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2011/05/10

音楽ノススメ

A 音楽には影も形もない。
 大気の中にふわりと浮かび、次の瞬間には消えてしまう。
 ベートーヴェンが「(願わくば)心から出て、心に伝わるように」と言ったように、音楽は「心」から「心」へ伝達する「何か」なのだが、それが伝わるには「伝達する媒介」が必要だ。

 そもそも音楽を存在させている「音」というものが、空気の振動であり、「空気」という媒介なくしては存在し得ないということもある。
 もちろん「心」は決して「空気の振動」ではないが、振動に「変換」されることで、他者に伝達可能な「音楽」というものに昇華する。考えてみれば、不思議なものだ。

 かくして、その「振動」を生み出すのが「楽器」、そして、それを制御するのが「演奏家」ということになる。いずれも振動の本体ではあるものの「音楽の本体」ではなく、音楽を伝達する(もっとも根源的な)「メディア(媒体)」ということになるだろうか。

 そして、その楽器の音や演奏家の演奏をより多くの複数の人々に伝達するため、「(屋内の)広間」や「(屋外の)広場」といった「場」が登場する。これも、考えようによっては「音を響かせる楽器」と言える。
 それは、より効率的により多くの人に伝達させるための機能(楽器としての性能)を進化させ、「劇場」や「コンサートホール」になってゆくわけだ。

 さらに、20世紀になると、音楽における大革命が起きる。音楽を「録音・再生」することが可能になったのである。
 それは、今まで「大気の中にふわりと浮かび,次の瞬間には消えてしまう」音楽を、「再現し・複製し・所有する」ことができるようになった大変革だった。

 今では、文字通り「いつでも」「どこでも」私たちは音楽を楽しむことが出来るようになった。その奇跡を120%享受しているのが、現代の「音楽文明」だ。

 と言うわけで、今回は音楽を伝える「メディア」に関するささやかな回想録を語ることにしよう。

1957 □子守歌、ピアノ,ラジオ

 多くの人にとって、最初に耳にした「音楽」の記憶はというと、母親の子守歌だろうか。(もっと遡って,母親の胎内にいるとき耳にした「心音」というのも、音楽の根源と言えるのかも知れない)

 しかし、そこから先は家庭の事情(や時代背景)でいろいろだ。
 父親が掻き鳴らすヴァイオリン、母親が歌う村の民謡…という人もいるだろうし、祖父の吹き鳴らす尺八に,祖母が吟じる謡…といった人もいただろうか。
 あるいは、近所から聞こえてくる楽器の音や隣人の歌声が子守歌という人もいたかも知れないし、付けっぱなしのラジオやテレビでCM音楽のシャワーを浴びた人も少なくないかも知れない。

 私は、まだまだラジオやテレビを付けっぱなしにするほど電化が進んでいない時代(昭和30年代)に育ったから、自然に耳に入る音楽…というのは、やはり生の音が多かった。
 父の吹くフルートや母の歌う賛美歌が,普通に耳にする「音楽」であり、後に、家の居間にあったピアノの音が加わることになる。

 ラジオやテレビはたぶん朝7時とか夕方5時とかに,特定の番組を聞くために付けられたから、知らない音楽が知らない間に耳に入ってくるという現代のような状況はなかった。
 結果、音楽番組から流れてくる軽音楽や、夕方の人気番組のテーマ音楽などが、最初に頭に染み込んだ「音楽」の記憶になった。

Sonobb □レコード

 1.ソノシート
 そんな中で、最初に意識して「音楽」を聴いたのは、(おそらく)生演奏ではなく「レコード」だ。しかも、SP盤でもLP盤でもなく、〈ソノシート〉という奴である。

