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2007年9月

2007年9月28日 (金)

FM シンフォニーコンサート収録

Fmsym NHKでFMシンフォニーコンサート10月(14日放送)分の収録。

 曲目は、メンデルスゾーン「夏の夜の夢」の序曲および劇音楽3曲(例の「結婚行進曲」含む)と、ヴァイオリン協奏曲(vn:漆原朝子さん)。そして、ブラームス「交響曲第3番ヘ長調」。演奏は、大町陽一郎指揮東京フィル。

 この「メンデルスゾーンとブラームス」…という組み合わせ、作曲家としての育ち方にあまりに「貧富の差」があり、解説していてちょっと複雑な気分になる。
 なにしろこの二人、同じハンブルク出身(ただし世代は親子ほど違うが)ながら、メンデルスゾーンは大富豪の御曹司で家にオーケストラまであった外交的な天才少年、一方ブラームスは貧乏家庭に生まれアルバイトに居酒屋でピアノを弾いて苦学した内向的な純情少年。まるで花形満と星飛雄馬みたい(若い人にはお分かりになりにくいかも知れないが)なのだ。

 それでも「どちらになりたいか?」と言われたら・・・うーむ、やっぱりブラームスかな。

2007年9月26日 (水)

京都を歩く その3

Photo_2 京都を歩く…番外編1。清水寺は、観光客だらけと分かっていながら、(よせばいいのに)ついふらふらと行ってしまう場所の定番。思った通り、修学旅行の生徒たちや観光客で足の踏み場もなし(+_+;)。土産物屋の並ぶ雑踏の清水坂から逃れて、三年坂から石塀通りを抜けて八坂神社まで出て、さらに祇園花見小路から辰巳稲荷や巽橋(←)のある白川通りを抜け四条へ。

Photo_3 同じく番外編2の嵐山。こちらも(京都の観光名所としてはメジャーすぎて恥ずかしながら)涼しい風の吹く川面が魅力で、一度は寄ってみる処。渡月橋のあたりは観光客だらけだが、ちょっと外れた場所には、それなりに静寂の空間が隠れていて、まだまだ捨てたもんじゃない。天気も良く、風も爽やか。良き哉。

 最後に、酒飲みの神様である松尾大社に寄り、「これからも美味しい酒が飲めますように」と祈願して、京都の旅、終了。

2007年9月25日 (火)

京都を歩く その2

Photo_2 京都北西部の鷹峰(たかがみね)界隈を歩く。
 
 まずは円窓から見える庭園が見事な源光庵。古びた畳の部屋に、完全な円形に切り取られた(まるで丸い画面のハイヴィジョン映像のような)景色があるのは、ちょっとシュール。もちろん紅葉の時期や真冬の雪の季節がベストだが、こういう中途半端な時期もまた良き哉。
(ちなみに、この写真の角度以外から見ると余計なものがチラッと見えてしまう。それがまた〈日本らしい〉。・・・・・のか?)

Photo_3 続いて、そのすぐ隣にある光悦寺。ここは入口エントランス?の木々(秋は紅葉)のトンネルがいい。どこか異世界に繋がる道のような気がする。奥に入るともう紅葉の気配もチラホラ。
 しかも、通り雨の直後だったせいか、拝観者ゼロ。こういう処では、人がいないのが最大のご馳走である。しばし俗界を離れた閑寂の世界を堪能する。

Photo_5 そして、夜は八坂神社で観月祭。中秋の名月を愛でつつ、献詠披講(和歌の披講)に続いて、雅楽(管絃と舞楽)、筝曲(秋の言葉二篇)、太鼓(祇園太鼓)が奉納演奏されるのを聴く。
 作曲家の身としては・・・チューニングの甘さとか、アンサンブルの乱れ(特に箏の音程の不揃い)とか、いろいろツッコミどころは満載なのだが、まあ、そういうことは忘れて、名月の淡き光の下、雅なる楽の音に酔いしれる。

 というわけで、京の夜はまたふけてゆく。

2007年9月24日 (月)

京都を歩く その1

02 京都へ「明日へのかたち展」(光風会・工芸展。京都文化博物館。9月20日〜24日)を見に行く。
 母が作品(←吉松道子「母子像」)を毎年出品しているので、毎年この時期には京都へ行き、ついでに(どちらが「ついで」か分からないが)あちこち回って京都三昧するのが年中行事になっているのである。

