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2006年5月28日 (日)

また・芸術文化振興の憂鬱

Gagakuz CD化の障害については、まだ不愉快な話がある。実は以前、NHKが録音し放送した作品を同じようにCD化しようと企画したことがあったのだが、それも同様な経緯(高額の使用料と非現実的な事務手続き)にあってNGになったのだ。
 理由のひとつは著作隣接権の問題だが、それ以上に彼らがCD化に応じない理由というのが物凄い。「CDにして一般に販売されると、国民の皆さまの受信料を使ってNHKが制作したものが許可なく民放や商業放送で流れることになり、それは不適当である」と言うのだ。

 そんな奇妙な理屈で、かつての現代音楽バブルの時代にNHKにより録音放送された膨大な現代作品たちの音源が、今ではNHKによって録音されたという不運のために、ほとんどCD化不可能なまま死蔵され、テープの劣化と自然消失にまかされている。
 そして、これも国立劇場の例と同じで(そもそも国立劇場の規定自体が、NHKを規範にしているというのだから、そのミゼラブルさは推して知るべしなのだが)、曲を書いた当の作曲家には何の権利もなく、ここでも我が子(作品の音源)の奪還はまったく不可能なのである。
 
 そもそも音楽作品は、まずそれを生んだ作曲家のもの、次いでそれを聴く聴衆のものであって、国や団体の専有物ではないはず。それなのに昨今は、制作会社や放送局や出版社が身勝手な「所有権」をふりかざし、結果として作品が聴き手に届くことを阻害する事例が少なくない。
 みんな口を開けば「著作物の権利を守る」と言うのだが、やっていることは自分たちの権利を主張し利益に固執するだけ。肝心の〈作者〉や〈作品〉や〈聴き手〉のことなど、彼らの頭の中にはかけらもない。そしてその間に、人質(作品)たちは倉庫の片隅で確実に壊死して行くわけなのだ。

 おっと、こんな話を聞くと、作曲を志す若い諸君はもうこんな国は捨てて海外脱出を考えたくなるかも知れないな。でも、もし出来ることなら、そうしたまえ。私は、美味しい日本酒が飲めると言うだけの理由でまだこの国にいるけどね(笑)。

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仕事&音楽」カテゴリの記事

コメント

はじめまして。
う~ん。正直に申して先生の一方的なお怒りには少し違和感がありました。ネットを辿るとそのように感じたのは私だけではないようでしたので、書き込みします。

>そもそも音楽作品は、まずそれを生んだ作曲家のもの

作品としての曲そのものは作曲者のものでしょうが、その演奏を収録した音源は果たして作曲者のものなのでしょうか?
国立劇場の件に関して言えば先生はおそらく作曲料というものを受け取っていて、著作権料も国立劇場は支払っているでしょう。さらには演奏者も演奏料を受け取っている。公演に掛かる費用も録音に掛かる費用も国立劇場が負担している。入場料収入でペイされてはいないでしょう。それは芸術振興という名のもと、国立劇場が負担していると思われます。
今度はその音源をレコード会社が「商行為」として販売するのならば、国立劇場側としては自らが負担した金額から少しでも回収したいというのも無理はないように思ったのですが、いかがお考えでしょうか。

もちろん私も
>1秒220円(45分ほどのこの作品で60万円!)
はいくらなんでも高いなあと思います。
そもそも一般の商行為になじまない内容だからこそ国立劇場は制作したのでしょうから、そのような高額の使用料を払ってまで商品にしようという人はいないことはわかるでしょうに。

個人的にはもし先生のお怒りが「高すぎるよ」という一点でしたら違和感はなかったでしょう。
実際の交渉の現場でいわゆる木で鼻をくくったようなお役人体質に腹が立つことは私も経験がありますので良くわかりますが、安易な役人批判をすることは決してこの件の本質ではないと思います。

 コメントありがとうございました。現実はおっしゃる通りなのです。貴方のおっしゃることが、いわゆる「正論」なのです。
 国立劇場の言い分、NHKの言い分、商業行為というもののシステム、著作権法というもののシステム。いろいろな人たちが、それぞれの利益と権利を主張するバランスの中で、現在のこの状況が作り上げられてきたわけですからね。

