
今回は、〈オペラ〉を作る人々の話。
「オペラ(歌劇)」は、今でこそクラシック音楽の一ジャンルに過ぎないけれど、20世紀以前の、映画やテレビがなかった時代の欧米では、演劇と音楽と美術が合体した「究極の娯楽」の地位にあったと言っても過言ではない。
なにしろ、そこには古典(時代劇)から新作(現代劇)に至るありとあらゆる「物語」があふれていて、シリアスで泣ける話もあれば、コミカルな笑える物語もあり、恋愛ドラマはもちろん、英雄やお姫さまや竜が出て来るヒロイック・ファンタジーものもあれば、ちょっと怖いホラー&オカルトっぽいものもある。そしてお金のたっぷりかかった壮大な歴史劇もあれば、小さな舞台での私小説風のメロドラマもあり、異国を舞台にした旅情サスペンスもあれば、週刊誌の三文記事のような不倫ものや殺人事件もあるのだから!。
しかも、全編に渡ってオーケストラやコーラスによる豪華な〈音楽〉が満ちあふれ、想像力を刺激する(しかも、ふんだんにお金をかけた)舞台美術の魔術の粋が盛り込まれている。そこで繰り広げられる夢のようなドラマの数々。まさにこれ以上ない最高のエンターテインメントである。

当然ながら、欧米の主要都市にはそれらを鑑賞するためのオペラ劇場があり、そこに王侯貴族から富裕層の観客そして一般庶民までが押し寄せた。そして、人気の演目は(映画の全国ロードショーのように)プラハやウィーンやパリやロンドンなどなど各地で上演され、莫大な興業収益をもたらすことになる。
オペラは単に「音楽」における進化の最終形であるだけではなく、ヨーロッパにおける「文化」の到達点のひとつだったのである。
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★作る人々

◇作曲家
クラシック音楽の作曲家たちは、誰もが「オペラでの成功」を夢見た。貴族や教会に雇われる(あるいは教職に就く)のではなく、独立した自由芸術家として社会に存在する・・・つまり「プロの作曲家になる」というのは、「オペラを当てる」ことにほかならなかったからだ。
とは言っても、世間一般の例に漏れず、成功するのはほんの一握り。クラシックの(いわゆる)大作曲家たちを見ても、オペラで成功するのを夢みながら、それがかなわなかった「負け組」が実に多い。

渾身の一作「フィデリオ(レオノーレ)」がどうしてもヒットせず、序曲も含めて何度も書き直し続けたベートーヴェン。
貧乏な歌曲作曲家から逃れたくて何本もオペラを書いたものの、結局夢果たさず早死にしてしまったシューベルト。
人気作曲家として十数本ものオペラを書き続けたけれど、結局大ヒット作には恵まれなかったチャイコフスキー。
そして、最初から「私はオペラ向きではないから」と、舞台作品には背を向け続けたブラームスやマーラーそしてシベリウス。
対して、作曲家として成功し社会的地位と経済的報酬を勝ち得た「勝ち組」は、ロッシーニやヴェルディ、プッチーニといったイタリア・オペラの大家たち。自分専用の劇場(バイロイト祝祭劇場)を建てさせたワグナーや、ナチス時代に音楽総裁まで登りつめたリヒャルト・シュトラウスなども成功組。20世紀になっても「ヴォツェック」の成功でベルクは(…現代音楽作曲家にしては)かなりいい生活が出来たと言うから、オペラの威力は大きい。

◇台本作家
オペラは作曲家だけでは作れない。「歌」には必ず〈詞〉がいるように、セリフを歌詞にした「台本(リブレット)」がなければオペラは作れないからだ。
そこで当然ながら、「台本を書く作家」というのが必要になる。TVや映画でいう〈脚本家〉である。元になる物語をベースにして、「シーン(場面)」を作り、背景の説明は「ト書き」にし、そこに登場人物の「台詞(セリフ)」を並べてゆき、ストーリーを進行させてゆく。
元の物語が演劇用の「戯曲」である場合は、(セリフだけの舞台劇なので)オペラに転用するのはいくぶん簡単だが、それでも演劇のセリフやシーンをそのままオペラにすると(なにしろセリフを全部「歌」で歌うので)数倍の長さになってしまう。
そこで、原作が戯曲や詩であっても(その演劇や詩の作者以外に)オペラを熟知した〈台本作家〉が必要になった。
そのため、オペラが量産されていた時代は、それこそ(現代のTVドラマのように)毎月何本というペースで新作オペラが生まれていたので、専門のオペラ台本作家が数多くいたようだ。
もっとも、実際に作曲するとなると、台本の一字一句に縛られることなく、音楽として扱いやすい形に書きかえるのが普通。それならばと、最初から作曲家本人が台本を書き下ろすケースも少なくない。
文学青年の素養があったワーグナーは楽劇の台本をすべて書いているし、ムソルグスキーの「ボリス・ゴドノフ」や、前述のベルク「ヴォツェック」「ルル」なども作曲者自身が台本を書いている。
また、作家や知人の助言を得ながら自分で台本を書き下した例(チャイコフスキーの「エフゲニ・オネーギン」や「スペードの女王」など)も加えると、作曲者自身が〈台本作家〉を兼ねているオペラは結構多そうだ。

