
クラシック音楽で特徴的かつ何となく不思議に思えるのは、作品の名前に「ハ長調」とか「ホ短調」とかいう調性が大きく付記されていることではなかろうか。
いわく、交響曲第5番ハ短調・・・いわく、ピアノ協奏曲第1番変ロ長調・・・いわく、ヴァイオリン協奏曲ニ長調・・・いわく、ピアノソナタ ヘ短調・・・
もちろんジャズやポピュラー音楽でも「キイ(調性)」は重要なポイントだが、作品名に「Am」とか「C#」とか付けたりはしない。
それどころか作品によっては、歌手が歌いやすいように(あるいは楽器で演奏しやすいように)キイを下げたり上げたりする。
それでも、調は変わっても「その曲」は変わらない。
でも、クラシックの場合は、「作品」の性格がその「キイ(調性)」によって決定されている…と言って良いほど、「作品」と「調」は密接な関係にある。
作曲家は、「絶対このキイでなければならない」と念じて作曲し、作品はその調以外のキイではあり得ない「宿命」を持って生まれてくるような気さえする。
その根拠は何なのだろう?
今回は、オーケストラ曲を中心に、そのあたりを検証してみたい。
□調性の持つ「性格(キャラクター)」
昔から、「調性」にはそれぞれ「色」があると言われてきた。
例えば、ハ長調なら「白」、ト長調なら「青」、ニ長調は「緑」などなど。人によっては「薄い緑色」とか「淡い黄色」とか、「透明なブルー」とかいろいろな感じ方があるようで、音階は虹のような色合いに満ちている。
確かに、音階(スケール)というのは虹の七色と同じく7音で出来ているし、そこに「色」を感じるのは当然のようにも思える。
長調の音階が「自然倍音」に近いため「明るく」「澄んだ」「鮮やかな」印象を与え、対して短調の音階が(短三度という)「微かな不協和音」を含むため「悲しい」「暗い」「くすんだ」印象を与えるのも、理にかなっている。
しかし、現代では「平均律」と呼ばれる「どの調性でも同じように演奏できる調律」で音楽は演奏されているはず。
ということは、「ハ長調」でも「嬰ハ長調」でも「変ロ長調」でも、音階がスライドして高く(低く)なるだけで、響きに「差」などないんじゃないか?と考える人がいたっておかしくない。
しかし(この点に関しては「音律」に関する小難しい説明が要るのでここでは詳しくは述べないが)、実は「差は大いにある」のである。
音階(の12音)というのは、まあ、例えれば1年の12ヶ月のようなもの。12の月が1年365日を単純に12に割った…というだけでないのは、御存知の通りで、30日の月と31日の月があり、4年に一度は閏年がある。

同じように、「音階」も、単純にオクターヴ(振動比が1:2)を12で均等に割る…というだけではすまない。
自然倍音で出来た音階(これが一番美しく響く基本)では、ドとソの完全5度は振動比が「2:3」、ドとファの完全4度なら振動比が「3:4」。しかし、12で均等に割ったどの音を選んでもすべてその振動比になる…というのは理論上不可能だからだ。
年の話で言えば、1年は正確には365.24日ほどとされているから、それを正確に12で割って「ひと月=30.436日」とすれば「平均律」になる理屈。
しかし、現実的には「0.436日」(時間にすると10時間28分ほど)の日をカレンダーに入れることなど不可能。どうやりくりして「平均」にしても、30日の月と31日の月(および29日の月)が出来てしまう。

音楽の「平均律」もそれと同じで、オクターヴを12で割りながらも、ドとソの「完全5度」やファの「完全4度」などはハモるように微調整し、それで生じた「ズレ」をあちこちの音(特に#♭の音)をちょっと高めにしたり低めにしたりすることでつじつまを合わせているわけだ。
例えば、1月1日から3ヶ月…と言ったら(31+28+31で)90日だが、7月1日から3ヶ月…と言うと(31+31+30で)92日になる。
同じように、「ハ長調」=「1月から数える」のと、「ト長調」=「7月から数える」のとでは、音程の間隔が微妙に違ってきてしまう。
当然、「嬰ハ長調」=閏年の2月の29日から数える…とか、「変イ短調」=夏休みの臨時登校日から数える…ともなると、もっと違ってくる。
そのため、調によって独特の「色合い」が生じるわけなのである。
*
□楽器の理由
ということは、曲名に何長調とか何短調と付けるというのは、要するに名前の代わりに「男、山羊座生まれ」とか「女、乙女座生まれ」と付けるみたいなもの?。
いやいや。まあ、そういう処もなくはないけれど、作曲家は決してそんな「蠍座みたいな曲」とか「魚座みたいな楽章」などという曖昧な理由で調を決めているわけではない。
実は、最も重要なのは「楽器の持つ調」。
これこそが最重要ポイントなのである。

