創造の軽さと重さ
忙中閑の一瞬の休みにふとページを開いてみたのがきっかけで、久しぶりにシャーロック・ホームズ物語を何編か読み返すことになった。今は「バスカヴィルの家の犬」のクライマックスだ(笑)。
ホームズ譚は何年かに一度は読み返したくなる不思議な本で、最初に買った創元推理文庫版が今も書架に並んでいるし、iPadの中にも全巻が電子書籍で揃っている。ついでにジェレミー・ブレッドがホームズ役のグラナダTV版のDVDもCD棚に全巻並んでいるという具合だ。
ホームズは言うまでもなくコナン・ドイルが創造した探偵小説の主人公。
1887年に「緋色の研究」で世に出て、1891年にイギリスの月刊誌「ストランドマガジン」で短編として連載されるやいなや爆発的なヒットとなった。現在に至るまで人気は衰えを知らず、「聖書に次いで世界中で読まれている本」などと言う人もいる。
彼が相棒ワトソン博士と住んでいたというロンドンの「ベーカー街221B」のアパートはファンにとっては聖地。私も最初にロンドンに行ったとき、真っ先に訪れたのがここだった。(現在は記念館になっている)
いや、もちろん「小説」なのだから、ホームズは架空の人物であり、ベーカー街221Bも「しゃれ」である。しかし、これを「実在」の人物として扱い、彼の冒険譚9点(物語数にして60編)を「正典(The Canon)」とするのが、俗に「シャーロッキアン」と呼ばれるマニアたち。私も少しそのケがある。
と、それほど世界中に熱狂的なファンがいるホームズ譚だが、作者であるコナン・ドイル自身はあまりお気に入りではなかったというから面白い。
ドイルは、もともとは田舎の売れない眼科医師。患者が少ないので、その合間を縫って歴史小説を書き綴り、いつかペンで一本立ちしたいと夢見る作家志望の男だった。
そんなドイルが「さしあたり売れそうな大衆小説」として28歳の時に書いたのが、私立探偵ホームズを主人公にした「緋色の研究」という長編小説。そもそもは「雑誌に文章を書いて原稿料をもらう仕事」として始めたのもの。ミもフタもなく言ってしまえば、「売文業」というやつだ。
一作目は今一反応が鈍かったが、第2作「4つの署名」はかなりの人気を博し、その勢いで書いた連載は大ヒットとなった。
しかし、彼としては、歴史大河小説を書くことが自分の本来の仕事であり、探偵小説を書くことで時間を潰されることは本意ではなく、「シャーロック・ホームズを書いた作家」として名を残すのにもかなりの抵抗があったようだ。
そこで、1893年、短編連載2年めにしてドイルは「最後の事件」でホームズを殺してしまう。(物語の中では、悪の宿敵モリアティ教授と相討ちで滝壺に落ち、行方不明になる)
これで晴れて、宿願の歴史小説に本腰を入れられる…と思ったドイルだったが、ホームズを殺したことに対するファンの抗議があまりに凄く、どうしても続編を読みたいという要望に抗えなくなる。
結局1903年、やむなくホームズを復活させたドイルは、以後、生涯にわたってホームズ譚を書き続けることになる。
そこまで期待され愛される主人公を生み出したのだから、作家としては本望のはずだが、ドイルは最後まで、自分が生み出したホームズのあまりの人気にうんざりしていたそうだ。
