作曲家のハローワーク
今回は、某新書用に書き下ろしたものの、シビアすぎてボツになった「作曲家のハローワーク(作曲家の現在)」の一部を本邦初公開。(ちょっと長編)
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作曲家というのは、読んで字の如く「曲」を「作る」人のこと。英語では「コンポーザー(Composer)」という。音楽を「組み立てる(cmposeする)」人というような意味である。
クラシック業界や学校の音楽室で「作曲家」と言ったら、ベートーヴェンやバッハのようなクラシックの作曲家の(ちょっと怖い)肖像画の顔が思い浮かぶ。
でも、街で「作曲家」と聞いて普通に思い浮かべるのは、やはりポップスや歌謡曲のヒット曲を書いた作曲家。一方、「作曲:だれだれ」というクレジットが多くの人の目にとまるのは、映画やテレビで音楽を書いている作曲家だ。
というわけで、シビアな「作曲家」のリアルなお話。まずは、どんなタイプの「作曲家」がいるのかから話を始めよう。
■作曲家の種類
■クラシック系音楽の作曲家
まずは、クラシック系。バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ショパン、チャイコフスキーなどなど音楽教室の壁に肖像画が貼られているタイプの作曲家たちが代表格。
基本的に、オーケストラやアンサンブルあるいは器楽ソロから歌曲そしてオペラまで、コンサートや劇場で演奏される音楽作品の「楽譜」を書くのが仕事。
彼らのほとんどは、一〇〇年も二〇〇年も前の人たちで、既に死んでいるし、いわゆる著作権も消滅しているから、演奏や録音あるいは楽譜の複製も無料。その恩恵(遺産)で成り立っているのが「クラシック音楽界」と言えなくもない。
ただし、現代でも、クラシック系のアンサンブル(オーケストラ)や楽器(ヴァイオリン、ピアノなど)のためのコンサートやリサイタル、およびオペラ(歌劇)などのために作品を供給する作曲家は少なくない(私もその一人)。
この場合「クラシック系」という分類はおかしいわけで、あえてカッチリ定義をするなら「音楽作品として独立した楽曲を、五線譜にすべて記述する形で創作する」タイプの作曲家とでも言おうか。
メロディやテーマを作り、それを数十分から数時間の作品として構成し、オーケストラなら百人前後の演奏家のパートすべてを統合した楽譜(総譜)を「一人で」仕上げるのが基本だ。
■ポップスやヒット曲の作曲家
対して、歌の「メロディ」だけを書く作曲家もいる。
彼らは、楽曲を構成(compose)する作曲家(コンポーザー:Composer)に対して、旋律(melody)を専門に書くのでメロディメイカー(Melody Maker)と呼ばれる。
仕事は「メロディ」を作ることだが、それには「詞」が付くのが前提。当然ながら、作詞・作曲という2者の共同作業であることが多い。ただし、両方こなす作詞作曲家、さらに自分でギターやキイボードを弾きながら歌うシンガーソングライターなども少なくない。
楽譜としては、最低限「詞が付いたメロディだけの譜面」を書ければいい。多くはコードネーム(Am、G7など)と呼ばれる和音の伴奏ガイドを付けるが、そのコードを含めて「編曲家(アレンジャー)」に委託することもある。
中には、「鼻歌」のような形で思い付いたメロディをテープなどに録音し、それを専門家が「採譜」して「作曲」とすることもある。そのため「楽譜」が全く読めない(書けない)作曲家もこのジャンルには存在する。
ちなみに、このように「採譜」してもらい「編曲」してもらっても、「作曲」の権利はすべて最初の「鼻歌」を歌った作曲家が総取りする。現代における最も効率的(?)な仕事のひとつである(ただし、ヒットすれば…だが)
■映画やテレビ劇判の作曲家
20世紀に映画やテレビというメディアが登場して一線に登場したのが、俗に「劇判(げきばん)」正確には劇伴奏音楽、あるいは「BGM(バック・グラウンド・ミュージック)」などと呼ばれる音楽の作曲家。
純粋な「音楽作品」や独立した「歌あるいは楽曲」ではなく、演劇や映画やテレビなどのドラマあるいはドキュメンタリー作品などに「背景音楽」を付けることを仕事とする。
