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2011/03/10

クラシック比較音楽史

Historym クラシック音楽というと基本的に「西洋」のもの。西洋の歴史とはリンクするものの、「日本で言うとどのくらいの時代の音楽ですか?」と改めて聞かれて即答できる人は少ない。

 確かに、普通の人なら日本史の年号の幾つかは…「鳴くようぐいす平安京(794)」とか「いい国作ろう鎌倉幕府(1192)」…というように記憶している。そして、クラシックにあまり興味のない人でも「モーツァルト没後200年」とか「ショパン生誕200年」というような話を耳にしたことはあるはず。

 ただ、それを相互比較して並べてみることはしない。特に、日本は江戸時代まるまる「鎖国」で西洋文明と没交渉だったので、あまりリンクする意味がないと言うこともあるのかも知れない。

 でも、ある音楽が生まれた頃、それを生み落とした社会や遠い極東の国「日本」がどんな時代だったのか?というのは、なかなか想像力をかき立てられる心惹かれる題材だ。

 大まかに言えば、
 バッハが江戸の元禄時代、
 モーツァルトやベートーヴェンは江戸後期。
 明治時代になった頃がワーグナーやブラームス
…といった具合なのだが、そう答えると「意外に新しいんですね」という人と、逆に「意外と古いんですね」という人がいるので面白い。

        *

□西洋と東洋との出会い

Gungakub 日本とクラシック音楽の「公式な」出会いは、ざっと140年ほど前。(これも「意外に新しい」か「意外に古い」かは人それぞれだ)
 鎖国が解かれた「明治」の初め、イギリス海軍から薩摩藩に軍楽隊の楽器が送られたのが明治2年1869年頃。日本に初めて(きちんと)西洋音楽が入ってきたのはこの辺が起点だろう。

(そのあたりの、西洋音楽(特にオーケストラ)が日本に浸透していった歴史に関しては、以前書いた「日本のオーケストラ事始め」を参照のこと)

 もっとも、さらに遡って「非公式?」に西洋音楽が入ってきた…ということになると、織田信長の時代だろうか。
 鉄砲伝来が1543年、フランシスコ・ザビエルがキリスト教の伝来に来日したのが1549年あたりだから、おそらくこの頃、西洋楽器も日本初上陸を果たしたものと思われる。

Nobnaga 特に織田信長は、舶来もの好きということもあって、安土城(1579年完成)で何度か西洋音楽を聴いたという記録がある。(安土城には、「日本史」を著した宣教師フロイスが出入りしていたし、キリスト教に興味を抱いていた信長はイエズス会と交流があったため、その関係らしい)

 曲としては、おそらく小編成の合唱隊(コーラス)が主で、楽器は、南蛮船に積まれていたオルガンやチェンバロあるいはスピネットのような鍵盤楽器、そしてリュートやヴィオール系(あるいはハープ)などの弦楽器あたりだろうか。
(一説には、オペラのような音楽劇が上演されたという話もあるそうだから、演奏や発声の手ほどきを受けた日本人もいたはずで、彼らに伝承された「西洋音楽」がその後どうなったか想像すると楽しい)

Despreza 当時のヨーロッパは、中世ルネッサンス音楽の時代。信長が聴いたのが誰の作品か知る由もないが、作曲家としてはデュファイ、ジョスカン・デ・プレ、パレストリーナあたりの同時代作曲家たちということになる。

 この信長亡き後、豊臣秀吉も、後を継いでしばらくはイエズス会系の「西洋音楽」を好んで聴いたと伝えられる。
 1582年(天正10年)には、4人の少年を「天正少年使節」としてローマに送っているから、そのまま西欧諸国との交流が始まっていれば、音楽もどっさり輸入できたに違いない。

 しかし、秀吉はキリスト教に対して「布教と称して日本を植民地化しようとしているのでは?」という疑問を抱き始め、1587年(天正15年)バテレン追放令を出して、キリスト教を排斥してしまう。

Tensho 結果、先の少年使節団が帰国したとき(1590年)には、彼らが持ち帰った西洋文化を吸収する土壌は残念ながらなくなっていたのは、残念と言うしかない。(それでも、帰国後すぐ、聚楽第で秀吉にジョスカン・デ・プレの曲などを演奏して聴かせたと伝えられるのだが)

 そして、これを最後に、日本と西洋音楽とのリンクは(その後280年にわたって)途切れることになる。

□禁令から鎖国へ

Tokugawa やがて、関ヶ原の戦い(1600)を経て徳川の天下になり「江戸時代」が始まるが、残念ながら家康の取った政策は「鎖国」。信長で開かれたかに見えた「西洋音楽」の輸入は完全に途絶えてしまう。

 皮肉なことに、この頃がちょうど、イタリア・オペラの発祥の時代。イタリアはフィレンツェで、ギリシャ悲劇を歌と音楽付きで上演する形が「オペラ」となり、最古のオペラが生まれたのがこの頃。
 現存する(そして現代でも上演される)最古のオペラとして知られるモンテヴェルディの「オルフェオ」が生まれたのが慶長11年(1607年)。まさに江戸時代に入ったと同時くらいの出来事だ。だが、その頃「禁教令」が敷かれ、「鎖国」状態になってゆく日本には知る由もない。

