夏休み総力特集「ロックmeetsクラシック」
20世紀の初め、伝統と新しい近代文明との狭間で大きな曲がり角を迎えるヨーロッパ音楽(西洋クラシック音楽)に対し、新大陸アメリカでは、全く異質の文化が出会うことによって生まれた新しい音楽が開花していた。
それは、奴隷として新大陸に連れてこられた黒人たちによるアフリカ音楽と、移民として入植した白人たちのヨーロッパ音楽が奇妙に融け合った音楽で、最初は遠いアフリカへの郷愁と奴隷の境遇を嘆きつつギターをかき鳴らす「ブルース」として広まった。
やがて、この音楽は西部の酒場に転がっていたピアノや南北戦争の軍楽隊の楽器(トランペットやベース、太鼓など)と合体して、いくぶん賑やかな酒場の音楽「ジャズ」となった。
そして、1920年代頃には、この「ジャズ」は、アメリカを代表する音楽として洗練の極に達する。ガーシュウィンやラヴェルが登場した時代だ。
さらに、第二次世界大戦前後、黒人音楽「ブルース」にリズムを加えたシンプルなダンス・ミュージック「リズム&ブルース」が、放送やレコードの普及と共に一世を風靡する。戦後の日本に鳴り響いた「西洋」音楽はこのあたりがルーツだ。
そして、1950年代頃、エルヴィス・プレスリーらの登場によって、さらに激しい「腰を揺らし(Rock)回して(Roll)踊るような音楽」に昇華。「ロックンロール(Rock'n'Roll)」と呼ばれるようになる。
この「ロックンロール」は本家ヨーロッパにも逆輸入され、1960年代には、ビートルズに代表されるバンド編成(エレキギター、ベース、ドラムス)の音楽として、現代のさまざまな素材(古きヨーロッパ音楽からエレクトロニクスやメディア、そしてファッションまで)を取り込んだ汎世界的な音楽に進化する。
これが「ロック」。異なる文化(ヨーロッパ文化とアフリカ文化)が新しい時代の潮流の中でリミックスされた、正真正銘の「20世紀の音楽」の誕生である。
□ロックmeetsオーケストラ
そんな出自の音楽である以上、「ロック」が音楽史上の大先輩である「クラシック音楽」に敬愛を抱くのはある意味当然であり、その最大のアンサンブル・ユニット「オーケストラ」と共演したいというのは、多くのバンドが抱いた夢だったと言っていいかも知れない。
その夢は、1970年代初頭、エレキギターの音を千変万化に加工するエフェクターや、シンセサイザーあるいはメロトロン(コーラスやストリングスの壮大なサウンドを作り出すアナログ式サンプリング型キイボード)などの登場と相まって、ロックバンドでオーケストラに匹敵するサウンドと宇宙を作り出す試み「プログレッシヴ・ロック」あるいは「シンフォニック・ロック」という世界に昇華する。
しかし、この時代のクラシック系の創作音楽界は、(いわゆる)「前衛音楽」「現代音楽」が最盛期。リズム(ビート)やハーモニーが明確な「ロック」など、取り込むどころか認めることすら出来なかったことは、返す返すも残念としか言いようがない。
確かに「ロックにはクラシックの遺伝子が組み込まれている」しかし「クラシックにはロックの遺伝子はない」。クラシックという父親こそが、ロックという息子に学ぶべきだったのだ。
そして、この時の「狭量さ」が、その後のクラシック系創作音楽界(現代音楽界)衰退の致命的要因となってゆく…。
そんなジリ貧の現代音楽界を尻目に、ロック界は電子音楽サウンドから古典的クラシック音楽までを貪欲に吸収し、商業的な成功も加わって圧倒的な存在感を音楽シーンに刻印してゆく。
そして 1970年代後半になると、ロック界で成功したバンドが、その豊富な「儲け」をつぎ込んで、「オーケストラを雇う」試みが頻出し始める。敷居が高いとは言え、数万ドルのギャラさえ出せばオーケストラは「雇える」のである。そこで「箔を付けるため」ということも含めて、成功したミュージシャンたちはオーケストラとの共演をしたがったわけだ。
ところが、ロックバンドがオーケストラと共演すると、ロックの方は、「クラシック」を意識して日頃のパワーやビートを出せないもどかしさが残る。一方、オーケストラの方は、指揮者が振るリズムとドラムスが叩き出すビートの狭間でうろたえているという感じになる。
その結果、残念ながら「お互いに気を使い合う」といった感じで、双方25%ずつの力が合体して計50%程の出来…と言うのがほとんどだった。