例えば「ピアノ」。
この楽器はどんな調性でも弾きこなせる万能楽器ではあるものの、基本的には「ハ長調」で出来ている。ハ長調のドレミファが「白鍵」で並んでいて、#♭は「黒鍵」、と徹底した差別化が図られているほどだ。
鍵盤を見ると、五線譜上で#も♭も付かない音階「ドレミファソラシ」は白鍵で横一列に並んでいて、その半音上の音「ド#、レ#、ファ#、ソ#、ラ#」が少し上にずれた位置にはめ込まれて並んでいる。
つまり、「白鍵」だけを叩いていれば自動的に「ハ長調」が鳴るわけで、ピアノにとっては「ハ長調」(短調なら「イ短調」)というのが最も明快に鳴る「基本の基本となる調性」と言える。
ハ長調のイメージが「白」であり、「明るさ」や「平明さ」を感じるのはピアノのこの「白鍵」のイメージのせいだと言ってもいいだろう。
しかし、すべての楽器が「ハ長調」を基本として出来ているかというと、そうではない。ほかの楽器に目を転じた場合、むしろこの「ハ長調」が基本になっているのは極めて少数派であることに気付く。
□ 弦楽器の理由

例えば、ヴァイオリンは「ソ、レ、ラ、ミ」という、完全5度の間隔でチューニングされた4本の弦からなる。(最初の最初から「ハ長調」の楽器ではないのである)
単純に低弦の「ソ(ト)」でドレミファを弾けば「ト長調」のドレミファとなり、真ん中の「ラ(イ)」で弾けば「イ長調」のドレミファとなる。
それぞれの弦は完全5度の間隔で並んでいるので、互いに自然倍音の関係にあり、「ソ」の弦を弾いている時も、空いている「レ、ラ、ミ」の弦が共振して鳴る。それが、ヴァイオリン特有のふくよかな響きを生むわけだ。
つまり、この「ソ、レ、ラ、ミ」の音(とその自然倍音)を音階に含む「調性」こそが、ヴァイオリンにとってもっとも自然に響くキイということになる。
ヴァイオリンにとっては4つの開放弦が生み出す「ト長調」「ニ長調」「イ長調」「ホ長調」がもっとも鳴りやすい(演奏しやすい)キイなのである。
そして、「ヴィオラ」と「チェロ」は「ド、ソ、レ、ラ」(音域としては1オクターヴ違う)だから、上記の3つのキイにかろうじて「ハ長調」が加わる。
ちなみに、この4つの調、いずれも「#」系であることにご留意いただきたい。
□管楽器の理由
続いて、管楽器。
これは、もっと明確な「個別の調」がある。
なにしろ「管の長さ」によって出る音が唯一絶対の「基本の音」だからだ。
管楽器は、空洞のまっすぐな木の筒、動物の角、金属のパイプ、などを吹いて音を出す楽器として誕生したわけなのだが、「手で持てて」「演奏しやすくて」「音が良くて」という条件を考えると、それぞれの材質によって「もっとも適当な大きさ&長さ」が決まってくる。
例えば、「ド」の音だと、振動数が大体261Hz、波長の半分が65cmほど(4分の一なら32cmほど)。この長さの管を吹けば「ド」の音が出る。
フルートやクラリネットあるいは尺八など、手に持って吹く管楽器としては、50〜60cmというのは扱いやすい手頃な大きさなので、「ド」あるいは「レ」あたりを基音とする管楽器は世界の民族楽器でもスタンダードである。
ただし「もっと良く鳴る音を」とこだわり出すと、長さにこだわっていられなくなる。(いくぶん低めの音を出す太くて長い管の方が、甲高い音を出す短い管より「豊かな響き」を生むからだ)
そこで、いい音を追究してゆくと、自然に楽器の持つキイは「ド」ではなくなり、「シ♭」になったり「ファ」になったりしてしまうわけだ。
(ちなみに、尺八は「レ」、クラリネットは「シ♭」、イングリッシュホルンやファゴットは低い「ファ」が管の長さの基本になっている)
そうなると、その管の長さ&太さでドレミファを吹くと「ニ調(D)」になったり「変ロ調(B♭)」になったり「ヘ調(F)」になったりするわけで…。
こういう楽器を「移調楽器」という。
▽木管楽器
例えば、木管楽器では、「フルート」「オーボエ」「ファゴット」は普通に「ハ長調」の楽器だが、「クラリネット」は基音が「ラ」と「シ♭」の2種類ある「移調楽器」である。
これは、要するに、「ラ」のイ調管でドレミファを吹くと「イ長調」になり、「シ♭」の変ロ管で吹くと「変ロ長調」になる、ということ。
オーケストラなどで他の楽器と一緒に演奏するためには、この楽器だけ「移調」して楽譜を書かなければならない。それで「移調楽器」というわけだ。
(このあたりは作曲家だって時々よく混乱するくらいだから、慣れない人には何のことだか良く分からないかも知れないが…)
クラリネットは(長さはフルートやオーボエとそう変わらないが)構造上ほぼ1オクターヴ下の音が出せる。そのため、管をいくぶん長く(基音を低く)することで深く豊かな響きを得られる。
そのため、ドよりは低い「ラ」と「シ♭」の楽器が作られ、長らく「#系」の曲なら「A」管、「♭系」の曲なら「B♭」管と使い分けていたが、現在では「シ♭」の変ロ管(Clarinet in B♭)がほぼオーケストラの主流になっている。
ちなみに、フルート、オーボエ、ファゴットは「ハ長調」の楽器ではあるものの、厳密に言えばフルートは「レ」、オーボエは「ド」、ファゴットは「ファ」が基音の楽器。
それぞれ基音より下の音(フルートは「ド」、オーボエは「シ♭」、ファゴットは最低音の「シ♭」)まで出せるキイが付いているので、普通に「ハ長調」の楽器としてで演奏することができる。
▽金管楽器

