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2006年6月

2006年6月29日 (木)

新編:現代の箏曲

Koto 宮城道雄から現代までの箏曲30曲を集大成したという「現代の箏曲」なるCD-BOX(5枚組)が届く。邦楽誌の読者アンケートで選ばれたベスト30なのだそうで、私の「双魚譜」(1986)という尺八と二十絃箏のDUO作品も、古典の顔をして収録されている(笑)。

 それはそれで非常に光栄なことなのだが、「聴き手が選んだ作品」ということで、いわゆる現代音楽系の無調作品は皆無。基本的に…音楽愛好家が普通に聴けて、アマチュア演奏家でも頑張れば演奏できそうな…という曲が並び、洋楽系作曲家としては私のほか、伊福部昭・松村禎三・佐藤敏直…といった諸氏が名を連ねるくらい。それが果たして妥当なのかどうかは歴史の判断にまかせるしかないけれど…。

 ちなみに、私が個人的にCD「現代邦楽ベスト10」を編むとしたらこんな感じ。
・宮城道雄「春の海」(1929)
・諸井誠「竹籟五章」(1964)
・長沢勝俊「人形風土記」(1966)
・武満徹「ノヴェンバーステップス」(1967)
・山本邦山+菊地雅章「銀界」(1970)
・安達元彦「邦楽器のためのシャコンヌ」(1971)
・石井真木「モノプリズム」(1976)
・武満徹「秋庭歌」(1979)
・吉松隆「星夢の舞」(2002)
 ……おっと、あともう1曲か…(笑)

2006年6月27日 (火)

左手のピアノのための...

Finlandia 舘野泉さんの演奏で私の左手のピアノのための作品集をCD録音することになり、旧作「4つの小さな夢の歌」(全4曲)の3手連弾(両手2本+左手1本)版ほかを、フィンランドの舘野さん宛に送付する。

 今年の夏のオウルンサロ音楽祭で、「アイノラ抒情曲集」「ゴーシュ舞曲集」などと共に(間に合えば)初披露の予定です…と言われて、思わず以前から約束していたシベリウスの「フィンランディア賛歌」の左手ピアノ版も追加。

 それにしても、左手のピアノのための作品集とは・・・。音楽というものは、思いもかけず実に面白い不思議なところへ人を導いてくれるものだ。

 でも、考えてみれば、左利き(酒飲み)が左手のための音楽を書くのだから、当然かつ必然的な運命のような気も...(笑)

2006年6月24日 (土)

ALL 吉松 CONCERT in 大阪

Trio 大阪でのオール吉松コンサート(河村泰子ピアノ・リサイタル)に出向く。作曲家や音楽祭が企画するのとは違い、演奏家が「弾きたい&聴きたい曲」を披露するという、もっとも純粋で真っ当な作品集コンサート。 
 そんな気迫と情熱が伝わってかホールは満員御礼の盛況。「クラシックのコンサートは初めて」という初心者から吉松マニアまで、次から次へとオモチャ箱をひっくり返したように繰り出す音楽に呆れ・・もとい、酔いしれた(ような気がする)。  

 冒頭ピアノソロ(プレイアデス舞曲集I-II)でさりげなく始まり、やがてギターとフルートが加わり(同III)、フルートとピアノが全力疾走する(デジタルバード組曲)までが前半。後半はギターソロ(優しき玩具)でしっとり始まり、ちょっと解説を挟んでから12年に一度しか演奏されない占星学的室内楽の秘曲(四重奏曲アルリシャ)と、泣く子も黙るトドメのロックンロール(アトムハーツクラブTRIO)で燃え上がり、アンコールはふたたびピアノソロに戻って「消えたプレイアードによせて」で静かに美しくクールダウンして終了。

 クラシカル〜モダン〜ロックと振幅し変化する緩急自在の構成も良かったし、作った「製造販売責任者(?)」自身が忘れていた自分の音楽の本性に気付かされるような(笑)、楽しくも心躍らされるコンサートだった。ベーゼンドルファーのショールームの隣という立地条件抜群のホール(新大阪:ムラマツ・リサイタルホール)のせいもあって、ピアノの響きも万全。企画制作から演奏まで八面六臂の活躍をされた河村泰子さん、そして見事な演奏を聴かせてくださった演奏家(fl:中務晴之、g:増井一友、vn:友永健二、vc:黒田育世)の皆さんに拍手。 