結局、「ロックとクラシックの融合」というヴィジョンは、あまりにも魅力的な試みながら、結果的にはどれも不完全燃焼。あちこちに不満が残る出来でしかないというのが、個人的な印象だった。
ロックの魅力は、まず第一に「エネルギー(パワー)」。
それは、PAで電気増幅されドラムスで強化された大音量サウンド(音の質量)と、ビートの持つスピード感(速度)が生み出す衝撃である。
なにしろ、運動量の方程式は
エネルギー(パワー)=「質量」x「速度」
音量の大きさとスピードこそが、パワーの原点なのである。
この「質量」と「スピード」をオーケストラに移植せずに、オーケストラでのロックはあり得ない。
さらに「構造」も重要ポイントになる。
なぜなら、作曲家がもっとも意匠を凝らすのは「構造」だからだ。
ロックンロールの時代は、音楽というのは2〜3分のものと決まっていた。SPレコードの収録時間と言うこともあるが、所詮4ビート8ビートで12小節あるいは16小節の繰り返しでしかない音楽。3コーラスも繰り返せば飽きてしまう。当時のDJもラジオで流すのは「2分台まで」と決めていたほどだと言う。
しかし、「ロック」になってからは違う。ビートルズが最初に打ち出した「コンセプト・アルバム」という構想は、2〜3分の楽曲をLP一面(20分前後)あるいは、アルバム一枚分(40分前後)をひとつのコンセプト(発想・テーマ)を持つひとつの流れとして「構成」する考え方だ。
そして、ポスト・ビートルズのアーティストたち(特にプログレッシヴと呼ばれるバンド)は、この「20分前後」という枠での「構成」にこだわった。
例えば、ピンクフロイドの「原子心母」や「エコーズ」、EL&Pの「タルカス」、イエスの「危機」などは20分前後の「交響詩」として構成されている。その「構成」があるからこそ、物語性と存在感を持つわけなのだ。
だから、そのモチーフやテーマだけを抜き出して「適当な」アドリブや変形を加えて曲をでっちあげることは、作曲者および楽曲へのレスペクト(敬愛)の視点からすれば「あり得ない」。
この「破壊力」と「スピード」をそのままに、「構成」を忠実に取り込みつつオーケストラで「remix(再構築)」すること。それこそが「ロックをオーケストラ化する」基本なのである。
◇制作の過程
私が、クラシック・オーケストラの作曲家を志したのが、1970年前後。大学(ただし一般大学)に入学した頃だから、かれこれ40年ほど前になる。
当初は、「現代音楽」と呼ばれるクラシック系純音楽に傾倒していた訳なのだが、この前後(1970年から75年あたりまで)に「プログレッシヴ・ロック」という新しいタイプのロック・ミュージックが次々に登場するのに接し、「新しい時代の音楽」としてかなりの衝撃を受けることになる。
中でも、スローテンポで前衛的かつ抒情的サウンドを紡ぐピンクフロイド、賛美歌的なコーラスに緻密な構成と変拍子リズムを凝らしシンフォニックな宇宙を描くイエス、ジャズとクラシックとロックを直結させた世界に荒々しくも強靱なビートで切り込んだEL&Pの3つのバンドは、同時代の「現代音楽」の脆弱さを遙かに超越した巨大で「新しい」音楽世界を作っていて、衝撃的だった。
ちなみに、個人的に「クラシカルなシンフォニーに匹敵する名作」として注目していたのは、ピンクフロイド「原子心母」「エコーズ」「狂気」、イエス「ラウンドアバウト」「危機」「シベリアンカートゥル」「海洋地形学の物語」、そしてEL&P「タルカス」および「悪の教典#9」というような、演奏時間が20分前後(あるいはそれ以上)のシンフォニックな構成感を持つ大作群である。
当時の「現代音楽界」は、「調性やメロディやリズムがある音楽などはもはや死に体である」という考え方が基本で、その主張のうえに「斬新で先鋭的な」音楽を「新しい技法、新しいテクノロジー」と共に作ってゆく機運だった訳なのだが、プログレッシヴ・ロックには「調性」も「リズム」も「メロディ」もすべてがあった。しかも「それでいて新しい!」のである。これはショックだった。
結果、それらの音楽に匹敵する「オーケストラ・サウンド」を(現代音楽界で)作るのが、作曲家としての私の当時の目標となっていたわけである。