さて、この「移調楽器」で問題なのは、「金管楽器」だ。
金属のラッパ管にマウスピースを付けて吹く…という構造のこの楽器は、(木管楽器のように管に穴を開けて音階を作ることが出来ないため)基本的に「倍音(ドミソ)」しか音が出せない。(信号ラッパの曲が、すべて「ソドミソ」で出来てるのを思い出して欲しい)
ということは「ハ長調」の曲を演奏するときは、「C」の長さの管、「ニ長調」の曲を演奏するときは「D」の長さの管が必要になるわけで、実際、モーツァルトとベートーヴェンの頃までは、曲によってC、D,E♭、F,G管など色々な長さのホルンやトランペットを持ち替えて演奏されていた。

例えばベートーヴェンの交響曲におけるホルンおよびトランペットを見てみると、「英雄」(変ホ長調)では共に「E♭」管、「運命」(ハ短調)では共に「C」管、「田園」(ヘ長調)では「F」管ホルン(トランペットは「C」管)、「合唱」(ニ短調)では共に「D」管が指定されている。
これではあまりに面倒なので、やがて複数の長さの管を丸めて組み合わせ(金管は管を曲げるのだけは自由なのである!)、それをピストンやバルブで調整する…という機構(メカニズム)が開発され、いろいろな調を演奏できるホルン&トランペットが登場するようになった。
現在のモダンホルンは「F」管(および「B♭」管)、トランペットは「B♭」管と「C」管が主流となり、半音階も自由自在に演奏でき、機動性も安定性も優れた楽器になっている。
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□弦楽器のお得意キイ「#」
…と、こうやってざっとオーケストラの楽器の事情を並べてみると、作曲家がどうやって「調性」を選ぶのか(あるいは選ばざるを得ないのか)、何となくわかってきたのではなかろうか?