 いつもならこの時期はもう秋の気配…のはずなのだが、今年は9月も下旬だというのにまだ夏の名残が居座ったまま。
 そこで、市内を徘徊するのはやめ、涼を求めて大原三千院まで足を伸ばし、奥の宝泉院で庭を愛でながら静かにお茶をすする。
 かすかに鈴虫の声も聴こえ、なんだか物凄くひさしぶりに「まったり」する。

04_2 さて、と山門を出たところで、にわかに夕立ちの大雨。京都で傘を差すような雨に出会ったことは、もしかしたら初めてかも知れない。
 まあ、これも一興…と、今度は鞍馬寺に向かい、雨に降られながらもめげずに(とは言っても途中まではさすがにケーブルカーだったのだが)本殿金堂まで登る。
 運動不足の身の割りには意外と軽やかに石段を上がれたものの、歳をとると筋肉痛は(運動の直後ではなく)数日後にやってくるので、明後日あたりが怖い。

03 夜は貴船で一杯。しとしと雨の天気だったので、川床は客の影も無く、ひたすら静か。

 川のせせらぎの音が聴こえるばかりで京の夜はふけてゆく。

2007年9月21日 (金)

シベリウス@ぴあのピア

Pianopia NHK BS hi 「ぴあのピア」にインタビュウ出演。

 古今のピアノ曲について紹介する10分番組で、今回はシベリウスの回の2回目。アイノラ(ヤルヴェンパーにあるシベリウスの山荘)の花咲き乱れる庭を美しい映像で映しつつ、田部京子さんのピアノで、5つの小品(花の組曲)より2曲、5つのロマンティックな小品より1曲を聴く。

 ちなみに、番組では、私が仕事場のピアノの前でシベリウスとピアノについてひと言ふた言話した後、アイノラの花壇の映像に切り替わる。おかげで、ぼんやり続けて見ていると、なんとなく私の仕事場の庭が花咲き乱れる花壇になっているように・・・(え?見えないって?)

2007年9月20日 (木)

故松村禎三氏のお別れ会に行く

Matsumura 赤坂のサントリー(小)ホールで行なわれた故松村禎三氏のお別れ会に行く。晩年の弦楽四重奏曲などが演奏され、祭壇の上で花に囲まれている松村さんの笑顔を見ていると、やはり昔のことを色々と思い出してしまう。

 松村さんのところに出入りしていたのは、もう30年以上も前のことだ。〈交響曲〉〈弦楽四重奏とピアノのための音楽〉〈ギリシャに寄せる2つの子守唄〉〈管弦楽のための前奏曲〉という作品に魅せられ、19歳の時、無理やりお宅に押し掛けたのが最初である。
 もちろんその圧倒的な音楽の魅力が最大の理由だったのだが、それよりなにより武満さんと並んで「独学の士」として在野の人だったのが、「作曲家はすべからく独学であるべし」「芸術家は野にあるべし」という私のこだわりと一致したことが大きい。
 ところが、すぐ「今度から芸大で教えることになったんだよ」と言われ、一方的な失望感からだんだん疎遠になってしまった。

 それでもデビューした最初の頃は自分の略歴に(ほかに何も書くことがなかったこともあって)「魚座。B型。松村禎三氏に師事」と書いていた。しかし、やがて芸大の教授になられたと聞いた頃から、こんな独学の食わせ者に「師事」と書かれては迷惑だろうと思い、省略して「独学で作曲を学ぶ」と書くようになった。
 そのこと(つまり、経歴から師匠の名を削ったこと)について、10年ほど前だろうか、草津の音楽祭で会った時に笑ってからまれたことがある。「この人はね、師匠のボクを破門したんだヨ。弟子が師匠を破門するなんて聞いたことないよね」というわけである。それから略歴には「〈一時、松村禎三に師事したほかは〉独学で作曲を学ぶ」…と付記するようになったのだが。

