やぶにらみワグネリアンがゆく
ここだけの話だが、実は中学生(13〜4歳)の頃、「ヒトラー研究会」なるものを立ち上げたことがある。部員は私のほか2人くらいしか集まらなかったのだが、よせばいいのに「我が闘争」の読書会とか、ナチス党歌のレコードの収集などを始め、会のマークにハーケンクロイツ(カギ十字)まで使ったりしたため、先生に「キミは中学生で過激派になる気か?」と睨まれてしまった。
しかし、まったく政治的な意図があったわけではなく、純粋にヒトラーという事象に興味津々だっただけ。先生に睨まれた時も、「医者が病気を研究するのは病気になりたいからですか? 探偵が犯罪を研究するのは犯罪者になりたいからですか? ヒトラーを研究するのとなりたいと思うのは別です。むしろ知ろうともしないで封印する方が、歴史から何も学ばない愚行です」などと主張してケムに巻いた覚えがある。
そもそものきっかけが何だったかよく憶えていないが、少なくとも「ドイツ」という国への興味があったのは確かだ。
中学にあがると誰でも何となく自分の将来と進学先に付いて考え始めるが、私としては曾祖父が医者(小児科医・東宮侍医)だったこともあり、最初に思いついたのが「医者」への道。
そこで、いろいろと医者や医学について調べるうち、医学用語やカルテ(診断書)がドイツ語中心であると知り、(さらに曾祖父も医学を学ぶためドイツ留学したそうなので)、「ドイツ」という国に興味を持つことになったわけである。
◇戦争の記憶
ちなみに、その頃はまだクラシック音楽に興味を持ち始める前で、ベートーヴェンやブラームスもろくに知らない頃。時代は1960年代(昭和30年代)で、第二次世界大戦はほんの20年ほど前に終ったばかり。街には探せば戦争の傷跡があちこちに残っていて、週刊少年誌では戦記物が幅を利かせており、1年通読すれば、大体、真珠湾攻撃からミッドウェイそして原爆投下から終戦に至るまでが知識として吸収できたほど。(漫画でも「0戦はやと」とか「紫電改のタカ」とか、戦記ものがかなりの人気だった)
戦争の悲惨さはもちろん耳にしていたが、父母や先生などの世代は疎開に行ったり空襲で逃げ惑ったという経験しかなく、戦争の「全体像」を語れる人間が少なかった。だから、少年誌で読む「戦記物」や軍艦・潜水艦・飛行機などの「図解」は、(戦争賛美でも何でもなく)当時の男の子の心をとらえていたのである。
テレビでも「コンバット」など戦争ものドラマは人気があったが、ナチスドイツは必ず「悪者」(アメリカの番組なのだから当然か)。さらにアンネの日記などでユダヤ人の迫害やアウシュビッツの虐殺のことを知らない子供はいなかったから、一般の評価も含めヒトラーと言ったら「狂気の独裁者」あるいは「戦争を起こした悪魔」という捉えられ方だった。
しかし、ごく普通の庶民の家に生まれ、画家になろうと思って挫折し、第一次世界大戦では一兵卒(伍長)にすぎなかった男が、合法的に政権を手に入れたうえ独裁者となり、ヨーロッパ全土を巻き込む人類史上最大の大戦争をプロデュースしたその「ヴィジョン」。それは一体なんだったのだろう?というのは、どうにもこうにも気になって仕方なかったわけなのだ。
ちなみに、高校受験を控えた頃、そのあたりに関するまじめな考察を論文にしたてて提出し、一応は先生から「そう言うことならよろしい」とお墨付きをもらったのだが、高校進学の内申書にはどう書かれていたのか、考えてみると恐ろしい。
しかし、中学3年の14歳の冬、クラシック音楽に目覚めると、あっさりとヒトラーのことなど忘れてしまった。もともと「政治」には全く興味がなかったし、大勢の人をコントロールするより、一人でいる方が好きな性分だったせいもある。
軍隊や民衆を統率して独裁国家を作るなんて、そんなくたびれそうなことは御免で、それより楽譜を書いてオーケストラを制御する「作曲家」に憧れたわけだ。だから、その瞬間から「ドイツ」は、「ベートーヴェンの国」になった。
