
ことクラシック音楽界においては、作曲家の評価というのは分からないものだ。
生きている間は飛ぶ鳥を落とす勢いだった「大作曲家」が、死後パタリと演奏されなくなって歴史の狭間に消えていったり、かと思うと、生きている間は二流三流として軽視されていた作曲家が死後何十年もたっていつのまにか時代を代表する「大作曲家」に祭り上げられていたりする。
なにしろ、現在では「音楽の父」とまで言われるバッハも、メンデルスゾーンがマタイ受難曲を復活上演するまで「忘れられた作曲家」だったし、音楽史上最大の天才のはずのモーツァルトも、ロマン派全盛の時代には「軽くて内容のない音楽」として二流品扱いだったほどなのだ。

逆にロッシーニとかマイアベーアなどは、生前は大オペラ作曲家として知らぬ者のない巨匠だったが、今では彼らをベートーヴェンやヴェルディと並べて大作曲家扱いする人はきわめて少ない(ロッシーニは最近少しリバイバルしかけているけれど)。
歌は世につれ…と言うが、音楽の「価値」というのは絶対不変のものではなく、時代によってかなり株価変動するもののようだ。
最近でも(と言っても、もう50年ほど前になるが)、音楽はひたすら進化するのだと信じられていた第二次世界大戦後の「前衛の時代」には、マーラーやリヒャルト・シュトラウスなどの濃厚な「断末魔ロマン派音楽」(と私は密かにそう呼んでいるのだが)は、それこそ時代遅れの古い音楽として「過去の遺物」のように言われていた。
現代音楽全盛の1960年代には、誰かが書いた新作のオーケストラ作品がちょっと濃厚な響きで鳴ろうものなら「まるでリヒャルト・シュトラウスみたい!」と軽蔑の意を込めて嘲笑された。(当時は、「Rシュトラウスみたい」あるいは「ラフマニノフみたい」というのは最大級の差別用語だったのである!)
だから、そんな時代に「ロマン的な交響曲を書きたい」などと言うのは、ナチス親衛隊の本部で「実は私ユダヤ人なんです」と告白するようなもの・・・だったのだが、それも今は昔の物語。
ちなみに、そのころマーラーの音楽は、巨大ながら「単なる交響的ポプリ(つぎ足し)」と過小評価されていたし、リヒャルト・シュトラウスは「二流のリヒャルト(リヒャルト・ワーグナーと比べて)にして、二流のシュトラウス(ヨハン・シュトラウスに比べて)」などと言われていた。

それが、1970年代あたりを境にこの二人は劇的なリバイバルを果たす。
きっかけは映画「2001年宇宙の旅」(1968)でR=シュトラウスの「ツァラトゥストラはこう語った」の冒頭が使われ、同じく映画「ベニスに死す」(1971)でマーラーの第5交響曲のアダージェットが使われたこと、と言い切ってしまったら安直に過ぎるだろうか。(現在ではBGMとしても大ヒットを誇るこの2曲だが、最初に掘り起こした人の慧眼おそるべし!)

そして、時を同じくしてレコード(当時はLP)の録音技術が飛躍的に進歩したのを受け、彼らの壮大華麗にオーケストラを鳴らす音楽は、「ホール」に次ぐ新しい時代の音楽メディアである「オーディオ」界に熱狂的に受け入れられることとなった。
結局のところそれは、楽器を音響素材としか扱わない無機質な前衛音楽が作る「未来」より、あくまでも豊饒に協和音を鳴らす断末魔ロマン派の「過去」の方に大衆が軍配を上げた歴史的瞬間だったのだ。
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さて、今回はそんな断末魔ロマン派の巨匠のうち、さんざん言及されているマーラー先生ではなく、シュトラウス先生の方にスポットを当ててみよう。

リヒャルト・シュトラウスは、1864年6月11日ミュンヘン生まれ。1年後輩にシベリウス(1865〜1957)、2年先輩にドビュッシー(1862〜1918)、4年先輩にマーラー(1860〜1911)と、このあたりが同世代の作曲家。
19世紀生まれだが、36歳で20世紀を迎え、第二次世界大戦後も作品を発表しつつ長生きしているので、20世紀の作曲家と言えなくもない。
父フランツ・シュトラウスはミュンヘン宮廷管弦楽団のホルン奏者、母ヨゼフィーネはお金持ちの酒屋の娘。そういう環境に育ったリヒャルト少年が作曲を始めたのは当然と言えば当然かも知れないが、17歳の時には既に交響曲を作曲してミュンヘンで初演しているというから、けっこう早熟の天才ではある。
その後、指揮者と作曲家という両刀をこなしながら、ミュンヘン宮廷歌劇場の指揮者を皮切りにバイロイト、ベルリン、ウィーンなどなどの歌劇場の音楽監督として活躍する。その点では、フルトヴェングラーやカラヤンの先輩格と言える大指揮者でもあるわけだ。(実際、ベルリン・フィルなどにはかなり色濃く彼の影響が残っている)
同じく指揮者であり作曲家だったマーラーとは、ほぼ同世代だったこともあり、ライバルのような盟友のような不思議な友好関係にあったようだが、音楽のタイプは「根アカ」のシュトラウスに「根暗」のマーラー、と極めて対照的だったとのこと。(まあ、このネアカ&ネクラというのも、もう死語に近いけれど)

