルックナーは、作曲家というよりオルガン教師という呼び名がふさわしい。  リンツ生まれで、幼少の頃から特に音楽の才能を見せたという逸話もないこの無骨な男は、音楽の勉強だけは熱心にするものの、その目的は「作品を書くこと」ではなく「資格を集めること」だった、という変わった性格の持ち主でもある。  しかも、ようやくソナタとか室内楽のような作品らしいものを書き始めるのが、三十代も後半になってから。早熟の天才たちなら最晩年の傑作を書き残してとっくに死んでしまっている歳である。  おまけに、その理由が「これ以上集める免状もなくなり、習うネタも底を尽いてしまったから」というのだから振るっている。  時代から全く遊離したこの孤高の中年男ブルックナーは、オルガン曲や宗教曲などに加えて「交響曲ヘ短調」や「交響曲第0番」などという習作を書き潰し、やがて現在「交響曲第1番」と呼ばれる作品を書くことになる。  これが1866年42歳の時。その曲の初演はその2年後だから、実際にブルックナーが交響曲作家として世に出たのは44歳の時。なんとも遅いスタートである。  ところが、このゾウガメのごとき歩みのブルックナー、その後も着実に(まるで「せっせ、せっせ」と音が聞こえるかのように)第2番、第3番、第4番と「交響曲」と連続して書き下ろし始める。 01 そして、50歳の時には、第3番を(当時バイロイト祝祭歌劇場を建設中だった)ワーグナーのところへ持って行き、「お、いいんじゃない」と言うお墨付き(もっとも、ワーグナーがどこまで本気だったのか分からないが)までもらい、ますます交響曲の創作に励むようになる。  当然、噂はブラームスの耳にも届いただろう。田舎出の妙なオルガン教師がせっせと「交響曲」を書いている、という噂だ。  ただし、その交響曲ときたら、素人くさいうえに長大(どれも1時間以上たっぷりある!)で、どこから聴いてもどん臭く、ウィーンの洗練された聴衆にとっては「冷笑」の対象でしかなかった。  しかし、ブラームスとしては内心ひそかにむらむらと「ライバル」意識が燃え上がったことは間違いない。  そして、ブルックナーがじわじわと第5番に達しようと言うことになった時、ブラームスがついに重い腰を上げた。  そう。「こんなやつに〈交響曲〉を書かれるくらいなら、俺が書くっ!」と立ち上がったわけである。  かくして、15年以上もほったらかしていた楽譜のスケッチを引っ張り出し、ベートーヴェンへの情熱を噴出させながら一気に書き上げたのが…、かの「交響曲第1番」(なんじゃないかと私はひそかに思っている)。1876年、ブラームス43歳の時である。  ちなみに、この年、52歳になったブルックナーは第5番を書き上げている。 Bruckner_4 ブラームスの交響曲が、意固地なまでに「伝統的な」4楽章形式と2管編成(ブラームス型とすら言われる)にこだわったのは、こけおどし的(と見える)大オーケストラを使うワーグナー〜ブルックナーへの対抗心の現れと見るべきだろう。  と言うことは、ブルックナーがいなかったら(たぶん)ブラームスの交響曲は全く違ったものになっていただろうと思えるし、そもそも交響曲などというものを書いていなかったのではなかろうか?  対して、ブルックナーの方はと言うと、ブラームスを意識していたとはあんまり思えない。と言うより、彼の頭の中にあったのは、オルガンを勉強し対位法を勉強しワーグナーを勉強し交響曲を勉強し、せっせせっせと地道な歩みで「交響曲」の山を登り詰めることだけだったようなのだ。  それでも、現実の社会では「卑屈な小男」という印象でしかなかったというブルックナーが、ブラームスの交響曲(4曲ともすべて35分前後という中編サイズ)の優に倍の演奏時間(70分から80分)を要する巨大編成(3管でホルン8本、ハープ数台というような)オーケストラで、神や大自然と屹立するような壮大な「交響曲」を書き続けたというのは、音楽の奇跡としか言いようがない。 02 そのブルックナーは、ワーグナーの死の年(1883年)に書き上げた第7番で、ようやく(遅まきながら)交響曲作家として認められるが、ブラームスは「あんな蛇がのたくったみたいな音楽が交響曲だって?」とどこまでも辛口。    以来、二人はウィーン楽壇を代表する二大作曲家であり、ベートーヴェンを継ぐ交響曲作家でありながら、犬猿の仲になってしまったのはちょっと残念な気もする。    