 野にあった頃の松村さんは、それこそ生きているすべての時間を作曲に賭けていたような壮絶さがあった。そして、異様なまでの集中力と執念とで「ヨーロッパ的でないアジア的な音楽」かつ「砂漠の真ん中に巨大な男根が屹立しているような音楽」(これは本人の談)を指向していた。
 びっしりと膨大な音が蠢いているスコアを書くその執念の根源について、「実はこれは若い頃に結核病棟で死を思いながら覗き込んでいた便所の底のウジ虫の群れ(地獄のイメージ)なんだ」とおっしゃるのを聞き、私のような若い世代には到底太刀打ちできない心の底のデーモンを知って絶句した事がある。
 そのあたりは、60年代後半になって前衛音楽が挑戦的な生命力を失う中、繊細なセンスとバランス感覚(適度なジャポニズムと適度なモダニズム)で広く国際的に知られて行った武満さんとはまったく対照的な姿勢だった。なにしろ現代音楽の潮流などには見向きもせず、アカデミズムとも無縁。そのうえ「何日も徹夜で一音を考え続ける」「一曲書くのに何年何十年かかってもかまわない」と言うのだ。その強靱な作曲姿勢には、(良き友人である)武満さんすら畏怖していたと聞く。

 そういった孤高の芸術家気質から生み出された音楽は、〈管弦楽のための前奏曲〉〈ピアノ協奏曲第1番〉〈ピアノ協奏曲第2番〉といった諸作でピークに達し、社会的に(尾高賞やサントリー音楽賞などの数々の受賞歴が物語るように)認められ経済的にも報われるようになった。そのことは不肖の弟子として喜びに堪えない。
 しかし、その代償?としてその後芸大の教職に就かれ、社会人としての雑事に忙殺されるようになってからの作曲活動(80年代の「チェロ協奏曲」あたり以降)については、正直言って聴くのに辛いものがあったのも事実だ。

 その時代、丸13年をかけて完成したという唯一のオペラ(遠藤周作原作による「沈黙」)も、最初の構想では確か水上勉の「飢餓海峡」のはずだった。私がお宅に出入りしていた頃、青函連絡船の遭難のシーンとか、殺人のシーンとか、主人公が見る地獄のシーンとかの舞台の構想を何度か聞いたことがある。日本的な「業(ごう)」にまみれた戦後のあの時代を象徴する社会派ドラマ(同時に犯罪ドラマでもある)は、松村さんの音楽に良く合うと思った。
 しかし、出来上がったのは、キリシタン禁制の時代の日本を舞台にした「神の不在」を問うオペラだったので、ちょっと驚いた。若い頃はひたすら「非ヨーロッパ的」で「アジア的」なるものを標榜してきた松村さんにとって、晩年における「キリスト教的なもの」への接近は、私にとってかなり「意外な」ものであり、この作品はいまだに理解の範疇にない。

 松村さん、ぼくはやっぱり「飢餓海峡」の方をオペラで聴きたかった。

 そんなことを考えながらお別れ会の祭壇に掲げられた遺影を見上げていたら、「そう言うキミも随分年をとったね。あとは駄作を書きながら無駄に生き延びるといいよ。ふふ…」と、そう笑って睨まれたような気がした。

2007年9月19日 (水)

ベランダで読書

Photo なぜか実家で留守番しつつ、ケフェウス・ノートの音サンプル(演奏の参考用にMIDI&デジタル音源で曲を鳴らし、MP3データにしたもの)を制作中。

 ほどよく涼しい気候になったので、時々、合間を見て、むかし読んだ福永武彦(忘却の河、草の花、風土など)を本棚から引っ張り出してきて、ベランダで読書。

 ベランダと言っても、実は、ただの物干しなのだが、こうして写真に撮ると「どこの別荘?」というような景色に見えるのが面白い。(え?見えないって)

2007年9月14日 (金)

舘野泉リサイタル@紀尾井ホール

Kioi 紀尾井ホールへ舘野泉さんのリサイタル「吉松隆の風景」を聴きに行く。

 何度も聴き慣れている曲のはずなのだが(それもそのはず、全部自分で作った曲ばかりなのだから!)、聴くたびに色々な聴こえ方をするというのが、生身の演奏家が紡ぐコンサートの最大の魅力。特に「タピオラ幻景」は、今でも多様に変化をしつつ成長しているのがなんとも面白い。

 とは言え、どの曲にももはや「自分が作った曲」という自己愛的な感覚はほとんどなく、「もうちょっと乾いた部分も欲しいな」とか「ここはキイを変えるべきだったな」とか、「あ、ここは良く出来てるじゃない」とか「おお、あざとい!」とか他人事のように聴いてしまうのは作曲の性(さが)か。

