2012/12/10

年末雑感〜連想噺

□子供の声1

Babycry  最近、ネット内で「赤ん坊の泣き声論争」がちょっとした話題になった。乗り物の中などでの赤ん坊の泣き声について「うるさい。迷惑」派と「温かく見守る」派の対立ということらしい

 ちなみに私も、子供の泣き声というのはこの世で一番苦手な音のひとつだ。ただ、それは人間として至極当然の反応だと思うのだ。

 そもそも赤ん坊のように言葉でのコミュニケイション能力を持たないものは、自分が「不快な状況」(お腹がすいた…とか、排泄の必要がある…とか、眠い…とか)にあることを「音声信号」だけで第三者に伝えなければならない。

 そのため、通常の「あー」という発声にできる限りの変調(歪み:ディストーション)をかけて「ぎあ~」とか「うぎゃあ~」というノイズ(騒音)を作り出し、しかもそれをリミッターをかけない最大出力で放射する。

 目的は、自分の現状が「不快」であることを明確に伝えることにあるのだから、「ぴよぴよ」とか「みーみー」というように相手が心地よくなる音では意味を成さない。人間なら誰でも100%「どうした?」と耳をそばだたせ、それを止めるためにはどんなことでも辞さない、と思わせるような「強力な刺激音」でなければならないわけだ。

 なので、あの声を聴いて「不快と思わない」あるいは「スルーできる」という人がいたら、それは逆に人間として問題がある。(救急車のサイレンが鳴っても爆弾の破裂音がしてもすやすや眠れるという人がいたら、それはかなり問題なように)。

 赤ん坊の泣き声というのは、人間が人間に向かって発する「もっとも破壊力のある音」つまり《対人型音響兵器》なのである。そして、これに反応するのは人間である証しでもある。

 というわけで、逃げられない閉鎖空間でその「音響兵器」が発射されたら・・・これは,確かにたまったものではないのだが、申し訳ないが助かる術はない。爆弾相手に「うるさい。迷惑」も「温かく見守る」も通用しない。なにしろ相手は必殺の最終兵器なのだから。母親でない身としては、ただ祈り、警報が解除されるのを待つしかないのである。合掌。(∩.∩)

□子供の声2

Cat  しかし、一方で「(快適なときに)正常に発声される子供の声」というのは、その逆の破壊力を持っている。こちらはもうひたすら「カワイイ」のである。これは子猫や小鳥の声も同様なのだが、やはり「高音の澄んだ声」というのがポイントだろうか。

 男性の野太い低い声は、ある種の威圧感を感じる。明らかに自分より大きな体躯の身体から発せられる声…というのは、本能的に「やすらぐ」というようりは「身構える」という反応を生む。もちろん大きな力を感じさせるゆえに、優しくその声に抱かれることは「安心感」というのも生むわけなのだが。

 

 その点、明らかに細く華奢な声帯から発せられる「声」は、なんというか「癒やされる」。そういうものが存在する(存在できる)という場は、きわめて平穏で危険度ゼロの状況な訳であり、それが「癒やし」の度を高めることもあるのだろう。

 日本には「カワイイ」という不思議で万能なことばがあって、あきらかに保護に値するか弱さと愛くるしさを兼ね備えた存在を、こう定義するようだ。

□初音ミク

Miku  2007年に登場したボーカロイドソフト「初音ミク」は、その架空のかわいさが現実世界に舞い降りてきた不思議な例と言えるかも知れない。

 もともとは「ことば」をサンプリングし、音程を与えて発声させるボーカル・シンセサイザー。サンプリングする言葉の素材にアニメ声の声優を使い、それを架空のキャラクターとして擬人化してしまうという発想まではアリだが、それがネットの世界で拡散し、現実の歌姫以上の人気を博してしまったという点は、きわめて興味深い現象だ。

 そもそも昔から日本のサイバー空間(コンピュータ世界)には「女の子」が住み着いていた。

Racter  これは日本特有の現象であり、アメリカは「男」だ。元祖Macintosh時代の会話AIソフトのRacterも、デスクトップでしゃべるトナカイ(Talking Moose)も男の声。SF「2001年宇宙の旅」のコンピュータHALも男声だった。

 対して、日本は・・・どうも昔からネットの中には「女の子」ばかりが浮遊していた気がする。アトムもどこか少女っぽいキャラだし、ネットの黎明期にはデスクトップにしてもイラストにしても(アダルト界にしても)「大人でない女の子」があふれていた。

 まあ、当時はコンピュータを操作する90%以上が20~30代の男性だったろうから、彼らの「夢の世界」には「女性」が必須だったのだろう。

 しかし、それが(水着の)成人女性でなく、(ティンカーベル系の)「少女」であるのは、日本独自の感性としか言いようがない。その結果、日本男子(特に理工科系)の「カワイイ」もの好きは、世界に冠たる不思議な文化(オタク文化)を生んだ気がする。(さしずめ私などがその第一世代なのだろうけれど)

□イーハトーヴ交響曲

Tomitais  その電子の歌姫:初音ミク嬢がオーケストラとの共演を果たしたのが、今年の11月末。その一瞬を見に(聞きに)東京オペラシティに冨田勲「イーハトーヴ交響曲」初演の舞台に伺った。

 

 当日、会場には「シンセサイザーのTOMITAファン」「オーケストラの冨田勲ファン」「宮澤賢治ファン」「初音ミク嬢のファン」という…最低でも4種類の客層がひしめいていて(オーケストラのコンサートらしからぬ)不思議な雰囲気だった。

 なにしろ、TOMITA&ミクファンはおそらく「オーケストラ(それどころかクラシック)のコンサートなど初めて」、賢治&クラシックファンは「初音ミク?何それ?」のはず。「これは、彼らすべてを満足させるのは並大抵ではないだろうなあ」という緊張感を会場前はひしひしと感じた。

 しかし、曲が始まると、そんな心配は杞憂に終わった。

 賢治ファンにとっては、まず冒頭で子供たちが歌い始める(賢治作曲の)「種山ヶ原の歌」(♪たねやまがはらの)や銀河鉄道の夜のシーンで聞こえる「星めぐりの歌」(♪あかいめだまのさそり・・)、そしてコーラスで歌われる「雨ニモ負ケズ」の章で、もう泣けて泣けてたまらない。

 そして、大河ドラマや「ジャングル大帝」などでの冨田さんの往年のオーケストラサウンドを目当てに来たクラシック音楽ファンにとっては、全編にわたる(少しロシア風味も加えた)壮大なオーケストラ語法に酔いしれつつ、「剣舞」で引用されるダンディ(フランス山人の歌による交響曲)のメロディや、「銀河鉄道」のシーン(ステージ一面に星がきらめく場面)で引用されるラフマニノフ(交響曲第2番第3楽章の甘美なメロディ!)に,ハッとしながらも魅了されたに違いない。

 さらに、ひたすら初音ミク嬢目当てだけに来た観客も、彼女が背景のスクリーンにぽっかり浮かびながら、「注文の多い料理店」「銀河鉄道の夜」から「エピローグ」そしてアンコールの「リボンの騎士」を熱唱し歌い踊る姿には充分満足しただろう。

 また、シンセサイザーのTOMITA目当てに来た聴衆は、この初音ミク嬢の歌と映像を動かしている最新システムに刮目しつつ、「どういう仕組みになっているのか?」と舞台上のキーボーディストとオペレーターを目を皿のようにして見入っていたはず。

 おかげでこの4つすべてに反応した私などは40分ドキドキわくわくしっぱなしだった。このサービス精神の豊かさと、音楽素材に対する見事なバランス感覚には、本当に頭が下がる。

 こういうことがまだ「オーケストラのコンサート」でありうるのだという事実と、日本はこういう素晴らしい作曲家を持っているのだ、という誇りとで実に豊かな気分にさせてくれた一夜だった。

□賢治とシベリウス

Kenji02  ちなみに「イーハトーヴ」は,宮澤賢治がエスペラント語風に洒落て見せた「岩手」のこと。賢治は、とことん土着的で民族的な物語を指向しながら、自分の描く物語を「イーハトーヴ童話」と呼ぶなど、なぜかハイカラ趣味(西洋趣味。現代風に言うなら「厨二病」か)なのが面白い。

 なにしろ「銀河鉄道の夜」では主人公の名前がジョバンニにカンパネルラとなぜかイタリア風だし、「注文の多い料理店」で山猫に食われそうになる紳士2人はイギリス風。北上川のほとりを勝手にイギリス海岸と命名したり、童話の中にもケンタウルス祭とかアルビレオなど星の名前や,モリブデンあるいはトパーズなど鉱物の名前をちりばめたりと、不思議な無国籍性を醸し出している。このあたりはユニークな世界観だ。

 このような民族的な要素が作曲家のイマジネーションを喚起させて生まれた近代の音楽というと、やはりシベリウスを思い出すのだが、若き日にベルリンやウィーンなどに留学し「ドイツ風」の音楽を身につけて帰ってきたわりには、その音楽は最初の一音から色濃く北欧の土の香りがするのが面白い。

 留学から帰ってきて最初に発表したのが、自国の民族叙事詩「カレワラ」(日本で言えば「古事記」)を題材にした「クレルヴォ交響曲」(全5楽章からなる独唱&合唱を伴う80分ほどの大作)。クレルヴォは古事記で言うなら大国主命(おおくにぬしのみこと)あたりのイメージか。

 その後も、「レミンカイネン組曲」(「トゥオネラの白鳥」を含む)や「ポヒョラの娘」「ルオンノタール(大気の乙女)」「オセアニデス(波の娘)」「タピオラ(森の精)」など「カレワラ」を題材とした作品を生涯にわたって書いている。

 日本では、山田耕筰が、シベリウスから20年ほど遅れてドイツ留学した組。

 日本最初の交響曲と言われる「勝ちどきと平和」を初め、多くの作品を残しているが、残念ながら時代が既に「近代」(そして戦時)色が強くなっていたせいか、描く「日本」が・・・「黒船」「明治頌歌」とか「神風」とか・・・今聴くとちょっと惜しい方向だ。

 おそらく「日本神話」どころではなかったのだろうが、「古事記」あたりに因んだ名作を残してくれなかったのがちょっと残念ではある。そんな「日本音楽史のミッシングリンク(失われた環)」を埋めてくれたのが,今回の冨田勲氏の「イーハトーヴ交響曲」と言えるだろうか。

 余談ながら、シベリウスが初音ミクを知っていたら「ポヒョラの娘」とか「ルオンノタール」で使っていたかも知れない…などという妄想も、(もちろん全くあり得ない空想だが)ちょっと楽しい。(いや、「ルオンノタール」など本当にソプラノパートをミク嬢に歌わせてみたくなるほどなのだ)

□マーラーとシベリウス

Jean02

 それにしても、冬、寒くなるとシベリウスが聞きたくなる。

 これは、マーラーが夏に聴きたくなるのと対照的だ。ちなみに、シベリウスは北欧フィンランドのヤルヴェンパーで作曲にいそしみ、マーラーの方は指揮稼業が休みの夏の間にウィーン郊外の避暑地で作曲している。前者に冷たい冬の大気、後者に夏の涼風を感じるのはそのせいだろうか。

 このマーラー(1860~1911)とシベリウス(1865~1957),実はほぼ同世代だ。十九世紀末に音楽を志し、二十世紀初めに交響曲を創作の軸として作曲を進めていた点でもかなり似たもの同士と言える。

 ただし、出会ったタイミングはあまり良くない。マーラーは「第8番(千人の交響曲)」を書いているときで「交響曲は全宇宙が共振するような巨大で壮麗なものでなくてはならない」という巨大&肥大化の真っ最中。

 一方のシベリウスは一番コンパクトで洗練された「第4番」を書いているときで「交響曲はとにかく有機的で無駄な音が一音もないような凝縮されたものでなければならない」という縮小&凝縮化の真っ最中。これでは話が合うわけがない。

 もうちょっと前、ちょうど20世紀になった頃(シベリウスが第2番,マーラーが第4番を書いていた頃)だったら,このロマン派最後の二人の巨匠は友好な関係を築けたかも知れない。そして、お互いの作品を指揮し合ったり紹介し合ったりもしたかと思うと・・残念なようなもったいないような気持ちになる。

 さらに、当時東北屈指のクラシック音楽マニアで、レコードを収集しまくっていた賢治が、もしシベリウスの「フィンランディア」や「交響曲第1番」(あるいはマーラーの「巨人」でもいい)を聴いていたら…というのも,昔から夢見るヴィジョンだ。

 シベリウス後期の第6番に「銀河鉄道の夜」のイメージを感じるのと同じように、初期の交響詩などには、賢治の「春と修羅」のような土俗的ダイナミズムと青春のたぎる血を感じるし、タピオラ、カレワラ、クレルヴォ、レミンカイネン、トゥオネラなどなど、シベリウスの曲は賢治が好きそうな言葉の響きがいっぱいだ。賢治がシベリウスを聴いていたら、どういう「ことば」を残しただろう?

□シベリウスとビートルズ

Beatles  突然、話は変わるが、今年(2012年)はビートルズがデビューして50周年なのだそうだ。そこで、FMで特集番組が企画され,先日ゲスト出演して「ビートルズとクラシック音楽(あるいは現代音楽)」について話す機会があった。

 その番組の中で、「ビートルズの曲の中で最も現代音楽よりな一曲」として「レヴォルーションNo.9」という曲をかけたのだが、これは2枚組ホワイトアルバム(1968)の中でジョン・レノンが制作したミュージック・コンクレート風の作品。

 8分半に及ぶ長さの作品で、「No.9(Number Nine)」と呟く声がループで流れる中、会話や逆回転による様々な現実音、オーケストラサウンド、赤ん坊の泣き声などがコラージュされたもの。(赤ん坊の泣き声が「音楽」に組み込まれたのは、これが初めてだろうか)。個人的には,ビートルズの中で一番嫌いな曲だが、このノイジーさがたまらないという人もいるそうなので、感じ方は色々だ。

 それでも、おそらく「ミュージック・コンクレート作品」としては元祖シェーファー&アンリやシュトックハウゼンらの曲の数万倍(数百万倍?)の聞き手が聴いていることになる。もしかしたらこれ一曲が前衛音楽の時代を代表してしまう可能性すらある逸品だ。(そしてこの延長線上に、ピンクフロイドの不朽の名作「狂気」(1973)がある)。

 今回この曲を改めて聞いていて、2:15前後にシベリウスの第7番が一瞬鳴り響くのを発見した。コーダでハ長調の和音が鳴り響く部分がインサートされているのである。うーん、シベリウスとビートルズの交点がこんなところにあったとは。

 しかし、考えてみれば、ビートルズの出身地リバプールは、シベリウスの時代にはイギリス最大の貿易港だった街。シベリウスもおそらくイギリス公演などでは(ロンドンではなく)リバプール経由で訪英したと思われる。

 実際、首都ロンドンよりマンチェスター(バルビローリ率いるハルレ管弦楽団の本拠地)などにシベリウスを得意とするオーケストラが集中していることもあり、ビートルズのメンバーも意外やシベリウスは耳馴染みだったのかも知れない…と想像すると楽しいが、さて、どうなのだろう?。

□アビーロードとフィルハーモニア管弦楽団

Abbeyroad  一方、ロンドンでそのビートルズお馴染みの場所と言ったら,なんと言ってもアビーロードスタジオである。彼らの最後のアルバム「アビーロード」で、メンバー4人がスタジオの前の横断歩道を渡る写真がジャケットで使われ,世界で最も有名なスタジオになった。

 実は自慢ではないが(もとい…ちょっと自慢するが),このアビーロードスタジオで作品を録音したことがある。「サイバーバード協奏曲」である。

 1996年4月。人気実力ともに急上昇の須川展也氏の初の「コンチェルト・アルバム」が企画され、彼の当時の所属レコード会社が「東芝EMI」だったことから、EMI繋がりで本家イギリスのアビーロード・スタジオでの海外録音に決定。D.パリィ指揮のフィルハーモニア管弦楽団という凄いメンツでの収録となった。

 個人的には(いや、奏者もスタッフたちも皆),もう完全におのぼりさん状態で「うわ~アビーロードスタジオだぁ」と舞い上がっていたような気がする。

Studio  ロンドンのちょっと外れにあるここは、レコード会社(EMI)専属の録音スタジオ。オーケストラを収録するのは一番大きな〈スタジオ1〉で、エルガーやビーチャムやバルビローリなど多くの名指揮者たちが名盤を残した場所である。


 そして、ビートルズがセッションを行ったのが中型の〈スタジオ2〉。勿論見学させてもらったが、ここでピンクフロイドも「原子心母」から「狂気」に至るほとんどのアルバムを制作しているわけで、ファンにとっては文字通りの「聖地」。「おおおおおおおお!」としか声が出なかった(笑)

 とは言え、その時共演した《フィルハーモニア管弦楽団》の方も、オーケストラファンからすれば「おおおお!」というレベルの一流オーケストラである。戦後フルトヴェングラー、クレンペラー、カラヤンがEMIに残した往年の名盤はみなこの「フィルハーモニア管弦楽団」のクレジットが残る名門中の名門。

 一時(60~70年代)ニュー・フィルハーモニア管弦楽団と改称されていた時期もあったが、ムーティが指揮者に就任してから元に戻り、その後シノーポリ,ドホナーニを経て,現在はシベリウスと同郷フィンランドの指揮者エサ=ペッカ・サロネンが指揮者を務めている。

□さいごに

 しかし、〈スタジオ1〉でオーケストラがシベリウスやマーラーなどを録音しているすぐ横のスタジオで、ビートルズやピンクフロイドが当時最先端の電気機材を扱って新しいアルバムを作っていたことを想像すると、本当にわくわくするし、考えてみるとそのコントラストは実に面白い。

 先の「イーハトーヴ交響曲」で、オーケストラで賢治の詩が歌われる中にデジタル時代の歌姫〈初音ミク〉が登場するのも不思議な事件だったが、作曲家やミュージシャンたちはいつだってそういう「不思議な組み合わせ」の中に新しい道を模索してきたと言うことなのだろう。

 人間が生み出す「音」というのは、最高に美しく心地よい「音楽」から、最高にノイジーな「音響兵器」まで多種多彩だ。

 しかし、それらはすべて「人間」だからこそ感じる「音への感覚」。心地よいものも不快なものも、等しく「人間の証し」として受け入れるべきなのだろう。

 感じるからこそ「人間」なのだ、とあきらめて……もとい、噛みしめて。

       *

エサ=ペッカ・サロネン指揮フィルハーモニア管弦楽団 詳細

Salonen 2013年2月8日(金) 19:00 サントリーホール

ベートーヴェン:劇付随音楽「シュテファン王」序曲

ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番 (p:レイフ・オヴェ・アンスネス)

マーラー:交響曲第1番「巨人」

2013年2月10日(日)14:00 東京芸術劇場

シベリウス:交響詩「ポヒョラの娘」

シベリウス:ヴァイオリン協奏曲(vn:諏訪内晶子)

ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」

エサ=ペッカ・サロネン指揮フィルハーモニア管弦楽団

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2012/11/10

賛美歌の中の天使たち

Nearergod_2  むかし、ヨーロッパ留学していた学生時代の友人が久しぶりに帰国したので会ったとき、その第一声が「いいなあ、音楽が出来るやつは…」だった。

 理工科系エンジニアとしての留学なので、音楽の素養など全然関係なさそうだが、ちょっと人が集まるパーティなどでは必ず「何か歌って」という話になる。特に、日本から来たということになると「何か日本の歌を聴かせて」という声が必ずあがるのだそうだ。

 そこで、初めてポップス以外の日本の歌をほとんど知らない自分に気付き、リクエストに応えて(日本では一度も歌ったことのないような)「サクラ、サクラ」とか「五木の子守歌」とかをうろ覚えの怪しい歌詞で歌ったのだが、死ぬほど恥ずかしい思いをしたという。

 それに対して、欧米系の学生は3〜4人集まるとすぐなにやらハモる歌が歌えるのだそうだ。それも、子供の頃から勉強一筋で音楽にも楽器にもまったく縁遠かったというような(彼と同じ側にしか思えない)学生が、「じゃあ、XXを歌います」と言うや、数人で見事にハモってみせるのだそうで、これにはかなりショックを受けたらしい。

 もちろん、日本人が全員ジュードーやカラテが出来るわけではないように、欧米人にだって歌のヘタな人はごまんといるだろうが、確かにコーラスのセンスは日本人には太刀打ちできないレベルのような気がしないでもない。

 なにしろ(現代ではどうなのか知らないが)かつてはヨーロッパやアメリカでは子供の頃から日曜日ごとに教会に行くのが普通で、みんなそこで「賛美歌」を聞いて育っている。だから、シンプルなハーモニーの基礎訓練は意外と出来ているわけで、ハモる歌のひとつやふたつ持ち歌があっても不思議ではない。なにしろ毎週毎週ハーモニーの早期教育を受けていたのと同じなのだから。

 そのせいかどうか、兄弟が3人とか友達が人とか集まると,自然と「一番歌が上手い人がメロディパート」「身体が大きくて声が低いのはバスのパート」「ハーモニーのセンスがいいのが内声の装飾パート」「あまり歌がうまくない人は内声の奥のパート」というように(なんとなく)役割分担が出来る。
 もともとハーモニーが作りやすい曲を選んで歌っていると言うこともあるのだろうが、日本のようにがなり立てるだけのユニゾン(童謡でも軍歌でもほとんどこれだ)というのはあまり聴かない。

 この場合、メロディを歌うのは歌がうまい人に越したことはないが、実はそれより重要なのは「内声パート」。普通にメロディとバスがシンプルな和声進行で歌っていても、内声に7thとか半音進行などを交えると途端にハイセンスなハーモニーの世界になる。セカンドを勤める人間の「音楽のセンス」がコーラスではかなり重要になってくるわけだ。

 しかも、そのセンスは音楽を勉強したからと言って身に付くものではない。「耳」で聴いて「この音」という内声を自分で探し出す。さらに、自分の声がどの声部に合っているか、どの倍音に適しているか、というのも重要なポイントになる。こればっかりは場数を踏んで自分の耳で習得してゆくしかないわけだ。

Beatles1_2 私が、60年代に最初にビートルズを聞いたとき衝撃を受けたのは、ビートの新しさよりむしろこのコーラスの「ハーモニー」のクオリティにだった。

 あの(叫んでいるだけのような歌い方に聞こえる)「抱きしめたい」や「プリーズ・プリーズ・ミー」「ハードデイズナイト」という最初期の曲からして、コーラスは(驚くべき強引さながら)しっかりハモっている。
 ジョン(John Lenon)がリードボーカルが歌っている後ろで、ポール(Paul McCartney)とジョージ(George Harrison)が常に内声パートを補完しているのだが、そのセンス(というより野性的な「勘」)が絶妙なのだ。 

 そして、そこにはリードボーカルにライバル心を燃やす(あわよくばメインを食ってやろうという)覇気も聞こえてくる。メロディ(主旋律)を活かすのは対旋律なのだというアピール。それはモダンで強力なハーモニーであると同時に、ヨーロッパ伝統の「対位法」の世界でもあるわけだ。

 この力尽くのハーモニー感を「子供の頃から日曜ごとに教会の賛美歌で鍛えられたハーモニーのセンス」と断言していいのかどうかは分からないが、少なくとも私たち日本人には真似できない「文化的な何か」があることは確かだ。
(なので、件の彼は、日本人でなければ逆立ちしても出来ない「詩吟」とか「義太夫」の世界を聴かせて、外国人諸氏に腰を抜かしてもらうべきだったのかも知れない…)

  

□賛美歌の誕生

 と、日曜日の教会の「賛美歌」を持ち出すまでもなく、西洋クラシック音楽の基本は「キリスト教」にある。

  モーツァルトやベートーヴェンにしても、その目指すところは「正統なキリスト教の教義に則った宗教作品を書く」こと。それこそが第一級の文化人であり最高の芸術家たる目標だったわけで、(信仰があるかないかに関わらず)神を讃えるべくハーモニーを駆使するのは、西洋に生まれた音楽家の勤めであったわけである。

  結果、私たちが今聞いているミサ、カンタータ、レクイエムなどの名作は(くどいようだが、作曲者に信仰があったかどうかには関係なく)形式的にも内容的にもカトリックの教会における儀式音楽の定型を(表向きは)外さないように書かれている。

  一方、「賛美歌」は、もっと庶民的なプロテスタントの教会で歌われるのが前提のもの。別に大作曲家が作るわけでもなく、色々なメロディが教会で歌われているうち自然に広まっていったものらしい。
(ちなみに、プロテスタントとは16世紀マルティン・ルターの宗教改革以降広まった新しい宗派。聖書や教会にこだわる権威的かつ禁欲的カトリックに対して、自由な形での信仰を勧める)。

 カトリックの「聖歌」ほど聖書(や詩編)からの歌詞にこだわることもなく、信仰を感じさせる歌詞であればその内容はかなり自由なのだそうだ。(クリスマスに歌われる「きよしこの夜」やベートーヴェンの第のメロディによる「ジョイフル」などがいい例だ)。

God  そして、小さな教会で一般庶民が歌うのが前提なので、メロディの音域はあまり広くなく、ハーモニーもシンプル。その楽譜の多くは4声部で書かれていて、オルガン伴奏が普通である。

 そこで、教会に集まる多くの人は主旋律を歌い、声の低い成人男性はバス(低音)、少し歌心のある人は「内声」を担当する、という具合に、自然にハーモニーを分担してゆくわけだ。

 この自然発生的なハーモニーによる「賛美歌」を教会のような残響たっぷりな響きの中で歌うと,そのシンプルなハーモニー感覚にはしみじみ陶酔させられる。
 キリスト教徒でなくでも「ああ、神さまって本当にいるのかも知れない」という気になってくること請け合いなのだから、子供の頃から毎週この響きに包まれて育つことが音楽性に大きな影響をもたらすことは間違いない。

  むかしむかし原始の時代、洞窟の中で神の名を唱えた時のこの「神さまがいる」っぽい響き(自然倍音)の感覚こそが、西洋音楽の「ハーモニー」の起源・・・というのが私の持論なのだが、これは間違いないと思う(のだがどうだろうか)。

 

□私の賛美歌

  実を言うと、この「賛美歌」、私の音楽のルーツのひとつでもある。

 私自身は別にキリスト教でもなんでもないのだが、母がミッション系の学校出身だったため、よく台所で料理をしながら賛美歌を鼻歌交じりに口ずさんでいて、子供の頃から主立った賛美歌は耳なじんでいたことがひとつ。 

 さらに、父方の祖父の時代からの繋がりで、子供の頃からYMCA(キリスト教青年会)に出入りがあったこともある。別に信者というわけではなかったが、小さい頃からそこが主催する夏季キャンプに毎年参加し、朝夕、森の中のチャペルで神父さんが聖書の一節を読み賛美歌をみんなで歌っていた。おかげで賛美歌の十や二十は今でも頭の中にしっかり刷り込まれて今に至っているわけなのだ。

 さて、そこでどういうハーモニー感覚が培われたかは自分でもよく分からない。 ただ、以前、武満徹さんが、青年時代に戦後の進駐軍のキャンプで耳にした「バーバーショップ・コーラス」風ハーモニーが耳に染みついていて・・・という話をどこかでしていて、なんとなく似た感慨を覚えたことがある。

  バーバーショップ・コーラスというのは、19世紀のアメリカで「床屋(バーバーショップ)」に集まった男たちが無伴奏カルテットで歌ったのが起源のジャズ風ハーモニー。第テナーが主旋律を歌い、その上の第テナーがオブリガート風の高音装飾を行うのが特徴で、往年のダーク・ダックスやデューク・エイセス、ボニー・ジャックス(年配の方しか分からない話かも知れないが)などもその流れ。もう少し新しいところではビージースとか(ちっとも新しくないって?)

Walker_brothers

  私が中学の時にビートルズ以上にはまっていたウォーカー・ブラザースというバンドも、(ロックバンドでありながら)エコーたっぷりのコーラスが聞き物だったし、たった二人で濃厚なハーモニーを聴かせたカーペンターズも絶妙のセンスだった。
 1970年代のプログレッシヴ・ロックでは、イエスの精妙なコーラスのセンスは見事だったし、ピンクフロイドが「狂気」で聴かせた分厚いコーラスのハーモニーは今も耳にこびりついている。

  彼らのハーモニーセンスは、クラシックの正統な機能和声法を学んだ人から見れば、もしかしたら安っぽいものなのかも知れない。なにしろ「教会」で磨かれたクラシカルな和声感とは程遠い、「床屋」で生まれたような「勘」と「耳」だけが頼りのハーモニーなのだから。

 しかし、これがなかなか心にしみるのだ。

  武満さんが自身のオーケストレイションの中に「密かに」潜ませた床屋のハーモニー感覚は神懸かっている。基本は無調のメロディラインでありながら、その裏にバーバーショップが由来のハーモニーを絡ませるなど、戦後日本でアメリカ進駐軍とジャズに自分の音楽の起源を聴いた彼以外の誰に出来るだろう。欧米人が「日本的」といいながら「タケミツ・サウンド」に親近感を感じるのはそのせいもあるはずだ。

  私も、イギリスのオーケストラと仕事をしたとき、先のビートルズの件や賛美歌の件など、自分の中に刷り込まれているそういった「日本が起源でないハーモニー(ハモる)感覚」を、彼らに耳さとく聞き出されたような気がして、楽しくも面白い思いをしたものだ。

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Cathdrale□子供たちは天使じゃない

 そう言えば、この「ハモる」という言葉、日本人のハーモニーへの憧れを象徴する大事なキイワードなのかも知れない。

  ことばの起源自体は、戦後1950年代頃のジャズマンたちの俗語かららしいが、言い得て妙な言い回しだ。確かに、日本古来の音楽には「共鳴(共振)する」という感覚はあっても、「ハモる」という感覚はとんと無い。

 響きの中に自然倍音が聞こえる状況を「おッ、ハモってる」と言ったとき、彼らには「新しい時代」の音楽をその肌身に染みて感じたのだろう。

 その「ハモる」の起源であるヨーロッパで教会のステンドグラスから降り注ぐ賛美歌のハーモニーの響きは「神」へと誘うものだが、もうひとつ、「天使」へと誘う響きがある。・・・それが、子供たちの合唱だ。

  いわゆる「児童合唱」は、声変わりする前の少年(およそ12歳以前)および少女によるコーラス。カトリック系の教会では「少年合唱」とほぼ同義(ドレスデン聖十字架教会合唱団、ウィーン少年合唱団など)だが、一般には少年少女合唱団という形が多い。(もちろん「少女合唱団」というのも存在する)

 私も、何度か舞台や編曲の仕事の中で「子供たちの声(児童合唱)」と一緒に仕事をしたことがある。その多くは、大人たちの混声合唱団に混じっての「子供たちの世界」の表出だが、そこで、いつも思い知るのは,彼らの声の「破壊力」である。

 舞台やドラマでは「どんな名優も子役には勝てない」と言うが、さもありなん。どんなにプロの演奏家たち歌い手たちが熱演し熱唱しても、子供が出てきて「天使のような声」で歌い出した途端、すべてを破壊して彼らが「主役」になってしまう。

  もちろん子供は決して天使ではない。そして、その「声」も決して「天使の声」ではない。(時には「悪魔の声」に近い…)
 しかし、その「歌声」は・・・天上の響きを持っていて、美しくそして怖ろしい世界へ聴くものを誘う。

 

 例えば、マーラーの交響曲第3番では、第5楽章「天使たちが私に語ること」でいきなり児童合唱が歌い出す。(まさに突発的な「天使」の異世界!)

