2013/04/10

還暦コンサート《鳥の響展》事後報告

F 去る3月20日(水・祝)東京オペラシティ・コンサートホールで、私の還暦記念コンサート《鳥の響展》が開催された。

 現代のクラシック音楽(しかもオーケストラによる純音楽作品)に固執して35年。三十半ばくらいで野垂れ死にという予想に反してなぜかずるずると生き残り、敬愛する演奏家たちやオーケストラそして満員の聴衆たちに囲まれて還暦を迎える…という少々出来すぎの展開に。これもアベノミクスの影響(?)だろうか。


 出演して下さった演奏家の皆さん、熱演して下さったオーケストラの皆さん、ホールを埋め尽くした聴衆の皆さん、そして関係者の皆さんに感謝。

000 プログラム・・・・・

第1部

・夢詠み(2012)

  二十絃箏:吉村七重、チェロ:長谷川陽子

・夢色モビール(1993)

  チェロ:長谷川陽子、

  弦楽四重奏とハープ(東京フィル)

・スパイラルバード組曲(2011)より

  ホルン:福川伸陽、ピアノ:三浦友理枝

・プレイアデス舞曲集より/春:5月の夢の歌

  ピアノ:田部京子

・タピオラ幻景(2004)より

  ピアノ:舘野泉

・ランダムバード変奏曲(1985)

  ピアノ:小川典子、田部京子

第2部

・鳥は静かに(1998)

サイバーバード協奏曲(1994)

  サクソフォン:須川展也、

  ピアノ:小柳美奈子、パーカッション:小林洋二郎

・ドーリアン(1979)


第3部

・平清盛」組曲(2012)

 テーマ/屹立/遊び歌/戦闘/夢詠み/勇み歌/決意

・タルカス(2010)

 以上、演奏:藤岡幸夫指揮東京フィルハーモニー交響楽団


014 □満員御礼


 東京オペラシティ大ホール(1,632席)での全3部構成で3時間以上となる大がかりな「個展コンサート」、しかもチケットは(現代モノなのでお安く…というお値打ち価格でなく)S席8,000円、A席7,000円というような強気の設定。
 当然、お客の入りが心配だったわけだが、おかげさまでチケットは完売。当日は、キャンセル待ちで並んだものの入場できなかったお客さんもいたとのこと(申し訳ありませんでした)。


 生きてる作曲家の個展コンサートで「SOLD OUT」なんて異例中の異例…と言われたが、いくら何でも「作曲」だけで人が集まったと思うほど私も事務所もお目出度くはない。


Operacity1  おそらく集まったお客さんのうち最大派閥は…大河ドラマ「平清盛」のファン層ではなかったかと。ちょうどコンサート前々日に参加した「清盛ファイナル・パーティ」というファンの集いも500人近い熱気溢れる場だった。さすが全国区の総合テレビの威力は大きい。


 そして、もうひとつの巨大派閥が「タルカス」目当てのプログレ・ファン層だろうか。こちらは私と同じ所謂オジサン世代。なにしろ東フィルのコンサートマスター荒井英治氏もCDのプロデューサー岡野博行氏も、みな青春時代にプログレにはまった組。「タルカス」を聴きながら変拍子リズムで身体を揺らし、まるでロック・コンサートみたいなノリで楽しんでいたのはこの層である。


 そして、今回友情出演してくれた演奏家たちのファン層も大きい。なにしろコンサートの発起人を務めて下さった舘野泉さんを始め、どの演奏家も一人でコンサートホールにお客を呼べるクラスのプレイヤーたち。それがごっそり大喜利のように集まっているのだから、こんな贅沢はない。それぞれの演奏家目当てのお客さんを足しただけでも相当な数になりそうだ。


 と考えてゆくと・・・・さて、純粋に私のファンという人が何人残るか心許ない。一割くらいかしらん?・(=_=)

□演奏家総出演

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 というシビア(&自虐的)な状況分析はともかく、コンサートはまず、第一部:ソロ&室内楽コーナーで幕を開けた。しっとり系の箏で始まり、チェロ、弦楽四重奏にハープ、ホルン、そしてピアノと、名演奏家たちが次から次へと登場し演奏するのを聴くのは、「祝祭」ならではの贅沢といえる。


 箏とチェロのデュオやホルンのショーピースなどは、大ホールでは滅多に聴けない組み合わせだし、2台ピアノのデュオから弦楽四重奏付きの小アンサンブルまで編成も色とりどり。

 事務所も楽器も違うスター・プレイヤーたちがこんなに集まってくれたのも異例ながら、一曲ごとに違う編成の舞台転換をてきぱきこなす裏方さんたちの力も相当なもの。このあたりは音楽事務所(ジャパンアーツ)の底力である(笑)


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 そんな演奏家オールスターズ(まるで卒業式の記念写真!)。左から小川典子さん、田部京子さん(ピアノ)、藤岡幸夫氏(指揮)、荒井英治氏(東京フィル・コンサートマスター)、キース・エマーソン氏、私、須川展也氏(サクソフォン)、小林洋二郎氏(パーカッション)、吉村七重さん(二十絃)、福川伸陽氏(ホルン)、長谷川陽子さん(チェロ)、三浦友理枝さん(ピアノ)、小柳美奈子さん(ピアノ)。写真(c)中島正之


□プログラム

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 実は、今回のコンサート、ジャパンアーツの敏腕マネージャーであり私の担当である大沼千秋さんの尽力で実現したものと言っても過言ではない。

 彼女は数年前から「60歳を期に還暦記念コンサートを開きましょう!」と宣言し奔走してくれていたのだが、私としては、現代作曲家が自分の作品だけでオーケストラコンサートを開けるなんて(お客だって集まらないだろうし)と、実はあまり現実感がなかったものだ。

 オーケストラだけでなく、前半(第1部)に私のゆかりの演奏家たちをずらりと並べて器楽&室内楽作品のオムニバス演奏(?)という異例な構成も、彼女のアイデアである。(おかげで、全3部構成で4時間近い長いコンサートになってしまったわけだが・・・)

 さて、そんなことが実現するのだろうか?と作曲家本人が一番首をひねっていたわけなのである。

Kiyocd そんな異例ずくしのコンサートが現実味を帯びてきたのは、大河ドラマ「平清盛」で音楽を担当することになったのが大きい。放送(2012年)の翌年が「還暦」だから、「大河ドラマ・コンサート」という形でもあり得るわけで、これは本当に運(というよりタイミング)がよかったわけだ。

 当然、「平清盛」組曲は真っ先にプログラム候補にあがり、話題となった「タルカス」も是非再演したい。また、ファンの多い「サイバーバード協奏曲」も外せない。…という風にして自然にプログラムは決まっていった。

 もちろん5つある「交響曲」もどれかひとつくらいは入れたかったし、デビュー作である「朱鷺によせる哀歌」、「メモ・フローラ」「オリオン・マシーン」などの協奏曲なども捨てがたい…と悩みは果てがなかったが、それを言い始めるとおそらく一週間ぐらいコンサート・チクルスをやらないとおさまらない。それは、まあ、私が死んだ後、「追悼コンサート」か「没後50年記念コンサート」で…ということに(笑)。


□ドーリアン蘇演

Dorian

 そんな中、私が唯一推したのは、「ドーリアン」という曲だ。

 25歳の時に書いた若書きの作品で、初演以来33年ぶりの再演となる(正確には「題名のない音楽会」で部分的にだが演奏されたことがある)。
 1980年に交響楽振興財団の作曲コンクールに入選して演奏されたものの、それ以後演奏も録音もされていない幻の作品である。

 もともとは当時書いていた〈交響曲第1番〉のフィナーレに当たる曲であり(ちなみに、アダージョ楽章が「朱鷺によせる哀歌」だった)、タイトルの「ドーリアン」は」ドーリア旋法のこと。その名の由来のドリア(ドリス)人はスパルタで有名な強戦士の集団であり、それに因んで「力で調性(ドーリア旋法)を取り戻す」という夢を込めている。

 そして曲のコンセプトは「プログレを独りでオーケストラでやる」こと。そのせいで全編(特に前半は)EL&Pとイエスの影響がぎっちり詰まっている。


 しかし、元々EL&Pやイエスの変拍子趣味はストラヴィンスキーをロック化したものに近く、それを再オーケストラ化したらストラヴィンスキーに戻ってしまうという誤算(?)も・・・(笑)。

 おかげで初演以来クラシック系の人は皆「ストラヴィンスキーみたい」と言うだけで(指揮のフジオカくんも「前半は春の祭典が風邪ひいたみたい(笑)」と言う始末)、プログレに言及する人ゼロという情けない状況で33年眠っていたものである。

304a  ただ、今聴けば誰もが「タルカス」の影響を嗅ぎ付けるはず。さらにシュトックハウゼンからシベリウスそしてブラスロックやビッグバンド・ジャズが混じり合い、バリ島のケチャから能登の御陣乗太鼓まで詰め込んである。ストラヴィンスキーなどはほんの数%の要素に過ぎない。


 同時期に書いた「朱鷺によせる哀歌」はピンクフロイドの「エコーズ」なのだ、という告白も(今なら)ご理解いただけるだろうか。こういう曲が演奏もされず書棚の奥に眠っているのが恐怖のクラシック音楽界なのである。

 


□キース・エマーソン氏来訪

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 そんな「プログレ信仰告白」というべき今回のコンサートのサプライズのひとつは、当の「タルカス」の作曲者、キース・エマーソン氏がコンサートを聴きに来てくれたこと。

 実は3年前の初演の時、打ち上げパーティの席に電話をくれて一瞬話をしたのだが、今回はなんと「生タルカス」を聴きにわざわざ来日してくれたのである。


 彼は現在サンタモニカ(アメリカ、ロサンジェルス近郊)在住で、奥さまは日本人。東日本大震災の時は、被災者に捧げる「The Land of Rising Sun」をHPにすぐさまアップするなど親日家でもある。

Keith002_2  本番2日前(18日)のリハーサル初日からホールに現れ、熱心に「タルカス」の練習に耳を傾け、「歌が入るパートはもう少しテンポゆっくりめで情感たっぷりと」、冒頭のAllegro molto(♩=240)のテンポは「早すぎるかな?」「でも、ライヴ(Ladies & Gentlemen)ではこのくらいかな」などと色々アドバイスも


 私の「ドーリアン」も聴き、「You are Crazy !」と絶賛(?)してくれた(笑)。本番は私の横でコンサートを初めから鑑賞。一曲毎に「ワオ!」とか「Beautiful!」などと反応してくれるのが嬉しかった。(特に「5月の夢の歌」が「Beautifulで印象的だった」とお褒めの言葉を頂いた)


 最後の「タルカス」はコーダの和音が鳴り渡った瞬間、真っ先に起ち上がって拍手。私と一緒に舞台に上がり、満員の聴衆の拍手を浴びることになった。

(後で「どうしてタルカスをオーケストラ・アレンジしようと思ったの?」と聞かれ、「オーケストラで鳴らして!と言ってるように聞こえたから」と答えたのだが、彼も「実はずっとオーケストラでやりたかったんだ」と言う。お互いの40年来の夢だったわけだ)

 当日は、(最近、同じオペラシティで「イーハトーヴ交響曲」を大成功させた)冨田勲先生も来て下さり、楽屋でエマーソン氏と初邂逅。シンセサイザー界の二大巨頭が並ぶという歴史的瞬間となった。


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 実は、冨田先生が1971年に初めてモーグ・シンセサイザーを購入(アメリカから輸入)したとき、「これは楽器です」といくら言っても税関が信用してくれず、K.エマーソン氏が弾いている写真を見せてようやく引き取ることが出来た…そうで、因縁の出会いでもあったらしい。


 ちなみに、冨田先生80歳、K.エマーソン氏来年70歳、私60歳、藤岡氏50歳。10歳違いの四世代カルテットである。

□高校同窓会

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 そして、今回のコンサートの発起人となってくれたのが舘野泉さん。

