2010/12/10

金管楽器の楽しみ

Brass オーケストラの音楽を書く楽しみのひとつに「金管楽器をバンバン鳴らす」というカタルシスがある。
 オーケストラは、繊細な音、軽妙な音、重厚な音、哲学的な音、色彩豊かな音などなど、さまざまな音を出すけれど、曲を締めくくる最後のクライマックスは、やはりブラス(金管)の出番だ。

◇起源は「動物の角」

 この「金管楽器」属、現在ではほとんど金属…それも真鍮(Brass:銅と亜鉛の合金)で作られているため「ブラス」(ブラス・セクション)と呼ばれる。

 オーケストラで使われるのは、
 ・ホルン
 ・トランペット
 ・トロンボーン
 ・チューバ
 の4種。近代ではこれにサクソフォンが加わる。

Horn_cow 金管…と呼ばれるからには、人間が「金属」の製錬技術を持ってから以降の近代の楽器ということになるが、それ以前にも金管楽器の原形はあった。
 それは、動物の角(つの)だ。

 動物(主に牛)の、中が空洞になっている(湾曲した)円錐形の角に、強く息を吹き込むと「プー」とか「パー」というような大きな音がする。これが「角笛」。ヨーロッパの神話や民話などにはよく登場するアイテムである。

 そもそも「角」のことを英語では「ホーン」といい、それを吹いた楽器はそのまま「ホルン」という。どちらも同じ「Horn」。
 このあたりが「金管楽器」の先祖ということになるだろうか。

Horab 日本では山伏が吹く「ホラ貝」が同系統の楽器。大型の巻き貝を、同じく中の空洞を利用して強い息を吹き込む。これも「ぷお〜」という大きな音がする。音程は確かではないが、とにかく「大きな音」が出るので、戦国時代には戦の合図に使われ、修験道では怨霊調伏や山間での仲間同士の合図などに使われた。

 ちなみに、でまかせの大ウソをを付く(大口を叩く)ことを日本では「ホラを吹く」というが、西洋でも「ホーンを吹く(blow your own horn)」というそうで、このあたりの連想は同じらしい。

 ただし、この種の「ホーン系楽器」、動物のツノやホラ貝は大きさもまちまちなので、音の高さは一定ではなく、当初は「楽器」というより、もっぱら「信号」や「合図」として音を出す道具という存在だった。
 自動車の「警笛(ホーン)」の発想がまさにそれだ。
 
Post 特にヨーロッパ(フランスやドイツ)では、郵便馬車が到着した時に「郵便が来たぞ!」と知らせる合図として「ホルン」が使われていた。そのため、ドイツやフランスでは「郵便マーク(日本では「〒」)」が「ホルン」のデザインになっている。

 そう言えば、日本でもつい最近まで(とは言っても昭和の時代)豆腐屋さんが「豆腐〜ィ」と聞こえる小さなラッパを吹いていた。あれもホルンと言えなくもない。

◇喇叭の蘊蓄

Bugle この種の楽器を、日本ではすべてひっくるめて「ラッパ(喇叭)」と呼ぶ。
 中国語の「喇叭」は、サンスクリット語で「叫ぶ」という意味の「ラヴァ(rava)」が語源というが、日本語の「ラッパ」はよく分からない。

 軍隊から発生したらしいことを考えると、戦国時代、忍者のことを「乱波(らっぱ)」「透波(すっぱ)」と言っていたことに関連がありそうにも思える。
 敵陣や遠くまで情報を筒抜けにするあたりが似ているので「ラッパ→喇叭」になったのかも知れない。(ちなみに、スッパの方は「すっぱ抜く」の語源)。…と、これは個人的な妄想。

 ちなみに、旧約聖書やレクイエムの歌詞などで「ラッパの響きが」と書かれている時は、ラテン語の「トゥーバ(Tuba)」。「怒りの日」で鳴り響く「奇しきラッパの響き」…は「Tuba Mirum」だ。

Cornua この「Tuba」系の楽器、管の長さはある程度長い方がいい音が出るが、真っ直ぐだと持ち運びが難しい。そこで、昔は首のまわりにぐるりと丸めた管をめぐらす「巻管」のものが多く、これは「Clarion(クラリオン)」などと呼ばれていた。

 一方、真っ直ぐな「直管」型のものは「Tromba(トロンバ)」「Trombetta(トロンベッタ)」などと呼ばれ、これがイタリア語での「Tromba(トロンバ)」になり、その大きな楽器(-one)が「Trombone(トロンボーン)」と呼ばれるようになったようだ。
 現在は「Tuba」というと低音金管楽器のことだが、これは「Bass Tuba(低音のラッパ)」が正確な呼び名。

 ハリウッドの歴史活劇映画では、古代ローマの情景というと必ず長管トランペット数本による「ファンファーレ」がお約束。「王様が到着したぞ」とか「儀式が始まるぞ」という合図として印象的に使われているが、史実かどうかは不明とのこと。

Fanfarea ただし、ローマ時代あたりから「軍隊」でこの種の小型金管楽器(トロンバ:tromba)が使われていたのは確からしい。
 なにしろ「軍隊」というのは数百人数千人(時には数万人)の兵隊がぞろぞろと進軍する大集団。その全員に「前進しろ」とか「突撃しろ」あるいは「撤退しろ」という命令を伝えるのに、甲高い大きな音の出せるトランペット系の楽器は重宝だったようだ。

Rappa この伝統は20世紀になっても続く。大砲や爆弾の音がとどろく近代戦になると、甲高い金属音で、しかも音の信号を作ることが出来る「ラッパ」の威力は絶大だからだ。
 特に、片手で持ち歩けるビューグル型の小型のラッパは、無線などが登場する20世紀初頭まで、世界各国の軍隊で「信号ラッパ」として重用された。
 
 日本でも、第二次世界大戦まで、「進軍」「停止」「突撃」などから、「起床」「食事」「集合」「就寝」「消灯」などなどすべてラッパの信号を合図に行われていた。
 そんなわけで、「ラッパ」の響きは「軍隊」を連想させる響きとして使われることが多い。
 

◇倍音「トテチテタ」

Greeka 金属の製錬技術が発達するようになると、金属製のこの種の「ラッパ」は「楽器」として愛用されるようになる。
 ギリシャ時代の壁画にもそんな金管楽器の祖先たちの姿が見られるから、起源はかなり古いもののようだ。

 ただし、ラッパ属には「楽器」としては致命的な欠点があった。
 管を吹いてその管長の空気を共振させる構造上、「自然倍音」に当たる音しか出せないのである。

Photo
 ちなみに「ひとつの管」で作り出せる倍音は「図」の通り。
 要するに「ドミソ」の音を含む5つくらいの音しか出せないのだ。
 
Photo_2 これを例えば、旧日本軍では「トテチテタ」という呼んでいた。(「おもちゃのチャチャチャ」という曲の中で「♪鉛の兵隊、トテチテタ〜」と歌われるあれである。
 バルブも何もない「素」のラッパ管から出せる音は「(ド)・ソ・ド・ミ・ソ」に限られるので、これに「(ド)トタテチ」という音を当てたわけである。

 モーツァルトやベートーヴェンの時代に作曲家が「オーケストラ」を書く時、もっとも頭をひねったのもこの点だ。

 なにしろ、当時のナチュラル・ホルン、ナチュラル・トランペットは、基本的に「ドソドミソ」の音しか演奏できない。(そのぶん、ドミソの音に関してはクリアで華やかなのだが)
 ハイドン〜モーツァルト〜ベートーヴェンあたりのスコアを見ると、金管はほとんど「ド」と「ソ」しか吹いていないことが多いのはこのせいだ。

Beethoven

 そこで、ハ長調の曲を演奏する場合は「C(ド)管」のホルンとトランペットを使う必要があり、ニ長調の曲を演奏する場合には「D(レ)管」の楽器を使う必要があった。
 しかも、「C(ド)」の管のホルンやトランペットを使った場合、「ハ長調」以外の曲は演奏できず、「D(レ)」の管の楽器を使ったら「ニ長調」しか演奏できない。

 さらに、同族の「短調」の曲も演奏できない。なぜなら半音低い3音「ミ♭」や半音低い6音「ラ♭」が出ないのだ。(古典派までの音楽に「短調」の曲がほとんどないのは、このあたりの事情も色濃く関係しているわけだ)

Gb そこで、例えばモーツァルトの「ト短調シンフォニー」では、「G(ソ)管」と「B♭(シ♭)管」のホルンを組み合わせ、G管に「ソ・シ・レ」、B♭管に「シ♭、レ、ファ」の音を担当させる…という分業により、ト短調のドミソ(ソ・シ♭・レ)を出させるという涙ぐましい努力をしている。

 もちろん、ナチュラル・ホルンでも「ベル(ラッパ口の部分)」に右手を突っ込んで音高を上下させる奏法(ゲシュトップ)があり、ソロの名手ともなればドレミファも短調も自在に吹けなくはなかったようだ。
 しかし、オーケストラの金管楽器にそれを要求するのはきわめて難しく、作曲家がどう頑張っても、簡単に長調から短調に「移調」したり、完全5度や4度以外の調に「転調」したりすることは出来なかったわけなのである。

◇ピストンとバルブ
 
Piston しかし、ベートーヴェンが最後の交響曲を書いている頃(19世紀初め)、革命的な「発明」がこの楽器に訪れる。「バルブ(ピストン)」が付くようになったのである。

 金管楽器は、木管楽器のように管に穴を開けて「ドレミファ」のような音階を作ると言うことは出来ない。穴を開けた時点で音が漏れて楽器として役に立たなくなってしまうからだ。これはひとつの短所。

 しかし、逆に長所は、管をどんなに曲げても捻っても回転させても音は変わらないこと。
 現在のホルンは、全部の管を引き伸ばすと5mくらいになるのだが、それをぐるぐるとカタツムリのように渦巻いて楽器にしている。それでも立派に音は出るわけだ。

Valvec ということは、知恵の輪のように「短い曲がったパイプ」をその渦巻きの中に組み込み、それらをピストンやバルブを使って組み合わせれば、色々な長さの「管」が出来るんじゃないか…というのが、この革命的発明の基本。

 その結果、元の管が「C(ド)」の長さでも、それを一音分長くするバイパス管に切り替えれば「D(レ)」のドミソ(レ、ファ#、ラ)が出るようになった。これによって、金管楽器は「ドレミファ」の音階だろうが「半音階」だろうが自在に出せる新しい楽器として生まれ変わったわけである。

◇ナチュラルとモダン

Valvea と、このようにバルブやピストンの発明により、どんなキイでも半音階でも自在に演奏できるようになったのが現代のモダン・ホルン、モダン・トランペットである。

 ワーグナーやマーラーなどは、このモダン・ホルンやトランペットの登場により「調性の呪縛」を解き放たれ、「移調」だ「転調」だと複雑きわまりないサウンドへと突き進んだ組だ。
 どんな半音でも自在に出るのだから、「トリスタン和声」のような捻くれた和声進行もやってみたくなるわけである。

Naturalhorn しかし、自然な「ドミソ」の響きを持つ(昔の)ナチュラル・ホルン、ナチュラル・トランペットでなくては…というこだわりを持つ作曲家たちも多い。
 ブラームスやブルックナーなどは、自然な「倍音」が綾なすナチュラル・ホルン&トランペットにこだわっている。(実際、ブラームスやブルックナーの交響曲においては、ウィンナ・ホルンの独特の響きが圧倒的な美しさを生む)

 移調や転調が生み出す「複雑さ」や「斬新さ」より、協和音になった時の「宇宙が共振するような」豊かで豊饒なサウンドに「音楽」の存在感を聞きたいということなのだろう。
 このあたりは、弦楽器の「純正律」と「平均律」論争に似たところがある。音楽の「自由度」を優先するか、響きの「協和」を優先するか、なかなか悩ましいところではある。

◇ジャズ

Jazza もう一つ、現代おける「金管楽器」の活躍場所に、「ジャズ」がある。

 ジャズは御存知のように、トランペット、サクソフォン、トロンボーン、チューバ(ホルンは見かけないが)と言った金管楽器がソロで活躍するジャンルである。

 なぜ新大陸アメリカで、こんな楽器たちが普及したのか、考えてみるとちょっと不思議な気がするが、この誕生秘話は(歴史の偶然と必然が絡み合っていて)なかなか面白い。

Military 18世紀あたりからヨーロッパの軍隊は、行進曲を吹奏したり儀式の音楽を吹奏したりするかなり高度な「軍楽隊」を持っていた。
 屋外で行進しながら演奏するので、いわゆる「弦楽器系」は無理。当然ながら、主役はトランペット・トロンボーン系の金管楽器、それに持ち運び便利で高い音が出るクラリネットやサクソフォン、そして行進のリズムを刻むドラムス(太鼓属)という組み合わせになる。

 19世紀アメリカで起こった南北戦争(1861〜65)でも南軍北軍いずれも、この「軍楽隊」が大量投入された。
 そして南軍が敗れて戦争が終了した時、両軍の「軍楽隊」が持っていたこの大量の楽器…トランペット、サクソフォン、クラリネット、トロンボーン、そしてドラムが不要品となって放出された。

 本来ならかなり高価な楽器であり、特に選んでこれらの楽器を購入するのは難しいのだが、それが大量に時代の狭間にポンと置き去りにされたわけだ。
 それを、南北戦争後に奴隷から解放された黒人たちが手に取った。

Peterson それだけなら、マーチング・ブラスバンドだが、これに、西部開拓時から場末の酒場(バー)にあふれていた「ピアノ」と「ベース」が合体した。

 ピアノの方は、当時「工業生産ライン」に乗って大量生産が可能になっていたアップライト型のピアノだ。これを、西部開拓など未開の土地へ進出する白人たちが、今で言うジュークボックスのような「簡易音楽マシン」として酒場に持ち込んだ。

 その絶妙な出会いから、「ジャズ」は生まれたわけだ。

Miles 常識的に見れば、マーチ系の楽器であるトランペットやトロンボーンと、サロン系の楽器であるピアノが融け合うとはとても思えない。
 しかし、それを手にした彼らは、その(まさしく偶然の産物である組み合わせの)楽器たちで自分たちの「心の歌」(白人たちはカントリー&ウエスタン、黒人たちはブルース)を演奏し始めた。

 かくして、20世紀のアメリカで、信号でも突撃の合図でもなくファンファーレでもない…新しいブラスの音楽「ジャズ」は生まれたのである。

◆金管楽器たちのキャラクター

 さて、最後に、そんな金管楽器たちを「演奏者」の側から見てみよう。

□ホルン

Horn まず、ホルン。
 最初に「ホーンを吹く(ホラを吹く)」などという話をしたが、ホルン吹きがそうなのかと言うと実は正反対。
 実際には、オーケストラにおけるホルンのパートは、能天気に大きい音を「パーン」と出すなどということはほとんどないからだ。

 そもそも唇の破裂音を増幅する構造なので、「小さい音」を出すのがまず難しい。さらに、「唇の締め具合」だけで倍音の音程を作るので、ちょっとでもバランスを崩すとトンでもない音(裏返った音)が出てしまう。
 しかも、ラッパで拡大する構造なので、外した音は常に「大きい音」がして、ホール中に響き渡ってしまう。相当な名門オーケストラでも、いきなりヘンな音が出たり、音のアタックで外したりするのはほとんどホルンである。

Corni にもかかわらず、弱音のアンサンブル部分では、ホルン4本でハーモニーを担当することが多いので、ちょっとでも音を外したり音程がずれると致命的なことになる。
 そのため、全曲にわたって気を抜けない。ずっと気を遣いっぱなし、ストレス溜まりっぱなしである。

 そんな楽器なので、奏者のキャラクターとしては、とにかく繊細で内気な(時に暗く内省的な)社会的な常識人が多いように思われる。自己顕示欲が強くホラ話好きで外交的で明るい…というような人にはオケのホルンはとても勤まらない。
 そう言った気遣いやストレスの所為か、一説にはオーケストラの楽器の中でオーボエと並んで最も禿げる可能性が高いとも言われる。まさにその苦労が忍ばれる話である。

□トランペット

Trumpeta 次にトランペット。
 これは、同じ「ホーン」属でも、ホルンとは正反対。
 オーケストラだろうがジャズコンボだろうが、とにかく一番目立つパートであり、彼がパーンと音を出せば、その瞬間からどんな音楽でも彼が「中心」になってしまう。ストレスとは無縁の「花形楽器」である。

 弱音や倍音の難易度で言うとホルンもトランペットも似たようなものだが、多くの作曲家はトランペットに微妙な和音や弱音を聴かせるパートを書いたりしない。
 大体が、強奏の時のもっとも上のメロディパートを担当させる。なにしろ高音かつ強音で華やかかつ壮大な音が出る「とっておきの」楽器なのだ。
 
 だから、オーケストラによる長大な交響曲でも、複雑で長ったらしいところはずっと休んでいて、最後のクライマックスにだけいきなり登場し、「一番おいしい処」をすべて横取りしてしまう。

Rabbit 特に一番トランペットは、最後の最後に一番格好良く主題テーマをフォルテで吹きまくり、ジャーンと終わる「リレーのアンカー(最終走者)」のようなもの。それまで必死に膨大な音符を弾いていた楽器たちからすれば、「なんであいつだけが!」と恨み骨髄のポジションとも言える。

 そんな楽器の性格上、それを吹く人のキャラクターが地味だったり内気だったりするはずもない。
 なにしろ他の楽器が大変な時はずっと休んでいて、一番いいところでサッと出てきて「パッパカパー」と吹き鳴らして、拍手喝采なのだ。
 そういうことが平気な…良く言えば明朗快活、悪く言えばいくぶん能天気な(くよくよ悩まず、時には他人に乗っかる)享楽主義的性格でないと、トランペッターは勤まらないわけだ。

□トロンボーン

Trb そして、トロンボーン。
 この楽器は、金管楽器属ながら、管をスライドして伸び縮みさせる…というユニークな構造を持った「独創的楽器」である。
 管そのものの長さを自由に変えられるのだから、ここまで述べてきた「(固定された管の長さの)倍音しか出せない」という金管楽器最大の欠点がそもそも無い。

 なにしろスライドのポジションを調節すれば、C管にもD管にもなる構造なのだから、どんな微妙な音程も自由自在。自然倍音上の「ドミソ」でも短調の「ドミ♭ソ」でもハーモニーが自在に作れる。
 そのため、オーケストラや金管アンサンブルにあっては「ハーモニー」の基調を作る最大の「要」となる。

 ただし、その長所が裏目に出て、オーケストラでは、トロンボーン三本(通常、テナー2本、バス1本(+バス・チューバ)が基本グループ)で「和音」だけ吹かされるということが実に多いのが、トロンボーン・パートの悩ましいところ。

Trombonea 本来なら、音量でもトランペットに負けないのだが、いかんせん中低音域が専門のため、高音パートを担当する…というより、中低音の補強に当てられることが多い。主役メロディの座は、いつだってトランペットに取られてしまうのである。

 それでも、オーケストラ内では圧倒的な存在感を持つ「(オルガン的)ハーモニー」を作り出し、パワフルで重厚壮大なオーケストラサウンドを生み出す「縁の下の力持ち」なのは確か。
 さらに、ティンパニと強力タッグを組んで強烈なコードを叩き付けたり、ピアノの左手和音のような刻みを生み出すのも可能。
 また、コラールのような宗教的重みと敬虔さを持った楽想には、素晴らしい効果が得られる。

 そこで、奏者のキャラクターとしては、頭が良く才能があってもあまり自分が一番前に出て行くのは好まず、「他の人を立てる」温厚なタイプが多いように思われる。 
 ただし「音は大きい」ので、あまり引っ込み思案だったり繊細だったりする人は合わない。小さいことは気にしない大らかさと、絶妙なバックアップの職人芸が信条だろうか。

□チューバ

Tuba さて、最後に控えるバス・チューバは、金管の最低音を担当する巨大楽器。とにかく圧倒的な低音を出す最終兵器で、巨大オーケストラがフォルティッシモで鳴っていてもそれに負けない朗々たる低音を保持することが可能。

 そのため、オーケストラのサウンド全体の重心を低く「重厚な」響きにするには必要不可欠の楽器といえる反面、あまりに太く重いサウンドになりすぎることを嫌って、チューバを加えない作曲家(例えば後期のシベリウスなど)もいる。
 逆に、チューバを2本並べて圧倒的な「残忍な響き」を生む(ストラヴィンスキーの「春の祭典」のような)例もある。

 この楽器の奏者は……そもそも楽器が巨大で重いので、体躯が大きい人でないと勤まらない。最近は女性でチューバを吹く人も出てきているが、プロのオーケストラの中にヒゲの大男とか見た目が巨漢風の人がいたらまずそれがチューバ奏者のはず。
 でも、担当するのは常に「オーケストラの最低音を支える」という(天球を支える)アトラスのような仕事。気は優しくて力持ち…的な頼れる人が多い。

 余談だが、むかし「中学生日記」というNHKのドラマで、「チューバを吹く少年」という話があった。
 クラスで一番背が小さい少年が、吹奏楽部に入って自分の楽器にチューバを選ぶ。吹きながら歩いている姿は、チューバが歩いているようにしか見えないので、クラスメートからは笑われ、先生からは「体が小さいからチューバは無理」「そもそもソロで活動できる楽器ではない」「チューバはオーケストラに一人いれば良いのだから、就職先はゼロに等しい」…などと猛反対を受ける。

 それでも、少年はチューバを吹くのをやめない。
 彼は、「ヴォーン=ウィリアムスのチューバ協奏曲が吹けるような演奏家になりたい」という夢だけを抱いて、チューバを吹き続けるのだ。
 ……これには泣いた。

 彼は、チューバ吹きになれたのだろうか?
 チューバを見るたびに、いつもあの少年のことを思い出す。

           *

■ロシアン・ブラス
(サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー金管五重奏団)
 Russian Brass-St.Petersburg Philharmonic Brass Quintet

Russianbrass_3イゴーリ・シャラポフ(トランペット)
 Igor SHARAPOV
アレクセイ・ベリャーエフ(トランペット)
 Alexei BELYAEV
イーゴリ・カールゾフ(ホルン)
 Igor KARZOV
マキシム・イグナティエフ(トロンボーン)
 Maxim IGUNATIEV
ヴァレンティン・アヴァクーモフ(テューバ)
 Valentin AVVAKUMOV

2月19日愛知県日進市「日進市民会館」
2月20日大阪府大阪市「ザ・シンフォニーホール」
2月21日東京都武蔵野市「武蔵野市民文化会館」
2月22日神奈川県横浜市「横浜みなとみらいホール」
2月25日東京都「日経ホール」

 

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2010/11/10

ハイドン博士の音響合成マシン

Haydnc むかし、NHKの電子音楽スタジオでしばらく「遊ばせてもらえる」機会があった。

 電子音楽というといかめしいが、まだアナログのテープレコーダーの時代で、パーソナル・コンピュータも普及したての頃。オシレーター(発信器)から出る「ピー」とか「キー」とかいう音やラジオなどから出る「ザー」「シャー」というノイズ(雑音)、あるいは現実音(人の声や雑踏の音、もちろん楽器の音も)などなどを、さまざまなモデュレーター(変調機)に通したりテープ編集したりして「変な音」にして楽しむ…もとい「実験」するという・・・まさに「音で遊ぶ」世界である。

 ちなみに、戦後から70年代頃まで、世界中の放送局にこの種の「電子音楽スタジオ」があった。とは言っても、酔狂な作曲家に「音で遊ばせる」ために作った施設ではない。
 音響学では「どんな音でも、単純な音を合成することで作り出すことが出来る」ことになっている。つまり、放送で「音声」として遅れる音(つまりスピーカーから出る音)なら、どんな音でもすべて「機械的かつ電子的に合成できる」。その実験というわけである。
 
Frequency これは要するに、弦楽器や管楽器や人間の声といった複雑な自然の音も、基本的に「ぴー」とか「ぽー」とかいう単純な音を膨大に「合成」し「変調」させてゆけば作り出すことが出来る…ということ。

 例えていえば、どんな味の食べ物でも、素材Aと調味料Bと加熱X分と熟成X日…というように足してゆけば作り出すことが出来る…みたいなものだ。これが実現できたら「世界中のどんな音でも、人間の手で作り出すことが出来る」。こんな素晴らしいことはない…と世界各国の放送局はやっきになった。
 その余波で作曲家が「おもちゃ」を手にすることが出来、変な音を出せば出すほど「芸術」と言われる「電子音楽」バブルの時代が到来したのである。

Envelope 実際、1970年代(日本では大阪万博の頃)に「シンセサイザー」という形でそれは現実のものになった。当初のシンセサイザーは「楽器」ではなく、そのものずばりの「音響合成マシン」。電子音の発信器(オシレータ)が複数並び、それを回路上でブレンドして「波形」を作り、その音にエンベロープ(アタックや減衰、残響のような音の性格)を付けて「ストリングスっぽい音」や「パーカッシヴな音」を作り出す。機械以外の何者でもなかった。

 そもそも発信器から出る電子音というのは、(例えば)1ボルトの電圧をかけると「ド」の音が出て2ボルト電圧をかけると1オクターブ上の「ド」の音が出る…というように極めてシンプル。
 それなら、その1ボルトを12等分にするボタンをピアノの鍵盤みたいに並べれば「ドレミファ」が出せるわけで、それに気付いた研究者によって「ミュージック・シンセサイザー」が生まれた。それは、「電子音」が「音楽」と出会った歴史的な瞬間だったわけだ。

Macsystem さらにその後、1980年代にはこの「合成された電子音」をコンピュータで制御する規格(MIDI)が生まれ、ドレミファに並べた「電子音」を楽譜(打ち込みの数字)通り演奏させて「音楽作品」にする技術が確立した。

 これは、作曲家にとっては「ピアノ」の登場に次ぐ歴史的大事件だった。なにしろ…演奏も出来て、楽譜も書け、書いた楽譜を音で鳴らすことも出来る。しかも、オーケストラのさまざまな音をほぼそのまま鳴らすことが出来る…まさに最高の「作曲ツール」の誕生だったのだから。 