そして、高校で入部したオーケストラが伝統の「ワグネル・ソサイエティ・オーケストラ」だったこともあり、ドイツ音楽の雄としてリヒャルト・ワーグナー(1913〜1883)の音楽を聴き親しむようになるのに時間はかからなかった。
その頃から、年末にはNHKのFMでその年のバイロイト音楽祭の集中放送があり、「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」「トリスタンとイゾルデ」あたりから始まって、最後の4日間で「ニーベルングの指環」全4部を放送…と、年末の一週間はワーグナー漬けだった。
学校が冬休みに入り、年末で部屋の片付けなどしながら、午後から夜までずっとワーグナーを聴く。そして5時間とか7時間とかの長尺放送を、オープンリールテープでせっせとエアチェックする。そんなことを2年も続ければ、立派なワグネリアンの出来上がりである。だから、いまだに、年末&大晦日というと、私の中では「第9」ではなく「ニーベルングの指環」だ。
また、その頃話題になっていたショルティ指揮ウィーン・フィルの「ニーベルングの指環」全曲盤(ライトモチーフが入ったレコードも付いて全21枚組!)も、あこがれだった。(当時はまだ、ニーベルングの指環というのは「未知の大作」だったのである)
それから数年後、ずっしりと重いBOXセットを手にした時、まさに「人類最大の音楽作品」だと(重さでも)感じた。これに比べると、ベートーヴェンの交響曲は「室内楽」のようだと感じたほどだ。
その頃から耳にタコができるほど聞かされていた言葉に、「3大B」という言い方がある。ドイツ音楽の大作曲家は「バッハ、ベートーヴェン、ブラームス」。すべて頭文字が「B」の三人であるというわけだ。
しかし、私としては3人めの名前が、ずっとしっくりこなかった。「バッハ、ベートーヴェンはいいとして、それに続くのがどうしてブラームスなんだろう?」。すると、その点について、高校の先輩が面白いことを言った。
あれは「巨人・大鵬・卵焼き」とか「地震・雷・火事・親父」みたいなもので、最後の一つは「オチ」なんだよ。
それを聞いて納得がいった。(ブラームス・ファンの方、ごめんなさい)
本来「バッハ・ベートーヴェン・・・」に続く3番目の席に並ぶべきビッグネームは誰か?…と言われたら、(好き嫌いは関係なく)答えは一つしかない。「バッハ・ベートーヴェン・ワーグナー」なのだ。
この3人めの名前を押し隠すために「頭文字がB」という無理矢理なこじつけを駆使して「ブラームス」を引っ張りだした。それがこの「3大B」というキャッチ・コピーだったわけだ。
もともと西洋クラシック音楽は「イタリア」が本家。
しかし、18〜19世紀に至って、はるか田舎の一地方であるはずのドイツで巨大な音楽の系譜が花開いた。なぜだか分からないが、バッハ〜ハイドン〜モーツァルト〜ベートーヴェン〜ウェーバー〜シューベルト〜メンデルスゾーン〜シューマン〜ワーグナーというような天才的音楽家が連続して現れたのである。
そして、それはまるでホップ・ステップ・ジャンプのように、壮大な進化を遂げる。
最初の「ホップ」がバッハ。
現在「クラシック音楽」と呼ばれるものの基礎となる体系を作った。もちろん、バッハが創案したわけではなく過去の楽理を集大成したにすぎないと言えば言えるが、調性の原理や平均率そして対位法や楽曲の形式まで、(オペラ以外の)音楽の基本を網羅し整理してみせた。その功績は巨大だ。
なにしろこの基礎工事がしっかりしていたからこそ、その上に巨大伽藍を建てることが可能になったわけで、「音楽の父」という称号は伊達じゃない。
次の「ステップ」がベートーヴェン。
彼は、「音楽を作曲する」ということの意味を根底から覆した。それまで、音楽とは「音による娯楽」だったのだが、ベートーヴェンは「純粋に存在する音楽」というとんでもないヴィジョンを突きつけたのである。
