ハレルヤコーラスはなぜニ長調なのか?
もともとの企画は、クラシックの名曲を調性別に列挙して、初心者向けにCD付きで紹介する「調性で読み解くクラシック」というもの。
要するに「ハ長調ならこんな名曲(例えば、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」など)があります」「ホ短調ならこんな名曲(例えば、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界から」など)があります」というように名曲を並べ、それぞれの「調性」の性格や特徴について簡単に解説を加える、というクラシック音楽入門書である。
古典派クラシックの曲はたいてい「交響曲A短調」とか「ソナタB長調」「ワルツC短調」などと大書してあるから、その範囲内では「調性別の名曲」の選別はきわめて簡単だ。
ただし、ロマン派以降の名曲となると(例えば「白鳥の湖」の情景のテーマとか、新世界交響楽の「家路」のメロディ、「惑星」のジュピターの旋律など)「何調」で書かれているか?と調べるのは、ちょっと手間がかかる。
しかし、それより何より問題なのは、「調性に関する解説」の部分だ。
例えば「長調は明るく、短調は暗く感じるのはなぜ?」とか、
「作曲家が曲を書く時に〈ニ長調〉とか〈変ホ長調〉とかを選ぶ理由は?」、
あるいは「ドミナント(属和音)からトニカ(主和音)にハーモニーが変化すると、どうして〈解決〉した感じになるのか?」
それぞれ理由はシンプルと言えばシンプルだが、それには「音楽的」「科学的」「歴史的」な視野による解説が必要で、ひとこと「これこれこういうわけなのです」ではすまない。
かと言って、それらをパスして「調性についての本です」と言い張ることも出来ない。
そこで、作曲家歴30年の筆者としては、自分の今までの経験をふまえ、さらに独断と私見をまじえて(と言うより独断と私見だらけなのだが)「調性とは何なのか」と言うことを、図らずも徹底追究することになったわけである。
□ハーモニーとは何か
さて、音楽の三要素は「リズム、メロディ、ハーモニー」と言われる。
細かく言うと、さらに幾つかのパラメータ(変数)があるが、ざっくり言えばこの3つだ。
しかし、この3つ、誕生した歴史を見るとものすごい時代的な開きがある。
我らが人類は、500万年ほど前にアフリカで誕生し、100万年ほど前に新天地を求めて世界各地に壮大な旅を始めた…と言われている。
そんな人類が手にした「音楽」の最古株は(もちろん)「リズム」。
そもそも循環系の器官(心臓)を持つタイプの生物ならすべて体内に「リズム」つまり「生命維持のためのビート(鼓動)」を持っているから、「音楽」だけでなく、生物そのものの根源に関わる要素のひとつと言うべきだろう。
ただし、人類がそれを「リズム」として意識し、人為的に使い出したのは、「二足歩行」になり両手が自由になってから。つまり「手」でものを叩く…という行為が可能になってからということになる。それでもたっぷり数十万年前といったところだろうか。
一方「メロディ」は、「声」を発する器官を持ち、それをコントロールする筋肉と知性を必要とするため、哺乳類あるいは鳥類あたり以上の「知的」生物に限られるアイテム。
人類がそれを手にしたのは、おそらく「ことば」より古いと思われるが、「あーー」とか「おーーー」と唸るだけでは「メロディ」とは言えない。人為的に(いわゆる)「メロディ」として使い出したのは、原始的な村社会や宗教が生まれた頃だから、歴史としては数万年前といったあたりだろう。
それに対して、もっとも新しい音楽の要素である「ハーモニー」の登場は、ぐっと新しい。まず、アフリカを出てヨーロッパの山岳地域の「洞窟」に人類の祖先が住むようになり、そこの「お風呂場エコー」的な響きの中で神を讃える「聖歌」としての「メロディ」を歌い始めたのは(おそらく)数万年前。
それから数千年の間、洞窟の中にこだまする「聖歌」の残響を聞き続けていた彼らは、そのうちに、オクターブや完全5度ずれた「聖歌」が、不思議な「ハモり方」をすることに気付き始める。
そこから「多声部でハモる」歌い方が広まったのが、キリスト教成立からさらに数百年たった頃。「グレゴリオ聖歌」と呼ばれる(現存する最古の)作曲作品が生まれたのが9〜10世紀のことだ。
やがて、それを「楽譜」というものに記述して、メロディ・ラインの組み合わせ方(対位法)やハモり方(和声法)への研究が始まったのが11世紀頃。
さらに、それらが統合されて、ようやく今で言う「ハーモニー」の基礎が固まったのは、15〜6世紀頃。せいぜい500年ほど前のことだから、「リズム」や「メロディ」に比べると、まったくの新参者ということになる。