 終演後、なぜかサイン会。「ピアニストのリサイタルなのに、なんで作曲家がサイン会してんねん!」という非難の目がチクチク(笑)。勢い余って、飲み会では大阪音大の作曲学生さんたち相手に「怪しい作曲道」を垂れ、純朴な目が点になるのが分かる。いかんいかん。こんな怪しい作曲家の言うことなど信じて道を踏み外してはいけないよ。信じていいのは音楽だけだ。

2006年6月21日 (水)

ワルキューレ@メトロポリタン・オペラ

Walkure メトロポリタン歌劇場の来日公演「ワルキューレ」を見に行く(NHKホール)。呑気なことにあんまり下調べもせず出かけたところ、第一幕ののっけから、ジークムント役が異様な(イタリア・オペラ的)声質と存在感。「あれは誰だ?」とパンフレットで確かめたら、プラシド・ドミンゴ(笑)。

 全体に、重厚でスペクタクルな神話劇というより、会話重視の叙事的心理劇といった作りで、音楽も心理描写にポイントを当てていて好感が持てる演奏。ただ、そういう情緒的な心理劇にしてしまうと、この4部作、なんとなくホームドラマ風に見えてきてしまうので、その手綱の締めどころが難しい。なにしろこのワルキューレ、ひとことで身も蓋もなく解説してしまうと、第1幕は「間男の不倫」、第2幕は「夫婦げんか」、第3幕は「娘の勘当」なのだから(笑)
 
 でも、ヨーロッパの歌劇場がこぞって妙に現代風な演出(舞台がダムや工場だったり、革ジャンのヴォータンやTシャツ来たジークフリートだったり)の「指環」をやっている昨今、正攻法なゲルマン神話的な世界で「指環」が観られるのは貴重。その独特な雰囲気に、若い頃NYで見たメトの舞台(その時はワーグナーではなかったのだが)を思い出してしまった。

2006年6月18日 (日)

大阪 de リハーサル

Concert 大阪で来週開かれるコンサート(河村泰子リサイタル/吉松隆作品シリーズvol.1)のリハーサルに出向く。ピアニスト河村泰子さんの初リサイタルでありながら、なぜか私の作品集コンサートという不思議な企画である。

 メインはもちろん彼女の弾く「プレイアデス舞曲集」だが、フルートとの共演による「デジタルバード組曲」、ギターによる「優しき玩具」に加え、なんと20年ぶりの蘇演になる(私のほとんど唯一のマジメな純室内楽曲)ピアノ四重奏曲「アルリシャ」と、ピアノトリオ版アトムハーツクラブTRIO(こちらは完全にロックバンド仕立て!)の初演!も披露される気迫のこもったプログラム。

 今回の「アルリシャ」にしても、同じく25年前に書いた「デジタルバード組曲」にしても、当時は現代音楽界の第一線の演奏家でも弾くのに青息吐息という感じの超難曲(のはず)。それなのに、皆さん「いやあ、難しいですよー」と言いながら結構カンペキにお弾きになる。演奏家の「弾けません」と作曲家の「弾けます」は信じてはいけない…ということですな(笑)

 コンサートは24日(土)18:30より、新大阪のムラマツ・リサイタルホールにて。当日は私もひとことトークで出演の予定。

2006年6月17日 (土)

梅田 de 追悼展 ?

Jeugia_1 JEUGIA梅田での「吉松隆フェア」のイベントに出向く。イラストのほか自筆楽譜も展示されていて、気分はすっかり「追悼展」(笑)。
 本日はメイン・イベント?のミニ・コンサート(piano,flute,guitarのお三方で7曲ほどを披露)と雑談トーク。雨の中たくさんのお客さんが来てくださって感謝。世にも珍しい「生きて話す作曲家」(もはや絶滅種)を見られる貴重な機会を堪能していただけたならこれ幸いである。

 それにしても、自分の音楽について語る時いつも思うのだが、こうして人前に出て行って話す人格である私(ヨシマツ4号)が、〈吉松隆〉という作曲家について語るのは、どうも違和感がある。「朱鷺によせる哀歌」はヨシマツ1号、「交響曲第3番」とか「サイバーバード協奏曲」はヨシマツ2号、「プレイアデス舞曲集」はヨシマツ3号の仕事であって、実を言うと私には彼らのことは良く分からないからだ(笑)。ちなみに、このブログを書いているのはヨシマツ5号・・・らしいし(^_^;)

