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3日ほど前、近所のアパートの門柱の上に大きな白い熊のぬいぐるみが置いてあった。大きさは赤ん坊ほど。赤い小さな帽子をチョコンとかぶっていて身体は純白。まだ真新しい。それが門柱の上から通行人を見下ろしている。ちょっと不思議な光景だ。
「見たまえ、ホームズ、こんなところに熊のぬいぐるみが置いてある。どういうことだろう?」
「ふむ。推理して見たまえ、ワトソンくん」
「そうだなあ。まだ真新しいところを見ると、これはプレゼントじゃないだろうか。誰かがこのアパートに住む女性に恋をして、帰ってきた時にビックリさせようと・・・例えば誕生日プレゼントとして置いたんじゃないかな?」
「キミはロマンチストだね。ワトソンくん。でも、違うね。これは単にアパートの住人が不要品として捨てたのさ。ただ、ゴミとして捨てるには忍びなくて門柱の上に置き、誰かに持って行ってもらおうとしてる…と、そんなところだろうね」
翌日行くと、ぬいぐるみは門柱から降りて、アパート入口の排水溝の上に座っていた。その眼差しは、心なしか少し寂しげに見える。
「ホームズ、見たまえ。今日はこんなところに座ってる。どうやら彼女は、彼からのプレゼントが気に入らなかったらしい。受け取ってもらえなかったようだね」
「キミはあくまでもロマンチストだね、ワトソンくん。よく見たまえ、このぬいぐるみは、赤い帽子をかぶっている。たぶんこのアパートに住む女性が恋人から去年のクリスマスにでもプレゼントされたのさ。しかし、それから8ヶ月ほど経ち、二人の間は冷えてしまった。そこで女性は、今となっては苦い思い出の記念品でしかなくなった彼を捨てることにした…と、そんなところだろうね」
そして、昨日の朝、通りがかると、ぬいぐるみはアパートの前の燃えるゴミ置き場に転がっていて・・・夕方には、ゴミと一緒に影も形も無くなっていた。ワトソン氏とホームズと、どちらの推理が正しかったのか、あるいは別の思いもよらない真実があったのか・・・それは知る由もない。
東京に帰ってきたら、太陽系の惑星がひとつ減っていた(+_+;)。
この8月24日に開かれた国際天文学連合(IAU)の総会で、冥王星(Pluto)は太陽系惑星に数えないことになったのだそうだ。その直前には、逆にセレス、カロン、ゼナ(2003UB313)を加えた12個が太陽系の惑星になりそうだというニュースがあって、冗談半分に「吉松サン、ホルストの組曲〈惑星〉に4曲追加した〈新・惑星〉を書いたら?」などと言われたばかりなのに。
とは言え、冥王星は(月よりも小さいし軌道も大きく傾いているので)惑星とは言えない…というのは天文学マニアの間では昔から「ほぼ常識」。その点は逆に不思議に思っていたのだが、アメリカ人(C.トンボー)が発見したから、巨大パトロンの後押しがあって70年以上も惑星の座にいたのサ…と聞くと(真偽の程は分からないけれど)、なるほど…と納得。星の世界も政治とは無縁ではないようだ。
それでも、今回のこの冥王星の降格について、かなり感傷的な(かわいそう…というような)意見が多いのは面白い。「おまえなんか小さすぎて惑星じゃない」と仲間はずれにされるのは、ひとごと(ほしごと?)ではなく身につまされる人が多いということか(笑)。
草津音楽祭を終え、西村朗氏夫妻と軽井沢に出る。
天気が良くて、雲が美しい。
まずは、木立の中に静かに佇むフランス料理店プリマヴェーラで昼食とワイン。
そのあと、ウチの庭にある(^_^;)雲場の池で記念写真。
午後は、鹿島の森でリスと戯れ(?)、旧軽井沢銀座近くのむかしの想い出・軽井沢館で、昭和のレトロ・グッズに触れる。西村巨匠は、縁日コーナーのヨーヨー釣りがいたく気に入った模様(笑)。
その後、ドイツ料理専門店キッツビュールで、ドイツビールとソーセージ。
何だか物凄く久しぶりにのんびりした気分を味わう・・・
この作品は、芥川竜之介の「地獄変」を元に、作曲者自身が台本を書いた(いわゆる)モノオペラ。浄瑠璃語りに相当するソプラノが物語やセリフのすべてを歌い、その背景で7人の奏者が下座音楽のように(グリッサンドやトレモロを駆使したニシムラ・サウンドによる)音響世界で寄り沿うという形の1時間ほどの舞台である。
今回は、観世栄夫氏の演出による能の役者が4人、音楽の中に現れる〈絵師〉〈その娘〉〈弟子〉〈殿様〉…という4人のキャラクターを舞で演じるという趣向の〈草津版〉の初披露。
舞台右脇に指揮者付きの洋楽器アンサンブルが陣取り、中央には炎上する牛車の舞台セットが置かれ、そこに能装束の4人の演者がしずしずと現れる…という出だしからして、なかなか興味津々の出し物である。
オペラと言っても、登場人物がアリアやメロディを歌う場面はなく、かと言って能のように楽器が寡黙に時を切る取るのでもなく、絶叫するソプラノと全編ほぼフォルテで激しいノイズ的音響を叩き出すアンサンブルが、軋み、うねり、悶えながら、地獄絵を描くために我が娘を焔の中で死なせてしまう絵師のドラマと内面世界を、緊張の持続の中で紡いでゆく。
妥協なしの正攻法の現代音楽スタイルの曲なので、モーツァルトの延長かと思って知らずに来てしまったお客さんはさぞ驚かれたことだろうが、頭の中のスイッチをちょっと切り替えて「しまった」とあきらめてしまえば(笑)、「これはこれでなかなか」楽しめたのでは?