例えば、弦楽器が主体のアンサンブルなら「ト長調」「ニ長調」「イ長調」「ホ長調」といった「#」系のキイが演奏しやすいし鳴りやすい。(そもそも、開放弦をジャーンと鳴らしただけで、この4つのキイのどれかが鳴るのだから)
しかも、楽器本体がそれらの「調」で鳴るように(自然倍音を含んで)作られていることもあって、伸びやかに鳴る。ヴァイオリン族の楽器を気持ちよく弾いている限り、この4つの調から抜け出せなくなるほどである。
実際、ヴァイオリン協奏曲など弦楽器のコンチェルトあるいは弦楽アンサンブルのみの作品にこの調性がきわめて多い。ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキーいずれのヴァイオリン協奏曲も「ニ長調(#2つ)」なのがいい証拠だ。
これらの弦楽器が鳴りやすい「#系長調」のキイが、「喜び」や「明るさ」「希望」といったイメージを感じさせ、「緑」や「青」あるいは「オレンジ」のような、(個人的に好きな)色彩を想起させるのだろう。
ただし、易しく鳴りやすい…というのは逆に言えば、平明な(深みや重厚さがない)響きにすぎる…とも言えるわけで、ロマン派以降は「ちょっと陰りがある」響きを求めて、「短調系」を選択することが多くなる。
そこで、弦を「悲劇的な」感じで鳴らしたい場合、例えば、上記の4つの調の短調系である「ト短調」「ニ短調」「イ短調」「ホ短調」、そして平行調の「ロ短調」あたりがいい感じになるわけだ。
ヴァイオリン協奏曲でいうなら、メンデルスゾーンが「ホ短調(#1つ)」、シベリウスが「ニ短調(♭1つ)」。ドヴォルザークのチェロ協奏曲「ロ短調(#2つ)」もこの路線。
シューベルトの「未完成」やチャイコフスキーの「悲愴」における「ロ短調」も、弦の悲劇的な響きを引き立てる調ということになるだろうか。
この「#系の短調」は、弦楽器に1音だけ「響かない音」を加えるために、「陰り」や「憂鬱」のようなイメージを持たせる。
そのため少し「暗め」で「憂いを秘めた」響きになる。「茶色」や「深い緑」のような色がイメージされるのはそのせいだろうか。
何はともあれ上記の「#系の調」は、弦楽器を鳴らすのに適した調性であり、作曲家があえて「#系」の調性を選択するのは、弦楽器を活かした楽想にしたいからだということになる。
□管楽器のお得意キイ「♭」
対して、管楽器のキャラクターを前面に出したい場合に登場するのが、「♭」系の調だ。
木管楽器は、クラリネットが現在ほぼ「B♭(変ロ調)」。金管楽器では、ホルンが「F(ヘ調)」でトランペットが「B♭」および「C」。
近代オーケストラではよく使われるサクソフォン(アルト)は「E♭(変ホ調)」。「トゥオネラの白鳥」などで暗くも優美なソロを聴かせるイングリッシュ・ホルン(コール・アングレ)は「F(ヘ調)」。「春の祭典」前半で超高音を聞かせるピッコロ・クラリネットも「E♭(変ホ調)」。
ほとんど「♭」系のキイを持つ楽器ばかりなのだ。

特に、ホルンは(先にも書いたように)基本的に「ドミソ」しか吹けない上に(唇の微妙なコントロールだけで倍音を作るので)きわめて「音を外しやすい」楽器でもある。
そこで、それが楽に朗々と鳴るキイを選択することは、曲のキャラクターを左右するポイントになる。
モーツァルトやベートーヴェンの時代は、曲によってさまざまな調のホルン(C管、D管、E♭管など)を使っているのは前に述べたとおりだが、音は必ずしも同じだったわけではない。
お気に入りは「E♭」管だったようで、モーツァルトのホルン協奏曲はすべて変ホ長調で書かれているし、ベートーヴェンは「E♭管ホルン」を主人公にして「英雄」や「皇帝」(変ホ長調)を書いている。
そのイメージからいまだに「変ホ長調」は「ヒーローっぽい」サウンドの代名詞になっていると言っていいかも知れない。
しかし、「E♭」というのは本来弦楽器では鳴らしにくい調。ベートーヴェンは「田園」(ヘ長調)では「F管」ホルンを使い、1音高い分だけ音が輝かしく張りを持っているキャラクターをうまく生かして、牧歌的で伸びやかな世界を作るのに成功している。