         *

Wavesa ただ、意外な盲点もあった。
 コンピュータによって、どんな音でも「合成」できるようになったのに、その逆……、音楽をコンピュータで「解析」して「楽譜」にするということが、さて、どういうわけかさっぱり出来ないのである。

 音響合成やサンプリング(現実音の抽出)の技術によって、弦楽器でも管楽器でも人間の声でも宇宙的音でも「それらしい音」は機械的に作れるようになった。
 そして、それらを回路上で「音階」や「リズム」として構築することも出来る。さらに、そういった「音」たちをコンピュータによって構成し並べてさまざまなテンポで「演奏(リアリゼイション)」することも可能になった。
 要するに、ピアノ曲だろうがコーラスだろうがオーケストラ曲だろうが、シンセサイザーとコンピュータによって「それらしい音楽」として鳴らすことは出来るようになったわけなのだ。

 ところが、その逆、ピアノ曲やコーラス曲やオーケストラ曲をコンピュータに聴かせ、それを「音楽」として分析して元の「楽譜」に還元する。これが出来ない。
(もちろん、MIDI鍵盤で音楽を弾いて入力さえすれば、即楽譜になる。初めから「音データ」をキイボード入力するのだから、これは簡単だ。問題はあくまでも「音声」を入力した場合である、念のため)

 以前、東京大学の音響工学研究室のようなところにお邪魔してその話をしたところ、「単音なら出来るんですけど」とのこと。つまり、オーボエ一本が単線律を吹いているものなら、それの周波数分析をして「メロディ」を音符のようなものに還元することは可能なのだ。

 確かに、単旋律なら単なる「周波数」の増減グラフになるのだから、そこから「音高」を割り出し、時間軸上に「音符」として並べるのは出来そうだ。(実際、その研究の成果として生まれたのが、カラオケの「採点機能」なのだそうだ)

Wavea ところが、これが2つの楽器2つの声部になると、もう出来ない。
 混じり合った音を解体して元の2つの音に還元する(フーリエ変換というらしい)だけなのだから、何か簡単な方法がありそうなものなのだが、これが未だに不可能なのだ。
(もちろん、2つの音が和音として静止している状態なら、2つの周波数を特定することで「楽譜」に出来る。しかし、それが対位法的に動き出すとお手上げだ)

 音大を受験する程度の耳がある子なら、2つのメロディを聞き分けるなど初歩の「ソルフェージュ」だし、別にプロの作曲家でなくても、普通の音楽愛好家ならハイドンの弦楽四重奏曲の中で第2ヴァイオリンやチェロがどういう音型を弾いているかぐらい聞き取れる。
 しかし、「どんな音でも合成し」「フル・オーケストラでも楽譜通り再現する」ことの出来るコンピュータ大先生にそれが「出来ない」というからちょっと不思議だ。

Curry そこから先は「う〜ん、どうしてなんでしょうね〜?」というため息しか出ないが、要するに、「〈カレー〉と〈ライス〉を合成して〈カレーライス〉を作ることは出来る」、でも「カレーライスを〈カレー〉と〈ライス〉に分離することは出来ない」ということなのらしい。

 確かに、コンピュータはどんなものでも「成分分析」して「窒素何%、リン酸何%、カリウム何%…」と解析はしてくれるが、じゃあ、その解析通り窒素とリン酸とカリウムと合成してゆけば、元のモノが出来るのかというと、それは無理。それに似ている。

 ただし、これが本当に「金輪際出来ない」ものなのか、そっちの方向の研究が進んでいないだけなのか、(あるいは、開発はしているのだが、それをプログラムあるいはソフトとして発表しても採算が取れないので存在しないだけなのか)それは定かではない。
 一見簡単に思えた「素数」の並び具合の法則性の解読が、意外にもリーマン予想という100年の謎にまみれたように、「音を聞いて楽譜にする」という簡単なことが未だ「闇」の中にあるというのは、(コンピュータの進化をわくわくしながら見てきた身には)かなり「意外」である。

 何かAI(人工知能)的なコンピュータの登場で解き明かされる日が来るのか、あるいはどこかで天才的な学者が「ぽっ」と思い付いたアイデアで簡単に実現することなのか。
 採譜が苦手な作曲家としては「CDを聴かせたら即座にスコアにしてくれる」ソフトがあったら、大金出しても手に入れたい。(それがあったら「タルカス」のオーケストラ化に40年もかからなかったし(++;)。ここは、後者であることを切に祈るばかりである。

         *

Haydn104 と、タイトルのハイドンとは全く関係なさそうな方へ話がどんどん脱線しているのだが、普通の人が音楽を聴く時、聞こえてくるすべての「音響情報」をもれなく耳に入力するわけではない。

 オーケストラで壮大に鳴り渡る交響曲にしても、単純なポップスの楽曲でも、そのサウンドの中には「管楽器が奏でる主旋律」や「弦楽器によるハーモニー」「金管楽器によるリズムのアタック」「ドラムスやティンパニによるアクセント」「ギターによるリズム・カッティング」「ヴィオラによる対旋律」「コントラバスやチェロによるベース・ライン」などなど膨大な「音情報」が満ちている。しかし、人はそんな「合成音」の中から一本の「メロディ」だけを聞き分けているはずだ。

 2つのスピーカーあるいは2つの耳から入力された「ひとかたまりの音響」にもかかわらず、人はその中から「メロディ」部分だけをより分けて認識する。

 そして、「メロディ」を分離するのと同時に、「リズム」を感じて身体を同調(シンクロ)させる。「どうやってやっているんですか?」とコンピュータに聞かれても、良く分からない(笑)。でも、どんな子供でも音痴の人でも、簡単に「出来る」。

 もちろん、それを「楽譜」に出来るレベルまで細部に認識しているかどうかは別問題。メロディやリズムを聞き分けていても、「それを楽譜に記譜してください」と言われて、すぐ「はい」と言える人は滅多にいない。音楽を「感じる」のに、そこまでの「解読」は必要ないからだ。

 さらに「ハーモニー」(コード進行)となると、よほどの人でない限り「Am7〜Dsus4〜」などと解読して聴くことはない。今鳴った和音に9thの音が含まれているかどうか…とか、オーボエとファゴットが2オクターブ差で導音を鳴らしているかどうか…なんて、作曲科の入学試験くらいでしか必要のない特殊技能だ。
 それでも、どんな人でもセブンスのニュアンスとか係留の4度の「感じ」は聞き取っている。そして「なんだかカッコいい響き」とか「ちょっとシャレたニュアンス」という感じを得ている。

 このあたりをコンピュータに教え込むには、音の科学的分析のほかに、音楽を感じる右脳と言語を司る左脳…という二重構造のシステムとさらに、言語と共にメロディを感じる大脳皮質(前頭葉とか側頭葉と呼ばれる部分)、リズムを感じる人間の脳の最深部(視床下部?)、ハーモニー感覚の源である脳幹あるいは中枢神経…というような多層構造になっている「脳」へのアプローチも必要なのかも知れない。

Mac_plus そう言えば、電子音楽黎明期の「MIDIによるシンセサイザー」で最初期に使っていた音源(MIDIサウンド・モジュール)は、まさにこの「メロディ」「リズム」「ハーモニー」の3成分だけに特化したもので、チャンネルは4つだった。

 つまり「メロディ」で1チャンネル、「リズム」で1チャンネル、そして「ハーモニー」(ベースとコード)が2チャンネル…というものだったのだが、結構これだけで「それらしい」楽曲が作れたのだから、3成分おそるべしである。
(要するに、現在のコンピュータのように演算スピードが速くなかった頃、最低限の計算力で最大限の音楽的効果を得るのがこの「3権分離」の「4チャンネル」だったわけだ)

 しかし、今では誰も「音楽」というものの要素を「メロディ」「リズム」「ハーモニー」と信じて疑わないが、実際にこの3成分が政権を確立したのは意外と新しい。

 人類の「音楽」の歴史における最古参はもちろん「リズム」。これは、心臓のような生命の基本に関わるもので、それを司るのは脳の一番深部。起源は恐竜と同じくらい古い原始時代のものらしい。
 続いて、人間が二足歩行を始め、社会や言語が登場する頃と前後して「メロディ」が現れる。これは脳で言うと、大脳新皮質の時代。古いと言えば古いが、恐竜脳よりは新しい。

 それでも、原始の時代にはメロディはメロディだけ唸り、リズムはリズムだけ叩かれていた。それががおそらく数十万年ほどは続いたに違いない。
 そのうち人間が「文明」らしきものを確立するようになって、ようやくリズムを叩きながらメロディを歌う(演奏する)時代がやってくる。これが数万年前。

 それに比べると「ハーモニー」の登場はひどく新しい。Ⅰ〜Ⅳ〜Ⅴ〜Ⅰ…というようなシンプルな和声進行(カデンツ)の形が姿を現したのさえ、どう古く見積もってもせいぜい1000年前のことなのだ。(このあたりの詳しい歴史は拙著「運命はなぜハ短調で扉を叩くのか?」参照)

 その後、通奏低音や数字和音のような語法が確立し、和音がぶつからないようなシステム(機能和声法の原形)が出来たのがバロック時代。
 そして、そこまでの音楽語法の集大成をして「音楽の父」と呼ばれたバッハの登場がせいぜい300年前。それまでは、おそらく「音楽が「メロディとリズムとハーモニーで出来ている」などと言い切るところまで吹っ切れた発想はなかったのではなかろうか。

         *

Haydn では、クラシック音楽において初めて「音楽はメロディとリズムとハーモニーで出来ている」というシンプルな視点で音楽を書いたのは誰か?ということになると、それこそハイドンではないかと思うわけなのだ。(と、ここでようやくハイドン先生の登場である)

 バッハは(調性や平均律といった音楽の礎を作った点で)まさしく「音楽の父」ではあるけれど、彼の音楽はあくまで「対位法」だ。グレゴリオ聖歌で登場した「多声部音楽」の語法をとことんまで機能的に高め、調性や平均律というシステマチックな構造も把握し、それを「器楽」にまで応用する基礎を作った。

 それゆえ彼の音楽は、現在のクラシック音楽の「起点」だが、同時に「対位法」という視点で進化してきたそれまでの教会系音楽の「デッドエンド(終点)」とも言えるような気がする。
 それは、ある意味で後期ロマン派の最後の最後に、究極のクールさを持った十二音システムが登場し、進化の頂点を極めたと同時に「終点」となってしまったのに似ている。逆に言えば、そこまで究極に音楽の「純度」を煮詰めてしまったのだ。

 それを、「メロディ」「リズム」「ハーモニー」というもっともシンプルな要素に還元して、音楽の新たな(別の方向への)「進化」を試みたのが、ハイドン(そして彼の時代の古典派と呼ばれる作曲家)たちだ。
 彼(彼ら)は「対位法」や「調性システム」そして何より「キリスト教の重み」にがんじがらめになった音楽から、メロディとリズムとハーモニー以外の余計なものをそぎ取り、シンプルに「音を合成する」という原点に立ち返った。

 それは、バッハまでの複雑で高純度に向かった多声部音楽の「進化」を思うと、ある意味「退化」に近い稚拙さにも聞こえる。
 実際、中世〜ルネッサンス音楽〜バロック音楽から「バッハ」へと到達した音楽の流れを俯瞰して聞いてゆくと、この「古典派」の時代にいきなり音楽が「幼稚」になった感じがする。(なにしろ伴奏音型がドソミソだったりするし、ドミソの単純な和音が連打されるし)

 しかし、それこそが「(普通の人間にとって)分かりやすい」そして「新しい(かつ普遍的な)」音楽スタイルだった。
 それは、その後に「西洋クラシック音楽」の全盛期が到来し、実際にこの「ハイドン以降の音楽」に現代の聴衆もが魅せられ続けていることが証明している。

Haydnsqa そんな彼(ハイドン)が作った「メロディとリズムとハーモニーだけで出来た音楽」を最もシンプルに現実化したのが「4声部」からなる「器楽」の合奏形態である〈弦楽四重奏〉。そして、それを「弦楽器」「管楽器」「打楽器」という中型アンサンブルに結晶させたのが「管弦楽(オーケストラ)」だ。

 これは、まさしく「シンセサイザー(音響合成マシン)」の発想である。

 まず「発信器(オシレータ)」=「楽器」を複数並べ、それをアンサンブルという形でブレンドし、「ソナタ形式」というような「構造物」として構成する。
 そこでは、リズムを刻む「指揮者」は、「シークエンサー(テンポをシンクロさせる機構や回路)」であり「ミキサー(複数の音源を混ぜ合わせる混合器)」の役目を負う。

 さらに、ハイドンの弦楽四重奏や管弦楽の世界では、メロディは細分化されてベロシティ(音量の増減)で制御され、リズムはそのスピードの変化による表現に還元される。
(バッハまでの音楽は、「テンポの変化」や「リズムの構造」と言った点にあまり気をかけていなかったが、ハイドンはこれを徹底的に解析し、音楽の主要素として活用し始める)

 つまり、対位法的な整合性ではなく(さらに信仰とか情念とか精神でもなく)、どういうフレージングがどういう効果をもたらすか、どういう演奏法がどういう表現をもたらすか、テンポのどういう変化が聴き手にどんな反応をもたらすか…という、きわめて「職人的」な試行錯誤がそこにはある。
 これはもう「科学者」そのものの視点なのだ。

 だから、私が先の4チャンネルの(メロディとリズムとハーモニーしか出せない)音響モジュールを手にしたとき、最初に感じたのは「バッハ」ではなく「ハイドン(でありモーツァルト)」だった。 
 そしてコンピュータ制御の「シンセサイザー」という最新の機材を目にして感じたのは、ハイドンが育て上げた「オーケストラ」という「超アナログ音響合成マシン」の先駆性だったわけなのだ。

Haydnpcon 実際、ハイドンがエステルハージ家の楽長としてオーケストラや弦楽四重奏という「楽器」を手にした時、おそらくMIDI制御のシンセサイザーを手にした多くの作曲家たちと同じ感慨に打たれたのではなかったろうか。

 このつまみを回すとこんな音が出る。ここでテンポをこう変化させるとこういう効果があがる。こういう響きとこういう響きをブレンドするとこういう世界が立ち現れる。男はこういうことが嬉しくてたまらない。
 まさしく子供っぽい「音の遊び」だが、そういった膨大な「遊び(実験)」の中から、彼の「交響曲」や「弦楽四重奏曲」は生まれたのだ。

 そして、このハイドンの音響実験によって生まれた「音楽」の上に、若い盟友モーツァルトが鮮やかなイマジネーションを加え、さらに弟子ベートーヴェンが究極まで拡大させた表現力の翼を広げ、西洋クラシック音楽はその後150年の栄華の時代へ突入する。

 その時誕生したハイドンによる「音響合成マシン」…弦楽四重奏とオーケストラ…は、現代も音楽の世界で生き残っている。
 ハイドンはまさしく、モーツァルトだけでなく全クラシック音楽愛好家にとっての「パパ」なのである。

         *

Flyer1■ゲヴァントハウス弦楽四重奏団
2010年12月10日(金)19時開演 紀尾井ホール 
・ハイドン
 弦楽四重奏曲第80番変ホ長調Op.76-6、Hob. III-80
・モーツァルト
 弦楽四重奏曲第17番変ロ長調「狩」K.458
・ベートーヴェン
 弦楽四重奏曲第8番ホ短調「ラズモフスキー第2番」Op.59-2

■千住真理子withスーク室内オーケストラ
 クリスマス・コンサート

12月16日(木) 19時開演 東京オペラシティ コンサートホール


・パッヘルベル:カノン
 


・ヘンデル:コントラバスと弦楽合奏のためのソナタ
・バッハ:主よ、人の望みの喜びよ
・ヘンデル:ラルゴ

・バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲
・バッハ/グノー:アヴェ・マリア

・シューベルト:アヴェ・マリア
・コレルリ:クリスマス協奏曲
・バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番


Flyer■スーク室内オーケストラ 名曲コンサート

12月17日(金) 19時開演 紀尾井ホール


・モーツァルト
 ディヴェルティメントニ長調k.136
・ハイドン
 ピアノ協奏曲 ニ短調
・ディッタースドルフ
 コントラバスとヴィオラための協奏交響曲
・チャイコフスキー
 弦楽セレナーデOp.48

 

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2010/10/10

鳥たちの作曲法

Earthq むかし無名で貧乏な作曲家の卵をやっていた頃、同じ境遇の若い作曲家仲間にこう問われたことがある。

「もし自分の書いた音楽が誰の耳にも届かないとしても、
 それでも君は作曲をするか?」

 二十代の始め、大学もやめて完全に無職無収入のまま、独学で作曲の勉強だけしていた「どん底」の頃だ。実際、その前後数年にわたって、まったく誰の耳にも届かない音楽を作曲し続けていた真っ只中であり、考える余地もなく「もちろん、作曲する」と答えた。

 もっと怖い問いもあった。
「誰の耳にも届かなかった〈音〉は
 それでも存在したことになるのか?」

 これは(特に音楽をやるものにとっては)かなり怖い想像だ。
 音は発せられて空気を振動させる。でも、それが誰の耳にも届かなければ、それは〈音〉として観測されない。すなわち〈存在〉しないことと全く区別が出来ない。

 作曲されても、演奏すらされない音楽は、そもそも空気を振動させることすらない。作曲家の頭の中には〈存在〉しても、〈音〉としてすら生まれることのない〈幻〉だ。
 それでも、それは〈存在〉していると言えるのか。

Maria 弟子のそんな恐怖を受けて、師匠(松村禎三氏)はこう言ってくれた。
「誰の目にも届かない崖の下に咲いている〈花〉も
 それは〈存在〉している。
 そして真っ暗な洞窟の奥にある〈マリア像〉も
 それは〈存在〉している。
 同じように、誰の耳にも届かない音楽も
 それは、確かに〈存在〉していると思うよ」

 これは、普通の人にとっては単なる「イメージ・トレーニング」の域を出ない問いかも知れないが、当時の「若く無名で演奏されない音楽の作曲家たち」にとっては、かなりシビアな、そして命を賭けた問いでもあったのだ。
 

□信仰告白

Angel その頃、いったい何を目指し何を信じて、お金にならないどころか誰の耳にも届かず演奏すらされない音楽を毎日毎日書き続けていたのか?…実は良く覚えていない。
 あまりに思い出したくない記憶が多すぎて、頭の中からその時期の記憶がすっぱり抜け落ちているからだ…

 おそらく西洋の作曲家なら(先のマリア像の如く)「神」…という「誰も見ないものを見、誰も聞かないものを聴いている存在」を空想(信仰)することで、自分を納得させるのだろう。
 でも、残念ながら「二十世紀の東京」というすさんだ地に生まれた私には「信仰」など持ち合わせがなかった。

 確かに、「神様」がどこかにいる…という想像は楽しいが、少なくとも「彼」が私のことなどすっかり忘れていることだけは確実なのだ。
 デビュー作として書いた「忘れっぽい天使」には、そういう自虐的な信仰告白が刻印されている。

 普通の音楽愛好家には意外に思われるかも知れないが、作曲家は決して「誰かに聴いて欲しい」と思って曲を書くわけではない。
 もちろん、聴いてくれないよりは聴いてくれる方が嬉しいし、聴き手とのコンタクトは人生の重要な宝だ。
 でも、それは作曲する「目的」ではない。

 私自身、そもそも音楽を志した当初から、「職業としての作曲家」を目指したわけではなかったし、純音楽の作曲家が「(それで生計を立てられるという意味での)職業」だとすら思っていなかった。

 それは、例えて言えば、「火星に行きたい」という「夢」のようなものと言ったらいいだろうか。
 それで「生計を立てる」などというのではなく、誰かに認めてもらい褒めてもらいたいというのでもない。逆に、それを達成するためにすべてを犠牲にしてもいいし、全財産を投げ出してもいい。そして、行けたら死んでもいい。そういう類の人生の「目的」である。

 だから、作曲家としてデビューして最初に音楽誌(今は亡き「音楽芸術」)からエッセイの寄稿を依頼されたとき、こう書いた。

「音楽というものがあまりにも素晴らしいので、
 せっかく生きているのだから
 せめて美しい音楽のひとつも書いてから
 野垂れ死ぬのも悪くない」
 
 それは、「作曲家宣言」であると同時に「遺書」でもあったわけだ。

□演奏家に出会う

Scoresw それなのに(意に反して(笑)のうのうと生き残り、それからずっと、この歳になるまで「音楽」をやって来られたのは、これはもう、一にも二にも素晴らしい演奏家たちとの出会いのせいだ。その点だけは「神様」に感謝してもいい(もし、いたら…の話だが)。

 実は、クラシックの「作曲」というのは、壮絶な世界である。
 なにしろ「クラシック音楽界」というのは、18〜19世紀の西洋の天才たちが書き残した「遺産」の宝庫である。200年ほどの間に書かれたピアノやオーケストラのための膨大な名作があり、それを演奏したり聴いたり勉強したりするだけで、普通の人ならたっぷり一生かかる。

 しかも、それらの曲は(作家が死んでたっぷり50年以上たっているので)著作権フリーで、演奏も録音も自由。これらの「遺産」を食いつぶしていれば、演奏家たちもレコード会社も充分暮らしてゆける。それが天下御免の人類遺産「偉大なる不滅のクラシック(古典)」というわけだ。

 そんな「遺産御殿」に、生きている作曲家がのこのこと「新しい曲を書いたんですけど…」などと言って楽譜を持って行っても、門前払い確実である。演奏家たちはまず全くと言って良いほど興味を示してはくれない。

 ごくたまに「遺産ばかりの日々にも飽きたし…」という酔狂な…もとい、奇特な演奏家がいないでもないが、それでも、せいぜいリサイタルやコンサートで「ちょっと箸休めに」演奏する10分ほどの曲があれば、それで充分。コンサートのメインにするつもりなどはさらさらない。

 そこで「現代の」作曲家たちは、過去にはなかったタイプの「聴いたことのない音楽」を作るため、艱難辛苦の末、調性を外しリズムを取っ払いメロディを解体した新しい音楽を開発したのだが……
 …それは、演奏家にとっても聴衆にとっても単なる「聴きたくもない音楽」でしかなかった。この音楽史最大の不幸は、悲劇だったのか喜劇だったのか…

          *

 しかし、クラシック音楽界と言えども、「遺産」の恩恵に浴している人たちだけではない。そこには、本心から「新しい曲(財産)が欲しい!」と思っている人たちもいる。
 それが「大作曲家たちによる名作を残されていない恵まれない楽器たち」の演奏家である。

 そこで「誰の耳にも届かない音楽」の作曲者だった私も、同時代に生きる「何でも良いから新しい音楽が欲しい」演奏家たちと出会い、「利害関係の一致」から「同志」になり、音楽の共同制作が始まったわけだ。

 実際、私の記念すべき「デビュー作」(初めて一般聴衆の入ったコンサートで演奏された作品)となったのは、クロマティック・ハーモニカという…おそらくクラシック系の作品は皆無な楽器のための「忘れっぽい天使」という作品だった。
 これは、崎元譲氏というこの楽器の名手との出会いがなければ生まれなかった作品であり、私にとっても全く予期しなかった新しい音楽との出会いとなった。

 続いてギター。これもバロック系やスペイン系の名作小品は多いものの、クラシック界では「アランフェス協奏曲」以外にオーケストラと共演できる作品はほぼ皆無という「恵まれない楽器」と言えなくもない。
 この楽器には、山下和仁氏という新世代の「神」演奏家との出会いから、協奏曲(天馬効果)および、三部作(風色ベクトル、水色スカラー、空色テンソル)が生まれた。

 さらに、ファゴット(馬込勇氏)のための協奏曲(一角獣回路)、トロンボーン(箱山芳樹氏)のための協奏曲(オリオン・マシーン)、サクソフォン(須川展也氏)のためのソナタ(ファジーバード)と協奏曲(サイバーバード)。そして、邦楽器(二十絃、尺八、そして雅楽!)のための作品たち。
 いずれも、過去の大作曲家たちが作品を残さなかった不遇な?楽器たちのための音楽であり、これらはみんな、演奏家からの「とにかく曲が欲しい!」という切なる願いと熱意に応えて生まれたものだ。

 こういう「演奏家との共同作業」…いや、もっと根源的な深いところでの「お互いの遺伝子を交換する作業」というべき「音楽作り」の楽しみを知ったことが、この壮絶なる世界で作曲家を何十年も続けることになった最大の理由と言えるだろうか。

Scrap これはもう「生きる」ということの根源に近い「遊び」の境地だ。そこには「芸術」も「神」も「お金」も関係ない。

 遊びをせんとや生まれけむ
 戯れせんとや生まれけん

 そんな「遊び」の中で生まれた(作曲家だけが味わえる)究極の「楽しみ」を象徴する出来事として、ファゴット協奏曲が初演された時、現代音楽のとある先輩作曲家にこう言われたことを、苦笑と共に思い出す。

「この曲は、少なくともボクが知っているファゴット・コンチェルトの中で最高の曲だよ」
「でも、ボクが知ってるファゴット・コンチェルトは、キミの曲だけだけどね」

 これは「作曲家の愉しみ」としては、最高のものだ。その後、同じような皮肉を聞きたくて、トロンボーン・コンチェルトやサクソフォン・コンチェルトを書いたと言ってもいいかも知れない(いや、冗談でなく)。

 もしかしたら「緩やかな自殺」に等しい行為なのではないか?と、あれほど苦悩した「誰の耳にも届かない音楽」の先にあった思いがけない世界は、今、音楽の不思議と素晴らしさとをしみじみ感じさせてくれている。

 世界は本当に面白い。

 ■組曲「優しき玩具たち」op.108

Tatenoa 左手のピアニストになられた舘野泉さんとの出会いも、そんな音楽の不思議さを改めて感じさせてくれた出来事だ。

 ほんの数年前まで、自分が「左手のピアノのための音楽」を作曲するなどとは想像もしたことがなかったし、もちろん舘野さん自身も、自分が「左手のピアニスト」として活躍することになろうとは、微塵も想像もしなかったはずだ。

 それが、いつの間にか「タピオラ幻景」(全5曲)に始まり、「アイノラ抒情曲集」(全7曲)、「ゴーシュ舞曲集」(全4曲)という独奏曲を書くことになり、さらに左手ピアノ用にアレンジした「3つの聖歌」、3手連弾用の「子守歌」「3つの子守歌」、さらに左手のためのピアノ協奏曲「ケフェウス・ノート」という曲を書くまでに至った。(もしかしたら「世界で最も多く左手ピアノの曲を書いた変な作曲家」としてギネスブックに載るかも知れない?)

