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2006年2月

2006年2月28日 (火)

続ショスタコーヴィチの憂鬱

 ショスタコーヴィチの交響曲全集としてはコンドラシンによるものが一番水準が高いと思うのだけれど、国内盤は手に入らないから音楽誌での推薦盤にしにくくて…と某所でぼやいたら「輸入盤なら手に入るみたいです」という返事。しかも、全15曲(CD12枚)で6,000円前後というから驚き。(ちなみに国内盤は15,000円ほどだった)。

 しばらく前にバルシャイによる全集(全15曲、CD11枚)が4,000円台で出てびっくりしたのだが、最近はクラシックも廉価版が普及し、品数もかなり増えてきた。レアな現代物のジャンルでも1,000円前後の国内(復刻)盤が続々出て来ているし、聴き手にとっては嬉しい限り……

 ……ではあるのだが、作っている(作曲家の)方からしたら、一生かけて書いた15曲の交響曲が5,000円前後ということは…一曲300円ちょっと!!!。これはショックだろうなあ。

 ショスタコーヴィチ先生はもうとうに亡くなっているから、CDの売り上げがどうでも関係ないだろうけれど、手軽に音楽を手に出来る廉価盤や音楽配信の流れが、返す刀で生きている作曲家たちの首を絞めているのは確かだ。

 ただでさえ音楽業界の未来が怪しいのに、こんな遺産の食いつぶし&大放出叩き売りみたいな商売やってしまって大丈夫なのだろうか?

 ……もちろん大丈夫じゃないに決まってる。と言うより、そんなことを悩む以前に、もう既にこの業界は終わっているのかも知れないとさえ思えて来る。


 現在のそして未来の音楽文化を育てるために、未知の音楽をこそ敢えて高い金額を出して買う!という気概のある音楽愛好家はいないのか?

 ……そう。いなかったのだ。

011

2006年2月25日 (土)

ショスタコーヴィチの憂鬱

ショスタコーヴィチの交響曲についての原稿を書くため、
このところ15曲を繰り返し聴き続けて頭がタコ漬け(*,*)。

苦虫を30匹ほどかみつぶしたような暗さと、
サーカスのピエロみたいな自虐的キッチュな踊りと、
二十世紀の歴史をすべて背負ったような壮大なヴィジョンと、
プライヴェートで悲観的な独白…のアンバランスな同居。

巨大で壮絶なテーマと、矮小で卑屈なパッセージの並列。
深刻きわまりない瞑想と、ふざけた発作的ギャグの混淆。
「そこがいい」のだけれど、同時に「そこがヘン」でもある。

でも、ヘンじゃない交響曲を書いてる作曲家なんて
いないけどね。 (…あんたもね)

Shostako

停電と断水の土曜日

仕事場のマンションが本日点検修理のため半日停電。

当然コンピュータも電気ピアノも使えない。

もろくも崩れ去るIT化&電化生活・・・

仕方ない。それじゃあ、実家で仕事…と思ったら

こちらは水道工事で本日断水。トイレも台所も使えない。

うーむ。究極の選択(笑)。

2006年2月24日 (金)

氷の上のトゥーランドット

 トリノ冬季オリンピック女子フィギュアで荒川静香が金メダル。おかげで「トゥーランドット」が超有名になってしまい、夜に寄った馴染みの料理屋でも板さんに「トゥーランドットってどんなお話なんです?」と聞かれるほど。

 でも、あの選曲はよかった。氷の心を持った中国のお姫さまが最後の最後で愛に目覚めるおとぎ話は、荒川選手のアジア系クール・ビューティというキャラクターにピッタリだし、いい所を突いたなぁとちょっと感心。

 この曲を出されたら「なんで東洋人がスケートを?」という白人優位の観客も、東洋人顔のお姫さまに拍手せざるを得ない。ラフマニノフやショパン、そして蝶々夫人じゃこうはいかない。拍手。