 まあ、作曲家というのはそもそも、音楽だけ残して人格は抹消される…というのがお約束の仕事。根暗で偏屈なコメディアンもいれば、明るくおしゃべりな哲学者もいる。美しい真珠が不細工な貝から生まれることもあれば、性格の悪い魚だって刺身にすれば美味い…ということもあるもんさ(笑)

2006年6月15日 (木)

ミニ・コンサート&トーク in 大阪

Spconcertmini 今週末のミニ・コンサート(ピアノ:河村泰子、フルート:中務晴之、ギター:増井一友)について、演奏者から「衣裳はメイド風にしましょうか?(なんでやねん!)」という大阪風ボケ+ツッコミ??のメールが来る。
 ☝…で、思わずこんな妄想イラストが・・・(笑)。

 イベントは、17日(土)午後3時より JEUGIA梅田ハービスENT店(大阪)にて。当日は、私も大阪まで出向いて何かしゃべる予定です。

2006年6月12日 (月)

ジェルジ・リゲティ氏死去

Ligeti 12日、作曲家リゲティ氏死す。83歳。
 SF映画「2001年宇宙の旅」でも使用された「アトモスフェール」(1961)で、60年代前衛音楽界に(「広島の犠牲によせる哀歌」のペンデレツキ氏と共に)トーン・クラスター旋風を巻き起こした大作曲家。
 ♪注:クラスターと言うのは、音階の中の#♭から1/4音までのすべての音をブドウの房(クラスター)のように重ねて鳴らす作曲技法です。念のため。

 彼と同時代の前衛音楽の作曲家たちは、60年代にその先鋭的なサウンドで一斉を風靡した後、80年代以降になると・・・
 1.中途半端なロマン派回帰をして呆れられる
 2.頑迷に前衛に徹して世間から取り残される
 ・・・という二派に別れて衰微して行った。
 しかし、リゲティ氏の場合は、オペラ「グラン・マカーブル」に見られるような独特のユーモア(と言うよりギャグのセンス?)が、1にも2にも堕さない微妙なスタンスを作っていたように思う。ピアノ協奏曲やヴァイオリン協奏曲あるいはハンガリアン・ロックなどは、ゲンダイ音楽だと思ってかまえて聴かずに、ロックンロールしそこなったフリージャズだとでも思って聴けば、けっこうお茶目で楽しい音楽なのだ。しかし、個人的にはやっぱり「アトモスフェール」のショックが忘れられないけれど。

 余談だが、数年前に某神社(もちろん日本の)で氏とすれ違ったことがある。その時は来日しているなどとは露知らず「あれ?どこかで見たような?」と狐につままれたような気分だったが、後に京都賞だったかで日本に来ていたことを知った。しまった。本人だと知っていたら、サインでももらっておけば良かった(笑)。

2006年6月10日 (土)

梅田 de イラスト展 OPEN

Illusts_1 本日10日(土)より17日(土)まで、JEUGIA梅田ハービスENT店(大阪)で初のイラスト展が開催されます。A4サイズのカラー・イラスト20数点(+ポストカード・サイズもあり)と、手書き楽譜(プレイアデス舞曲集の初稿や、交響曲第3番のフルスコアなど)が展示されますので、興味がおありの方はどうぞ。

 ちなみに、これは「没後X年記念」ではありません(笑)。作曲者はまだ生きていて、最終日の来週17日(土)には、当会場で、トーク&ミニ・コンサートが行われる予定です。(もっとも、それまで生きていれば…の話ですが)

ドン・ジョバンニ殺人事件・解決編

Donholms Blog「月刊クラシック音楽探偵事務所」更新。

 今回は、「ドンジョバンニ殺人事件」の解決編。ついに、真犯人と驚愕の真相が明かされます。驚きのあまり腰を抜かしたり、ものを投げつけたりしないで下さい(笑)。

2006年6月 9日 (金)

NHK-FMベスト・オブ・クラシック

Clara NHK-FMのベスト・オブ・クラシックにゲスト出演。シューマン没後150年記念で、交響曲第4番(第1稿)、第1番「春」に加えて、奥さんのクララ・シューマンが書いたピアノ協奏曲イ短調を聴く。(ピアノ:伊藤恵、準メルクル指揮NHK交響楽団)。