 そのうち半分以上は、「頼まれもしない」のに書いた曲なのだが(笑)、そこまで深入りしてしまった理由は本当にシンプルなもので、「演奏家から求められること」の喜び、という一言に尽きる。

 それでも、さすがに調子に乗って「作り過ぎた」感は否めず、しばし自粛を考えていたのだが、昨年2月、舘野泉さんの受勲パーティでこう耳打ちされてしまった。

「来年(2010年)、演奏生活50周年の記念コンサートを開くことになったのですけれど、芸大の同窓で盟友の2人、トランペットの北村源三さんとクラリネットの浜中浩一さんと一緒に演奏できる曲を書いてくれませんか?」

Tpcl_2 それにしても、舘野さんの左手のピアノは、次から次へと色々な音楽が飛び出してくる魔法の玉手箱のようだ。色々な作曲家が、色々なキャラクターの曲を書いてきては、舘野さんがそれを演奏する。
 抒情的で美しかったり、現代風でおどろおどろしかったり、ジャズ風に洒落ていたり、その色彩と反射の妙は万華鏡のようにきらきらと変幻自在だ。

 今回も、「クラリネットとトランペットとピアノ!!!」という世にも不思議な編成の音楽については・・・断言しても良いが、そんな世にも不思議な編成の曲は音楽史上一曲もないし、書かれるとも思えない・・・作曲家としては「ありえない」と思った。

 でも、書いてしまった(笑)。

 たぶんチェロとかヴァイオリンのような和音を弾く楽器が要りますね…と言うと、「息子と弟がヴァイオリンとチェロを弾くので、一緒に演奏できればさらに嬉しいですけど」というダメ押しのひとこと。
 結果、左手ピアノ、クラリネット、トランペット、ヴァイオリン、チェロ……という逃げも隠れも出来ない「編成」が決まってしまった。

 ところが、この編成、作曲家的には「ありえない組み合わせ」ながら、ひな壇に並べてみると、意外にも見事なバランスであることに気付く。

 まず舘野さんのピアノが「王将」。
 その横に、息子さんたちが「金将(ヴァイオリン)」「銀将(チェロ)」としてがっちり脇を固める。
 そして、その左右に、舘野さんとは芸大の同級生で、それぞれ日本を代表する名人の「飛車(クラリネット)」と「角行(トランペット)」が攻撃と防御を担当する。
 まさに完璧に近い布陣なのである。

Tendertoyss タイトルは、組曲「優しき玩具たち」とした。
 これは、旧作「優しき玩具」とリンクした曲があることに因るが、元々は…もちろん石川啄木の「悲しき玩具」のもじりである。

 曲は、まず舘野さんが「玉手箱」ならぬ、「おもちゃ箱」を開ける「プロムナード」(ムソルグスキーの「展覧会の絵」風に!)から始まる。

 すると、さまざまなタイプの音楽が玩具箱から飛び出してくる。オモチャたちの舞曲や行進曲、クラリネットを吹くピエロの人形、トランペットを吹く兵隊の人形、鳥たちの歌う聖歌、十二音で踊る狂乱のダンス。

 全体の構成はこんな感じだ。
 
 1.プロムナード Promenade
 2.南西からの舞曲  Dance from South-west
 3.散漫なロマンス Diffuse Romance
 4.行進曲の遠景 Distance of March
 5.信号手の回想 Memoir of Trumpeter
 6.聖歌を歌う鳥たち Birds in Hymn
 7.アーノルド博士のワルツ Waltz for Dr.Arnold
 8.虹色の祝祭 The Feast in Rainbow

 この曲、「玩具」と題されてはいても、子供のための音楽ではない。ここでの「玩具箱」は、子供部屋にある「オモチャ箱」ではなく、大人が、何十年ぶりかで開く昔の「玩具箱」だからだ。

 そこに入っているのは、古びた小さな人形だったり、錆びてくすんだブリキのラッパだったり、ぼろぼろになったピエロの人形だったり…
 でも、開けると同時にそれらは輝き出す。そして、そこには「誰にも見えない」昔の思い出や記憶が詰まっている。

 時には、悲しい曲に心から笑い、楽しい曲に涙を流す。それが「大人になる」ということだ。
 そんな「玩具」たちの心が聞こえてくれると嬉しい。

■マリンバ協奏曲「バード・リズミクス(鳥リズム法)」op.109

Mimura もうひとつ、この夏に「優しき玩具たち」に続けて書いたのが、マリンバのための協奏曲である。
 こちらは若い女性マリンバ奏者、三村奈々恵さんの委嘱で作曲したものだ。

 マリンバ(Marimba)はアフリカ原産で、長さの違う木の板を並べて棒(スティック)で叩く楽器。「リンバ」がアフリカのバンツー語で「木の棒(板)」という意味、その複数形が「マ・リンバ」なのだそうだ。

 このアフリカ原産の民族楽器マリンバは、木の板の下にヒョウタンを吊して、それを共鳴胴にするもので、音域はせいぜい1オクターヴ半ほど。
 現在使われるような「マリンバ」になったのは、20世紀になってからで、中南米(グァテマラ、メキシコあたり)が起源らしい。

Marimba
 現代のマリンバは、木の板をピアノの鍵盤と同じような順番に並べ、各板の下部には金属のパイプが共鳴管として付いている。
 音域も4オクターヴ(中には5オクターヴのものもある)と広く、それを先端にゴム球の付いた木の棒「マレット」で叩く。

 木琴(シロフォン)は、高音が鋭く音域も狭い(多くの場合、共鳴管を持たない)木質打楽器だが、マリンバは、中低音域の深みのある響きが特徴。
 マレットの先端の材質の違いで、ソフトからハードまで音色を変えわれるほか、トレモロ(ロール奏法)でメロディを歌ったり、複数のマレット(基本は左右2本ずつ計4本)でハーモニーを作ったりすることも出来る。

Marimbab 個人的にも、自作のオーケストラ曲でのマリンバの使用頻度はかなり高い。交響曲第2番「地球にて」のフィナーレは完全にマリンバ(+カリンバ)によるリズムの饗宴だし、最近ではオーケストラ版「タルカス」のハモンドオルガン風アタックのパッセージはマリンバを多用している。

 マリンバの作品としては、むかし安倍圭子さんに頼まれて書いた(…なぜか演奏された記録のない)「バードスケイプ」(op.20/1984)という「幻の」曲があるほか、山口多嘉子さんのパーカッションのために書いた作品の中に、マリンバが入っているものがゴッソリある。
 パーカッション群のための「鳥リズム」(op.46/1991)、ホルンとパーカションのための「ミミック・バード・コミック」(op.63/1995)、ピアノとパーカッションのための「チェシャねこ風パルティータ」(op.94/2005)などなど。

 当然、新しい世代のマリンバ奏者として三村奈々恵さんのことは知っていたし、CDも聴いていたので、「マリンバのコンチェルトを」と頼まれた時、別に悩むこともなく、頭の中でアフリカの鳥たちと一緒にリズムを奏でるマリンバの音が鳴り始めた。

 タイトルは、実を言うとふと思い付いた「モッキンバード」(木琴だけに…)というオヤジギャグ?が頭の中をグルグル回って困ってしまったのだが、最終的に「鳥たちのリズム法」ということで「バード・リズミクス(Bird Rhythmics)」とした。

 曲は3つの楽章からなる。

Mbird 第1楽章:Bird Code(鳥の符号)
 鳥の断片的な鳴き声(符号)の中からマリンバがゆっくり音を刻み始め、やがてすべてを巻き込むリズムの交錯へ広がってゆくアレグロ楽章。

 第2楽章:Rain Song(雨の歌)
 大地をぽつんぽつんと落ち始める「雨」によせる歌。中間部では呪術的な「雨乞い」の舞踏が始まり、ふたたび「雨の歌」に回帰する。

 第3楽章:Bird Feast(鳥の饗宴)
 極彩色のアフリカの鳥たちとマリンバによるリズムの饗宴。熱帯的で楽天的(人生肯定的)なフィナーレ。

 この曲を書いている間中、日本は記録的な猛暑日が延々と続き、頭がほとんど「亜熱帯」になっていたせいか、アフリカのリズムによる「音の遊び」が心地よかった。
 なにしろ、誰の耳に届かなくても、森には鳥たちの歌が満ちているし、大地にはリズム(生命の律動)が満ちている。

 つまるところ、地球という「オモチャ箱」から聞こえてくる夢、
 それが「音楽」なのだ。
 とすれば、存在するかどうかで悩む必要など全くなかったことになる。

 それは確かに私たちと共に「ある」のだから。

          *

Flyer□組曲「優しき玩具たち」
 舘野泉デビュー50周年 自主公演リサイタルツアー
 ピアノ・リサイタル2010

2010年10月22日(金)
 札幌コンサートホール リサイタルホール
2010年10月26日(火)
 福岡銀行本店ホール
2010年11月10日(水)
 東京オペラシティコンサートホール 
2011年 2月06日(日)
 いずみホール(大阪) 

記者会見

□マリンバ協奏曲「バード・リズミクス」
 独奏:三村奈々恵

2010年11月27日(土)
 京都市交響楽団定期演奏会/京都コンサートホール
2011年1月22/23日(土/日)
 山形交響楽団定期演奏会/山形テルサ
2011年5月21日(土)
 東京フィル「響きの森」コンサート/文京シビックホール

 

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2010/09/10

ハレルヤコーラスはなぜニ長調なのか?

Hallelujah 最近、「調性」に関する入門書のような本を上梓した。

 もともとの企画は、クラシックの名曲を調性別に列挙して、初心者向けにCD付きで紹介する「調性で読み解くクラシック」というもの。

 要するに「ハ長調ならこんな名曲(例えば、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」など)があります」「ホ短調ならこんな名曲(例えば、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界から」など)があります」というように名曲を並べ、それぞれの「調性」の性格や特徴について簡単に解説を加える、というクラシック音楽入門書である。

 古典派クラシックの曲はたいてい「交響曲A短調」とか「ソナタB長調」「ワルツC短調」などと大書してあるから、その範囲内では「調性別の名曲」の選別はきわめて簡単だ。
 ただし、ロマン派以降の名曲となると(例えば「白鳥の湖」の情景のテーマとか、新世界交響楽の「家路」のメロディ、「惑星」のジュピターの旋律など)「何調」で書かれているか?と調べるのは、ちょっと手間がかかる。

 しかし、それより何より問題なのは、「調性に関する解説」の部分だ。
 例えば「長調は明るく、短調は暗く感じるのはなぜ?」とか、
「作曲家が曲を書く時に〈ニ長調〉とか〈変ホ長調〉とかを選ぶ理由は?」、
 あるいは「ドミナント(属和音)からトニカ(主和音)にハーモニーが変化すると、どうして〈解決〉した感じになるのか?」

 それぞれ理由はシンプルと言えばシンプルだが、それには「音楽的」「科学的」「歴史的」な視野による解説が必要で、ひとこと「これこれこういうわけなのです」ではすまない。
 かと言って、それらをパスして「調性についての本です」と言い張ることも出来ない。

 そこで、作曲家歴30年の筆者としては、自分の今までの経験をふまえ、さらに独断と私見をまじえて(と言うより独断と私見だらけなのだが)「調性とは何なのか」と言うことを、図らずも徹底追究することになったわけである。

□ハーモニーとは何か

 さて、音楽の三要素は「リズム、メロディ、ハーモニー」と言われる。
 細かく言うと、さらに幾つかのパラメータ(変数)があるが、ざっくり言えばこの3つだ。
 しかし、この3つ、誕生した歴史を見るとものすごい時代的な開きがある。

Human 我らが人類は、500万年ほど前にアフリカで誕生し、100万年ほど前に新天地を求めて世界各地に壮大な旅を始めた…と言われている。

 そんな人類が手にした「音楽」の最古株は(もちろん)「リズム」。
 そもそも循環系の器官(心臓)を持つタイプの生物ならすべて体内に「リズム」つまり「生命維持のためのビート(鼓動)」を持っているから、「音楽」だけでなく、生物そのものの根源に関わる要素のひとつと言うべきだろう。

 ただし、人類がそれを「リズム」として意識し、人為的に使い出したのは、「二足歩行」になり両手が自由になってから。つまり「手」でものを叩く…という行為が可能になってからということになる。それでもたっぷり数十万年前といったところだろうか。

 一方「メロディ」は、「声」を発する器官を持ち、それをコントロールする筋肉と知性を必要とするため、哺乳類あるいは鳥類あたり以上の「知的」生物に限られるアイテム。
 人類がそれを手にしたのは、おそらく「ことば」より古いと思われるが、「あーー」とか「おーーー」と唸るだけでは「メロディ」とは言えない。人為的に(いわゆる)「メロディ」として使い出したのは、原始的な村社会や宗教が生まれた頃だから、歴史としては数万年前といったあたりだろう。

Chanta それに対して、もっとも新しい音楽の要素である「ハーモニー」の登場は、ぐっと新しい。まず、アフリカを出てヨーロッパの山岳地域の「洞窟」に人類の祖先が住むようになり、そこの「お風呂場エコー」的な響きの中で神を讃える「聖歌」としての「メロディ」を歌い始めたのは(おそらく)数万年前。

 それから数千年の間、洞窟の中にこだまする「聖歌」の残響を聞き続けていた彼らは、そのうちに、オクターブや完全5度ずれた「聖歌」が、不思議な「ハモり方」をすることに気付き始める。

 そこから「多声部でハモる」歌い方が広まったのが、キリスト教成立からさらに数百年たった頃。「グレゴリオ聖歌」と呼ばれる(現存する最古の)作曲作品が生まれたのが9〜10世紀のことだ。

Chantb
 やがて、それを「楽譜」というものに記述して、メロディ・ラインの組み合わせ方(対位法)やハモり方(和声法)への研究が始まったのが11世紀頃。
 さらに、それらが統合されて、ようやく今で言う「ハーモニー」の基礎が固まったのは、15〜6世紀頃。せいぜい500年ほど前のことだから、「リズム」や「メロディ」に比べると、まったくの新参者ということになる。

 この「ハーモニー」以外の「リズム」と「メロディ」に関しては、おそらくどんな古代文明でも、独自の体系を持って、豊饒な「音楽」文化を持っていたはず。
 ただ、こと「ハーモニー」に関しては、ここまで高度に発達したのはヨーロッパという地域特有の、しかもここ1000年限定の独自の現象のように思えてならない。そして、その独自の進化の背景となったのが「キリスト教」だ。

□調性とキリスト教との深い関係

Humanb 人間の手足が2本+2本である以上、どんな文明の「リズム」も2拍子&4拍子であるのは基本中の基本。
 人間の祖先が二足歩行となり両手が空いたとき、まずは、何かを叩いて「定期的なパルス音」を作り出すことは、最初に試みられたはずだ。
 やがて、それを「ビート(鼓動)とシンクロさせて」楽しむ…という形の「音楽」が生まれ、さまざまな文明で、さまざまなバリエーションを持って普及していった。

 一方、「メロディ」の方は、最初は「単音」の「あーー」とか「おーー」という唸り声として生まれ、次にそれを2音3音「上下」させる、という形で進化して行く。
 それが、やがて両手で「道具」を扱う時代になると、「弦楽器(ハープや琴)」や「管楽器(笛やラッパ)」の登場し、そこから「音階」…という概念が生まれたわけだ。

 このあたりまでは世界共通だが、そこから先は、民族それぞれに「音階のそれぞれの音の間隔」に関するアプローチの差が現れる。これが…「旋法」。
(ちなみに、普通の感覚では短調っぽい音階の方が人間の耳には合っているようで、おおくの「民族的旋法」は短調系だ)

 しかし、残念ながら、遺跡や古文書からは「音」は発掘されないので、古代人たちがどんな「音楽」を奏でていたかは、「空想」の域でしかない。

Egypt それでも(遙か紀元前の)古代ギリシャ文明は、ドーリア・フリギア・エオリアなどさまざまな「旋法」を体系として持っていたし、その科学的解明もすすめていた。一方で、我らがアジア地域でも、古代中国が数学的なアプローチからオクターブを「12音」とする楽理を確立している。

 もちろんエジプト文明も、壁画に笛や太鼓やラッパや竪琴などの楽器が描かれていることからすると、かなり立派な「音楽」が存在していたはずだし、古代ローマ帝国の音楽などはさぞかし高度な技法に満ちたものだったに違いない。

 それらの豊饒な「音楽文化」に比べると、当時の(後に西洋クラシック音楽の総本山となるはずの)中央および北ヨーロッパ地域には、洞窟で細々と聖歌をつぶやくくらいの貧相な音楽しかなかったような気がする。

 ところが、その「貧相な音楽文化」に大逆転ホームランの兆しが訪れる。それが、2000年ほど前の「キリスト教」の誕生である。
 当初は、辺境の地域に起こった小さな宗教にすぎなかったのだが、それがローマに伝わりヨーロッパ全土に広がり、気が付くとヨーロッパ文明がすべて「キリスト教」の教義を中心にして動くまでに浸透していった。

Vinci そして、この「キリスト教」の全ヨーロッパ浸透を核にして、洞窟の代わりに「教会」で「聖歌」を歌う〈音楽セクション〉に「最高の知性」が結集されるようになった。
 例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチらが活躍した頃の中世ヨーロッパでは、「音楽」の総合的研究(歌う、演奏する、作曲する)は、「代数」「幾何」「天文学」「建築学」などに匹敵する「インテリ必須の華の学問」となっていたほどという。
 音楽は、単なる娯楽などではなく、「宗教(キリスト教)」と「科学」と「社会」そして「人の心」を結ぶ、壮大な「英知」となったのである。

 おかげで、その1000年ほどの間に、音楽の科学的側面が徹底研究されるようになる。
 例えば、音の振動比が1:2の「オクターブ」、および2:3の「完全5度」が「もっとも調和した響き」として確立され、さらに協和音としての「ドミソ」(音の振動数比が3:4:5)が理論として確立されるわけである。

 人間の耳には不自然に聞こえても、振動比として完璧な比率を持った「ドレミファソ」が「音階」の王者に君臨したのもこの時期。(ちなみに、ドとソが2:3、ドとファが3:4、ドとミが4:5)

 この「宇宙的な調和」がキリスト教的な「神」の姿と共振したのか、さらに「三和音」という考え方が「三位一体(父と子と精霊)」の教義に沿ったこともあったのか、この「ハーモニー」のシステムは、宗教的な強い背景(とバックアップ)を得て、全ヨーロッパに浸透し、強大な展開を遂げるのである。

□五線譜と「宗教曲」

Scorea もうひとつ、「キリスト教的自然倍音ハーモニー」と並んで画期的な「発明」となったのが「楽譜」だ。

 10世紀前後に、「音」の高さを「◆」や「●」で記述するシステムが考案され、それは、やがて15世紀頃には「五線譜」として確立する。これは、どんな声でも楽器でもすべての「音(厳密には、音高と音長)」を記述できる画期的な「大発明」だった。

 事実、これが「ことば」より強力な「全キリスト教的共通言語」としてヨーロッパ中に広まった。結果、この「五線譜」で記述された音楽は、キリスト教文化圏ならほとんど何処でも読み込め「音楽を再生」できる(ラジオやCDのない時代としては最強・無敵の)「音楽伝達メディア」となったわけである。

Bach そして18世紀、「音楽の父」バッハの登場を迎える。
 この頃には、「キリスト教」も「五線譜」もすっかり全ヨーロッパ共通の「文化」となり、五線譜でキリスト教的音楽を書くことは、平民出身の学徒としてはおそらく最高の「花形職業」となったと言っていいかも知れない。

 以後、ヨーロッパの音楽家たちにとって、「名誉」を得るには「宗教曲(オラトリオやミサ曲)」、そして「生計」を得るには「歌劇(オペラ)」。…という2大目標が確立し、人類史上初(そして唯一の)「作曲家の時代」を迎えることになる。

 というわけで、バッハはもちろん、ヘンデル、ハイドンからモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト……などなど、作曲家たちはすべて(実際はどこまで敬虔なキリスト教徒なのか分からないにしても)せっせと「宗教曲」の作曲に励んでいる。

 実際、ヨーロッパの楽壇で「敬愛される作曲家」というのは、曲の知名度とか大衆的人気とは別に、「宗教的な大作」を残した作家が多い。そのあたりは、やはりヨーロッパに根深い宗教的な背景なのだろう。
 だから、大作曲家たちはすべて宗教的な大作を残している。J.S.バッハの「マタイ受難曲」、モーツァルトの「レクイエム」、ベートーヴェンの「荘厳ミサ(ミサ・ソレムニス)」・・・
 ヘンデルの「メサイア」、ハイドンの「天地創造」、メンデルスゾーンの「エリヤ」は、(メサイア以外は)演奏頻度がさほど高いとは言えないが「三大オラトリオ」として定番の地位を固めているし、イギリス人ならこれにエルガーの「ゲロンティアスの夢」を加え、フランス人なら「火刑台上のジャンヌ・ダルク」を加えるだろうか。

Mass 革命児ベルリオーズもデビュー作は「荘厳ミサ」や「レクイエム」だし、「テ・デウム」や「キリストの幼時」など宗教関連の作品も少なくない。
 また、どこからどう見ても敬虔なキリスト教徒などではなさそうな革命家ワーグナーも、「さまよえるオランダ人」から「タンホイザー」や「パルジファル」に至るまでキリスト教の「救済」を組み込んでいるし、ブラームスも、ドイツ語で聖書の語句を引用再構築するという裏技ながら「ドイツ・レクイエム」という大作をものしている。

 イタリア・オペラという「世俗界」の作曲家たちも、ロッシーニ・ヴェルディ・プッチーニそろって宗教的作品にしっかり手を染めているが、これはカトリックの総本山ローマを意識してのことだろうか。

 近現代になると、逆に、あまりにキリスト教真っ正面の作曲はいくぶん影をひそめるが、ユダヤ人で「カトリック」の呪縛に七転八倒したマーラーにしても、表だってキリスト教的な「宗教曲」は書いていないものの、「復活」や「千人の交響曲」には宗教的な香りがぷんぷんする。

 ヨーロッパ中央楽壇から離れた異教徒的スタンスの「民族主義楽派」にしろ、いくぶんオカルト的な密教にテーマを求めたドビュッシーやサティ(一説にはワーグナーも)にしろ、まったく「キリスト教」あるいは「宗教的」な素材を取り上げなかった作曲家というのはきわめて少数派に見える。
 近現代でも、あのシェーンベルクでさえ、集大成のオペラは旧約聖書が題材の「モーゼとアロン」だし、20世紀アメリカの寵児バーンスタインも(ロックっぽい現代性を持ちながら)「ミサ」を書いているし、前衛派と呼ばれたペンデレツキやリゲティも宗教曲を書いている。

 クラシック音楽の系譜で完全に「キリスト教離れ」している(というより宗教がらみにノータッチ)の作曲家は、ピアノに固執したショパンとラヴェルくらいか。
 それ以外では、ソヴィエト共産主義体制で大作曲家をやっていたショスタコーヴィチくらい。宗教的大作のはずのオラトリオも、彼の場合は「森の歌」。まあ、これも「スターリン教」の宗教音楽だと(皮肉めいて)言って言えなくもないのだが。

□神の頭文字はD。

Ddur と、ここで最初の「調性」の話に戻るのだが、そんな「宗教曲」でよく使われる特別な「調」というのがある。

 それが「ニ長調」だ。

 もともと「ニ長調(#2つ)」というのは、ヴァイオリン属の楽器には必ず開放弦としてある「D(Re)」の音が主音なので、弦楽器がのびのび響くのが特徴。
 それは、ベートーヴェン、チャイコフスキー、ブラームス…というヴァイオリン協奏曲の名曲が揃って「ニ長調」であることからも分かる。

 ただ、それだけではない「理由」がある。それは、「神」はラテン語で「Deus」、「ニ長調」は「D」。Dは、神の頭文字の「調性」なのである。

 そこで、神に関わる曲を書く時、作曲家は「D」つまり「ニ長調」を選択するようになった。事実、バロック期前後には「テ・デウム」のような「神の賛歌」は、多くが「ニ長調」で書かれている。

Handel 例えば、ヘンデルの「メサイヤ」の中の、神を讃える有名な「ハレルヤ・コーラス」がニ長調。この曲、冒頭は(バッハのマタイ受難曲と同じ)「ホ短調」で暗く始まるが、神を讃える「ハレルヤ」の大合唱と、最後の「アーメン」のコーラスは「ニ長調」。これは完全に「神=D」を意識している。

 ベートーヴェンの有名な「第九」も、(宗教曲ではないものの)フィナーレでは「この星空の彼方に父なる神が必ず住んでいる」と、神を歌い上げるため「ニ長調」。
 その結果、冒頭の第1楽章は同主調の「ニ短調」になる。同じ理由で、宗教曲として書き上げた「荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)」もニ長調である。

 ただ、この「神=D」にこだわるのは、古典派まで。その後は(さすがに「こじつけ」にすぎると思ったのか)宗教曲好きなブルックナーにしても、古典派回帰のブラームスにしても、「弦が良く鳴るキイ」としての「ニ長調」にしか興味がなくなったように見える。
(まあ、言ってみれば「迷信」みたいなものだから、それも当然と言えば当然のような気がするけれど)

Unmei ちなみに、音階が「ドレミファソラシド」と呼ばれるようになった理由は、ちょっと音楽に詳しい人なら一度は聞いたことがあるはず。(そう、11世紀頃、冒頭の歌詞がUt…Re…Mi…Fa…Sol…で始まるヨハネ賛歌から考案されたもの)

 では、それより前、音階に「ABCDEFG」という名前が付いたとき、どうして「ド」ではなく「ラ」の音が「A」になったのか?