その最初の試みは1974年頃。アマチュアのロックバンドに入って上記の「エコーズ」や「狂気」をコピー演奏するところから始まった。キイボードを弾いていたので、「タルカスごっこ」や「リック・ウェイクマンごっこ」をよくやっていたのを覚えている(笑)。
そして、1979年には、オーケストラ曲「ドーリアン」で、EL&P的変拍子ブラスロックのオーケストレイションを初めて試みる。
これが実質上、私のクラシック音楽界デビューだったのだが、「ストラヴィンスキー的」とは評されても「ロック的」と指摘する人はクラシック(現代音楽)界には皆無。クラシックとロックの「遠さ」(とロックへの無知さ加減)に、ショックを受けることになる。
翌年、「朱鷺によせる哀歌」を発表。こちらはピンクフロイド的な抒情的クラスターを使ったモード(旋法)作法の試みだったのだが、こちらも「ピンクフロイド的」などという指摘は皆無。「調性がある」という些末的なことばかりに注目され、半ば呆れ、半ば諦めの「現代音楽界デビュー」を迎えることになる。
1982年、コンピュータ打ち込みによるMIDIの規格が登場。パソコン上でいくつかの断片を試みに入力し始める。ただし、まだ「変拍子」の入力が難しい仕様だったので、プログレ系の曲の入力は無理だった。
それでも、1986年頃に導入したドラム音源では、十六分音符ひとつひとつにアタックを付けるとどんな曲でも(ショパンでも!)「EL&Pっぽく」なることを発見する(笑)
1990年、最初の交響曲「カムイチカプ交響曲」を発表。第3章「FIRE」の章で、今まで蓄積してきた「ロック的なオーケストレイション」の集大成を試みる。
この成果は、1994年の「サイバーバード協奏曲」を経て、2001年の「交響曲第5番」Finaleで全開になる。
この頃から、ネット内でプログレ作品のコピーやMIDI演奏を試みている幾つかのサイトを見つけて、チェックを始める。全曲すべての採譜というのはさすがになかったが、部分的にかなり参考になる出来のものを発見。
勇気づけられると同時に、チャレンジ精神が頭をもたげてくる。
2008年6月、東京フィルから「音楽の未来遺産」というシリーズの監修を打診される。主に現代作品の中から、新しいレパートリーとなるようなものを選曲し、一夜のコンサートを構成する企画だが、「現代曲」である必要はないということで、アレンジを拡大させた「リミックス」という構想を提案。
その目玉として、EL&Pの「タルカス」のオーケストラ化を具体的に進めることに決定。(実を言うと、元々はこの企画は3回のシリーズで、タルカスは最後の回の目玉として暖めていたのだが、諸般の事情と某政権の事業仕分けの影響で残る2回は消滅。いきなり初回に大物登場となった…のだが、それは別の話)
かくして、今まで採譜してきたものと、MIDIデータなどを合わせた「大まかな全体の楽譜」が出来たのが2008年11月。
そして、具体的なオーケストレーションの構想にかかることになった。
◇採譜と構成
EL&P(エマーソン・レイク&パーマー)が1971年に発表したセカンド・アルバム「タルカス」は、当時ベストセラー・アルバムとなった大人気曲ではあるものの、曲の性質上、クラシックのように「スコアが出版される」ということはなかった。
もともとロックのミュージシャンは楽譜を書かない。(私もロックバンドでキイボードを弾いていたので良く分かるのだが)それぞれのパートは、自分用のメモのような楽譜は持っているが、全員のパートを記譜した「スコア」に当たるものは存在しない。
だから、ロックやポップスの曲の場合(ビートルズなどでもそうなのだが)、「楽譜」として出版されるのは、メロディと歌詞のうえに簡単なコードネームが付いているものにすぎない。
しかも、それは当人たちが書いたものではなく、誰かに採譜させたものを元に出版社が作った楽譜であり、全曲の構成をそのまま楽譜にしたものはない。
(近頃、レッド・ツェッペリンなどの完全バンド・フルスコアなどというのも見かけるようになったが、それはごく最近のことだ)
そのため、まずは「採譜する」という作業からすべては始まった。
そして、おおまかなバンドスコアが仕上がったところで、全体の構想に入ることになった。
全体の構成は
1.Eruption(噴火)
2.Stones of Years(ストーンズ・オブ・イヤーズ)
3.Iconoclast(偶像破壊)
4.Mass(ミサ聖祭)
5.Manticore(マンティコア)
