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2010/05/10

演奏する作曲家 vs 作曲する指揮者

Musiks あの「のだめカンタービレ」の中に、ちょっとしゃれたセリフがあった。

 むかしは、音楽理論を熟知し理性で音楽を把握できる人のみを「ムジクス(音楽家)」と言い、
 歌ったり演奏したりするだけの人を「カントル(歌い手)」と呼んだ。

 これは、カンタービレ(歌うように)ということばの語源を語るセリフで、ただピアノを弾いたり歌ったりして音楽を楽しむだけでなく、知的に音楽を探究する姿勢があってこそ「音楽家」なのですよ、という「ちょっといい話」。

 確かに中世やルネッサンス期の「音楽家」というのは、音楽を歌ったり演奏したりする人のことではなく、音楽全般に通じた人のことだったようだ。
 実際、古代ローマ時代には「文法、修辞学、弁証法」と共に「算術、幾何、天文、音楽」がインテリの必修七科目だったそうで、「音楽」は単なる「娯楽」などではなく立派に「学問」のレベルだったらしい。

 かのレオナルド・ダヴィンチがそうだったように、「世界はどういう風に出来ているのか?」という視点を持って物事を突き詰めてゆくと、科学(世界の出来方)、算術(数の出来方)、幾何学(図形の出来方)、医学(人間の身体の出来方)、天文学(宇宙の出来方)、美術(色彩や形の出来方)、建築学(建造物の出来方)などと並び、音楽(音の出来方)もまた、分離できない「人間の知識」になるわけだ。
(もちろん、一人でそれらをすべて修めるのは一握りの天才だけだっただろうけれど)

□宮廷楽長と楽士たち

Cooka ただ、その後、ちょっと時代を経て、バッハが登場するバロック時代あたりになると、「音楽家」というのは、理想に燃える「学者」というよりは、宮廷や貴族に仕える「プロの職人」…例えて言えば「料理長(シェフ)」のような存在になる。

 彼は、日々の食事やパーティや儀式の時にそれに応じた料理を供給する総元締めだ。コース全体を構成し料理法を指示し素材を吟味しワインを合わせる。それらすべてに精通していて、料理人たちを統率する。
 料理も作れるし知識もあり教養とセンスもある。それが「料理長(シェフ)」。スープは作れるけどワインは分からない、デザートは作れるけど食材についての知識はない、では務まらない。

 その点は、音楽家(ムジクス)も同じ。教会や宮廷や劇場を舞台にして、パーティや儀式あるいは劇のための「音楽」を供給する。教会での宗教的儀式の場合はミサや葬式・結婚式・などの作法に通じ、それにふさわしい曲を構成しなければならないし、野外のパーティや室内の会合、食事会や舞踏会などなど、編成や楽想を合わせなければならない。
 当然、新しい曲を「作曲」し、その演奏を指導し「指揮」し、「演奏」もこなす必要が出てくる。また演奏する「楽士」たちを選別したり教育するのも役目だから、楽器全般から音楽理論そして作法すべてに精通していなければ務まらないわけだ。

 それでも、いかに歴史に残る天才料理長でも、300年前の料理献立とレシピが後世に残るわけではない。同じように、バッハが日々書いた作品もすべてが残っているわけではない。そのあたりも似ている。
 もしかしたら、宮廷の中で演奏されてそのまま消えてしまった曲の中に、バッハを遙か凌駕する名品があったのかも知れないが、歴史に「もし」は禁句。それを知る手立てはもはやない。

Listz□作曲する演奏家たち

 そんなマルチな「音楽家」が、「演奏」と「作曲」に分離し始めるのが、18世紀末のモーツァルトやベートーヴェン登場の頃。
 教会や貴族に雇われる統合的な「楽長」という職が、貴族社会の解体で「事業仕分け」され、民間に投げ出されてしまったのが始まりということになる。

 自由になった…と言えば聞こえはいいが、逆に言えば、エサをくれる飼い主がいなくなった「犬」の状態。毎日のエサは自分で調達せざるを得なくなるので、才能のある音楽家はすべて、自分の「芸」を「金銭」に換える手管だけを頼りに生きていかなければならなくなった。