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まあ、乗り気でなくこれほど世界的な人気小説を書けたのだから、それはもう大したものなのだが、ドイルの「やる気のなさ」が出ている部分のひとつに(シャーロッキアンの間では有名な)ワトソン博士の名前の件がある。
ホームズ物語のもう一人の主要人物にして、以後世界中の探偵小説に必ず「ワトソン役」と呼ばれる助手が登場するのが伝統になったほどの相棒が、ジョン・H・ワトソン。
彼は、ホームズ物語の第一作「緋色の研究」でホームズと初めて出会い、「アフガニスタンに軍医で行っていた」ことを見抜かれ友人となり、ベーカー街221Bの同居人となる。そして、ホームズが解決した奇妙な事件の「記録者」となり、続く「四つの署名」事件の最後では、事件の依頼主でありヒロインであるメアリー・モースタン嬢と結婚する。
その新婚家庭については「唇のねじれた男」事件の冒頭で微笑ましく描かれているのだが、そこで妻メアリーなぜか夫ワトソンのことを「ジェイムス」と呼ぶのである。
(ワトソン夫人のところへ、ある夜、昔の知人が訪問して困りごとの相談を持ちかける。すると夫人は「じゃあ、ジェイムスには先に寝てもらって、それから私たちだけでお話ししましょう」と言う)
ワトソン博士の名前はジョン・H・ワトソンだから、これは単純にドイルが「ジョン」と「ジェイムス」を取り違えたとしか思えない。
(日本で言うなら、連載小説の主人公の名前「金田一耕助」を作家自身が「金田一京助」と書き間違えたようなもので、ちょっと信じられないケアレスミスである)
奇妙なのは、これがそのまま雑誌に載り、短編集として出版され、いまだに世界中のホームズ本のすべてがこの「ジェイムス」のまま印刷されているということだが・・・これは長らく「微笑ましい書き間違い」と考えられてきた。まあ、実際、そうだったのだろう。
しかし、ドイルの没後、あるシャーロッキアンから衝撃的な「真実」が明かされることになる。
それは、ジョン・H・ワトソンのミドルネーム「H」は、「Hamish(ヘイミシュ)」であり、これはジェイムスのスコットランド風の読み方であるというのだ。
つまり、メアリ夫人は、夫のミドルネームから来る愛称として「ジェイムス」と呼んでいたことになる。
(この説の最初の提唱者は、女性推理小説作家ドロシー・セイヤーズ。初出は1946年の「ワトソン博士のクリスチャンネーム」)
これは世界中のシャーロッキアンから拍手喝采を浴びた。
なるほど。ミドルネームが「H」の夫を、妻が「ジェイムス」と呼ぶ理由としては、これ以外に説明が付かないほどの完璧な解答だ。
(しかも、夫人の父の死に関わっている「ジョン」・ショルトー少佐の名前を想起させる「ジョン」で夫を呼びたくなかったのだろうという二段構えの説得力!)
これでシャーロッキアンたちの長年の「もやもや」は晴れたわけだが、さて、当のコナン・ドイルがそこまで考えて「ジェイムス」と呼ばせたかというと・・・どう考えてもそうではあるまい。
ドイルはそこまで考えずに、「ジェイムス」と書いてしまった。しかし、「正典」に書かれたことを「ケアレスミス」と思いたくない世界中の「シャーロッキアン」たちが、ついに「整合性」をもつ解答を見つけてしまった。
しかし、その整合性は、ドイルが「深く考えずに付けた」であろうワトソン博士のミドルネーム「H」があってこそなのだ。
このことに魂が震えるほど感動するのは、私もシャーロッキアン菌に感染しているからだろうか?
