クラシック音楽の新しいレパートリーを考える
昨年秋の、新政権による行政刷新委員会の事業仕分けは、音楽界にも飛び火し「どうして2番じゃいけないんですか?」という驚愕の質問と共にクラシック界にも衝撃が走った。特に、オーケストラへの助成金の見直し…という一項には、あちこちから悲鳴に近い声が上がったほどだ。
当然ながら、指揮者やオーケストラ関係者を中心に政府への抗議の声が上がったわけなのだが、実を言うと政治家サイドの「芸術に対する無理解な発言」などより遙かに衝撃的だったのは、その後ろで一般市民からあがった「どうしてオーケストラなんかに我々の税金を投入しなければならないの?」という素朴な疑問と冷たい批難の声の方だった。
そもそも日本における「クラシック音楽」というのは、明治以降「西洋に学べ」「西洋に追いつき追い越せ」という国是の中で推奨されてきたもの。かつてはドイツ人のようにベートーヴェンを演奏し、イタリア人のようにオペラを演じる…ことがすなわち「近代化」であり、「文明国」の仲間入りの指針だった。
特にオーケストラというのはその象徴であり、国あるいは都市がオーケストラを持っていると言うことは、経済的に豊かで安定し、市民の(西洋基準での)知的文化水準が高く、治安もよく一般市民の生活水準が保証されている、ということの証でもあった。
だからこそ、世界の多くの国家や都市は、公的な予算を投入してオーケストラを保有し、その水準を上げることに勤めてきたわけだ。
ただ、冷静に考えてみると、オーケストラが演奏する「クラシック」といわれる音楽は、ヨーロッパという地域限定の18〜19世紀からせいぜい1920年代あたりまでのもの。日本で言えば、江戸時代後半からせいぜい明治時代であり、「歌舞伎」とか「落語」と同じくらいの時代の文化である。
それは日本にとっては、まさに「鎖国」から「明治維新」までの「もっとも西洋とリンクしていなかった時代」の異国の音楽。極端に言えば「日本文化とは完全に無縁の音楽」である。
だからこそ「異文化の吸収」の指針になっているわけなのだが、この点に気付くと、「どうして税金を投入してまで(まったく自分たちの文化とは相反する音楽を)保護しなければならないのか?」という疑問がわき起こるのは避けられないのかも知れない。
日本が歌舞伎や落語や大相撲などを「文化」として保護し国費を投入するのは分かる。そして、ドイツやイタリアがオーケストラやクラシック音楽そのものを「文化」として保護育成するのも分かる。なぜなら自分たちの国の古の文化なのだから。
しかし、日本がクラシック音楽やオーケストラを保護するのは、ドイツが落語や大相撲を保護するようなもの。景気が良くて膨大な資金がある時代ならともかく、不況で一般市民の生活すら危うくなってきた時代にそれを優先するのはおかしいのでは?…という疑問が、事業仕分けをきっかけに大きなハテナとなって浮上してしまったわけだ。
■国と音楽
もっとも、その点については、特に愛国主義に燃えなくとも、普通に疑問に思うことなのだろう。明治以降、多くの日本の音楽家が「自分たちの国の音楽」を作るべく努力を重ねると同時に、政治サイドからも「国産の音楽を優先してやるべし」というバックアップがあった時代が存在した。
政治的に見れば「保護貿易」?のような発想で、「外国の音楽ばかりを演奏する」のではなく「邦人の音楽を演奏すべし」ということだったのだろう。特に戦前戦後の一時期は「コンサートでは国産の曲を入れるべし」「放送でも邦人の作品を優先して選曲すべし」…という政治的な保護に直結した。作曲家にとっては、嬉しいような有り難迷惑のような微妙なバックアップではあるのだが。
さらにこの保護政策は、戦前のキナ臭い時代には「敵性音楽(敵国の音楽)」を禁止する動きにも繋がった。…のだが、そもそもクラシック音楽の主たる作品はドイツかイタリア産。両国とも日本とは同盟国(日独伊)の間柄だったので、ベートーヴェンやブラームス、あるいはイタリアオペラの名曲を演奏するのはOK(ロシアも大戦末期までは敵国ではなかったので、チャイコフスキーやリムスキー=コルサコフなどもOK)。さほどこじれた話にはならなかったようだ。