 終演後、近くのレストランで舘野さん平原あゆみさんらと食事。まだ残暑(微妙な蒸し暑さ)が残る日本での演奏は、さすがの舘野さんも「やっぱりちょっと疲れた」とおっしゃる。なにしろ「9月の頭にはもう雪が降ってた」という北欧フィンランドから、今や亜熱帯と化している日本に帰ってきたわけで、それでも「これから兵庫行って、北海道行って、福岡行って…」と嬉々として語るお元気さに脱帽。

 この後、日本全国をツアーで飛び回って、そのまま休む間もなくこの12月には、先日書き上げたばかりの私のコンチェルトの初演。どこからそんな元気が出てくるのだろう?「五十で隠居」を理想としてきた疲れた作曲家には、その元気が眩しくもうらやましい・・・(~..~)

2007年9月12日 (水)

ヴォーカロイドはポルカを歌う

Miku 最近Vocaloid(人間の声でコンピュータに歌わせるソフト)なる面白いものが出て来た。その最新版が、アイドル声で歌う初音ミク。もはや、かつての無機質な「コンピュータ・ヴォイス」ではなく、言われてみなければ合成声とは気付かない。

 このコにイエヴァン・ポルッカを歌わせたYou Tubeの画像はなかなか楽しい。ほかにももののけ姫なんていうのもある。

 ちなみに、このIevan Polkkaという曲もケッサクで、一度聴くと頭にこびりついて離れなくなる。フィンランドのヴォーカルグループLoitumaが広めたものらしい。どうして少女がネギを振り回して歌っているのか?といういきさつについては、Wikipediaなどで検索のこと。

Racter そういえば昔、Macがまだ白黒だった頃(1984年頃)「ラクター(Racter)」というソフトがあったのを思い出した。安価でシンプルなソフトだったが、モニタ画面上の人工知能?ラクターくんに質問をタイプ(英語限定だが)すると、ちゃんと会話が成り立ち、しかも喋る!という驚くべきものだった。(もちろん完璧なコンピュータ・ヴォイスだったのだが)

 それにしても、アメリカはHAL(「2001年宇宙の旅」に出て来るコンピュータ)にしろこのRacterにしろ、コンピュータは必ず男性の声なのに、日本はまず女のコの声からすべてが始まると言うのが面白い。

2007年9月10日 (月)

ケフェウス・ノートへのノート

Cepheusnotea Blog「月刊クラシック音楽探偵事務所」更新。今回は「ケフェウス・ノートへのノート」。

 この夏中ずっと作曲していた左手のためのピアノ協奏曲〈ケフェウス・ノート〉について、記憶が薄れないうちに作曲のいきさつなどを書き留めた作曲&構想ノート。マル秘スケジュール・ノート付き・・・

2007年9月 7日 (金)

台風一過(まだまだ夏休み中)

Kazeb 昨晩、大荒れに荒れた台風で、全町停電。インターネットが繋がらない…どころでなく、電灯もつかないので、本も読めない真っ暗闇。こうなると人間の文明はもろい。暗くなったら「何も出来ない」。でも、なんだか(不謹慎にも)わくわくする。

 一夜明けて、風がおさまったので外に出ると、あちこちで樹が折れて断線しているし、道はそこら中で通行止め。普段はちょろちょろ流れている小さな川も、ごうごうと流れる濁流と化している。
 この地で、こんな景色を見るのは初めてだが、地元の人に聞いても「こんなことは20年ぶり」とのこと。恐るべし、自然の力!

Kazea でも、見上げると台風一過の空は美しい。「人間のことなんか知っちゃいない」という超然とした「神の思考」がそこにはある。どんな災厄どんな悲劇の上にも、いつだって青空は美しく広がり、優しく見下ろしてくれる。でも、「何もしてはくれない」。世界はそうしたものだ。

 というわけで、三十分ほどぼーっと(神の思考に)見とれていたのだが、結局、音楽の「お」の字も浮かんでこなかった・・・。世界はそうしたものだ。

2007年9月 6日 (木)

雨の森、風の谷(まだ夏休み中)

Rain_2 どうやら台風らしい。時々けっこう雨足が強くなるので、さすがにぶらぶらと散歩というわけにはいかないが、たまにふっと雲の切れ間が見える時があって、その隙を見て本屋に寄ったり蕎麦屋に行ったりする。

