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    ・NHK-FM 毎週日曜日19:20~20:20放送。毎月第1-2日曜日(+α)東京枠解説担当。
    ・01月06日/13日
    ・02月03日/10日

2019年1月22日 (火)

7番か8番か9番か

Moscrosa_2FM「ブラボー!オーケストラ」2月分2本の収録にNHK403スタジオへ。

2月3日(日)放送分は、前半にモーツァルト:フルートとハープのための協奏曲(fl:工藤重典、hp:山宮るり子)三ツ橋敬子指揮東京フィル@2018年7月6日第10回平日の午後のコンサートより。後半は大谷康子さんのヴァイオリンで、チャルダッシュ、タイスの瞑想曲、チゴイネルワイゼン。渡邊一正指揮東京フィル@10月1日第11回平日の午後のコンサートより。

2月10日(日)放送分は、ロッシーニ:歌劇「セヴィリアの理髪師」序曲、シューベルト:交響曲第8(9)番〈ザ・グレート〉。バッティストーニ指揮東京フィル@2018年11月21日第121回東京オペラシティ定期より。

Nomiya2ひさしぶりに〈ザ・グレート〉を堪能。ただ、未だにシューベルトのこの大ハ長調交響曲を〈第8番〉と呼ぶのに違和感がある。そもそもシューベルトが生前書き残していた交響曲は6曲。それが死後10年ほどして机の上に未発表の交響曲のスコアが残されているのをシューマンが発掘し、メンデルスゾーンが初演。直前の6番と同じハ長調だったので6番を「小さい方」この曲を「大きい方(ザ・グレート)」と呼ぶことになった。この時点では《交響曲第7番》である。

ところが、さらに30年ほどして、埋もれていた〈未完成の交響曲(ロ短調)〉の楽譜が見つかる。7番の後に見つかった遺作なので《交響曲第8番:未完成》ということになった。しかし研究の結果、この曲は最後の交響曲より前の25歳頃に書かれたことが分かり、28歳で書かれたグレートの方が番号は後、ということで《第9番》となった。この方が最後の交響曲として座りがいいし、単なる「大きい方」という呼称も「偉大な(ザ・グレート)」な感じがして悪くない(そもそもシューベルト自身がフィナーレに「第九」の主題を紛れ込ませているほどだし)。というわけでLP時代は《交響曲第8番:未完成》《交響曲第9番:ザ・グレート》として音楽愛好家に親しまれてきた。

…のだが、シューベルトが完成させた交響曲はそもそも(未完成のロ短調を含めて)8つ。ということは交響曲全集を作ると1曲欠番になってしまうわけで、1970年代に国際シューベルト協会が番号を繰り上げ調整し「未完成が第7番、グレートが第8番」としてしまった。CDの時代からの表記はこれに倣うようになったものの、一時は〈第7(8)番:未完成〉〈第8(9)番:ザ・グレート〉とかなり混乱した表記が見られたし、解説する側も心の底で「余計なことしやがって!」と不満垂れつつ…「8番なんですが、前は9番で、元々は7番と呼ばれていて…」と説明したものである。いや、これはこれから先も(この曲が演奏される限り)延々続くのだろうけれど。

ちなみに、バッティストーニ氏の今回の演奏は、速めのテンポでこの曲の「天国的な長さ(冗長さ)」をスッキリ整理し、マーラーやシベリウスにも通ずるような乱反射する色彩とロマンを聴かせ、なかなか見事な演奏。こういう演奏を聴くと「第8番」っぽい感じがしないでもない。なぜだろう。

Nomiya

2019年1月18日 (金)

隅田川のある風景

Jsum_2

年末年始の疲れを癒すため、水のある風景を見に行く。

渋谷からだと直線距離で南東に8㎞ほどの隅田川河口/竹芝桟橋あたりが最短の水辺の風景。(ちなみに、多摩川は逆方向の南西に10㎞ほどで、距離的にはちょっと遠い)

東京湾の入口でもある桟橋あたりから海風に吹かれつつ朝昼夜の東京を眺めていると……なんともその異様な巨大さに(自分の街ながら)むずむずしてしまう。

なるほど、ゴジラになって蹂躙してみたい気になるのも分からないでもない。

2019年1月14日 (月)

成人の日

Kurai

二十歳の頃…というと、それはもう思い出したくもないほど暗い青春だった(笑

成人式は…お金も仕事も着てゆく服もないので…行かなかった(行けなかった)。それに、何も知らなかった。ギル・エヴァンスとビル・エヴァンスの区別もつかなかったし、ブラームスの2番と3番の交響曲の区別もつかなかった。文楽と圓生の区別も、ウィスキーとブランデーの区別もつかなかった。

そもそも、若いということがとてつもなく巨大な財産である…ということを知らなかった。失ってからそれに気付いた時はもう全てが手遅れだということも知らなかった。青春と貸した金は二度と返って来ない…という名言を吐いたのは誰だったろう。

ただ、あの頃にもう一度戻りたいか?と言われると……それは真っ平御免こうむりたいけれど(笑

2019年1月12日 (土)

水車小屋のある風景

Parks

渋谷に行く散歩コースに、池と水車小屋と松が並ぶ不思議な空間(鍋島松濤公園)がある。

むかしはきれいな湧き水があってお茶を点てていた場所だったらしく、今でもその名残の水車が(時々だが)回っている。

ここの池のゆらゆら揺れる水面を見ていると、タルコフスキーの映画「ソラリス」の中で延々流れる「水」の景色を思い出す。この場所自体が、コンクリートだらけの広大な海にポツンと浮かぶ小さな小さな「島」のような存在のせいもあるだろうか。

