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2010/04/10

薄幸のヒロイン対決 〜ヴェルディvsプッチーニ(後編)

Vp ヴェルディとプッチーニは、イタリア・オペラの二大巨人でありながら、かなり対照的な作風だ。
 一言で言えば、ヴェルディは男性的で「ドラマティック(劇的)」、プッチーニは女性的で「リリック(抒情的)」。
(ちなみに、現代では、男性的と女性的の意味はほぼ逆転or無意味化しているが、それはそれ)

 ただ、この二人、30代後半の中堅という時期に、「男の純情」を描いたオペラを書いているのが面白い。ヴェルディは「椿姫」、プッチーニは「ラ・ボエーム」。今回はこの2作にスポットを当てて、この二大巨匠の愛の世界を語ろう。

 まずは、この2作の簡単な紹介から。

Traviata2■椿姫@ヴェルディ

□概要とあらすじ

 原作はデュマの小説「椿姫」(1848年)。台本はピアーヴェ。作曲:1853年(ヴェルディ:40歳)。

 舞台は19世紀のパリ(イタリア・オペラなのに…)。「椿姫」と呼ばれた高級娼婦ヴィオレッタが主人公。

 この源氏名の由来は、「椿」の花をいつも身につけていたからだそうだが、いつもは「白い椿」、そして生理中だけ「赤い椿」を付けていた…というあたりが普通の堅気の女性とは違うところ。

 売春婦という言い方をしてしまうと身も蓋もないが、夜の社交界とは言え相手は貴族や大金持ち。当然ながら知的水準もファッションのセンスも高かったわけだから、かなりの知識と教養(例えば、宝石やワインなどから、歴史や政治、文学や音楽などなど)が必要だったはず。

 そのあたりは、江戸時代の吉原で言う「太夫(たゆう)」を思わせる。こちらも、大金持ちの隠居や文化人などを相手にするには、芸事から文学に至るまで相当の教養が必要。中には「椿大夫」などという遊女もいたかも知れない。

(ちなみに、江戸時代は「椿」というとポトリと花が落ちるのが首が落ちるのを連想させ、武士には不人気な花だったそうだが、西洋の椿Cameliaはちょっと違った種類)
 
Camelia そんな海千山千の(今で言うと…政治家や作家など金持ちのパトロンが大勢いる銀座の最高級バーの)ナンバーワン・ホステスが、ある時、パーティにやって来た純情青年アルフレードに「実は前から好きだったんですぅ」と告白され、恋に落ちてしまうのが、この「椿姫」のお話。

 その理由はよく分からない。劇中で当人も「不思議だわ」と何度も呟いているように、魔が差したのか、今の生活から離れたかったのか…
 しかし、その思いは意外と本気で、パトロンとの繋がりもバッサリ捨て、邸宅や財産も処分して、純情青年との「つつましい生活」を夢見て一途に突っ走る。

 ところが、青年の父親からすれば、「世間を知らない若い息子が、商売女にたぶらかされている」としか見えない。しかも、息子が「娼婦と結婚する」などということにでもなれば、娘の結婚話に差し障る。
 そこで、抗議に出向くのだが、話すうちに相手の「純愛」に気付き、非礼はわびながらも「身を引いてくれ」と嘆願。情にほだされた彼女は、結局、自分の方から別れ話を持ち出して、青年と分かれることを決心する。

 ヴィオレッタから「別れの手紙」を送りつけられ、「裏切られた」と誤解し激昂する純情青年アルフレード。新しいパトロンと思い込んだ男爵と決闘することになるなど「すれ違い」は頂点を極める。
 結局、父親が真実を話して誤解は解けるが、二人の間にできた溝は簡単に元には戻らない。

 数ヶ月後、ようやくすべてが解決し、青年アルフレードはヴィオレッタの元に戻ってくるが、その時既に遅く、病(肺結核)に冒されていたヴィオレッタは、アルフレードの胸の中で息を引き取ってしまう。

Traviata1 □背景

 まさに「純愛もの」の王道を行く物語だが、「娼婦」が主人公というのは、さすがにちょっと特殊と言えなくもない。
 現在でも眉をしかめる方々がゼロではないだろうし、発表当時のイタリアでも「娼婦が主人公のオペラなんて!」と、かなり問題作だったようだ。