6.Battle Field(戦場)
7.Arua Tarkus(アクアタルカス)。
1(噴火)および5(マンティコア)は、かなり器楽的に書かれているので、そのままインスト(つまりオーケストラ)にするのは比較的容易に思われた。
メカニックな変拍子フレーズの繰り返し(リフ)の上に、モチーフが色彩的に浮遊するので、ストラヴィンスキー的あるいはバルトーク的なオーケストレイションが可能。
一方、2(ストーンズ・オブ・イヤーズ)、4(ミサ聖祭)および6(戦場)は、グレグ・レイクのヴォーカルが入る。ここはビートが後退してバラード的な響きになる分、ストリングスで膨らませるアレンジが可能。
ただし、メロディはシンプルなフレーズなので、歌詞がなければ完全な「繰り返しパターン」で極めて平凡。しかも、一歩間違うと安っぽいムード音楽風の響きになってしまうので注意が必要か。
そして、問題は、3(偶像破壊)、4(ミサ聖祭)の中間部、および7(アクアタルカス)。ここはシンセサイザーやギターを含めた激しいアドリブがあるので、そもそも「採譜」が困難な部分が多い。しかも、採譜できても「そのまま」オーケストラで演奏させるようなアレンジは不可能。ここをいかに処理するかが「タルカスのオーケストラ化」最大の難関ポイントとなりそうだ。
◇編成
オーケストラ化に当たって、当初は、ストラヴィンスキーの「春の祭典」に匹敵するパワーを持つ作品と言うことで、それと同等の編成(5管編成、ホルン8、トランペット5、チューバ2の巨大編成!)を考えていた。
しかし、レパートリーとして考える以上、ある程度「普通の編成」で演奏できる必要がある。そこで、最終的に「通常の3管編成オーケストラ」とすることにした。
ただし、タルカス・シフト(?)を敷いている。
ピッコロ
フルート 2
オーボエ 2
イングリッシュホルン
クラリネット 2
バス・クラリネット
ファゴット 2
コントラファゴット
ホルン 6
トランペット 4
トロンボーン 2
バス・トロンボーン 1
チューバ 1
ポイントは、タルカスの咆哮を描くブラス・セクションのパワーアップ。特にホルンは、通常4本のところを6本使う。原曲のキイが「F(ヘ長調)」なのも、ホルン(in F)の活躍のしどころ。トランペットも4本に増量。
そして第二のポイントは5人のプレイヤーから成るパーカッション。
まず、ティンパニx5。
そして、続く3人の「パーカッション群」は、
シンバル系・・・
・通常のオーケストラ用サスペンド・シンバル
・ハイハット・シンバル、スプラッシュ・シンバル
次いで、太鼓系
・トムトム3〜5
・スネアドラム
・バスドラム2
要するに、この3人でほぼロックのドラムセット1つ分を分担する形になっているわけだ。
ちなみに、バスドラムは、大きめの通常演奏用(ドンというアタック用)のほか、小振りでミュートさせたもので「キックペダル式バスドラム」の音を作っている。
これに加えて、アクセント用の小物、まずはキラキラ系
・トライアングル
・ウィンドチャイム
・アンティク・シンバル
そして、アタック系
・ウッドブロック
・カウベル
・タンブリン
・タムタム
さらに、もう一人のパーカッションが加わる。
・マリンバ:これはメカニックな硬質なフレーズを作るため
・ヴィブラフォン:ジャージーな雰囲気を作るため
・チューブラベル:最後の「カーン」
そして、弦楽五部は通常のオーケストラ通り。
ちなみに、原曲の「歌」の部分を、実際にコーラスあるいはテナーなどで歌わせることも考えないではなかったが、経費の点であっさり却下されてしまった(笑)。
◇オーケストレイションのポイント
1.Eruption
冒頭(00:19)、5拍子(4+3+3)の印象的リフに乗って断片的なテーマが登場する。キイボードではオルガンの左手のベースラインとドラムスがシンクロして強力な推進力を持つ変拍子リズムが発進するところ。
ここは、オーケストラのどの楽器でも、この強力なバスパターンの繰り返しに耐えられる音を連続演奏するのは無理。そこで、チェロ、バスーンをデヴィジにして、それぞれ4・3・3のブロックに解体し、これにマリンバとピアノのバスを重ねることで、リズムのグルーブ感と「リフ」の推進力を出すことにした。
