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2007年1月

2007年1月31日 (水)

丑三つ時のヘリコプター

Heli 昨夜、夜中の2時頃ヘリコプターが飛んでいた。新宿から渋谷あたりを旋回している。あり得ない時間帯だから、なにかの非常事態なのだろうが、TVやラジオのニュースを付けてもネットで検索しても何も出ていない。

 そのうち地域単位でチャットしてしているサイトを見つけて覗いてみたら、案の定「さっきからヘリコプターが飛んでる」「XX上空でも音が聞こえる」などという書き込みを発見。
 しばらく見ていると「XXのX丁目の辺で火事。消防ヘリ」「なにも夜中にヘリ飛ばさなくても」「でも放火の疑いがあるから空から巡回してるみたい」「うるさくて眠れない」「そんなこと言って次に火をつけられるのキミの家かも知れないんだよ」「そうか。失礼」などという会話が進行。やけに詳しい情報を書き込む人がいると思ったら、どうやら警察(消防?)無線を傍受しているらしい。

 それにしても不思議な情報の入り方だ。テレビも新聞も形なしである。なんだか、むかしのアマチュア無線の時代を思い出してしまった。(ちなみに、朝刊にはこの火事のニュースはどこにも載っていなかったから、大事にはならなかったらしい。消防署の皆さん、ご苦労さま)。

2007年1月30日 (火)

究極の二択?

Nomi 先日、飲み屋でチビチビお酒を飲んでいたら、隣の若いサラリーマン二人連れが面白い話をしていた。

A「なあ、おまえ、美人だけど貧乏神が付いている女房と、醜女だけど福の神が付いてる女房とどっちを選ぶ?」。
B「なに、それ?」。
A「昔話でやってたんだよ。昔はさ、人間は姿形じゃなくて、ブスだろうと福の神がついてる女房を選ぶ方が幸せ。美人に惑わされて女房にすると貧乏で不幸になるっていう教訓だったらしいのよ。だけど、それって違くね?」。
B「ああ、違うよな」。
A「だって、不細工だけど金持ちの女なんかより、貧乏神が付いてて可哀想な美女を女房にする方が男じゃねーの?」。
B「何言ってんだ?おまえ、それ根本的に間違ってるよ。美人で福の神が付いてるのが一番いいに決まってんじゃん」。
A「いや、だからさ。どっちかを選らばなきゃならないとしたらよ」。
B「どっちも選ばねえよ!」。

2007年1月27日 (土)

真夜中の怪しい対談

Shindan_1 このところ対談「大作曲家診断」(全6章!)のテープ起こし原稿の校正で、連日深夜作業。

 この二人(西村朗氏と私)、普通にベートーヴェンとかショパンなんかについて作曲家論を戦わせている間はまだいいのだが、一旦脱線し始めると、西村氏は能だ世阿弥だニルヴァーナだジャイナ教だマハーヴィラだ…だのという話になり、私は「作曲家と連続殺人鬼は性格的に似てる」だの「コンピュータに音楽を理解させるには下半身を付けなきゃ」などと言い出し、それをまとめる編集者の泣き顔が目に見えるよう(笑)。

 そこで、何とか収拾をつけるべくゲラに修正を赤で入れていたら、そのうち全ページ真っ赤ッ赤で何も読めなくなってしまった。しかも、深夜というのは頭の中がルナティックになっているので、夜中に修正したものを昼間チェックしてみると、元よりさらに危ない話になっていて使えない。どうすりゃいいんだろ?
 
 作曲家なんて、一人でも充分アブナイのだから、二人集まったらどうなるか……そんなことは最初から分かっていたんだけどね(笑)

2007年1月24日 (水)

解答はない。選択するだけだ。

Solaris 夜、ふとBSを付けたら、見知らぬ映画(SF映画「ソラリス」のリメイク版)の中で、主人公が何やら悩んでいた。SFなので、シチュエーションを説明すると物凄く複雑な話になるのでやめておくが、要するに、あちらを取ればこちらが立たずという、いわゆる究極の選択というべきジレンマに陥っていたわけなのだが、「どうしたらいいんだ」と煩悶するその主人公に、相手の人物が言った言葉・・・

 解答はない。
 選択するだけだ。

・・・凄い。明解すぎて言葉もない。今、人間に突き付けられているのは、まさにこの言葉なのだろうな。

2007年1月21日 (日)