狭ければ狭いほど(とは言っても、この公園自体は1,500坪ほどあるらしいのだが)そこに勝手に「宇宙」を感じるのは、日本人の悪いクセ…なのか美学なのか。

2019年1月 8日 (火)

レクイエム考

Diesirae_2NHKの音楽番組解説打合せのため、年末年始に古今の「レクイエム」を十数曲ほど聴くことになった。

レクイエムは、歌詞冒頭が「Requiem(安息を Aeternam(永遠の」で始まるため「レクイエム」と呼ばれるが、正しくは「死者のためのミサ曲」。カトリックで信仰の深さを確認する儀式「ミサ」のひとつなので、同じキリスト教でもプロテスタントの作曲家(バッハやメンデルスゾーン、ブラームスなど)は宗教曲は書いてもレクイエムは書いていない。(ブラームスは典礼文を使わずルター派の聖書からドイツ語の歌詞で「ドイツレクイエム」を書いている)

中でも有名なのは「怒りの日(Dies irae)」の部分で、世界の終末の審判の日、ラッパが鳴って死者が全て集められ、天国に行く者と地獄に落ちる者とが選別される…という怖いヴィジョンが歌われる。グレゴリオ聖歌の中の有名な旋律は、ベルリオーズの幻想交響曲など多くの作曲家の作品で印象的に登場するし、モーツァルトやヴェルディのレクイエムにおける「怒りの日」は衝撃的かつ圧倒的な音楽だ。

ところがこの「怒りの日」、ラテン語の典礼文の中に昔からある正式なものではなく、13世紀に創作されたもの。しかも、その目的はというと(見も蓋もなく言ってしまえば)カトリックの教会が「地獄は怖いぞ」「信心が薄いと地獄に落ちるぞ」と不安を駆り立て、地獄に落ちたくなければ「教会に献金をしなさい」という流れに持って行くため(実際、16世紀には教会がそのための「免罪符(贖宥状)というものを大々的に売り出している)だったのらしい。

当然「それはあんまりな話だ」「教会の堕落だ」と抵抗(プロテスト)する人が出て来て、結果「プロテスタント」と呼ばれる反カトリック的な宗派が出来た(…と以前、池上彰氏の番組でも説明していた)。そう聞くと、レクイエムの名品を聴いて感動しつつも、なんだか複雑な気持ちになる。

Faure

そのせいか、フォーレのように、カトリックでありながら「怒りの日」を外したレクイエムを書いている作曲家もいる。プロテスタントとまでは行かないにしろ「怒りの日」のヴィジョンには本能的な違和感を感じたからかも知れない。(私も1990年に書いた交響曲第2番の中にレクイエムの楽章を器楽的に組み込んでいるが、Introitus/Kyrie/Offertorium/Sanctus/Agnus Dei/Libera Me…の6部分で、典礼文は使わずDies Iraeも入っていない)。

ちなみに、現代(1960年代に行われたバチカン会議以降)では、「怒りの日」は不安や恐怖を強調しすぎていてふさわしくない、として正式な典礼の項目からは廃止されているのだそうだ。(なので、怒りの日が入っていないため「異教徒的」と批判されたフォーレの作も、現代では晴れて正しいレクイエムの形と承認されたことになる)

・・・蛇足ながら、むかしオーケストラのコンサートでヴェルディの「レクイエム」が演奏されたとき、インドから来た音楽家の方が「誰か亡くなったのですか?」「誰も死んでいないのになぜレクイエムなど演奏するのですか?」と心底驚いていたのが印象的だった。

彼によれば、音楽は世界/宇宙の調和を奏でるものであって、朝には朝の、春には春の「調べ」を奏でるのが基本。誰も死んでいないのにコンサートホールでレクイエムを演奏するような「世界の調和を見出すようなこと」をするから戦争が起こるのです!と説教された憶えがある。

なるほど、音楽にも戦争責任があったのである。

2019年1月 6日 (日)

25年目の夢の香り

Incense_2妹の墓参りに湘南藤沢へ。

早いもので、もう25年がたつ。病床で〈サイバーバード協奏曲〉を書いた年でもあるので忘れようもない。

あれから色々なことがあったような、たいしたことは何もなかったような。人生は一睡の夢(正しくは「一炊」らしいが)。作曲家だったことも交響曲を書いたことも全て、酒を飲んで一睡した間に見た夢だったような気もしないでもないような(笑

2019年1月 1日 (火)

謹賀新年

Photo

2018年12月30日 (日)

不歌之歌

Cut03a最近、ほとんど音楽を聴かなくなった。

十代の頃から、レコードやテープ・コンサート・放送・CD(そして、もちろん作曲と演奏)などなど…起きている間はほぼすべて音楽漬けだったことを思うと不思議な感じだが、50年目に玉手箱を開けてようやく「夢から覚めた」…ということなのだろう。

中島敦の「名人伝」に出て来る弓の名人のように、年を経て弓を極めすぎたため弓の存在すら忘れる…という境地(?)なら面白いのだが、単に、老いて歌を忘れたカナリア…というだけで、あまり褒められた状態ではない。

ただ、「名人伝」の弓の達人の話も、本気で「不射之射」を信じているわけではなく、 ボケて弓のことすら忘れた老人を「名人」と称える「滑稽さ」を描いたわけで、「4分33秒」ともども真面目に捉えたら負けのような気がする(笑。

夢は見ている間は現実であり
醒めて初めて「夢」だと知る。

では、今見ているものは…?

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