続く、曲想が変わる部分(00:43。5拍子から4拍子へのシフト)のアクセントは、バスドラのクレッシェンド+ティンパニの装飾音付きアタックで強化。
これは、その後何度となく出て来るが、オーケストラで出しうる最も強力なアクセント記号として、かなり有効だ。
そして、ミニムーグによるタルカスの咆哮(00:57)。これはさすがに1パートだけの吹奏ではパワーで負けるので、金管を総動員。ホルン6本、トランペット4本、計10本での「雄叫び」である。
その後の、同じくミニムーグによるグリッサンドの(グイーーンという)咆哮(01:44)は、ホルンのグリッサンドにトロンボーンのスライド・グリッサンドを重ねてみた。
シンセっぽいというわけではないが、タルカスの咆哮という点では、こちらの方が生っぽくていいような気もする(笑)
このあとは変拍子の嵐、しかもフォルティッシモの連続とあって、オーケストラは大変だ。しかし、このあたりは律儀に変拍子リズムにアクセントを付けてゆけばいいので、逆にオーケストレイション作業としては楽な方か。
2.Stones of years
一旦静まって、グレグ・レイクの歌が入る「ストーンズ・オブ・イヤーズ」のパートが始まる。
メロディはシンプルなフレーズ(00:12)の1番2番の繰り返しだが、なるべく歌のテンポ・ルバートのニュアンスを活かして採譜。繰り返したときに「全く同じ」にならないように心がけた。
問題は、この歌に絡むキースのオルガン・アドリブ(00:24)。
これは楽譜にするのが大変だったところ(泣)
このあたりは、木管楽器が活躍。
続くハモンドオルガンのソロ(01:04)。
これも絶妙なフレーズを活かしたくて、トランペット〜ホルンと受け渡して「ソロ」で。
このあたりは微妙に木管楽器と絡むのだが、採譜が追いつかず、ちょっともごもごしている(笑)
3.Iconoclast
これは普通に弦の刻みで。同じ音型をピアノのバス音域とハイハットでユニゾンさせ、4+3+3のアクセントをマリンバおよびパーカッション(トムトムとサイドドラム)で分担させている。
続いて、フルオケ総動員のリズムのアクセント(00:58)が連続して登場する厄介な部分。
すべてシンコペーション的な処(つまり拍の頭でないところ)にアクセントがあるので、指揮者に「かんべんしてよ〜」と泣かれる(笑)。
そのあと、十六分音符の短いフレーズが交互に登場するパターン(01:05)は、弦の1・2および、クラリネットとオーボエで分担。
ここはなかなか可愛い響きがする。
4.Mass
そして、曲はふたたびグレグ・レイクの歌が入る「ミサ聖祭」のパートへ。
ここもメロディ・パターンとしては同じ形の繰り返し(00:12)。
構成としては、9小節のメロディの後にウッドブロックの合いの手が2小節入って、転調して次(2番)に移ってゆくというパターン。
流れはシンプルで分かりやすいのだが、同じメロディを1番2番と歌うので、インストにしてしまうと完全に同じ繰り返しになる。(歌のパートがないと、ハッキリ言って退屈になるのである)。なので回数は省略することに。
難しかったのは、そのあとの断片的なリズムの上で浮遊するハモンドオルガンの(スタッカートが印象的な)アドリブの部分(00:48)。
ここは、原曲通りの採譜はあきらめて、オーケストラ的に(特殊奏法なども含めて)点描風の変奏をして処理。コルレーニョ(弦を弓の木の部分で弾く)やバルトークピチカート(バチンと音を立てるピチカート)駒の外の部分を弾く特殊奏法(しゃっくりのような音が出る!)をちりばめてある。
そして、さらに難関だったのが、次のアドリブ部分(01:15)。エレキギターの印象的な刻みリズムに乗って、オルガンの超絶フレーズからシンセのグリッサンドが交錯し、それにギターのアドリブも絡む。
ここも、原曲そのままというのを放棄して、ランダムなアドリブによる「破壊的なパワー」の表現を最優先として、パーカッション群によるアドリブ合戦にしてみた。
スコア上は、現代音楽的な「ad lib ... tomtoms,cymbals etc...」というような注釈付きで、ランダムっぽいフレーズが記されている。
トムトム系の楽器を持つパーカッション2が、まず8小節の自由なアドリブ(01:15)。次いでシンバル系のパーカション3が加わって2倍のパワーとなって8小節のアドリブ(01:28)。