それにしても、人間の限界を逸脱した超絶技巧が連続する壮絶なスコアを1時間にわたって弾き切った(&歌い切った)演奏者の方々には、心からの拍手と「お疲れさま!」の一言を。作曲家という奴は加減というものを知らないのですよ。ホント、すみませんね(笑)
代々木のスタジオに一日こもって、ピアノとコーラス・パートの録音に立ち会う。
原曲は、先日仕上げた混声合唱と児童合唱とオーケストラという編成の曲。これを、アマチュア・コーラス(&児童合唱)の方々の合唱練習用に、まずは伴奏ピアノ付きで各声部(ソプラノ、アルト、テナー、バス)を歌ったものを録音し、それをCD(ROM)にしてみんなに配布するのだと言う。なんという親切なことが出来る時代になったのだろう!+(^..^)
ただし、スタジオに集まったのは女声・男声ひとりずつ。男声はテナー2声部とバス、女声はソプラノとアルトの2声部に加えて児童合唱のパートまで担当し、4時間ほどかけてたった2人で最大8声部になる合唱パートを歌い倒して多重録音。これを、各パートごとにミキシングし、CD(ROM)に落として完成である。
つまり、このCD1枚あれば、合唱のどのパートの人もボタンひとつで自分の歌うパートのガイドを聴くことが出来るわけで、なるほど、至れり尽くせり。
しかし、ガイドを歌う歌手の方は、アルト(バス)の最低音からソプラノ(テナー)の最高音まで駆使しつつ、民謡〜童謡〜ポップス〜TVドラマの主題歌〜懐かしのメロディ…などなどころころ楽想が変わるトンデモナイ曲(その楽譜を書いたのは私なのですけれど…)を初見で歌い分けなければならないわけで、これは仕事とは言え結構ハード。いや、ご苦労さま。
フルスコア33ページをようやく書き上げる。でも、合唱パート用のピアノスコアも作らなければならないようで、まだしばらく休めない (+_+)。o O
昨日(土曜日)は、Macに音符をこちゃこちゃ書き込む最後の追い込み作業中、午後に一瞬、夜に数分と、雷による停電があって、思わず「うわお!!!」と叫んで飛び上がる(笑)。
コンピュータ、電気なければただの箱…という通り、作業中に電源が落ちたりした日には目も当てられない。最後に保存してからその瞬間まで営々と積み上げた作業がすべて消し飛び、この世に存在しなくなる。こんな怖い事はない。
ただ、むかし一度痛い目に遭ってからは、だいたい一作業&数分単位でバックアップはこまめにやっているので、被害は最小限に食い止めることが出来た。
ちなみに、現在はメインマシンのMACのほかに、LANで繋いだWindowsのノートと250GBの外付けHDに平行して常時データを保存し、加えて20GBの携帯HDと520MBのメモリスティックにもバックアップを取って、外出時には貴重品と共に持ち歩いている。もちろん、ハードコピーとして数日おきに紙にもプリントしておくのは言うまでもない。
・・・などと書くと、えらく神経質な感じだな・・・(笑)。
Blog「月刊クラシック音楽探偵事務所」更新。
今回は、夏のシーズンオフ期間ということで「作曲家の夏休み」についてのお話。
ただし、当方は休みどころではなく、溜まりにたまった夏休みの宿題の最後の追い込みに目を血走らせている8月31日の小学生のような状態・・・(笑)
常陸の国(茨城)ゆかりの曲を集めて〈お国自慢交響詩〉?にする…という不思議な仕事のスコアを制作中。オーケストラ・混声合唱・児童合唱・オカリナ・創作打楽器という(まるでマーラーかベルリオーズのような)巨大編成で、しかも、茨城産の民謡や童謡やポップスなどご注文の8曲をすべて繋げて構成してアレンジして12分ほどの作品にする…という恐怖の音楽ジグソウパズル。こういう仕事は初体験なのだが、人の曲を勝手にいじくるのも意外と楽しい事を発見(笑)。
冒頭は、水戸ゆかりの水戸黄門のテーマで笑い?を取り、その後もボレロを入れたりストラヴィンスキー混ぜたりして遊んでいたまでは良かったのだが、後半Fmajorで始めたポップスの曲が、リフの後でなんと半音転調する。気が付くと、#6つのF#majorになってしまって、スコアはもう#だらけ。「しまった」と思っても後の祭り。オーケストラはともかく、これでは子供たちやオカリナは付いてこられない。もう一回半音転調…などというチープな事も出来ないし、さて、どうしたものか…としばし悩む。
しかし、パズルを解くように、うんうん唸りながらF#→C#→B7→E→A7→D→G7…と転調をこねくり回しているうちに、いつの間にかCmajorに無事に着地。コーダは何事も無かったかのように(お約束の)ハ長調に戻ることが出来た。こればっかりは作曲家にしか味わえない、天にも昇るような達成感である(笑)。
かのブルックナー先生も、このような事をやっていたのだろうか・・・と、転調を重ねるたびに#♭だらけになる彼の交響曲のスコアを改めて見直して、感慨にふけることしきり。
え?おまえと一緒にするなって?
失礼しました。