鳥たちの作曲法
むかし無名で貧乏な作曲家の卵をやっていた頃、同じ境遇の若い作曲家仲間にこう問われたことがある。
「もし自分の書いた音楽が誰の耳にも届かないとしても、
それでも君は作曲をするか?」
二十代の始め、大学もやめて完全に無職無収入のまま、独学で作曲の勉強だけしていた「どん底」の頃だ。実際、その前後数年にわたって、まったく誰の耳にも届かない音楽を作曲し続けていた真っ只中であり、考える余地もなく「もちろん、作曲する」と答えた。
もっと怖い問いもあった。
「誰の耳にも届かなかった〈音〉は
それでも存在したことになるのか?」
これは(特に音楽をやるものにとっては)かなり怖い想像だ。
音は発せられて空気を振動させる。でも、それが誰の耳にも届かなければ、それは〈音〉として観測されない。すなわち〈存在〉しないことと全く区別が出来ない。
作曲されても、演奏すらされない音楽は、そもそも空気を振動させることすらない。作曲家の頭の中には〈存在〉しても、〈音〉としてすら生まれることのない〈幻〉だ。
それでも、それは〈存在〉していると言えるのか。
弟子のそんな恐怖を受けて、師匠(松村禎三氏)はこう言ってくれた。
「誰の目にも届かない崖の下に咲いている〈花〉も
それは〈存在〉している。
そして真っ暗な洞窟の奥にある〈マリア像〉も
それは〈存在〉している。
同じように、誰の耳にも届かない音楽も
それは、確かに〈存在〉していると思うよ」
これは、普通の人にとっては単なる「イメージ・トレーニング」の域を出ない問いかも知れないが、当時の「若く無名で演奏されない音楽の作曲家たち」にとっては、かなりシビアな、そして命を賭けた問いでもあったのだ。
□信仰告白
その頃、いったい何を目指し何を信じて、お金にならないどころか誰の耳にも届かず演奏すらされない音楽を毎日毎日書き続けていたのか?…実は良く覚えていない。
あまりに思い出したくない記憶が多すぎて、頭の中からその時期の記憶がすっぱり抜け落ちているからだ…
おそらく西洋の作曲家なら(先のマリア像の如く)「神」…という「誰も見ないものを見、誰も聞かないものを聴いている存在」を空想(信仰)することで、自分を納得させるのだろう。
でも、残念ながら「二十世紀の東京」というすさんだ地に生まれた私には「信仰」など持ち合わせがなかった。
確かに、「神様」がどこかにいる…という想像は楽しいが、少なくとも「彼」が私のことなどすっかり忘れていることだけは確実なのだ。
デビュー作として書いた「忘れっぽい天使」には、そういう自虐的な信仰告白が刻印されている。
普通の音楽愛好家には意外に思われるかも知れないが、作曲家は決して「誰かに聴いて欲しい」と思って曲を書くわけではない。
もちろん、聴いてくれないよりは聴いてくれる方が嬉しいし、聴き手とのコンタクトは人生の重要な宝だ。
でも、それは作曲する「目的」ではない。
私自身、そもそも音楽を志した当初から、「職業としての作曲家」を目指したわけではなかったし、純音楽の作曲家が「(それで生計を立てられるという意味での)職業」だとすら思っていなかった。
それは、例えて言えば、「火星に行きたい」という「夢」のようなものと言ったらいいだろうか。
それで「生計を立てる」などというのではなく、誰かに認めてもらい褒めてもらいたいというのでもない。逆に、それを達成するためにすべてを犠牲にしてもいいし、全財産を投げ出してもいい。そして、行けたら死んでもいい。そういう類の人生の「目的」である。
だから、作曲家としてデビューして最初に音楽誌(今は亡き「音楽芸術」)からエッセイの寄稿を依頼されたとき、こう書いた。
「音楽というものがあまりにも素晴らしいので、
せっかく生きているのだから
せめて美しい音楽のひとつも書いてから
野垂れ死ぬのも悪くない」