ちなみに、ブラームスは第1番で交響曲デビューして後、1885年までの10年弱で4番までの交響曲を書き上げ、一方のブルックナーは1896年に72歳で亡くなるまでに第9番(未完)までを書いている。  ブラームスが10年で4曲に対して、ブルックナーは30年間で9曲。両者とも「遅筆」のイメージがある割には、ほぼ2〜3年に1曲のペースというのはちょっと意外だ。  そして、ブルックナーが最後の交響曲(第9番)を未完のまま死去したのが1896年72歳の時。  その葬儀の時「次は私の番だ」と力なく呟いたというブラームスは、第4番(1885)を最後に15年間、交響曲に手を染めることなく翌1897年に死去。64歳。    その後、この2人が奇妙なライバル関係の中で墓場から掘り起こした「交響曲」は、中央楽壇から離れた地で新たな芽生えを迎える。  ロシアのチャイコフスキー、チェコのドヴォルザーク、フィンランドのシベリウスなどが、熱き民族主義をブラームス型の交響曲に植え込むことによって、独自の世界を広げていったのである。  しかし、ここではブラームス以降の中央楽壇の行く末にもう一度目を向けよう。  二十世紀を間近に控えた世紀末のウィーンで、「交響曲」は指揮者として音楽活動を始めたひとりの青年作曲家に継承されるからだ。グスタフ・マーラー(1860-1911)である。           * Mahler マーラーは、チェコの寒村で生まれ、努力の末まず地方のオペラ劇場の指揮者として音楽家のキャリアを積み始める。そして、さまざまの歌劇場を転々とし(まるで双六か出世ゲームのように)ライプチヒ、ブダペスト、ミュンヘンと歩を進めてゆき、ようやく中央楽壇に到達して交響曲の作曲の世界に踏み込んだのが二十代後半。  とは言っても、実は28歳(1888年)ころ書き上げた最初の第1番(巨人)は、当初は全2部5章からなる「交響詩」として発表されているし、34歳(1894年)ころ書かれた続く第2番(復活)も、最初の章が「葬礼」と題された「交響詩」として発表されている。  もともとは「交響曲」として作曲されたわけではないのである。  そもそも彼の構想するオーケストラ作品は、自作の歌曲と密接に連携(メロディや主題を転用)しているし、影響を受けた文学作品の構成や、「巨人」「青春」「挫折」「復活」などといったテーマ性を持ち、第1部第2部と言った構成まで持っている。  歌劇場の指揮者としてオペラにも精通し、どこまでも「ロマン派」なマーラーとしては、ブラームス的な伝統的多楽章の「純器楽交響曲」など視野になかったことは間違いない。  それなのに、なぜマーラーは「交響曲」を、しかも番号付き交響曲の道を歩み始めたのだろう?  その理由は、(たぶん)ブラームスに対するブルックナーのように、同じ時期に、同年代の指揮者であり作曲家である盟友リヒャルト・シュトラウス(1864〜1949)がいたからだ(と私には思えてならない)。 Strauss マーラーと5つ違いの後輩シュトラウスは、ミュンヘン宮廷管弦楽団のホルン奏者の息子として生まれ、まず指揮者として音楽のキャリアを積み始める。  そのあたりはマーラーと同じだが、最初の一歩がミュンヘンからだったぶん出世が早い。二十代ですでにベルリン宮廷歌劇場の指揮者に就任、作曲家としても「ドン・ファン」(1888)、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」(1895)、「ツァラトゥストラはこう語った」(1896)、「英雄の生涯」(1898)など「交響詩」の名作を次々書き出した。  全く同じ時期に、「巨人」「葬礼」という作品を「交響詩」として発表してきたマーラーが、これを意識しないはずがない。    自分は、歌劇場を転々として来たので大編成の近代オーケストラを駆使した「演出効果」には詳しいが、「どんなものでもオーケストラ・サウンドにしてみせる」と豪語するようなシュトラウスのようなはったりはとても出来ない。マーラーはそう感じたことだろう。  あるいは、派手で楽天家のシュトラウスに対して、生真面目で悲観主義者のマーラーは、ある種の「形式」を欲していたこともあったのかも知れない。  交響詩と題しながら、第1部・第2部と構成分けをしたり、楽章別のキャラクターにこだわったのも、そういうマーラーの性格の現れだろう。  それに、マーラーは学生時代にブルックナーと親交があったので、番号付き交響曲の作曲家としては微妙な師弟関係にある。  