 彼は、実は私にとって慶應義塾高校の大先輩であり、指揮の藤岡幸夫氏は同じ高校の後輩にあたる。というわけで当日の楽屋は奇しくも慶應高校卒業生の同窓会となった。


(ちなみに、舘野さんは高校卒業後に芸大のピアノ科へ進学。私は大学の工学部に進学するも中退。藤岡氏は文学部に進学し卒業後イギリスに留学している)


 3人の共演は、既に左手のためのピアノ協奏曲「ケフェウス・ノート」の関西初演の時に実現しているが、同じ高校からピアニストと作曲家と指揮者が出て、それが共演するというのは極めて珍しいのではなかろうか。


 そして、実は冨田勲さんも慶應高校出身(&慶應義塾大学文学部卒業)・・・蛇足ながら、加山雄三、小林亜星、大野雄二、松任谷正隆、平尾昌晃、千住明も塾高出身。そんじょそこらの音楽大学よりはるかに作曲家率が高いのである(笑)

□赤いちゃんちゃんこ

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 ところで・・・還暦コンサートと聞いたときから「赤いちゃんちゃんこはやめてよ」とマネージャーには言っていた筈なのだが・・・最後の最後に着せられてしまった・・・(^_^;

 拍手に応えてK.エマーソン氏と舞台に上がると、指揮者と何やらごにょごにょと内緒話。何を相談しているのかと思ったら、やおらピアノの前に座り「タルカス」の5拍子のリフを弾き始め・・・そのうえに「Happy Birthday」のメロディを即興で乗せるというサプライズ。続けてオーケストラも一緒になって「Happy Birthday」の合奏。(耳打ちは、演奏のキイを打ち合せていたのらしい)


 そして、ケーキと赤いちゃんちゃんこ登場(笑)

 あそこで出されたら、着ないわけに行かない!・(^_^; はめられた…というか、オモチャにされているというか・・おかげで会場も大爆笑。

Km  終演後の打ち上げ会で「あの赤いキモノは何?」とエマーソン氏に尋ねられ・・・まあ、日本人でも若い人は知らないよね。という話になったのだが。

 ちなみに「還暦」というのは干支(十干十二支)がぐるりと一巡する60年目にもう一度最初の干支に戻ること。生まれた年の歴に戻るので、「赤ちゃんに戻る」という意味と「魔除けの赤い産着」の意味があるのだそうだ。


□自伝

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 もうひとつ、還暦を期に自伝「作曲は鳥のごとく」(春秋社)を出版した。コンサート当日のロビーが初披露ということだったので、何か特典を…と、サイン入りカードを作成。250冊ほどが捌けたそうだ。


 もともと数年前から「還暦を期に自伝でも書きませんか?」とゆるく言われていたのだが、それもあまり本気にしていなかった。ところが今回のコンサートが本決まりになってから慌てて「瓢箪から駒」のごとく執筆作業を進めることになったもの。(なので、実質的な執筆期間は3ヶ月くらいだったろうか)


 14歳の冬に突然「音楽にトチ狂って」から、売れない音楽に固執して人生棒に振るまでを、ほぼ10年単位で…少年時代/放浪時代/鳥の時代/飛翔の時代/作曲家としての人生…という区切りで時間軸を追って語った「太腕繁盛記」(笑)。

 伝記と言うよりは、60年代から21世紀初頭までの(現代音楽や邦楽やロック、そしてコンピュータやシンセサイザーから音楽メディアやネットなども含めた)ミニ音楽文化史として読んで頂ければと思う。

 もともと「成功譚」ではないので、延々と失敗と挫折の軌跡ばかりを綴った記録ではあるのだが、意外と冷静に研究者のような目で「一人のバカな作曲家」を眺めている「誰か」が自分の中にいるような気もする。

Emersonjd  この本、打ち上げでキース・エマーソン氏にも献呈本を差し上げたのだが、彼もこの4月に「キース・エマーソン自伝」を日本で出版するとのこと。早速サイン本をもらった。


 2003年に出版した「Pictures of an Exhibitionist」の日本語版で、400ページを越す大著。(英語タイトルはEL&Pのヒットアルバム「展覧会の絵(Pictures at an Exihibition)」に掛けたジョーク仕立てになっていて、そのまま訳すと「目立ちたがり屋の肖像」か。ただし日本語版は単に「自伝」になっている)。


 93年に右手の手術を受けることになり、その麻酔の間に見た「昔の夢」という形でEL&P時代を回顧する…というなかなか凝った構成が面白い。

 プログレ・ファンは是非ご一読を。

□さいごに・・・

Card 誕生日を大勢の人に祝ってもらうというのは・・おそらく14歳の時に音楽を志して以来初めてのことである・(^_^;
 なにしろ…中退なので卒業式も…独身なので結婚式も…無冠なので授賞式も…経験がない。「おめでとう」と言われて人に囲まれるというのは、60年の人生でほぼ初めてということになる。
 なんとまあ、暗い人生だろうか・(;。;) 

 しかし、今回60年分いっぺんに祝ってもらったわけで、これでプラスマイナスゼロ。いや、たっぷりおつりが来る幸運の人生となった。
 まさか野垂れ死にする代わりに赤いちゃんちゃんこ着ることになるとは・・・人間、最後まで何が起こるか分からないものである。

 当日のコンサートの模様は・・・5月1日(水)「クラシック倶楽部」(BSプレミアム/午前6:00~6:55)で放送の予定。

 3時間におよぶコンサートを55分に編集するわけで、さて、どういうことになるのか。・・・当然ながら曲目は未定。


 さらにライブ録音盤は・・・コロムビアより近日発売の予定。「ドーリアン」以外は既にCDが出ている曲ばかりなのだが、「サイバーバード」「清盛組曲」「タルカス」ともに相当な熱演だったので、全部収録できるのかどうか悩ましいところ。(おまけのサプライズ版「タルカス meets ハッピーバースデイ」も!)。

 こちらも詳細は未定ながら、先日(3月25日)行ったエマーソン氏との対談の模様がブックレットに収録されるとのこと。お楽しみに。

 

          *

■長谷川陽子&仲道祐子 チェロとピアノの夕べ

Hase 2013年4月20日(土)16時開演

八ヶ岳高原サロンコンサート

 チェロ:長谷川陽子

 ピアノ:仲道祐子

ブラームス:チェロ・ソナタ第2番

バッハ:シャコンヌ

プロート:カルメン・ファンタジー ほか


Ogawa

■小川典子「英国流ティータイム&コンサート」

2013年5月15日(水)13:30 

東京オペラシティコンサートホール

 ピアノ:小川典子

 トーク・ゲスト:山田美也子

ベートーヴェン

 英国国歌による7つの変奏曲 ハ長調 WoO 78
 ピアノ・ソナタ第17番「テンペスト」作品31-2
エルガー:愛の挨拶(ピアノ・ソロ版)
ドビュッシー:亜麻色の髪の乙女、小さな羊飼い、ピクウィック卿に捧ぐ、喜びの島

Tateno

■舘野泉 左手の音楽祭Vol.5「世界を結ぶ」

2013年5月18日(土)14時開演 

東京文化会館小ホール

 共演:ヤンネ舘野(ヴァイオリン)

 ブリンディス・ギルファドッティル(チェロ)


塩見允枝子:ソリトン 薄明の大気の中で

ユッカ・ティエンスー:ピアノ曲

マグヌッソン:チェロ・ソナタ

T. マグヌッソン:ピアノ・ソナタ

coba:「Tokyo Cabaret」


Tabe

■田部京子 BBワークス第3回

2013年6月8日(土)15時開演

浜離宮朝日ホール

 ピアノ:田部京子

 弦楽四重奏:カルミナ四重奏団

ベートーヴェン:ピアノソナタ「ワルトシュタイン」

ブラームス:ピアノ五重奏曲 ほか

■吉村七重・・・HP

Nanae

■福川伸陽・・・HP

Fukukawa_2

■須川展也・・・HP

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■藤岡幸夫・・・HP

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2013/03/10

音楽家(作曲家)になるには・なれれば・なれたら

Cut

作曲家を40年近くやっていると、「音楽家(作曲家)になるにはどうしたらいいでしょう?」と若い人から聞かれることがままある。

もしもそれが「演奏家」の場合は、物心ついたら楽器を演奏していて、日々何も考えることなくひたすら練習と演奏に明け暮れ、気が付いたらなっていたというものだと思う。「どうしたらなれるか?」と考えるヒマがある、という時点で(きつい言い方をすれば)演奏家への道はないと考えていい。

一方、それが「作曲家」の場合は・・・そもそも最初から「作曲家になりたい」と思うことは極めて稀。普通は「演奏」のレッスンに明け暮れるうち、「演奏家になるのは無理かも知れない」という挫折から起きることが多い(らしい)。

ベートーヴェンは耳が聞こえにくくなったことから、シューマンは手を痛めたことから、シベリウスは人前であがることに気付いてから、それぞれ演奏家の道を断念して、作曲家の道に「転向」している。

そもそも、ロマン派以降のベルリオーズやチャイコフスキーやワーグナーからマーラーやシェーンベルクやストラヴィンスキー(それに私)に至るまでほとんどすべての作曲家たちは、音楽を勉強し始めるのが遅すぎて「演奏家」を断念、結果、作曲家の道に進んだ口のような気がする。

とは言っても「演奏家になれるどうか」は「やってみなければ分からないじゃないか」とおっしゃる向きもあるだろうか。

しかし、とある演奏家に聞いた話では、「実は、最初の数音を聴けば、その子に〈演奏家になる才能〉があるかないかはすぐ分かる」と言う。

もちろん、指が廻りさえすれば演奏稼業で食べていくことは可能だから、「プロの演奏家」になることは出来る。しかし、一人の「アーティスト」として生きていけるかどうかは、センスの問題であり、そればっかりは「持って生まれた才能」なのだそうだ。

じゃあ、それがない場合、はっきり「キミには才能がない」と言うのですか?と聞いたら・・・(才能があってもなくても、お月謝を持ってくる生徒ですからと笑いつつも)「言わないですね。いや、言えないですよ」と言う。

そして、そういう場合は、「演奏じゃなくて作曲か指揮に進んだら?」とアドバイスするのだとか。作曲家の身としてはビックリ仰天だがまあ、分からないでもないので困ったモノである(笑)。

なんだか「音楽家」のヒエラルキー(階級制)みたいだが、さしあたり最上級が「演奏家」。それになり損なったのが「作曲家」。それにもなり損なったのが「指揮者」。それにもなり損なったのが「評論家」になるということらしい(笑)

Ndm一万時間の法則

ちなみに、音楽家になるためにどのくらいの訓練をしなければならないかというと、「一万時間の法則」という話がある。

音楽でも語学でもスポーツでも何でも、ひとつのことをモノにするには膨大な練習・鍛錬・訓練が必要。スケート靴をはいた日に三回転半ジャンプは飛べないし、ピアノに触ったその日にショパンは弾けない。

そこで最初は「まねる」ことから始め、とにかく懸命に日々鍛錬する。それが臨界に達すると、あるときフッと「自分の身に付く」境地に達する。

その鍛錬の時間を総合すると(モーツァルトでもピカソでもマイケル・ジャクソンでも)「約一万時間」だというのである。

ちなみに、これは一日8時間、休まず一年365日努力鍛錬して約3年半、 一日6時間なら4年半という数字である。そして、一日1時間しかやらない場合は27年半ほどかかる計算になる。

何となく納得しそうになる数字だ。

私の場合を思い出してみると、高校時代に音楽を始めた頃は、毎日6時間ほど(学校から帰って夕方5時から夜1時まで8時間、うち食事と学校の勉強とに2時間)、大学をやめてからは最低でも毎日12時間ほど(午前10時頃に起きて夜中の3~4時頃まで)はがっつり音楽に明け暮れていた。もちろん土日も夏休みも正月休みもない。

それでも、作曲家デビューするまでに7年・・・ということは計3万時間ほど、交響曲を書いて発表出来るようになるまで20年弱・・・こちらは計8万時間ほどかかっているから・・・あまり参考にはならないかも知れない(笑)

