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2012/11/10

賛美歌の中の天使たち

Nearergod_2  むかし、ヨーロッパ留学していた学生時代の友人が久しぶりに帰国したので会ったとき、その第一声が「いいなあ、音楽が出来るやつは…」だった。

 理工科系エンジニアとしての留学なので、音楽の素養など全然関係なさそうだが、ちょっと人が集まるパーティなどでは必ず「何か歌って」という話になる。特に、日本から来たということになると「何か日本の歌を聴かせて」という声が必ずあがるのだそうだ。

 そこで、初めてポップス以外の日本の歌をほとんど知らない自分に気付き、リクエストに応えて(日本では一度も歌ったことのないような)「サクラ、サクラ」とか「五木の子守歌」とかをうろ覚えの怪しい歌詞で歌ったのだが、死ぬほど恥ずかしい思いをしたという。

 それに対して、欧米系の学生は3〜4人集まるとすぐなにやらハモる歌が歌えるのだそうだ。それも、子供の頃から勉強一筋で音楽にも楽器にもまったく縁遠かったというような(彼と同じ側にしか思えない)学生が、「じゃあ、XXを歌います」と言うや、数人で見事にハモってみせるのだそうで、これにはかなりショックを受けたらしい。

 もちろん、日本人が全員ジュードーやカラテが出来るわけではないように、欧米人にだって歌のヘタな人はごまんといるだろうが、確かにコーラスのセンスは日本人には太刀打ちできないレベルのような気がしないでもない。

 なにしろ(現代ではどうなのか知らないが)かつてはヨーロッパやアメリカでは子供の頃から日曜日ごとに教会に行くのが普通で、みんなそこで「賛美歌」を聞いて育っている。だから、シンプルなハーモニーの基礎訓練は意外と出来ているわけで、ハモる歌のひとつやふたつ持ち歌があっても不思議ではない。なにしろ毎週毎週ハーモニーの早期教育を受けていたのと同じなのだから。

 そのせいかどうか、兄弟が3人とか友達が人とか集まると,自然と「一番歌が上手い人がメロディパート」「身体が大きくて声が低いのはバスのパート」「ハーモニーのセンスがいいのが内声の装飾パート」「あまり歌がうまくない人は内声の奥のパート」というように(なんとなく)役割分担が出来る。
 もともとハーモニーが作りやすい曲を選んで歌っていると言うこともあるのだろうが、日本のようにがなり立てるだけのユニゾン(童謡でも軍歌でもほとんどこれだ)というのはあまり聴かない。

 この場合、メロディを歌うのは歌がうまい人に越したことはないが、実はそれより重要なのは「内声パート」。普通にメロディとバスがシンプルな和声進行で歌っていても、内声に7thとか半音進行などを交えると途端にハイセンスなハーモニーの世界になる。セカンドを勤める人間の「音楽のセンス」がコーラスではかなり重要になってくるわけだ。

 しかも、そのセンスは音楽を勉強したからと言って身に付くものではない。「耳」で聴いて「この音」という内声を自分で探し出す。さらに、自分の声がどの声部に合っているか、どの倍音に適しているか、というのも重要なポイントになる。こればっかりは場数を踏んで自分の耳で習得してゆくしかないわけだ。

Beatles1_2 私が、60年代に最初にビートルズを聞いたとき衝撃を受けたのは、ビートの新しさよりむしろこのコーラスの「ハーモニー」のクオリティにだった。

 あの(叫んでいるだけのような歌い方に聞こえる)「抱きしめたい」や「プリーズ・プリーズ・ミー」「ハードデイズナイト」という最初期の曲からして、コーラスは(驚くべき強引さながら)しっかりハモっている。
 ジョン(John Lenon)がリードボーカルが歌っている後ろで、ポール(Paul McCartney)とジョージ(George Harrison)が常に内声パートを補完しているのだが、そのセンス(というより野性的な「勘」)が絶妙なのだ。 