それなら、R=シュトラウスと同じ土俵で(自分には無縁の「派手さ」を競うような)「交響詩」を書くより、「交響曲」で独自性を打ち出した方がいい。  ベートーヴェンの第9のことを思えば、コンサート一晩分の長さを持ち、(オペラ劇場での経験を生かした)声楽や大編成オーケストラを駆使した「交響曲」があったっていいじゃないか。  …とマーラーは(たぶん)そう思ったのだ。  かくして、彼は35歳1895年の時に着手した次作を「交響曲第3番」と題し、さかのぼってその前の二つの作品に交響曲第1番「巨人」、第2番「復活」と題することにした。  交響曲作曲家マーラーが誕生した瞬間である。 03 そんなわけで、マーラーの「交響曲」の位置は、ブルックナーより、むしろ「ベルリオーズ」の後継者に近い。  ・多楽章ではあるが「純音楽」ではなく、詩や哲学を内包しているが「劇場用音楽」ではない。  ・表現形式としては「交響詩」だが、あくまでも「交響曲」として番号にこだわる。  ・巨大編成のオーケストラや特殊な編入楽器(そり鈴やハンマーなど)あるいは声楽(独唱はもちろん混声合唱から児童合唱まで)を無尽蔵に使う。  このあたり、すべてベルリオーズゆずりだからだ。  これが、(R=シュトラウスに対抗して)マーラーが確立した立ち位置だった。  そして、この「立ち位置」を得たことにより、マーラーは(ふっ切れたように)世紀の変わり目である1900年40歳の時に第4番を作曲してから、ほぼ1-2年に一曲というハイペース(1902年に第5番、1904年に第6番、1905年に第7番、1906年に第8番)で交響曲を書きまくり始める。  1900年から11年までの12年間に番号付き6曲(4番〜9番)と「大地の歌」そして未完の10番を入れると計8曲。1年半で1曲という凄いハイペースである。  ちなみに、対するシュトラウスの方も、このマーラーの動向を意識したのかどうか、世紀の変わり目以降はもっぱらオペラの世界に熱中し、ほとんど交響詩を書かなくなる。  しかも、最後の2つの交響詩は「家庭交響曲」(1903)と「アルプス交響曲」(1915)というタイトルなのが、(この2人の微妙な関係を匂わせて)なんとも面白い。 04 ただ、ブルックナーの9つの交響曲が徐々に「高み」に向かってゆく歩みだとすると、マーラーの9つの交響曲は彷徨い解体してゆく見果てぬ夢のように思える。  特に、マーラーが最後に書き上げた〈交響曲第9番〉に聞こえるのは、まさしく交響曲の歴史への「惜別」だ。  瓦解してゆく人生、そして崩壊してゆく調性、解体してゆく形式。それは音楽における「到達点」ではなく、まるで(この先に何もない)「終着点」のように聴こえてならない。  その「終着点」を自らも予感したのだろう。マーラーは、ベートーヴェンも師匠格のブルックナーも「第9番」を書いて死んでいるというジンクスを恐れ、1910年に9番目の交響曲を完成させるとすぐ、(これは「最後の交響曲」ではない!と確認するかのように)次の「第10番」の作曲に取り掛かっている。  しかし、翌1911年に高熱をおしてカーネギーホールでのコンサートを指揮したマーラーは病に倒れ、ウィーンに戻って間もない5月にあっけなく死去してしまう。  第9のジンクスは成就され、交響曲は再びその「終焉」を迎えたのである。  彼の最期の言葉は「モーツァルト!」だったそうだ。            *  そして、ベートーヴェンからベルリオーズへ、さらにマーラーへと受け継がれた交響曲のDNAは、二十世紀を迎えてとある社会主義国の青年作曲家に継承される。  …のだが、その話はまた今度。            *
Frankfurtフランクフルト放送交響楽団日本公演 ■6月3日(木) サントリーホール 7:00p.m ・ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」  (ピアノ:エレーヌ・グリモー) ・ブルックナー:交響曲第7番(ノヴァーク版) ■6月4日(火) サントリーホール 7:00p.m ・R・シュトラウス:4つの最後の歌  (ソプラノ:森麻季) ・マーラー:交響曲第9番ニ長調  パーヴォ・ヤルヴィ指揮  フランクフルト放送交響楽団