 ♪ビム、バム、ビム、バム!
 人の天使が美しい歌をうたい、
 その声は幸福に満ちて天上に響き渡り、
 天使たちは愉しげに歓喜して、叫びました。
「ペテロの罪は晴れました!」と。

 ベルクのオペラ「ヴォツェック」では、無調で歌われる暗く凄惨な現代オペラの世界の最後のシーンに子供たちが登場、「ホップ、ホップ」と歌いながら消えてゆく。このシーンだけで、暗く救いようのない世界がかすかな光の向こうに昇華する。

 もうひとつ、戦後前衛音楽の時代の名作「少年の歌」(1956)は、シュトックハウゼンが「旧約聖書」の語句を歌う少年たちの声を電子音と一緒にコラージュしたもの。子供の声が持つ可愛い&怖い(こわ可愛い?)世界を見事にサウンド化している。

(そう言えば、昨日見た「世界大戦争」(1961)という日本映画では、核戦争で破壊された東京の廃墟が映るラストシーンに「♪もういくつ寝るとお正月」という子供たちの歌声が聞こえてきて・・・それはそれは怖かった)

 余談ながら、私が大河ドラマ「平清盛」のテーマ曲で最後に歌わせたのも、子供の歌だ。

 ♪遊びを せんとや 生まれけむ

 

 子供の歌声は、聞こえた瞬間、なぜかいきなり「どこか」へ吸い寄せられる魔力がある。大人にとっては(遠い昔に自分がそうだったような)「過去」を象徴する響きであり、そのせいで自分が今いる世界とは違った「異界」を感じさせるのかも知れない。

 なにしろ子供という存在は、ほんの数年前まで「向こうの世界(あの世)」にいたのだ。大人と違い、まだ「人間になる前」の「何か」を持っている。

 子供たちの歌は、自分が神の横にいた頃の「天国の記憶」(そして、これから行く「天国の予感」)を呼び覚ますのかも知れない。

     * 

■ドレスデン聖十字架教会合唱団 クリスマスコンサート 
20121207() 19時開演 東京オペラシティコンサートホール 
出演:クロイツカントール(音楽監督・指揮):ローデリッヒ・クライレ
ホルガー・ゲーリング (オルガン ) 
ドレスデン聖十字架教会合唱団

Image21 コダーイ:待降節の歌
レーガー「聖母さまの夢」
ブルックナー「アヴェマリア」
グリーグ:めでたし海の星よ
オルガンソロ
グルーバー:きよしこの夜
賛美歌103番「牧人、羊を」
フランス民謡「ディンドン!空高く」
バッハ/グノー「アヴェマリア」
賛美歌111番「神の御子は今宵しも」
賛美歌102番「諸人声をあげ」
ヘンデル:ハレルヤ ・・・ほか

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2012/10/10

オペラ雑想徒然草

Toscab  オペラ(opera)というのは、イタリア語で「作品」という意味。作品番号を示す「opus」と語源は同じなのだそうだ。

 もともとはギリシャ悲劇などの演劇を上演するときに、舞台にコーラス(合唱)を配し、歌うような節回しでセリフを語ったのが始まり。

 現代でも上演される最古のオペラはモンテヴェルディの「オルフェオ」(1607)と言われているが、これはちょうど日本で出雲の阿国が歌舞伎を始めた頃(1603頃)と同じ。西洋と東洋で時を同じくして音楽と言葉を合体させた舞台芸術が生まれたというのは、ちょっと感動的だ。

 イタリアが起源なので、長いこと「オペラ」はイタリア語で歌われるものと決まっていた。ハイドンやモーツァルトが登場する18世紀末あたりまで、オペラは(ドイツ人が書いてもフランス人が書いても)イタリア語で歌われていたそうだ。

 今考えるとちょっと不思議な気もするが、逆に言えば、そのおかげでどんなオペラでも劇場がある近代都市ならヨーロッパ全土どこでも上演される「グローバルな娯楽メディア」として広がった。今で言うならハリウッド映画のような(世界中どんな国でも上映でき、観客がたくさん押し寄せる)人気メディアだったわけだ。


□オペラと言語

Tosca  とは言っても、当時のイタリア語がヨーロッパのどの都市でも通じる国際言語(今で言う「英語」みたいなもの)だったわけではないようだ。音楽を勉強した人なら、我々日本人でも「アレグロ(早く)」や「アダージョ(ゆっくり)」から「フォルテ(強く)」「ピアノ(弱く)」などの基本は染みついているように、オペラを聴くような上流階級には馴染みの言葉だったということなのだろう。

  そして音楽的にも、イタリア語の特徴である「母音の豊かさ」は、メロディを歌い上げる際の「あ〜〜〜」とか「お〜〜〜〜」というようなフェルマータ(音の伸ばし)部分に極めて有効に機能する。ひとつのシラブル(音節)が大体「子音+母音」の組み合わせで出来ているのも、(どの母音もフェルマータがかけられるという点で)ベルカント的な歌い方向きだ。

  さらに、多くの単語のアクセントが頭でなく単語の後半に来る(ナポリタ〜ナとかカルボナ〜ラというように)のもポイント。美しくなだらかなメロディラインの多くは、後半に向かって抑揚が高まってゆく傾向があるから、これは見事な相乗効果をもたらす。このあたりも、イタリア語がメロディ豊かなオペラに向いている要因だろう。(もっとも、これは話が逆で、こういったイタリア語の特長を活かしてベルカント的な歌い方が発達し、さらにそれを最大限有効活用したオペラのような形に結実した、と言うわけなのだが)

  その逆がドイツ語。御存知のようにほとんどアクセントが冒頭に来る。子音がはっきりくっきりしているので極めて聴き取りやすいのは利点で、アタックの明快な対位法的パッセージや行進曲のような縦に合うリズムには向いている。また、大声で(つまりオペラのように声を張り上げて)歌っても比較的歌詞が聞き取れるのもポイント。

 ただし、メロディとしては常に冒頭アクセントのカクカクした音型となり、言葉の響きとしてはやや固いサウンドになる。これは、英雄的あるいは宇宙的な「強さ」を表現するのは向いているもの、「弱さ」の表現がちょっと難しい。硬い(追求や断言するような)表現には向いているが、柔らかい(歌うような)表現にはやや不向きということになるだろうか。

  一方、フランス語は子音のデリケートさもあって、サウンドとしては(イタリア語やドイツ語と比べて)かなり音楽的と言えそうだ。普通にしゃべればそのまま音楽になるような響きの美しさを持っている。

 しかし、それをベルカント唱法でオペラ的に(声を張り上げて)歌うと、聞き取りにくくなるというのが難点。囁くようなデリケートな(マイクで子音をくっきり増幅させるようなシャンソンのような)歌の表現は効果的だが、母音にフェルマータをかけて朗々と歌うような表現には(それはフランス人の気質にもよるのかも知れないが)あまり向いていない気がする。

  そして、英語。現在もっとも世界的にスタンダードな言語なので、歌詞の内容を伝えるのには最適で、オペラでも「英語版」を作ったりする例は多い。音楽家にとっても、ある意味では(かつてのイタリア語のように)共通言語になっている部分もある。

 サウンドとしてもドイツ語とフランス語の中間に属する響きなので、長所短所とも平均化されていて大きなマイナス要素はない。ただし、母音と子音のバランスはやはり子音に偏っていて、ベルカント的な歌ではイタリア語には及ばないと言えば言えるのだが。

 しかし、このことは逆に、アクセントと子音のバランスが極めてリズム的であることに通じる。そのためブルースからロックまで、いわゆる〈ビート音楽〉的な唱法では「英語」以外では考えられないほどのマッチング(調和)を見せるわけだ。

 もっとも、オペラが「イタリア語」から生まれたように、現代のビート音楽は「英語」から生まれたわけで、これはまあ、当然のことなのかも知れないが。

 

 □日本語とオペラ

Neko  では日本語は?というと、母音が豊かな点ではイタリア語並みなので、一見オペラに向きそうに思える。ただし、致命的な点がひとつ。イタリア語以上に「子音+母音」の癒着が強力で、一シラブル(音節)ごとに母音が付いているため、歌う場合どうしても「一シラブルごとに一音符」が必要になるのである。

  例えば「吾輩は猫である(私はネコです)」は・・・

 イタリア語で「lo sono un gatto

 ドイツ語なら「Ich bin eine katze

 フランス語は「Je suis un chat

 英語では「I am a cat」といずれも4音符。対訳しても、大幅な音符の数の増減はない。

 

 ところが日本語で歌うと

「わ・が・は・い・わ・ネ・コ・で・あ・る〜」で10音符、

「わ・た・し・わ・ネ・コ・で・す〜」でも8音符が必要になる。

 しかも、イントネーション(抑揚)やリズムが変わってしまうと(例えば、「わがは・いわネ・コであ・る」とか「わた〜〜しわネ〜〜コで〜〜す」などと歌うと)もう言葉として聞き取れない。同じ単語でも、西洋の言語たちとは(当然ながら)音符の数も形も全く違うものになってしまうわけだ。

Cat  もちろんこの特長を活かしてこそ「五・七・五」のような日本独自の「歌(和歌)」が有り得るのだが、オペラのように歌で物語の筋をも伝えなければならない場合、西洋の主要言語とのあまりの音節の違いと、音符数あたりの情報量の少なさが大きな問題になる。

 結果、日本語を活かしたオペラを作ろうとすればするほど、外国語への対訳絶対不可能な世界に踏み込まなければならず・・・一方、それを避けて敢えて対訳可能な方向性を模索すると、今度は日本語の特性を犠牲にしなければならないことになる。

  昨今は、オペラを(生の演奏でも)「字幕」付きで鑑賞することが出来るようになってきて、むかしあったような「言葉の壁」はかなり低くなったおかげで「原語上演」か「訳語上演」か?というような究極の選択に悩まされることはなくなった。

  しかし、だからと言って、日本語やヒンドゥー語やスワヒリ語で書かれたオペラを簡単にヨーロッパで字幕付き上演できるようになったのかというと・・・それはない。LDやDVDでの鑑賞ならともかく、舞台上演では、生身の歌い手たちが「知らない言葉」で1時間なり2時間の舞台を歌い続けなければならない。「ことばの壁」が消えたわけではないのである。

 

□オペラの経済学

Gianni  それでも、作曲家をやっているとよく「オペラを書かないんですか」あるいは「オペラを書いてくださいよ」という声をかけられる。

 そのたびに「簡単に言わないで下さいよ〜」という愚痴が頭の中をよぎる。(これはある意味、女の人に「結婚しないんですか」「早く結婚しなさいよ」と言うのに似た一種のオペハラ?(笑)。

  なにしろ、オペラと言うからには、少なくとも1時間半、長い場合は3時間近い量の「オーケストラとヴォーカルのスコア」を数百ページ(おおよそ300500ページほど)にわたって書かねばならない。

 分量からしても、交響曲や協奏曲の34曲分の音符が必要だし、どう効率的に作っても最低半年はかかりきり、題材や脚本などの吟味から始めると制作期間としては数年。しかも、下手をするとその間ほかの仕事はほぼ出来ないという大仕事になることは避けられない。

  さらに、オペラはとにかくイニシャルコスト(制作にかかる初期費用)が莫大だ。作曲料(作曲している間の生活費)・台本の制作費・舞台や美術や衣装(舞台のセットや背景や小道具それより何より出演者全員の衣装!)・出演者とスタッフのギャラ・オーケストラの費用・リハーサルにかかる膨大な時間と労力へのコストなどなど、一回や二回の公演ではどんなに大成功しても元すら取れない金額である。(例えば大雑把に、制作費億円として、1万円のチケットで千人が入って1000万円。10回やって満員御礼でもようやく収支ゼロ。これはもう収益どころの話ではない)

  それでも昔は「オペラ」こそ興業の花であり、作曲家の懐を潤す最終兵器だった時代があった。というのは、初期費用はかかっても、それをあちこちで公演出来ればランニングコスト(再演するのにかかる経費)だけの金額はぐっと安くなるからだ。

 つまり、初演を地元で2回や3回やっただけでは元も取れないが、その舞台をヨーロッパ中…例えばウィーン、パリ、ロンドン、プラハ、ベルリン…などへ回すことが出来れば(既に舞台や衣装などは出来上がっているので)かかる費用は出演者のギャラと移動費くらいとなる。

 こうなると、一回の上演での興業収入(千人前後の観客のチケット代の合計)はほぼ変わらないのだから、公演を重ねるたびに今度は「利益」がどんどん(とは行かなくても、ある程度は)生まれる理屈だ。

 作曲家にとっても、最初にオペラ一曲を書き下ろすのはかなりの労力だが、それが一旦ヒット作となりヨーロッパ各地で上演されれば、上演されるたびに「その興業で発生した利益」の(おそらく)数十%が作曲家の懐に入ってくる。

 むかしは「著作権」などという概念はなく、ソナタやシンフォニーが演奏されても著作権使用料など入ってはこない。「興業」としての収入が約束されたオペラこそは、作曲家にとって唯一にして最大の「夢の収入源」だったわけである。


Schicchi

  しかし、それも19世紀あたりまでの話。20世紀になって「映画」や「テレビ」などさまざまな娯楽が普及するに従って、金食い虫のオペラは娯楽の第一線から後退する。

  現代では「映画」がかつてのオペラに近いシステムと言えるだろうか。

 初期費用(イニシャルコスト)が億単位かかるのはオペラと同じかそれ以上。(どんなにエコノミーな少予算映画でも数千万、一方大作となると数十億の制作費がかかる)

 これを、劇場ならぬ映画館で公開するわけだが、各映画館ではフィルムを回すだけだからランニングコスト(場所代、電気代、人件費に多少の広告費など)はきわめて低い。結果、1館に観客を数百人ほど集めてチケット1000円前後というレベルで回転できる。(超大作だからと言ってチケット代数万円とはならないのが、映画とオペラの違うところだ)

  あとは客を呼べさえすれば、フィルムを回すだけで何百回でも何千回でも上映でき、そのたびに入場料収入を得られる。しかもオペラと違って、世界中どこでも映写施設さえあれば興業が可能で、上映には演奏家も出演者もオーケストラも何にも要らないのだ。

 となれば制作費を回収した後は、文字通り「濡れ手で粟」の黒字転換。全世界レベルで当たれば興業収益数百億円も夢ではない。(…いや、もちろん逆に観客が入らなくて大赤字…と言うことも少なくないのだが)。

  ちなみに映画音楽作曲家はオペラほど作品に大きくタッチするわけではないので(その扱いも、多くは撮影・美術・録音などのスタッフとほぼ同じ)、その分配金額はオペラほど多くない。

 それでも初期費用として支払われる「作曲料」のほか、上映や放送などにおける音楽の「使用料」、サウンドトラック盤の売り上げやコンサートで使用される場合の「印税」などが、映画のヒットに応じて入ってくる。大ヒット映画やロングランを続ける名作映画の音楽を供給できれば、長期にわたる収入の確保に繋がるわけだ。

  というわけで、昔の「オペラ作曲家」のようなセレブを探した場合、現代では「映画音楽作曲家」ということになるだろうか。(もっとも、映画音楽にしろ「一発当てて巨額の収入」というのは夢のまた夢。普通は、こまめに数をこなしてそこそこの収入…という作曲家がほとんどなので、念のため。それより何より、映画がかつてのオペラのように娯楽の王者から転落しないという保証はどこにもないのだし…)

 

 □オペラの台本

Turandotb  というお金の話はともかく・・・とにかく「オペラを書きたい」と思う作曲家にとって、まずさしあたりの問題は「台本」ということになるだろうか。なにしろ交響曲は一人で書けるが、オペラは「原作」と「台本(脚本)」がなければ作れないのだから。

  そこで、むかしは、作曲家と台本作家が黄金コンビを築いた例が少なくない。モーツァルトとダ・ポンテの組み合わせは「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」を生んだと言うだけでも黄金コンビの名にふさわしい。

 あるいはヴェルディに「リゴレット」「椿姫」「マクベス」「運命の力」の台本を供給したフランチェスコ・ピアーヴェ。プッチーニに「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」の台本を供給したルイージ・イッリカとジュゼッペ・ジャコーザ。

  一方、原作から台本まですべて自分で書いてしまう人もいる。その代表格がリヒャルト・ワーグナーだ。「リエンツィ」「さまよえるオランダ人」から「ニーベルングの指輪」「パルジファル」まで自作のオペラ(楽劇)の台本はすべて書き下ろしている。

  そんなワーグナーほどではないにしろ、原作(戯曲)を基に作曲者自ら台本を書き下ろす例も多い。ロシアオペラの大傑作ムソルグスキーの「ボリス・ゴドノフ」も確か、作曲者自身による脚本だし、20世紀オペラ最大のヒット作「ヴォツェック」も、アルバン・ベルクがビュヒナーの戯曲を基に書き下ろしたもの。私の師匠:松村禎三師もオペラ「沈黙」の台本(原作:遠藤周作)を数年かけて自分で書き下ろしている。

  オペラの素材としては、小説が原作というのがもちろん最も多いが、作曲家自身が「戯曲」の舞台に接して感動して…という例も多い。やはり舞台上でその演出効果を目にするのが作曲のアイデアに直結するのだろう。

  もちろん優れた台本は作曲者のインスピレーションを掻き立てるが、オペラの台本は、あまり戯曲として出来が良くない方が(むしろ)いい…とも言われる。オペラは「音楽」で語るものであって、あんまり完璧な(台詞だけで全て完結しているような)台本だと逆に音楽を付ける意味を失してしまうのかも知れない。

Gatto  小説や詩は「ことば」だけで世界を記述する。しかし、オペラやドラマ(舞台)は、音楽や演出や俳優の演技や照明や効果などが相まって世界を表現する。

  小説や詩は「音楽のない世界」の言葉たちだが、それに音楽が絡んでくると世界は一変する。膨大な言葉を駆使して表現するしかない場面でも「音楽だけ」で全てを語ることが有り得るし、もっとも重要な場面で「言葉など要らない」ことは少なくない。(もちろん逆に「音楽が要らない」場面もあるわけだが)

  結果、小説や戯曲をオペラにする際、作曲家としては音楽的な理由であちこち台詞を書き直す必要が出て来る。その際、原作者あるいは脚本家が「オペラなのだからそういう改変も想定済みとして納得する」か、「自分が吟味した言葉を変えられてしまうことに抵抗感を感じる」かどうかは微妙な問題になる。

  例えば、日本オペラの古典的名作「夕鶴」(團伊玖磨:1951)は、木下順二の戯曲「夕鶴」をオペラ化したものだが、この時、作者はオペラ化を許可するに当たって「戯曲の台詞を一言一句変えないこと」を条件にしたそうだ。(ちなみに、この時の團氏はまだ27歳の若き作曲家。木下順二氏は10歳年上の中堅作家)

  私の師匠松村禎三師のオペラ「沈黙」(1993)の場合は、原作者である遠藤周作氏に「あなた(作曲者)なりの〈沈黙〉でいい」という許可を貰って、作曲者自身で台本を書き下ろしている。しかし、原作者が作品に込めたキリスト教観と、作曲者が音楽を通して込めた思いとはかなり食い違っていて、横目で見ていてハラハラした覚えがある。

  さらに、オペラの舞台では「演出家」が、同じ台本同じ音楽でも全く違った「世界」を創出する。特に昨今のヨーロッパのオペラは、演出家の創案による「新演出」が花盛りで、昔の物語を現代風に翻案したり、新しい現代的な解釈を組み込んだりした上演が当たり前になっている。そこでは原作者や作曲者の世界観とはまったく違った「世界」が展開されることも少なくない。(なにしろ、演出家の思惑次第で、勇敢な英雄的主人公をファザコンの情けない現代青年にすることも、ヒロインである心優しい美女を下心ありありのカマトト女に仕立てることだって出来るのだから!)

 要するに、オペラは全く「作曲家のもの」ではあり得ない。子供が「父親」だけのものでないのと同じレベルで、様々な要因が加わった共同の「作品」と考えるべきなのだろう。

  結果、そういう駆け引きもまた良し…と受け入れられる(心の広い?協調性のある)人だけがオペラ向きということになるのかも知れない。「オペラは自己の芸術の総合表現である」…などという青臭い理想は、おそらく今まで語った〈台本作家との確執〉や〈お金の問題〉〈演出家との対立〉そして〈観客たちの反応〉などの前では風前の灯火なのだから。

  それを、舞台は所詮水物…と受け流せるか、共同作業なのだから…と許せるか、お客さまが神さま…と笑えるか。それが出来ないタイプの作曲家は、「オペラは無理なヒト」ということなのだろう。

 

 □オペラの夢

Monodramaa  かく言う私も、タイプとしては(おそらく)「無理なヒト」の部類なのだが、実は、オペラっぽいものにトライしたことがなくもない。それが80年代に声楽家の丹羽勝海さんとやった〈モノドラマ〉のシリーズである。

  きっかけは、「予算の関係上、出演者は歌い手一人だけ、ピアノ伴奏は作曲家本人!」という舞台劇をでっち上げなければならなくなったこと。その時のにっちもさっちもいかない極限的な状況から怪我の功名的に生まれた一人芝居風モノオペラが第一作の「トラウマ氏の一日」だった。

  主人公は冴えない中年のサラリーマン。彼が朝起きて仕事に出かけ、奇妙な商品(死にかけたミミズ)を売るセールスについてモノローグで語るうち、だんだんストレスから白昼夢の世界(アフリカ象になってサバンナを駆け巡る)に入ってゆき、狂気じみた乱舞(だるまさんが転んだ)に我を忘れるが、やがて夕方になってふと我に返り、夕焼け空を遠くに見ながら家路につく…というだけの不条理ドラマである。

  楽譜はセリフと最小限の演奏指示が書いてあるだけで、伴奏ピアノは(図形楽譜により音が入る場所の指定はあるものの)全部アドリブ。台本は私自身が書いたもので、再演する度に時事ネタをいれたり、客いじりをしたり、やりたい放題で楽しかった。(なにしろ自分も舞台上で演奏しているので、音ひとつ言葉ひとつで聴衆が笑ったり泣いたりする「反応」が手に取るように伝わって来る。なるほど俳優や演奏家が一生を舞台に賭ける理由がなんとなく分かる気がしたものだ) 

  その後、このシリーズはだんだん規模が大きくなり、最終的にはオペラサイズの一晩興業のものまで全10作近く書いたのだが・・・そのあたりについてはHPの「図書館」台本のコーナーをご参考に。

 

Mitsuhide

 その後、十数年前だったか、信長と明智光秀の二人だけが登場する舞台劇の音楽を打診されたことがあって、「信長」という題材にちょっと惹かれたこともある。

 登場人物は信長と光秀のみ。能舞台のような狭いスペースで演じられ、音楽はチェロ1本(と打楽器)という構想だったが、これは残念ながら制作側のトラブルで実現しなかった。

  その時、これをオペラにするなら…と一瞬夢想したのが、司馬遼太郎「国盗り物語(後編)」の叡山焼き討ちから本能寺の下り。(昔の大河ドラマ「国盗り物語」での高橋英樹:信長と近藤正臣:光秀の印象が強かったせいだろうか)

 信長は甲高いカウンターテナーで「光秀〜!」「この金柑頭(光秀)!」「はげネズミ(秀吉)め!」と怒鳴りまくり「人間五十年…」と歌い舞うかなりエキセントリックな人物。その横で光秀は思慮深くも暗いバリトンで「恐れ入り奉ります」と慇懃に応えながら、その裏で「時は今、天が下しる五月かな」と怨念を蓄積している。

 その合間を縫って秀吉が「おっしゃるとおりでござりまする〜」などとテノールでまくし立て、その横に、男装アルトの森蘭丸とコロラトゥーラ・ソプラノの濃姫。舞台裏では超低音バスの家康がぼそぼそ呟き、鬨の声を上げる男声合唱が咆哮する。音楽的にはなかなか面白いバランスだと思うのだが、どうだろう。


 もうひとつ、かなり本気でオペラ化のプロットを書き進めていたものに「鉄腕アトム」(タイトルとしては「ATOM」)がある。

 これも、2003年にTVアニメシリーズ「アストロボーイ」(原作:手塚治虫)の音楽を頼まれたことから構想が始まったもの。天馬博士(アトムの生みの親)が人工知能を持つ軍事用ロボットを開発し始め、その結果起こる息子トビオの死を契機にアトムが生まれるまでの(原作には書かれなかった裏のストーリーという想定の)物語。(ちなみに、誕生前までの物語なのでアトム自体は出て来ない)

 ボーカロイド風のコロラトゥーラソプラノで歌う「夜の女王ロボット」や、人工知能のパパゲーノ&パパゲーナが「言葉のサラダ」を歌いまくるという「魔笛」風のジングシュピール?でもあったのだが、やはり権利関係とか台本の問題とか(作曲者が好き勝手に書くにしてはあまりに有名かつ神格化された物語でもあるし)いろいろ難関が多すぎて、書棚に押し込んだまま化石になっている。


Kiyoq  その延長線上の夢物語でもうひとつ、最近書いたNHKの大河ドラマ「平清盛」の音楽も、素材としては充分オペラかも知れない。

 平家・源氏・朝廷…という三つ巴の構造は、ワーグナー「ニーベルングの指輪」の人間族・巨人族・神々…が織りなす群像と似ているし、主人公清盛が法皇の落胤というのも、英雄ジークフリードの出自と同じ。最後にジークフリードが死んで世界が崩壊するのも、清盛の死から平家の滅亡に向かうカタストロフの構図と同じだ。(まあ、それがどうした?と言われればそれまでの話だが)

  音楽の分量としても全130曲6時間(スコア600ページ以上)たっぷりあるし、「平家」「源氏」「朝廷」のモチーフ変奏が全編に及んでいるし、合唱十数曲および「遊びをせんとや」など10曲近い「今様」(平安当時の流行歌)も混じっている。これ以上何を追加作曲することもなく、それらを組み合わせつなぎ合わせて「歌う部分」を加えるだけでオペラ2〜3曲が出来てしまう計算だ。(もっとも、そのためには、音楽に合わせて台本&歌詞を書く…というもっとも面倒くさい逆の離れ業が必要になるのだが・・・)


 オペラを創るには何らかのフォース(力)が必要だ。それは、夢の実現に邁進するための怨念というべきか(「莫迦」になれるためのパワーというべきか)。若いときに出会ったオペラに「啓示」を受けて「コウイウモノヲ私モ創リタイ!」と強力に刷り込まれるかどうか。それが一生の夢を左右するのだろう。

  私は、交響曲という世界にかまけて、残念ながらオペラに関してはそのフォースの持ち合わせは無い。しかし、オペラに賭けた作曲家たちの夢の跡は、羨ましくもあり・・・怖ろしくもありつつ、いつも心の奥に疼いている。

 そう、今度生まれ変わったときイタリア人だったら、オペラをひとつ、書いてみようか・・・(^_^)v

 

           *

 

ソフィア国立歌劇場

 

Flyer_2 マスカーニ

・カヴァレリア・ルスティカーナ

プッチーニ

・ジャンニ・スキッキ

114日(日)15:00よこすか芸術劇場

1111日(日)17:00千葉県文化会館

1115日(木)18:30東京文化会館

 

プッチーニ

・トスカ

113日(日)15:00川口総合文化センター・リリア

1117日(土)14:00東京文化会館

1118日(日)14:00東京文化会館

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2012/09/10

人間60年・作曲家35年

F 来年3月「還暦コンサート」を催してもらうことになった。

 そう言われて気付いてみれば、人間を始めて…来年でもう60年になるのだった。(ちなみに、還暦というのは干支(えと)が一回りして還ること。念のため)

 音楽に目覚めたのは46年ほど前の14歳の冬。
 デビューは(「忘れっぽい天使」という曲が初めてコンサートで演奏された)1978年(25歳)とすると、作曲家になってから35年といったところか。

 しかし、ふと我に返ると「なぜ作曲家なんてやってるのだろう?」と狸に化かされた感も少し。

 確かに、子供の頃から「ものを作る」(プラモデルや模型や怪しい手製の武器類などを製造する)ことや「一人でこつこつやる」(読書にふけったりマンガを書いたり雑学研究などに浸る)ことは好きだったから、怪しい才能は色々あったと思う。
 でも、こと「音楽の才能」に関しては・・・持っていると感じたことは一度もない。

 音楽家の多くは、幼少の頃から(少なくとも)「音楽を聴くと特別な反応を示した」とか「どんな曲でもすぐ覚えた」とか「音感がよくて間違った音を聞き分けた」というような「音楽の才能の片鱗」を窺えるようなエピソードがあるものだが、私の場合は・・・まったく覚えが無い。

 そんな人間がどうして作曲家をやっているのか?
 さて、実を言うと当の私にもまったく分からないのである。(^。^)

          *

Photo しかも、作曲は「独学」である。
 
 絶対音感は(…以前どこかに書いたが、家にあった古ピアノがそもそも半音以上狂っていたせいもあって)最初から持ち合わせがない。
 ソルフェージュとか聴音の類いは、試みたことすらない(おかげでタルカス一曲耳コピするのに40年かかる始末だ!)
 
