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2007年11月

2007年11月30日 (金)

NHKラジオほっとタイム出演

Nhk071130 NHKラジオ第一の番組「ラジオほっとタイム」の〈ビュッフェ131〉(16:05〜17:00)に生出演。

 NHKのラジオスタジオ「131」を列車のビュッフェに見立て、そこに来たお客さんと色々おしゃべりをするという趣向の番組で、今日の聞き手はNHK有江活子アナウンサー。
 前半は、本日、京都コンサートホールで〈ケフェウス・ノート〉を初演する直前の舘野泉さんの楽屋にお電話して、「どうですか?調子は?」といきなり生インタビュー。
 後半はCDで私の作品(水色スカラー、アトムハーツクラブカルテット、さえずり鳥ブログ)など聴きながら、なんで作曲家なんかになったのか?とか左手のピアノ曲を書くコツは?とか音楽についての雑多諸々のお話。ラジオの気楽さで楽しくおしゃべりして、1時間がアッという間。

          *

 実は本日、その前にFMシンフォニーコンサート12月分(9日放送)の解説も収録。

 曲目は、R=シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」、ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲(vn:ハン・ソージン)、フォーレ:「レクイエム」(sp:佐々木典子、br:三原剛、合唱:東京オペラシンガース)。演奏:チョン・ミョンフン指揮東京フィルハーモニー。

 というわけで、今日は一日中NHKにおりました。はい。

2007年11月27日 (火)

ケフェウス・ノート@リハーサル

Dresden 池袋の芸術劇場で、左手のためのピアノ協奏曲〈ケフェウス・ノート〉の初演に向けてのリハーサル。ピアノ:舘野泉、ヘルムート・ブラウニー指揮ドレスデン歌劇場室内管弦楽団。

 この曲、ワルツで突っ走ったり、グリッサンドや肘打ちアリの即興部分があったり、遊ぶところはあちこちにあるのだが、やはりコンチェルトはコンチェルト。難しいかと言えば、・・・そりゃあ難しいに決まっているわけで・・・。舘野さんは弾き終えるとニコニコしながらも「ヨシマツさ〜ん、くたびれますよ〜」とひとこと。・・・うーん、申し訳ない(-_-;)

 明日から全国ツアー(11月28日:周南市文化会館、11月30日:京都コンサート・ホール、12月2日:岐阜サラマンカ・ホール、12月8日:南相馬市文化会館)で各地を回って、12月10日の東京オペラシティで東京初演。

 ただし、当の作曲家は別の仕事があって東京から出られず、聴くのは東京公演までおあずけ。もしかしたら11月30日のラジオ出演(←お知らせ参照)で、京都公演直前の舘野さんと生電話対談できるかも知れない…という話なのだが、さて…

2007年11月24日 (土)

さえずり鳥ブログ@The Flute Quartet

Fl4a_2 ザ・フルート・カルテット(相澤政宏、神田寛明、斎藤和志、柴田勲)10周年記念コンサート(杉並公会堂)に「さえずり鳥ブログ」の初演を聴きに行く。

 フルートばかり4人というアンサンブルは珍しいが、この楽器、中高生を含めて裾野は広く(私もむかし父親のフルートを借りてちょっと吹いていたし)、会場も若い人がたくさん。名人級のアンサンブルから繰り出される透明で自在な音色に酔いしれる。

 今回私が彼らのために書き下ろした新作は…例によって「鳥」なのだが、これは彼らのアルバムに「猫」という楽しくも素敵な1枚があって、それに密かに対抗?したもの。だってフルートなら、シルベスター(猫)よりトゥイーティー(鳥)でしょ、やっぱり(^ ^)

Cd_tbblog_2 この曲が収められたCD「さえずり鳥ブログ」(CRYSTON:OVCC-00056)がもう会場に並べられていて、1枚(サイン付きで)いただく。

 ちなみに、ジャケットの「Twitter Birds Blog」という文字、よく見るとフルートを並べて描いてある。お見逃しのないよう。

2007年11月23日 (金)

ここにしか咲かない花

Kobukuro BSの番組で使う宮崎県ゆかりの曲を探すうち、コブクロ(作詞作曲の小渕健太郎が宮崎出身)の「ここにしか咲かない花」を遅まきながら聴き直し、しばし聴き惚れる。