17 ただ、この説を説く人が「一日6時間週5日として6年半」という計算を語ったとき、ちょっと「胡散臭い」と思ったことを告白しておく。「土日を休む?」申し訳ないが、音楽の鍛錬にそれは有り得ない。

確かに「仕事」は休みが必要かも知れないが、「生きる営み」に属するものは例えば「呼吸」にしろ「食事」にしろ「子育て」にしろ「農作物作り」にしろ、「休みなし」が基本。「音楽」も同じだ。空気を吸ったり食べ物を食べるのに「週2日の休み」を取る人など聞いたことがない。そもそも「休む」という意味が分からない。

落語だかで、「1年間禁煙をします」と宣言して挫折し、「代わりに一日おきに吸って、2年間禁煙することにしました」というジョークがあるが、「毎日勉強します」と言っておいて「土日は休む」というのは、同じレベルのジョークかも知れない。

昔あるピアニストが言っていたが、練習を1日休むと(腕の衰えが)「自分」に分かる、2日休むと「聴衆」に分かる、3日休むと取り返しが付かない。のだそうだ。

私も、14歳の冬に音楽に目覚めてから、50の坂を越えるまで「土日に休む」などという発想をしたことがない。(50を越えてからは、しっかり休むようになったけれど(笑)。なにしろ、1日作曲を怠ると3日取り戻せない、2日休むと1週間は元に戻らない、3日休むと取り返しが付かない。これは実感だ。

というようなことを昔、音大の作曲科出の先輩と話していたとき、ふと「え?じゃあ、キミは毎日作曲をやっているの?」と聞かれて心底驚いたことがある。「え?じゃあ、あなたは毎日作曲してないんですか?」と聞き直したほどだ。申し訳ないが、毎日作曲をしていない人が作曲家を目指す意味が分からない。

08 よく、音楽を志すのに「音楽が好きだから」と言う。

しかし、どの程度「好き」なのかには温度差がある。「週に1度は必ず音楽をやりたくなります」などという「好き」のレベルは単なる「趣味」。

「毎日必ず」「でも土日は休み」ならアマチュア・レベル(ただ、音楽を「楽しむ」ならこの辺がお薦めだ)。

「毎日毎日寸暇を惜しんで休みなく(あるいは24時間でも足りないくらい)」でようやく音楽家を目指すレベルの「好き」だと言える。

しかも、これは「一所懸命」でも「努力」でもない。

毎日食べたり飲んだり空気を吸ったりするのを「一所懸命」やるわけではない。同じように、毎日休まず音楽をやるのは「生きるのと同じ」であって、それが「自然」だからだ。

もし「土日はしっかり休みます」という人が子育てとか農作物作りを始めたら・・・いや、考えるだに怖ろしいが・・・それはやめた方がいい。「音楽」も同じだ。

向き不向き

もうひとつ、《職業としての音楽家》を選ぶ場合、性格的な点で向き不向きがある(ような気がする)。

音楽家への入口に立った時、誰もが一度は「音楽の才能があるかないか」で悩む。しかし、実際に音楽家になってみると、「才能の有る無し」が問題になるのは、本当に最後の最後だ。確かに、天才は100点を取る。しかし、凡人でも99点は取れる。

もちろん、その差は埋めようもなく大きいのだが・・・実を言うと、その差は、まず普通の人には分からない(笑)。

ということは、音楽家としてやっていくには、才能より何より、ある種の「性格」的な条件があるわけなのだ。

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まず、演奏家に必要なのは、才能より何より「強さ」である。

演奏家というのは、「繊細さ」の塊のように見えるが、実は、「図太さ」が不可欠。何百人何千人という人が集まっているホールの舞台にのこのこ出て行って、一人で(会ったこともない知らない人が書いた音楽を)自分の音楽のような顔をして演奏する。これはもう図太くなければ絶対出来ない。(いや、皮肉でなく)

しかも、自分の家で一人で楽器を弾いているだけでは「音楽家」ではない。「外」に出て行き、知らない街に行って知らないホールで知らない人を相手に一晩の音楽を供給しなければならない。そこでの頼りは「自分の腕」だけだ。

時には、知らない楽器(主にピアノ)を「はい」と渡されて、それで一晩の音楽を自分のものにしなければならない。楽器が壊れていようが調律が狂っていようが、そんなことは聞いている人には分からない。とにかく一人で音楽を「何とかしなければならない」。

01_2 しかも、音楽家として独り立ちすると、「批評(ヘタだ、つまらない、退屈だ、なってない、などなど)」に晒され、聴衆の少なさやチケットの売り上げに落ち込み、天候や時差による体調不良や寝不足に悩まされ、見知らぬ土地の水や食べ物が身体に合わず苦しみ、それはもうさまざまなストレスに苛まれるわけなのだ。

それを乗り越えて「音楽家」をやってゆくには、「神経の強さ」「運の強さ」「身体の強さ」(あるいは「呑気さ」「無頓着さ」「物忘れの早さ」何でもいい)「強さ」が絶対不可欠だ。「音楽」の才能が問われるのはそのあとなのである。

そのことについて、以前、ピアニスト舘野泉さんが(笑いながら)こんなことをおっしゃっていた。ピアニストは、まず「何でも食べられること」「いつでもどこでも寝られること」。ついでに「才能があればそれに越したことはない」。

とは言え、何でも食べられて、どこでも寝られる人がみんな音楽家になれるわけではないので、これはやはり「才能が大事」ということになるだろうか。額面通り受け取ってはいけないのかも知れない。

より早く、より多く

10 一方、作曲家の場合はと言うと・・・家で一人で書いてもいいし外に出なくてもいいので、食べる寝るに関しては弱くても不健康でもいい(ような気がする)が、似たような性格的条件がある。

それは、「頭の良さ」(賢さというより、クレバーさ、頭の回転の速さ)だ。なぜなら「仕事としての作曲」の場合、とにかく「早く書くこと」「量を書くこと」が求められるからだ。

ここで「仕事としての作曲」というのは、要するにコンサートや舞台や映画や放送での「音楽」を供給する行為である。

その場合、上演や放送や上映や録音などのスケジュールの中で、「音楽を作る」作業に裂かれる時間は本当に僅かだ。作曲家が曲を書くまで何週間や何ヶ月も(何もせずぼーっと)待ってくれるような業界はまずない。

コンサートや舞台なら、制作に数ヶ月ということもあるが、放送などで音楽を制作する時間は余裕があっても二週間、ひどい時は「三日で」とか「翌日までに」ということすらある。なので、まず早く書けないことには仕事にならない。

さらに、量も求められる。「考えに考え抜かれた1曲」を時間かけて待ってくれるのは相当「巨匠」になってからの話。テレビでは30分から1時間、映画や舞台では1時間半から2時間ほどの尺の空間に付ける音楽おおよそ十数曲から数十曲を、(上記のような短い時間で)即座に供給しなければならない。

また、ポップスなどでは、数曲あるいは10曲以上を色々な作家に作らせてみて、その中から「一曲」を選び出すことが多い。一曲が世に出るために数十曲のダミー(替え玉)が闇に消えてゆくことすらある。「下手な鉄砲も数撃ちゃあたる」というが、とにかく「数撃つ」のである。そこで必要となるのは、まずは「早さ」。そして(質より)「量」なのである。

ただし、早く・たくさん書いた後、そこに「才能」の片鱗がなければ、次の仕事は来ない。ここでも、実は「そのあと」こそがポイントになるわけではあるのだが・・・。

一方、早くもなく量もない「純音楽は?」というと、これは一曲に何年かかってもいいし、一生かけて1曲だけ書くのも自由だ。自分の中で納得できる「質」だけを頼りに、どんなに時間をかけても、手間暇かけても、膨大な費用をかけてもいい。

しかし、致命的なのは「これは〈仕事〉ではない」ということだ。報酬はもちろんゼロだし、演奏される保証もゼロ。生きるも死ぬもすべて「自己責任」である。

キミ、書いてみない?

09 それでも、作曲家への道を歩み始めると必ず聞く魔法の言葉がある。

それは「キミ、書いてみない?」という言葉である。

指揮者でも、最も多いデビューのパターンは、先輩格の指揮者が病気や多忙で指揮できなくなり「キミ、(代わりに)振ってみない?」と言われること(だそうだ)。もちろん、ほとんどの場合「急に」来るので考えているヒマはない。

作曲の仕事も同じで、あるとき突然「キミ、書いてみない?」と言われる。例えば、音楽大学に通っていれば、演奏科の学生からリサイタル用の新しい曲を「キミ、書いてみない?」と頼まれる。作曲科の先生のところに出入りして楽譜書きの手伝いなどをしているうち、「ちょっとキミ書いてみない?」と仕事を回される。先輩や知り合いのミュージシャンのツテでスタジオやテレビ局などに出入りしていると、そこにいたプロデューサーから「キミ、書いてみない?」と言われる。

歴史的な大成功例としては、バレエ曲を頼んでいた別の作曲家の仕事が間に合わなくて、全くの新人なのに「キミ、書いてみない?」と声をかけられたストラヴィンスキーか。この時、突貫工事で作曲した「火の鳥」で一躍人気作曲家の仲間入りをしているから、彼にとっては本当に魔法の言葉だ。

かくいう私も、最初のデビュー曲(「忘れっぽい天使」というハーモニカとピアノの小品)は、ハーモニカ(崎元譲さん)のリサイタルを企画したプロデューサーに「キミ、書いてみない?」と言われたのがきっかけだった。

その後も、交響曲からポップスそしてイギリスでのCDの話から大河ドラマに至るまで、「仕事としての作曲」は基本的にほとんどすべて(突然思いもかけない方向から聞こえて来た)「キミ、書いてみない?」という声から始まっている。

問題は、それがいつどこからかかるか分からないこと(笑)

そして、その声は常に「突然」であり、待ってくれないということ。声をかけられたら(考える間もなく)即座に「書きます」と返事しなければ、二度目はない。

さらに、こちらから声をかけることは出来ず、声がかかるまではひたすら(一万時間以上の)無私の鍛錬が必要だと言うこと。

そして、声がかけられても、それをモノにするかどうかは本人の力次第だということ。

残念ながら「黙っていい曲を書いていれば、いつかきっと理解してくれる人が現れる」というのは「いつか白馬に乗った王子様が現れる」という以上の見果てぬ「夢」でしかない。かと言って、何もせず家にじっとしていて突然「交響曲を書いてみない?」とか「大河ドラマの音楽を書いてみない?」と言われる確率は、どう考えても0%だ。

よく「運命の神は前髪しかないので、通り過ぎてから(後ろ髪を)掴むことは出来ない」という。しかも、運命の神は毎日あちこちに現れるわけではないし、それどころか一生に一度現れるかどうかも分からない。そもそも現れたとしても、それが運命の神だと分かる保証はない。

しかし、運命の神は・・・来るのを「待つ」しかない。

しかも、ただ「待っている」だけの人間のところにはやって来ない。(と言うより、来ても分からない)。

ひたすら努力を怠らなければ、もしかしたら「一万時間め」にふらりと来るのかも知れない。それは、人によっては「八千時間め」かも知れないし、もしかしたら「八万時間め」かも知れない。なにしろ「来た!」と思ったら、迷わず前髪をひっつかむしかない。

それは「運命の神」であることもあるけれど、残念ながらただの「貧乏神」であることもある。それでも、掴んでみなければわからない。こればっかりは「運」であって、だからこそ「運命の神」なのである。

スタジオ哀歌

04_2 さて、ここで昔話(余談)を少し。

音楽の才能の片鱗を見せると、最初に食いついてくるのは、実はポップスの仕事だ。クラシックはその点、反応(才能を活用する力)が本当に鈍い。(ヘタすると、才能を見出される前に死んでしまう。それはもう絶望的な「鈍さ」である)