 作曲に関する勉強らしきものは・・・音楽に目覚めた14歳から高校の3年間くらいまでの間に(確かにもの凄い勢いで)本を読んだりレコードを聴いたり楽譜を読みあさったりFMを聴いたりした。でも、それですべてだ。

 その間、先生についたり誰かに何かを教わったということはなく、教わろうと思ったこともなかった。音楽大学に進む…という選択肢も考えず、留学なども考えたことがない。
(ちなみに、親戚や知り合いに音楽の専門家や関係者は一人もいない。父や叔母がアマチュアの音楽愛好家だったくらいである)

 しかも、間が悪いことに・・作曲家として世に出る前後は、無調のいわゆる「現代音楽」が全盛の時代だった。
 リズム・メロディ・ハーモニーのある音楽など「時代遅れ」「退嬰」と全否定される状況で、そんなものを書こうものなら村八分になる恐怖の世界。

 今では想像出来ないかも知れないが、高尚なクラシック系の「芸術音楽」と、世俗な「娯楽音楽」の間には越えられない一線があると信じられ、はっきりとした差別意識があった。(なにしろ、まだ有色人種や男女の差別が歴然と残る時代なのだ)。

 それはもう、独学の若造が単に「音楽が好きだから」だけではとても生きていけない壮絶な世界であり、それぞれの音楽ジャンルはぶ厚い門戸の中にあってちょっとやそっとでは紛れ込むことすら許されなかった。

Portraitx そんな中で「オーケストラを鳴らす作曲家として活動する」ための選択肢は2つ。
 改宗して「現代音楽」を書き、現代音楽作曲家として生き延びるか・・
 転身してポップスや商業音楽(映画音楽)あるいは合唱音楽の道に進むか・・

 しかし、元々がベートーヴェンやチャイコフスキーやシベリウスと同じ土俵で「オーケストラを鳴らす」というのが作曲を志した唯一にして絶対の理由なのだから、改宗も転身もあり得ない。
 結局、色々と悩みつつも、現代音楽の世界で敢えて「音楽」をやる…というもっとも七面倒くさく壁が分厚く抵抗が大きそうな最悪の道を選択することになったわけである。

 とは言っても、勝算があったわけでは全くない。
 これは説明が難しいが・・・そもそも「独学」&「孤立無援」で始めたことであり、しかも自分に「才能」や「後ろ盾」などの持ち合わせはサッパリ無い。

 とすれば「才能が認められて大成功」などというバラ色の未来は存在するはずもなく、最初から勝算は限りなくゼロに近いのである。
 とすれば、これはもう、「生き残ろう」とか「助かろう」などと言うことは考えず、「全力で正面突破して玉砕」しかないではないか。そう思ったわけである。

 当時、大河ドラマ「天と地と」(1969)で主人公の上杉謙信がこう言っていたのが心にしみた。
 死中生あり
 生中生なし
(敢えて死のうとするその先に生がある
 生きて助かろうとする弱さの先に生はない。(意訳)

 まあ、現実にはほとんど役に立たない(戦場のみで通じる)めちゃくちゃな論理だが、その頃は「完全に勝ち目のない戦」に出るサムライの気分だったので「おお!」と思ってしまったのである(笑)。
 もっとも、相手は戦争ではなく「音楽」なのだから、失敗したからと言って死が待っているわけではない。せいぜい「清水の舞台から飛び降りる」と言ったくらいだろうか。

Cut001a と、今だから笑い話めいて話せるが、落ちたら助からないと分かって清水の舞台から飛び降りるのだから、もちろんある意味で「死」を覚悟していたわけであり、その点では「若気の至り」というより、そのまま「莫迦」と言うべきか。

 ところが、この「莫迦」な行為にもたったひとつ、思いもかけない怪我の功名とでも言えるメリットがあった。
 それは「怖いものがない」という点である。

 作曲家としてなんとか生き残りたい、成功したい、認められたい…と思えばこそ「自分には才能があるのだろうか?」と悩み、「私の音楽は受け入れられるのだろうか?」と評価に一喜一憂し、「賞を貰いたい」とか「役職に就きたい」とか「収入を得たい」と必死になる。

 でも、最初から死ぬつもりで助かるつもりがなければ、演奏してくれなかろうが、評価されなかろうが、お金にならなかろうが、全然関係ない。つまり・・・何も怖くないのである。
 
 結果、まったく「才能」も「後ろ盾」も「収入のあて」も何の「保証」もないのに、まるでそれらすべてを持っているかのように「好き勝手」を通し抜いた。
 現代音楽という釈迦の掌の上にいながら「現代音楽撲滅」を叫ぶ、などという命知らずのことも平気でやった。(とにかく「なんたって独学」で「そもそも素人」で「守るなんか何も無い」というのは強い。最強である(笑)

 当然の報いとして、三十代半ばくらいでグシャッと地面に落っこちてそれっきり・・・というヴィジョンだったのだが、人生は思うようにならない。
 どういうわけか途中の「枝」に引っかかって・・なんと生き残ってしまったのである。

 結果、還暦まで生きながらえて、「恥」をさらすことになってしまったわけだが・・・さて、これは、どこまでも「偶然」の成せるわざなのか、あるいは多少は「必然」が混じっているものなのか。それとも「何かの冗談」なのか、はたまた、目覚めたら「夢」でした、という「夢オチ」なのか?
 齢六十を前にして、しみじみ首をかしげる今日この頃である。

          *

 というわけで、今回は還暦コンサートで演奏される(予定の)作品たちを…作曲した順番に…当時を回想しつつ紹介してお茶を濁すことにしよう。
 内容が内容だけにちょっとナルシシズム(自己愛)っぽい表現が混じるのはご勘弁を。

■ ドーリアン(1979)
 
Music_2_2 私の音楽への(常軌を逸した)情熱は、もともとが14歳の時に聴いたベートーヴェンが起点。なので、「交響曲を書きたい!」というのが常に「コケの一念」の根底にあった。

 ただし、20世紀(当時)の現代にベートーヴェンやチャイコフスキーのような交響曲というのもあり得ない。それは分かっていた。
 かと言って、前述のように当時の風潮に合わせた「無調の現代音楽」的な作品を書くのは(自分で聴いて楽しくないという理由で)どうしても嫌だった。

 では、どういう音楽を書けばいいのか?
 自分はどういう音楽を聴きたいのか?

 そう模索していた頃、プログレッシヴ・ロック(ピンクフロイド〜イエス〜エマーソン・レイク&パーマー)に出会った。
 これはかなり衝撃的で「現代にもこういうシンフォニー(多楽章でアルバム一枚におよぶシンフォニックな創作曲)があり得るのだ!」という希望の光となった。

 そこで、大学を中退する前後、音楽雑誌で出会ったバンド仲間とピンクフロイドの曲をコピーしたり、尺八と琵琶の入るジャズコンボでキーボードを弾いたりという変則的(かつプログレッシヴ)な音楽修行を始めた。
 そして同時に、何作目かの《交響曲第1番》(書いては潰していたので、全て未完)を書き始めたわけなのだ。

 その時、シンフォニーのアダージョ楽章のイメージとして書いていたのが、ピンクフロイド(特に「エコーズ」)をベースにした「朱鷺によせる哀歌」。そして賑やかなフィナーレに当たるのがEL&P(特に「タルカス」と「悪の教典」)とイエス(特に「シベリアンカートゥル」と「海洋地形学の物語」)をベースにした「ドーリアン」だった。
 その点では、この2曲は(静と動という全く正反対の作風を持ちながら)表裏一体とでも言えるような兄妹作なのである。

 とは言え、当時はそんな構想の全3楽章40分近い交響曲を発表するなど(無名なチンピラ作曲家でなくとも)考えられない時代だった。
 そこで、まずは「切り売り」するしかないと、フィナーレだけを「ドーリア崩壊」というタイトルで抜き出し、毎日音楽コンクール(現在の日本音楽コンクール)作曲部門に参加した。しかし(とりつく島もないといった感じで)予選の段階で見事落選する。

Dorian_2 それでも懲りずに翌年今度は「ドーリアン」と改名して交響楽振興財団の作曲コンクールに応募。すると、これはなんとか予選を通過し、本選会で演奏されることになった。19歳で初めてコンクールに応募をし始めてから苦節8年、落選歴20を超える果ての初めての「明るい光」だった。
(しかも、その初演の日というのが、前年フィンランドを訪れシベリウス師の墓に詣でた日からちょうど1年目の今月今夜!。以来、これは師匠のお導きであり音楽の女神からの「天啓」であると信じて疑わない)

 ちなみにドーリアン(Dorian)というのはドーリア旋法(レミファソラシドレという音階)のこと。
 基本的には、無調の現代音楽全盛の時代にぬけぬけと「ドーリア旋法のハーモニー(協和音)」を高らかに鳴らすこと…が目的だったのだが、語源となった古代ギリシャのドーリア人は、「ハーモニー」とか「調和」とは程遠く、鉄の剣をもって勇猛をはせた征服民族。その「バーバリアン(蛮人)」のイメージがEL&Pっぽい音楽に合致したことも大きい。

 オーケストラのすべての音にパーカッションでアタックを付ける…という(プログレッシヴロックで学んだ)方法論を採用した点ではいわゆる「シンフォニック・ロック」と言うべきかも知れないが、自分の中でのイメージはあくまでもベートーヴェンの「運命」だった。
 凶暴で変拍子の「運命」が全てを破壊し異民族を征服しつつ疾走し、やがて「ケチャ」のビートに乗って増殖を重ね、最後には「協和音」で勝利の雄叫びを上げる。要するに、苦悩を突き抜けて歓喜に至る…そんな音楽である。

          *

 かくして、この曲は1980年27歳の時に東京文化会館で秋山和慶指揮東京交響楽団によって初演され、私にとっては「初めて音になった(記念すべき)オーケストラ曲」になった。

 もっとも、評価は「佳作入選」止まりで、審査員からは「バカスカでかい音を出せばいいってもんじゃない!」とか「節度なく好き勝手書きすぎでやかましすぎ」「春の祭典クリソツ」という悪評を浴び、肝心の「プログレからの影響」など指摘する声はゼロだった。
 それでも、私自身はと言うと(そんな悪口はどこ吹く風で)「いやあ、オーケストラって凄い音で鳴るもんだなあ」と感動しつつ「ベートーヴェンよりいいじゃン!」という不謹慎な感慨を覚えたことを告白しておく(笑)。
  
 今思えば、この翌年に「オーケストラ版タルカス」を書き上げて初演することも出来たはずで・・・そうなっていたら私自身も、そして現代の音楽界もかなり違った道を歩んでいたかも知れない。
 しかし、時代はまだ「その時」を迎えていなかった(ということなのだろう)。

 面白いのは、「ドーリアン」も「タルカス」も、初演はクラシック音楽界(&現代音楽界)から総スカン的な無視を食らったものの、なぜかテレビは真っ先に食い付いてきたことだ。
 両曲とも、初演から1年もしないうちに「題名のない音楽会」で(抜粋ながら)演奏され放送されている。(ドーリアンは1980年2月放送の「現代作曲家・青春群像」、タルカスは2011年2月放送の「クラシックmeetsロック/新作!プログレ交響組曲」)

 しかも、「ドーリアン」の方は、その放送を聞いた東京キッドブラザースという劇団(主宰:東由多加)が「ニューヨーク公演をするための新作サムライ&ロック・ミュージカルの作曲を是非!」といきなり私を指名(結果、オフオフブロードウエイで上演する「SHIRO」という作品に参加することになった)。
 一方「タルカス」はご存じのように、NHKの大河ドラマ「平清盛」の作曲に(平安プログレ…というコンセプトを実現すべく)指名されるきっかけになったわけで、何というか……デジャヴ?。

 ただし・・・にもかかわらず肝心のオーケストラ界(クラシック音楽界)がまったく無反応なのは同じ。「ドーリアン」もコンサートでの再演は初演以来一度もないし、「タルカス」も未だにコンサートで取り上げる気配はゼロ。(その点は「独学」&「素人」のせいもあるだろうか)
 そこに感じる「虚しさ」というか「徒労感」は35年たってもほとんど変わらないのが、ちょっとつらいところではある。

■ サイバーバード協奏曲(1994)

Cyberb そんなわけで、デビューした瞬間から「オーケストラで鳴らすプログレッシヴ・ロック」の道を歩み始めたはずだったのだが(笑)、現代音楽界における80年代当時の私への評価は《新ロマン派》といういささかピント外れなものだった。

 これは、ドーリアンに続いて発表し、なぜか異様に再演されることになった「朱鷺によせる哀歌」(1980)の静かで旋法的な書式がロマンチックなイメージを喚起させたことが大きいのだろう。
 この《新ロマン派》という動き自体は、70年代後半あたりに現代音楽界に登場した…ワーグナーやリヒャルトシュトラウスばりの(後期ロマン派っぽい)響きを好む風潮のこと。無調ガリガリの前衛音楽への反動から生まれた「少しはロマンチックな音楽を書いてもいいんじゃない?」という趣向だったのだが、コアな現代音楽ファンからは「反動的」とか「退嬰的」とか悪口言われ放題だった。

 そのあたりの失望もあって、私としてはその頃から「現代音楽」の傾向や流行にはまったく興味を失い、(もともと現代音楽界で音楽をやるつもりは全くなかったので)「デジタルバード組曲」(1981)とかギター協奏曲「天馬効果」(1984)、「鳥たちの時代」(1986)、「プレイアデス舞曲集」(1987〜)などという…現代音楽のコンテクスト(文脈)をまったく無視した作品を勝手に発表し始めていた。

 結果、実質的なデビュー曲となった(前述の)「朱鷺によせる哀歌」(1980)は、「ちょっと旋法の要素が紛れ込む現代音楽作品」という「誤解」の元に現代音楽界でも少しは評価されたのだが、それ以降の作品は「ぬけぬけと」メロディもリズムもハーモニーも出てくるのだからもういけない。ヨシマツは堕落しただの腑抜けになっただの聴衆に迎合しただの非道い言われように晒されることになった。

 その頃、どこかの現代音楽祭だかで「デジタルバード組曲」や「プレイアデス舞曲集」が演奏されたところ、外国の(正統なる現代音楽をお書きになっている)作曲家が「この男は気が違っているのか?」とまじめな顔で聞いたらしい。
(それに応えて普通の聴衆の方が「アナタの方が気が違っているのでは?」と言ってくれたそうで、大笑いになったのだが)

 そんなふうだから、正統な現代音楽関係者(作曲家や評論家)たちからは完全に「異端」(20世紀後半の時代にハーモニーやリズムを取り戻そうと考えている異教徒)扱いとなり、「現代音楽に反旗を翻す裏切り者」として現代音楽界からはブラックリストに載る要注意人物(?)と目されることになった。剣呑、剣呑。

 にもかかわらず、演奏してくれる演奏家・聴いてくれる聴衆たちは(ありがたいことに)増えていた。ギターの山下和仁氏、ハーモニカの崎元譲氏、テナーの丹羽勝海氏。初めてのオーケストラ作品委嘱をしてくれた日本フィルハーモニー交響楽団、初めての個展を開催してくれた草津音楽祭・・・。
 彼らは普通に「きれいな曲」「面白い曲」という視点で私の音楽を評価してくれた。おかげで(無冠で異端ではみ出しッ子だったにも関わらず)「なぜか」音楽界で生き残れたわけである。

          * 

Zones しかし、調子に乗って好き勝手をやって来た作曲家デビュー10年目の37歳の時、「もうそろそろこれで打ち止めだろう」と思いが強くなった。

 そもそも独学の食わせ物だし、いまだに一人で何のバックアップもなく、相変わらず現代音楽は現代音楽のままだし、日本に新しい交響曲など受け入れる土壌はない。(そのわりには、無理やり交響曲第1番・第2番と書き上げてはいたのだが)
 もとから「清水の舞台から飛び降り」ているつもりなのだから、10年も落下し続ければもう十分。「まあ、ここまで好き勝手にやったのだから、もういいや。思い残すこともないし」という(いわば)「涅槃」(?)の境地に達してしまったわけである。(^_^)b

 そんな時に出会ったのが、サックスの須川展也氏だった。

 正直に言うと、彼に「曲を書いて欲しい」と言われ、実際に何曲か演奏を聴いた時も、「木管でも金管でもなく」「ジャズでもクラシックでもない」というコウモリみたいな(鳥でもなく獣でもない)サクソフォンという楽器に魅力はほとんど感じなかった。
 そして、須川氏自身も、そんなサクソフォンの「方向性」についてずいぶん悩み模索しているように感じた。(実際、その場の雰囲気から、彼も「ああ、これは書いてくれそうにないな」と思ったそうだ)

 しかし、考えてみれば、鳥でもなく獣でもない…ということは、鳥にも獣にもなれる…ということだ。(それは、独学で素人だからこそプロを凌駕できる個性を手に出来るのと似ている!)
 そして、クラシカルな美音とジャージーな濁音を瞬時に吹き分ける彼のテクニックは、クラシックにもジャズにも一瞬でスイッチできる「万能の楽器」を手にしていることを意味する。

 それに気付いた瞬間から、プログレっぽくもありジャズっぽくもあり、エスニックでもあり、さらにシンフォニックでもあり…という「何でもアリ」の音楽がサックスを起点に噴出することになった。

 かくして出来上がった「ファジーバード・ソナタ」(1991)と次にその発展形として書いた「サイバーバード協奏曲」(1994)は、自分の中に今までくすぶっていて解決の付かなかった「クラシック音楽におけるプログレッシヴ・ロック指向」を解放してくれる魔法の翼となった。

 おかげで、なにかの「歯止め」が外れ(その点を、現代音楽マニアからは「堕落」と指弾されるのだが・)、作曲家をやめるどころかますます調子に乗って好き勝手を始めることになった。
 実際、それまでは「世紀末抒情主義」などと(いくぶん控えめに)自称していたのだが、このあたりから(ぬけぬけと)「開き直り楽派」を自称するようになる(笑)

 後に、イギリスCHANDOSで私のオーケストラ作品全曲録音(1998年から、全7枚21曲が録音された)というプロジェクトが始まったのも、この「サイバーバード協奏曲」がきっかけだった。
 この曲のテープ録音を聞いた社長が、いきなり「こいつの作品を全部録音する!」と決断し、藤岡幸夫氏指揮BBCフィルの演奏による録音プロジェクトを立ち上げたのである。
 世の中本当に一寸先は分からないものである。

        *

Crosss 余談になるが、この曲を作曲している頃、妹が末期癌で病床にあり、スコアの〆切は彼女の死期と同じだった。

 私より2歳下の妹は、小学生の時に私より先にピアノを習い始め、私はそれを見てピアノに触れることになった。
 孤立無援で作曲家を志していた私にとっては常に最大の理解者であり、最初の聴衆でもあった。その後、嫁に行って2人の男の子に恵まれ、これから幸せな人生を過ごす入り口にいたはずだった。そんな時、病魔に冒された。

 この曲の第2楽章冒頭は、「癌が再発してあと3ヶ月ほどの命です」という宣告を聴いた時、頭の中に(真っ白な空虚な思いと共に)鳴ったピアノのフレーズで始まる。

 やがて、人工呼吸器を付けたため声を出せなくなり、会話は口の動きと表情だけになった。それでも兄妹のせいか、私だけは妹の言っていることが分かった。
 狭い病室の壁を見ながら妹は「空が見たい」と言い、「今度生まれてくるときは鳥がいい」と言い続けた。そして、目の前の白い壁にまるで天使が見えるかのように、時々微笑んだ。
 2楽章はそんな妹の魂の名前が刻印されている。

 闘病は晩秋から年の暮れまでに及び、最後は何日か徹夜でつききりの看護をしながら、病室でスコアを書いた。しかし、年が明けて正月の6日、完成を待たずに妹は死に、スコアだけが空しく残された。

 今、手書きのスコアを見ると(当時はまだパソコン入力ではなく、シャープペンによる手書きである)ひどく荒れているのが分かる。音数は少なく、ある意味では、私の作品の中で一番「手を抜いた」スコアかも知れない。

 協奏曲なのに独奏楽器がサックスだけでなくピアノとパーカッション付きというトリプル・コンチェルト仕立てなのも、実を言うと、もしスコアが完成できなかったときはピアノ(小柳美奈子さん)とパーカッション(山口多嘉子さん)という気心の知れた3人による「アドリブ」で何とかしてもらおう…という非常に後ろ向きでマイナスな理由からだった。

 そして、フィナーレは、鳥がひたすら空を疾走する。途中で一瞬立ち止まり、悲しげで苦しい様子を見せるが、あとは「狂ったように」空へ舞い上がり飛翔する。
 この部分は、どうやって書いたか全く記憶がない。オーケストラは2つのコードを繰り返すだけで、サックスやパーカッションのパートには「〜〜〜〜」の破線と「アドリブ!」の文字が書かれているだけだからだ。そこに「音楽」が宿っているのは、何かの「魂」のせいとしか言いようがない。

 この曲は、私一人では決して書けなかった。須川氏との出会い、妹との別れ、それらがこの曲を生んだ。
 そして、小柳美奈子さん山口多嘉子さんのバックアップ無しにこの世界はあり得なかった。

 これは本当に音楽の(そして人との関わりの)不思議さを実感する出来事だった。

 
■ 鳥は静かに(1998)

B_2 妹の死後、実を言うと「鳥と虹によせる雅歌」(1994)という…妹への追悼の雅歌として書かれたオーケストラ作品を最後に、作曲家をやめようと思っていた時期がある。(やめて何か別のことをする…というわけではなく、何と言うか…「作曲」という行為をやめたかったのだ)
 最愛の肉親を失ったことの喪失感も大きかったが、現代音楽界にも失望していたし、気を張って《孤軍》を貫くのにも疲れていた。

 ところが、世の中は不思議なもので、そんな時に限って新しい出会いがある。この前後にピアニストの田部京子さんと出会い「プレイアデス舞曲集」の録音が始まり、さらに指揮者の藤岡幸夫氏と出会いイギリスで交響曲をCD録音する話が進み始めた。

 作曲を志す最初のきっかけは、確かに、交響曲のような自己完結的な音響の神殿をたった一人で作り上げることだった。
 しかし、音楽というのは作曲家一人で作るものではなく、「演奏家」を触媒にして私の中に生まれる「化学反応」のようなものらしい、とその時になってようやく気付いた。

 それは、妙な言い方になるが、男(作曲家)と女(演奏家)双方の遺伝子とDNAが組み合わさって子供(作品)が生まれるのに似ている。
 単に自分を分裂させて増殖する単性生殖では、多様性がなく行き詰まってしまう。全く違った個性を持つ個体の遺伝子がブレンドされることで、新しい次の世代の「個体(音楽)」が生まれる。それとよく似ているのだ。

「鳥は静かに」(1998)はそんな頃書かれた。
 元々はとあるアマチュア・オーケストラから「亡くなった仲間(ヴィオラと聞いたような気がする)の追悼のための曲を」という依頼で、弦楽アンサンブルのために書き始めた。
 しかし、どういうわけか全く具体的な話の進展がないまま委嘱は破棄され、作品だけが残った。この曲に「寂しくぽつんと孤立している」イメージがあるのは、そんな出生の秘密(?)もあるのかも知れない。

 きわめて短くコンパクトな曲だが、デビュー作「朱鷺によせる哀歌」やシベリウスの「トゥオネラの白鳥」のエコーを微かに含む。さらに、妹への追悼曲となった前述の「鳥と虹によせる雅歌」や、前後して書かれた「天使はまどろみながら」(1998)の香りも微かに残っている。

 曲は、死んだ鳥を囲んでまず一羽の鳥が静かに歌い出し、その「歌」が静かに周りの鳥たちに伝わってゆき、緩やかに輪のように広がってゆく。
 
 深く考え時間をかけて作った曲ではないけれど(「朱鷺」は9年近い年月をかけている)、個人的には自分の曲の中で最も好きな(…と言うより「愛しい」)曲のひとつである。

■ タルカス(2010)

Tarkusx そして最後の2曲、まずタルカスについては散々あちこちで書いたので、あまり言うことはない。
 今回、「ドーリアン」(1979)と並べて聞いてもらうわけだが、前述したように、元々は同じネタである。なので、「40年前に既にここまで到達していたのか」と言われるか、「何だ40年前も今もやってることは同じじゃないか」と言われるか。・・・圧倒的に後者のような気がしないでもないが(笑)。

 さすがに40年間というタイムラグに関しては…「生まれる時代を間違った感」は否めないが、「こういう音楽がまだオーケストラで出来るのだ」と思ってくれる人が一人でも生まれ、さらなる未来にその思いを伝えてくれれば、40年にわたる我が「コケの一念」も報われるというものである。

 個人的に贅沢を言わせてもらえれば、ラヴェル編の「展覧会の絵」がオーケストラのレパートリーになったように、この曲もクラシックのコンサートで普通に演奏されるようになり、原曲の作曲者キース・エマーソン氏が普通に音楽史の大作曲家として名を連ねるようになって欲しい。
 それが(20分の曲を書き写すのに40年をかけてしまった)凡庸な編曲者の夢であり希望である。

■ 「平清盛」組曲(2012)

 そして、最近作であるNHK大河ドラマ「平清盛」の音楽もまた、「タルカス」から派生した(こちらは50年来の)個人的な夢の完結である。
 なにしろ大河ドラマはそれこそ50年前の第一作「花の生涯」(1963)から見ているので、その歴史あるドラマの中に自分の音楽を組み込めることは、日本の作曲家としてはこの上ない「名誉」としか言いようがない。

 ただし、ドラマの音楽を書くのは初めてなので、そもそもどういうやり方が「普通」なのかさっぱり分からず、ここでも(独学&素人の強みを前面に押し出して)好き勝手を通させていただいた。

 結果、前述のサイバードの時以上に、自分の中にあるクラシック・ロック・ジャズ・邦楽・現代音楽などなどの色々な《ネタ》を大棚ざらえ的に「ほとんど全て吐き出す」ことになった。・・それが良かったのか悪かったのかは分からないが…。

 何はともあれ、オーケストラと左手ピアノを核に和楽器(雅楽、二十弦、琵琶、笛)から合唱までを加えて書いた楽曲は100曲を超え、全曲を通し演奏すると6時間を超える。
 さらに、上記の「タルカス」や「サイバーバード協奏曲」の一部、舘野泉さんのために書いた左手のピアノ作品(アヴェマリアや5月の夢の歌など)、そしてそれらの異稿(アレンジ換えや編集)を加えると軽くその1.5倍ほどになる。これはもう「巨大なオペラ2曲分」くらいの分量である。

 ということは、5〜6曲で30分ほどの演奏会用組曲を作っても、軽く10くらい出来る計算になるわけで。そうなると・・・「平清盛」組曲第9番とか第12番というのも有り得そうだ。

 ただし、還暦コンサートでの曲の組み合わせは・・・まだ決まっていない。当日をお楽しみに。

          *
 
All 最後に、今回のコンサートの発起人となってくださった舘野泉さん(ピアノ)、演奏を担当してくれる藤岡幸夫さん(指揮)と東京フィルハーモニー交響楽団、サイバーバード協奏曲の壮絶な演奏を聴かせてくれるはずの須川展也さん(サクソフォン)、コンサートの実現に奔走してくれたジャパンアーツ(担当:大沼千秋さん)、そして東京オペラシティ文化財団に感謝します。

 そして、第1部で私の作品のオムニバス演奏(?)に友情出演して下さる(予定の)、田部京子さん(ピアノ)、小川典子さん(ピアノ)、長谷川陽子さん(チェロ)、福川伸陽さん(ホルン)、吉村七重さん(二十絃)にも心からの感謝を。

 おっと、それからチケットを買ってくださる聴衆の皆さん全てに音楽の女神からの祝福を!