 もうひとつ。その音階にどうして「#」と「♭」などというものを付けるようになったのか? 
 そして、どうしてそれを「シャープ(とがった)」とか「フラット(平ら)」などと呼ぶようになったのか?

 その答えを知りたい方は・・・・・

         *

Flyer■ドレスデン聖十字架合唱団&
 ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団・・・

ヘンデル:オラトリオ「メサイア」全曲
・2010年11月30日(火)18:30 
 東京オペラシティ・コンサートホール

J.S.バッハ「マタイ受難曲」全曲
・2010年12月3日(金)18:30。
 サントリーホール
・2010年12月5日(日)14:00。
 横浜みなとみらいホール

出演
 ローデリッヒ・クライレ(指揮)
 ユッタ・ベーネルト(ソプラノ)
 森麻季(ソプラノ)メサイアのみ
 マルグリエット・ファン・ライゼン(アルト)
 アンドレアス・ウェラー(テノール)福音史家
 クラウス・メルテンス(バス)
 ヘンリク・ベーム(バス)

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2010/08/10

夏休み総力特集「ロックmeetsクラシック」

Presley 20世紀の初め、伝統と新しい近代文明との狭間で大きな曲がり角を迎えるヨーロッパ音楽(西洋クラシック音楽)に対し、新大陸アメリカでは、全く異質の文化が出会うことによって生まれた新しい音楽が開花していた。

 それは、奴隷として新大陸に連れてこられた黒人たちによるアフリカ音楽と、移民として入植した白人たちのヨーロッパ音楽が奇妙に融け合った音楽で、最初は遠いアフリカへの郷愁と奴隷の境遇を嘆きつつギターをかき鳴らす「ブルース」として広まった。
 やがて、この音楽は西部の酒場に転がっていたピアノや南北戦争の軍楽隊の楽器(トランペットやベース、太鼓など)と合体して、いくぶん賑やかな酒場の音楽「ジャズ」となった。
 そして、1920年代頃には、この「ジャズ」は、アメリカを代表する音楽として洗練の極に達する。ガーシュウィンやラヴェルが登場した時代だ。

 さらに、第二次世界大戦前後、黒人音楽「ブルース」にリズムを加えたシンプルなダンス・ミュージック「リズム&ブルース」が、放送やレコードの普及と共に一世を風靡する。戦後の日本に鳴り響いた「西洋」音楽はこのあたりがルーツだ。
 そして、1950年代頃、エルヴィス・プレスリーらの登場によって、さらに激しい「腰を揺らし(Rock)回して(Roll)踊るような音楽」に昇華。「ロックンロール(Rock'n'Roll)」と呼ばれるようになる。
 
Beatles この「ロックンロール」は本家ヨーロッパにも逆輸入され、1960年代には、ビートルズに代表されるバンド編成(エレキギター、ベース、ドラムス)の音楽として、現代のさまざまな素材(古きヨーロッパ音楽からエレクトロニクスやメディア、そしてファッションまで)を取り込んだ汎世界的な音楽に進化する。
 これが「ロック」。異なる文化(ヨーロッパ文化とアフリカ文化)が新しい時代の潮流の中でリミックスされた、正真正銘の「20世紀の音楽」の誕生である。

□ロックmeetsオーケストラ

 そんな出自の音楽である以上、「ロック」が音楽史上の大先輩である「クラシック音楽」に敬愛を抱くのはある意味当然であり、その最大のアンサンブル・ユニット「オーケストラ」と共演したいというのは、多くのバンドが抱いた夢だったと言っていいかも知れない。

Wakeman その夢は、1970年代初頭、エレキギターの音を千変万化に加工するエフェクターや、シンセサイザーあるいはメロトロン(コーラスやストリングスの壮大なサウンドを作り出すアナログ式サンプリング型キイボード)などの登場と相まって、ロックバンドでオーケストラに匹敵するサウンドと宇宙を作り出す試み「プログレッシヴ・ロック」あるいは「シンフォニック・ロック」という世界に昇華する。
 
 しかし、この時代のクラシック系の創作音楽界は、(いわゆる)「前衛音楽」「現代音楽」が最盛期。リズム(ビート)やハーモニーが明確な「ロック」など、取り込むどころか認めることすら出来なかったことは、返す返すも残念としか言いようがない。
 確かに「ロックにはクラシックの遺伝子が組み込まれている」しかし「クラシックにはロックの遺伝子はない」。クラシックという父親こそが、ロックという息子に学ぶべきだったのだ。
 そして、この時の「狭量さ」が、その後のクラシック系創作音楽界(現代音楽界)衰退の致命的要因となってゆく…。

Orchestra そんなジリ貧の現代音楽界を尻目に、ロック界は電子音楽サウンドから古典的クラシック音楽までを貪欲に吸収し、商業的な成功も加わって圧倒的な存在感を音楽シーンに刻印してゆく。
 そして 1970年代後半になると、ロック界で成功したバンドが、その豊富な「儲け」をつぎ込んで、「オーケストラを雇う」試みが頻出し始める。敷居が高いとは言え、数万ドルのギャラさえ出せばオーケストラは「雇える」のである。そこで「箔を付けるため」ということも含めて、成功したミュージシャンたちはオーケストラとの共演をしたがったわけだ。

 ところが、ロックバンドがオーケストラと共演すると、ロックの方は、「クラシック」を意識して日頃のパワーやビートを出せないもどかしさが残る。一方、オーケストラの方は、指揮者が振るリズムとドラムスが叩き出すビートの狭間でうろたえているという感じになる。
 その結果、残念ながら「お互いに気を使い合う」といった感じで、双方25%ずつの力が合体して計50%程の出来…と言うのがほとんどだった。

 結局、「ロックとクラシックの融合」というヴィジョンは、あまりにも魅力的な試みながら、結果的にはどれも不完全燃焼。あちこちに不満が残る出来でしかないというのが、個人的な印象だった。

Tarkusx_2 ロックの魅力は、まず第一に「エネルギー(パワー)」。
 それは、PAで電気増幅されドラムスで強化された大音量サウンド(音の質量)と、ビートの持つスピード感(速度)が生み出す衝撃である。

 なにしろ、運動量の方程式は
 エネルギー(パワー)=「質量」x「速度」
 音量の大きさとスピードこそが、パワーの原点なのである。

 この「質量」と「スピード」をオーケストラに移植せずに、オーケストラでのロックはあり得ない。

Tarkusq さらに「構造」も重要ポイントになる。
 なぜなら、作曲家がもっとも意匠を凝らすのは「構造」だからだ。

 ロックンロールの時代は、音楽というのは2〜3分のものと決まっていた。SPレコードの収録時間と言うこともあるが、所詮4ビート8ビートで12小節あるいは16小節の繰り返しでしかない音楽。3コーラスも繰り返せば飽きてしまう。当時のDJもラジオで流すのは「2分台まで」と決めていたほどだと言う。

 しかし、「ロック」になってからは違う。ビートルズが最初に打ち出した「コンセプト・アルバム」という構想は、2〜3分の楽曲をLP一面(20分前後)あるいは、アルバム一枚分(40分前後)をひとつのコンセプト(発想・テーマ)を持つひとつの流れとして「構成」する考え方だ。

 そして、ポスト・ビートルズのアーティストたち(特にプログレッシヴと呼ばれるバンド)は、この「20分前後」という枠での「構成」にこだわった。
 例えば、ピンクフロイドの「原子心母」や「エコーズ」、EL&Pの「タルカス」、イエスの「危機」などは20分前後の「交響詩」として構成されている。その「構成」があるからこそ、物語性と存在感を持つわけなのだ。
 だから、そのモチーフやテーマだけを抜き出して「適当な」アドリブや変形を加えて曲をでっちあげることは、作曲者および楽曲へのレスペクト(敬愛)の視点からすれば「あり得ない」。

 この「破壊力」と「スピード」をそのままに、「構成」を忠実に取り込みつつオーケストラで「remix(再構築)」すること。それこそが「ロックをオーケストラ化する」基本なのである。

◇制作の過程

Tarkus 私が、クラシック・オーケストラの作曲家を志したのが、1970年前後。大学(ただし一般大学)に入学した頃だから、かれこれ40年ほど前になる。

 当初は、「現代音楽」と呼ばれるクラシック系純音楽に傾倒していた訳なのだが、この前後(1970年から75年あたりまで)に「プログレッシヴ・ロック」という新しいタイプのロック・ミュージックが次々に登場するのに接し、「新しい時代の音楽」としてかなりの衝撃を受けることになる。

 中でも、スローテンポで前衛的かつ抒情的サウンドを紡ぐピンクフロイド、賛美歌的なコーラスに緻密な構成と変拍子リズムを凝らしシンフォニックな宇宙を描くイエス、ジャズとクラシックとロックを直結させた世界に荒々しくも強靱なビートで切り込んだEL&Pの3つのバンドは、同時代の「現代音楽」の脆弱さを遙かに超越した巨大で「新しい」音楽世界を作っていて、衝撃的だった。

 ちなみに、個人的に「クラシカルなシンフォニーに匹敵する名作」として注目していたのは、ピンクフロイド「原子心母」「エコーズ」「狂気」、イエス「ラウンドアバウト」「危機」「シベリアンカートゥル」「海洋地形学の物語」、そしてEL&P「タルカス」および「悪の教典#9」というような、演奏時間が20分前後(あるいはそれ以上)のシンフォニックな構成感を持つ大作群である。

 当時の「現代音楽界」は、「調性やメロディやリズムがある音楽などはもはや死に体である」という考え方が基本で、その主張のうえに「斬新で先鋭的な」音楽を「新しい技法、新しいテクノロジー」と共に作ってゆく機運だった訳なのだが、プログレッシヴ・ロックには「調性」も「リズム」も「メロディ」もすべてがあった。しかも「それでいて新しい!」のである。これはショックだった。
 結果、それらの音楽に匹敵する「オーケストラ・サウンド」を(現代音楽界で)作るのが、作曲家としての私の当時の目標となっていたわけである。

 その最初の試みは1974年頃。アマチュアのロックバンドに入って上記の「エコーズ」や「狂気」をコピー演奏するところから始まった。キイボードを弾いていたので、「タルカスごっこ」や「リック・ウェイクマンごっこ」をよくやっていたのを覚えている(笑)。

 そして、1979年には、オーケストラ曲「ドーリアン」で、EL&P的変拍子ブラスロックのオーケストレイションを初めて試みる。
 これが実質上、私のクラシック音楽界デビューだったのだが、「ストラヴィンスキー的」とは評されても「ロック的」と指摘する人はクラシック(現代音楽)界には皆無。クラシックとロックの「遠さ」(とロックへの無知さ加減)に、ショックを受けることになる。

 翌年、「朱鷺によせる哀歌」を発表。こちらはピンクフロイド的な抒情的クラスターを使ったモード(旋法)作法の試みだったのだが、こちらも「ピンクフロイド的」などという指摘は皆無。「調性がある」という些末的なことばかりに注目され、半ば呆れ、半ば諦めの「現代音楽界デビュー」を迎えることになる。

 1982年、コンピュータ打ち込みによるMIDIの規格が登場。パソコン上でいくつかの断片を試みに入力し始める。ただし、まだ「変拍子」の入力が難しい仕様だったので、プログレ系の曲の入力は無理だった。
 それでも、1986年頃に導入したドラム音源では、十六分音符ひとつひとつにアタックを付けるとどんな曲でも(ショパンでも!)「EL&Pっぽく」なることを発見する(笑)

 1990年、最初の交響曲「カムイチカプ交響曲」を発表。第3章「FIRE」の章で、今まで蓄積してきた「ロック的なオーケストレイション」の集大成を試みる。
 この成果は、1994年の「サイバーバード協奏曲」を経て、2001年の「交響曲第5番」Finaleで全開になる。

 この頃から、ネット内でプログレ作品のコピーやMIDI演奏を試みている幾つかのサイトを見つけて、チェックを始める。全曲すべての採譜というのはさすがになかったが、部分的にかなり参考になる出来のものを発見。
 勇気づけられると同時に、チャレンジ精神が頭をもたげてくる。

 2008年6月、東京フィルから「音楽の未来遺産」というシリーズの監修を打診される。主に現代作品の中から、新しいレパートリーとなるようなものを選曲し、一夜のコンサートを構成する企画だが、「現代曲」である必要はないということで、アレンジを拡大させた「リミックス」という構想を提案。

 その目玉として、EL&Pの「タルカス」のオーケストラ化を具体的に進めることに決定。(実を言うと、元々はこの企画は3回のシリーズで、タルカスは最後の回の目玉として暖めていたのだが、諸般の事情と某政権の事業仕分けの影響で残る2回は消滅。いきなり初回に大物登場となった…のだが、それは別の話)

 かくして、今まで採譜してきたものと、MIDIデータなどを合わせた「大まかな全体の楽譜」が出来たのが2008年11月。
 そして、具体的なオーケストレーションの構想にかかることになった。

 ◇採譜と構成

 EL&P(エマーソン・レイク&パーマー)が1971年に発表したセカンド・アルバム「タルカス」は、当時ベストセラー・アルバムとなった大人気曲ではあるものの、曲の性質上、クラシックのように「スコアが出版される」ということはなかった。

 もともとロックのミュージシャンは楽譜を書かない。(私もロックバンドでキイボードを弾いていたので良く分かるのだが)それぞれのパートは、自分用のメモのような楽譜は持っているが、全員のパートを記譜した「スコア」に当たるものは存在しない。

 だから、ロックやポップスの曲の場合(ビートルズなどでもそうなのだが)、「楽譜」として出版されるのは、メロディと歌詞のうえに簡単なコードネームが付いているものにすぎない。
 しかも、それは当人たちが書いたものではなく、誰かに採譜させたものを元に出版社が作った楽譜であり、全曲の構成をそのまま楽譜にしたものはない。
(近頃、レッド・ツェッペリンなどの完全バンド・フルスコアなどというのも見かけるようになったが、それはごく最近のことだ)

 そのため、まずは「採譜する」という作業からすべては始まった。
 そして、おおまかなバンドスコアが仕上がったところで、全体の構想に入ることになった。

 全体の構成は
  1.Eruption(噴火)
  2.Stones of Years(ストーンズ・オブ・イヤーズ)
  3.Iconoclast(偶像破壊)
  4.Mass(ミサ聖祭)
  5.Manticore(マンティコア)
  6.Battle Field(戦場)
  7.Arua Tarkus(アクアタルカス)。
 
 1(噴火)および5(マンティコア)は、かなり器楽的に書かれているので、そのままインスト(つまりオーケストラ)にするのは比較的容易に思われた。
 メカニックな変拍子フレーズの繰り返し(リフ)の上に、モチーフが色彩的に浮遊するので、ストラヴィンスキー的あるいはバルトーク的なオーケストレイションが可能。

 一方、2(ストーンズ・オブ・イヤーズ)、4(ミサ聖祭)および6(戦場)は、グレグ・レイクのヴォーカルが入る。ここはビートが後退してバラード的な響きになる分、ストリングスで膨らませるアレンジが可能。
 ただし、メロディはシンプルなフレーズなので、歌詞がなければ完全な「繰り返しパターン」で極めて平凡。しかも、一歩間違うと安っぽいムード音楽風の響きになってしまうので注意が必要か。

 そして、問題は、3(偶像破壊)、4(ミサ聖祭)の中間部、および7(アクアタルカス)。ここはシンセサイザーやギターを含めた激しいアドリブがあるので、そもそも「採譜」が困難な部分が多い。しかも、採譜できても「そのまま」オーケストラで演奏させるようなアレンジは不可能。ここをいかに処理するかが「タルカスのオーケストラ化」最大の難関ポイントとなりそうだ。

Tarkusbook

◇編成

 オーケストラ化に当たって、当初は、ストラヴィンスキーの「春の祭典」に匹敵するパワーを持つ作品と言うことで、それと同等の編成(5管編成、ホルン8、トランペット5、チューバ2の巨大編成!)を考えていた。
 しかし、レパートリーとして考える以上、ある程度「普通の編成」で演奏できる必要がある。そこで、最終的に「通常の3管編成オーケストラ」とすることにした。
 ただし、タルカス・シフト(?)を敷いている。

Top ピッコロ
 フルート 2
 オーボエ 2
 イングリッシュホルン
 クラリネット 2
 バス・クラリネット
 ファゴット 2
 コントラファゴット

 ホルン 6
 トランペット 4
 トロンボーン 2
 バス・トロンボーン 1
 チューバ 1

 ポイントは、タルカスの咆哮を描くブラス・セクションのパワーアップ。特にホルンは、通常4本のところを6本使う。原曲のキイが「F(ヘ長調)」なのも、ホルン(in F)の活躍のしどころ。トランペットも4本に増量。

 そして第二のポイントは5人のプレイヤーから成るパーカッション。
 
 まず、ティンパニx5。
 そして、続く3人の「パーカッション群」は、
 シンバル系・・・
 ・通常のオーケストラ用サスペンド・シンバル
 ・ハイハット・シンバル、スプラッシュ・シンバル
 次いで、太鼓系
 ・トムトム3〜5
 ・スネアドラム
 ・バスドラム2
 要するに、この3人でほぼロックのドラムセット1つ分を分担する形になっているわけだ。
 ちなみに、バスドラムは、大きめの通常演奏用(ドンというアタック用)のほか、小振りでミュートさせたもので「キックペダル式バスドラム」の音を作っている。

これに加えて、アクセント用の小物、まずはキラキラ系
 ・トライアングル
 ・ウィンドチャイム
 ・アンティク・シンバル
そして、アタック系
 ・ウッドブロック
 ・カウベル
 ・タンブリン
 ・タムタム

さらに、もう一人のパーカッションが加わる。
 ・マリンバ:これはメカニックな硬質なフレーズを作るため
 ・ヴィブラフォン:ジャージーな雰囲気を作るため
 ・チューブラベル:最後の「カーン」
 
 そして、弦楽五部は通常のオーケストラ通り。

 ちなみに、原曲の「歌」の部分を、実際にコーラスあるいはテナーなどで歌わせることも考えないではなかったが、経費の点であっさり却下されてしまった(笑)。

◇オーケストレイションのポイント

1.Eruption

101 冒頭(00:19)、5拍子(4+3+3)の印象的リフに乗って断片的なテーマが登場する。キイボードではオルガンの左手のベースラインとドラムスがシンクロして強力な推進力を持つ変拍子リズムが発進するところ。

102 ここは、オーケストラのどの楽器でも、この強力なバスパターンの繰り返しに耐えられる音を連続演奏するのは無理。そこで、チェロ、バスーンをデヴィジにして、それぞれ4・3・3のブロックに解体し、これにマリンバとピアノのバスを重ねることで、リズムのグルーブ感と「リフ」の推進力を出すことにした。

 続く、曲想が変わる部分(00:43。5拍子から4拍子へのシフト)のアクセントは、バスドラのクレッシェンド+ティンパニの装飾音付きアタックで強化。
 これは、その後何度となく出て来るが、オーケストラで出しうる最も強力なアクセント記号として、かなり有効だ。

103 そして、ミニムーグによるタルカスの咆哮(00:57)。これはさすがに1パートだけの吹奏ではパワーで負けるので、金管を総動員。ホルン6本、トランペット4本、計10本での「雄叫び」である。

 その後の、同じくミニムーグによるグリッサンドの(グイーーンという)咆哮(01:44)は、ホルンのグリッサンドにトロンボーンのスライド・グリッサンドを重ねてみた。
 シンセっぽいというわけではないが、タルカスの咆哮という点では、こちらの方が生っぽくていいような気もする(笑)

 このあとは変拍子の嵐、しかもフォルティッシモの連続とあって、オーケストラは大変だ。しかし、このあたりは律儀に変拍子リズムにアクセントを付けてゆけばいいので、逆にオーケストレイション作業としては楽な方か。

2.Stones of years

 一旦静まって、グレグ・レイクの歌が入る「ストーンズ・オブ・イヤーズ」のパートが始まる。

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 メロディはシンプルなフレーズ(00:12)の1番2番の繰り返しだが、なるべく歌のテンポ・ルバートのニュアンスを活かして採譜。繰り返したときに「全く同じ」にならないように心がけた。

 問題は、この歌に絡むキースのオルガン・アドリブ(00:24)。

202

 これは楽譜にするのが大変だったところ(泣)
 このあたりは、木管楽器が活躍。

 続くハモンドオルガンのソロ(01:04)。

203_2

 これも絶妙なフレーズを活かしたくて、トランペット〜ホルンと受け渡して「ソロ」で。
 このあたりは微妙に木管楽器と絡むのだが、採譜が追いつかず、ちょっともごもごしている(笑)

3.Iconoclast

301 ふたたび変拍子リフの世界(00:03)へ。

 これは普通に弦の刻みで。同じ音型をピアノのバス音域とハイハットでユニゾンさせ、4+3+3のアクセントをマリンバおよびパーカッション(トムトムとサイドドラム)で分担させている。

302 続いて、フルオケ総動員のリズムのアクセント(00:58)が連続して登場する厄介な部分。
 すべてシンコペーション的な処(つまり拍の頭でないところ)にアクセントがあるので、指揮者に「かんべんしてよ〜」と泣かれる(笑)。

 そのあと、十六分音符の短いフレーズが交互に登場するパターン(01:05)は、弦の1・2および、クラリネットとオーボエで分担。
 ここはなかなか可愛い響きがする。

4.Mass

 そして、曲はふたたびグレグ・レイクの歌が入る「ミサ聖祭」のパートへ。

401

 ここもメロディ・パターンとしては同じ形の繰り返し(00:12)。

402_2

 構成としては、9小節のメロディの後にウッドブロックの合いの手が2小節入って、転調して次(2番)に移ってゆくというパターン。
 流れはシンプルで分かりやすいのだが、同じメロディを1番2番と歌うので、インストにしてしまうと完全に同じ繰り返しになる。(歌のパートがないと、ハッキリ言って退屈になるのである)。なので回数は省略することに。

 難しかったのは、そのあとの断片的なリズムの上で浮遊するハモンドオルガンの(スタッカートが印象的な)アドリブの部分(00:48)。

 ここは、原曲通りの採譜はあきらめて、オーケストラ的に(特殊奏法なども含めて)点描風の変奏をして処理。コルレーニョ(弦を弓の木の部分で弾く)やバルトークピチカート(バチンと音を立てるピチカート)駒の外の部分を弾く特殊奏法(しゃっくりのような音が出る!)をちりばめてある。

403 そして、さらに難関だったのが、次のアドリブ部分(01:15)。エレキギターの印象的な刻みリズムに乗って、オルガンの超絶フレーズからシンセのグリッサンドが交錯し、それにギターのアドリブも絡む。

 ここも、原曲そのままというのを放棄して、ランダムなアドリブによる「破壊的なパワー」の表現を最優先として、パーカッション群によるアドリブ合戦にしてみた。
 スコア上は、現代音楽的な「ad lib ... tomtoms,cymbals etc...」というような注釈付きで、ランダムっぽいフレーズが記されている。

404

 トムトム系の楽器を持つパーカッション2が、まず8小節の自由なアドリブ(01:15)。次いでシンバル系のパーカション3が加わって2倍のパワーとなって8小節のアドリブ(01:28)。
 その間、弦楽器は、背景の4度の和音をトレモロで半音ずつずり上がってゆき、テンションを高めてゆく。

 ここは唯一、原曲から離れて「オーケストラの色彩」を重点にした部分である。

5.Manticore

 続いて、敵役?マンティコアの登場。冒頭の変拍子リズムに似ているが、今度は9/8拍子のリフ(00:00)。

501

 最初は、チェロとバスーンで登場し、徐々に楽器が増えていって、全楽器のテュッティになる。

 そして、このリズム・パターンにハモンドオルガンが2小節ずつの合いの手を入れる絶妙な部分(00:22)が始まる。

502

 これは2小節単位で都合4回入るのだが、オーケストラの色彩を活かして、トランペット〜ピッコロ〜クラリネット〜オーボエと受け渡してみた。
 フルオーケストラによるリズム2小節と、次々に楽器が変わる木管のソロ2小節が、交互に演奏される。ここは、オーケストラ的に「おいしい」(最小の努力で最大の効果が上がる)ところである。

 このあと、マンティコアのテーマなのか、8/9リズムに乗ってハモンドオルガンのメカニックなソロが疾走し始める(01:05)。

503

 ちょっと聞くとトランペット・ソロのように聞こえるが、この部分をすべてをソロで吹奏するのは不可能。そこで、トランペット2本で交互に演奏させている。
 それでも、結構きついパッセージの連続なので、トランペットは大変である(泣)。

6.Battle Field

 曲は、コラール風の厚い和音による導入の後、ふたたび歌の入る「戦場」のパートへ。
 ここは、一種「荘厳な」力強さがある部分だが、「声」ゆえのパワーは望むべくもないので、いくぶんクラシカルな「コラール」的な感じを強調。エレキギターの不思議なフレーズは採譜しきれずホルンで(00:17)

 そして、「戦場」と言いながら、どこか寂しげなグレグ・レイクの歌(00:20)が印象的。これはイングリッシュホルンで、いかにも寂しげに。

601

 合いの手として、バスクラリネットの寂しげな〈溜息〉モチーフを加えてみた(00:28)。
 
602そして、終盤のテーマともなる、ファンファーレ的なモチーフが登場(00:42)。

 寂しげな歌と、この「闘争本能」のようなモチーフの交錯がこのパートのポイント。
 原曲では、エレキギターの力強いソロが入るのだが、これはさすがに採譜しきれず大幅にカットすることに(++)。この部分の約1分半のカットのおかげで、全体が原曲より少々短くなっている。
 

7.Aqua Tarkus

701 終曲。冒頭で、先のファンファーレ的なモチーフがどこか空虚に鳴り響く(00:00)。これはピアノとマリンバで。

 これが「戦闘開始」の合図なのか、スネアドラムのミリタリックなリズムが始まり、繰り返されるうちに巨大なエネルギーが蓄積されてゆく(00:52)

 そして「ボレロ」が始まる(01:02)のだが、この小太鼓リズムがなかなかいい。

703

 このリズムが延々と繰り返される上に、テーマがどんどん巨大な質量へ増殖してゆく。
 繰り返しのボレロ・テーマは、木管楽器と弦楽器が担当。徐々に楽器を増やしてゆくことで、ボレロっぽさを出している。

 さらに、このボレロにからむミニムーグのソロ(01:02)がなんともカッコいい。

704

 原曲ではシングルトーン(単音)のムーグサウンドで演奏されるが、増殖してゆく大オーケストラサウンドの中でハッキリ「存在感」を主張するのは、単なる1パートのソロでは無理。
 そこで、この部分、金管を総動員した。

 キイボードの即興的なフレーズをそのまんま一音残さずトレースし、しかも、そのフレーズを金管全員のユニゾンで吹奏している。
 最初はホルン4本によるユニゾンで始まるが、徐々に増えていって、6本の斉奏になり、途中からそれにトランペット2本が加わり、最後は4本全員が参加。
 つまり、総計10本の金管楽器で、ミニムーグのフレーズをユニゾン演奏する訳である。なんと馬鹿馬鹿しくも爽快な響きであることか!(01:29)

705

 このボレロ部分が静まって行き、銅鑼(タムタム)が強烈な一打を放つと、曲はいよいよ最後の部分へ(02:50)。
 ここは、Part1「Eruption(噴火)」の後半が完全に再現される。ふたたびタルカスの咆哮が聞こえ、冒頭の5拍子リズムが復活。

 最後に、叩き付けるようなコードの連打(03:49)。(この部分、原曲にない「リタルダンドをかけて」と指揮者に注文。そのため最後の一音にゆく直前、うめくような壮絶なかけ声が聞こえる!)