◇原作者
オペラは、文字で書かれた「原作」を音楽と歌で舞台化したもの。しかし、オペラは決して「原作」を音楽で説明したものではない。それどころか、音楽を付ければ付けるほど「原作」を逸脱してゆくことが少なくない。
音楽はある種「感性」の芸術なので、「知性」で説明してゆく小説や戯曲とは違ったダイナミズムで出来ているからだろうか。陳腐で凡庸な物語がオペラ化することで見事な宇宙を作ることもあれば、シェークスピアやゲーテのような最高級の戯曲を原作にしても、凡庸なオペラにしかならないこともある。
なにしろ、セリフがすべて「歌」なので、歌として見栄えのする「アリア」を随所に配置するのが必要不可欠。どんな名セリフでも印象的なアリアとして生きなければ台無しな半面、つまらない場面が「音楽」の力で最大の聴き所になることだってある。
つまるところ「言語」ではなく「音楽」が世界を作っているので、論理的な整合性や状況の詳しい説明にこだわるのはあまり意味がないということだろうか。
そのため、時には物語を分かりやすくするために登場人物を整理して少なくしたり、逆に原作には存在しない人物を創作することだってある。
例えば、原作が男ばかりの物語の場合、登場人物の誰かを女性にしてみたり。あるいは、同じシーンで同じ声質(例えばテノール)のキャラばかりが並んで登場する場合、一人に絞って分かりやすくしたり・・・。
つまり、どんなに優れた「原作」があっても、オペラにするためには筋書きやセリフを含めてかなり大幅に改変しなければならないわけで、原作者がいたら激怒するような著作権無視の大改竄は当たり前だ。
そんなわけなので、もしオペラの現場に原作者がやってきて、「それは原作と違う」とか「そこをカットしちゃ困る」とか「主人公はこうでなければならない」などとクレーム付け始めたら、オペラは崩壊必至。
オペラにおける「原作者」は、なるべく死んでいてくれた方がやりやすかったりするのである(^ ^;)。
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★出演する人々

◇歌手たち
さて、オペラの主役…と言ったら、それはもちろん登場する歌手たちだ。オペラの題名はほとんどが主人公の名前。(カルメン、トスカ、ドン・ジョバンニ、エフゲニ・オネーギン、ボリス・ゴドノフ、ヴォツェック・・・)。当然ながら、その主役を歌うのが、オペラの最重要人物。特に、主役を張る女性歌手(主にソプラノ)はプリマ・ドンナと呼ばれ、オペラの華である。
それにしても、オペラというのは何故あんな金切り声を張り上げて全編「歌」で歌うのだろう?…というのは誰しも一度は思う疑問。しかし、理由は簡単。その方が大勢の人に声が届くからだ。
マイクやスピーカーのない時代、劇場に集まった数百人とか数千人の観客に「セリフ」を伝えるには、当然ながら大きな声を張り上げなければならない。そのための発声法がオペラにおけるベルカント唱法。(日本なら歌舞伎の独特な発声法)
遠くに届く大きな声で、節回しを付けて歌う。しかも、重要なセリフはゆっくり…かつ繰り返す。それでも足りないときは大勢(コーラス)で歌う。そして、歌のないところは楽器で補い、歌の伴奏するためのアンサンブルを加えてゆく・・・すると自然に「オペラ」になるというわけだ。

