新春座談会「今だから話せる平清盛」
A:1年間にわたって放送されたNHK大河ドラマ「平清盛」が無事終了しました。音楽制作の裏話については、「音楽制作メモ 」「音楽全仕事」で紹介してきましたが、終わった今だから話せる…というお話もあるかと思いますので、新春架空座談会(?)と題して気楽にお話しいただきたいと思います。
吉松:お手柔らかに(笑)。
A:大河ドラマ50周年記念と言うことで鳴り物入りで始まりましたが、視聴率が低いということばかり報道されるという残念な側面もありました。
吉松:いきなりそれですか(笑)
K:平均視聴率は12%ほどとふるわなかったんですけど、一方でTwitterなどでは凄い盛り上がりようで、トレンド・ランキング1位になるなどコアなファンは多かったようですね。
吉松:低いと言っても12%ということは毎週一千万人以上見ていた計算ですからね。クラシック系ビンボー作曲家からすれば、もう天文学的数字ですよ(笑)
K:一万人の第九を毎週千回以上やっているみたいなもんですからね。
吉松:どーいう計算ですか?(笑)
A:清盛というキャラクターが日本史では「悪役」なので、いまいち食いつきが悪かったということはありますよね。
吉松:でも、今回、音楽を担当してみて改めて思ったんですけど、清盛って、信長と秀吉を足したみたいな人なんですよね。どんどん出世してゆくし、伝統を破壊する時代の改革者だし。発想が独創的すぎてまわりがついて行くのに必死という点も、晩年暴走して評判落とすのも、残念な死に方するのも似てるし。どうして一方が「英雄」で一方が「悪役」なんだろう?不思議ですよね?
K:信長も、昔は「悪役」というか「暴君」のイメージの方が強くて、それほど人気は無かったそうですから、時代もあるんでしょうね。
吉松:次の世代にネガティヴ・キャンペーンを張られたかどうかが左右するんですかね。
A:ドラマについては、物語が複雑で「分かりにくい」という声もありましたが。
吉松:それも不思議ですよね。基本は清盛の出世物語で、根底にあるのは源平のバトルですから、考えてみればシンプルきわまりない話なんですけど。
A:確かに、源氏と平家のライバル・バトルというだけなら分かりやすいんですが、それに朝廷とか摂関家とか貴族とか海賊とかが絡みますし。
K:それにご落胤とか母親が違う子とか親子関係も複雑ですし。しかも女性関係だけでなく「男色関係」も絡みますから(笑)
吉松:そこに食い付きますか(笑)
A:ドラマの前半では、そういう世界も結構描いてましたよね。特に、藤原頼長(山本耕二)と家盛(大東駿介)あたりは、かなり濃厚に(笑)。
吉松:男色…いわゆる同性愛って、キリスト教的にはインモラル(不道徳)ですけど、日本では平安から江戸時代まで「衆道(しゅどう)」とか「若道(じゃくどう)」とかいう立派な文化ですからね。
K:平治の乱を起こした信頼(塚地武雅)も後白河帝(松田翔太)との男色関係から出世して寵臣となったと言われてますし、織田信長のような戦国武将も美形の若い小姓を侍らせてましたし。でも、その一方でちゃんと子供は沢山作ってますから両刀使い、つまりバイセクシャル(両性愛)ということですよね。
吉松:仏教では出家したらむしろ女性はNGで、「女犯(にょぼん)」といって破門になるわけでしょ。だから、男同士でコトを成す方が戒律に沿っていたし、子供が出来るわけじゃないから「清い関係」だったわけですよ(笑)
A:それが、悪いことみたいになったのは明治以降ですか。
吉松:キリスト教付きで西洋文化が入ってきて「あれはやっちゃいけない」というモラルが日本人の間に浸透し、封印することになったということでしょうね。でも、考えてみれば、身分の低い女性が、王様に気に入られて高い位に上がるのは童話でも普通の話でしょ。それが同じように男性でもあり得るんだから、男女同権じゃないですか(笑)
K:でも、さすがにテレビでそれを正面からは描けないですよ。男女関係だって気まずいのに、男男関係となると(笑)。なにしろ日曜日の夜に一家で見る番組なんですから。
A:確かに「ねえ、お父さんあれ、何やってるの?」って子供に聞かれたら、答えにくいですよ。視聴率が悪かったのは、そのあたりの事情もあったかも知れない(笑)
K:そう言えば、後白河帝(松田翔太)については、女性視聴者を意識してか、滋子(成海璃子)への一途な愛妻家として描いていましたよね。
A:でも、最近の女性はBL(ボーイズ・ラブ)なんかで男性同士の恋愛は許容してますから、意外とそっちの方がウケていた点もなくはないですよね。
K:いやあ、「ただし美形に限る」ですから(笑)。頼長と家盛のベッドシーンはアリとしても、後白河院と信頼はないでしょう(笑)
吉松:あのー、ず~っとそっちの話で行くんですか?
A:あ、いやいや(笑)。音楽の話しましょう。
■清盛と音楽
A:今回の大河ドラマは、音楽としても…えー「テーマ曲」のほか「あそびをせんとや」とか「タルカス」とか「アヴェマリア」とか、さらに舘野泉さんの起用とか、随分と話題になることが多かったですよね。音楽がこんなに話題になった大河というのは前代未聞だったんじゃないですか?
K:今様を最初「初音ミク」に歌わせていたとかでマニアの間では話題沸騰でしたし。
吉松:うーん、逆に言えば、そのどれかひとつでも充分だったのに、何か無駄にネタをたくさん投入した「もったいない」感はありますね。
A:ミク以外はNHKからのリクエストだったそうですが、そもそも既存の曲を大河ドラマで使うというのは初めての試みですよね?