          *

■「鳥の響展(Tori no Kyohten)」
 2013年3月20日(水)
 15:00東京オペラシティコンサートホール

Kyoten2013□ 第1部
 
プレイアデス舞曲集(p:田部京子)
 
ランダムバード変奏曲(p:田部京子、小川典子)
 
夢色モビール(vc:長谷川陽子)
 
タピオラ幻景(p:舘野泉)
 
スパイラルバード組曲(hr:福川伸陽)
 
夢詠み(二十絃:吉村七重、チェロ:長谷川陽子)

□ 第2部
 
鳥は静かに(1998)
 
サイバーバード協奏曲(1994/sax:須川展也)
 
ドーリアン(1979)

□ 第3部
 
「平清盛」組曲(2011/2)
 
タルカス(2010/原曲:K.エマーソン&G.レイク)

 演奏:藤岡幸夫指揮東京フィル
 

 主催:ジャパンアーツ/東京オペラシティ文化財団
 
 チケット:ジャパンアーツぴあコールセンター(03)5774-3040
 
 9月16日より一般発売。

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2012/08/10

夏休み雑談@人生を変えた6枚  

Lp6 ひな鳥は卵から生まれて最初に見た「動く物」を(それが何であれ)「親」と認識するらしい。これをインプリンティング(刷り込み)と言うそうだが、音楽も似たような処がある。おそらく物心ついて最初に出会った音楽が(それが何であれ)その人の音楽の基盤となり、一生ついて回る。

 私の音楽との最初の出会いは1960年代後半、そして作曲家として活動し始めたのが70年代後半。雛鳥の期間はこの1960年代後半から70年代前半の間で、この間に刷り込まれた(聴いた)音楽が私の音楽の「親」ということになる。厳密に言うと1967年から74年までの7年間なのだが、この時代、公平に見てもかなり音楽的に面白い時代だったという気がする。

 1960年代は、戦後の混乱が落ち着いて色々な新興勢力が雨後の筍の如く出てきた時代。古き伝統や旧世代が戦争で淘汰され、人類史上初〜新しい世代による「やりたい放題の時代」が訪れたと言える。
 クラシックの作曲界は前衛音楽(アヴァンギャルド)で伝統破壊の嵐が吹き荒れ、演奏界はステレオやLPレコードという新しいメディアの翼を得て、聴衆の層を世界的に広げた。密室芸に近かったジャズですらモダンの嵐を世界中に広め、今までせいぜい数百人が相手だったポップ音楽も、世界中の数百万数千万の聴衆を獲得する魔法の翼を得ることになったわけだから凄い進化だ。
 おそらく…いや、間違いなく人類史上もっとも音楽的な活気に満ちバラエティ豊かで革命的な時代だったと言っていいだろう。

 そして1970年代を迎えるとシンセサイザーが登場し、コンピュータがその姿を現す。プログレッシヴロックが生まれ、ロックやジャズやクラシック音楽や電子音楽がシャッフルされ、どんな音楽もロックビートとレコード録音の元で世界的音楽になる「国際基準(グローバルスタンダード)」の基盤が確立された。
 人類の文化は未だに「世界的な統一」を成し遂げられずにいるが、音楽はいともあっさりと「国際基準」を得てしまった、といったら大袈裟だろうか。
 その余波で、時代遅れの「古きアナログ音楽」として絶滅を危惧されたクラシック音楽も、「録音芸術」という形の復活を果たすことになった。これも二十世紀の奇跡のひとつだろう。
 音楽にとってはまさしく人類史上最大の大変動の時代だったのである。

 当時は、音楽はこの勢いでどんどん進化してゆく・・・ような気がしていた。60年代前後の前衛音楽や70年を迎えてのプログレやエレクトロニクスそしてコンピュータの進化のすさまじさを目の当たりにすれば、誰でも「このペースで行ったら21世紀の音楽は凄いことになるに違いない」と胸をわくわくさせたはずだ。
 しかし、「このままのペースで行く」ということは現実にはまず有り得ない。生まれたとき身長50センチの赤ん坊は、4歳でほぼ倍の大きさ(100センチ)になるが、「そのままのペース」で8歳で2メートル、12歳で4メートル、16歳で8メートル…というふうには育たない。思春期の16〜7歳で160センチ前後に育つと、あとは死ぬまでほとんど成長しない。
 音楽も同じで、終戦(1945年)を起点に爆発的に成長を始めた「20世紀の音楽」は、60〜70年代で爆発的な成長を遂げた後、80年代に入ると成長期を終え、それ以来、音楽は(ポップスにしろ前衛音楽にしろ)根本的な「進化」からは遠ざかっている気がする。

 その証拠に、現代(2010年代)のどんな音楽を聴いても、そのネタと言えるものは基本的に70年代までに存在したものだ。その後、見た目が新しくなったり完成度を高めたりブレンド具合が絶妙になったり処理スピードが速くなったりコンパクトになったり…ということはあっても、全くタイプの「新しい」音楽に出会うことはほぼなくなった。
 とは言え、それは別に悪いことではない。身長8メートルを超える16歳が正しい進化とは言えないように、人類の音楽も70年代までにひとまず成長期を終え、80年代以降は大人としての「適正な大きさ」に達したと考えるべきなのだろう。
 私が育った60〜70年代というのは、そう言った意味で、音楽のほぼすべてのジャンルでそのネタが出揃った時代であり、その後は(21世紀の現在、そして未来に至るまで)ひたすら「そのヴァージョンアップ」を繰り返す。そんな「基本OS」が確立された時代と言えるのかも知れない。
 その時代に、音楽を「刷り込まれた」ことを感謝しつつ、私の目の前をよぎった「親の形をしたもの」6枚をだらだらと紹介することにしよう。
          *

Beatles ■ビートルズ「サージェント・ペパーズ」(1967)

 実は、私は中学生まで特に音楽に興味を持ったことはなかった。普通の少年が普通にヒット曲やポップスに惹かれる程度に音楽を聴き、ギターを掻き鳴らし、バンドや歌手に夢中になるという程度の「趣味」にしか過ぎなかったと言ったらいいだろうか。
 東京オリンピック(1964)前後の「昭和30〜40年代」当時は、ヴェンチャーズを筆頭にしたエレキバンド(エレキギター、ベースギター、ドラムスによるインストゥルメンタル・バンド)が新しい音楽としては人気を博していて、中学生にあがったばかりの私が最初にお小遣いで買ったレコードは彼らの「ヴェンチャーズ・イン・ジャパン」(1965)というアルバムだった。
 それに続いて、ビートルズを初めとする「歌って演奏するエレキバンド」が続々登場、ローリング・ストーンズ、モンキーズなどが人気を博し、1966年のビートルズ来日でピークに達し、日本にもグループサウンズなるバンド・ブームが訪れる。
 私は当時ウォーカーブラザースというバンドのファンで、1967年の来日の時は武道館にコンサートを聴きに行ったりしている(ちなみに中学3年だった)。 

 今でこそビートルズというのは唯一無比の史上最大のバンドのような扱いだが、当時はいろいろある人気ポップバンドのひとつ。反抗する不良少年的なロックンロールという点ではローリング・ストーンズの方に人気があったし、斬新なサウンドという点ではビーチボーイズ(グッド・バイブレーション!1966)、甘いマスクではウォーカー・ブラザース、コミカルな人気ではモンキーズなどなどライバルは大勢いた。必ずしもあの時代のナンバーワンだったわけではないのである。
 それが「おや?」と思える変化を見せたのが、1967年に発表された「サージェント・ペパーズ」だった。その直前の「リボルバー」(1966)というアルバムもかなりぶっ飛んでいたが、極彩色のジャケットデザインと舌を噛みそうな長い名前のアルバムはとにかく異色だった。このアルバム、正式には「サージェント・ペッパーズ・ロンリーハーツクラブ・バンド(Sgt Pepper's Lonely Hearts Club Band)」という。
 それまでのポップスは、2分前後の長さのヒットシングルをどれだけ売るか…がすべて。ところがビートルズのこのアルバムはアルバム一枚丸々をひとつの組曲仕立てにして曲を構成するという(コンセプト・アルバム)の道を打ち出した。ある意味クラシック音楽的な「交響曲」に近いアイデアである。
 さらに、それまでも伴奏に弦楽四重奏(エリノア・リグビー)を使ったり、テープの逆回転(トゥモロー・ネバー・ノウズ)を駆使したりする斬新さが、ビートルズの楽曲には垣間見られたが、このアルバムではそれがまさに「オモチャ箱を引っ繰り返したよう」に炸裂しているのも衝撃的だった。
 冒頭の「サージャント・ペパーズ」はブラスバンドの伴奏でまさに日曜日のマーチングバンドのように始まり、「ルーシー・イン・ザ・スカイ(with Diamonds)」ではエレクトリックなハープシコード・サウンド、そしてB面の「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」ではインド音楽がストリングスと共に聞こえ、最後の「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」ではオーケストラ全楽器のクラスターサウンドがシュトックハウゼンばりに鳴り響く。
 当然ながらスタジオワークで作られる精緻な世界であり、ライブでの再現はほぼ不可能(実際、ライブで演奏されたことはない…と思う)。LP両面で40分という時間を使った「Symphonic」な試みだったのだ。

 何年前だったか、「人間の音楽を宇宙人に伝えるためにレコードを一枚だけ選ぶとしたら?」と問われて、真っ先に挙げたのがこのアルバムだった。
 もちろん、このアルバムに収められた楽曲が人類の音楽のベストとは思わないが、このアルバムの中に含まれるあらゆる音楽の情報(それはロックからジャズそしてオーケストラにインド音楽まで多岐に渡る)は驚嘆すべきレベルであり、その情報量が単なる「ごった煮」にならず(いや、なっていると言えば言えるのだが)奇跡的な統一感を持っていることが、このアルバムの凄さと言える。
 ただし、これは「一人の天才的な作曲家」が生み落とした物ではなく、ビートルズの4人(とプロデューサーのジョージ・マーティン)の個性のぶつかり合いや反発、そして(前述のビーチボーイズのような)ほかの人気バンドと音楽的アイデアや奇抜さを競い合う遊び心の力学から生まれた「鬼っ子」のようなものの気もする。
 ある意味ではこれは(交響する音楽的な有機体という意味での)20世紀における「Symphony」の進化形態なのかも知れない…と後に思うようになった。ベートーヴェンが当時の宮廷音楽や鼻歌のような俗謡や民族音楽(トルコ行進曲)やシラーの詩など雑多で聖俗取り混ぜた音楽のイメージを「交響曲」という形に収斂したのと同じことを、彼らは(無意識かも知れないが)やってのけた。この時点で、人類の音楽史における王位は《ロック》に移行したのである。

Sibelius67b ■シベリウス(カラヤン)「交響曲第6番/第7番」(1967)

 とは言え、その頃の私は旧帝王である《クラシック音楽》についてはさっぱり無知だった。初めて正面から出会ったのは、中学3年(14歳)の冬だったからだ。
 実は、それまでベートーヴェンの交響曲すらまともに聴いたことがなかった。普通の中学生が音楽の授業で習う常識レベルで「運命」や「田園」のメロディとか「第九」の歌くらいは知っていたが、全曲を聴いたことなど一度もなかったのである。
 それがいきなり中3の12月にクラシック音楽マニアになり、「運命」「未完成」を皮切りにレコードを聴きまくり楽譜や本を読みまくり、4月に高校に上がった時にはクラス一のクラシックマニアになっていた(笑)。
 ただし、促成栽培のクラシックマニアなので隙だらけ。同級生の音楽好きに「チャイコフスキーの第5番って良い曲だよね」と言われて(聞いたことないにも関わらず)「ああ、良い曲だよね」と答えたその足で図書室に飛んでいってレコードを借り、渋谷のヤマハでスコアを手に入れ、翌日にはいっぱしの「5番マニア」になっている…という案配だった。
 しかし、まさしく白い紙にインクが染み込む如く…毎日毎日膨大な量のレコードを聞き音楽書を読みスコアを買ったり立ち見したりと…爆発的な吸収力を発揮していた・・・と言っても、高校生の小遣いでは限界があるので、新しくレコードを買うのはせいぜい月に2枚。そんな状態の時に大学の生協で注文してまで買った新譜が、当時最新録音盤のカラヤン指揮のシベリウス交響曲シリーズ(第4番、第5番、そして第6番7番)だった。
 クラシック音楽の最初の入口はベートーヴェン(運命)&シューベルト(未完成)だったわけだが、どうもドイツ音楽と言うのは(素晴らしいは素晴らしいのだが)「自分の音楽」としては(醤油味好みの日本人にオリーブオイル味が馴染まないようなレベルで)ピンと来なかった。
 しかし、交響曲つながりでロシアのチャイコフスキー(第5番と第4番)を知った時、そのペーソスの演歌っぽさに「お、これは!」と感動。一時は、定期入れにチャイコフスキー先生の写真を入れていたほど信奉したが、翌月には早くもそこから更に北に飛んで北欧フィンランドのシベリウスに辿り着いたわけだ。
 そして、第4番と「トゥオネラの白鳥」を聞き、第5番と「タピオラ」を聞き、最後に第6番と第7番を聞き、魂を揺さぶられた。高校1年(15歳)の秋だった。(初めてベートーヴェンを聴いてからわずか1年めのことだ)
 これは、昔から心酔していた宮澤賢治の影響もあったのだろう。「銀河鉄道の夜」のイメージを音楽化したかのようなシベリウス後期の世界に、心を鷲掴みにされた。特に第6番の、冒頭の静かなコラールから始まる30分弱の世界は、「こういう音楽が書けたら死んでもいい!」という憧れの宇宙だった。
 カラヤン指揮ベルリンフィルの演奏は、必ずしもフィンランドの民族楽派としてのシベリウス向けではないが、この当時の彼らが醸し出す…この世の物とも思われないような冷たく光る究極の美音サウンドは、シベリウス後期の(オーロラの向こうの天空の世界のような)音楽宇宙を見事に具現していた。それは、フィンランドやベルリンといった現世の匂いを消去した(まさに賢治が描いた架空の理想郷イーハトーヴォのような)異世界の音楽だったのだ。
 その頃、同学年に同じようなクラシック音楽ファンが何人か居て、いい曲を見つけると「これ、いいよ。聞いてみて」とお互いレコードを勧めあったりしていたのだが、このシベリウスに関しては勧める気になれなかった。本当の「恋人」を見つけた男は、いくら親友にでも「あの娘可愛いよ」などと勧めない。同じように「これは僕だけの音楽だ」と心の奥にしっかりしまい込んで表に出さなかった。
 以来、シベリウス師は私の魂の師匠となり、現在に至っている。

 
Takemitsu ■武満徹「ノヴェンバーステップス」(1968)

 そんなこんなで、初めてクラシック音楽を聴き始めた瞬間から、「作曲家になる!」という秘めたる決意は心に抱いていたものの、その時点での「作曲家」というのは、あくまでもチャコフスキーやシベリウスのような音楽を書く作曲家のことだった。
 しかし、そのうち現代にも「現代音楽の作曲家」というものがいて、それが奇妙な音楽を書いていることにイヤでも気付くようになる・・・最初に聴いたのは…テレビで見た現代音楽コンサートの演奏だったり、ラジオから流れる現代音楽祭の楽曲だったりしたわけだが、これはすこぶる印象が悪かった。
 その頃の日記に「未来の私へ」という一文があって、「もし作曲家となってこういう音楽を書いているのだったら、即座にやめろ!」という脅迫めいたことが書いてあるほどだ(笑)
 しかし、シベリウスと前後して、武満徹「テクスチュアズ」(1964)と松村禎三「管弦楽のための前奏曲」(1968)に接してから、現代音楽マニアの道にはまり込むようになった。1969年6月には武満さんの個展に出向いてサインをもらっているし、高校3年(1970年)の時の音楽のレポートは、前期が「武満徹の音楽」、後期が「松村禎三の音楽」。演奏の実技には武満徹「ピアノ・ディスタンス」を(怪しい演奏ながら)弾いたほどだ。
 レコードとしては、武満徹「テクスチュアズ」三善晃「管弦楽のための協奏曲」黛敏郎「曼荼羅交響曲」のカップリング盤(1965)が最初の現代音楽体験。その後、黛敏郎「涅槃交響曲」(シュヒター指揮N響)や、武満さんの4枚組全集(アーク全曲や「環礁」「水の曲」「AI」などが収められた貴重盤)を経て、トゥランガリラ交響曲とノヴェンバーステップスのカップリング盤(1968)、そしてアステリズムやグリーンが収められた「小澤=武満69」(1969)に至る。
 そして、1970年の大阪万博でシュトックハウゼンの音楽(シュティムンク、テレムジークなど)に衝撃を受け、ペンデレツキやリゲティの音楽に出会い、トーン・クラスターや図形楽譜やライヴ・エレクロニクスやチャンス・オペレーションのような現代音楽の技法にのめり込んでゆく。
 高校の音楽室から「音楽芸術」という現代音楽専門誌のバックナンバーを十数年分ごっそりもらい受け、その付録の楽譜(武満徹、松村禎三、三善晃、間宮芳生、石井真木、松下真一などなど膨大な作曲家たちの室内楽曲百冊以上!)を研究しながら、現代モノっぽいアンサンブル曲を書き始めたのもこの頃。
 特に、音楽芸術増刊号「日本の作曲1969」に収録されていた松村禎三「管弦楽のための前奏曲」の手書きスコア、および渋谷ヤマハで見つけた武満徹「テクスチュアス」の青焼きコピースコア(これも手書き)は、心底仰天した。「こんな緻密で膨大で繊細な音符を書くのか!」というショックから、以後この2曲が私の頭の中を占領し、抜け出すのに7〜8年かかったほどだ。
 武満徹「ノヴェンバーステップス」(1967)は、邦楽器(尺八と琵琶)にオーケストラをぶつけた話題作で、ニューヨーク・フィルで初演されたことでも注目された一枚。当時(1968)メシアンの「トゥランガリラ交響曲」とのカップリングで2枚組での登場。まだ三十代という若さの日本人指揮者(小澤征爾)と日本人作曲家が日本の楽器をソリストにした新曲を海外のオーケストラ(トロント交響楽団)で録音した!という鮮烈さが「作曲家の卵」としてはショックであり、(今で言うなら、女の子が「私もAKB48に入りたいッ!」と思うような)強烈な憧れとなって心に食い込んだ。
 その憧れは、それから30年後、藤岡幸夫氏とイギリスBBCフィルで交響曲をCD録音してようやく昇華することになったが、まさしく人生の大半を支配するような長い長い夢となったわけだ。
 そして、武満徹と松村禎三の二人が(シベリウス師亡き世界における)「生きている作曲家」のチャンピオンとなり、数年後、そのうちの一人、松村禎三師に師事すべく門を叩くことになる。19歳の秋のことである。

Pinkfloyd ■ピンクフロイド「原子心母」(1970)

 そんなわけで、この頃の高校の3年間は、クラシック系現代音楽系を問わず、色々な音楽を聴き色々なタイプの音楽を試作していた。「毎日1曲」というノルマを課してピアノ曲を書いていたのもこの頃。ベートーヴェン風だったりドビュッシー風だったりショスタコーヴィチ風だったりワルツ風だったりロマンティックだったりメカニックだったりブギウギだったり無調だったり、思い付くものを片っ端から試す感じだった。
 そして、高校3年(1970)の秋には、学園祭で「ピアノ三重奏曲」を初演。演奏はオーケストラ部のヴァイオリン&チェロと同級生のピアノ。全4楽章からなる20分ほどの作品で、作風としてはラヴェル風のショスタコーヴィチという感じか(笑)。とは言え、現在聴いてもあまり作風に違いはない(かも知れない)。
 この頃は、オーケストラ部の友人たちに宛てて「フルートとチェロのための前奏曲」とか「ヴァイオリン・ソナタ」「木管五重奏曲」「無伴奏チェロ組曲」などを書いて、一方的楽譜を送り・・・そのまま演奏もされずに無視・・・ということを繰り返していた。中には、慶應の塾歌などを組み込んだ「管弦楽のための協奏曲」とか「交響曲」の試作などもある。ただし、まだコピーなどない(あったとしても凄く高価!)時代で、あげてしまった楽譜はそれっきりとなり、手元に楽譜は残っていない。
 そして、大学の工学部に進学すると、本格的に「現代音楽的な作風」のオーケストラ曲の作曲を始めるようになった。もちろんモデルはシベリウスやチャイコフスキーではなく、武満徹と松村禎三である。
 大学2年(19歳)の時に書いた「阿修羅」(1972)というオーケストラ曲がその最初の一曲。〈阿修羅〉は興福寺の阿修羅像と共に宮沢賢治の「春と修羅」をモデルにしていて、無調っぽい旋法のメロディがうねうねと絡み合う(松村禎三風の)現代音楽である。その年のNHK毎日音楽コンクール(現在の日本音楽コンクール)作曲部門に参加すべく半年かけて作曲した(3管編成で15分ほどの)力作だったが、あっけなく第二次予選ではねられた。
 その直後に(審査員の一人だった)松村禎三氏の門を叩き、しばらく現代音楽の修行に励むことになったのだが、もともと「シベリウスやチャイコフスキーのような音楽」に憧れて《作曲家》の道に飛び込んだのに、「現代音楽風」の音楽を書かなければ作曲家として世に出られない…という矛盾にはどうにも納得いかず、悶々とした日々を送っていた。

 そんな時に出会ったのが〈プログレッシヴ・ロック〉である。
 最初に聴いたのはFMから流れてきたピンクフロイドの「原子心母」。これはショックだった。ストラトキャスターの美しいソロ、リリカルなコーラス、雅楽のような(エコな)スローテンポのビート感覚、そしてクラシカルな構成。最新のロックなのにサウンドは極めて美しく、ハーモニーはほとんどシベリウスの感触。しかも最先鋭の電子的サウンドを使っていながら響きはノスタルジックですらある。「現代音楽」の道とは全く違った方向に「別の〈現代〉の音楽」があると思い知らされた。
 ほぼ同時に、イエスとエマーソン・レイク・アンド・パーマーの音楽に出会った。こちらは変拍子とシンフォニックな構成が勝ったインテリジェンスが心を惹いた。音楽のタイプは違うがいずれも前述の「サージェント・ペパーズ」で蒔かれた種が結実したのは明らかだった。言って見れば「ポスト・ビートルズ」の新しいロックであり、最新のテクノロジーからクラシック音楽までを吸収合併できる「夢」がそこにあると思えた。
 そして、この後1970年から73年までのたった4年間というわずかな時期に、ピンクフロイドは「原子心母」(1970)「おせっかい」(1971)「狂気」(1973)、イエスは「こわれもの」(1971)「危機」(1972)「海洋地形学の物語」(1973)、エマーソン・レイク&パーマーは「EL&P」(1970)「タルカス」(1971)「展覧会の絵」(1971)「恐怖の頭脳改革」(1973)という傑作群を嵐のように生み落としていった。
 以後もプログレっぽい音楽は作られ続けたが、この4年間の「傑作の森」は音楽史に残る豊饒の時代として特筆されるべきだろう。
 私はと言うと、松村禎三氏に師事し、作曲コンクール用のオーケストラ曲を書きながらも…プログレへの憧憬止みがたく、アマチュアのロックバンドに参加しキイボーディストとしてピンクフロイドの「エコーズ」や「原子心母」や「狂気」をコピーすることを試み、この時期、数年間の不思議な時間を過ごすことになった。(また、この時EL&Pの「タルカス」を聴いて「これはオーケストラになる!」と思った衝撃を、40年かけて「オーケストラ版タルカス」(2010)に結実させることにもなった。)
 クラシック界でオーケストラの作曲を目指しながら一方でロックにのめり込む…ということがどういう意味を持つのか、その時はさほど深く考えたわけではなかったが、デビュー作となった「朱鷺によせる哀歌」はピンクフロイド、同じ時期に書いた「ドーリアン」はEL&Pとイエスをモデルにしているから、リンクは結構強力だ。
 ちなみに、前者はモード(旋法)を使ったスタティク(静か)でスローな音楽、後者は変拍子を使ったハードでアップテンポな音楽…をそれぞれオーケストラ化したもので、完全に指向は「プログレッシヴ・ロック」。この時点で「オーケストラでプログレをやる」という志向を明示したつもりだったのだが、それを指摘する人は(当時も今も)誰一人いないあたりに、徒労感をひたひたと感じる次第。
 何はともあれ、出会った最初の動くものに(それがシンバルを叩く猿のオモチャだろうが)一生ついて行く…という・・・これこそインプリンティングの恐ろしさを実証するものであるのは確かだろう。
  

Adios_nonino ■ピアソラ「アディオス・ノニーノ」(1969)

 松村禎三氏の処に出入りを始め、同時にロックバンドでキイボードを弾き、当然ながら進学した大学の工学部にはほとんど通わなくなっていた頃、高校の時のオーケストラ部の知り合いからアルバイトを頼まれた。
 ヴァイオリン弾きの彼は大学に上がってからタンゴのバンドに入って演奏していたのだが、もちろんタンゴの曲のバンド譜などまず存在しない。そこで、作曲をやっているという私に「レコードから採譜してバンド譜を作ってくれないか?」と頼みに来たわけである。
 頼まれたのは「ガウチョの嘆き」とか「インスピラシオン」とかのタンゴ曲だったが、そもそもタンゴなど聴いたこともなかったので、レコードを何枚かゴッソリ借りて研究することになった。基本はキンテート(英語のクインテット。編成はバンドネオン、ヴァイオリン、ギター、ピアノ、ベース)で、どれもこれも似たり寄ったりのタンゴでしかなかったのだが、中に突出した音楽があった。それがアストル・ピアソラだった。
 その友人に「何これ?これがタンゴ?」と聞くと「いや、タンゴ界でも異端って言われてる」とのこと。俄然興味を持って、レコード店にあった彼のレコードを買い占めた(と言っても、当時はまだピアソラは〈知る人ぞ知る〉だけのマイナーな存在。渋谷と新宿を駆け回っても数枚しかなかった)。その中にあったのが「アディオス・ノニーノ」だった。
 これは衝撃だった。ニューヨークで不遇の時代に父の訃報を聞き作曲したというタイトル曲(Adios Nonino=さよなら、お父さん)は、胸をかきむしられる圧倒的な曲調であり演奏だった。力強いのに哀しい、そして美しいのにカッコいい。こんな音楽があるのか?と驚嘆した。「ミケランジェロ70」のスピード感、「孤独」の深い悲しみの表現にも圧倒された。タンゴなのにクラシカルであり、かつジャズでもありモダンでもある。
 タンゴ自体は、アルゼンチンのローカルな音楽にすぎない。しかし、それをベースにしながらも、そこから聞こえるのは「極めてローカルでありながら極めてグローバルな音楽」なのだ。それは日本人として音楽を作ってゆく私にとっても最重要の目標であり、それを具現化している彼の音楽は力強い指針ともなった。

 その後、20代後半に一時期アルバイトでバンドを組んでいたことがあるのだが、その編成が、尺八2、琵琶、ベース、ピアノというもの。要するにピアソラのキンテートの「和楽器版」を狙ったわけだが、なにしろピアソラ自体も不遇の真っ只中だった1970年代(結成が1976)。時期尚早すぎて「ジャンルが不明」のひとことで無視された。この時、多少なりともこの方向が評価されていたら、今の私はなかった…かも知れない。
 ただ、これがきっかけで、後に邦楽器とロックバンドによる新作ミュージカルをオフ・ブロードウェイで上演する仕事(1981)に関わり、さらに邦楽器や雅楽などの多くの作品を書くことにも繋がったわけで、「ローカルでありながらグローバル」な音楽を教えてくれたピアソラとの出会いで得た実りは計り知れない。

Billevans ■ビル・エヴァンス「ワルツ・フォー・デビー」(1961)

 さて、最後の1枚である。
 実は、私の音楽体験としては、ジャズが一番遅い。大学に入った頃、先輩が「今度マイルス・デイヴィスを聴きに行くんだ」と浮かれているのに「誰ですかそれ?」と言って呆れられた記憶があるから、少なくとも十代まではジャズに関しての知識はゼロだった。
 その理由は単純。子供の頃から大の「タバコの匂い」嫌いで、小さい頃に電車の中で大人が吸うタバコの煙に気持ち悪くなって以来、タバコは「吸わない」だけでなく、大の「苦手」なもの。そこで、坊主憎けりゃ袈裟まで…の故事の通り、タバコの煙のイメージがあるジャズもまた一番敬遠する音楽となったわけである。
 そんなわけで、最初に聴いたジャズは(まったくジャズっぽくなくて、誰に聞いても「ちょっと変わってる」と言われるのだが)ラルフ・タウナー(十二弦ギター)とゲイリー・バートン(ヴィブラフォン)のデュオによる「マッチブック」(1974)というアルバムだった。
 これは、いわゆるタバコの煙が漂うアメリカンなジャズではなく、ヨーロッパ系コンテンポラリー・ジャズ。当時、「ECM(Edition of Contemporary Music)」という北欧の香りがするクールで透明な感触のジャズを録音しているレコード・レーベル(ドイツ・ミュンヘン。Producer:マンフレート・アイヒャー)が登場し、次々と画期的なアルバムを発表していたので、それに興味を持ってとにかく買い漁ったのがきっかけだった。そこからチック・コリア、キース・ジャレット、ヤン・ガルバレク(sax)、ラルフ・タウナー(g)、テリエ・リピダル(elg)、エバーハルト・ウェーバー(bs)といったアーティストに出会い、ジャズという方向から新しい同時代音楽〈Contemporary Music〉を志向する試みに衝撃を受けることになる。(ちなみに、ECMのこの路線から70年代後半になってアルヴォ・ペルトの音楽が登場している)
 その一方、当然ながら本場アメリカンのジャズにも触手が動き始め、オスカー・ピーターソン(p)、マイルス・デイヴィス(tp)、ギル・エヴァンス(Big Band)、ディジー・ガレスピー(tp)と聴き漁るうち、「マッチブック」に収録されていた〈Some Other Time〉からビル・エヴァンスのレコードを手に取ることになり、ようやく(遠回りながら)名盤の誉れが高い「ワルツ・フォー・デビー」に辿り着いた次第。
 このレコードを初めて聴いた日の夜のことは今でも覚えている。何枚か買ってきたレコードを夜中に聴いていて、このアルバムの番になった。レコード盤に針を落として、冒頭の「My Foolish Heart」の…ポール・モチアンの星のきらめきのようなシンバルとスコット・ラファロの夢のようなベースの向こうにビル・エヴァンスのピアノが聞こえてきた時・・・
 何と言うのだろう。「こんなに美しい音楽がこの世にあったのか」という感慨と「生きていて良かった」という感動が襲ってきて、涙がぼろぼろ出て来た。そして、ずっと涙を流しながら繰り返し繰り返し朝まで聞き続けた。朝日の中でワルツがくるくる舞っているイメージがまだ頭の中に残像として残っているほどだ。
 私の「朱鷺によせる哀歌」のピアノは、この時の「星の滴が水面にポトリと落ちるような」イメージを十数年追い求めた結果であり、「プレイアデス舞曲集」のCD録音(p:田部京子さん)の時も「ワルツ・フォー・デビーみたいな音で!」と録音技師さんに注文したほど。
 私自身は結局グランド・ピアノを買うこともなく持ったこともないが、私のほとんど全ての曲にピアノは重要な位置を占めている。そして、そのピアノの根源的イメージは、このアルバムのビルのピアノなのである。これこそ紛う事なきインプリンティング!と言うべきだろう。

          *

 …以上が、私が雛鳥(修業時代)の7年間に刷り込まれたインプリンティングの歴史である。
 この後、70年代後半(1976年以降)になると、(ごくわずか例外はあるものの)音楽観を変えられるような一枚に出会うことはほぼなくなる。
 それは、そういう作品がなくなった(減った)ということではなく、自分自身が「音楽を作る」側に回り、一方的に感動し賛美することが出来なくなったせいだろう。親にひたすらエサをねだる「ひな鳥」の立場から、自分がエサを供給すべき「親鳥」の立場になってしまったわけだ。