対してポピュラー音楽界(広く放送業界やゲームなどのメディア業界も含む)は、才能の片鱗がちょっとでもあれば、音大に1年も通わないうちに(キミ、書いてみない?と)「声」がかかる。声がかからないまま卒業してクラシックの現代音楽界などに進むというのは、よほど「才能がない」証拠と言っていい(笑)。

私のように「独学」で人付き合いほぼゼロの人間が「作曲家の卵」をやっていた頃でも、何回かは「声」をかけられた経験がある。そして、それによって不思議な仕事をずいぶん経験したものである。(と少し遠い目になったりする)

それは、経歴にも書けないようなマイナーな仕事ばかりだが自主制作の記録映画に付ける音楽だったり、テレビ番組用のポップス曲の作詩作曲だったり、海外公演するミュージカルの曲だったり、邦楽プレイヤーが海外にデモ用に持って行くレコードのサンプル曲だったり、なにやらダンスを踊る健康ビデオの音楽だったり、良く知らない会社のCMの音楽だったり、アマチュア合唱団が歌う合唱曲のアレンジだったり、…それはもう色々だ。

私の場合は、「クラシック音楽界での作曲」に意固地にこだわっていたため、そこから「次」に進まず単発でほとんど断ってしまった。しかし、「日銭を稼ぐ仕事」と割り切って(早く多くをモットーに)仕事を続けていれば、今頃は立派な「ポピュラー音楽界(あるいはテレビ界)の巨匠」になっていたかも知れない(笑)。

先輩作曲家から聞いた話では、テレビ黎明期の60年代頃には、テレビ局の通路に「劇判通り」というような一角があって、いつも作曲家や演奏家がたむろしていたそうだ。

そこに座ってタバコでも吸っていると、プロデューサーがふらりとやって来て「あ、ちょうどよかった。キミ、明日までにテーマ曲書いて」と注文され、編成はその場所にいたミュージシャンを指して「この人とこの人とでお願い」と、さっさとスタジオや録音の段取りが決まってしまったのだとか。

私がスタジオワークを体験した80年代頃は、そこまで軽いノリではなかったが、それでも「作曲家です」と名乗ると、「キミ、書いてみない?」というのは(「そのうち一杯、飲みに行かない」というのと同じような社交辞令?として)年中耳にした。

Semi05_2 作曲家でもそんなだから、そこそこ腕の立つミュージシャンともなると、仕事は溢れているように見えた。スタジオで録音していて「ここにサックス欲しいね」とか「キイボードでおかず入れよう」とかプロデューサー(なり作曲家なり)が言い出せば、夜中でも何でも電話で呼び出す。

で、急に呼び出されて、すぐスタジオに入って譜面渡されて(と言ってもコードネームしか書いていないメモみたいなもの)すぐ「はい、本番」みたいな感じである。

スタジオやギャラの計算はどうやら「30分」とか「15分」刻みだったらしく、1人ミュージシャンを呼んで「15分」が基本。何の曲かも知らず「とにかく音出して」とマイクの前に立たされて、「はい、テイク1」、「もうちょっとカッチリした感じで、テイク2」、「今度はラフな感じで、テイク3」などと録ってゆく。

終わって「はい、ご苦労さま」「またお願いします」とにこやかな会話があったとしても、本人には聞こえない金魚鉢(プロデューサーや作曲家のいる録音&ミキシングルーム。ガラスの中で声が聞こえないので「金魚鉢」という)の中では「これは使えないな」「誰か他にいる?」などというような冷たい会話も飛び交う。

それでも、15分とか30分で数万数十万のギャラが出ることもあるので、スタジオを飛び回る売れっ子になると、結構なギャラになる。当時、音楽大学を出たばかりのような歳で月に軽く数百万かせぎ、高級外車を乗り回す猛者もいた。

ただ、どんな時間(夜中の2時3時に呼び出されることもある)でも断らないのが基本なので、かなりキツイ仕事と言えば言える。ちょっと売れっ子になると「今日はちょっと」と休みたくなるのが人情だが、断ると、金魚鉢の奥で「だめだってさ」「あいつこの頃、使いにくいな」「もっと若くて使えるのいる?」というような話になり、別の若手に仕事が回り、知らない間に声がかからなくなる。

03 なので、仕事をバリバリやって「売れっ子ミュージシャン」になり収入が増えて、「これで安心」とばかりにマンション買って車を買って結婚して・・・その途端に仕事が激減してマンションも車も売って離婚して・・・という哀しい話も何度か聞いたことがある。

当時は、シンセサイザーやキイボードで「新しいサウンド」を作るのが流行っていた時代だったので、キイボード奏者は、誰もまだ持っていない新しい機械(キイボードやシンセモジュールなど)を持っていると良く声がかかった。数百万の投資をして導入しても、うまく仕事が回転すればほんの数ヶ月で元が取れた。

しかし、プロデューサーやアレンジャーに「ほら、XXのアルバムのイントロみたいな音」とか「XXXのCMのエンディングっぽくてでもパクってるとは気付かれないような音」とか言われて「はい」とすぐに出さなければならないのだから、相当のスキルがないと出来ない。(「ちょっと待って下さい」などと言って時間がかかるようだと、「もういいよ」になってしまうのである)

なので「キイボーディスト」を呼ぶと、キイボード奏者(鍵盤を弾くの専門)にマニュピレーター(機械を操作して音を作る専門)が付いて二人ひと組でやって来ることが多かった。だからといってギャラが2倍出るわけではないので、相当量の仕事をこなす必要があったに違いない。

しかも、この業界、流行り廃りが早いので、どんな新しいサウンドも、半年(酷いときはひと月)たてばもう「古い」と言われる。「もっと新しい機材を持っている若手」が登場すれば、シビアにそちらに仕事が流れる。なかなか怖い世界だった・・・のだが最近はどうなのだろう。閑話休題。

音楽家への道

13 さて、何の話をしていたのか分からなくなってきたが(笑)・・・とにもかくにもそうやって苦難の道を進んで「音楽家」の道を歩んだとして・・・コンサートを開いたり自分のCDを出したり出来るようなアーティストに登り詰めるのはほんの一握り。

さらに、20年も30年も変わらず人気や収入を持続できるようなアーティストで居続けられるのは、そのまたほんの一握り。

クラシックの場合も・・・一晩のコンサートに数百人数千人の聴衆を呼んでリサイタルを開けるようなレベルになるのは(それが自腹であろうと赤字であろうと親戚を総動員した持ち出しだろうと)ほんの一握り。

さらに、それを毎月あるいは毎週大きな収入を安定して得られるようなレベルで開ける「人気音楽家」になるのは、さらにさらに僅か一握り。それを、6070歳を過ぎてもキープできるような不滅の「巨匠」になるのは・・・宝くじで数億当たるのを狙った方が早いようなとてつもなく低い確率だ。

しかも、コンクールに優勝したり大ヒットを生んだりしてミュージシャンとして頂点を極めても、成功して大きな収入を得て「土日に休める」ようになった途端、歳とともに音楽の技能の方はとんとんと落ちてゆく。

演奏や作曲も(おそらく)スポーツと同じで、体力的なピークは20代、精神的なピークは30代半ばといったところだ。そこから先は確実に衰えてゆく。

音楽の場合は、積算される経験値が「深み」をもたらすため、体力精神力の限界即ち「引退」とはならない。しかし、40を過ぎてからの努力は、「上に昇る」のではなく「下に落ちない」ためのものに変質してゆく。

その一方で若手が次から次へと登場し、名声にあぐらをかきたくてもそんなヒマはなく、あっと言う間に「古い音楽」「昔の人」という烙印を押されるようになる。それが宿命の世界なのである。

これはもう「努力」とか「一所懸命」などと言って何とかなる話ではなく、毎日毎日、ごはんを食べ空気を吸うように「音楽」で生きてゆくことを「自然体」とするしかない。

成功するのも失敗するのも、お金が入るのも貧乏するのも、運命の神に出会うのもすれ違うのも、「音楽」を日々やっている中で起こる「自然」な出来事であって、それ以上でもそれ以下でもない。そう割り切れる(「強い」か「呑気」かどちらかの)人間でなければとても生きて行けないのである。

          *

14むかし、某セレブの奥様が「娘をヴァイオリニストにしたいの」としきりに言っていたことがある。(一般の人は、クラシックの演奏家というと…きれいな服を来て上品な音楽を優雅に演奏し、毎日ワインでも飲みながらセレブな生活しているように見えるのらしい)。

ただし、世界中を飛び回るようなバリバリの演奏家ではなく(それだと忙しすぎるし、ゆっくり会えなそうなので)、「例えばオーケストラとかテレビや劇場などで演奏をするようなそんな感じでいいのよ」とおっしゃる。

そこで、大きな劇場でミュージカルの伴奏をしていたオーケストラの綺麗なヴァイオリニストのお嬢さんをつかまえて、いろいろ(演奏家の現実について)話を聞いたらしいのだが・・・しばらくしてお会いしたら「わたくし、娘をヴァイオリニストにするの、やめましたわ」と言う。嗚呼、やっぱりね(笑)

かくいう私も、以前、私の作品が演奏されるオーケストラ・コンサートのロビーで、「先生のファンです」という奥さんに話しかけられ、「息子を先生のような作曲家にしようと思いますの」と言われたことがある。

で、作曲家になるにはどういう勉強が必要かというような話をしたあと、「今日のようなコンサートで作品が演奏されると、先生にはお幾らくらい入ってくるんですの?」と聞かれて、「実は」と耳打ちしたところ・・・件の奥さま、言いました。

「わたくし、息子を作曲家にするの、やめましたわ」

と、ここまで読んで「それでも音楽家(作曲家)になりたい!」と思った人の処にだけ、(30年以内に70%の確率で)運命の神がやって来ます。出会ったらすぐ前髪を引っ掴むこと!

          *

Takinakano フレッシュ・デュオ

滝千春&中野翔太「舞曲とロマンス

2013年3月23日(土)13時30分開演

東京オペラシティコンサートホール

滝千春(ヴァイオリン)

中野翔太(ピアノ)

千住真理子・長谷川陽子・仲道郁代

2013年4月3日(土)14時開演

横浜みなとみらいホール

千住真理子(ヴァイオリン)

長谷川陽子(チェロ)

中道郁代(ピアノ)

Yokoyama 横山幸雄 入魂のショパン

2013年5月3日 (金・祝)

東京オペラシティコンサートホール

横山幸雄 (ピアノ)

小川典子 英国流ティータイム&コンサート

2013年5月15日(水)13時30分開演

東京オペラシティコンサートホール

小川典子(ピアノ)

山田美也子(トーク・ゲスト)

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2013/02/10

花についての短い考察

 人類の遠い始祖であるネアンデルタール人が死者に花を手向けていた、という話を聞いたのはいつのことだったろうか。

 1960年代、中東の5万年ほど前の遺跡から、たくさんの花に覆われて埋葬された遺骨が見つかった。もちろん花は原形をとどめていない。でも、花粉の痕跡で6種類ほどの花が遺体に添えられていたことが分かった。埋葬されたのは初夏。その花たちは白・赤・青・黄色といった色鮮やかなものだったそうだ。

 人が死者に花を手向けるのは、花が「ただ美しいもの」であるのと同時に、「再生」を象徴するからだろう。

 花は、春に鮮やかに咲き乱れたあと枯れてしまう。それはまるで死んだかのように見えるけれど、次の春になると再び命の花がひらく。それが、死者への「再生」の夢の象徴となるのだろう。

 震災復興応援のための「花は咲くプロジェクト」のチャリティーソングはこう歌う。

花は 花は 花は咲く

 いつか生まれる君に

 花は 花は 花は咲く

 わたしは何を残しただろう

(作詩:岩井俊二、作曲:菅野よう子)

 

 私も、妹を亡くしてから10年間、月命日に墓に花を手向けに通ったことがある。1年12回だから120回。一度も欠かさなかった。なぜだろう。 墓を花で飾りたくなるのは。