 これは、ぺらぺらの薄い塩化ビニールに(レコードと同じ要領で音溝を刻み)音楽を収録していたもの。1958年(昭和33年)にフランスで開発されたそうで、EP盤サイズ(直径17㎝。33⅓回転で片面10分程度収録)が多く、安価だし軽いので雑誌や本の付録のように添付され、英会話とか音楽のオムニバス企画(クラシック名曲集からアニメの主題歌や映画音楽、軍歌などまで)として、レコード店ではなく本屋で売られていた。

 昭和30年代というと、サラリーマンの月収がせいぜい1万数千円なのに対して、LP盤は1枚1500円から2000円(EP盤でも300円)くらいした。その点ソノシートは、ブックレットに片面ソノシートが1枚付いて200円、数枚組のものでも500円くらいだったから、庶民の強い味方だったわけだ。

 実際、私が初めてクラシック音楽に接したのは、子供の頃、父が買ってきた「クラシック小品集」とか「ピアノ名曲集」でだった。
 ただし、その頃はちっともクラシック音楽などに興味はなく、愛聴していたのはもっぱら「アニメ主題歌集」とか「ロシア民謡集」あるいは「日本軍歌集」というような類だったのだが。

Cd_sgtpepper 2.LPレコードvsコンサート
 LPレコードを自分で買えるようになったのは、中学にあがった頃だ。ただし(いくぶん高度成長期になってきたとはいえ)学生のこづかいはせいぜい月に千円か二千円くらい。買えるレコードはどう頑張っても月に1枚が限度である。
 そのため、レコードを選ぶのは、まさに「清水の舞台から飛び降りるような」覚悟が要った。

 好きなアーティストのコンサートに行く…という選択しもなくはなかったが、レコードを買ってしまえば残金ゼロの状態であり,(少なくとも中学生の間は)レコードを買いつつコンサートへも行くというのはほぼ不可能だったわけだ。

 ちなみに、LPレコードで音楽を聴き始めた頃というのは、まだポップス嗜好で、最初に買ったLPは「ベンチャーズ」のアルバム。生まれて初めて行ったコンサートは、中学三年の時のウォーカー・ブラザースの来日公演(武道館。ビートルズ来日の翌年1967年である)だった。

 そして、中学3年の冬、クラシック音楽に開眼。高校に上がってから本格的に(異常な情熱を持って)音楽を聴き始めるとともに、「音楽を聴く媒体」の選択に四苦八苦することになる。

Fmfana □FM放送

 クラシック音楽の入口に立った途端、思い知ったのは、とにかく膨大な「名曲」たちがそこにある…ということであり、それを「次から次へと聴きたい」…という渇望は「飢え」の状態に似ていた。
 とにかく聴きたい、どんどん聴きたい,何でもかんでも聴きたい…。でも、レコードを次から次へ買うわけにも行かず、家中のレコードや楽譜をかき集め、学校の図書館や音楽ライブラリ、楽器店のスコア漁りを毎日毎日続けても、その「飢え」の状態はなかなか解消しなかった。

 そんな時に重宝したのは、FM放送の存在だった。(日本では1969年にNHKFMが本放送開始している)。
 当時のFMは(高音質のステレオで音楽を聴かせる…というコンセプト上)かなりクラシック音楽の独壇場のところがあって、朝から夜まで本当によくクラシック音楽を放送していた。
 シベリウスの音楽と出会ったのもFMだし、レコードでは聴きようもなかったワーグナーの「ニーベルングの指輪」全曲も(毎年年末のバイロイト・フェスティバルで)聴けた。
 
 また、世界各国の放送局との提携なのか、海外の放送局が収録した「現代音楽」の放送も結構多く、ダルムシュタット音楽祭、ロワイアン音楽祭などなど、現代音楽の「聖地」(と当時は思っていた)からバリバリの新作が送られてきて、それをわくわくしながら聴いていた。

 特に、夜23時からの「現代の音楽」(上浪渡さんの解説の頃)は、毎週欠かさず聴いていた。
 1960年代は、黛敏郎、武満徹、三善晃というような現代日本音楽の有名どころも活躍し始めた時代で、それから1970年の大阪万博あたりまではある意味「現代音楽バブル期」。「キラ星のような」(と当時は信じていた)作曲家たちの「珠玉の名作」(と同じく信じていた)作品が次々と放送される様は、本当に血湧き肉躍る感じ(と同じく思っていた)だったのである。