 コーダは、フルオーケストラの巨大エネルギーの見せ所(04:00)。金管10本によるテーマの斉奏および、高音でのアドリブによるトリル、パーカッション群のアドリブ連打(隠し味にチューブラベルの一打)を加え、壮大な「ヘ長調」の主和音を「轟音」のレベルにまでボリュームアップしてみた。

706

          *

 ちなみに、これは「タルカスにクラシック風のオーケストレイションを施したもの」などではない。「オーケストラでロックを演奏する」ことの可能性を40年かけて追求した一つの「個人的成果」(言うなれば、夏休みの宿題のようなもの)である。

 もともと誰かに依頼されたものではなく(コンサート自体は東京フィルの企画だが)、10代から20代にかけて大きな音楽的喜びを与えてくれたプログレッシヴ・ロックという音楽ジャンル(そして、作曲者キース・エマーソン氏)に寄せる「敬愛」の念から発したもの。その点では、このスコアは純粋に個人的な「趣味」の産物というべきだろう。

 本来なら、何らかの形でこのスコアを公開(出版)し、私が学んだロックのオーケストレイションに関するノウハウを若い人に伝承したいところだが、現在の著作権法上それは叶わない。
(ちなみに、この曲の著作権は、作曲者のキース・エマーソン氏と作詞者のグレグ・レイク氏にあり、それ以上の権利が交錯して再演を妨げることがないように、私の編曲権は放棄している)

 願わくば、今回の試みをベースに(そして、このメモのようなオーケストレイションの覚え書きを参考に)、新たにロックの名曲のオーケストラ化に挑戦する若い人が出て来ることを、望んでやまない。

 そして、20世紀後半以降のクラシック音楽の歴史に、プログレッシヴ・ロックがもたらした大きな成果が正当に評価され正しく刻印されることを、心から望む次第である。

          *

□歴代〈ロックmeetsクラシック〉アルバム

Sgtpeppers 最後に、ロックとクラシックが出会ったアルバムを思い付くまま挙げて、この稿の締めとしよう。

1967 ビートルズ「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツクラブバンド」
 ビートルズとクラシックの出会いは弦楽四重奏をバックに歌った1966年の「エリノア・リグビー」(「リヴォルバー」収録)あたり。そして、翌年発表されたのがこの歴史的一枚。ロックンロールにクラシックのサウンドを組み込み、さらにブラスバンドや電子音楽からインド音楽まですべてを吞み込んだ衝撃作であり、「ROCK」という世界を確立した記念すべきアルバムである。ここから「ポスト・ビートルズ」=「プログレッシヴ・ロック」の道は始まった。

Moodyblues1967 ムーディ・ブルース「Days of Future passed(サテンの夜)」
 最初に「クラシック・オーケストラ」をロックと合流させたのは、プログレッシヴ・ロックの草分け的なバンド〈ムーディ・ブルース〉のこのセカンドアルバム。オーケストラによる印象派風のサウンドを使ったイメージアルバム風の作りで、ドビュッシー風の美しいサウンド。その名の通り「ムーディ」な響きがする。

Deeppurple1969 ディープ・パープル「コンチェルト・フォー・グループ&オーケストラ」
 ライブでのロックバンドとオーケストラ(M.アーノルド指揮ロイヤル・フィル)との歴史的初共演。バンドのキイボード奏者ジョン・ロードの作曲による全3楽章7パートからなる演奏時間約1時間の大作。バロック時代の合奏協奏曲風という感じ。

1970 ピンクフロイド「原子心母」
 純然たるクラシック・オーケストラではないが、ブラスやコーラスを前面に出したシンフォニックな抒情的サウンドによる「プログレッシヴ」ロックの原点というべき一枚。
 ロックなのに「自然賛歌」とでも言うべき叙情性と、どこかシベリウスにも通じるスロービートの中に浮遊する旋律性が個人的に衝撃だった。しかし、ピンクフロイド自体は、その後オーケストラにもクラシックにも接近を試みていない。

Tarkus_21971 EL&P「タルカス」/「展覧会の絵」
 ピンクフロイドとは全く対照的に、ハードさとスピード感を全面に出したプログレッシヴ・ロックの雄の登場。上品でリリカルなクラシックではなく、バルトークやストラヴィンスキーなどの異教のバーバリズムにあふれたクラシック音楽をロック・トリオで演奏した前者、クラシックの名曲そのものをロック化した後者。いずれも「ロックにクラシックを取り込み凌駕する」という覇気にあふれた強烈な試みだった。

1972 イエス「危機」/「海洋地形学の物語」
 ロックバンドでクラシカルな構成感とサウンドを描き上げた恐るべきアルバム。緻密にスコアで書かれたような「シンフォニック」な構成感は、まさに「シンフォニック・ロック」。後者は全4楽章LP2枚分の長さを持つ「マーラーの交響曲」に匹敵する大作。

1974 リック・ウェイクマン「地底探検」/「アーサー王と円卓の騎士」
 そのイエスのキイボード奏者リック・ウェイクマンが、ピアノ・シンセサイザー・オルガンなどキイボード群の圧倒的な色彩的サウンドをオーケストラと絡ませた意欲作。ナレーターが付いてSFや歴史物語を描くライブ・パフォーマンスとしても成功を収めた名作。

Rypdal1974 テリエ・リプダル「Whenever I seem to be far away」
 リプダルは北欧ノルウェイのジャズギタリスト。サステインを効かせたエレキギターのロングトーンと、シベリウスの「トゥオネラの白鳥」ばりの抒情的なストリングス・オーケストラ(&オーボエ、クラリネット)が絡むタイトル曲は絶品。マイナーな作品ながら、個人的にかなり衝撃を受けた一枚である。

1976 アラン・パーソンズ・プロジェクト「怪奇と幻想の世界」
 ピンクフロイドの録音エンジニア:A.パーソンズが立ち上げた全編スタジオワークによるアルバム。「アッシャー家の崩壊」におけるオーケストラサウンドのセンスがなかなか見事で印象的だった。

Works1977 EL&P「WORKS」
 バンドの3人がオーケストラと共演したアルバム。
 K.エマーソンは完全にクラシック編成によるピアノ協奏曲を披露している。

1993 シンフォニック・イエス
1994 シンフォニック・ジェネシス
1994 シンフォニック・ピンクフロイド
 プログレッシヴ・ロックをオーケストラで演奏した一連の企画シリーズ。実際にメンバー数人が参加しているものもあり、ロックバンド+オーケストラの共演になっている。

Cd_morgaua1997 ディストラクション
 我が国の弦楽四重奏の雄モルゴア・カルテットがプログレの名曲に挑んだ衝撃の一枚。プログレのオマージュ&コラージュ作である拙作「アトム・ハーツ・クラブ・カルテット」を始め、イエスやキングクリムゾンのアレンジ・ピースなどを収録。今回の企画の原点となったアルバム。

Ingway1998 イングウェイ・マルムスティーン「新世紀」
 エレキギターとオーケストラのための協奏組曲変ホ短調。ギターパートそのものはかなりクラシカル(バロック風)だが、それを巨大な音響のエレキギターでやる独創性が光っている。

1999 メタリカ「S&M」
 サンフランシスコ交響楽団との共演ライヴ
2000 スコーピオンズ「Moment of Glory(栄光の蠍団)
 ベルリン・フィルとの共演ライヴ。
 共に、いわゆるヘビーメタル系のバンドだが、意外とオーケストラでやっても違和感のない抒情的メロディが魅力。

2010 タルカス〜クラシックmeetsロック

Tarkusr

 

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2010/07/10

オペラの中の女と男

Metropolis 中学時代、そろそろ「性」に目覚め初めた頃、ソヴィエトのSF小説だかで「女性像」について目からウロコ的な記述に出会ったのが忘れられない。

 男性が惹かれる女性のポイントというと、大体「髪の毛が長くて」「胸が大きくて」「お尻が大きくて」「足がすらりとしていて」(そして「若くて」)というような、かなり図式的な好みがある。その理由は、人間がまだ原始人だった頃の「太古の記憶」によるものだと言うのである。

 生物のオス(♂)にとってメス(♀)というのは、第一義に「子孫」を残すためのパートナー。自分の「種(遺伝子)」を確実かつ健全に「子供」の形で残し、それを安全かつ健康に育てられる相手…という「条件」でパートナーを捜す。その「条件」は、魚類・鳥類・爬虫類それぞれ違うのだろうが、我らが人間は哺乳類として独特の「選別法」がある。中でも、二足歩行になった「人類」の選別法は独特だ。

 まず胎児を育てる安定した子宮がポイントになるため、大きな骨盤を持った、すなわち「お尻の大きな」女性を選択する。そして、生まれた乳児に栄養つまり母乳を供給する器官の充実を確保するため、乳房の大きな、すなわち「胸の大きい」女性を選択する。さらに、健康な若い卵子を供給でき、出産というハードな行為に耐えうる「若さ」を持った女性を選択する。これは「知性」より奥に仕込まれた「本能」であり、男性は決してそれに抗えない。

 そして、ベビーカーどころか衣服すらまだ存在しない原始人の時代には、生まれたばかりの赤子を落とさないように移動するための唯一の道具が「長い髪」。長髪が女性のシンボルであるのは、髪に赤子を巻き付けて抱く必需品だった名残らしい。

 さらに、何か危険が迫ったときは、赤子を抱いて逃げなければならない。そこでは脚力が必要になる。「すらりとした長い足=脚線美」は決して美術的な意匠ではなく、現実的な「機能」の象徴だったわけだ。

 もちろん、現実問題としては、お尻が大きい=安産、胸が大きい=母乳の安定供給、髪が長い=赤ん坊の安全、足がきれい=逃げ足が速い、というわけにはいかない。しかし、複数の異性の中から(接触せずに)特定の個体を選別する方法は、さしあたり「外見(ルックス)」しかないわけで、男性にとっては「外見」が異性選択の最重要ポイントになる。

 そして、少なくとも「群れ」の中で、もっとも優れた女性(と外見で見える個体)をゲットするのが、男性の「存在原理(生きる理由)」でありステータス・シンボル(権威の象徴)。結果、特定の群れの中でもっとも「外見」の揃った女性を捜し出すのが「男の本能」になったというわけだ。

         *

Jomon_2 この即物的な「真実(?)」に、(女性にもう少しマシな幻想を抱いていた)中学生だった私は、ちょっとショックを受けたわけなのだが、同時にこの「解析」、女の子からもひどく評判が悪かった。「女を子供を産む道具にしか見ていない」とか「所有物とかモノと思ってる」というのが批判の中心。そのあたりは、その後のフェミニストたちの主張と同じだ。

 じゃあ、女性の「男の選び方」の方はどうなんだろう?ということになるわけだが、女性の側にとって最重要なのは、「妊娠」し「子供」が出来た後の育児期間に、「食糧」を確保してくれて自分と子供を「安全」に扶助してくれること。これに尽きる。

 そう考えると、やはり「力」を持っていることが何と言っても最重要ポイント。要するに「食料」および「安全」を確保してくれる「力」である。それは古代には、獲物を狩ってくれる「体力」や、敵から身を守ってくれる「武力」だったが、やがて近代になると、農耕や社会生活を制御する「知力」、群れの中で優位を保証する「権力」などが台頭してくる。現代であれば「経済力」のある男ということになるだろうか。

 ということは、女性から見ると男性の「外見(ルックス)」の良さはあまり優先課題ではないように思える。しかし、これはやはり男の場合と同じで、「優れた男」に見える「外見」を持っている男の方が、若い女性にとって「優位性の確保」に繋がるということなのだろう。なにしろ、経済力や知力や地位は、外からひと目では見えないのだから。(ただし、男性における「外見(ルックス)」があまり当てにならないことは、徐々に思い知ることになるようだが)

 結果、大雑把に言うと「〈外見〉で選ぶ男性」に対して「〈中身〉で選ぶ女性」という図式になる。女性の側にも、もちろん男性の肉体的な「外見」について「好み」はあるようだが、それはあくまでも「好み」。男性が女性に抱くような「抗えない強力な磁力」のようなものではなさそうだ。

 そもそも、男性は「若くて見栄えのいい異性」を一旦ゲットし「種(自分の遺伝子)」を残しさえすればいいのに対し、女性の方の問題は「そのあと」。出産から育児の期間の「安全」を保証してもらう必要がある。その分、「現実的」にならざるを得ない、ということだろうか。

          *

Robotw_2 そのあたりの話で最近、ちょっと面白いと思ったのは、女性が男性を選ぶときの「免疫学」から見たメカニズムの研究だ。

 よく若い女性が、「オヤジ(お父さん)の匂い」を不快に思うという話。あれは免疫学的に言うと極めて妥当な反応なのだそうだ。

 そもそも女性にとって、自分のパートナーである男性を選ぶ最も重要な生物学的ポイントは、「自分とはなるべく違ったタイプの遺伝子」を持った異性なんだとか。
 例えば、「Aという病気に弱い」という同じタイプの男女が結婚した場合、子供は「Aという病気に弱い子」ばかりになってしまう。なるべく違った遺伝子を持つ同士が交配することで、「Aという病気」に対する免疫が強まる「可能性がある」。だから、違うタイプの遺伝子を持った異性を選ぶ。これが、人間の生物的本能の基本なのらしい。

 そう言えば、古代社会から「近親相姦」は禁止されているが、それは単なる風習とか倫理ではなく、「より免疫的に強い」子孫を残すためのメカニズムということになる。同じタイプの遺伝子を持った(同じ免疫系の)種族は、Aという病気が流行したら最後、全滅してしまう。なるべく多様な遺伝子を持つ子供たちを持つことで、そのうちの数人が生き残る=種族が全滅せず後世に子孫を繋げられる、という構造だろうか。

 しかし、タブーがあったとしても、一夫一婦制が確立されておらず戸籍などというものがない原始社会では「同じ遺伝子を持った異性」かどうかなんて分からない。そこで、「出産可能な若い女性」は「匂い」でそれをかぎ分け、「この人はダメ」「この人はOK」と選び分けてきたのだそうだ。

 つまり、若い女性が「匂い」で「ダメそう」と感じるのは、その相手が近親者(父親や兄弟)である可能性が大。女性が出産可能になった時、父親や兄弟のような身近な異性に「性的魅力」を感じてしまっては困るので、「匂い」というストッパー(&アラーム)が組み込まれているわけだ。そして、「いい匂い」あるいは「匂いがしない」と感じる男性こそが、自分のパートナーであると女性は選別するのらしい。

 ネットや携帯の時代に「匂い」?と、ちょっと首をかしげそうになる話だが、実際、若い女性を集めて「近親者と他人の衣服の匂いをかぎ比べる」という実験をしたところ、現代の女性も「いい匂い」と「不快な匂い」という形でかなり正確にかぎ分けられたのだそうだ。

 これはちょっと面白い。「外見」で選ぶ男性と、「匂い」で選ぶ女性。こういう視点の恋愛は「音楽」にならないものだろうか?

          *

Score■オペラの中の女と男

 そう言えば「オペラ」というのは、男と女の恋を描くものがほとんど。それが主題でないにしても、恋が全く登場しないオペラと言うのはあまり思い浮かばない。

 その中で、主人公たちがどんな「外見」どんな「匂い」でお互いを選んでいるのか、ちょっと興味が沸いてきたが、「舞台」では「外見」は衣装で隠れているし「匂い」は嗅ぐわけにいかないので、それはちょっと無理か。

 それに、色々な恋のさや当てや事件があって最後は「結婚してめでたしめでたし」…という話は多いものの、その基本は「二人の世界」。その向こうに「子供」が見え隠れしたり、そこから先の「子孫」にまで視点を伸ばした物語となると、グッと少なくなる。

 例外の代表作としては、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」。あれは、英雄ジークフリートが「子孫」として誕生する話を、父ジークムントと母ジークリンデの恋の馴れ初めや、そもそもの前世の呪い話から遡って延々と語る壮大な物語。兄と妹が結婚して英雄が生まれるという「近親相姦」譚だが、その「特殊」さゆえに「神話」になったということだろうか。

 でも、「結婚してめでたし」のオペラの中にも、「子孫」への視点が伸びているものが幾つかある。

Turandots ◇トゥーランドット

 プッチーニの最後のオペラ「トゥーランドット」も、おとぎ話(寓話)っぽく仕立てられながら、実は「男を選ぶ女(お姫さま)」の壮大な婿選びに巻き込まれた「男」の物語。恋とか愛ではなく、現実的に「子孫」を残さなければならない皇女(トゥーランドット姫)が、父親である老王の「孫の顔を見なければ死んでも死にきれぬ」という後押しで、いやいや相手を選ぶ。

 現代の普通の一般家庭にも「まだ結婚したくない」という娘はいくらでもいて、色々な理由を付けては駄々をこねるわけだが、それが中国の王室ともなると話が大きくなる。結婚する相手は、まず「私の出す3つのナゾナゾを解かなきゃイヤ」。しかも、「解けなかった時は、首をチョン切っちゃう」と言ってしまったことから話は始まるわけだ。

 冷静に考えると、これは要するに「まだ結婚したくない」姫さまが、無理難題をふっかけて結婚相手を断る「方便」。確かに、皇女として権威や力は充分すぎるほど持っているから、そもそも当人にとっては「結婚」するメリットはない。安全と食糧は既に充分すぎるほど確保されているのだから、敢えてそこから外に踏み出す「必然性」が認められないわけだ(そのあたりは、現代の女性と似ている)。

 しかも、先の「免疫」の話で言うと、豪華な宮殿の中で香水や美食にまみれて「異性の匂い」など忘れて育っている。当然ながら、かぎ分ける能力を発揮する「場」もない。老王から言われている「子孫を残す」という大儀を、頭では理解しているが、身体が拒んでいる。それをモラトリアム(猶予)するための「子供っぽい」アイデアが上記の「条件」だったわけだ。

 いくら何でも「負けたら首をチョン切られる」と分かっていて挑戦するバカな男はいないだろう、というのが姫さまの考え。ところが、「男」は女性の想像を遥かに超えた「バカ」なのである。その証拠に、いい年をした大の男が、痴漢だの盗撮だの下着泥だのポルノだので捕まる事件が後を絶たない。阿呆なことに命を賭けるのが「男の性」なのかも知れない。嗚呼。

 そこで、首を切られようがなんだろうが、「この世で一番見栄えのいい女」つまり皇女にして若き美女でもあるトゥーランドット姫に結婚を申し込むべく殺到する。そこから生まれた壮大にして異様な「おとぎ話」的展開が、「トゥーランドット」の世界である。

Turandot プッチーニがこのオペラの作曲を手がけたのは1923年頃から亡くなる年(1924年)まで。自分に結婚を申し込む男の首をチョン切ってしまう「氷のように冷たいお姫さま」と、彼女への愛を証明するために3つの謎に挑戦する「放浪の王子カラフ」が、なんとなく恐妻家のプッチーニと奥さんの冷めた関係を思わせて、微妙な味わいがある。

 ちなみに、献身的な「秘する恋心」を抱きながら、王子を守るために自ら命を絶ってしまう可哀想な女奴隷リューは、元々の物語にはないプッチーニの創作。(実際に、プッチーニ家にいたメイドの少女がモデルなんだとか。そのあたりの詳しい話はこちらで)

 ただし、この彼女、命を賭けて「愛」をアピールするものの、王子カラフは全く「異性」として眼中にない。これは、考えてみるとあまりにも可哀想。この「悲劇」の方が、トゥーランドット姫とカラフ王子の話などより聴き手の心を打つほどだ。

 そして、オペラの終幕では、3つの謎を解かれながらも、最後まで「結婚」を拒むトゥーランドット姫に対して、王子カラフが捨て身のキス攻撃で「愛」を獲得する。この王子のキスによって、トゥーランドット姫は「この人の名は愛!」と叫んで、婚姻を発表するのである。

 ただし、プッチーニ自身は、この結末(キスだけでカラフの愛を受け入れてしまうこと)にどう「必然性」を与えるか悩みに悩んで、結局「未完」に終わってしまったほどらしい。でも、前述の「免疫学」の話を聞いていたら、プッチーニも納得できたかも知れない。つまり、トゥーランドット姫は、自分とは異質の遺伝子の「匂い」をかぎ取ったゆえに、カラフを受け入れたのだ。

 つまり、キスによって「女性を籠絡した」と思うのは男性の大いなる勘違い。女性にとっての「キス」というのは、「相手の免疫の確認」という(高度に戦術的な)意味があるのである。
 女性おそるべし。

 この近代イタリアオペラの雄プッチーニに対して、ほぼ同世代のドイツ音楽圏における最大の人気オペラ作家のひとり:リヒャルト・シュトラウスも、同じ頃、ちょっと面白い「愛の形」をオペラにしている。

Poster ◇影のない女

 それが、1919年に初演されたオペラ「影のない女」。これは「恋」の物語ではなく、おとぎ話的な「出会い」があって結ばれた「お妃さま」と「王さま」の、その後。つまり、結婚後の物語である。

 お妃さまの方は、霊界の王の娘で、人間ではない。動物に姿を変えて人間界に降りてきたところ、王様と出会う。そして、愛し愛されて人間界で結婚するのだが、彼女には「影」がない。これがオペラのタイトルの所以。

 本人はそのことの「意味」を知らなかったのだが、ある時、霊界からの使者の口から、それは「子供を産めない」ということだと知る。しかも、1年12ヶ月たっても「影のない」状態が続くと、夫である「王」が石になってしまう。その期限があと3日。そう聞かされ吃驚仰天する。

 話としては極めて「おとぎ話」(寓話)的なシチュエーションだが、早い話が皇室や武家と同じ。幸せな結婚をしてお互い愛し合っていても、お妃が皇位継承者である男の子を生めない身体(影のない女)で、その状態が何年も続くと「血筋」を保つために「側室を付ける」とか「血族の別の男児に継承を移行させる」とかの強硬手段が必要になる。まさに「石になる」状況だ。

 一般家庭でも、「子供が生まれない」というのは、「未来」を考えた場合切実な問題だろうから、「結婚してめでたしめでたし」の先にあるあらたな「テーマ」として、「子孫」への視野をオペラに組み込んだシュトラウスの視点は、面白い。

 かくして物語は動き始め、「影のない妃」は人間界に降りてゆき、「影」が要らない(生むことを放棄した)という女から「影」を譲り受けようと画策するのだが……

 心打たれるのは、シュトラウス(あるいは台本のホフマンスタール)の「愛」の視点だ。
 ワーグナーばりの音楽で「エロティシズム」を描くように見えて、実は「愛というのは、生まれてくる未来の命のための架け橋なのだ」という「家庭的」とも「宇宙的」とも取れる視点が、この作品のベースになっている。それは一幕最後で「影の声」によって歌われるのだが、これはちょっと感動的だ。

 その後の人間界での、もう一人の夫婦とのいきさつはオペラを鑑賞する楽しみに取っておくとして、この話、最後はハッピーエンドで終わる。影のないお妃さまは「影」を得られることになり、無事に子供が生まれることになったお妃さまと王さま(そして、人間界のもう一組の夫婦)が抱き合うのが終幕のシーンである。

 この大団円の場で、舞台の背後から「まだ生まれていない(これから生まれてくる)子供たちの声」が「お父さん、お母さん」とささやくように聞こえてくる。
 その最後の一句が、なんとも可愛くもあり、ちょっぴり怖くもある。

 「僕たち子供は、
  招待されてこの世に生まれる
 〈お客(ゲスト)〉に見えるかも知れないけど、
  実は、僕たちこそがこのお祭りの
 〈主催者(ホスト)〉なんだよ」

 要するに、男性を縛り付ける女性の「外見」への衝動も、女性が選別する男性の「匂い」への機能も、すべて「これから生まれてくる子供たち」によって仕掛けられたもの。
 私たちが「性衝動」とか「愛」とか思っているものは、彼らによって体中のあちこちにセットされた「タイマー」や「アラーム」なのである。

 子供たち、恐るべし。

          *

マリインスキー・オペラ2011年来日公演

■リヒャルト・シュトラウス「影のない女」
 2011年2月12日(土)16:00 東京文化会館
 2011年2月13日(日)14:00 東京文化会館

Schatten_head

■プッチーニ「トゥーランドット」
 2011年2月18日(金)18:30 NHKホール
 2011年2月19日(土)14:00 NHKホール
 2011年2月20日(日)14:00 NHKホール

Turandot_head_2

■特別コンサート
・ベルリオーズ「トロイアの人々」
 2011年2月14日(月)18:30 サントリーホール
・ワーグナーの夕べ
 2011年2月15日(火)19:00 サントリーホール
・ロシア音楽の夕べ
 2011年2月16日(水)19:00 横浜みなとみらいホール