 そんな実力本位の弱肉強食の世界ですぐに「お金になる」のは、何と言っても、どんな素人の目の前でも鮮やかな演奏を聴かせる「演奏家」。お客が喜ぶ演奏をすれば、弾いたその場でおひねりがもらえる。いわゆる「日銭が稼げる」わけだ。
 その頃は「著作権」なんていう概念はなかったから、人の曲だろうが何だろうが演奏するのは勝手。ただし、逆に言えば、自分で書いたオリジナル曲を人に演奏されても文句は言えないのだが。

Mozart この「演奏家」という仕事、才能がありさえすれば、身体ひとつで世界中どこへ行っても(ただしピアノがある場所に限るけれど)稼げるものの、所詮その日暮らしの肉体労働。病気になったり年を取って弾けなくなったりすれば、おしまいという過酷な商売でもある。

 そんな音楽家にとって、高収入が得られるもっとも理想となった最終目標が「オペラ」の作曲。歌と合唱とオーケストラのための楽譜を書くという専門的な技術が必要だが、ヨーロッパ各都市の劇場で上演されるようになれば、経済的に潤ううえに、社会的「地位」も保証される。

 結果、19世紀以降のヨーロッパは、「演奏家」としてオリジナルを発表し、それを足がかりに(オペラ委嘱の声がかかる)「作曲家」への地固めをする「天才」たちが続々現れるようになった。

 その先駆的存在がモーツァルト(1756〜1791)。10代ではヴァイオリンも弾いてソナタやコンチェルトを披露し、20代には自作のピアノ協奏曲で「予約演奏会」を開くほどの人気を博し、さらにはオペラでも幾つか成功作をものにして、自由な芸術家としての存在を謳歌した。(少し若死になのは計算外だったけれど)
 彼の場合は、演奏し作曲するのが一体化しているので、「演奏家」と「作曲家」が分離できない。ビートルズが作曲し演奏する…のか演奏し作曲するのか分離できないのと同じだ。
 
Beethoven このバランスが「作曲」に傾きだしたのは、ポスト・モーツァルト世代のベートーヴェン(1770〜1827)から。
 彼は20代までは「即興演奏が得意なピアニスト」として人気を博していて、今で言うとジャズ・ピアニストに近い感じ。どんなテーマでも変奏して弾いてしまうのが得意だったそうだ。(これも「著作権」などと言われなかった時代だからこそかも知れない)

 しかし、演奏家にとってもっとも大事な耳が悪くなってゆき、徐々に「作曲」に転向し始めるのが30歳前後。最初は、自作のピアノ協奏曲などは自分で弾いていたが、やがてそれも他人に任せるようになり、完全に「作曲」を専門にするようになる。
 自作の初演に限り「指揮」も担当したが、人を統率するような人格に欠けていたのと耳が悪いのとが重なって、彼の指揮で初演されて成功した例は皆無。まさに「作曲だけをする作曲家」の元祖である。

 対して、ショパン(1810〜1849)は、新しいモダンピアノの登場とシンクロして「新しいピアノ・サウンド」による演奏が得意なピアニストとして登場。オリジナルのピアノ曲を中心にしたリサイタルで一世を風靡した。
 ヴァイオリンのパガニーニ(1782〜1840)、ピアノのリスト(1811〜1886)と並んで、もしかしたら、こういうタイプの演奏家はこの時代にもっといたのかも知れないが、録音が残らない時代としては「作品」が残っていなければ存在しないも同然。
Chopina ショパンの場合は、その美しい即興演奏をそのまま楽譜に封じ込めたものが「作曲」として後世に伝えられ、世界中のピアニストたちがその恩恵に浴することになった。ただし、若い頃書いた2つのピアノ協奏曲以降は、ピアノ曲しか書かないという「ピアノ限定」のちょっと不思議な「作曲家」ではあるけれど。