吉松:強力な曲が欲しいというのは制作する側からすれば当然なんでしょうけど、例えば坂本龍一さんを音楽に起用して、「戦場のメリークリスマス」とか「テクノポリス」を大河ドラマで使うみたいなものでしょう。「いいの?そんなことして?」と初めは思いましたね(笑)
K:でも、結果的に「タルカス」の起用は大いに話題になりましたし、平安時代にプログレって不思議に合ってましたよね。「アヴェマリア」もドラマの中では凄い存在感でした。
吉松:うーん、ただ、合ってたのかどうかは、未だに分かりません。音楽も音響も、使い方が「先鋭的」というか「攻め」の姿勢でしたよね。なので「全然合ってない!」という人と「凄い合ってる!」という人が半々で賛否両論があってしかるべきかと思います。私自身、最初の数回は「ここにこの曲でいいんだろうか?」とか「この方向の音楽でよかったんだろうか?」と悩むことも多かったんですが、「アヴェマリア」が鳴った途端、なんか「もう、いいや」と吹っ切れた感じになって(笑)
A:オリジナル曲も最終的には130曲近く書かれたそうですね。年末に出たサウンドトラック盤の全集がCD5枚組でしたっけ?
吉松:全部かけると6時間以上あるんですよ。ベートーヴェンの交響曲全集と同じボリュームです。どう考えても異常です(笑)
K:しかも、劇伴風の「流す」曲がほとんど無くて、全部が全部ものすごく「濃い」ですよね(笑)。しかも、全曲ほぼフルオケだし。
吉松:それは逆に反省点でもありますね。ドラマは俳優なり物語なりがメインなんですから、音楽は後ろでさりげなく鳴っていればいいのに、書き過ぎちゃってますよね。
A:よく言えば、主張があるというか。
K:悪く言えば、目立ち過ぎというか(笑)
吉松:いや、そば屋の出前をするのにベンツ使うみたいなもんだと言われました(爆笑)
A:ああ、それはありますね(笑)
吉松:納得しないで下さい(笑)。ただ、私が今まで書いてきた「交響曲」という世界は、30分なり1時間なり「音楽だけで」持たせなきゃならない世界でしょう。だから、どうしても「音楽だけで成立する音楽」を書いてしまうんですよね。
K:プロはもっと力を加減する必要があるんですね。出前の時は「原付き」でいいとか(笑)
吉松:蕎麦の出前を頼むたびに家の前に毎回ベンツが横付けされたら、たまんないですよね(笑)
A:仕事としては、ほぼ1年間かかりっきりですか。
吉松:準備期間を含めると丸2年ですね。
A:ということは、2年分の収入をこれ一本でなんとかしなくちゃならないわけですよね。大丈夫でしたか?(笑)
吉松:実は、音楽の総予算からオーケストラなどの経費を引いた残りが「作曲料」になるんですが、後先考えずにフルオケで書きまくったもので、作曲料として最後に残った金額を聞いたときは顔面蒼白になりました(笑)。
K:あらら(笑)
吉松:ただ、1年間50回にわたって全国放送される総合テレビの番組の音楽ですから、「放送使用料」というのがJASRAC経由で入って来るんです。それに、テーマ曲の楽譜とかサウンドトラック盤のCDの印税もありますから、そういうのも含めて総合した収入を「作曲料」と捉えれば、まあ、なんとか(笑)。
K:それはよかったですね。清盛御殿が建てられそうですか(笑)
吉松:御殿を建てるには二桁ほど足りませんが、実家の狭い風呂場を何とかリフォームして「清盛風呂」と名付けようと思っています。お湯の下にも都はあるかと(笑)
■清盛像
A:ところで、制作中、俳優さんたちと会う機会はあったんですか?
吉松:クランクインする直前(2011年8月)に「顔合わせ会」というのがあって、主立った俳優さんたちと顔合わせはしました。ただ、個々にお話する余裕はありませんでした。お隣の席は伊東四朗さんで、その隣は松田聖子さんだったんですが(笑)。その時、主役の松山ケンイチさんとは握手して「がんばりましょう」とか二言三言。それから最後の打ち上げのパーティの時には「〈5月の夢の歌〉が好きなんですよ」と告白され(笑)ちょっと話をしました。
A:松山ケンイチさんの印象は?
吉松:普通の格好している時は本当に普通の若いヒトなんですけど。彼は、役に憑依するでしょう。印象的だったのは「デスノート」のエル役なんですが、清盛とぜんぜん違うし(笑)。ただ、根はかなりナイーヴな人なんじゃないかな。前半、髙平太の頃の豪放な清盛は、何というか一所懸命「不良のふり」をしている優等生みたいな感じがして、少し痛々しかった。でも、武士に目覚めてからの清盛は一皮むけた感じで、後半、清盛入道になってからの鬼気迫る演技はもう凄かったですね。
K:私も、最初若いやんちゃな髙平太を演じている時は、これがどうやってあの清盛入道になるんだ?と想像できなかったんですが…
吉松:それが、晩年には伊東四朗さん(実父の白河法皇)そっくりになるんですから、これはもう凄いと感心するしかないですよね。
A:ドラマの中の清盛像としてはどうでしたか?
吉松:本来、台本に描かれていた清盛は、もっとホモ・ルーデンス的な「遊ぶ人間」だった気がするんですよ。面白けりゃ命を賭けてもいい…というタイプというか。 実際、賭け事好きだし、女も抱くし、宋銭で稼ぐし、天下も取る…んですから(笑)。でも、ドラマでの清盛は「面白う生きる」と口では言うんですけど、目がまじめでナイーヴで、遊べてない気が…(笑)。
吉松:最初に話を聞いて台本を読んだ時、ああ、これは「信長」で「黒澤映画」なんだと思ったんですよね。だからこそ前半では「羅生門」みたいな汚れた平安京を目指したわけですし。そこでの若い頃の清盛は、出生の裏事情も含めてかなり複雑で清濁あわせ持った知的でしたたかな人物だったと思うんですよ。だって、人の目には「たわけの髙平太」にしか見えない姿を演じながら、心の底で「武士の世(天下布武)」を狙ってるわけでしょ?