 そんなこんなで、高校から大学までの頃は、家にいるときはほとんどNHK-FMをつけっぱなしのような状況だった。
 しかも、(時間が惜しいので)同時にレコードを聴き、テレビをつけ、ピアノを弾きつつ、本や楽譜を読んでいた!。

 そこから偶然流れてきたのを耳にしたのが、ECMのジャズやプログレッシヴ・ロック(ピンク・フロイド、イエス、エマーソン・レイク&パーマー)など、今も心の糧となる音楽たちだ。
 放送を聴きっぱなしにしていたことで「偶然に耳にした」音楽と、その後一生関わることになるのだから、FMというメディアによる奇跡のような「音楽との出会い方」には感謝するしかない。

Tereco □テープ録音
 
 ちなみに、FMで音楽を聴き始めた頃は、まだオープンリールテープ(モノラル)の時代。ラジオやテレビの音を録音するには、放送中のスピーカーの前にマイクを置き、リアルタイムで録音する(しかもモノラル)しか手はなかった。

 しかし、やがて1970年代になって、高音質ステレオ録音を可能にするテープデッキなるものが登場し、チューナー(FM&ラジオの受信機)とアンプおよびテープデッキが合体した「コンポ」なるものが登場。放送される音楽を録音することに特化された機材が徐々に整備され始める。

 FM放送は、2週間に一度発行されるFM雑誌(FMファン)で綿密な番組表が発表されるようになり、それをチェックし、何月何日の何時から放送される曲をテープに録音する…「エアチェック」が音楽マニア最大の楽しみになった。

 もっとも一般的なのは、カセット・テープの録音するカセットデッキ。カセット自体は、1962年にオランダのフィリップス社が開発したもので、当初は会話録音や語学学習くらいにしか使われなかったが、1970年前後に音楽録音に使われるようになったもの。
 収録時間は60分、90分が主流(46分、120分のものもあった)。A面B面で裏返すので、実際は90分テープで片面45分。ほぼLPレコード1枚が収録できる。

 当初はあんまり音質が良くなかったが、だんだんドルビー録音(ノイズ除去システム)やクロム〜メタル・テープなどの登場で音質アップ。本格的なカセットデッキが登場した頃(1978年)作曲家としてデビューしたので、デビュー作以降の音源は(コンサート・ライヴやFM放送など)ほとんど全てこの「カセット・テープ」で残っている。

4chtape 一方、放送局などで使われる専門の録音機器は、テープを切ったり繋げたりすることで「編集」できるオープンリールテープが主流。
 テープ幅1/4インチ、テープ・スピード38cm,19cm(いずれも/毎秒。)が基本だが、速さが早くなる分、録音できる時間は短くなる。(テープ・スピードが倍になれば、録音時間は半分になる)

 片面最大45分のカセットでは収まらない長時間の作品や番組などは、このオープンリールの出番だが、個人使用では9.5cm/sで1時間(60分)あるいは1時間半(90分)がせいぜい。
 それでも、カセットには収まりきらないオペラや音楽祭などは2時間を超えるものは、さらに遅い4.75cm/sで無理やり収録することが多かった。

 今でも、その頃に録音した「バイロイト音楽祭」や「現代音楽祭」のテープが数十本ほど押し入れに死蔵されている。(ただし、音質も悪いし劣化しているし使いものにならないのだが)

Cd□CD
 さて、いよいよCDの時代に入る。1980年代になって、作曲家として仕事を始めた頃に登場したのがCD(コンパクト・ディスク)だ。

 生産が始まったのが1982年で、当初は、1枚3500〜3800円、デッキ自体も15万円以上したので、かなりマニア向け「高級品」のイメージ。同じアルバムが普及用LPとマニア向けCDで並行して発売されたりしていた。
 しかし、2〜3年ほどで、ポータブル型のCDデッキが5万円を切る価格で登場すると、あっと言う間に普及し初め、LPを駆逐してCDの時代になっていった。