そんな時代の風潮の中で、日本でも結構、民族主義的かつ大衆的な作風のクラシック系作品が生まれている。例えば、近代オリンピック・ベルリン大会(1936)には「音楽部門」というのがあって、日本からも山田耕筰、諸井三郎、箕作秋吉、伊藤昇、江文也という5人の作曲家が参加している(ちなみに、この時は江文也が銅メダル)。
クラシック系音楽の新作も、当時はそれなりに世界進出の役割を果たす可能性を期待され、国がバックアップするだけの価値を持っていたことになる。
しかし、巨大な問題が一つ。国が推奨すると言うことは、軍事的・外交的・経済的にメリットがある場合に限るのだから、「国策」に沿った音楽であることが必須。ヒトラーの時代のドイツ、スターリンの時代のソヴィエトを思い起こせば分かるように、国策に沿った=すなわち軍国主義礼賛的な作品は、時代に隷属せざるを得ない。
結果、当時は国威発揚としておおいに賞賛され利用された作品は、現代では戦争に荷担した音楽として歴史から抹殺されることになった。そして、その逆に時代に背を向けた作品は、時代の風に吹き飛ばされて跡形もなく消失した。
かろうじてその時代を生き延びたショスタコーヴィチの音楽などでその片鱗を垣間見ることは出来るが、その影で膨大な数の作品が抹殺され消滅させられたことは想像に難くない。
■終戦そして前衛の時代
そして、1945年、人類史上空前の犠牲を払った世界大戦が終わると、今度は(当然ながら)戦争の狂気への反省から、「民族主義」「国威発揚」「闘争勝利」の匂いを持つ音楽は全否定されるようになった。時代は常に移り気で冷酷だ。
その反動から一躍表舞台に躍り出たのが、思想的に「自由」で「モダン」な音楽。かつては「伝統」や「旧体制」に反するゆえに日陰の道を歩んできたが、その伝統や旧体制が瓦解したこの時期には、手っ取り早く(軍国主義でない)「新しい時代」をアピールできる強力アイテムとなった。
特に、戦時中、軍事的に開発されていた色々な技術…電気回路や放送・録音など…は文字通りの「新しい(聴いたことのない)サウンド」の宝庫であり、それを応用することで、若い世代の作曲家たちは労せずして「誰も聞いたことのない新しい音楽」を発信することが出来た。
この「戦争が落としていった新しい技術」と「新しい時代という夢」が激しい化学反応を起こし、「前衛(アヴァンギャルド)」という表現指向は隆盛を極める。そして、この「新しければすべてOK」という傾向は、戦後からいわゆる高度成長時代の1960年代に(戦争を知らない)若者文化の台頭と共に全盛を極めたわけである。
そんな特需に乗って、いわゆる「現代音楽」も全盛期を迎える。なにしろレパートリーになるかどうか、経済的にペイするかどうか、大衆に理解されるかどうか…などなど、本来なら「音楽」に問われるすべてのことを全く考慮しない(芸術的な)「音響作品」が可能だった。ある意味、芸術家たちにとって理想の時代だったと言えるかも知れない。
そのピーク(であり最後の輝き)が1970年の大阪万博前後だろうか。シュトックハウゼンがまるで国賓待遇で来日し、当時30〜40代の現代音楽作曲家たち(武満徹、黛敏郎、湯浅譲二などなど)が政府や大企業のパビリオンの音楽を担当し、現代音楽サウンドを一般大衆のレベルにまで広めた。
おかげで農協の旅行で万博を訪れた一般庶民までもが、現代音楽というと「ああ、あのガリガリギーギー言うわけの分からない音楽ね」と認識するまでに至った。そして、その余波はいまだに尾を引いているほどだから、どれほどのインパクトだったかは推して知るべし。
思えば、これが「現代の音楽」と「一般社会」がかろうじてリンクした最初にして最後の蜜月期?と言えるだろうか。(これは、もちろん皮肉です。念のため)
ところが、調性の破壊や騒音から特殊奏法そして電子音まで、片っ端から極限までの新しさを追求した結果、普通の耳で聞き分けられるような「新しさ」は、あっと言う間に底をつくことになる。
普通の人間がすべて普通の格好をしていた(そしてラジオのノイズすら新しかった)時代には、ぬいぐるみの怪獣と不思議な電気ノイズだけでみんな驚いて恐怖してくれたが、それは最初だけ。
