2011/12/10

オペラの悪役考

Rossinbi ドラマの世界には「悪役」というのが必ずいる。
 そして、ドラマは「悪役」が存在することで動き出す。
 というより「悪役」がいなければドラマは動き出さないと言ってもいいほどだ。

 西洋の騎士物語なら「魔法使い」や「ドラゴン」、推理小説やミステリーなら「犯人」や「悪の組織」、時代劇なら「悪代官」や「敵役の剣豪」、恋愛小説なら「恋敵」や「結婚を邪魔する大人たち」などが悪役になる。
 いずれも分かりやすく一目で見ただけで「悪役」と分かるのがベスト。なぜ悪いのか延々説明しないとならないようでは、ドラマの力学が薄くなり、当然ストーリーの展開が鈍り、最後のカタルシスも弱くなる。

□悪人と善人

Dragon もっとも、現実世界にはそんな分かりやすい「悪役」と「主役」はいない。
 法律を犯せば「悪人」だが、スピード違反や脱税や万引き窃盗ではいまいち「悪」が足りないし、普通の人との違いは限りなく希薄だ。
 もう少しエスカレートして人を殺傷したり街を破壊するところまで行けば立派な「極悪人」だが、戦争では敵を殺し街を破壊するのが英雄。チャップリンの「殺人狂時代」で、「一人殺せば殺人犯だが、(戦争で)1000人殺せば英雄だ」というセリフがあったように、視点次第で善悪は簡単に逆転する。

 例えば、魚をたくさん釣り上げる様子は人から見れば楽しい景色だが、魚から見れば大量殺戮。金子みすゞも「(イワシの大漁で)浜は祭りのようだけど、海の底では何万のイワシの弔いするだろう」と歌っていたっけ。
 庭の葉っぱに虫がびっしり繁殖していたら、「気持ち悪い!」と言って殺虫剤をまいて駆除するのが当然かも知れない。でも、地球にびっしり繁殖している人類を見た宇宙人が「気持ち悪い!」と言って殺人剤まいて駆除し始めたら・・・これは大殺戮だ。どっちが「悪」かというのは視点の違いでしかない。

 しかし、人としてはあんまりそういう面倒くさいことは考えたくない。
 現実には、善悪の区分も曖昧だし、善人だからと言って栄えるとは限らず、悪人が報いを受けることも少ない。男性として善だと思っても女性から見れば悪のことだってあるし、その逆のことだってある。
 そんな風だから、自分自身すら、善に属するのか悪に属するのか分からない。人として善でも魚から見れば悪かも知れないなどと考え出すときりがない。

 だからこそ人は、現実では絶対に味わえないカタルシスを得たいがために,虚構のドラマを作り出す。そして、「悪人」は悪人とばっさり断定し、どこから見ても善人である「主人公」がそれを(障害を乗り越えつつ)やっつける…というような虚構の勧善懲悪ドラマ(小説や映画やオペラ)を,性懲りもなく繰り返し繰り返し見続けるわけなのだ。

 □主人公と敵役

Figaroc その点、スポーツはその二極のシンプルさを極限まで高めた最高の発明だ。
 なにしろ「味方」と「敵」を真っ二つに分けて,双方を戦わせるのだから明快極まりない。しかも、開始から数分数十分の時間で「勝ち」か「負け」かの決着が付く。これは現実では決して味わえない極限のシンプルさだ。

 そのシンプルさを保つために、必要なのが「ルール」。人数を揃えてなるべく力が拮抗するような状況を作り出し、禁じ手や反則事項を定め、どちらかが一方的に勝利・敗北しないようなバランスを取る。
 ここでは誰も「堅苦しいルールなど無い方がいい」とは言わない。「勝った」「負けた」でカタルシスを得るので、誰が味方で誰が敵だか分からないルール無用のスポーツでは「ただの混沌(カオス)」。楽しみようもない。「敵」vs「味方」が「勝つ」か「負ける」かの完璧な1:1になる必要があるわけだ。

 そこで、小説や映画などのドラマでも、不変の設定は「主人公」と「敵役」が明快なもの…に限ることになる。
 ドラマを内包する「書物」あるいは「舞台」や「映画」の中で、その二つの勢力が「対立」し、「拮抗し(争い)」、最後に主人公側が「勝利」する(もちろん「負ける」悲劇でもいい)。
 この世に存在するドラマのほとんどが、多かれ少なかれこの構造で出来ていると言っても良いほどだ。

 特に、英雄物語やヒーローものあるいはアクション映画などでは、明快に「悪役」を設定し、最後にはそれを「やっつける」のが基本構造。
 悪いのかどうか曖昧な「悪役」では、それを「倒す」というベクトルが生まれにくい。そのため、悪役は誰もが「憎らしい」「人間じゃない」「非道い」と思えるキャラクターである必要があり、「同情に値しない」そして「倒され(殺され)ても当然」と観客が思うようなエピソードを纏うことになる。

□悪役たち

Kingkonga しかし、この「悪役」の設定、なかなか難しい。

 なにしろ「悪役」は「悪く」なければならない。ちょっと人間的な(同情できるような)エピソードが加わって「やっつけたら可哀想」とか「実は根っからの悪人ではないんじゃないか?」と思わせたら、最後に倒したときのカタルシスは薄れ、「後味の悪い」ものになるからだ。

 誰が見ても「悪役」の極致と言ったら、怪獣映画の「怪物」たち。怪獣映画の古典「キングコング」では、コングは探検隊を襲い原住民の村を襲いニューヨークの町で暴れ回りという「悪逆」の限りを尽くした挙げ句、飛行機による攻撃で殺される。
 しかし、考えてみれば、そもそも彼が暴れた原因というのは、人間が彼の領域に踏み込み、彼の「花嫁」を奪い、さらに束縛し文明世界へ拉致したことであり、彼の側に「非」はない。基本的には人間に翻弄され「美女」に心惹かれて身を滅ぼした「男」であり、「悪役」にされてしまった哀れさがつきまとう。

 あのシャーロック・ホームズ物語の最大の「悪役」モリアティ教授も、ホームズが「最大級の悪人」と認定してバトルを繰り広げた後、スイスの滝でもみ合って最後は墜落死する。
 ホームズは自分の命と引き替えにしても彼を葬り去ろうとするわけだが、さて、国家的な陰謀や強盗や悪事に関わったとしても、そもそも自分で手は汚していないわけだし、殺されねばならないほどの「悪」を彼は成したのかどうか?

 オペラでも、悪人は多く登場するが、さて、同情の余地もないような根っからの「悪役」を探すとなると,結構むずかしい。

 例えば「ドン・ジョバンニ」の主人公ドン・ジョバンニは、数々の非道の報いで最後に地獄へ引きずり込まれる「悪役」の代表。
 しかし、よく考えてみれば、一度はずみで人を刺し殺してしまった(しかも決闘であり、正当防衛でもある)ほかは、女たらしの享楽主義者に過ぎない。二千人もの女性を抱いては捨てているというのは、女性から見ればトンでもない奴で、「殺してやるぅ!」と叫ぶのは理解できるが、じゃあ、本当に死刑にして良いほどの悪人なのか?というと、さて。

 あるいは「トスカ」に登場する悪代官スカルピア。彼もトスカへの邪恋の報いでナイフで刺し殺される「悪役」だ。
 でも、よくよく考えてみれば、代官の地位を利用して歌姫トスカを口説き落とそうとした哀れなセクハラ男の域を出ていない。彼などは、男から見るとむしろ偽悪的にしか女性に「愛」を告白できない可哀想な男に見えてしまい、このオペラ、「スカルピア」と題してもいいんじゃないかと思うほどだ。

 そう言えば、あの「トゥーランドット」姫も、結婚を申し込んでナゾを解けなかった王子たちの首を片っ端からちょん切ってしまうという点では「悪役」。しかし、それが最後にはいつの間にか「ヒロイン」に変化してゆくのがこのオペラの見所であり、同情すべき悪役の代表とも言える。

 その点では「ボリス・ゴドノフ」のボリスも近い。世間からは、先王を毒殺して王位に付いた極悪人と見られているが、最後にその罪の意識で悶死してしまうのだから,かなり神経が繊細な悩める男。こちらもかなり同情すべき悪役だ。

 もう少し冷酷非道な悪役っぽいところでは、「ニーベルングの指輪」で、そもそも物語のきっかけとなる指輪の呪いをかけたアルベリヒと、その息子でジークフリートを謀殺するハーゲンがいる。
 最後は英雄ジークフリートを謀殺するのだから、敵役としては最強だ。しかし、これもそもそもは神々に騙されて宝(黄金)を奪われたことから始まった復讐なのだから、これが悪者なら、狸に復讐するカチカチ山のウサギも「悪役」だ。

□悪い役回り=悪役

Figaro そこまで主人公に敵対する「悪役」ではないにしろ、オペラの中には、なぜか「悪い役回り」をふられてしまった「可哀想な脇役」が数多くいる。そして、それがまたオペラを観る楽しみになっていたりするのだから面白い。

 特に、「恋敵」にあたる役にその種の「損な役回り」が多い。
 ヒロインというのは、そもそもそのドラマ世界では一番の美女と決まっているから、それに恋する男性が複数生まれるのは当然。でも、ペアとなれるのは主人公だけ。当然、彼女の選択から外れた相手は,自動的に「敵役」になってしまう。

 無理やり拉致したり乱暴したりするような強引な恋敵は「悪役」と見られても仕方ないが、恋を囁いたり結婚を申し込むというごく普通のアプローチをしただけで「悪役」になってしまう例もあって、ちょっと可哀想になってしまう。
 セクハラというのは、相手が不快に思えばすべてセクハラなのだそうだが、オペラでも、ヒロインの女性のターゲット(すなわち主役)以外の男が「恋」心を抱けば、すべて「悪役」になるという理屈だ。

 しかし、時には、主人公の方が悪役より無茶苦茶なアプローチに及ぶこともあり、首をかしげることも少なくない。バルコニーの下に忍び寄ったり、夜這いをしたり、人の女房なのに不倫を迫ったり、ストーカーまがいの非常識な主人公も時々散見される。
 オペラの場合は、主役のテノールがやることは全て正しく、敵役のバリトンがやることは全て「悪い」というシンプルな構造が幅を利かせていることが多いが、ちょっと冷静になって考えてみると、「主人公のやっていることは本当に正しいの?」「本当に敵役の方が悪いの?」と疑問になることがいっぱいあったりするわけなのだ。

 ■セヴィリアの医師バルトロ

Barbier_dvd
 「セヴィリアの理髪師」というオペラがある。
 ロッシーニ最大のヒット作で、ベートーヴェンも絶賛した〈オペラ・ブッファ(軽い喜劇オペラ)の最高傑作。今も世界中の歌劇場で上演され続けている名作中の名作である。

 主人公はアルマヴィーヴァ伯爵というハンサムな青年貴族。(なので、当初は「アルマヴィーヴァ」というタイトルだったそうだ)。
 彼が、医師バルトロの館にいるロジーナという娘に恋し、セヴィリアで床屋(理髪師)をやっているフィガロという男の助けを得て、首尾良く彼女を手に入れるまでの顛末……というのがこのオペラの物語。

 つまり
・主人公:ハンサムな青年貴族アルマヴィーヴァ伯爵
・ヒロイン:若くて美人の娘ロジーナ
 というのが基本構造。
 
 主人公アルマヴィーヴァ伯爵は、実家は貴族で大金持ちらしいが、街では貧乏学生に身をやつしている、おそらくまだ20代前半の若者。マドリードでちらりと見かけた娘ロジーナに一目惚れし、セヴィリアまで追いかけてきた情熱男。(見方を変えればストーカー男?)
 一方、相手の娘ロジーナは、医者バルトロ氏を後見人としている未成年だから、おそらくまだ10代半ば。自分を追いかけてきているらしい名前も素性も知らない青年(伯爵)にちょっぴり心引かれている。
 ただし、お互いに名前も知らないし(ケータイの番号も知らないし)恋の告白のしようもない。

 そこに助っ人として登場するのがフィガロという男。
 むかし伯爵に仕えていたことがあり、今はセヴィリアで床屋(理髪師)をやっている。そのせいで、あちこちの家に出入りし、いろいろな事情に通じている。頭の回転が速く、機転が利くと共に、かなりお節介屋として知られているらしく「町の何でも屋」というのが通り名。
 彼が、伯爵から「ロジーナという娘に惚れてしまった。何とかしてくれ」と頼まれ、彼女の家に入り込む手筈を考えたりと、恋の「キューピッド役」を買って出る。その挙げ句のドタバタが、このオペラの見所である。

 一方「悪役」にあたるのが、医師バルトロ。
 少女ロジーナを引き取って屋敷に住まわせているので、立場としては「後見人」。医者をやっていて、そこそこの屋敷に住んでいる。独身だが、もう若くはない、と言うより老齢に近いオジサンのようだ。
 彼がロジーナを引き取ったのは、彼女にくっついている遺産が目当てで(成年になるまでその遺産を管理するのが「後見人」)、いずれロジーナと結婚して「遺産」と「若い嫁」の両方を手に入れようと考えている。

□恋の駆け引き

Barbierea 構図としてはまさしく〈イケメン貴族・アルマヴィーヴァ伯爵〉と〈未成年美少女ロジーナ〉との「相思相愛」。
 ……なのだが、恋と言っても、街でチラッと見かけて「お、可愛い!」というだけで始まった恋。相手の素性も知らず、双方ともまったく「外見」だけでの判断なのだ。
 まあ、恋というのは得てしてそういうモノだとしても、「大丈夫なのか?この二人?」と凄く気になる。

 イケメン貴族の伯爵は、おそらく「貴族」という地位や財産を狙って近付いて来る「女性」はいやと言うほど知っているのだろう。そこで、ロジーナに対しては「伯爵」という身分を明かさず、「貧乏学生レンドーロ」を名乗ってロジーナに恋を打ち明ける。それでも「好き」と言ってくれれば、自分に対する好意は「本物」…ということらしい。
 しかし、一方のロジーナの方は、今は医師バルトロの庇護のもとで良い暮らしをしているし、成年になれば(彼が管理している)遺産が自分の手に入るので、お金には無頓着。相手が「貧乏学生」でもぜんぜん構わないのはそのせいであって、貧乏も厭わない「恋」に燃えているわけではない。

 これは、考えれば考えるほど、アブナイ話である。
 後見人である医師バルトロの側から見れば、どこの馬の骨とも知らぬ「貧乏学生」が、自分が保護者である可愛い娘に近寄ってくるのだから、「すわ財産目当てか!」と警戒するのは当然だ。

 おかげで、伯爵とフィガロvs医師バルトロの「ロジーナ争奪戦」がドタバタ劇のように展開する。
 その詳細はオペラの舞台で堪能してもらうとして、最後は、貧乏学生と思っていた男が実は「伯爵様」とわかり、結婚は成就。反対していた医師バルトロの方も、(相手が貴族なので)結婚のために持参金を出す必要もないと分かり、納得。
 結局、誰もがハッピーという大団円を迎えるのでご安心を。

□見方の逆転

Rossini ただし、この話も、悪役(にされている)バルトロ氏の側から「好意的に」眺めてみると、随分印象が変わってくる。

 そもそもこのオペラでは、主人公のアルマヴィーヴァ伯爵が人気のテノール役。対してバルトロ医師はヒゲを生やし太ったコミカル仕立てのバス・バリトン役。
 一目見た瞬間から、「似合いの恋人同士」はテノールとソプラノ。悪役にされたバリトンがいくら「恋」を囁いても、横恋慕にしか見えない仕掛けになっている。

 でも、このバルトロ氏、医師として一応社会的信用もある男だし、身寄りのない少女を独身の身で引き取って育てているのだから、決して「悪い人」ではない。
 年齢はおそらく中年以降だろうから、未成年(十代半ば)のロジーナから見れば確かに「おじさん」。恋愛対象ではないのはいたしかたないが、だからと言って、「セクハラおやじ」=「悪役」と断定するのはいかがなものかと。

 それに男盛りで独身の身のバルトロ氏から見れば、若い女性と結婚を望むのは(身分不相応なところはあっても)人から後ろ指指されるようなことではない。もちろんかなり年の差(30歳前後だろうか?)がある二人だが、別にそのくらいの「年の差婚」は珍しくもない。

 ここはひとつ、コミカルなバリトンおじさんではなく、ハンサムな老優……高倉健とか田村正和とかあたり?…をバルトロ氏に重ね合わせてこのオペラを見てみよう。ぜんぜん違った物語が見えてくるはずだ。

□後日談

Figarob ちなみに、この「セヴィリアの理髪師」の後日談が、モーツァルトのオペラで有名な「フィガロの結婚」。
 伯爵とロジーナは無事結婚し、彼女をゲットするのに功績があったフィガロはふたたび伯爵の家来となり、お屋敷の女中スザンナと結婚することになる。
 ところが、なんと今度はアルマヴィーヴァ伯爵が、その結婚に横やりを入れるミニ悪役として登場するのである。

 喜劇なので、大した悪役ではないのだが、彼はもともと浮気者で女好き。貧乏学生に身をやつして街をふらつき、見かけた娘をセヴィリアまで追いかけて結婚を迫ったほどなのだからさもありなん。
 家来となったフィガロの許嫁に横恋慕し、本気か悪ふざけか不明ながら貴族の特権「初夜権」(結婚する女性を夫より先に抱く…というトンでもない権利)を主張する、という暴走ぶり。
 これはもう完全に「セクハラおやじ」炸裂で、バルトロ氏の不安まさに的中という感じである。

 というわけで、オペラは「悪役」の側から見てみよう。
 奥深い世界?がそこから広がるはずである。

        *

■錦織健プロデュース・オペラVol.5 セヴィリアの理髪師

Flyer[日時]
2012年2月12日(日) 14時開演 府中の森芸術劇場
2012年2月25日(土) 15時開演 神奈川県民ホール
2012年3月18日(日) 14時開演 東京文化会館
2012年3月20日(火・祝) 14時開演 東京文化会館
2012年3月31日(土) 14時開演 サンシティホール(越谷)

[出演]
森 麻季(ソプラノ) / ロジーナ
堀内 康雄(バリトン)フィガロ
錦織 健(テノール) / アルマヴィーヴァ伯爵
志村 文彦(バス) / バルトロ
池田 直樹(バス・バリトン) / ドン・バジリオ
武部 薫(メゾソプラノ) / ベルタ

演出:十川 稔
音楽監督/指揮:現田 茂夫
管弦楽:ロイヤルメトロポリタン管弦楽団
合唱:ラガッツィ
チェンバロ:服部 容子
テーマ・アート:天野 喜孝 
舞台装置:升平 香織/ 衣装:小野寺 佐恵 
照明:矢口 雅敏 / 舞台監督: 堀井 基宏

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2011/11/10

創造の軽さと重さ

Scarlet 忙中閑の一瞬の休みにふとページを開いてみたのがきっかけで、久しぶりにシャーロック・ホームズ物語を何編か読み返すことになった。今は「バスカヴィルの家の犬」のクライマックスだ(笑)。

 ホームズ譚は何年かに一度は読み返したくなる不思議な本で、最初に買った創元推理文庫版が今も書架に並んでいるし、iPadの中にも全巻が電子書籍で揃っている。ついでにジェレミー・ブレッドがホームズ役のグラナダTV版のDVDもCD棚に全巻並んでいるという具合だ。

 ホームズは言うまでもなくコナン・ドイルが創造した探偵小説の主人公。
 1887年に「緋色の研究」で世に出て、1891年にイギリスの月刊誌「ストランドマガジン」で短編として連載されるやいなや爆発的なヒットとなった。現在に至るまで人気は衰えを知らず、「聖書に次いで世界中で読まれている本」などと言う人もいる。

 彼が相棒ワトソン博士と住んでいたというロンドンの「ベーカー街221B」のアパートはファンにとっては聖地。私も最初にロンドンに行ったとき、真っ先に訪れたのがここだった。(現在は記念館になっている)

Holmesa いや、もちろん「小説」なのだから、ホームズは架空の人物であり、ベーカー街221Bも「しゃれ」である。しかし、これを「実在」の人物として扱い、彼の冒険譚9点(物語数にして60編)を「正典(The Canon)」とするのが、俗に「シャーロッキアン」と呼ばれるマニアたち。私も少しそのケがある。

 と、それほど世界中に熱狂的なファンがいるホームズ譚だが、作者であるコナン・ドイル自身はあまりお気に入りではなかったというから面白い。
 
Doyle ドイルは、もともとは田舎の売れない眼科医師。患者が少ないので、その合間を縫って歴史小説を書き綴り、いつかペンで一本立ちしたいと夢見る作家志望の男だった。

 そんなドイルが「さしあたり売れそうな大衆小説」として28歳の時に書いたのが、私立探偵ホームズを主人公にした「緋色の研究」という長編小説。そもそもは「雑誌に文章を書いて原稿料をもらう仕事」として始めたのもの。ミもフタもなく言ってしまえば、「売文業」というやつだ。

