みっくみく問題考
インターネット内の作者匿名・転用自由の動画サイト上で誕生した名曲のひとつに「みくみくにしてあげる」という作品がある。元は(このBlogでも何度か登場した)初音ミクというVocaloidソフトで作成された投稿作品(作者はika氏というらしい)。これを元に二次加工三次加工の作品が生まれ(その派生作のひとつが「たぴ・ぱん」シリーズ)、ネットの海の中で生まれたヒット曲として知る人ぞ知る名作である。
それをサイトの運営会社がJASRACに楽曲登録してしまったことが、ちょっとした物議をかもしている。ネット内では累計200万超試聴というかなりのヒット曲なので、着メロなどに配信利用しようとして、それに必要な手続きを踏んだ…ということなのだろうが、今まで自由に遊んでいた子供の世界に、いきなり大人が乱入してきて、遊んでいるオモチャに権利だとか許諾だとか使用料だとか現実的な正札を付けてしまったようなもので、遊んでいた側としてはなんだか「釈然としない」のも無理からぬこと(なにしろかれこれ25年ほど作曲家をやっている私でも、いまだに現行の著作権法については不可解に思うことが山とあるくらいなのだから)。
この問題、いろいろな視点があると思うけれど、一応作曲家をやっている身からひとこと。作曲する(音楽を作る)人間というのは、そもそもは単純に「いい曲を書きたい」と思い、いい曲ができたら「聴いて欲しい」と思うだけで、報酬や対価(つまり、お金)を目的としているわけではない。それを専業とすることで安定収入を得るのが「プロの作曲家」ではあるけれど、理想を言えば、やはり報酬は「聴く人(あるいは神様)の喜ぶ顔」しかないのだ。
ところが、そんな青臭い理想は「市場経済」の魔手によって赤子の手をひねるように潰され、現実社会では「著作権」という名の両刃の剣が、音楽に絡みつくようになった。そのことについてはプラス面マイナス面両方があるが、もはや逆行できず是非も問えない世界的汎用システムになっていることは認めざるを得ない。
そんな中で、前世紀末に生まれたネットという新世界では、プロもアマチュアも関係なく、自分で作った楽曲や動画や情報を自由に投稿し、面白ければそれを寄ってたかって加工する(楽曲だけだったものが、アレンジを施され、キャラクターが生まれ、動画やアニメーションが付いたりする!)という「理想郷」(というより子供の遊び場みたいなものか…)が育ちつつあり、私のように擦れた作曲家の目には、実に「面白い」と同時に「うらやましい」と映っていたのだが・・・
インターネットというのは、そもそもは「ネットの世界に蓄積される情報は誰でも無償で入手できる」、「そのかわり自分の知る限りの情報は無償で提供する」、そういう全世界的な情報共有空間として構想されたものであり(私も、そんな黎明期からの付き合いだ)、敢えて言うなら「人類全体を繋ぐ神経系」のようなもの。
まあ、「商業主義が入り込まない理想郷」になれとは言わないけれど、ネットの世界だけは自由に、ひたすら自由に、発想や意見や才能が浮遊する場であって欲しい。そう願わずにはいられない。
◇追記。作曲家と著作権についてのもうちょっと詳しい私考はこちら。
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エントリ読ませていただきました。
この事件は現在の著作権周りの問題点を見事にあぶりだしたのかなとも思います。
著作権の概念自体が、新しい流通やメディアの形態についていってないのでしょう。著作権そのものはもうずっと昔にできたものですから。
本来ならこのあたりで、現状に合わせて一から考え直すのが理想なんでしょうが著作権に絡む市場が大きくなりすぎてしまったのでどうにもできない感じですね。
ユーザーの多くはたとえ無料といわれてもいいものにはきちんとお金を払います。応援したいと思うからです。また、極力中間搾取なく製作者に渡したいとも思っています。
ネットによって音楽販売に不可欠なメディア、広告媒体、流通方法の三つが一気に解消してしまった今、著作権商売はその様相を変えざるを得ないのかなと思います。
投稿: tt | 2007年12月22日 (土) 06:17