 2005年(わずか2年前)のヒット曲だが、なんだか70年代のフォークソングを聴いているようなノスタルジックな味がある。

 ただ、楽譜に起こしてみると妙に複雑で字余り感があるのがちょっと面白い。同じ宮崎ゆかりの曲で引っ張り出した「人生いろいろ」(作詞の中山大二郎が宮崎出身)とか「フェニックス・ハネムーン」(宮崎の新婚旅行ブームで出来た曲)など往年のヒット曲のシンプルさ(というより単純すぎ!)と比べると、あちこちためらい傷(?)だらけだ。

 でも、それこそが、もはやシンプルではあり得ない現代という時代のヒット曲ということなのだろう・・・。

 ここにしか咲かない花、ここにしか吹かない風
 ここでしか聴けない歌、ここでしか見えないもの
 

2007年11月20日 (火)

双魚譜と風夢の舞

071120 二十絃箏の吉村七重さんの「音風景」と題するコンサートを聴きに(まだ足を引きずりながら)銀座に出る。

 尺八の三橋貴風さんとのデュオのために20年前に書いた〈双魚譜〉(1986)と、昨年書いた新曲〈風夢の舞〉(2006)の2曲が演奏され、2曲の間に横たわる20年の「時」を思う。

 12月15日(土)には、〈夢あわせ夢たがえ〉... cl,vn,vc & 二十絃(1998)と〈白い風景〉... cl,vc,二十絃&十七絃(1991/2007改訂版初演)の2曲ほか、洋楽器と邦楽器MIXの風変わりな作品を集めたコンサート(17:00〜:狛江エプタザール)もあるそうで、それにも顔を出す予定・・・

 それにしても、まだ11月だと言うのに、東京はあちこちクリスマスのイルミネーションがまぶしすぎ。

2007年11月18日 (日)

宮崎・音探しの旅4

Hinode_2

 旅の最後の日、早朝の国見ケ丘で日の出を見る。

Kunimi 運がいいと雲海が見られるそうだが、この日は逆に天気が良すぎて、日の出の観賞に。朝日がくっきり山の上に浮かび、なかなかの壮観。

 高千穂で見ると、なるほど太陽は「天照大神(あまてらすおおみかみ)」のイメージ。丘の上には、3人の国造りの神様が太陽を向いて拝んでいる像も。

          *

Karibosi 続いて、刈干切唄(かりぼしきりうた)を伝承する男性に話を聞く。

 この唄は、山の斜面で干し草を刈る作業の時に歌うもので、追分節に似たのどかなトーン。ただ、その中にも独特の哀愁ある調べがあって、なかなか美しい名旋律である。

 当時の衣装を着てもらって国見ケ丘の突端に行くと、私には断崖絶壁にしか見えない急斜面をひょいと降りて、「こんな風に刈るんですよ」と歌いながら鎌を振るい始めたのには吃驚。

 実に絵になる姿だが、高所恐怖症なのと右足が痛いのと昨夜の風邪とでふらふらしている身としては、気絶しそうになる。「えーと、ヨシマツさん、ここあたりに立って下さい」と言われても、足が動かない(なのに、そんな崖っぷちでカメラを回すスタッフにも感心!)

 かくして風の吹きすさぶ中、小一時間ほど撮影を進め、ようやく取材行程すべて終了。

 このあと宮崎に戻るスタッフ(ディレクターさん、カメラさん、音声さん&運転手さん)と別れ、こちらは東京へ戻るべく約1時間半ほど車に揺られて、阿蘇の麓の熊本空港へ。
 天気も良く、途中の阿蘇の山並みが実に美しかったけれど、疲れ果てて見る元気もなし。
 
         *

Tabi それにしても、くたびれた。こんなに疲れた旅はひさしぶりだ。

 なにしろ来る前に足をケガして、来てから大風邪を引き、コンディション最悪。なのに、完徹の夜神楽とか、5時間かけての車の大移動とか、5時起きで日の出見物とか。殺人的スケジュール(まあ、某知事よりはマシなのだろうけど)。

Miyazakig しかも、まる4日も宮崎にいて、宮崎の味(宮崎牛とか地鶏とか…)などまったく食べる間も無く、お酒にしても「かっぽ酒」(竹の中に酒を入れて火であぶった高千穂名物の燗酒)に一回ありついただけ。ゆっくり温泉に…どころか、足が痛いのと風邪とで普通の風呂にも入れない始末。