Kabu ただし面白いことに、日本でもこの時期、出雲の阿国を元祖として(日本のオペラとでも言うべき)「歌舞伎」が誕生している。
 京都の北野天満宮で出雲の阿国が初興業を行ったとされるのが慶長8年(1603年)。当初は女性が男装して演じるものもあったが、現在のように男性が女装しての「歌舞伎」(野郎歌舞伎)が確立したのが1652年(慶安5年)頃。

 オペラも、フィレンツェで産声を上げてから、その成功が話題になり、ヴェネツィアを中心に専門のオペラ劇場が幾つも建てられ、モンテヴェルディらによって多くの新作オペラが制作されるようになるのがこの頃。人間の嗜好は、地球の裏側でもシンクロするものらしい。

Yazhasi 一方、江戸では同じ時期に、「六段の調」や「千鳥の曲」「乱輪舌(みだれ)」などの名作で知られる八橋検校(1614〜1685)が登場。箏曲という、言わば「器楽音楽」の世界で独自の音楽文化が花開くことになる。
 その頃の日本には「作曲家」という概念はなかったが、作曲した作品が300年以上後の世にも残っている…という点では立派な「Japanese Composer」の始祖と言えるだろうか。

(一説には、この「箏曲」という器楽音楽の開祖は、何らかの形で信長秀吉時代に伝わった「西洋音楽」の片鱗を体験しているのではないか?という。
 そう言えば確かに、変奏という形式や段組みの発想には、西洋音楽の変奏曲形式やキリスト教宗教音楽の儀式構成の匂いがする。それは実にわくわくする想像だ。)

Jsbach_1 その八橋検校が亡くなった年(貞享2年。1685年)にヨーロッパでは「クラシック音楽の父」J.S.バッハ誕生。

 日本では、戦がなくなって一世紀ほどがたち、確固たる「江戸文化」が根付いた泰平の世の真っ只中。5代将軍綱吉の時代(1680〜1709)で、赤穂浪士の討ち入りの年(元禄14年:1701年)にバッハは16歳だ。
 そして、バッハの創作絶頂期は、近松門左衛門が「曽根崎心中」(1703)から「女殺油地獄」(1721)までの名作を書いているあたり。「マタイ受難曲」(1727)が、8代将軍吉宗の頃だ。

Mozartaa そしてモーツァルトは…というと、もう江戸時代も後半の9代将軍家重の世の生まれ(宝暦6年:1756)。上田秋成が「雨月物語」(1768)を書いたり、杉田玄白が「解体新書」(1774)を著したり、平賀源内がエレキテルを研究していたあたりが彼の時代。
 死んだのは寛政3年(1791)。11代将軍家斉の御代。ちなみに、モーツァルトが死んですぐ(1794年。寛政6年)江戸に謎の絵師:東洲斎写楽が出現している。

□ロマン派から近代へ

Ludvig1 19世紀(1800年代)になると同時に、クラシック音楽界最大の革命児ベートーヴェンが本格的な作曲家活動を開始する。
 時代的には江戸の後期。十返舎一九が「東海道中膝栗毛」(1802〜1814)を書き、葛飾北斎が「富嶽三十六景」(1820)を描き、滝沢馬琴が「里見八犬伝」(1814〜1842)を著し、伊能忠敬が日本地図を作ったりしている(1800〜1816)頃ということになる。

 ショパンがパリで活躍している時代(1830年代)はというと、「ピアノ」という工場生産必須の鋼鉄製の楽器が「近代化」の象徴として音楽会を席巻。ピアノから歌からオーケストラそしてオペラまで書ける「作曲家」が、西洋音楽文化のヒーローとして活躍し始める。

 ベルリオーズが幻想交響曲(1830)で近代オーケストラの扉を開き、パガニーニやリストがヴァイオリンおよびピアノで演奏技巧の極致を極めるのもこの時代。

53zgi その頃の日本はというと、同じく近代化への流れが起き始めている頃。イギリスを初め外国船がやってきて、シーボルト事件などが起こり、徳川幕府の屋台骨が怪しくなり始める。広重の「東海道五十三次」(1833)などがこの頃だ。

Wagner そしてロマン派全盛の時代になり、ワーグナーがせっせと楽劇を作っている頃、日本では幕末になる。
 大政奉還がなされ坂本龍馬が暗殺された年(慶応2年。1867年)にヨハン・シュトラウスの「美しく青いドナウ」が初演され、時代が明治になった翌年(明治元年。1868)には、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が初演され、ブラームスが「ドイツ・レクイエム」を発表している。

 近代化に向けて森鴎外らのドイツ留学が始まった明治17年(1884)はワーグナーの死の翌年。鴎外らが日本に最初に「西洋音楽を代表する理想的な作曲家」として伝えたのはこの「ヴァーグナー(ワグネル)」だった。
 そのため、日本初のアマチュア・クラシック音楽サークル(慶應義塾)は「ワグネル・ソサイエティ」と名付けられることになる。