この「ハーモニー」以外の「リズム」と「メロディ」に関しては、おそらくどんな古代文明でも、独自の体系を持って、豊饒な「音楽」文化を持っていたはず。
ただ、こと「ハーモニー」に関しては、ここまで高度に発達したのはヨーロッパという地域特有の、しかもここ1000年限定の独自の現象のように思えてならない。そして、その独自の進化の背景となったのが「キリスト教」だ。
□調性とキリスト教との深い関係
人間の手足が2本+2本である以上、どんな文明の「リズム」も2拍子&4拍子であるのは基本中の基本。
人間の祖先が二足歩行となり両手が空いたとき、まずは、何かを叩いて「定期的なパルス音」を作り出すことは、最初に試みられたはずだ。
やがて、それを「ビート(鼓動)とシンクロさせて」楽しむ…という形の「音楽」が生まれ、さまざまな文明で、さまざまなバリエーションを持って普及していった。
一方、「メロディ」の方は、最初は「単音」の「あーー」とか「おーー」という唸り声として生まれ、次にそれを2音3音「上下」させる、という形で進化して行く。
それが、やがて両手で「道具」を扱う時代になると、「弦楽器(ハープや琴)」や「管楽器(笛やラッパ)」の登場し、そこから「音階」…という概念が生まれたわけだ。
このあたりまでは世界共通だが、そこから先は、民族それぞれに「音階のそれぞれの音の間隔」に関するアプローチの差が現れる。これが…「旋法」。
(ちなみに、普通の感覚では短調っぽい音階の方が人間の耳には合っているようで、おおくの「民族的旋法」は短調系だ)
しかし、残念ながら、遺跡や古文書からは「音」は発掘されないので、古代人たちがどんな「音楽」を奏でていたかは、「空想」の域でしかない。
それでも(遙か紀元前の)古代ギリシャ文明は、ドーリア・フリギア・エオリアなどさまざまな「旋法」を体系として持っていたし、その科学的解明もすすめていた。一方で、我らがアジア地域でも、古代中国が数学的なアプローチからオクターブを「12音」とする楽理を確立している。
もちろんエジプト文明も、壁画に笛や太鼓やラッパや竪琴などの楽器が描かれていることからすると、かなり立派な「音楽」が存在していたはずだし、古代ローマ帝国の音楽などはさぞかし高度な技法に満ちたものだったに違いない。
それらの豊饒な「音楽文化」に比べると、当時の(後に西洋クラシック音楽の総本山となるはずの)中央および北ヨーロッパ地域には、洞窟で細々と聖歌をつぶやくくらいの貧相な音楽しかなかったような気がする。
ところが、その「貧相な音楽文化」に大逆転ホームランの兆しが訪れる。それが、2000年ほど前の「キリスト教」の誕生である。
当初は、辺境の地域に起こった小さな宗教にすぎなかったのだが、それがローマに伝わりヨーロッパ全土に広がり、気が付くとヨーロッパ文明がすべて「キリスト教」の教義を中心にして動くまでに浸透していった。
そして、この「キリスト教」の全ヨーロッパ浸透を核にして、洞窟の代わりに「教会」で「聖歌」を歌う〈音楽セクション〉に「最高の知性」が結集されるようになった。
例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチらが活躍した頃の中世ヨーロッパでは、「音楽」の総合的研究(歌う、演奏する、作曲する)は、「代数」「幾何」「天文学」「建築学」などに匹敵する「インテリ必須の華の学問」となっていたほどという。
音楽は、単なる娯楽などではなく、「宗教(キリスト教)」と「科学」と「社会」そして「人の心」を結ぶ、壮大な「英知」となったのである。
おかげで、その1000年ほどの間に、音楽の科学的側面が徹底研究されるようになる。
例えば、音の振動比が1:2の「オクターブ」、および2:3の「完全5度」が「もっとも調和した響き」として確立され、さらに協和音としての「ドミソ」(音の振動数比が3:4:5)が理論として確立されるわけである。
人間の耳には不自然に聞こえても、振動比として完璧な比率を持った「ドレミファソ」が「音階」の王者に君臨したのもこの時期。(ちなみに、ドとソが2:3、ドとファが3:4、ドとミが4:5)
この「宇宙的な調和」がキリスト教的な「神」の姿と共振したのか、さらに「三和音」という考え方が「三位一体(父と子と精霊)」の教義に沿ったこともあったのか、この「ハーモニー」のシステムは、宗教的な強い背景(とバックアップ)を得て、全ヨーロッパに浸透し、強大な展開を遂げるのである。
□五線譜と「宗教曲」
もうひとつ、「キリスト教的自然倍音ハーモニー」と並んで画期的な「発明」となったのが「楽譜」だ。
10世紀前後に、「音」の高さを「◆」や「●」で記述するシステムが考案され、それは、やがて15世紀頃には「五線譜」として確立する。これは、どんな声でも楽器でもすべての「音(厳密には、音高と音長)」を記述できる画期的な「大発明」だった。