 これで「宮崎よかとこ」と言われても、そりゃあ、チト素直に「ハイ」とは言えンばい。
 
 ちなみに、足の痛みは相変わらず。なにしろ病院で「3日間は安静に」と言われたのに、その3日間が強行軍だったのだから、悪化しない方がおかしい。

 まあ、足の一本くらいもげても作曲は出来るけどね。ふん。

2007年11月17日 (土)

宮崎・音探しの旅3

Kamino 朝、高千穂の上野(かみの)神社で神楽の朝練をしている子供たちを取材。

 舞い手は、可愛い中学生の男のコばかりが7〜8人ほど。芸事は女の子の方が飲み込みが早いので、最近はどこの民俗芸能も女性なしには伝承が立ち行かないが、この神楽は女人禁制をまだ守っているとのこと。頼もしい伝統の継承者たちである。神楽三十三番のうちの「鎮守の舞」を見せてもらう。

 伴奏は、2人がかりの神楽太鼓と笛1本。リズムはタンタタ・タンタタと延々と刻まれる8ビートの上にメインの打ち手が幾分ソリスティックに色合いを付け、それに笛が独特な神楽のテーマ?のバリエーションで絡む。

 こういう音楽を聴くと、作曲家としては、まず数を数えて譜面に起こす作業を頭の中で行い、次に「どういう曲の構造をしているのか?」と考えてしまう。観賞はそっちのけ、というあたりが職業病。

          *

 昼は、おなじみの観光スポット高千穂峡へ。

 天気も良く紅葉の時期の週末とあってか、足の踏み場もなく観光客だらけ。おなじみの渓谷にはボートがぷかぷか浮かび、狭い道にびっしり人の群れ。

Takachiho 確かに、観光絵葉書などで有名な滝の場所周辺は美景だが、そのまわりは俗界そのもの。取材なので、テレビカメラを向けられて「どうですか?神話の世界は?」と訊かれるわけなのだが・・・これじゃ神秘もへったくれもあったもんじゃない(x x;)

 そのあと、喧騒から逃れて高千穂神社へ。こちらは静かな佇まいでホッとする。樹齢800年の杉の木・・・なんて、なかなかいい風情だ。

          *

Kagura そして夕方、いよいよ高千穂の夜神楽へ。

 これは毎年11月から翌年2月にかけて、高千穂の各集落で行われる神事で、サルタヒコ(天狗の面)やウズメ(おかめの面)など神話の色々なキャラクターによって演じ舞われる(今風に言うなら)ダンス・パフォーマンス。

 神話に基づく真面目な舞の中に、笑いあり、アクロバットもあり、時にはエッチなシーンもあり、というバラエティに富んだシーンが三十三番(33場)あって、飽きさせない(ようになっているらしい)。

 しかし、問題がひとつ。
 全部見ると徹夜。なにしろ14〜15時間かかるのである!!

 というわけで、お客は、もてなされて食事したりお酒を飲んだり寝たりしながら、朝まで付き合う。演じられる場所は村の集会場のようなところで、外からでも見られるように窓も扉もフル・オープン。所々に囲炉裏やストーヴや篝火があるが、朝まで観るのは相当の根性がいるのは間違いない・・・

 まあ、例えてみるなら・・・吹きッさらしのストーンヘンジで真冬に「ニーベルングの指輪」室内楽バージョン全4幕を徹夜で見るようなものか。

 私は見事に風邪を引いてしまってダウン(+ +)。
 体力のなさを思い知らされる。

2007年11月16日 (金)

宮崎・音探しの旅2

2shot 朝、NHK宮崎のスタッフ諸氏とまずは宮崎県庁へ。

 宮崎県と言ったら、今は「何と言ってもここでしょう!」とのこと。確かに、朝から観光バスが何台も横付けしていて、門前にずらりと屋台や出店まで並ぶ大にぎわい。

 ↑というわけで、お約束の写真(^ ^)¥
 ナマ知事もお見かけしました。(しっかし、なんというツーショットだ!!)