B_flyerドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団日本公演 ■7月3日(木)サントリーホール 7:00pm ・ウェーバー:オベロン序曲 ・メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調  (ヴァイオリン:千住真理子) ・ブラームス:交響曲第1番ハ短調 ■7月4日(金)サントリーホール 7:00pm ・ウェーバー:オベロン序曲 ・ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」  (ピアノ:中村紘子) ・ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調 ■7月6日(日)横浜みなとみらいホール 2:00pm ・ウェーバー:オベロン序曲 ・メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調  (ヴァイオリン:千住真理子) ・ワーグナー:ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲 ・ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」  (ピアノ:中村紘子)  ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス指揮  ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団

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2008/03/10

チェロから始まる弦楽器の事情

Cello_2 むかしむかし、作曲を勉強をするにあたってチェロを買ったことがある。  とは言っても、チェロで作曲をしようというわけではない。  作曲をする道具としての楽器は「ピアノ」に尽きるが、オーケストラの基本は何と言ってもヴァイオリンを頭にする「弦楽器群」である。  そこで、弦の響きを体感し、同時にボーイングや特殊奏法などの研究をするためのサンプル(実験素材)として、楽器店に飾ってあった格安のチェロを衝動買いしてしまったようなわけなのである。  だから、演奏できるわけではない。最初はバッハの無伴奏チェロ組曲くらい弾いてみようかとも思ったが、すぐあきらめた。ピアノとは全く逆に、左手指で音程をとり、右手は弓を握るだけ…という奏法に頭がついていけなかった(拒絶した)のかも知れない。  その後はずっと、「管弦楽法」の本を読みながら、駒の近くを弾く(sul ponticello)奏法とか、胴を叩いたり駒をきしませたりする特集奏法の研究に没頭していった。  嗚呼、可哀想なチェロ・・・  (でも、その成果は1980年の私のデビュー作「朱鷺によせる哀歌」に結実したし、2003年にはチェロ協奏曲〈ケンタウルス・ユニット〉も書いたのだから、きっと許してくれるだろう・・・)           *  ■名前のことなど VioloncelloCello01jpg ところで、このチェロ(cello)という楽器、正式名称を「violon-cello」というのだが、「-cello」というのは、イタリア語で「小さいもの」意味する接尾語なのはご存知だろうか?  「え?チェロって、ヴァイオリンの「大きなもの」という意味じゃないの?」という疑問は当然だが、これにはちょっとした(と言うか複雑な)事情がある。  実は、西洋音楽の「弦楽器」の基本形は、ヴァイオリンではなく「ヴィオラ(viola)」なのである。  今でこそ、ヴィオラという楽器は「ヴァイオリンより少し大きくて、5度低い音を出す楽器」などと説明されるが、実はヴァイオリンという楽器の方が「ヴィオラより小さくて高い音を出す楽器」として考案されたもの。  つまり、ヴィオール(viol-)の小さいもの(-ino)が、ヴァイオリン(violin)というわけなのである。  しかも、このヴィオラ全盛期には〈ヴァイオリン〉といったら「小型で持ち運びやすく甲高い大きな音が出る小さなヴィオラ」(要するに、携帯用小型ヴィオラ)に過ぎず、どちらかというと村の祭りや酒場で活躍する下賎の楽器だったらしい。  ところが、気がつくといつの間にか立場が逆転し、ヴィオラの方が〈少し大きなヴァイオリン〉とか〈低い音が出るヴァイオリン〉と呼ばれるようになってしまったのだから、時の流れというのは恐ろしい。