ワレリー・ゲルギエフ指揮マリインスキー・オペラ

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2010/06/10

天才とは何だ?〜ブラームス型凡楽のすすめ

Brahms 以前、とあるクラシックの音楽番組からブラームスについての取材を受けたことがある。開口一番「ブラームスはどんなところが天才なんでしょうか?」と聞かれたので、言下に「いや、彼は天才じゃないでしょう」と応えたところ、「・・・・・」。
 取材はボツになった。

 どうやら番組としては・・・ブラームスは「保守的」な作曲家というイメージがあるが、実は「こんなに斬新」で「こんなに画期的」なことをやっていたんです・・・というような指摘とコメントが欲しかったらしいのだが、私の意見は全く逆。
 ブラームスは「保守的で」「新しいことをやらない」「才能のない作曲家」なのに、現代に至る〈クラシック音楽〉の基礎を作った。そこが凄いのだ。

 そもそも、昔から「天才」という言い方はどうも違和感がある。人のプラス部分をなんでも「天才」と一括りにしてしまうのは、マイナス部分を何でもかんでも「気違い」と一括りにしてしまうのと同じで「思考停止」でしかないと思うからだろうか。

 それに、音楽を「評論」視点で見る人は、なぜか「新しい」とか「天才」というのを金科玉条にするけれど、そもそもクラシック音楽界というのは、(ブラームス以来)全く新しいことをやらずに100年も200年も前の天才が作った音楽を崇め奉るだけの閉鎖社会。「新しい」ことからも「天才」的な所行からも背を向けたブラームスの視点こそが、その後のクラシック音楽界の基礎になっているんじゃなかろうか。
 だからこそ、3大Bはバッハ・ベートーヴェン・「ブラームス」なのである(巨人・大鵬・「卵焼き」…のようなオマケではなく!)。これを「凄い」と言わずして何と言おう。いや、皮肉でなく。

 考えてみれば、ベートーヴェンが改革し肥大化させた「交響曲」を、(ベルリオーズやワーグナーやマーラーのように)その延長線上に発展させるのではなく「伝統」として古典化してしまった発想が凄い。
 その古臭い「交響曲」の理念を立ち上げたうえでそこそこの名作を4つほど残したことで、その後の民族主義楽派(チャイコフスキーやシベリウスやドヴォルザークら)における「交響曲」隆盛の道筋を指し示したのも画期的だ。
 ベートーヴェンの(直感的イマジネーションの火花のような)9つに対抗するのはお手上げだが、ブラームスのような教科書的な交響曲なら「私にも作れるんじゃないか」と思えなくもない。事実、ロシアや東欧や北欧の作曲家の卵たちにそう思わせ、実際にその成果を実らせたわけだから、クラシック音楽界におけるその影響は確かにバッハ・ベートーヴェンに比肩する。(くどいようだが、皮肉でなく…)

 そのおかげで、ベートーヴェンが9つ書いて「それで終わってしまった」感じさえしていた「交響曲」を、半世紀ほど経ってから蒸し返し、ベルリオーズやワーグナーがどんどん斬新かつ近代的に肥大化させていったオーケストラを「2管編成」などというオーソドックスの墓場に封じ込め、「オーケストラの定期演奏会」という百年一日の世界の王道レパートリーを確立した。
 文字通りの「保守・反動」なのだが、その威力は絶大で三日天下の前衛より100倍革命的だ。

 実際、長年オーケストラのコンサートやFM音楽番組の解説をやっていて実感するのは、「どうしてオーケストラって言うのは、こんなにブラームスばっかりやるのだろう」ということ。そう呆れてしまうほど、ブラームスの演奏頻度は多い。
 決して「人気がある」わけでも「お客を呼べる」わけでも「華やかさ」や「分かりやすさ」があるわけでもない。言ってみれば、校長先生の訓辞みたいな…内容があると言えばあるけど、おもしろみがないと言えば言える…という音楽なのだが、なぜかアマチュアでもプロでも安心して演奏できる「クラシック音楽の基本の基本」がそこにはあるのだ。
 だから、ブラームスの4曲およびその影響下に書かれたブラームス型2管編成の類型交響曲(ドヴォルザーク、チャイコフスキー、シベリウスなど)がなかったら、オーケストラというものが21世紀にまで生き残っていたかどうか疑わしい。

 確かに「天才」の凄さは一目瞭然だが、ブラームスはその逆。全く一目瞭然でない地味なところから、100年間にわたってじわじわ効くボディブロウを叩き出す。
 地味でシャイで人見知りのまま「石橋を叩いてこつこつ」型でのし上がり、何かと目立つワグナーやブルックナーに嫉妬し、真面目で堅物で面白いことひとつ言えないタイプで婚期も逃し、そこから来る劣等感からしみ出す「皮肉」っぽい視点にまみれ、根っから人が悪いくせに外見上は穏やかな文化人を気取る。一言で言えば「(最強の)ひねくれたオジサン」だ。

 …などと力説すればするほど、「ああ、ブラームスがお嫌いなんですね〜」と溜息をつかれそうだが、まあいいや。
 考えてみれば、バッハ・ベートーヴェン・ブラームスの三大Bは3人とも(生まれつきの天分に恵まれた…という意味での)「天才」とはほど遠い、後天的かつ結果論的な「巨匠」。むしろ、天分に恵まれなかったことで生涯ジタバタし通しだった印象の方が強い。
 天分に恵まれたわけでもない者が、ここまで音楽史に影響を与える「音楽的偉業」に到達した、という事実の凄さ。これを「天才」と呼ぶのなら、むしろ「天災」と言って欲しい。(…というオヤジギャグを言うためにここまでのうのうと話してきたわけではない。念のため)

 □天才のメカニズム

Rossini_gioacchino ちなみに、世間的にいう「天才」というのは…

1.若くして秀でた才能を発揮する人。
2.経験や論理でなく「直感」で行動し(ているように見え)、それがことごとく成功する(ように見える)人。

 同じ秀でたことを同じ期間で成し遂げても、5歳から初めて20歳で成し遂げれば「天才」と呼ばれるが、45歳から初めて60歳で成し遂げても、あまり「天才」とは呼ばれない。
 若くして(普通の平凡人ならまだ子供や学生をやっている年代で)才能を発揮しているからには、後天的な努力や修練ではなく「生まれつき」の「天からの才能」があるに違いない…という想像が「天才」の語源なのだろう。

 さらに、Aから直接Dを導き出すような直感的な思考をする人こそ「天才」と賞される。AからBを経てCを加味しつつDに至る…というような順序立てた思考で辿り着いた行動をする人は「天才」とは呼ばれにくい。
 それは、普通の人から見ると、その思考の過程が想像できず「直感」で結論に到達しているように見えるからだが、シャーロック・ホームズ譚の例を挙げるまでもなく、意外と(普通の人とは違った思考過程ではあるものの)順序立てた思考で結論を出しているだけのことが多い。
 ただ、それが「鮮やかに的中」したり、熟慮の末とは思えないような「早さ」で結論が引き出されると、それは紛れもなく「天才的」と見える…ということなのだろう。

 例えば、日本の田舎町に「7歳でフランス語がペラペラの子供がいる」と言われたら、「すわ天才か!」と思ってしまうかも知れない。まるで「生まれつき」フランス語をしゃべる謎の技能が備わっていたかのように見えるからだ。
 でも、両親がフランス人…と聞けば「なあんだ」で終わってしまうはず。

 同じように、「8歳で交響曲を書きました」とだけ聴けば、それは紛れもなく「天才!」と言われそうだ。でも、両親が音楽家で2〜3歳の頃から五線紙とピアノにまみれて育ち、父親所蔵のオーケストラのスコアを悪戯半分で書き写すような少年時代を送っていたとなると、どうなのだろう。
 それは8歳で原稿用紙100枚の自作のファンタジー小説を完成させた…とか、9歳でノート3冊分の長編マンガを書き上げた…と言うのと同じで、どの小学校でもクラスに一人くらいはいそうな気がする。

 さて、ここまでの結論として、「天才などいるものではない」と言うべきなのか、「子供はそもそもみんな天才なのだ」と言うべきなのか。
 ブラームス先生から始まった「やぶにらみ天才考」、少し袋小路にはまってきた気がする。

□天才のパターン

Mendelssohn そこで、ちょっと視点を変えて、クラシック音楽界の伝統的な「天才」物語に焦点を合わせてみよう。

 クラシック音楽界には、伝説的な「天才」のパターンがある。まず、幼少時から音楽に囲まれた(裕福な。あるいは親が音楽通の)家庭に育ち、2〜3歳から言葉と同じ次元で音楽を吸収して行く。
 当然ながら5〜6歳には既に才能の片鱗を見せるようになり、10代初めともなると「自分の音楽」の世界を確立させ、大人を驚かせる。

 その際「音感の良さ」というのが「音楽の才能」の必須条件のように言われるが、普通程度の知能を持つ子供なら「r」と「l」の発音も、「赤」と「緑」の区別はつく。同じように、幼いときから自然に音楽を耳にしていれば、絶対音感もソルフェージュ能力も「ことば」と同様に扱えるようになる。

 ただし、いかに早期教育しても、現実に「音楽」での表現に興味を示すのは思春期になってから。(女子は少し早いらしいが)おおむね14〜17歳あたりで「音楽への興味」として外に現れ、そこから修練を積むことで26〜28歳あたりで(公式デビューあるいは代表作品などの形で)開花する。
 その後、作家生活に入った場合は、37〜38歳あたりでピークを迎え、その後何度か浮き沈み(スランプ)を経て、最終的に50歳頃終息を迎える。(これは、不思議なことに女性の出産にも当てはまる。人間という生物の持つサイクルなのだろう)

 そういった人生を「レース(競争)」に例えれば、確かに早くスタートを切った方が有利だ。物心つく前から音楽に親しみ、5〜6歳で既にピアノに親しんでいるという方が、30歳を過ぎてピアノを一から練習し始めるより、どう見ても「有利」なのは間違いない。
 それに、そもそも人間の脳の仕組みなのか、(一説には)本能的なレベルで技能が脳に染み込むのは9歳くらいまでらしい。世界のあちこちを飛び回って英語やドイツ語や日本語がぺらぺらというマルチリンガルの人も、寝言など本能的に口に出る言葉は9歳の時に話していた言語だという。
 その伝でゆくと、少なくとも9歳以前に「音楽」に触れる機会を持っていないと、その後にいくら勉学として吸収しても「ネイティヴ」にはなれない、ということになる。少なくとも「言語」のレベルで「音楽」を操るには、10歳を過ぎて「自分の意志で」習得を始めるのでは遅いようなのだ。

 結果、幼少時の「まだ物心が付いていない」頃に親から受ける「教育」がいかに重要かということになるのだが、じゃあ、出来るだけ小さい頃から徹底的に叩き込めばいいのかというと、ここにも大いなる問題がある。
 
 言葉と同じように(ネイティヴに)「音楽」を操れる…と言うのは、普通の人が言葉を話す時、文法だの修辞法だのを意識しないのと同じように、まったく直感的かつ自然に音楽を組み立てられる…と言うこと。(日本人は英語を日本語に翻訳してから理解するが、ネイティヴになると英語を英語のまま理解する。それと同じだ)。
 だから、そこに論理的思考や計算の跡筋はみられない。音楽をさらさら作曲する天才に「その曲はどうやって作ったんですか?」と聞いても「自然に頭に浮かんだ」とか「空から聞こえてきた」というような返事しか返ってこない。この不思議さ加減が「天才」の「天才」と呼ばれる所以である。
(そう言えば、かの長嶋茂雄はバッティングの極意を聞かれて「ボールがびゅっと来たら、ばしっと打つんですよ」と応えたとか。これが「天才」風の答え方だ)

 ただ、これは普通の人でも「ことば」ではやっていること。もしあなたが友達とぺらぺらとおしゃべりをしている時、外国の人から「今ノ文章ハドウヤッテ作ッタンデスカ?」と聞かれても、おそらく答えは「天才たち」と同じはず。
 ネイティヴでない人間は、「何を言おうか」と考え、それを単語に置き換え、さらに文法に沿ってそれらを並べ、それを正しく発音する…という過程を経ないと言葉を話せない。
 さらに、相手の返事を「聞き取り」、その単語の意味を把握し、文法的な並び方を確認し、それを自分のネイティヴな言語に翻訳し、その内容を理解する。それが「会話」。
 でも、幼少時からその言語を脳内システムフォルダに持っているネイティヴな人は、すべてをすっ飛ばして「口」が勝手に動くのに任せている。これが「天才」のメカニズムということになる。

□創造のメカニズム

Schubert ただし、音楽にしろおしゃべりにしろ、愉しんでいる分にはいいのだが「生業」にする場合、この「自然に頭に浮かぶ」ことほど怖いものはない。なぜなら、浮かんでこなくなったら、おしまいだからだ。

 前述のように、音楽を言語レベルで幼少時に自然に習得するのは「有利」である。早い効果的なスタートを切れる、という点で、この「まるで天から生まれつき備わっていたかのような才能」は、いきなり初回で3ランホームランを打つほど先取ポイントが大きい。
 例えば、音楽の基本の習得に12年かかるとして、中学卒(14歳)で始めた場合は26歳でようやく第一歩だが、4歳から始めれば16歳でデビューも夢ではない。これは天に祝福された「天才」に見える。

 しかし、16歳デビューの直感がそのまま30歳40歳まで続くことは、まずない。今まで直感でぺらぺらしゃべっていたものが、実は「主語と述語」だの「動詞と形容詞」だの「敬語」だののシステムを持っていることに気付く時が来るからだ。
 それは、それまで「自然」に「直感」で作ってきたものに改めて向き合い、果たして文法的な整合性や論理的な構築性があるかどうか考える必要に迫られることと言ったらいいだろうか。その時「自分がどうやって音楽を生んでいるか」という基本が自分で分からないことになると、これは一転して大いなる「不利」になることがある。
 幼少時から自然に100本の足で歩いているムカデが、大人になって改めて「自分はどういう順番で足を動かして歩いているのだろう」と考え始めたら動けなくなってしまうのに似ている…と言ったら漫画的に過ぎるだろうか。

 その証拠に、この種の早期促成栽培型天才少年は、多くの場合、ピーク時の直後(三十代後半あたり)に大きな壁に直面し、その際に早死にしてしまうか、その後才能を枯渇させてしまうことが実に多い。通常の人生でも「厄年」と呼ばれるように、成長から熟成に至る狭間に、肉体的精神的な「壁」に突き当たる。その時、運悪くそれを乗り越える体力と精神力が無ければ、命を落とすことも少なくない。
 8歳で交響曲を書き作曲家として大活躍しながら35歳で夭逝したモーツァルト、そのモーツァルトの再来と騒がれ十代からオペラのヒット作を連発しながら37歳を境に引退したロッシーニ、あるいは歌曲や交響曲やソナタなど膨大な名作を残しながら31歳で死んでしまったシューベルト、作曲に指揮に教育に秀でながら38歳で急死したメンデルスゾーン……

 それは、前述のような生物的な人生サイクルによるものもあるが、行動パターンから来る必然の部分もあるかも知れない。
 例えは変だが、「剣の天才」というのがいたとして、子供の頃からいつでも抜き身の剣を持って自分より強い相手を求めて真剣勝負…などという人生をやっていたら、三十を過ぎて長生きするのは不可能なのは自明の理。なにしろ、命を賭けた勝負においては「勝率100%」以外の人はすべて死んでしまうのだから。
 そうなると、あっさり若くして死ぬか、さっさと引退して花でも愛でる余生を送るか…二つの人生しかないのは明らか。(その場合は、前者が「天才」っぽいが、単に逃げ損なっただけ…でどっちも同じと言えば同じと言えそう)

 そこから先を生き残るのは、数多い「挫折」を経験していることと、それ故に培われた「戦略」を持っていることだ。
 確かに「天才」というのは羨ましいところはあるけれど、「天才」になるのは、あまり幸福なこととは言えそうもない。前述のように、初回に3ランホームランを打って後半コールド負け(それでも歴史に残る)などという人生より、盗塁やスクイズを積み重ねて3点差を地味に逆転(ただし、あんまり話題にはならない)という人生の方がいい…と思うのだがどうだろうか。

□凡才のすすめ

02_2 もっとも「天才」になることを怖れるまでもなく、世界の大部分の人は、生まれつきの天分には恵まれず、現世での才能も開花しないまま、そこそこの人生を生きるのが普通。これが「凡才」。

 それでも、「音楽」を愛でるのに何の不自由もない。子供の頃から両親やまわりが日本語を話す環境に育っていれば、「小学校にも上がらないのに日本がぺらぺら」というレベルにはなる。同じように、数十年にわたって日々音楽を愛で続けていれば、凡夫の才でも何らかの形になる。「天才」である必要などまったくない。いや、むしろ「天才」などではないからこそ、音楽を生涯自由に愛でられるわけだ。

 おそらくモーツァルト少年やメンデルスゾーン少年は、まわりに音楽好きの大人がたくさんいたから、面白がって色々なことを教えてくれたのだろう。だから、ちょっと大人びた会話を覚えて「耳年増」になり、10歳の頃にはもう交響曲を書いたりオペラを書いたりして、大人たちを喜ばせる術を覚えて育った。そして、子供が書いた音楽を面白がる大人たちの手で、それらの作品は世に出された。だから20歳を迎える頃にはいっぱしの音楽家としてデビューもしていた。そのぶん、音楽家としてのキャリアは早かったわけだ。

 一方、ベートーヴェン少年やブラームス少年はそこまで「いいとこ坊ちゃん」で育ってはいない。それでも、毎日両親や友達と話したり勉強や日記でことばを操るうち、いっぱしの「おしゃべり」に育ってゆく。毎日自転車に乗って遊んでいるうちに両手を離しても運転できるようになるように、ピアノで話し、音楽で世界を記述できるようになった。
 そして、自分の道を自分で「音楽」と決めたのは思春期を迎えた17歳頃。それから本格的に音楽を勉強し、(酔狂な大人のバックアップなしに)自力で「音楽界」という険しい山の登山口に辿り着くにはそれなりの年月が必要だから、かなり苦労している。きちんと「挫折」を積み「戦略」を培っているのである。

 ピアノの即興演奏家としてウィーンで活動を始めたベートーヴェン青年がようやく「作曲家」という道の入口に辿り着いたのが30歳。ブラームス青年が「交響曲」の世界に踏み込んだのは40歳過ぎ。
 遅いと言えば遅いが、大卒で企業に就職した学生が、それなりの仕事が出来る地位(課長や部長クラス)になるのは早くてこのくらいだろうから、同じようなものと考えるべきだろう。

 現在では「早熟の天才」に括られるシューベルトは、少年時代はウィーン少年合唱団の前身ともなる寄宿学校で音楽を学び、早熟と耳年増を究め、メガネをかけて小太りであだ名はキノコ。今で言うなら完全に「アニメおたく」をやってそうな少年だ。
 17歳あたりから交響曲やミサなど書き始め、高卒レベルでまずはシンガーソングライター的な歌曲作曲のプロとなり、友達の家を点々としながら膨大な曲を書き散らし続け……20代半ばで交響曲(未完成&グレート)やピアノソナタの水脈を見つけたところで、わずか31歳の若さで死んでしまった。
 要するに、あの「未完成交響曲」が25歳、最晩年の円熟期の傑作と呼ばれる交響曲「ザ・グレート」やピアノソナタ第21番のような音楽ですら、30歳前後の「ようやく自分らしさが出てきた最初の名作」にすぎないのだ。生き残っていれば「若い頃ちょっと苦労して」で済んだことが命取りになってしまったわけだ。

□天才の終焉

01 ただ、面白いことに、このような「十代で才能を発揮して、二十代でいっぱしのプロ」というタイプの天才型作曲家の系譜は、前期ロマン派を境に途絶えてしまう。
 逆に言えば、ロマン派の時代になると、十代やそこらの「天才風」耳年増少年がプロに混じって音楽出来るようなレベルではなくなった(必要以上に高度になった)、と言うこともあるのかも知れない。

 そして、その後といえば、ベルリオーズにしろワーグナーにしろブラームスにしろチャイコフスキーにしろマーラーやブルックナーにしろ、幼少の頃はさほど音楽一途でなく、20歳過ぎてもさっぱり才能の片鱗を見せなかったような怪しい経歴の「天才」が俄然多くなる。
 彼らは、子供の頃から音楽に親しんではいるものの、少年時代までは絵画だの演劇だの科学だのにうつつを抜かし、モラトリアム(猶予)期間には法律や医学を勉強し、17歳前後のある時、突然「音楽」に目覚める…というのがパターンだ。(つまり、しっかり「挫折」と「戦略」を持って世に出ているのである)

 確かにスタートは遅いが、いわゆる知能指数は高そうな青年ばかりなので、一旦道を定めるとその吸収力が驚異的なのも共通項。ほぼ数年で最低限の音楽の基本はマスターしてしまい、基礎に縛られないぶん革命的な理想に燃え、下積みの苦労を経て20代後半か30歳近くなってようやく楽壇に登場。その後は明確な個性を持って音楽界に作品を提供し続ける。
 彼らの根幹にあるのは、幼少時に植え付けられた「直感」などではなく、厳しい生存競争の中で身につけた「戦略」だ。だから、ある時は、敵を攻撃し、ある時は懐柔し、人の悪さと政略を全開にして「自分の芸術」をアピールする。なので、こういう作曲家たちをモーツァルトやシューベルトのような才能と一緒に「天才」の一言で括りたくない、と言うのが本音。全く違ったベクトルの才能だからだ。 
 かくして、この種の「戦略家」たちが跋扈し始める時代以降、もはや(幼少時の早期促成栽培でスタートが早かったというだけの)無垢な「天才」たちに出る幕はなくなったとも言える。クラシック音楽はロマン派の時代を迎え、もっと「人が悪くて」「陰謀に長け」「天才ではない人間たち」によって、世界侵略(?)を始めるのである。
 そして、ブラームスはそんな時代を象徴する「天才ではない巨匠」なのだ。

 ちなみに、ブラームス青年は20代の頃、ピアノが弾けるという特技を活かしてハンガリー出身のヴァイオリニストの伴奏ピアニストのアルバイトを勤め、あちこちを演奏旅行(いわゆるドサまわり)に廻っている。
 少年時代には場末の居酒屋でピアノを弾いていたという経歴と並んで、音楽家のキャリアとしては、ちょっと隠したい過去になるのかも知れないが、その際、ウィーンやパリなどの上流階級から見れば下品で世俗的な「ジプシー音楽」(当時は単に東方の辺境地の音楽という意味で「ハンガリー音楽」と括られていた)に出会ったことは、彼の後の人生に大きく関わってくる。
 なにしろ、この時に採譜した田舎の民謡や舞曲を、のちにピアノ連弾による「ハンガリー舞曲集」として出版。これが意外や大ヒットして、生涯ブラームスに印税を供給し続け、作曲家生活を安定させる基盤になったのだから。
 この経済的安定がなければ、呑気に交響曲を書き続けられたとも思えないし、かの名作「ヴァイオリン協奏曲」も、この時のジプシー音楽との出会いがなければ生まれなかったであろう独特の哀感と節回しを持っている。
 生まれついての才能などより、挫折や暗い過去こそが、やがて大いなる財産となる。若い頃の苦労はお金を払ってでもしろ、というのを地でゆく話である。

 と、とりとめのない話になったが、今回はここまで。

          *

イヴァン・フィッシャー指揮
 ブダペスト祝祭管弦楽団

Flyer

6/21(月) 19:00 東京オペラシティ コンサートホール


・ブラームス:ハンガリー舞曲 第7番 ( I.フィッシャー編曲)
・ブラームス:ハンガリー舞曲 第10番

・ブラームス:ヴァイオリン協奏曲 (vn:ヨーゼフ・レンドヴァイ)

・ブラームス:交響曲第4番


6/23(水) 19:00 大宮ソニック・シティ 大ホール
・
ロッシーニ:歌劇「アルジェのイタリア女」序曲
・メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲(vn:神尾真由子)
・シューベルト:交響曲第8番「ザ・グレイト」

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2010/05/10

演奏する作曲家 vs 作曲する指揮者

Musiks あの「のだめカンタービレ」の中に、ちょっとしゃれたセリフがあった。

 むかしは、音楽理論を熟知し理性で音楽を把握できる人のみを「ムジクス(音楽家)」と言い、
 歌ったり演奏したりするだけの人を「カントル(歌い手)」と呼んだ。

 これは、カンタービレ(歌うように)ということばの語源を語るセリフで、ただピアノを弾いたり歌ったりして音楽を楽しむだけでなく、知的に音楽を探究する姿勢があってこそ「音楽家」なのですよ、という「ちょっといい話」。

 確かに中世やルネッサンス期の「音楽家」というのは、音楽を歌ったり演奏したりする人のことではなく、音楽全般に通じた人のことだったようだ。
 実際、古代ローマ時代には「文法、修辞学、弁証法」と共に「算術、幾何、天文、音楽」がインテリの必修七科目だったそうで、「音楽」は単なる「娯楽」などではなく立派に「学問」のレベルだったらしい。

 かのレオナルド・ダヴィンチがそうだったように、「世界はどういう風に出来ているのか?」という視点を持って物事を突き詰めてゆくと、科学(世界の出来方)、算術(数の出来方)、幾何学(図形の出来方)、医学(人間の身体の出来方)、天文学(宇宙の出来方)、美術(色彩や形の出来方)、建築学(建造物の出来方)などと並び、音楽(音の出来方)もまた、分離できない「人間の知識」になるわけだ。
(もちろん、一人でそれらをすべて修めるのは一握りの天才だけだっただろうけれど)

□宮廷楽長と楽士たち

Cooka ただ、その後、ちょっと時代を経て、バッハが登場するバロック時代あたりになると、「音楽家」というのは、理想に燃える「学者」というよりは、宮廷や貴族に仕える「プロの職人」…例えて言えば「料理長(シェフ)」のような存在になる。

 彼は、日々の食事やパーティや儀式の時にそれに応じた料理を供給する総元締めだ。コース全体を構成し料理法を指示し素材を吟味しワインを合わせる。それらすべてに精通していて、料理人たちを統率する。
 料理も作れるし知識もあり教養とセンスもある。それが「料理長(シェフ)」。スープは作れるけどワインは分からない、デザートは作れるけど食材についての知識はない、では務まらない。