 続いて、「新婚旅行=宮崎」が全盛の時代(昭和40年代)を知る運転手さんとガイドさんにお話を聞きつつ、太平洋岸の海岸線が美しい日南海岸をタクシーでひた走る。

Nichinan その時代に歌われたある曲の取材ということで、往時を忍びながらフェニックス(ヤシの木のような南国っぽい木)が並ぶ「堀切峠」や、関東で言う江ノ島のような風情の「青島」などに立ち寄る。

 いずれも、当時はハネムーンのカップル(昔懐かしい言葉だ)で足の踏み場もなかったという名所だったらしいのだが、今は昔。青島には、廃虚マニアが喜びそうなホテルも・・・

          *

Miyazaki そして、夕方、市内での取材を終え、車でひたすら北上し、今夜の宿のある高千穂を目指す。

 途中、本番(来年2月)の会場となる河南のホールを下見。宮崎と高千穂のほぼ中間地点(いくぶん宮崎寄り)。

 真夜中、ようやく高千穂着。結局5時間くらいかかったか・・・。
 遠い・・・それに、まだ足が痛い・・・

2007年11月15日 (木)

宮崎・音探しの旅1

Seagaia NHK BS2「おーいニッポン」の音探し&ロケのため、最近話題のあの宮崎へ行く。

 まずは、(かつての)新婚旅行のメッカ・宮崎を体感するため、豪華リゾート・ホテルから、まるで南国のビーチと見まがうような海を眺め、束の間のリッチな気分に浸る・・・

 はずだったのだが・・・実は、一昨日道ばたで転んでしまって_(x x;)_頭にタンコブを作る大災厄。その時しこたま膝を打って、杖をつきながらの宮崎入り。で、空港から市内の病院(整形外科)へ直行。な、なさけない・・・

 明日から、日南海岸や宮崎市内を訪ね歩き、最後は高千穂まで足を伸ばす予定・・・なのだが、足が痛いので、足が伸びなかったりするかも・・・

2007年11月13日 (火)

飲み屋でオヤジの独り言

Nomiya2 地球温暖化…て、あれは要するに「地球が風邪ひいて熱出してる」ってことやろ?んなら、直す方法はひとつしかないやん。風邪のバイキン殺さな。

 なのに、そのバイキンが熱下げようってジタバタしとるんだから、こりゃあ地球にとっちゃいい迷惑だわな。なにしろそいつらが居るんで熱出してるンだから。

 要するに地球としては「人間さんよ、そろそろいんでくれ」言うてはるわけよ。え? オヤジ、アンタもそろそろいんでくれ…てか? あはははは

2007年11月11日 (日)

フィンランドの暗い森から

Tuusula_map 7日にフィンランドの高校で、生徒による銃乱射で8人が死亡、犯人である18歳の男子学生は自殺・・・というやりきれない事件があった。

 フィンランドでそんな事件が起こるというのも衝撃的だが、この高校のあるトゥースラ(Tuusula)という街は、ヤルヴェンパーの隣町。

 そう、シベリウスが晩年に住んだアイノラのすぐ近くなのである! これにも改めてショック!

2007年11月10日 (土)

ボヘミアの森から〜作曲家の原産地

Smedvo Blog「月刊クラシック音楽探偵事務所」更新。

 今回は「ボヘミアの森から〜作曲家の原産地」と題して、チェコの2人の大作曲家スメタナとドヴォルザークを肴に、作曲家のアイデンティティと民族性(原産地)についてのお話を少し。

 そもそも「音楽は世界共通語だ」…などと言うけれど、海外に出れば「日本人」の作曲家としては有無を言わさず「日本」を背負わされてしまうのも事実。
 そこで、あわてて古い引出しから能とか歌舞伎とか尺八とか和太鼓を引っ張り出してみせても(そして、それが何も知らない西欧人にいくらウケても)、インチキ臭いまがい物をでっち上げたことへの深い自己嫌悪が残るばかり。

 自分は本当に「日本人」でいいのか? 
 そんな国籍なんかより、「20世紀末から21世紀初頭にかけて棲息した現代東京人」とか、「ポスト・ビートルズ世代の(ちょっとオタクがはいった)中年アジア男」などという方が、自分のアイデンティティとしては確かなんじゃないか?
 いつも、そう思う。

 ・・・で、アナタは?