◇指揮者とオーケストラ
コンサートホールでは主役を張るオーケストラも、オペラの場合は縁の下の力持ち。実際、指揮者ともども舞台の下のオーケストラ・ピットという狭くて暗い場所に押し込められて、微かな照明の明かりを頼りに小さな譜面に目をこらしながら数時間という長丁場を付き合う。
そして、コンサートでは絶対的な権力を持つ指揮者も、オペラでは歌手とオーケストラの間を取り持つ中間管理職に徹しなければならない。
歌手が出て来るところは「間合い」を、長いアリアの場合は「息継ぎ」を考え、盛り上がりの「見せ場」では、目立とうとする歌手たちが「大見得を切る」のを盛り立て、聴衆から「ブラヴォー」や拍手やブーイングが飛べば、その間は音楽を止めたり延ばしたりして調整する。
そんなわけで、通常のコンサートの演奏とは違った「気配り」が必要であり、常に劇場の空気を読まなければならず、かつ長丁場。だから、ベートーヴェンの交響曲が振れるからと言って、すぐオペラが振れるかと言うと、それはきわめて難しい。
オペラの指揮者は、コンサートとは違った「職人」としての技術と年季が必要なのである。
◇そのほかの出演者たち&合唱団
オペラは主役数人だけで演じる舞台ではない。王様が出て来ればお付きの家来や小姓や侍女たちがぞろぞろ必要だし、それを取り巻く群衆だって半端でない人数が要る。英雄ものなら敵役の兵隊たち、酒場のシーンなら騒ぐお客たち。
合唱として歌う内容は「皇帝陛下ばんざい!」とか「酒を飲もう!」とかシンプルでも、群衆にしろ家来にしろ店のお客たちにしろ、それなりの衣装を着て、それなりの演技をしなければならない。
音楽的には「コーラス」の扱いだが、舞台では「背景」や「小道具」のひとつとして、作品世界を作る重要な役割がある。しかも、映画のエキストラなら「映っていない時」があるけれど、舞台ではそれはない。自分の歌のパートがない何時いかなる時も「その役になりきって」演じ続けなければならない。
多くは、合唱団がこの「そのほかの出演者」を演じるが、演技が必要なら俳優たち、踊りが必要ならダンサーたちが呼ばれることも少なくない。さらに、子役や児童合唱、コメディアンや芸人などのタレント、時には動物なども登場することがある。
そんな「そのほかの人々」(の表情や仕草や活躍)を見るのも、オペラの隠れた楽しみのひとつだ。
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★ 舞台を作る人々

◇演出家
オペラの「音楽」の部分を作るのは、歌手たちやオーケストラだが、オペラを上演するには「舞台」を作らなければならない。どういう舞台装置にして、どういう衣装を着て、どういう動きをして・・・というような作品の「世界観」を作り出す。それが〈演出家〉である。
映画で言えば「監督」にあたり、現代では作曲家よりも指揮者よりも、この「演出家」がオペラ制作の場で絶対的な権力を握ることも少なくない。
もちろん本来は、舞台となる時代や場所に忠実な「背景」や「衣装」や「小道具」を揃えて演じられるのが基本。しかし、そもそも現実ではない世界(登場人物がみんな「歌」でセリフを言うこと自体が非現実的だ!)を描くのがオペラなのだから、「リアリティ」や「時代考証」ばかり追い求めても意味がない。そこでユニークな作品世界を創る「演出家」の腕の見せ所となるわけだ。
有名な例は(1970年代バイロイトでの)映画監督パトリス・シェロー演出による「ニーベルングの指輪」。ゲルマン神話の世界を現代に置き換え、背景が工場だったりダムだったりする舞台が衝撃的だった。(これは、神話時代の指輪をめぐる権力闘争を、現代の資本主義や自然破壊の構図と重ねて見せたもの…らしい)。以後こういう「見立て」の演出によるオペラが世界に蔓延することになった。
ちなみに、演出家で多いのが、このシェローのような映画監督。やはり視覚芸術のプロだからだろうか。映画「魔笛」を演出したベルイマン監督や、中国紫禁城での「トゥーランドット」を演出したチャン・イーモウ監督、日本でも実相寺昭雄監督が多くのオペラ演出を手がけている。
さらに最近では、「何でもあり」の様相を呈してきて、元の話とはぜんぜん違う世界にしてしまうのが大流行。(そのため、オペラとはまったく無縁のジャンルの人を演出家に起用することも多い)。神話やおとぎ話の世界を「現代」に置き換えるのなどは当たり前で、バイクに乗った暴走族風の英雄や、大会社の社長令嬢風のお姫さま、NYの安アパートメントにすむ詩人、サラリーマン風の背広を着た兵士たち…などなど「演出家」の空想(暴走)はとどまるところを知らない。
むしろオーソドックスな時代背景で普通に演じられるオペラの方が「斬新」になってしまったほど(…とまで言ったら言い過ぎか)