 そして、そこにはリードボーカルにライバル心を燃やす(あわよくばメインを食ってやろうという)覇気も聞こえてくる。メロディ(主旋律)を活かすのは対旋律なのだというアピール。それはモダンで強力なハーモニーであると同時に、ヨーロッパ伝統の「対位法」の世界でもあるわけだ。

 この力尽くのハーモニー感を「子供の頃から日曜ごとに教会の賛美歌で鍛えられたハーモニーのセンス」と断言していいのかどうかは分からないが、少なくとも私たち日本人には真似できない「文化的な何か」があることは確かだ。
(なので、件の彼は、日本人でなければ逆立ちしても出来ない「詩吟」とか「義太夫」の世界を聴かせて、外国人諸氏に腰を抜かしてもらうべきだったのかも知れない…)

  

□賛美歌の誕生

 と、日曜日の教会の「賛美歌」を持ち出すまでもなく、西洋クラシック音楽の基本は「キリスト教」にある。

  モーツァルトやベートーヴェンにしても、その目指すところは「正統なキリスト教の教義に則った宗教作品を書く」こと。それこそが第一級の文化人であり最高の芸術家たる目標だったわけで、(信仰があるかないかに関わらず)神を讃えるべくハーモニーを駆使するのは、西洋に生まれた音楽家の勤めであったわけである。

  結果、私たちが今聞いているミサ、カンタータ、レクイエムなどの名作は(くどいようだが、作曲者に信仰があったかどうかには関係なく)形式的にも内容的にもカトリックの教会における儀式音楽の定型を(表向きは)外さないように書かれている。

  一方、「賛美歌」は、もっと庶民的なプロテスタントの教会で歌われるのが前提のもの。別に大作曲家が作るわけでもなく、色々なメロディが教会で歌われているうち自然に広まっていったものらしい。
(ちなみに、プロテスタントとは16世紀マルティン・ルターの宗教改革以降広まった新しい宗派。聖書や教会にこだわる権威的かつ禁欲的カトリックに対して、自由な形での信仰を勧める)。

 カトリックの「聖歌」ほど聖書(や詩編)からの歌詞にこだわることもなく、信仰を感じさせる歌詞であればその内容はかなり自由なのだそうだ。(クリスマスに歌われる「きよしこの夜」やベートーヴェンの第のメロディによる「ジョイフル」などがいい例だ)。

God  そして、小さな教会で一般庶民が歌うのが前提なので、メロディの音域はあまり広くなく、ハーモニーもシンプル。その楽譜の多くは4声部で書かれていて、オルガン伴奏が普通である。

 そこで、教会に集まる多くの人は主旋律を歌い、声の低い成人男性はバス(低音)、少し歌心のある人は「内声」を担当する、という具合に、自然にハーモニーを分担してゆくわけだ。

 この自然発生的なハーモニーによる「賛美歌」を教会のような残響たっぷりな響きの中で歌うと,そのシンプルなハーモニー感覚にはしみじみ陶酔させられる。
 キリスト教徒でなくでも「ああ、神さまって本当にいるのかも知れない」という気になってくること請け合いなのだから、子供の頃から毎週この響きに包まれて育つことが音楽性に大きな影響をもたらすことは間違いない。

  むかしむかし原始の時代、洞窟の中で神の名を唱えた時のこの「神さまがいる」っぽい響き(自然倍音)の感覚こそが、西洋音楽の「ハーモニー」の起源・・・というのが私の持論なのだが、これは間違いないと思う(のだがどうだろうか)。

 

□私の賛美歌

  実を言うと、この「賛美歌」、私の音楽のルーツのひとつでもある。

 私自身は別にキリスト教でもなんでもないのだが、母がミッション系の学校出身だったため、よく台所で料理をしながら賛美歌を鼻歌交じりに口ずさんでいて、子供の頃から主立った賛美歌は耳なじんでいたことがひとつ。 