 一方、ショパンと同い年のシューマン(1810〜1856)は、若い頃ピアニストを目指して奇妙な指のギプスを考案しての練習に明け暮れ、逆に指を壊してしまって「作曲家」に転向した人。そのため「演奏家」としての活動歴がほとんど無い、という点で純粋な「作曲家」の元祖と言えるのかも知れない。
 ただし、彼の場合は、音楽評論のような「文筆業」でも活動していて、現在の「文章も書く作曲家」(私もそのひとり)の大先輩となった。

 ポスト・シューマン世代のブラームス(1833〜1897)も、若い頃はピアニストとして活動していた一人。ただし、最初は家計を助けるため居酒屋で弾き初め、伴奏ピアニストとしてヴァイオリニストと演奏旅行に廻ったり、いわゆるリサイタル・ピアニストとは程遠い地味な活動歴だ。
 それでも、自分のピアノ協奏曲を第1番第2番(共に難曲!)を自身のピアノで初演しているらしいので、テクニックはかなりのものだったようなのだが。

Bartok02 近現代では、バルトーク(1881〜1945)が最初はピアニストを目指して勉強した人。24歳の時にはパリのコンクールに作曲とピアノで参加し、ピアノ部門の方で2位になっている(その時の1位はバックハウス)。
 祖国ハンガリーの音楽院で教授になったのも「ピアノ科」だったが、民謡の採集やドビュッシーやストラヴィンスキーなどの影響から独自の作風を確立し、「作曲家」として名作を生み始める。

 そんな経歴のせいか、彼の音楽には、東欧の民族主義っぽい土臭い響きの裏に、物凄く明晰で冷たい合理主義者の視線が入り交じっている。さらに妙にオカルト趣味も加わる絶妙のバランスは、「中国の不思議な役人」や「弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽」などに見事に結実することになる。
 また、晩年、アメリカに亡命した頃は「作曲家」だけでは生活できず、ピアノを弾くようになった。その頃書いた「コントラスツ」ではベニー・グッドマン(cl)とシゲティ(vn)と共演もしている。

 同じく若い頃、ピアノの達人として知られていたのがショスタコーヴィチ(1906〜1975)。音楽院時代には無声映画のピアノ伴奏などで鍛え、20歳の時に第1回ショパン・コンクールにソヴィエト代表として参加したほど(その時の優勝者は一緒に参加したレフ・オボーリン)。自作のピアノ協奏曲やピアノ五重奏なども自身のピアノで演奏していて、それらの音源は現在でも聴くことが出来る。

Conductora□指揮をする作曲家たち

 一方、ピアニストとして活躍できるほど演奏に秀でているわけでもなく、オペラを当てるほど成功していない作曲家予備軍がたむろするのが、「指揮者」という職種だ。(…という言い方だと、なんだかちょっと偏見が混じっているような気もするが)

 19世紀以降、自由芸術家が理想とされるロマン派になると、「作曲家」という専門職を目指す若者が登場し始める。この場合の「作曲」は、すなわち「オペラ」を成功させること。経済的な自立は「オペラ」の成功にかかっていたわけだ。
 しかし、その道は一朝一夕には成らず。それを目指すための足がかりとなり、そして経済的な収入も得られるのが(他人の書いたスコアを演奏する)「指揮」という仕事だ。

 作曲の勉強をしているのだから、当然「楽譜の読み書き」は人一倍出来る。オーケストラのスコアを読み取り、ピアノで弾いたりするのも作曲家は得意とするところ。そして、上手くすれば「自作」も紛れ込ませることが出来る。ある意味、最高の副業と言えなくもない。

Berlioz そんな作曲家/指揮者の先駆者が、ポスト・ベートーヴェン世代のベルリオーズ(1803〜1869)。彼は、そもそも音楽を学んだのも独学で(学生時代に勉強していたのは医学)ピアノは弾けなかったらしい。かの「幻想交響曲」も、唯一弾ける楽器であるギターで作曲したと言うから、彼の作品にピアノ曲がないのもうなずける。