 新譜がほぼCDに切り替わった1986年頃からクラシックの新譜評の仕事などを始めたので、その「時代の変化」はよく覚えている。
 利点はもちろん「小さいこと」「音質が良いこと」だが、最大のポイントは「取り扱いの便利さ」と「ランダムアクセス(録音されている曲を順不同で瞬時に聴き出せる)」という点だろう。

 さらに面白いのは、CDの「収録時間74分」という規格だ。
 大指揮者カラヤンが「ベートーヴェンの第9を一枚に収録できるように」と言ったとか言わないとか色々の諸説はあるようだが、少なくとも「クラシックの主だった名曲」がはみ出ないようなサイズ(実際、ワーグナーの楽劇のいくつかの長大な幕以外は、74分あれば収録できる)を考慮されたことは事実のようで、なんだかポップスに押され気味のクラシックが、CDの台頭で再浮上した感があって嬉しかった。

 実際、ひと幕1時間を超えるのが当たり前のオペラや、全曲で1時間半近いブルックナーやマーラーの交響曲は、CDになってからようやく「ひとつのシークエンス」として聴けるようになった。(それまでは20分ほどでレコード盤を裏返す必要があったので、どうしても気が削がれたのだ)

 しかし、逆に、20分30分の作品(例えばベートーヴェンの中期の交響曲など)は1枚のCDに2曲も3曲も入ってしまうので、なんとなく「小さくなってしまった」感があって複雑な気分になることも少し・・・

 しかし、時代や様式(スタイル)や手順(プロセス)に縛られる「アナログ」に対して、ボタンを押すだけで対象に即アクセスできる…というテクノロジーは、音楽の聴き方を変え、そして、音楽のあり方をも変えてしまった感がある。
 なにしろ、それまで音楽が持っていた「時代性」「地域性」といった束縛をすべて剥ぎ取って、すべての時代すべての地域の音楽を「博物館」のように均質に並べ鑑賞することが可能になってしまったのだから。

Random この「ランダムアクセス」は、どんな情報でも「均質」かつ「順不同」で瞬時に呼び出せる…ということから,ポスト・モダンの時代を象徴する「新しい世界観」を呼び覚まし・・・私もおそらくそれを歓喜して迎えた一人だったのだが・・・音楽の在り様を決定的に変えてしまったと言ってもいいかも知れない。

 このパラダイム・シフト(価値観の大変換)が良かったのか悪かったのかは微妙な処だが、私が作曲家として世に出たのはそんな時代だった。
 オーケストラの生の音を聞いたこともない作曲家でも交響曲を書ける時代。アフリカに行ったこともない人間でもアフリカのリズムに酔える時代。ポーランドに行ったこともないピアニストでもショパンの心を歌える時代。オペラ劇場に行ったこともない人間でも世界中のオペラをすべて知り尽くせる時代。

 そんな時代の狭間で、あれだけ隆盛を誇ったLPはあっと言う間に消えてしまい、そのノスタルジーに耽るまもなく、音楽は映像とも合体してさまざまなメディアの中での転居を繰り返し始めた。いわく・・・

・LD(レーザー・ディスク)
 1980年頃登場。直径30cmのディスクに片面最大1時間(両面で2時間)の映像を収録できる。
・DAT(デジタル・オーディオ・テープ)
 1987年登場。デジタル録音できるマイクロサイズのカセットテープ。最大180分(3時間)の収録が可能。
・MD(ミニ・ディスク)
 1992年登場。2.5インチ(64mm)サイズで、カセットテープに代わるメディアとして普及。ほぼCD一枚分の74分から80分の録音が可能。
・DVD(デジタル・ビデオ・ディスク)
 1996年頃登場。CDとほぼ同じサイズに、音声、データ、映像などを収録可能。再生専用のほか、書き込み可能なタイプもある。
・Blu-ray(ブルーレイ・ディスク)
 DVDの次世代メディアとして2000年代に登場。2008年にHD-DVDと規格争いに勝ち、現在本格展開を始めたところ