それは、「作曲家宣言」であると同時に「遺書」でもあったわけだ。
□演奏家に出会う
それなのに(意に反して(笑)のうのうと生き残り、それからずっと、この歳になるまで「音楽」をやって来られたのは、これはもう、一にも二にも素晴らしい演奏家たちとの出会いのせいだ。その点だけは「神様」に感謝してもいい(もし、いたら…の話だが)。
実は、クラシックの「作曲」というのは、壮絶な世界である。
なにしろ「クラシック音楽界」というのは、18〜19世紀の西洋の天才たちが書き残した「遺産」の宝庫である。200年ほどの間に書かれたピアノやオーケストラのための膨大な名作があり、それを演奏したり聴いたり勉強したりするだけで、普通の人ならたっぷり一生かかる。
しかも、それらの曲は(作家が死んでたっぷり50年以上たっているので)著作権フリーで、演奏も録音も自由。これらの「遺産」を食いつぶしていれば、演奏家たちもレコード会社も充分暮らしてゆける。それが天下御免の人類遺産「偉大なる不滅のクラシック(古典)」というわけだ。
そんな「遺産御殿」に、生きている作曲家がのこのこと「新しい曲を書いたんですけど…」などと言って楽譜を持って行っても、門前払い確実である。演奏家たちはまず全くと言って良いほど興味を示してはくれない。
ごくたまに「遺産ばかりの日々にも飽きたし…」という酔狂な…もとい、奇特な演奏家がいないでもないが、それでも、せいぜいリサイタルやコンサートで「ちょっと箸休めに」演奏する10分ほどの曲があれば、それで充分。コンサートのメインにするつもりなどはさらさらない。
そこで「現代の」作曲家たちは、過去にはなかったタイプの「聴いたことのない音楽」を作るため、艱難辛苦の末、調性を外しリズムを取っ払いメロディを解体した新しい音楽を開発したのだが……
…それは、演奏家にとっても聴衆にとっても単なる「聴きたくもない音楽」でしかなかった。この音楽史最大の不幸は、悲劇だったのか喜劇だったのか…
*
しかし、クラシック音楽界と言えども、「遺産」の恩恵に浴している人たちだけではない。そこには、本心から「新しい曲(財産)が欲しい!」と思っている人たちもいる。
それが「大作曲家たちによる名作を残されていない恵まれない楽器たち」の演奏家である。
そこで「誰の耳にも届かない音楽」の作曲者だった私も、同時代に生きる「何でも良いから新しい音楽が欲しい」演奏家たちと出会い、「利害関係の一致」から「同志」になり、音楽の共同制作が始まったわけだ。
実際、私の記念すべき「デビュー作」(初めて一般聴衆の入ったコンサートで演奏された作品)となったのは、クロマティック・ハーモニカという…おそらくクラシック系の作品は皆無な楽器のための「忘れっぽい天使」という作品だった。
これは、崎元譲氏というこの楽器の名手との出会いがなければ生まれなかった作品であり、私にとっても全く予期しなかった新しい音楽との出会いとなった。
続いてギター。これもバロック系やスペイン系の名作小品は多いものの、クラシック界では「アランフェス協奏曲」以外にオーケストラと共演できる作品はほぼ皆無という「恵まれない楽器」と言えなくもない。
この楽器には、山下和仁氏という新世代の「神」演奏家との出会いから、協奏曲(天馬効果)および、三部作(風色ベクトル、水色スカラー、空色テンソル)が生まれた。
さらに、ファゴット(馬込勇氏)のための協奏曲(一角獣回路)、トロンボーン(箱山芳樹氏)のための協奏曲(オリオン・マシーン)、サクソフォン(須川展也氏)のためのソナタ(ファジーバード)と協奏曲(サイバーバード)。そして、邦楽器(二十絃、尺八、そして雅楽!)のための作品たち。
いずれも、過去の大作曲家たちが作品を残さなかった不遇な?楽器たちのための音楽であり、これらはみんな、演奏家からの「とにかく曲が欲しい!」という切なる願いと熱意に応えて生まれたものだ。