 その点は、音楽家(ムジクス)も同じ。教会や宮廷や劇場を舞台にして、パーティや儀式あるいは劇のための「音楽」を供給する。教会での宗教的儀式の場合はミサや葬式・結婚式・などの作法に通じ、それにふさわしい曲を構成しなければならないし、野外のパーティや室内の会合、食事会や舞踏会などなど、編成や楽想を合わせなければならない。
 当然、新しい曲を「作曲」し、その演奏を指導し「指揮」し、「演奏」もこなす必要が出てくる。また演奏する「楽士」たちを選別したり教育するのも役目だから、楽器全般から音楽理論そして作法すべてに精通していなければ務まらないわけだ。

 それでも、いかに歴史に残る天才料理長でも、300年前の料理献立とレシピが後世に残るわけではない。同じように、バッハが日々書いた作品もすべてが残っているわけではない。そのあたりも似ている。
 もしかしたら、宮廷の中で演奏されてそのまま消えてしまった曲の中に、バッハを遙か凌駕する名品があったのかも知れないが、歴史に「もし」は禁句。それを知る手立てはもはやない。

Listz□作曲する演奏家たち

 そんなマルチな「音楽家」が、「演奏」と「作曲」に分離し始めるのが、18世紀末のモーツァルトやベートーヴェン登場の頃。
 教会や貴族に雇われる統合的な「楽長」という職が、貴族社会の解体で「事業仕分け」され、民間に投げ出されてしまったのが始まりということになる。

 自由になった…と言えば聞こえはいいが、逆に言えば、エサをくれる飼い主がいなくなった「犬」の状態。毎日のエサは自分で調達せざるを得なくなるので、才能のある音楽家はすべて、自分の「芸」を「金銭」に換える手管だけを頼りに生きていかなければならなくなった。

 そんな実力本位の弱肉強食の世界ですぐに「お金になる」のは、何と言っても、どんな素人の目の前でも鮮やかな演奏を聴かせる「演奏家」。お客が喜ぶ演奏をすれば、弾いたその場でおひねりがもらえる。いわゆる「日銭が稼げる」わけだ。
 その頃は「著作権」なんていう概念はなかったから、人の曲だろうが何だろうが演奏するのは勝手。ただし、逆に言えば、自分で書いたオリジナル曲を人に演奏されても文句は言えないのだが。

Mozart この「演奏家」という仕事、才能がありさえすれば、身体ひとつで世界中どこへ行っても(ただしピアノがある場所に限るけれど)稼げるものの、所詮その日暮らしの肉体労働。病気になったり年を取って弾けなくなったりすれば、おしまいという過酷な商売でもある。

 そんな音楽家にとって、高収入が得られるもっとも理想となった最終目標が「オペラ」の作曲。歌と合唱とオーケストラのための楽譜を書くという専門的な技術が必要だが、ヨーロッパ各都市の劇場で上演されるようになれば、経済的に潤ううえに、社会的「地位」も保証される。

 結果、19世紀以降のヨーロッパは、「演奏家」としてオリジナルを発表し、それを足がかりに(オペラ委嘱の声がかかる)「作曲家」への地固めをする「天才」たちが続々現れるようになった。

 その先駆的存在がモーツァルト(1756〜1791)。10代ではヴァイオリンも弾いてソナタやコンチェルトを披露し、20代には自作のピアノ協奏曲で「予約演奏会」を開くほどの人気を博し、さらにはオペラでも幾つか成功作をものにして、自由な芸術家としての存在を謳歌した。(少し若死になのは計算外だったけれど)
 彼の場合は、演奏し作曲するのが一体化しているので、「演奏家」と「作曲家」が分離できない。ビートルズが作曲し演奏する…のか演奏し作曲するのか分離できないのと同じだ。
 
Beethoven このバランスが「作曲」に傾きだしたのは、ポスト・モーツァルト世代のベートーヴェン(1770〜1827)から。
 彼は20代までは「即興演奏が得意なピアニスト」として人気を博していて、今で言うとジャズ・ピアニストに近い感じ。どんなテーマでも変奏して弾いてしまうのが得意だったそうだ。(これも「著作権」などと言われなかった時代だからこそかも知れない)

 しかし、演奏家にとってもっとも大事な耳が悪くなってゆき、徐々に「作曲」に転向し始めるのが30歳前後。最初は、自作のピアノ協奏曲などは自分で弾いていたが、やがてそれも他人に任せるようになり、完全に「作曲」を専門にするようになる。
 自作の初演に限り「指揮」も担当したが、人を統率するような人格に欠けていたのと耳が悪いのとが重なって、彼の指揮で初演されて成功した例は皆無。まさに「作曲だけをする作曲家」の元祖である。

 対して、ショパン(1810〜1849)は、新しいモダンピアノの登場とシンクロして「新しいピアノ・サウンド」による演奏が得意なピアニストとして登場。オリジナルのピアノ曲を中心にしたリサイタルで一世を風靡した。
 ヴァイオリンのパガニーニ(1782〜1840)、ピアノのリスト(1811〜1886)と並んで、もしかしたら、こういうタイプの演奏家はこの時代にもっといたのかも知れないが、録音が残らない時代としては「作品」が残っていなければ存在しないも同然。
Chopina ショパンの場合は、その美しい即興演奏をそのまま楽譜に封じ込めたものが「作曲」として後世に伝えられ、世界中のピアニストたちがその恩恵に浴することになった。ただし、若い頃書いた2つのピアノ協奏曲以降は、ピアノ曲しか書かないという「ピアノ限定」のちょっと不思議な「作曲家」ではあるけれど。

 一方、ショパンと同い年のシューマン(1810〜1856)は、若い頃ピアニストを目指して奇妙な指のギプスを考案しての練習に明け暮れ、逆に指を壊してしまって「作曲家」に転向した人。そのため「演奏家」としての活動歴がほとんど無い、という点で純粋な「作曲家」の元祖と言えるのかも知れない。
 ただし、彼の場合は、音楽評論のような「文筆業」でも活動していて、現在の「文章も書く作曲家」(私もそのひとり)の大先輩となった。

 ポスト・シューマン世代のブラームス(1833〜1897)も、若い頃はピアニストとして活動していた一人。ただし、最初は家計を助けるため居酒屋で弾き初め、伴奏ピアニストとしてヴァイオリニストと演奏旅行に廻ったり、いわゆるリサイタル・ピアニストとは程遠い地味な活動歴だ。
 それでも、自分のピアノ協奏曲を第1番第2番(共に難曲!)を自身のピアノで初演しているらしいので、テクニックはかなりのものだったようなのだが。

Bartok02 近現代では、バルトーク(1881〜1945)が最初はピアニストを目指して勉強した人。24歳の時にはパリのコンクールに作曲とピアノで参加し、ピアノ部門の方で2位になっている(その時の1位はバックハウス)。
 祖国ハンガリーの音楽院で教授になったのも「ピアノ科」だったが、民謡の採集やドビュッシーやストラヴィンスキーなどの影響から独自の作風を確立し、「作曲家」として名作を生み始める。

 そんな経歴のせいか、彼の音楽には、東欧の民族主義っぽい土臭い響きの裏に、物凄く明晰で冷たい合理主義者の視線が入り交じっている。さらに妙にオカルト趣味も加わる絶妙のバランスは、「中国の不思議な役人」や「弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽」などに見事に結実することになる。
 また、晩年、アメリカに亡命した頃は「作曲家」だけでは生活できず、ピアノを弾くようになった。その頃書いた「コントラスツ」ではベニー・グッドマン(cl)とシゲティ(vn)と共演もしている。

 同じく若い頃、ピアノの達人として知られていたのがショスタコーヴィチ(1906〜1975)。音楽院時代には無声映画のピアノ伴奏などで鍛え、20歳の時に第1回ショパン・コンクールにソヴィエト代表として参加したほど(その時の優勝者は一緒に参加したレフ・オボーリン)。自作のピアノ協奏曲やピアノ五重奏なども自身のピアノで演奏していて、それらの音源は現在でも聴くことが出来る。

Conductora□指揮をする作曲家たち

 一方、ピアニストとして活躍できるほど演奏に秀でているわけでもなく、オペラを当てるほど成功していない作曲家予備軍がたむろするのが、「指揮者」という職種だ。(…という言い方だと、なんだかちょっと偏見が混じっているような気もするが)

 19世紀以降、自由芸術家が理想とされるロマン派になると、「作曲家」という専門職を目指す若者が登場し始める。この場合の「作曲」は、すなわち「オペラ」を成功させること。経済的な自立は「オペラ」の成功にかかっていたわけだ。
 しかし、その道は一朝一夕には成らず。それを目指すための足がかりとなり、そして経済的な収入も得られるのが(他人の書いたスコアを演奏する)「指揮」という仕事だ。

 作曲の勉強をしているのだから、当然「楽譜の読み書き」は人一倍出来る。オーケストラのスコアを読み取り、ピアノで弾いたりするのも作曲家は得意とするところ。そして、上手くすれば「自作」も紛れ込ませることが出来る。ある意味、最高の副業と言えなくもない。

Berlioz そんな作曲家/指揮者の先駆者が、ポスト・ベートーヴェン世代のベルリオーズ(1803〜1869)。彼は、そもそも音楽を学んだのも独学で(学生時代に勉強していたのは医学)ピアノは弾けなかったらしい。かの「幻想交響曲」も、唯一弾ける楽器であるギターで作曲したと言うから、彼の作品にピアノ曲がないのもうなずける。

 しかし、「楽器の演奏はまったく出来ないのに一番偉そうにしている」という現代の「指揮者」の地位は彼によって確立されたんじゃないかと思うほど、その存在感は圧倒的だ。
 近代オーケストラは彼を始祖として生まれたと言っていいほどだし、「管弦楽法」という名著はその後の「指揮者/作曲家」の後輩たちにとってバイブルのような本となっている。

Mendelssohn そこまで強烈な個性ではないものの、「指揮者」の指針を極めたのがメンデルスゾーン(1809〜1847)。彼はそもそも「指揮棒を振って指揮をする」というスタイルの創始者と言われ、現代の「指揮法」の基本を打ち立てた人でもある。

 それまでの「指揮者」は「(最終的には)自分の作品を演奏する」というのが目的だったが、彼によって「昔の名作(クラシック)を出来るだけ良い演奏で再現する」という(今に通じる)「クラシック音楽」の基本概念が生まれた。その点でも、彼は「クラシック音楽」の始祖の一人と言ってもいいかも知れない。
 また、彼はインテリ教養人としても知られていて、語学に秀でていたほか、詩や文学に造詣が深く(ゲーテも知り合いだったそうな)、美術(水彩画)でも玄人はだしの作品を残している。まさしく、かつての「ムジクス」を地でゆく理想形のような音楽家である。

Wagner ワーグナー(1813〜1883)も、文学(演劇)と音楽そして美術を統合したという点で、ある意味「ムジクス」の伝統を継承する巨人。若い頃は、先輩に当たるウェーバー(魔弾の射手の作曲家)に心酔して、指揮をし歌劇を書くのを理想としていたようだ。

 しかし、彼もベルリオーズ同様、音楽の専門教育は受けておらず、むしろ文学(劇作)に血道を上げていたほどで、ピアノの腕前は不明。合唱指揮者を皮切りに、地方の劇場の指揮者の職を点々としながら、自作のオペラを書き進めている。
 彼は、指揮についての著作を残し、ハンス・フォン・ビューローなどの指揮者の育成にも関わっているが、メンデルスゾーンなどと違って「自分以外の音楽を指揮する」ことに興味はなかったようだ。

Mahler ポスト・ワーグナー世代のマーラー(1860〜1911)とリヒャルト・シュトラウス(1864〜1949)も、指揮でのし上がった組。共に、あちこちの地方の歌劇場指揮者の職を転々としながら、自作のオーケストラ作品を発表して「作曲家」としても活動した「作曲家/指揮者」の代表格である。

 シュトラウスはバイエルン・ベルリンおよびウィーンの宮廷歌劇場の指揮者も務め、マーラーの方は、ウィーン国立歌劇場およびニューヨーク・フィルの指揮者まで勤めているから、共に指揮者として最高峰の地位まで登り詰めたと言っていいだろう。
 ただし、シュトラウスの方は「オペラ」を成功させて「指揮も出来る作曲家」としても人気を博したが、マーラーの方は交響曲に固執したためか、生きている間は「作曲もする指揮者」にすぎなかった、と言うのがちょっと違うところか。

Furt_2 20世紀を代表する大指揮者フルトヴェングラー(1886〜1954)も、このマーラー型の「指揮者/作曲家」を目指した人。3つの交響曲やピアノ協奏曲など、ブルックナーばりのロマンティシズムを湛えた大作を残しているが、もはやロマン派の作風では生き残れない時代に生まれた不運で、残念ながら「作曲家」として評価する人は少ない。

Bernstein 一方、レナード・バーンスタイン(1918〜1990)はミュージカル「ウエスト・サイド物語」一曲で「指揮者」としても「作曲家」としても語られた希有の人。自分でスコアを書いたわけでもないミュージカルの作曲で評価されるというのは、本人にとって微妙な処があったのかも知れないが、その余波で3つの交響曲や「ミサ曲」など幾つかの秀作は今でも聴かれ続けており、コープランドと並ぶ現代アメリカを代表する作曲家に数えられている。

 そう言えば、現代音楽の作曲家で、指揮もこなす人物は少なくない。本業の「作曲」では生活できないことと、そのくせ譜読みの能力はあることから、副業として選択する人が多いせいだろうか。
 十二音音楽の開祖であるウェーベルン(1883〜1945)も、半ばアルバイトとは言え結構指揮をこなしていたようで、友人ベルクのヴァイオリン協奏曲などの録音を残している。
 
Boulez 戦後では、ピエール・ブーレーズ(1925〜)が筆頭。彼は傑作「ル・マルトー・サン・メートル(主のない槌)」で前衛作曲家として鮮烈にデビューした人。その後、自分の作品の演奏や録音の時に「自分で振った」のがきっかけで現代モノを振るようになり、そのまま「指揮者」として活躍するようになった。

 基本的に、近代フランスのドビュッシー・ラヴェルからストラヴィンスキーやバルトークあたりまでの20世紀音楽が専門で、現代作曲家ならではの「明晰な楽曲分析」とクールな「サウンドの構築性」が特徴。
 彼の場合は、「作曲家が指揮もする」というレベルを超えて、新しいタイプの「指揮者」として一家を成したと言えそうだ。

Sinopoli もう一人、ジュゼッペ・シノーポリ(1946〜2001)も、若い頃は現代作曲家として音楽祭を賑わせた一人(私も学生時代にダルムシュタット音楽祭などの放送で彼の作品を耳にしたことがある)。三十代になって現代音楽専門の指揮者としてデビューし、その後は作曲家特有の明晰な解釈でレパートリーを広げ、やがて指揮者が本業になってゆく。

 もともとロマン派の気質があったのか、ブーレーズのような現代モノ専門ではなく、マーラーやワーグナーからイタリア・オペラまで濃厚なロマン派大作に名盤も多く残している。同時に、作曲の方でも…歌劇「ルー・ザロメ」(1981)など力作を残しているが、さて、後世の評価はどうなるのだろう。

Salonens そして現役バリバリの指揮者/作曲家としては、エサ=ペッカ・サロネン(1958〜)がいる。彼は、サーリアホ(1952〜)や同世代のリンドベルイ(1958〜)と並んで世界的注目を得たフィンランドの新しい世代の作曲家のひとり。

 二十代後半に代役指揮者としてフィルハーモニア管弦楽団を振って(マーラーの交響曲第3番)好評を得てから指揮者歴が始まり、現在では現代作品や北欧の作曲家の作品を中心にさまざまなレパートリーをこなす大人気指揮者。
 作曲家としてもいまだに現役として新作を発表し続けていて、北欧風の抒情とほどよい調性感を組み込んだ21世紀らしいサウンドが特徴。
 
          *

 と、「ムジクス(音楽家)」の話から、現代の指揮者事情まで来てしまったが、もし究極の「音楽家」というのが居るとしたら、彼(彼女)は、「作曲」をし「演奏」し「指揮」をし、さらに音楽理論を研究し、評論や批評を弁じ、人の音楽を愛で、自分の音楽を追究する…ということになるのだろうか。

 ただ、現代ではそれらが高度に専門化してしまって、とても「一人」で手に負えるレベルではないのも事実。
 小学校では、算数・国語・理科・社会・体育・美術・音楽…と一人の先生が教えるけれど、中学ではもう不可能。「世界を究めたい」という夢は、果てしなく細分化されてゆく。それと同じかも知れない。

 それでも諦めずに「作曲家」や「演奏家」という狭い枠を超え、すべてを総合する「音楽家」を目指すのも良し、
 逆に、細分化された重箱の隅まで入り込んでいって、誰一人到達したことのない究極の「個の音楽」を見出すのも良し。

 それが、ミューズの神に魅入られた哀れな人間の生きる道。

 Good Luck!

          *

Flyerサロネン指揮フィルハーモニア管弦楽団

2010年5月31日(月)19:00 サントリーホール
・ムソルグスキー「禿げ山の一夜」(原典版)
・バルトーク:組曲「中国の不思議な役人」
・ベルリオーズ「幻想交響曲」

2010年6月2日(水)19:00 サントリーホール
・サロネン「へリックス」
・チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」
 vn:ヒラリー・ハーン
・シベリウス「交響曲第2番」

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2010/04/10

薄幸のヒロイン対決 〜ヴェルディvsプッチーニ(後編)

Vp ヴェルディとプッチーニは、イタリア・オペラの二大巨人でありながら、かなり対照的な作風だ。
 一言で言えば、ヴェルディは男性的で「ドラマティック(劇的)」、プッチーニは女性的で「リリック(抒情的)」。
(ちなみに、現代では、男性的と女性的の意味はほぼ逆転or無意味化しているが、それはそれ)

 ただ、この二人、30代後半の中堅という時期に、「男の純情」を描いたオペラを書いているのが面白い。ヴェルディは「椿姫」、プッチーニは「ラ・ボエーム」。今回はこの2作にスポットを当てて、この二大巨匠の愛の世界を語ろう。

 まずは、この2作の簡単な紹介から。

Traviata2■椿姫@ヴェルディ

□概要とあらすじ

 原作はデュマの小説「椿姫」(1848年)。台本はピアーヴェ。作曲:1853年(ヴェルディ:40歳)。

 舞台は19世紀のパリ(イタリア・オペラなのに…)。「椿姫」と呼ばれた高級娼婦ヴィオレッタが主人公。

 この源氏名の由来は、「椿」の花をいつも身につけていたからだそうだが、いつもは「白い椿」、そして生理中だけ「赤い椿」を付けていた…というあたりが普通の堅気の女性とは違うところ。

 売春婦という言い方をしてしまうと身も蓋もないが、夜の社交界とは言え相手は貴族や大金持ち。当然ながら知的水準もファッションのセンスも高かったわけだから、かなりの知識と教養(例えば、宝石やワインなどから、歴史や政治、文学や音楽などなど)が必要だったはず。

 そのあたりは、江戸時代の吉原で言う「太夫(たゆう)」を思わせる。こちらも、大金持ちの隠居や文化人などを相手にするには、芸事から文学に至るまで相当の教養が必要。中には「椿大夫」などという遊女もいたかも知れない。

(ちなみに、江戸時代は「椿」というとポトリと花が落ちるのが首が落ちるのを連想させ、武士には不人気な花だったそうだが、西洋の椿Cameliaはちょっと違った種類)
 
Camelia そんな海千山千の(今で言うと…政治家や作家など金持ちのパトロンが大勢いる銀座の最高級バーの)ナンバーワン・ホステスが、ある時、パーティにやって来た純情青年アルフレードに「実は前から好きだったんですぅ」と告白され、恋に落ちてしまうのが、この「椿姫」のお話。

 その理由はよく分からない。劇中で当人も「不思議だわ」と何度も呟いているように、魔が差したのか、今の生活から離れたかったのか…
 しかし、その思いは意外と本気で、パトロンとの繋がりもバッサリ捨て、邸宅や財産も処分して、純情青年との「つつましい生活」を夢見て一途に突っ走る。

 ところが、青年の父親からすれば、「世間を知らない若い息子が、商売女にたぶらかされている」としか見えない。しかも、息子が「娼婦と結婚する」などということにでもなれば、娘の結婚話に差し障る。
 そこで、抗議に出向くのだが、話すうちに相手の「純愛」に気付き、非礼はわびながらも「身を引いてくれ」と嘆願。情にほだされた彼女は、結局、自分の方から別れ話を持ち出して、青年と分かれることを決心する。

 ヴィオレッタから「別れの手紙」を送りつけられ、「裏切られた」と誤解し激昂する純情青年アルフレード。新しいパトロンと思い込んだ男爵と決闘することになるなど「すれ違い」は頂点を極める。
 結局、父親が真実を話して誤解は解けるが、二人の間にできた溝は簡単に元には戻らない。

 数ヶ月後、ようやくすべてが解決し、青年アルフレードはヴィオレッタの元に戻ってくるが、その時既に遅く、病(肺結核)に冒されていたヴィオレッタは、アルフレードの胸の中で息を引き取ってしまう。

Traviata1 □背景

 まさに「純愛もの」の王道を行く物語だが、「娼婦」が主人公というのは、さすがにちょっと特殊と言えなくもない。
 現在でも眉をしかめる方々がゼロではないだろうし、発表当時のイタリアでも「娼婦が主人公のオペラなんて!」と、かなり問題作だったようだ。

 タイトルが原題の「椿姫(La Dame aux camelias)」ではなく「トラヴィアータ(La Traviata):堕落した女」とされたのも、そんな検閲のせいらしい。
 要するに、主人公はあくまでも「堕落して人の道を踏み外した売春婦」であり、それが「天罰」を受けて病死する…という筋書きとして申請したことでなんとか上演を許可された…ということのようだ。

 しかし、ヴェルディは主人公の名前を「ヴィオレッタ」(すみれの花)と名付けたほか、前奏曲でもいきなり清楚で悲劇的なイメージを打ち出し、全面的に「同情」のポーズを隠していない。
 大金持ちのパトロンに囲まれて、連日豪華なパーティで遊興を極める日々…という堕落した境遇ながら、魂は高貴な女性…というのが、ヴェルディから見たヴィオレッタ像…のようだ。

 これは、日本で言えば、まさに吉原の大夫(遊女)と大店の息子の道ならぬ恋…という「心中もの」の王道を行くストーリー。「椿姫」の日本での人気はそのあたりの共感もあるのかも知れない。

Boheme3■プッチーニ「ラ・ボエーム」

□概要とあらすじ

 一方の「ラ・ボエーム」の方は、原作はミュルジュールというフランスの詩人による短編集「ボヘミアン生活の情景」(1849)。台本は(トスカ、蝶々夫人も手がけた)ジャコーザ&イッリカ。作曲は1895年(プッチーニ37歳)。

 タイトルの「ボエーム(La Bohème)」はボヘミアン。もともとは定住せずに放浪している人たち(ジプシーや旅芸人など)のことだが、転じて(貧乏ながら自由に)生活している芸術家や詩人・作家などのこと。
 語源の「ボヘミア」はチェコ西部地域の名称(ドヴォルザークがこのボヘミア出身)。この地方の牧畜民の服装や生活スタイル(アメリカ西部のカウボーイのルーツ)が、放浪民や芸術家のスタイルを思わせたことから、そう呼ばれるようになったらしい。

 舞台はパリ(イタリア・オペラなのに…)。季節は冬。主人公は、そんなボヘミアンである貧乏詩人のロドルフォ。
 安下宿の一室で貧乏仲間と暮らしている彼は、クリスマス・イヴの夜、火を借りに来たお針子のミミと出会い、恋に落ちる。

 貧しいながらも仲間たちと共にカフェに集まってクリスマスを楽しむロドルフォ。しかし、肺病(肺結核)がミミの体を蝕んでいる。

 二人は慎ましい生活を始めるが、ロドルフォの方は「自分のような貧乏な男と一緒ではミミの病気が治らない」と、分かれる決心をする。
 一方のミミは、そんなロドルフォの決心を知り、自分から身を引く決心をする。

 そして、数ヶ月後、ミミは肺病の末期となり、「死ぬ前にもう一度だけ会いたい」とロドルフォの部屋を訪れるが、恋人に看取られながら息を引き取ってしまう。

Boheme4 □背景

 タイトルの「ラ・ボエーム」は「若きボヘミアンたち」というようなニュアンスで、一種の青春群像のような趣がある。普通オペラのタイトルは「マノン・レスコー」「トスカ」「蝶々夫人」「トゥーランドット」など主人公の名前であることが多いので、ちょっと異例といえば異例かも知れない。

 貧乏詩人や画家たち(音楽家や哲学者も登場する)の群像をオペラにしたのは、プッチーニ自身が若い頃こういったボヘミアンな生活をしていたことがベースにあるようだ。
 実際、ミラノの音楽院時代に、同期の作曲家マスカーニ(カヴァレリア・ルスティカーナの作曲者)と安アパートで共同生活をしていたようで、その頃の苦学していた経験がかなり反映されているらしい。
 そう言われると確かに、第1幕などの貧乏生活の描き方には妙なリアリティがある。

 そのせいか、プッチーニは台本にもかなり細かい注文を出していたようで、2人の台本作家(ジャコーザ&イッリカ)と侃々諤々の議論をしながら構想から3年めにしてようやく完成。
 作曲はその後ほぼ丸1年をかけて進められ、最後の「ミミの死」のシーンはそれこそ涙を流しながら作曲したという。

 最初から最後まで「貧乏な」話というのは、オペラではちょっと珍しいが、クリスマス・イヴのカフェなど賑やかな群衆場面もあり、明るく楽しい場面も多い。
 このあたりは「椿姫」と同じで、華やかなパーティや賑やかな音楽が流れれば流れるほど、悲劇が浮き立つ…という効果があるようだ。

Traviata3■椿姫vsボエーム

□初演と評判

 さて、30代後半に差し掛かった中堅オペラ作曲家が描いた2つの「男純情」の物語。その時代にはどういう評価をされたのだろう?