 おそらく私の音楽は、何処まで行っても修業時代の7年間に聴いた上記の6枚の音楽から(まるで釈迦の掌の上の孫悟空のように)逃れられない宿命を持っている。
 しかし、人が無の中からたった一人で生まれるのではないように、音楽もまた親や師や友との連鎖から生まれるもの。この6枚の遺伝子を組み込まれた私の音楽を、次の世代の誰かが聴くことで、私の音楽もまたこの6枚と同じような歴史の連鎖の中に組み込まれてゆく。
 この「リンク」する(繋がる)感触こそが、音楽のもっともデリケートで…そして愛しい部分のように思われてならないのだ。

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2012/07/10

大河ドラマ「平清盛」音楽全仕事

Cd_kiyomori1  NHK大河ドラマ「平清盛」の音楽を担当して一年。本編ドラマの方は全50回の中盤27回、最大のクライマックス平治の乱を終えたところだが、音楽は一足先にほぼ全作業を完了した。

 そこで、一年に渡る音楽制作の全貌を、ひとまずざっと統括してみることにした。ドラマを見る上での一興として、あるいはこういう種類の音楽を目指す若い人たちの何かの参考になれば幸いである。
(放送までのいきさつに関しては、今年1月の《大河ドラマ「平清盛」音楽制作メモ》に書いたので興味のある方はそちらもご参考に)

□制作日程

Kiyomori_2 すべては2010年9月下旬、NHKからの作曲の打診から始まった。
 まだ前々回の「龍馬伝」が佳境の頃。題材は「平清盛」。個人的に大河はやはり戦国武将系が好みなので、ちょっと変化球ながら面白い目の付け所だと思った。1年間NHKに毎週通うようなハードな制作方法ではないことを確認してから、内諾。

 ただし、この時点で分かっていたことは、原作はなく物語はオリジナル(脚本:藤本有紀)であること。清盛が栄華を極める以前の若い頃の話がメインであること。いわゆる雅な「平安絵巻」ではなくダイナミックな群像劇にしたいというコンセプトくらい。

 原作があれば、まずはそれを読み込むところから仕事が始まるのだが、それはないということで、ひとまず清盛がらみの小説や文献などを読み漁ることから始めた。そのあたりの詳しい話は前回の「制作メモ」を参照されたい。

 その間、もちろんブログなどで「大河ドラマの音楽をやることになりました」とか「題材は《平清盛》です」などと書くのは御法度。配役なども含め「くれぐれも正式発表までご内密に」と言い含められていた(笑)

 そして11月25日にタイトル(平清盛)や主役(松山ケンイチ)が発表され、本格的に2012年大河ドラマとして始動。(ちなみに2011年は「江〜姫たちの戦国」)
 その後も、配役とか内容に関しては「何月何日までは内密に…」とささやかれ続けることになる。

 そして迎えて2011年・・・

Photo 2月、ようやく第1回台本が届く。
 台本は、初稿・改訂稿・最終稿のように3種類あって、脚本家が書き下ろした台本に時代考証や演出上のチェックが入り、最後に収録に使用する「台本」が出来る。そのため、各回最低3冊の台本(一年間で150冊!が届く計算になる)

 今回のドラマを見た人によく「なに盛・なに盛・・・だらけで登場人物の区別がつかない」と言われるが、台本だけを最初に読んだ印象はまさにそれ。配役が決まっていないうちは「顔」が想像できなくて困った。

 3月、音楽に関する最初の打合せ
 ディレクター、プロデューサー、音響監督らと音楽の方向性などについての打合せ。かなりスケールの大きな物語であり、ひさしぶりのクラシック系作曲家起用と言うことで、壮大なオーケストラサウンドを期待していますとのこと。

 こちらも十代の時から見続けてきた伝統のドラマへの参加ということで、かなり力が入っていることを強調。個人的には、今や唯一の年間「時代劇」となった大河ドラマなので、音楽としては和楽器(特にこの当時の雅楽器)を全面に出したいと希望するも、これに関しては了解を得られず。この辺りから微妙な空気になる。

4月、京都〜神戸の清盛ゆかりの地を回って作曲の構想。
5月、私が今までに書いた曲(オーケストラ作品、雅楽や邦楽の作品など)から今回のドラマのイメージのきっかけとなるものをリストアップして検討会。

Kiyosamplea そして6月、いよいよ本格的にドラマの音楽のサンプル制作を始める。

 まずは主人公のモチーフ、敵のイメージ、平安時代の公家のイメージ、戦闘シーン、クライマックスシーンなどなどドラマの様々な場面を空想しての楽曲を制作。「遊びをせんとや」の初音ミク版、「清盛」「源氏」「公家」のモチーフなどはこの頃に決定。

 例えば6月4日稿では「清盛A〜E」「敵(源氏)A〜E」「公家A〜E」「雅楽風A〜C」「歌A〜D」「情景A〜C」など25曲37分ほどを作曲し、さらにデジタル音源で作ったオーケストラの音をCDにして制作側に試聴してもらっている。

 ところが、このように制作サイドからの発注がないまま、作曲者が自発的に作曲を進めるのは今までにはなかった作り方だったようで、トラブル発生。
 まず制作側から「曲の発注」があって、それに即した音楽を「作曲」し、それを放送に使うかどうか「確認(ハンコをもらう?)」というお役所のような段取りが必要だったらしい。このあたりでまた微妙なすれ違い。

 7月、そのことを含めた音楽のコンセプトおよび作成方法に関する意見が合わず、かなり厳しい雰囲気になる。
 もともと私はドラマや映画の音楽を作曲する「プロ」ではないので、40年間自分の音楽を作ってきた「やり方」は曲がらない(というより変えられない)。一方、NHKの方も長年ドラマをやって来た「作り方」があり、一年間音楽を安定供給するためのノウハウが固まっている(らしい)。

 結果、正面衝突し、本気で「この仕事降りる」と決心すること数度(笑)。現在放送されているテーマ曲も、実はこの頃制作側から「うーん、こういうのじゃなくて…」というノリで「ボツ」にされたためこちらが激怒。かなり険悪な状況になった。

 そんな中、8月17日、出演者&スタッフほぼ全員(200人近くいただろうか)がNHKの大きなスタジオに集まって顔合わせ。脚本:藤本有紀さん、主役:松山ケンイチ氏とも顔を合わせる。私の隣が伊東四朗さん、その隣が松田聖子さん、という凄いメンツ。
 写真でも撮っておけばお宝映像だっただろうが、とてもそんな雰囲気ではなく(笑)。こちらは6月以来ずっとかかりきりの作曲作業でほとんど外にも出られず、この日が8月中ほとんど唯一の「外出」日となった。

 そして翌日、撮影クランクイン。岩手にある藤原の郷に平安時代の京都のセットを作って大がかりな撮影が始まる。
「ぜひ一度、遊びにいらしてください」と言われたものの、こちらはそれどころではなく(笑)、頭から湯気が出ているような状況下でテーマ曲に七転八倒中。

Nhk509_2 9月27日、テーマ曲収録
 @井上道義指揮NHK交響楽団、p:舘野泉、歌:松浦愛弓

 テーマ曲は7月から8月末にかけて3タイプ(+異稿)を書いては潰しのハードワーク。しかも前述のように制作側と正面衝突していて、最終稿は合意が得られないまま「これで行く!」と押し通してしまった。
 そんな中での録音とあって、この時のぴりぴり度といったらなかった。ある意味スタジオには「殺気」が満ちていたかも知れない。おかげで緊張感溢れるいい出来になった点は怪我の功名か。N響とのすったもんだのレコーディング裏話は前回の制作メモ参照。

10月17日/18日、本編音楽第1回収録(計55曲)
 第1巻:オーケストラA(主人公のテーマ系)9曲
 第2巻:オーケストラB(背景系、メロディ系)10曲
 第3巻:アンサンブルA(抒情系)11曲/異稿を含め全16曲
 第4巻:アンサンブルB(ブリッジ系)11曲
 第5巻:雅楽ほか 7曲
 タルカスより@噴火:2タイプ
 @藤岡幸夫指揮東京フィル/雅楽:伶楽舎

Nhk505 テーマ曲を仕上げて休む間もなく、本編の音楽を書きまくる日々が続き、ほぼ4ヶ月が潰れる。なんとなく制作側との距離感もつかめてきて(向こうとしては言うことを聞かない作曲家の扱いに相当苦労されたとお察しするが)、想像力の赴くままとにかく書く…という独走態勢(?)がほぼ固まる。

 今回の収録は、気心の知れた藤岡幸夫指揮東京フィルの面々なので、スタジオは(もちろん緊張感はありながらも)和やかな雰囲気。最初に「タルカス」をフル編成で録り、その後2日かけての録音セッション。

 丸2日で30〜40曲、時間にして1時間強の音楽を収録する…というのは普通の劇場用映画なみだが、これを45分ドラマ中10数回分の音楽としてつかうのはかなりのやり繰りが必要になる。基本は「40曲くらい」という話だったのだが、「出来るだけ沢山ください(いくらあっても足りないので)」というリクエストがあったほど。

 そこで、この第一回の収録では(アンサンブル用に書かれた)一つの曲から…メロディ楽器在りヴァージョンと無しバージョン、打楽器在りバージョンと無しバージョンのように…複数のタイプを採取できるように意識して作曲した。
(ちなみに、この場合も複数回演奏する必要はなく、管楽器や打楽器を別ブースに入れてマルチチャンネルで録音する。そして、最後のミックスダウンの段階でその楽器を「抜く」か「加える」かすれば、1回のテイクの演奏から複数の楽曲が抽出できる…という次第)

 個人的には、雅楽にストリングスとノイズをかぶせた「剣ノ舞」が渾身の一曲。本心を言えば、こういう方向(雅楽楽器とオーケストラのブレンド)で全体の音楽を作りたかったわけである。

 10月31日□左手ピアノ&三手連弾収録(計5曲)
 5月の夢の歌、アイノラ抒情曲集ほか
 @舘野泉、平原あゆみ
 NHKからのリクエストで、別枠で舘野泉さんのピアノ収録。3手連弾の「5月の夢の歌」はお弟子さんの平原あゆみさんとの共演。

 と、音楽がひとまず出来上がって、ここから映像とのミックス作業になるわけだが、今回はそれについては演出側(と音響)に一任した。
 理由は簡単で、作曲作業(と音源制作作業)に膨大な時間と手間と労力がかかったうえ、さらにそのあと毎週映像と音楽の組み合わせ作業にもあたるには、体力がなかったこと。(これは、この仕事を受ける最初の段階で決定していた。三十代くらいなら徹夜してでもやったかも知れないが、老体では無理である。げほ。)

 もうひとつ、制作側と作曲側では音楽におけるコンセプトに相当なズレがあり、楽曲を作るまでにも相当な衝突とストレスを重ねたのは先に書いたとおり。もちろんお互い「ベストなものを創りたい」からこその衝突だが、このうえさらに「どこにどの音楽を付けるか」でぶつかるのはしんどすぎると考えたこともある。

 共同作業というと「お互いを信用し合って」というのが基本のように思われがちだが、「全く信用できない同志が双方全力でぶつかり合う」という作り方もアリなのだなと、しみじみ感じ入った。
 制作側は、私が「最小のモチーフを変奏して全体の世界観を作る」という作り方は(そうじゃなくてとにかく沢山曲数を書いてください!の一点張りで)全く理解できなかったようだが、私の方も平安時代の時代劇に「タルカス」や「カッチーニのアヴェマリア」を使うというのは全く理解できなかった。お互い様と言えば言えるわけで・・・

 そんなこんなで、一体どうなるのか?予測が付かないままいよいよ本放送が始まった。

□放送開始

Photo_2 2012年・・・・・
 1月8日、第1回「二人の父」放送。

 第一回放送は実家で見た。実を言うと作曲した当人も「どこにどんな音楽が付いているか」は放送で見るのが初体験(笑)。「なるほど、ここでこう来るか」「ええ〜、ここにこれが来るのか?」と感想は色々あったが、概ね「なるほど」と感心する方が多かった。

 武士が主人公なのでかなり骨太のタイプの曲を書いたつもりだったが、むしろ(貴族用に書いた)優しいタイプの曲の方がメインに使われていたのがちょっと意外だった。しかし、ドラマの展開の激しい外見よりも、登場人物の内面のデリケートな心の動きの方に焦点を当てた付け方であることは良く分かった。

 このあたりは、もし私自身が音楽を付けたら全く違った方向になっていただろうとしみじみ思う。作曲者としては作った音楽の思い入れがあるので、客観的には付けられない。そのあたりは人によって意見は色々だろう(某作曲家には「自分の音楽を何処に入れるかは自分で決める。そうでないやり方は考えられない」と言われたこともある)が、これはこれで良いのでは?と思っている。

2月1日、サントラ盤発売。

2月6日、□紀行の音楽収録(計4曲)
 紀行@2曲:版違え4曲
 @ チェロ:長谷川陽子、二十絃:吉村七重

 第一期の「紀行」の音楽は、本編音楽と一緒に、舘野泉さんピアノ、木嶋真優さんヴァイオリンで収録。しかし、第二期の音楽は違ったソリストでということで、チェロの長谷川陽子さん、二十絃箏の吉村七重さんという和洋折衷コンビで収録。
 曲は「夢詠み」と「桜の下」の2曲。デュオのみのバージョンと、弦楽アンサンブルのアフレコによるバージョンとそれぞれ2パターンの計4曲を収録した。

3月14日/19日□本編音楽第2回収録(計30曲)
 第6巻:アンサンブル(追加曲)13曲。雅楽アフレコ2曲
 第7巻:合唱追加@11曲。二十絃追加@2曲
 @藤岡幸夫指揮東京フィル/合唱:二期会

 本編音楽第2回めの収録は、放送されたドラマを見て「こういう音楽も欲しい」と感じた追加曲集。中盤以降の保元平治の乱などでのスケールアップを図るため、第1回で収録したオーケストラ曲に合唱をアフレコで加えることも試みた。中には、使うあてもないのに今様をがっつりフルコーラスにしたものまである。

 管弦楽の方はフルオーケストラではなく、いくぶん小振りの室内オーケストラ。ちょっと意識して「弦楽器と打楽器とチェレスタ(バルトークの名曲)」の編成に合わせ、曲も少しミステリアスなものを増やしている。

 ちなみに、この回あたりから、モチーフが相互に絡み合う対位法的な作り方を強調し始めたのだが、やっているうちに「源氏と遊びをを掛け合わせて」とか「清盛を公家とからませて」とどんどん止まらなくなってきた(笑)。

Chorus

そして、1月〜5月にかけて劇中で歌う今様(7曲)も作曲。
 「遊びをせんとや」「舞え蝸牛」
 「よくよく目出度く舞うものは」「女人五つの障りあり」
 「われを頼めて来ぬ男」「美女うちみれば」「長恨歌」

 これは、劇中に登場する白拍子が歌ったり、後白河天皇が口ずさんだりするもの。iPadのボーカロイドアプリ(YAMAHA iVOC)で音源を作り、それを芸能指導の方が俳優さんに口伝で教える…という方法で制作している。

506a_3 6月5日/6日□本編音楽第3回収録(計32曲)
 第8巻:オーケストラ@10曲
 第9巻:アンサンブル@16曲
 +タルカス@2曲(マンティコア、アクアタルカス)
 +サイバーバード協奏曲より4曲
 @藤岡幸夫指揮東京フィル
 二十絃:吉村七重、琵琶:稲葉明徳、笛:竹井誠
 ソプラノ:市原愛、sax:須川展也、p:小柳美奈子、perc:山口多嘉子

 いよいよ最終収録回は、ふたたび第1回と同じくフルオーケストラの布陣。ただし、「とにかく曲数が欲しい」第1回に比べるともう少しじっくり制作できた。個人的には、「遊びをせんとや」風ストリングスのヘビーローテーションになっている現状を変え、少し低音重視のゴツイ曲を増やしたつもりである。

 曲調としては、いくぶんダイナミックな(昔の白黒映画時代の時代劇のような)ごりごりしたオーケストラサウンドのものを幾つか。そして、(少し余裕が出てきたのか)プログレ風エスニック風アヴァンギャルド風ワルツ風などなど「そんな音楽何処で使うんだ!」とツッコミが入りそうな曲を幾つか。(本当に何処で使われるのか?書いた本人が一番楽しみ!だったりする)

 琵琶や笛などソリストが入る曲は、最初にオーケストラだけでカラオケを作り、それにソリストの演奏をアフレコ(After Recording)でミックスして作成。
「タルカス」と「サイバーバード」の追加録音は、NHK側からのリクエスト。サイバーバードのソリスト3人も後日アフレコで参加。壮絶な演奏を繰り広げてくれた。

Kiyo2w □劇中音楽たち

 というわけで、丸一年かけてドラマ用に書き下ろした新曲は計100曲ほど。
 登場人物やシーンの音楽…という発想ではなく、全編を貫く4つのモチーフ=清盛(平家)、源氏、朝廷(公家)そして「遊びをせんとや」の変奏で100曲を作ってしまおうというのが(前回の制作メモに書いたように)基本コンセプト。ゆえにほとんど全ての曲に、そのどれかの断片が組み込まれている。

 編成は「オーケストラ」にこだわった。ドラマの音楽としては、ソロとか2〜3人の小アンサンブルというのもアリなのだが、新曲の中にはひとつもない。
 最大編成はもちろんテーマ曲で、3管編成(3-3-3-3,6-3-3-1,6perc,hp,pf,Strings)に左手ピアノ、そして子供の歌が加わる。

 それ以外の劇中音楽は、通常の二管編成(3-2-2-2,4-3-3-1,4perc,hp,pf,Strings)のものと、室内オーケストラサイズ(picc, fl, ob,ハープ、打楽器、ピアノ、弦五部)のものの2種類。

 分量としてはかなりの量だが、1年間で50回のドラマとしては、例えば1話に12曲使うとしても全部で600曲。当然ながら多くの曲は繰り返し使われることになる。
 悪く言えば「使い回し」のわけだが、同じ音楽が何回か別々のシーンで登場することになる以上、(繰り返し聞くに耐えるように)クオリティをあげる必要がある。逆に言えば「一回で使い捨ての音楽」を書く方が楽とも言える。

 ただ、反省すべきは、「質」と「量」は常にバランスを考えるべきだということだ。
 使う方としては確かに「曲はいくらあっても足りない」。しかし、それを真に受けて無尽蔵に供給することは(労力の点から見ても、コストの点から見ても)愚かしいことで、プロの仕事ではない。
 今回は(冗談めかして言えば)「労力3年分で収入3ヶ月分」の仕事だった。これはもうプロとしては失格というしかない(泣)。

Cdtarkus □既成の楽曲+

 さらに、今回の「平清盛」では、ドラマのために書かれたオリジナルの新曲以外にも既成の楽曲が幾つか使われている。

◆タルカス

 タルカスは、EL&P(エマーソン・レイク&パーマー)が1971年に発表したプログレッシヴロックの名盤「タルカス」のタイトル曲。
 初めて聴いたのは大学生の頃。以来「これはオーケストラになるのでは?」と思い付き40年間ひそかに耳コピをしつつプライベートにオーケストラ編曲を進めていた掌中の珠。
 それがひょんなことから2010年に東京フィル創立100年の企画コンサート「未来への音楽遺産」で披露されることになり、最終的にはCD化もされ大きな反響を得ることになった。

 それを耳にしたNHKの制作陣(特にチーフ・ディレクターの柴田岳志氏)が私に白羽の矢を立てたわけで、ある意味では今回の大河のイメージテーマ曲と言える。

Tarkusbook この「タルカス(Tarkus)」というのは作曲者キース・エマーソン氏が考えた空想の動物(アルマジロのような甲羅を持つ戦車のような生物兵器?)。
 火山の噴火の中から生まれ、世界を破壊しつつ進むうち宿敵マンティコア(ライオンと人間がブレンドされたような怪物)と戦い、勝利したものの傷ついて海に帰って行く。

 考えてみれば、火山の噴火の中から生まれたタルカスは、まさに大きな激動の時代の中から生まれた「清盛」そのもの。生物なのか戦車なのか出仕が分からないがあたりも、武士の子なのに上皇の御落胤という主人公の出仕と重なる。
 そして、彼を苦しめる宿敵マンティコアは「源氏」。最後は海に帰って行く(アクアタルカス)というのも、海上貿易に生きた清盛の姿と壇ノ浦という海に消えた平家の行く末にダブる。まさしく(偶然ながら)ぴったりの素材である。

 全曲は20分近い長さのものだが、ドラマのために冒頭とコーダ(曲の最後)を繋げた2分弱の短縮版を新たに録音。クライマックスシーンなどで使われている。
 その後、第3回めの録音では新たに「マンティコア」と「アクアタルカス」も収録。ドラマ後半で活躍するはずである。

 ちなみに、サントラ盤第2集では、この版(噴火短縮バージョン)を収録する予定。全曲版はCD「タルカス〜クラシックmeetsロック」(コロムビア)に収められている。

◆ピアノ曲
Cd_pleiades_2 タルカスと並んで、最初からのリクエストに上がっていたのが「5月の夢の歌」という曲。
 元々は、むかしむかし某ラジオ番組のために「心温まる投書を朗読するシーン」での音楽として書かれたものが原形。のちに「4つの小さな夢の歌」というミニ四季組曲の〈春〉として発表。ギター、ピアノ、ハーモニカとピアノなどなど色々な編成で演奏されCDも多く出ている。

 この曲は演出側から、平家の「家族の絆」のイメージ曲として考えられていたようで、ドラマの激しい部分は「タルカス」、優しい部分はこの「5月の夢の歌」というのが、大河ドラマ「平清盛」の音楽の最初の構想だったそうだ。

 実際、冒頭のテーマ曲を書いている時、「どういう曲がいいんですか?」と言ったところ返ってきたのが…「《5月の夢の歌》で始まって、後半が《タルカス》」という無茶苦茶なアイデア。(いや、それも実際に作ってみたのですけどね!)。
 そんなわけで現在の最終版(今、放送されているもの)にも、その片鱗が残っている(笑)

 そんなこんなで「5月の夢の歌」を舘野泉さんのピアノで収録することになったのだが、せっかく舘野さんにスタジオに来てもらって一曲だけ録音というのももったいない…ということで、カッチーニなど5曲ほども録音することになった。
 ただし、録音している時は(何度も言うように)、どこにどんな風に使われるのか全く分からなかったし、想像もできなかった。ドラマと言うのは分からないものである(笑)

◆カッチーニのアヴェマリア
「タルカス」と共にもうひとつ、私の作曲ではない挿入曲が「カッチーニのアヴェマリア」。
 これは数年前、舘野泉さんのためにシューベルトのアヴェマリアなどと共に左手ピアノ用に編曲を施したもので、今では舘野さんのコンサートでは定番のアンコール曲。なぜかは分からないが知らない間に涙が出て来る不思議な曲である。

 カッチーニはイタリアのバロック期の作曲家だが、これは彼の作ではなく現代ソヴィエトの作曲家(故人)によるもの。フリース作曲の「モーツァルトの子守唄」と同じで、カッチーニの「アヴェマリア」ではなく、「カッチーニのアヴェマリア」が正しい。

 8つのコードが延々繰り返される構造は、バロック期の名曲パッヘルベルのカノンなどと同じだが、ビートルズなどにも通じるかなりポップスっぽい作りであるとも言える。シンプルな曲ながら、あまりの美しさで90年代以降世界的に広まった名品である。

□今様

 今回、本編の音楽以上に頭を悩ませたのが、ドラマ全編の隠れメインテーマとも言うべき今様「遊びをせんとや」。後白河法皇が編纂した「梁塵秘抄」に収められた膨大な今様の中でもっと有名なもののひとつである。(これについても詳しくは前回の「制作メモ」を参照のこと)

Asobi♪遊びをせんとや生まれけむ
 戯れせんとや生まれけん
 遊ぶ子供の声聞けば
 我が身さえこそ揺るがるれ

 これは、台本もまだ無いうちから「遊びをせんとや…という歌が全体を貫くテーマとして全編に出て来ますから」と言われていたので、3〜4ヶ月かけてじっくり作り込んだ。笙だけの伴奏でも歌えるように笙の和音…雅楽の「平調」という音階でそれっぽく…しかしちょっと間合いなどをひねって(しかも3拍子で)…書いたのだが、「あ、これ、いいじゃないですか」と意外な好評で採用になった。

 放送当初「西洋音階に聞こえる」という声があって苦笑してしまったが、平安時代にはまだ日本音階も西洋音階もない。なにしろバッハが生まれる500年以上も前の世界なのだから。
 当時は逆に、大陸(中国や朝鮮半島あるいは東南アジアからインドまで)から様々な音楽が入ってきて、色々なタイプの音楽がそれこそ…戦後日本にジャズやロックが次から次へと入って来たような…何でもありの活気あふれる時代だったような気がする。

Mikus ちなみに、最初期にイメージを伝えるためサンプル音源をヴォーカロイド「初音ミク」で制作。そのことを前回の制作メモでちらっと書いたところ思いもかけず話題となり、ネットで騒がれ、テレビ出演まですることに(笑)。世の中分からないものである。
 サントラの第2集ではその原版を(ミクの制作元クリプトン・フューチャー・メディアのご厚意を得て)収録する予定。

□雅楽

Gagakua 清盛の時代の(特に宮中での)音楽は何と言っても「雅楽」である。
 雅楽はまさしく平安時代におけるオーケストラ。《管絃楽》という名の通り、管楽器(笛、篳篥、笙)と弦楽器(箏、琵琶)そして打楽器(鞨鼓、鉦鼓、太鼓)からなっている。(正確には《管絃打楽》だが…)

 と同時に、これは平安時代のロックバンドでもある。3人一組の打楽器…鞨鼓(スネア&タム)鉦鼓(シンバル)太鼓(バスドラム)…はそのままドラムセットであり、琵琶と箏はベース&サイドギター。オルガンサウンドの笙はキイボード、そしてメロディ担当の篳篥と笛はリードギターに当たる。これに歌謡(ボーカル)が加われば、そのままロックバンドなのである。

 主流となるリズムは普通に4拍子や3拍子ではあるが、中には3拍子と2拍子が交互に出て来る《ヤタラ拍子》というのがある。これは実質5拍子でなんとタルカスと同じだ!。
 もちろん変拍子なので当時も非常に演奏しにくかったようで、「やたらと難しい」という言葉の語源となっているほど(というトリビアもブログで書いた)。

□和楽器
Heike そんな時代に一世を風靡した平家は、楽器の名手が多いことでも知られている。
 中でも「敗れ討たれし平家の公達あわれ」と《青葉の笛》で歌われた平敦盛が笛の名手だったことは有名。清盛の甥(弟経盛の長男):経正は琵琶の名手だったほか、平家一門には器楽の名手が多い。

 そこで当初は、そういった和楽器の音楽をかなり突っ込んで作ってみようと手ぐすね引いて待っていたのだが、制作側としてはそこまで《当時の音楽》に力を入れて作る意図はなかったようで、最終的には「時代考証」の範囲内での演奏になった。そのあたりはちょっぴり残念ではある。

Biwa 琵琶
 ドラマの中では、清盛の最初の妻が琵琶の名手という設定。次の妻時子も琵琶をたしなむ。当時弾いていたのは《楽琵琶》と言われるもので、ギターのように横にして抱き、しゃもじのようなバチでボロロンとゆっくり和音を掻き鳴らす。

 現代の私たちには、《琵琶》といったらベンベンと掻き鳴らす平家琵琶のイメージだが、あれは平家が滅びたのち(おそらく)100年以上たってから盲僧が「平家物語」を吟じるために生まれたもの。現在のような薩摩琵琶が生まれるのはさらに200年以上たった江戸時代になってから。清盛の時代には当然まだない。

 ドラマの中で女性たちが弾いていたのは、曲と言うよりほとんど調弦されたままの開放弦。当時はなにかメロディのようなものを弾くというより、楽器をただ鳴らし、その「音」そのものを楽しんだのだろう。日本語に「心の琴線に触れる」という言い方があるように、絃のビーンと震える響きは、確かに心を震わせる。

 ちなみにドラマの中で俳優さんが弾く琵琶は、芸能指導の友吉鶴心さん指導のもと俳優さんが実際に弾いているもの。劇中曲としては、その演奏をエコーさせるために一曲「枇杷」という曲を書いた。楽琵琶とストリングスとの静かな協奏である。

 笛
 先の敦盛ほどではないが、清盛もかなり笛をたしなんだという。どのくらいの腕前だったか分からないが、かなりいい楽器を持っていたようだ。
 ドラマでは特に笛のシーンでの楽曲のリクエストはなかったが、どうしても一曲作っておきたくて「細波(さざなみ)」という笛をフィーチャーした曲を作った。江戸時代以降の笛(いわゆる「篠笛(しのぶえ)」ではなく、雅楽で使う当時の「龍笛(りゅうてき)」での演奏である。

 笙
 笙は掌サイズのミニオルガンで、実に摩訶不思議な響きがする。今様などは、この楽器を伴奏にして歌われることが多かったようで、ドラマでも使いたかった楽器のひとつ。
 ドラマ後半では伊豆に流された源頼朝が「笙」を吹くという設定がある。

Yoshimura 箏
 私たちがいわゆる「お琴」として思い浮かべる…チントンシャンと粋に鳴らす楽器は江戸時代のもの。清盛の時代の箏は《楽箏》といって弦の数は後のお琴と同じ13本。ただしお琴よりは弦が太く、竹製の爪で掻き鳴らす。

 今回のドラマの音楽で「箏」として鳴らしたのは二十絃という楽器。普通のお琴が十三絃、中低音専用の箏が十七絃。二十絃はそれよりさらに音域を広げた新しい楽器である。
 個人的には(どうしても西洋の香りがする)ピアノよりこちらを全面的に使いたかったのだが、「和楽器を全面的に使う」ということに関してはかなり激しい抵抗を受け、断念したいきさつがある。

