交響曲は燃えないゴミの日に
3月下旬は作曲家にとって年4回(3月・6月・9月・12月)の著作権使用料分配の日。国内外で演奏・放送・録音・配信された作品の使用料3ヶ月分が、JASRAC(日本音楽著作権協会)からの「支払計算書」の明細通り所定の銀行に入金される。サラリーマンの「給料日」みたいなものである。
…などという話をしたら、「交響曲って、演奏されると幾らくらいの収入になるんですか?」と、若い人から無邪気に聞かれる。「曲の長さや国によって差はあるけれど、最低2千円から最高でも1万数千円くらい」と答える。「ウソでしょ?」という顔になるのが分かる。
実際、私が最初に演奏使用料というのをもらった「朱鷺によせる哀歌」のN響でのコンサートの時は2,600円。旧ソヴィエトで演奏された時なんか7円だった!。一番気前のいい国の大ホールで45分のフルサイズの交響曲が演奏されても、2万円になるかならないかである。
若者は「そ、それじゃ全然儲からないじゃないですか!」と叫ぶ。そうだよ。儲かるとでも思ったのかい? しかも、こんな金額だって演奏する側からすれば「有料」(モーツァルトやベートーヴェンは「ただ」なのにね)だから、死んで50年以上たって著作権が切れたのを確認してからじゃないと、誰も演奏しようとすらしないのがクラシック音楽界なんだ。
「それって何か、社会的にも経済的にもありえない話ですよね」。その通りなんだよ、若者。偉そうに言っているけど、交響曲とは「作品」なんかじゃない。作曲家が持てる英知のすべてを傾け、人生すべてを捨てて作り上げる「燃えないゴミ」なんだ。「え。燃えるんじゃないっスか?」。ああ、確かにスコアは紙だから燃えるけれど、CDになれば不燃ゴミだろ……って、そんな話をしてるんじゃないんだよ、若者。
「それなのに、ヨシマツさんはどうして書いてるんですか?」。ああ、いい質問だね。それはね。バカだからだよ(笑)。
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