やがてすぐに慣れてしまうと、キバをはやそうがウロコを生やそうが首を8つにしようが「どれも同じ」になってしまう。「前衛」が生み出した音楽は「新しい」ゆえ衝撃を持って迎えられたが、20年と立たずに聞き飽きられてしまったのである。(それは、一目惚れで即結婚したカップルが、ハネムーン帰りの成田であっさり離婚してしまったようなものだろうか…(泣)
■そして個の時代
私が〈クラシック系創作音楽〉の世界に身を投じたのは、まさにこの頃。思えば最悪のタイミングだった。200年の伝統を誇る西洋音楽の末裔であり「現代」の最先端を行く巨船……と思って乗り込んだところ、氷山にぶつかって沈没しかけているタイタニック号だった、という感じか(笑)。
しかし、それはこの時代を生きた作曲家たちなら共通して持っていた「苦悩」だったに違いない。つまり、少年時代ごく普通にピアノやクラシック音楽を学び、すくすくと才能を伸ばしその行き着く先として〈作曲家〉への道を選んだのに、そこではもはや「書くべき音楽」がデッドエンドになっていることに気付かされたのである。
演奏家はまだいい。ショパンを弾くにしろチャイコフスキーを弾くにしろ、古き良き時代のクラシック音楽の世界に留まることが出来る。しかし、作曲はその道を喪失してしまった。これはまさに青天の霹靂だったわけなのだ・・・
かくして、その後(1970年代以降)のクラシック系芸術音楽の創作界は、ほぼ3つに分裂してゆく。
・ひとつは、60年代までの「現代(前衛)音楽」のスタイルに固執し、それを「伝統」と捉え、閉鎖的なサークルを作って「60年代までの夢の時代よ、もう一度」…と(現実には目をつぶって)突き進む一派。
・もうひとつは、そんなクラシック系音楽界をきっぱり見限り、ロックやジャズのような違った音楽ジャンルで大衆向けの視点を持って自身の音楽的才能を全開しようとする一派。
・そして、テレビや映画のようなジャンルに「実用的な(純音楽ではない)」音楽を供給することで自分の音楽を全うしようとする一派(これは群れを成さないので、個人と言うべきか)。
1970年代にポスト・ビートルズ世代による新しいロック(例えば「プログレッシヴ・ロック」など)が開花したのも、本来ならクラシック音楽界に進むはずの「音楽(作曲)の才能のある青年」たちが、ロック界に流れ込んだのが原因の一端にあるような気がする。
日本でも、戦後のこの時期までは(まだ〈クラシック音楽界〉というのがステータスになり得たので)「クラシック界で主たる活動をしつつ、映画など二次的な音楽活動もする」…というスタンスの作曲家が多かったが、この時代を境に、はっきり映画なら映画テレビならテレビとジャンルを特化したプロの作曲家が増え始める。
結果、それに続く多くの才能ある「作曲家の卵たち」がクラシック音楽を捨て、商業音楽の世界に続々と流出し始める。
なにしろ、同じ電子音やテープ・コラージュを作るのだって、現代音楽界よりロックやポップス界の方が(世界的ヒットを期待できる分)遙かに高価な機材を駆使できるし、「斬新で」「ポップで」「大衆的で」なにより経済的・社会的・芸術的すべての面において「成功」することが可能なのだ。
そして、豊饒な響きのオーケストラが書きたければ、クラシック音楽界より映画音楽界の方が100倍も1000倍も自由に才能を開花できる。とっておきのメロディが書ければ経済的にも大きな報酬に繋がる。
また、ロックやジャズや民族音楽などとのコラボレーションも、CMやゲーム音楽の中では自由であり、冒険どころか奨励してくれる。現代音楽界などより遙かに大きい「音楽的な新しい試み」が可能なのだ。
なにしろ、そこにはちゃんとした「音楽への需要」があり、経済的にも機能するため、機材にしろスタジオにしろ演奏家にしろ最高のものが結集する。その結果、努力と優劣に応じた報酬が保証される。
そこでは、自分勝手さを「芸術」と言い張るような逃げや甘えは通用しない。こちらの方が本当の「プロ」の世界と言うべきだろう。
かくして、1970年代以降、音楽の才能がある作曲家がクラシック音楽界に留まる理由…というのが消失してしまったわけなのである。
■さらなる苦難の道