ここには、作者にも想像できなかった「創造」の世界の奇跡がある。
ホームズは、彼を生み落とした作家ドイルを遙かに超えた宇宙に、何万何億という読者と共に今も「生き続けて」いるわけである。
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少し方向は違うが、作曲でも似たようなことがある。
とは言っても、間違ったケアレスミスの音を書いたという話ではなく、世界中の人が愛している大人気曲にもかかわらず、書いた当人は「不満たらたら」というケースである。
例えばハチャトリアンの「剣の舞」。この曲は現代作品の範疇の曲でありながら知らない人がないほどポピュラーな曲だ。一度聞いたら忘れられない強烈な個性を持った曲で、ハチャトリアンの代名詞のようになっている。
しかし、あの曲は、バレエ「ガイーヌ」を作曲中のハチャトリアンが「もう一曲ダンスの曲を」と言われて一晩で即席で書き上げたものなのだそうで、それがあんなに人気を博するとは想像もしなかったらしい。
自分の代名詞となるような「ヒット曲」を持つというのは作曲家にとって最強の幸運のひとつだが、ハチャトリアン自身は「私は交響曲や協奏曲の作家であって、あんなものを自分の代表曲だと思われたくない」と生涯ぼやいていたそうだ。
確かに、歴史に残る「名曲」といっても、音楽は数分の「火花」のようなもの。特にキャラのたったメロディというのは、あれこれ悩んで生み出すものではなく、一瞬のアイデアが勝負。作曲家の頭の中に「ふっ」と生まれて、さらさら書き留められてしまうものも少なくない。
中には、作った本人すらどうやって作ったのか思い出せず、「もう一曲同じようなのを書いてください」という無邪気なリクエストに一生苦悶するという例を時々聞く。
ビートルズの代表的名曲「イエスタデイ」も、ポール・マッカートニーがふと頭に浮かんだメロディをそのままサラッと書き下ろしたものだそうだ。
ギターをポロンと弾いたら、あのメロディがあのままするっと出てきたので「どこかで聞いた曲を写してしまったのかと思い、色々な人に〈こういう曲を聞いたことがあるか?〉と訊ねまくった」という。
それはそれで、神秘性を深める話で悪くない。
でも、逆の例もある。むかし、フォークソング系の曲で物凄く深遠な意味を持つ(ように聞こえる)歌詞の曲があって、それこそ感動しながら何度も何度も聞いたのだが・・・
ずいぶん後になって作曲者(シンガーソングライター)が「実は…」と話した作曲秘話を聞く機会があり、それが、あまりに夢を打ち砕く話で、「聞かなきゃよかった」と心底後悔してしまったことがある・・・(笑)
ヒット曲の誕生秘話には、そういう「空から降りてきた」みたいな例が少なくない。詞をもらって紙に書いているうちにそのまま曲になった…とか、電車に乗って楽譜を届けに行く途中の30分くらいで思い付いて書いた…とか、「羨ましい」というしかないような話である。
問題は「降りてくる」のに場所を選ばない、ということだろうか。
絶景の夕陽の中とか、失恋の涙の中で「降りて」きた場合はカッコいいが、実際は、パンツ一丁でギターを弾いてる時だったり、風呂に入って「極楽、極楽」と呟いた瞬間だったり、トイレの中だったり・・・
名曲ともなると、作者だけではなく「みんなのもの」。真実は、あまり大きな声で言わない方がいいかも知れない。
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確かに、創造には、想像を絶する「重み」がある。
しかし、時には想像を絶する「軽さ」から生まれることもあるわけだ。
そもそも「作曲する=楽譜を書く」というだけの作業に、さほど時間はかからない。16小節のヒット曲など、思い付けば5分もあれば楽譜に書ける。
またハチャトリアンがらみだが、ソヴィエトの国歌を作るとき、当時の二大作曲家ハチャトリアンとショスタコーヴィチと合作の案があったそうだ。
二人で合作した楽譜を提出したところ、党から「後半を少し手直しして欲しい」と要請があった。そして党本部に呼び出されて、「書き直すのにどのくらいかかるか?」と訊ねられた。
そこでショスタコーヴィチが、「いや、5分もあればこの場でチョチョイと」と答えたところ役人が大激怒。この話ボツになったそうだ。「国歌とあろうものを、5分で簡単に書き直せるとは何事かッ」というわけである。