 で、それぞれが「良かれ」と思ってやっていることのその狭間でこういうこと(作品の壊死)が起こっている…と紹介して「憂鬱」になっているのであって、怒っているわけでも批判しているわけでもありませぬので誤解なさらぬよう。

 実際に、こういう正論を言って下さる方がいるおかげで、国立劇場もNHKも自分たちの行為を正当化できているわけですから、この問題は「憤慨するのは分かるけれど、仕方ないし、どうしようもない」という結論にすべて収斂してゆくのだと思います。

 まあ、彼らにしても、そもそも21世紀の現代に新作雅楽を書くような非常識なやつに「常識」をとやかく言われたくないよ…と笑っていることでしょうしね(笑)。

5月19日付日記内の先生のコメントにあった「かつて役人をしていた」のは私です。役人批判が一人歩きするのは本意ではないと思い、まず先生宛メールしたものです。

「正論」が出て、それに対して先生がコメントされたので、多分この件は終わりかなあ、と勝手に思っていますが・・

 「仕方ない」で済むというのは、その件に関して関係の無い場合、無関心の場合、立場の強い場合と色々でしょう。もちろんみんなが全てに関して当事者でいることはありえないわけで、日常のほとんどの事件、出来事は同情はするけど結局は他人事。
 しかし当事者は必ずいるわけで、たいてい少数。その少数の当事者の不幸や諸事情を「仕方ない」で済ませないで救済しようとするのがさまざまな分野に存在する団体なのでしょう?

 現代日本のクラシック音楽はまさに少数弱者。それをもっと多くの人に聞いてもらえる状況を作ることが、芸術文化振興団体の役割であるはずですから、その方法やそれに伴う問題等は色々あるでしょうが、その自らの存在理由ををしっかり理解していればもっと違う対応になったはずですし、今後、規則等を緩めるなどして、もっと柔軟な、ある意味大人の対応が出来ることを願ってやみません。

「仕方ない」ばかりの世の中じゃあ、やり切れないですよね?
 

吉松先生、

本件につき、ブログ仲間で色々と意見の交換をしています。

『著作権法や民法の体系がそうなっているからしょうがない。』
とか
『商行為が絡んでくるので、それは、権利を契約で売ってしまった方の負け・・。(このCD、余程の私のような余程の好事家=吉松ファンにしか売れないでしょうから(失礼)、先生に入るせいぜい**円、とても商行為=儲けを考えたCD化だとは思えないと推察しますが。)』など、ある意味まっとうなオビジェクションもあるにはあります。

・本当に、文化的水準を維持していくための、この国のあるべき姿。
・そして、それと現実のギャップがある原因。
・それを埋めるために、私達が出来る具体的な解決方法などないのか

私も、最初“義憤”にかられ激情が先走ってしまいましたが、もう少し、このことについては、頭を冷やしてl自分なりに意見を纏めたいと思います。
もし、お気が向きましたら↓覘いていただければ光栄です。
また、我々の事実誤認などありましたら、コメントなどいただけましたら幸甚です。

http://garjyu.at.webry.info/200605/article_33.html

http://hpcgi2.nifty.com/182494/cgi-bin/treebbspro(1).cgi?vew=16619

garjyu

 色々貴重なご意見ありがとうございます。

 ひとつ補足しておきますが、最近では、この種の問題が深刻化してきたので、CD会社も作曲家も注意するようになりました。ですから、ここ5年以内くらいの委嘱・録音・CD化については、NHKや国立劇場などの委嘱で作品を初演しても、録音は彼らにまかせず、必ず作者サイドでも別ラインによる録音を確保しておくというのが鉄則になっているようです。人間不信ここに極まれりですが。