…などと書いてゆくと「そこまで分かっていてクラシック音楽で作曲をやってるのはなぜ???」と言われそうだが、まだまだ茨の道は続く。
にもかかわらず(そんな様々なデメリットを乗り越えて)「クラシック系音楽」に新しいレパートリーを作曲することに挑戦するといかなることになるか、をお話しよう。
まずは、新しい作品に対する「壁」というのにぶち当たる。
一番の巨大な壁は、「クラシック名曲」の壁だ。
◇名曲の壁
いわゆる「現代音楽」的な曲を現代音楽専門のコンサートで演奏する限りは、マニアがマニアの音楽を聴き合っている狭い閉鎖空間。例えて言えば、トカゲやヘビやムカデが並ぶところに「爬虫類マニア」や「鱗マニア」が集まってくるのだから、不協和音や変な音を「気持ち悪い!」などと言う人はそもそも紛れ込んでいない。
逆に、ちょっとウロコが光っていたり、尻尾がトゲトゲだったりすれば「おおー」と感嘆の声が上がる。「普通の人が見たらヘンに思うんじゃないか?」などと我に返りさえしなければ、楽しくも温い世界なのである。
しかし、「普通の音楽」として勝負する場合は、そうはいかない。なにしろ、マニアでも何でもない普通の聴衆の前で、モーツァルトやチャイコフスキーやドヴォルザークのような誰もが名曲と認めている曲と一緒に並べて演奏されるのだ。
これはもう、最盛期のバレンチノやゲーリー・クーパーやアラン・ドロン(たとえが古いか)など古今の美男が並ぶ中にぽんと押し出されてハンサム度を比べられてしまうようなもの。
ポッと出のアイドル歌手や学校一のイケメンという程度のオトコが「調性」や「メロディ」の破片をまとったくらいでは太刀打ちできない恐怖の世界なのである。
そういった伝説の八頭身美男俳優が並ぶオーケストラのコンサートに、日本人体形の新人が登場する場合は、お情けで冒頭10分くらいの「お耳汚し」の前座を務めさせられるのが常。(ちなみに、15分を超えようモノなら張り倒される)。
なにしろお客は「お馴染みの美男俳優たち」を見に来るのであって、前座は「余計なことをせず、ちょっとくすぐってさっさと消える」のが役割。そのあたりを良く分かった常連客は、そもそも10分ほど遅れてコンサートに来るので、お耳汚しは聴かないで済むという仕組みである。
この強固な伝統を打ち破り、ベートーヴェンやアラン・ドロンを押しのけて(?)トリにのしあがるのは、それはもう並大抵のことではないのである。
◇著作権という壁
著作権のシステムというのは、音楽を上演したり録音したり放送したりすると、各国の著作権管理団体の規定の料金が発生し、その分配金が死後50年(国によっては70年)にわたって作曲家(およびその権利所有者)に支払われるというもの。
これは、「作曲者」にとっては、「自分の曲が演奏されれば(ちゃんと)お金になる」という一見理想的なシステムに見える。
でも、これのおかげで、現代の新作は大いなるリスクを抱えているのも事実だ。
なぜなら、「使用(演奏)する側」から見ると、モーツァルトやベートーヴェンのような作曲家の作品は(著作権が切れているので)無料で使い放題。なのに、生きている作曲家の作品を演奏したり録音したりすると、「許可」および「使用料支払いの義務」が生じることになるからだ。
これは、良く言って「関税」、悪く言えば「ペナルティ(罰金)」を課せられるようなもの。なにしろ、新しい作品を演奏するには「関税を余計に払え」、あるいは「罰金を払え」と言っているのに等しいのだから。
例えば、古いヨーロッパ産のものは(持ち主が死んでいるので)極上ワインでも宝石でもドレスでも「みんなタダ」。一方、国産の新しいモノは生産者が一生懸命作ったぶん税金がかかるので「一つ10,000円」。そういう世界で、新しい国産の酒を売るのがいかに大変か。ご想像頂きたい。
しかも、そんな「犠牲」の上に作曲家に支払われる著作権使用料というのは、オーケストラ・コンサートで15分程度の新作が演奏されて、多くてせいぜい1万円前後(時には数千円)。
世界中のオーケストラがこぞって演奏するようになったとしても、その金額はとても「大の大人が仕事として生涯をかける」レベルではない。こんな業界に才能が集まってくるわけがないのである。嗚呼。
■新しいレパートリーは可能か?