古くは「演劇」のための付随音楽。それこそ古代ギリシャやローマ時代から、劇で歌われる合唱の作曲家は存在したし、シェークスピア劇でも座付きの作曲家がいた。いわゆるクラシック系の作曲家たちも、舞台で上演される演劇のための付随音楽を多く書いているので歴史は古い。(ちなみに、ベートーヴェンの「エグモント」、グリーグの「ペール・ギュント」なども元は劇付随音楽)。バレエの音楽などもここに含まれるかも知れない。
そして、20世紀になってから登場したのが「映画」。無声映画の時代は、上映されるスクリーンの横で音楽を演奏し、トーキーの時代以降は背景に音楽を組み込むようになった。フィルムの音声トラックにセリフや効果音と共に音楽を焼き付けたため、これらの音楽は「サウンドトラック」と呼ばれる。
クラシック系の近代現代の作曲家たちも、オネゲル、ショスタコーヴィチからシュニトケや武満徹まで映画音楽をかなりの数書いている。純音楽(芸術音楽)作曲家のアルバイト的な仕事としても重要だったわけだ。
さらに現代では「ラジオ」および「テレビ」で放送される「ドラマ」のための音楽がそれに続く。
逆に、音楽主体で劇判とヒット曲の作曲の双方を兼ねるのが「ミュージカル」。舞台上のシーンに音楽を付けるのは劇判と同じだが、さらに「主人公たちが謳う「歌」の作曲も必要で、これは映画や演劇の音楽に比べて遙かに「メロディ・メイカー」の部分が大きい。
こちらは、「歌」だけ書くメロディ・メイカーと、劇判部分やアレンジを担当する作編曲家(アレンジャーやオーケストレイター)との共同作業になることも多い。
また、イベントのための曲作りもこの系統になるだろうか。オリンピックの開会式や万国博覧会のパビリオン内の音楽、いろいろある。
■CMやゲームなど新しいメディアの作曲家
最も現代的なジャンルとして、テレビやラジオのCMのための音楽の作曲家というのも専門的な仕事。15秒から長くて1分ほどの中で、商品を引き立てる音楽を作る。
むかしは「CMソング」を書くのが主な仕事で、これは前述のメロディ・メイカーの中でも、特にキャッチー(一回聴いただけで人を惹き付ける)で短くて印象的なフレーズを作れる人が求められた。別に8小節や16小節の歌の体を成してなくても、1フレーズだけでもいいわけで、かなりセンスが必要。
最近では、歌に限らず、CMのバックに流れる15秒なり30秒で世界を作れる音楽が要求されるようになり、その守備範囲も広くなった。単に「楽譜を書いて」「演奏してもらう」という作曲だけでなく、コンピュータでの打ち込みから現実音や声や民族楽器や自然音なんでも「音楽素材」としてコラージュしプロデュースする仕事と言っていいかもしれない。
またパソコン(パーソナル・コンピュータ)やゲーム機の普及に伴って登場した「ゲーム音楽の作曲家」というジャンルもある。
ゲーム機の黎明期は、音を出す機構(サウンド・ボード)がいたってシンプルで貧弱だったこともあり、単音(ピューン)あるいは2音(ピコピコ)という程度の電子音の組み合わせでどこまで色々なサウンドを作れるかが最重要ポイント。作曲と言うよりサウンド・エフェクト(音響効果)という感じだった。
しかし、これも日進月歩で技術的な進化を遂げ、やがて電子音の組み合わせでテーマ・メロディやちょっとした楽曲を鳴らせるようになった。そして、それを現実の楽器で演奏した「ゲーム音楽集」がCDとして売れ始めたあたりから、「ゲーム音楽」は大きな音楽マーケットになってゆく。
このジャンルの作曲家としては、まず最終的な作品がゲーム機から出る「電子音」なので、楽譜ではなくパソコン上の「MIDI」という規格で「音源」を構成することが多い。
大ヒット・ゲームともなると、ハリウッド映画レベルの制作費が投入されることもあり、時にはオーケストラなど生の演奏を加えたハイクオリティの音楽が供給されることも多くなってきた。
■アレンジャーとオーケストレイター
また、「作曲」のサブ(補佐)の仕事をするのも「作曲家」の仕事になる。
例えば、メロディやテーマだけの「作曲」を補完して、コンサートや舞台や放送で上演できる形に仕上げるのが「アレンジャー(編曲家)」。
バンドやアンサンブルなど最終の演奏編成にあわせて「楽譜」を書く。
メロディを思い付く感性としての「才能」ではなく、楽器(その音色や音域、特性やクセなど)の性格を熟知し、ハーモニーやサウンドに関する専門的な知識と経験が必要な「専門職」。時には、予算に応じてエコノミーな編成に、逆にゴージャスな編成にと注文に応じて千変万化にこなす「職人芸」が必要とされる。