□紀行の音楽
Kiko 本編終了後にゆかりの地を紹介する1分半のミニ番組が「大河ドラマ紀行」。1991年の「太平記」より、番組にちなんだ名所旧跡を訪ねる「紀行」コーナーとして定着したそうだ。

 音楽は…春、夏、秋、冬という季節に合わせてか…3ヶ月ごとに変わるのが最近の定番。というわけで楽曲は、全部で4パターン作った。第一期は舘野泉さんのピアノと木嶋真優さんのヴァイオリンによる「夢詠み」(これは第一集に収録)、第二期はチェロ長谷川陽子さんと二十絃吉村七重さんによる「桜の下」。
 これから放送される第三期はソプラノの市原愛さんによる「友愛」、最後の第四期は再びチェロと二十絃による「夢詠み」の予定。いずれもバックは藤岡幸夫指揮東京フィルである。
 

□演奏者たち
 最後に、今回音楽に関わってくれた演奏家たちを紹介して締めとしたい。

Photo_3 オーケストラ(テーマ曲)
 井上道義指揮NHK交響楽団

 大河ドラマの冒頭テーマ曲はNHK交響楽団による演奏が伝統。これは第3回「太閤記」からずっと続いている。指揮者は毎回違うが、だいたい中堅どころのクラシック指揮者が担当し、外山雄三、岩城宏之、森正、若杉弘、山田一雄、尾高忠明、大友直人からデュトワ(葵徳川三代)、アシュケナージ(功名が辻、義経)まで錚々たるマエストロたちの名前が並ぶ。

 劇中音楽は作曲家の指揮というのもアリだが、テーマ曲にそれはない。完全に「クラシック系」の作りを意識しているようである。
 今回の指揮者井上道義氏も日本のクラシック界を代表する指揮者。私個人も「朱鷺によせる哀歌」「鳥たちの時代」といった作品を演奏してもらっているお馴染みのマエストロである。
 
506b オーケストラ(劇中音楽)
 藤岡幸夫指揮東京フィル

 それに対して、ドラマの中の音楽は、いわゆるスタジオミュージシャンによる演奏が基本。と言ってももちろんクラシック系のアンサンブルだが、編成に応じて十数人ほどを集めてスタジオ収録(こちらは作曲者の指揮もあり)というのが多いようだ。

 今回は「オーケストラサウンド」にこだわったため、日本有数の老舗オーケストラである東京フィルに全面的にお願いすることにした。東京フィルは前年「タルカス」を初演したオーケストラでもあり、NHKでは昔からかなりの量の放送初演をこなしているので、通常のクラシックオーケストラよりかなり新しいモノへの順応力が大きいのもポイントの一つだった。

 指揮の藤岡幸夫氏は、イギリスでBBCフィルなどと私の作品集7枚を指揮している強力な右腕。交響曲第3番第4番などの録音初演をこなし、修羅場を共に切り抜けてきた仲。当然、私の作風(や性格?)は熟知しているし、お互い気心も知れている。一日で新曲二十曲ほどを次から次へと録音してゆくにはベストの布陣だ。

 ちなみに、番組冒頭のクレジットにはこの「藤岡幸夫指揮東京フィル」がない。NHK的にはスタジオミュージシャン扱いとして個々の演奏家の名称までクレジットしないということらしい。
 しかし、ドラマ全体の音楽を作っているのは彼らなので、番組最後の「紀行」で彼らをフィーチャーすることで「演奏:藤岡幸夫指揮東京フィル」のクレジットが番組の最後に毎回必ず流れるようにした。このあたりは「清盛流」知略の影響を受けたというか……(笑)

Photo_4 ピアノ:舘野泉
 舘野泉さんは日本を代表するピアニストのひとり。北欧フィンランドを拠点に、ロマン派から現代作品までを弾きこなす旺盛な演奏活動を展開していたが、10年ほど前に脳溢血で倒れ、その後左手のピアニストとして復活。以後、ますます精力的な活動を展開している。

 NHK側から「タルカス」の使用と並んで最初に相談を受けたのが「舘野泉さんにご登場願えないか」ということだった。東日本大震災から不屈の精神で起ち上がる日本を象徴するように、番組テーマ曲は舘野さんのピアノで始まる。冒頭ほんの一分ほどの登場だが、単音のピアニシモからフォルテの轟音まで、凄まじいダイナミクスの幅を聴かせてくれる。
 ドラマの中で強烈な印象を残す「カッチーニのアヴェマリア」や「5月の夢の歌」など、ピアノソロが聞こえてきたらそれは全て舘野さんである。

 ヴァイオリン:木嶋真優
 その舘野泉さんと紀行の音楽「夢詠み…紀行」で共演したのが、ヴァイオリン木嶋真優さん。彼女は同じ音楽事務所ジャパンアーツからの推薦による若い女性ヴァイオリニスト。
 舘野さんとの共演は初めてで、ほんの1分半の短かい演奏だったが、音が出た途端にすーっとあたりの空気が変わる存在感と芯のある豊かな響が素晴らしい。

Kikourec チェロ:長谷川陽子
 第二期の紀行の音楽「桜の下…紀行」に登場するのはチェロの長谷川陽子さん。日本のクラシック演奏界の新しい時代を作った人気演奏家の一人で、現代的な若々しい感性が魅力。
 今回の演奏でも、ナレーション付き番組のBGMだから少しおとなしい演奏で…というリクエストで演奏してもらったものの、「やっぱりフルに(情熱を込めて)演奏してみたい」と再度トライ。結局、そちらの方を使うことになった。美しくも情感溢れる演奏が聴ける。

 二十絃:吉村七重
 その「桜の下…紀行」で長谷川陽子さんと共演しているのが二十絃の吉村七重さん。私の作品集CDも何枚か出している名手で、「箏(こと)」のイメージを一新する美しい響きが圧倒的だ。
 ちなみに「夢詠み」は、元々は彼女のために書いた二十絃ソロ曲(夢詠み)の中に出てくるメロディをピックアップしたもの。ドラマ本編の音楽でも「慈愛」「虚無」「儀式」「息吹」「静寂」といった楽曲で登場してもらっている。

506st サクソフォン:須川展也、ピアノ:小柳美奈子、パーカッション:山口多嘉子
 ドラマ後半の音楽の「隠し球」が《サイバーバード協奏曲》。これもNHKからのリクエスト。どうせやるならと一番派手派手しいところを初演以来の黄金トリオで演奏してもらった。須川氏の狂乱のアドリブ咆哮がどんな場面を彩るのか…お楽しみに。

 ソプラノ:市原愛
 7月後半から流れる第三期の紀行の音楽「友愛…紀行」でヴォーカリーズ(歌詞のない歌)を歌ってもらったのはソプラノの市原愛さん。NHKスペシャル「知られざる大英博物館」(音楽:岩代太郎)でも美しい歌声を聞かせている。

 笛:竹井誠
 唯一の笛の曲「細波(さざなみ)」を演奏してもらったのが竹井誠さん。日本音楽集団で尺八と笛を兼任する名手。一口に笛といっても、情感溢れる雅楽の「龍笛(りゅうてき)」や、鋭い響きの「能管(のうかん)」、和風な響きの「篠笛(しのぶえ)」など色々な楽器があり、その表現する世界も色々。もう少し笛の曲を書きたかった。

 琵琶:稲葉明徳
 楽琵琶のために書かれた「枇杷」でのソロは稲葉明徳さん。むかし拙作「星夢の舞」で壮絶な篳篥のアドリブソロを聴かせてくれ、笙や笛からジャズのサックスまでこなすマルチプレーヤー。今回の大河ドラマには音楽監修や雅楽演奏などでも参加している。

Reigakusha 雅楽:伶楽舎
 日本における雅楽の専門集団としての老舗は、もちろん宮内庁の式部職楽部。
 しかし、一般にもプロ活動している雅楽集団というのがあり、伶楽舎はそのひとつ。1985年、芝祐靖氏を音楽監督にして結成され、古い雅楽の演奏や現代雅楽の初演など意欲的な活動をしている。
 私も1997年に国立劇場での雅楽「鳥夢舞(とりゆめのまい)」、2007年に委嘱による雅楽「夢寿歌(ゆめほぎうた)」で一緒に仕事をしている。

 清盛が初めて宮中で舞楽を舞うシーンでの「剣の舞」、忠盛の「舞楽」で登場。前者は清盛(平氏)モチーフの雅楽。その他「遊びをせんとや」の旋律による舞楽、白拍子(女性のダンサー)が舞い歌う場面などでも演奏を聴かせてくれる。

 二期会(合唱)
 二期会は1952年創立の老舗の声楽家グループ。オペラ活動を中心にする日本のクラシック音楽界には欠かせない団体である。
 今回は、第二回の収録でオーケストラ曲にかぶせるコーラスとして参加してもらった。編成は男性6女性4。男性合唱は「謀略」「戦闘」など源氏のモチーフの低音強化。女性合唱は「慈愛」「記憶」「友愛」などで抒情的かつ耽美的なサウンドを膨らませたほか、劇中で歌われた今様「我を頼めて来ぬ男」のコーラス版も歌っている。混声合唱では「勇み歌」「決意」などで大団円的な壮大なオーケストラ+コーラスサウンドを作り上げてくれた。

          *

Cdtatenoyoshi 大河ドラマ「平清盛」の音楽

 ■平清盛サウンドトラック盤(第1集) 
 COCQ-84927

 テーマ曲のほか上記の劇中音楽の中の第一期収録分から全27曲が収められている。
 第2集は、第3期収録分を中心にタルカスなどを含め9月中旬発売予定。
 また、今回収録された音源を網羅した「コンプリートBOX」も企画中。

 ■舘野泉X吉松隆 
 AVCL-25762

 こちらは舘野泉さんのピアノで、ドラマに使われたものを中心に収めたコンピレーション・アルバム。「紀行三景」(遊びをせんとや、友愛、夢詠み)の左手ピアノ版は今回書き下ろしたもので初録音。

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2012/06/10

音感よもやま話

Pianok 独学で作曲の勉強を始めた高校生の頃、父親に「音楽の才能があるかどうか専門家に見て貰おう」と言われて、とあるプロの音楽家の処に連れて行かれたことがある。

 家を訪問すると、グランドピアノが置いてある部屋に通され、「この音何の音?」といきなりピアノの音をひとつポーンと鳴らされた。「B♭」と私が答えると、「残念。Aだよ。うーん、どうやら絶対音感はないみたいだね」と言われてしまった。

 そして、「まあ、とにかく音楽大学を目指すか、あるいは音楽は趣味でやるか、よく考えて結論を出しなさい」という(まあ、私も友人の息子に「音楽の才能があるか鑑定してくれ」と言われたら、そう答えるしかないだろうという)真っ当な助言をいただいた。

 とは言え、もともと音楽の「才能」に目覚めたわけでもないし、音楽大学にも「絶対音感」にも興味はまったくなく、助言はそのまま右の耳から左の耳に抜けてしまった。
 ただ、「音」の件だけは気になって、家に帰ってすぐピアノで確かめてみた。
 やはり「B♭」だった。

Bflata 数週間して(何年かぶりに)ピアノの調律師さんが来て、その疑問は氷解した。妹がレッスンを受けていた小学生の頃以来まったく調律をしていなかった我が家の古いアップライトピアノは、チューニングが「半音ほど下がって」いたのだ。

 それを高校に上がっていきなり音楽に目覚めた私がバンバン弾き始め、(なにしろベートーヴェンのソナタを無手勝流で弾き叩き、前衛音楽の肘打ち奏法まで弾きまくって酷使したので)調律師さんに言わせると「割れ鐘みたいな状態」だったそう・・・

 そこで初めて分かった驚愕の事実が・・・世間一般の調律されたピアノの「A」の音は、半音下がったウチのピアノの「B♭」ということなのだった。
(ということは、私がそれまで「A」と信じていた音は「G#」だったわけだ)

 以来「絶対音感」という言葉は私の辞書にはない(笑)

 ◇ラの音

440hz ちなみに、現代では、A(ラ)=440Hzということになっているのは、ちょっと音楽好きの人なら御存知だろう。(最近はもう少し高い442〜448Hzを使う演奏家も多い)

 これを基準にすると、半音低いG#(ソ#)は415Hzくらい。半音高いA#(B♭)だと466Hzくらいということになる。

 ただし、これは20世紀も半ばになって提唱されたもので、昔はこれより低いチューニングが行われていたことも、クラシック音楽ファンなら御存知のはず。

 モーツァルトや古典派の頃は半音の半音ほど低い420〜430Hzが多く使われていたそうだし、バロック時代には完全に半音低い415Hzだったこともあるそうだ。
(半音低くなっていたウチのピアノは、バロック時代仕様だったわけだ)

 ということは、モーツァルトの「ハ長調」の曲は(もし当時の演奏が残っていたら)、現代の人の耳には「(ほぼ)ロ長調」の楽曲に聞こえる理屈になる。

 さて、当時「半音の半音」の音程の違いを聞き分けたと言われるモーツァルトは、自分の書いたハ長調の音楽が、200年後に(モーツァルトの耳には)「(ほぼ)嬰ハ長調」に聞こえるキイで演奏されている状況についてどう思うだろう? 

Wave もっとも、「A=440」という基準自体、何か根拠があってのことと言うより(おそらく)単に十進法で分かりやすいから末尾を0にしました…という理由での採用だったことは間違いない。

 機械的(あるいは電気的)なピッチ計測器を持ち出したとき、こういう10で割り切れる数にしておく方が明快なのは確かだからだ。
 そして、それは人間の感覚とは全く違う「数字」であることは言うまでもない。

 その証拠に、現実の楽器(特に弦楽器)たちは、(うちの古いピアノのように)ちょっと油断するとすぐ「ちょっとずつ低い音」になってゆく。
 ヴァイオリンやチェロは弾いていると微妙に弦がゆるんで音が低くなるので、楽章間でのチューニングも必要になるし、ピアノも弦を叩くたびに音程が低くなるので、リサイタルの前半と後半にそれぞれ調律が入ることだってあるほどだ。

 一方、演奏家たちは、張りがあって通りが良い音を目指すうち「ちょっとずつ高い音」を好み始める。高い音=弦の張力が大きい→張りのある華やかな音になる…というのは理にかなっているし、大きなホール大勢の聴衆に向かって音を届けるには、その方が有利だからだ。

 結果、楽器は「下げたい」、演奏家は「上げたい」…という相反する「志向」を秘めつつ音楽を作ってゆくことになる。音の高さは、楽器と演奏家とのせめぎ合いなのである。

◇Dmのドリア

Elepian そんなこんなで、私としては半音低いチューニングのアップライトピアノで「作曲」の大海に乗り出してしまったわけだが、やがてそのピアノから卒業する日を迎えることになる。

 とは言っても、「ちゃんと調律されたグランドピアノ」に行き着いたわけではなく、むしろ逆。そもそも日本の住宅事情では、夜にアコースティックなピアノを鳴らすのは不可能。しかし、音楽修業は昼夜分かたずピアノを弾く必要がある。

 そこで、夜でもヘッドホンで音が聞ける家庭用の「電子ピアノ」を手に入れ、狭い(三畳ほどの)勉強部屋に押し込んで弾き始めたのである。

 ところが40年以上前のこの「電子ピアノ」、現代のようなデジタル仕様ではなく、中に仕込まれた金属片を叩いた音を電気増幅する構造。音高を決定する「金属片」は薄い銅板(のようなもの)の上に柔らかい金属(のようなもの)を乗せて音の高さを調整する。

 当然ながら、(いくら弾いても音高は変化しないものの)厳密なる調律によるドレミファを期待するのは無理な話。特に黒鍵は「なんとなく半音っぽく高い音」と「なんとなく半音っぽく低い音」が並んでいる感じに近かった。
(敢えて言うならチェレスタのようなサウンドで、それはそれで結構気に入ってはいたのだが)

Dorian
 結果、ぎりぎり信用できそうな「白鍵」を多用し、そこから生まれる音律のみを即興演奏するうちニ短調のドリア(すべて白鍵で弾ける教会旋法)の世界にのめり込むことになる。

 後に「吉松サウンド」の基礎となる白鍵白玉のドーリアモードやメージャー7の響きは、この「怪しげな調律の電子ピアノ」によるものが大きい。「最初の楽器」恐るべしである。

 そもそも平均律とも純正律とも違う不思議な調律バランスのこの楽器、転調してしまうと3度や4度の響きががらりと変わる。当然ながら、転調とか半音階進行は極めて不得手。
 そんな中で「きれいに響く音の組み合わせ」を追究してゆくと、ピュアな「#♭なし」の世界しかないのである。

 後年、初めて「ちゃんとチューニングされたグランドピアノ」に触れたとき、「すべての音程が均質な楽器」に衝撃を受け、そのピアノで無調のアドリブを弾いてみて初めて「十二音主義」の響きの美しさが分かった。
 …のだが、まあ、それは残念ながら「既に手遅れ」な話。

(というわけで、半音狂ったアップライトや不思議音律の電子ピアノでなく「ちゃんとしたグランドピアノ」で育っていたら、私も「ちゃんとした現代音楽作曲家」の道を歩んでいたかも知れない)

 蛇足ながら、作曲家歴40年の現在まで、私は一度もグランドピアノというものを所有したことがない。これからもおそらく一生無いに違いない。

◇Em(ホ短調)

Guitar そんな不思議音律ピアノに出会う前、中学生の頃最初に手にした楽器はギターだった。
 とは言っても、きちんと楽譜とドレミファを修練するクラシックギターではなく、コードネームを掻き鳴らすいわゆるポップス風のギターである。

 チューニングは低い方からEADGHE(ミラレソシミ)。ボロンと掻き鳴らすと自動的にほぼEm(ホ短調)の和音になる。

Guitartuning

 最初にマスターした(とは言え楽譜ではなく耳コピだが)「禁じられた遊び」のロマンスはこの開放弦を活かしたせいもあり「ホ短調」。ギターの持っている基本のキイと言っても良いかも知れない。

Romance

 ギターは、フレット上の弦を「左手指5本」で押さえて音程を作る。
 しかし、初心者的に使えるのは(人差し指・中指・薬指の)3本まで。どうしても開放弦が多く含まれるコード(和音)の方が指を押さえやすい。

 当然ながら、開放弦の音をなるべく多く含むコードが「惹きやすく」「鳴りやすい」わけで、普通に演奏する限り「A(ラ)」や「D(レ)」を含む「#」系のキイの方が弾きやすいことになる。

Cuitarchords 特に初心者ギタリストにとっては、指2〜3本を添えるだけで出せる「D」や「Em」「Am」はありがたいキイ。
 逆に「C」や「F」などは(複数の弦を押さえる必要があり)微妙に敷居が高かったりするわけだ。

 対して、ピアノのようなキイボード用の「コード」は、当然ながら「C」を基準に説明するのが分かりやすいので、Cm・Cm7・Cdimのようなコードが平気で出て来る。
 しかし、この種の「♭系」のコードは、初心者ギタリストにとっては弾きにくい。

Cm

 というわけで、ピアノなどでは「最も易しいキイ」である「ハ長調」も、ギターでは必ずしも易しくない。逆に、#♭が付いていて楽譜上では難しそうな調も、指を押さえる分には易しいと言うこともある。

 楽器によって「弾きやすいキイ」「響きやすいキイ」というのはそれぞれ違うのだな…としみじみ思い知ったのは、このギター体験が大きい。

◇平調と壱越

Biwas 面白いことに、ギターとルーツが同じ「琵琶」も(流派によって色々な調弦があるものの)基本「なんとなくホ短調」の楽器だ。

 二十代の頃、尺八と薩摩琵琶とピアノとベースという(奇妙きてれつな編成の)ジャズコンボを組んで遊んだことがあるが、ボロンと開放弦を掻き鳴らすとそのまま(ほぼ)「Em」になることに「ほ〜」と驚いた記憶がある。

 大河ドラマ「平清盛」で使った楽琵琶(平安時代の古い琵琶)が、ミ・シ・ミ・ラという調弦。平家物語を語る薩摩琵琶などは最後の2弦が4度でなく2度音程。武満徹「ノヴェンバーステップス」で出て来る薩摩琵琶は、確かレ・ミ・ラ・ミ(ミ)という調弦。

 楽器や流派によって調弦の種類は色々だが、「ラ」の音を基音として、その下に4度低い「ミ」の音を置くことが多い。
 音高は歌い手の声の音域に合わせてかなり調節できるものの、奏でるキイはなぜか(ほぼ)ホ短調っぽいのである。

Biwatuning_2

 ちなみに、琵琶は柱(ギターのフレットに当たるもの)が太くて高く、「コードを押さえる」などという器用なことは不可能。(やって出来ないことはなさそうだが…)
 中低音に当たる弦は常に開放弦で「主調」の5度(ないし完全4度)を鳴らす役割となるので、最初にチューニングを「Em」にしたら最後、まず「転調」は出来ない。

Istra 一方、「尺八」は基本的に「Dm(ニ短調)」の楽器と言える。
 名前の由来でもある 一尺八寸(約54.5cm)管は、西洋音階でいうと「レ」の管長をもち、5つの孔を順に押さえてゆくと「レファソラドレ」というニ短調の五音音階が鳴る。

 ただし、尺八は歌の伴奏などで使われることが多く、歌い手のキイに合わせて「楽器」の方を替える。大体一寸短くすると半音高い管になり、「Em:ホ短調」の一尺六寸管、低い「Am(イ短調)」の二尺三寸管まで色々存在する。

 そこで、民謡などの尺八奏者は、歌い手や曲の音域に合わせて(ラ、シ、ド、レ、ミ、ファ、ソ…それぞれのキイの楽器を)ずらりと並べて持ち歩くこともある。

 対して、ハープ系弦楽器である「琴(箏)」は柱を動かせば色々なチューニングが出来るので、こちらは「調」に関してはかなり自在。

 雅楽の時代には、この「箏」の調弦を軸に、それこそ十二音全ての音を基音とする長短調(呂と律)の旋法システムが、(バッハが登場する1000年以上も前に)確立されていたというから、ちょっと驚いてしまう。

◇得意なキイ(調)

Gpiano 私の場合、何も考えずに音を紡いでゆくと、Dm(ドーリアっぽいニ短調)かEm(フリギアっぽいホ短調)になることが多い。
 これは、チューニングの怪しいピアノと、コードネームでしか弾けないギター、雅楽や邦楽の伝統、ろくに和声法の勉強をしなかったツケなどがあいまった「音感」と言うことなのだろう。

 しかし、クラシックの大作曲家たちも、そういう「好きな調性」への嗜好は少なからずあったように思える。
 モーツァルトあたりはまだ「完璧にチューニングされたピアノ」などがなかった時代の片鱗か、シンプルに白鍵を使った調性(しかも長調)の使用頻度が多い。
 ハ長調・ト長調・ニ長調・イ長調・ヘ長調・変ロ長調、変ホ長調・・・そもそも「黒鍵」の音程が怪しかったせいもあるのだろう。使う#♭はせいぜい3つまでといったところだ。

 ちなみに、弦楽器や管楽器は歴然と「得意な調」(例えば、クラリネットの変ロ長調やイ長調、ホルンの変ホ長調やヘ長調などなど)がある。
 しかし「キイボード」系作曲家は、そういった調性の呪縛から解き放たれたいという思いと、「特定の調性ばかりに曲を書いている」と言われたくない思いがないまぜになって、十二の調性すべてに曲を書く…ということへの挑戦が始まる。

 バッハやショパンを始め多くの作曲家たちが「24の調」にこだわってフーガや練習曲を書いたのは、研究心と共に「私は何調でも書けるんですよ!」という作曲のプロとしての自負ゆえもあったのだろう。
 ただし、逆に言えば、自分の中にある「特定の調性への嗜好」を克服するためのリハビリ行為と言えなくもないわけで、 何だかんだ言っても、作曲家によって「得意な調」というか「手になじんだ調」があるのは事実なのだ。

Bflat 個人的には、モーツァルトやシューベルトが使った「B♭(変ロ長調)」が好きである。黒鍵の中では(先に書いたように)チューニング上の精度が高いからだろうか。

 特に(モーツァルトやシューベルトの地元)ウィーンに響く「B♭」はピアノにしろクラリネットにしろ弦楽器にしろ、温かくもふくよかで明るい不思議な響きがする。
 全く同じ音階を使いながら「Dm(ニ短調)」が悪魔的で暗い響きなのことを思うと、音楽の不思議にあらためて感じ入ってしまう。

 それが、モダンピアノの時代…ショパンやリスト以降となると、#♭の幾分不安定な響きの方に「音楽の深さ」や「表現の多彩さ」を見出し始める。
 ショパンの変ホ長調(♭3つ)や嬰ハ短調(#4つ)などは、ピアニズムとの絶妙なバランスで響き渡る調設定であり、逆にハ長調(#♭なし)とかト長調(#一つ)では決して作れない世界だ。

 さらに、後期ロマン派ともなると、嬰ヘ長調(#6つ)とか変ロ短調(♭5つ)などという極めて鳴りにくいキイを敢えて使ってキャラクターを際立たせるのが特徴になる。
 中には、半音階の転調を繰り返すうちに、泥沼のように#♭だらけの調にはまり込んでしまう…ということも多く、そこから抜け出して「主調」に戻るため四苦八苦するスコアを見ているとサディスティックな愉しみさえ浮かんでくる。

 なので、わざと弾きにくく鳴りにくい調で書いている場合は、作曲家が「弾きにくく鳴りにくい世界」を作りたいと思っていることをお忘れなく。それを演奏家がなめらかに弾き豊かに響かせてしまうと、意図を違えてしまうことになるので要注意である。

 ◇四季の調

5biwa_3 とは言っても、作曲家があれこれこだわるほど、音楽を聴いて曲の「キイ(調性)」を気にする人はほとんどいないのも事実。

 現代で普通に音楽(ポップスなど)を聴いていちいち「今の曲は何調」と気にするのは、ハーモニーおたくの作曲家か、コードが頭にこびり付いているミュージシャンか、絶対音感修行中の音大受験生くらいなものだろうか。

 しかし、平安の昔は、「平調(E:ホ短調)」の曲が聞こえると「ああ、秋だなあ」と感じ、「双調(G:ト長調)」が聞こえると「春」を感じたというから、ほどほどの絶対音感は(その精度のほどは不明だが)知識階級貴族の「たしなみ」だったようだ。(というのは、以前「調性」がらみの回で触れた話・・)

 当時は、大陸渡来の儒教の教えの影響で、音律は全て春夏秋冬、東西南北に適したものがあり、好き勝手にいつでもどんな曲を演奏して良いというわけではなかった、というから面白い。
 それぞれの季節にはその季節にふさわしい調の音楽が奏でられ、その調和を壊すことは世の乱れに通じるのだそうで、なかなか高度に音楽的世界観である。

 クラシック音楽でも「キリスト教がらみ」になると、例えば「D(ニ長調)」はラテン語の「Deus(神)」の頭文字なので壮麗かつ祝祭的な音楽向け、というような「調性」と「曲の内容」の連携はあったようだが、いくぶん「こじつけ」感がなきにしもあらず。

 さらには、調性にそれぞれ色彩を感じる「共感覚」の持ち主もいるというが、そうでなくても、モーツァルトのイ長調とか、ベートーヴェンのハ短調とか、シューベルトの変ロ長調とかには、独特の色彩や季節感や空気を感じるのは、音楽愛好家共通の「感覚」に違いない。
 
 もちろんそれは「絶対音感」として調性を感じているのではなく、作曲家がその調に感じて生み出した「世界」を、聞き手が「季節」や「空気」として感じていると言うことなのだろう。

 科学的に身も蓋もなく言えば、(最初のエピソードの通り)「B♭(シ♭)」は1/12オクターヴ(半音)高い「A(ラ)」でしかなく、「変ロ長調」は「200セント(一全音)低いハ長調」にすぎない。

 しかし、どうにもこうにも「決してそうではない」世界があるというのが、音楽の面白い…そして不思議なところなのである。

         *

Flyer ■寺田悦子 ピアノ・リサイタル
 シリーズ”調”の秘密〜壮麗で輝かしい響き・変ロ長調 

 モーツァルト:ソナタ第17番 変ロ長調K.570
 シューマン:フモレスケ 変ロ長調op.2
 シューベルト:ソナタ第21番 変ロ長調D.960 (遺作)

 2012年10月18日(木)19:00紀尾井ホール

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2012/05/10

左手のピアノの内宇宙

Tatenoa 舘野泉さんがこの5月に《左手の音楽祭》を始動する。
 2年間に渡って(ほぼすべて左手のピアノ曲ばかりで)全16回のコンサートを弾ききる!という壮大なプロジェクトである。

 私が今まで舘野さんに書いた作品もすべて再演されるそうなのだが・・・現時点で舘野泉さんのために書いた左手のためのピアノ曲は下記の通り。

◇タピオラ幻景(2004)全5曲
◇アイノラ抒情曲集(2006)全7曲
◇ゴーシュ舞曲集(2006)全4曲
・3つの聖歌(シューベルト、カッチーニ、シベリウス)
・4つの小さな夢の歌(3手連弾)
・3つの子守唄(3手連弾)
◇左手のためのピアノ協奏曲「ケフェウス・ノート」(2007)
◇組曲「優しき玩具たち」(五重奏。2010)全8曲
◇大河ドラマ「平清盛」テーマ曲(2011)
・同劇中音楽「夢詠み」「友愛」「安息」
・同〜紀行三景(遊びを/友愛/夢詠み) 全3曲

 おかげで「左手のためのピアノ曲を作曲する秘訣は?」とか「作曲で重要なポイントは?」と聞かれることが多いが、「左手のピアノ作品」を書くこと自体は、通常の楽器のための作曲(例えば、ハープやギターの曲を書くこと)と変わらない。
 楽器の「音域」と最低限の「奏法」を把握し、そこから先は、その約束事を守ったり超越したりて音楽のイメージを膨らませるだけだ。