2007年11月 7日 (水)

山場CM・谷場TV

Asahi05_2 以前から、テレビを見ていてもっとも不愉快な(イライラする)のは、「続きはCMの後で」と番組のシークエンス(連続)をブツッと断ち切る奇妙な演出手法だと思っていた。そのことについては2年ほど前に新聞のコラムで「音楽(番組)のぶつ切り」というような言い方で書いた事がある。(イラストは、その時のもの)

 その時は、そういう手法をなんと呼ぶのか知らなかったのだが、最近「山場CM(やまばCM)」という呼び方をする人が出て来て、一般の人も以前からかなり不愉快な思いをしていたことが分かってきたと言う(当たり前だ!)。

 音楽だって、聴かせどころのメロディが始まるたびに、その寸前でブツッと切られて「ここでちょっと経過句を」などと焦らされたらストレスが溜まる(ご馳走を前に犬に何度も「おあずけ!」を繰り返させたら、いくら犬だって噛み付くだろう)。なぜそれを「演出として効果的」だと思ってしまったのか?ちょっと首を傾げてしまう・・・

 とは言いながら、かのマーラー先生の交響曲には、かなりこの「山場CM」的な演出があることを思い出した。そのおかげで昔は随分イライラさせられたものだ。盛り上がりそうになると「ところで…」と別の楽想が出て来て、解決が延々と先延ばしになる。何というくどくて嫌な性格だろう!と思ったものである。

 ただ、それも全体像が見えた(解決が納得できた)後では、演出として納得できる。待たされても、それ相応の解決やカタルシスが待ち受けているとなれば、焦らされるのも確かに「効果的」だからだ。何時間待たされたって、最後に至福の時を迎えられるのなら、人は我慢する。

 でも、待たされた揚げ句がカスだったら、30秒でも人は怒る。
 15秒でも怒る・・・(- -#)

2007年11月 3日 (土)

2001年(ハイビジョン版)宇宙の旅

Spaceodyssey 昨夜、夜中にNHKのハイビジョンで「2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey。監督:スタンリー・キューブリック)」をやっていて、思わず時を忘れて見入ってしまう。

 冒頭で鳴り響く「ツァラトゥストラ」が印象的なこの作品、もちろん映画館でも見たし、ビデオテープ版、レーザーディスク版、DVD版と、メディアが代わる度に何度繰り返し見たか分からない古典中の古典なのだが、ハイビジョン放送された今回の映像のあまりの鮮明さに、2時間半の間、目が釘付け。

 1968年の作(アポロが月面着陸する前の年。21世紀がまだ「遠い未来」だった時代だ!)だから、40年も前の作品ということになるのだが、「最新のCGで制作された」と言われても信じてしまいそうなクオリティの高さとディテールの細かさに改めて感服する。
 宇宙ステーションだの宇宙服だのコンピュータだの、全てが40年前に「想像で」デザインされたものなのに、まったく古臭くないし、冒頭の人類黎明期の猿人のシーンからラストの異次元へ突入するトリップ・シーンまで、圧倒的な映像美で微塵の隙もない。うーん、凄い。

 この映画、ストーリーの難解さ(なんじゃこれは?度)でも映画史上屈指の名作だが、私は昔から、これは「殺人事件(ミステリー)」の映画なのだと思っている。
 コンピュータHALが乗組員(自分を生んだ人間)を殺すのは「父殺し」であり、しかも、宇宙空間なのだから「密室殺人」そのもの。そして、その(人格を持った)コンピュータを機能停止させる船長の行為もまた「殺人」以外の何ものでもない。その伏線として、黎明期の人類が骨という道具を持って最初にやったことが「殺人」である、という冒頭シーンに繋がる。

 問題は、その後、人類はどうなったか?(つまり、高次元の存在によって罰せられたのか、あるいは単に種族淘汰と見られたのか・・・)ということなのだが、そのあたりについて映画では「見る人の想像におまかせ」と突き放している。

Shining おかげで、そこには色々な「解釈」が生まれるわけで、1982年には原作者アーサー・C・クラークが続編「2010年宇宙の旅(Odyssey Two)」(1984年に映画化)を発表している。しかし、これは文字通りの「蛇足」で、残念ながら何の解決にもなっていない。

 読編(解決編)としては、キューブリックが全く同じく密室殺人を扱った映画史上初のホラー映画「シャイニング」(1980年)を上げるべきだろう。・・・ほら、HALをジャック・ニコルソンが演じてるし(^ ^;)
 

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