特に、彼が提示した〈交響曲〉という代物は、「人間が純粋に音楽だけでどこまで思考できるか?」という禁断の世界への扉を開いてしまった。鳴った先から消えてゆくはずの「音楽」が「不朽の名作」などと呼ばれるようになったのは、彼がいてこそ。まさに、巨大なステップである。
そして、とどめの「ジャンプ」がワーグナー。
ベートーヴェンが「音楽」と「詩」との合体に達したのを受けて、更に「音楽」と「舞台」(台本・演出・美術を含む)を統合し、「人間は音楽でどこまで〈世界〉を創造できるか?」という高みにまで登り詰め、オペラではなく「楽劇」なるもの造り出した。
ベートーヴェンの「純音楽的芸術」というヴィジョンは、人類の愛を壮大に歌いつつも現実世界では「貧乏な一市民」から逃れられなかったわけだが、ワーグナーの場合は、自分の作品を上演する劇場まで手に入れ、現世でもセレブを極めた。これは、ある意味で「作曲家として人類最高のポジション」を極めたと言っていいかも知れない。
かくして(ベートーヴェンが夢見ながら果たせなかった)「作曲家がなし得る最高の表現形態としての音楽作品」へ到達したものの、ワーグナーの音楽には、ジャンプし過ぎから来る「負」の部分があって、それがこの作曲家の評価を二分させている。
なにしろ、その男性ホルモン全開の世界のせいか、ワーグナーの音楽には、「男の子」の心の奥の欲望(女の子の場合は定かではないが)を鷲掴みにし高揚させ陶酔させる成分が、濃厚に含まれてすぎているのだ。
おかげで、ルドヴィヒ2世然りニーチェ然りヒトラー然り、多くのインテリ青年たちが見事に汚染された。
音楽は、ドラッグのようには肉体を蝕んだりはしないものの、精神に顕著な変化をもたらす。実際、ルドヴィヒ2世に代表されるような貴族の若者たちが「ローエングリン」の夢物語や、「トリスタンとイゾルデ」の耽美世界にドップリはまって現実と夢の区別がつかなくなり、「どこに行くか分からない妄想の世界」へ引き込まれている。これはもうかなり危ない麻薬と言っていいレベルである。
(現代では、ビート・ミュージックにしろ、ヒーリング・ミュージックにしろ、音楽は「興奮」や「癒し」をもたらすアイテムとして、完全に「ドラッグ」化しているが、ワーグナーの音楽はその先駆とでも言うべきか)
さらに、「音楽」成分に付随している「思想」成分にも、安全基準を超えたものが含まれている。特に、若い頃に政治活動に身を投じていた(ドレスデン革命に参加し、警察に指名手配されていたそうだ)ほどの過激で扇情的な思想。単にゲルマン民族賛美から神話をモチーフにするくらいまではかまわないのだが、「ゲルマン民族至上主義」から「ユダヤ人排斥」のようなものもあり、かなり危険度が高い。
おまけに、あまたのスキャンダル。「ローエングリン」の白鳥の騎士にあこがれたバイエルンの若き国王ルドヴィヒ2世に国家予算規模の金額を投資させたり、自分がベートーヴェンと並ぶ天才だと公言し、貴族に向かって「私のオペラの上演を援助する栄誉をあなたに与えよう」と言って金をせしめ、嘘まみれ借金まみれでヨーロッパ中を放浪し莫大な浪費を続けたり。
さらに「タンホイザー」では延々と性の陶酔を描き、人妻との不倫をぬけぬけと「トリスタンとイゾルデ」で歌い上げる。ゲルマン神話やキリスト教を隠れ蓑にして入るものの、完全に「モラルの破壊者」(言い方を変えれば「完全なる自由人」)。
さらに、26年もかけて書き上げた「ニーベルングの指環」で4夜にわたって描かれるのは、裏切り、復讐、不倫、謀殺、破滅だ。(それがなぜ最晩年の「パルジファル」で「キリスト教による魂の救済」などというテーマに収斂してゆくのか。ニーチェが憤慨するのも無理はない)。
こういう性格を「天才だから」と許せるか、「人間として」許せないか、で評価はまっぷたつに割れそうだ。
そんなワーグナーの危険性に対して、「ストップ!」と常識論を振りかざして足を止めたのが理性派ブラームス。おそらく、その音楽の魅力は重々承知していただろうが、「陶酔するに任せて何でもやりたいことをやる…というのは人間としていかがなものか」という視点とでも言うべきか。