A:そう言われてみれば、信長の若い頃にかぶりますよね(笑)
吉松:十代で従五位とかの位をもらって御殿に出入りしているいいとこ坊ちゃんなのに、神や権威を信じてなくて神輿(しんよ)に矢を射るとか、単なるやんちゃじゃなくて相当な確信犯ですよね。 まあ、保元の乱以前のエピソードはその件も含めて史実に全く残ってないので、虚実ない交ぜで空想するしかないんですけど。
K:いい子なんだか悪い子なんだかわかりませんね(笑)
吉松:でも、「こいつになら付いていってもいいかな」と思わせる魅力があるからこそ、生まれが怪しいのに平家の家人たちが付いてきたし、信西や西行や義朝や後白河や海賊兎丸なんかが吸い寄せられてきたわけでしょう。それを、「ちょっと頭の悪そうなやんちゃな若者」という役付けにして、しかも松山ケンイチさんにそれをやらせてしまった。このドラマで唯一マイナス点を付けるとしたらそこかな。
A:イメージとしては若い頃の三船敏郎とか中村錦之介みたいな感じですかね。
吉松:そもそも「不良のふりをしている優等生」という役付けは、松山ケンイチさんぴったりじゃないですか。だから「元気だけどちょっと頭の悪い子」ではなく、「実はかなり頭が良くて何を考えているか分からない子」として描くべきだったんじゃないかと私なんかは思うんですけどね。
K:ドラマでは、むしろ弓が下手だったり歌が下手だったり「ちょっと出来の悪い子」という描写が多かったですよね。明子(最初の妻)と会ったときは吃驚して腰を抜かしたし、時子(次の妻)と初めて会うシーンではトイレ探してたし(笑)
A:悪い人ではない、憎めない青年…というキャラ設定だったんでしょうね。それが色々な事件を体験して覚醒してゆく・・・という。
吉松:もう一つ、気になったのが声の質ですね。武士と公家では発声法が根本的に違うはずですよね。宮廷でヒソヒソ上品に喋る人達と、戦場の物凄い騒音の中で「命令」を家来たちに伝えなきゃならない人達なんですから。アゴやノド自体が公家系は細くて華奢で、武士系はがっしりしていて太い。当然、前者は叫んだ時にヒステリックな「うるさい声」になり、後者は威圧感のある「迫力ある声」になる。
K:前に「新平家物語」で清盛をやった仲代達矢なんかドスの効いたいい声でしたよね。
吉松:ところが、今回の清盛も頼朝も、公家系の顔つきで声でしたよね。清盛は上皇の落とし胤という設定ですから、公家系の声でいい。実際、松山ケンイチさんもアゴは細い公家系だし。ただし、だとすれば、前半で清盛をあんなに叫ばしちゃいけなかったと思うんですよ。落とし胤で悪ぶっている頭のいい子なんですから「オレは誰なんだ~」とか海賊船の舳先で「うお~!」とか「オレは海賊王になるぅ!」なんて大声で叫んじゃいけない(笑)。物語としては確かにその方が面白いけど(笑)
A:前半の違和感はそこか。ずいぶん叫んでましたよね(笑)
吉松: テレビではマイクで声を拾うわけですけど、俳優でも舞台で鍛えた人は声の通りと滑舌が違いますよね。でも、今回は特にアゴの細い公家系の俳優さんが多くセレクトされていて、大声が似合わなかった印象はあるかな。逆にその声で「誰でもよ~い」と叫ぶからこそ信西が面白いんですけど(笑)。それでも、忠盛の中井貴一さんや義朝の玉木宏さんはいい声でしたよね。「武士系」の発声が出来る。これは訓練で何とかなるものなのか、元からの資質なのか、分かりませんけど。
■朝廷と宋
A:清盛コンサートでは、ゲストでその義朝さんとはご一緒されましたよね。
吉松:2月の高崎での大河ドラマコンサートの時は、ゲストが玉木宏さん(源義朝)で。「のだめ」の千秋先輩のイメージが強かったので、源氏の棟梁の役なのにウィーンで指揮した時の話なんか聞いて盛り上がってしまいました(笑)。それから9月の呉でのコンサートの時には豊原功補さん(平忠正)。ご自身もロックを歌ったりしているので、「タルカス」話で盛り上がりました。彼もいい声なんですよね(笑)。いくぶんかすれ声ながら愁いを帯びた大人の響きがある。お二人とも話が出来たのは舞台上だけだったので、短い時間だったのが残念でしたが。
A:ほかにドラマの中でお気に入りの俳優さんはいましたか?