 遠い祖先がそう思ったように、「再生」と「色彩」の印を捧げたいと思うのだろうか。


 私は、作曲家というやくざな仕事を選択した瞬間から、生き延びることなど微塵も考えず音楽三昧の日々を送って来た。その兄が還暦を迎えてなお生き延びているのに、ごく普通のささやかで幸福な生活を手にするはずだった妹は、小さな息子二人を残して三十代の若さで逝ってしまった。

 2年前のあの震災では、そういった無念のドラマが死んだ人の数だけあったことだろう。

 花は咲く。

 一度は枯れたように見えても

 神は、忘れず次の年の春にはふたたび花を咲かせる。


 人がそれにならって死者に花を手向けるのは、

 あなたを決して「忘れない」ということの証しなのだろう。

         *

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ウィーン少年合唱団

http://www.japanarts.co.jp/wsk2013/index.html

5月3日(金)サントリーホール

5月4日(土)東京オペラシティコンサートホール

5月18日(土)東京オペラシティコンサートホール

6月5日(水)サントリーホール

6月14日(金)東京オペラシティコンサートホール

6月15日(土)東京オペラシティコンサートホール

6月16日(日)東京オペラシティコンサートホール

          *

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東日本大震災復興支援チャリティコンサート クラシック・エイドVol.3

http://www.japanarts.co.jp/concert/concert_detail.php?id=76&lang=1

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2013年3月9日(土)14時開演@東京オペラシティコンサートホール

指揮:梅田俊明
声楽:鮫島有美子、波多野睦美、森麻季
ピアノ:金子三勇士、仲道郁代、丸山滋
弦楽器:千住真理子、滝千春、ほか
司会:千住明、山田美也子
構成:新井鷗子
特別出演:福島県立葵高等学校、合唱指導:瓶子 美穂子

主催:ジャパンアーツ

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2013/01/10

新春座談会「今だから話せる平清盛」

Kiyoq A:1年間にわたって放送されたNHK大河ドラマ「平清盛」が無事終了しました。音楽制作の裏話については、「音楽制作メモ 」「音楽全仕事」で紹介してきましたが、終わった今だから話せる…というお話もあるかと思いますので、新春架空座談会(?)と題して気楽にお話しいただきたいと思います。

吉松:お手柔らかに(笑)。

A:大河ドラマ50周年記念と言うことで鳴り物入りで始まりましたが、視聴率が低いということばかり報道されるという残念な側面もありました。

吉松:いきなりそれですか(笑)

K:平均視聴率は12%ほどとふるわなかったんですけど、一方でTwitterなどでは凄い盛り上がりようで、トレンド・ランキング1位になるなどコアなファンは多かったようですね。

吉松:低いと言っても12%ということは毎週一千万人以上見ていた計算ですからね。クラシック系ビンボー作曲家からすれば、もう天文学的数字ですよ(笑)

K:一万人の第九を毎週千回以上やっているみたいなもんですからね。

吉松:どーいう計算ですか?(笑)

A:清盛というキャラクターが日本史では「悪役」なので、いまいち食いつきが悪かったということはありますよね。

吉松:でも、今回、音楽を担当してみて改めて思ったんですけど、清盛って、信長と秀吉を足したみたいな人なんですよね。どんどん出世してゆくし、伝統を破壊する時代の改革者だし。発想が独創的すぎてまわりがついて行くのに必死という点も、晩年暴走して評判落とすのも、残念な死に方するのも似てるし。どうして一方が「英雄」で一方が「悪役」なんだろう?不思議ですよね?

K:信長も、昔は「悪役」というか「暴君」のイメージの方が強くて、それほど人気は無かったそうですから、時代もあるんでしょうね。

吉松:次の世代にネガティヴ・キャンペーンを張られたかどうかが左右するんですかね。

A:ドラマについては、物語が複雑で「分かりにくい」という声もありましたが。

吉松:それも不思議ですよね。基本は清盛の出世物語で、根底にあるのは源平のバトルですから、考えてみればシンプルきわまりない話なんですけど。

Kiyo1 A:確かに、源氏と平家のライバル・バトルというだけなら分かりやすいんですが、それに朝廷とか摂関家とか貴族とか海賊とかが絡みますし。

K:それにご落胤とか母親が違う子とか親子関係も複雑ですし。しかも女性関係だけでなく「男色関係」も絡みますから(笑)

吉松:そこに食い付きますか(笑)

A:ドラマの前半では、そういう世界も結構描いてましたよね。特に、藤原頼長(山本耕二)と家盛(大東駿介)あたりは、かなり濃厚に(笑)。

吉松:男色…いわゆる同性愛って、キリスト教的にはインモラル(不道徳)ですけど、日本では平安から江戸時代まで「衆道(しゅどう)」とか「若道(じゃくどう)」とかいう立派な文化ですからね。

K:平治の乱を起こした信頼(塚地武雅)も後白河帝(松田翔太)との男色関係から出世して寵臣となったと言われてますし、織田信長のような戦国武将も美形の若い小姓を侍らせてましたし。でも、その一方でちゃんと子供は沢山作ってますから両刀使い、つまりバイセクシャル(両性愛)ということですよね。

吉松:仏教では出家したらむしろ女性はNGで、「女犯(にょぼん)」といって破門になるわけでしょ。だから、男同士でコトを成す方が戒律に沿っていたし、子供が出来るわけじゃないから「清い関係」だったわけですよ(笑)

A:それが、悪いことみたいになったのは明治以降ですか。

吉松:キリスト教付きで西洋文化が入ってきて「あれはやっちゃいけない」というモラルが日本人の間に浸透し、封印することになったということでしょうね。でも、考えてみれば、身分の低い女性が、王様に気に入られて高い位に上がるのは童話でも普通の話でしょ。それが同じように男性でもあり得るんだから、男女同権じゃないですか(笑)

K:でも、さすがにテレビでそれを正面からは描けないですよ。男女関係だって気まずいのに、男男関係となると(笑)。なにしろ日曜日の夜に一家で見る番組なんですから。

A:確かに「ねえ、お父さんあれ、何やってるの?」って子供に聞かれたら、答えにくいですよ。視聴率が悪かったのは、そのあたりの事情もあったかも知れない(笑)

K:そう言えば、後白河帝(松田翔太)については、女性視聴者を意識してか、滋子(成海璃子)への一途な愛妻家として描いていましたよね。

A:でも、最近の女性はBL(ボーイズ・ラブ)なんかで男性同士の恋愛は許容してますから、意外とそっちの方がウケていた点もなくはないですよね。

K:いやあ、「ただし美形に限る」ですから(笑)。頼長と家盛のベッドシーンはアリとしても、後白河院と信頼はないでしょう(笑)

吉松:あのー、ず~っとそっちの話で行くんですか?

A:あ、いやいや(笑)。音楽の話しましょう。

■清盛と音楽

Kiyo2w A:今回の大河ドラマは、音楽としても…えー「テーマ曲」のほか「あそびをせんとや」とか「タルカス」とか「アヴェマリア」とか、さらに舘野泉さんの起用とか、随分と話題になることが多かったですよね。音楽がこんなに話題になった大河というのは前代未聞だったんじゃないですか?

K:今様を最初「初音ミク」に歌わせていたとかでマニアの間では話題沸騰でしたし。

吉松:うーん、逆に言えば、そのどれかひとつでも充分だったのに、何か無駄にネタをたくさん投入した「もったいない」感はありますね。

A:ミク以外はNHKからのリクエストだったそうですが、そもそも既存の曲を大河ドラマで使うというのは初めての試みですよね?

吉松:強力な曲が欲しいというのは制作する側からすれば当然なんでしょうけど、例えば坂本龍一さんを音楽に起用して、「戦場のメリークリスマス」とか「テクノポリス」を大河ドラマで使うみたいなものでしょう。「いいの?そんなことして?」と初めは思いましたね(笑)

K:でも、結果的に「タルカス」の起用は大いに話題になりましたし、平安時代にプログレって不思議に合ってましたよね。「アヴェマリア」もドラマの中では凄い存在感でした。

吉松:うーん、ただ、合ってたのかどうかは、未だに分かりません。音楽も音響も、使い方が「先鋭的」というか「攻め」の姿勢でしたよね。なので「全然合ってない!」という人と「凄い合ってる!」という人が半々で賛否両論があってしかるべきかと思います。私自身、最初の数回は「ここにこの曲でいいんだろうか?」とか「この方向の音楽でよかったんだろうか?」と悩むことも多かったんですが、「アヴェマリア」が鳴った途端、なんか「もう、いいや」と吹っ切れた感じになって(笑)

Kiyoall A:オリジナル曲も最終的には130曲近く書かれたそうですね。年末に出たサウンドトラック盤の全集がCD5枚組でしたっけ?

吉松:全部かけると6時間以上あるんですよ。ベートーヴェンの交響曲全集と同じボリュームです。どう考えても異常です(笑)

K:しかも、劇伴風の「流す」曲がほとんど無くて、全部が全部ものすごく「濃い」ですよね(笑)。しかも、全曲ほぼフルオケだし。

吉松:それは逆に反省点でもありますね。ドラマは俳優なり物語なりがメインなんですから、音楽は後ろでさりげなく鳴っていればいいのに、書き過ぎちゃってますよね。

A:よく言えば、主張があるというか。

K:悪く言えば、目立ち過ぎというか(笑)

吉松:いや、そば屋の出前をするのにベンツ使うみたいなもんだと言われました(爆笑)

A:ああ、それはありますね(笑)

吉松:納得しないで下さい(笑)。ただ、私が今まで書いてきた「交響曲」という世界は、30分なり1時間なり「音楽だけで」持たせなきゃならない世界でしょう。だから、どうしても「音楽だけで成立する音楽」を書いてしまうんですよね。

K:プロはもっと力を加減する必要があるんですね。出前の時は「原付き」でいいとか(笑)

吉松:蕎麦の出前を頼むたびに家の前に毎回ベンツが横付けされたら、たまんないですよね(笑)

A:仕事としては、ほぼ1年間かかりっきりですか。

吉松:準備期間を含めると丸2年ですね。

A:ということは、2年分の収入をこれ一本でなんとかしなくちゃならないわけですよね。大丈夫でしたか?(笑)

吉松:実は、音楽の総予算からオーケストラなどの経費を引いた残りが「作曲料」になるんですが、後先考えずにフルオケで書きまくったもので、作曲料として最後に残った金額を聞いたときは顔面蒼白になりました(笑)。

K:あらら(笑)

吉松:ただ、1年間50回にわたって全国放送される総合テレビの番組の音楽ですから、「放送使用料」というのがJASRAC経由で入って来るんです。それに、テーマ曲の楽譜とかサウンドトラック盤のCDの印税もありますから、そういうのも含めて総合した収入を「作曲料」と捉えれば、まあ、なんとか(笑)。

K:それはよかったですね。清盛御殿が建てられそうですか(笑)

吉松:御殿を建てるには二桁ほど足りませんが、実家の狭い風呂場を何とかリフォームして「清盛風呂」と名付けようと思っています。お湯の下にも都はあるかと(笑)

■清盛像

K_2 A:ところで、制作中、俳優さんたちと会う機会はあったんですか?

吉松:クランクインする直前(2011年8月)に「顔合わせ会」というのがあって、主立った俳優さんたちと顔合わせはしました。ただ、個々にお話する余裕はありませんでした。お隣の席は伊東四朗さんで、その隣は松田聖子さんだったんですが(笑)。その時、主役の松山ケンイチさんとは握手して「がんばりましょう」とか二言三言。それから最後の打ち上げのパーティの時には「〈5月の夢の歌〉が好きなんですよ」と告白され(笑)ちょっと話をしました。

A:松山ケンイチさんの印象は?

吉松:普通の格好している時は本当に普通の若いヒトなんですけど。彼は、役に憑依するでしょう。印象的だったのは「デスノート」のエル役なんですが、清盛とぜんぜん違うし(笑)。ただ、根はかなりナイーヴな人なんじゃないかな。前半、髙平太の頃の豪放な清盛は、何というか一所懸命「不良のふり」をしている優等生みたいな感じがして、少し痛々しかった。でも、武士に目覚めてからの清盛は一皮むけた感じで、後半、清盛入道になってからの鬼気迫る演技はもう凄かったですね。

K:私も、最初若いやんちゃな髙平太を演じている時は、これがどうやってあの清盛入道になるんだ?と想像できなかったんですが…

吉松:それが、晩年には伊東四朗さん(実父の白河法皇)そっくりになるんですから、これはもう凄いと感心するしかないですよね。

A:ドラマの中の清盛像としてはどうでしたか?