 一作目は今一反応が鈍かったが、第2作「4つの署名」はかなりの人気を博し、その勢いで書いた連載は大ヒットとなった。

 しかし、彼としては、歴史大河小説を書くことが自分の本来の仕事であり、探偵小説を書くことで時間を潰されることは本意ではなく、「シャーロック・ホームズを書いた作家」として名を残すのにもかなりの抵抗があったようだ。

Holmesg そこで、1893年、短編連載2年めにしてドイルは「最後の事件」でホームズを殺してしまう。(物語の中では、悪の宿敵モリアティ教授と相討ちで滝壺に落ち、行方不明になる)

 これで晴れて、宿願の歴史小説に本腰を入れられる…と思ったドイルだったが、ホームズを殺したことに対するファンの抗議があまりに凄く、どうしても続編を読みたいという要望に抗えなくなる。

 結局1903年、やむなくホームズを復活させたドイルは、以後、生涯にわたってホームズ譚を書き続けることになる。
 そこまで期待され愛される主人公を生み出したのだから、作家としては本望のはずだが、ドイルは最後まで、自分が生み出したホームズのあまりの人気にうんざりしていたそうだ。

            *

Holmesb まあ、乗り気でなくこれほど世界的な人気小説を書けたのだから、それはもう大したものなのだが、ドイルの「やる気のなさ」が出ている部分のひとつに(シャーロッキアンの間では有名な)ワトソン博士の名前の件がある。

 ホームズ物語のもう一人の主要人物にして、以後世界中の探偵小説に必ず「ワトソン役」と呼ばれる助手が登場するのが伝統になったほどの相棒が、ジョン・H・ワトソン。

 彼は、ホームズ物語の第一作「緋色の研究」でホームズと初めて出会い、「アフガニスタンに軍医で行っていた」ことを見抜かれ友人となり、ベーカー街221Bの同居人となる。そして、ホームズが解決した奇妙な事件の「記録者」となり、続く「四つの署名」事件の最後では、事件の依頼主でありヒロインであるメアリー・モースタン嬢と結婚する。

James その新婚家庭については「唇のねじれた男」事件の冒頭で微笑ましく描かれているのだが、そこで妻メアリーなぜか夫ワトソンのことを「ジェイムス」と呼ぶのである。
(ワトソン夫人のところへ、ある夜、昔の知人が訪問して困りごとの相談を持ちかける。すると夫人は「じゃあ、ジェイムスには先に寝てもらって、それから私たちだけでお話ししましょう」と言う)

 ワトソン博士の名前はジョン・H・ワトソンだから、これは単純にドイルが「ジョン」と「ジェイムス」を取り違えたとしか思えない。
(日本で言うなら、連載小説の主人公の名前「金田一耕助」を作家自身が「金田一京助」と書き間違えたようなもので、ちょっと信じられないケアレスミスである)

 奇妙なのは、これがそのまま雑誌に載り、短編集として出版され、いまだに世界中のホームズ本のすべてがこの「ジェイムス」のまま印刷されているということだが・・・これは長らく「微笑ましい書き間違い」と考えられてきた。まあ、実際、そうだったのだろう。

 しかし、ドイルの没後、あるシャーロッキアンから衝撃的な「真実」が明かされることになる。

 それは、ジョン・H・ワトソンのミドルネーム「H」は、「Hamish(ヘイミシュ)」であり、これはジェイムスのスコットランド風の読み方であるというのだ。
 つまり、メアリ夫人は、夫のミドルネームから来る愛称として「ジェイムス」と呼んでいたことになる。
(この説の最初の提唱者は、女性推理小説作家ドロシー・セイヤーズ。初出は1946年の「ワトソン博士のクリスチャンネーム」)

Sayers これは世界中のシャーロッキアンから拍手喝采を浴びた。
 なるほど。ミドルネームが「H」の夫を、妻が「ジェイムス」と呼ぶ理由としては、これ以外に説明が付かないほどの完璧な解答だ。

(しかも、夫人の父の死に関わっている「ジョン」・ショルトー少佐の名前を想起させる「ジョン」で夫を呼びたくなかったのだろうという二段構えの説得力!)

 これでシャーロッキアンたちの長年の「もやもや」は晴れたわけだが、さて、当のコナン・ドイルがそこまで考えて「ジェイムス」と呼ばせたかというと・・・どう考えてもそうではあるまい。

 ドイルはそこまで考えずに、「ジェイムス」と書いてしまった。しかし、「正典」に書かれたことを「ケアレスミス」と思いたくない世界中の「シャーロッキアン」たちが、ついに「整合性」をもつ解答を見つけてしまった。
 しかし、その整合性は、ドイルが「深く考えずに付けた」であろうワトソン博士のミドルネーム「H」があってこそなのだ。

 このことに魂が震えるほど感動するのは、私もシャーロッキアン菌に感染しているからだろうか?

 ここには、作者にも想像できなかった「創造」の世界の奇跡がある。
 ホームズは、彼を生み落とした作家ドイルを遙かに超えた宇宙に、何万何億という読者と共に今も「生き続けて」いるわけである。

         *

Akb 少し方向は違うが、作曲でも似たようなことがある。
 とは言っても、間違ったケアレスミスの音を書いたという話ではなく、世界中の人が愛している大人気曲にもかかわらず、書いた当人は「不満たらたら」というケースである。

 例えばハチャトリアンの「剣の舞」。この曲は現代作品の範疇の曲でありながら知らない人がないほどポピュラーな曲だ。一度聞いたら忘れられない強烈な個性を持った曲で、ハチャトリアンの代名詞のようになっている。

 しかし、あの曲は、バレエ「ガイーヌ」を作曲中のハチャトリアンが「もう一曲ダンスの曲を」と言われて一晩で即席で書き上げたものなのだそうで、それがあんなに人気を博するとは想像もしなかったらしい。

 自分の代名詞となるような「ヒット曲」を持つというのは作曲家にとって最強の幸運のひとつだが、ハチャトリアン自身は「私は交響曲や協奏曲の作家であって、あんなものを自分の代表曲だと思われたくない」と生涯ぼやいていたそうだ。

Sabredanceb

 確かに、歴史に残る「名曲」といっても、音楽は数分の「火花」のようなもの。特にキャラのたったメロディというのは、あれこれ悩んで生み出すものではなく、一瞬のアイデアが勝負。作曲家の頭の中に「ふっ」と生まれて、さらさら書き留められてしまうものも少なくない。

 中には、作った本人すらどうやって作ったのか思い出せず、「もう一曲同じようなのを書いてください」という無邪気なリクエストに一生苦悶するという例を時々聞く。

 ビートルズの代表的名曲「イエスタデイ」も、ポール・マッカートニーがふと頭に浮かんだメロディをそのままサラッと書き下ろしたものだそうだ。  
 ギターをポロンと弾いたら、あのメロディがあのままするっと出てきたので「どこかで聞いた曲を写してしまったのかと思い、色々な人に〈こういう曲を聞いたことがあるか?〉と訊ねまくった」という。
 それはそれで、神秘性を深める話で悪くない。

 でも、逆の例もある。むかし、フォークソング系の曲で物凄く深遠な意味を持つ(ように聞こえる)歌詞の曲があって、それこそ感動しながら何度も何度も聞いたのだが・・・
 ずいぶん後になって作曲者(シンガーソングライター)が「実は…」と話した作曲秘話を聞く機会があり、それが、あまりに夢を打ち砕く話で、「聞かなきゃよかった」と心底後悔してしまったことがある・・・(笑)

 ヒット曲の誕生秘話には、そういう「空から降りてきた」みたいな例が少なくない。詞をもらって紙に書いているうちにそのまま曲になった…とか、電車に乗って楽譜を届けに行く途中の30分くらいで思い付いて書いた…とか、「羨ましい」というしかないような話である。

 問題は「降りてくる」のに場所を選ばない、ということだろうか。
 絶景の夕陽の中とか、失恋の涙の中で「降りて」きた場合はカッコいいが、実際は、パンツ一丁でギターを弾いてる時だったり、風呂に入って「極楽、極楽」と呟いた瞬間だったり、トイレの中だったり・・・

 名曲ともなると、作者だけではなく「みんなのもの」。真実は、あまり大きな声で言わない方がいいかも知れない。

         *

 確かに、創造には、想像を絶する「重み」がある。
 しかし、時には想像を絶する「軽さ」から生まれることもあるわけだ。

 そもそも「作曲する=楽譜を書く」というだけの作業に、さほど時間はかからない。16小節のヒット曲など、思い付けば5分もあれば楽譜に書ける。

Dsak またハチャトリアンがらみだが、ソヴィエトの国歌を作るとき、当時の二大作曲家ハチャトリアンとショスタコーヴィチと合作の案があったそうだ。

 二人で合作した楽譜を提出したところ、党から「後半を少し手直しして欲しい」と要請があった。そして党本部に呼び出されて、「書き直すのにどのくらいかかるか?」と訊ねられた。

 そこでショスタコーヴィチが、「いや、5分もあればこの場でチョチョイと」と答えたところ役人が大激怒。この話ボツになったそうだ。「国歌とあろうものを、5分で簡単に書き直せるとは何事かッ」というわけである。
 ハチャトリアンは「一月ほどじっくり熟慮させていただきます…とでも言えばよかった」とぼやいたとかぼやかなかったとか。

 確かに、100年歌い継がれる曲だからと言って、作るのに100年かかるわけではない。でも「5分でチョチョイと」と言われたら「夢が壊れる」というのも分からないではない。

 むかし、私がモーツァルトを嫌いだったのは、彼が「序曲をたった一晩で書いた」とか「交響曲をたった2週間で書いた」という、いわゆる天才話をさんざん聞かされたからだ。「なんて軽い奴なんだろう」と思ったわけである。
 やはり交響曲ともなれば、ベートーヴェンやブラームスのように「構想から完成まで20年」とか言う方が「重み」があるではないか。

 でも、無駄な回り道ゼロで有効な音符だけ書くとすれば、モーツァルト級の交響曲なら最速2週間もあれば書ける。オペラも一月弱といったところだろう。

 私にも、構想から完成まで10年近くかけた曲があるが、それは10年間延々書き続けていたわけではない。納得がいかずに楽譜棚にしまい込み、しばらくしてまた引っ張り出して書き直し、それでも納得いかずにしまい込み・・・ということをやっているうちに10年の年月が(無駄に)たってしまった…というのが正確なところだ。

 その大部分の時間は「ああでもない・こうでもない」と書き直し悩み倒している時間であり、実際に頭に降りてきた「音楽」を紡ぐ時間は・・・もしかしたら「ほんの一瞬」と言ってもいいのかも知れない。
 だから、作曲家にとって、「その曲」が人生に占めた時間、母胎にとどまった時間は、ほんの5分なりほんの数日という短い間であることが多そうだ。

          *

 それでも、それがひとたび「名曲」として繰り返し繰り返し演奏されるようになると、その曲は、演奏したり歌う人…そして、それを聴く人の人生の何年何十年という時間を支配する。

Holmeb 先のホームズの話で言うなら、おそらく作家ドイルが「ジョンだったかジェイムスだったか」不確かなまま、さらさらとワトソン夫妻の会話を思い付いた期間が、まあ、5分ほど。

 ところが、それをシャーロッキアンたちは何度も何度も繰り返し読み続け、世界中で何万人何億人という読者が数十年間(かれこれ120年以上)にわたり、ああでもないこうでもないと考え続け、作者の没後ついに(作者にも気付かなかった)「ジェイムス」と呼んだ真意を探り当ててしまったわけだ。

 オペラやバレエにしても・・・それはもちろん台本作者や作曲家が数ヶ月をかけて苦労のすえ作り上げたものだが・・・名作に昇華したものは、それこそダンサーたち歌手たちは何百回となく踊り歌い演じてる。
 ということは、「作品に接した時間」ということになると、それこそ作家より長い。もしかしたら作った当人たちよりその世界が血肉になっていることだってありそうだ。

 私も時々、自分の曲について、「吉松サンは何ヶ月かかけて作曲したかも知れないけど、こっちは何百回と弾いてるんだから、私の方がこの曲については詳しいですよ」と言われて「なるほど」と苦笑してしまうことがある。

 親として子供を産んでも、その子供のことを何もかも知っているわけでない。往々にして、生んだ親よりも「友だち」や「結婚相手」や「仕事仲間」の方が付き合う時間も遙かに長く、その人となりを知っている。
 それに似ているだろうか。

 そんなわけで「曲について(作曲家より)詳しいのは私」という人がいても不思議ではないのかも知れない、と最近では思い始めている。
 
 創造は「重い」。
 でも、果てしなく「軽い」。

 羽毛より「軽い」のも人の命。
 なのに、地球より「重い」のも人の命。

 創造の軽さ、創造の重さは、人の存在そのものと似ているということか。

       *

Bolshoi

ボリショイ・バレエ
 2012年1月31日〜2月9日
 指揮:パーヴェル・ソローキン
 ボリショイ劇場管弦楽団
 芸術監督:セルゲイ・フィーリン
 全公演:東京文化会館

スパルタクス(ハチャトリアン)
・1月31日(火)18:30
・2月1日(水)18:30
・2月2日(木)18:30

白鳥の湖(チャイコフスキー)
・2月4日(土)14:00
・2月9日(木)13:00
・2月9日(木)18:30

ライモンダ(グラズノフ)
・2月7日(火)14:00
・2月8日(水)13:00

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2011/10/10

歌・うた・UTA

Utad 来年のNHK大河ドラマ(平清盛)の音楽を担当することになり平安時代の音楽について調べるうち、興味深い話に出会った。日本語の「歌(うた)」というのは「打つ」が語源ではないか…という説だ。

 打つ…はリズムなのだから、歌(メロディ)とは違うんじゃないのか?という疑問もごもっとも。私も、最初にこの説を聞いたときはそう思った。

 私たちが普通に考える「歌」は、「メロディ」あるいは「旋律」のこと。起源はギリシャ語の「メロディア(Melodia)」で、これは〈声に抑揚を付けること〉を意味したというから、これははっきり音楽の三要素たる〈メロディ〉のイメージである。

 一方、我が国の「うた」は、「歌」「唄」「詩」とも表記され、作曲されたメロディと同時に、その歌詞の方をも意味し、その境界線が曖昧な感じがする。

 なぜだろう?

 ■歌を詠む

Manyo その辺りを探るために、まず、この「うた」を含む日本語(日本古来のことば)「やまとことば」が確立した時代に遡ってみよう。そう、奈良時代ころである。

 その頃は、まだ「うた」という言葉が誕生していない時代ということになるが、もちろん、唄や音楽がなかったわけではないし、なかったはずもない。

 つまり、それ以前にも「音楽」を指すことばはあったわけで、楽器や歌などの響きや旋律にあたるものは「調べ」、雅楽や祭りの合奏音楽のようなものは「楽」と呼ばれていたようだ。

 しかし、この時代「歌」と言ったら、それはまず「和歌」を指した。

 日本初の和歌は、素戔嗚尊(スサノオのみこと)が歌った・・・

 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに
  八重垣作る その八重垣を.

 ・・・なのだそうだが、この歌が登場する「古事記」(712)の後、「漢詩」に対する日本語による詩「倭詩」「倭歌」が盛んに作られ「歌われ」るようになるようになる。それが「万葉集」(759頃?)に残る歌の数々。例えば・・・

 春過ぎて 夏来るらし白妙の
  衣乾したり 天の香具山

 あかねさす 紫野行き標野行き
  野守は見ずや 君が袖振る

 こういう和歌を作る…ことばを編む…ことを「詠む」という。〈歌詠み〉と言ったら、こうした和歌を作ること。あるいは、和歌を作るのがうまい人のこと。

 いわゆる音楽的にメロディを歌う「歌」を作ること(作曲)と、五七五のことばを紡ぐ「歌」を作ること(作詞)は違う気もするが、当時はほぼ同義だったようだ。
 というのも、今でこそ「本を読む」というのは、黙って目で字を追う…つまり「黙読」が基本だが、それは本当に最近(近代になってから)のこと。
 それまで文字は「声に出して詠む」のが基本。書かれた「歌」はすなわち、声に出して「詠まれる(歌われる)」ものだったからだ。

 余談だが、同じ「よむ」でも、《読む》の方は、言葉だけでなく「数」を数えることも含む。
 例えば「日を読む」。これが「日(か)読み」となり「こよみ」(暦)となったのが良い例。あるいは、サバを読む(数をごまかす)などもそうだ。閑話休題。

 ■歌う・詠う

Haru その「歌」の詠み方だが、今でも正月の宮中歌会始などで行われている雅びな歌い方を想像していただくといいだろうか。
 普通に話すテンポですらすら読むのではなく、言葉の一つ一つを噛みしめられるように一音を引き伸ばし、それに抑揚をつけて「歌い上げる」。

上の句で言えば、
♪は〜る〜す〜ぎ〜て〜〜〜〜
 な〜つ〜き〜た〜る〜ら〜し〜〜〜
 し〜ろ〜た〜え〜の〜〜〜〜

 というように、母音を長く引き伸ばして吟ずる。(良い声の読み手は、その「声」が聞かせどころ。ほとんど「歌」と同じである)

 現代の感覚では、五七五七七…のひとつの句を詠むのに、すらすらと詠めばほぼ数十秒。どんなにゆっくり引き延ばして歌っても1分はかからない。

 しかし、伝承されている古謡の唄い方などを聞いていると、は〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜る…という感じで一息を延々と歌い上げる。さらに、興が乗ると、〈あ〜〉の一音に何度も何度も息継ぎをして〈情感を込める〉から、五七五七七…の一句でも読み上げるのに何分もかかる物凄い大作になる。

(とは言え、現代でも、ポップスの「歌」の長さは短くて2分台から長くて5分くらい。一つの歌の世界にそのくらいの「時」を要するのは別に不思議でも何でもないわけだ)

 何しろ、ことばが「春(はる)」なら、そこに「春」の気持ち・・・のどかだったり、華やいでいたり、楽しかったりする心・・・をたっぷり歌い込む。
 単語としての「は・る」だけでは終わらせたくない情感や怨念のようなものがそこには加わり、ひと言にどんな感情をどれほど含ませるかが重要になる。いわゆる「言霊(ことだま)」の世界である。

 当然ながら、一本調子の「棒読み」では言霊は伝わらない。
 声のピッチを上下させ、抑揚を付け、語尾を上げたり下げたりする。声を細かくふるわせて、心のデリケートな震えを表現したり、あるいは朗々と響かせることで雄大な景色を表現したり、突然息継ぎを入れて緊張感を加えたり、いろいろな「テクニック」が駆使されたであろうことは想像に難くない。

 考えてみれば、それは、まさに「メロディ」そのものだ。
 歌を詠むこと(作詞)、それはすなわち旋律を作ること(作曲)だったわけである。

 当時、どのくらいのテンポ感で歌われていたのか、その頃の録音が存在するわけもないので想像するしかないが、時間だけはたっぷりあった古代のこと。ひとつの歌を歌うのに何十分(あるいは1時間以上?)というのもあったかも知れない。

 読み手にすれば、五七五の一句でも渾身の作品。時には、夜を明かしてひとつの句を延々と吟じ、その世界にどっぷり浸る…というようなこともあったのではなかろうか。

 ■打つ・合いの手

Utaa となれば、この言霊の入った入魂の「あ〜〜〜〜〜〜」を、聴き手が黙って聞いているはずもない。感極まれば、言葉の合間・・・文章の句読点、あるいは「息継ぎ」の場所に当たるような位置に感嘆の「手拍子」を打ったのではなかろうか。例えば・・・

♪ は〜る〜す〜ぎ〜て〜〜〜〜(チョン)
 な〜つ〜き〜た〜る〜ら〜し〜〜〜(チョンチョン)
 し〜ろ〜た〜え〜の〜〜〜〜(チョンチョンチョン)

 (これは、あくまでも筆者の想像です。念のため)

 民謡などで言う「合いの手」と同じ発想だが、西洋のオペラで言うレチタティーヴォ(朗唱)にチェンバロが和音を差し込む間合いにも似ている。
 それは、言葉における「句読点」と思えば分かりやすい。長い文章の流れの中に「句点」を打ち込むことで、言葉の区切りが明瞭になると同時に、リズミカルになるわけだ。

 余談だが、この「合いの手」というのは後世の言葉(邦楽での用語)。「あい」は「合間(あいま)」のことで、「手」は「調べ(しらべ)」旋律や抑揚のこと。
 合いの手と言うくらいだから、一人で吟じながら手を打つと言うより、聞いている周りの人間が、調子を付けるために打つのが基本だ。

 そして、その一番シンプルなものが「手拍子」。
 屋外で自然を愛でながら誰かが歌を詠めば、興に感じてだれかが合いの手に「手拍子」を入れる。そういった慣習が「歌」を詠む時に自然発生的に生まれたわけだ。

 ■うたげ

 かくして、誰かが「歌」を詠み、それに合わせて聞き手が手拍子を「打つ」文化が、やまとことばで「自然」や「恋心」を詠じる世界に広がってゆく。

 そのうち、「打つ」ものも「手」だけではなくなる。屋外で、手に持つものが何もない場合は「手拍子」だけだが、室内でも行われる時は、いろいろな「もの」があるからだ。
 膝を叩く者もいただろうし、床を叩いてもいい。立ち上がって足を踏みならすのもありかも知れない。(指ぱっちんがあったかどうかは不明だが・・・)