吉松:沢山いすぎて困りますけど、個人的には、白河法皇の伊東四朗さん(笑)。彼が「ここはワシの世じゃ」とか「清盛ッ!」と叫ぶと空気がびりっとなるでしょ。アゴががっしりしているし(笑)。風貌からして、これはもうまさしく清盛の父なんですよね。年取るとこうなるんだぞと言う(笑)。それから、鳥羽上皇の三上博史さんも強烈な印象でしたね。璋子(檀れい)とのからみとか、「情念」の放射がただごとじゃなかった。
K:その白河院に始まる朝廷の人間関係というのも複雑というか、摩訶不思議な「もののけ」の世界でしたよね。
吉松:いや、あれは正直ドキドキしながら見ていたんですが、今の天皇家とダブるところがあるでしょう。それに気付いていいのか知らぬふりをすべきなのか、どこまで史実としてどこからファンタジーにするのか、さじ加減が難しかったんじゃないかなあ。
A:ドラマ前半では「王家」という呼び方を巡っても論争がありましたね。
吉松:大戦までの昭和天皇というのはまさに白河院(伊東四朗)のように権力も軍事も掌握する大きな力があったけれど、戦後は人間天皇になったでしょう。これは鳥羽院(三上博史)の世界ですよね。水仙を愛するし女性を愛するし。今の天皇の状況じゃないですか。それが、その世継ぎの時代になって、長男の崇徳(井浦新)と四男の後白河(松田翔太)の二つの勢力が争って保元の乱になる。今で言うと、長男の皇太子(徳仁親王)と次男の秋篠宮(文仁親王)が世継ぎを巡って騒乱となるみたいなものでしょう?(笑)
A:いや、まあ、さすがに現代では戦乱にはなりませんけど、皇室を巡って論戦にはなっていましたよね。皇室典範の改正とか女系天皇という話も出てきたり。
吉松:清盛の時代はそこに「武士」が出てきたことで武力で決着をつかせることになり、その結果、長男でない後白河のほうが勝ってしまう。そして、長男の皇太子殿下がなんと島流しになる・・・。
吉松:鳥羽院(三上博史)の第一皇子で、即位して一時は天皇になるんですが弟に位を譲ることになり、政治的に疎まれたことがきっかけで保元の乱に発展する。しかし、敗れて罪人扱いされ讃岐へ遠島となる。そして、以後数百年にわたって「怨霊」として日本史に名を残すわけです。
A:安徳天皇は、その皇太子:崇徳の系統ではなく、その弟:後白河の方の孫になるわけですよね。
K:ということは、現代の皇室で言うと、次男秋篠宮さまのお子さんの悠仁親王みたいな位置関係ですか。
吉松:子と孫の違いはありますけど、似てますよね。どちらも男系の血筋をつなぐ希望の星。それが壇ノ浦で平家と一緒に海の底に沈んで亡くなってしまうわけでしょう。考えてみれば、「平家物語」というのは「平家」の物語であるとともに「天皇家」の物語でもあるわけですよ。
K:うーん。確かに、あんまり分かりやすく説明しちゃマズイかも知れない話ですね。
吉松:ちなみに「崇徳」や「安徳」の「徳」の字は、不遇の生涯を送られた天皇へ送られる字なんだそうですが、これもちょっと深く説明すると怖い話になるのでやめときますね(笑)
A :「平家」は現代で言うと何にあたるんですかね?
吉松:何だろう?戦後民主主義ですかね。「王家」を解体して「武士の世」にする、というのは「天皇制」を解体して「民主主義」の世の中にした、戦後の動きとどこか重なるし。いや、まあ「見立て」の話ですから、もちろん何もかもが符合するわけではないですけど。で、これからどうするのか?時代は日本は?そして天皇家はどうなっていくのか?ということですよね。「平家物語」は現代と無縁な話ではないんですよ。
A:1000年近く昔の話なので、どう描いてもすべて著作権フリーと思ったら、意外なところに落とし穴があったというか(笑)。
吉松:いや、ホントですよ。清盛が福原に都を作ってまでこだわった宋との貿易の話だって、現代の日中関係と絡むでしょう。当時は「北宋」の王朝(960~1127)の時代で、宋銭とか磁器なんかが輸入されていたほか、信西が憧れていた「科挙」の制度(試験を受けて官僚に登用される制度)がある先進国だった。行く先としては今の上海あたりの港だったらしいんですけど、どういう交流があったのか、そもそもどういう航路で行き来していたのか?尖閣諸島なんかの近くを通ったんだろうか?などなどいろいろ知りたかったんですけど、描きにくかったんじゃないかなあ。
K:ドラマ前半では信西がぺらぺら中国語しゃべって国際感を出してましたけど、後半はさっぱり宋との貿易の描写は前面に出てこなくなりましたものね。
A:ちょうど清盛の企画が立ち上がった2010年秋頃に「尖閣問題」で日中関係がこじれ始めましたから、どう描いてもかなりデリケートな話にならざるを得ないし。
吉松:いや、それが影響したとは思いたくないですが。ただ、もともと平家は「海軍」で海外(国際)志向、源氏は「陸軍」で国内指向という対比なんですよね。で、当時の「海外(国際)」と言ったら中国(宋)と韓国(高麗)じゃないですか。となると、その両者との関係や、大陸と日本とのヴィジョンをきっちり描けなかったら、清盛の「壮大な夢」というのが全然見えてこないわけですよね。
■俳優たち
A:一方、第三の勢力と言うべき(笑)公家の藤原摂関家というのも、不思議な人物の宝庫でした。
吉松:藤原摂関家って大化の改新(646)の藤原鎌足から続く名門貴族なんですね。いや、今回改めて「そうだったのか」と知ったこと多くて(笑)。人物としては悪左府:藤原頼長(山本耕史)という人に興味を惹かれましたね。クールで凄い切れ者で、博識なのにどこか不器用で、少年っぽいし特殊な趣味だし(笑)
K:オウムに言葉しゃべらせるし、家盛(清盛の弟)を犯しちゃうし(笑)
A:ただ、白塗りの顔にお歯黒というのは、現代の感覚では「高貴」というより「コミカル」に見えてしまうのが、どうにも困りますよね。
吉松:そうですよね。時代考証でリアルに描こうとすればするほど、現代の目からは「違和感」というよりグロテスクに感じてしまう。特に、女性のお歯黒は完全にNGですね。全員白塗りでお歯黒の宮廷のシーンというのも、見てみたかった気はしますけど(笑)
吉松:深田恭子さん(時子)がきれいでしたね~。最初に源氏物語オタクの少女として出てきたときは「これが二位尼になるの?」と想像できなかったんですけど、最後の「海の底にも都はございましょう」のシーンは壮絶な美しさでした。そもそも凄い美形の女優さんなんですね。それから、初回に清盛の実母で出てきた吹石一恵さん(舞子)もきれいでした。あのきれいさがなければ、忠盛が命賭けて「妻にする」と言い放つシーンが生きないわけですし、白河院に刃向かって矢に刺されて倒れて、つーっと涙を流すところなんか屈指の名シーンでしたね。
K:でも、初回のあの矢で殺されるシーンが怖くて、その後「清盛」を見られなくなった人もいるそうですから、難しいですよね。
A:前半の女優陣では、待賢門院:璋子(檀れい)と美福門院:得子(松雪泰子)の、鳥羽院を巡る女性のどろどろ合戦が凄かったですが(笑)
吉松:恨みを秘めた女性(得子)の怖さ…より、カワイイ顔して天使のように無自覚…という女性(璋子)の恐ろしさ・・・ あれは怖すぎました(笑)。
A:忠盛の妻:宗子(和久井映見)、義朝の妻:由良御前(田中麗奈)、清盛の前妻:明子(加藤あい)という三者三様の良妻賢母も、上手い対比だなと思いました。この時代、女性があまりしゃしゃり出てもヘンだし、かといって完全に引っ込んでいてもヘンだし、上手いさじ加減だったかなと。
吉松:その点では、頼朝の前にふっと現れるミューズの女神のような北条政子の杏さんの明るさと可愛さには惹かれましたね。何か大河ドラマの王道の女性主人公っぽくて、このまま大河ドラマ「北条政子」になるのもアリかなと(笑)。でも、あれもやがて怖い女のヒトになるんだなあと思うと複雑な気分ですが・・・(笑)
A:その他の端役の中からベスト助演賞を選ぶとしたら?