 ただし、実を言うと「左手のピアノ」はそれだけではない、ほかの楽器とはちょっと違う微妙な問題が関わってくる。
 それは、ひとくちに「左手のピアニスト」と言っても、幾つかのタイプがあるからだ。

■左手のピアニストのタイプ

Paul_w_2 1.怪我などで片腕を失った場合

 音楽史上最も有名な「左手のピアニスト」は、ラヴェルが左手のピアノ協奏曲を書いたパウル・ヴィトゲンシュタイン(1887〜1961)だが、彼の場合はこれにあたる。

 彼は、ウィーンの名家であるヴィトゲンシュタイン 家(弟は哲学者のルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン)に生まれ、ブラームスやマーラーやRシュトラウスも家に出入りしていたという金持ちの子息。26歳でピアニストとしてデビューするが、その翌年第一次世界大戦が勃発。従軍してポーランド戦線で負傷し、ロシア軍の捕虜になる。そして、その時の傷が元で右腕を切断する手術を受け、片腕となった。

 しかし、戦後、「片腕のピアニスト」として演奏活動を再開。その話題性や実家の財力そして強力な人脈を背景に、ラヴェル(フランス)、ブリテン(イギリス)、ヒンデミット(ドイツ)、プロコフィエフ(ロシア)と言った当時超一流の作曲家たちに作品を委嘱している。

 彼は、物理的(医学的?)に右手が存在しないタイプの「左手のピアニスト」であり、その点は見た目も分かりやすい。ただし、「右手が存在しない」以外は、普通の健康体である。

 2.半身の麻痺による場合

 一方、舘野さんの場合は、脳溢血による半身麻痺から、右手が不自由になったもの。

 舘野泉さん(1936〜)は、父親がチェロ、母がピアノという音楽家の家に生まれ、慶應高校〜東京芸術大学ピアノ科と進んでピアニストデビュー。音楽修行の先を北欧フィンランドにするというユニークさで、北欧ものやロマン派そして現代作品をレパートリーとして活躍。以後、日本とフィンランドを行き来する旺盛な演奏活動を主なっていたが、2002年、演奏家としてのキャリアを十二分に重ねてきた60代半ば、リサイタルの途中に脳溢血で倒れる。

 無事、生還はしたものの、後遺症として右半身に麻痺症状が残り、リハビリを進めるも、右手は不自由なままになった。しかし、1年半後に「左手のピアニスト」として演奏活動に復帰している。

 3.手の運動障害による場合

 最近知られてきたものに神経疾患による運動障害(ジストニア:Dystonia と総称される)がある。
 原因は色々だが、スポーツや楽器演奏などの過酷な鍛錬、精神的なストレス、あるいは薬物の投与などによって、体の一部に筋肉の収縮や硬直あるいは痙攣が見られるもの。

 四六時中ペンを握り続ける作家がなる「書痙」などがその典型だが、手や手首の筋肉を酷使するスポーツ選手(ゴルフ、ビリヤードなど)、演奏家(ピアノ、ヴァイオリンなど)、専門職(タイピスト、整備士など)に症例が多いそうだ。

 作曲家シューマンも、若い頃ピアニストになるべく特殊な器具を作って無理な練習をしたため手を痛めたというが、これも現在ならジストニアの症例になるのかも知れない。

Fleisher ピアニストとしてのキャリアの絶頂期に右手の指2本が動かなくなる…という形で発症したアメリカのピアニスト:レオン・フライシャーがこの事例。
 左手のピアニストとして、小澤征爾と左手のピアノ協奏曲のアルバムを残したが、2004年には両手で復帰して「Two Hands」というアルバムを発表している。

 日本では、智内威雄氏が、左手のピアニストとしての演奏活動のほか、ジストニアの実態を知ってもらう運動を進めている。ピアニスト以外の演奏家にもこの症例は意外と多いようだ。

 この場合は、外見は全く通常の人と変わりなく、自覚症状としてのみ「右手」の不自由さがある…というタイプの「左手のピアニスト」である。

 
 4.ケガによる場合

 そのほか、事故(交通事故や打撲・転落による事故など)で片手を損傷することもある。軽い症例としては、球技などでの「突き指」や「切り傷」なども(一般人ならちょっと生活に支障が出るくらいで済むが)ピアニストや音楽学生なら深刻な問題だ。さらに手首の「骨折」となると事態はさらに深刻になる。

 ただし、「怪我」の場合は一過性のものであり、治癒すれば元に戻る可能性が大きいわけだから、「急性(一過性)左手のピアニスト」ということになるだろうか。

■左手のピアニズム

Lefth はっきり外見上も隻腕(片手)の状態である「1」の例(右手が存在しない)の場合、「右手で奏するパート」は当然ながらまったく演奏できない。(切断されて存在しない場合、例えば、鍵盤に手を添える、譜面をめくる、右半身のバランスを取る…ということも出来ない)

 対して「2」の例の場合は、病気による麻痺であって「右手を失った」わけではないので、例えば右手指一本の単音による演奏、あるいはこぶしや肘などで鍵盤を叩く様な奏法は不可能ではない。
 また、リハビリ次第によっては「一本指あるいは数本の指で簡単なメロディくらいなら弾けるようになる」可能性がある。もちろん、うまくすれば数年後には両手の機能が回復するかも知れないわけだ。

 一方、「3」場合はかなりフレキシブルだ。右手は存在するし、外見上は普通の両手を持つ人と区別は付かない。現実的にも、ごく日常的な範囲で使う分には遜色ないことが多い。(だからこそ逆に人知れず苦労があると言えるのだが)
 つまり「プロ」のレベルで右手を駆使することは出来なくても、易しいパートなら右手で弾ける可能性もあるわけで、そういう特殊性を活かした奏法(例えば、右手で別の音源を演奏する)もあり得るかも知れないということになる。

 これに、最後の「4」の「一過性」の例を加えると、ひとことで「左手のピアニスト」と言っても、そのタイプや状態によってかなり微妙な違いがあることになる。

Pianist_2 2のように、音楽家で脳溢血で倒れる例は少なくないが、ほとんどの場合そこで演奏家生命は終わる。楽器は、弦楽器(ヴァイオリンやチェロ)にしろ管楽器(フルートやクラリネット)にしろ、両手を駆使する前提で作られたものであり、片手での演奏はほぼ不可能だからだ。

 例えば、ヴァイオリンのような弦楽器なら、左手指で音程を作り出し、右手は「弓」を扱うだけなので、やさしい曲を弾く分には大丈夫そうに思えなくもない。しかし、右手指の細かい作業はないにしても、手首を含めた右手の「ニュアンス」が表現の生命線。プロとしての演奏活動をするのはかなり難しい。

 その点、指揮者は・・・手が上に上がる状態でありさえすれば、ある程度、可能かも知れない。細かいニュアンスや体力という点ではもちろん難しいが、老齢で倒れた指揮者が指揮台に復帰した例はある。その場合、もちろん「楽団員たちが全力のフォローをするから」というのが大きな理由なのだろうけれど。

Nerves ちなみに、脳溢血は、脳の内部の毛細血管が破れて出血するもの。脳の「左側」に出血があった場合、脳と神経系が交叉している関係で、身体の「右側」(右半身)に麻痺が出る。

 人間の体というのは不思議なもので、外敵などに襲われて大きく半身をケガした場合も即機能停止にならないように左右一対の「スペア」の脳がある。(機能は微妙に違うにしても、まさに「もしもの時に備えたスペア」の関係というしかない)

 そして、ダメージを受けた反対側の(まだ無事な)半身を使って危険から逃れるためか、右脳が左半身を、左脳が右半身を、というように神経が交叉(クロス)している。(余談だが、さらに右目は左脳に、左目は右脳にと交叉している)
 
 これは「生存」し「生き残る」ための機能的かつ合理的な構造であり、まさに「生命の神秘」というべき仕組みなわけだが、その結果、左側の脳にダメージを受けた場合「右手」だけでなく、「右足」にも(そして「右目」にも)影響が出ることになるわけだ。

 ピアニストにとって、もちろん「右手」が動かなくなるのが最大のダメージだが、実を言うと「右足」が動かなくなるのもかなりの大問題である。
 なぜなら、片手でのピアニズムを駆使するためには、(両手の場合にも増して)右足による「ペダル操作」が必須になるからだ。

 ■ペダリングと姿勢

 片手になれば当然、使える指は10本から5本と「半分」になる。ということは、同時に発音できる音は当然「1/2」になる。
 これを補うには、音のサステイン(保持)をペダリングでコントロールし、音を「倍増」させる必要がある。その肝心要の裏技こそが〈ダンパー(ラウド)ペダル〉を駆使する「右足のペダリング」なのである。

Pedal ということは、「2」の事例の場合は(左手のピアニズムのほかに)「左足のペダリング」も考慮すべき項目になるわけで、これは舘野さんにお聞きしてみた。

 幸運なことに「右足」はほぼ無事で、歩くときに足を少し引きずることはあっても、足首で行うペダリングに関してはまったく支障はないレベルなのだそうだ。(これも、出血部位がもう数ミリずれていたらどうなったか分からない…というお話で、本当に不幸中の幸いと言うしかない)

 さらに、通常は「右足」で行う(ラウドペダル)のペダリングを、「左足」で行う…というのも面白いかも知れないという話になった。
 そうすると、結果として体全体を右にひねった形になり、客席からはピアニストの顔と左手がよく見えることになる。やってみると(曲によっては)「意外と弾きやすい」のだそうで、「これも面白いかも知れないね(笑)」とのこと。
 まだ未開発の「左手のためのピアノテクニック」はあるのかも知れない。

Pianismbb 実は、この「ピアノ弾くときの姿勢」というのも、左手ピアノの奏法の特徴でもある。

 ピアノを普通に「両手」で弾く場合は、ほぼ正面を向いたまま右手で高音域・左手で低音域をカバーし、左右のバランスは両手で取る。
 ゆえに、上半身は全く動かさなくても、あらゆる曲を弾くことが可能だ。(そのため、時にまったく上半身を動かさないロボットのような演奏を見ることさえある)。

 しかし、左手のみでピアノを弾く場合、鍵盤の左側端の「低音域」を左手で鳴らしたときの力の反動は(右手で支えられない分)上半身全体を使って支える必要がある。

Pianismd そして、左手とは反対側にある「高音域」を弾く場合、今度は(左手をピアノの鍵盤の右端に届かせるため)体を大きくねじる必要がある。
(さらに、高音域:右→低音域:左、と音が飛ぶような場合は、上半身をねじり回転させながら、左手を鍵盤の上で右へ左へと飛び交わさなければならない)

 左手だけでピアノの全音域をカバーした演奏を行う場合、両手の場合よりかなり上半身の運動が必要となるのである。

■リハビリ幻景

Leftp というわけで、病気を克服し復帰されての「再活動」にふさわしい作品としては、やはり身体に負担がかからないものということになる。
 卑近な例えで言えば、退院していきなりビーフステーキやフレンチのフルコースをご馳走するのでなく、消化がよく量も少なめな療養食を食べてもらうようなものだろうか。

 その点では、例えば単旋律のメロディだけでできた曲、ゆっくりしたテンポで音の数も少ない曲…というような選択肢もあった。
 実際、最初に試作したのはリュートによるルネサンス舞曲風のシンプルな小品だったし、3手の連弾のために…と頼まれてアレンジした曲(子守唄)は、左手パートは単純な伴奏音型の繰り返しである。

 それなら、左手にも体にも足にも負担がかからない曲ということになるのだが、長年一線で活躍してきた一流ピアニストが、人前で子供に戻ったような「やさしい曲」を弾くのを好むかどうかは別問題。(のちのちアンコールで弾く…というような楽曲としてはあり得るにしても)

 結局、私の場合は「物理的に片手で弾ける音の組み合わせ」かどうかだけは鍵盤で確かめてみたものの、「弾きやすいかどうか」ということは一切考慮しない難曲を書き上げることになった。

Tapiol おかげで、その曲「タピオラ幻景」の初演の時は、「ヨシマツさん、この曲、弾いてると息が止まりそうになりますよ」とにこやかに笑いながらも抗議(?)されることになる。
 さらに、後々まで「あの時は、左手までぶっ壊れてしまうと思いました」と笑いながらおっしゃられて…恐縮至極の体だった。

 それでも(言い訳するわけではないが)「じゃあ、少し易しく書き直しましょうか?」と舘野さんに進言しても、「いいです。弾きます!」という御返事なのだ。

 左手のためのピアノ協奏曲(ケフェウスノート)の時も、「この曲、全曲弾きっぱなしで休みの部分が少なくて大変です」とおっしゃるので「じゃあ、少しピアノの部分を削りましょうか?」と進言すると「いえ、減らさないでください」とひとこと。
 そして、後になって「あれは良いリハビリになりました」とおっしゃる。そのバイタリティとひたすら前向きな心意気には脱帽するしかない。

■右手のピアノが存在しないナゾ

Davinci 余談だが、左手のピアノに関わって以来、気になっているのは、「右手のピアニスト」というものの存在が(ほとんど)ないことだ。

 右手のためのピアノ曲…というのは、「練習曲」としては幾つか存在するらしい。C.P.E.バッハやツェルニーあるいはサンサーンス、モシュコフスキ、アルカンといった作曲家が書いているそうだ。

 ただし、いずれも「右手」「左手」双方を鍛えるためのエチュードであって、演奏会用というわけではない。もしかしたら現代曲には、まだまだ未聴の(というより未発表の)作品もあるのかも知れないが、コンサートピースの中には少なくとも「右手だけのピアノのための作品」は皆無と言っていいだろう。

 しかし、普通に考えると、ピアニストの演奏で最も華やかに活躍するのは「右手」だ。メロディを弾くのは主に右手だし、華々しい技巧を聴かせるのも、それが目立つのも右手である。
 モーツァルトからショパンまで、ピアニズムの基本は「右手でメロディ」「左手で伴奏」。イメージとしては「右手」が主役であり、「左手」は助演や脇役あるいは演出というバランスだ。

 もちろん「主役」だけでは芝居は出来ない。脇役たちや脚本や舞台監督や演出や美術あってこその主役だと言うことは分かるが、スポットが当たるのは主役であり、観客も主役目当てにやってくる。
 それなのに、なぜ「左手」にピアノ曲があり得て、「右手」だけのピアノ曲が有り得ないのか?

Pianistbw 手の構造という点から見ると、手首というのは親指側に曲げるのが容易で、小指側に曲げるのは不得手。
 一方、腕自体は、右手は右方向への運動が得意で、左手は左方向が得意(当たり前だが)。

 つまり鍵盤上では、右手は高音方向(右側)に伸ばすのは得意だが、低音側(左側)に行くのは不得手。
 逆に、左手は低音方向(左側)に伸ばすのは得意だが、高音側(右側)に行くのは不得手ということになる。
 双方のそんな得手不得手を補って「両手」で鍵盤の全音域を駆使するのが、両手によるピアニズムというわけである。

 一方「片手によるピアニズム」はどうなるか?というと・・・

 最大のネックは、もっとも基本かつシンプルな「右手でメロディ・左手で伴奏」が出来ないことだろうか。
 モーツァルトの最も優しいソナチネのような・・・左手でドソミソ…と伴奏を弾き、右手で単音のメロディを弾く・・・という初歩の初歩のことが出来ない。

Mozartps

 これを克服するためには、まずメロディと伴奏形を片手で押さえられる音域内に集合(圧縮)させる必要がある。
 さらに、同時に演奏が難しい広い音域に渡場合は、アルペジオや分散和音の形で「時間差」による演奏に持ち込むのが基本になる。

 結果、例えばモーツァルトのソナタなら下の譜例のようになるわけだが、ピアノを弾かれる方は試しにこの譜例を右手と左手で弾き比べてみて欲しい。

Mozartpsb

 右手で弾く場合は、メロディラインは掴みやすいが、分散和音を弾くためにいちいち流れを中断されるので、音楽の形を作るのが難しい。
 一方、左手で弾く場合は、小指での和音の保持(下のドやレの音)は取りやすいが、親指を使ってのトリルっぽい高音のパッセージが致命的に弾きにくい。

 大雑把に言って、右手だけの場合は
「装飾的なメロディは弾けるが、伴奏は不安定になる」
 左手だけの場合は
「伴奏形は充実させられるが、メロディは不安定になる」
 という傾向があり、どちらも一長一短。
 右手でも左手でも「弾きにくい」ことにあまり変わりはないのである(笑)。

 左手のためのピアノ曲ばかりが存在し、右手のそれがないのは、手やピアノの構造あるいは作曲や音楽上の理由ではない。というのが結論になりそうだ。

■左手の右脳、右手の左脳

Brainlr ちなみに、この「左右」の問題、左手右手を駆使する大元の「右脳」と「左脳」のキャラクターの違いとして、音楽そのものに関わってくる。

 人間の脳が、右脳と左脳の2つあることは先に触れた。
 そのうち「右脳」は(大雑把に言って)「感性」を司る。音楽や図形、あるいは直感的なものごとの把握などを担当するアナログ脳などと言われる。

 対して「左脳」は「理性」を司る脳。言語や論理的な思考を堪能するデジタル脳である。(実際にはそこまで明確な役割分担があるわけではなく、あくまでもキャラクター分担という感じらしいのだが)

 特に「音楽脳」とまで言われる「右脳」は、音楽に感動するとか歌が心を打つ…というような感覚や情緒の部分に関わる(とされる)重要な部位。イマジネーション(想像)とかインスピレーション(霊感)というのは、まさにここに降りてくるわけで、「ミューズの神」が宿る場所と言えるかも知れない。

 では、音楽家としては「右脳」だけ発達していればいいのかと言うと、逆に、プロの音楽家(作曲家や演奏家)としては、理性や記憶担当の「左脳」こそが重要と説く人もいる。
 なぜなら、楽曲を記憶したり暗譜したり曲の構造などを理解し把握するのは、言語や計算と同じでこちらの左脳を使うからだ。

 特に、演奏は単に「感情のおもむくまま」というわけにはいかない。「どんなテンポで」「どんなタッチで」「どんなニュアンスで」「どんなバランスで」という理性的なコントロールを指先や身体に伝えることが必要だ。
 左脳なくして、また《音楽家》はあり得ないのである。

Ravel ちなみに、かの(左手のためにピアノ協奏曲を作曲した当の)作曲家ラヴェルは、晩年、交通事故で「左脳」を損傷し、それが原因かどうか、以後ほとんど作曲ができなってしまったという。そして「音楽は頭に浮かぶのだが、それを楽譜に書くことが出来ない」と語ったと言われる。
 彼の場合、音楽の感性を司る(音楽を生み出す)「右脳」は機能しているのに、それを記述する(音楽を具体化する)「左脳」が機能していない、ということによる悲劇だったことになるだろうか。

 舘野さんの場合も(まことに失礼ながら、ちょっと気になるので、一度聞いてみたことがあるのだが)、やはり「確かに暗譜したりするのがちょっと苦手になった」という感じなのだそうだ。
 もっとも、ピアニストの場合は、「楽譜を置いて(見ながら)演奏する」ことで、作曲家ほどは致命的な問題にならないようなのだが。

■左 vs 右

Mizuki この「右手」と「左手」の話に関わるが、「隻腕(片手)」の作家として私が真っ先に思い浮かぶ人と意ったら・・・漫画家の「水木しげる」氏である。
 数年前、NHKの朝の連続ドラマ「ゲゲゲの女房」で人気を博したので、知っている方も多いだろうが、彼は「右手」だけの隻腕の巨匠である。

 彼の場合は、ヴィトゲンシュタインと同じで、二十代始めに軍隊に入り南方戦線(ラバウル)で負傷、その際、手術で「左手」を切断している。しかし、戦後、「右手」一本で貸本漫画界にデビューし、「墓場の鬼太郎」ほか多くの名作を残している。

 漫画家の場合はやはり「利き腕である右手」が残ったので再起できたのであり、これが「左手だけ」だったとしたら、そもそも絵を描くタイプの仕事は難しかったのではなかろうか?。

 蛇足ながら、隻眼隻腕(片眼片手)で思い付くのは、丹下左膳。これは小説(作:林不忘)の中の架空の剣豪で、嵐勘十郎や大河内傳次郎、大友柳太朗らの主演で映画にもなった。彼は、刀傷で右目と右手を失い、左目と左手だけの剣士だから「左」膳。
 当然ながら「左手」で刀を扱うわけだが、これは「左目」とのバランスと言うことなのだろう。左目で捉える左側からの攻撃を受けてかわすのは左腕に刀を持つしかない。そもそも右手で刀を持ったら、見えない右目では「自分の手が見えない」のだから、左目&左刀というのは理にかなっている。

 私の父方の祖父も、子供の頃の小児麻痺(ポリオ)で左足・左手に少し不自由が残っていて、こちらは「右手」党だった。
 この病気は、ウィルスにより脊髄が炎症を起こして発熱し、その後、足や腕に麻痺が残る。子供の時に発症することが多かったので、むかしは「小児麻痺」と呼ばれていたが、これも先の神経系の理由により「右側」「左側」という形にトラブルが残る。

 祖父の場合、左足を少し引きずっていて散歩はもっぱら杖だったが、一方でフランス語の講師をつとめていて、翻訳の仕事や読書あるいは音楽鑑賞などは旺盛にこなしていたから、ものを書く利き腕「右手」の作業には遜色がなかったことになる。

Lpk25 私も、現在はパソコンとピアノを左右において音楽と原稿とイラストとを書いているが・・・考えて見れば
 文字用キイボード(言語)は「右手(左脳)」 
 鍵盤キイボード(音楽)は「左手(右脳)」が鉄則だ。

 和音を探ったり響きを確かめるために鍵盤キイボードを触るのは「左手」。対して、マウスを操ったりタッチパネルに触れたり、ペンでタブレット端末に絵を描いたりするのは必ず(利き腕の)「右手」を使う。
(蛇足ながら、箸を持つのは「右手」だが、酒を飲むのは「左手」である)

 どうしても「左右どちらか」を選べ!と言われたら、仕事での有利性という点からして「右手」だろうか。(その場合は、酒も右手で飲むことにしよう)

■神の選んだ「左手」

Pianisma と色々「右手」「左手」について考え見ても、ことピアノにおいて「左手ピアノ」ばかりが目立ち、「右手ピアノ」の例が極めて少ない理由については・・・思い当たらない。

 そうなると「もし」と考えるのが、もしヴィトゲンシュタインが「右手」でなく「左手」を負傷していたら・・そして、戦後「右手のピアニスト」として復帰し、ラヴェルやプロコフィエフに作品を委嘱していたら?という想像だ。

 そして、もうひとつ。舘野泉さんが倒れて失ったのが「右手」ではなく「左手」であり、リハビリ後「右手のピアニスト」と再起すべく作曲家たちに「右手のピアノのための作品」を委嘱していたら?

 私は書いただろう。「右手のためのピアノ曲」を。そして、「右手のためのピアノ協奏曲」を。さらに大勢の作曲家たちも、右手のためのピアノ曲をこぞって書き上げ献呈したはずだ。
 その結果、舘野泉さんは「右手の音楽祭」を開き、右手のピアノのための音楽が2年間にわたって演奏を重ねることになったはずだ。

Dice そうでなかったのは、神が振ったサイコロの目が、ヴィトゲンシュタインの場合と舘野さんの場合に限り「右」ではなく「左」だったからだ…としか考えようがない。

 そう考えてゆくと、世の中に「左手ピアノがあって、右手ピアノがない」というナゾの答えが見えてくる。それは・・・

 ヴィトゲンシュタインと舘野泉がいたからなのだ。

         *

Flyer
 ■舘野泉 左手の音楽祭
 〜新たな旅へ…ふたたび〜 Info

Vol.1<新たな旅へ・・・ふたたび> 
2012年5月18日(金)19:00開演 第一生命ホール 
・バッハ(ブラームス編曲):シャコンヌ BWV1004より
・スクリャービン:左手のための2つの小品
・間宮芳生:風のしるし・オッフェルトリウム
・ノルドグレン:小泉八雲の「怪談」によるバラードⅡ
・ブリッジ: 3つのインプロヴィゼーション
(2004年5月18日(火)復帰リサイタルの再現プログラム)

Vol.2<光と水、土と花と樹のTransformation> 
2012年11月4日(日)14:00開演 東京文化会館小ホール 
・林 光:花の図鑑・前奏曲集
・吉松 隆:タピオラ幻景
・松平 頼暁:Transformation
・末吉 保雄:土の歌・風の声
・coba:記憶樹

Vol.3<祈り~夢に向かって>
2012年12月8日(土)14:00開演 東京文化会館小ホール
共演:柴田 暦(Vocal)平原あゆみ(ピアノ)/
・コーディ・ライト:祈り(三手連弾)
・T・マグヌッソン:ピアノ・ソナタ
・塩見 允枝子:アステリスクの肖像(Vocal & Piano)
・パブロ・エスカンデ:音の絵(三手連弾)

Vol.4<絆~優しき仲間たち>
2013年3月初旬予定 東京文化会館小ホール
共演:ヤンネ舘野(Vn),舘野英司(Cello),浜中浩一(Cl),北村源三(Tp)ほか
・末吉保雄:アイヌ断章(ピアノ四重奏)
・間宮芳生:ヴァイオリン・ソナタ(世界初演)
・J・コムライネン:室内楽曲(編成未定・世界初演)
・吉松 隆:優しき玩具たち(ピアノ五重奏)

Vol.5<世界を結ぶ>
2013年5月予定 会場未定
共演:ブリンディス・ギュルファドッティル(チェロ)、
・パブロ・エスカンデ:Divertimento
・野平一郎:新作ピアノ曲(世界初演)
・ユッカ・ティエンスー:新作ピアノ曲(世界初演)
・T・マグヌッソン:チェロ・ソナタ(世界初演)
・coba:新作(編成未定・世界初演)

Vol.6<恐るべき子供たち>
2013年9月予定 会場未定
共演:ヤンネ舘野,亀井庸州(vn)多井智紀(vc)ほか
・一柳 彗:新作室内楽曲(編成未定・世界初演)**
・レオシュ・ヤナーチェク:カプリチオ(ピアノと管楽器8本のために
・E.W.コルンゴルド:ピアノとヴァイオリン2本、チェロのための組曲

Vol.7<77歳のピアノ協奏曲>
2013年11月10日 14:00 東京オペラシティコンサートホール
共演:ラ・テンぺスタ室内管弦楽団(フィンランド) 指揮:野津如弘
・P.H.ノルドグレン:ピアノ協奏曲第3番<死体に跨った男> 
・吉松 隆:ピアノ協奏曲<ケフェウス・ノート> 
・池辺晋一郎:ピアノ協奏曲(世界初演)

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2012/04/10

演奏家たちの現在と未来

Lisztc 音楽史には、超絶技巧で名を馳せた伝説の演奏家たちがいる。
 ヴァイオリンのパガニーニ、ピアノのリストはその双璧。「悪魔に魂を売った」と言われるほどの名技で聴き手を熱狂させたと伝えられる。

 ただし、現代の若い演奏家たちの物凄いテクニックを聴くたびに、「演奏テクニックだけを比べたら、現代の若者たちの方が上なのでは?」と思うことが少なくない。

 なにしろチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲やピアノ協奏曲を始めとする多くの有名コンチェルトは、作曲当時の巨匠たちから「難しすぎて弾けない」とお墨付きをもらったはずの難曲。しかし、現代の若者たちは(特に音楽専門でない高校生でも)普通に弾きこなす。
 最近では、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番など、当時は(2m近い大きな身体と12度を軽く抑えられる巨大な手を持つ)ラフマニノフ以外の人には弾けなかった超難曲&大曲を、若いピアニストが弾きこなすようになっていて、感心することしきり。

Paganini さらに、かつてはヴァイオリンの超難曲だったはずの「ツィゴイネルワイゼン」なども、昨今はコントラバスで弾いたりトランペットで吹いたり、様々な楽器で「当たり前のように」演奏する名人たちが続々出て来ている。
 もちろん「楽器」そのもののメカニックとしての精度が高くなってきていることもあるのだろうが、演奏レベルが格段にあがっていることは紛れもない事実だ。

 実際、作曲家を30年ほどやってきた経験で見ても、初演の時にプロの演奏家に「これは弾けません」と断言された難曲が、15年ほど(つまり約ひと世代)たつと、学生でも(「ちょっと難しいですが」…というレベルで)弾くようになる例のなんと多いことか。
 私の「デジタルバード組曲」(フルート)、「ファジーバードソナタ」(サックス)なども、初演の時は演奏者にいずれも「難しすぎて人間が弾くのは無理!」と断言された曲だが、現在ではコンクールの課題曲になって音大生が普通に演奏している。

 考えてみれば、スポーツでも、例えば第1回の近代オリンピック(1896年)の際の100m走優勝タイムが《12秒0》。しかし、現代では男子の世界新が《9秒58》、女子が《10秒49》。100年前の金メダリストのタイムは、今では中学生の女の子の記録にも及ばない。
 単純に「記録」という比較では、あらゆるスポーツのジャンルで、過去のどんな名選手より現代の若い選手の方がタイムが良いはずだ。効率の良い科学的合理的訓練を重ねている現在の方が「より優れた記録を出す選手」を生み出しているということだろうか。

□演奏するアスリート

Olympic とは言え、それをそのまま音楽に当て嵌めるのは、いささか乱暴にすぎるだろう。
 何度も「単にテクニックやタイムだけを比べたら」とことわっているように、「指先」のまわり具合やスピードは客観的に比べられても、音楽的なオーラとかカリスマ性あるいは即興性や個性という点は比べようがないのだから。

 確かに、第1回オリンピックの金メダリストを連れてきて現代のオリンピックに出したら、これは予選落ち確実。と言うことは、同じように過去の大演奏家たちも現代のコンクールに出場したら・・・
 案外予選落ちのレベル…なのかも知れないし、逆に、強烈なオーラにむせかえるような悪魔的テクニックを聞かせて圧倒する…のかも知れない。そのあたりは想像するしかないけれど。

 ただ、最近の演奏家というのは、音楽家というより「アスリート」(スポーツ選手)っぽい存在になりつつある…ということだけは、気のせいではないと思う。

 元々コンサートで生の演奏を聴く行為というのは、スポーツ観戦に似ているところがある。決められた「場所」で、決められた「ルール」と「時間」の中で繰り広げられる「テクニック」のショーだからだ。

