まだ・芸術文化振興の憂鬱
このBlogで芸術文化阻害の件について書いたところ、多大の反響をいただきました。芸術振興の現状に憤慨して下さる方、国やお役所の対応もそれはそれで当然なんじゃないかと言う方、いろいろな意見があるようです。
ただひとつ誤解のないように補足しておきますが、国やNHKや国立劇場も(そして我々一般国民も)、かつての古き良き時代には、大らかに芸術文化を(計画性や理念はなかったにしろ)育成し振興していた時期もあったのです。
それが、変わったのは、ひとつには小泉さんの例の行政改革がきっかけのようです。ご存知のように「国だから、儲けを度外視しても文化芸術を育成する」…という姿勢から、「国とは言え、儲けにならない文化芸術を優遇はしない」…という方針への変更が起こったと言うことなのでしょうね。
例えて言うなら、今までは親が子供を無償で育てることに誰も疑問を持たなかったのに、親の羽振りが悪くなってお金に困るようになり、子供に向かって「ただで育ててやるのはもう終わりだ。おまえも働いて稼げ。親だからと言って契約にないことは一切やらない」と言い出した。…と、そんな感じでしょうか。
このあまりの「正論」に呆れるか悲しむか順応するか訣別するかは人それぞれでしょう。私のような音楽上の孤児は、そもそも育ててくれた親がいないので、ぜんぜん変化はありませんが、親の庇護の元で育ってきた文化たちの中には、存続を断念するジャンルが出て来ることは想像に難くありません。
もちろん「なんとか稼がねば」と頑張る人もいるでしょうが、世の中、頑張れば日銭をかせげる…という仕事ばかりではありません。一般のサラリーマン諸氏だって給料を貰えるのは働いてから1ヶ月先。種を植え、それを育て、90%99%の無駄を重ねながら、10年後50年後に大きな果実を収穫する…というようなタイプの仕事(芸術芸能あるいは伝統技術や基礎科学のようなジャンル)もあるわけですからね。
そう言った分野の人たちの中から、この国を捨てて外国へ逃げる…という選択肢を取る人が出ることは、当然の帰結でしょう。しかし、日本固有の伝統芸能や技術にかかわる分野ではそれすら出来ず、今まで先人たちの努力で営々と培われてきた歴史は断ち切られ、後継世代は消滅します。これはもう取り返しがつきません。
結局のところ、今回のケース、根は、年金問題とか少子化問題とかライヴドア問題とかと同じところにあるようです。日本という国が、近視眼的な「利益」と身もふたもない「正論」に思考を占領され、文化や子供や弱者の首を絞め出した…ということなのでしょうね。
それが、自分たちの〈未来〉の首を絞めることに等しい…と、みんな薄々は気付いているのでしょうが、対処療法しか出来ないのが現実のようです。でも、首を絞められながら一方で栄養剤を射たれてもね…(笑)。
というわけで、音楽に関わって生きている私のような一弱小国民として出来ることは、改めてこう心に念ずることだけに違いありません。
国がどう言おうが知ったこっちゃない。
私は、私一人でも音楽を守る。
おっと、たかがチンピラ作曲家の塵芥に等しいCD1枚の話が、国家の品格を論ずる話になってしまいました。読んで大笑いされている方々の声が聞こえてくるようです。いかんいかん(笑)