Violone01_2 一方、小さいヴィオラというのがあるなら当然〈大きいヴィオラ〉というのもある。ヴィオラの大きいもの(-one)、〈ヴィオローネ Violone〉である。  高い音を担当するのが〈小さいヴィオラ(violin)〉なら、低い音を担当するのが〈大きいヴィオラ(violone)〉と言うわけだが、この楽器、どちらかと言うと今のコントラバス(ダブルベース)に近いサイズ。  声楽で言うと、ヴァイオリンが〈ソプラノ(女声の高音)〉、ヴィオラが〈アルト(女声の低音)〉、ヴィオローネが〈バリトン(男性の低音)〉ということにでもなるだろうか。    と言うことは、ちょっと考えても、もう一人、テノール(男性の高音)が欲しくなるのは自然の理。  そこで、ヴィオローネより少し小型の低音弦楽器が生まれることになった。ヴィオローネ(violone)の小さいもの(-cello)だから、ヴィオロンチェロ(violon-cello)。略して「チェロ(cello)」というわけである。
Violon ちょっとややこしいので整理すると、要するに〈ヴィオラ〉こそが、ヴィオール属の標準(スタンダード)サイズ。  それに対して、〈ヴァイオリン〉は高い音を担当するために作られた〈ヴィオラの小さいもの〉。  一方で、低音を担当したのが〈ヴィオラの大きいもの(ヴィオローネ)〉である。  そして、その〈ヴィオラの大きいもの(ヴィオローネ)〉を小さくしたものが、〈チェロ〉。〈大きいヴィオラ(ヴィオローネ)の小さいもの〉なのである。  え?ますますややこしいって?  
Violet 余談だが、VIOLAはイタリア語ではスミレのこと。英語のヴァイオレット(VIOLET)と同じだが、なかなか美しいイメージだ。    そして、この〈ヴィオール属〉の起源はギターと同じ。(日本の琵琶なども、この系統)  弦をぽろんと指先でつま弾くので、複数の音(つまり和音)を奏でられるのは大きな利点だが、ロングトーン(長く延ばした音)が出せないのが最大の欠点である。  そこで、弦を指で弾くのではなく、弓でこすって音を出し、歌のように長く引き延ばされた音を出そう…というアイデアで生まれたのが、このヴィオール属の楽器というわけである。 Gut ちなみに、弦楽器の弦は〈ガット弦〉と言って、羊の腸を細く延ばし(これに肉を詰めればソーセージになる!)それを捻って寄り合わせたもの。  そして、弓の方は、馬の尻尾の毛(150本ほどと言われる)を弾力性のある木の棒に張ったもの。その毛の表面に〈松やに〉を塗り、微妙なざらざら感(摩擦)を作り出して弦をこする。   (松やにを塗らず尻尾の毛でこするだけでは音は出ない。また、馬はモンゴル産の白い馬の毛に限る…とか、弓の木は南米産のペルナンブコに限る…などと言われ、上質の弓はハンパでない値段がする) Bow Violas 何はともあれ、「ギターを弓で弾く」という発想からヴィオラの仲間が生まれ、やがて、ルネサンス期にはギターと同じ6本(あるいは5本)の弦を持つ弦楽器、ヴィオラ・ダ・ガンバ、ヴィオラ・ダモーレ、ヴィオラ・ダ・ブラッチョなどなど〈ヴィオラ〉の名のつく楽器が多く考案され、全盛を極めることになる。
Viola ところで、このヴィオラ(viola)という楽器、フランス語ではアルト(Alto)、ドイツ語ではブラーチェ(Bratsche)という。  アルトの方はもちろん「アルト音域の楽器」という意味だが、ブラーチェの方はヴィオラのむかしの名前である〈ヴィオラ・ダ・ブラッチョviola da braccio(腕=Braccioで支えて弾くヴィオラ)〉から来ている。  イタリアではこれの前半をとって〈ヴィオラ〉と呼び、ドイツでは後半をとって〈ブラーチェ〉と呼ぶわけである。  またまたちなみに、ヴィオラ・ダ・ガンバの方は「足=Gambaではさんで弾くヴィオラ」という意味なのだそうだ。