吉松:オウムですね~(笑)。頼長の飼ってたオウム。「ナイミツ(内密)ニナ」というのは清盛マニアの間では合い言葉になるほどの名台詞でしたし、死ぬときの「チチウエ」という呟きは・・・もう、号泣しましたよ(笑)
■平安の人物たち
A:配役としては、想像していたのとイメージがぴったりとか、逆にぜんぜん違うとか、そういうのはありましたか?
吉松:それが・・・平安時代の貴族というと、ほら、絵巻物に描かれている下ぶくれの平安顔をずーっと想像していたわけなんですが(笑)、今回は、かなり今風の細顔のイケメンを揃えてますから、全然世界が違うと言えば違うんですが。
K:同じことをやっても、いと爽やかになりまする(笑)
吉松:信西などは、前の「新平家物語」では政治を裏で牛耳る本当に憎らしい爺さんという役柄で、悪人顔でしか想像できなかった。でも、阿部サダヲさんは飄々として「誰でもよ~い」なんて言って穴から出てくるし、中国語ぺらぺらの理想に燃える青年政治家だし。随分イメージ変わりました。視点によってこうも見え方が変わるか、と目から鱗でしたね。
A:西行に藤木直人というのも意外なキャスティングでしたよね。いいのか、こんなに爽やかで…という気はしましたけど(笑)。
吉松:でも、あそこまで美形でないと待賢門院(檀れい)との恋愛沙汰で出家というのが生きてこないし、基本は女好きだし女に好かれる体質という設定なんですよね。「願わくば花の下にて春死なん」の「花」って女性のことだという説もあるくらいで(笑)
K:「出来ることなら女に抱かれて春に死にたい」。いいですね~。私もそう願いたいですよ(笑)
吉松:ただ、あの爽やかな顔で「崇徳院の怨霊を見た」と言ったり、清盛の霊が憑依して遺言を語るというのは、ちょっと爽やかすぎるかな(笑)。いや、イリュージョニストと思えばいいのか(笑)
A:後白河法皇(松田翔太)も、今様好きの大天狗にしては、ずいぶん爽やかな天狗でしたよね(笑)。
吉松:彼の方が清盛にも増して「遊ぶ人間」的ですよね。歌うの好きだし、賭け事好きだし、双六好きだし。政治や人生そのものをゲームだと思っていて、いらんこと言うし、やらんでいいことやるし、やることすべて思いつき。なのに、最後までしぶとく生き残る(笑)。そんな役柄を怪しくエキセントリックな少年っぽい魂として描いたのは強烈な印象でした。ただ、晩年はもっと「意地悪じいさん」になって欲しかったかな(笑)。この人が主役でも大河ドラマ一本できそうですよね。
A:私は、重盛(窪田正孝)がかなりイメージ変わりました。 もっと雄雄とした強くて人望のある人物だと何となく想像してたんですけど。
吉松:かなり神経質で、清盛と法皇の間に挟まれて悩み抜くキャラクターとして描かれてましたからね。でも、「忠ならんと欲すれば孝ならず」と泣いて諫めるシーンは後半屈指の名シーンでしたねー。
A:あんな昔の修身の教科書みたいな台詞でここまで泣けるとは。
吉松:でも、ああいうジレンマというのは現代にも通じますよ。原発止めるか動かすかとか、部長につくか課長につくかとか(笑)。若者はいつでも巨大なものの板挟みになって悩んでいるわけだから。
K:私は、為朝(橋本さとし)ですね。いや、殺人マシンというか、鎧兜着たターミネーターみたいだったじゃないですか(笑)。あそこまで造形も作り上げたんなら、もっと、出てきて欲しかったなあ。
吉松:為朝は「身の丈七尺」っていいますから2メートル以上の長身で、弓の名手なんですよね。あの為義お父さん(小日向文世)の子とはとても思えない(笑)。これはもう、生い立ちから見たくなりますよね。最後に、日本初の切腹をして死ぬまでの一代記。1年50回じゃぜんぜん足りなくなるけど(笑)。
吉松:あんなに線が細くていじいじしている頼朝というのは、実は想像もしませんでした(笑)。でも、考えてみれば、その弱々しさがあったからこそ池禅尼(和久井映見)の助命で清盛も「こいつなら大丈夫だろう」と殺さなかったのだろうし、その繊細さゆえに伊豆で生き残ることが出来、それゆえポッと出の義経(神木隆之介)への不信も鬱積したと思えば、なるほどのキャラクターですよね。当然ながら「遊ぶ人間」の要素はゼロで「ぜんぜん面白くない子」なんです。だからこそ「武士の世」を作れるんですが(笑)
A:頼朝がナレーションを務めたことについては?