□現代へのリンク

Nichiro そして、日清戦争が始まった年(明治27年。1894)に、ドビュッシーが「牧神の午後への前奏曲」を発表。クラシック音楽は「近代・現代」の時代に突入する。

 ロマン派までの時代は、最も速い乗り物が「馬車」だったものが、19世紀半ばに蒸気機関車が旅客を運ぶようになり、19世紀末には自動車が走るようになった。人間が体感するスピードが、「馬」から「機械」へと変わったわけだから、音楽も大きな変動を迎えることになるのは当然と言うべきだろう。

 夏目漱石がロンドン留学した1900年(明治33年)は、マーラーが交響曲第5番、シベリウスが交響曲第2番を作曲していた頃。
 少し遅れて山田耕筰がドイツ留学したのが明治43年(1910)。その翌年(1911)マーラー死去。

 かくして20世紀を迎えると、自動車や飛行機の時代となり、さすがにクラシック音楽の本体である「ロマン派系作品」は時代に取り残されて行く。
 しかし、一方で「録音」の発明(ベルによる電話の発明が1876年、エジソンの録音機が登場したのが1877年)によって、演奏される端から大気に消えて行くのが宿命だった「音楽」にとっての新たな時代が切り拓かれることになる。

Record 1907年(明治40年)頃には円盤式のレコードが普及し初め、1909年(明治42年)には日本でもレコード(SP盤)が製造・発売。
 やがてマイクロフォンで電気録音し、その音を円盤状の「レコード盤」に記録する技術が開発されたのが1925年。

 映画のフィルムに光学的に音声信号を収録する方法(サウンドトラック)が開発され、音楽は映像と共に記録されるようになるのが1927年。
 そして1938年にはドイツで「磁気テープ」が開発され、音楽は「編集」した上で「記録」出来るようになる。
 
Hiroshima_2 シェーンベルクらが「無調音楽」や「十二音楽」を主唱して「現代音楽」の時代に突入するのが、まさにこの時期。
 いわゆる「クラシック音楽」はこのあたりを境に衰微し(ただしレコードの出現によって「再現芸術」として別の歴史を刻み始めるのだが)、世界と音楽は、第1次世界大戦(1914〜18)、ロシア革命(1917)を経て第2次世界大戦(1939〜45)へと向かう激動の時代に吸い込まれて行く。

          *

メトロポリタン・オペラ

プッチーニ「ラ・ボエーム」
・6月08日(水)19:00 NHKホール
・6月11日(土)15:00 NHKホール
・6月17日(金)19:00 NHKホール
・6月19日(日)19:00 NHKホール

ヴェルディ「ドン・カルロ」
・6月10日(金)18:00 NHKホール
・6月15日(水)18:00 NHKホール
・6月18日(土)15:00 NHKホール

ドニゼッティ「ランメルモールのルチア」
・6月09日(木)18:30 東京文化会館
・6月12日(日)15:00 東京文化会館
・6月16日(木)18:30 東京文化会館
・6月19日(日)12:00 東京文化会館

MET管弦楽団特別コンサート
・6月14日(火)19:00 サントリーホール

▼ちなみに、今回のメトロポリタン・オペラ来日公演の3演目は、ちょうど30年差で3つの時代を描いていて、ちょっと面白い。順番は、もちろん「ルチア」「ドン・カルロ」「ボエーム」。

Lucia

ランメルモールのルチア
・ドニゼッティ作曲。1835年、サン・カルロ劇場(ナポリ)で初演。
 →書かれたのは、日本では江戸時代中期。11代将軍:徳川家斉の世。この頃の主な事件としては、天保の大飢饉(1832)、大塩平八郎の乱(1837)など。初演された1835年はハレー彗星出現の年でもある。
 ちなみに、原作となる物語の舞台は17世紀のスコットランド。日本では江戸時代初期。ただしW.スコットの小説では18世紀に置き換えられている。

Calro

ドン・カルロ。
・ヴェルディ作曲。1867年、パリ・オペラ座で初演。
 →初演は日本では江戸時代末期。15代将軍:徳川慶喜の世。大政奉還の年(1867)であり、坂本龍馬が暗殺された年でもある。翌1868年が明治元年。ヨーロッパではカール・マルクスが「資本論」を発表し、ノーベルがダイナマイトを発明し特許を取得している頃。
 こちらの舞台は、16世紀のスペイン。実在のスペイン国王フィリペ2世の王子ドン・カルロが主人公。日本では織田信長らが群雄割拠する戦国時代の真っ最中だ。

Boheme

ラ・ボエーム
・プッチーニ作曲。1896年、トリノ・レージョ劇場で初演。
 →初演は日本では明治29年(1896)。日本は近代化から富国強兵政策を経て軍国主義に走り出した頃で、時代としては日清戦争(1894〜95)の直後。ちなみに、この年の4月に近代オリンピック第一回大会がアテネで開かれている。
 オペラの舞台は1830年代のパリ。登場人物は貧しい若者たち。時代的には先の「ルチア」が初演された頃で、日本では江戸時代中期。

 …と、無駄な知識を加えて改めてそれぞれの作品を見ると、背後になんとなく時代が聞こえてくるような気がしてくる…のではなかろうか。

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