広瀬量平氏死去
広瀬さんは、かつての「現代音楽の時代」を作った綺羅星のような1930年前後生まれの日本の現代作曲家・・・武満徹(1930)、黛敏郎(1929)、松村禎三(1929)、間宮芳生(1929)、湯浅譲二(1929)、諸井誠(1930)、林光(1931)、外山雄三(1931),三善晃(1933)ら・・・の一人。
私が作曲家を志した1960年代末から70年代には、彼らは30代後半から40代の脂の乗りきった頃で、(70年の大阪万博をピークとして)毎年毎年名作話題作が生み落とされる様はなかなか壮観だった。まだ現代音楽に勢いが感じられ、熱気のある時代だった。
私が1981年に「朱鷺によせる哀歌」でデビューした時、いきなり初演直後の会場ロビーで「よかったよ」と声をかけてくださったのが広瀬さんとの出会いだ。
その後、「朱鷺」の海外初演(メキシコ!)の機会を作ってくれたり、ご自身が入れ込んでいたフルートオーケストラのための新作を書く機会を与えてくださった。その時に「チカプ(鳥)」という曲を書いたおかげで私の「鳥のシリーズ」が始動した。
広瀬さんの曲には時々「鳥」が登場する。室内楽曲「打楽器とヴィオラのチェロのためのコンポジション」(1970)ではハーモニクスで鳥が鳴くフレーズがあって、私の「鳥のシリーズ」の元ネタのひとつになっている。作品でも「カラヴィンカ」というインド仏教に因んだ架空の鳥「迦陵頻(かりょうびん)」をテーマにしたものがある。
広瀬さんの音楽は、(以前ここで言及したルトスワフスキにも通じるのだけれど)自由でアナログな書式が実に面白い。縦に合わせるアンサンブルなんかどうでもよくて、「はい、チェロの次にパーカッション適当に叩いて!」というような遊び心が楽しいのだ。リコーダーや尺八のアンサンブルの曲ではそれが炸裂していて、音の遊びに満ちている。
でも、個人的に好きなのは、チェロ協奏曲「トリステ」(1975)だろうか。シリアスだが、乾いた抒情がなかなか素敵で、スコアは今も私の仕事場のピアノの横に置いてある。
あまりじっくりお話ししたことはないが、とにかく精力的に日本中世界中を飛び回っていて、いつも突然現れては汗をかきかき「今XXから帰ってきたところ。これからXXに行って、XXの初演に立ち会って、明日までにXXの曲を書き上げなくちゃ。じゃあね」と消えてゆく。
忙しいはずで、私がいた頃の現代音楽協会の委員長もやっていて、とにかく人の面倒をよく見る太っ腹の性格。外見も太っ腹で(人のことは言えないが)、ある時、突然「吉松くん、ぼくダイエットを始めたんだ」と言う。
そこで「どういうダイエットですか?」と聞くと、「夜10時を過ぎたらケーキを食べないことにしたんだよ」。
ご冥福を・・・という言い方は嫌いなので言わない。でも、今日は一日、広瀬さんの曲を聴いて過ごそうと思う。
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コメント
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吉松隆さんへ
お久しぶりです。廣瀬さんが亡くなる前日、京都の病院でお別れをしました。
今、ぼくは、悲しくてしょうがありません。
最後の電話で「雨のいい詩がないかなぁ。探してくれないかなぁ」と話してました。
来年、1月9日に、京都で音楽葬がありますが、ぼくは男声合唱で参加します。
昨年でしたか、それともその前の年でしたか?
京都で、舘野さんが吉松さんのコンチェルトを弾いた日の夜に電話があり、
「よかったよ。あの曲を聴いて、一番嫉妬するのは武満だろうね。」と、話していたこと、
ご報告いたします。どこかで、またお話したいものです。生きております。
鳥
投稿: 鳥潟朋美 | 2008年12月 3日 (水) 21:55