吉松:頼朝が平家と源氏のいきさつすべてを天の上から「超客観的な視点」で語るというのは、アイデアとしては面白いと思いました。「清盛なくして武士の世はなかった」という言葉を、1年かけて回収する壮大な「アイデア」ですよね。ただ、頼朝役の彼(岡田将生)は見事に公家系で声が細いし、声だけの出演なら若いイケメン俳優である必要が無いじゃないですか(笑)。 あるいは、声だけアナウンサーか別の俳優にやらせるのもアリだったかも知れないですね。
K:でも、後半、自分でナレーションを務めながら、最後は「私もその9年後には死にました」と語る超客観的な解説ぶりは凄かったですね。
吉松:いやあ、前半から結構ツッコミぶり最高でしたよ。自分の父親の求婚シーンに「ろくでもないプロポーズだった」とコメントしたり(笑)。
A:思い起こせば、魅力的なキャラクターっていっぱいいますね。
吉松:叔父の忠正(豊原功補)というのも素晴らしかったですよね。清盛を受け入れられなくて保元の乱で敵方について斬首される。状況が読めないただの「憎まれ役」で「斬られ役」なのかと思っていたら、兄(忠正)を思い平家を思う濃厚な役柄なんですよね。清盛に向かって「(お前との間に)絆などはなッから無いわ!」と叫ぶのが、一番深い「絆」の表現だったという。あのシーンは、もう泣きましたよ。
A:意外だったのは「平家にあらずんば人にあらず」という言葉を残す時忠(森田剛)ですね。もっと成り上がりっぽい軽薄な男かと思ってましたが。
吉松:彼は世を斜に見る「したたか」なキャラクターなんですが、軽薄そうに見えて決して笑わない、むしろ苦みと悲しみを抱えているキャラとして造形されているのが凄かったですね。だから、悲しげな顔で「平家にあらずんば人にあらずじゃ」とぽつりと漏らす一言が、まったく違った意味の宇宙をばーっと広げる結果になった。あれは今回のドラマでも屈指のシーンだった。
A:格好いいという点では、ダントツで父忠盛の中井貴一さんですか。
吉松:実際の忠盛は「伊勢の平氏はスガメなり」とからかわれた話が平家物語にあるように、やぶにらみ(斜視)だったらしいんですよね。なので、私の中ではマッチョなテリー伊藤さんというイメージだったんですが(笑)。でも、今回のドラマではひたすら格好いい理想的な父親でしたね。「武士の世を作る」という彼の理想が、息子の清盛、そして最後は頼朝に遺伝して行くんですから、今回の物語の思想の「源泉」ですよね。いやあ「カッコいいなあ」とほれぼれしっぱなしでしたよ。声もいいし(笑)
K:また、そういうシーンでカッコよく「決意」とか「勇み歌」とかの音楽が鳴るから(笑)
■清盛の世界
A:ドラマ自体の出来はどう思われましたか? 藤本有紀さんの脚本は?
吉松:よく考え抜かれているな、と毎回感心しきりでした。凄いですよ、この脚本。平家物語の記述や史実を組み込みながら、全く違った視点からオリジナルを構築していくやり方は「お見事!」としか言いようがない。
A:印象的な台詞も多かったですよね。
吉松:そうですね。信西の「誰でもよ~い」はギャグとしても(笑)。清盛が時子に求婚するときの「もう、そなたでよい」とか(笑)。伊豆に流された頼朝が呟く「昨日が今日でも、今日が明日でも…」とか。若いときの西行と義朝と清盛がそれぞれ自分の志を語る「美しく生きたい」「強く生きたい」「面白う生きたい」の対比とか。それのネガ反転みたいな信頼の「面白うないのう」とか。待賢門院璋子(檀れい)が死ぬときに呟く「ああ、我が君」とか。伊藤忠清(藤本隆宏)が老いた清盛に言い放つ「平家はもはや武門ではない。殿(清盛)自身ももはや武士ではない」とか。ちょっと思いつくだけでもたくさんありますよ。
K:私は、権力の頂点に立った清盛が、「助けてくれ、ここから見えるのは闇だけじゃ」と唸るシーンに鳥肌が立ちました。ああ、これは「リア王」だな、と。
吉松:あちこちにシェークスピア的なシーンもちりばめてあって、そのあたりも黒澤映画に近いですよね。「乱」はリア王だし、「蜘蛛の巣城」はマクベスだし。
A:演出も、海賊船をわざわざ作っての海戦シーンとか、鳥羽院へのエア矢とか、真っ赤な服に真っ白な顔の「禿(かむろ)」とか、障子に開いた穴から清盛が闇をのぞくシーンとか、印象的なものが多かったですよね。
K:コーンスターチまみれの埃っぽい平安京とか(笑)、ホラー映画みたいな崇徳上皇の死のシーンとか、清盛が死ぬときの巨木が倒れるような音とか。
吉松:本当に色々なことやってくれてましたよね。脚本で、演出で、音楽で、毎回1回ずつ必ず「なんじゃこれは!」というサプライズがある(笑)。その上、背景の動物たちとか、聞こえてくる季節の音とか、光と影の描写とか、さりげない小道具に至るまで、本当に色々なスタッフがベストを尽くしている。おまけに俳優さんたちも毎回、渾身の演技で涙を取ってくるし。
A:今回のドラマは「平清盛」というタイトルながら壮大な「群像劇」でしたが、演出や俳優やスタッフたちの熱意が織りなす群像劇でもあったわけですね。