チャイコフスキーも交響曲第4番(ヘ短調)で、冒頭ホルン4本による「運命」のファンファーレ(ヘ短調)が、フィナーレでヘ長調へと昇華してゆく圧倒的な楽想を生み出している。
トランペットは、ホルンほど調にデリケートではないが、それでも、曲の最後に「凱歌」のように鳴り渡るところでは、「基音」のドミソ(およびB♭を含む音階)が一番効果的なのは確かだ。
というわけで、弦楽器が主体のオーケストラでは、あまり♭の多いキイは鳴りにくく敬遠されるが、管楽器ばかりが集まった「吹奏楽」などでは、逆に「♭」系の曲が好まれる。その方が演奏しやすいし鳴りやすいからだ。
作曲家は、このように「#系を得意とする弦楽器」と「♭系を得意とする管楽器」の兼ね合いから全体の「調性」を決定するわけである。
*
□響きのテンション(緊張感)
しかし、「演奏しやすく」「鳴りやすい」調性を選ぶのだけがベストとは言えない…というのが音楽の面白いところだ。
バロック時代までのように、音楽に「明るさ」「平明さ」が求められていた時代は、確かに「ハ長調」「ト長調」「二長調」など弦楽器が鳴りやすい「#系の長調」の天下だったと言っていい。
♭系なら、平明に響く「ヘ長調」そして「変ロ長調」までが限度。モーツァルト以前の音楽はほぼこの領域内だ。
しかし、音楽に「深み」や「哲学性」「ドラマ性」などを含ませる「ロマン派」の時代になると、そういう平明さから離れた表現を必要とするようになる。
そこで、逆に「弾きにくい」「鳴りにくい」調性を選択することで、オーケストラに緊張感を与え、テンションの高い音響を生み出す…というテクニックが追究されるようになった。
モーツァルトの「ニ短調」(ピアノ協奏曲第20番やレクイエム)や「ト短調」(交響曲第40番)などがその先駆。その後ベートーヴェンによって「ハ短調」(交響曲第5番)や「ヘ短調」(熱情)などが開発され、「短調」のドラマの世界は宇宙的な広がりを聴かせるようになる。
ちなみに、交響曲などでは、第1楽章が「A短調」で始まり、終楽章は「A長調」で終わるという「お約束」が一般的(近現代ではそうでない例も多いが)。
前半は「響きにくい調」でたっぷり「苦悩」や「悲劇」を描き、後半やコーダは「響きやすい調」で「解放」させる…という高等テクニックも、「調性」の選択次第で生まれるわけだ。

ベートーベンの「運命」の「ハ短調→ハ長調」がもっとも代表的な例だが、チャイコフスキーの第5番やショスタコーヴィチの第10番に見られる「ホ短調→ホ長調」も効果的な例と言える。
さらに、近代になると、それこそ「色彩」として「澄んだ音」「くすんだ音」「透明な音」「霞がかかった音」などを生み出すために、敢えて「#」や「♭」が沢山付いたキイを選択する手法も登場してくる。
基音がそもそも#♭系である「嬰ヘ短調(#3つ)」や「嬰ハ短調(#4つ)」や「変イ長調(♭4つ)」などの調を選ぶのは、自然倍音の平明な響きを逆に嫌った結果と言えるだろう。
最初に「音律」の話で出たように、この種の音は正規の倍音関係から逸脱していることが多いので、いずれも、ちょっと傾いた感情や霞がかった情景、あるいは異教っぽいサウンドを作り出すのに有効なのである。
また、ショパンのように、ピアノの「黒鍵」を自在に装飾として使うため、#♭の多いキイを多用する例もある。(なぜなら、白鍵と白鍵の間隔より、白鍵と黒鍵の間隔の方が短く、デリケートなトリルや装飾音型における指さばきが楽だからだ)
その場合、半音の混じった細かい装飾音のパッセージをちりばめるには、意外と「嬰ト短調(#5つ)」とか「変二長調(♭5つ)」のような調が(意外にも)弾きやすかったりするわけだ。
このあたりはまさに「楽器(ピアノ)の機能」を120%極める高等テクニックと言えようか。

また、ムソルグスキーの「展覧会の絵」(原曲はピアノ)も、かなり#♭だらけで書かれているのが印象的だ。単純にすべて半音上げ下げすれば極めて弾きやすい#♭なしのキイになるのだが、それを敢えてしていない。
それは、そうしてしまうとあの幻想的で(幾分悪夢がかった)音楽のテンションは生まれないからだ。あの曲は、自然倍音から逸脱した「ヨーロッパ的でない調」を選んだことで生まれる「異教徒的な響き」を意識して作られているのである。
そして、ラヴェルのオーケストラ編曲も、それを受けて原曲のキイを踏襲している。しかも、#系は弦楽器に、♭系は管楽器にイニシアティヴを与える絶妙のバランスでオーケストレイションしているあたりはさすがと言える。
また、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」では、フルートの一番不安定な音「C#」を冒頭に持ってくることで、けだるく淡い幻想の世界を1音で生み出している。これは、近代オーケストレイションの「隠し味」的テクニックの白眉として有名だ。

