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2011/10/10

歌・うた・UTA

Utad 来年のNHK大河ドラマ(平清盛)の音楽を担当することになり平安時代の音楽について調べるうち、興味深い話に出会った。日本語の「歌(うた)」というのは「打つ」が語源ではないか…という説だ。

 打つ…はリズムなのだから、歌(メロディ)とは違うんじゃないのか?という疑問もごもっとも。私も、最初にこの説を聞いたときはそう思った。

 私たちが普通に考える「歌」は、「メロディ」あるいは「旋律」のこと。起源はギリシャ語の「メロディア(Melodia)」で、これは〈声に抑揚を付けること〉を意味したというから、これははっきり音楽の三要素たる〈メロディ〉のイメージである。

 一方、我が国の「うた」は、「歌」「唄」「詩」とも表記され、作曲されたメロディと同時に、その歌詞の方をも意味し、その境界線が曖昧な感じがする。

 なぜだろう?

 ■歌を詠む

Manyo その辺りを探るために、まず、この「うた」を含む日本語(日本古来のことば)「やまとことば」が確立した時代に遡ってみよう。そう、奈良時代ころである。

 その頃は、まだ「うた」という言葉が誕生していない時代ということになるが、もちろん、唄や音楽がなかったわけではないし、なかったはずもない。

 つまり、それ以前にも「音楽」を指すことばはあったわけで、楽器や歌などの響きや旋律にあたるものは「調べ」、雅楽や祭りの合奏音楽のようなものは「楽」と呼ばれていたようだ。

 しかし、この時代「歌」と言ったら、それはまず「和歌」を指した。

 日本初の和歌は、素戔嗚尊(スサノオのみこと)が歌った・・・

 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに
  八重垣作る その八重垣を.

 ・・・なのだそうだが、この歌が登場する「古事記」(712)の後、「漢詩」に対する日本語による詩「倭詩」「倭歌」が盛んに作られ「歌われ」るようになるようになる。それが「万葉集」(759頃?)に残る歌の数々。例えば・・・

 春過ぎて 夏来るらし白妙の
  衣乾したり 天の香具山

 あかねさす 紫野行き標野行き
  野守は見ずや 君が袖振る

 こういう和歌を作る…ことばを編む…ことを「詠む」という。〈歌詠み〉と言ったら、こうした和歌を作ること。あるいは、和歌を作るのがうまい人のこと。

 いわゆる音楽的にメロディを歌う「歌」を作ること(作曲)と、五七五のことばを紡ぐ「歌」を作ること(作詞)は違う気もするが、当時はほぼ同義だったようだ。
 というのも、今でこそ「本を読む」というのは、黙って目で字を追う…つまり「黙読」が基本だが、それは本当に最近(近代になってから)のこと。
 それまで文字は「声に出して詠む」のが基本。書かれた「歌」はすなわち、声に出して「詠まれる(歌われる)」ものだったからだ。

 余談だが、同じ「よむ」でも、《読む》の方は、言葉だけでなく「数」を数えることも含む。
 例えば「日を読む」。これが「日(か)読み」となり「こよみ」(暦)となったのが良い例。あるいは、サバを読む(数をごまかす)などもそうだ。閑話休題。

 ■歌う・詠う

Haru その「歌」の詠み方だが、今でも正月の宮中歌会始などで行われている雅びな歌い方を想像していただくといいだろうか。
 普通に話すテンポですらすら読むのではなく、言葉の一つ一つを噛みしめられるように一音を引き伸ばし、それに抑揚をつけて「歌い上げる」。

上の句で言えば、
♪は〜る〜す〜ぎ〜て〜〜〜〜
 な〜つ〜き〜た〜る〜ら〜し〜〜〜
 し〜ろ〜た〜え〜の〜〜〜〜

 というように、母音を長く引き伸ばして吟ずる。(良い声の読み手は、その「声」が聞かせどころ。ほとんど「歌」と同じである)

 現代の感覚では、五七五七七…のひとつの句を詠むのに、すらすらと詠めばほぼ数十秒。どんなにゆっくり引き延ばして歌っても1分はかからない。

 しかし、伝承されている古謡の唄い方などを聞いていると、は〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜る…という感じで一息を延々と歌い上げる。さらに、興が乗ると、〈あ〜〉の一音に何度も何度も息継ぎをして〈情感を込める〉から、五七五七七…の一句でも読み上げるのに何分もかかる物凄い大作になる。

(とは言え、現代でも、ポップスの「歌」の長さは短くて2分台から長くて5分くらい。一つの歌の世界にそのくらいの「時」を要するのは別に不思議でも何でもないわけだ)