ハチャトリアンは「一月ほどじっくり熟慮させていただきます…とでも言えばよかった」とぼやいたとかぼやかなかったとか。
確かに、100年歌い継がれる曲だからと言って、作るのに100年かかるわけではない。でも「5分でチョチョイと」と言われたら「夢が壊れる」というのも分からないではない。
むかし、私がモーツァルトを嫌いだったのは、彼が「序曲をたった一晩で書いた」とか「交響曲をたった2週間で書いた」という、いわゆる天才話をさんざん聞かされたからだ。「なんて軽い奴なんだろう」と思ったわけである。
やはり交響曲ともなれば、ベートーヴェンやブラームスのように「構想から完成まで20年」とか言う方が「重み」があるではないか。
でも、無駄な回り道ゼロで有効な音符だけ書くとすれば、モーツァルト級の交響曲なら最速2週間もあれば書ける。オペラも一月弱といったところだろう。
私にも、構想から完成まで10年近くかけた曲があるが、それは10年間延々書き続けていたわけではない。納得がいかずに楽譜棚にしまい込み、しばらくしてまた引っ張り出して書き直し、それでも納得いかずにしまい込み・・・ということをやっているうちに10年の年月が(無駄に)たってしまった…というのが正確なところだ。
その大部分の時間は「ああでもない・こうでもない」と書き直し悩み倒している時間であり、実際に頭に降りてきた「音楽」を紡ぐ時間は・・・もしかしたら「ほんの一瞬」と言ってもいいのかも知れない。
だから、作曲家にとって、「その曲」が人生に占めた時間、母胎にとどまった時間は、ほんの5分なりほんの数日という短い間であることが多そうだ。
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それでも、それがひとたび「名曲」として繰り返し繰り返し演奏されるようになると、その曲は、演奏したり歌う人…そして、それを聴く人の人生の何年何十年という時間を支配する。
先のホームズの話で言うなら、おそらく作家ドイルが「ジョンだったかジェイムスだったか」不確かなまま、さらさらとワトソン夫妻の会話を思い付いた期間が、まあ、5分ほど。
ところが、それをシャーロッキアンたちは何度も何度も繰り返し読み続け、世界中で何万人何億人という読者が数十年間(かれこれ120年以上)にわたり、ああでもないこうでもないと考え続け、作者の没後ついに(作者にも気付かなかった)「ジェイムス」と呼んだ真意を探り当ててしまったわけだ。
オペラやバレエにしても・・・それはもちろん台本作者や作曲家が数ヶ月をかけて苦労のすえ作り上げたものだが・・・名作に昇華したものは、それこそダンサーたち歌手たちは何百回となく踊り歌い演じてる。
ということは、「作品に接した時間」ということになると、それこそ作家より長い。もしかしたら作った当人たちよりその世界が血肉になっていることだってありそうだ。
私も時々、自分の曲について、「吉松サンは何ヶ月かかけて作曲したかも知れないけど、こっちは何百回と弾いてるんだから、私の方がこの曲については詳しいですよ」と言われて「なるほど」と苦笑してしまうことがある。
親として子供を産んでも、その子供のことを何もかも知っているわけでない。往々にして、生んだ親よりも「友だち」や「結婚相手」や「仕事仲間」の方が付き合う時間も遙かに長く、その人となりを知っている。
それに似ているだろうか。
そんなわけで「曲について(作曲家より)詳しいのは私」という人がいても不思議ではないのかも知れない、と最近では思い始めている。
創造は「重い」。
でも、果てしなく「軽い」。
羽毛より「軽い」のも人の命。
なのに、地球より「重い」のも人の命。
創造の軽さ、創造の重さは、人の存在そのものと似ているということか。
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ボリショイ・バレエ
2012年1月31日〜2月9日
指揮:パーヴェル・ソローキン
ボリショイ劇場管弦楽団
芸術監督:セルゲイ・フィーリン
全公演:東京文化会館
スパルタクス(ハチャトリアン)
・1月31日(火)18:30
・2月1日(水)18:30
・2月2日(木)18:30
白鳥の湖(チャイコフスキー)
・2月4日(土)14:00
・2月9日(木)13:00
・2月9日(木)18:30
ライモンダ(グラズノフ)
・2月7日(火)14:00
・2月8日(水)13:00