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作成ソフト(Dream Weaver)が新しいバージョンになり
ようやくフレームの作り方が分かったのがきっかけ(笑)
まあ、仕事部屋の大改装…みたいなもの、か。
浜離宮朝日ホールで、田部京子さんのシューベルト・チクルス最終回を聴く。今回はシューベルトの177回目の命日(1828年11月19日没)にちなんで、最期の年に書かれた3つのピアノ曲(遺作)と最後のソナタ(第21番)という最晩年の作品ばかりを集めた、ちょっと鬼気迫る組み合わせ。最晩年…と言っても、わずか31歳の青年が書いた音楽なのだから、たっぷり長生きした我が身を思うとちょっと複雑な気分ではあるけれど…。
それにしても、 第21番変ロ長調のソナタは(そもそも田部京子さんのピアノに出会ったのが、この曲だったのだが)、いつ聴いても不思議な虚無感とたゆたうリリシズムで思考を心地よく麻痺させてくれる。よく書けているとは言えないし無駄に長いのだが、そのバランスを失した長さこそが愛おしいのだ。特に今回の演奏では(命日の演奏ということもあったのか)第2楽章の白濁夢の中に聴こえてくる葬送の歌に不覚にも涙を覚え、改めて音楽の深淵に心震えてしまった。死後177年経ってなお人の心に入り込む。恐るべしシューベルト。
ネットで偶然見つけた「難波鉦異本(なにわどら・いほん)」(もりもと崇)というコミックスにはまる。江戸「吉原」京都「島原」に対する大阪「新町」を舞台にした遊女のお話…なのだが、視点は遊女「和泉」姐さん付きの禿(かむろ)「ささら」という少女。この童女から見た姐さんは、金の亡者で奔放で男を手玉に取るヘビ女のようなキャラながら、一方で三味線の名手にして武芸の隠れ達人で井原西鶴だの竹本義太夫などから一目置かれている不思議な女性。よく描き込まれた当時の遊廓の背景や道具や衣類にしろ、「性」と「金」と「情」が交錯する絶妙な駆け引きの面白さにしろ、コミカルさと残酷さとのどかさが混交する不思議な世界観にしろ実に魅力的。コミックス界というのは時に不思議な人材(鬼才)を輩出するものだなあと、しみじみ感心してしまう。亡き杉浦日向子女史の後を継ぐ江戸本作者の登場に拍手。
ついでに元ネタとなった「色道諸分・難波鉦(難波・どら)・遊女評判記」(岩波文庫)も古書店で手に入れる。これは江戸時代初期(1680年刊)大阪難波のどら息子が遊里に出かけてなじみの遊女に遊びの指南を受ける、という形をとった当時のHow To 本。「よふ思うてみさんせ。はじめて逢ふとても〈よふござりました〉〈寝さしやりませ〉〈起きさしやりませ〉などという言葉。二十三十あいましても此ことばでござんす。床(とこ)のうちでも〈いとおしい〉ということば、なじみての後でもかわる事かや…などと延々続くリズミカルな言葉の響きがなかなか魅力的で、読んでいるとなんだか室内オペラでも聴いている気分になる。例えて言うなら「ペレアスとメリザンド」か・・・(笑)
最近、催馬楽とか神楽歌のCDをなぜか聴いている。
いわゆる雅楽の楽器をバックにした〈歌もの〉である。
当時(平安時代)の歌謡曲と思ってもらえばいいかも知れない。
ききりり 千歳栄(せんざいやう)
白衆等(びゃくすとう) 聴説晨朝(ちゃうせつじんでう)
清浄偈(しゃうじゃうげ)
や 明星(あかぼし)は 明星(みゃうじゃう)は
くはや ここなりや 何しかも 今宵の月の
ただここに座(ま)すや
意味分からない、しかも物凄いスローテンポ、
ユニゾンともヘテロフォニーとも付かないとろとろしたサウンド。
「面白いですか?」と言われても、・・「面白くはない」(笑)
というわけで、なぜ聴いているのか自分でもよく分からない。
先週紅葉を見に行った時、ホテルに忘れ物をしてしまい、
日帰りで取りに行く。・・・着いたら雨。
かばんの奥に常備している小さな折り畳み傘でなんとかしのぎながら、
滞在1時間ほどでそそくさと東京へ戻る。
…東京は曇り空ながら、雨の気はなし。
で、気が付いたら、電車の中に折り畳み傘を忘れて来ている。
何をやってるんだろう?
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