吉松:上手いこと言いますね(笑)。今までの大河ドラマは、主人公が一人で歴史を動かしてるみたいな定点観測でのストーリーテリングが多かった気がするんですが、今回はぜんぜん主人公と関係の無いところで群像劇がどんどん展開してゆくという、前代未聞の作り方で。しかも、その一人一人のキャラクターの心理描写が丁寧ですし、その人生が有機的にからんでゆくその伏線の張り具合と演出の仕方が実に濃厚でしたよね。
A:逆に言えば、その「群像」でたくさんの人物を細かく描いたところ、伏線をからませすぎたところが、一部の視聴者から「よく分からない」と思われた点なんでしょうか。
吉松:うーん。それはあるかも知れないですね。私も最初に台本をもらった時は、平家の「正盛・忠盛・忠正・家盛・経盛・賴盛」とか藤原家の「忠実・忠通・頼長・基房・兼実」とか、文字だけでは全く「顔」が思い浮かばなくて、読んでいて全くわけが分からなかったでしたから(笑)
A:個性的な俳優さんたちが演じてようやく分かる次元ですよね。
吉松:いや、それが・・・実を言うと私も、もう清盛の子供たちの世代の若い俳優さんたちの顔は区別できなかったです(笑)。知ってる顔でも、平安風に衣装を着るとぜんぜん違うヒトになるし。例えば、松山ケンイチさんとか武井咲さん杏さんなんかは時々CMに出ているじゃないですか。でも、毎回欠かさず見ていたうちの母ですら「この人、常磐御前」とか「これ、清盛」「これ北条政子」と説明しても、「ええ~ッ?ぜんぜん分からない!」と言うし。年寄りにはハードルが高かったかも知れないですね(笑)
A:それに、「平家物語」についての最低限の知識が無いと、付いて行くのが微妙に難しいというのもありますよね。
K:「祇園精舎の~」とか「壇ノ浦」くらいは知っていると思いたいですけど。
吉松:それもあるかなあ。最初に信西が穴の中に落ちていたのも、彼が死ぬとき穴の中だったことの伏線ですし、北面の武士に居た佐藤義清(のりきよ)が後の西行であることを知らなければ話が分からない。強訴の場面で出てくる鬼若(青木崇高。後の弁慶)もそう。そういうことがあちこちにありましたよね。
A:それから、若い頃のやんちゃな清盛が海賊船の帆柱に吊されるのって、「宮本武蔵」で武蔵が千年杉に吊されるシーンのオマージュですよね。先のシェークスピアもそうですけど、そういう本歌取りみたいなこともあちこちでやってる。
K:ちなみに、そのあとで清盛が叫ぶ「オレは海賊王になる!」というセリフは、「ONE PIECE」のルフィのセリフですし(笑)
吉松:それをいちいち「今のは、こういう意味です」なんて馬鹿丁寧な解説はしないから、分からない人は分からないまま。
A:そこで「つまらない」「よく分からない」という人と、「面白かった」「はまってしまった」という人の両極が生まれたんでしょうね。
吉松:それから、いわゆるコミカルな息抜きの部分がなくて、シリアスな表現ばかりだったこともありますね。これは、私の音楽も関係するんですけど、真面目すぎて45分間、息が抜けないんですよ。で、ふっと目をそらしてしまうと、もうその世界に入り込めなくなる。その証拠に、音楽やっていて感じたんですけど、コミカルな音楽を使う場がほとんど無かったですから。
K:そう言えば、いわゆる三枚目とかボケ役というのもほとんどいなかったですよね。
吉松:思いつくのは、「面白うないのう」の信頼(塚地武雅)と時子の侍女:生田(伊藤修子)くらいですか(笑)
A:時子(深田恭子)も最初に清盛の海賊退治の凱旋を見て「なに、あれ?」と呟くあたりは「癒やし系」キャラだった気がしますが(笑)
吉松:あれは可愛かった(笑)。前半の「光らない君」の回でちょっとアニメが入って源氏物語を語るのがいい雰囲気だったですね。日本昔話みたいな(笑)
K:兎丸(加藤浩次)あたりはもっとボケ役でも良かったかも知れないですね。口は悪いけど憎めないいい味のキャラだし、折角怪しい関西弁で出てきたんだから。
吉松:彼はむしろツッコミ役でしたよね。前半、海賊を退治して凱旋する清盛が「オレは海賊王になるぞ!」と叫んでるうしろで「おまえ、それちゃうやろ!」とツッ込んでたし(笑)。でも、後半、禿(かむろ)に刺されて死んでしまうから、むしろ悲劇的な役柄ですよね。
A:逆に、全編に出てきて「語り部」ができそうなキャラクターは多かったですね。
吉松:そうですね。少年時代からずっとお供に付いてきた鱸丸~盛国(上川隆也)がそうですし、清盛が子供の時から晩年まで見ている祇園女御~乙前(松田聖子)もそうですし、終世の友みたいな義清~西行(藤木直人)がそうでしょう。ところが、みんなあまり語らない。口数が少ないですよね。西行は最後に清盛が憑依して大いに語りましたけど(笑)
A:兎丸を刺した禿(かむろ)の一人が、最終回で「祇園精舎の~」と歌ってましたが、あれも「語り部」ですよね。
K:禿(かむろ)が職を失って琵琶法師になる、というのは画期的な解釈だなあ(笑)
吉松:禿(かむろ)というのは、不思議な存在でしたよね。孤児の男の子が、いきなり赤い服着せられて、都のパトロールを任せられる。で、清盛の悪口を言っている怪しい男を見つけて殺す。それで清盛に褒めてもらえると思ったら、逆に「処分しろ」と言われて捨てられて。「あの子たち、あれからどうなったのかな?」と思っていたら、ちゃんと最終回に登場して伏線回収。ただし、目が見えなくなって琵琶を弾いている。説明しないところが色々想像力を掻き立てられますよね。