吉松:本来、台本に描かれていた清盛は、もっとホモ・ルーデンス的な「遊ぶ人間」だった気がするんですよ。面白けりゃ命を賭けてもいい…というタイプというか。 実際、賭け事好きだし、女も抱くし、宋銭で稼ぐし、天下も取る…んですから(笑)。でも、ドラマでの清盛は「面白う生きる」と口では言うんですけど、目がまじめでナイーヴで、遊べてない気が…(笑)。

Rizo K:そのあたりは脚本の狙いなのか演出なのか。

吉松:最初に話を聞いて台本を読んだ時、ああ、これは「信長」で「黒澤映画」なんだと思ったんですよね。だからこそ前半では「羅生門」みたいな汚れた平安京を目指したわけですし。そこでの若い頃の清盛は、出生の裏事情も含めてかなり複雑で清濁あわせ持った知的でしたたかな人物だったと思うんですよ。だって、人の目には「たわけの髙平太」にしか見えない姿を演じながら、心の底で「武士の世(天下布武)」を狙ってるわけでしょ?

A:そう言われてみれば、信長の若い頃にかぶりますよね(笑)

吉松:十代で従五位とかの位をもらって御殿に出入りしているいいとこ坊ちゃんなのに、神や権威を信じてなくて神輿(しんよ)に矢を射るとか、単なるやんちゃじゃなくて相当な確信犯ですよね。 まあ、保元の乱以前のエピソードはその件も含めて史実に全く残ってないので、虚実ない交ぜで空想するしかないんですけど。

K:いい子なんだか悪い子なんだかわかりませんね(笑)

吉松:でも、「こいつになら付いていってもいいかな」と思わせる魅力があるからこそ、生まれが怪しいのに平家の家人たちが付いてきたし、信西や西行や義朝や後白河や海賊兎丸なんかが吸い寄せられてきたわけでしょう。それを、「ちょっと頭の悪そうなやんちゃな若者」という役付けにして、しかも松山ケンイチさんにそれをやらせてしまった。このドラマで唯一マイナス点を付けるとしたらそこかな。

A:イメージとしては若い頃の三船敏郎とか中村錦之介みたいな感じですかね。

吉松:そもそも「不良のふりをしている優等生」という役付けは、松山ケンイチさんぴったりじゃないですか。だから「元気だけどちょっと頭の悪い子」ではなく、「実はかなり頭が良くて何を考えているか分からない子」として描くべきだったんじゃないかと私なんかは思うんですけどね。

K:ドラマでは、むしろ弓が下手だったり歌が下手だったり「ちょっと出来の悪い子」という描写が多かったですよね。明子(最初の妻)と会ったときは吃驚して腰を抜かしたし、時子(次の妻)と初めて会うシーンではトイレ探してたし(笑)

A:悪い人ではない、憎めない青年…というキャラ設定だったんでしょうね。それが色々な事件を体験して覚醒してゆく・・・という。

吉松:もう一つ、気になったのが声の質ですね。武士と公家では発声法が根本的に違うはずですよね。宮廷でヒソヒソ上品に喋る人達と、戦場の物凄い騒音の中で「命令」を家来たちに伝えなきゃならない人達なんですから。アゴやノド自体が公家系は細くて華奢で、武士系はがっしりしていて太い。当然、前者は叫んだ時にヒステリックな「うるさい声」になり、後者は威圧感のある「迫力ある声」になる。

Sinh K:前に「新平家物語」で清盛をやった仲代達矢なんかドスの効いたいい声でしたよね。

吉松:ところが、今回の清盛も頼朝も、公家系の顔つきで声でしたよね。清盛は上皇の落とし胤という設定ですから、公家系の声でいい。実際、松山ケンイチさんもアゴは細い公家系だし。ただし、だとすれば、前半で清盛をあんなに叫ばしちゃいけなかったと思うんですよ。落とし胤で悪ぶっている頭のいい子なんですから「オレは誰なんだ~」とか海賊船の舳先で「うお~!」とか「オレは海賊王になるぅ!」なんて大声で叫んじゃいけない(笑)。物語としては確かにその方が面白いけど(笑)

A:前半の違和感はそこか。ずいぶん叫んでましたよね(笑)

吉松: テレビではマイクで声を拾うわけですけど、俳優でも舞台で鍛えた人は声の通りと滑舌が違いますよね。でも、今回は特にアゴの細い公家系の俳優さんが多くセレクトされていて、大声が似合わなかった印象はあるかな。逆にその声で「誰でもよ~い」と叫ぶからこそ信西が面白いんですけど(笑)。それでも、忠盛の中井貴一さんや義朝の玉木宏さんはいい声でしたよね。「武士系」の発声が出来る。これは訓練で何とかなるものなのか、元からの資質なのか、分かりませんけど。

■朝廷と宋

Photo A:清盛コンサートでは、ゲストでその義朝さんとはご一緒されましたよね。

吉松:2月の高崎での大河ドラマコンサートの時は、ゲストが玉木宏さん(源義朝)で。「のだめ」の千秋先輩のイメージが強かったので、源氏の棟梁の役なのにウィーンで指揮した時の話なんか聞いて盛り上がってしまいました(笑)。それから9月の呉でのコンサートの時には豊原功補さん(平忠正)。ご自身もロックを歌ったりしているので、「タルカス」話で盛り上がりました。彼もいい声なんですよね(笑)。いくぶんかすれ声ながら愁いを帯びた大人の響きがある。お二人とも話が出来たのは舞台上だけだったので、短い時間だったのが残念でしたが。

A:ほかにドラマの中でお気に入りの俳優さんはいましたか?

吉松:沢山いすぎて困りますけど、個人的には、白河法皇の伊東四朗さん(笑)。彼が「ここはワシの世じゃ」とか「清盛ッ!」と叫ぶと空気がびりっとなるでしょ。アゴががっしりしているし(笑)。風貌からして、これはもうまさしく清盛の父なんですよね。年取るとこうなるんだぞと言う(笑)。それから、鳥羽上皇の三上博史さんも強烈な印象でしたね。璋子(檀れい)とのからみとか、「情念」の放射がただごとじゃなかった。

Sirakawa K:その白河院に始まる朝廷の人間関係というのも複雑というか、摩訶不思議な「もののけ」の世界でしたよね。

吉松:いや、あれは正直ドキドキしながら見ていたんですが、今の天皇家とダブるところがあるでしょう。それに気付いていいのか知らぬふりをすべきなのか、どこまで史実としてどこからファンタジーにするのか、さじ加減が難しかったんじゃないかなあ。

A:ドラマ前半では「王家」という呼び方を巡っても論争がありましたね。

吉松:大戦までの昭和天皇というのはまさに白河院(伊東四朗)のように権力も軍事も掌握する大きな力があったけれど、戦後は人間天皇になったでしょう。これは鳥羽院(三上博史)の世界ですよね。水仙を愛するし女性を愛するし。今の天皇の状況じゃないですか。それが、その世継ぎの時代になって、長男の崇徳(井浦新)と四男の後白河(松田翔太)の二つの勢力が争って保元の乱になる。今で言うと、長男の皇太子(徳仁親王)と次男の秋篠宮(文仁親王)が世継ぎを巡って騒乱となるみたいなものでしょう?(笑)

A:いや、まあ、さすがに現代では戦乱にはなりませんけど、皇室を巡って論戦にはなっていましたよね。皇室典範の改正とか女系天皇という話も出てきたり。

吉松:清盛の時代はそこに「武士」が出てきたことで武力で決着をつかせることになり、その結果、長男でない後白河のほうが勝ってしまう。そして、長男の皇太子殿下がなんと島流しになる・・・。

Sutok_2 A:崇徳院ですね。

吉松:鳥羽院(三上博史)の第一皇子で、即位して一時は天皇になるんですが弟に位を譲ることになり、政治的に疎まれたことがきっかけで保元の乱に発展する。しかし、敗れて罪人扱いされ讃岐へ遠島となる。そして、以後数百年にわたって「怨霊」として日本史に名を残すわけです。

A:安徳天皇は、その皇太子:崇徳の系統ではなく、その弟:後白河の方の孫になるわけですよね。

K:ということは、現代の皇室で言うと、次男秋篠宮さまのお子さんの悠仁親王みたいな位置関係ですか。

吉松:子と孫の違いはありますけど、似てますよね。どちらも男系の血筋をつなぐ希望の星。それが壇ノ浦で平家と一緒に海の底に沈んで亡くなってしまうわけでしょう。考えてみれば、「平家物語」というのは「平家」の物語であるとともに「天皇家」の物語でもあるわけですよ。

K:うーん。確かに、あんまり分かりやすく説明しちゃマズイかも知れない話ですね。

吉松:ちなみに「崇徳」や「安徳」の「徳」の字は、不遇の生涯を送られた天皇へ送られる字なんだそうですが、これもちょっと深く説明すると怖い話になるのでやめときますね(笑)

A :「平家」は現代で言うと何にあたるんですかね?

吉松:何だろう?戦後民主主義ですかね。「王家」を解体して「武士の世」にする、というのは「天皇制」を解体して「民主主義」の世の中にした、戦後の動きとどこか重なるし。いや、まあ「見立て」の話ですから、もちろん何もかもが符合するわけではないですけど。で、これからどうするのか?時代は日本は?そして天皇家はどうなっていくのか?ということですよね。「平家物語」は現代と無縁な話ではないんですよ。

Kiyom2 A:1000年近く昔の話なので、どう描いてもすべて著作権フリーと思ったら、意外なところに落とし穴があったというか(笑)。

吉松:いや、ホントですよ。清盛が福原に都を作ってまでこだわった宋との貿易の話だって、現代の日中関係と絡むでしょう。当時は「北宋」の王朝(960~1127)の時代で、宋銭とか磁器なんかが輸入されていたほか、信西が憧れていた「科挙」の制度(試験を受けて官僚に登用される制度)がある先進国だった。行く先としては今の上海あたりの港だったらしいんですけど、どういう交流があったのか、そもそもどういう航路で行き来していたのか?尖閣諸島なんかの近くを通ったんだろうか?などなどいろいろ知りたかったんですけど、描きにくかったんじゃないかなあ。

K:ドラマ前半では信西がぺらぺら中国語しゃべって国際感を出してましたけど、後半はさっぱり宋との貿易の描写は前面に出てこなくなりましたものね。

A:ちょうど清盛の企画が立ち上がった2010年秋頃に「尖閣問題」で日中関係がこじれ始めましたから、どう描いてもかなりデリケートな話にならざるを得ないし。

吉松:いや、それが影響したとは思いたくないですが。ただ、もともと平家は「海軍」で海外(国際)志向、源氏は「陸軍」で国内指向という対比なんですよね。で、当時の「海外(国際)」と言ったら中国(宋)と韓国(高麗)じゃないですか。となると、その両者との関係や、大陸と日本とのヴィジョンをきっちり描けなかったら、清盛の「壮大な夢」というのが全然見えてこないわけですよね。

■俳優たち

Kiyomr A:一方、第三の勢力と言うべき(笑)公家の藤原摂関家というのも、不思議な人物の宝庫でした。

吉松:藤原摂関家って大化の改新(646)の藤原鎌足から続く名門貴族なんですね。いや、今回改めて「そうだったのか」と知ったこと多くて(笑)。人物としては悪左府:藤原頼長(山本耕史)という人に興味を惹かれましたね。クールで凄い切れ者で、博識なのにどこか不器用で、少年っぽいし特殊な趣味だし(笑)

K:オウムに言葉しゃべらせるし、家盛(清盛の弟)を犯しちゃうし(笑)

A:ただ、白塗りの顔にお歯黒というのは、現代の感覚では「高貴」というより「コミカル」に見えてしまうのが、どうにも困りますよね。

吉松:そうですよね。時代考証でリアルに描こうとすればするほど、現代の目からは「違和感」というよりグロテスクに感じてしまう。特に、女性のお歯黒は完全にNGですね。全員白塗りでお歯黒の宮廷のシーンというのも、見てみたかった気はしますけど(笑)

Kiyod A:そのお歯黒抜きの女優陣はいかがですか?