事実、これが「ことば」より強力な「全キリスト教的共通言語」としてヨーロッパ中に広まった。結果、この「五線譜」で記述された音楽は、キリスト教文化圏ならほとんど何処でも読み込め「音楽を再生」できる(ラジオやCDのない時代としては最強・無敵の)「音楽伝達メディア」となったわけである。
そして18世紀、「音楽の父」バッハの登場を迎える。
この頃には、「キリスト教」も「五線譜」もすっかり全ヨーロッパ共通の「文化」となり、五線譜でキリスト教的音楽を書くことは、平民出身の学徒としてはおそらく最高の「花形職業」となったと言っていいかも知れない。
以後、ヨーロッパの音楽家たちにとって、「名誉」を得るには「宗教曲(オラトリオやミサ曲)」、そして「生計」を得るには「歌劇(オペラ)」。…という2大目標が確立し、人類史上初(そして唯一の)「作曲家の時代」を迎えることになる。
というわけで、バッハはもちろん、ヘンデル、ハイドンからモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト……などなど、作曲家たちはすべて(実際はどこまで敬虔なキリスト教徒なのか分からないにしても)せっせと「宗教曲」の作曲に励んでいる。
実際、ヨーロッパの楽壇で「敬愛される作曲家」というのは、曲の知名度とか大衆的人気とは別に、「宗教的な大作」を残した作家が多い。そのあたりは、やはりヨーロッパに根深い宗教的な背景なのだろう。
だから、大作曲家たちはすべて宗教的な大作を残している。J.S.バッハの「マタイ受難曲」、モーツァルトの「レクイエム」、ベートーヴェンの「荘厳ミサ(ミサ・ソレムニス)」・・・
ヘンデルの「メサイア」、ハイドンの「天地創造」、メンデルスゾーンの「エリヤ」は、(メサイア以外は)演奏頻度がさほど高いとは言えないが「三大オラトリオ」として定番の地位を固めているし、イギリス人ならこれにエルガーの「ゲロンティアスの夢」を加え、フランス人なら「火刑台上のジャンヌ・ダルク」を加えるだろうか。
革命児ベルリオーズもデビュー作は「荘厳ミサ」や「レクイエム」だし、「テ・デウム」や「キリストの幼時」など宗教関連の作品も少なくない。
また、どこからどう見ても敬虔なキリスト教徒などではなさそうな革命家ワーグナーも、「さまよえるオランダ人」から「タンホイザー」や「パルジファル」に至るまでキリスト教の「救済」を組み込んでいるし、ブラームスも、ドイツ語で聖書の語句を引用再構築するという裏技ながら「ドイツ・レクイエム」という大作をものしている。
イタリア・オペラという「世俗界」の作曲家たちも、ロッシーニ・ヴェルディ・プッチーニそろって宗教的作品にしっかり手を染めているが、これはカトリックの総本山ローマを意識してのことだろうか。
近現代になると、逆に、あまりにキリスト教真っ正面の作曲はいくぶん影をひそめるが、ユダヤ人で「カトリック」の呪縛に七転八倒したマーラーにしても、表だってキリスト教的な「宗教曲」は書いていないものの、「復活」や「千人の交響曲」には宗教的な香りがぷんぷんする。
ヨーロッパ中央楽壇から離れた異教徒的スタンスの「民族主義楽派」にしろ、いくぶんオカルト的な密教にテーマを求めたドビュッシーやサティ(一説にはワーグナーも)にしろ、まったく「キリスト教」あるいは「宗教的」な素材を取り上げなかった作曲家というのはきわめて少数派に見える。
近現代でも、あのシェーンベルクでさえ、集大成のオペラは旧約聖書が題材の「モーゼとアロン」だし、20世紀アメリカの寵児バーンスタインも(ロックっぽい現代性を持ちながら)「ミサ」を書いているし、前衛派と呼ばれたペンデレツキやリゲティも宗教曲を書いている。
クラシック音楽の系譜で完全に「キリスト教離れ」している(というより宗教がらみにノータッチ)の作曲家は、ピアノに固執したショパンとラヴェルくらいか。
それ以外では、ソヴィエト共産主義体制で大作曲家をやっていたショスタコーヴィチくらい。宗教的大作のはずのオラトリオも、彼の場合は「森の歌」。まあ、これも「スターリン教」の宗教音楽だと(皮肉めいて)言って言えなくもないのだが。
□神の頭文字はD。
と、ここで最初の「調性」の話に戻るのだが、そんな「宗教曲」でよく使われる特別な「調」というのがある。
それが「ニ長調」だ。
もともと「ニ長調(#2つ)」というのは、ヴァイオリン属の楽器には必ず開放弦としてある「D(Re)」の音が主音なので、弦楽器がのびのび響くのが特徴。
それは、ベートーヴェン、チャイコフスキー、ブラームス…というヴァイオリン協奏曲の名曲が揃って「ニ長調」であることからも分かる。