こういう「演奏家との共同作業」…いや、もっと根源的な深いところでの「お互いの遺伝子を交換する作業」というべき「音楽作り」の楽しみを知ったことが、この壮絶なる世界で作曲家を何十年も続けることになった最大の理由と言えるだろうか。
これはもう「生きる」ということの根源に近い「遊び」の境地だ。そこには「芸術」も「神」も「お金」も関係ない。
遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけん
そんな「遊び」の中で生まれた(作曲家だけが味わえる)究極の「楽しみ」を象徴する出来事として、ファゴット協奏曲が初演された時、現代音楽のとある先輩作曲家にこう言われたことを、苦笑と共に思い出す。
「この曲は、少なくともボクが知っているファゴット・コンチェルトの中で最高の曲だよ」
「でも、ボクが知ってるファゴット・コンチェルトは、キミの曲だけだけどね」
これは「作曲家の愉しみ」としては、最高のものだ。その後、同じような皮肉を聞きたくて、トロンボーン・コンチェルトやサクソフォン・コンチェルトを書いたと言ってもいいかも知れない(いや、冗談でなく)。
もしかしたら「緩やかな自殺」に等しい行為なのではないか?と、あれほど苦悩した「誰の耳にも届かない音楽」の先にあった思いがけない世界は、今、音楽の不思議と素晴らしさとをしみじみ感じさせてくれている。
世界は本当に面白い。
■組曲「優しき玩具たち」op.108
左手のピアニストになられた舘野泉さんとの出会いも、そんな音楽の不思議さを改めて感じさせてくれた出来事だ。
ほんの数年前まで、自分が「左手のピアノのための音楽」を作曲するなどとは想像もしたことがなかったし、もちろん舘野さん自身も、自分が「左手のピアニスト」として活躍することになろうとは、微塵も想像もしなかったはずだ。
それが、いつの間にか「タピオラ幻景」(全5曲)に始まり、「アイノラ抒情曲集」(全7曲)、「ゴーシュ舞曲集」(全4曲)という独奏曲を書くことになり、さらに左手ピアノ用にアレンジした「3つの聖歌」、3手連弾用の「子守歌」「3つの子守歌」、さらに左手のためのピアノ協奏曲「ケフェウス・ノート」という曲を書くまでに至った。(もしかしたら「世界で最も多く左手ピアノの曲を書いた変な作曲家」としてギネスブックに載るかも知れない?)
そのうち半分以上は、「頼まれもしない」のに書いた曲なのだが(笑)、そこまで深入りしてしまった理由は本当にシンプルなもので、「演奏家から求められること」の喜び、という一言に尽きる。
それでも、さすがに調子に乗って「作り過ぎた」感は否めず、しばし自粛を考えていたのだが、昨年2月、舘野泉さんの受勲パーティでこう耳打ちされてしまった。
「来年(2010年)、演奏生活50周年の記念コンサートを開くことになったのですけれど、芸大の同窓で盟友の2人、トランペットの北村源三さんとクラリネットの浜中浩一さんと一緒に演奏できる曲を書いてくれませんか?」
それにしても、舘野さんの左手のピアノは、次から次へと色々な音楽が飛び出してくる魔法の玉手箱のようだ。色々な作曲家が、色々なキャラクターの曲を書いてきては、舘野さんがそれを演奏する。
抒情的で美しかったり、現代風でおどろおどろしかったり、ジャズ風に洒落ていたり、その色彩と反射の妙は万華鏡のようにきらきらと変幻自在だ。
今回も、「クラリネットとトランペットとピアノ!!!」という世にも不思議な編成の音楽については・・・断言しても良いが、そんな世にも不思議な編成の曲は音楽史上一曲もないし、書かれるとも思えない・・・作曲家としては「ありえない」と思った。
でも、書いてしまった(笑)。