 タイトルが原題の「椿姫(La Dame aux camelias)」ではなく「トラヴィアータ(La Traviata):堕落した女」とされたのも、そんな検閲のせいらしい。
 要するに、主人公はあくまでも「堕落して人の道を踏み外した売春婦」であり、それが「天罰」を受けて病死する…という筋書きとして申請したことでなんとか上演を許可された…ということのようだ。

 しかし、ヴェルディは主人公の名前を「ヴィオレッタ」(すみれの花)と名付けたほか、前奏曲でもいきなり清楚で悲劇的なイメージを打ち出し、全面的に「同情」のポーズを隠していない。
 大金持ちのパトロンに囲まれて、連日豪華なパーティで遊興を極める日々…という堕落した境遇ながら、魂は高貴な女性…というのが、ヴェルディから見たヴィオレッタ像…のようだ。

 これは、日本で言えば、まさに吉原の大夫(遊女)と大店の息子の道ならぬ恋…という「心中もの」の王道を行くストーリー。「椿姫」の日本での人気はそのあたりの共感もあるのかも知れない。

Boheme3■プッチーニ「ラ・ボエーム」

□概要とあらすじ

 一方の「ラ・ボエーム」の方は、原作はミュルジュールというフランスの詩人による短編集「ボヘミアン生活の情景」(1849)。台本は(トスカ、蝶々夫人も手がけた)ジャコーザ&イッリカ。作曲は1895年(プッチーニ37歳)。

 タイトルの「ボエーム(La Bohème)」はボヘミアン。もともとは定住せずに放浪している人たち(ジプシーや旅芸人など)のことだが、転じて(貧乏ながら自由に)生活している芸術家や詩人・作家などのこと。
 語源の「ボヘミア」はチェコ西部地域の名称(ドヴォルザークがこのボヘミア出身)。この地方の牧畜民の服装や生活スタイル(アメリカ西部のカウボーイのルーツ)が、放浪民や芸術家のスタイルを思わせたことから、そう呼ばれるようになったらしい。

 舞台はパリ(イタリア・オペラなのに…)。季節は冬。主人公は、そんなボヘミアンである貧乏詩人のロドルフォ。
 安下宿の一室で貧乏仲間と暮らしている彼は、クリスマス・イヴの夜、火を借りに来たお針子のミミと出会い、恋に落ちる。

 貧しいながらも仲間たちと共にカフェに集まってクリスマスを楽しむロドルフォ。しかし、肺病(肺結核)がミミの体を蝕んでいる。

 二人は慎ましい生活を始めるが、ロドルフォの方は「自分のような貧乏な男と一緒ではミミの病気が治らない」と、分かれる決心をする。
 一方のミミは、そんなロドルフォの決心を知り、自分から身を引く決心をする。

 そして、数ヶ月後、ミミは肺病の末期となり、「死ぬ前にもう一度だけ会いたい」とロドルフォの部屋を訪れるが、恋人に看取られながら息を引き取ってしまう。

Boheme4 □背景

 タイトルの「ラ・ボエーム」は「若きボヘミアンたち」というようなニュアンスで、一種の青春群像のような趣がある。普通オペラのタイトルは「マノン・レスコー」「トスカ」「蝶々夫人」「トゥーランドット」など主人公の名前であることが多いので、ちょっと異例といえば異例かも知れない。

 貧乏詩人や画家たち(音楽家や哲学者も登場する)の群像をオペラにしたのは、プッチーニ自身が若い頃こういったボヘミアンな生活をしていたことがベースにあるようだ。
 実際、ミラノの音楽院時代に、同期の作曲家マスカーニ(カヴァレリア・ルスティカーナの作曲者)と安アパートで共同生活をしていたようで、その頃の苦学していた経験がかなり反映されているらしい。
 そう言われると確かに、第1幕などの貧乏生活の描き方には妙なリアリティがある。

 そのせいか、プッチーニは台本にもかなり細かい注文を出していたようで、2人の台本作家(ジャコーザ&イッリカ)と侃々諤々の議論をしながら構想から3年めにしてようやく完成。
 作曲はその後ほぼ丸1年をかけて進められ、最後の「ミミの死」のシーンはそれこそ涙を流しながら作曲したという。

 最初から最後まで「貧乏な」話というのは、オペラではちょっと珍しいが、クリスマス・イヴのカフェなど賑やかな群衆場面もあり、明るく楽しい場面も多い。
 このあたりは「椿姫」と同じで、華やかなパーティや賑やかな音楽が流れれば流れるほど、悲劇が浮き立つ…という効果があるようだ。

Traviata3■椿姫vsボエーム

□初演と評判

 さて、30代後半に差し掛かった中堅オペラ作曲家が描いた2つの「男純情」の物語。その時代にはどういう評価をされたのだろう?