 つまり、今回のケースで厄介なのは、委嘱と録音が9年前に行われ、その時点の契約書にはその種の問題がおこることを想定した条項などなかったという点です。(そもそも、当時は作品を書いて契約書を交わすなんて、かなり特殊なケースでしたし)。ところが、数年前に国立劇場が独立行政法人になって規約を改定し、複製とか二次使用とか審査とか使用料の条項を一方的に作ってしまったわけです。

 実際、ほんの2年前にこの作品の楽譜制作に関わった国立劇場の方も、そんな規約改正があったとは知らず、「CD化は問題ありません」と口頭でのOKは取っていたのです。それで、今回のCD化の話が動き始めたのですが、さて、ほかの曲の録音も済んで最後の最後に大元のオリジナル音源を拝借して…と言うことになった時点で初めて19日付の日記に書いた「規定により…」という話が出てきたわけです。

 初めからそうと知っていたら、そもそもCD化の企画など初めから浮上しなかったのですから、いかに先方に悪意が無かったとは言え、「今ごろになってそんなこと言い出すなんて!」と当方が色めき立ったのは無理もないことと理解していただけると思います。損害賠償を請求する…と言い出すこともあり得るケースですからね。訴訟うんぬんと書いたのは、著作権法上の違法性はないにしても、それならそれで契約条件が変わったことを作曲者に告知する義務があったのでは?というような点です。民事訴訟を起こすとしたら、そのあたりだとアドバイスされました。もっとも、そんな面倒なことをするつもりはさらさらありませんが(笑)。

 また、ではどういう条件なら作曲家の側から見て「妥当」だと思えるかですが、芸術文化振興として作品の音源を保管するのなら、著作権処理はすべて済ませたうえでアーカイヴ(記録資料)化するのがまず基本でしょう。それなら、複製して二次使用された場合にある程度の使用料が発生するのもやむなしです。そして、使用料のうちの50%は著作権処理に関わった作曲者と演奏者へ還元する。これなら、怒る人はいません。そのどれもやっていないのに、自分たちの利益と権利だけを主張することに呆れているわけです。

 今、そういった不備について国立劇場に「意見書(抗議文)」を提出することを考えているのですが、根本的な解決が為されずに、直接の担当者の方が「抗議文をもらった不始末」で上司から処罰されたり勤務評定に響いたりするだけで終わったら可哀想ですので、怒っている…とか糾弾する…とかいう部分のないよう、頭を冷やしつつ慎重に文面などを検討中です。

補遺

ちなみに初演時に国立劇場と交わした契約書は下記の通りです。
(ただし、国立劇場側は保存期間をすぎたので破棄したと言っています)

曲目〜上演場所〜上演日時〜上演回数〜委嘱契約料が明記され、
1.委嘱契約料の中には次の使用のための使用料を含むものとする。
 イ.当該公演での使用
 ロ.記録保存のために行う録音録画、上演資料の編纂、教材への使用。
 ハ.宣伝のための使用
2.ラジオやテレビの録音録画中継など、前記以外の使用は含まない。

#この契約に記載されている以外の事項は協議の上決定する。

これですべてです。

先生、ご丁寧にありがとうございます。
多少は冷静になりました。笑

 「規約」というのは、契約の際元になったものですよね。
 でも素人ながら疑問ですが、その規約が改正されたからと言って、何の手続きもなしに、即、過去の個々の契約内容にまで遡って効力を発揮するものなのでしょうか??
 どのような規約か分かりませんが、先生の今回の案件があの契約に基づくもので、それに対し国立劇場が新規約のことを持ち出すのであれば、まず新しい条件による変更契約等の手続きが必要に思うのですが・・でも、よく分かりません。そういうものなんですかね~??

 多分見当違いのことを言っているような気がしますので、どのなたか詳しい方いらっしゃいましたらご教授ください。お願いします。

 それともう一つ、作曲家から譲り受けた、自分たちにとっても大切な(はずの)作品の権利関係を示した「契約書」を捨ててしまうあたり、この団体の姿勢が分かりますね。私が先生の立場でしたら、作曲者として、ちょっと寂しいですけどね・・・

 「鳥夢舞」、まだ聴いていませんので、是非聴きたいです

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