クラシック系音楽では、作曲家本人が自分の曲のアレンジをすべてこなすが、ポップスではアレンジャーは別人であることがほとんど。映画やテレビの音楽などでも(作業時間の短縮と言うこともあり)分業になることが多い。
その中で特にオーケストラ専門のアレンジを担当するのが「オーケストレイター(管弦楽編曲家)」。
巨大編成のオーケストラからそのサウンドを百%引き出すのは、かなり専門的な知識とテクニックが必要になるため、映画やテレビなどの音楽でオーケストラを使う場合、オーケストレイターが助手あるいは分業のような形で参加していることが多い。
それは、クラシック系音楽も例外ではなく、例えば、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」やバーンスタインの「ウエストサイド物語」などでも、作曲者のスケッチ楽譜を元に専門のオーケストレイターが最終的なフル・スコアを仕上げている。
さらに、作曲家の「サブ」としては、歌を録音したテープなどから「楽譜」を起こす「採譜」と呼ばれる仕事もある。
これは、メロディを耳で聴いて、それを音符に書き写すので、「ソルフェージュ」の能力とある程度の「絶対音感」が必要とされる。
多くは、一本のメロディをドレミファにして書きとめるだけの作業だが、時には、楽譜が出版されていない曲をLPやCDを聴いて「スコア(総譜)」にする高度な技を駆使する猛者もいる。
こういう技は「耳コピー」と呼ばれ、専門職があるわけではなく、音感のいい若い作曲家がアルバイト的に行うことが多い。
■そのほか
ジャンル分けは難しいが、そのほかにも「作曲家」が必要とされる業界がいくつかある。クラシック系に近いのが、「合唱」あるいは「吹奏楽」のジャンルの作曲家。いわゆるプロフェッショナルのクラシック演奏団体ではなく、高校や大学あるいは社会人などアマチュアのコーラスやアンサンブルのための「新作」を書くもの。
ただしアマチュアといえどもその裾野は広く(なにしろ全国の中高大学から会社のほとんどに合唱団や吹奏楽団とその予備軍がいるのだ)、かなり演奏レベルも高く、ハイクオリティの作品も生まれつつある。そのため、最近ではこのジャンルを専門とする作曲家も多くなり、逆に「純クラシック系」の作曲家などより遙かに名声と収入を獲得している例も少なくない。
あるいは「邦楽」というジャンルの作曲も専門化している。これは尺八や琴や三味線などの「流派」ごとに、演奏家が作曲家を兼ねて作曲する例がほとんど。クラシック系の作曲家が「現代邦楽」として新作を作曲することも多いが、邦楽界の独特な世界を描く点で微妙に「温度差」があるのが特徴か。
また、「校歌」あるいは「社歌」の作曲というのもある。専門学校や企業などの「テーマ曲」的なものまで含めると、かなりのマーケットが存在していると言えなくもない。
現代の傾向としては、演奏家を全く介せず、電子音やデジタル音源などエレクトロニクス系機材を駆使することを専門とする作曲が増えてきたことだろうか。
以前は「電子音楽」とか「ミュージックコンクレート(具体音楽)」などと呼ばれたジャンルだが、パソコンやMIDI楽器の進化により、一般家庭で普通に手に入るような機材で「音楽」を作ることが可能になったことが大きい。
このジャンルでは、単に「楽曲を作る」だけでなく、曲を作るプログラムやメカニズムそのものを「創作」するタイプのクリエーターも登場しつつあり、「作曲」との線引きは難しくなりつつある。
…と色々なタイプの「作曲家」を挙げてみたが、そのどれかひとつを専門とする作家もいれば、幾つかのジャンルをマルチにこなす作家もいる。個々の音楽ジャンルに上下はないことは言うまでもないし、ある程度の音楽的才能とセンスがあれば複数のジャンルを渡り歩くのは可能。
ただし、各業界にはそれぞれ「こだわり」があり、ジャンル間の壁というのは意外と厚い。結果、その壁を乗り越えるのは尋常ではない努力を要するので、念のため。
■作曲家になるには
さて、次に、そんな作曲家になるにはどうしたらいいかと言うと…
2011年現在、作曲家になるのに免許や資格はいらない。「作曲家です」と言い張れば、誰でも今日から作曲家である。