 例えば、コンチェルトの名曲などを弾くとき、聞き手のほとんどは曲の長さも構成も知っているうえで「演奏」を楽しむ。演奏時間がどのくらいで、構成がどうか、細部に至るまで「一応は」分かっているわけだ。
 その上で、序盤に鮮やかなテクニックを聞かせ…、中盤に手に汗握るカデンツァの妙技…、そして最後にエクサイティングに盛り上がる…などの「妙技」を楽しむ。

 それは、野球なら9回、ボクシングなら15ラウンド、サッカーなら前後45分の計90分というような「枠」が分かっていて、その中で繰り広げられるナイスプレーを楽しむスポーツの観戦と似ていて当然かも知れない。

 そんな「場」で、最高のプレイを見せるのがアスリートなら、演奏家もまたアスリートと同じ指向を持って当然なのだろう。

□才能の登場

Mozartm ただし、演奏家もアスリートも、凡人が「頑張る」程度でなれるものではない、ことは言うまでもない。そこには「才能」と共に膨大な「努力」が必要だ。
 そして(努力はともかく)「才能」の方は、早くから開花するに越したことはない、そこで、音楽界…特に演奏界には、昔から「神童」伝説が多い。

 モーツァルトの例を挙げるまでもなく、十代前の少年が大人顔負けのピアノ演奏を聴かせたりリサイタルデビューしたりという話は、世界中あちこちで聞こえてくる。現代でも、スポーツから音楽に至るさまざまなジャンルで「天才少年」「天才少女」は引きも切らない。

 もちろん「ちょっと器用な」子供はいつの世にもいるものだが、そんなレベルを超えて大人顔負けのレベルでピアノを弾き、ドラムを叩き、サッカーをし、ゴルフをこなし、ダンスを踊る子供たちを、世界中のニュースでずいぶん見かけるようになった(ような気がする)。

 ただ、小さいにもかかわらず大人顔負けの芸を見せる子を、即「天才」とか「才能がある」と断言してしまっていいのかどうか、というのはちょっと気になる。

 例えば(前にもどこかで書いた気がするが)、5歳でフランス語ぺらぺらという少年が田舎の小さな村に現れた、と聞けば「すわ、天才かッ!」と誰しも思う。
 日常会話をこなし、ヴェルレーヌの詩の一節でもすらすら唱えれば、テレビや新聞で話題を独占しそうだ。

 しかし、父親か母親がフランス人で、実は生まれたときから家庭内での日常会話がフランス語…となると、天才神話は少し崩れる。
 さらに、そこがパリ郊外の村だったとしら、それは当たり前すぎて話題にもならない。フランスでは5歳児は全員フランス語をぺらぺらしゃべっているのだから。

 音楽も似たようなところがある。
 子供の頃から音楽をことばと同じレベルで吸収できる環境にあれば、ごく普通の子でも「音楽ぺらぺら」になることは可能だからだ。

 特に「絶対音感」や「ソルフェージュ能力」のような「訓練」で仕込めるものは、小さい頃から耳にしていれば刷り込むのはたやすい。
 また、ピアノのようなある種の「指先の器用さ」で修得可能なものは、早期教育でそれなりの成果を上げることは可能だ。

 それは逆に言うと、そこそこ普通の子なら、早期教育さえ施せば、音楽の才能を発揮する(ように見える)疑似天才少年少女に育てることは十分可能だということだ。
 問題は、それが生涯「音楽家」としてやっていけるようなレベルで恒久的に機能するかどうか?という一点にかかっている。

 例えば、3歳でショパンの革命のエチュードをすらすら弾いたら、それは文句なく「天才少年」と騒がれる。
 でも、20歳過ぎても同じように革命のエチュードを弾いても、・・・もはや誰も見向きもしない。

 昔から「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎればただの人」と言われるくらい、「才能」の輝きの賞味期間はほんの数年。
 それを十年以上・・さらに一生涯にわたって持続させ続けるというのは・・・これは「才能」に恵まれたとしても至難の業。才能に「努力」を掛けてさらに「運」を何重にからませるしかない。

□才能の育ち方

Monkeyp そう書くと、生来持っている「真性の天才」と後天的に仕込まれた「疑似天才」とどう違うのか?というのが大問題になりそうだが・・・実際のところは、たいして差がないと言えなくもない。

 真性の天才と見えたものも、社会の趨勢や人生の岐路で舵を切り違えれば「ただの人」になる。
 逆に、独学食わせ物の「疑似天才」でも、様々な修羅場をくぐり経験を重ね深みを増すことによって「真性の天才」と区別できないものに化けることもある。

 前にもどこかで力説したことがあるが、
「音楽の才能」があることが「音楽家になる才能」とは限らない…のである。

 例えば、こどもの頃から「耳(音感)がよくて」「当然絶対音感もあり」「一度聴いたらどんな曲もピアノで弾けてしまう」…ときたら、これはもう「音楽の才能」としては申し分ない。
 誰にどう聞いても、その子は「音楽の才能がある(恵まれている)」と断言するだろう。私もそう思う。

 ところが、前述の「神童」の時と同じで、二十歳を過ぎ三十歳を過ぎても、そのまま「耳がよくて」「絶対音感があって」「人が作った曲を上手にピアノで弾ける」だけでは、音楽家として独り立ちするのは不可能。そのあたりが音楽家としての「育ち方」の難しいところだろうか。

Mahlerc 蛇足ながら、「作曲の才能」となると(人が作ったような曲を上手に書ける…というのが通用しない分)もっと厄介だ。
 音大の作曲科の学生の時に「耳がよくて」「和声法も対位法も完璧に習得し」「ショパン風でもシェーンベルク風でもどんな曲でも書けて」「オーケストラの楽器の知識も完璧」というのは、完全無欠な「優等生」である。それは間違いない。

 ところが、作曲家として独り立ちするには、逆に「耳が悪くて」「和声法も対位法も苦手で」「人の模倣がヘタで」「オーケストラの扱いも今いち」という(落第しそうな)レベルの方がはるかに強力な個性になることが多い。

 なぜなら…耳が悪い(音感があまり良くない)ことは、音楽の追究に時間がかかる…すなわちじっくり自分の音楽世界を探求することに繋がる。
 そして、和声法や対位法の習得が遅いことや模倣がヘタなことは、独自の(ちょっと聞いただけでその人の音楽だと分かるような)音楽語法の獲得に有利に働く。
 さらに、オーケストラの扱いのヘタさはユニークな(誰の響きでもない)個性的なサウンドを生む土壌となる。

 音楽の修得というのは、人生や旅と同じだ。真っ直ぐ最短距離&最速時間で目的地に着いてしまったのでは、面白み深みは得られない。
 寄り道をし回り道をし、さらに道に迷い人に道を訪ね、色々な思いがけない風景や人に出会うことで「豊かな旅(人生)」になる。

 その点、(うっかり)「音楽の才能」があって、(運悪く)最短最速の道で「目的地」に着いてしまったら・・・これほどつまらないことはない。
 旅の醍醐味はそこに辿り着く「過程」にあるのであって、目的地に着いてしまったら「それで終わり」だからだ。

□コンクール

Asahi827 さて、そんな戯れ言はおいといて・・・新しい「才能」を見出すための現在もっとも強力な社会的システムのひとつに「コンクール」というものがある。

 英語圏では、スポーツにしろ弁論にしろ美人にしろ、何かを競い合う大会は、「コンテスト(Contest)」「コンペティション(Conpetition)」(いずれも「競技」「競争」の意)と呼ばれるが、音楽の場合はなぜかフランス語で「コンクール(Concours)」(Contestと同じ意)という。

 もともとは、田舎の村などで祭りの時に、腕自慢・強さ自慢・美人自慢の連中が集まって競い合う「他愛のないお遊び」として始まった…ものだろうか。
 足の速い男が「村一番の韋駄天」と呼ばれたり、力自慢の男たちがレスリングもどきで組み合い十人抜きで勝った男が「村一番の力持ち」に選ばれたり、ちょっと器量が良い酒場の娘が「村一番のべっぴん」と騒がれたり。

 とは言え、同じ村の中ならともかく、よその村や国にまで範囲を広げるとなると、単に「足が速い」とか「力持ち」だけでは、客観的に比べることが出来ない。
 そこで、走る長さを「何百メートル」、持ち上げる重さを「何キロ」、女性の場合は「未婚」で「何歳以下」とするような、基準が生まれるようになったわけだ。

 しかし、具体的に「100mを走るタイムが何秒か?」とか「酒を30分で何リットル飲めるか?」とか「羊を何頭持っているか?」というように数値基準が設定できる競技はともかく、〈美人〉とか〈美男〉あるいは〈絵画〉〈アート〉のように主観が相当量混じる種目となると、審査基準をどうするのかがちょっと難問になる。

 音楽も、「村で一番歌がうまい」とか「クラス一のカラオケのチャンピオン」というくらいならともかく、さて、日本中世界中からピアニストやヴァイオリニストが集まって「誰が一番うまいか?」ということを競うとなると、さて、どういう「基準」を求めるべきなのだろう?

 誰でも思い付くのは、同じ曲を同じ条件下で演奏させて聞き比べる…ということだ。しかし、音を外すようなミスは減点として分かりやすいが、ノーミスで演奏する参加者が複数いた場合、それ以外の客観的な基準は?といわれると、これは難しい。

 例えば、ショパンの「エチュード」を1分ジャストで弾く…とか、世界記録が58秒52…とかいう記録を競うコンクールというのが可能なら、極めて厳正な審査となるのだが、これはおふざけの域を出そうにない。
 昔なら「客席の拍手が多い方」などという審査もあったかも知れないが、さて、142人の熱狂的拍手と、357人の温かい拍手と、568人の義理の拍手と、どれが優勝にふさわしいのだろう?

 現状では、何人かの専門家(演奏家など)を並べて、客観的な「技術点」と主観的な「芸術点」をそれぞれ出させ、その平均あるいは総合点で順位を決める、というのがもっとも一般的なスタイルになっている(らしい)。

 しかし、それは(穿った見方をすれば)コンクールという「場」でもっともマイナス要因の少ない演奏をした人…の選別であって、それがどの程度「音楽」の資質に関わるか、しいては「演奏家」という資質の優秀さに直結するのか、は知りようもないのである。

□コンクールの才能
 
Violin1 結局のところ、コンクールで審査されているのは、「参加者」ではない。実は、コンクールの方なのである…ということだろうか。

 どんなに著名音楽家をずらりと審査員に並べても、優勝賞金が何千万とか豪華賞品付きというような豪華景品を付けても、その優勝者・入賞者が新聞やテレビで大々的に報道されても、彼らがその後演奏家として伸びなければ、コンクールとしては二流でしかない。

 対して、地味で賞金も低くとも、その優勝者・入賞者たちが数多く活躍し名を残しているとすれば、それはコンクールとしては一流ということになる。

 かつては、大演奏家たちを審査員に迎えたのはいいが、その弟子ばかりが入賞・優勝して…と言うコンクールの弊害をよく聞いたが、逆に、それならと公平性を重要視するあまり点数制にするのも、色々な弊害を生むのでなかなか難しい。

 将来大成するような個性的な演奏家は、若い頃は「可愛くない」ことが多く、100点を入れる人がいる反面、0点を付ける人もいる。当然ながら「平均点」という発想では、こういうタイプの才能は見いだせないからだ。
 結果、100点と0点が半々となった個性的若者は平均点50点で落選し、全員が60点を付けた「可もなく不可もない」優等生が1位になったりすることが往々にして起こる。

 そういう難点をクリアして、音楽家として大成する新人を見出せば「さすがに見る目がある」ということになるわけなのだが、その逆に、パッとしない演奏家ばかりを優勝者として輩出すると・・・「才能を見抜けない」という間抜けさを証明するだけになる。

 コンクールとは、結構怖いシステムと言わざるを得ない。

Concourst そんな中で、確実に優秀な演奏家を輩出して「権威」の歴史を強固にしているコンクールもある。
 チャイコフスキー・コンクール(ロシア。1958年より4年に一度開催。ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、声楽部門)とショパン・コンクール(ポーランド。1927年より5年に一度開催。ピアノ部門のみ)はその双璧だ。

 世界には色々な音楽コンクールがあるが、その優勝者・入賞者が確実に世界的な音楽家に育っているという点を鑑みた場合、この2つは別格というしかない。
 そして、その別格の歴史と権威に惹かれて、さらに優秀なる才能が世界中から集まってくる。

 これこそが、コンクール自体の「才能」=「才能を見出す才能」と言うべきだろう。
 それを手にしたとき、誰が選ばれるかという楽しみのほかに、そこで選ばれた才能のその後の羽ばたき具合を見届けることが、聞き手の大いなる楽しみとなる。

 新しい才能は日々世界のあちこちで生まれている。
 そして、彼らは日々悩み苦しみ試行錯誤しながら、成長し迷い遠回りし頂を目指して歩んでいる。
 コンクールの覇者の演奏を聴くのは、そんな彼らの成長を見届けるという時空を超えた楽しみがあるわけだ。 

          *

チャイコフスキー国際コンクール優勝者ガラ・コンサート

Flyer〜リサイタル公演〜
□2012年4月23日(月)19時開演 サントリーホール

セルゲイ・ドガージン (vn) &
ダニール・トリフォノフ (pf)
・チャイコフスキー:なつかしい土地の思い出 Op.42
 1.瞑想曲 ニ短調 2.スケルツォ ハ短調 
 3.メロディ 変ホ長調

ナレク・アフナジャリャン (vc) &
ダニール・トリフォノフ (pf)
・シューマン:幻想小曲集 Op.73
・ラフマニノフ:ヴォカリーズ Op.34
・パガニーニ: ロッシーニのオペラ「モーゼ」の主題による変奏曲

ダニール・トリフォノフ (pf)
・モーツァルト:幻想曲 K.397
・ドビュッシー:「映像 第一集」より 水に映る影
・ショパン:12の練習曲 Op.10

~オーケストラ公演~
□2012年4月27日(金) 19時開演 サントリーホール
・モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲 第3番 ト長調 K.216
 vn:セルゲイ・ドガージン
・ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 Op.104
 vc:ナレク・アフナジャリャン
・ショパン:ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 Op.11
 pf:ダニール・トリフォノフ(Pf)

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2012/03/10

面白がる目・面白がれる耳

Traumaw 同じ映画や音楽や物語や舞台を見聞きして、「面白い」という人と「面白くない」という人がいる…というのは実に「面白い」と思う。

 例えば、今、音楽を担当しているNHKの大河ドラマ「平清盛」も、「面白い!」という人と「面白くない!」という人が混淆していて、その様々な視点が逆に興味深くも面白い。

 私は(音楽をやっていることをヌキにして)「面白い」派。
 古今東西の色々な元ネタ(それは源氏物語から最近のコミックスまで多岐にわたる)をまさに「遊びをせん」とばかりにシャッフルし伏線を張りまくる脚本(藤本有紀さん)は、群を抜いて「面白い」と思う。

Titleaa その面白さは、古典などからの「本歌取り」的な部分もかなり大きい。例えば、主人公の清盛が法皇の御落胤で(吉川英治の「新平家物語」)、白拍子の母から馬小屋で生まれ(キリストの出生)、母が死んだ場所で実の父である白河法皇と対面する(ギリシャ悲劇?)。

 さらに、海賊退治の回では、宋への密航を企てる信西と小舟に乗り(吉田松陰の密航話?)、海賊に囚われて帆柱に吊され(宮本武蔵が沢庵和尚に千年杉に吊される話)、海賊兎丸と海賊船で一騎打ち(ピーターパンとフック船長)して勝った挙げ句、「海賊王になる」と叫ぶ(人気コミックス「ONE PIECE」)など・・・まさに、史実と虚構をブレンドした歴史ドラマの王道そのもので、面白がりどころ満載だ。

 また、朝廷内の閨でのやりとりなど、大人の会話が縦横無尽に張りめぐらされ絶妙。特に、待賢門院の無邪気なひとことに毎回傷付く鳥羽上皇のくだりや、美福門院と上皇との男女関係など怖さ半分面白さ半分。
 ただし、一夫一婦制の現代的モラルもなく男色もOKだった時代なのだから、面白がれる人と面白がれない人に大きく分かれそうだし、子供には何のことやら分からないだろう。「お母さん、あれ、どういう意味?」と訊かれると困るので「見ない」という人も出て来そうだ。

 なので、「面白さが分からない」というのは理解はできる。ただし、それイコール「面白くない」ではないはずなのだ。

□見えないもの・見えるもの

Bratamo 同じNHKに「ブラタモリ」という番組がある。
 タモリ氏が東京周辺のあちこちの街をブラ歩きする番組で、特に有名な名所旧跡を訪ねるわけではなく、歩き回る多くは何の変哲もないただの街のただの道やただの坂だ。

 しかし、その何の変哲もない道の、曲がり具合、交差の仕方、高低差、塀や石積みの跡などに着目する。それが滅法面白い。
 歩いていて、ふと「あ、この道曲がってますね」とか「ここに高低差がありますね」と気付く。それを古地図とすり合わせてみると、ただの道の曲がり具合と見えたものは昔「川」が流れていた跡であり,かすかな高低差は「海」と「埋め立て地」の境だったり、塀が城郭の跡だったり、石積みが川の堤防の跡だったり、真っ直ぐな道が鉄道の線路の跡だったりするのが分かる。

 すると、次の瞬間、その平凡な道が、むかし川が流れ船が行き交い,その横に宿場が広がり商店が並び、あるいは鉄道が走り、多くの人々が集い子供たちが遊んでいた…というような景色となって、時空を超えて眼前に広がり始める。

 もともと「面白い」という言葉の語源は、目の前(面)が明るく白くぱーっと開けることから来たのだそうだ。
 要するに、それまでは暗くぼんやりとしていたものが、何かがきっかけで、明るく全てが見通せるようになる。それを「面白し」と言ったのらしい。

 今まで平凡な何の面白味もない街並みに見えていたものが、「道の曲がり具合」や「高低差」や「町名」あるいは「古地図」などのかすかな「情報」をきっかけに、ぱーっと江戸時代や前史時代の風景として明るく見えてくる。
 これぞまさしく「面白い」であり、それを訪ねることこそが《面白がる》極意と言えそうだ。

□クラシックの面白さ

Karajans などと言っている私も、実を言うと、十代の頃まで「クラシック音楽」というのは、「面白くない」ものの代表格のひとつだった。

 ポップスやロックは、ストレートで分かりやすい。そもそも「面白い」「楽しい」と思われるものがヒット曲として大衆(ポピュラー)向けに浸透するのだから、つまらないわけがない。しかも、飽きる間もあらばこそ、2〜3分ほどで一つの世界が完結する。

 対してクラシック音楽は、ほとんどの場合そもそも「歌(歌詞)」がなく、つかみ所がない。メロディの形も様々で、ポップスのように1番2番・サビ・リフレイン…のようなわかりやすい構造はしていない。さらに、速くなったり遅くなったりテンポが揺れるので、トータルとしての曲のキャラクターを掴めず、おまけに一曲がポップスの数倍(下手すると数十倍)も長い。

 燕尾服や蝶ネクタイの大の人間が真面目くさって演奏しているのを見れば、なにか「高尚」なものに違いない…と薄々感じられても、十代の少年が考える「面白さ」とはかなりの距離があると思わざるを得なかったわけなのだ。

 それを「面白い」と思えるようになったのは、(幾度となくあちこちに書いているが)14歳の時に「スコア(総譜)」というものの存在を知ったのがきっかけだ。
 今まで、全体像が分からなかった「音楽」が、綿密な設計図によって書き込まれ構築された「音の建築物」だと知った。その瞬間、そこにある壮大な「作曲家によって組み立てられたビジョン」が見えてきた。まさに「面」が「白く」なった瞬間である。

 かくして、クラシックの曲の「長くて」「複雑で」「とりとめもなく変化して」「何を言いたいのか分からない」という「つまらなさ」の要素が、まったく逆の「面白さ」に劇的に変異したわけである。

Composersg おかげで今では、私としてはバッハのマタイ受難曲は「面白い」と思う。チャイコフスキーやブルックナーの交響曲もショスタコーヴィチの弦楽四重奏も「面白い」し、ストラヴィンスキーやシュトックハウゼンなどの現代音楽も「面白い」。

 そこに張りめぐらされている様々な「仕掛け」を、作曲家の「ビジョン」と共有できる面白さ。そして、作曲家が思いもかけなかった全然別のイマジネーションを,自分自身で見つける面白さ。「面白さが少ない」という曲はあっても、「面白くない」曲などない、とさえ思うくらいだ。

 とは言え、マイケル・ジャクソンやAKB48の舞台を見て楽しんでいる人に、いきなりマタイやブルックナーを聴かせても・・・まず「面白い」とは言ってもらえない。「どれを聞いてもみんな同じに聞こえる」くらいのことは言われそうだ。それは重々承知している(笑)。

 一方、バッハやブラームスやワーグナーに心酔している人に聞けば、逆にポップスの最新ヒット曲は「どれも同じに聞こえて面白くない」ということになるに違いない。それは理解できる。

 さて、そうなると「面白い」とか「面白くない」と言っている基準は何なのか?と言うことになるのだが、こういう話をすると必ず「人はそれぞれで、感じ方もそれぞれだから」という真っ当すぎることを言って場をしらけさせる人がいる。
 それはそうなのだが、そう言ってしまうと話はお終いで、それこそ「面白くない」。もう少し奥に踏み込んでみよう。

□ことばによるトリガー(引き金)

Trigger 先の古地図の話でも分かるように、面白さの基本は「新しい視点」との出会いだ。それは、文字通りの「新しい目」を持つことであり、そのきっかけは「ことば」であることが多い。

 毎日通学通勤で歩いているただの曲がりくねった道は、確かに景色としては「面白くない」。何も面白がれる情報がないからだ。
 しかし、それが「川の跡なのでは?」と言われた途端に、俄然イメージが広がり、目の前に広大な昔の景色が広がる。これが「新しい目」だ。
 
 私が最初に聴いたシューベルトの交響曲は、ご多分に漏れずロ短調のあの曲。
 もごもごと弱音で聞こえにくい序奏、きれいだがフワッと現れては消えるメロディ。完結せずに融けて消えてゆく音楽。終わったのかも定かでないとらえどころのない印象だった。

 しかし、そこに「未完成」という〈ことば〉が触媒として入ってくると、化学反応が起きる。「未完成」という単語から想起される…とらえどころの無さ、儚さ、無念さ、消えゆくものの残像…さまざまなイメージが浮かんでくる。
 さらに、映画「未完成交響楽」で、「この恋が終わらざる如く、この曲も終わらざるべし…」とか何とか言われると、そのイメージは(虚構と分かっていても)翼を持って羽ばたき始めるわけだ。

Pacific231 例えば、オネゲルに「パシフィック231」という曲がある。機関車がごとんごとんと動き出し、やがて線路上を疾走するという情景を彷彿とさせる見事な構成とオーケストレイションが聞き物の名曲だ。(パシフィック231…というのは日本で言うD51のような機関車の型名)。

 しかし、オネゲルは別に機関車を描いて音楽を書いたわけではなく、当初付けたタイトルも「交響的楽章(シンフォニック・ムーヴメント)第1番」という味も素っ気もないもの。曲が出来てから「機関車っぽい」からとロマンチックな?タイトルを付けただけなのだそうだ。
 
 続く交響的楽章第2番も「ラグビー」と題されてこれも人気曲。確かに、聞いているとプレー開始のホイッスルや群衆のざわめきやゴールの歓声が聞こえるような気がする。
 しかし、それも「気のせい」なのだそうで、続くノンタイトルの第3番は同じ趣向の曲ながらタイトルがないのでイメージの浮かびようがないせいか、聞かれる機会はほとんどない。これも、「ことば」の鮮烈な威力で音楽が翼を持った好例だろう。

 音楽は「音楽」だけとして享受すべし…というのも真理だが、やはり「新世界から」にしろ「悲愴」にしろ「田園」にしろ、その「ことば」のおかげで広がる世界の鮮烈さは格別だ。
 そして、その「ことば」の持つイメージが音楽に憑依して、さらなる化学反応を起こすこともある。タイトル(標題)はなかなか重要なポイントなのである。

 ただし、あまりにも具体的なことばを付けてしまうと、それ以外の想像を封鎖してしまうので難しい。音楽に付ける「ことば」は、取り外せるオプションにしておくか、あるいは(分かったような分からないような…という境界にあるような)曖昧な方がベターだ。

 私も、タイトルがイマジネーションの「引き金(トリガー)」になるということについては、作曲家を志した最初期から考え続け、いろいろ試行錯誤を重ねてきた。
 例えば、デビュー作の「朱鷺によせる哀歌」(これはちょっと具体的すぎたと反省している)から、「デジタルバード組曲」「プレイアデス舞曲集」「天馬効果」「一角獣回路」「鳥たちの時代」そして「オリオンマシン」「メモ・フローラ」「ケフェウスノート」「バードリズミクス」などなど、分かったような分からないような言葉のブレンドであふれている。

 これは、まったく違った世界の二つの単語を組み合わせ、イメージの幅を広げると同時に視点(聴点?)をマルチビジョンにするのが目的。「ペガサス(神話の動物)」と「効果(科学用語)」をくっつける。「オリオン(星座)」と「マシン(機械)」をくっつける。そのミスマッチのブレンドが醸し出す独特の「違和感」を「想像力」の引き金とするわけである。

□うたと言葉

329a もちろん、そんなことをしなくても音楽は純粋に「音楽」だけでも強い力を持つ。それは確かだ。
 しかし、「ことば」を添えたときの破壊力は、格別だ。それが最も発揮されるのは、(改めて言うまでもなく)やはり「うた」だろう。

 昨年、震災の復興支援チャリティコンサートで「ふるさと」(高野辰之:作詞、岡野貞一:作曲)の震災復興版アレンジを試みた。(結局、演奏されることはなかったが)。有名な「うさぎ追いしかの山…」で始まるこの曲は、もちろんその音楽だけでも充分に郷愁や望郷の念を感じさせる。しかし、その時、改めて歌詞の威力に打ちのめされた。

 こころざしを果たして
 いつの日にか帰らん
 山は青きふるさと
 水は清きふるさと

 山が青く、水が清い・・・それは、本当になんでもない故郷の自然の描写だ。当たり前すぎて、今まで聞き過ごしていたほど、当たり前の景色、当たり前の表現・・・
 しかし・・・津波と放射能に覆われた被災者たちの故郷のことを思うと、最後の「水は清きふるさと」は滂沱の涙で楽譜など見えなくなった。「ことば」の威力を思い知った。

 さらに、(これは「歌」ではないけれど)震災のあとTVで流れた金子みすゞの詩。

 遊ぼうって言うと
 遊ぼうって言う。
  ごめんねって言うと
  ごめんねって言う。

 こだまでしょうか
 いいえ、だれでも。

 平和で普通の時なら、こどもの他愛のない日常を描く呟きで、そこに特別な深い思いは聞こえない。申し訳ないが、震災前まではさほど印象を残す詩ではなかった。
 でも、相手を「こだま」と表現した途端、亡くなった魂たちのイメージが奔流のように襲ってくる。最後に「だれでも・・・」と途切れた(ように聞こえる)ことばも、その異世界感をあおる。

 もうひとつ、大河ドラマで書いた今様・・・

 遊びをせんとや生まれけむ
 戯れせんとや生まれけん
 遊ぶこどもの声聞けば
 我が身さえこそゆるがるれ

 これも、普通に聞けば「こどもは無邪気に遊んでいるだけでいいなあ」というぼんやりとした呟きだ。おそらく、のんびりした古代歌謡のトーンで歌われる限り、現代の私たちには平和とこどもの無邪気さしか聞こえてこない。
 しかし、いくぶん哀感を加えたトーンにすると、かなり印象が違って来る。そして、最後の「我が身さえこそ」で、俄然、こどもではない「だれか」の人生や世界観へのイメージが「?」となってぐるぐると渦巻き始める。
 音楽だけでも言葉だけでも見えなかった世界が、不思議な化学反応の向こうに見えてくる。

□面白がれる人生

Muspec 音楽は「音」でしかなく、ことばもまた「音(あるいは文字)」でしかない。
 でも、その向こうに「何か」を聞くのが人であり、その「何か」を聞き取れるようになるのが「人」になるということなのだろう。

 それには「目の前が白く開ける」ような引き金(トリガー)となる「ことば」や「知識」をなるべく豊富に、そして自由に持つことに尽きる。
 若者たちよ、そのために「勉強」しなさい…と教訓じみた結論を言うつもりはないが、「面白がれる」のと「面白がれない」のとでは、決定的に人生の面白さが違うのは確かだ。

 世の中には「面白いこと」と「面白くないこと」があるのではない。
 面白がれる目や耳を持って「いる」か「いない」か、だけなのだ。

 だから、表現者たちが心がけるのは、「面白がらせる」ことではない。「面白がれる」視点を与えること、それに尽きる。「楽しませる」のは大事だけれど、単なるプリミティヴ(原始的)でストレートな「面白さ」だけでは、世界は広がらない。

 いろいろな「ことば」、いろいろな「見方」「聴き方」を提示することで、面白がる「目(耳)」を開いてもらう。そして、その開いた目(耳)でもって、より深く広い世界で共に遊ぶ。

 そうすれば、面白さの「深さ」想像力の「広さ」はどんどん広がってゆく。そして、一生かかっても汲み尽くせない水脈になる。

 それが、映画であり舞台であり小説であり…、そして音楽の役割だ。

        *

Flyer_2□アフタヌーン・コンサート・シリーズ 2012-2013
 会場:東京オペラシティコンサートホール
 時間:13:30 **

□米良美一「愛の歌」
米良美一、ピアノ:長町順史
2012年4月17日(火)

□金子みすゞ 詩の世界
チェロ:長谷川陽子、ピアノ:仲道祐子、朗読:中井美穂
2012年5月15日(火)

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