アトム・ハーツ倶楽部

Atomh ただ今、3月に録音予定の室内楽作品集アルバムのために、〈アトム・ハーツ・クラブ・トリオ第2番〉のスコアを書いているところ。

 この曲、知る人ぞ知る(もちろん知らない人は知らない)幻の秘曲〈ドクター・タルカスズ・アトム・ハーツ・クラブ・カルテット(Dr.Tarkus's Atom Hearts Club Quartet)〉の姉妹作。第1番は、もはやあんまり色々な編成にアレンジされすぎて何が何だか分からなくなってしまっているのだが、今回そのピアノトリオ版(piano, violin & cello)を初録音することになり、それなら第2番もついでにアレンジして「アトムハーツクラブトリオ全集(?)」にしてしまおう!ということになった次第。

 伝統的な弦楽四重奏やピアノ三重奏の編成でどこまで遊べるか…というコンセプトのもと、変拍子の中に60〜70年代のロックやポップスのエッセンス(パロディ?)を浮遊させ最後にドタバタ・ブギで締めくくる…というのがソナタ形式ならぬ「アトムハーツ形式」。まあ、確かに(身も蓋もなく言ってしまえば)時代錯誤の「おバカなクラシック」なのだが、バカをやるのもそれはそれでなかなか難しいものが…(笑)

2007年1月18日 (木)

クラシック大作曲家診断

Taidan 昨年秋からモソモソと制作を続けて来た西村朗氏との対談本「クラシック大作曲家診断」(仮題)の最後の打合せ。
 
 現役の作曲家二人が対談で語るクラシックの大作曲家たちのお話……なのだが、早い話が、モーツァルトやベートーヴェンを始めとするとする古今の大作曲家の才能と人生と音楽について(独断と偏見で)言いたい放題を言い合い、自分たちを含めた作曲家という怪しい職業について自嘲する書……のような気もしないでもない。

 例によってまたイラスト(まんが)も多々ちりばめられ、数々の賞に輝く世界的な現代音楽作曲家ニシムラ氏も、3頭身のまんがキャラ(↑アキラくん)に変身。何を言っても威厳がないこと甚だしい(笑)。

 対談本体は「モーツァルトって最大公約数的だよね。嫌うヤツがいないってだけでさ」「味が薄くて毒にも薬にもならないっていうことナンじゃないの」という類いの暴論(笑)から始まり、どっちがボケだかツッコミだか分からないまま粛々(?)と進み、終わりはもちろん「キミとはやっとられんわ!」。

 うまく行けば3月頃に出版(学研/アルク出版企画)の予定…だが、うまく行くのかどうかは微妙…(笑)。

2007年1月15日 (月)

旧・成人の日

Kurai 1月15日は「成人の日」と記憶していたのだが、いつの間にか1月の第2月曜日(今年は8日)になってしまった。2000年から施行されたハッピーマンデー制度(国民の休日を至近の月曜日に移動して連休を作り出そうという妙な法律)のせいらしい。

 とは言っても、別に1月15日にこだわりがあるわけでもなく、私は「成人式」に行った記憶すらない。なにしろ20歳の頃などというのは、思い出したくもないどん底生活の時期で、座敷牢のような狭い部屋で何ヶ月も太陽を見ることもなく一日中音楽をやっていたという以外、何の思い出もない。とにかくお金も洋服も無かったから、晴れ着を着て成人式に行くなんて想像も出来ず、確かその日はどこかの学校で時給数百円の警備のアルバイトをしていた。

 そう言えば、誰もいないガランとした校舎で「今日、実は成人式なんです」と呟いたら、用務員のお爺さんが狸蕎麦をおごってくれたっけ。その時のネギの苦さをふと思い出す。「暗い青春」真っ只中である(笑)。

2007年1月14日 (日)

日曜日の猫

Cat4 秘技「四分音符」!


 …じゃなくて

 これは、
 どう見ても
 おたまじゃくしだな(笑)

2007年1月11日 (木)

殺人事件のある町

Bara 正月に渋谷区「幡ケ谷」で兄が妹を殺すバラバラ殺人事件があり、今度は「富ケ谷」で妻が夫を殺すバラバラ殺人事件が発覚。

 両方とも殺人現場はかなりのご近所で、仕事場から徒歩圏内。後者の事件で死体の一部が捨ててあった場所に至っては、渋谷に出る時の散歩コースである。

 なんだか胃の頭町(諸星大二郎の「栞と紙魚子」シリーズの舞台。公園に時々生首が落っこちていたりする摩訶不思議な町)に迷い込んだみたいだ・・・

2007年1月10日 (水)

ピアノの300年史

Piano Blog「月刊クラシック音楽探偵事務所」更新。
 今回は、新春記念「ピアノの300年史」。

 ピアノは(異説はあるものの)1709年にイタリアのクリストフォリによって発明されたことになっている。ということは、来たる2009年に生誕300年を迎えるわけで、色々ひそかに記念行事を目論んでいる向きもあるらしい。