 クララのピアノ協奏曲(1835)は、夫ロベルトの有名な協奏曲(1845)より10年も前、天才少女時代の14歳から16歳にかけて書かれたもの。明らかにショパンの協奏曲(1830)の影響があったり、様式に若干統一性が無かったりするものの、既にブラームスを突き抜けてラフマニノフの方向へ行っているなかなか個性的な秀作。16歳の少女(今で言うなら女子高生!)が書いたことを考えると、公平に見て旦那ロベルトより音楽の才能は上だったかも(笑)。

 彼女なくして、シューマンやブラームスの交響曲や協奏曲はなかったかも知れないのだから、内助の功としての存在は重々承知してはいたが、(歌曲やピアノ曲を聴いている限りでは)これほどの才能とは思わなかった。
 今回、この協奏曲を聴いて改めて、シューマンと結婚するにあたって父親が「そんなどこの馬の骨とも知れない作曲家との結婚なんて断じて認めん!」と怒り狂い、訴訟を起こしまくったのがよく分かった。シューマン先生には悪いけど、これは私が父親でも絶対反対するなあ(笑)

2006年6月 8日 (木)

CDリアル・ユーフォニウム

Realeupho ユーフォニウムの外囿(ほかぞの)祥一郎氏の新作アルバムのサンプル盤が届く。(ピアノ:藤原亜美。佼成出版社:KOCD-2519)。

 1999年に彼のために書いた私の「メタルスネイル組曲」op.80(全7曲)の初録音ほか、30〜40代の若い作曲家たち(伊藤康英、鍋島佳緒里、長生淳、中川俊郎、中橋愛生)による委嘱作品ばかり計6曲を集めたオリジナル・アルバムである。

 このユーフォニウム(Euphonium)、通常のクラシック音楽界ではあまり知られていないが、ブラス・バンドや吹奏楽では〈中音域ブラス〉として不可欠な楽器。ベルリオーズやブルックナー、マーラーなどのスコアでは「テナー・チューバ」として使用され、ホルストの「惑星」などにも顔を出す。アルト・ホルンやバリトンは兄弟楽器で、音色としてはスライドのないトロンボーン…といった感じだろうか。

 とは言え、さすがにオリジナルのソロ作品は滅多に無いので、いかに優れた委嘱新作を増やすかが奏者にとっては最重要課題かつ腕の見せ所。昨今は、新しい作品だからと言って、頭でっかちのいわゆる無調・前衛のゲンダイ音楽である事はむしろ稀で、それは今回のこのアルバムを聴いてもよく分かる。だから、演奏家たちも、もっと「こういう曲を書いてくれ!」と主張して、自分たちの時代の楽しくも美しい音楽を作曲家との共同作業で創るといい。200年以上も前に死んだヤツの音楽なんか、どうでもいいからさ(笑)。

 ちなみに、拙作のタイトル「メタルスネイル(Metal Snail:金属蝸牛)組曲」はこの楽器が、金属製のカタツムリみたいな形をしていることに由来している。これも、どーでもいいことだけど(笑)。発売は、6月14日の予定。

2006年6月 6日 (火)

島田荘司「帝都衛星軌道」

Shimada 島田荘司氏の新刊「帝都衛星軌道」を読む。新作ミステリなのに名探偵:御手洗潔がまたしても登場しないのは残念ながら、物語の最後に東京の地下鉄についてボソッと書いてあるところで目が釘付けに。
 いわく、東京の地下鉄と言うのは、大戦中に掘られた首都防衛用の地下防空壕や巨大地下施設や抜け穴の類いを、年月が経って崩落する危険があるので補強しながら繋ぎ合わせているだけだ…というのである。

 それについては幾つか本も出ているほどの一種の都市伝説らしいのだが、高校生時代に慶応日吉校舎地下の大本営巨大地下壕を間近に見、子供のころ東京オリンピックでの首都高速を始めとする建築物の突貫工事を目の当たりにし、あるいは浄水場跡に出来た新宿副都心の地下道網を見、50年近く延々何かをほじくっている実家近くの山手通りを見ている身には、東京の地下には都民に知らされていない何かが埋まってるんじゃないか…というのは空想ではなく実感に近い。

 確かに、(東京に住んでいる方以外には実感できないかも知れないが)この街の地下鉄のわけの分からない迷路のような路線網や、厖大な建設費がかかる筈なのに意味もなく奇妙な路線を増設する無秩序さ、あちこちの地下道で見かける階段の乱高下や場違いで意味不明な柱、どこに繋がっているのか分からない不思議な空洞の存在、そして年中なにかをほじくっている道路工事の多さなどなどは、そうとも思わなければ説明がつかないほどだったりするのである。