□純音楽と商業音楽
ちなみに、音楽のタイプとしては、大雑把に分けて「純音楽」と「商業音楽」とがある。
「純音楽」は純粋に自己啓発的に書くタイプの音楽。純粋と言えば聞こえは良いが、「音楽的」な以外、何の役にも立たない。対して「商業音楽」は商業的に機能することを前提として第三者からの注文によって書かれるもの。
早い話が、(身も蓋もなく言ってしまえば)前者は「お金にならない音楽」で、後者は「お金になる音楽」である。
お金になるかどうか考えずに作曲する…というのは、それだけ聞くと高尚すぎるとも逆に無意味な行為とも思えるが、子供を産むようなものと思っていただければいいかも知れない。
子供は、一人産んだから幾ら、二人産んだら幾らというような報酬は発生しない。でも、それを無意味と思う人はいないはず。純粋に音楽を作曲するというのはそれと同じだ。
対して、もちろん人間は生きてゆくためには日銭を稼がなければならないわけで、それをハッキリ前提とするのが「商業音楽」。消費者(聴衆)と商店(演奏家や興行主)および流通(コンサートやCDなど)を把握し、経費や収支を考えながら商品としての音楽を生産する。
ただし、この両者に明確な一線が引かれているわけではない。純音楽として書かれたソナタや交響曲が幾ばくかの報酬を生むことだってあるし、商業音楽として書いたはずの曲が全く収入を生まないことだってあるからだ。
そもそも「純音楽の作曲家」の権化と見られるベートーヴェンのような作家でも、オペラや劇音楽や頼まれものの音楽なども書いて報酬を得ていたわけで、どちらか一方だけに特化する必要もない。
すべての「作曲家」たちは…例えば純音楽八〇%商業音楽二〇%とか、純音楽五%商業音楽九五%というように…双方のバランスを取りつつ音楽を作っているわけだ。
□芸術音楽と娯楽音楽
もうひとつ「芸術音楽」と「娯楽音楽」という分類もある。
「芸術音楽」は純粋に音楽的表現のみを求める音楽。「娯楽音楽」は大衆が愉しむことを前提として作られる音楽。
これも大雑把に言えば、クラシックの渋い音楽のように、聞いて「わあ、面白い!」というわけではないしCDが売れているというわけでもないが、何百年も聴かれ続けて気むずかし屋の評論家に高評価なのが「芸術」音楽。
一方で、子供でも大人でも聴けばわくわくしCDが何百万枚も売れてヒットチャートを賑わすのが「娯楽音楽」。
とは言え、これだって明確な一線があるわけではない。芸術音楽の筆頭であるバッハやベートーヴェンだって聴いて愉しむという点で立派に「娯楽」だし、娯楽音楽の王者であるビートルズやマイケル・ジャクソンは充分「芸術」の域に達しているからだ。
■仕事の形
さて、もう少し具体的な仕事の話をしよう。
同じ「一曲」でも、ジャンルによって作曲家の書く曲の大きさ長さなどはまちまちだ。
コンサートやリサイタル用の作品の場合、通常は一晩のコンサートが1時間半〜2時間ほど。全半後半と別れていることが多く、それぞれは45分前後。
ということで、コンサート用リサイタル用作品として依頼されるのは、前半あるいは後半の「半分」を占める長さの曲が最も多い。時間にして15分から最大30分くらい。後半のトリを占める作品(交響曲など)で45分前後という処か。
対して、「歌(ヒット曲)」の場合は、かつてはSP盤のシングル・サイズ「2分前後」というのが(ラジオでディスクジョッキーが流す時の)基本だった。
その後、LPの登場以降はかなりフレキシブルになり、70年代(プログレッシブロックの時代)にはLPの片面最大20分強という楽曲も試みられた。
CD以降は、そういう制約もほとんど無くなったが、それでも、一曲は3〜4分(歌で言うと3コーラス程度)といったところが基準だろうか。
一方、演劇や映画は、その全体の寸法が1時間半から2時間前後(もっと長いものもあるが)、テレビドラマなら30分から2時間ほど。ただし、音楽は、そのすべてに付くわけではなく、オープニングのテーマ(前奏曲)や、シーンごとの音楽、舞台転換のための音楽、間奏曲、挿入歌、など細かい数十曲(インストゥルメンタル)を書く。音楽の分量の目安としては、全体の1/3から2/3くらい。
例えば、普通の文芸作品の映画だと2時間の映画で30〜45分くらい。音楽主体の映画やハリウッド映画のように音楽がべったり付いているもので1時間強といったところか。