Shaku さらに、興が乗れば、貴族なら持っている笏(しゃく・聖徳太子が手に持っている板のようなもの)を打ったり、あるいは「鼓(つづみ)」を叩いたり、何か鐘のようなものを叩いたりするようになる。
 いわゆる「打ち物」(打楽器)の登場である。

 というわけで、「歌を詠う会」は、やがてみんなで集まって(酒など飲み交わしながら)騒ぐ会となる。そこでは「和歌」を詠みながら、みんなが手拍子や打ち物を「打つ」、メロディとリズムに満ちた古代のコンサート(あるいはカラオケ?)になったわけである。

 これが「打たげ」=「宴」。

 現代でも、ひと仕事が終わってみんなで労をねぎらいながら騒ぐことを「打ち上げ」というが、これも「しゃんしゃん」と手を叩いたり、鳴り物を叩いたりして騒ぐことから来ていると思われる。

(ちなみに、「宴」という字の方は、「うかんむり」すなわち「室内(屋根のある建物の下)」で「安らぐ」という意味を持っているそうだ)

 そして、ここでようやく、最初の「うたの起源」に話が到達する。すなわち・・・

 この「宴(うたげ)」の時に詠われるような〈声の遊び〉を「うた」と呼んだ。

 つまり、日本語の「うた」というのは、「ことば」と「リズム」と「メロディ」が統合される際に生まれた…まさしく「音楽の誕生」を記述した言葉ということになる。

 ■うたとメロディ

Maria この我が国における「うた」の生まれ方、現代に当てはめてみると、ギターを掻き鳴らして「ことば」にメロディを付ける過程を思い起こさせて、興味深い。

 歌詞となる「ことば」に抑揚(イントネーション)を付け、句読点に当たる部分に「合いの手」(区切り)を入れる。
 そして、それを4分の4の拍の中に配置し「ハーモニー進行」を付ける。これは、そのまま歌の「作曲」のやり方だ。

 万葉集が例だと「和風」から逃れられないので、例えば「アヴェ・マリア(Ave Maria)」という言葉を使ってみようか。

 ♪ア〜〜〜/ヴェ〜〜マ/リ〜〜ィ/ア〜〜〜
 (これはグノー)

 ♪ア〜〜ヴェ・マ/リ〜〜〜ィ/ア〜〜〜〜
 (シューベルトだと、こう。)

 ことばが西洋語(?)というだけで、同じ「あ〜〜〜」と吟じてもいきなり西洋クラシック音楽の世界になる。最初の「ア〜〜〜〜」のロングトーンの中に聖母マリアの美しさや清浄さが「言霊」として組み込まれているのも、和歌の世界と同じだ。

 そう考えると、「歌」というのはまさしく「ことば」があってこそ生まれた…と言うべきだろう。

 もちろん「ことば」が生まれるより前から、リズムとメロディで遊ぶ「音楽」は人類の中にあった。(そのあたりについては、既にあちこちで雑感を重ねているのでここでは省略する)
 しかし、ことばと出会ってメロディは初めて「歌」になった。
 音楽の中の幾つかの要素が「ことば」と強力に融合して「歌」というものに進化したと言うべきだろうか。

 そして、ことばと化学反応を起こした「歌」が、その後、どんなに目覚ましい進化を果たし、人間の文化の中でどんなに素晴らしい豊穣な世界を作ったか。

 そして、言葉と融合した「歌」が人類の歴史の中でどれほどの数、作られ、歌われ、伝えられ、愛されてきたか。

 それを思うと、心が震える思いがする。

 さて、大和の人々が「あ〜〜〜〜」の一音に言霊を託し、西洋の人々が「A〜〜〜ve Mari〜〜〜a」の響きに信仰を託した心に思いを馳せながら、今日も人類の至宝「歌」を愛でるとしようか。

         *

Flyer■ドレスデン国立歌劇場室内管弦楽団
&森 麻季 クリスマス名曲コンサート
2011年12月2日(金)19:00開演 
・東京オペラシティコンサートホール

指揮:ヘルムート・ブラニー
ドレスデン国立歌劇場室内管弦楽団
ソプラノ:森 麻季

バッハ / グノー:アヴェ・マリア
マスカーニ:アヴェ・マリア
バッハ:G線上のアリア
ヘンデル:オンブラ マイフ
ヘンデル:涙の流れるままに
パッヘルベル:カノン
久石譲: NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」 第2部メインテーマ “Stand Alone”
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モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲

 付記:今回のドレスデン国立歌劇場室内管弦楽団の来日公演では、伊那と鹿児島の2公演で私が舘野泉さんのために書いた左手のためのピアノ協奏曲「ケフェウス・ノート」が再演される。

 この曲は、2007年にドレスデン国立歌劇場室内管弦楽団の来日公演で初演された曲で、オリジナル版はこのオーケストラの編成〈オーボエ2、ファゴット1、ホルン2、弦楽〉に合わせて書かれている。

 その後、通常2管編成オーケストラ用の「改訂版」が作られ、現在はその版で演奏されることが多いが、今回は初演の時と同じオリジナル版での演奏になる。

 □2011年12月1日(木)伊那文化会館
 □2011年12月7日(水)宝山ホール(鹿児島文化センター)
 吉松隆:左手のためのピアノ協奏曲「ケフェウス・ノート」
 ピアノ:舘野泉

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2011/09/10

人と単位と音楽と

Music_2 人間の文明というのは、「人のかたち」をしている。

 例えば、西洋で古くから使われている長さの単位「フィート(約30センチ)」は、人の足(Foot)の大きさ(つま先からかかとまで)が基準だと言うのは、御存知の方も多いだろう。
 
Foot 東洋の「尺」も、元々は(尺取り虫というのがいるように)指を広げた時の親指から中指の長さから来ていて、昔は18cmくらいだった。
 だから、漢字の「尺」という字も、親指と中指を広げた形からきている。

 これはその後、時代や国によって変化し、日本で使う「尺」は約30.3cm。これは、ほぼ人間の腕の長さ(肘から手首までの尺骨の長さ)で、1尺=10寸。「尺八」と言ったら「一尺八寸」=約60cmということになる。
 ただし、地域あるいは職業などによって(高麗尺、曲尺、鯨尺など)尺の長さは微妙に違うのは御存知の通り。

 面白いのは重さの単位で、「ポンド」(約450g)は、人が一日に食べる麦の量から決められたのだそうだ。
 麦1粒の重さが1グレーンで、麦7000粒が1ポンド。この1ポンドの大麦から作られた粉で焼いたパンが、人が一日に食べる主食の量。つまり、10ポンドの麦と言えば、1人で10日、2人なら5日食べられる量ということになる。

1go 米食文化の日本でも、同じような単位がある。
 一合(ごう)というのが、大人が一回に食べるお米の量。体積としては約180mlでお米なら約150gほど。10合が1升、10升が1斗、そして10斗を一石という。(ちなみに、米俵の一俵は4斗。約60kg)

 ということは、一合のお米を一日3食一年間食べると約1000食になるので、1000合=100升=10斗=一石。つまり「一石(いっこく)」というのは、「大人が一年に食べる米の量」ということになる。

 戦国大名で「一万石」と言ったら、一万人の人間が食べられる量の米を生産する領地を持ち、それに見合うような兵力を持った家柄ということ。「百万石」と言ったら、百万人の人間を扶養できる裕福な土地と強大な兵力を持った大名ということになるから(まあ、どこまで正確な数字かは分からないが)、相当強大な大名と言うことになる。

 さらに、その一石の米を生産できる広さの土地が「一反(たん)」。これは300坪に当たる。(ちなみに、布のサイズ「一反」は、着物一着分の意)
 一年分の300分の1は一日分なので、一坪(つぼ)というのは、人間が食べる一日分の米を収穫できる広さの土地のことになる。

 日本は、いろいろなことが「お米」を基準で出来ている国なのである。

             *

◇音の基準と音階

440hz 音楽も同じで、今は「ラ(A)」の音を440Hzとして基準音にしているが、むかしは「音の高さ」も「音階」も、それを科学的に計測する道具はなかった。
 さて、そんなとき「基準の音」を決めるのにどうしたのだろう?
 
 そう。基準は「人間の身体」で作るしかない。そこで決まったのが、「普通の人が出せる一番低い音」…という基準だった。(もちろん昔々の話なので、女性や子供ではなく「声変わりした後の成人男性」が基準である。念のため)

 高い音というのは訓練次第でより高くまで出せるが、最低音というのは体長やノドの長さに因ってあまり変化しない。

 この時の基準音が「低いソの音」だったようなのだ。
 身長の高い人や体格のいい人はもっと低くまで出るが、成人男性…合唱だと「バリトン」に当たる…が出せる最低音がこの「低いソ」。
 何人かが集まって「一番低い音」を「おお〜〜」と出し、「この音を基準にしよう」ということになったのだろう。この「最低音」を「γ(ガンマ)」と呼ぶようになった。

Gamma やがて、その「γ」を基準にして、その上の音を「A」とし、そこから「A・B・C・D・E・F・G」とアルファベットを振った。これが(諸説あるものの)「音階」の始まり(らしい)。

 ちなみに、現代の合唱では、もっとも低い音を担当するバスは、「低いミ」まで出す。普通の合唱ではほぼこれが最低音になる。
 余談だが、コントラバスもギターも(オクターヴは違うが)最低音は「ミ」。これは男性の最低音域と関係ありそうだ。

Do_2 しかし、例えばロシアの合唱ものはさらに低い「ド」を普通に出す。しかも、単に低音を出すだけでなく、このドを太いベースの響きにして、その上に分厚いハーモニーが乗る。まさに重厚。これがとてつもなく気持ちいい。

 個人的なこの低いドの初体験は、ショスタコーヴィチのオラトリオ「森の歌」。ラフマニノフの無伴奏合唱の「晩祷」でも朗々とバスのドが地響きのように鳴り渡る。体格や文化の差もあるのだろうが、何か別の世界に引き込まれるようなズーンと腹に共振する大地の響きの感じがする。

         *

◇合唱の音世界

Photo 西洋のハーモニーは、低音の基音の上に「倍音」が積み重なってゆくのが基本。特に「自然倍音」と呼ばれる基音の振動数の整数比を持った倍音(簡単にいうとドミソ)が「ハモる」響きとされる。

 これは、洞窟文化によるものだと、私は勝手に想像している。オープンな屋外のスペースでは、声の中に自然倍音が聞こえることはあまりないが、洞窟や教会のような残響(いわゆるお風呂場エコー) たっぷりの空間では、文字通り「自然」に聞こえてくるからだ。

 結果、洞窟にエコーする自然倍音の響きが、最も調和した響きとして脳に刷り込まれ、(さらにキリスト教の美学が加わり)それを最大限引き出すべく「五線譜」や「対位法」そして「和声法」などの「音楽文化」が進化して行ったわけだ。

A 当然ながら、そう言った教会での音楽文化で育った西洋人の声は、倍音を多く含んでハーモニーに適している声質をしている。と言うより、自然倍音を綺麗に含んだ声を持つ人が「いい声」とされ、さらなる訓練で洗練されて行ったということなのだろう。

 一方、東洋の音楽には西洋音楽で言うような(自然倍音から派生した)ハーモニーはない。日本人が西洋的なハーモニーを初めて耳にしたのは明治になってから。初めてドミソのハーモニーを聞いた日本人はあまりの異様な響きに仰天したそうだが、さもありなん。何よりドミソの「ミ」の音が不可解だったらしい。

 しかし、それは東洋にハーモニーのシステムがないと言うことではない。西洋は「自然倍音」を美しいと感じる感性の上に築かれた音楽文化だが、東洋は逆。自然倍音は美しくないという感性の上に築かれた音楽文化である。これが根本的に違うわけなのだ。

Cd02 西洋では、ものの形や建築物でも、左右対称だったり綺麗な円形だったり幾何学的に調和が取れた形を「美しい」と感じる。

 一方、東洋、特に江戸時代以降の日本では逆だ。過度のシンメトリーはむしろ「異様」と感じ、幾何学的数学的な調和を壊すことの方が「美」とされる。ワビサビの世界などはその極致だ。

 音楽も同じで、西洋ではより豊かな自然倍音を含む音を「楽音」と呼び、そうでない音は「雑音」扱いになる。しかし、日本では、例えば尺八にしろ笛にしろ、美しい音は自然倍音から外れた個性的な倍音を持つ。

 純音に近い楽音というのは、むしろ最も避けるべき音であり、尺八ではムライキ、笛ではヒシギと呼ばれるノイズ音が重要な演奏法であり、三味線や琵琶にも、弦にサワリと呼ばれるノイズ音を加える構造があって、ビィンと唸る音(つまり「自然でない」倍音)こそ尊ばれる。
 そして能の謡にしても義太夫にしても、西洋風のベルカントとは程遠い「ノイズ成分たっぷり」の歌の方が好まれる。演歌でもコブシと呼ばれる音程から外れた音の揺れに「表情」の深さを聞き取るわけだ。

Siro そのため、明治時代に初めて日本の音楽を聞いた西洋人は「悪魔の響き」だの「非音楽的」だのと感じたそうだ。
 ヨーロッパの常識では、自然倍音こそ「美」であり「調和」であり、それを崩す者(不協和音)は「悪魔」だったのだから仕方のないことだったのだろう。

 しかし、同じヨーロッパでも、ちょっと東にゆくと、独特の東洋音階を好むハンガリーや、地声ハーモニーのブルガリアンヴォイス、独特のペーソスを含んだ短調(マイナーコード)の響きを好むロシアと、かなり「異教」の世界が聞ける。

 これは、洞窟にこもって自然倍音を聞いた「洞窟文明」ではなく、屋外での音楽を主にする「アウトドア文明?」の特徴だろうか。

 ここでは「ドミソ」の長調が醸し出す能天気な明るさはむしろ不自然。短3度の和音が短調の世界で鳴り響き、2度や7度の(自然倍音のハーモニーの中では)不協和音とされる響きが、独特の「泣かせる」ハーモニーを醸し出す。日本人にとっては、こちらの方がしっくり来るはずだ。

 この「インドア派=西洋」「アウトドア派=東洋」の境がどの辺りか探るのも、面白いかもしれない。無理やり分別するなら、長調こそがハモっていると感じるのが西洋的、短調のほうがハモってると感じるのが東洋的、と言うことにでもなるだろうか。

          *

Cd03 ロシアの合唱は、その西洋と東洋の狭間に響く魅力的な音楽世界だ。

 同じキリスト教の無伴奏聖歌でも、例えば純西洋的なカトリック系聖歌やグレゴリオ聖歌の響きと、東方教会・ギリシャ正教やロシア正教の響きはかなり違う。
 当然ながら、西洋クラシック音楽の規範となっているモンテヴェルディやバッハなどのハーモニーの感触と、チャイコフスキーやラフマニノフの合唱の感触もかなり違う。

 純粋に西洋キリスト教音楽のハーモニーが染み込んでいる人には「異端」の香りがするのかも知れないが、我々日本人にとっては、ちょっとペーソスのある異端の響きこそ、むしろ「心の歌」に聞こえる。

 日本では、キリスト教も(戦後のアメリカ文化侵入以前は)ロシア正教から伝えられたものが少なくないそうだし、戦後のロシア民謡ブームも(色々な背景はあるにしろ)非西洋的な響きへの親近感あってのこと。それも含めて「日本人の感性」をくすぐるのだろうか。

 そのあたりを無理やりこじつけて考えると、そもそも日本民族自体が人類の起源であるアフリカから広大なユーラシア大陸を横断して日本列島にたどり着いた種族。それなら、北回り組はロシアを経由しているか、あるいは彼らと音楽遺伝子を共有しているはず。

 つまり、我らが日本民族は、アフリカからヨーロッパを経てアジアを経由してきた音楽の記憶全てを記憶の底に含んでいることになる。

 一方、西洋クラシック音楽はその「東」の記憶がない。(東に行かなかった人だけが、西にとどまっているのだから)。ということは、純粋なヨーロッパの人たちには、もしかしたらこの魂を揺さぶるような「非自然」倍音の感覚はわからないのかも知れない。

 そう思うと、バッハやモーツァルトのハーモニーにも心打たれ、異教徒の賛美歌や民謡の響きにも感動し、さらに尺八や義太夫の唸りにも心動かされ、そして現代のハーモニーにも共感できる「多様性のある」感性こそ、東の果て日本に生まれた我々の最も貴重な「能力」であり、音楽的財産と言えるかも知れないと思えてくるのである。

              *

 ■国立モスクワ合唱団・・・・・・

Flyer ラフマニノフ「晩梼」より
 カンチエリ「アマオ・オミー(無意味な戦争)」ほか
 □2011年11月17日(木)19:00 東京オペラシティコンサートホール

 懐かしのロシア民謡
 □2011年11月23日(水祝)14:00 東京オペラシティコンサートホール

「晩祷」は、ロシア正教で夜を徹して行われる儀式のための音楽で、ラフマニノフのこの曲は無伴奏混声合唱のための作品。チャイコフスキーも同じテーマで書いているので、ロシアの作曲家としては馴染みのもの。
 拍子にとらわれず自由に流れるような旋律は、聖歌でありながらエスニックミュージックのようでもある。

 徹夜で行われる儀式の音楽のため「徹夜祷」などとも訳されるが、全15曲で演奏時間は50分ほど。
 初演は1915年で、非常に好評を博し名曲と称えられたが、残念ながらソヴィエト連邦の時代になり、無神論を規範とする社会主義国家の中では宗教的な題材の音楽は演奏されず、長い間、この曲は「幻の名曲」として忘れ去られていた。

 しかし、ラフマニノフはこの曲を非常に気に入っていて、自分が死んだら葬儀にはこの中の一曲を流して欲しいと生前語っていたほどなのだそうだ。確かに、この夢見るようなハーモニーの中で天国に行けたら…と激しく同意してしまうほどの美しさだ。

Kancheli グルジアの作曲家カンチエリは、現代音楽に「調性」が戻って来た90年代あたりから注目を受け始めた作曲家。

 グルジアは英語読みではジョージア(Georgia)。黒海の東に位置し、隣国はトルコやアルメニア、アゼルバイジャン。アルメニア出身のハチャトリアン同様、日本人好みの「東」の香りがする作曲家である。
 彼はもともとグルジアでは劇や映画の音楽を書きかなりポピュラー界でも知られた人らしく、現代的な響きの中にも「万感胸に迫るメロディ」が忍び込む絶妙のバランスが魅力だ。

 今回演奏される「アマオ・オミ」は、2005年に書かれ、既にCD(Kancheli/Little lmber:ECM)でも発表されている曲。タイトルはグルジア語で「無意味な戦争」というような意味。サクフォン4本と混声合唱とが静かなハーモニーを紡いでゆく気が遠くなるほど美しい作品だ。

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2011/08/10

夏休み特集2〈クラシック音楽:最初の一枚〉

Composersg むかし、行きつけのレコード店で(つまり、まだLPレコード盤が主流だった頃)、面白い光景に出くわしたことがある。

 高校生くらいの男の子が一人、クラシック音楽コーナーのレコード棚をあちこちぐるぐると歩き回った挙げ句、店員にいきなりこう相談を持ちかけたのだ。
「すみません。〈これ1枚持っていたらクラシック通の顔が出来る!〉みたいなレコードありませんか?」

 店員が「どういうことですか?」と聞くと、少年いわく…
 クラスの女の子で、クラシックに興味を持っている子が一人いて、何かの拍子に「ぼくも実はクラシック音楽が好きなんだ」と言ってしまった。でも、実際はクラシック音楽なんて聴いたこともない。
 しかも、調子に乗って「今度、お勧めのレコードを貸してあげるよ」と言ってしまった。
 さて、どうしたらいいだろう?とレコード店にやって来てあちこち探し回たが、どれを選んだらいいか分からず、考えあぐねて店員に声をかけ、件の質問になった…ということらしい。

 いや、思わず笑ってしまった。
 と同時に、こんな面白い話に乗らないわけにはいかない、という余計なお世話心も加わって、顔なじみの店員さんと一緒に、彼氏にふさわしい一枚を提案するディスカッションに参加することになった。

■ クラシック・ベスト of ベスト

Karajanu ちなみに、私が、中学3年の時に最初に買ったクラシックのレコードは「運命」と「未完成」のカップリング盤だった。まあ、これは定番中の定番なのか、かの店員さんが真っ先に並べた数枚の中にもこれがあった。

 でも、「女の子に「運命」「未完成」でもないかなあ」とちょっと自信なさげ。私がそれに追い打ちをかけて、「運命・未完成って、いかにもクラシック入門の感じがして、〈通〉の顔が出来る…というのとは違いますよね」と言い、却下。同じ理由で、名曲過ぎる「新世界から」や「田園」も残念ながら却下されてしまった。