ただ、それだけではない「理由」がある。それは、「神」はラテン語で「Deus」、「ニ長調」は「D」。Dは、神の頭文字の「調性」なのである。
そこで、神に関わる曲を書く時、作曲家は「D」つまり「ニ長調」を選択するようになった。事実、バロック期前後には「テ・デウム」のような「神の賛歌」は、多くが「ニ長調」で書かれている。
例えば、ヘンデルの「メサイヤ」の中の、神を讃える有名な「ハレルヤ・コーラス」がニ長調。この曲、冒頭は(バッハのマタイ受難曲と同じ)「ホ短調」で暗く始まるが、神を讃える「ハレルヤ」の大合唱と、最後の「アーメン」のコーラスは「ニ長調」。これは完全に「神=D」を意識している。
ベートーヴェンの有名な「第九」も、(宗教曲ではないものの)フィナーレでは「この星空の彼方に父なる神が必ず住んでいる」と、神を歌い上げるため「ニ長調」。
その結果、冒頭の第1楽章は同主調の「ニ短調」になる。同じ理由で、宗教曲として書き上げた「荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)」もニ長調である。
ただ、この「神=D」にこだわるのは、古典派まで。その後は(さすがに「こじつけ」にすぎると思ったのか)宗教曲好きなブルックナーにしても、古典派回帰のブラームスにしても、「弦が良く鳴るキイ」としての「ニ長調」にしか興味がなくなったように見える。
(まあ、言ってみれば「迷信」みたいなものだから、それも当然と言えば当然のような気がするけれど)
ちなみに、音階が「ドレミファソラシド」と呼ばれるようになった理由は、ちょっと音楽に詳しい人なら一度は聞いたことがあるはず。(そう、11世紀頃、冒頭の歌詞がUt…Re…Mi…Fa…Sol…で始まるヨハネ賛歌から考案されたもの)
では、それより前、音階に「ABCDEFG」という名前が付いたとき、どうして「ド」ではなく「ラ」の音が「A」になったのか?
もうひとつ。その音階にどうして「#」と「♭」などというものを付けるようになったのか?
そして、どうしてそれを「シャープ(とがった)」とか「フラット(平ら)」などと呼ぶようになったのか?
その答えを知りたい方は・・・・・★
*
■ドレスデン聖十字架合唱団&
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団・・・★
ヘンデル:オラトリオ「メサイア」全曲
・2010年11月30日(火)18:30
東京オペラシティ・コンサートホール
J.S.バッハ「マタイ受難曲」全曲
・2010年12月3日(金)18:30。
サントリーホール
・2010年12月5日(日)14:00。
横浜みなとみらいホール
出演
ローデリッヒ・クライレ(指揮)
ユッタ・ベーネルト(ソプラノ)
森麻季(ソプラノ)メサイアのみ
マルグリエット・ファン・ライゼン(アルト)
アンドレアス・ウェラー(テノール)福音史家
クラウス・メルテンス(バス)
ヘンリク・ベーム(バス)
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コメント
牧歌といえばはヘ長調ですよね。ベートーベンの田園とか、メサイアの中のパストラーレとか。
でもこれらは"P"astorareでFじゃない。
やっぱりD調はまず音が明るい、というがあって、DeusのDは「お、同じ頭文字だ。こりゃいいや」というぐらいの意識かなぁ、と思います。
投稿: ふるふる | 2010/09/10 15:11
ありがとうございます。こういう本を求めてました。音のセットに短調とか長調と名前を付けるルールが判らなくて、小学校の音楽の時間が嫌いになったのです。
ゆっくり本を読みながら、コッソリ娘のピアノを押してみて、響きを確認したりしてます。
投稿: hotjam | 2010/10/21 06:26
おかげで、その1000年ほどの間に、音楽の科学的側面が徹底研究されるようになる。
例えば、音の振動比が1:2の「オクターブ」、および2:3の「完全5度」が「もっとも調和した響き」として確立され、さらに協和音としての「ドミソ」(音の振動数比が3:4:5)が理論として確立されるわけである。
キリスト教が起こってから、そのキリスト教の確立は大体A.D.300ぐらい。文面から、キリスト教が興ってから振動数比なども「理論として確立されるわけである」みたいに受け取れるが、だとしたらちがうのではないだろうか。ピタゴラスはBCのひとだけれども・・・・。もちろん1000年の間に、おっしゃるように「音楽の科学的側面が徹底研究されるようになる」けれども。
読みが甘かったらごめんなさい。
投稿: 岩間 けい | 2011/11/19 17:16