 ヴェルディが「椿姫」を発表したのは、40歳の頃。初演は、1853年3月、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場。既に「ナブッコ」「マクベス」「リゴレット」「イル・トロバトーレ」などで中堅のオペラ作家として成功を手にしている。
 しかし、この「椿姫」でちょっとした挫折を味わうことになる。

 その理由は、肺結核で死ぬ薄幸の美女ヴィオレッタを歌った歌手が、まるまる太ったソプラノだったこと・・・というのは(音楽史上に残る笑い話?としても)有名。

 ただ、終幕部分は失敗でも、このオペラ、冒頭すぐパーティで賑やかに歌われる「乾杯の歌」にしろ、ヴィオレッタが恋を感じる「ああ、そは彼の人か」のアリアにしろ、全編「名旋律」のオンパレード。
 これほどふんだんに惜しげもなく素敵なメロディを繰り出すオペラはちょっとない。ビゼーの「カルメン」と並んで、(筋書きなど微塵も分からなくても)誰もが音楽だけで夢中になるオペラの筆頭と言えるだろう。

Boheme2 一方のプッチーニ「ラ・ボエーム」が生まれたのは、その40年後。当時のプッチーニは、オペラ3作目に当たる前作「マノン・レスコー」で一躍大人気オペラ作家になった新進の36歳。「ラ・ボエーム」はそれを受けての渾身の自信作である。

 初演は、1896年2月トリノ王立劇場。指揮はそこの音楽監督に就任したばかりの29歳のトスカニーニ。
 3年前(1893年)同じトリノで初演した前作の「マノン・レスコー」ほどの「大成功」とまでは行かなかったが、聴衆はこの美しいオペラにすぐ夢中になったようだ。

 ただし、ドラマティックというよりリリカル(抒情的)な物語と音楽だったせいか、批評家の受けはよくなかったらしい。
 その後もプッチーニ作品には必ずつきまとう「内容が軽い」「お涙頂戴」「時代錯誤」という悪口は、この頃からあったようだが、それがプッチーニのオペラ最大の魅力なのだから仕方がない。

 しかし、第1幕の「冷たい手を」や「わが名はミミ」あるいは 第2幕の「ムゼッタのワルツ」をはじめ名旋律の宝庫。
 その後、ローマ、ナポリ、パレルモで再演されると、聴衆の熱狂はピークに達し、以後、この作品はプッチーニの代表作として、世界中で愛され続け現在に至っている。
 

Traviata7□類似点

 それにしても、この二つの作品、よく似ている。

 ひとつは、徹頭徹尾、真正面から純愛を(恥ずかしくなるほど正攻法に)描いていること。
 こういう直球勝負の話は、時代によっては「お涙頂戴」とか「笑ってしまう」とか全否定されることも少なくない。最近の日本は「純愛」ブームらしいのでOKだが、ひねくれた演出にかかると「喜劇」になりかねない危険な題材でもある。

 もうひとつは、「愛するがゆえに身を引く」恋人と、それを「心変わり」と誤解して悩む相手…という対位法的な「すれ違い」を使って、観客をやきもきドキドキさせる手練手管。
 これは、「障害が大きいほど、愛は強くなる」という恋愛ドラマの法則に則ったトラップ(?)…というより「お約束」。出会って→相思相愛になり→ハッピーエンド…ではオペラにならないのである。

 そして最後に、薄幸の美女が恋人の胸の中で「死んでしまう」という究極の「落としどころ」を完備していること。
 それでなくともオペラは、「主人公の死」で終結するものが多い。普通は悲劇的なドラマ力学のクライマックスとして「死」を設定するが、この2作はむしろアンチ・クライマックスというべきか。それでも、「泣けるシーン」としてのこの「とどめ」の一発は最強だ。