◇美術
そして、そんな演出家の注文を受けて、舞台セットの数々を作るのが〈美術(デザイン)〉の仕事。
オペラの舞台となる場所はそれこそ様々。中世のお城だったり、王様の宮殿だったり、貴族の館だったり、スペインの酒場だったり、ドイツの森の中だったり、ロシアの雪の大地だったり、日本の旧家だったり。さらには地下の洞窟だったり、ライン川の底だったり、天上の雲の上だったりもする。それを舞台に出現させるのが〈美術〉の仕事である。
映画なら、その場所に行ってロケをしたりCG合成する…と言うことも出来るが、オペラの場合は舞台にそのシーンを作り出さなければならない。かと言って、岩山や森のシーンで本物の岩や木を持ってくるわけにも行かないし、海のシーンで海を持ってくるわけにも行かない。
そこで、予算と時間と手間とを考えながら、趣向を凝らして(背景を絵で描いたり、それらしい舞台装置を作ったり、舞台を斜めにして広い空間を演出してみたり、照明や舞台効果を駆使して異世界を表現したりして)最も経済的かつ効果的な方法で舞台を表現するわけである。
現代では(エコノミーなのかモダニズムなのか不明だが)真っ白なボードだけ…とか赤いカーテン垂らしただけ…という超「シンプル」な舞台も少なくない。それを「安っぽい」と見られるか、「シンプルで斬新」と見られるかは、美術の見せ所というわけだ。

◇衣装
続いて、登場人物たちが着る服をデザインし、制作するのが〈衣装〉。
基本は、時代考証を施した登場人物たちの衣装を作ることだが、前述のように昨今は変幻自在。ゲルマン神話の神様にレザージャケットを着せてみたり、ウィーンの貴族にサラリーマンの背広を着せてみたり、中国のお姫さまにパジャマを着せてみたり・・・
それでも、グランド・オペラ(王宮での出来事や歴史的事件を扱った豪華絢爛な舞台で見せる大がかりなオペラ)などでは、王様やお姫さまが粗末な衣装を着ていればそれだけでぶちこわし。衣装の豪華さは「その世界に客を引き込む」重要なポイントでもあるので手を抜けない。
さらに、「群衆たち」とか「兵士たち」とか大人数の登場人物が出て来る場合は、その人数だけ新しい衣装を作らなければならないので、それはもう大変である。

◇大道具・小道具
そして、舞台の大がかりなセットを組むのが〈大道具〉。お城や岩山や花畑や森や海などなど、なんでも舞台の上に作ってしまう。
とは言っても、その多くは、板や布にそれらしい「絵」を描いて立てたり吊したものや、張りぼて(竹や木で編んだ枠や粘土で造った型のうえに、紙などを張って色を塗ったもの)が基本。(もちろん現在では、合成樹脂を始めもっと色々な素材がある)
多くの場合、幕やシーンが始まると舞台の上に出現させ、次のシーンでは即座に舞台袖に引っ込めなければならない。そのため、頑丈に出来ていると同時に、簡単に移動でき解体できることが不可欠で、これも予算と手間との兼ね合いが難しい。
歌手が歌い終わって、舞台が暗くなったと同時に、台車を着けて引きずったり、天上から滑車で吊したり、クレーンを使ったり、回り舞台の仕掛けて回転させたり、という〈大道具〉の修羅場が始まる。(そのため、時には暗転した舞台の後ろでガシャーンなどと大きな音がする時があるが、黙って聞かなかったふりをするのが礼儀である)。
一方,〈小道具〉の方は、主人公が持っている剣とか王冠あるいは家具などの雑貨小物を扱う仕事。多くは、「それらしく」みせるための装飾品の類だが、中には「魔法の笛」とか「不思議な鏡」とか「聖杯」とか、物語の根幹に関わる重要アイテムもあったりするので、これも手が抜けない。
ちなみに、以上の〈衣装〉〈大道具〉〈小道具〉は区分が微妙で、現場によって色々らしい。例えば、ドレスが衣装でも靴は小道具だったり、鎧は衣装なのに剣は小道具だったり…。なかには〈中道具〉などというのもあるのかも…