 しかし、「楽器の演奏はまったく出来ないのに一番偉そうにしている」という現代の「指揮者」の地位は彼によって確立されたんじゃないかと思うほど、その存在感は圧倒的だ。
 近代オーケストラは彼を始祖として生まれたと言っていいほどだし、「管弦楽法」という名著はその後の「指揮者/作曲家」の後輩たちにとってバイブルのような本となっている。

Mendelssohn そこまで強烈な個性ではないものの、「指揮者」の指針を極めたのがメンデルスゾーン(1809〜1847)。彼はそもそも「指揮棒を振って指揮をする」というスタイルの創始者と言われ、現代の「指揮法」の基本を打ち立てた人でもある。

 それまでの「指揮者」は「(最終的には)自分の作品を演奏する」というのが目的だったが、彼によって「昔の名作(クラシック)を出来るだけ良い演奏で再現する」という(今に通じる)「クラシック音楽」の基本概念が生まれた。その点でも、彼は「クラシック音楽」の始祖の一人と言ってもいいかも知れない。
 また、彼はインテリ教養人としても知られていて、語学に秀でていたほか、詩や文学に造詣が深く(ゲーテも知り合いだったそうな)、美術(水彩画)でも玄人はだしの作品を残している。まさしく、かつての「ムジクス」を地でゆく理想形のような音楽家である。

Wagner ワーグナー(1813〜1883)も、文学(演劇)と音楽そして美術を統合したという点で、ある意味「ムジクス」の伝統を継承する巨人。若い頃は、先輩に当たるウェーバー(魔弾の射手の作曲家)に心酔して、指揮をし歌劇を書くのを理想としていたようだ。

 しかし、彼もベルリオーズ同様、音楽の専門教育は受けておらず、むしろ文学(劇作)に血道を上げていたほどで、ピアノの腕前は不明。合唱指揮者を皮切りに、地方の劇場の指揮者の職を点々としながら、自作のオペラを書き進めている。
 彼は、指揮についての著作を残し、ハンス・フォン・ビューローなどの指揮者の育成にも関わっているが、メンデルスゾーンなどと違って「自分以外の音楽を指揮する」ことに興味はなかったようだ。

Mahler ポスト・ワーグナー世代のマーラー(1860〜1911)とリヒャルト・シュトラウス(1864〜1949)も、指揮でのし上がった組。共に、あちこちの地方の歌劇場指揮者の職を転々としながら、自作のオーケストラ作品を発表して「作曲家」としても活動した「作曲家/指揮者」の代表格である。

 シュトラウスはバイエルン・ベルリンおよびウィーンの宮廷歌劇場の指揮者も務め、マーラーの方は、ウィーン国立歌劇場およびニューヨーク・フィルの指揮者まで勤めているから、共に指揮者として最高峰の地位まで登り詰めたと言っていいだろう。
 ただし、シュトラウスの方は「オペラ」を成功させて「指揮も出来る作曲家」としても人気を博したが、マーラーの方は交響曲に固執したためか、生きている間は「作曲もする指揮者」にすぎなかった、と言うのがちょっと違うところか。

Furt_2 20世紀を代表する大指揮者フルトヴェングラー(1886〜1954)も、このマーラー型の「指揮者/作曲家」を目指した人。3つの交響曲やピアノ協奏曲など、ブルックナーばりのロマンティシズムを湛えた大作を残しているが、もはやロマン派の作風では生き残れない時代に生まれた不運で、残念ながら「作曲家」として評価する人は少ない。

Bernstein 一方、レナード・バーンスタイン(1918〜1990)はミュージカル「ウエスト・サイド物語」一曲で「指揮者」としても「作曲家」としても語られた希有の人。自分でスコアを書いたわけでもないミュージカルの作曲で評価されるというのは、本人にとって微妙な処があったのかも知れないが、その余波で3つの交響曲や「ミサ曲」など幾つかの秀作は今でも聴かれ続けており、コープランドと並ぶ現代アメリカを代表する作曲家に数えられている。

 そう言えば、現代音楽の作曲家で、指揮もこなす人物は少なくない。本業の「作曲」では生活できないことと、そのくせ譜読みの能力はあることから、副業として選択する人が多いせいだろうか。
 十二音音楽の開祖であるウェーベルン(1883〜1945)も、半ばアルバイトとは言え結構指揮をこなしていたようで、友人ベルクのヴァイオリン協奏曲などの録音を残している。
 
