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2006年12月17日 (日)

さよなら、サイレント・ネイビー

Itoken 伊東乾「さよなら、サイレント・ネイビー」(集英社)を読む。作者:伊東氏は私より一回り下の世代の現代音楽作曲家。まだ東京大学理学部の学生の頃に確かお会いし、いきなりマイケル・ジャクソンの「スリラー」のビデオを見せて呆れられた記憶がある(笑)

 この書は、オウムの地下鉄サリン事件実行犯の一人:豊田亨が、彼の東大での同級生であったという視点から、著者自身と彼を隔てたものは何か?と問いかけてゆくノン・フィクション。彼自身、作曲家としてだけでなく指揮者やプロデューサーや東大助教授(情報学)など多面的な顔があり、科学や音楽や思想や歴史など様々な切り口をちりばめた多彩な情報量はさすが。一方、その煩雑さをソフトにさせるためワトソン役の若い女のコとの会話を織り込んだりするあたり、読みやすさにも配慮していて好感が持てる。生々しい事件をどこか夢のような解題にしているせいか毀誉褒貶が相半ばしているようだが、とてもいい仕事をしたと思う。

 オウム事件の謎は「科学的知識もあり高い知能もあるエリートのはずの青年たちが、どこから見ても怪しげな宗教思想にはまり込み、自覚のないまま反社会的な犯罪や大量殺人にまで至った奇妙さ」に尽きる。著者の追求もそのあたりの個人的な検分を核にして、原子物理や大脳生理学から戦時中の特攻隊や楠木正成の故事にまで考証の幅を広げている。しかし、そこに解答などあるはずもなく、実行犯である学友に「サイレント・ネイビー(黙って責任をとる海軍兵士)に徹するのはやめて、何もかも語ってくれないか」という思いをぶつけたのが本書のタイトルの由来になっている。

 ただ、彼自身は自覚していないのかも知れないが、それを言うなら(この書で個人的エピソードとしてのみ何度か登場する)彼が足を踏み込んだ「現代音楽」というのも全く同じ構造だ。あの時代、音楽にだって「局所最適・全体崩壊」のマインド・コントロールはあった。それが単に犯罪や殺人に及ばなかった(音楽には情けないことにそれほどの破壊力も殺傷力もなかった)だけの話であり、一般人から見て「頭のいい人たちがなんであんなことをしたのか理解に苦しむ」点では相似形(?)なのだから。

 ということは、麻原彰晃の代わりにブーレーズやケージやリゲティを信奉した彼自身の中にこそ解答の一片はあるはず。極めて理知的で将来を嘱望されていた青年のうち、一人がオウムに行き、一人が現代音楽に行った。この極めて象徴的な事実を軸にさらに切り込んだら、もっと恐ろしいノン・フィクションが出来上がるに違いない。

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コメント

そんなこと本当に書いていいんですか。楽壇の刺客から代々木に毒ガスを撒かれるかもしれませんよw

吉松さん 大変ご無沙汰しています 伊東 乾です

 「サイレント・ネイビー」への的確なコメントをありがとうございます。
現代音楽界全般からは 完全にサイレントな反応のこの仕事に
いち早くレスポンスを頂いて 大変感謝しております。

 ご返信が大幅に遅れてしまって すみません コメント欄があると気づいていたら もっと早くにお礼を申し上げたのに。 ごめんなさい。

 今日は 亡くなった松村禎三先生の追悼演奏会のことで 吉松さんの前のご住所に連絡を送ったら 帰ってきてしまった とのことだったので ネット上でのアクセス と 思ってみたのですが 

mail to としてのアドレスが見当たらなかったので この記事へのコメントの格好というのも変ですが、ご連絡させていただきました

 もし重複していたらお許しください

 よろしければ 現在のご連絡先を itosec@iii.u-tokyo.ac.jp まで ご一報いただけませんでしょうか。 よろしくお願いいたします。

                  *

 僕もこの15年くらい 日本の現代音楽界とはかなり疎遠になりました。これは高橋悠治さんの影響が大きかったです 

 でも逆に、実際に生きているリゲティ(亡くなりましたが)とかブーレーズ、シュトックハウゼン(彼も亡くなりましたが)などとは縁が深くなりました。ブーレーズはブラック・チョコレートが好きで柔軟な人だし、シュトックハウゼンは口は悪いですがいたずら好きでチャーミングな人でした 現在の彼らの音楽の演奏や解釈も 日本で50-60年代の録音を聴くのとはかなり違うものになっている あえて乱暴に言うなら 余裕のある 豊かなものになっています

 現実に行き来してみて、日本での彼らの受容がいかに曲がっていたか ということはとても強く感じます。

 ちなみに現代音楽を蛸壺として考えれば、カルト以外の何ものでもないと思います。問題は、音楽家としての活動をどういう格好にするかどうかでしょう。吉松さんは見事にその隘路を独立独歩でクリアされたと思います

 僕の場合は 日経に経済時評を書いたり およそ芸術音楽の作り手とは旧来人が思わないような方向に展開していて(これは偶然によるところが大きいですが)

 そんな陰で、20年来 プライヴェートで古典的なシンフォニーやコンチェルトのライフワーク録音を続けて、といった、私なりの珍しい音楽生活を送っています。 自分の演奏でアルバムを というのも
一つは自前の演奏会や「題名のない音楽会」を作っていたころの経験と、高橋悠治さん~グールド的な発想が元になっています

 今年は初めてCDをリリースするつもりです。ベートーヴェンの5番なんかが中心のモノです。 ブーレーズの指揮技法のコンピュータ・モーションキャプチャ分析(そんなことをやっています)の結果などもくっつけた、ソルフェージュのムックみたいなものを作っています 

出来上がったらお送りも申し上げたいので ぜひご連絡先をお伺いできれば幸いです

 ちなみに最初にお目にかかったのは、高校生3年生のとき、N響のプログラムに出ていた「朱鷺」のピアノ譜例を持って上原に伺ったときで もう25年前になります。人間の根は変わらないものですね

 一個人として吉松さんの作品を聴くこと、あるいは室内楽編成の朱鷺のピアノの演奏などは、18歳の当時も40を過ぎた現在も、私の最高の喜びの一つです。


とりいそぎご連絡を申し上げました

伊東 乾

追伸です

打って送ってから上の記事を改めて拝見したら なんか過分にほめていただいていて 「的確な」なんて書いてるのが不遜に見えたので 恥ずかしくなりまして 訂正です。

過分なご評価を頂いて とても恐縮しています

良い仕事になっているかは 薄氷を踏む思いですが 現実に 拘置所にいる友達に接見に行ったりしながら 仕事しているので 慎重は期すようにしました

 それにしても 40を過ぎてからノンフィクション・ライティングをするとは思いませんでした これも いろいろ偶然の経緯があってこうなったものです が 開高健さんの生前の担当編集者のかたがたに励ましていただいて この仕事も 音楽と密接に関わる形で続けることにしました

 来月はルワンダ国立大学というところに呼ばれていて、秋にはそこで見てきたもので一冊本を出すつもりです 

ヨーロッパの前衛で凝り固まった自分を ルワンダの音楽でぶっ壊してこよう というつもりもあります

追伸でした

いとうけん

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