これも最初から終わりまでずっとベッタリ音楽を付けるわけではなく、シーンやカットごとに、1分から5分くらいの長さの曲を20〜50曲くらい(悲しいシーン、恋愛シーン、というように、多いときは100曲近く)書くのが普通。
また、テレビドラマあるいはアニメのように、30分ほどの枠が毎週1回で数クール(1クールは3ヶ月)続く…というような作品に付ける音楽もある。
こちらは劇場用とは少し違い、1回1回作曲家が音楽を作曲して場面に付けるのではなく、最初に様々なシーンやシチュエーション用に100曲近い音楽の断片を作っておき、それを「選曲」して各回のシーンに付けてゆくという形が多い。
時には場面転換する際の数秒ほどの音楽(ブリッジ)から、擬音に近い(ガーンとかチョンというような)短い音楽なども必要とされる。
ちなみに、映画やテレビ番組の場合、本編のBGMに付ける「音楽」のほかに、主題曲(オープニング)やエンディング曲、あるいは劇中歌に別のアーティストの楽曲が使われることが少なくない。これは「タイアップ」あるいは「タイアップ曲」と呼ばれる。
映画やテレビ側は印象的な楽曲を制作費ゼロで手に入れられ、レコード会社側はアーティストの「シングル曲」を番組に乗せて宣伝できる…という双方の思惑が「手を結んだ(タイアップした)」もので、実際、ヒット曲を生む土壌になっている。
(ただしこれは、「良い曲は繰り返し聞かれる」…と言うのを逆手にとって、最初から「繰り返し聞かせる」ことで良い曲にでっち上げてしまうわけで、国によっては嫌われている手法らしい)
■収入の形
次に、「お金」の話も少し。
作曲家への収入の形は、「直接的」なものと「間接的」なものがある。
同じ音楽家でも、例えば演奏家は、一回の演奏でギャラがいくら…というように直接的な収入に結びつく。一回演奏して、その1回分のギャラをその場でもらう。ストリート・ミュージシャンのように、その場で「おひねり」をもらうのが、おそらく一番古く確実な収入の形。録音スタジオに呼ばれて演奏するスタジオ・ミュージシャンもそれに近い。
一方、一般的なサラリーマンのような職業は、一日働いて幾ら…というような直接的な収入はない。毎日の仕事の成果がひと月に一度「月給」として支払われる。定期的にある程度定額の収入が確保される。
あるいは、農業のような場合。これは1日働いて幾ら…という収入の形はない。種を植えて、それに水をやって、害虫から守って、収穫して、商品化して、売って…そこで初めて収入になる。
作曲家の収入で「直接的」なものは、作曲を頼まれたときの「作曲料」「委嘱料」と呼ばれるもの。純音楽にしろ商業音楽にしろそれは同じだ。
これは、どういう場で演奏される、どのくらいの規模の、(どういう内容の)、どういう長さの音楽を、(どういう形で)、いついつまでに「作曲する」…という注文を受け、それを承諾したときに発生するもの。
クラシック系の作品(オーケストラ曲や室内楽曲あるいはソロ曲など)は、オーケストラや演奏家あるいは財団や放送局などの団体から「委嘱」されれば、この「作曲料」「委嘱料」が発生する。
ただし、金額はまちまちで、本来なら「(基本時間給X作曲にかかる時間)+必要経費」がもらえればベストだが、こればかりは最低金額の保証もない。当然ながら有名作曲家や大家は高額だが、新米作曲家などの場合は低額になる。
個人的経験では、上は100万〜200万前後、下は一ケタ万円(しかもチケット現物支給)。小品の場合は数千円というのもあったし、全くもらえなかったことも数多い。
演劇や映画テレビなどの作曲は、対象となる舞台や放送のために書くので、これはかなり確実に「作曲料」がもらえる。(ただし赤字でもらいはぐれると言うことはあるが)。
ただし、作曲するだけではなく、それを「楽譜」にし、最終的にスタジオで「演奏」し「録音」し「編集」する必要があるため、「作曲」はその一部。作品の「音楽総予算」を、何分の一かずつ分け合う形になる。さらにそれらを統括する音楽事務所との「契約」で、「手数料」がざっくり引かれるので念のため。手取りとしては、映画一本で数十万から数百万といったところだろうか。
一方、ヒット曲の場合は、ちょっと微妙だ。歌手や作詞家あるいはレコード会社から指名されて作曲すれば「作曲料」が出るが、複数の作曲家が書いた何曲かの中から「選ばれる」コンペ(競合)形式も多い。