◇照明
そして、美術と並んで作品世界の想像に欠かせないのが〈照明〉。
劇場では、舞台の上に大小様々なライト(電球)が吊されていて、それを点滅させたり、角度や明るさや色やその組み合わせを替えたりしながら、舞台を照らす仕掛けになっている。
基本はもちろん、舞台全体を明るくすることで物語の始まりを表し、暗転(暗くする)ことでシーンの終了を表すこと。そのほか、スポットライトで主人公や舞台を照らし出し、注目を一転に集めるのも重要な仕事だ。
しかし、もちろんそれだけではなく、「徐々に暗くする」「徐々に明るくする」「照明に色を付ける」「色を変化させる」「強い光をピンポイントで当てる」「弱い光を揺らす」などなど様々なテクニックを使うことで、いろいろな表現を舞台に加えることが出来る。
シンプルな何もない舞台なら、「赤い照明」で燃える火を表したり、「青い揺れる照明」で海の底を表したり。あるいは、群衆が大勢いる舞台の照明を暗くして主人公にだけスポットを当てれば・・・賑やかなパーティの場面で一人苦悩する主人公・・・などといった表現が出来る。アイデア次第でその表現は無限と言っていい。
そんな〈照明〉の仕事を楽しむのも、オペラを観る楽しみのひとつと言える。
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★縁の下の力持ち
さて、オペラでは「舞台裏」で重要な役割を果たしている仕事も色々ある。その幾つかを紹介してみよう。
◇コレペティトゥール(練習ピアニスト)
まずは、本番の舞台には乗らないものの,練習では大活躍するのが〈コレペティトゥール〉。
オペラは、歌手やコーラスなど大勢の人が登場するが、その全員が毎回集まってオーケストラ付きで練習するわけにはいかない。
最初は、まず楽譜を見ながら歌だけ歌ってみる「本読み」から始まり、次に舞台での立ち位置や出入りなど「段取り」のチェックをし、それから演出家の前で「稽古(リハーサル)」になる。
その間は、「はい、一幕の途中でAが登場する処から」とか「三幕でBのアリアが終わった処から」とか「四幕の群衆の合唱がの途中から」…というような細かい部分練習になるわけで、その際オーケストラの代わりに音楽を担当する(ピアノで伴奏する)のが「練習ピアニスト」である。

オペラは(多くの場合)オーケストラのパートをピアノで弾けるように書き直した「ピアノスコア」というのが存在する。しかし、単にそれを弾けばいいのかというと,そうはいかない。
なにしろ,リハーサルでは「ここはトランペットの出にあわせて」とか「弦のフレーズが止まったところで歌い出して」とか「ベースの音を聴いて」というような色々な注文が出る。そのような注文に応じてすぐさま演奏するためには、単にピアノが弾ける…というだけでは勤まらない。
指揮者の代役としてオーケストラ・スコアを把握しているのはもちろん、演出家の仕事をフォローする舞台経験や音楽的素養も必要になる。
さらに歌手たちへの発声法のアドバイス(ボイス・トレーニング)から、歌詞の発音(イタリア語、ドイツ語、ロシア語などオペラの言語は様々)の助言、時にはオペラの背景となる歴史の知識なども必要になる。(もちろん、肝心の所ではそれぞれの専門家が登場するだろうけれど)
そこで、こういうすべてをこなす人材を〈コレペティトゥール(Korrepetitor)〉と呼ぶ。ヨーロッパでは、練習ピアニスト〜コレペティトゥール〜歌劇場指揮者〜音楽監督…というように叩き上げで育ち大指揮者になってゆく例が多い。(カラヤンやフルトヴェングラーなど往年の大指揮者の多くはここの出身者とか)

◇プロンプター
そんな(コレペティトゥールが仕切る)リハーサルの時は、歌手たちもみな私服で楽譜を見ながら歌う。しかし、さすがに本番ではそうはいかない。全曲、暗譜が基本だ。
しかも、ただ歌うだけではなく、演技をしなければならない。おまけに、舞台のどの位置で歌うか(立ち位置)とか、どのタイミングで振り向き、どのタイミングで動き出すか…などなど、段取りを覚えなければならない。
さらに、2時間とか3時間という長丁場であるうえ、さまざまな登場人物や大道具係や照明が入り乱れる修羅場で、動き出したら誰にも止められない。「間違えました」とか「忘れましたので、もう一度」ではすまされない、一発勝負の「ライヴ」なのである。
そこで、オペラでは舞台の中央床あたり(お客からは見えず、歌手からだけ見える位置)にプロンプター・ボックスというものを作り、歌手に歌詞を教えたり(今なら「カンペ(カンニング・ペーパー)」でも出すところだ)」、指揮者の棒を中継したり、立ち位置や動きの指示を出したりする。これが〈プロンプター(Prompter)〉と呼ばれるお仕事である。