たぶんチェロとかヴァイオリンのような和音を弾く楽器が要りますね…と言うと、「息子と弟がヴァイオリンとチェロを弾くので、一緒に演奏できればさらに嬉しいですけど」というダメ押しのひとこと。
結果、左手ピアノ、クラリネット、トランペット、ヴァイオリン、チェロ……という逃げも隠れも出来ない「編成」が決まってしまった。
ところが、この編成、作曲家的には「ありえない組み合わせ」ながら、ひな壇に並べてみると、意外にも見事なバランスであることに気付く。
まず舘野さんのピアノが「王将」。
その横に、息子さんたちが「金将(ヴァイオリン)」「銀将(チェロ)」としてがっちり脇を固める。
そして、その左右に、舘野さんとは芸大の同級生で、それぞれ日本を代表する名人の「飛車(クラリネット)」と「角行(トランペット)」が攻撃と防御を担当する。
まさに完璧に近い布陣なのである。
タイトルは、組曲「優しき玩具たち」とした。
これは、旧作「優しき玩具」とリンクした曲があることに因るが、元々は…もちろん石川啄木の「悲しき玩具」のもじりである。
曲は、まず舘野さんが「玉手箱」ならぬ、「おもちゃ箱」を開ける「プロムナード」(ムソルグスキーの「展覧会の絵」風に!)から始まる。
すると、さまざまなタイプの音楽が玩具箱から飛び出してくる。オモチャたちの舞曲や行進曲、クラリネットを吹くピエロの人形、トランペットを吹く兵隊の人形、鳥たちの歌う聖歌、十二音で踊る狂乱のダンス。
全体の構成はこんな感じだ。
1.プロムナード Promenade
2.南西からの舞曲 Dance from South-west
3.散漫なロマンス Diffuse Romance
4.行進曲の遠景 Distance of March
5.信号手の回想 Memoir of Trumpeter
6.聖歌を歌う鳥たち Birds in Hymn
7.アーノルド博士のワルツ Waltz for Dr.Arnold
8.虹色の祝祭 The Feast in Rainbow
この曲、「玩具」と題されてはいても、子供のための音楽ではない。ここでの「玩具箱」は、子供部屋にある「オモチャ箱」ではなく、大人が、何十年ぶりかで開く昔の「玩具箱」だからだ。
そこに入っているのは、古びた小さな人形だったり、錆びてくすんだブリキのラッパだったり、ぼろぼろになったピエロの人形だったり…
でも、開けると同時にそれらは輝き出す。そして、そこには「誰にも見えない」昔の思い出や記憶が詰まっている。
時には、悲しい曲に心から笑い、楽しい曲に涙を流す。それが「大人になる」ということだ。
そんな「玩具」たちの心が聞こえてくれると嬉しい。
■マリンバ協奏曲「バード・リズミクス(鳥リズム法)」op.109
もうひとつ、この夏に「優しき玩具たち」に続けて書いたのが、マリンバのための協奏曲である。
こちらは若い女性マリンバ奏者、三村奈々恵さんの委嘱で作曲したものだ。
マリンバ(Marimba)はアフリカ原産で、長さの違う木の板を並べて棒(スティック)で叩く楽器。「リンバ」がアフリカのバンツー語で「木の棒(板)」という意味、その複数形が「マ・リンバ」なのだそうだ。
このアフリカ原産の民族楽器マリンバは、木の板の下にヒョウタンを吊して、それを共鳴胴にするもので、音域はせいぜい1オクターヴ半ほど。
現在使われるような「マリンバ」になったのは、20世紀になってからで、中南米(グァテマラ、メキシコあたり)が起源らしい。
現代のマリンバは、木の板をピアノの鍵盤と同じような順番に並べ、各板の下部には金属のパイプが共鳴管として付いている。
音域も4オクターヴ(中には5オクターヴのものもある)と広く、それを先端にゴム球の付いた木の棒「マレット」で叩く。
木琴(シロフォン)は、高音が鋭く音域も狭い(多くの場合、共鳴管を持たない)木質打楽器だが、マリンバは、中低音域の深みのある響きが特徴。
