天才:大澤壽人の復活
昨日(12日)西宮の兵庫芸術文化センターで「大澤壽人とその時代」というコンサートが開かれた(佐渡裕:指揮、迫昭嘉:ピアノ、兵庫芸術文化センター管弦楽団)。チケット完売&満席の盛況で「とても面白かったです」と報告してくれたのは、この6月に大阪で私の作品ばかりのリサイタルを企画しているピアニストの河村泰子さん。彼女は、大澤壽人が戦後しばらく教鞭を取っていた神戸女学院の出身なのだそうだが、自分の出身校でありながら(しかも音楽学部で、そこには作曲専攻まであるのに)大学からは何のインフォメイションもなく「昨年まで、この人の存在を知りませんでした」というあたりに、日本の音楽界の冷たさが身に沁みる(笑)。
神戸生まれで、来年2007年で生誕100年を迎える大澤壽人(おおざわ・ひさと:1907-1953)は、ショスタコーヴィチあるいはジョリヴェ、メシアンあたりと同世代。アメリカ(ボストン)からパリへと留学し、当時の最先鋭の音楽を身につけ、1936年29歳で帰国している。一昨年NAXOSで紹介されて話題になったピアノ協奏曲第3番「神風」は、まさにその時代のモダンで洒落たセンスとスピード感を持った(まさしく日本人離れをした)名作で、これが1938年31歳の作とは驚くしかない。
その後、いかに戦争という不毛の時代があったとは言え、この才能が以後パッタリ封印されてしまったうえ、戦後も無視され続け(関西ではクラシック啓蒙運動の旗手として活躍したそうだが)、その作品どころか存在すら死後50年もきれいさっぱり忘れ去られていたとは!。「もったいない」どころじゃない。日本の音楽界にとってはまさしく「悲劇」というべきだろう。
それにしても、死後100年も古臭い音楽として埋もれていたバッハにしろ、40年も引出しの中に楽譜を忘れ去られていたシューベルトにしろ、書きかけの第9のフィナーレを親戚たちがバラバラにして持って帰ってしまったブルックナーにしろ、クラシック音楽界というのは凍りつくような恐怖の逸話に満ちている。ほら、そこのキミ、ヨシマツなんか聴いてる場合じゃないったら(笑)
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