(それは「正論だけれど、つまらない」vs「面白いけど、極論」の戦いだ)
つまり「3大B」というのは、「人間やめますか、それともワーグナーやめますか?」というワーグナー撲滅キャンペーンのスローガンだったのである。
◇世界征服の音楽
と、こうして、ワーグナーの音楽の「まるで世界をその手に握ったかのような高揚感」や「山のいただきに立つ英雄のような豪快な充実感」「世界が自分のためだけにあるかのような独占的な陶酔感」、そしてその裏にある「唯我独尊のオレ様的な独善と横柄さ」を考えると、ふたたびあの独裁者の「ヴィジョン」のことを思い出してしまう。
ヒトラーが「ニュルンベルクのマイスタージンガー」に倣って「ドイツよ目覚めよ!」と叫び、自身の第三帝国の未来を「神々の黄昏」にダブらせるほどワーグナー信者だったことは有名だが、確かにワーグナーの音楽にはその種の「野望」が宿っている。
これはもう、ヒトラーが自分の帝国を演出するためにワーグナーの音楽を利用したのか、ワーグナーが自分の音楽世界を現実にするためにヒトラーを生み出したのか(それを言ったらオカルトだが)、分からなくなるほどだ。
実際、ワーグナーの音楽の「大きさ」に関しては、いかな反ワーグナー党でも否定できないのではなかろうか。何万人もの党員が同じ制服で居並ぶ壮麗な場には、確かに「マイスタージンガー」の雄渾な前奏曲が見事に合うし、「タンホイザー」の序曲や大行進曲「歌の殿堂を讃える」などは、大群衆と巨大なモニュメントに負けない威厳と質量を持った唯一の音楽と言わざるを得ない。
また「ローエングリン」の1幕および3幕の荘厳な前奏曲は、何か神聖にして侵すべからざる存在を感じさせるし、「さまよえるオランダ人」の暗くも圧倒的な迫力は闇のパワーに満ちあふれている。死と夜をまとった「トリスタンとイゾルデ」でさえ、そこには濃厚な生への渇望が渦巻いている。
この「ヴィジョン」、かなり悪魔的で妄想をたっぷり含んでいるが、本能の奥底の部分で共振する何かを感じるのが「男(オス)」なのかも知れない。
この共振部分は、平和な時代には「オフ」になっているが、そもそも「男」は太古の昔から、死を賭けて戦に出向き、荒海に乗り出し、断崖絶壁を越え、敵を殺したり、獲物を狩ったり、女性や宝物を奪ったり、命知らずの無茶を極めて来た。この(莫迦が付きそうな)妄想が何万年かにわたって常に「オン」だったわけだ。
それは、もちろん現代のような「命が大事」という考え方ではまったく理解できない。でも、それなしには戦争や略奪や復讐や破壊が横行する世界では生きられなかったことも確か。死と隣り合わせの凶暴な生命力こそが「オス」の生きる証だったわけだ。
そして、ワーグナーの音楽の中に鳴り響いているのは、そういう男の「征服欲」や「闘争心」のエネルギーそのもののような気がする。
おそらく人が音楽に乗って世界征服するとしたら、そこにはきっとワーグナーの音楽が流れているに違いない。映画「地獄の黙示録」(1979年。フランシス・コッポラ:監督)の中で、米軍の戦闘ヘリコプターがベトナムの村を攻撃し焼き払うシーンで「ワルキューレの騎行」が流れていたのは、まさに炯眼というべきだろう。
そして、ベルリンが空爆にさらされ第三帝国がまさに劫火の中で滅びようとする時、ヒトラーの頭の中に流れていたのは「神々の黄昏」だったと言う。裏切り、復讐、謀殺、破滅…そのすべてが現実になった大戦争の終焉にこれほどふさわしい音楽はなかったろう。
ワーグナーというのは、まさしく音楽で記述された人類史上最大の「暗い本能のヴィジョン」だったわけだ。
とは言え、この「ヴィジョン」、決して危険な負の部分だけではない。その証拠に、うまく民族主義や仲間意識と折り合った時、普通に健全な形で機能する。