吉松:深田恭子さん(時子)がきれいでしたね~。最初に源氏物語オタクの少女として出てきたときは「これが二位尼になるの?」と想像できなかったんですけど、最後の「海の底にも都はございましょう」のシーンは壮絶な美しさでした。そもそも凄い美形の女優さんなんですね。それから、初回に清盛の実母で出てきた吹石一恵さん(舞子)もきれいでした。あのきれいさがなければ、忠盛が命賭けて「妻にする」と言い放つシーンが生きないわけですし、白河院に刃向かって矢に刺されて倒れて、つーっと涙を流すところなんか屈指の名シーンでしたね。

K:でも、初回のあの矢で殺されるシーンが怖くて、その後「清盛」を見られなくなった人もいるそうですから、難しいですよね。

A:前半の女優陣では、待賢門院:璋子(檀れい)と美福門院:得子(松雪泰子)の、鳥羽院を巡る女性のどろどろ合戦が凄かったですが(笑)

吉松:恨みを秘めた女性(得子)の怖さ…より、カワイイ顔して天使のように無自覚…という女性(璋子)の恐ろしさ・・・ あれは怖すぎました(笑)。

A:忠盛の妻:宗子(和久井映見)、義朝の妻:由良御前(田中麗奈)、清盛の前妻:明子(加藤あい)という三者三様の良妻賢母も、上手い対比だなと思いました。この時代、女性があまりしゃしゃり出てもヘンだし、かといって完全に引っ込んでいてもヘンだし、上手いさじ加減だったかなと。

吉松:その点では、頼朝の前にふっと現れるミューズの女神のような北条政子の杏さんの明るさと可愛さには惹かれましたね。何か大河ドラマの王道の女性主人公っぽくて、このまま大河ドラマ「北条政子」になるのもアリかなと(笑)。でも、あれもやがて怖い女のヒトになるんだなあと思うと複雑な気分ですが・・・(笑)

A:その他の端役の中からベスト助演賞を選ぶとしたら?

吉松:オウムですね~(笑)。頼長の飼ってたオウム。「ナイミツ(内密)ニナ」というのは清盛マニアの間では合い言葉になるほどの名台詞でしたし、死ぬときの「チチウエ」という呟きは・・・もう、号泣しましたよ(笑)

■平安の人物たち

Heike A:配役としては、想像していたのとイメージがぴったりとか、逆にぜんぜん違うとか、そういうのはありましたか?

吉松:それが・・・平安時代の貴族というと、ほら、絵巻物に描かれている下ぶくれの平安顔をずーっと想像していたわけなんですが(笑)、今回は、かなり今風の細顔のイケメンを揃えてますから、全然世界が違うと言えば違うんですが。

K:同じことをやっても、いと爽やかになりまする(笑)

吉松:信西などは、前の「新平家物語」では政治を裏で牛耳る本当に憎らしい爺さんという役柄で、悪人顔でしか想像できなかった。でも、阿部サダヲさんは飄々として「誰でもよ~い」なんて言って穴から出てくるし、中国語ぺらぺらの理想に燃える青年政治家だし。随分イメージ変わりました。視点によってこうも見え方が変わるか、と目から鱗でしたね。

A:西行に藤木直人というのも意外なキャスティングでしたよね。いいのか、こんなに爽やかで…という気はしましたけど(笑)。

吉松:でも、あそこまで美形でないと待賢門院(檀れい)との恋愛沙汰で出家というのが生きてこないし、基本は女好きだし女に好かれる体質という設定なんですよね。「願わくば花の下にて春死なん」の「花」って女性のことだという説もあるくらいで(笑)

K:「出来ることなら女に抱かれて春に死にたい」。いいですね~。私もそう願いたいですよ(笑)

吉松:ただ、あの爽やかな顔で「崇徳院の怨霊を見た」と言ったり、清盛の霊が憑依して遺言を語るというのは、ちょっと爽やかすぎるかな(笑)。いや、イリュージョニストと思えばいいのか(笑)

Gosrkw A:後白河法皇(松田翔太)も、今様好きの大天狗にしては、ずいぶん爽やかな天狗でしたよね(笑)。

吉松:彼の方が清盛にも増して「遊ぶ人間」的ですよね。歌うの好きだし、賭け事好きだし、双六好きだし。政治や人生そのものをゲームだと思っていて、いらんこと言うし、やらんでいいことやるし、やることすべて思いつき。なのに、最後までしぶとく生き残る(笑)。そんな役柄を怪しくエキセントリックな少年っぽい魂として描いたのは強烈な印象でした。ただ、晩年はもっと「意地悪じいさん」になって欲しかったかな(笑)。この人が主役でも大河ドラマ一本できそうですよね。

A:私は、重盛(窪田正孝)がかなりイメージ変わりました。 もっと雄雄とした強くて人望のある人物だと何となく想像してたんですけど。

吉松:かなり神経質で、清盛と法皇の間に挟まれて悩み抜くキャラクターとして描かれてましたからね。でも、「忠ならんと欲すれば孝ならず」と泣いて諫めるシーンは後半屈指の名シーンでしたねー。

A:あんな昔の修身の教科書みたいな台詞でここまで泣けるとは。

吉松:でも、ああいうジレンマというのは現代にも通じますよ。原発止めるか動かすかとか、部長につくか課長につくかとか(笑)。若者はいつでも巨大なものの板挟みになって悩んでいるわけだから。

K:私は、為朝(橋本さとし)ですね。いや、殺人マシンというか、鎧兜着たターミネーターみたいだったじゃないですか(笑)。あそこまで造形も作り上げたんなら、もっと、出てきて欲しかったなあ。

吉松:為朝は「身の丈七尺」っていいますから2メートル以上の長身で、弓の名手なんですよね。あの為義お父さん(小日向文世)の子とはとても思えない(笑)。これはもう、生い立ちから見たくなりますよね。最後に、日本初の切腹をして死ぬまでの一代記。1年50回じゃぜんぜん足りなくなるけど(笑)。

Yoritomo A:もう一人のライバル源頼朝(岡田将生)はどうでしたか。

吉松:あんなに線が細くていじいじしている頼朝というのは、実は想像もしませんでした(笑)。でも、考えてみれば、その弱々しさがあったからこそ池禅尼(和久井映見)の助命で清盛も「こいつなら大丈夫だろう」と殺さなかったのだろうし、その繊細さゆえに伊豆で生き残ることが出来、それゆえポッと出の義経(神木隆之介)への不信も鬱積したと思えば、なるほどのキャラクターですよね。当然ながら「遊ぶ人間」の要素はゼロで「ぜんぜん面白くない子」なんです。だからこそ「武士の世」を作れるんですが(笑)

A:頼朝がナレーションを務めたことについては?

吉松:頼朝が平家と源氏のいきさつすべてを天の上から「超客観的な視点」で語るというのは、アイデアとしては面白いと思いました。「清盛なくして武士の世はなかった」という言葉を、1年かけて回収する壮大な「アイデア」ですよね。ただ、頼朝役の彼(岡田将生)は見事に公家系で声が細いし、声だけの出演なら若いイケメン俳優である必要が無いじゃないですか(笑)。 あるいは、声だけアナウンサーか別の俳優にやらせるのもアリだったかも知れないですね。

K:でも、後半、自分でナレーションを務めながら、最後は「私もその9年後には死にました」と語る超客観的な解説ぶりは凄かったですね。

吉松:いやあ、前半から結構ツッコミぶり最高でしたよ。自分の父親の求婚シーンに「ろくでもないプロポーズだった」とコメントしたり(笑)。

43kiyo A:思い起こせば、魅力的なキャラクターっていっぱいいますね。

吉松:叔父の忠正(豊原功補)というのも素晴らしかったですよね。清盛を受け入れられなくて保元の乱で敵方について斬首される。状況が読めないただの「憎まれ役」で「斬られ役」なのかと思っていたら、兄(忠正)を思い平家を思う濃厚な役柄なんですよね。清盛に向かって「(お前との間に)絆などはなッから無いわ!」と叫ぶのが、一番深い「絆」の表現だったという。あのシーンは、もう泣きましたよ。

A:意外だったのは「平家にあらずんば人にあらず」という言葉を残す時忠(森田剛)ですね。もっと成り上がりっぽい軽薄な男かと思ってましたが。

吉松:彼は世を斜に見る「したたか」なキャラクターなんですが、軽薄そうに見えて決して笑わない、むしろ苦みと悲しみを抱えているキャラとして造形されているのが凄かったですね。だから、悲しげな顔で「平家にあらずんば人にあらずじゃ」とぽつりと漏らす一言が、まったく違った意味の宇宙をばーっと広げる結果になった。あれは今回のドラマでも屈指のシーンだった。

A:格好いいという点では、ダントツで父忠盛の中井貴一さんですか。

吉松:実際の忠盛は「伊勢の平氏はスガメなり」とからかわれた話が平家物語にあるように、やぶにらみ(斜視)だったらしいんですよね。なので、私の中ではマッチョなテリー伊藤さんというイメージだったんですが(笑)。でも、今回のドラマではひたすら格好いい理想的な父親でしたね。「武士の世を作る」という彼の理想が、息子の清盛、そして最後は頼朝に遺伝して行くんですから、今回の物語の思想の「源泉」ですよね。いやあ「カッコいいなあ」とほれぼれしっぱなしでしたよ。声もいいし(笑)

K:また、そういうシーンでカッコよく「決意」とか「勇み歌」とかの音楽が鳴るから(笑)

■清盛の世界

Kiyo4 A:ドラマ自体の出来はどう思われましたか? 藤本有紀さんの脚本は?

吉松:よく考え抜かれているな、と毎回感心しきりでした。凄いですよ、この脚本。平家物語の記述や史実を組み込みながら、全く違った視点からオリジナルを構築していくやり方は「お見事!」としか言いようがない。

A:印象的な台詞も多かったですよね。

吉松:そうですね。信西の「誰でもよ~い」はギャグとしても(笑)。清盛が時子に求婚するときの「もう、そなたでよい」とか(笑)。伊豆に流された頼朝が呟く「昨日が今日でも、今日が明日でも…」とか。若いときの西行と義朝と清盛がそれぞれ自分の志を語る「美しく生きたい」「強く生きたい」「面白う生きたい」の対比とか。それのネガ反転みたいな信頼の「面白うないのう」とか。待賢門院璋子(檀れい)が死ぬときに呟く「ああ、我が君」とか。伊藤忠清(藤本隆宏)が老いた清盛に言い放つ「平家はもはや武門ではない。殿(清盛)自身ももはや武士ではない」とか。ちょっと思いつくだけでもたくさんありますよ。

K:私は、権力の頂点に立った清盛が、「助けてくれ、ここから見えるのは闇だけじゃ」と唸るシーンに鳥肌が立ちました。ああ、これは「リア王」だな、と。

吉松:あちこちにシェークスピア的なシーンもちりばめてあって、そのあたりも黒澤映画に近いですよね。「乱」はリア王だし、「蜘蛛の巣城」はマクベスだし。

Kamro A:演出も、海賊船をわざわざ作っての海戦シーンとか、鳥羽院へのエア矢とか、真っ赤な服に真っ白な顔の「禿(かむろ)」とか、障子に開いた穴から清盛が闇をのぞくシーンとか、印象的なものが多かったですよね。