 ヴェルディが「椿姫」を発表したのは、40歳の頃。初演は、1853年3月、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場。既に「ナブッコ」「マクベス」「リゴレット」「イル・トロバトーレ」などで中堅のオペラ作家として成功を手にしている。
 しかし、この「椿姫」でちょっとした挫折を味わうことになる。

 その理由は、肺結核で死ぬ薄幸の美女ヴィオレッタを歌った歌手が、まるまる太ったソプラノだったこと・・・というのは(音楽史上に残る笑い話?としても)有名。

 ただ、終幕部分は失敗でも、このオペラ、冒頭すぐパーティで賑やかに歌われる「乾杯の歌」にしろ、ヴィオレッタが恋を感じる「ああ、そは彼の人か」のアリアにしろ、全編「名旋律」のオンパレード。
 これほどふんだんに惜しげもなく素敵なメロディを繰り出すオペラはちょっとない。ビゼーの「カルメン」と並んで、(筋書きなど微塵も分からなくても)誰もが音楽だけで夢中になるオペラの筆頭と言えるだろう。

Boheme2 一方のプッチーニ「ラ・ボエーム」が生まれたのは、その40年後。当時のプッチーニは、オペラ3作目に当たる前作「マノン・レスコー」で一躍大人気オペラ作家になった新進の36歳。「ラ・ボエーム」はそれを受けての渾身の自信作である。

 初演は、1896年2月トリノ王立劇場。指揮はそこの音楽監督に就任したばかりの29歳のトスカニーニ。
 3年前(1893年)同じトリノで初演した前作の「マノン・レスコー」ほどの「大成功」とまでは行かなかったが、聴衆はこの美しいオペラにすぐ夢中になったようだ。

 ただし、ドラマティックというよりリリカル(抒情的)な物語と音楽だったせいか、批評家の受けはよくなかったらしい。
 その後もプッチーニ作品には必ずつきまとう「内容が軽い」「お涙頂戴」「時代錯誤」という悪口は、この頃からあったようだが、それがプッチーニのオペラ最大の魅力なのだから仕方がない。

 しかし、第1幕の「冷たい手を」や「わが名はミミ」あるいは 第2幕の「ムゼッタのワルツ」をはじめ名旋律の宝庫。
 その後、ローマ、ナポリ、パレルモで再演されると、聴衆の熱狂はピークに達し、以後、この作品はプッチーニの代表作として、世界中で愛され続け現在に至っている。
 

Traviata7□類似点

 それにしても、この二つの作品、よく似ている。

 ひとつは、徹頭徹尾、真正面から純愛を(恥ずかしくなるほど正攻法に)描いていること。
 こういう直球勝負の話は、時代によっては「お涙頂戴」とか「笑ってしまう」とか全否定されることも少なくない。最近の日本は「純愛」ブームらしいのでOKだが、ひねくれた演出にかかると「喜劇」になりかねない危険な題材でもある。

 もうひとつは、「愛するがゆえに身を引く」恋人と、それを「心変わり」と誤解して悩む相手…という対位法的な「すれ違い」を使って、観客をやきもきドキドキさせる手練手管。
 これは、「障害が大きいほど、愛は強くなる」という恋愛ドラマの法則に則ったトラップ(?)…というより「お約束」。出会って→相思相愛になり→ハッピーエンド…ではオペラにならないのである。

 そして最後に、薄幸の美女が恋人の胸の中で「死んでしまう」という究極の「落としどころ」を完備していること。
 それでなくともオペラは、「主人公の死」で終結するものが多い。普通は悲劇的なドラマ力学のクライマックスとして「死」を設定するが、この2作はむしろアンチ・クライマックスというべきか。それでも、「泣けるシーン」としてのこの「とどめ」の一発は最強だ。

 ちなみに、ヴィオレッタ、ミミとも、死因は「肺結核」。
 このオペラの舞台となる19世紀中頃は、原因不明の病気であり、発病すると、やせ細り、末期には咳と共に吐血する「死の病」。しかも、治療法は「空気の良い場所で静かに療養する」しかなく、伝染性のある病気であることすら知られていなかった。
 コッホにより病気の原因(結核菌)が解明されたのが1882年、抗生物質ストレプトマイシンの発見が1943年。日本でも「労咳(ろうがい)」と呼ばれ、戦後しばらくまでは死亡率の首位を占める「死の病」の定番だった。
 
 そんな「不治の病」で、純愛に燃える二人の仲が引き裂かれ、最も美しい若い時期にもかかわらず死に至る。これで泣かなければ人間ではない…というような「お涙頂戴の王道」(決して否定的な意味ではなく!)である。

 これはヨーロッパ人の涙腺も直撃しただろうが、我らが日本にも「浪花節」とか「心中もの」の歴史があり、この手の話には涙腺がゆるんでしまうこと請け合いだ。

Traviata8□ヴェルディとプッチーニの恋愛経験

 ところで、この「純愛」路線の2作、どうやら作曲家自身の恋愛体験とも重なるところがあるようだ。

 ヴェルディは、1836年(23歳)に恩人でありパトロンでもある知人の娘と結婚しているが、4年後に死別。その直後、最初の成功作「ナブッコ」に出演したソプラノ歌手(3人の子持ちの未婚の母)とやがて同棲を始めている。

 この二人、のちに正式に結婚するのだが、「椿姫」を作曲したのはちょうど「亡き妻への思い」と「新しい恋人への愛」に挟まれていた頃。
 ヴィオレッタの「若くして病死する女性」という姿は、おそらく20代後半で病死した自分の妻に重なるのだろうし、「愛しているのだが添い遂げられない」という煩悶は、妻の死の後すぐに愛人と結婚できないヴェルディ自身の悩みとも重なったのだろう。
 
 ちなみに、そんなカトリック的に厳格で真面目なヴェルディに対して、同い年のワーグナーは真逆のスタンス。奥さんがいながら数人の女性と付き合い、その中の一人である人妻マチルダとの不倫関係からイメージを暴走させた名作「トリスタンとイゾルデ」を書き上げている。
 こちらは「純愛」どころではなく、愛をめぐるどろどろの不倫劇だが、やはり現実世界の経験なくしてこういう「愛」の形を描くのはあり得ないのかも知れない。

 一方のプッチーニは、作曲デビュー前の26歳頃、駆け落ち同様に人妻(2人の子持ち)と同棲を始めている。
 当然、貧乏作曲家のまま、夫がいる女性と、自分のではない子供たちを扶養する生活だったわけで、まさにそのまま「ボエーム」の世界と重なるところがある。

 この内縁関係は、相手の夫が死んだことで解決し、正式に「結婚」することになったのだが、それはなんと20年もたってから。
 そして、晩年にはこの(愛妻だったはずの)奥さんをめぐってトラブルに巻き込まれることになるのだが、それは別の話。(興味ある方は「トゥーランドット」の回を参照のこと)

 作品と現実は違う…という人もいるけれど、この2作、どう考えても(意外と根が純情な)ヴェルディとプッチーニの実体験から生まれた部分が大。
 享楽家のモーツァルト先生や独身のベートーヴェン先生、ましてや女ったらしのワーグナー先生には絶対書けない題材だと思うのだが、どうだろうか。

 

 そうそう、この二作「男の純情」を描いたオペラであると冒頭に書いたが、物語では「純愛を貫いて死ぬ」のは女性の方。それなら「女の純情」では?…という疑問を抱かれた方もいるだろうか。

 その答えは簡単。「女性の純情」などというのは、「男の純情」が描く妄想の中にしか存在しないのだよ、ワトソンくん。

           *

トリノ王立歌劇場

Traviata

ヴェルディ「椿姫」
・7月23日(金)18:30東京文化会館
・7月26日(月)18:30東京文化会館
・7月29日(木)18:30東京文化会館
・8月01日(日)15:00東京文化会館

Boheme_2

プッチーニ「ラ・ボエーム」
・7月25日(日)15:00神奈川県民ホール
・7月28日(水)18:30東京文化会館
・7月31日(土)15:00東京文化会館

総裁:ヴァルター・ヴェルニャーノ
指揮:ジャナンドレア・ノセダ
トリノ王立歌劇場管弦楽団&合唱団

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2010/03/10

オペラへの遙かなる道〜ヴェルディvsプッチーニ(前編)

Title そもそもクラシック音楽の世界で「プロの作曲家になる」というのは、「オペラで成功をおさめる作曲家になること」だった。

 私たちが「クラシック音楽の作曲家」の原点として真っ先に思い出すモーツァルトやベートーヴェンは、教会や貴族の「雇われ音楽家」という地位から訣別して〈自由な音楽家〉として独立した。記念すべき「芸術家としての作曲家」の誕生である。

 しかし、残念ながら〈芸術家〉というのは「職業」ではない。誰だって詩を口ずさめばその瞬間から〈詩人〉であり、ちょっと顔が良くて女の子にもてれば〈イケメン〉、人をだましてお金をくすねれれば〈詐欺師〉だが、それは恒久的な仕事でも安定収入の道でもないから「職業」とは言えない。それと同じだ。

Mozart そもそも、今でこそソナタとか交響曲というような作品が「不滅の名曲」と呼ばれているものの、現実問題としてはそんなものを書いて「収入」につながることはまずない。頼まれもせず自由意志でソナタや交響曲のような曲を書く場合は、収入にならないどころか、逆に上演するために自腹を切らなければならないことだって少なくないほどだ。

 それでも作曲家がそういう作品を書くのは、「私はこういう音楽を書けるのですよ」と自分のスキル(技術)をアピールし、「大きな仕事」を得るための…今で言うなら「就活(就職活動)」だ。自分でオーケストラを雇って自作自演の「作品発表会」を開いたところで、それにかかる労力や経費と入場料収入を考えた場合、赤字にならなければ御の字…と言うレベル。(ベートーヴェンの自作発表会やモーツァルトの予約演奏会も、そんなものだったに違いない)

 それでも、作曲家たちは損して得取れとばかりに自分の音楽をアピールし、最終的な「大きな仕事」を得るために努力を重ねた。それこそが大きな社会的成功と経済的報酬につながる「作曲家」としての最終目標であり、それが「オペラ」だった。

□作曲家はオペラを目指す

Composera 作曲家が「音楽」を書いて得られる収入というのは、お金持ちや演奏家に頼まれて曲を書くときの「委嘱料」、そして楽譜が出版されたときの「出版料」くらい。現代では「著作権」という考え方があるが、それが定着するのは20世紀になってから。普通は「演奏家」や「指揮者」として活動し、そこで自分の曲を演奏して「出演料」を手にするのが基本。自分が知らないところで自分の曲が演奏されても一円にもならない。

 それでも、ラジオ放送もテレビもCDもない時代、自宅で音楽を聞くには自分で弾くか、あるいは雇われ楽士に演奏させるかしかなかったわけで、「楽譜」は多く出版され、そこそこは売れていた。ただし、ピアノや楽器の演奏をたしなむ裕福な階級に限定されるわけだから、ヨーロッパ中で売れても部数としてはせいぜい数百というレベルだろう。大衆に売れる「歌曲」や「ピアノ小品」でも数千といったくらい。それだけで「印税生活」が出来るはずもない。

 芸術家と言い張っても、(実家が金持ちだったり、有力なパトロンが付かない限りは)つまるところ貴族の子女にピアノを教えたり、音楽学校で生徒を教えて給料をもらったり、という以外の「安定収入」はほぼありえなかったわけだ。

Operaw しかし、「オペラ」だけは違った。
 ヨーロッパの都市にはほとんど公立の劇場があり、王族や貴族がパトロンの宮廷劇場から、一般市民の娯楽施設である市民劇場まで、映画もテレビもない時代の唯一の「娯楽施設」として機能していた。

 演劇だけ音楽だけ舞踊だけの興業ももちろんだが、中でもオペラはそれらすべてが合体した究極の「総合娯楽舞台」。ドラマもあれば音楽もあり、主人公の英雄やヒロインたちに心酔し、美術や衣装も楽しめ、時にはバレエや踊りが加わることもある。これはもう究極のエンターテインメントというしかない。

 現代で言えば「映画」と「テレビ」と「ゲーム」と「コンサート」をぜんぶ一緒くたにしたような最高最大の「娯楽」。それに関わる作曲家に莫大な報酬が転がり込んで来るチャンスが充分にあったのである。

 とは言えオペラは、登場する歌手や合唱、オーケストラと指揮者、舞台美術や演出家、などなど大勢のスタッフが必要なうえ、ある程度のリハーサル期間が必要だから、初期投資(イニシャル・コスト)は莫大な金額になる。(人件費や舞台・衣装・大道具・小道具など含めて、ざっと数億円から十数億円というレベルだろうか)。とても作曲家が一人で自腹を切れる次元ではない。

 しかし、一旦「舞台」を作り上げれば、あとは数百あるいは千人前後は収容できる劇場で、結構な入場料を取る公演を何回でも開くことが可能。もちろん国や金持ちたちからのバックアップもあっただろうが、立派に「興業」として成り立ち、うまく行けば大儲けが出来るものだったわけだ。

 その「核」となるのは、もちろん人気歌手だが、演目そのものは「脚本家」と「作曲家」が作るもの。となれば、著作権がどうのという意識がなくても、当然ながら「作曲家の取り分」は興行収入(入場料x客の数)の何%という形で確保される。

 人気になって続けて再演されるようになれば運用費用(ランニング・コスト)は出演者たちのギャラだけとなり、ある時点からは収入のほとんどが「儲け」になる。さらに、「台本」と「楽譜」さえ送れば、別に作曲家が指揮や演奏に出かけなくても、ヨーロッパ中のあちこちの劇場でも上演されるようになる。こうなれば、作曲家は家に居たままどんどん入ってくる莫大な興行収入を待っているだけでいい。

 そういうオペラをひとつ手にすることが出来れば、生活に不安はなくなり、さらに複数連作できれば、安定した高収入が保証される。当然ながら新作の作曲料も高騰するし、オペラに集まる金持ちたち(時には王侯貴族や大富豪たち)とも交流が増え、お金に困ることもなくなり、それこそセレブな生活が思いのまま。音楽の道での社会的成功を目指す作曲家にとっては、これは最大にして究極の「目標」だったのである。

□オペラ「負け組」と「勝ち組」

Beethoven かくして多くの作曲家たちがオペラに挑戦し、かのモーツァルトも自作のオペラの成功不成功に生涯一喜一憂を繰り返したが、成功組はごくわずか。オペラの成功を夢見て苦闘しながら、結局は負け組となった「大作曲家」の方がはるかに多い。その筆頭は何と言ってもベートーヴェンだろう。

 1805年35歳というもっとも脂ののりきった頃に渾身の力作として「フィデリオ」を書き下ろすも、初演は失敗。その後、幕数を減らしたり序曲を書き直したりと何度も何度も改訂し、10年ほどかけて現在聞くような形に完成させてなんとか好評を得たが、10年かけて1曲だけではとても豊かな「収入」になるはずもなく、晩年はひたすら貧乏作曲家のイメージが強い。

 しかし、この時オペラがすんなり成功してお金持ちになっていたら、交響曲などというお金にならないジャンルに固執することもなかっただろうから、第4番以降の交響曲はもしかしたら存在しなかった可能性が大きい。このオペラへの挫折とストレスが、逆に不屈の人ベートーヴェンを育てたとも言えるので微妙なところだ。

Rossini このベートーヴェンの時代にオペラ界で一世を風靡した「勝ち組」の筆頭がロッシーニ。1816年24歳の時に書いた「セヴィリアの理髪師」を始めとする軽やかでエンターテインメント性にあふれた諸作品は、本拠イタリアはもちろんのこと、ベートーヴェンの全盛期のウィーンでも大人気で、現在のベートーヴェンとロッシーニの人気をそのまま逆にしたほどの圧倒的な差があったようだ。(実際、飛ぶ鳥を落とす人気作曲家だった30歳のロッシーニは、ウィーンを訪れた時に52歳のベートーヴェンのアパートを表敬訪問し、その貧乏暮らしに涙したと伝えられている)

 全盛期は年に4曲近く書き飛ばし、イタリア国内はもちろんパリやウィーンでも大絶賛を受け、生涯で40近いオペラを書きながら37歳の時の「ウィリアム・テル」であっさり打ち止めにしたあとはグルメ三昧の楽隠居。76歳で亡くなるまでオペラの再演報酬やイタリアやフランスなどあちこちの国からの年金で(全くお金に困ることのない)セレブな生活を送ったそうである。

 そのため「ロッシーニのようになりたい!」というのが、この時代以降、すべての貧乏作曲家たちのあこがれの目標になる。

Schubert 今では「歌曲」の作曲家として不滅の地位を保っているシューベルトも、オペラを当てたくて悪戦苦闘しながら夢破れた「負け組」の一人。あれだけの美しいメロディを生み出していながら、オペラの演劇性とは肌が合わなかったのか、「アルフォンゾとエストレッラ」「家庭争議」「フィエラブラス」「4年間の歩哨兵勤務」「双子の兄弟」「サラマンカの友人たち」などなど、かなりの数のオペラを書いているが成功したものは一つもない。

 もっとも、1828年にわずか31歳で亡くなっているし、「魔王」のようにドラマ性を全開にした歌曲も書いているので、一旦コツを覚えたら人気オペラ作曲家に大化けする可能性も十分あったように思われる。

Berlioz ポスト・ベートーヴェンの時代の革命児であり「幻想交響曲」(1830)で近代オーケストラの始祖となったベルリオーズも、最終的にはオペラの成功を目指した一人。ベートーヴェンの「第9」に音楽の未来を見ながら、純器楽的な交響曲への方向はあっさり見限り、演劇性を追求した劇的交響曲「ロミオとジュリエット」、劇的物語「ファウストの劫罰」に続き、「ベンヴァヌート・チェリーニ」「トロイ人」「ベアトリスとヴェネディクト」など大規模なオペラに挑戦している。

 彼の近代オーケストラにおける革新性は常に話題になっていたし、それなりの人気もあったものの、残念ながら(フランス製ということもあったのかどうか)興行的に成功したオペラ作曲家とはとても言い難い。大作をものにはしたものの、彼もオペラに関しては「負け組」に数えていいだろう。

Meyerbeer それに対して、フランスを中心に一世を風靡したのがマイアベーア(1791〜1864)という作曲家だ。ポスト・ロッシーニの世代にあたる(ロマン派初期の)オペラ作曲家で、ドイツ生まれながらイタリアで音楽を勉強し、パリを本拠地にして作曲を続けたという不思議なスタンスの人。

 しかし、ロッシーニ的なイタリア・オペラのセンスと、ドイツ的な構築性とドラマ性を併せ持ち、さらにフランス的な華麗さを見事に統合させ、「エジプトの十字軍」「ユグノー教徒」と言った人気オペラを発表、グランド・オペラ(豪華絢爛な歴史絵巻的なオペラ)の世界を確立した。

 当時は完全な「勝ち組」の作曲家で、むかしの音楽史の本などではモーツァルト、ベートーヴェンなどと肩を並べ、ワーグナーやヴェルディに強い影響を与えた「大作曲家」クラスの扱いだったのだが、今では残念ながらほとんど作品が上演される機会もなく、名を知る人も少なくなってしまった。これを「勝ち組」というのか「負け組」というのか・・・?

Wagner そんなロッシーニやマイアベーアの成功を横目で見ながら、「彼らのようなオペラ作曲家になりたい」という野望に燃えて貧乏時代を耐えたのがワーグナー。そのわりにロッシーニの軽さともマイアベーアの華麗さとも無縁のゲルマン的な暗い題材が多いが、独特の押し出しの強さ?もあって「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」「ローエングリン」などを成功させ、新進オペラ作曲家としてのスタートを切る。

 とは言え、彼のゲルマン臭の強い神話的で晦渋なオペラは、一般大衆向けとは言えずどこまで興行的に通用したかは疑問。しかし、バイエルン国王ルードヴィヒ二世という大パトロンを得たことで、その後の状況は一変する。以後は、お客が入るかどうか=興業収益を得られるかどうか、ということを考えずに、自分専用のオペラ劇場「バイロイト祝祭歌劇場」まで手に入れ、妄想狂的な次元にまで膨らんだインスピレーションを自由に暴走させることができた。(おかげで国が一つ傾いてしまったが)

 彼の場合は、ちょっと例外的な(と言うより反則に近い)力ずくの「勝ち組」というべきだろうか。

 このワーグナーの影響力か、その後しばらく「オペラ(歌劇)」というのが、かなり社会的にも金銭的にも肥大した(現代で言うならハリウッド風大スペクタクル映画のような)イメージになったのは否めない。
 そのあたりの反感からか、全く金にならないと分かっていて交響曲のような純音楽の世界に邁進するのが潔い…とする作曲家も出て来る。ブラームスやシベリウスなどがハッキリ「オペラには手を出さない」というポリシーを口にしたのは、逆に「オペラを書いて一儲け」みたいな音楽姿勢を(本音はどうあれ)嫌ってのことなのだろう。「武士は食わねど高楊枝」か。
 
 …と、こうざっと見てくると、交響曲やソナタのジャンルでは「勝ち組」も「負け組」もさほど収入の格差はないものの、オペラに限っては天文学的な収入の格差があることがよく分かる。

 確かに、「芸術を創造する」ことより「娯楽を供給する」ことにこだわるのが「プロの作曲家」であり、そのプロ意識が莫大な収入を生む。しかし、一方でそういった「娯楽の供給」に長けた特質は、「芸術性の低さ」という評価によって打ち砕かれてしまう「両刃の剣」であることも確かだ。
 それはもちろん純粋に「音楽性」の問題でもあるが、同時に、成功を得られなかった大多数の音楽家&評論家たちの「復讐」でもあるから、かなりの怨念が籠もっていてちょっと怖い。

 生きているうちに「お金」をもらって死後は引きずり下ろされるか、生きているうちは貧乏で死後は「栄誉」を得るか。まさに究極の選択…(いやいや、生きているうちが花の方が良いに決まってるような気もするが)。これはなかなか難しい問題である。

Tchaikovsky ちなみに、ちょっと不思議なのが、クラシック界屈指のメロディ・メイカーであるチャイコフスキーの場合だ。彼も、そのメロディ作りの才能を生かしてオペラの成功に苦闘し続けた一人。「エフゲニー・オネーギン」「スペードの女王」あたりはロシア限定で知られているが、「オルレアンの少女」「マゼッパ」「鍛冶屋のヴァークラ」「イオランタ」など未完に終わったものも含めると十数編のオペラを書いていながら、彼を「オペラ作曲家」に数える人はまずいない。

 彼の音楽は「芸術音楽」という視点では必ずしも高評価でないものの、聴き手の心をわしづかみにする「恥ずかしいまでに見事な」メロディや曲作りのセンスは、クラシック音楽界でも最高峰の一つ。なにしろ「バレエ」の世界を大衆的なファンタジーにまで昇華させ、「交響曲」ですら大衆的なレベルの成功にしてしまう最強の作家なのだ。

 その彼がなぜオペラでだけ成功できなかったのだろう? 
 こればかりは「謎」だ。

□ヴェルディとプッチーニ

 つまるところ、いかに才能があっても「娯楽」と「芸術」を統合し、両手に花を持つのがいかに大変か…ということだが、それでも、オペラで「成功」をおさめた「勝ち組」で、かつ現代でもその人気を不動のものとしている大作曲家がいる。
 ヴェルディとプッチーニである。
 
Verdi ジュセッペ・ヴェルディ(1813〜1901)は、ワーグナー(1813〜1883)と同い年の生まれ。ワグナーが「さまよえるオランダ人」を書き上げた1842年に、ヴェルディも最初の成功作「ナブッコ」をスカラ座で初演して、オペラ界にその名を知らしめているから、作曲家としてのキャリアもほぼ同じだ。

 片やドイツっぽさ全開の楽劇を目指せば、片やイタリアっぽさ全開のオペラを開花させ、聴くものの愛国心を駆り立てたのも同じ。ヴェルディの場合は「イタリア統一運動」と呼応し、ワーグナーの方はドレスデンの三月革命に参加している。共に血の気の多い、民族主義者の顔を持っている。

 四十代には、片や「リゴレット」と「椿姫」、片や「トリスタンとイゾルデ」という人気作をものにし、人気実力ともイタリアおよびドイツの最高峰に登り詰め、セレブの地位を確保。国家的な作曲家となった1867年という壮年期には、ワグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガー」に拮抗するかのような「ドン・カルロ」といった大作に踏み込んだのも同じ。

 そして、その到達点とも言えるスペクタクル巨編としてヴェルディは「アイーダ」、ワーグナーは上演に4夜かかる「ニーベルングの指輪」を発表。ある意味でオペラの頂点を極めたと言っていい。さらに、晩年にはいくぶん軽めの透明感を持つ「ファルスタッフ」そして「パルジファル」を最後の作品として残したのもどこか似ている。

Puccini 一方、ジャコモ・プッチーニ(1858〜1924)は、ヴェルディが 最後のオペラ「ファルスタッフ」を発表した1893年に、「マノン・レスコー」の成功でオペラ作曲家の仲間入りを果たしている。

 その後は「ラ・ボエーム」(1896)、「トスカ」(1900)、「マダム・バタフライ」(1904)の三作で完全にヴェルディに次ぐ最大の人気イタリア・オペラ作曲家としての名声を確立している。

 ただし、時代は二十世紀を迎え、プッチーニのあまりにも分かりやすくて大衆に受ける作風は、ドビュッシーやシェーンベルクあるいはストラヴィンスキーなどが登場し始める「新しい音楽」の風潮の中では浮いていたことも事実。最後のオペラ「トゥーランドット」(1926)も含め、その後の「前衛音楽」の時代には「時代遅れ」という酷評をされたこともあった。

 しかし、大衆的な人気という点では圧倒的で、いまだにそのメロディの美しさと叙情的かつ感傷的な音楽は、愛され続けている。

 というわけで、次回は、そんなヴェルディとプッチーニの世界にもう少し踏み込んでみよう。

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ヴェルディ「椿姫」
・7月23日(金)18:30東京文化会館
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・7月28日(水)18:30東京文化会館
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