そして、指揮活動と並行して交響詩・オペラなどの問題作を次々に発表して喝采を受け、同僚のマーラーの死後(1911)は、その長寿を生かしてドイツ・オーストリア音楽界に君臨し、1933年ナチス・ドイツの時代に69歳にしてドイツ音楽界最高の地位というべき「帝国音楽局総裁」にまで登り詰める。
また、作品が上演されることで作曲家に「著作権使用料」が入ってくる…というシステムの確立に奔走し、ドイツの音楽著作権協会の設立の礎を作ったのも彼。(それまでは、作曲家の報酬は「作曲料」だけ。もらい損なえば、どんな名曲を書いても貧乏が待っているだけだったのである!)
ちなみに、山田耕筰がベルリン留学したのがこの頃(1910年前後。師事したのはM.ブルッフ)で、そのせいか彼のオーケストラ作品はRシュトラウスを目標としているような処がある。
また、友好国ドイツの最大の作曲家(1936年のベルリン・オリンピックでは「オリンピック賛歌」まで作曲している!)と言うことで、第二次世界大戦直前の1940年(昭和15年)にはドイツの友好国である日本政府からの委嘱で「皇紀2600年奉祝曲」を作曲しているほど。

政治にここまで関わった(利用した)作曲家としては、もう一人のリヒャルト、つまりワグナーを思い起こさせるが、シュトラウスの場合はあそこまで私利私欲&唯我独尊ではなく(先の著作権運動の件もそうだし、北欧からやってきたシベリウスのヴァイオリン協奏曲をベルリンで初演指揮したり)、結構、人が良いというか面倒見のいい印象だ。
それでも、持ち前の明るさと社交性と音楽の才能と政治的手腕とをフルに活用し、(ナチスまでも利用して)ドイツ音楽界の巨匠にして長老の地位に君臨したのは確か。ある意味では、もっとも「社会的に成功した」作曲家ということになるだろう。
ところが、第二次世界大戦で祖国ドイツは大敗北。ヨーロッパ音楽界最高の地位から、一気に奈落の底に突き落とされる。この時、シュトラウス81歳。
しかも、戦後、ナチス時代にドイツ音楽界で活動したほかの音楽家たち(フルトヴェングラーやカラヤン)共々、ナチスとの関係を疑われて裁判にかけられることになった。
しかし、自分のオペラの台本作家にユダヤ人を起用していたり、それが元でヒトラーと袂を分かったりしていたのを評価されたのか(実際、音楽総裁の座もそれが元で数年で辞職している)、その点に関しては無罪となった。

そこで、ふたたび自作の指揮でコンサート活動を始めようとしたのだが、最初に書いたように時代は「前衛」の時代を迎えつつあり、彼の音楽は完全に「過去の遺物」。(それに、ナチス時代に全盛を誇っていたのが、戦後の若い世代には気に入らなかったこともあるのだろう。その反感が、冒頭の「二流のリヒャルト、二流のシュトラウス」などという悪口になったわけだ)
かくして、戦後はほとんど隠居の身となり、ドイツとオーストリアの国境近くの小さな町ガルミッシュで歌曲などを細々と書きながら(しかし、これがまた絶品なのだが!)生活するという淋しい境遇の中、1949年に死去。享年85歳。
しかし、これはこれでなかなかの充実した人生というべきだろう。
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と、音楽家として最高の地位まで登りつめたR・シュトラウスだが、残念ながらヨーロッパ楽壇にはもっと有名な「シュトラウス」がいる。そう、ワルツ王「ヨハン・シュトラウス」である。
そこで、区別するために彼は「リヒャルト=シュトラウス」あるいは「R=シュトラウス」と必ずR付きで呼ばれる。つまりR指定のシュトラウス(ちなみにアメリカでは未成年者には保護者同伴が義務付けられている映画を「R指定」と言う。念のため)というわけだ。
もっとも、この「ヨハン・シュトラウス」の方も、父の「ワルツの父」ヨハン・シュトラウス一世と、息子の「ワルツ王」ヨハン・シュトラウス二世がいるのでややこしい。
(実際、リヒャルト・シュトラウスが「英雄の生涯」を書いた35歳ころまで、ウィーンではヨハン・シュトラウス二世がワルツ王として君臨していたわけだから、さぞややこしかったことだろう)。
しかも、面白いことに「ワルツの父」ヨハン・シュトラウス一世が1849年没、息子の「ワルツ王」ヨハン・シュトラウス二世が1899年没、そしてリヒャルト・シュトラウスが1949年没。
つまり今年(2009年)は、シュトラウス一世の没後160年、シュトラウス二世の没後110年、リヒャルト・シュトラウスの没後60年ということになる。なんとこの3人のシュトラウス、ピッタリ50年おきに亡くなっているのである!
そしてこの3人のシュトラウス、いずれも難解&高邁な「芸術」は指向せず、「お客様は神様です」的な「プロ」に徹している点が共通しているのも面白い。
ベートーヴェン以降の作曲家というのは、ブラームスにしろマーラーにしろ、聴衆がどう思おうと自己の芸術の道を突き進む…という「芸術家気質」(逆に言えば「自己完結的な身勝手さ」)があるのだが、彼らはちょっと違う。聴衆に最高の作品を提供するという「職人気質」(「オーケストラを扱ったら俺が一番!」というプロ根性)に満ちているのである。