 続いて、ショパンのピアノ名曲集。「これは、女の子向けとしては良い選択かも知れないですね〜」と店員さん自信ありげ。
 確かに、ノクターンや子犬のワルツや革命のエチュードなどなど、学校の音楽室で美少女がピアノを弾いているシーンに一番似合うのはこのあたりだろう。

「でも、クラシック好き…という女の子ならこれは持ってるでしょうし。そもそもその女の子がクラシック好きになったのってショパンからのような気がぷんぷんしますよね」と私。「いや、持っていたとしたら余計、〈あ、これキミも好きなの? ボクもだよ!〉という会話に発展するかも…」と店員さん。なるほど。というわけで、これは候補の一枚に。

 次にモーツァルト。イメージとしては悪くないのだが、「この一曲」あるいは「この一枚」と絞れる曲となると意外と難しい。それに(私もそうだったのだが)初心者にとっては「あまりにも初心者向け」に聞こえるのだ、モーツァルトというのは。
 
 私としては「ピアノ協奏曲なんかいいのでは?」と提案。試しに、23番あたりを聞いてもらったのだが、案の定、彼氏は「きれいだけど、なんだかピアノのお稽古やってるみたいだなあ」とちょっと不満げ。確かに、モーツァルトのこの軽さが理解できるのは、もう少しクラシックを聞き込んでからだろうね。

Vivardi それじゃあ、と店員さんが出してきたのは、LP時代にベストセラー盤だったヴィヴァルディの「四季」(イ・ムジチ盤)。

 これは、いかにも「クラシック(というよりバロック)」という響きだし、入学式や卒業式で流れる定番クラシックで、当時は「一家に一枚」と言われたほどポピュラー。春・夏・秋・冬という構成は日本人向きだし、耳に心地よく、難しくないし、飽きさせない。
 でも、これも「クラシック好きの家庭なら、お父さんが買って持ってるでしょう」という理由から却下。うーん、なかなか難しい。

 入門者向けと断言されてしまった「運命/未完成」「新世界」(とは言っても、音楽の質の高さから言って決して初心者向けではないのだが)以外に、幾分〈通〉っぽいもの…となると、チャイコフスキーの「悲愴」やベルリオーズの「幻想」あたりだろうか。
 音楽の授業で聞く〈クラシック音楽〉とは違った(教育的にはちょっといかがなものか…的な)妖しい世界が、ちょっとマニア好み。

 でも、高校生の彼氏とクラシック好きの彼女の間で、恋人を殺して断頭台に登る男が見た夢を描いた交響曲(幻想)とか、絶望と諦観の間で揺れ動き最後は死を暗示する交響曲(悲愴)というのは、さすがにいまいちお勧め切れない点が・・・

 ベートーヴェンの「第9」は、フルトヴェングラー指揮(バイロイト祝祭管)の「第9」なんかが最初の一枚でお勧めしたい定番の歴史的名盤だが、モノラルなのが初心者に勧めるのにちょっと躊躇するところ。これも、少しクラシックを聞き込んでからの方がいいのかも。

No7b と、このあたりまで来て、むかし高校の時、隣のクラスに〈クラシック通〉の変わった男がいたことを思い出した。

 私がクラシック初心者と見て取ると、いきなり「きみはベートーヴェンの交響曲の中で何番が好き?」と言う。それが彼との最初の会話だった。(やはり、変わった男だ)
 私が「それは、や、やっぱり〈運命〉かなあ」と答えると、彼は、ふふと軽く笑って「ぼくは〈7番〉だね」とひと言。(某テレビ番組の影響で〈7番〉がヒットする40年以上前の話である。念のため)

 私が「どんなところが?」と聞くと、「7番って言うのが一番〈通〉っぽい答えじゃない?」と言う。悔しいが、斜に構えたインテリ文士のような名回答だ。

 まあ、今なら小学生でも〈7番〉と言いそうだから、逆に〈4番〉あたりが通っぽいかも知れない。私は彼の話を聞いた後からは「第8番」ということにした(笑)。
(そう言えば、ベートーヴェンも、第9を書く前に〈先生は今まで書いた交響曲のうちどれが気に入ってますか?〉と聞かれて〈第8番〉と答えたらしいが、これは書き上げたばかりの最新作に一番思い入れがあったということなのだろう)

 この伝で、ショスタコーヴィチの交響曲なら「第5番」ではなく〈4番〉や〈8番〉、マーラーなら「巨人」でも「復活」でもなく〈第7番〉や〈第10番〉。ワグナーの楽劇なら〈パルジファル〉あたりを挙げるとインテリ文士っぽい。

 でも、さすがに初心者にそこまでは無理、というわけで「ちょっと視点を変えてコンチェルトなんかどうかな?」と引っ張り出したのが、ショパン、メンデルスゾーン、チャイコフスキー、ラフマニノフらのコンチェルト色々。

 ショパンのピアノ協奏曲(ホ短調)は音楽もロマンチックだし、確か女性のために書いたんじゃなかったかな。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲も冒頭から引き込まれる哀愁極まる名旋律がいい。ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番も、映画音楽に使われたほどの美麗な音楽。個人的にはシューマンのピアノ協奏曲なんか素敵だなあ。
 …と並べていったが、逆にちょっと沢山ありすぎて1枚に絞りきれないのが微妙なところ。

Solti そのうち「若い子ならロックなんか好きなはずだから、ストラヴィンスキーなんかどうでしょうかね?春の祭典とか」という話になって、サワリを聞いてもらうことになった。

 かくしてレコード売り場に〈春の兆し〉と〈生け贄の踊り〉が響き渡ったが、彼氏いわく、「音がでかいのは分かったけど、音楽は何だかよく分かりません」とのこと。あっ、そう。ビッグバンドジャズ風のサウンドはともかく、変拍子がね〜。

 じゃあ、変拍子がもう少し穏やかなホルストの「惑星」なんかどうかしらん?と、冒頭の「火星」を聞いてもらう。(この曲、この頃はまだ一部のマニアにしか知られていなかった。念のため)これは「おおッ、なんだかカッコいいですねッ」と好評。これは、なんとか候補の一枚に。

 そのうち「そもそも〈通ぶる〉…んだったら、普通のクラシック愛好家レヴェルの人が聞いたことのないようなマニアックな曲を聴かせるって言うのもアリですよね」という話になり、店員さんと私でマイナー曲合戦が始まった。

 私は「ショスタコーヴィチの14番」「ベルクのヴァイオリン協奏曲」「ディーリアスの夏の歌」…。店員さんは「モンテヴェルディのオルフェオ」「ブルックナーの交響曲第8番の初稿!」「スヴィリドフの〈悲愴オラトリオ〉!」とエスカレート。

 最後には「じゃあ、バッハの平均律クラヴィア曲集全巻ッ!」「いやいや、ワーグナーのニーベルングの指輪全曲ッ!」「シュトックハウゼンのグルッペンッ!」…

 …と、延々ああでもないこうでもないと議論を重ねた記憶はあるのだが、肝心の「で、結局、彼が何を買っていったのか」というのが記憶にない。

 いろいろ提案されて逆に混乱して、「また来ます」と言って帰ってしまったような気もする。よかれと思って悪いことをした・・・のだろうか?

 さて、あなたが彼氏に勧めるとしたら何?

■最初の愛聴盤

 というわけで、最後に、私がクラシック超初心者の頃、最初に「愛聴盤」としてレコード棚に収まった数枚をご紹介。

◇シベリウス:交響曲第6番/第7番(カラヤン指揮ベルリン・フィル)

Sibelius67b これは最初の個人的愛聴盤。まだクラシックを本格的に聴き始めて半年ほど、チャイコフスキーの4番5番やベルリオーズの幻想あたりを初めて聴いていた〈クラシック超初心者〉の頃に出会った一枚。

(出会う前までは、なんだか、シベリウスってシベリアに響きが似ていて涼しそう…というくらいの印象しかなく、「フィンランディア」も交響曲第2番も聴いたことすらなかった)

 きっかけは、当時(1968年)カラヤンが〈第4番/トゥオネラの白鳥〉〈第5番/タピオラ〉と続けて新譜で出していたからで、そのトリが〈第6番/第7番〉だった。この3枚ですっかりシベリウスの冷たく神秘的な響きと、カラヤン&ベルリンフィルの超美音の世界に魅せられてしまった。

(後に、この頃カラヤン=ベルリンフィルでヴィオラを弾いておられた土屋邦雄氏と、BS-Hiの番組で対談する機会があり、〈トゥオネラの白鳥〉を録音した時の話などをお聞きすることができた!)

 特に〈第6番〉は、冒頭の冷たく美しいストリングスの響きを聴いた途端、気絶しそうな感動に襲われた。昔から信奉していた宮澤賢治(銀河鉄道の夜)にあまりにも宇宙観が共振する音楽だったこともあったせいか、本当に心の底から震撼し、涙が出るほど身体が震えた。
 その瞬間からシベリウスは私の〈心の師匠〉となり、フィンランドに行き、師の墓に詣でることが最初の〈夢〉になった。

 その後の自分の進む道を決定づけたある意味「聖書」のような一枚であるとともに、ずいぶん後になるまで「人には決して勧めなかった〈私だけの一枚〉」でもある。
(…良い曲は人に勧めたくなるものだが、この曲だけは別。とにかく人に話すのがあまりにも「もったいない」、自分だけの宝物のような気がしたのだ。)

 ◎CDは、カップリングは違うものの、現在でもグラモフォン盤で聴ける。輸入盤ながら4番から7番までの後期交響曲全てが2枚組で収録されているものが、当時録音された交響詩も含まれていてベスト。シベリウスの後期の作品は、その後、フィンランド本家本元の演奏による名盤も増えてきたが、6番7番の無国籍で宇宙的な響きの世界は、この時代のベルリンフィルの冷たい弦の響きが最高の肌触りだ。

◇日本の現代音楽選

Texturesd これは、日本の現代音楽に接した最初の一枚。LPの当時、正確には何というレコードタイトルだったか思い出せないのだが、武満徹「テクスチュアズ」、三善晃「管弦楽のための協奏曲」、黛敏郎「曼荼羅交響曲」がカップリングされた1965年頃のアルバムである(日本コロムビア:岩城宏之指揮NHK交響楽団)。  

 中でも武満さんの「テクスチュアズ」(1964)には、生涯消えない衝撃を与えられた。弦のテクスチュアにシベリウスっぽい響きがあるのも、いきなり共振してしまった理由だろうか。
 以後、この「テクスチュアズ」の響きが頭から離れず「どういうスコアを書いたら、こういう響きになるんだろう?」という問いが作曲家の修練の核になったと言ってもいい。(それは、最初の交響曲を書いてようやく解消されるまで20年以上続いた)。

 当時の武満さんは、ニューヨークフィルからの委嘱を受けた日本の新進作曲家…として売り出し中。その成果である1968年の「ノヴェンバーステップス」(メシアンのトゥランガリラ交響曲とのカップリング盤)、1969年の「小澤/武満69」(アステリズム、グリーンが収められた名盤)、1966年の「武満徹の音楽」(4枚組LP)とレコードにも恵まれ、「なるほど現代ではこういう音楽の方向性が〈作曲家〉としての生きる道なのか」と、目を開かれることになった。

 同時収録の三善・黛作品も色彩あふれる見事な演奏だが、これは一にも二にも岩城さんのキャラクター。(後に、岩城さんと会って話す機会があった時、〈あれは岩城さんのサウンドですよね〉と絡んだことがある。もちろん絶賛の意味を込めてである)。
 スタジオ録音による人工的な音作りもまた鮮烈で、〈曼荼羅交響曲〉の空間的広がり、〈管弦楽のための協奏曲〉のきびきびしたクール感は絶妙というしかない。

 ◎CDではこのカップリングは存在しないが、武満徹「テクスチュアズ」は石井真木(響層)、高橋悠治(オルフィカ)作品とのカップリング、黛敏郎「曼荼羅交響曲」は舞楽とのカップリングで共にデンオン盤で聴くことが出来る。しかし、三善晃「管弦楽のための協奏曲」はCD化されたのかどうか残念ながら不明。

◇ワーグナー楽劇「ニーベルングの指輪」(全曲)

Nibelungen ワーグナー畢生の大作「ニーベルングの指輪」は、作曲家を目指す男の子としては(世界連邦の大統領になって世界統一を目指すような…あるいはマッドサイエンティストになって世界征服を目指すような)夢の大目標だった。

 なにしろゲルマン神話の集大成であり、上演になんと4日もかかる巨作であり、一人の男が妄想で生み出せる究極最大の音楽の「構造物」なのだ。
 現実の世界では、ピラミッドとか大神殿とか超高層ビルに相当するもの(ゆえに膨大なお金と人出が必要)だが、それが妄想…もとい作曲するだけなら「一人」で出来る。こんな凄いことはない。作曲家の卵の卵としては「なんて素晴らしいのだ!」と心底憧れてしまったわけだ。
 
 しかし、この大作、今でこそCDでもDVDでも何種類もの録音で鑑賞できるが、1968年にショルティ&ウィーンフィルによる世界初の全曲盤(Decca)が登場するまで、その全貌は分からず、文字通り「幻の巨作」だった。
 だから、当時「LP22枚組!!!」(ライトモチーフ集のLP付き!)として登場した全曲盤は、クラシックマニアにとって何というか「女房を質に入れても手に入れたい初がつお」みたいなものだったのである。

 もっとも、当時一介の高校生だった私には、質に入れる女房もなく……結局、毎年年末にNHKがFMで放送している「バイロイト音楽祭」のライヴをオープンリールテープで全曲エアチェック!…という気の遠くなるような繰り返しつつ、ずいぶんかかって中古盤を手に入れることになったのだが。

 録音プロデューサーは伝説のジョン・カルショウ。明快なステレオ効果やサウンド・エフェクトも含め、かなり音響的に凝った(悪く言えば人工的な)録音だが、ワーグナーの壮大かつ誇大妄想狂的宇宙が、ハリウッド映画並みの鮮烈さで眼前に広がる。

 ◎歴史的名盤なのでCDでも、全曲盤(14枚組)がごく普通に手に入るほか、最近、SACD盤でも復刻されている。(ちなみに、全曲聴くと15〜6時間かかるのは、LPでもCDでも同じ。当たり前の話だが)

          *

Flyer チャイコフスキー国際コンクール
 優勝者ガラ・コンサート

 2011年9月8日(木)19時サントリーホール

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2011/07/10

夏休み特集1〈音楽のもうひとつのチカラ〉

Music 時々、テレビなどで思いがけず自分の音楽に出会うことがある。

 思いがけずと言うのは、クラシックの音楽番組などで「○○作曲・・・」と予告されて放送されるのではなく、普通の番組の背景にBGMとしてふいに自分の書いた音楽が聞こえてくるからなのだが、作曲家にとっては嬉しくもありちょっと吃驚させられもする瞬間だ。(注:参照)

 全ての番組をチェックできるわけもないので実態は分からないが、アートっぽい映像に静かなピアノ曲…とか、ドラマの抒情的なシーンにストリングス系の曲…というクラシカルな使い方は「なるほど」という感じ。
 ちょっと現代音楽っぽい変拍子の曲をいくぶんコミカルな場面に使われるのも、まあ「アリかな」という感じ。

 しかし、時には、バラエティ番組でいきなりオーケストラのど派手な部分…とか、クイズ番組でブリッジ風に一瞬…というような使い方をされることもあり、これはさすがに、「そう来たか!」とギョッとしたり苦笑したりする。

(注:ちなみに、既にCDになっている音源を放送局が使う場合、作曲家への事前の連絡や許可の申込みなどはまずない。音楽著作権協会と出版社と放送局の間でなにがしかの契約があって、「届け出」は必要だが「許可」までは要らないようだ。逆に、そういうBGMに使うたびにいちいち「許可」の問い合わせが来たら煩雑でしょうがないわけだが)

Tv 書いた当の作曲家としては,自分の作品を勝手に(イメージとぜんぜん違う方向で)使われるのは、まあ、心中穏やかではないが、「音楽」というのはそもそもそういう(敢えて言えば「XXとハサミは使いよう」な)処があるのも事実。

 これは、変な言い方をすれば、例えば自分の「娘」がテレビや映画に「女優」として出て、配役としてヒロインならぬ悪女をやったり宇宙人をやったりするようなもの。
 知らないでテレビを見ていた父親が、ギョッとしようが「イメージが違う!」と驚こうが関係ない。それに似ている。

(もっとも、父親の中には激怒して仕事をやめさせる人もいるし、作家の中には激怒して抗議に及ぶ人もいる。作ったものの権利と言えば権利だが、世に出た作品は(娘でも音楽でも)もはや作家の所有物ではない。手元に置きたいのであるなら、公表しないことだ。)

 もうひとつ、さらに言ってしまえば、イメージ通りの場面にイメージ通りの音楽を付け、イメージ通りの俳優にイメージ通りの役をやらせる「なるほど」系の使い方は、きわめて正攻法で無難ながら、そればかりだとつまらない。

 時には、清楚なお嬢さんっぽい女優に悪女をやらせてみたり、とぼけた気の弱そうな俳優に敏腕刑事をやらせてみたりする方が、意外な面白さが発揮できる。
 同じように、まったくイメージと違う音楽を付けることで思いがけない化学反応を狙う「そう来たか!」系の使い方を混ぜるのもまた、音楽の使い方としてはアリなのである。

□選曲の戯れ

Studiol
 むかし、ラジオ番組の「選曲」というアルバイトをしたことがある。

 放送局のCD倉庫から、適当なアルバム(クラシックでもポップスでも映画音楽集でもなんでもいい)を選び、場面にあった音楽を嵌め込んでゆくのが仕事である。ニュース番組や教養番組、あるいは(新たに作曲を頼むほど予算のない)ドラマなど「選曲」の出番は結構多い。
 ジャンルを問わず自由に音楽のタイプを選べるので、知っている音楽ジャンルの幅が広ければ広いほど有能と言うことになる。

 使うのは数十秒から長くて1分前後。1曲丸々流せるような長尺の場面はほとんどないので、曲の「一部分」を使う。時には短いブリッジ(場面転換)の音楽で数秒ということもあるので、なるべく「瞬間芸」的な(十数秒で完結するような)短い音楽が使い勝手という点ではベター。

 歌詞のある(そしてある程度知られている)ヒット曲だと、本編より歌を聴いてしまうのでBGMとしてはNG。(それに、歌詞が聞こえてしまうとさすがに著作権の問題が出て来る…)
 また、背景に薄くかかるのが基本なので、音量を落としたときバスドラムの音しか聞こえないようなビート音楽もNG。結果、アルバムの中の器楽だけの小品とか、曲のイントロだけとか歌の間奏のインストの部分だけというような使い方が多くなる。
 
 小さなラジオドラマの音楽を(作曲ではなく選曲で)担当したこともあったが、これは音楽次第で雰囲気と内容がかなり変わるので、なかなか面白かった。

King 主人公が不思議な世界に迷い込む(不思議の国のアリス的な)ファンタジーで、王様が登場するシーン。童話っぽい世界ながら、その世界の支配者だから、権威の象徴でありちょっと怖いイメージ。彼が一言何かを言うと「王様バンザイ」の声が巻き起こり、威厳と威圧感に満ちている。

 これにクラシックな(例えばワーグナーのような)重厚壮大な音楽を付けると、そのまま重厚でまじめな世界になってしまう。でも、元々がファンタジーなので、これに軽やかな(ミュート付トランペットのファンファーレみたいにちょっとコミカルな)音楽を付けてみた。

 すると、世界は一変。いきなり王様は大言壮語するただの怪しいオジサンになり、これってもしかしてネズミが王様のフリをしているだけなんじゃないか?と思わせる危うさが醸し出されるようになってしまった。音楽の力恐るべしである。

 さらに、途中で登場する若い騎士。主人公を助けてくれるまじめな好青年で、声は美声だし、言うことも行動も紳士的で親切。でも、それだけではあまり面白くない。そこで、BGMにトローっとしたロックのバラードをかけてみた。

 すると、いきなり良くて宝塚、悪くすると怪しげなコメディ的な世界に変質。女性ディレクターが「この人、ホモよね。絶対!」と断言する(今ならお姉ことばで話すような)思わぬキャラになってしまった。

 こういう音楽の効果は、日常的にもテレビでよく見かける。
 例えば、ニュースや報道番組で政治家や皇族や有名人などが登場するときの背景の音楽。海外ではニュースで大統領が登場するシーンなどは、そこそこ権威のありそうな音楽が付けられる。あくまでも「大統領閣下」なのだから当然だ。日本でも、皇室の場合は上品な音楽(むかしはバロック音楽が定番だった)がかけられる。

 しかし、日本で総理大臣や政治家が登場するニュースで、重厚まじめな音楽がかかっているのを聞いたことがない。ひどい時はチャカチャカした軽めの音楽が付いたりする。日本人は日々知らず知らずのうちに、音楽で「政治家=頼りない」という図式を刷り込まれているのかも知れない。
 
 確かにBGM(Back Ground Music)というくらいで、こういう場合の音楽は「背景」でしかない。でも、それは逆に言えば背景に広がる「世界」そのものということでもある。

