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  • 楽譜出版《ASKS.orchestra》交響曲,協奏曲,室内楽などのスコアを電子版(PDF)で販売中。海外向け→**
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  • 《図解クラシック音楽大事典》(学研)イラストとまんがでオーケストラや楽典から音楽史までを紹介する掟破りの入門書。旧〈音楽大事典〉の超大幅改訂復刻版。
    作曲は鳥のごとく》(春秋社)自らの作曲家生活を綴った独学の音楽史@2013年3月刊
    《調性で読み解くクラシック》(ヤマハ)調性および音楽の謎を楽理・楽器・科学・歴史から読み解く文庫版入門書。
  • ブラボー!オーケストラ
    ・NHK-FM 毎週日曜日19:20~20:20放送。毎月第1-2日曜日(+α)東京枠解説担当。
    ・01月06日/13日
    ・02月03日/10日
    ・03月10日/17日/24日
    ・04月07日/14日/21日
    ・05月12日/19日
    ・06月02日/09日/16日
    ・07月07日/14日
    ・08月04日/11日/18日

2019年8月15日 (木)

真夏の徘徊

Hotelps過酷な現実から逃れて時々都内のホテルに涼みに行く。ここ数年夏休みどころか泊まりがけの旅行すらほぼ不可能な生活なので、もっぱら昼間だけ3-4時間ほど滞在する「デイユース」である。

行き付けの場所が特にあるわけではなく、ホテルの予約サイトで毎回違う処(安くて家から30分以内)を探して徘徊する。大きなホテルの広い部屋が運良く割安で借りられることもあるが、ビジネスホテルのシングルも狭いぶん冷房はすぐ効くし大きなテレビが付いていることもあってなかなか快適だ。

若い人ならレストランのビュッフェとかプールで夏のホテルを満喫するところだろうが、つらい現実の疲れを癒すには冷房が効いた部屋のふかふかベッドで束の間身体を休めるのが一番。部屋から一歩も出ず珈琲を飲みながらiPadで本など読みつつ4時間ほどの短い短い夏休みを堪能し、夕方チェックアウトして再び現実に帰還する。21世紀の新しい徘徊老人スタイル?…のような気もしないでもない。

2019年8月 8日 (木)

3500円の歪んだ神話

Img_3797 貧乏作曲家をやっていた20代半ば(40年前!)、アジアの隣国から日本に音楽を勉強に来ている留学生が身近に何人か居た。コンサートの後、数名で居酒屋で食事をし、最後に「お勘定は割り勘で一人3500円」ということになったのだが、そこで顔面蒼白になったのが隣国から来た作曲学生のB氏だ。「私の国では3500円あれば一家四人がひと月食べられます」と言うので、「じゃあB君の分はみんなで出そう」とみんなでカンパ(もう死語だが、寄付を募ること)する事になった。(ちなみに私も、一晩の食事に千円札数枚を払うなど生まれて初めての経験!という貧乏時代。同じく顔面蒼白になったのでしっかり記憶している)

・・・のだが、当の彼にとってこの出来事は「日本人が親切にしてくれた」という思い出ではなく、「日本で嫌な思いをした」という記憶として残っていると風の噂で知った。日本に音楽を勉強に来るくらいだからその国では恵まれた家庭に育ったはずの彼からすれば、食事の代金を支払うことができずに恵んでもらった…というのはプライドを傷付けられ、親にも先生にも言えない屈辱的な話。彼の中ではいわゆる黒歴史として屈折したまま蓄積されていたようだ。

なけなしのお金をはたいて友好関係を築いたと思ったら、相手はそれを感謝するのではなく逆に恨みを募らせていた、というのはどこかで聞いた話すぎて複雑な気持ちになるのだが、当人はさすがに心の底から感謝の念がゼロだとは思わない。しかし、その話を漏れ聞いた子供や知人たちが恨みの部分だけを歪めたまま肥大させて「謝れ」と言い出したら、一体何に謝ったらいいのかポカンとする「A」と、悪い事をしたのに謝らないとひたすら非難する「B」の構図が出来上がる。

何だか知らないが謝っておけばいいよ、減るもんでなし。と言って「ごめん」した先輩も居たが、本心から悪いと思って謝っていない、と言われればその通りなので、謝ったところで恨みが解消する気配はない。何しろ悪かったと思っていない(そもそも何が悪いか分からない)のだから、などと本音を言うと話は余計こじれて収集がつかなくなる。こうなるともう歪んだ神話を修正するのは不可能に近い。そんな昔話はすっかり忘れて奢られ合う新しい世代が台頭するのを待つしかないのかも知れない。