さらに、調性があるようなないようなストラヴィンスキーの「春の祭典」のような曲になると、それこそ(鳴りやすいか鳴りにくいかなどを超越した)各楽器の一番鮮やかな奏法を目立たせる仕掛けが存分にちりばめられていて、万華鏡のようなサウンドを生み出している。
冒頭、最高音のドで始まるファゴット・ソロは高音の限界を越えることで特殊な効果を出しているし、弦セクションのハーモニクス、ホルンのグリッサンドなど「得意な音」を出すために、逆に「調性」を壊してしまった感があって凄まじい。
この曲、#♭だらけな上にさらに変拍子が加わり、「無理やり難しくしている」と言えそうなスコアだが、それは「異教徒的な響き」を全開にすると共に、「一瞬たりとも油断できない」究極の「緊張感」の中にオーケストラを叩き込む。
そのストレスこそがあの「エネルギー」を生むのである。
作曲家が「調性」を決めると言うことは、楽器の「性格」を100%引き出すための重要事項であり、それゆえにこそ「調性」は作品名に明記される。
調性は、音楽に「色彩」を加え、作品のキャラクターを決定づける「要(かなめ)」なのである。
というわけで、今回はここまで。
*
オール・ロシアン・プログラム!
■11月28日(土) 7:00p.m., 〈ムソルグスキー〉
歌劇「ホヴァーンシチナ」序曲
交響詩「はげ山の一夜」
歌曲「死の歌と踊り」
(バス:ミハイル・ペトレンコ)
組曲「展覧会の絵」 (ラヴェル編)
■11月29日(日) 2:00p.m.〈チャイコフスキー〉
序曲「1812年」
ピアノ協奏曲第1番変ロ長調(ピアノ:ユンディ・リ)
交響曲第4番ヘ短調
■12月1日(火)7:00p.m.〈ショスタコーヴィチ〉
歌劇「鼻」より
交響曲第1番 ヘ短調op.10
歌劇「ムツェンスク郡のマクベス夫人」より
交響曲第10番ホ短調op.93
■12月2日(水) 7:00p.m.〈ストラヴィンスキー〉
バレエ音楽「カルタ遊び」
ピアノと管弦楽のためのカプリッチョ(p:アレクサンドル・トラーゼ )
バレエ音楽「春の祭典」
コメント
調性格の検索で来ました。
(1)フルート
元々D管だったのを管長を長くしたのでC管となった。H管に伸ばすアクセサリもある。運指はD管である。
(2)ホルン
金管で音域を延ばす為に第四バルブをつけても誤差が大きく他のバルブとの併用が使い物にならないので、補正システムとかダブル管とかになったのです。
(3)トランペット
移調楽器の中で最も多くの調が実際に製造販売されてきた楽器です。(12種類全部実績ある筈)
そしてトランペットの場合ベー管が標準なのは、音程の安定度が高いからとされています。
管が短く成る程加工精度も要求され、管長の変化程に太さは変わらないので安定度が下がるのです。ベー管よりも低いのは大きくなるしトロンボンが控えているので需要が少いのです。
尚金管楽器はサックスが19世紀に再編したので、全てそれ以前からあったものとは「断絶」したと考えるべきです。
拳銃を作る設備があればトランペットを作ることは容易なので、トランペット製造業者数は他の楽器を圧倒しています。
投稿: ホラ吹き | 2012/06/03 04:07
虹が七色という感覚は世界共通ではないと思います。
逆に音階にも七音ないものもありますが、虹と音階を結び付けるのは強引だと思いました。
投稿: たね | 2012/06/14 14:33
↑虹も音階も、国や文化によって7つだったり5つだったり
まさにそっくりだと思いました。
投稿: 2 oclock | 2012/06/14 15:01
今までの疑問が簡潔に書いてあって目からうろこでした。
調性には色や性格があることは聞いて知っていましたが、何となくのイメージで調性を決めているのではなくて、弦楽器や木管、金管の構造上の鳴り方や響きのテンションまで考えて作曲しているんですね。
楽器にも詳しくないといけないし、細かいことにこだわりだしたら何調にしたらいいかわからなくなりそう。
作曲家ってすごいですね。
名曲が名曲たるゆえんだとわかりました。
投稿: はらぽん | 2013/01/14 12:48