 どういう世界で起こっているドラマなのか,どういう世界にいるキャラクターなのか…ということがBGMで表現されていることになる。
 ということは、背景の音楽が重ければ重い世界に、軽ければ軽い世界に(聴き手は)引きずられる。これは結構(ヒトラーがかつて重厚壮大な音楽を背中に背負うことで大衆を鼓舞したように)人心操作の奥義になりそうだ。

□シンクロとコントラスト

Traumaw この種の、映像や舞台(あるいは世界)と「音楽」との連携は、「同期(シンクロ)すること」が基本だ。

 重いシーンに重い音楽を付け、軽いシーンに軽い音楽を付ける。穏やかな風景のシーンなら穏やかな音楽、激しいアクションシーンには激しいアップテンポの音楽。
 さらに、主人公が立てばアクションの音楽、歩けば歩くテンポの音楽,走れば走ったテンポの早い音楽…というように、ぴったり動きと合わせる(シンクロさせる)のが「シンクロ」の技法である。

 これは、「見た目」を補強あるいは増強させる効果がある。きれいな景色をさらにきれいに感じさせ、激しく興奮するシーンをさらに盛り上げる。
 そして、主人公の動きを強調し、観客の視線を誘導し、気持ちを引き寄せ、ストーリーの方向性を際立たせる。

 低予算で人数が少ない場面でも、壮大な音楽を付ければそれなりに豪華なシーンに見えてくるし、貧相な髭の男でもローマ皇帝みたいに見えてくる。さほどパッとしない景色も、きれいな音楽を流せばそれなりに美しい景色に見えてくるし、何の変哲もない暗闇でも、怪しげな音楽をかければ何だか怖いことが起きそうな状況に見えてくる…という仕掛けである。
 映画などで音楽が必要以上に使われるのは,この効果ゆえだ。

 一方、敢えて逆のタイプ(対照的:コントラスト)の音楽をぶつける技法もある。
 つまり、重いシーンに軽い音楽、軽いシーンに重い音楽。先に話したような、偉そうな王様が出て来るシーンで、全く逆の軽〜い音楽をぶつけるやり方である。

Donqui 例えば、西洋の甲冑を着てヤリを持った男が,お供の従者を連れて無言ですっくと立っているシーンがあったとしよう。
 これに、ワーグナー並みの重厚勇壮な音楽を付ければ、これはこの騎士がいっぱしの英雄で物凄く強い伝説の男に見えてくる。これが「シンクロ」。

 対して、ちょっとチャカポコ気味のリズミカルな音楽を付けてみる。すると同じ絵柄でもいきなりこの騎士はドン・キホーテ、お供の従者はサンチョ・パンサに見えてくる。これが「コントラスト」。

 あるいは、時間的な「ずらし(はずし)」も、シンクロと逆の効果として挙げられる。
 疾走する主人公、激しい戦闘シーン、暴走するカーレース・・・などは、正攻法で言えばアップテンポの激しい音楽が付けられるべきだろう。

 しかし、ここにスローテンポの曲を静かに流す。
 それで得られる効果は、例えば、疾走する主人公のその後の悲劇の予兆、戦闘の空しさや悲しさ、暴走する果てに迎える悲劇あるいは過去の回想・・・いろいろな「もうひとつのシーン」が、コントラストの隙間から見えてくるという仕掛けだ。

 もっとも、その効果は直接的なものではなく、かなり「考えオチ」的な処があるので、見た誰もが分かるとは限らない。ゆえに(誰にも分かってもらえず)大失敗…という危険性も大なので、念のため。

 注:このあたりのもっと詳しい技法については、当ブログの映画音楽の作り方を参照のこと。

□詞先と曲先

Allwork このように「音楽」だけでは出来ない表現が、他のジャンルとのコラボレーション(共同制作)で出来るというのも、音楽に関わる楽しみのひとつだ。

 そもそも普通に「歌」というのが,「作曲家」と「作詞家」のコラボである。
 本来「音楽」は抽象の世界(何だか知らないけど切ない、何だか分からないけどわくわくする…など)だが、ことばを得ることによって新たな具体的なイメージ(恋人や故郷や民族や歴史や思い出など)を加えることになる。それによって、音楽だけでは表現できない世界に踏み込むことが出来るわけだ。

 この「詞」とのコラボ、微妙に「主」と「従」の関係がある。
 作詞家と作曲家が作る「歌」の場合、「ことば」が「主」となる場合と、「曲(メロディ)」が「主」となる場合があるのが良い例だ。
 
 詞が先に出来ていて、それにメロディを付けるのを「詞先(しせん)」などという。
 作詞家が「ああ〜私の恋はぁ〜なんとかかんとか〜」というような詞を1番、2番、リフレイン…などと書いてきて、作曲家がそれに合わせてメロディを作る。(たまには、歌いやすさの点から,言葉を換えたりカットしたり繰り返したりの調整はあるが,基本は「詞」がメインである)。

 それに対して、作曲家が「ららら〜ら〜」というような印象的なメロディを思い付き、それに「何か良い歌詞を付けて」という注文を受けて作詞家が歌詞を考える作り方を「曲先(きょくせん)」などと言う。外国の歌に日本語の歌詞を付けるような場合も、これに相当するだろうか。

 もちろん、作詞・作曲とも一人の音楽家が担当することもあるし、印象的なワンフレーズだけが「詞先」にしろ「曲先」にしろ最初に浮かび、そのあとで相互ふくらませ合いながら作ってゆくこともあるから、両者に厳密な境界線があるわけではない。

 しかし、そのどちらにしろ、詞の世界に合わせたメロディを書き、メロディに合わせた詞を書く…というのが基本というのは変わらない。詞のイメージからメロディが浮かび、メロディのイメージから詞が浮かぶ。その相互作用で「歌」のイメージが強化されてゆくからだ。

 ただし、これも敢えてコントラストを狙って、ユニークな世界を作る…という手もある。
 例えば、演歌風の歌詞にハードロック風のメロディを付ける…という技もあるし、男性歌手が歌う明るいメロディに女性のことばの詞を付ける…という裏技も(失敗するリスクは高いが)可能というわけだ。

Recording オペラなども、その言い方で言えば完全に「詞先」である。
 というより、こればかりは詞つまり台本&セリフがなければ曲は作れない。オペラを「曲」だけ作曲して、あとから歌詞を付ける…などということは聞いたこともないし、考えただけでも怖ろしい作業になりそうだ。

 そのため、オペラの場合は、それぞれの登場人物のキャラクターやセリフにどういう音楽を付けるか…という世界観の創造に作曲家が大きく関わることになる。
 どんな端役でも(作曲家の思い入れ次第で)素晴らしいアリアをあてがわれれば主役級の注目を得られるし、逆にどんなに地位の高い人物も、それに付けられる音楽次第で存在の重さ軽さが左右されるからだ。オペラの場合は、作曲家がかなり強力な創造主のひとりと思って間違いないだろう。

 一方、映画や映像作品の場合は,微妙だ。
 一般的なのは、映画の本編が出来てから、その映像に合わせた構成と寸法で作曲家に音楽を書いて付けてもらう(あるいは出来合いの曲の中から「選曲」する)やり方。歌で言うところの「詞先」で、これは「アフレコ(After Recording)」という。
 対して、最初に音楽が出来ていて,それに合わせて映像を作ってゆくこともある。歌で言う「曲先」で、こちらは「プレスコ(Pre Scoring)」。

 こちらはオペラと違って、映像と音楽を統合する「監督」という創造主がでんと君臨しているので、作曲家の思い入れが100%通るということはあまりない。
 音楽によって作品世界を創造するような役割りを与えられることもなくはないが、多くの場合は「スタッフ」の一人として「音楽の部分を担当する」という地位であることが多いと言えそうだ。

 演劇やドラマは、さらに「スタッフ化」が進む。
 まず「台本」があって「セリフ」があり、ほぼ舞台の構成が決まったところに、作曲家が場面に合わせて曲を書く。これが「劇判(劇伴奏音楽)」あるいは「付随音楽」。
 これも前述の映像作品と同じように、出来合いの音楽を「選曲」で使うことも多い。音楽は「背景」であって、舞台を成立させる小道具に過ぎない。(なにしろ、音楽など全くなくても舞台は成立するのだから)。完全に「スタッフ」の一人である。

 一方、バレエやダンスでは(公演の趣向によって異なるが)、音楽なしには舞台は成立しないので、いくぶん「曲ありき」になる。
 かつてのクラシックバレエ全盛の時代は、興業主が決めた題材に沿った「台本」がまずあり、それを元にした基本的な演出プランがあり、それに合わせて作曲家に曲を発注する。そして、それに合わせて振付の踊りを考える…というのが基本的な作り方だったようだ。
(そもそもCDやレコードのような録音による音源がなく、音楽はオーケストラなりバンドなりに生演奏してもらうしかなかった時代は、これが普通だったわけだ)

 それが最近では、まず「曲」を探してきて、それに合わせて「台本」や「構成」そして「振付」を考える…という作り方が増えてきた。CDやレコードの音源があれば、オーケストラでもロックでも自由に背景音楽として使えるのだから、その方が枠に囚われない自由なテーマで舞台を作れると言うことなのだろう。

 この場合、舞台監督(あるいは演出・振付)に当たる人が創造主となり、前述のシンクロやコントラストで音楽を組み合わせ世界を作ってゆく。
 白鳥の湖に白鳥の衣装、ロミオとジュリエットにイタリア中世の衣装と背景…というのは正攻法だが、クラシックの古典名曲の響きに現代風サラリーマンやジーンズの衣装をぶつけたり、逆にモダンなコンピュータ音楽の響きに和風の着物や絵巻物の背景を組み合わせたり、「演出」のアイデアで新しい思いもよらない世界の表出も可能というわけだ。

□コラボレーション

Rhrs1 音楽というのは、もちろん(交響曲やソナタのように)単独で存在することもなくはないのだが、多くの場合、様々なジャンルとの〈共作(コラボレーション)〉で生命を得る。

 交響曲のような〈単独創作〉の極北にある音楽も、私たちが音楽として聴く時は、作曲・指揮者・演奏家・オーケストラなど複数の音楽家たちのコラボレーションとしてだ。
 この世に存在する「作品」は、一人の作家だけの創造物ではなく、「作詞家」「脚本家」「映画監督」「演出家」「振付師」「美術家」などなど複数の個性が協演することで誕生する〈共作〉と言ってもいい。

 その場合、おおまかに「主」と「従」のような関係が生まれる。
 しかし、「従」が必ずしも「主」に従っているだけではなく、また「主」の言うことを聞いているだけではないのは、今まで述べたとおり。

 時に、ぴったり同期(シンクロ)した主従関係もあれば、対照(コントラスト)的な個性をぶつかり合わせた(時には反発し合あった)主従もある。
 さらに、控えめに「従」に寄り添う「主」もあれば、いつの間にか「主」を食って前面に出て来る「従」もある。
 
 そして、そこから思いもよらない新しい世界が生まれることもあるから、世界は面白い。

 これからは、「作品」と出会うとき、「音楽」の効果や「主・従」関係にもちょっと踏み込んで注目してみるのはどうだろう。

 そして、「あ、ここは〈合わせて〉るな」とか「おっと、ここは〈はずして〉るぞ」という〈制作側〉の思惑や演出が感じられるようになればしめたもの。
 聞き慣れ見慣れた世界のむこうに、今までとは違った新しい世界が体験できることだろう。

          *

アメリカン・バレエ・シアター

□オープニング・ガラ
・7月21日(木):18:30
□スペシャル!ドン・キホーテ
・7月22日(金):18:30
□ドン・キホーテ
・7月23日(土)13:00/18:00
・7月24日(日)13:00/18:00
□ロミオとジュリエット
・7月26日(火)18:30
・7月27日(水)18:30
・7月28日(木)18:30
□クロージング・ガラ
・7月29日(金)18:30

◆東京文化会館

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2011/06/10

青少年のための「未来」入門

Photo_3 先日(今年の5月)、ベルリン・フィルの定期演奏会を指揮した佐渡裕氏は、小学校の時の卒業文集に「ぼくはベルリン・フィルの指揮者になる!」と書いていたそうだ。
 当時は、「総理大臣になる」とか「ノーベル賞を取る」というのと同じ大風呂敷で他愛もない子供の夢と聞こえたことだろう。
 でも、38年後、その夢は実現された。

 私も、14歳の時に始めて「運命」を聴き、「ぼくも交響曲を5つ書く!」と決めた。
 当時はまだ、クラシックを聴き始めたばかりの普通の中学生だったから、総理大臣やノーベル賞どころか「火星に行く」というクラスの99%あり得ない「夢のまた夢」だった。
 でも、34年後、夢は実現した。

 子供の時に抱く「夢」は、一生の宝だ。
 そして、夢は壮大な方がいい。
 叶っても、まだ上があるから。

Conductorx8□音楽との出会い

 音楽との出会いは人それぞれで、音楽を楽しむのに決まり事は何もない。好きなように聴き、好きなように楽しめばいい。

 それは事実だが、もし「プロの音楽家」を目指すとなると話は別だ。
 特に、ピアノやヴァイオリンを完璧に弾きこなすには、幼少の頃からの基礎訓練が必須とされる。早くて3歳、遅くても9歳。10歳を過ぎて物心ついてから本人が「音楽をやりたい」と言い出してから始めたのでは手遅れ。…というのがこの世界の常識だ。

 逆に、幼少時から毎日鍛錬すれば、特に音楽の才能に恵まれなくても(普通の「こまっしゃくれた」レベルの子供なら)誰でも、擬似「天才」クラスの技量を発揮する。
 赤ん坊の頃から毎日かかさず日本語を聴いていれば、誰でも5歳くらいで「日本語ペラペラ」になれる。音楽でもスポーツでも芸事でも,生まれ育った「環境」がものを言うわけだ。(特に、親がそのジャンルのプロないしは愛好家であるれば申し分ない)。

 そこでは、特に系統立てた教育を受けなくても、「門前の小僧,習わぬ経を読む」の故事のように、「見よう見まね」がかなり有効だ。
 幼児に「文法」や「修辞法」を教えなくても、あるレベルまでは「自然に」「耳から」言葉を学んでゆくように、「音楽」もあるレベルまでは「自然に耳から」学べるからだ。
 あまりガチガチに「英才教育」を施すより、親のやっている様子を近くで見せる…というくらいが、逆に効率的なのかも知れない。

 そもそも、若い頃というのは、吸収の早さが尋常ではない。どんどん新しい細胞が生まれ、新しい神経回路ができてゆく、その成長のスピードのせいだろうか。いやいややっていると10年でも吸収できないことが、スイッチが入った途端に10日ですべて吸収できることだってある。

 かく言う私も、それをこの身で体感した一人だ。
 子供の頃に系統立てた音楽教育を受けた覚えはなく、それこそ9歳前後にピアノを「いやいや」習ったことがある程度。しかも、クラシック音楽をそれと意識して聴き始めたのは14歳(中学3年)。ベートーヴェンやチャイコフスキーなどの主要名曲を知ったのは高校に上がってからと、かなり遅い。

 しかし、14歳で「スイッチが入った」。その後の「吸収」はめちゃくちゃなスピードだった。
 はっきり言って、「先生に習っているヒマなどなかった」。あまりにも、知りたいこと、調べたいこと、学びたいことが多かったからだ。
 だから、「音楽大学に行く」などという選択は考えたこともなく、毎日毎日ピアノを弾き、片っ端からレコードを聴き、楽譜を読み本を読み、起きている間はすべて「音楽」の吸収に当てた。
 それでも「自分の音楽」に達するのに7年、それを世に出すのにさらに7年かかったのだけれど…。

String4□教わる音楽、知る音楽

 とは言え、おそらく、何か芸事(音楽でもピアノでもバレエでもゴルフでも野球でも)を始めるとき、専門家から系統立てたレッスンを受けることを考える、というのが普通だろう。

 すべての芸事には「基本」があり、その上にさまざまな技術を積み上げて行くというのが鉄則だ。
 しっかりした基礎があってこそ、その上に堅牢な建造物を建てられる。基礎が出来ていないのは、ぐずぐずの土台の上に建物を建てるようなもの。いくら積み上げても崩れてしまう危険がある。

 ただ、私は個人的に、この「教わる」と言うことにものすごく抵抗があるのだ。
(さて、ここから先はきわめて個人的な偏見に満ちた意見になるので、もし今ちゃんとした先生について音楽や芸事を習得している若い方は、「独学のおかしな男」の戯言とご笑覧いただき、参考にされないことをお勧めする。)

 中学生にあがった時、初めてギターを買ってもらった。
 クラシックギターとしてではなく、最新のヒット曲やフォークソングをかき鳴らす楽器としてのギターである。当然ながら、誰に習うわけでもなく教則本を読むでもなく、ひたすら「コードネーム」(CとかG7とかAmとか)の押さえ方を覚えることばかりに必死になった。

 そんなある日(おそらくギターを手にして一週間ほどして)、ギターの弦を左手指で押さえながら、その指をぶるぶると「ふるわせる」と、豊かに膨らんだ音になることに気付いた。「大発見だ」と思った。アルキメデスの原理を発見したアルキメデスのように「ユーリカ!」とでも叫んで表に飛び出そうかと思ったくらいの感動だった。
 
 そこで、翌日、学校にゆくとギターを弾く同級生をつかまえて、意気揚々とこうまくし立てた。「おい、知ってるか。ギターの弦を押さえる指をふるわせると、凄いいい音がするんだ!」
 すると、彼は答えた。「それはヴィブラートっていうんだ」。
 それでおしまいである。

 そう、それは弦楽器を演奏する人なら誰でも知っている演奏法の基本〈ヴィブラート〉であり、残念ながらそれは「世界初」の発見ではなかったわけだ。
 なので、残念ながら、音楽史に「ヴィブラートの発見者」として私の名前が記されることはないわけだが、独力でヴィブラートを発見したという事実は変わらない。その時の感動は、今でも「指先」に残っているほどだ。

 …という話を(作曲家になってからインタビューなどに答えて)したところ、「ちゃんと基礎から教えてもらわないと、無駄な回り道をしてしまいますよね」という(理性的な)反応をされて、ちょっと驚いた。私はまったく逆だと思っている。
 もし、先生についてギターを習っていて、ある日「さあ、今日はヴィブラートの勉強ですよ」と言われて、指をふるわせるレッスンをする。それで「ヴィブラート」が自分のテクニックとして組み込まれ、ヴィブラートというものの衝撃を体験しないまま音楽家になったとしたら、そんなつまらないことはないではないか。

 例えば、もしあなたが、推理小説作家になる英才教育と称して、子供の頃から古今東西すべての推理小説の「犯人」と「犯行方法(トリック)」を(原作を読む前に)先生に教わってしまったとしたら、どうだろう。
 確かに、推理小説の知識に関するプロにはなれるかも知れないが、それと引き替えに「推理小説を読んでトリックに驚嘆する楽しみ」をすべて奪われることになる。それと同じだ。
(と言い張っても、賛同を得られにくいことは重々承知しておりますが)

1957□道は迷うべし。

 このような「ひねくれ方」は、まあ、普通ではないのだろう。
 小さい頃しばらくやっていたピアノの「おけいこ」でも、先生の言うことをよく聞く子(特に女の子)が、すくすくと腕を上げて行き、与えられた曲の練習よりデタラメな即興演奏をする方が好きな私のような子はどんどん脱落していった。

(また笑われるかも知れないが、ドミナント〜トニカという和声の基本も、この時のデタラメ即興演奏の中で自分で「発見」した。それがドミナントというものであることを知ったのは、10年近く後のことである)

 確かに、芸事は、
 先生の言うことをよく聞き,
 ひたすら基本に忠実に、
 日々の鍛錬を決して欠かさないこと。
 これに尽きる。

 でも、ひねくれた独学の徒としては、これだけは言いたい。
 道を行く時は、とことん迷い、寄り道した方がいい。
 真っ直ぐ目的地に着いてはいけない。
 また、真っ直ぐ目的地に着くような道を選んではいけない。

 そのことについて「学問に王道なし」というような道徳や修身っぽい言い方をされることがあるが、違う。
 それは極めて簡単なことで、最速最短の道を教わってしまったら「ぜんぜん面白くない」からだ。

 この道をまっすぐ行って、途中右に崖があるから迂回して、斜め左に昇ってゆくと右にきれいな景色が見えて、下に珍しい花が咲いていて、そこから15分急坂を上がると頂上……などと全て教えてもらえば、間違いなく安全に早く頂上に着く。でも、それでは「旅」する楽しみはない。

 道に迷い、あぶなく崖から落ちそうになり、逆に思いもかけない景色に出会ってため息をつき、偶然見つけた美しい花を愛でて心癒され、一歩一歩踏みしめたうえで頂上を極める。
 その「寄り道」の体験すべて、苦労の記憶すべてが「楽しみ」なのだ。寄り道や回り道や挫折は「無駄」でも「障害」でもない。エピソードが多ければ多いほど面白い「旅の楽しみ」なのである。