つまり、採用されればCDに収録されるが、されなければそのままボツ。逆に、こちらからお金を出して「曲を使ってください」と売り込みをかけることも少なくない。
それじゃあ収入にならないじゃないか…とお疑いになるのは当然だが、それでも「損して得取れ」のことわざの通り、作曲の場合は次に話す「間接的」菜収入、つまり「印税」が発生するのである。
□間接的な収入「印税」
音楽を作曲する場合に発生するのは「作曲料」だが、その音楽は「演奏」され、「放送」され、「上演」され、「録音」され、「出版」される。その場合に発生するのが、著作権使用料(俗に言う「印税」)というもので、これが「間接的」な収入だ。
上記のヒット曲なら、当然第一段階で「CD」になり販売される。この場合、通常CDの単価の6%ほどが作家の取り分となる。
歌の場合は「作詞家」と「作曲家」がいるので50%50%(実際には音楽出版社や事務所などとの契約で変動あり)。シンプルに例えば1000円のシングルCDが1枚売れたとすると、作曲家に30円。ただし2曲入りならその半分の15円。10万枚売れて150万円というくらいがヒット曲の範囲内。
クラシックや映画音楽の場合は、作詞家がいないので作曲家の総取りだが、こちらはヒット曲ほど枚数が出ないので、2000円のCDが2000枚売れて24万円というくらいがヒットの範囲内。
ただし、これは作曲家が一人の場合。4曲あるいは6曲入っている場合、そのまま1/4(6万円)、1/6(4万円)になる。悲しい数字である。
また、演奏や上演あるいは放送の場合は、著作権協会(日本ではJASRAC:日本著作権協会)が規定の著作権使用料を算出して使用団体・使用者から代金を徴収し、会員となった作曲家に分配する。その金額は、有名作曲家とか無名作曲家に関係なく、曲の長さ(5分以下、5分以上、10分以上…というように5分刻み)と上演方法によって算出される。
音楽ホールの場合なら入場料と入場者数(無料音楽会も聴衆ゼロでも、使用料ゼロではない!)、放送の場合はNHKか民放か全国放送か(作曲家と作品名を明記した放送かどうか)などで算出方法が色々あるらしい。ちなみに外国で演奏上演放送されると、その国の著作権協会のレートで算出された使用料がJASRACを通じて入金される。
(ただし、千人ほど入るコンサートホールでオーケストラ作品が演奏されても、使用料自体は数千円から一ケタ万円というレベル。演奏会収入で食べてゆくには、世界中で毎年数百回数千回上演されるような曲を書く必要がある)
さらに、テレビ番組やビデオなどで(作品名や作曲家名を明示せず)BGM的に音楽の一部が使われた場合の使用料も規定があるほか、ネットなどでの配信、カラオケでの使用などもカウントされる。
ただし、放送局やカラオケショップなどは一曲一曲「作品」と「作曲者」をカウントするわけにも行かないので、年間いくら(おおよそ放送事業収入の1.5%)という形で著作権協会に使用料を支払い、それを作家ごとの分配率にあわせて配分している。
このように、著作権協会に入会した作曲家に関しては、登録した楽曲が世界中のどこで演奏・上演・放送されても、その規定に応じた「使用料」が徴収され、集計され、管理手数料(曲種によってまちまちだが10数%から20数%くらい)が差し引かれた金額が、3月6月9月12月の年4回会員に「分配」される。
JASRACに入ってくる年間の総使用料は1000億円前後。分配される金額はそれこそ作曲家によってまちまちで、ビートルズやマイケルジャクソンなど年数十億円という猛者もいるものの、クラシックの有名作曲家(シベリウスやラヴェルなどの著作権がまだ生きている頃)で年2億円前後、ヒット曲作曲家で年数千万、プロの作曲家として知られている人で年数百万といったところだろうか。
ちなみに、日本でこの使用料収入が最も多いのは、海外で上映され放送されDVDなどで販売されるようなアニメや映画などの音楽の作曲家とか。特に、ヨーロッパやアメリカで毎週テレビ放送される…というような番組のテーマ曲が一番の稼ぎ頭らしい。
ポップスのヒット曲の方は、日本国内にとどまる限り数百万枚のレベルなので、全世界で数千万枚とか数億枚というアーティストにはかなわない。ただ、普通の人が聴いて「ああ、あの曲」と思い出せるくらいのレベルのヒット曲なら、老後の小遣いに困らぬ程度の収入には繋がるらしい。