その間、弦楽器は、背景の4度の和音をトレモロで半音ずつずり上がってゆき、テンションを高めてゆく。
ここは唯一、原曲から離れて「オーケストラの色彩」を重点にした部分である。
5.Manticore
続いて、敵役?マンティコアの登場。冒頭の変拍子リズムに似ているが、今度は9/8拍子のリフ(00:00)。
最初は、チェロとバスーンで登場し、徐々に楽器が増えていって、全楽器のテュッティになる。
そして、このリズム・パターンにハモンドオルガンが2小節ずつの合いの手を入れる絶妙な部分(00:22)が始まる。
これは2小節単位で都合4回入るのだが、オーケストラの色彩を活かして、トランペット〜ピッコロ〜クラリネット〜オーボエと受け渡してみた。
フルオーケストラによるリズム2小節と、次々に楽器が変わる木管のソロ2小節が、交互に演奏される。ここは、オーケストラ的に「おいしい」(最小の努力で最大の効果が上がる)ところである。
このあと、マンティコアのテーマなのか、8/9リズムに乗ってハモンドオルガンのメカニックなソロが疾走し始める(01:05)。
ちょっと聞くとトランペット・ソロのように聞こえるが、この部分をすべてをソロで吹奏するのは不可能。そこで、トランペット2本で交互に演奏させている。
それでも、結構きついパッセージの連続なので、トランペットは大変である(泣)。
6.Battle Field
曲は、コラール風の厚い和音による導入の後、ふたたび歌の入る「戦場」のパートへ。
ここは、一種「荘厳な」力強さがある部分だが、「声」ゆえのパワーは望むべくもないので、いくぶんクラシカルな「コラール」的な感じを強調。エレキギターの不思議なフレーズは採譜しきれずホルンで(00:17)
そして、「戦場」と言いながら、どこか寂しげなグレグ・レイクの歌(00:20)が印象的。これはイングリッシュホルンで、いかにも寂しげに。
合いの手として、バスクラリネットの寂しげな〈溜息〉モチーフを加えてみた(00:28)。
そして、終盤のテーマともなる、ファンファーレ的なモチーフが登場(00:42)。
寂しげな歌と、この「闘争本能」のようなモチーフの交錯がこのパートのポイント。
原曲では、エレキギターの力強いソロが入るのだが、これはさすがに採譜しきれず大幅にカットすることに(++)。この部分の約1分半のカットのおかげで、全体が原曲より少々短くなっている。
7.Aqua Tarkus
終曲。冒頭で、先のファンファーレ的なモチーフがどこか空虚に鳴り響く(00:00)。これはピアノとマリンバで。
これが「戦闘開始」の合図なのか、スネアドラムのミリタリックなリズムが始まり、繰り返されるうちに巨大なエネルギーが蓄積されてゆく(00:52)
そして「ボレロ」が始まる(01:02)のだが、この小太鼓リズムがなかなかいい。
このリズムが延々と繰り返される上に、テーマがどんどん巨大な質量へ増殖してゆく。
繰り返しのボレロ・テーマは、木管楽器と弦楽器が担当。徐々に楽器を増やしてゆくことで、ボレロっぽさを出している。
さらに、このボレロにからむミニムーグのソロ(01:02)がなんともカッコいい。
原曲ではシングルトーン(単音)のムーグサウンドで演奏されるが、増殖してゆく大オーケストラサウンドの中でハッキリ「存在感」を主張するのは、単なる1パートのソロでは無理。
そこで、この部分、金管を総動員した。
キイボードの即興的なフレーズをそのまんま一音残さずトレースし、しかも、そのフレーズを金管全員のユニゾンで吹奏している。
最初はホルン4本によるユニゾンで始まるが、徐々に増えていって、6本の斉奏になり、途中からそれにトランペット2本が加わり、最後は4本全員が参加。
つまり、総計10本の金管楽器で、ミニムーグのフレーズをユニゾン演奏する訳である。なんと馬鹿馬鹿しくも爽快な響きであることか!(01:29)
このボレロ部分が静まって行き、銅鑼(タムタム)が強烈な一打を放つと、曲はいよいよ最後の部分へ(02:50)。
ここは、Part1「Eruption(噴火)」の後半が完全に再現される。ふたたびタルカスの咆哮が聞こえ、冒頭の5拍子リズムが復活。
最後に、叩き付けるようなコードの連打(03:49)。(この部分、原曲にない「リタルダンドをかけて」と指揮者に注文。そのため最後の一音にゆく直前、うめくような壮絶なかけ声が聞こえる!)