 だから、若い人に音楽を伝えるときも、手取り足取りで無難な「名曲」に誘うようなガイドは避けたいと切に思う。「ベートーヴェンは天才です」「この曲は不朽の名曲です」という勧められ方を好む人もいるけれど、それが逆効果な場合もある。
 クラシック嫌いの多くは、こういう「押しつけがましさ」を嫌うことから生まれている気がする。「こういう曲もあります」「でも、こんな曲もあります」でいい。その中から、自分で好みの一曲に「出会う」こと。それが、音楽との出会いの醍醐味なのだから。

Testa_2 □こどものための

 などと言いながら、いくぶん押しつけがましく名曲を並べてしまいがちな〈子供のためのコンサート〉にも何度か関わったことがある。

 ヨーロッパのコンサート(劇場)文化は、そもそも夕方から始まり夜中に終わるという点からも、2時間近く静かに黙って座っていなければならない点からも、「子供おことわり」の世界。子供は家で子守に任せてから、大人だけでいそいそと出かける「大人だけの」世界だ。

 しかし、そんな夜のコンサートに集まる紳士淑女たちも、もともとは子供。どこかで「音楽」に出会わなければ、夜のコンサートに集う聴衆には育たない。
 そして、オーケストラや音楽家たち(そしてクラシック音楽界全体)からすれば、「こどもたち」こそが、自分たちの音楽を聴いてくれる「次の世代の聴衆」。それを育てないことには未来はない。
 そこで、最近は「こどもたちのための」と謳ったコンサートが多く開かれるようになった。

 そう言えば、野球やサッカーなどのスポーツは、昔からしっかりこういうシステムを取り入れている。子供の頃こういう形で競技とチームになじむと、大人になってからもそれは刷り込まれたままになる。無料で子供のために試合を解放しても、彼らは「未来の観客」として帰ってくるので、元は取れるという寸法だ。

 それに触発されてかどうか、最近ではクラシック音楽も、ホールやオーケストラ単位でしっかり未来の「観客」を育てることを考え始めた。良いことだと思う。
 別に,プロの音楽家を育てるだけが「音楽教育」ではない。音楽文化を支える大人を育てることこそ、未来への投資なのだから。

 というわけで、最近は「こどものための」と謳ったコンサートやCDなどの企画も随分増えてきた。ただ、「子供向け」だからといって手を抜くのは極めて危険である。
 子供たちは、テレビやCDなどで結構普通に一流楽団のノーミスの音楽を聴いているわけで、手を抜いた演奏はしっかり分かるからだ。
 
 そして、もうひとつ。大人の視点から「子供はこういう音楽が好きだろう」と「やさしい曲」を選ぶのも危険だ。
 数年前にやった「子供ためのコンサート」でも、(TVの「のだめカンタービレ」やCMなどの影響で)普通に「ベートーヴェンの交響曲第7番」や「プロコフィエフのロミオとジュリエット」あるいは「ヴェルディのレクイエム」などが小学校低学年の「耳なじみレパートリー」に入っていた。

 私も、小学校1年の頃(つまり、まだクラシック音楽など全然興味がなかった頃)、父親の持っていたレコード・コレクションの中でもっともお気に入りだったのは、「子供用」のピアノ小品集などではなく、プロコフィエフの「ピーターと狼」とブリテンの「青少年のための管弦楽入門」をカップリングした一枚だった。
 特に「管弦楽入門」のコーダ、ピッコロから始まってオーケストラのさまざまな楽器が次々に加わって壮大なフーガになる処が大好きだった。オーケストラなど生で聴いたこともない6歳児が、である。
 逆に、モーツァルトやシューベルトなどは「使っている音が幼稚!」と軽蔑していた。少なくとも小学校に上がればもはや幼児ではない。「お子様向け小品」なんか聞きたくないのである。

 唯一、子供向けとしてNGなのは、「長い」曲くらいだろうか。さすがに、ブラームスやブルックナー級の40分から1時間を超えるような交響曲を「全曲」というのは、子供が「じっとして聞く」限界を超えている。
 ただし、メロディにしろリズムにしろサウンドにしろ、キャラクターの「変化」がくっきりしているものなら、ひとつの楽章二十数分くらいはOKなはずだ。
 あとは、演奏家の「熱意」次第。本当に「この曲面白いんだよ」という姿勢が伝われば、おそらくどんな曲でも子供は付いてくる。

 子供の頃から「本物」を聴かせ、「本物」だけを見せること。
(あるいは、自分で本物を探し、本物だけから学ぶこと)
 音楽や芸事に王道があるとしたら、それに尽きる。

Cut01_2■出会った言葉たち

 最後に、私が音楽を志してから出会った、印象的な(そして、人生を左右した)言葉を3つほど紹介して、この稿の締めとしよう。
(もちろん「独学のおかしな男」が言うことだから、正攻法の格言ではない。念のため)

 プロになって苦しみながらやるより
 アマチュアで楽しみながらやるほうがいいと思うよ。

 これは、高校時代に「作曲家になろうと思っています」とカミングアウトした時、音楽の先生が言った言葉。
 これは、「正論」だ。そう言われたらグウの音も出ない。

 確かに、音楽は「楽しい」けれど、プロの世界は「厳しい」。
 なにしろ、幼い頃から才能を発揮し日々の膨大な鍛錬をこなし,険しい道を這い上がってきた「天才」や「達人」たちが日本中世界中から集まり、絶えずしのぎを削っている世界なのだ。
 そこで頭角を現し、さらに10年20年と生き残って行くのは、想像を絶する苦闘の連続が待っている。(多くの音楽家が「我が子には音楽家の道に進ませたくない」と考えるのは、その「苦しみ」を味あわせたくないからだ)

 でも、「だから、やらない」というのは逆。
 先にも書いたように、「苦しい」からこそ面白いのであって、大変だからこそ、それを突き抜けたときに至高の喜びがある。新しいものを手にするのは(女性が子供を産むのだって)苦しくて当然。「苦しければ苦しいほど、その先にある喜びは大きい」(by ベートーヴェン)とも言えるのだ。

 よく「音楽は〈音を楽しむ〉こと」とか「音楽は楽しくなければ」と言う。
 しかし、別に「楽で」「心地よい」だけが「楽しさ」ではない。七転八倒し苦しみ悩み抜いてこそ手に出来る「楽しみ」だってある。
 むしろ「苦しんでやろう」「悩み抜いてやろう」と思って音楽の道に進む。それでいいではないか。それこそ人生を賭けるに値する一生の「楽しみ」なのだから。

 やめろと言ってやめられる人はやめればいい。
 やめろと言ってもやめない人だけが生き残る。

 これは、音楽大学の某先生の言のまた聞き。
 音楽でも稽古事でも何でも、始めてしばらく経つと、誰でも壁にぶち当たり、こう考える。「自分には才能がないんじゃないだろうか」「このまま続けても芽が出ないんじゃないだろうか」「やめた方がいいんじゃないだろうか」。
(どんな大芸術家でも、そう考えたことのない人はいないはずだし、プロになってからも、毎日そう思い、毎日悩んでいる人は多いはずだ)

 音楽や芸事の「先生」をやっていると、そういった悩みを告白する生徒や弟子が毎日やってくる。おそらく全員が、一度は悩みに悩んだ末、こういった相談を持ち込むと言ってもいいかも知れない。
 その時、くだんの先生は「そう思うなら、やめたら?」と言い放つ。そして、この言葉を言うのだそうだ。

 確かに、40数年音楽をやって来て、しみじみ思う。
 私にもし「才能」というのがあったのだとしたら、
 それは「能力」でも「感性」でも「努力」でも「運」でもなく、
 ただ「どんなことがあってもやめなかった」こと。
 それだけだと思う。

 お金になる仕事と、お金にならない仕事があったら
 お金にならない方の仕事をやれ。
 お金にならない仕事の方が「尊い」

 最後に、これは、彫刻家をやっていた(母方の)祖父の言葉。
 人間にとって一番重要なのは、(それが一円にならなくても)「己の存在すべてをかけて〈美〉を希求すること」。
 これは、明治の職人気質を持った貧乏彫刻家(よく言えば「清貧」芸術家)の祖父だからこその言葉。いい作品を作りそれが評価されてお金が入る…というのはOKだが、金銭のために仕事をするのは下の下だという。

 常識的に考えればめちゃくちゃな教えだし、「働いて稼いでこそ仕事」という社会の根本を覆す極論だが、作曲の道を歩み出した私には(「狭き門より入れ」のような)「聖なる言葉」に思われた。

 しかし、随分たってからこれは、自分の仕事がまったく収益を生まなくとも,それを超えて孤高を貫くための「やせ我慢の理屈」だということに気が付いた。
 音楽でも美術でも芸事でも、自分の芸や技が認められ「お金」に結びつくことを嫌う人などいるはずもない。しかし、どんなに優れた仕事も作品も、「お金」に直結するとは限らない。むしろ、真摯に自分の道を貫くとき、往々にして世の無理解と「貧乏」は付きまとう。

 そんな時、「お金にならない」ことや「評価されない」ことを卑下し絶望するのではなく、むしろそれこそが尊い「生きる道」なのだと喝破する。これは、力強い励ましの言葉なのだ。

 実際、この言葉のおかげで、まったく経済的にも社会的にもどん底だった20代30代を乗り越えることが出来た。私にとっては「人生にくさびのように食い込んだ至高の一言」である。

 でも、まあ、楽に手っ取り早くまっすぐの道をすくすくと進めれば,それに越したことはない。
 最後の最後に、蛇足の一言を付け加えようか。

 ・・・大人の言うことを信じてはいけない。
    信じるものはすべて自分で探し
    自分のその手でつかみなさい。・・・(^○^)

          *
 
Flyerベルリンフィル八重奏団

モーツァルト:ホルン五重奏曲 変ホ長調 K.407
モーツァルト:クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581


ベートーヴェン:七重奏曲 変ホ長調 Op.20 

□2011年6月27日(月)東京オペラシティコンサートホール

アメリカン・バレエ・シアター

□オープニング・ガラ
・7月21日(木):18:30
□スペシャル!ドン・キホーテ
・7月22日(金):18:30
□ドン・キホーテ
・7月23日(土)13:00/18:00
・7月24日(日)13:00/18:00
□ロミオとジュリエット
・7月26日(火)18:30
・7月27日(水)18:30
・7月28日(木)18:30
□クロージング・ガラ
・7月29日(金)18:30

◆東京文化会館

Ab

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2011/05/10

音楽ノススメ

A 音楽には影も形もない。
 大気の中にふわりと浮かび、次の瞬間には消えてしまう。
 ベートーヴェンが「(願わくば)心から出て、心に伝わるように」と言ったように、音楽は「心」から「心」へ伝達する「何か」なのだが、それが伝わるには「伝達する媒介」が必要だ。

 そもそも音楽を存在させている「音」というものが、空気の振動であり、「空気」という媒介なくしては存在し得ないということもある。
 もちろん「心」は決して「空気の振動」ではないが、振動に「変換」されることで、他者に伝達可能な「音楽」というものに昇華する。考えてみれば、不思議なものだ。

 かくして、その「振動」を生み出すのが「楽器」、そして、それを制御するのが「演奏家」ということになる。いずれも振動の本体ではあるものの「音楽の本体」ではなく、音楽を伝達する(もっとも根源的な)「メディア(媒体)」ということになるだろうか。

 そして、その楽器の音や演奏家の演奏をより多くの複数の人々に伝達するため、「(屋内の)広間」や「(屋外の)広場」といった「場」が登場する。これも、考えようによっては「音を響かせる楽器」と言える。
 それは、より効率的により多くの人に伝達させるための機能(楽器としての性能)を進化させ、「劇場」や「コンサートホール」になってゆくわけだ。

 さらに、20世紀になると、音楽における大革命が起きる。音楽を「録音・再生」することが可能になったのである。
 それは、今まで「大気の中にふわりと浮かび,次の瞬間には消えてしまう」音楽を、「再現し・複製し・所有する」ことができるようになった大変革だった。

 今では、文字通り「いつでも」「どこでも」私たちは音楽を楽しむことが出来るようになった。その奇跡を120%享受しているのが、現代の「音楽文明」だ。

 と言うわけで、今回は音楽を伝える「メディア」に関するささやかな回想録を語ることにしよう。

1957 □子守歌、ピアノ,ラジオ

 多くの人にとって、最初に耳にした「音楽」の記憶はというと、母親の子守歌だろうか。(もっと遡って,母親の胎内にいるとき耳にした「心音」というのも、音楽の根源と言えるのかも知れない)

 しかし、そこから先は家庭の事情(や時代背景)でいろいろだ。
 父親が掻き鳴らすヴァイオリン、母親が歌う村の民謡…という人もいるだろうし、祖父の吹き鳴らす尺八に,祖母が吟じる謡…といった人もいただろうか。
 あるいは、近所から聞こえてくる楽器の音や隣人の歌声が子守歌という人もいたかも知れないし、付けっぱなしのラジオやテレビでCM音楽のシャワーを浴びた人も少なくないかも知れない。

 私は、まだまだラジオやテレビを付けっぱなしにするほど電化が進んでいない時代(昭和30年代)に育ったから、自然に耳に入る音楽…というのは、やはり生の音が多かった。
 父の吹くフルートや母の歌う賛美歌が,普通に耳にする「音楽」であり、後に、家の居間にあったピアノの音が加わることになる。

 ラジオやテレビはたぶん朝7時とか夕方5時とかに,特定の番組を聞くために付けられたから、知らない音楽が知らない間に耳に入ってくるという現代のような状況はなかった。
 結果、音楽番組から流れてくる軽音楽や、夕方の人気番組のテーマ音楽などが、最初に頭に染み込んだ「音楽」の記憶になった。

Sonobb □レコード

 1.ソノシート
 そんな中で、最初に意識して「音楽」を聴いたのは、(おそらく)生演奏ではなく「レコード」だ。しかも、SP盤でもLP盤でもなく、〈ソノシート〉という奴である。

 これは、ぺらぺらの薄い塩化ビニールに(レコードと同じ要領で音溝を刻み)音楽を収録していたもの。1958年(昭和33年)にフランスで開発されたそうで、EP盤サイズ(直径17㎝。33⅓回転で片面10分程度収録)が多く、安価だし軽いので雑誌や本の付録のように添付され、英会話とか音楽のオムニバス企画(クラシック名曲集からアニメの主題歌や映画音楽、軍歌などまで)として、レコード店ではなく本屋で売られていた。

 昭和30年代というと、サラリーマンの月収がせいぜい1万数千円なのに対して、LP盤は1枚1500円から2000円(EP盤でも300円)くらいした。その点ソノシートは、ブックレットに片面ソノシートが1枚付いて200円、数枚組のものでも500円くらいだったから、庶民の強い味方だったわけだ。

 実際、私が初めてクラシック音楽に接したのは、子供の頃、父が買ってきた「クラシック小品集」とか「ピアノ名曲集」でだった。
 ただし、その頃はちっともクラシック音楽などに興味はなく、愛聴していたのはもっぱら「アニメ主題歌集」とか「ロシア民謡集」あるいは「日本軍歌集」というような類だったのだが。

Cd_sgtpepper 2.LPレコードvsコンサート
 LPレコードを自分で買えるようになったのは、中学にあがった頃だ。ただし(いくぶん高度成長期になってきたとはいえ)学生のこづかいはせいぜい月に千円か二千円くらい。買えるレコードはどう頑張っても月に1枚が限度である。
 そのため、レコードを選ぶのは、まさに「清水の舞台から飛び降りるような」覚悟が要った。

 好きなアーティストのコンサートに行く…という選択しもなくはなかったが、レコードを買ってしまえば残金ゼロの状態であり,(少なくとも中学生の間は)レコードを買いつつコンサートへも行くというのはほぼ不可能だったわけだ。

 ちなみに、LPレコードで音楽を聴き始めた頃というのは、まだポップス嗜好で、最初に買ったLPは「ベンチャーズ」のアルバム。生まれて初めて行ったコンサートは、中学三年の時のウォーカー・ブラザースの来日公演(武道館。ビートルズ来日の翌年1967年である)だった。

 そして、中学3年の冬、クラシック音楽に開眼。高校に上がってから本格的に(異常な情熱を持って)音楽を聴き始めるとともに、「音楽を聴く媒体」の選択に四苦八苦することになる。

Fmfana □FM放送

 クラシック音楽の入口に立った途端、思い知ったのは、とにかく膨大な「名曲」たちがそこにある…ということであり、それを「次から次へと聴きたい」…という渇望は「飢え」の状態に似ていた。
 とにかく聴きたい、どんどん聴きたい,何でもかんでも聴きたい…。でも、レコードを次から次へ買うわけにも行かず、家中のレコードや楽譜をかき集め、学校の図書館や音楽ライブラリ、楽器店のスコア漁りを毎日毎日続けても、その「飢え」の状態はなかなか解消しなかった。

 そんな時に重宝したのは、FM放送の存在だった。(日本では1969年にNHKFMが本放送開始している)。
 当時のFMは(高音質のステレオで音楽を聴かせる…というコンセプト上)かなりクラシック音楽の独壇場のところがあって、朝から夜まで本当によくクラシック音楽を放送していた。
 シベリウスの音楽と出会ったのもFMだし、レコードでは聴きようもなかったワーグナーの「ニーベルングの指輪」全曲も(毎年年末のバイロイト・フェスティバルで)聴けた。
 
 また、世界各国の放送局との提携なのか、海外の放送局が収録した「現代音楽」の放送も結構多く、ダルムシュタット音楽祭、ロワイアン音楽祭などなど、現代音楽の「聖地」(と当時は思っていた)からバリバリの新作が送られてきて、それをわくわくしながら聴いていた。

 特に、夜23時からの「現代の音楽」(上浪渡さんの解説の頃)は、毎週欠かさず聴いていた。
 1960年代は、黛敏郎、武満徹、三善晃というような現代日本音楽の有名どころも活躍し始めた時代で、それから1970年の大阪万博あたりまではある意味「現代音楽バブル期」。「キラ星のような」(と当時は信じていた)作曲家たちの「珠玉の名作」(と同じく信じていた)作品が次々と放送される様は、本当に血湧き肉躍る感じ(と同じく思っていた)だったのである。

 そんなこんなで、高校から大学までの頃は、家にいるときはほとんどNHK-FMをつけっぱなしのような状況だった。
 しかも、(時間が惜しいので)同時にレコードを聴き、テレビをつけ、ピアノを弾きつつ、本や楽譜を読んでいた!。

 そこから偶然流れてきたのを耳にしたのが、ECMのジャズやプログレッシヴ・ロック(ピンク・フロイド、イエス、エマーソン・レイク&パーマー)など、今も心の糧となる音楽たちだ。
 放送を聴きっぱなしにしていたことで「偶然に耳にした」音楽と、その後一生関わることになるのだから、FMというメディアによる奇跡のような「音楽との出会い方」には感謝するしかない。

Tereco □テープ録音
 
 ちなみに、FMで音楽を聴き始めた頃は、まだオープンリールテープ(モノラル)の時代。ラジオやテレビの音を録音するには、放送中のスピーカーの前にマイクを置き、リアルタイムで録音する(しかもモノラル)しか手はなかった。

 しかし、やがて1970年代になって、高音質ステレオ録音を可能にするテープデッキなるものが登場し、チューナー(FM&ラジオの受信機)とアンプおよびテープデッキが合体した「コンポ」なるものが登場。放送される音楽を録音することに特化された機材が徐々に整備され始める。

 FM放送は、2週間に一度発行されるFM雑誌(FMファン)で綿密な番組表が発表されるようになり、それをチェックし、何月何日の何時から放送される曲をテープに録音する…「エアチェック」が音楽マニア最大の楽しみになった。

 もっとも一般的なのは、カセット・テープの録音するカセットデッキ。カセット自体は、1962年にオランダのフィリップス社が開発したもので、当初は会話録音や語学学習くらいにしか使われなかったが、1970年前後に音楽録音に使われるようになったもの。
 収録時間は60分、90分が主流(46分、120分のものもあった)。A面B面で裏返すので、実際は90分テープで片面45分。ほぼLPレコード1枚が収録できる。

 当初はあんまり音質が良くなかったが、だんだんドルビー録音(ノイズ除去システム)やクロム〜メタル・テープなどの登場で音質アップ。本格的なカセットデッキが登場した頃(1978年)作曲家としてデビューしたので、デビュー作以降の音源は(コンサート・ライヴやFM放送など)ほとんど全てこの「カセット・テープ」で残っている。

4chtape 一方、放送局などで使われる専門の録音機器は、テープを切ったり繋げたりすることで「編集」できるオープンリールテープが主流。
 テープ幅1/4インチ、テープ・スピード38cm,19cm(いずれも/毎秒。)が基本だが、速さが早くなる分、録音できる時間は短くなる。(テープ・スピードが倍になれば、録音時間は半分になる)

 片面最大45分のカセットでは収まらない長時間の作品や番組などは、このオープンリールの出番だが、個人使用では9.5cm/sで1時間(60分)あるいは1時間半(90分)がせいぜい。
 それでも、カセットには収まりきらないオペラや音楽祭などは2時間を超えるものは、さらに遅い4.75cm/sで無理やり収録することが多かった。