 何しろ、ことばが「春(はる)」なら、そこに「春」の気持ち・・・のどかだったり、華やいでいたり、楽しかったりする心・・・をたっぷり歌い込む。
 単語としての「は・る」だけでは終わらせたくない情感や怨念のようなものがそこには加わり、ひと言にどんな感情をどれほど含ませるかが重要になる。いわゆる「言霊(ことだま)」の世界である。

 当然ながら、一本調子の「棒読み」では言霊は伝わらない。
 声のピッチを上下させ、抑揚を付け、語尾を上げたり下げたりする。声を細かくふるわせて、心のデリケートな震えを表現したり、あるいは朗々と響かせることで雄大な景色を表現したり、突然息継ぎを入れて緊張感を加えたり、いろいろな「テクニック」が駆使されたであろうことは想像に難くない。

 考えてみれば、それは、まさに「メロディ」そのものだ。
 歌を詠むこと(作詞)、それはすなわち旋律を作ること(作曲)だったわけである。

 当時、どのくらいのテンポ感で歌われていたのか、その頃の録音が存在するわけもないので想像するしかないが、時間だけはたっぷりあった古代のこと。ひとつの歌を歌うのに何十分(あるいは1時間以上?)というのもあったかも知れない。

 読み手にすれば、五七五の一句でも渾身の作品。時には、夜を明かしてひとつの句を延々と吟じ、その世界にどっぷり浸る…というようなこともあったのではなかろうか。

 ■打つ・合いの手

Utaa となれば、この言霊の入った入魂の「あ〜〜〜〜〜〜」を、聴き手が黙って聞いているはずもない。感極まれば、言葉の合間・・・文章の句読点、あるいは「息継ぎ」の場所に当たるような位置に感嘆の「手拍子」を打ったのではなかろうか。例えば・・・

♪ は〜る〜す〜ぎ〜て〜〜〜〜(チョン)
 な〜つ〜き〜た〜る〜ら〜し〜〜〜(チョンチョン)
 し〜ろ〜た〜え〜の〜〜〜〜(チョンチョンチョン)

 (これは、あくまでも筆者の想像です。念のため)

 民謡などで言う「合いの手」と同じ発想だが、西洋のオペラで言うレチタティーヴォ(朗唱)にチェンバロが和音を差し込む間合いにも似ている。
 それは、言葉における「句読点」と思えば分かりやすい。長い文章の流れの中に「句点」を打ち込むことで、言葉の区切りが明瞭になると同時に、リズミカルになるわけだ。

 余談だが、この「合いの手」というのは後世の言葉(邦楽での用語)。「あい」は「合間(あいま)」のことで、「手」は「調べ(しらべ)」旋律や抑揚のこと。
 合いの手と言うくらいだから、一人で吟じながら手を打つと言うより、聞いている周りの人間が、調子を付けるために打つのが基本だ。

 そして、その一番シンプルなものが「手拍子」。
 屋外で自然を愛でながら誰かが歌を詠めば、興に感じてだれかが合いの手に「手拍子」を入れる。そういった慣習が「歌」を詠む時に自然発生的に生まれたわけだ。

 ■うたげ

 かくして、誰かが「歌」を詠み、それに合わせて聞き手が手拍子を「打つ」文化が、やまとことばで「自然」や「恋心」を詠じる世界に広がってゆく。

 そのうち、「打つ」ものも「手」だけではなくなる。屋外で、手に持つものが何もない場合は「手拍子」だけだが、室内でも行われる時は、いろいろな「もの」があるからだ。
 膝を叩く者もいただろうし、床を叩いてもいい。立ち上がって足を踏みならすのもありかも知れない。(指ぱっちんがあったかどうかは不明だが・・・)

Shaku さらに、興が乗れば、貴族なら持っている笏(しゃく・聖徳太子が手に持っている板のようなもの)を打ったり、あるいは「鼓(つづみ)」を叩いたり、何か鐘のようなものを叩いたりするようになる。
 いわゆる「打ち物」(打楽器)の登場である。

 というわけで、「歌を詠う会」は、やがてみんなで集まって(酒など飲み交わしながら)騒ぐ会となる。そこでは「和歌」を詠みながら、みんなが手拍子や打ち物を「打つ」、メロディとリズムに満ちた古代のコンサート(あるいはカラオケ?)になったわけである。

 これが「打たげ」=「宴」。

 現代でも、ひと仕事が終わってみんなで労をねぎらいながら騒ぐことを「打ち上げ」というが、これも「しゃんしゃん」と手を叩いたり、鳴り物を叩いたりして騒ぐことから来ていると思われる。