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2006年2月22日 (水)

トリビア(無駄な知識)の泉:現代音楽編

 ジョージ・クラム(George Crumb1929-)というアメリカの現代音楽作曲家がいる。個人的には彼の「子供たちの古代の声(Ancient Voices of Children)」(1970)という作品こそは、20世紀が生んだ現代音楽屈指の「ケッサク」(「傑作」ではない)のひとつだと思うのだが…それはおいといて…、CDを探すために彼の名前をネットで検索していたら、ちょっと面白い結果にヒット。なんと「ポテトチップスの発明者」と同姓同名なのだ(笑)。

 こちらのジョージ・クラム(George Crum)氏、ニューヨークのとあるホテルでコック長をやっていたところ、ある日「フライドポテトが厚すぎる」という客の苦情があり、それにカチンと来て「これならどうだ」とメチャクチャに薄く切ったポテトを揚げて出した……というのがポテトチップス誕生の由来なのだとか。それが1853年7月のことで、ホテルの前には記念碑が建っていると言う。

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2006年2月20日 (月)

釈迦とは俺のことかとシッダルタ言い

D111586685 伊福部昭氏のご逝去に合わせたわけでもないのだろうが、今月新譜で氏が音楽を担当した大映の黄金期の超大作「釈迦」(1961年。監督:三隅研次)のDVDが出ていたので、懐かしく見入ってしまった。

 この作品、釈迦(ゴータマ・シッダルタ)の生涯を描いた2時間半の大作で、日本初の70ミリ総天然色スペクタクル映画。日本人ばかりでインドを舞台にした歴史映画を作る…というのは、現代の視点ではちょっと「?」だが、日本神話を扱った東宝の「日本誕生」(1959年。監督:稲垣浩)に対抗してということだったのだろうか、今となっては(良い意味でも悪い意味でも)「信じられない」超大作である。
 ハリウッド映画を意識した「クレオパトラ」風の神殿建築シーンとか、「サムソンとデリラ」風の偶像崩壊スペクタクルなどなど、色々ツッコミどころはあるにしても、「天上天下唯我独尊」と宣言する誕生の逸話から、菩提樹の下での悟り、鬼子母神やアジャセやダイバダッタの挿話、「貧者の一灯」のエピソード、そして最後の入滅のシーンまで見どころ満載。当時のオールキャストと延べ5万人以上とも言われるエキストラを使った豪華きわまりない作りにはとにかく圧倒されるし、幾つかの場面では(伊福部氏の荘重な音楽も相まって)目頭を熱くさせられる。

 仏教にはキリスト教における「受難劇」のような濃縮された(舞台に出来るような)ドラマがない…というのが個人的な印象だったのだが、この巨作を見ていると、ユダのような悪役ダイバダッタ(勝新太郎)の葛藤や、ペテロの嘆きを思わせるアジャセ王(川口浩)の慟哭など、オペラにでも出来そうな題材が幾つもあるように思えてくる。
 ひとつ興味深かったのは、釈迦(本郷功次郎)が、出家し悟った後は「光る影」だけになるという(時代を思わせる)映像処理。確かに、「世界を救う尊者の顔」なんて、どんな名優でも美男俳優でも演じるのは不可能。そう言えば、釈迦を描いた名作としては、手塚治虫の「ブッダ」(1972〜83)があるけれど、エピソードを積み上げることで見事に釈迦伝を描きながら、釈迦の「顔」を最後まで描いてしまった故に、後半「悟りし者」になってからは失速していったのを思い出した。なるほど、マホメット(ムハンマド)を戯画化したことにイスラム教徒が激怒するのは、このあたりに根があるわけだ。それでも、「表現は(失敗するのも)自由」だけどね。

2006年2月18日 (土)