 今でも、その頃に録音した「バイロイト音楽祭」や「現代音楽祭」のテープが数十本ほど押し入れに死蔵されている。(ただし、音質も悪いし劣化しているし使いものにならないのだが)

Cd□CD
 さて、いよいよCDの時代に入る。1980年代になって、作曲家として仕事を始めた頃に登場したのがCD(コンパクト・ディスク)だ。

 生産が始まったのが1982年で、当初は、1枚3500〜3800円、デッキ自体も15万円以上したので、かなりマニア向け「高級品」のイメージ。同じアルバムが普及用LPとマニア向けCDで並行して発売されたりしていた。
 しかし、2〜3年ほどで、ポータブル型のCDデッキが5万円を切る価格で登場すると、あっと言う間に普及し初め、LPを駆逐してCDの時代になっていった。

 新譜がほぼCDに切り替わった1986年頃からクラシックの新譜評の仕事などを始めたので、その「時代の変化」はよく覚えている。
 利点はもちろん「小さいこと」「音質が良いこと」だが、最大のポイントは「取り扱いの便利さ」と「ランダムアクセス(録音されている曲を順不同で瞬時に聴き出せる)」という点だろう。

 さらに面白いのは、CDの「収録時間74分」という規格だ。
 大指揮者カラヤンが「ベートーヴェンの第9を一枚に収録できるように」と言ったとか言わないとか色々の諸説はあるようだが、少なくとも「クラシックの主だった名曲」がはみ出ないようなサイズ(実際、ワーグナーの楽劇のいくつかの長大な幕以外は、74分あれば収録できる)を考慮されたことは事実のようで、なんだかポップスに押され気味のクラシックが、CDの台頭で再浮上した感があって嬉しかった。

 実際、ひと幕1時間を超えるのが当たり前のオペラや、全曲で1時間半近いブルックナーやマーラーの交響曲は、CDになってからようやく「ひとつのシークエンス」として聴けるようになった。(それまでは20分ほどでレコード盤を裏返す必要があったので、どうしても気が削がれたのだ)

 しかし、逆に、20分30分の作品(例えばベートーヴェンの中期の交響曲など)は1枚のCDに2曲も3曲も入ってしまうので、なんとなく「小さくなってしまった」感があって複雑な気分になることも少し・・・

 しかし、時代や様式(スタイル)や手順(プロセス)に縛られる「アナログ」に対して、ボタンを押すだけで対象に即アクセスできる…というテクノロジーは、音楽の聴き方を変え、そして、音楽のあり方をも変えてしまった感がある。
 なにしろ、それまで音楽が持っていた「時代性」「地域性」といった束縛をすべて剥ぎ取って、すべての時代すべての地域の音楽を「博物館」のように均質に並べ鑑賞することが可能になってしまったのだから。

Random この「ランダムアクセス」は、どんな情報でも「均質」かつ「順不同」で瞬時に呼び出せる…ということから,ポスト・モダンの時代を象徴する「新しい世界観」を呼び覚まし・・・私もおそらくそれを歓喜して迎えた一人だったのだが・・・音楽の在り様を決定的に変えてしまったと言ってもいいかも知れない。

 このパラダイム・シフト(価値観の大変換)が良かったのか悪かったのかは微妙な処だが、私が作曲家として世に出たのはそんな時代だった。
 オーケストラの生の音を聞いたこともない作曲家でも交響曲を書ける時代。アフリカに行ったこともない人間でもアフリカのリズムに酔える時代。ポーランドに行ったこともないピアニストでもショパンの心を歌える時代。オペラ劇場に行ったこともない人間でも世界中のオペラをすべて知り尽くせる時代。

 そんな時代の狭間で、あれだけ隆盛を誇ったLPはあっと言う間に消えてしまい、そのノスタルジーに耽るまもなく、音楽は映像とも合体してさまざまなメディアの中での転居を繰り返し始めた。いわく・・・

・LD(レーザー・ディスク)
 1980年頃登場。直径30cmのディスクに片面最大1時間(両面で2時間)の映像を収録できる。
・DAT(デジタル・オーディオ・テープ)
 1987年登場。デジタル録音できるマイクロサイズのカセットテープ。最大180分(3時間)の収録が可能。
・MD(ミニ・ディスク)
 1992年登場。2.5インチ(64mm)サイズで、カセットテープに代わるメディアとして普及。ほぼCD一枚分の74分から80分の録音が可能。
・DVD(デジタル・ビデオ・ディスク)
 1996年頃登場。CDとほぼ同じサイズに、音声、データ、映像などを収録可能。再生専用のほか、書き込み可能なタイプもある。
・Blu-ray(ブルーレイ・ディスク)
 DVDの次世代メディアとして2000年代に登場。2008年にHD-DVDと規格争いに勝ち、現在本格展開を始めたところ

 そして、アナログからCDへの変遷以上の改革が起こったのが、世紀の変わり目に浮上した「ネット」という新しいメディアの普及だ。

Internet □ネット

 インターネットは、もともとは1960年代の東西冷戦時代に「メインコンピュータが核攻撃などで壊された時に備えて、複数のコンピュータを回線で繋げてネットワークを作っておき、連絡網や指示系統を維持させる」という、軍事的な視点から開発されたものという。
 なるほどSF映画で良くある・・・〈マザーコンピュータを破壊すると、悪の組織はすべて一瞬にして壊滅〉・・・というパターンを避ける「危機管理」の発想から生まれたものだったわけだ。

 その発想は、電話回線とコンピュータがあれば基本的に一般市民でも出来るわけで、1980年代に、電話回線で繋がったコンピュータ同志が、文字で通信できるネットワーク・システムが生まれた。
 当時は「パソコン通信」と言い、私も1987年にMacintoshを買うと同時に入会(Nifty-ServeとCompu-Serve)している。(今で言うと、メール通信と掲示板が出来る程度の簡素なものだったのだが)

 当初は、一般の電話(ダイアル式アナログ回線の黒電話)の受話器に「音響カプラー」というものを取り付けて音声データをやりとりするという手間のかかる代物だったが、やがてモデム経由ながら直接電話回線を繋げるようになった。
 1990年代半ば頃にはユーザーの数も増え、「Web」「インターネット」という概念が固まり、そして、2000年代には高速回線(ブロードバンド)や光回線などの普及により、現在の隆盛に繋がるわけである。

 さらに、「パソコン通信」の時代には「文字」(しかもアルファベット)を送るのがやっとだったが、「インターネット」に昇格した頃には「画像」も送れるようになった。(ただし、一枚送るのに何十分とか何時間ということもあった!)
 そして、ブロードバンド回線になると、送れるデータ量が飛躍的に増大し「カラー画像」や「動画」が送れるようになり、光回線が登場するに至って「Movie」がそのまま見られるほどになった。

 音楽も同様で、ネット黎明期の音楽はせいぜい〈ピコピコ〉という電子音だったものが、徐々に曲の形となり、やがて楽曲そのものを聴けるようになり、現在では映像付の演奏ビデオをそのまま高画質で見られるようになっている。

 要するに、ほんの二十数年ほどの間に、音楽や映像を(誰でも実に簡単に)複製し、ネットを通じて世界中に(特別な機材も制作費もほぼゼロで)頒布できる…という状況が、テクノロジーの進化によって生まれてしまったわけだ。
 そのため、今まで工業生産的な「複製」を制御してきた「著作権」は、ネットの進化について行けずに右往左往している…というのが現実だ。

(音楽業界や出版業界は、紙の時代の著作権の「既得権」を死守したいのだろうが、それはもはや不可能だと私は思う。「複製を生産するコストが(ほぼ)ゼロになった」というのは、後戻りの出来ない巨大にして絶対的な変革なのだから)

 かくして、音楽の聴き方は革命的な進化(変化)を遂げた。

Itunesy
 例えば、卑近に私の例で言うと、今まで私の作品を聴くには、放送されるのを待つか、現代音楽のコーナーを常備しているような大きなCDショップに行き、CDを手に入れるしかなかった。
 それでも、輸入盤なら注文して数週間待つ必要があったし、廃盤になっていれば(中古盤を偶然見つける以外に)聴くことは出来なかったわけだ。
 しかし、ネットでは,名前や曲を検索すれば(ほぼ)「今すぐ」聴くことが出来る。

 例えば、「iTunes Store」というところでは、20枚・数十曲ほどを買うことが出来る。CDそのものを買うのではなく、CDに録音されている音楽のデータを「代価を払って自分のパソコンに取り込む」という形で聴くわけである。

 また、音楽ライブラリ(NAXOS Music Library)というサイトでは、そこの会員になることで、登録されている私のアルバム十数枚を聴くことが出来る。
 同時に5万枚近くのクラシックCDから、好きな曲を好きなだけ聴くことが出来るが、外に持ち出したり所有することは出来ない。図書館の閲覧と同じ形である。

 このような聴き方は、ちょっと前までは、パソコンの知識とネットワークの設備が必要な「マニア向けの音楽の聴き方」だったが、最近では「携帯電話」なり「iPod」なりを持っていれば、いつでもどこでも好きな音楽を入手し聴くことが可能だ。
 むしろ、現時点では(高音質にこだわりさえしなければ)レコードやCDを聴く以上に簡単な、もっともシンプルな「音楽の聴き方」になっている感がある。

 もちろん、ネットに浮遊する音楽の主流は大衆向けポップス系のヒット曲だが、マイナー系の交響曲もオペラも(ランダムアクセスの思想では均質なので)同じように入手し鑑賞することが出来る。
 結果、25年ほど前にLPが消えてCDに成り代わったように、今確実にCDは姿を消し、音楽はネットを媒介にして増殖しつつある。

 さて、それによって「音楽」が変わったか?というと・・・さあ、それはどうだろう。感じ方は人それぞれかも知れない。

 音楽を運ぶ「乗り物」が変わっただけ…とも言えるが、当初はせいぜい「馬」や「馬車」だったその「乗り物」は、やがて海を渡り空を飛び、さらに何万何億に分裂増殖する技も覚えたわけだ。
 さらに「どこでもドア」のように、世界中どこでも交通費ゼロで何万人何億人が移動できる…となると・・・

 何かが根本的に変わった…と言うのも実感かも知れないし、逆に、それでも音楽は変わらない…と言うのも正しいような気がする。
 楽しみなような、怖いような、そんな世界に私たちは「音楽」と共に生きているわけだ。

□コンサートホールと劇場

 と、延々、音楽が乗ってきた「乗り物〔メディア〕」について語ってきたが、もっとも重要かつ普遍的な(そして、安心な)乗り物は何かと言えば、やはりそれは「コンサートホール」であり「劇場」ということになる。

 CDの普及でレコードが売れなくなり、ネットの普及でCDが売れなくなった…という声は聴くものの、「音楽」そのものが衰退する気配は(今のところ)ない。
 むしろ、音楽が「音響データ」として流布する時代だからこそ、「ライヴ」としての音楽はますます存在価値が高くなると言えそうな気がする。

 生身の音楽家たちの演奏は、CDやネットの音響データからは得られない「身体に共振する」パワーがある。

 それこそが,心から出て心に伝わる「音楽の力」ということなのだろう。

          *
 
メトロポリタン・オペラ

Boheme
プッチーニ「ラ・ボエーム」
・6月04日(土)15:00 愛知県芸術劇場
・6月08日(水)19:00 NHKホール
・6月11日(土)15:00 NHKホール
・6月17日(金)19:00 NHKホール
・6月19日(日)19:00 NHKホール

Calro
ヴェルディ「ドン・カルロ」
・6月05日(土)15:00 愛知県芸術劇場
・6月10日(金)18:00 NHKホール
・6月15日(水)18:00 NHKホール
・6月18日(土)15:00 NHKホール

Lucia
ドニゼッティ「ランメルモールのルチア」
・6月09日(木)18:30 東京文化会館
・6月12日(日)15:00 東京文化会館
・6月16日(木)18:30 東京文化会館
・6月19日(日)12:00 東京文化会館

MET管弦楽団特別コンサート
・6月14日(火)19:00 サントリーホール

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2011/04/10

音楽の力・夢の力

Tree 2011年3月11日のあの時間(14時46分)は、東京渋谷の仕事場でいつものように仕事をしていた。
 最初にゆっくりした大きな振幅の揺れが始まり、やがて尋常でないひどさになり、ピアノや机が軋み始め、壁から本やCDが落ちてきた。「震度5強」。東京でこれほどの揺れを体験するのは、五十余年の人生で初めてだった。

 数分で揺れは収まったが、しばらくすると再び大きな揺れが始まったので、iPhoneと部屋の鍵だけを持って外に出た。仕事場のあるマンションは築40年以上の古い建築だが、一応は堅牢に出来ているので中に居た方が安心……。と理屈では分かっていても、人間、本能的に閉鎖空間から逃げ出そうとするものらしい。それは誰もが同じだったらしく、何人もの住民が外に出ていた。

 実家に何度か電話して母の安全を確認してから、ネットで地震速報を検索してみた。最初の速報では「三陸沖」が震源で、マグニチュード「7.9」。そうしている間も大きな余震が続き、地面はしばらくゆらゆら揺れてていた。

 部屋に戻ると、天井まで積み上げていたCDや本が雪崩となって崩れ、足の踏み場もない惨状になっていた。さいわいコンピュータなど機器の類に被害はなかったので、すぐさま電源を落とし、部屋の復旧はあきらめて、すぐに実家に戻った。
(こちらは徒歩圏内なので問題なかったが、東京は電車やバスなど交通機関がすべてストップ。外出先から自宅まで徒歩で帰る「帰宅難民」の列が,夜中まで続いていた)。

 その後、徐々に分かってきたこの震災による惨禍の圧倒的な大きさは御存知の通りである。
 そして、その日は、日本の歴史に深く刻まれる日になった。

         *

Sinsaia_2 あれから、ひと月がたった。
 宮城・福島・岩手・茨城の海岸線沿いの幾つかの街は壊滅状態となり、当初は数千人と言われていた死者行方不明者は、最終的には3万人に迫る勢いだ。
 震度は「9.0」と修正された。日本の観測史上では最大。二十世紀以降世界中で発生した地震としても4番目の大きさ。この地震で、日本列島は太平洋側に最大5mほど動き、1.2mほど沈下し、さらに地球の自転も100万分の1.8秒ほど早くなったのだそうだ。

 被害は「地震」そのもののより、その後に起こった津波によるものが甚大だった。地震直後のテレビは、海から押し寄せる物凄い高さの津波の映像を映し初め、その後、堤防を乗り越え、街を吞み込み、車や家を押し流す驚愕の災害シーンを見せつけられることになった。
 そして、半世紀以上前の戦争の時に聞いた(白黒写真でしか記録されていないような)空襲の惨劇と一面の焼け野原を超える未曾有の惨禍を、日本中世界中の人々が目にすることになった。

 一方、励まされるニュースもあった。世界中からすぐさま「日本を支援する」声が上がり、多くの人たちがエールを送ってくれたことだ。(震災直後の20日には、キース・エマーソン氏も「The Land of Rising Sun」というピアノ曲をYou Tube にアップして、日本への支援を呼びかけてくれている)

 また、この未曾有の大災害にもかかわらず、大混乱や暴動略奪なども起きず、泣き叫ぶ人もおらず、みんな冷静で、物資のない商店でも静かに列を作り、お互い譲り合っている(ように見える)という点に、世界中が驚愕し「日本人は凄い」という声が広がった。
 これは、最近すっかり自信を無くしかけていた日本人の誇りをちょっぴりくすぐる(かすかな)「Good News」だった。

 ところが、そんな日本人への好感も、津波被害を受けた原子力発電所の問題が絡んで怪しくなる。あれ以来、制御不能になった原発(福島第1原発)は、まるで「荒ぶる神」のように暴走し放射能をまき散らし続け、多くの人間の必死の努力にもかかわらず、未だに収拾の見込みが立っていない。

 テレビでは「安全です」あるいは「直ちに身体に影響はありません」などと繰り返し伝えられたが、外国人たちは一斉に日本を捨てて海外に逃げてゆき、あっと言う間に東京はゴーストタウンのようになってしまった。
 震災から4日めに大阪行きの新幹線に乗ったとき、乳幼児を抱えた夫婦や大きな荷物を持った家族で満員だったが、これは明らかに「放射能疎開」ということなのだろう。

 大阪では「このまま関西に居たら?」と何人かに囁かれた。関西から見れば,東にある地域は全て心配の圏内。「東京」もその中に含まれる。
 さらに海外から見れば、その大阪や四国九州あたりも「日本」という点では同じ心配の圏内。海外に知人友人を持つ人はみな「外国に(逃げて)来なさい」と言われた(今でも言われる)そうだ。

 現実的には、すぐさま関西や海外に「避難」するほどの実害はないにしても、外国における必要以上の心配を笑うことは出来ない。
 なにしろ、唯一の被爆国として「原爆許すまじ」を国是としていながら、「地球を放射能汚染させる」という大罪を(想定外の災害の結果であり、まったく望まなかったにも関わらず)犯してしまったのは事実だからだ。

 確かに日本は今回の大震災の「被害者」だが、世界から見れば、地球環境における巨大な厄災をもたらした「加害者」にもなってしまったわけだ。これは、もう取り返しが付かない現実と言うしかない。

         *

 その二重三重に起こった(起こりつつある)被害のあまりの大きさに「音楽」は声もない。
 そして、音楽界でも「被害」は深く静かに進行している。

Musab_2 今回の震災で、都内でも天井が崩落して死者を出した九段会館の惨事が報じられたが、そのほかにも天井や壁の崩落が起きたホールや会館は少なくない。

 実際、震源地から遙か離れた首都圏近郊の「ミューザ川崎」ホールが、天井や壁が崩落して半年以上使用不可になった。コンサートの時間帯ではなかったので人的被害はなかったが、まだ新しく当然耐震構造も供えていただろうホールが、もし客席に客が居たら大惨事になっていたかも知れないレベルの被害を被った事実は、今後いろいろな波紋を広げそうだ。

 私の周辺でも、3月末にCD録音を予定していた「秩父ミューズパーク」が、震災の被害で使えなくなり、日程は全てキャンセルになった。山の上の風光明媚な場所にあるホールなのだが、据付の地震計では震度7を記録し、ホール建物にもかなりの損害を受けたそうだ。

 そして、震災の後に広がった交通網の寸断により、東京でも3月中のコンサートはほぼすべてキャンセルとなった。(ただし、震災直後の11日12日は、意外と「中止にさせる余裕もなく」コンサートが開かれていたようだ)。
 さらに、震災被害からの「自粛」モードと、電力不足による「計画停電」のダブル・トリプルパンチにより、東日本のコンサートは次々に「中止」となった。(私が大阪にリハーサルに出かけた企画も、翌日東京で行うはずのコンサートが、楽団員および聴衆の交通の確保が難しいこと、などの理由で中止になっている)。

 その後、4月に入るとさすがに「全て中止」という事態は解除されるようになった。しかし、祭りやイベントなどの多く(例えば、5月の浅草三社祭や8月の江戸川花火大会など)は「自粛」の名の下に中止の決定となり、その余波はまだ続いている。
 昭和天皇の崩御(1989年1月)以来の「歌舞音曲の自粛」だが、ホールや音楽事務所やオーケストラからすれば、コンサートが開けないうえ、キャンセル料やチケットの払い戻し金が発生するわけで、かなりの負担を生むことは確実だ。

 さらに、外来の演奏家たちの多くが、原発問題(放射能)を怖れて来日をキャンセルしている。当初は、ひと月くらいたてばほとぼりは冷めているだろう…という楽観論があったが、未だに好転をみせない状況下で、続々と5月6月以降の外来演奏家が来日をキャンセルし始め,いつまで続くか予断を許さない。
 特に、クラシック音楽の本場であるヨーロッパ圏は「放射能」問題に過敏だ。日本の政府筋が「身体に直ちには影響のないレベル」といくら説明しても、日本に来ることを躊躇する傾向は、今後数年以上続くだろう。しばらく「日本のクラシック音楽界」にとっては「冬の時代」が来ることも覚悟すべきなのかも知れない。

 もちろんこれは、現実に震災の直撃を受けた人たちに比べれば、ごく小さな「被害」と言えるのかも知れない。しかし、ボディーブローのように、ダメージは確実に身体をむしばむ。今後しばらく(もしかしたら数年)は続くであろうこの被害を最小限に食い止めるため、音楽界の結束も必要になることだろう。

Pianoz 以前、例の「事業仕分け」のせいで、どうして「オーケストラ」や「オペラ」などと言うものが必要なのですか?というシビアな意見が噴出したことがあった。(それはつまり「音楽などというものにお金をかける必要があるのですか?」という問いかけだったわけだ)

 確かに、音楽は生活に直結した「力」を持たない。
 にもかかわらず、人々はどんな時も音楽を聴き続けるし、個人はCDやコンサートで音楽を享受し、近代都市はこぞってオペラハウスやコンサートホールを持ちたがる。