…などと書いている私自身が、水と枝豆数粒で3500円払ったその時のことをこうして40年経った今でも鮮明に覚えているわけだから、恨みに根付いた記憶は怖い(笑)

2019年7月31日 (水)

地球の夏・絶滅の夢

Skyblue夏というのは、こんなに暑かっただろうか、と青空を見上げながらしみじみ思う…。地球が人間の絶滅を思い立って煮沸消毒を始めたのかも知れない?と感じるほどだ。

そんな絶滅の夢?を目前にして、最近「AI(人工知性)にも性(オス・メス)が必要なのでは」…という面白い話を漏れ聞いた。単に男女の属性/形状を持ったロボットということではなく、全体が残れば個は滅びてもいい…という(論理的整合性が最重要の)オス回路と、個が残れば全体は滅びても良い…という(個の保存が最優先の)メス回路。当然、どちらも理があるため、矛盾しケンカして訣別する。しかし、そうすることでこそ新しい環境で生存できる可能性が生まれる(どちらか一方の意見に従った場合、それが外れたらゲームは終了してしまう)という。

なるほど。確かに、単体による生殖だと何らかの不備(環境の変化・寄生生物・疫病など)があったとき全個体が一気に死滅してしまう。違った体質と性格と思考をもった個体が複数あることでそうした絶滅を回避できる可能性がある。それが、地球上の生物の多くが有性生殖である理由…というのは昔から言われてきたことだが、サテ、AIにオス・メスを作り、ハートと下半身を付け、それが恋愛したりケンカしたりし出すと世界はどうなるのだろう?。もっと熱くなるのだろうか?

余談だが、最近(7月25日)直径130mほどの小惑星2019OKが…天文学者も知らない間に…地球のすぐ近く7万2千キロほどの処を横切っていたそうで、絶滅の危機は遠い未来の夢とも言い切れない。ちなみに、この件で小惑星の接近を察知できなかった天文台の所長が責任を取って辞職し、これが本当の隕石辞任…というジョークは昔どこかで聞いたことが…(笑

2019年7月26日 (金)

田部京子リサイタル@ピアノの深淵

Tabe190726 夜、浜離宮朝日ホールへ田部京子さんのピアノ・リサイタルを聴きに行く。

ベートーヴェン:悲愴ソナタ、シューベルトのソナタ第13番、そしてシューマンの大作「幻想曲」というプログラム。精緻で美しい…深く澄んだ水面を覗き込むような…ピアノの音がひたひたとホールを包み込む。前半に演奏された「悲愴」の奥の繊細さ、シューベルトの清涼無垢な響き。時が静止したような時が流れる。

後半のシューマンの「幻想曲」は…個人的に未だに良く分からない曲のひとつ。彼女の演奏は、男の作曲家の音楽の底にある濁りや歪みのようなモノを優しく包み込む女神性みたいなものがあり(私の曲も随分それに助けられた)、シューベルトではそれが見事に発揮されるのだが、シューマンの闇は包み込むにしては歪みすぎている?のか、詩情や情熱を描くピアノの響きの向こうにある「怖さ」みたいなものをひたひたと感じる。(これをドイツロマン派の影の部分として堪能すべきなのか、苦汁のようなものと感じるべきなのか…)

最後にアンコールで演奏された「トロイメライ」も、あまりの美しさ静けさながら…実を言うと無垢さの向こうの闇を感じてしまったので、これはもう曲や演奏云々ではなく、聴いている自分自身の心の中の深淵を覗き込んでしまったということなのだろう(深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている…と言ったのはニーチェだったか)。鏡のように澄んだ水面に「暗い顔をした変な男」が映っていると思ったら、それは自分自身の顔だった…みたいなものだ(笑。

幻想の妄想

ScoreaFM「ブラボー!オーケストラ」8月分2本の収録にNHK403スタジオへ。

今回は6月29に行われた九州交響楽団の演奏会(音楽監督の小泉和裕さんとの共演100回記念コンサート)を、前半後半と2回に分けて収録。

8月11日(日)は、前半の曲目:スッペ「詩人と農夫」序曲、リスト:ピアノ協奏曲第1番(p:広瀬悦子さん)。および九響のCDから、ムソルグスキー「禿げ山の一夜」とボロディン「中央アジアの草原にて」。