 作曲家にとっては、確かにピアノはなくてはならない大切な仕事道具だが、グランド・ピアノという奴は、部屋に置くにはいくら何でも大きすぎるし重すぎるし音が大きすぎる。
 …なので、私はグランド・ピアノというのを持ったことがない。作曲家を始めた二十代の頃からずっと(何種類も買い替えて、かなり精巧なものにはなっているけれど)「電気ピアノ」派である。

 かつて(10年ほど前)ピアノ協奏曲を書いた時は、さすがに「グランド・ピアノも持ってないのにピアノ・コンチェルト書くなんて!」という罪悪感?にかられたものの、買うお金も置く部屋もなく断念。結局「アクション機構がグランドピアノと同じだという電気ピアノ」で書いてしまった(笑)。

 そんなわけだから、もう死ぬまでグランド・ピアノを持つことはないだろうと半ば諦めている。

 それにしても、ピアノは何であんなに重いのだろう?

2007年1月 7日 (日)

胡蝶ディスクの夢

Unnun_1 朝起きて机(かコンピュータかピアノ)の前に座り、徒然なるままに原稿を書いたり音符を繋げたりイラストのデッサンをしたりネットを検索したりしているうち、ふと気が付くと外は暗くなり夜になっている。

 一日が一瞬にして消え去った感じで、手元にわけのわからない原稿や楽譜や絵が残されているものの、使い物にはならず、今日が天気だったかどうかの記憶もない。何というか…「ひゅん」という音と共に夜にタイムスリップしてしまった感じだ。

 毎日こんなふうだから、50年ほど生きていても、人生の記憶は…数年分…いや、もしかしたら数ヶ月分くらいしかないかも知れない。まさしく胡蝶の夢である。

 そう言えば、人間の一生(数十万時間分)をすべて映像にして記憶すると、その容量は数十〜百テラ(兆)バイトほど。これはDVD十万枚分くらいのデータ量になるが、最新のテラバイト級のハードディスクなら記憶できる時代になりつつあるという。

 作曲家の場合、一日中見ているのは音符と文字がほとんどで、これは映像や画像に比べるとデータとしての容量はかなり小さい。しかも、それの数ヶ月分だ。別に最新でなくちょっとした安いハードディスクでも、一生分の仕事も記憶も思想も妄想もすべて…それこそ「ひゅん」という音と共に全部入ってしまうに違いない。

 いやだな。それは…(笑)

2007年1月 4日 (木)

信長オペラ

Mitsuhide TVのお正月番組で「明智光秀」(光秀:唐沢寿明、信長:上川隆也、秀吉:柳葉敏郎)を見る。

 ここでの光秀は、どこまでも真面目で家庭的な常識人。比叡山焼き討ちに戦慄し、信長の暴走を止めようとする。そして、信長を本能寺で討った後、自らも秀吉に討たれることまで予見し、それでも敢えて捨て石になって死んでゆく。ここまで「光秀=いい人」という視点の脚本(十川誠志)は、ちょっと珍しい。

 そんな2時間半のこのドラマを見ていたら、以前、信長と光秀が出て来る演劇の音楽を頼まれたことがあるのを思い出した。演じられる場所は能舞台、役者は信長と光秀の2人だけ、そして音楽はチェロと打楽器だけ…というなかなか恐ろしい企画で、台本まで出来ていたのだが、残念ながら諸般の事情で実現しなかった。

 甲高い声で「金柑頭!」(信長は光秀のことをこう呼ぶ)と叫ぶ信長と、常に冷静かつ真面目に常識論をぶつ光秀の応酬は、どこかイエスとユダのドラマを思わせる。自らを「神」と称する男と、もっとも忠実な弟子でいながら裏切る男。考えてみれば、これはまさしく受難劇そのものだ。それに、信長は安土城でオルガンやクラヴィコードの音楽を聴いているというから、西洋楽器でのオペラ化もあり得なくはないではないか。

 というわけで、その日の夜の夢の中では、狂気じみたカウンター・テナーの信長と、とことん慇懃なバリトンの光秀、その横に男装アルトの森蘭丸、そして突然乱入するコロラトゥーラ・テナー?の秀吉…といった面々が壮大な架空のオペラを繰り広げていた・・・ような気がするのだが、朝起きたら何も憶えていない。残念(笑)。

2007年1月 1日 (月)

賀春 2007

Happynewy_2  

本年も世界が音楽と共にありますように
音楽が世界の糧となりますように
そして音楽が人々のでありますように

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