 そして、アナログからCDへの変遷以上の改革が起こったのが、世紀の変わり目に浮上した「ネット」という新しいメディアの普及だ。

Internet □ネット

 インターネットは、もともとは1960年代の東西冷戦時代に「メインコンピュータが核攻撃などで壊された時に備えて、複数のコンピュータを回線で繋げてネットワークを作っておき、連絡網や指示系統を維持させる」という、軍事的な視点から開発されたものという。
 なるほどSF映画で良くある・・・〈マザーコンピュータを破壊すると、悪の組織はすべて一瞬にして壊滅〉・・・というパターンを避ける「危機管理」の発想から生まれたものだったわけだ。

 その発想は、電話回線とコンピュータがあれば基本的に一般市民でも出来るわけで、1980年代に、電話回線で繋がったコンピュータ同志が、文字で通信できるネットワーク・システムが生まれた。
 当時は「パソコン通信」と言い、私も1987年にMacintoshを買うと同時に入会(Nifty-ServeとCompu-Serve)している。(今で言うと、メール通信と掲示板が出来る程度の簡素なものだったのだが)

 当初は、一般の電話(ダイアル式アナログ回線の黒電話)の受話器に「音響カプラー」というものを取り付けて音声データをやりとりするという手間のかかる代物だったが、やがてモデム経由ながら直接電話回線を繋げるようになった。
 1990年代半ば頃にはユーザーの数も増え、「Web」「インターネット」という概念が固まり、そして、2000年代には高速回線(ブロードバンド)や光回線などの普及により、現在の隆盛に繋がるわけである。

 さらに、「パソコン通信」の時代には「文字」(しかもアルファベット)を送るのがやっとだったが、「インターネット」に昇格した頃には「画像」も送れるようになった。(ただし、一枚送るのに何十分とか何時間ということもあった!)
 そして、ブロードバンド回線になると、送れるデータ量が飛躍的に増大し「カラー画像」や「動画」が送れるようになり、光回線が登場するに至って「Movie」がそのまま見られるほどになった。

 音楽も同様で、ネット黎明期の音楽はせいぜい〈ピコピコ〉という電子音だったものが、徐々に曲の形となり、やがて楽曲そのものを聴けるようになり、現在では映像付の演奏ビデオをそのまま高画質で見られるようになっている。

 要するに、ほんの二十数年ほどの間に、音楽や映像を(誰でも実に簡単に)複製し、ネットを通じて世界中に(特別な機材も制作費もほぼゼロで)頒布できる…という状況が、テクノロジーの進化によって生まれてしまったわけだ。
 そのため、今まで工業生産的な「複製」を制御してきた「著作権」は、ネットの進化について行けずに右往左往している…というのが現実だ。

(音楽業界や出版業界は、紙の時代の著作権の「既得権」を死守したいのだろうが、それはもはや不可能だと私は思う。「複製を生産するコストが(ほぼ)ゼロになった」というのは、後戻りの出来ない巨大にして絶対的な変革なのだから)

 かくして、音楽の聴き方は革命的な進化(変化)を遂げた。

Itunesy
 例えば、卑近に私の例で言うと、今まで私の作品を聴くには、放送されるのを待つか、現代音楽のコーナーを常備しているような大きなCDショップに行き、CDを手に入れるしかなかった。
 それでも、輸入盤なら注文して数週間待つ必要があったし、廃盤になっていれば(中古盤を偶然見つける以外に)聴くことは出来なかったわけだ。
 しかし、ネットでは,名前や曲を検索すれば(ほぼ)「今すぐ」聴くことが出来る。