最近のポップス系のライヴでは、インカム(放送局などで使われる無線のヘッドホン)を付けて,スタジオからの指示を歌手が直接聞くことが出来るハイテクが普及してきているが、オペラ界ではまだまだ。(でも、こういう技術は新しいオペラなどでは活用できそう)。プロンプターが大声でアリアの歌詞をどなったり、様々なサイン(手話のような)を駆使して段取りを歌手に伝えるのが「伝統」である。
もっとも、普通の有名オペラの公演(何度も上演していて慣れている演目の場合)は、プロンプターが聴衆に聞こえるような大声を上げることは滅多にない。活躍するのは、珍しい演目や新作オペラ、あるいは特殊な言語のオペラや、リハーサルを充分に行う時間のなかった公演。
(私も、昔とある現代オペラの初演で全曲ずっと主役のパートの1小節ほど前を大声で歌い続けるプロンプターの声に驚いたことがある)。
ただし、これは歌舞伎で言う「黒衣(くろこ)」のようなものなので、見ても見ないふりをするのが礼儀。念のため。
ちなみに、本番の舞台でこのプロンプターや照明や大道具・小道具および出演者たちに(リアルタイムで)指示を出す役職は〈舞台監督〉と呼ばれる。
◇字幕

最後に、最新のお仕事をひとつ。
オペラは、そのほとんどがイタリア語やドイツ語やロシア語や英語などなど(日本人にとっては)外国語。全曲日本語の訳詞で歌う「日本語オペラ」もずいぶん上演されたが、外来のオペラではそうも行かない。
そこで、かつては「オペラを見に行く時は,前もって内容やあらすじをすべて予習してゆくべし」というような本末転倒な「心得」を説く人までいて、それが、初心者がオペラに親しむ大きな壁になっていた。
ところが最近では,オペラの生公演でも映画で見るような日本語の「字幕スーパー」が普通に付けられるようになった、これは画期的な進歩であり、このおかげでオペラ・ファンは画期的に増えたと思う。
この「字幕付きオペラ」、1980年代に日本とアメリカ(共に、オペラ・ファンは多いのに自国語のオペラは皆無というお国柄)で試験的に始ったものらしい。日本では多くの場合、舞台の左右あるいは上に大きな電光掲示板のようなボードを設置し、そこに字幕を流す。
あんまり中央に大きく出ると、読みやすい半面鑑賞の邪魔をするので(実際、有名オペラなどの場合は、煩わしいという声も少なくない)、ちらっと見るくらいの位置がいいようだ。

オペラの本場(イタリアのスカラ座やウィーンの国立歌劇場など→)では、座っている席の前の座席の背に小さなモニターで字幕が出て、数カ国語に切り換えられるようになっているのだそうだ。
ただし、この〈字幕〉、単に歌詞の対訳をだらだらと流せばいいわけではなく、歌とピッタリ合わせることが必要。早すぎると(ネタバレのようになって)興をそがれるし、遅れると(何を歌っているのか分からないという)ストレスになる。また、文字が長すぎると(歌い終わってもだらだらと文字が続き)みっともないし、だからと言って短すぎると内容を伝えられない。
というわけで、音楽とシンクロする長さと順序で翻訳原稿を作り、それを字幕にし、スコアを見ながら適確なタイミングで電光掲示板に出し、そして消すことが必要になる。
つまり、なかなか専門的な知識と芸の細かさが必要な仕事なのだが,正式な名称が何というのかは不明。個人的には「字幕スーパーマン」と呼んでいるのだが・・・(^ ^;)
・・・と、ほかにも、まだまだオペラの上演に関わっている人・業種は数多くあるけれど、長くなってしまったので、今回はこのへんで。
オペラを観るときは、あちこちに目を配り,様々な人が頑張っていることを想像しながら鑑賞してみると面白いかも知れない。そうすれば、またちょっと違った世界が開けるはずだ。
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ボリショイ・オペラ日本公演

チャイコフスキー「スペードの女王」
・6月19日(金)18:30
・6月20日(土)14:00
・6月21日(日)14:00・・・NHKホール

チャイコフスキー「エフゲニー・オネーギン」
・6月24日(水)18:30
・6月25日(木)18:30
・6月26日(金)18:30・・・東京文化会館
指揮:アレクサンドル・ヴェデルニコフ(オネーギン)
ミハイル・プレトニョフ(スペードの女王)
ボリショイ劇場管弦楽団
ボリショイ劇場俳優団
ロシア語上演/日本語字幕付き