コーダは、フルオーケストラの巨大エネルギーの見せ所(04:00)。金管10本によるテーマの斉奏および、高音でのアドリブによるトリル、パーカッション群のアドリブ連打(隠し味にチューブラベルの一打)を加え、壮大な「ヘ長調」の主和音を「轟音」のレベルにまでボリュームアップしてみた。
*
ちなみに、これは「タルカスにクラシック風のオーケストレイションを施したもの」などではない。「オーケストラでロックを演奏する」ことの可能性を40年かけて追求した一つの「個人的成果」(言うなれば、夏休みの宿題のようなもの)である。
もともと誰かに依頼されたものではなく(コンサート自体は東京フィルの企画だが)、10代から20代にかけて大きな音楽的喜びを与えてくれたプログレッシヴ・ロックという音楽ジャンル(そして、作曲者キース・エマーソン氏)に寄せる「敬愛」の念から発したもの。その点では、このスコアは純粋に個人的な「趣味」の産物というべきだろう。
本来なら、何らかの形でこのスコアを公開(出版)し、私が学んだロックのオーケストレイションに関するノウハウを若い人に伝承したいところだが、現在の著作権法上それは叶わない。
(ちなみに、この曲の著作権は、作曲者のキース・エマーソン氏と作詞者のグレグ・レイク氏にあり、それ以上の権利が交錯して再演を妨げることがないように、私の編曲権は放棄している)
願わくば、今回の試みをベースに(そして、このメモのようなオーケストレイションの覚え書きを参考に)、新たにロックの名曲のオーケストラ化に挑戦する若い人が出て来ることを、望んでやまない。
そして、20世紀後半以降のクラシック音楽の歴史に、プログレッシヴ・ロックがもたらした大きな成果が正当に評価され正しく刻印されることを、心から望む次第である。
*
□歴代〈ロックmeetsクラシック〉アルバム
最後に、ロックとクラシックが出会ったアルバムを思い付くまま挙げて、この稿の締めとしよう。
1967 ビートルズ「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツクラブバンド」
ビートルズとクラシックの出会いは弦楽四重奏をバックに歌った1966年の「エリノア・リグビー」(「リヴォルバー」収録)あたり。そして、翌年発表されたのがこの歴史的一枚。ロックンロールにクラシックのサウンドを組み込み、さらにブラスバンドや電子音楽からインド音楽まですべてを吞み込んだ衝撃作であり、「ROCK」という世界を確立した記念すべきアルバムである。ここから「ポスト・ビートルズ」=「プログレッシヴ・ロック」の道は始まった。
1967 ムーディ・ブルース「Days of Future passed(サテンの夜)」
最初に「クラシック・オーケストラ」をロックと合流させたのは、プログレッシヴ・ロックの草分け的なバンド〈ムーディ・ブルース〉のこのセカンドアルバム。オーケストラによる印象派風のサウンドを使ったイメージアルバム風の作りで、ドビュッシー風の美しいサウンド。その名の通り「ムーディ」な響きがする。
1969 ディープ・パープル「コンチェルト・フォー・グループ&オーケストラ」
ライブでのロックバンドとオーケストラ(M.アーノルド指揮ロイヤル・フィル)との歴史的初共演。バンドのキイボード奏者ジョン・ロードの作曲による全3楽章7パートからなる演奏時間約1時間の大作。バロック時代の合奏協奏曲風という感じ。
1970 ピンクフロイド「原子心母」
純然たるクラシック・オーケストラではないが、ブラスやコーラスを前面に出したシンフォニックな抒情的サウンドによる「プログレッシヴ」ロックの原点というべき一枚。
ロックなのに「自然賛歌」とでも言うべき叙情性と、どこかシベリウスにも通じるスロービートの中に浮遊する旋律性が個人的に衝撃だった。しかし、ピンクフロイド自体は、その後オーケストラにもクラシックにも接近を試みていない。
1971 EL&P「タルカス」/「展覧会の絵」
ピンクフロイドとは全く対照的に、ハードさとスピード感を全面に出したプログレッシヴ・ロックの雄の登場。上品でリリカルなクラシックではなく、バルトークやストラヴィンスキーなどの異教のバーバリズムにあふれたクラシック音楽をロック・トリオで演奏した前者、クラシックの名曲そのものをロック化した後者。いずれも「ロックにクラシックを取り込み凌駕する」という覇気にあふれた強烈な試みだった。