例えば、スメタナが「我が祖国」で、シベリウスが「フィンランディア」で音楽に組み込んだ音楽の高揚感は、聴く者に自分の「祖国」への熱愛と、それを侵す者への抵抗心を換気したわけだし、現代のロック・コンサートでは、何千人何万人という観衆を熱狂と興奮に巻き込む音楽のこの高揚感は、仲間意識や協調感に収斂させることで(一応)平和利用されている。
考えてみればワーグナーも同じと言えなくもない。「祖国」や「仲間」…の部分に「ゲルマン」や「神話の神」が入っているだけなのだから。
ただ、弱い立場で劣等感の固まりになっている時「負けるな。おまえは世界一だ。他人はカボチャと思え」とハッパをかけるのはよくあること。しかし、本当に強者になってしまうと、「おれは世界一だ」というような(もともとは強がりにすぎなかったはずの)主張はそのまま「傲慢不遜な暴論」になり、「他人はカボチャだ」という痩せ我慢がそのまま「差別」に直結する。
つまるところ、ヒトラーという熱狂的ファンを持ってしまったおかげで、そして、そのヴィジョンがとんでもない結末をむかえてしまったがゆえに、ワーグナーの音楽は戦後、いまいち「本気」のアプローチが敬遠されているような気がしてならない。
おそらく、こうやってヒトラーとワーグナーを並べて論じるのにも、顔をしかめる人がいるのだろうし、ヒトラーのことなど蒸し返して欲しくないワーグナー・ファンも大勢いることだろう。
というわけで、残念ながらゲーテとベートーヴェンを並べて論じたりするようには、ワーグナーとヒトラーを並べられない。(スターリンとショスタコーヴィチを並べて論じるのはOK?)。論じたとしてもヒトラーに関しては全面否定するのが、戦後の常識人として生き残る必須条件であり、そこでもう既に論調自体にリミッターがかかってしまう。
結局、現代のワーグナーは、「壷に封じ込められた魔人」と言ったところなのかも知れない。(あるいは独居房に入れられたハンニバル・レクター博士か)。
ワーグナーというのは大地に「男」がそのまま屹立しているような音楽なので、野生の時代にはOKだったとしても、現代社会では(猥褻物や興奮剤のように)取り締まられてしまう。だから、現代では少し「去勢」してから上演せざるをえない。
その結果、今私たちが耳にするのは、毒を抜かれ完全殺菌されたワーグナーだ。それは、動物園の檻の中にいる「凶暴な野生生物」を見るのと似ている。しかし、檻の中に居てさえ、殺気と壮大なヴィジョンをびしびし感じるのだから、檻から出して封印を全部解いたら、どんなに物凄いことになるのだろう。
数十万の兵士が進軍する荒野で「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を聴き、世界の終焉の日に滅亡する地球を背景に恋人と抱き合いながら「トリスタンとイゾルデ」を聴き、世界を焼き尽くす劫火の中で「神々の黄昏」の終幕を聴く?
それなら、まさしく濃度100%のワーグナーが聴けるが、そんなことをしたら、命がないことは必至。
まあ、魔人は(もうしばらく)壷の中でいいか。
*
2009年・・・
11月11日(水) 19時開演
11月12日(木) 19時開演
・ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調(vc:ヨーヨー・マ)
・ワーグナー 「タンホイザー」序曲 (ドレスデン版)
・「神々の黄昏」 より “ジークフリートのラインの旅”“葬送行進曲”
・「ローエングリン」第1幕への前奏曲
・「ワルキューレ」 より “ワルキューレの騎行”
11月15日(日) 14時開演
・ブラームス:交響曲第2番 ニ長調
・チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調
11月16日(月) 19時開演
・ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調(vn:五嶋みどり)
・チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調