(ちなみに、「宴」という字の方は、「うかんむり」すなわち「室内(屋根のある建物の下)」で「安らぐ」という意味を持っているそうだ)

 そして、ここでようやく、最初の「うたの起源」に話が到達する。すなわち・・・

 この「宴(うたげ)」の時に詠われるような〈声の遊び〉を「うた」と呼んだ。

 つまり、日本語の「うた」というのは、「ことば」と「リズム」と「メロディ」が統合される際に生まれた…まさしく「音楽の誕生」を記述した言葉ということになる。

 ■うたとメロディ

Maria この我が国における「うた」の生まれ方、現代に当てはめてみると、ギターを掻き鳴らして「ことば」にメロディを付ける過程を思い起こさせて、興味深い。

 歌詞となる「ことば」に抑揚(イントネーション)を付け、句読点に当たる部分に「合いの手」(区切り)を入れる。
 そして、それを4分の4の拍の中に配置し「ハーモニー進行」を付ける。これは、そのまま歌の「作曲」のやり方だ。

 万葉集が例だと「和風」から逃れられないので、例えば「アヴェ・マリア(Ave Maria)」という言葉を使ってみようか。

 ♪ア〜〜〜/ヴェ〜〜マ/リ〜〜ィ/ア〜〜〜
 (これはグノー)

 ♪ア〜〜ヴェ・マ/リ〜〜〜ィ/ア〜〜〜〜
 (シューベルトだと、こう。)

 ことばが西洋語(?)というだけで、同じ「あ〜〜〜」と吟じてもいきなり西洋クラシック音楽の世界になる。最初の「ア〜〜〜〜」のロングトーンの中に聖母マリアの美しさや清浄さが「言霊」として組み込まれているのも、和歌の世界と同じだ。

 そう考えると、「歌」というのはまさしく「ことば」があってこそ生まれた…と言うべきだろう。

 もちろん「ことば」が生まれるより前から、リズムとメロディで遊ぶ「音楽」は人類の中にあった。(そのあたりについては、既にあちこちで雑感を重ねているのでここでは省略する)
 しかし、ことばと出会ってメロディは初めて「歌」になった。
 音楽の中の幾つかの要素が「ことば」と強力に融合して「歌」というものに進化したと言うべきだろうか。

 そして、ことばと化学反応を起こした「歌」が、その後、どんなに目覚ましい進化を果たし、人間の文化の中でどんなに素晴らしい豊穣な世界を作ったか。

 そして、言葉と融合した「歌」が人類の歴史の中でどれほどの数、作られ、歌われ、伝えられ、愛されてきたか。

 それを思うと、心が震える思いがする。

 さて、大和の人々が「あ〜〜〜〜」の一音に言霊を託し、西洋の人々が「A〜〜〜ve Mari〜〜〜a」の響きに信仰を託した心に思いを馳せながら、今日も人類の至宝「歌」を愛でるとしようか。

         *

Flyer■ドレスデン国立歌劇場室内管弦楽団
&森 麻季 クリスマス名曲コンサート
2011年12月2日(金)19:00開演 
・東京オペラシティコンサートホール

指揮:ヘルムート・ブラニー
ドレスデン国立歌劇場室内管弦楽団
ソプラノ:森 麻季

バッハ / グノー:アヴェ・マリア
マスカーニ:アヴェ・マリア
バッハ:G線上のアリア
ヘンデル:オンブラ マイフ
ヘンデル:涙の流れるままに
パッヘルベル:カノン
久石譲: NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」 第2部メインテーマ “Stand Alone”
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モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲

 付記:今回のドレスデン国立歌劇場室内管弦楽団の来日公演では、伊那と鹿児島の2公演で私が舘野泉さんのために書いた左手のためのピアノ協奏曲「ケフェウス・ノート」が再演される。

 この曲は、2007年にドレスデン国立歌劇場室内管弦楽団の来日公演で初演された曲で、オリジナル版はこのオーケストラの編成〈オーボエ2、ファゴット1、ホルン2、弦楽〉に合わせて書かれている。

 その後、通常2管編成オーケストラ用の「改訂版」が作られ、現在はその版で演奏されることが多いが、今回は初演の時と同じオリジナル版での演奏になる。

 □2011年12月1日(木)伊那文化会館
 □2011年12月7日(水)宝山ホール(鹿児島文化センター)
 吉松隆:左手のためのピアノ協奏曲「ケフェウス・ノート」
 ピアノ:舘野泉

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