 それは、「音楽」がある場所には、ゆるぎない「日常」があるからだ。
 そして、コンサートホールに音楽が満ちている街には、何よりも「安全」があり、その背後にそれを維持できる豊かな「経済」があり、それを娯楽として享受できる「文化」がある。

 音楽は、人間の営みそのものであり、音楽があると言うことは、そこに人間の営みがあることを意味する。
 つまり、音楽の役割というのは、「ここに人間の営みがあり,生命が居る」ということを人々に伝えることにあるわけなのだ。

 だから、音楽は歌い続ける。
 そして、ふたたび歌い初める。

         *

□余談・・・

 ウィンナ・ワルツの中でも屈指の傑作ヨハン・シュトラウス2世の「美しく青きドナウ」が書かれたのは1867年。日本では大政奉還が行われた慶応3年、翌年が明治元年にあたる。

 この曲が書かれた時のウィーンは、プロイセンとの戦争(いわゆる普墺戦争:1866)に大敗して街全体が意気消沈していた頃。(そう聞くと、なんだか震災でがっくり来ている今の日本の姿を重ねてしまう)。
 そこで、そんなウィーンっ子に対して「がんばれ」「元気出せ」と歌い励ます曲を,とシュトラウスのところに「男声合唱曲」の依頼が舞い込んだ。(このあたりも、今さかんにCMなどで「がんばろう日本!」と連呼されている状況を彷彿とさせる)

 そして、書き上げられたのが,この曲の原曲である合唱曲。
 アマチュアの男声たちで歌われる(少しコミカルで威勢のいい)曲調で、「ウィーンっ子たちよ,陽気にやろうぜ。くよくよしたって仕方がない。景気よく踊ろうじゃないか!」というような歌詞(詞:ヨゼフ・ワイルJosef Weyl )がついていたそうだ。

 ちなみに、バリトンが〈♪ドミソ・ソ〜〉という主旋律を歌うと、テナーが〈♪ソソ・ミミ〉という合いの手で掛け合う形になっていて…
「ウィーンっ子よ、陽気にやろうぜ(Wiener seid froh)。
 ♪なんでだ?(Oho,wieso)」
「あれを見ろよ,(No so blickt nur um)。
 ♪どれどれ?(I bitt' warum?)」
「カーニバルじゃないか。(Ei, Fasching ist da!)
 ♪ホントだ(Ah so, na ja!)」
Donau_2
 …という風に続く。一歩間違うと「不謹慎」と言われそうな軽さだ。

 それでも、歌詞の最後の…
「幸せはもう戻ってこない。
 時はすぐ過ぎ去り、
 バラだって色あせてしまう。
 だから、踊ろう。
 今はひたすら踊ろう」。
 …というあたりは共感できる。単なる「がんばろう」でなく、人生訓のようなものが込められているわけだ。

 しかし、この合唱版は市民の共感を得られず不評に終わる。(踊ることへの「自粛」ムードもあったのかも知れない)
 そのまま歴史の彼方に消えていたかも知れないところだが、(一説にはシュトラウス夫人のアドバイスで)上品なイントロと共にオーケストレイションを施して,現在のような「ワルツ」として蘇った。
 そして、翌1868年のパリ万国博覧会で披露したところ,今度は大人気と成り、今ではシュトラウスのワルツBEST1であると共に、クラシックの名曲の中でも屈指の傑作に数えられている。

 現在では、ウィーン・フィルの新年コンサートで最後のトリを担う定番の名曲。冒頭の弦のトレモロによる序奏が聞こえてきたところでお客から「来た来た」という拍手が起こり、指揮者はそれを聴いて演奏を一時ストップさせ、オーケストラ全員が「あけましておめでとう!」と叫ぶ…というのが伝統的「お約束」になっているほどだ。

Sakuraz 実を言うと、個人的にこの曲、あまりにも耽美的でのどかな楽想のせいか、苦手な曲のひとつである。甘さたっぷりの砂糖菓子のようで、辛党の身には食べずして「もう結構」という感じなのだ。
 SF映画の古典的名作「2001年宇宙の旅」で宇宙空間に浮かぶ宇宙ステーションのシーンでこの曲が流れたときも、美しいかどうかという以前に「場違い」と感じたほどだった。

 ところが、今回の震災で色々なコンサートが消し飛び、私が担当するFM音楽番組で(敢えて言えば「穴埋め」として)この曲が流れてきたとき、実を言うと初めてこの曲の「涙が出そうな美しさ」を感じ、惚れ直してしまった。
 この曲の無為なまでの甘美なメロディは、逆に「辛い」状況下では、その「甘さ」によって天国的なまでの「日常」を見せてくれるということなのだろう。それは「夢の力」と言っていいのかもしれない。

 そうだった。
 音楽というのは,落ち込んだ人や悲しんでいる人に「がんばれ」「元気を出せ」と尻を叩くものではなく、ましてや勇気や希望を押しつけるものではない。

 音楽の「メッセージ」はそういう言語的次元のものではなく(もちろん、ことばを伴った「歌」のメッセージ性は,また別の次元にあるけれど)、ただ美しいもの、ただ青いもの、それらがごく普通に日常の中に存在する。そのことの素晴らしさ愛おしさを伝えることこそが「音楽」の役割なのだ。

 真性の絶望は音楽では癒せない。
 でも、絶望の淵にある魂に,音楽は極めて有効だ。

 だから、人の営みがある限り、音楽はこれからも、ただひたすら「美しく」、ただひたすら「青く」あり続けるだろう。

         *

Tittle

■東日本大震災 復興支援チャリティ・コンサート
《クラシック・エイド》

2011年5月18日(水)19:00 
東京オペラシティ・コンサートホール
チケット発売:4月17日(日)

□出演(予定)

上原彩子、清水和音、舘野泉、仲道郁代、
練木繁夫、三舩優子(ピアノ)

遠藤真理、木嶋真優、木野雅之、小林美恵、
千住真理子、滝千春、長谷川陽子(弦楽器)

赤坂達三(管楽器)

足立さつき、河野克典、坂本朱、佐藤しのぶ、
鈴木慶江、錦織健、森麻季、水口聡(声楽)

曽我大介(司会) 他

・曲目未定。
・私(吉松隆)も作品と編曲で参加します。

 

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2011/03/10

クラシック比較音楽史

Historym クラシック音楽というと基本的に「西洋」のもの。西洋の歴史とはリンクするものの、「日本で言うとどのくらいの時代の音楽ですか?」と改めて聞かれて即答できる人は少ない。

 確かに、普通の人なら日本史の年号の幾つかは…「鳴くようぐいす平安京(794)」とか「いい国作ろう鎌倉幕府(1192)」…というように記憶している。そして、クラシックにあまり興味のない人でも「モーツァルト没後200年」とか「ショパン生誕200年」というような話を耳にしたことはあるはず。

 ただ、それを相互比較して並べてみることはしない。特に、日本は江戸時代まるまる「鎖国」で西洋文明と没交渉だったので、あまりリンクする意味がないと言うこともあるのかも知れない。

 でも、ある音楽が生まれた頃、それを生み落とした社会や遠い極東の国「日本」がどんな時代だったのか?というのは、なかなか想像力をかき立てられる心惹かれる題材だ。

 大まかに言えば、
 バッハが江戸の元禄時代、
 モーツァルトやベートーヴェンは江戸後期。
 明治時代になった頃がワーグナーやブラームス
…といった具合なのだが、そう答えると「意外に新しいんですね」という人と、逆に「意外と古いんですね」という人がいるので面白い。

        *

□西洋と東洋との出会い

Gungakub 日本とクラシック音楽の「公式な」出会いは、ざっと140年ほど前。(これも「意外に新しい」か「意外に古い」かは人それぞれだ)
 鎖国が解かれた「明治」の初め、イギリス海軍から薩摩藩に軍楽隊の楽器が送られたのが明治2年1869年頃。日本に初めて(きちんと)西洋音楽が入ってきたのはこの辺が起点だろう。

(そのあたりの、西洋音楽(特にオーケストラ)が日本に浸透していった歴史に関しては、以前書いた「日本のオーケストラ事始め」を参照のこと)

 もっとも、さらに遡って「非公式?」に西洋音楽が入ってきた…ということになると、織田信長の時代だろうか。
 鉄砲伝来が1543年、フランシスコ・ザビエルがキリスト教の伝来に来日したのが1549年あたりだから、おそらくこの頃、西洋楽器も日本初上陸を果たしたものと思われる。

Nobnaga 特に織田信長は、舶来もの好きということもあって、安土城(1579年完成)で何度か西洋音楽を聴いたという記録がある。(安土城には、「日本史」を著した宣教師フロイスが出入りしていたし、キリスト教に興味を抱いていた信長はイエズス会と交流があったため、その関係らしい)

 曲としては、おそらく小編成の合唱隊(コーラス)が主で、楽器は、南蛮船に積まれていたオルガンやチェンバロあるいはスピネットのような鍵盤楽器、そしてリュートやヴィオール系(あるいはハープ)などの弦楽器あたりだろうか。
(一説には、オペラのような音楽劇が上演されたという話もあるそうだから、演奏や発声の手ほどきを受けた日本人もいたはずで、彼らに伝承された「西洋音楽」がその後どうなったか想像すると楽しい)

Despreza 当時のヨーロッパは、中世ルネッサンス音楽の時代。信長が聴いたのが誰の作品か知る由もないが、作曲家としてはデュファイ、ジョスカン・デ・プレ、パレストリーナあたりの同時代作曲家たちということになる。

 この信長亡き後、豊臣秀吉も、後を継いでしばらくはイエズス会系の「西洋音楽」を好んで聴いたと伝えられる。
 1582年(天正10年)には、4人の少年を「天正少年使節」としてローマに送っているから、そのまま西欧諸国との交流が始まっていれば、音楽もどっさり輸入できたに違いない。

 しかし、秀吉はキリスト教に対して「布教と称して日本を植民地化しようとしているのでは?」という疑問を抱き始め、1587年(天正15年)バテレン追放令を出して、キリスト教を排斥してしまう。

Tensho 結果、先の少年使節団が帰国したとき(1590年)には、彼らが持ち帰った西洋文化を吸収する土壌は残念ながらなくなっていたのは、残念と言うしかない。(それでも、帰国後すぐ、聚楽第で秀吉にジョスカン・デ・プレの曲などを演奏して聴かせたと伝えられるのだが)

 そして、これを最後に、日本と西洋音楽とのリンクは(その後280年にわたって)途切れることになる。

□禁令から鎖国へ

Tokugawa やがて、関ヶ原の戦い(1600)を経て徳川の天下になり「江戸時代」が始まるが、残念ながら家康の取った政策は「鎖国」。信長で開かれたかに見えた「西洋音楽」の輸入は完全に途絶えてしまう。

 皮肉なことに、この頃がちょうど、イタリア・オペラの発祥の時代。イタリアはフィレンツェで、ギリシャ悲劇を歌と音楽付きで上演する形が「オペラ」となり、最古のオペラが生まれたのがこの頃。
 現存する(そして現代でも上演される)最古のオペラとして知られるモンテヴェルディの「オルフェオ」が生まれたのが慶長11年(1607年)。まさに江戸時代に入ったと同時くらいの出来事だ。だが、その頃「禁教令」が敷かれ、「鎖国」状態になってゆく日本には知る由もない。

Kabu ただし面白いことに、日本でもこの時期、出雲の阿国を元祖として(日本のオペラとでも言うべき)「歌舞伎」が誕生している。
 京都の北野天満宮で出雲の阿国が初興業を行ったとされるのが慶長8年(1603年)。当初は女性が男装して演じるものもあったが、現在のように男性が女装しての「歌舞伎」(野郎歌舞伎)が確立したのが1652年(慶安5年)頃。

 オペラも、フィレンツェで産声を上げてから、その成功が話題になり、ヴェネツィアを中心に専門のオペラ劇場が幾つも建てられ、モンテヴェルディらによって多くの新作オペラが制作されるようになるのがこの頃。人間の嗜好は、地球の裏側でもシンクロするものらしい。

Yazhasi 一方、江戸では同じ時期に、「六段の調」や「千鳥の曲」「乱輪舌(みだれ)」などの名作で知られる八橋検校(1614〜1685)が登場。箏曲という、言わば「器楽音楽」の世界で独自の音楽文化が花開くことになる。
 その頃の日本には「作曲家」という概念はなかったが、作曲した作品が300年以上後の世にも残っている…という点では立派な「Japanese Composer」の始祖と言えるだろうか。

(一説には、この「箏曲」という器楽音楽の開祖は、何らかの形で信長秀吉時代に伝わった「西洋音楽」の片鱗を体験しているのではないか?という。
 そう言えば確かに、変奏という形式や段組みの発想には、西洋音楽の変奏曲形式やキリスト教宗教音楽の儀式構成の匂いがする。それは実にわくわくする想像だ。)

Jsbach_1 その八橋検校が亡くなった年(貞享2年。1685年)にヨーロッパでは「クラシック音楽の父」J.S.バッハ誕生。

 日本では、戦がなくなって一世紀ほどがたち、確固たる「江戸文化」が根付いた泰平の世の真っ只中。5代将軍綱吉の時代(1680〜1709)で、赤穂浪士の討ち入りの年(元禄14年:1701年)にバッハは16歳だ。
 そして、バッハの創作絶頂期は、近松門左衛門が「曽根崎心中」(1703)から「女殺油地獄」(1721)までの名作を書いているあたり。「マタイ受難曲」(1727)が、8代将軍吉宗の頃だ。

Mozartaa そしてモーツァルトは…というと、もう江戸時代も後半の9代将軍家重の世の生まれ(宝暦6年:1756)。上田秋成が「雨月物語」(1768)を書いたり、杉田玄白が「解体新書」(1774)を著したり、平賀源内がエレキテルを研究していたあたりが彼の時代。
 死んだのは寛政3年(1791)。11代将軍家斉の御代。ちなみに、モーツァルトが死んですぐ(1794年。寛政6年)江戸に謎の絵師:東洲斎写楽が出現している。

□ロマン派から近代へ

Ludvig1 19世紀(1800年代)になると同時に、クラシック音楽界最大の革命児ベートーヴェンが本格的な作曲家活動を開始する。
 時代的には江戸の後期。十返舎一九が「東海道中膝栗毛」(1802〜1814)を書き、葛飾北斎が「富嶽三十六景」(1820)を描き、滝沢馬琴が「里見八犬伝」(1814〜1842)を著し、伊能忠敬が日本地図を作ったりしている(1800〜1816)頃ということになる。

 ショパンがパリで活躍している時代(1830年代)はというと、「ピアノ」という工場生産必須の鋼鉄製の楽器が「近代化」の象徴として音楽会を席巻。ピアノから歌からオーケストラそしてオペラまで書ける「作曲家」が、西洋音楽文化のヒーローとして活躍し始める。

 ベルリオーズが幻想交響曲(1830)で近代オーケストラの扉を開き、パガニーニやリストがヴァイオリンおよびピアノで演奏技巧の極致を極めるのもこの時代。

53zgi その頃の日本はというと、同じく近代化への流れが起き始めている頃。イギリスを初め外国船がやってきて、シーボルト事件などが起こり、徳川幕府の屋台骨が怪しくなり始める。広重の「東海道五十三次」(1833)などがこの頃だ。

Wagner そしてロマン派全盛の時代になり、ワーグナーがせっせと楽劇を作っている頃、日本では幕末になる。
 大政奉還がなされ坂本龍馬が暗殺された年(慶応2年。1867年)にヨハン・シュトラウスの「美しく青いドナウ」が初演され、時代が明治になった翌年(明治元年。1868)には、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が初演され、ブラームスが「ドイツ・レクイエム」を発表している。

 近代化に向けて森鴎外らのドイツ留学が始まった明治17年(1884)はワーグナーの死の翌年。鴎外らが日本に最初に「西洋音楽を代表する理想的な作曲家」として伝えたのはこの「ヴァーグナー(ワグネル)」だった。
 そのため、日本初のアマチュア・クラシック音楽サークル(慶應義塾)は「ワグネル・ソサイエティ」と名付けられることになる。

□現代へのリンク

Nichiro そして、日清戦争が始まった年(明治27年。1894)に、ドビュッシーが「牧神の午後への前奏曲」を発表。クラシック音楽は「近代・現代」の時代に突入する。

 ロマン派までの時代は、最も速い乗り物が「馬車」だったものが、19世紀半ばに蒸気機関車が旅客を運ぶようになり、19世紀末には自動車が走るようになった。人間が体感するスピードが、「馬」から「機械」へと変わったわけだから、音楽も大きな変動を迎えることになるのは当然と言うべきだろう。

 夏目漱石がロンドン留学した1900年(明治33年)は、マーラーが交響曲第5番、シベリウスが交響曲第2番を作曲していた頃。
 少し遅れて山田耕筰がドイツ留学したのが明治43年(1910)。その翌年(1911)マーラー死去。

 かくして20世紀を迎えると、自動車や飛行機の時代となり、さすがにクラシック音楽の本体である「ロマン派系作品」は時代に取り残されて行く。
 しかし、一方で「録音」の発明(ベルによる電話の発明が1876年、エジソンの録音機が登場したのが1877年)によって、演奏される端から大気に消えて行くのが宿命だった「音楽」にとっての新たな時代が切り拓かれることになる。

Record 1907年(明治40年)頃には円盤式のレコードが普及し初め、1909年(明治42年)には日本でもレコード(SP盤)が製造・発売。
 やがてマイクロフォンで電気録音し、その音を円盤状の「レコード盤」に記録する技術が開発されたのが1925年。

 映画のフィルムに光学的に音声信号を収録する方法(サウンドトラック)が開発され、音楽は映像と共に記録されるようになるのが1927年。
 そして1938年にはドイツで「磁気テープ」が開発され、音楽は「編集」した上で「記録」出来るようになる。
 
Hiroshima_2 シェーンベルクらが「無調音楽」や「十二音楽」を主唱して「現代音楽」の時代に突入するのが、まさにこの時期。
 いわゆる「クラシック音楽」はこのあたりを境に衰微し(ただしレコードの出現によって「再現芸術」として別の歴史を刻み始めるのだが)、世界と音楽は、第1次世界大戦(1914〜18)、ロシア革命(1917)を経て第2次世界大戦(1939〜45)へと向かう激動の時代に吸い込まれて行く。

          *

メトロポリタン・オペラ

プッチーニ「ラ・ボエーム」
・6月08日(水)19:00 NHKホール
・6月11日(土)15:00 NHKホール
・6月17日(金)19:00 NHKホール
・6月19日(日)19:00 NHKホール

ヴェルディ「ドン・カルロ」
・6月10日(金)18:00 NHKホール
・6月15日(水)18:00 NHKホール
・6月18日(土)15:00 NHKホール

ドニゼッティ「ランメルモールのルチア」
・6月09日(木)18:30 東京文化会館
・6月12日(日)15:00 東京文化会館
・6月16日(木)18:30 東京文化会館
・6月19日(日)12:00 東京文化会館

MET管弦楽団特別コンサート
・6月14日(火)19:00 サントリーホール

▼ちなみに、今回のメトロポリタン・オペラ来日公演の3演目は、ちょうど30年差で3つの時代を描いていて、ちょっと面白い。順番は、もちろん「ルチア」「ドン・カルロ」「ボエーム」。

Lucia

ランメルモールのルチア
・ドニゼッティ作曲。1835年、サン・カルロ劇場(ナポリ)で初演。
 →書かれたのは、日本では江戸時代中期。11代将軍:徳川家斉の世。この頃の主な事件としては、天保の大飢饉(1832)、大塩平八郎の乱(1837)など。初演された1835年はハレー彗星出現の年でもある。
 ちなみに、原作となる物語の舞台は17世紀のスコットランド。日本では江戸時代初期。ただしW.スコットの小説では18世紀に置き換えられている。

Calro

ドン・カルロ。
・ヴェルディ作曲。1867年、パリ・オペラ座で初演。
 →初演は日本では江戸時代末期。15代将軍:徳川慶喜の世。大政奉還の年(1867)であり、坂本龍馬が暗殺された年でもある。翌1868年が明治元年。ヨーロッパではカール・マルクスが「資本論」を発表し、ノーベルがダイナマイトを発明し特許を取得している頃。
 こちらの舞台は、16世紀のスペイン。実在のスペイン国王フィリペ2世の王子ドン・カルロが主人公。日本では織田信長らが群雄割拠する戦国時代の真っ最中だ。

Boheme

ラ・ボエーム
・プッチーニ作曲。1896年、トリノ・レージョ劇場で初演。
 →初演は日本では明治29年(1896)。日本は近代化から富国強兵政策を経て軍国主義に走り出した頃で、時代としては日清戦争(1894〜95)の直後。ちなみに、この年の4月に近代オリンピック第一回大会がアテネで開かれている。
 オペラの舞台は1830年代のパリ。登場人物は貧しい若者たち。時代的には先の「ルチア」が初演された頃で、日本では江戸時代中期。

 …と、無駄な知識を加えて改めてそれぞれの作品を見ると、背後になんとなく時代が聞こえてくるような気がしてくる…のではなかろうか。

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