創作衝動と愛の喪失の関係

 脳やDNAに関する最新研究を紹介するバラエティ風科学番組(「サイエンス・ミステリー」フジテレビ)で、「ある日突然芸術衝動に駆られるようになり、そのかわりに愛を失った男性についての話」というのがあり、興味深かったので見てみた。

 主人公はアメリカのとある60代の男性。脳卒中で倒れ、手術をして回復してから、(それまでは全くアートとは無関係の一労働者の生活だったのに)わけの分からない創作衝動に駆られるようになり、止まらなくなったと言うのだ。

 部屋の壁一面に奇妙な絵を描き、粘土をこねて不気味な彫刻を作り、紙には詩を書きつける。文字通り寝食を忘れ、ひたすら孤独かつ寡黙に造り続ける。その姿は完璧に「芸術家」なのだが、問題がひとつ。それが「芸術性ゼロ」だということ…。

 この番組では、これを脳の「障害」と捉え、創作衝動ばかりが先に立って、奥さんへの愛も、友達との付き合いも、子供への興味も完全に失い、孤独ばかりを好み、興奮したり落ち込んだりと躁と鬱が目まぐるしく入れ替わり、家にこもりっきりの社会的不適応者になってしまったことを、手術による脳の一部の欠損→ドーパミンの過剰放出→創作衝動の暴走→抑制の不全→性格障害…と解説する。

 

 うーん。でも、これって芸術家としてはごく普通(?)の性質じゃないんだろうか。どこか障害なのかサッパリ分からない。私もほぼ100%この通りだし(笑)。

dmitri1975 ただ、一見「プラス」の性格要素のように見える「創作(芸術)衝動」というものが、(実は脳のシステム不全によって)孤独癖や人間嫌い・躁と鬱の交代や多重人格・社会的不適応といった「マイナス」の性格要素と表裏一体のように現れる…と言うのは、話としてはちょっと面白い。

 たぶん〈才能〉というのは、普通の脳にプラスとして組み込まれる追加機能ではなく、マイナスの欠損部分を補うために発生する補助機能なのだ。だから、目が見えないと勘が鋭くなり、言葉を失うと表現力は研ぎ澄まされ、望みがないほど夢は広がり、満たされないほど愛は深くなる。

 「そもそも〈芸術〉も〈愛〉も両方とも手にしようなんて、

  それではあんまり虫が良すぎるんじゃないかね」…と

  そう言って微笑む神の声が聞こえる(笑)。

2006年2月15日 (水)

ひそかにブログ(ここ)開設

ホームページとは別にBlogを起ち上げる。

日々の雑記のようなスタンスで書くには、こちらの方が便利そうだし。

というわけで、さしあたり今年1月からのDiary記事を移植してみる。

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2006年2月13日 (月)

不思議くんリフシッツのピアノ

 ジャパン・アーツで打合せの後、「今日こんなコンサートがあるんですけど」と勧められて、コンスタンチン・リフシッツのピアノ・リサイタル(東京オペラシティ in 初台)へ行く。

 デビュー時(18歳頃)の天才美少年のイメージしかなかった彼も、もう30歳(しかもヒゲが生えている!)。メイン・プログラムが「展覧会の絵」というのはあんまり興味をそそらなかったのだけれど、マネージャー女史が「ヘンな人なンですよぉ〜」と再三再四言うので好奇心に駆られて見に行ったのだが、これが大当たり。確かに「ヘンなヤツぅ〜」(^_^;)。

 なにしろ、何やら黒い羽織を着て舞台に登場したのからして「???」。しかも、聴衆から顔を背けるようにあっち向いて演奏するし「??」、弾き終わると「はい、終わり」とばかりに一度ペコリと頭を下げただけで舞台袖に引っ込んでしまうし「??」。