しかも、歌劇場の総監督として指揮やプロデュースをこなすという多忙な生活の合間を縫って生涯にオペラを15ほども書きあげている根性は凄い。
そのラインナップも、「グントラム」「火の危機」「サロメ」「エレクトラ」「薔薇の騎士」「ナクソス島のアリアドネ」「影のない女」「インテルメッツォ」「エジプトのヘレナ」「アラベラ」「無口な女」「平和の日」「ダフネ」「ダーナエの愛」「カプリチオ」と、題材も聖書やギリシャ神話から悲劇・喜劇と多種多彩だ。
さらに、交響詩(交響曲)と題するジャンルでも、「ドン・ファン」「マクベス」「死と変容」「ティル・オイレン・シュピーゲルの愉快ないたずら」「ツァラトゥストラはこう語った」「ドン・キホーテ」「英雄の生涯」「家庭交響曲」「アルプス交響曲」という9つ(ベートーヴェンの9つの交響曲を思い起こさせる数だ)を物にしている。
オーケストラをキャンバスにして空想の世界を自由に描く…というこの交響詩の世界で、シュトラウスの想像の翼は、神話や人物などを題材にする交響詩の定型から離れ、まさに自由奔放に羽ばたく。

例えば、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」では、巨大オーケストラの色彩的なサウンドの洪水で絵のないアニメのような世界を描いてしまうし、「ツァラトゥストラはこう語った」では、一転その巨大オーケストラから壮大な音響世界を繰り出して、ニーチェの高邁な思想(らしきもの)を豪放華麗に描いてみせる。
後にウォルト・ディズニーが確立したアニメ映画の世界では、主人公が笑うのも葉っぱが落ちるのも風が吹くのもすべて音楽で表現されているが、まさにそういうアニメ的音楽世界の先駆が、シュトラウスだったわけだ。(ただしそれは、裏返せば「自己の内面」とか「思索の深さ」という点では薄い…と言われてしまう弱点を持つのだが)。
そんな「なんでも音楽で描写する」シュトラウスの職人魂は、その後さらにエスカレートし、チェロ(ドン・キホーテ)、ヴィオラ(サンチョ・パンサ)という2つの独奏楽器を主人公にしてセルバンテスの有名な物語をまるまる描いてみたり(ドン・キホーテ)、夫婦のおしゃべりやケンカあるいは子供との団欒や食事風景までをオーケストレイションしてみせたり(家庭交響曲)、果てはアルプス登山の一日を日の出から日の入りまでハイヴィジョン映像さながらに克明に描写して見せたり(アルプス交響曲)する。
その一方で、自身を「英雄」、音楽批評家を「その宿敵」にみたて、その生涯と壮絶なバトルを神話の英雄譚にみたてて交響絵巻にしたり(英雄の生涯)という、本気なのか冗談なのかよく分からない作品も書いているのも面白い。
そもそも彼のオペラの大傑作「薔薇の騎士」だって、ウィンナ・ワルツ風(まさにヨハン・シュトラウス風!)の濃厚で美しい音楽が全編に流れるのは、「私だって同じシュトラウスですから」というお洒落極まりないジョークのような気がする。
とにかく、彼の作品すべてに貫かれているのは、「お望みなら夫婦ゲンカだろうが哲学だろうがアルプス登山だろうが何でも音楽で描写して見せますよ」という最高のプロ職人としての自負だろう。
しかし、同時に、世界(宇宙)をオーケストラという語法で描ききる「音楽の宇宙における創造神」としての作曲家の姿も見えてくる。その聖俗あわせ呑んだスタンスが、彼の音楽の最大の魅力だ。
そして、この神様、千変万化の音響を生みだす神業のようなテクニックと、自分が万能であるかのような傲慢な尊大さとの裏に、子供のような茶目っ気を秘めている。(「私は偉いんですよ。えへん」と髭をなでる神様のような…)
先の「英雄の生涯」の一件もそうだが、交響詩の作曲の極意を聞かれて「最初に大音響を出して聴き手をビックリさせ、それから引き込んでしまうのさ」(まるで「ネコだまし」のように!)と答えているあたり、芸術音楽作曲家の言動とは思えない「ユーモア」が絶品だ。(こういう脳天気さが、根暗のマーラーには理解できなかったらしいけれど)