K:でも、みんなボケ役はできそうにないキャラですよね(笑)
吉松:最後の方の回で、時子(深田恭子)が清盛に向かって「もういいじゃないですか。ここまで上ったんですから」と「癒やし系」キャラな発言をしたときも、「気楽なことを言うな!」でおしまいだったし。 簡単に茶化せないシリアスなドラマになってしまったということかな。
吉松:これは、音楽をやった私の反省点もあるんですけど、主人公が「面白く生きる」と云っていた割には、今回のドラマ、いわゆる娯楽として「面白がらせよう」という方向には行かなかったのは確かですね。クオリティを高める、しっかり構成する、という方に頭が行ってしまっていて、隙なくしっかり作り込みすぎたというか。
A:いわゆる「芸術」的な作り方ですかね。
吉松:いや、「芸術」的というと必ず反感買われますね。「偉そう」だとか「独りよがり」だとか「視聴者を置いてゆくな」とか。でも、一緒に「高み」を目指すのが真の「娯楽」ですから、その点ではベートーヴェンだって黒澤明だって、彼らが目指したのは「娯楽」なんですよ。みんなで「低め」になれ合うのが「娯楽」では決してないわけで。
K:今回は我を忘れて一所懸命作りすぎた、ということでしょうか(笑)。
吉松:「反省しろ」と言われたら、そうなんでしょうね。私も、70〜80曲くらいと言われてたのに130曲書いてしまいましたし(笑)。
A:でも、作り手のそんな熱意をしっかり受け止めた人も少なくないと思いますよ。
吉松:確かに、一所懸命作ったものを一年間一所懸命見てくれる人が12%いた、ということは、松山ケンイチさんも言っていたけれど「光栄」ですし、「勲章」だと思いますよ。
■さいごに
A:最後に、何か「これだけはやっておきたかった」あるいは「あれが出来なかった」というような心残りのあることはありますか?
吉松:欲を言えば、あの時代の「音楽」をもっと鳴らしかったですね。1年間、日本の歴史が放送されるドラマってもう大河だけじゃないですか。単に音楽が背景で鳴るだけでなく、当時の楽器や奏法にもスポットを当ててもっと聴いてもらいたかったなと。
A:最初はもっと和楽器で音楽を作りたかったとおっしゃってましたよね。
吉松:そうなんですよ。例えば、後白河法皇が徹夜で歌い続けたという今様大会なんかは、是非再現してみたかったですね。カラオケみたいに「XX番、あそびをせんとや」とか「XX番、仏は常にいませども」とか歌い手が指定すると、楽師がフォォ~と伴奏を始める(笑)
K:それは…(笑)、時代考証の方が卒倒するのでは?(笑)
吉松:いや、バックに「アヴェマリア」が鳴ってるんですから、何を今さらですよ(笑)。後白河法皇がピアノの弾き語りで今様のレッスンをしたりするのも、アリだったんじゃないかと(笑)
A:じゃあ、いっそのこと「遊びをせんとや」の誕生秘話とか(笑)
吉松:あのメロディ作った坊さんが出てくるとか(笑)
K:その役は是非ヨシマツさんで。
吉松:いやです(笑)
A:ところで、また大河ドラマの音楽の話が来たら引き受けますか?
吉松:もう「タルカス」も「アヴェマリア」も使ってしまってネタがないですから、声がかからないですよ(笑)。
K:今度やるときは出前にちゃんと自転車を使いましょう(笑)
吉松:いや、今度は歩きますよ(笑)
*
■舘野泉 左手の音楽祭
3月3日(日)14時開演 東京文化会館 小ホール
共演:ヤンネ 舘野(ヴァイオリン) / 舘野 英司・多井 智紀(チェロ) / 溝入 敬三(コントラバス) / 野口 龍(フルート) / 浜中 浩一 (クラリネット) / 北村 源三(トランペット) / 菅原 淳(打楽器)
・三宅 榛名:ピアノ曲“思い出せなかったこと”(委嘱作初演)
・松平 頼暁:チェロとピアノの曲(委嘱作初演)
・コムライネン:ピアノ、トランペット、打楽器のための(委嘱作初演)
・末吉 保雄:アイヌ断章~左手ピアノ、フルート、コントラバス、打楽器ために
・吉松 隆:組曲「優しき玩具たち」〜左手ピアノ、クラリネット、トランペット、ヴァイオリン、チェロのために
□左手の世界シリーズ Vol.5 世界を結ぶ
5月18日(土)14時開演 東京文化会館 小ホール
共演:ブリンディス・ギルファドッティル(チェロ)
・パブロ・エスカンデ:ディヴェルティメント
・T.マグヌッソン:ピアノ・ソナタ
・ユッカ・ティエンスー:ピアノ曲(委嘱作初演)
・マグヌッソン:チェロ・ソナタ(委嘱作初演)
■吉松隆 還暦コンサート《鳥の響展》
東京オペラシティコンサートホール
第1部
第2部
・鳥は静かに
・サイバーバード協奏曲
・ドーリアン
第3部
・平清盛 組曲
・タルカス
吉松 隆 (作曲 )
藤岡 幸夫 (指揮 )
舘野 泉 (ピアノ)
須川 展也 (サックス)
田部 京子 (ピアノ)
吉村 七重 (二十絃 )
福川 伸陽 (ホルン)
長谷川 陽子 (チェロ )
小川 典子 (ピアノ)
東京フィルハーモニー交響楽団