 ただし、演奏は物凄い。客席をシーンとさせる緊張のピアニシモから、重戦車の轟音のようなフォルティッシモまで自由自在だし、失速寸前のスローテンポ、疾走する狂気のプレスト、おまけにピアノ内部の弦を掻き鳴らす内部奏法まで、新兵器を次から次へと繰り出してくる。聴き慣れた(と言うより聴き飽きた)「展覧会の絵」が、何か別のオーケストレイションを施された別の曲のように(実際、あちこち楽譜をいじくっているみたいだし)「加工」されてゆく。

 ピアノの伎倆の凄まじい天才性と、指向の少年っぽさ(と言うより「お坊ちゃまっぽさ」)との「絶妙なアンバランス」。面白いなぁ、こいつ。「のだめカンタービレ」に出演させたいくらいだ(笑)

Lifschitz

2006年2月 9日 (木)

悲しきゴジラ:伊福部昭氏死去

 8日夜、日本作曲界の最後の重鎮、伊福部昭氏死去。享年 91。

 新聞の訃報では案の定「ゴジラの作曲家」と紹介されていたけれど、これは仕方がないところか…。私も「ゴジラ」で育った世代だから、祖師(ちなみに私は伊福部さんの孫弟子に当たる)の音楽は大好きだし多々影響を受けているけれど、純音楽系作品の代表作として「リトミカ・オスティナータ」や「交響譚詩」や「タプカーラ交響曲」を挙げるにしても、やはり「ゴジラ」「大魔神」あるいは「わんぱく王子の大蛇退治」などの映画音楽の方が遥かに印象的だし…。

 ちなみに、91歳というのはシベリウス師と同じ。R=シュトラウス85歳、ヴォーン=ウィリアムス86歳、ヴェルディ87歳、ストラヴィンスキー88歳を超える、ギネス級の長命作曲家ということになる。ご冥福をお祈りいたします。
(イラストは、96年に磯田健一郎著「ポスト・マーラーのシンフォニストたち」のカットとして描いた氏の肖像)

ifukube

2006年2月 3日 (金)

NHK-FMベスト・オブ・クラシック

 京都から東京に戻って、NHK-FM ベスト・オブ・クラシックのゲスト出演。モーツァルト生誕250年記念で「交響曲第34番」と「ミサ曲ハ短調」という世にも渋い組み合わせのモーツァルト特集(NHK交響楽団。指揮:ブロムシュテット)。

 後半のミサ曲は、モーツァルトが26歳で結婚した年に、嬉しくてたまらなくて「ぜひ故郷ザルツブルクの教会でミサ曲を!」と後先考えずに書き始め、途中でおっぽり出した未完の巨作。このあたり、初詣では神社で…結婚式は教会で…葬式はお寺で…という日本人並みのモーツァルトの軽薄な宗教観が微笑ましい。

 

 初演は奥さんのコンスタンツェが独唱を歌ったそうで、可愛いソプラノが冒頭からコロラトゥーラで艶っぽく歌いまくるポップなアンバランスさや青春の軽やかさは、当夜のソプラノの幸田浩子&国立音楽大学合唱団の若く瑞々しい声がぴったり。司祭の横で(ちょっぴり舌を出しながら)クスクス笑っていたであろう幸福そうなモーツァルトの顔が浮かんで来て、聴きながら笑えてしょうがなかった。

2006年2月 2日 (木)

節分の京都を散歩する

 ようやく晴れたので、下鴨神社の糺ノ森を歩いてから鴨川沿いをぶらぶら散歩。祇園の「目やみ地蔵」をお参りして八坂神社に寄ったら、節分で舞妓さんの奉納踊りと豆まきがあるというので、しばし見物。そのあと神社の脇から石塀小路を抜け、二年坂の竹細工屋さんで手作りの耳かきを買う。

 ちょっと足を伸ばして清水寺の坂まで出ると、相変わらず凄い人出。特に、旧正月(春節)の休日のせいか、アジア系観光客の団体さんが多く、中国語・韓国語・タイ語などが飛び交い、日本語はどこへやら(笑)。京都も色々…。

Kyoto22

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