確かに、壮大きわまりないオープニングを持つ交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」などは、その「冒頭猫だまし」の極地。そこまで行かなくても、「ティルオイレンシュピーゲル」冒頭の極めて印象的なホルン・ソロにしても、「サロメ」の冒頭の「今夜のサロメ王女はなんとも美しい」という歌にしろ、彼の音楽は聴き手の心をつかむ印象的な「曲の始まり」が多い。
(もっとも、その逆に、彼の音楽はほとんどすべて「曲の終わり」の印象が薄いのだけれど)
一方で、ワーグナーばりの「愛と死」へのアプローチも「真面目に」試みている。ただ、シュトラウスにかかるとちょっと違う世界になるのが、なんとも愉快だ。
初期の傑作「ドン・ファン」は愛の権化である主人公を、まさにエネルギーあふれる色彩的な生(性?)を謳歌する男として描いているし、「死と変容」は、病院で死んで行く病人の衰弱から死まで…という奇妙にリアルな死を(それなりに濃厚なサウンドで)描いている。
音楽は至極「まじめ」でテーマは結構深刻。かつ、聴いていてかなり引き込まれる音楽の吸引力がある。なのに、どこか夢物語のような、まるで演技過剰のテレビドラマでも見ているような、究極の「つくりごと」といった佇まいがあるのだ。
しかも、これだけオーケストラに精通していて、しかも自分の作品は自分で指揮するのなら、もう少し手を抜いて効果的な響きを得られる「エコノミーな」書式になりそうなもの。ところが、けっこうミッシリ書き込んだスコアを連発するあたり、なかなかの職人としての「根性」を感じる。
また、ヨーロッパ楽壇に無調の響きが満ち始め、第二次世界大戦という未曾有の悲劇を目の当たりにするその晩年にも、楽観主義的ロマンの香りを絶やさなかった「ぶれのなさ」も尊敬に値する。
彼の器用さを持ってすれば、あるいは前衛音楽風のオペラだって書けてしまったかもしれないのだから。
*

ちなみに、私がシュトラウスを好きになったのは、80歳を過ぎて「巨匠、これからのご予定は?」と聞かれた時、「そうだね、あとは死ぬことかな」と答えたというエピソードを聞いてからだ。
まさにその頃、最晩年に書いた「最後の4つの歌」と呼ばれる最晩年の歌曲では、老妻と二人で夕焼けの丘にたたずみ想い出を語りあいながらヒバリのさえずりを聴く、という世にも美しい世界を紡いでいる。
♪ ぼくたちは苦しいときも嬉しいときも
手に手を取って歩んできた。
でも、もう彷徨うのはやめて静かな土地で休もう。
空は黄昏れてきて、二羽のヒバリが霧の中に昇って行く。
ヒバリには歌っていてもらおう、すぐ眠りの時が来る。
ああ、夕映えの中で世界はどこまでも静かだ。
これが死というものなんだろうか・・・
(「夕映えの中で…」より)
この美しさ。ワーグナーの仰々しく濃厚な夜の世界の「死」とも、マーラーの孤独極まりない「永遠に…永遠に…」とも違う、三丁目の夕陽(?)を浴びながらの「きわめて平凡で小市民的な」生からの訣別。
豪放だがたまらなく可愛い人なのだ、R指定のシュトラウス氏は。
*
■ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
4/25日(土) 15時開演 ミューザ川崎シンフォニーホール
・リヒャルト・シュトラウス
交響詩 「ツァラトゥストラはこう語った」
・ブラームス:交響曲第4番
4/29(水・祝) 14時開演 サントリーホール
・リヒャルト・シュトラウス
交響詩 「ドン・ファン」
「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
「英雄の生涯」
5月1日(金) 19時開演 サントリーホール
・リヒャルト・シュトラウス
交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」
アルプス交響曲
ファビオ・ルイジ指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団