左手のピアノと鳥たちと星座
しばらく森の中で、秋に初演される予定の次作(左手のためのピアノ協奏曲)の構想を練ってきた。(「どこでもドア」でフィンランド…というのはさすがに嘘だけれど(笑)
構想を練る…と言っても、人のいなそうな林や森の中をぶらぶらと歩きまわるだけ。人がいなくて静かであればあるほどいいし、小さな川とか池のような水面があればもっといい。
歩き疲れたら、テラスのある小さな珈琲店を見つけ、そこでボーッと本など読みながら午後を過ごす。今回は(ずいぶん前に買っておいたものの東京では読む気のおきなかった)村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」全3部を(そう言えば、この森の中にもネジを巻くような「ギギギィ〜〜〜」という声で鳴く鳥がいるなあ、と思いながら)読みふける。
それより昔から気になっているは「ヘポクリツ(偽善者)!」と鳴いている鳥なのだけれど、あいつは一体何なのだろう?(笑)
そのうち暗くなると、今度は(お酒の美味しい)蕎麦屋で一杯飲みながら、また本の続きを読む。そして、星空を見上げながら帰り道を歩いているうちにふとタイトルが頭に浮かぶ。
そのタイトルをノートに書き付け、ふんふんと呟いているうちに何となく音のキャラクターが見えてきる。そして、やがてそのまわりに自然と音が集まってくる。あとは、その音たちが静かに形になってゆくのを、焦らず急かさず待つだけだ。
音楽はそうやって生まれる。
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偽善者(Hypocrites)と鳴いているのは
コジュケイだと思われます。
「ピッ・ピョ・クァイ」というように鳴くので
「ちょっと来い!」と聞こえるとされていますが
確かに「 へッ・ポ・クリッ」(ヒポクリッツ)と
聞こえなくもないですね w
投稿: ねじまき鳥 | 2007年5月15日 (火) 12:19
あまりにもかっこいいので驚きました。
絵に描いたような「作曲家」です。
やはり雑踏の中では創造はできないのですねぇ。
投稿: NEXTNEXT | 2007年5月15日 (火) 15:59
「アイノラ叙情曲集」拝聴致しました。
左手のみとは思えない音粒の多さは、さすがピアニスト!ですが、静謐な美しさは左手のみだからでしょうか。
投稿: ぱゆ | 2007年5月16日 (水) 22:04
凄く遅く書き込みまして、恐縮なのですが、先月20日、実はフィリアホールに、舘野氏の演奏を聞きに行きました。もちろん先生のお姿も拝見いたしました!憧れの方でしたが、人見知りなため、ご挨拶せず。勝手にドギマギ。
それはさておき、左手のコンサートは、普通のピアノのリサイタルと違って、客席から伝わる魂の暖かい波動と、演奏から伝わるピアノの美しい響きで、凄く暖かい空間になっていたように思います。やはり左手のコンサートに行こう、と思うお客さんは、普通のリサイタルに行くつもりとは、少し違う気持ちや事情や考えをおもちだった部分もあると思いました。とにかく、超一流のとかくバリバリした感じより、暖かい、心の流れている感じがとてもしました。
舘野氏は、右手が不自由になられたことによって、両手に問題がないピアニストの時、感じなかったことを、ピアノ演奏の原点について改めて考えられたのだな、と思いました。それは、本来の音楽の持つ、人にとっての優しさを思い出させる部分で、一流の演奏家になると、演奏者もお客さんも忘れ勝ちな部分、でもあるでしょう、きっと。
連休やら何やらで、一人になれることがなく、やっとじっくりCDを聞くことができ、一人で、聞くと一段といろいろなことを考えられる美しい演奏です。
投稿: vadim | 2007年5月18日 (金) 18:29