 さらに、父方の祖父の時代からの繋がりで、子供の頃からYMCA(キリスト教青年会)に出入りがあったこともある。別に信者というわけではなかったが、小さい頃からそこが主催する夏季キャンプに毎年参加し、朝夕、森の中のチャペルで神父さんが聖書の一節を読み賛美歌をみんなで歌っていた。おかげで賛美歌の十や二十は今でも頭の中にしっかり刷り込まれて今に至っているわけなのだ。

 さて、そこでどういうハーモニー感覚が培われたかは自分でもよく分からない。 ただ、以前、武満徹さんが、青年時代に戦後の進駐軍のキャンプで耳にした「バーバーショップ・コーラス」風ハーモニーが耳に染みついていて・・・という話をどこかでしていて、なんとなく似た感慨を覚えたことがある。

  バーバーショップ・コーラスというのは、19世紀のアメリカで「床屋(バーバーショップ)」に集まった男たちが無伴奏カルテットで歌ったのが起源のジャズ風ハーモニー。第テナーが主旋律を歌い、その上の第テナーがオブリガート風の高音装飾を行うのが特徴で、往年のダーク・ダックスやデューク・エイセス、ボニー・ジャックス(年配の方しか分からない話かも知れないが)などもその流れ。もう少し新しいところではビージースとか(ちっとも新しくないって?)

Walker_brothers

  私が中学の時にビートルズ以上にはまっていたウォーカー・ブラザースというバンドも、(ロックバンドでありながら)エコーたっぷりのコーラスが聞き物だったし、たった二人で濃厚なハーモニーを聴かせたカーペンターズも絶妙のセンスだった。
 1970年代のプログレッシヴ・ロックでは、イエスの精妙なコーラスのセンスは見事だったし、ピンクフロイドが「狂気」で聴かせた分厚いコーラスのハーモニーは今も耳にこびりついている。

  彼らのハーモニーセンスは、クラシックの正統な機能和声法を学んだ人から見れば、もしかしたら安っぽいものなのかも知れない。なにしろ「教会」で磨かれたクラシカルな和声感とは程遠い、「床屋」で生まれたような「勘」と「耳」だけが頼りのハーモニーなのだから。

 しかし、これがなかなか心にしみるのだ。

  武満さんが自身のオーケストレイションの中に「密かに」潜ませた床屋のハーモニー感覚は神懸かっている。基本は無調のメロディラインでありながら、その裏にバーバーショップが由来のハーモニーを絡ませるなど、戦後日本でアメリカ進駐軍とジャズに自分の音楽の起源を聴いた彼以外の誰に出来るだろう。欧米人が「日本的」といいながら「タケミツ・サウンド」に親近感を感じるのはそのせいもあるはずだ。

  私も、イギリスのオーケストラと仕事をしたとき、先のビートルズの件や賛美歌の件など、自分の中に刷り込まれているそういった「日本が起源でないハーモニー(ハモる)感覚」を、彼らに耳さとく聞き出されたような気がして、楽しくも面白い思いをしたものだ。

'

Cathdrale□子供たちは天使じゃない

 そう言えば、この「ハモる」という言葉、日本人のハーモニーへの憧れを象徴する大事なキイワードなのかも知れない。

  ことばの起源自体は、戦後1950年代頃のジャズマンたちの俗語かららしいが、言い得て妙な言い回しだ。確かに、日本古来の音楽には「共鳴(共振)する」という感覚はあっても、「ハモる」という感覚はとんと無い。

 響きの中に自然倍音が聞こえる状況を「おッ、ハモってる」と言ったとき、彼らには「新しい時代」の音楽をその肌身に染みて感じたのだろう。

 その「ハモる」の起源であるヨーロッパで教会のステンドグラスから降り注ぐ賛美歌のハーモニーの響きは「神」へと誘うものだが、もうひとつ、「天使」へと誘う響きがある。・・・それが、子供たちの合唱だ。

  いわゆる「児童合唱」は、声変わりする前の少年(およそ12歳以前)および少女によるコーラス。カトリック系の教会では「少年合唱」とほぼ同義(ドレスデン聖十字架教会合唱団、ウィーン少年合唱団など)だが、一般には少年少女合唱団という形が多い。(もちろん「少女合唱団」というのも存在する)