 ■ 演奏する「向き」のお話 1704 このヴィオール族、ある時、誰かが「ギターを弓で弾く」というアイデアを思いついたにしても、弓で弾くとなると、そのままギターのように横に抱きかかえた形ではいかにも弾きにくそうだ。  なにしろギターと同じ持ち方をして弓で弾くには、弓を縦に(握って)持って、上下に動かさなければならないわけで、これでは微妙な演奏表現はむずかしい。  そこで、大きいヴィオラ(ヴィオローネやチェロ)は、楽器を縦にして地面に置き、それを横向きにした弓で弾くことになった。  この場合、ヴィオローネのような大きなサイズなら、縦にすれば楽器が地面につくので問題ないが、それより微妙に小さいサイズの楽器だと、足に挟んで落ちないようにして弾かなければならない。これがヴィオラ・ダ・ガンバ(足で挟んで弾くヴィオラ)。  一方、小さいヴィオラの方は、持ち上げて腕で支えて弾くことになる。これがヴィオラ・ダ・ブラッチョ(腕で支えて弾くヴィオラ)というわけである。   Soundholes 縦に弾くタイプの楽器は、自然に楽器表面の共鳴孔(f字孔=ギターで言うサウンド・ホール)が正面、つまりお客の方を向く。当然ながら、そのまま正面を向いて演奏するのが、一番演奏しやすいし音が通りやすいことになる。  一方、腕で支えて弾くタイプの楽器は、必然的に、表面の板に開けられた「f字孔」、つまりサウンドホールが上を向く。つまり、音は上に向かって立ち上る。  しかし、真上というわけではない。右利きの人間が右手に弓を持って弾くため、楽器は右肩下がりとなるからだ。つまり音は右上に立ち上がる。 Violin1_2Karehira ということは、ヴァイオリンやヴィオラは奏者の右に聴き手がいるのがベスト。必然的にヴァイオリニストは舞台の下手(向かって左側)に右向きになって座って(あるいは立って)弾くことになる。  逆に、舞台の上手(向かって右側)に左向きになって座って(あるいは立って)演奏すると、楽器の背の方が客席に向くことになり、音も客席の方ではなく舞台奥の方に飛んでいってしまうことになる。  そんなわけで、ヴァイオリニストは必ず右向きになって演奏するわけである。  (もっとも、左利きの人が左手に弓を持って弾くなら、その逆も可なのだが…)
   ■では、弦楽器の並び方は?  さて、ヴァイオリンとヴィオラは「右向き」がベスト、チェロやコントラバスは「正面向き」がベスト、ということになると、弦楽器が集まった時の舞台上での並び方が(なんとなく)決まってくる。  それでも、見た目にもっとも分かりやすいのは、(実は作曲家がスコアに書くときもそうなのだが)高音から低音に並ぶ形だ。  つまり左から〈第一ヴァイオリン〉〈第2ヴァイオリン〉〈ヴィオラ〉〈チェロ〉〈コントラバス〉という並びである。 Strings_2 これは現代のオーケストラでは「標準型」とされている。  一説には、戦後ストコフスキーが始めた並び方で、向かって左が高音、右が低音と分かりやすいことと、ステレオ録音などでイコライジングしやすい(左チャンネルを高音強化、右チャンネルは低音強化すればいいわけなので)ことからの採用と言われる。  音域で明快に分けられた配置なので、音楽的にも「主メロディ」「伴奏の内声」「ベース」など、音楽を構成するパーツ(声部)が分かりやすい。  また、演奏上も、同じ音域の楽器がすぐ隣に配置されているので、アンサンブルがしやすい。その点では、理にかなった並び方だと言える。  ただし、これだとチェロが横を向いてしまう。  しかし、(先に検証したように)チェロは出来るだけ正面を向くのが、音の通りから言うとベスト。そこで、チェロが主旋律を持つことが少なくないロマン派などの作品では、チェロが中央寄りに移動する例が少なくない。  もちろん、この配置だと、チェロと交代して右翼に移動したヴィオラが横を向いてしまうのだが、まあ、ヴィオラは内声を担当しているので、チェロよりは音が通らなくてもかまわないということだろうか。 Ny1897  しかし、西洋音楽の伝統では〈第2ヴァイオリン〉というのは、要するに「主ヴァイオリンとは違った場所にいる別のヴァイオリン群」というような性格を帯びて生まれたもの。  そのため、ベートーヴェンからワーグナーやマーラーの時代までのオーケストラ配置図を見ると、ほとんど第一ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが左右に離れて配置されている。  これを「対向配置」というのだが、戦前までは、こちらの方が「標準」だったと言う。  (この「対向配置」という呼び方は、第1と第2ヴァイオリンが左右に向かい合って…対向して…並ぶことから生まれたもの。ただ、厳密には「標準配置」ともども正式な名称はないようだ)  実際、作曲家たちもこの配置を前提としてスコアを書いていることが多い。 