K:コーンスターチまみれの埃っぽい平安京とか(笑)、ホラー映画みたいな崇徳上皇の死のシーンとか、清盛が死ぬときの巨木が倒れるような音とか。

吉松:本当に色々なことやってくれてましたよね。脚本で、演出で、音楽で、毎回1回ずつ必ず「なんじゃこれは!」というサプライズがある(笑)。その上、背景の動物たちとか、聞こえてくる季節の音とか、光と影の描写とか、さりげない小道具に至るまで、本当に色々なスタッフがベストを尽くしている。おまけに俳優さんたちも毎回、渾身の演技で涙を取ってくるし。

A:今回のドラマは「平清盛」というタイトルながら壮大な「群像劇」でしたが、演出や俳優やスタッフたちの熱意が織りなす群像劇でもあったわけですね。

吉松:上手いこと言いますね(笑)。今までの大河ドラマは、主人公が一人で歴史を動かしてるみたいな定点観測でのストーリーテリングが多かった気がするんですが、今回はぜんぜん主人公と関係の無いところで群像劇がどんどん展開してゆくという、前代未聞の作り方で。しかも、その一人一人のキャラクターの心理描写が丁寧ですし、その人生が有機的にからんでゆくその伏線の張り具合と演出の仕方が実に濃厚でしたよね。

Heiji A:逆に言えば、その「群像」でたくさんの人物を細かく描いたところ、伏線をからませすぎたところが、一部の視聴者から「よく分からない」と思われた点なんでしょうか。

吉松:うーん。それはあるかも知れないですね。私も最初に台本をもらった時は、平家の「正盛・忠盛・忠正・家盛・経盛・賴盛」とか藤原家の「忠実・忠通・頼長・基房・兼実」とか、文字だけでは全く「顔」が思い浮かばなくて、読んでいて全くわけが分からなかったでしたから(笑)

A:個性的な俳優さんたちが演じてようやく分かる次元ですよね。

吉松:いや、それが・・・実を言うと私も、もう清盛の子供たちの世代の若い俳優さんたちの顔は区別できなかったです(笑)。知ってる顔でも、平安風に衣装を着るとぜんぜん違うヒトになるし。例えば、松山ケンイチさんとか武井咲さん杏さんなんかは時々CMに出ているじゃないですか。でも、毎回欠かさず見ていたうちの母ですら「この人、常磐御前」とか「これ、清盛」「これ北条政子」と説明しても、「ええ~ッ?ぜんぜん分からない!」と言うし。年寄りにはハードルが高かったかも知れないですね(笑)

A:それに、「平家物語」についての最低限の知識が無いと、付いて行くのが微妙に難しいというのもありますよね。

K:「祇園精舎の~」とか「壇ノ浦」くらいは知っていると思いたいですけど。

吉松:それもあるかなあ。最初に信西が穴の中に落ちていたのも、彼が死ぬとき穴の中だったことの伏線ですし、北面の武士に居た佐藤義清(のりきよ)が後の西行であることを知らなければ話が分からない。強訴の場面で出てくる鬼若(青木崇高。後の弁慶)もそう。そういうことがあちこちにありましたよね。


A:それから、若い頃のやんちゃな清盛が海賊船の帆柱に吊されるのって、「宮本武蔵」で武蔵が千年杉に吊されるシーンのオマージュですよね。先のシェークスピアもそうですけど、そういう本歌取りみたいなこともあちこちでやってる。

K:ちなみに、そのあとで清盛が叫ぶ「オレは海賊王になる!」というセリフは、「ONE PIECE」のルフィのセリフですし(笑)

吉松:それをいちいち「今のは、こういう意味です」なんて馬鹿丁寧な解説はしないから、分からない人は分からないまま。

A:そこで「つまらない」「よく分からない」という人と、「面白かった」「はまってしまった」という人の両極が生まれたんでしょうね。

吉松:それから、いわゆるコミカルな息抜きの部分がなくて、シリアスな表現ばかりだったこともありますね。これは、私の音楽も関係するんですけど、真面目すぎて45分間、息が抜けないんですよ。で、ふっと目をそらしてしまうと、もうその世界に入り込めなくなる。その証拠に、音楽やっていて感じたんですけど、コミカルな音楽を使う場がほとんど無かったですから。

Nob K:そう言えば、いわゆる三枚目とかボケ役というのもほとんどいなかったですよね。

吉松:思いつくのは、「面白うないのう」の信頼(塚地武雅)と時子の侍女:生田(伊藤修子)くらいですか(笑)

A:時子(深田恭子)も最初に清盛の海賊退治の凱旋を見て「なに、あれ?」と呟くあたりは「癒やし系」キャラだった気がしますが(笑)

吉松:あれは可愛かった(笑)。前半の「光らない君」の回でちょっとアニメが入って源氏物語を語るのがいい雰囲気だったですね。日本昔話みたいな(笑)

K:兎丸(加藤浩次)あたりはもっとボケ役でも良かったかも知れないですね。口は悪いけど憎めないいい味のキャラだし、折角怪しい関西弁で出てきたんだから。

吉松:彼はむしろツッコミ役でしたよね。前半、海賊を退治して凱旋する清盛が「オレは海賊王になるぞ!」と叫んでるうしろで「おまえ、それちゃうやろ!」とツッ込んでたし(笑)。でも、後半、禿(かむろ)に刺されて死んでしまうから、むしろ悲劇的な役柄ですよね。


A:逆に、全編に出てきて「語り部」ができそうなキャラクターは多かったですね。

吉松:そうですね。少年時代からずっとお供に付いてきた鱸丸~盛国(上川隆也)がそうですし、清盛が子供の時から晩年まで見ている祇園女御~乙前(松田聖子)もそうですし、終世の友みたいな義清~西行(藤木直人)がそうでしょう。ところが、みんなあまり語らない。口数が少ないですよね。西行は最後に清盛が憑依して大いに語りましたけど(笑)

BiwaA:兎丸を刺した禿(かむろ)の一人が、最終回で「祇園精舎の~」と歌ってましたが、あれも「語り部」ですよね。

K:禿(かむろ)が職を失って琵琶法師になる、というのは画期的な解釈だなあ(笑)

吉松:禿(かむろ)というのは、不思議な存在でしたよね。孤児の男の子が、いきなり赤い服着せられて、都のパトロールを任せられる。で、清盛の悪口を言っている怪しい男を見つけて殺す。それで清盛に褒めてもらえると思ったら、逆に「処分しろ」と言われて捨てられて。「あの子たち、あれからどうなったのかな?」と思っていたら、ちゃんと最終回に登場して伏線回収。ただし、目が見えなくなって琵琶を弾いている。説明しないところが色々想像力を掻き立てられますよね。

K:でも、みんなボケ役はできそうにないキャラですよね(笑)

吉松:最後の方の回で、時子(深田恭子)が清盛に向かって「もういいじゃないですか。ここまで上ったんですから」と「癒やし系」キャラな発言をしたときも、「気楽なことを言うな!」でおしまいだったし。 簡単に茶化せないシリアスなドラマになってしまったということかな。

Photo_2 A: それはありますね。

吉松:これは、音楽をやった私の反省点もあるんですけど、主人公が「面白く生きる」と云っていた割には、今回のドラマ、いわゆる娯楽として「面白がらせよう」という方向には行かなかったのは確かですね。クオリティを高める、しっかり構成する、という方に頭が行ってしまっていて、隙なくしっかり作り込みすぎたというか。

A:いわゆる「芸術」的な作り方ですかね。

吉松:いや、「芸術」的というと必ず反感買われますね。「偉そう」だとか「独りよがり」だとか「視聴者を置いてゆくな」とか。でも、一緒に「高み」を目指すのが真の「娯楽」ですから、その点ではベートーヴェンだって黒澤明だって、彼らが目指したのは「娯楽」なんですよ。みんなで「低め」になれ合うのが「娯楽」では決してないわけで。

K:今回は我を忘れて一所懸命作りすぎた、ということでしょうか(笑)。

吉松:「反省しろ」と言われたら、そうなんでしょうね。私も、70〜80曲くらいと言われてたのに130曲書いてしまいましたし(笑)。

A:でも、作り手のそんな熱意をしっかり受け止めた人も少なくないと思いますよ。

吉松:確かに、一所懸命作ったものを一年間一所懸命見てくれる人が12%いた、ということは、松山ケンイチさんも言っていたけれど「光栄」ですし、「勲章」だと思いますよ。

■さいごに

Tarkusq A:最後に、何か「これだけはやっておきたかった」あるいは「あれが出来なかった」というような心残りのあることはありますか?

吉松:欲を言えば、あの時代の「音楽」をもっと鳴らしかったですね。1年間、日本の歴史が放送されるドラマってもう大河だけじゃないですか。単に音楽が背景で鳴るだけでなく、当時の楽器や奏法にもスポットを当ててもっと聴いてもらいたかったなと。

A:最初はもっと和楽器で音楽を作りたかったとおっしゃってましたよね。

吉松:そうなんですよ。例えば、後白河法皇が徹夜で歌い続けたという今様大会なんかは、是非再現してみたかったですね。カラオケみたいに「XX番、あそびをせんとや」とか「XX番、仏は常にいませども」とか歌い手が指定すると、楽師がフォォ~と伴奏を始める(笑)

K:それは…(笑)、時代考証の方が卒倒するのでは?(笑)

吉松:いや、バックに「アヴェマリア」が鳴ってるんですから、何を今さらですよ(笑)。後白河法皇がピアノの弾き語りで今様のレッスンをしたりするのも、アリだったんじゃないかと(笑)

A:じゃあ、いっそのこと「遊びをせんとや」の誕生秘話とか(笑)

吉松:あのメロディ作った坊さんが出てくるとか(笑)

K:その役は是非ヨシマツさんで。

吉松:いやです(笑)

A:ところで、また大河ドラマの音楽の話が来たら引き受けますか?

吉松:もう「タルカス」も「アヴェマリア」も使ってしまってネタがないですから、声がかからないですよ(笑)。

K:今度やるときは出前にちゃんと自転車を使いましょう(笑)

吉松:いや、今度は歩きますよ(笑)

         *

■舘野泉 左手の音楽祭

Tateno □左手の世界シリーズ Vol.4 絆~優しき仲間たち

3月3日(日)14時開演 東京文化会館 小ホール

共演:ヤンネ 舘野(ヴァイオリン) / 舘野 英司・多井 智紀(チェロ) / 溝入 敬三(コントラバス) / 野口 龍(フルート) / 浜中 浩一 (クラリネット) / 北村 源三(トランペット) / 菅原 淳(打楽器) 

・三宅 榛名:ピアノ曲“思い出せなかったこと”(委嘱作初演)
・松平 頼暁:チェロとピアノの曲(委嘱作初演)
・コムライネン:ピアノ、トランペット、打楽器のための(委嘱作初演)   
・末吉 保雄:アイヌ断章~左手ピアノ、フルート、コントラバス、打楽器ために
・吉松 隆:組曲「優しき玩具たち」〜左手ピアノ、クラリネット、トランペット、ヴァイオリン、チェロのために 

□左手の世界シリーズ Vol.5 世界を結ぶ
5月18日(土)14時開演 東京文化会館 小ホール
共演:ブリンディス・ギルファドッティル(チェロ)

・パブロ・エスカンデ:ディヴェルティメント
・T.マグヌッソン:ピアノ・ソナタ
・ユッカ・ティエンスー:ピアノ曲(委嘱作初演)
・マグヌッソン:チェロ・ソナタ(委嘱作初演)

■吉松隆 還暦コンサート《鳥の響展

Torino 3月20日(水・祝)15時開演 

東京オペラシティコンサートホール

第1部

第2部

・鳥は静かに

・サイバーバード協奏曲

・ドーリアン

第3部

・平清盛 組曲

・タルカス

吉松 隆  (作曲 )

藤岡 幸夫  (指揮 )

舘野 泉  (ピアノ)

須川 展也  (サックス)

田部 京子  (ピアノ)

吉村 七重  (二十絃 )

福川 伸陽  (ホルン)

長谷川 陽子  (チェロ )

小川 典子  (ピアノ)

東京フィルハーモニー交響楽団

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