Boulez 戦後では、ピエール・ブーレーズ(1925〜)が筆頭。彼は傑作「ル・マルトー・サン・メートル(主のない槌)」で前衛作曲家として鮮烈にデビューした人。その後、自分の作品の演奏や録音の時に「自分で振った」のがきっかけで現代モノを振るようになり、そのまま「指揮者」として活躍するようになった。

 基本的に、近代フランスのドビュッシー・ラヴェルからストラヴィンスキーやバルトークあたりまでの20世紀音楽が専門で、現代作曲家ならではの「明晰な楽曲分析」とクールな「サウンドの構築性」が特徴。
 彼の場合は、「作曲家が指揮もする」というレベルを超えて、新しいタイプの「指揮者」として一家を成したと言えそうだ。

Sinopoli もう一人、ジュゼッペ・シノーポリ(1946〜2001)も、若い頃は現代作曲家として音楽祭を賑わせた一人(私も学生時代にダルムシュタット音楽祭などの放送で彼の作品を耳にしたことがある)。三十代になって現代音楽専門の指揮者としてデビューし、その後は作曲家特有の明晰な解釈でレパートリーを広げ、やがて指揮者が本業になってゆく。

 もともとロマン派の気質があったのか、ブーレーズのような現代モノ専門ではなく、マーラーやワーグナーからイタリア・オペラまで濃厚なロマン派大作に名盤も多く残している。同時に、作曲の方でも…歌劇「ルー・ザロメ」(1981)など力作を残しているが、さて、後世の評価はどうなるのだろう。

Salonens そして現役バリバリの指揮者/作曲家としては、エサ=ペッカ・サロネン(1958〜)がいる。彼は、サーリアホ(1952〜)や同世代のリンドベルイ(1958〜)と並んで世界的注目を得たフィンランドの新しい世代の作曲家のひとり。

 二十代後半に代役指揮者としてフィルハーモニア管弦楽団を振って(マーラーの交響曲第3番)好評を得てから指揮者歴が始まり、現在では現代作品や北欧の作曲家の作品を中心にさまざまなレパートリーをこなす大人気指揮者。
 作曲家としてもいまだに現役として新作を発表し続けていて、北欧風の抒情とほどよい調性感を組み込んだ21世紀らしいサウンドが特徴。
 
          *

 と、「ムジクス(音楽家)」の話から、現代の指揮者事情まで来てしまったが、もし究極の「音楽家」というのが居るとしたら、彼(彼女)は、「作曲」をし「演奏」し「指揮」をし、さらに音楽理論を研究し、評論や批評を弁じ、人の音楽を愛で、自分の音楽を追究する…ということになるのだろうか。

 ただ、現代ではそれらが高度に専門化してしまって、とても「一人」で手に負えるレベルではないのも事実。
 小学校では、算数・国語・理科・社会・体育・美術・音楽…と一人の先生が教えるけれど、中学ではもう不可能。「世界を究めたい」という夢は、果てしなく細分化されてゆく。それと同じかも知れない。

 それでも諦めずに「作曲家」や「演奏家」という狭い枠を超え、すべてを総合する「音楽家」を目指すのも良し、
 逆に、細分化された重箱の隅まで入り込んでいって、誰一人到達したことのない究極の「個の音楽」を見出すのも良し。

 それが、ミューズの神に魅入られた哀れな人間の生きる道。

 Good Luck!

          *

Flyerサロネン指揮フィルハーモニア管弦楽団

2010年5月31日(月)19:00 サントリーホール
・ムソルグスキー「禿げ山の一夜」(原典版)
・バルトーク:組曲「中国の不思議な役人」
・ベルリオーズ「幻想交響曲」

2010年6月2日(水)19:00 サントリーホール
・サロネン「へリックス」
・チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」
 vn:ヒラリー・ハーン
・シベリウス「交響曲第2番」

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