……と書いてきて、いよいよ「どうしてそこまで分かっていてクラシック音楽で作曲をやってきたのか」…分からなくなってきた(笑)
私は、かれこれ40年、「オーケストラ」という楽器に憧れて「音楽」の道を突っ走ってきた。もちろん60年代の前衛音楽はどっぷり体験したが、問題の1970年頃にはシンセサイザーに出会い、ロックやジャズを体験し、コンピュータにも出会った。そして「新しい時代の音楽」の流れはもはやクラシックから離れたと確信するに至った。
にもかかわらず、オーケストラに新しいレパートリーを提供する…という作曲姿勢は、作曲家としてデビューしてから30年変わることはない。
それは(…まあ、単に私が「バカである」ということもあるかも知れないが)、オーケストラが作り出す音楽(音響)こそが、すべてを凌駕する「人類の音楽」だという確信が(不思議なことに)まったく変わらないからだ。
盟友:藤岡幸夫氏が、指揮の師匠である渡邊暁雄師に繰り返し言われたという言葉がある。
「我々音楽界の人間は、
過去の作曲家の音楽を演奏して生きている。
だから、今の作曲家にその恩返しをしなければならない」
これは作曲家にも言える。
現代の作曲家は、過去の多くの作曲家たちが無償の愛を注いで生み落とした音楽を聴き吸収し、それを糧として作曲家の今を生きている。
だから、その系譜に自分なりの愛とメッセージを注ぎ返して、次の世代に引き継ぎ手渡す義務がある。
確かに、音楽の世界は一見(私たちのかすかな努力などちっぽけな塵芥に思えるほど)豊饒だけれど、明治時代以前の(著作権が切れた)音楽遺産を食いつぶしてゆくだけで、これから先クラシック音楽が(特に日本で)生き残れるとは思えない。
先の事業仕分けに象徴されるような「正論」が突きつけられる危険は、常にあるからだ。
ジャズにしろロックにしろ、確かに外来音楽として入ってきた黎明期にはスタンダード・ナンバーをコピー演奏していた。でも、すぐにオリジナルを演奏し「自分たちの音楽」にしてきたはず。今はもう改めて「オリジナル」だの「新作」だの謳う必要もないほど、オリジナルの新曲を演奏するのが普通になっている。
それなら、オーケストラだってクラシック楽器だって、私たちの時代の、私たちの世界の、私たちの感性によるレパートリーを新しく作り増やしてゆく時代が来て当たり前なのだ。
そのために作曲家として出来ることは・・・
良い曲を書いて、とっとと死んで、著作権が切れる死後50年(70年はきつい!)に次の世代に手渡すこと・・・(って、こんな結論で良かったのか??)
*
東京フィル 新・音楽の未来遺産
New Classic Remix vol.1 ”Rock & Bugaku”
・吉松隆:アトム・ハーツ・クラブ組曲第1番
・ドヴォルザーク(吉松隆:編曲)アメリカ Remix
~弦楽四重奏曲「アメリカ」によるピアノとオーケストラのための
・黛敏郎」BUGAKU(1962)
・K.エマーソン(吉松隆:編曲)タルカス
ピアノ:中野翔太
演奏:藤岡幸夫 指揮 東京フィル
監修:吉松隆
2010年 3月14日(土)15:00開演
東京オペラシティコンサートホール(初台)
入場料:S席¥5,000、A席¥4,000、B席:¥3,000、学生¥1,000
申し込み・問い合わせ:東京フィルチケットサービス:03-5353-9522
*コンサートの詳細はこちら