一方、クラシック系の方は……言わぬが花、だろう。
■死後50年
ちなみに、このような「音楽著作権」のシステムの基本は、「質より量」。「質」は問われず「量」だけですべてが判断され、金額が算出される。
結果、ポップス的な「歌」の作曲家が莫大な利益を保証されるようになったのと逆に、貴族など特権階級を相手に利益を得ていたオペラなどクラシック界の作曲家たちは、演奏される回数とメディアの少なさによってジリ貧の現実に立ち向かうことになったのは皮肉なことだった。それは巨大な恐竜が絶滅し、小さな哺乳類が台頭したような歴史的事件と言っても良いかもしれない。
それでも、ドイツ・オーストリア圏での著作権協会の設立に貢献したのは、リヒャルト・シュトラウスらクラシックの大御所作曲家たち。彼らは、生きている間に収入を得るということには無関心で、面白いことに「著作権は作家の死後も50年間、存続する」という項目を確立させた。
作家が死んだら著作権も消滅して良いような気もするが、これは「作曲家が死んだ後も未亡人や遺児が困らないように」という(ちょっとプライベートかつ身勝手な)発想からだったようだ。
これのおかげで、クラシックの主だった作曲家たちは晴れて「著作権フリー」「使用料ゼロ」のパブリック・ドメインとなり、当のシュトラウスら(当時の)現役老人作曲家たちの収入は、死後50年確保されることになったわけだが、ちょっとこれは複雑な気分も少し。
個人的にもちょっと「?」が付くほどなので、当然ながら、この「死後」規定は国によってとらえ方が様々。もともと作家の遺族への収入確保で始まったものだから「30年くらいでいいんじゃない」「いや、70年くらいは必要だ」と喧々がくがくの議論の末、現在では(ベルヌ条約という国際的な取り決めで)「最低でも死後50年」と決められているそうだ。
ただし、遺族ならぬ「出版社」や「作品の権利を持っている団体」としては、例えば毎年何億円もの著作権収入のある稼ぎ頭の曲が、ある年を境に「著作権切れ」で収入ゼロになるのは大損害。当然ながら著作権団体に「70年に延長しろ」「いや、100年でいい」という圧力をかけるわけで、その成果もあってか最近、欧米諸国では「70年」が基本になりつつある。(日本は現状で「50年」)
ちなみに、この「死後50年」というのは、作曲家が死んだ日から50年間ではなく、その年から数えて50年めの12月31日まで。1900年7月1日に死んだ作曲家なら、50年の保護期間は1950年12月31日まで。1951年1月1日から著作権フリーになる。
また、第二次世界大戦の間は著作権徴収が正常に行われなかったという視点から、国によってその期間を無効とする「戦時加算」が行われる。例えば、イギリスやオーストリアの作曲家の日本での「死後50年」の保護期間は、「およそ10年(3794日)」加算され、60年半ほどになる。
■分配
音楽における著作権の「金額」や「分配」などの設定は、先に出た「ベルヌ条約」などで一応は国際的な基準があるものの、各国の音楽事情によって(あるいは時代の変化によって)事情はまちまちだ。
例えば、最近でも携帯電話の「着メロ」が登場したとき、あれも立派な「楽曲」の「演奏」だから使用料を徴収しようということになった。それは(異論があるとしても)妥当だとして、じゃあ、一回ピポパポとなっていくら徴収するかというのは誰にも分からない。
結果、そこで「無料」とするのと一回「1円」にするのと「10円」にするのとでは、現状では(おそらく)数十億円の差が生じるわけだ。
同じように難しいのは、とにかく片っ端から音楽の使用料は徴収したとして、その「分配」の方法だ。世界中のどこでどんな形で音楽が鳴ろうとも(携帯の着信メロディだろうがTVのBGMだろうが鼻歌だろうが)、その権利者(作曲家と作詞家)を割り出して、演奏した秒数(分数)を掛けて100の徴収料(から手数料を抜いて)分を作家ごとに分配するのが理想。
でも、世界中のあちこちや放送局や個人の携帯で誰の音楽が何回鳴っているか正確にカウントするなんて出来るはずもない。
そこで、放送局などは放送収入の何%、レストランやカラオケ店などでも規定の月額料金などという形で「ざっくり」徴収することが多い。当然ながら、そこには曲と回数などのデータはない。