 例えば、「iTunes Store」というところでは、20枚・数十曲ほどを買うことが出来る。CDそのものを買うのではなく、CDに録音されている音楽のデータを「代価を払って自分のパソコンに取り込む」という形で聴くわけである。

 また、音楽ライブラリ(NAXOS Music Library)というサイトでは、そこの会員になることで、登録されている私のアルバム十数枚を聴くことが出来る。
 同時に5万枚近くのクラシックCDから、好きな曲を好きなだけ聴くことが出来るが、外に持ち出したり所有することは出来ない。図書館の閲覧と同じ形である。

 このような聴き方は、ちょっと前までは、パソコンの知識とネットワークの設備が必要な「マニア向けの音楽の聴き方」だったが、最近では「携帯電話」なり「iPod」なりを持っていれば、いつでもどこでも好きな音楽を入手し聴くことが可能だ。
 むしろ、現時点では(高音質にこだわりさえしなければ)レコードやCDを聴く以上に簡単な、もっともシンプルな「音楽の聴き方」になっている感がある。

 もちろん、ネットに浮遊する音楽の主流は大衆向けポップス系のヒット曲だが、マイナー系の交響曲もオペラも(ランダムアクセスの思想では均質なので)同じように入手し鑑賞することが出来る。
 結果、25年ほど前にLPが消えてCDに成り代わったように、今確実にCDは姿を消し、音楽はネットを媒介にして増殖しつつある。

 さて、それによって「音楽」が変わったか?というと・・・さあ、それはどうだろう。感じ方は人それぞれかも知れない。

 音楽を運ぶ「乗り物」が変わっただけ…とも言えるが、当初はせいぜい「馬」や「馬車」だったその「乗り物」は、やがて海を渡り空を飛び、さらに何万何億に分裂増殖する技も覚えたわけだ。
 さらに「どこでもドア」のように、世界中どこでも交通費ゼロで何万人何億人が移動できる…となると・・・

 何かが根本的に変わった…と言うのも実感かも知れないし、逆に、それでも音楽は変わらない…と言うのも正しいような気がする。
 楽しみなような、怖いような、そんな世界に私たちは「音楽」と共に生きているわけだ。

□コンサートホールと劇場

 と、延々、音楽が乗ってきた「乗り物〔メディア〕」について語ってきたが、もっとも重要かつ普遍的な(そして、安心な)乗り物は何かと言えば、やはりそれは「コンサートホール」であり「劇場」ということになる。

 CDの普及でレコードが売れなくなり、ネットの普及でCDが売れなくなった…という声は聴くものの、「音楽」そのものが衰退する気配は(今のところ)ない。
 むしろ、音楽が「音響データ」として流布する時代だからこそ、「ライヴ」としての音楽はますます存在価値が高くなると言えそうな気がする。

 生身の音楽家たちの演奏は、CDやネットの音響データからは得られない「身体に共振する」パワーがある。

 それこそが,心から出て心に伝わる「音楽の力」ということなのだろう。

          *
 
メトロポリタン・オペラ

Boheme
プッチーニ「ラ・ボエーム」
・6月04日(土)15:00 愛知県芸術劇場
・6月08日(水)19:00 NHKホール
・6月11日(土)15:00 NHKホール
・6月17日(金)19:00 NHKホール
・6月19日(日)19:00 NHKホール

Calro
ヴェルディ「ドン・カルロ」
・6月05日(土)15:00 愛知県芸術劇場
・6月10日(金)18:00 NHKホール
・6月15日(水)18:00 NHKホール
・6月18日(土)15:00 NHKホール

Lucia
ドニゼッティ「ランメルモールのルチア」
・6月09日(木)18:30 東京文化会館
・6月12日(日)15:00 東京文化会館
・6月16日(木)18:30 東京文化会館
・6月19日(日)12:00 東京文化会館

MET管弦楽団特別コンサート
・6月14日(火)19:00 サントリーホール

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