 以前は、単なる都市計画の杜撰さ…という程度に思っていたが、うーん、確かにそう言われて見ると、なんか色々埋まっている気になってきたぞ。むかし、新宿西口の地下から大阪梅田の地下に抜けられる秘密の地下道がある…なんていう都市伝説があったけれど、今度ヒマな時に探してみるとしようか(笑)

2006年6月 4日 (日)

創作と盗作の狭間で

Mozartto 洋画家W氏の盗作問題が世を賑わせている。美術家の知人は彼のファンで画集も持っているとかで、ショックを隠しきれない様子。でも「これが盗作なら、もう一人心当たりがあるけど…」とも(笑)。

 今回の場合は、あまりにも「盗作かつ剽窃」の度が過ぎて弁解の余地もなさそうだが、本来は、芸術に「模倣」はつきもの。と言うより、すべての創作は「模倣」から始まる。模倣を承諾した上下関係を「師弟」と言うくらいだ。私も音楽上はシベリウスを模倣するところから始まった。だから、彼を(会ったことはもちろんないけれど)「師匠」と呼んでいる。

 問題が問題だけに実名は出せないが、日本を代表する某大作曲家のスコアにも「ここはMそっくり。これはBそのまんま」と驚く部分があちこちにある。ただ、それを盗作とは誰も言わない。なぜなら、それらの素材を見事に消化吸収し、どこからどう聴いても彼の音楽になっているからだ。それを「オリジナリティ」と言う。

 しかし、メロディの場合は難しい。最近も、某地方都市(これも問題が問題だけに「某」ばかりになるのはお許し願いたい)で歌われている新しい街の歌というのを聴いてギョッとしたことがある。むかし歌番組などでよく歌われていた外国製の某曲そっくりなのだ。
 ただ、アマチュアらしいその曲の作曲者がそれを自覚して盗作したかどうかは分からない。子供のころに聴いて、誰のなんという曲かも知らないで頭に染み込んでいるのが出てきたのかも知れないからだ。素直な作曲家ほどいつ剽窃の地雷を踏むか分からないとも言える。

 一方、プロともなるとその点は巧妙で、最近のポップスなどでは、1フレーズ単位の盗用(パクリ)を切り張りしたような曲が実に多い。すべて「どこかで聴いたことのあるパーツ」の寄せ集めなのだが、曲そのものは特定の何かの曲の盗作ではない…という高等テクニック(?)である。だから(これだけパクリが横行していながら、皮肉なことに)業界内では「おたがいさま」として、滅多に盗作・剽窃で訴訟が起きないとも言える。

 かの現代音楽界などは、いくらオリジナリティを主張しても逆にどれもこれもみんな同じに聴こえて、誰にも区別がつかないから「おたがいさま」。コミックスなどでも、ペンタッチから構図からキャラクターからストーリーからほとんど盗用…という例も少なくないが、これも盗作だ剽窃だと非難した途端に自分の所に返ってくるから「おたがいさま」。創作と盗作の距離感は、限りなく微妙だ。

 というわけで、格言をひとつ・・・

 何を盗んだかわからないほど盗めば
 それはもはや創作である(笑)

2006年6月 2日 (金)

音楽は年の差を超えるか

Gal 芸術の憂鬱からしばし逃避して、若い人向けの交響曲入門書(?らしきもの)の続きを書き進める。

 この本、最初はどういう語り口にしようかと七転八倒していたのだが、ある時、交響曲作家のセンセと音楽好き女子高生の会話…というとんでもない設定(やっぱり吾妻ひでお師の影響か…)を思い付く。そうしたら「あ、それいいですね。それで行きましょう」と編集者におだてられ、その方向で書き進めることになってしまったのである。

 しかし、ここで問題がひとつ浮上。私から見ると、女子高生も女子大生も二十代のOLも三十代のキャリアもみんな「若い女性」で区別がつかないのだ(笑)。

 ということは、逆に十代の女性から見たら、二十代の新米サラリーマンも三四十代の脂乗り切り世代も五十代のちょいワルおやじも六十代のご隠居も、みんな「オジサン」で区別がつかない…ということか(笑)。

 そんな年の差カップルが〈交響曲〉を語る。私の中ではこの二人、ホームズとワトソンのつもりなのだが、良く考えてみれば、世にも珍妙な漫才コンビだな。だんだん不安になってきた・・・

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