8月18日(日)は、後半の曲目:ベルリオーズ「幻想交響曲」。いずれも九州交響楽団第17回名曲・午後のオーケストラ@アクロス福岡シンフォニーホールより。

最近ベルリオーズ自筆の楽譜の第4楽章(断頭台への行進)表紙↑を見て、かなりアブナイ人がアブナイ状態で書いたことを再確認(笑。
この曲の成功のあと、一応作曲家として名を成し、別の女性となんとか婚約したそうなのだが、こんなアブナイ人と結婚しちゃダメよ、と彼女の母親が別のまともな男性との結婚を取りまとめて一方的に破談。それを知ったベルリオーズ先生、激高してこの母娘の殺人計画を練り、拳銃を隠し持ったうえ女装!して馬車でパリに向かったというから、もう少しで殺人・死刑・断頭台の話が幻想でなく現実になる処だったらしい。まあ、そのくらいの狂気がなければ、これほどぶっ飛んだ曲は書けない…ということなのだろうが、それにしても、それほどヘンな曲なのに「名曲」という認識で聴いてしまうのはなぜ?

2019年7月24日 (水)

運命&サイバーバード

190724cd

2019年7月18日 (木)

遊楽図の系譜

Suntorym 遊びをせんとや生まれけむ…という宣伝コピー冒頭の文言に惹かれて、サントリー美術館の「遊びの流儀〜遊楽図の系譜」展を見に行く。

平安時代(源氏物語絵巻)から江戸時代まで、貴族や庶民が遊び(ゲーム/踊りなど)に興じている図/屏風絵を中心に、遊具(かるた/双六など)も展示したなかなか興味深い内容だ。

Sugoroku 最初の部屋に入ってすぐが、←清盛と後白河法皇も興じていた双六。現在では「双六(すごろく)」というと絵が描いてあって最終的な「あがり」に向かって駒を進めてゆく「絵双六」だが、この頃のモノは…サイコロを振って駒を進めてゆく…というのは同じでも、どちらかと言うと将棋や碁に近い頭脳戦の趣きがある。

それにしても、歌っていたり踊っていたりする人が描かれている絵を見るたびに、画面に登場する「楽器」が気になって仕方がない。弦の数・演奏する指の形・駒やバチの形状などなど、ガラスケースに顔を押し付けて息で曇らせながら凝視し、横で並んで見ている女性に不審がられること数回(笑。

Dance 平安時代は箏・琵琶・笛・鼓…が主流の少人数で聴く室内楽だが、江戸時代になると三味線が登場し太鼓も加わり屋外で大勢のダンスになってゆくのも面白い。バーで聴くジャズがスタジアムで聴くロックになったような変化だったのだろうか。しかし、肝心の音は残念ながら屏風絵からは聞こえてこない。「どんな音だったのだろう?」と一枚一枚の絵を見ながら…妄想の翼はぱたぱたと虚しく美術館の壁を飛び回る。

2019年7月17日 (水)

祇園祭の一角獣

Gionu今年も京都で祇園祭の山鉾巡行が始まった。

祇園祭には、男たちが神輿をかついで夜中の街を疾走する神幸祭や、複雑なのかシンプルなのか分からないコンチキチンのお囃子などなど、不思議なアイテムが色々あるのだが、もともとが疫病災厄よけの呪術的な意味合いから千年以上昔に始まった祭。今となっては「どうしてこんな風にするのか実は良く分からない」という事も少なくないのだそうだ。

ちなみに、私も30年ほど前(1988年)京都市交響楽団から「京都をイメージした作品」と云う委嘱を受けて京都を訪れたとき興味をひかれたのが、山鉾巡行の先頭を行く長刀鉾の正面水引幕に描かれた「五彩雲麒麟の図」。「麒麟(東洋の一角獣)」を先頭にして20基以上の山鉾が市内を結界の回路図を描くように練り歩く…という「なぜ?」に興味津々となった。

…のだが「なんで一角獣なんですか?」と京都の人に聞いても「さあ」と微笑むばかり。「こりゃ面白い」と書きかけのファゴット協奏曲のタイトルを〈一角獣回路〉とした次第(笑。…もうひとつ、「馬」(独奏者が馬込勇さん)が、一本のツノ(ファゴット)を持っているから…という意味も兼ねているのだが、30年ほどたった今となっては「どうしてそんなヘンなタイトルにしたのか良く分からない」と笑われそうだ。

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