Pathetique_2 例えば、チャイコフスキーの「悲愴」最終楽章冒頭の不思議な部分(第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンで交錯するように主題が出てくる)などは、対向配置にするとメロディが右に左にと揺れ動く効果が立ち現れる。  これは、心の揺れの激しさを表す絶妙のオーケストレイションだが、標準配置ではほとんど伝わらない。(ちなみに、この部分の揺らし方では、第1ヴァイオリンとヴィオラ、第2ヴァイオリンとチェロが同期していることから、チャイコフスキーがはっきり対向配置を前提にして作曲したことが分かる)  最近、オーケストラでこの「対向配置」を取り入れるコンサートが増えたのも、「昔はこちらの方が標準だった」という事実のほか、作曲家が対向配置を前提として書いていることが明らかなスコアの場合は、この配置こそが「作曲家の意図するもの」であることにほかならない。  特に、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンとが対位法的な「掛け合い」をするパッセージなどは、明らかに「対向配置」を想定して組み込んだもの。標準配置にすることで、弦楽器の間の「音の受け渡し」や「フレーズの方向性」が変わってしまうことは間違いない。  しかし、多くの場合、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンは、オクターヴあるいは3度音程などで同じ主題を演奏する。そんな場合は、両者が左右に離れて配置されているより、隣り合って演奏する方が効果的であることも確かだ。  ただし、このように第1第2ヴァイオリンが並ぶ配置の場合は、主旋律を強化するため、例えば14型なら14〜12〜10〜8〜6というように第1ヴァイオリンに比べて第2ヴァイオリンを微妙に少なくする。  一方、対向配置では第2ヴァイオリンが(楽器の向きが裏側になることで)最初から音量的に微妙なハンデを付けられている。  と言うことは、作品によっては第1ヴァイオリンと同じ数にする(それでも微妙に音量は第2ヴァイオリンの方が低くなるのだが)というような配慮が必要になりそうだ。 Toki 実を言うと、私のデビュー作である「朱鷺によせる哀歌」は、徹底的にこの「対向配置」から生まれるステレオ効果にこだわった曲で、弦楽器群は完全に〈左右対称〉に配置されている。  つまり、ヴァイオリンもヴィオラもチェロも2群になって同じ数だけ左右対称に並び、ベースは中央最後部に位置する。すると、上から見ると左右対称の鳥の形になっている!(ヴァイオリンが両翼、ピアノが胴体、ベースが尻尾)という仕掛けである。  もちろん、視覚的に左右対称にすると同時に、音響的にも左右対称によるステレオ効果を狙ったのは言うまでもない。・・・のだが、実は、これでは「音量的に」左右対象にならないのは、これまで説明した通り。(つまり、右翼の弦楽器…特に第2ヴァイオリンと第2ヴィオラが、楽器の向きが裏側になることで微妙な音量的ハンデを抱えるのである)  と言うわけで、標準配置、対向配置、どちらも一長一短。対向配置を想定して書かれた作曲家の作品は、対向配置で演奏した方が効果的である…というのは確かなので、曲によって色々な配置法を試みるのも悪くない。  しかし、一方で、曲によって弦の配置を右に左にころころ変えていては、ストリングス・セクションの統一(あるいはアンサンブルの勘)がとれなくなるのも、また事実。  この問題については、これからも色々な試行錯誤が続くことになるのだろう。 String4 ・ ・・というわけで、チェロから始まった弦楽器雑談、そろそろお開き。
          *
Flyerクレメンス・ハーゲン(チェロ)&シュテファン・ヴラダー(ピアノ) デュオ・リサイタル ■2008年5月8日(木)19時開演 浜離宮朝日ホール ・ベートーヴェン:チェロ・ソナタ 第3番
 ・ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第14番 「月光」 ・バッハ:無伴奏チェロ組曲 第1番 ・ ブラームス:チェロ・ソナタ 第2番 チェロ:クレメンス・ハーゲン ピアノ:シュテファン・ヴラダー

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