 ここ数日で読んだ本・・・カート・ヴォネガットJr「スローターハウス5」、ドストエフスキー(亀山郁夫訳)「カラマーゾフの兄弟」別巻、岡田斗司夫「世界征服は可能か?」、山折哲雄「ブッダはなぜ子を捨てたか」、長嶺超輝「裁判官の爆笑お言葉集」、内田康夫「軽井沢殺人事件」、柴田よしき「夜夢」、菊地ひと美「江戸にぞっこん」、本上まなみ「ほんじょの鉛筆日和」、岡崎二郎「宇宙家族ノベヤマ」、とりのなん子「とりぱん2」、菊池直恵「鉄子の旅5」、衣谷遊「極東奇譚」・・・うーん、なんの脈絡もないな(~''~)

2007年9月 4日 (火)

ただ今(遅い)夏休み中

Skya Skyb

Watera Waterb


Holiday2 遅い夏休みで山の中。何をするわけでもなく、本をごっそり買い込んでしばし読書三昧。しばらく音楽は聴きたくないので、CDもテレビも遠ざけ、耳にはいってくるのは鳥の声くらい(…なのにネットだけは繋がっているのだけれど)♪(+ +)。

2007年9月 2日 (日)

さいたま・希望(ゆめ)旅立ち@おーいニッポン

Bs00 NHKBS2の「おーいニッポン」埼玉編に出演。番組のフィナーレで、大宮の鉄道博物館から今回の番組のために書き下ろした〈さいたまRhapsody・希望(ゆめ)旅立ち〉のライヴ演奏を生放送。

 この曲は、オーケストラ(円光寺雅彦指揮大宮フィル)、混声合唱&児童合唱、タケカワユキヒデ氏率いるロックバンド、秩父屋台囃子、金管別動隊という総勢300人近い大編成により、埼玉ゆかりの曲(さいたま希望のまち、通りゃんせ、七夕さま、となりのトトロ、ビューティフル・ネーム、秩父屋台囃子、旅立ちの日に、銀河鉄道999、希望のまちリフレイン)で構成した全3章13分ほどのRhapsody。

Bs02 高い櫓の上に乗った太鼓群とロックバンド、歌手3名、操車場の上のオーケストラ、舞台横のファンファーレ隊、後方ステージの200名近い合唱群、影指揮者3名…という絵だけ見ると、シュトックハウゼンなみの前衛音楽っぽい非常識な配置。しかも、そこから出て来る音楽は、普通のコンサートの優に3倍の大音量というスタッフ泣かせの音響のシャワー。

 こんなバカでかい異様な編成の作品など、よほどのこと(何かの祝典とかオリンピックの開会式とか紅白歌合戦とか)でない限りありえないのに、地元のアマチュアオーケストラ&コーラスを集めて普通の番組でシレッとやってしまうNHKの策謀…もとい底力に改めて感心する。

Bs03 そもそも私が「和太鼓とロックとオーケストラと合唱とファンファーレの共演をやりましょう!」という無茶を言い出した時も、「そんなのは番組始まって以来です」と呆れながら、誰も止めなかったし(~.~;)

 でも、最初は「どうなることか!」とビクビクものだったアンサンブル(合唱は指揮者から見えない遥か遠くにいるし、太鼓とロックが鳴り始めたら大音量すぎて何も聴こえないし、会場は列車や機関車だらけで見通しが利かないし)も、何回かリハーサルをやるうちに自然に「ひとつ」になって行き、本番は至極普通の顔をして見事にまとまり大成功。ここは、音楽というものの底力にも改めて感心するべきなのだろう。

 熱演を聴かせてくれた指揮の円光寺雅彦さんと大宮フィルの方々、熱きビートに燃えた高橋利雄氏率いる秩父屋台囃子の皆さん、温かい雰囲気を作り出してくれたタケカワユキヒデ氏とバンドの皆さん、素敵な歌とダンスを見せてくれたTY-teenのお二人、埼玉各地から集まってくれた子供たちと男性女性の方々による埼玉ふるさと合唱団の皆さん、そして司会の結城さとみアナウンサーほか出演者&スタッフの皆さん、お疲れさまでした。


Bs04 ちなみに、作曲するに当たっての取材旅行のVTRでは、私が秩父の影森中学校でピアノを弾いて生徒たちと「旅立ちの日に」を共演するシーンも放映され、マネージャーから「ピアノを弾く吉松さんなんて初めて見ましたぁ!」と言われてしまった。
 ただし、あれはピアノを弾ける(ただしコードネームでしか弾けない)ヨシマツ2号。番組に出てしゃべっていたのは、最近愛想笑いが出来るようになった(ただし30分が限度の)ヨシマツ5号です。念のため。

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