 ちなみに、ヴィオレッタ、ミミとも、死因は「肺結核」。
 このオペラの舞台となる19世紀中頃は、原因不明の病気であり、発病すると、やせ細り、末期には咳と共に吐血する「死の病」。しかも、治療法は「空気の良い場所で静かに療養する」しかなく、伝染性のある病気であることすら知られていなかった。
 コッホにより病気の原因(結核菌)が解明されたのが1882年、抗生物質ストレプトマイシンの発見が1943年。日本でも「労咳(ろうがい)」と呼ばれ、戦後しばらくまでは死亡率の首位を占める「死の病」の定番だった。
 
 そんな「不治の病」で、純愛に燃える二人の仲が引き裂かれ、最も美しい若い時期にもかかわらず死に至る。これで泣かなければ人間ではない…というような「お涙頂戴の王道」(決して否定的な意味ではなく!)である。

 これはヨーロッパ人の涙腺も直撃しただろうが、我らが日本にも「浪花節」とか「心中もの」の歴史があり、この手の話には涙腺がゆるんでしまうこと請け合いだ。

Traviata8□ヴェルディとプッチーニの恋愛経験

 ところで、この「純愛」路線の2作、どうやら作曲家自身の恋愛体験とも重なるところがあるようだ。

 ヴェルディは、1836年(23歳)に恩人でありパトロンでもある知人の娘と結婚しているが、4年後に死別。その直後、最初の成功作「ナブッコ」に出演したソプラノ歌手(3人の子持ちの未婚の母)とやがて同棲を始めている。

 この二人、のちに正式に結婚するのだが、「椿姫」を作曲したのはちょうど「亡き妻への思い」と「新しい恋人への愛」に挟まれていた頃。
 ヴィオレッタの「若くして病死する女性」という姿は、おそらく20代後半で病死した自分の妻に重なるのだろうし、「愛しているのだが添い遂げられない」という煩悶は、妻の死の後すぐに愛人と結婚できないヴェルディ自身の悩みとも重なったのだろう。
 
 ちなみに、そんなカトリック的に厳格で真面目なヴェルディに対して、同い年のワーグナーは真逆のスタンス。奥さんがいながら数人の女性と付き合い、その中の一人である人妻マチルダとの不倫関係からイメージを暴走させた名作「トリスタンとイゾルデ」を書き上げている。
 こちらは「純愛」どころではなく、愛をめぐるどろどろの不倫劇だが、やはり現実世界の経験なくしてこういう「愛」の形を描くのはあり得ないのかも知れない。

 一方のプッチーニは、作曲デビュー前の26歳頃、駆け落ち同様に人妻(2人の子持ち)と同棲を始めている。
 当然、貧乏作曲家のまま、夫がいる女性と、自分のではない子供たちを扶養する生活だったわけで、まさにそのまま「ボエーム」の世界と重なるところがある。

 この内縁関係は、相手の夫が死んだことで解決し、正式に「結婚」することになったのだが、それはなんと20年もたってから。
 そして、晩年にはこの(愛妻だったはずの)奥さんをめぐってトラブルに巻き込まれることになるのだが、それは別の話。(興味ある方は「トゥーランドット」の回を参照のこと)

 作品と現実は違う…という人もいるけれど、この2作、どう考えても(意外と根が純情な)ヴェルディとプッチーニの実体験から生まれた部分が大。
 享楽家のモーツァルト先生や独身のベートーヴェン先生、ましてや女ったらしのワーグナー先生には絶対書けない題材だと思うのだが、どうだろうか。

 

 そうそう、この二作「男の純情」を描いたオペラであると冒頭に書いたが、物語では「純愛を貫いて死ぬ」のは女性の方。それなら「女の純情」では?…という疑問を抱かれた方もいるだろうか。

 その答えは簡単。「女性の純情」などというのは、「男の純情」が描く妄想の中にしか存在しないのだよ、ワトソンくん。

           *

トリノ王立歌劇場

Traviata

ヴェルディ「椿姫」
・7月23日(金)18:30東京文化会館
・7月26日(月)18:30東京文化会館
・7月29日(木)18:30東京文化会館
・8月01日(日)15:00東京文化会館

Boheme_2

プッチーニ「ラ・ボエーム」
・7月25日(日)15:00神奈川県民ホール
・7月28日(水)18:30東京文化会館
・7月31日(土)15:00東京文化会館

総裁:ヴァルター・ヴェルニャーノ
指揮:ジャナンドレア・ノセダ
トリノ王立歌劇場管弦楽団&合唱団

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