マレットの先端の材質の違いで、ソフトからハードまで音色を変えわれるほか、トレモロ(ロール奏法)でメロディを歌ったり、複数のマレット(基本は左右2本ずつ計4本)でハーモニーを作ったりすることも出来る。
個人的にも、自作のオーケストラ曲でのマリンバの使用頻度はかなり高い。交響曲第2番「地球にて」のフィナーレは完全にマリンバ(+カリンバ)によるリズムの饗宴だし、最近ではオーケストラ版「タルカス」のハモンドオルガン風アタックのパッセージはマリンバを多用している。
マリンバの作品としては、むかし安倍圭子さんに頼まれて書いた(…なぜか演奏された記録のない)「バードスケイプ」(op.20/1984)という「幻の」曲があるほか、山口多嘉子さんのパーカッションのために書いた作品の中に、マリンバが入っているものがゴッソリある。
パーカッション群のための「鳥リズム」(op.46/1991)、ホルンとパーカションのための「ミミック・バード・コミック」(op.63/1995)、ピアノとパーカッションのための「チェシャねこ風パルティータ」(op.94/2005)などなど。
当然、新しい世代のマリンバ奏者として三村奈々恵さんのことは知っていたし、CDも聴いていたので、「マリンバのコンチェルトを」と頼まれた時、別に悩むこともなく、頭の中でアフリカの鳥たちと一緒にリズムを奏でるマリンバの音が鳴り始めた。
タイトルは、実を言うとふと思い付いた「モッキンバード」(木琴だけに…)というオヤジギャグ?が頭の中をグルグル回って困ってしまったのだが、最終的に「鳥たちのリズム法」ということで「バード・リズミクス(Bird Rhythmics)」とした。
曲は3つの楽章からなる。
第1楽章:Bird Code(鳥の符号)
鳥の断片的な鳴き声(符号)の中からマリンバがゆっくり音を刻み始め、やがてすべてを巻き込むリズムの交錯へ広がってゆくアレグロ楽章。
第2楽章:Rain Song(雨の歌)
大地をぽつんぽつんと落ち始める「雨」によせる歌。中間部では呪術的な「雨乞い」の舞踏が始まり、ふたたび「雨の歌」に回帰する。
第3楽章:Bird Feast(鳥の饗宴)
極彩色のアフリカの鳥たちとマリンバによるリズムの饗宴。熱帯的で楽天的(人生肯定的)なフィナーレ。
この曲を書いている間中、日本は記録的な猛暑日が延々と続き、頭がほとんど「亜熱帯」になっていたせいか、アフリカのリズムによる「音の遊び」が心地よかった。
なにしろ、誰の耳に届かなくても、森には鳥たちの歌が満ちているし、大地にはリズム(生命の律動)が満ちている。
つまるところ、地球という「オモチャ箱」から聞こえてくる夢、
それが「音楽」なのだ。
とすれば、存在するかどうかで悩む必要など全くなかったことになる。
それは確かに私たちと共に「ある」のだから。
*
□組曲「優しき玩具たち」
舘野泉デビュー50周年 自主公演リサイタルツアー
ピアノ・リサイタル2010
2010年10月22日(金)
札幌コンサートホール リサイタルホール
2010年10月26日(火)
福岡銀行本店ホール
2010年11月10日(水)
東京オペラシティコンサートホール
2011年 2月06日(日)
いずみホール(大阪)
*記者会見
□マリンバ協奏曲「バード・リズミクス」
独奏:三村奈々恵
2010年11月27日(土)
京都市交響楽団定期演奏会/京都コンサートホール
2011年1月22/23日(土/日)
山形交響楽団定期演奏会/山形テルサ
2011年5月21日(土)
東京フィル「響きの森」コンサート/文京シビックホール
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