1972 イエス「危機」/「海洋地形学の物語」
ロックバンドでクラシカルな構成感とサウンドを描き上げた恐るべきアルバム。緻密にスコアで書かれたような「シンフォニック」な構成感は、まさに「シンフォニック・ロック」。後者は全4楽章LP2枚分の長さを持つ「マーラーの交響曲」に匹敵する大作。
1974 リック・ウェイクマン「地底探検」/「アーサー王と円卓の騎士」
そのイエスのキイボード奏者リック・ウェイクマンが、ピアノ・シンセサイザー・オルガンなどキイボード群の圧倒的な色彩的サウンドをオーケストラと絡ませた意欲作。ナレーターが付いてSFや歴史物語を描くライブ・パフォーマンスとしても成功を収めた名作。
1974 テリエ・リプダル「Whenever I seem to be far away」
リプダルは北欧ノルウェイのジャズギタリスト。サステインを効かせたエレキギターのロングトーンと、シベリウスの「トゥオネラの白鳥」ばりの抒情的なストリングス・オーケストラ(&オーボエ、クラリネット)が絡むタイトル曲は絶品。マイナーな作品ながら、個人的にかなり衝撃を受けた一枚である。
1976 アラン・パーソンズ・プロジェクト「怪奇と幻想の世界」
ピンクフロイドの録音エンジニア:A.パーソンズが立ち上げた全編スタジオワークによるアルバム。「アッシャー家の崩壊」におけるオーケストラサウンドのセンスがなかなか見事で印象的だった。
1977 EL&P「WORKS」
バンドの3人がオーケストラと共演したアルバム。
K.エマーソンは完全にクラシック編成によるピアノ協奏曲を披露している。
1993 シンフォニック・イエス
1994 シンフォニック・ジェネシス
1994 シンフォニック・ピンクフロイド
プログレッシヴ・ロックをオーケストラで演奏した一連の企画シリーズ。実際にメンバー数人が参加しているものもあり、ロックバンド+オーケストラの共演になっている。
1997 ディストラクション
我が国の弦楽四重奏の雄モルゴア・カルテットがプログレの名曲に挑んだ衝撃の一枚。プログレのオマージュ&コラージュ作である拙作「アトム・ハーツ・クラブ・カルテット」を始め、イエスやキングクリムゾンのアレンジ・ピースなどを収録。今回の企画の原点となったアルバム。
1998 イングウェイ・マルムスティーン「新世紀」
エレキギターとオーケストラのための協奏組曲変ホ短調。ギターパートそのものはかなりクラシカル(バロック風)だが、それを巨大な音響のエレキギターでやる独創性が光っている。
1999 メタリカ「S&M」
サンフランシスコ交響楽団との共演ライヴ
2000 スコーピオンズ「Moment of Glory(栄光の蠍団)
ベルリン・フィルとの共演ライヴ。
共に、いわゆるヘビーメタル系のバンドだが、意外とオーケストラでやっても違和感のない抒情的メロディが魅力。
2010 タルカス〜クラシックmeetsロック
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コメント
とても素晴らしい内容で、その苦闘ぶりが忍ばれます。私は高校1年の時に学園祭でタルカス全曲をバンドでやった経験があり、今でも全曲口三味線で歌うことが出来るのですが、実は、コロムビアのO氏とは、大学の時からの親友で、彼に吉松さんのコンサートをライブ録音せよ、と進言したのは何を隠そう私なのです。(ライナーのスペシャルサンクスに私の名前があります)その上、なんと佐渡裕氏とも京都の中学時代からの知己ということで、運命的なものを感じずにはおれません。2月20日の「題名のない音楽会」楽しみにしております(収録当日、O君と一緒に吉松さんにはご挨拶させていただきました。)。タルカス万歳!
一点、文中、MOOGの表記を「ムーグ」とされていますが、MOOG博士本人が「モーグ」と発音するようにお願いしたい、と亡くなる前に私の知人に託されました。なにとぞよろしくお願いいたします。
投稿: 大久保博志 | 2011/02/19 00:40
うぉぉっ素晴しい「樽粕」の解説ありがとうございます(^o^)
私も3/21に「天乱樽粕40周年」なライブ(URL)を京都で行うのですが
2/20の「題名の無い音楽会」を見て先ずは勉強させて頂きます!
と、言うか私も「夏休みの宿題」頑張りまする~(汗)
投稿: JunGreen | 2011/02/19 06:48