 私も、何度か舞台や編曲の仕事の中で「子供たちの声(児童合唱)」と一緒に仕事をしたことがある。その多くは、大人たちの混声合唱団に混じっての「子供たちの世界」の表出だが、そこで、いつも思い知るのは,彼らの声の「破壊力」である。

 舞台やドラマでは「どんな名優も子役には勝てない」と言うが、さもありなん。どんなにプロの演奏家たち歌い手たちが熱演し熱唱しても、子供が出てきて「天使のような声」で歌い出した途端、すべてを破壊して彼らが「主役」になってしまう。

  もちろん子供は決して天使ではない。そして、その「声」も決して「天使の声」ではない。(時には「悪魔の声」に近い…)
 しかし、その「歌声」は・・・天上の響きを持っていて、美しくそして怖ろしい世界へ聴くものを誘う。

 

 例えば、マーラーの交響曲第3番では、第5楽章「天使たちが私に語ること」でいきなり児童合唱が歌い出す。(まさに突発的な「天使」の異世界!)

 ♪ビム、バム、ビム、バム!
 人の天使が美しい歌をうたい、
 その声は幸福に満ちて天上に響き渡り、
 天使たちは愉しげに歓喜して、叫びました。
「ペテロの罪は晴れました!」と。

 ベルクのオペラ「ヴォツェック」では、無調で歌われる暗く凄惨な現代オペラの世界の最後のシーンに子供たちが登場、「ホップ、ホップ」と歌いながら消えてゆく。このシーンだけで、暗く救いようのない世界がかすかな光の向こうに昇華する。

 もうひとつ、戦後前衛音楽の時代の名作「少年の歌」(1956)は、シュトックハウゼンが「旧約聖書」の語句を歌う少年たちの声を電子音と一緒にコラージュしたもの。子供の声が持つ可愛い&怖い(こわ可愛い?)世界を見事にサウンド化している。

(そう言えば、昨日見た「世界大戦争」(1961)という日本映画では、核戦争で破壊された東京の廃墟が映るラストシーンに「♪もういくつ寝るとお正月」という子供たちの歌声が聞こえてきて・・・それはそれは怖かった)

 余談ながら、私が大河ドラマ「平清盛」のテーマ曲で最後に歌わせたのも、子供の歌だ。

 ♪遊びを せんとや 生まれけむ

 

 子供の歌声は、聞こえた瞬間、なぜかいきなり「どこか」へ吸い寄せられる魔力がある。大人にとっては(遠い昔に自分がそうだったような)「過去」を象徴する響きであり、そのせいで自分が今いる世界とは違った「異界」を感じさせるのかも知れない。

 なにしろ子供という存在は、ほんの数年前まで「向こうの世界(あの世)」にいたのだ。大人と違い、まだ「人間になる前」の「何か」を持っている。

 子供たちの歌は、自分が神の横にいた頃の「天国の記憶」(そして、これから行く「天国の予感」)を呼び覚ますのかも知れない。

     * 

■ドレスデン聖十字架教会合唱団 クリスマスコンサート 
20121207() 19時開演 東京オペラシティコンサートホール 
出演:クロイツカントール(音楽監督・指揮):ローデリッヒ・クライレ
ホルガー・ゲーリング (オルガン ) 
ドレスデン聖十字架教会合唱団

Image21 コダーイ:待降節の歌
レーガー「聖母さまの夢」
ブルックナー「アヴェマリア」
グリーグ:めでたし海の星よ
オルガンソロ
グルーバー:きよしこの夜
賛美歌103番「牧人、羊を」
フランス民謡「ディンドン!空高く」
バッハ/グノー「アヴェマリア」
賛美歌111番「神の御子は今宵しも」
賛美歌102番「諸人声をあげ」
ヘンデル:ハレルヤ ・・・ほか

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