そういう金額をどうやって「会員(作曲家や権利者)」に分配するかというのは、それぞれの著作権団体によって色々らしい。
多くの場合、サンプリング調査(一定の期間を区切って、そこで放送上演された作品をカウントする)をして作曲家ごとにランク付けをし、Aクラスの人は何%、Dクラスの人は何%というように、徴収金を分配するシステムのようだ。
ただ、先のクラシック作曲家の例を挙げるまでもなく、そういった「規定」は協会の役員(委員)による会議で決められることが多いので、当然ながら「ポップス曲の作曲家」が委員に多ければ、ポップス系に有利な分配に、「クラシック系の作曲家」が会長だったりすればクラシック系に有利な分配になるようだ。
実際、クラシック音楽の本場オーストリアやドイツではクラシック系が微妙に有利(「初演」割り増し金などがある)で、逆に日本では戦後の黎明期に「演歌」が果たした役割が多かったため、演歌系歌謡曲のような音楽の作詞・作曲がもっとも有利な規定になっている感がある。
もともとベートーヴェンを演奏したら幾らでビートルズを演奏したら幾ら…など誰にも決められることではないので、色々な委員の意見の調整の中から「規定」が生まれるのは当然と言えば当然。しかし、そこで「10円」と決まるか「100円」と決まるかで、収入が一桁変わるのも事実。
気に入らなければ、自分で会社を設立して自分の曲の権利を管理し、徴収金額を自分で決めるのも一考。収入が年数億円規模になりそうだったら、トライしてみるのも良いかもしれない。
■ネット時代の音楽事情
と、昨今ようやく「著作権」という概念が一般に浸透したところで、それを覆すようなテクノロジー「インターネット」が登場しているのは御存知の通り。
今までは、音楽の複製には「レコード盤」や「CD盤」のような、個人では製造不可能な媒介を使って工場で大量生産し大量頒布する…というのが「音楽ビジネス」の基本だった。それがインターネットによる「ネット配信」という技術によって、「複製」と「大量頒布」はほとんどコストゼロになった。これは衝撃的なことだ。
おかげで確実に最近CDが売れなくなっている、と言う。そう言えば私も、かなり買う量が少なくなった。でも、「音楽」を聴かなくなっているのかと言うと、そういうわけではない。むしろ逆だ。
もともと音楽は、ほんの百年ほど前まで、演奏される端から大気に消えてゆくものと決まっていた。だから、誰もそれを保存したり売ったりなど出来なかったのに、ある時誰かが、演奏家たちを「ホール」に封じ込め、それを聴く座席に値段を付けた「チケット」を売ろうと思い付いた。それがすべての始まりである。
さらに近代になると、「録音」という技術が登場。音楽をレコード盤に封じ込め、それを大量に複製して世界中にばらまくことで莫大な利益を得ようとする悪魔たちが現れた。かくして大気に消えっぱなしだったはずの音楽は一躍巨大ビジネスになったわけだ。
でも、よく考えてみれば、お金で売買されているのは「チケット」という紙や「CD」というプラスチック製品であって、決して「音楽」そのものではない。
現代では金科玉条のように言われている「著作権」だって、ほんの百年ほど前に誰かが思い付いた単なる「ビジネス上の約束事」。その約束事のおかげで、一部の特権階級向けの芸術音楽より、何百万人という庶民向けの娯楽音楽が「質より量」の原理で莫大な富を生むようになった。ただそれだけのことだ。
所詮、紙やプラスチックを大量生産し、電気で水増し増幅する「複製」作業の過程で「お金」が発生しているだけのバブル現象。音楽はネットの海に浮遊するようになり、逆に「大気に消えてゆく」という元の姿に戻ろうとしているのかも知れない。
人間がある限り音楽には未来があるが、
さて、作曲家に未来はあるのだろうか……
というわけで、今回はここまで。
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5月3日(火)14:00 サントリーホール
5月4日(水)14:00 サントリーホール
5月15日(日)14:00 東京オペラシティ
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